まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第11回中国観音霊場めぐり~徳山から帰阪

2020年03月31日 | 中国観音霊場

夕方の徳山駅。この駅に降り立つのも10数年ぶりである。以前は昔ながらの国鉄駅の雰囲気だったのが、立派な橋上駅になっていた。

新幹線側から自由通路を渡り在来線側に出ると、階段の下り口に書店のようなカフェのような建物入口がある。ただそこにある文字は「周南市立駅前図書館」。駅前に出ると徳山駅よりもでかい文字で図書館の看板が掲げられている。

周南市はいくつかの自治体が合併してできたこともあり図書館は市内に何ヵ所かあるのだが、徳山駅前図書館は2018年に開設されたばかり。周南市の交流施設の位置付けでもあり、CCC(カルチュア・コンビニエンス・クラブ)により運営されている。館内に入ると内装も図書館らしからぬセンスがあるし、開架も見やすい造りだ。新型コロナウイルスの影響で3月いっぱいは臨時休館だが、普段は年中無休、夜も22時まで開いている。

休館中にも関わらずなぜ入れているのかだが、CCCが運営していることもあり、1階には蔦屋書店、スターバックスが入っている。徳山の人には失礼な感想だが、徳山でこうしたスポットが、それも駅直結であるというのに感心する。列車やバスの待ち時間も有効に使えるし、ここで一時を過ごすことを目当てに来てもいいくらいのスポットである。

さて、帰りの新幹線まで時間が少しあるので駅前の商店街に向かう。目についたのは「豊丸水産」。チェーンの居酒屋だが、山口の郷土料理もあるというので入ってみる。

この場合の山口の郷土料理はふぐである。下関なら「ふく」だが、徳山ではまだ「ふぐ」の呼び名が一般的なようだ。なお、駅のコンコースにも看板があったのだが、周南市の粭島(すくもじま)沖というのがとらふぐの延縄漁発祥の地だという。下関はあくまで卸売り、流通量の多さで有名というところだろう。

ふぐ刺しや一夜干しなどが通年メニューで出ている。天然のとらふぐとは謳っていないので養殖ものだと思うが、そこは地元の名物。また3月ならぎりぎり冬の旬かなということで美味しくいただく。

他には長州どりの鉄板焼きや、クジラのたたき、宇部かまぼこといった地のものをいただく。今回は山口県の初回ということで、これからいろいろ回るところだが、まずは幸先よく地元の味を楽しめて満足である。

ちょうどいい頃合いになって駅に戻る。これから乗るのは19時25分発の「こだま868号」新大阪行きである。各駅に停まって新大阪までは4時間少しかかる。途中何本の新幹線に抜かれるのやら。

この列車にしたのは旅行会社の割引プラン利用のためである。徳山~新大阪を「こだま」や「さくら」の指定席で行けば自由席、指定席の差を含めて12000円前後。それがこの「こだま」限定プランなら9000円である。今回利用したのはJTBだが、日本旅行でも同じような商品があるようだ。もっとも5月の連休、お盆、年末年始は対象外だ。また、予約時に指定した列車からの変更はできず、果ては同じ列車の自由席を利用するのも不可である。価格を取るか、時間を取るか、制約を受け入れるかだが、今回は「こだま」で各駅乗り通すことを優先とした(もしこの夜が徳山泊だったら、翌日は山陽線もしくは岩徳線経由で1日かけて鈍行乗り継ぎを選ぶのかもしれないが)。

19時25分発だが、19時13分に到着。徳山で後続列車の通過待ちである。

その間に指定の席に座る。改札口を通る前にこの列車の指定席の空き具合を見たのだが、指定席は4分の1程度埋まっていた。もちろん途中区間の利用で、「のぞみ」や「さくら」の指定席との乗り継ぎもあるだろうが、こうした割引商品の客というのは席を固めるのか、周りの席は端から順に埋まっている。私の後ろ2列にいた女性グループは徳山ではすでに乗っていたし、この先新大阪まで乗っていたから、新山口どころかひょっとしたら小倉や博多から通しのプランかもしれない。まあ、この日はこの後大阪に移動するだけなら、「こだま」のゆったりシートでのんびり過ごすのもありだろう・・。

長々と書いているうちに徳山を発車。そういえば徳山といえば駅近くにも広がるコンビナートの夜景である。窓から少しは見えたが、写真だとこの通りである。まあ、次の中国観音霊場めぐりでは徳山に泊まる計画を立てているので、工場夜景はその時にとっておく。

先ほど食事はしたはずだが、飲み物はビールだけだった。ここで出すのは山口県で有名な獺祭。駅の土産物店やコンビニ売店で一般に売られているスタンダード品の純米大吟醸45。それでも同じ300mlサイズの他の酒蔵の酒と比べれば、1.5~2倍くらいの価格である。日常にいただくのは現実的でなく、新幹線のシートに身を委ねて、これからの「こだま」の旅のお供・・。

徳山駅近辺のコンビナートを過ぎるとかえって車窓の暗さが侘しさを出し、新岩国に到着。6分停車でホームに出る。

次の広島では11分停車。獺祭のアテがなくなったのでホーム上の売店で補充する。ここから指定席に乗ってくる客がそこそこいる。広島~新大阪ならそうした利用があっても不思議ではない。

東広島、新尾道、福山と数分ずつ停車する(三原だけはすぐに発車した)。福山ではライトアップされた福山城の天守閣も見える。これも「各駅停車」ならではの楽しいところだ。

8両編成の「こだま」は前の7、8号車も自由席だが、この時間ともなれば1両に2~3人しか乗っていない。

新倉敷、岡山はすぐに発車し、相生、姫路では通過待ちで6~7分停車。ここまで来るとようやく戻って来たと実感する。

後は西明石、新神戸とそのまま走り、22時38分、新大阪に到着。もう、東海道新幹線の上りの運転は終わっていて、駅も閑散としていた。そのままいそいそと帰宅する。長い日帰り旅になった。

さて、今回出かけたのは3月20日のこと。現在は3月末だが、新型コロナウイルスの感染拡大は止まることがない。ちょうど3月半ばからその連休に何らかの経路で感染したのではないかとの報告が相次いでいる。東京五輪も延期になったし(なぜ中止にしなかったのか?)、東京、大阪では週末の外出の自粛が要請されたり、西宮球団の選手たちが感染したことでプロ野球の開幕がまた延期になるのではとか、志村けんさんが亡くなるとか・・話がまた暗いほうに流れている。この中で西宮球団のFとかIとかいう1軍半の選手どもが繰り広げた乱交・蛮行は万死に値する行為。たかがこいつらのせいで今年のプロ野球はもう中止なのだろうなと思う。ただ関西のマスゴミはその中でも選手を全力でかばい、弁護し続けている。まあ、コロナに限らず元からアタマがイカれている連中だから私ごときが今さら何も言うことないが。

中国観音霊場めぐり、次は5月の連休を予定して宿泊は押さえており、これから交通機関を予約するのだが、状況はどうなっているか。場合によっては延期せざるを得ないのかなとも思う。さて・・・。

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第11回中国観音霊場めぐり~「鳩子の海」

2020年03月30日 | 中国観音霊場

般若寺参詣のオプションとして上関を訪ねている。本土と目と鼻の先にある上関の昔の港を少し見て、もう少し先に行ってみることにする。

先ほど、かつての北前船や朝鮮通信使の風待ち港としての上関に触れたが、現在上関という地名から連想される言葉に「上関原発」を挙げる人もいるのではないかと思う。ここに着くまでの間でも原発推進、反対双方の看板も出ていた。

上関原発は中国電力が1980年代に計画が浮上し、上関の町がある長島の先端にある田ノ浦地区での建設に向けて進められている。しかし、森林伐採や海岸埋め立てにともなう工事の差し止め訴訟が地元住民から起こされたり、一方では反対活動家の手で工事を妨害されたとして中国電力が仮処分の申し立てを起こしたりと、激しい争いが行われた。

そこへ起こったのが東日本大震災、福島原発事故である。これを受けて山口県は埋め立て工事の中止を中国電力に要請し、電力側もこれを受け入れる形になった。それから9年、中国電力としては上関原発の必要性を強調して、計画を進めるという方針は維持しているものの、具体的に何か工事が着手されて進められているというわけではない。

このところ環境・エネルギー問題は改めて注目されるところ。昨年の終わり頃には、石炭火力発電の依存度が高い日本に対して環境保護団体から「化石賞」が送られたり、環境活動家の少女の過激な発言や我が国の「セクシー」環境大臣の迷言というのがニュースでも大きく取り上げられていた。その石炭火力発電とともに、原発というのもどこかくすぶっているところである。福島の事故以来、原発の安全基準のハードルが高くなって、既存の原発でもクリアするのが難しくなっているが、そこに来て新たに建設するというのは、いかに山口県といえども厳しいのではないかと思う。

最初は上関原発の建設予定地に近づこうかとも考えたが、島の先端なので結構距離がありそうだし、カーナビの地図でもかなり手前の集落までしか道は続いていない。まあ、その先に道があったとしても一般人は立ち入り禁止だろうし、別に原発建設の是非を論じるつもりもないので断念する。

その代わりに行ってみたのは、本土を対岸に見る中ノ浦海水浴場。上関の港からクルマで10分ほど走った行き止まりのところにある。今回クルマだったから来ることができた場所で、バス利用だったら無理だった。

地元の人の隠れスポットのようで、さすがに泳ぐ人はいなかったが多くの家族連れがのんびりと過ごしている。子どもたちも砂浜で遊んでいる。海水もきれいで、こうしう景色を見るとホッとするものを感じる。

これで長島を回ったことにして、再び上関大橋で本土側に戻る。この橋のたもとにあるのが上関海峡温泉の「鳩子の湯」である。ここでも「鳩子」という言葉が出てきた。立ち寄り入浴とする。

今回上関に来ることになって初めて知ったのだが、NHKの朝ドラに「鳩子の海」という作品があった。1974年~1975年の放送だったから、ちょうど私が生まれて間もない頃のことである。NHKの番組紹介によれば、「広島原爆のショックで記憶を失い、美しい瀬戸内の港町に紛れ込んだ戦災孤児の少女が、さまざまな困難にもめげずに出生の証を求め、明るく生きる姿を描く。人間の寄辺とするもの、故郷とは何なのかを考えさせた作品」とある。主人公「鳩子」の少女時代を斉藤こず恵さん、成長後を藤田三保子さんが演じたが、ネットで見たあらすじというのは・・・。

