九州八十八ヶ所百八霊場めぐりの帰途、「日豊本線開業100周年記念列車」にて南宮崎から小倉に向かう途中、佐伯で一息つく。
改札口には「浦100」のロゴが入ったのれんが出迎える。線路も描かれており日豊線の開業100年を祝ってのことかなと思う。ただ実際は必ずしもそうではなく、佐伯市観光協会の「100年後も人の営みが豊かな浦を残すための観光プロジェクト」だという。佐伯藩が魚類の生息を保護するために森林を残す御触書を出したのが1623年だそうで、2023年はちょうど400年。そして次の100年に向けて・・・ということだそうだ。鉄道のほうも、2024年春に福岡・大分ディスティネーションキャンペーンが行われ、日豊線も次の100年に向けて・・といっていいだろう。
九州八十八ヶ所百八霊場めぐりでも佐伯に泊まり、さまざまな郷土の味、そして「ごまだしうどん」もいただいた。
佐伯を出発し、臼杵にかけてはリアス式海岸の入り江も見ることができる。豊後二見浦というスポットもある。そろそろ日が傾きつつある頃合いだ。途中、浅海井(あざむい)を通過する。ここで、ツアーガイドを務めるフリー鉄道アナウンサーの田代剛さんから「九州最東端の駅」というアナウンスが入る。これまでの観光や歴史も含めた案内とは異なり、こうした小ネタを入れるとはさすがである。
臼杵で列車行き違いのための運転停車。ここで、田代剛さんから臼杵の案内が入る。・・といっても、石仏や城下町としての臼杵ではなく、「う」と♡マークがあしらわれた「う好き」の駅名標の紹介である。今回は乗車位置の関係で見ることはできなかったが、これも新たな臼杵のPRである。
大分の市街地に近づき、夕景の大野川を渡る。そして16時47分、大分到着。ツアープランでは大分下車も選択することができ、ここで下車した参加者もいたようだ。特に何かあるわけでもなく、乗務員が交代するとすぐに出発。大分から小倉までは、885系は普段「ソニック」として走っている区間である。
別府湾沿いに走る。ちょうど日が暮れる時間帯で、海を眺めることができるほぼ最後の区間である。記念列車の復路ダイヤはちょうどここで日が暮れることを見越して組まれたのかなとすら思う。
列車行き違いの日出から先で暗くなった。元々前のシートには参加者がいなかったが、もうここまで来たので前のシートを転換させ、靴を脱いで足を伸ばす。まさか特急車両でこういう芸当ができるとは・・。
中津に到着。定期列車の博多行き「ソニック48号」を先に通すために約15分停車。佐伯以来となるホームに降り立つが、18時にしてかなり寒い。ホームには、同じ「ソニック」で使われる885系のためか、先に着いた列車は団体専用であることを強調している。特急車両同士の先発・後発というのもレアな光景である。
続いて暗い中を走り、行橋に停車。ここでも10分あまり停車。いったんホームに出て、また車内の様子も見て回る。中には参加者がほぼいない車両もある。途中の大分までのプラン用の車両だったのかもしれないが、このところのイベント列車といえばいずれも満員御礼、発売開始当日でも予約が困難というイメージの中、ここまでガラガラの列車というのも珍しいのではないか。
行橋では後続の「ソニック50号」を先に通すため・・と思っていたが、特急が来る前に記念列車が先に発車する。どうやら時間調整のためだったようで、「ソニック50号」に抜かれたのは運転停車した城野だった。ここまで来ると終点・小倉は近い。ツアーゲストの田代剛さんが乗客一人一人にお礼の挨拶をしてくれる。
運転停車の西小倉で、田代さんによる最後のアナウンス。内容は西小倉が最寄りの小倉城についてのもの。そして19時10分、小倉に到着した。
乗車時間6時間という長丁場だったが、もうそんなに経っていたかという感じである。乗車前は倒竹の影響で集合に間に合うかとハラハラし、宮崎出発後の大爆走、日向灘の眺め、宮崎郷土料理あれこれの弁当、飲み鉄、長時間停車、そしてアナウンサーによる定番から鉄オタネタまで幅広い案内・・・と、乗りごたえがあった。日豊線のさまざまな魅力に触れることができたのも、八十八ヶ所百八霊場めぐりのご利益の一つといっていいだろう・・。