広島原爆の数日後、一人の少女が岩徳線の線路の上を歩いていた。そこで一人の兵士に助けられた後、上関に流れ着いた。そこで「鳩子」と名付けられて成長し、上京してさまざまな職につく。

鳩子は東海村原子力研究所に勤める男性と結婚し、子どもも生まれたが結婚生活に疲れたとして家出、結城紬の問屋で機織りを学ぶ。ドラマの終盤、結城紬を通して自分の出生の秘密を知ることになる。

鳩子の生まれるは京都の呉服問屋の一人娘で、戦争で山口に疎開する途中、広島の市街にて被爆した。奇跡的にかすり傷一つなくひたすら西に向けて歩いていたところを、憲兵から逃げていた兵士に助けられたという。ドラマの最後では、東京で喘息の発作に悩んでいた息子とともに上関に戻り、広島大学の教授になっていた夫とも再開する・・・というものである。

ドラマの制作スタッフは、昭和50年、特に戦後30年というのが念頭にあり、その30年の日本人の生活や心の動きを一人の女性の半生記として描きたいということがあったそうだ。かなりテーマの大きな話である。設定が戦災孤児、しかも原爆から逃れた少女ということや、戦後の混乱期から復興期の中を生きたさまざまな大人たち、そして昭和50年頃といえば高度成長の裏では公害やエネルギーも問題になっていたことも話の中に盛り込まれているということで、あらすじだけ見ていても結構重厚な作品だったのかなと思う。

ドラマの放送からは45年経つわけだが、今でもてんぷらやお菓子、そして温泉に「鳩子」という名前がつけられているのを見ると、上関の人たちにとっては今でも誇りなのかなとも思う。ひょっとしたら上関原発への複雑な思いも重ねているのかもしれない。

さてドラマの話が長くなったが、温泉である。内風呂と露天風呂があり、特に源泉の露天風呂は鉄分を含んだ茶褐色である。ちょうど柵越しに上関海峡の景色を楽しむこともできる。

入浴を終えると時刻は16時。そろそろ、この日のゴールである徳山駅に向かうことにする。

改めて鳩子の海、周防灘の景色を見る。そういえば彼岸の日想観で、この太陽が沈むのはちょうど真西なのだなということを思い浮かべる。現在世間は暗いニュースに覆われているところだが、穏やかな景色はそうしたことも包み込むかのようである。彼岸に向かう太陽に、これからの平穏という想いを込めて手を合わせる。

再び国道188号線に合流して、平生町から田布施町、光市へと進む。ここでも海岸線を楽しんだ後、やがて周南地区の工業地帯にさしかかる。特に渋滞することもなく、徳山駅には17時30分頃に到着した。新幹線乗り場や徳山港側にあるレンタカー営業所にクルマを返却する。次回の中国観音霊場めぐりは徳山駅から再開である。

この日は19時台の新幹線で徳山から大阪に戻る。クルマの移動も思っていたより早く終えたので新幹線の時間を早めるところだが、実はこの日、「こだま」利用の割引商品を使うことになっている。通常料金より安いのだが、事前に列車を決めて購入するもので、かつ他列車への変更はできない決まりとなっている。このため、実際に乗る列車まで2時間近く時間が開くことになる。

・・・ということなれば、せっかく徳山まで来たのと、クルマの運転から解放されたのでちょっと一杯やるか。新幹線口から在来線口に移動して、駅前の商店街へ・・・。

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第11回中国観音霊場めぐり~室津、上関へ

2020年03月29日 | 中国観音霊場

般若寺の参詣を終えて、国道188号線に戻る。このまま走れば光、下松から徳山に向かうが、途中で南下のルートを取る。平生町の中心部から上関町に向かう道のりだ。

山口県といえば全国最多の総理大臣を輩出している県である(そのカウントの仕方には異論もあるようだが、現在の憲法下では選挙区がベースになっている)。現在の総理大臣は史上最長の在任記録を更新したあの輩だが、選挙区は下関や長門市といった県西部の山口4区である。

道沿いにこの2枚のポスターが並ぶのにちょくちょく出会う。岸信夫議員。岩国、柳井、光、下松、周南市(一部)や、この平生や上関がエリアとなる山口2区の衆議院議員で、安倍晋三の弟である。母方の伯父の養子となって岸家を継いでいる。まあ、山口県というのはその程度の県である。

 

平生港からは右手に周防灘を見る。この辺りは沖合いに島がいくつも浮かんでいるが、稜線の変化がすばらしい。

前方に上関行きのバスを見る。今回鉄道~バス~徒歩で般若寺を訪ねた場合、その後に上関に向かうのに乗ったであろうバスである。停留所に停まったのでいったん追い越したが、乗客はほとんどいなかったように見えた。

少し走り、駐車スペースがあったのでいったん停める。海の写真を撮った後、先ほど追い越したバスがやって来るのを待って写真を撮る。せめて気分だけでもローカルバスに乗ったつもりで。

このまま室津半島の西岸、海岸線と山がぎりぎりまで競っている区間を走るうち、少しずつ港町らしい家並みが出てきた。本土側の先端にある室津地区である。

道の駅上関海峡に到着。遅くなったが昼食をと思ったが、こちらの食事は数量限定のようで全て売り切れ。あらあら。

地元の産直品を買い求める客で賑わう中、人気の商品は天ぷら。天ぷらといっても魚のすり身天ぷら、さつま揚げの系統だが、「むろつのてんぷら」と「鳩子てんぷら」の2つの銘柄がシェアを分けあっている。室津はわかるが「鳩子」は何だろうか。天ぷらは帰宅後にいただいたが、素朴な味でなかなか美味かった。

道の駅の向かいには、明治時代に建てられた「擬洋風建築」の四階楼がある。海に面して当時の開化的な土地の象徴ともいえるが、新型コロナウイルス感染拡大の影響で臨時休館だった。

一方、上関の中心である長島との海峡では釣糸を垂らす人も多い。幅はどのくらいだろうか。かつて沿岸近くを航行していた北前船や朝鮮通信使の船にとっては、長島の外海を回ることを思えばこの海峡はありがたいものだっただろう。この先は伝説も残る大畠瀬戸。ならば上関・室津で一息つこうということになってもおかしくはない。

今もこの海峡を船が通るし、渡船もあるのだが、往来の大半は1969年に開通した上関大橋である。橋が架かる場所の海峡の幅はわずか170メートル。ゴルフならアイアンでも届くかもしれない距離だ。

橋を渡り、その対岸に向かう。クルマをどこに停めたものか躊躇したが、漁船が停泊して立入禁止の区画がされている一角の路肩に停める。違反なのかはよくわからない。

路地を一本入ると家屋が密集した町並みである。かつては商家や回船問屋で賑わったそうだが、北前船が各地の交易の手段だったことを考えると、上関には地理的条件以上にウリになるものがあったのかどうなのかという気がする。

交易はともかく、朝鮮通信使も招いたであろう番所の跡がある。公開しているようだが行った時には障子を次々閉められて、中を見ることができなかった。

クルマに戻って少し走ると、城山歴史公園がある。海峡を見下ろすスポットでもある。

上関は北前船や朝鮮通信使よりも前、村上水軍の基地だった。要衝の上関海峡、ここに砦を構えて、往来の船からの徴税権を行使していた。後に豊臣秀吉が天下を統一する際にこうした徴税権は失われ、上関の城山もなくなった。現在の敷地は最近になってからの発掘整備によるものだという。

この後、もう少し上関の中心である長島、そして本土に戻った室津と回るが、記事を分ける。次には、先ほど天ぷらで疑問に思った「鳩子」についても少し触れてみることに・・・。

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第11回中国観音霊場めぐり~特別霊場「般若寺」

2020年03月28日 | 中国観音霊場

岩国から国道188号線を走り、柳井市街を抜ける。平生町に入り、田布路木という地区で般若寺への左折看板がある。

般若寺へは、当初列車・バスでの移動を考えていた。ただ般若寺のホームページや、その他観光案内をいろいろ見ても、クルマで行くことを前提とするか、柳井駅からタクシー利用とある。その中で柳井駅から上関に向かうバスが1時間に一本のペースであり、路線図と地図をにらめっこすると、柳井駅から10分ほどの宇佐木もしくは田布路木で下車が最寄りのようだ。

問題はそこから。直線距離ではそれほど遠くないが、地図では道が曲がりくねっているのがわかる。また般若寺の由緒や境内案内を見ると、寺があるのは山の頂上近くのようだ。スマホの徒歩検索では柳井駅から1時間とあるが、これまでの経験から見ると、バス停から上り坂で1時間かかるのではないかと思われる。

1時間歩くことじたいは致し方なく、歩けばいいことだが問題は前後の行程である。実は今回、オプションとして路線バスの行き先である上関に初めて行ってみようと思っていた。北前船や朝鮮通信使の風待ち港として栄えた町であるし、同じ山口県の「下関」に対して「上関」というのも面白い。ただバスは1時間に一本で、仮にタイミングが合わなかった場合、バス停の周りには時間をつぶせそうな場所はなさそうだ。バス停から徒歩1時間なら、往復と寺の滞在を合わせると上関に向かうのは3時間後の便となる。

天気がどうなるかもわからないし、その他何やかんや理由をつけて、今回はレンタカーにした。その効果が出たのは前の記事にある錦帯橋や由宇の海岸なのだが・・。

細い道を上る。ギアを落とすほどの急勾配があるわけではないが、ひたすらダラダラと上る。歩いていたら結構ダメージが来そうだ。

途中にいくつか、道端に観音菩薩の幟が見える。近寄ってみると丁石の観音像が祀られている。十五丁とか十六丁とか。かつて徒歩の参道でもあったのだろうか。

境内の下に駐車場がある。柳井港と、その向こうの周防大島との間を流れる大畠瀬戸が見える。この大畠瀬戸は般若寺の歴史にも関係が深いという。

坂道を少し歩くと、納経所のある境内に出る。「みさき観音」像があり、その周りをパネル絵で囲んで寺の由緒を紹介している。

まず登場するのは豊後の真野(満野)長者。どこかで聞いた名前だったと思うが、松山の郊外、三津浜にある四国八十八所第52番の太山寺である。真野長者が豊後から都に向かう途中嵐に遭った。その時、長者が観音菩薩を念じるとどこかから光が差して嵐が止んだ。その方向に向かうと山頂に観音菩薩を祀ったお堂があった。これに感謝して伽藍を建立したのが太山寺の始まりとされている。

その真野長者には般若姫という一人の娘がいた。その美しさは都まで広まり、求婚する者も多かったが、やがて都から来たという男性と結婚した。その男性、実は後に用明天皇(聖徳太子の父)となる橘の皇子だった。

先のみかどが亡くなったので皇子は都に戻らなければならなくなった。その別れ際、身重の般若姫に向けて、「男の子なら自分の跡継ぎとして一緒に、女の子なら長者の跡継ぎとして残して、姫だけで都に来るように」と告げた。現代の価値観から見れば、まあ勝手なものだろう。真野長者もこれには納得したのかどうか。

般若姫が産んだのは女の子だった。これ、もし男の子が産まれていたら都に来たわけで、となると聖徳太子とどっちが兄か弟かとなったのか?

般若姫は指示通りに都に向かったが、途中の大畠瀬戸で嵐に遭い、命を落とす。これが伝承では、この辺りで多くの船を沈める暴れ龍がいて、その怒りを鎮めるために般若姫が自ら海に身を投じ、自分が瀬戸の守り神になるとして、「あの山」に亡骸を葬るようにと指したのが今の般若寺の場所だった・・となる。伝説なのでいろいろな話があるが、これも真野長者や用明天皇を介した聖徳太子伝説の一種なのかなと思う。

仁王門への矢印があるので向かう。やはり今の車道とは別に昔からの参道の一部が残っているようだ。

仁王門は江戸時代に建てられた茅葺きの建物で、2014年に改修された。素朴な感じの建物だが、春と秋の彼岸には夕陽が門の真ん中に沈むよう造られており、龍の通り道ともされている。この夕陽を見るのが日想観だが、この日は3月20日、ちょうど彼岸の中日ドラゴンズではないか。

今はまだ12時台、日没は17時半くらいだろうからまだまだ先だが、どこかで夕陽を見送るのもいいかもしれない。他の方のブログなどで日想観の法要の様子を見たが、鮮やかなものだった。

仁王門をくぐった先には真新しい十王堂が建つ。明治維新150年事業として2018年に修復、復興したものである。「いつもみとるぞ!」と怖い表情を見せる閻魔大王像。大王が手にした鏡に自分の姿を写し、念仏を唱えながらお堂の外を3周すると、罪悪が許されるとある。私も3周で足りるかなと思いつつ手を合わせて回る。

石段の上に観音堂があり、ここでお勤め。他に参詣の人もおらず、木々に囲まれた中での読経である。ただ風が強い。ちょうど風の通り道にもなっているのではないかとも思う。

西国三十三所の写し霊場もあり、これを伝っていくと展望が開けた場所に出る。この日は波も穏やかなようで、大畠瀬戸を行き交う船も滑らかに走っている。

これで納経所に向かい、朱印をいただく。さてこれで引き返そうかというところで、来た道とは別の方向に本堂の案内があった。先ほどの観音堂が本堂かと思ったが全く別で、危うく飛ばしてしまうところだった。

車道を挟んだ向かい側にあるのが本堂のエリア。少し進むと、観音堂より堂々とした建物に出会う。網戸を開けて中に入ると、法要も執り行えるだけの広さがあり、やはり本堂やなと思う。大日如来、聖観音菩薩、不動明王、毘沙門天と並んでいて、こちらでもお勤めとする。

こちら側は四国八十八所の写し霊場があるが、本格的にこの山を回るようだ(竹杖も用意されている)。さすがにそこまではいいかということだが、途中に展望台があるというので行ってみる。

展望台には「みろく大師」が祀られている。この先は田布施などの町並みだが、遥か先にほんの薄く陸地が見える(ような気がする)。周防灘を越えた先は、真野長者のいる豊後の国の国東半島である。国東半島か・・・。般若寺のスケールの大きさがうかがえるが、これまで瀬戸内を回ってきて、海の向こうというのが四国だったのが、ここに九州が登場したことで、札所めぐりがそれだけ西に進んだことを実感する。

これで般若寺を終えて、再びクルマで坂道を下る。「札所めぐりは公共交通機関で」というのをベースにするのは変わらないにしても、今回はこれでよかったのだと納得する。

これで札所めぐりは終わりで、再びオプションに入る。田布路木からさらに南、陸地の先端にある上関を目指す・・・。

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第11回中国観音霊場めぐり~岩国錦帯橋と周防の海辺

2020年03月25日 | 中国観音霊場

岩国駅を出発して、中国観音霊場めぐりの前にいったん錦帯橋に寄り道する。少し内陸部に入る格好になるが、レンタカーでは駅から10分ほどで到着する(途中からカーナビが極端に細い道を案内したのには驚いたが)。公共交通機関利用でも岩国駅・新岩国駅からそれぞれバスで15~20分ほどで行けるからアクセスは悪くない。

河原を利用した駐車場に乗り入れる。観光バスも何台でも駐車することができるが、私が着いた午前9時半にはその姿は見えない。後で土産物を買った店の人によれば、今年はやはり例年より団体客が少ないとのことである。

そういえばこのところ大阪近辺でも団体バスツアーの姿を見ることもめっきり減ったように思う。クラブツーリズムや阪急交通社などのツアーは通常通り募集されているが、旅行を控える動きは当然あるわけで、ツアーそのものが募集中止になったり客が集まらず催行中止になる例も多いようだ。夜行・昼行の高速バスは路線便なので運行しているが、団体ツアーの移動を担当するバス会社などは特に苦しいそうだ。日本国内で新型コロナウイルス感染が発生した当初、従業員の雇用を守るために車両を売却して資金を捻出したバス会社があったが、その後、状況がより厳しくなる中で経営が大丈夫か気になる。

河原から上流を見やると5つのアーチ橋が見える。錦帯橋を訪ねるのも久しぶりだが、独特な姿は一種の美しさを出している。

錦帯橋が架けられたのは江戸時代、17世紀の後半である。毛利家の分家筋だった吉川家が関ヶ原の戦いの後に岩国を領有したが、城を山の頂に構え、城下町を形成したがその間には幅200メートルの錦川が流れている。幅が広く急流になりやすい地形のため、橋を何度架けても大水の時には流されるという事態が起こった。そこで考えられたのがアーチ状の橋。その後、改良や架け替えを行いながら現在も観光客を魅了している。ちょうどこの3月に、定期的な保全工事が終了したばかりという。とりあえず渡ってみよう。

橋のたもとに料金所があり、往復で310円を支払う。照明はないが夜間含めて24時間渡ることはでき、料金所が閉まっている時は料金箱にお金を入れて渡る仕組み。

橋を渡る人もほどよい多さという感じで、途中でカップルやグループが記念撮影していてもそれほど往来の邪魔にならない程度である。

特にアーチの角度が大きい真ん中の3つの橋では、木の段を上がったり下がったりして歩く。見下ろす錦川は底も見えるほど透き通っている。対岸の吉香公園側の遊歩道は桜並木だが、開花まではもう一息といったところだ。空を見ても雲がほとんどない。

対岸に渡る。さすがに山の頂にある岩国城まで行くとちょっと時間がかかるので、城下の吉香公園だけ一回りする。

まずは吉川家の祖霊を祀る吉香神社に参拝。複雑な造りの木造建築で、岩国の大工職人たちのレベルの高さがうかがえると評される建物である。

吉川家は鎌倉時代後期に安芸に拠点を構えた地頭~国人領主で、芸北を中心に勢力を持っていたが、後に毛利元就の次男・元春が継承し(これは毛利元就による乗っ取りともされているが)、元長、広家と続いた。この吉川広家は関ヶ原の戦いの時に徳川家康に内通する代わりに、石田三成により西軍の総大将に担ぎ上げられた毛利輝元の本領を安堵してもらう約束を取り付けた。

しかし戦後、家康はその約束など一方的に反故にして、毛利本家の領地は周防・長門の2ヶ国に大幅に削られ、本拠地も萩に移された。広家には毛利家の東の守りである岩国領が与えられたが、毛利本家は吉川家の岩国領を支藩とは認めず、家臣として扱った。一方で家康は吉川家を一つの藩と同等に扱い、城の建設を認め、江戸にも藩邸を持つことを許した。この扱い、徳川と毛利の間での駆け引きに使われたとか、現代の国際関係でもそんな例がありそうである。岩国領が正式に岩国藩と認められたのは徳川家からの大政奉還が行われた後のことである。もっとも、数年後には廃藩置県が行われて藩そのものがなくなってしまうのだが・・。

徳川と毛利の間で翻弄された吉川家だが、岩国の人たちにとっては今の町をつくった殿様であることには違いなく、市内には吉川家を顕彰するスポットがいろいろある。吉香神社もその一つであり、かつての屋敷跡を利用した吉川史料館もそうだ。せっかくなので入ってみる。

現在の展示は「吉川元春展 ~尼子氏の忠臣・山中鹿介との攻防」。昔のチャンバラ映画をイメージさせるタイトルやポスターだが、翌々日(3月22日)までの展示ということで、これも巡り合わせである。

尼子家は毛利家最大のライバルで、特に吉川元春はその前線で何度も激しく戦った。山中鹿介は主家である尼子義久が毛利家に屈服した後も尼子家再興に奔走し、挙兵~捕縛~逃亡を繰り返しつつも、ついには織田信長の支援を受けて播磨の上月城を手に入れる。しかし最後は上月城も兵糧攻めで落とされて捕えられ、毛利家に護送される途中で斬られた。

吉川元春は山中鹿介を忠臣と讃え、鹿介がかぶっていた兜を忠臣の遺品として大切に扱った。それがこの史料館に受け継がれている。

展示室は撮影禁止なので画像はないが、毛利対尼子の激戦が繰り広げられた月山富田城の戦いに関する史料や、戦の様子を報告した書状、吉川元春が愛読したという太平記の複本などが展示されている。なぜか洛中洛外図の屏風があるが、山中鹿介が一時都に潜伏していたから展示しているとか。展示室の一番奥に吉川元春の肖像画が掛けられ、それを挟むように元春の兜、鹿介の兜が並ぶ。

山中鹿介といえば三日月に向かって「願わくば我に七難八苦を与えたまえ」と祈ったというエピソードもあり、よく歴史もののイラストでは兜の三日月も大きく描かれているもの(さらには鹿の角をあしらったもの)があるが、展示されている現物を見ると月の形もやや控えめに見える。歴史物のイラストがイメージ先行で誇張したもので実際はこのくらいの大きさだったのか、あるいは晩年のものだからタイプが違うのか。それはどちらでもよい。それにしても元春と鹿介、こうした中国地方の覇権をかけて前線でぶつかり、お互いを認め合っていたのかなと想像させる。

月山富田城がある島根の安来市は、中国観音霊場の札所が2ヶ所ある。少し足を延ばさなければならないが、その時にはこの山城を訪ねてみてもいいかなと思う。また違った見方も出るだろう。

錦帯橋に戻る途中、この像に出会う。佐々木巌流小次郎。なぜ岩国で佐々木小次郎なのかということだが、吉川英治の『宮本武蔵』では小次郎は岩国の出身という設定だそうだ。ご丁寧に、小次郎が「燕返し」を編み出したとされる柳の木も錦帯橋横の土手にある。まあ『宮本武蔵』じたいが、史実にどのくらい忠実かという物差しからぶっ飛んだ作品という評価なので、小次郎が岩国出身か否かについても、「諸説あります」で収まるのだろう。

さすがに、佐々木小次郎が錦帯橋をバックに燕返しを編み出したという演出はNGのようだ。錦帯橋が架けられた年がはっきりしていて、巌流島の戦いはそれより前とされているからという。

再び錦帯橋を渡りクルマに戻る。カーナビは国道2号線から玖珂方面を経由するルートを示すが、それに逆らう形で、岩国南バイパスを経て国道188号線に出る。山陽線の線路と、その向こうには穏やかな瀬戸内の海が広がる景色である。

広島カープの2軍練習場がある由宇に入る。以前は由宇町という名だったが、岩国市に合併されていたのね。沿道にもカープにちなんだ看板が目立つ。

由宇といえば、広島在住当時に2軍戦に来たことがある。カープ対近鉄バファローズ。当時は交流戦もなく(交流戦じたい、近鉄バファローズがオリックスブルーウェーブと合併したから始まったもの)、広島でバファローズを見るなら由宇の2軍戦しかなかった。

画像も残っておらず試合結果も覚えていない中で、今でも記憶の片隅にあることが二つある。一つは、近鉄で先発した岩隈久志。2000年あたりだと思う。投球練習から間近で見たが、右手を一度ダラリと下げるフォームが印象的だった。その後、近鉄~楽天でエースになり、メジャーリーグに行くとまでは思っていなかった。

もう一つはカープの応援団。観戦当時は、カープの一軍でさえ今のように熱狂的にまとまった応援ではなく、昔ながらの市民球場スタイルだった。この2軍戦ではカープ応援団がトランペットを鳴らすものの、詰まったり音階を外すこともしばしば。その状況に、近くに座っていたおっさんが「選手も2軍なら応援団も2軍やのう!!」と野次った。観客数百人から笑いすら起きていた。カープ人気が全国的になった現在ではこうした光景はないのだろう。

由宇駅を過ぎてしばらく走ると、南国ビーチ風の景色が見えてきた。

「潮風公園みなとオアシス」という施設である。国道沿いなので、休憩がてらちょっと立ち寄ってみる。

2005年にオープンした人工海浜公園で、海沿いに街が広がる岩国市にあって唯一の公設海水浴場という。確かに、岩国の海と言えば工場が並ぶイメージで、むしろ由宇町が合併したことで初めて海水浴場ができたとも言える。私が広島にいたのが2004年までだったから、こうした施設があるというのは初めて知った。

ビーチの湾曲した形がアルファベットの「C」の字に見えることから「カープビーチ」の呼び名もあるという。

夏は間違いなく混雑するだろうが、ちょうどこの彼岸の時季も、海べりでまったり過ごすのに適している。敷地内には物産館やレストランもあり、山口県の海産物や野菜、土産物のお菓子などを手に入れることができる。こういうところに来るとあれこれ買いたくなるので、私の日帰りのリュックも重くなる。

再び国道188号線を走ると、周防大島と、そこにかかる大橋が見えてきた。この区間は四国八十八所めぐりで訪ねている。柳井まで山陽線で行き、白壁の町並みなど見た後で柳井港からフェリーで松山の三津浜に向かった。周防大島をはじめとした防予の島々の景色を楽しんだ。

この時は松山・愛媛までさまざまなルートで行ってみようという一環で、初乗船の防予フェリーを選んだのだが、中国観音霊場めぐりでもさまざまな交通手段を試してみたいと思う。一度四国や九州を経由してから中国に乗り込むのも面白そうだ。

柳井の市街に入るとそろそろ般若寺も近い。道沿いに「日想観」の文字のある般若寺の看板を見て、最後の山道に向かう・・・。

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第11回中国観音霊場めぐり~新型コロナウイルス禍の中の出発

2020年03月24日 | 中国観音霊場

3月20日、新大阪6時ちょうど発の「みずほ601号」鹿児島中央行きに乗る。この列車に間に合うためには藤井寺からの始発では間に合わず、JR柏原4時49分の始発に乗るという荒業を使うことになる。

各地で新型コロナウイルスの感染確認が連日発表される中、前日の3月19日には大阪府の吉村知事が「3月20日~22日の3連休、大阪府~兵庫県の不要不急の往来の自粛を要請する」という声明を発表した。厚労省から、両府県で感染確認者数が増加しており、このまま何もしなければ今後爆発的に増える恐れがあるとの注意喚起があり、それを受けての発表だという。これに対しては、ネットを中心に吉村知事の迅速な対応やリーダーシップ、世の中への引き締め効果があるとして称賛する声が多い。ただ一方で「街の声」では、「急な発表で困惑している」とか、「現実的ではない」というものもあった。兵庫県の井戸知事に連絡してからでも遅くはなかったのではという声もある(私もその一人)。

そんな中での外出、中国観音霊場めぐりである。「兵庫県は新幹線で通過するだけだから」と、自分勝手といえば自分勝手な理屈をつけて新幹線に乗る。

指定席を押さえていたのだが、車内はガラガラなのになぜか私の隣だけ相客のオッサンが我が物顔で先に座っている。何でやねん!・・・実は数分前、新大阪駅に着いた時にわざわざ指定席券売機で空席状況を確認し、事前に購入していた指定席の隣がふさがっているのを嫌って、画面で見つけた2人掛けの両方が空いている席を選んで購入しなおしたばかりである。にもかかわらず、隣の席を売るか?オッサン何をエラソーな顔をして座っとんや。気色悪いわ(もちろん、そのオッサンは何も悪くないし、機械がたまたまそう発券しただけというのをわかっていて言うのだが)。

指定席は放棄して、前3両の自由席に向かう。これらの車両は2人掛け、3人掛けともにまだまだ空席がある。2人掛けの両方が空いている席に陣取る。もうこの席で行ってもいい。新大阪を出発した時は、両サイドの窓側の席がほぼ埋まる程度の乗車率だった。

・・・で、中国観音霊場めぐりに話を移す。今回から中国5県の3番目で、折り返しとなる山口県に入る。

元々は前回2月の広島・宮島の次は5月の連休に山口県に入る予定をしていたが、それでは間隔が開くので、3月に一度日帰り、もしくは1泊を挟もうと計画していた。山口県の札所は8ヶ所で、「柳井・徳山」、「山口市内」、「宇部・下関」、「萩」と2ヶ所ずつ4つのエリアに分けることができる。

今回、最初の「柳井・徳山」を目指す1泊旅でもよかったかなと思う。札所のある柳井(正しくは平生町)、あるいは徳山とばらばらに目指すとして、宿泊はどうするか。先に触れたように山口県東部全体が泊まったことのないエリアだし、徳山、柳井、岩国の駅前にしたところでどうなるのやら。一時、上関や周防大島に泊まるかもしれないという現地案も出てきたくらいだ。それだけ選択肢があるという意味である。

さて、ここに来てコロナウイルス感染が収まるどころか拡大局面である。大規模イベントが延期・中止になるのは致し方ないとしても、個人の行動についても自粛が求められる状況(先ほどの大阪府と兵庫県の往来自粛もそう)。ただ一方で、3つの「密」を避けることで感染リスクを抑えることができるとされている(歓喜の悪い密閉空間、多くの人が密集する空間、近距離での会話や発声という密接場面)。そうすると、西大寺会陽の裸祭りのようなものならともかく、個人が寺に行くことじたいは制限されるものではないだろう。

ならば移動と宿泊をどうするか。青春18きっぷの時季でもあるので、当初は鈍行を乗り継いだ後に1泊というのも考えていたが。結局宿泊は取り止めとして、新幹線で日帰り移動することにした。また、寺だけなら日帰りで2ヶ所とも行けそうだが、そこは柳井(正しくは平生町)の般若寺1ヶ所だけにした。その代わり、レンタカーを利用して機動力を増すことにした。

私の札所めぐりは公共交通機関、もしくは徒歩で行くことをベースにしているが、時と場合によっては例外がある。レンタカーは自力でアクセスする手段として可としていて、中国観音霊場でレンタカーを使うのは初めてとなる。

さて、乗車中の「みずほ」に話を戻す。新神戸、姫路でも乗客があるが、窓側や3人掛けの通路席に座っていく人が多いように思う。座席が埋まるわけでもなく、乗客同士がほどよい間隔で座っているようにも見える。車内放送も、少し前なら「キャリーバッグの置き場所に注意」とか、「車内最後部の座席の後ろに荷物を置く場合なら、車掌にお申し出ください」といった注意事項が英語や中国語などで延々と繰り返し流していた。対照的というか、現金なものだというか・・・

7時25分、広島に到着。ここで「みずほ」の発車を見送るが、見送った感じでは、指定席はほぼ埋まっていたのに対して自由席がずっとガラガラだった。

ここから山陽線の岩国行きに乗り継ぐ。沿道ではこの時間からドラッグストアに長い行列ができているのを見かける。おそらく開店前からマスクを買い求める客だろう。一時はあらゆる店頭からトイレットペーパーを含む紙製品がなくなる事態になった。これはデマから来たものということでここに来てようやく沈静化したが、それでも店によっては流通のサイクルのためか、あるいは買占めが今でも行われているのか、紙製品がいまだに十分でない事象が起こっている。そしてマスクは相変わらず・・・。

前回のゴールだった宮島口を過ぎて、海岸線近くから大竹、岩国の工場群に向かう。いよいよ山口県に入った。

岩国に到着。この駅に降り立つのも久しぶりだが、橋上駅舎に生まれ変わっていたのには驚いた。2017年にリニューアルしたという。

さて、公共交通機関利用ならここから山陽線に乗り継ぐところだが、この日はレンタカーである。日帰りコースにした代わりに機動力を増やしたのだが、これまでバスの時刻表をいろいろ見る中で、これから向かう般若寺への公共交通機関でのアクセスに多少不安があったのも事実である。結果的にはレンタカー利用で正解だったと思うが、それは後の話として。

岩国駅西口を出てすぐのタイムズレンタカーに向かう。今回は岩国駅を出発して、般若寺に行った後もそのまま西に向かい、夕方に徳山駅で乗り捨てとする。予約サイトで格安のプランを見つけ、これまで貯まっていたポイントの一部を充当したところ、2500円あまりプラスガソリン代で夕方まで利用できる。

さて岩国から南下して柳井に向かうところだが、レンタカーなので時間配分は自分でコントロールできる。急いで向かうこともなく、またせっかく岩国に来たのだから、数キロ先にある名所に立ち寄ることにする・・・。

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大相撲春場所が無事に終了

2020年03月23日 | ブログ
史上初の「無観客」で開催された大相撲春場所が無事に千秋楽まで「完走」することができた。途中、何人かの若手力士が発熱で休んだり、特に千代丸が連日高熱を出して「新型コロナウイルスか?」と心配させるところもあったが、蜂窩織炎によるもので関係者がホッとする場面もあった(病気は病気だと思うが)。

場所は順当に横綱同士の千秋楽相星対戦で白鵬が優勝し、目安の3場所33勝には一歩及ばなかったもののこれまでの安定感と相撲っぷりが評価された朝乃山が大関昇進を確実にした。貴景勝ともども若手の代表として、これからまだまだ伸びてほしい。

さて、大相撲の無観客開催が決まったことを受けて私もブログ記事にしたのだが、その中で「ファンの声援の後押しがないぶん、力士の実力やモチベーションの維持について試される」とか、「大相撲の「神事」としての歴史や意味をアピールしてはどうか」ということを書いた。

その辺り、私のような素人が書くくらいだから、相撲協会や力士たちも重々認識していたようだ。ファンの声援が聞こえないことについて、力士の中には「何のために相撲を取るのか」ということを考えたり、優勝した白鵬でさえモチベーションをどう持つのか苦心したという。たださすがはプロで、それぞれが集中し、気持ちを何とか持たせたことが画面からも伝わってきた。また、稽古場の強さは多くの力士が認める碧山が終盤まで優勝争いに絡むということもあった。無観客を自分にプラスにとらえての成績で、これもプロの力だと思う。

大相撲の「神事」ということについては、八角理事長が初日と千秋楽の挨拶でも触れていた。また土俵入りや取組中には、これまでは歓声で目立たなかったさまざまな「音」が注目され、そこに神聖なものを感じるという声も挙がった。さらに、千秋楽の表彰式の後に行われる出世力士手打式、神送りの儀式(行事が胴上げされ、相撲の神様を天に送り返す)が、NHKの中継で流された。私は一度見たことがあり、今場所もここまで見るために千秋楽のチケットを買っていたのだが、まさかテレビで流れるとは思わなかった。そうした儀式が行われていることを知らなかったという人も多く、かえって新鮮だったという声もある。

異例づくしの場所で、もしものことがあれば大変な批判にさらされるところだったと思うが、ここは「神事の場」として日本古来からの神様が護ってくれたのかもしれない。こうしたことがあると、やはり相撲というのは他のスポーツと一線を画する特別なものがあるのかなと思う。八角理事長の挨拶には、「見せましょう、野球の底力を」とはまた違った「見せましょう、神事としての相撲を」という思いが込められ、ともかく場所を乗りきった。

・・・ここまで、神事としての大相撲だとか手放しで称賛する内容だが、現実に戻れば、力士とて一人の人間である。春巡業は中止になったので力士たちはそのまま東京に戻るそうだが、場所終了後になって「◯◯部屋力士の新型コロナウイルス感染を確認」ということがないことを願う。「家に帰るまでが遠足です」ではないが、逆算して「実は大阪で感染したらしい」となるとどうなるか。「わかっていたけど相撲協会が隠蔽していた」となるだろう。そうなると・・・。

次は5月の夏場所だが、こういう事態なのでチケットの前売りもまだである。まあ、プロ野球の開幕もさらに延期になりそうだし、東京五輪も1年後?2年後?の延期が取り沙汰されているくらいだ。ここは状況を見守るしかないだろう・・・。
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近鉄特急日帰り乗り継ぎ・6(ひのとり・プレミアムシート)

2020年03月22日 | 鉄道企画もの

2日ぶりの名古屋駅。「ひのとり」のプレミアムシートにいよいよ乗車である。乗るのは17時発の「ひのとり67列車」。進行方向最後部の1号車を予約している。

16時50分頃、大阪側からゆっくりと入線する。2日前ほどではないが多くの人がカメラやスマホを向ける。この列車も、レギュラーシートには空席が見られたもののプレミアムシートは2両とも満席である。

階段を上がり、赤いじゅうたんが敷かれた車内に入る。1両に1×2列シートが7列、合計21席。これが先頭と最後尾にあるから、1列車あたり42名定員である。レギュラーシート1両が2×2列シートが13列、合計52席だからやはりプレミアム感はある。

今回座るのはその1人がけシート。シートそのものもゆったりだが、前の座席との間隔が1.3メートルと広い。北海道新幹線や北陸新幹線で導入されている「グランクラス」もこういう感じの車両だという(乗ったことはないが)。あちらは乗るだけで追加料金が何千円もかかるが、そこは近鉄、特急券にプラス900円という料金設定だ。

テーブルはひじかけの中から出すのだが、これはちょっとコンパクト。私の腹が出ているだけなのだろうが、これについては前の座席の背もたれについているタイプ(「ひのとり」のレギュラーシートはそこから手元に引き寄せることができる)ほうが好みなので、残念なのはこの一つくらいである。

座席のリクライニングもボタン一つで行う。バックシェルを採用しており、リクライニングとフットレストが同時に動く。前後の客を気にすることもない。

今回は最後部の車両だったが、運転台後ろの窓も大きく取られているので、前面展望を楽しむことができる。これは座席指定で真っ先に埋まる席だろう。

車内の見物はレギュラーシート乗車時に行ったので、この日は座席にどっかりと腰を据えて楽しむ。時刻は17時、飲み鉄解禁でいいだろう。

2日前にも買ったのだが、その時は画像を撮っていなかったので紹介。名古屋ということで味噌串カツ、そしてつい買ってしまう豊橋のヤマサちくわ(わさび漬けつき)。この時間、まだ外には明るさが残っているので車窓を楽しみながらいただく。四日市で手に入れたキンミヤ焼酎は家に帰ってからのお楽しみ。

一通り食べて飲むと、シートのゆったり感が体を包み、いつしかウトウトする。津を過ぎて大阪線に入った後は、目が覚めると外も暗くなり、大和八木に到着する頃だった。

ともかくプレミアムシートの乗り心地を最後に楽しむことができて満足し、この日は難波まで乗らず鶴橋で下車。2回にわたる近鉄特急乗り継ぎの旅もこれでおしまいである。これだけ特急にこだわって乗ったのも久しぶりで、楽しかった。

さて「ひのとり」だが、この後順次増車を行い、2021年3月には現在大阪難波、名古屋毎時0分発の特急は全て「ひのとり」に置き換わるという。現在の「アーバンライナー」は大阪難波、名古屋毎時30分発の停車駅が多いタイプの特急や、その他線区で引き続き使用されるそうで、そのように車両が順送りされて、現在残る旧塗装車は廃車となる。近鉄特急の姿も2020年代に新たな陣容に変わる形になる。これからも引き続き近鉄の旅や沿線観光を楽しみたいところである・・・。

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近鉄特急日帰り乗り継ぎ・5(ビスタカー)

2020年03月21日 | 鉄道企画もの

大和八木からは13時41分発の賢島行き特急に乗る。この列車の車両は2階建て「ビスタカー」である。

最初の2階建て車両が登場したのは1958年のことで、現在も走っているのは3代目となる30000系。私も物心ついて鉄道に興味を持つようになった時、近鉄の看板列車はこの「ビスタカー」だった。藤井寺球場の近鉄対南海戦だと「南海電車はガタゴト電車~、近鉄電車は2階建て~」というヤジもあったし、当時のオレンジと紺で「V」の字をデザインした応援旗も振られていた。小学校の修学旅行は伊勢志摩だったのだが、行きと帰りで乗る車両を変えることで、全クラスの児童が2階建て車両(階上か階下かはともかく)に乗れるようにしていた。

その後、近鉄のエースは「アーバンライナー」となり、その後は「しまかぜ」、さらに「ひのとり」と受け継がれる。このうち「しまかぜ」も近鉄によれば「ビスタカー」に分類されるそうだが、2階建てになっているのは座席ではなくカフェ車両である。この辺りは時代の移り変わりと言える。

さて乗るのは階上席。ハイデッカー車両よりも少し高い視線で景色を見ることができるし、車輪の振動も抑えられて静かである。

一方階下席は3人以上のグループ利用がルールだが、この日はどのシートも空席だった。休日は観光シーズンは利用があるのだろうが・・。

一昨日に乗った「伊勢志摩ライナー」では終点の賢島まで行ったが、この日は途中の伊勢中川で下車。ここで名古屋行きの特急に乗り継ぐ。

やって来たのは旧塗装車。購入した時はよく見てなかったのだが、これも「喫煙ルームの設備がない列車」だった。これが近年の一般特急で主力になりつつある「Ace」だったら特急乗り継ぎにも変化が出たところだが、乗り継ぎ旅の2回目は奇しくもオールドプレーヤーの揃い踏みとなった。

三重県内や名古屋へのビジネス移動もあるようで乗車率も結構そこそこある。このまま名古屋までいいのだが、途中の四日市で下車する。

四日市で下車した理由だが、せっかくなので四日市の宮﨑本店が出しているキンミヤ焼酎を買うためである。「下町の名脇役」、今は大阪の飲み屋でも結構広まって来ているが、現物を店頭で見ることはめったにない。四日市では改札内のファミリーマートでも他の酒類と並んで瓶が売られている。

少し時間があるので駅直結の近鉄百貨店ものぞく。こちらでは瓶、紙パックも含めて並んでいる。その中で凍らせて楽しむ「シャリキン」を確保。ニンマリする。

四日市から名古屋までは急行で移動する。これから「ひのとり」のプレミアムシートとのご対面である・・・。

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近鉄特急日帰り乗り継ぎ・4(かつての喫煙車つき旧塗装車)

2020年03月20日 | 鉄道企画もの

2020年2月1日から、近鉄特急では全席禁煙となった。実際は喫煙ルームは設けられているので、いわゆる「喫煙車」という扱いがなくなったというわけだ。最近でも4両編成のうち1両が喫煙車両だったりと、割合とすれば結構高かった。昔の喫煙文化を今に残していたと言えるが、健康増進法の改定にともない、喫煙できる場所についてはより厳しくなった。

では車内に喫煙ルームが別にあるから良いのかといえば、話はそう簡単ではない(画像が遠藤と永谷園というのはたまたま面白かったから)。大阪難波、奈良、名古屋といった地下駅や、大阪難波~大阪上本町の地下区間、さらには駅ビル内にホームがあると見なされる大阪上本町、京都、大阪阿部野橋の各駅では、ホームに停車中は喫煙ルームの使用が禁止されている。

私はタバコは吸わないのだが、まず近鉄特急の全席禁煙に触れたのは、特急車両を選ぶヒントが含まれているからである(だから遠藤関はたまたまで)。

3月16日、京都12時40分発の橿原神宮前行きに乗ることにした。以前の記事でも触れたが、「ひのとり」や「しまかぜ」のような新しい豪華列車に乗る一方で、昔ながらのオレンジと紺色の旧塗装車にも乗ってみたかった。これらの旧型車両は1両まるごと喫煙車扱いで、喫煙ルームは設けられていない。特急券をネットで購入する際、全席禁煙となってからは「この列車には喫煙ルームがありません」の注意書きが見える。近鉄ではこれらの車両は順次廃車にする予定で、ならばわざわざ新たな白とオレンジの塗装にする必要がない。

ということで、旧塗装車が来るだろう・・と踏んでこの列車を選んだが、予想通りだった。方向字幕にもアナログの歴史を感じる。

ちなみにかつて喫煙車だった1号車に足を踏み入れると・・全席禁煙から1ヶ月以上経つが、煙たいというかヤニ臭いというか、独特の臭いである。ある意味、長年の積み重ねである。これは早々と廃車になるだろうなと、同情してしまう。実はネット購入した時、「あえて」この旧喫煙車を選んでみたのだが、これは大和八木まで持たない。その場で、スマホにて元からの禁煙車に変更する。

さて改めて、京都からまずは大和八木に向かう。ちょうど時間帯なので車内で昼食とする。JRの駅弁コーナーで見つけたのが、宅配弁当やロケ弁当も手がける、太秦の穂久彩(ほくさい)の「きつね丼」。京都らしいものとして目についたので購入。刻んだ油揚げと九条ねぎを載せたミニ丼に、和風の上品なおかずが並ぶ二段重ね。平日の昼間なので宇治茶を合わせたが、本音では伏見の酒の1合が似合う感じである。

京都を出ると、まずは右手に東寺の五重塔。後はひたすら南下して、宇治川や木津川を渡り、学研都市線とも並走する。奈良と京都の境界線にある高の原も通過する。私の勝手な個人案として、リニア新幹線の駅を奈良と京都のどちらに造るのかでいろいろ言われているのなら、境界線にある高の原の地中深くに駅を造ればどうかというのがある。何なら、北陸新幹線もいかがでしょうかというところ。

大和西大寺からは橿原線。西ノ京を過ぎると、先般修復を終えて再び姿を現した薬師寺の東塔がチラリと見える。薬師寺が第1番札所である西国四十九薬師めぐりも進めているが、せっかくなので一巡したら薬師寺にはもう一度来ようと思う。

奈良盆地を快走して、大和八木に到着。次に乗るのは往年の近鉄特急のエースである・・・。

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第16番「清水寺」~西国三十三所めぐり3巡目・14(これまでの400年、これからの400年)

2020年03月19日 | 西国三十三所

清水寺に到着した。ここに来てまた雨が落ちてきた。山門から京都市街地方面を振り返るが、どんよりした景色が広がっている。

平日だからか、インバウンドの客が少ないためか境内も落ち着いた感じである。拝観料を納め、本堂に向かう。

前回訪ねた時は、ちょうど2017年から実施されていた本堂屋根の檜皮葺き替え工事の最中で、本堂もすっぽりと囲いで覆われていた。「平成の大修復」の集大成として行われていた葺き替え工事も2019年末に終了し、ちょうど先月、本堂の囲いが取り払われて新しい姿を現している。また、屋根の葺き替えに合わせて破風の金具も再建以来初めて修復したそうで、金色が鮮やかに見える。

時代は平成から令和に移ったが、2020年夏頃からは舞台の板を交換する工事が始まるという。そうなるとまた足場を組んだり囲いができるだろうから、元の姿を眺めることができるのもこの数ヶ月というところである。

清水寺の現存の建物はほとんどが江戸時代の前期、今から約400年前のものである。今回の「平成の大修復」は2008年から段階的に行われたが、それは「次の400年」に向けてのものだという。文化財を過去から未来に受け継いでいくというのは多くの力が必要であるが、多くの人の観音信仰によって支えられてきたものも大きい。

本堂に上がり、さすがに床は少し冷えるがそこに座ってのお勤めとする。清水寺の不思議なところは、皆さん舞台から景色を見たり記念撮影はしっかりするものの、靴を脱いでご本尊の前まで来て手を合わせる人は案外少ない。この辺りは、他の札所とも違った様子である。

本堂を抜けて納経所に向かう。係員は何人もいるが、この時は朱印を求める人もほとんどおらず、手持無沙汰な様子に見えた。京都市街はいつも混雑しているイメージがあり、私も西国三十三所の札所だから清水寺に来ているが、そうでなければ京都市街には積極的には足を踏み入れていないところである。新型コロナウイルスのことがあるから今なら空いているだろう・・・という理由で京都を訪ねる人が増えているというが、私もその口である。

阿弥陀堂を抜け、奥の院から改めて本堂を望む。やはり清水寺といえばこの構図だろう。屋根が葺き替わった様子がよくわかる。

音羽の滝にも向かう。ここも普段は滝の水をいただこうという人で行列ができるスポットだが、行ってみると、向かいの東屋で雨宿りをする人はいるものの、不動明王の前で柄杓を滝に伸ばしている人の姿がない。これも意外だった。この日清水寺に来るに当たり、始発列車で出て、参拝者や観光客が少ない早朝の時間帯にお参りしようかとも思っていたが、今回についてはその必要はなかったようである。

これで一応境内を一回りして、山門に戻る。土産物店が両側に建ち並ぶ清水坂を下りるが、さすがに11時を回る時間となると上ってくる人の姿は多いが、混雑というまではいかない。これくらいがちょうどいいかなというところで、やはりここ数年のインバウンドで歩くのもままならないほうが異常だったのではないかと感じる。

坂の途中に大日堂がある。清水寺の塔頭寺院である真福寺というお堂だが、本尊は大日如来である。こうしたお堂があることじたい私は今まで気にも留めなかったのだが(清水寺の門前だからお堂くらいあるだろうという感覚)、そこで目に入ったのが東日本大震災の追悼の文字。何でも現在の本尊は、陸前高田の津波で流された松の木から造られたものだとある。こういう像があることは知らなかった。制作したのは園部にある京都伝統工芸大学の学生たちで、震災から1年後の2012年に完成した。

陸前高田の松原といえば「奇跡の一本松」が注目されるが、一方では流された木からこうした仏像が造られたり、他にはバイオリンや念珠、ブレスレット、印鑑などに再利用されるものもあるそうだ。震災から9年、こうした仏像に出会えたことにご縁を感じる。

この先、西国三十三所をもう一ヶ所、六波羅蜜寺にも行こうと思えば行けるが、今回は西国めぐりはあくまで近鉄特急乗り継ぎ旅のオプション扱い。早めに京都駅に戻ることにして、五条坂のバス停から京都駅行きに乗り込む。

途中、京都国立博物館の横を通る。新型コロナウイルスの影響で3月23日まで全館臨時休館となっている。京都国立博物館では4月11日から西国三十三所開創1300年記念の特別展「聖地をたずねて-西国三十三所の信仰と至宝-」が開かれる予定で、私もぜひ訪れたいところだが、現在の状況から見て4月11日から無事に開催できるのか気がかりである。ちょうど学校の新学期がこの頃で、延期されたプロ野球の開幕も一応4月10日を最短としているが、それらと合わせてどうだろうか。

京都駅に到着。特急の発車まで少し時間があるので駅ビル内をしばらくぶらつく。名古屋までは新幹線「のぞみ」に乗れば次の駅だが、これからわざわざ特急を乗り継ぎ大回りで向かうことに・・・。

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第16番「清水寺」~西国三十三所めぐり3巡目・14(近鉄特急日帰り乗り継ぎとリンク)

2020年03月18日 | 西国三十三所

3月14日の近鉄ダイヤ変更にて新たにデビューした特急「ひのとり」。当日、その乗車を軸に、ついでに他の特急にもいろいろ乗ってみる・・・という日帰り乗り鉄を行った。

新型コロナウイルス関連でさまざまな自粛が要請されている中だが大勢の人で賑わっていた。まあ、あくまで定期列車の運転であり、駅に行って列車に乗るのは日常の通勤利用とさほど変わるものではなく、普段と同じ予防での対応で十分ではないかと思う(ネット掲示板ではだいぶ叩かれていたようだが)。

さて、前の記事で、近鉄週末フリーパスが3日間有効というのを利用して、16日の月曜日にも出かけるということを書いた。前売り開始後に、名古屋17時発「ひのとり67列車」のプレミアムシートに空席があるのを見つけて確保していた。そこに有給休暇を持ってきた。年度末で少しでも消化するのと、例年なら会社説明会や会議等でスケジュールが重なる時季だが新型コロナウイルスの影響で軒並み中止になったため、仕事の調整もしやすくなったことがある。

で、夕方に名古屋に着くように移動するのだが、今度は従来型の特急も乗り比べてみようと思う。また、奈良線や京都線に乗るのもよいだろう。そうすると、近鉄の主要路線をほぼ全て網羅することになる。特急券は都度料金がかかるので合計すればそれなりの値段になるが、乗車券は週末フリーパスなら3日間乗り放題で4200円。全体で見ればお得である(それにしても、3日間で名古屋2往復とは、忙しいんだか暇なんだか、アホなんだか・・)。

京都線の特急といえば、14日に橿原神宮前駅で見た旧車両の京都行きを思い出す。あえて、こうした車両を狙ってもいいのではと思った。また近鉄のかつての看板列車といえば2階建ての「ビスタカー」。こちらもまだまだ走っている。本当はここに「アーバンライナー」や「さくらライナー」がは入ればなおよかったが、15日を休養日にしたこともあって残念ながらまたの機会である。

組み合わせをいろいろ考えた末、京都12時40分発の橿原神宮前行き特急で始めることにした。朝早く京都を出て早めに名古屋に入り、名古屋でどこか行くことも考えたが、名古屋地区の観光スポットや博物館関連も新型コロナウイルスの影響でほとんど臨時休館である。ならば京都で、今のところ神社仏閣のお参りは通常通り受け入れている。・・・ということなら、西国三十三所めぐりの3巡目を入れるか。

いつものように前置きが長いのだが、京都市内の西国三十三所の札所のうち、頂法寺六角堂は3巡目が済んでいる。今熊野観音寺は西国四十九薬師めぐりとの兼ね合いで残している。ならば清水寺、六波羅蜜寺、行願寺革堂だが、新型コロナウイルスを逆手に取って、普段は混雑する清水寺に行くことにする。過去にセットでお参りしている六波羅蜜寺には、行ければ行くことにする。

3月16日、この日の関西の天気は午前中は雨のところが多く、午後からは徐々に回復とある。まずは清水寺に向かうが、近鉄の週末フリーパスを持っているなら藤井寺から橿原神宮前まで出て、橿原線~京都線を乗り継いで、丹波橋から京阪で清水五条を目指せばよいが、そこは普通に淀屋橋から京阪に乗った。そのほうが時間は短く、普段通勤で自宅を出るの比べても平日の朝の時間をゆっくり過ごすことができる。

本来なら淀屋橋から丹波橋まで乗った京阪特急の写真があるところだが、淀屋橋のホームに下りるとちょうどベルが鳴っていて反射的に乗り込んだので、画像はいきなり清水五条となる。

地上に出ると雨も小降りで、もうすぐ止むのではないかという程度。清水寺まで茶わん坂経由で歩くが、途中で傘を閉じる。国内有数の観光スポットだが、平日ということもあり歩く人の姿も少ない。新型コロナウイルスの影響を良くも悪くも受けているとして取り上げられるところである。

ただ山門に着くと再び雨が落ちてきたし、風も強い。この先天気がころころ変わるようだが、ともかく清水の観音さんにお参り・・・。

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近鉄特急日帰り乗り継ぎ・3(ひのとり・レギュラーシート)

2020年03月17日 | 鉄道企画もの

3月14日、夕方の近鉄名古屋駅のホームには大勢のカメラやスマホが向けられている。これから入線するのは18時発の大阪難波行き「ひのとり68列車」である。

この日から運転開始となり、朝の出発セレモニーではホームにもあふれるばかりの鉄道ファンが詰めかけたそうで、それと比べれば落ち着いているのかなと思う。折り返しの発車まで数分の間、車内外では撮影タイムである。

私が乗るのはこの次の19時発の「ひのとり69列車」である。だからこの便は車両の外側を、端から端まで眺めることにした。先ほど「しまかぜ」で名古屋に着いたばかりで、10数分で折り返すのはいくらなんでも慌ただしすぎる。買い物をする時間もない。

「ひのとり」という名前も優雅だが、赤をベースにしたのは昔の近鉄カラーをイメージしたのかなとも思う。ただその赤も艶のあるメタリックレッドということで、ちょっと広島カープのヘルメットの赤、マツダの車体の赤に近い。窓の部分は黒で、火の鳥をイメージした金色の帯が伸びる。えらいもんが出てきたなと思う。

そろそろ時刻となり、座席もほぼ満席で出発する。

さて待ち時間、車内での夕食を買い求めるとするが、近鉄ホームの弁当類は本日完売である。ならばと、一度改札を出て、JRのコンコースに向かう。さすがに弁当はまだまだ残っていてどれにしようかというところだが、ご飯ものは結局のところ天むすにしようと思う(ただし、近鉄ホームや改札横では天むすも売り切れていた)。ならばおかずというかつまみということで、味噌串カツやら豊橋のヤマサちくわやら、手羽先の「世界の山ちゃん」のスパイスを効かせたスルメイカやら、だいたい名古屋から近鉄特急に乗る時の車内のお供で固める。

時間をつぶすうちにそろそろ19時発の入線時刻となる。私が乗るのは4号車のレギュラーシートということで、今度はホームの端ではなく乗車口で待つ。

車内は木目調の内装に明るいグレーのシートが並ぶ。ひょっとしたら、プレミアムシートが金のイメージならレギュラーシートは銀のイメージだろうか。前のシートとの間隔も若干広げたそうで、レギュラーでも居住性はよい。

種明かしをすると、座席選択で取ったのは、車端部の1人席。本来なら車椅子対応シートで、通路の反対側は座席のない車椅子スペース。こうした席に座ることの是非は分かれるだろうが、レギュラーシートながらプレミアム的要素もあるのではないかとも思う。

車内の様子を撮影しようという客が多い中で、一通り回る。車内販売がない代わりに、コーヒーやお菓子の販売機がある。また無料のロッカーや、ベンチのスペースもある。観光列車というよりは、企業のロビーや休憩スペースを車内で再現したようにも見える。この辺りは、大阪~名古屋間のビジネス利用客を意識していると思うが、もちろん観光旅行の利用でも快適に利用できる。

さて発車。地下を出た外はもう暗くなっているので、とりあえず食事である。前の座席の背にあるテーブルはそのままこちらに倒れるが、さらに手前に引き寄せることができる。さらにひじ掛けからもテーブルが出るので手元を幅広く使うことができる。

次の停車は津だが、ここで下車する人も多い。三重の人なのだろうが、中にはひょっとしたら名古屋近辺の人で、試しに近いところまで乗ってみたという人もいるかもしれない。大阪からなら大和八木まで乗ってみた、あるいはそこまでなら特急券が取れたというのと同じようなものかな。

津を過ぎると車内も落ち着いたようで、ゆったりした時間が流れる。私も途中ウトウトしたようだ。触れるのが遅くなったが、「ひのとり」は全席「バックシェル」を採用したことも売りの一つである。

車内で座席をリクライニングさせる時・・このマナーを巡ってさまざま言われている。その内容についてここではいちいち触れないが、それを円満に解決する方法の一つとして「バックシェル」が取り入れられた。リクライニングさせると、シートが後ろに倒れるのではなく足元から前にずれる。先ほどテーブルが備え付けられていたのもシート後部の固定部分なので、後ろから見ると前のシートだけが沈むように見える。・・・うーん、言葉では上手く表現できないので、そこはぜひ、実際に乗って体感していただいたほうがよい。お互いにストレスフリーなのはよい。

快適な時間はあっという間に過ぎ(単に飲んでいるだけなのだろうが)、大和八木も過ぎて間もなく鶴橋である。いつもならここで大阪環状線に乗り換えるが、せっかくなので終点の大阪難波まで行く。

大阪難波は構造上、当駅終着でもさっさと桜川訪問に抜けなければならない。乗客が全て下車するための停車時間は1分くらいだろうか。その中でも、おそらく阪神なんば線で帰宅する列車を待っていてたまたま「ひのとり」の到着に遭遇した様子の人たちがスマホで撮影していた。大阪難波でもポスター等で連日PRしていたのが実際に目の前に現れたらラッキーだろう。

・・・さて、今回「青の交響曲」~「伊勢志摩ライナー」~「しまかぜ」~「ひのとり」という、近鉄特急の日帰り乗り継ぎを行った。顔ぶれからして豪華な面々で、さすがは日本一の(営業距離を持つ)私鉄である。3月のこの時季、観戦予定していた野球のオープン戦、大相撲春場所が無観客となったが、それをカバーして余りあるお出かけだった。

ただ、近鉄特急の乗り継ぎはこの後も続く。3月16日の月曜日、これも名古屋から大阪に向かう便だが、「ひのとり」のプレミアムシートのたまたま空いていた席をとった。平日だからだと思うが、これを利用するために有給休暇とした。週末フリーパスは土曜日開始なら月曜日まで有効なので、最大限に利用することにした。14日と同じようにまずは名古屋を目指すわけだが、近鉄の路線網が広いことを利用して、あることとの組み合わせを考えることにした・・・。

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近鉄特急日帰り乗り継ぎ・2(しまかぜ)

2020年03月16日 | 鉄道企画もの

近鉄特急の日帰り乗り継ぎ旅。「伊勢志摩ライナー」で賢島駅に降り立ったが、週末とはいえ駅には賑わいが感じられなかった。駅前のロータリーには近隣のホテルの送迎バスが行き来するが、乗り降りする人もまばらである。

こういうところにも新型コロナウイルス感染拡大の影響が出ているようだ。近くの水族館である志摩マリンランドは臨時休館、また英虞湾を一周する「賢島エスパーニャクルーズ」も運航休止である。

賢島駅の2階に、2016年に当地で開催された伊勢志摩サミットを記念して設けられた「サミエール」という記念館があり、これもどうかと思ったが喫茶コーナーを除いて臨時休館である。賢島のホテルや飲食店は営業しているようだが、コロナウイルスの影響で客足も遠のいているのではないだろうか。賢島の観光、見物スポットが軒並み休業中とあれば、単純に海岸を見たいとか、ホテルで静かに過ごすことを目的にするのでなければ、賢島に来ようとはなりにくいだろう。

サミット関連ということで、改札内に掲げられた各国首脳の記念写真や、ロータリー内の記念モニュメントだけ眺める。「波際の架け橋」という名前である。またその横には、伊勢神宮で記念植樹した「神宮スギ」が移されている。

帰りに「しまかぜ」に乗るのでなければ、賢島滞在を切り上げて早い時間の特急に乗るところだが、ここは15時40分発の名古屋行きまでの2時間をつぶすしかない。ともかくフェリー乗り場のほうに出てみる。幸い雨は止んでいた。

駅からすぐのフェリー乗り場には果たして遊覧船は運休との表示が出ていた。英虞湾の対岸に向かう定期船は出ているようだが、往復したのでは「しまかぜ」には乗れなくなってしまう。まあともかく少し歩いてみる。

無人で係留されているのは遊覧船の「エスペランサ」。少しだけ入江を見て、ともかく海に来たことにする。

少しぶらついてフェリー乗り場に戻ったところで、気になっていた食堂に入る。建物の外には「大東真珠」の看板があり、実際に真珠の店があるのだが、その軒の右半分には鉄板が並んでいる。こちらが「中義(なかよし)水産」。何人かの客が生ビールを飲みながら鉄板をつついているのにそそられて入る。ちょうどいい時間つぶしになるだろう。

おすすめは海鮮バーベキューのセット。それに生ビールをつける。まず出てきたのは生牡蠣。志摩といえば的矢牡蠣で有名である。結構大ぶりなのが4つ出てきて、前菜代わりにいただく。

後は鉄板の上に大将が4品をドンと載せる。ホタテのホイル焼き、白身魚フライのホイル焼き(アルミホイルの代わりにもやし等の野菜で具材を覆っている)、そしてイカ焼き。もう一品は「ビエ・マルク」というドイツ語っぽい名前のものだが、その正体は「右から読んでください」とのこと。ああ、なるほどね。

入江を眺めつつ、生ビールと海鮮。遊覧船には乗れず、サミットの記念館も見ることはできなかったが、これで賢島まで来た甲斐があったとうなずく。

店を後にして駅に戻ると、まだ発車までは時間が結構あるが「しまかぜ」の扉が開いていたので早めにホームに入る。「しまかぜ」にはこれまで大阪難波~大和八木の短区間に2回乗ったことがあるが、大阪難波では入線したらすぐに発車したので車内の様子をじっくり見たことはない。今回は早くから扉を開けているし、また乗客も少なそうなので車内の様子をいろいろと見る。

営業前だがカフェの車両もこんな感じ。

また個室。サロンカータイプのものもあれば、掘りごたつ式の座席もある。これはグループでないと利用できないので、私のような者には乗る機会はほぼないと言っていいだろう。

今回乗るのは先頭の展望車両。この車両を利用するのは初めてである。通常車両よりも座席が高い位置に設けられている。私が確保した座席は後ろのほうだが、後部からでも先頭の窓が開放的なのがわかる。この列車自体は空席ありだが、先頭と最後尾の展望車両は途中からの乗車分を含めて満席となっていた。

時間となり、先頭車両もガラガラの状態で発車。シートを倒し、機能としてついているマッサージボタンを押す。スーパー銭湯に備え付けのマッサージ椅子ほどの機能はないが、そういう椅子に座って移動しているかのような感覚である。

係員が温かいおしぼりと記念乗車証を配りに来る。また車内販売や弁当の取次にも頻繁に回ってくる。せっかくなので何かいただいてもいいのだが、先ほどの海鮮と生ビールが効いている。このまま名古屋まで行って、どうせ帰りの「ひのとり」の車中では夕食として何か飲み食いすることになるから、ここは自席でのんびりする。

志摩線を抜け、鳥羽、宇治山田、伊勢市ではそれぞれ乗客があり、先頭車両も満席となったようである。特別列車ということで伊勢市を出ると次は四日市まで停まらない。スピードも上がってきたようだ。

・・・ただ私はといえば、よほど座席が快適だったのか、生ビールが回って来たか、伊勢市を出てしばらくするとそのまま爆睡したようである。通過の松阪や伊勢中川、さらには津にも気づかなかったようで、目が覚めると四日市を出発するところだった。朝からの雨はとっくに止んでいたが、ここに来て晴れ間すら出てきた。

揖斐川、長良川、木曽川の3つの川を渡り、愛知県に入る。そのまま地下に潜り、17時44分名古屋に到着。

さて、いよいよ乗ることになる「ひのとり」だが、出発は19時発である。ただその前に18時発で同じく「ひのとり」車両の列車が出発する。この18時発の便もレギュラーシートには空席もあるのだが、「しまかぜ」で名古屋に着いてわずか16分で折り返すのもどうかと思い、1時間後の19時発の便にした。

ただせっかくなので、18時発の便を見送りがてら「ひのとり」の外観だけでも先に見ることにする。ちょうど「しまかぜ」が到着した数分後に入線するようだが、名古屋駅の5番ホームには大勢の人が今や遅しと待ち構えている・・・。

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近鉄特急日帰り乗り継ぎ・1(青の交響曲、伊勢志摩ライナー)

2020年03月15日 | 鉄道企画もの

さて、3月14日のダイヤ変更、「ひのとり」デビューに合わせた近鉄特急の日帰り乗り継ぎ旅。まずは私の沿線である近鉄南大阪線、「さくらライナー」という手もあるが、ここは観光列車である「青の交響曲」である。

「ひのとり」も大阪側から乗りたかったところではあるが、プレミアムシート、レギュラーシートともに、早々と軒並み満席になった。特に大阪からの一番列車である大阪難波8時発の列車は瞬殺で売り切れたそうだ。その中で名古屋からの帰りでレギュラーシートが取れたし、そのために「青の交響曲」を含めて近鉄特急にいろいろ乗ることもできる。今回の乗り継ぎプラン、逆回りだと成立しない。

3両編成だが2両目がラウンジカーのため、客室は実質2両分。そのうち先頭の3号車は団体の貸切とのことで、一般客は1号車のみ。大阪阿部野橋出発時には8割方埋まるほどだった。10時10分発、これでまずは橿原神宮前まで向かう。

「青の交響曲」に乗るのはこれで3回目。過去はいずれも吉野まで乗り通したが、今回はその半分の時間の乗車である。日ごろ通勤や日常移動で準急や普通を利用する区間も、特急で行くと新鮮な感じがする。それだけでも旅気分になる。

その新鮮な感じのお供に、葛城の「梅乃宿」の1合瓶をいただく。「青の交響曲」の限定ラベルに、吉野杉を使った枡がついてくる。以前、ラウンジカーでこの「梅乃宿」や吉野の地酒飲み比べセットをいただいたことがあるが、車両がやけに揺れた印象がある。「青の交響曲」の車両が新造ではなく、一般車両の改造だからかと推測しているのだが、それはさておき今回は乗車時間も短いことから、座席に持ち帰ってそこでいただく(いや、そこまでして飲まなくても・・・)。

藤井寺を通過し、大阪府から奈良県に入る。車内放送では羽曳野市~太子町のブドウのPRがあり、河内ワインも宣伝する。ちなみに駒ヶ谷にはチョーヤ梅酒の本社もあるから、「青の交響曲」では阿部野橋で缶ビールでも買った後、チョーヤ梅酒~河内ワイン~葛城の酒~吉野の酒の順で味わうのがよさそうだ。吉野までの1時間数分でこれら全て飲みきれるかどうかは知らんけど。

この日は雨模様で、二上山も霞んでいる。奈良盆地をそのまま走り、35分で橿原神宮前に到着。あっという間だが「青の交響曲」とはここでお別れ。この日、東京では観測史上最も早い桜の開花宣言がでたが、いくら暖冬とはいえ吉野の桜はまだまだだろう。そんな中、団体客も含めて吉野まで出かけるのは何かお目当てがあるのかな。

さて次の特急は、大和八木11時41分発の賢島行き「伊勢志摩ライナー」である。橿原神宮前から大和八木は短区間のため普通で移動する予定だが、橿原線のホームに行くと、旧塗装の11時発京都行き特急が停車している。今回は観光列車、新型車両ということで乗り継ぎプランを組んだのだが、こうしたレギュラー車両、しかも今や貴重な旧塗装車両の特急を間に挟むのもよいかなと思ったが、「別に特急料金がかかるから、さすがになあ・・・」と思って乗るのを見送った。

ただ、帰宅してから気づいたのだが、近鉄の場合は途中で乗換が生じたとしても、特急料金はキロ数の総延長で計算するということである。つまり、今持っている大和八木~賢島と、橿原神宮前~大和八木~賢島も、距離はさほど変わらないので、乗り継ぎで通しで購入しても特急料金は同じである。まして、今回の特急券はスマホを使ったチケットレスで、直前まで変更が可能である。乗り継ぎの間ででもポチッと操作すれば間に合った話だった。

それはさておき、側線に停まっている「さくらライナー」を見た後で、京都行き特急が出た次の普通で大和八木に向かう。乗り継ぎの時間があり、週末フリーパスで出入りは自由のためいったん改札の外に出る。大和八木といえば日本最長の路線バスである新宮行きのバスの始発である。今、西国三十三所めぐりの3巡目を進めているが、次に那智山に行くときにはこのルートを取るのも面白いかなとも考えたりする。

11時41分発の「伊勢志摩ライナー」に乗車。予約していたのは最後尾のデラックスシート車両だが、乗車率は半分あるかないかというところである。これで賢島まで2時間、リラックスした一時である。

ちょうど昼時なので、大和八木の売店で購入した中谷本舗の「ゐざさ柿の葉寿司」を広げる。オーソドックスな鯖、鮭に加えて鯛が入っている。柿の葉寿司のメーカーはいろいろとあり、私も特にどの店のものが一番というのもないが、普通に美味しくいただく。

相変わらずの雨模様の中で、奈良県から三重県に入る。伊賀地方を過ぎる時間はまったりと過ごす。

青山トンネルを抜けて伊勢に入る。伊勢中川、松阪、伊勢市、宇治山田と停まるたびに下車があり、デラックスシート車両もガラガラになる。伊勢神宮・・一時、職場の「公式参拝」として1月にお参りしていたが、トップが代わってからご無沙汰している。いずれまた参拝したいと思う。

例年、春場所終了後、春巡業の一つとして伊勢神宮で奉納相撲が行われるのだが、今年は春巡業全体が新型コロナウイルスの影響で中止となった。相撲が神事の側面があるというのなら、観客は入れないにしても奉納の土俵入りだけでも行ってはどうかとも思うが、それはそれで境内や沿道の人の整理が大変なのだろう。

鳥羽に到着。車窓の向こうに鳥羽の港や鳥羽水族館も見える。伊勢湾フェリーはさすがに運航しているが、鳥羽水族館は臨時休館中とある。

この先、単線と複線が入り混じる志摩線の、カーブが多い区間を走る。時折、カーブのところで前方車両の姿を窓越しに見ることができる。

まったりと過ごすうち、志摩磯部、鵜方と停車して、13時39分賢島に到着。ホームには「伊勢志摩ライナー」の黄色、赤色、そして「しまかぜ」が2本、志摩線のローカル2両編成・・・という豪華な顔ぶれが並ぶ。観光地の玄関駅らしい光景である。

次に乗る「しまかぜ」は15時40分発で、ちょうど2時間ある。せっかく伊勢志摩、海の見えるスポットに来たのだから、当初はいろいろ楽しもうと思ったのだが・・・。

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