まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

本年もご愛読ありがとうございました。

2014年12月29日 | ブログ
29日は私の勤務先の仕事納め。今年もあっという間だったようにも、長かったようにも感じられた。

今年は男の本厄ということで、葛井寺にて十一面千手千眼観音に厄除けを行ったが、やはり結構厳しい一年だったのかと思う。

そこで、ベスト5で今年を振り返る。

第5位:自然災害・・・このところあちらこちらで災害が頻発している。その中でも、広島の豪雨災害がもっとも印象に残っている。被災した安佐南区、安佐北区は私の広島勤務時代に担当エリアだったことがあり、土砂崩れの映像にはかなりショックを受けた。今は避難所も解消されたようだが、その分現在の状況が伝わってこない。年末年始に西に向かうが、もし時間あれば、見学と言っては失礼だが可部線に乗って八木地区を訪ねたい。

第4位:生活習慣病・・・数年前に発症したDM。当時は入院やら通院で治療に当たっていたが、その後数値が落ち着いたり、転居して病院に行きにくくなったとして、放置していた。すると今年になって(兆候は少し前からあったのだが)ガクンと来た。健康診断の結果をきっかけに、自宅近くの専門医のお世話になる。今は薬のお陰もあって落ち着いているが、ここで油断しないように・・・。

第3位:西国三十三所・・・今年JRのキャンペーンもあり、朱印帳を持って本格的に回ることにした。地元・葛井寺から始めて、後に納経軸も持つようになった。夏から始めてまだ3分の1も行ってないが、これからボチボチと。途中から「くじ引きとサイコロ」で次の行き先を決めたり、周辺の散策や観光がメインになっている感があるが、来年はいくつ行けるか。さらに、西国三十三所だけでなく、関西にはさまざまなジャンルの巡礼があることを知らされたのだが・・・。

第2位:オリックス・バファローズ・・・いや今年は印象に残るシーズンだった。決して前評判は高くなかったが、まずは開幕直後のダッシュに成功して勢いづいた。西の開幕からの連勝、ペーニャ、ヘルマンという他球団からの移籍組の活躍も大きかった。個人的には、ファンクラブ対象のイベントの抽選で選手撮影会(西、マエストリ)、スタメン選手たちとのハイタッチに参加できたのは嬉しかった。結局最後の最後、わずか2厘差で優勝を逃した。またクライマックスでもT‐岡田の逆転本塁打はあったが、結局敗退。健闘には大きな拍手だが、やはり悔しい。来季は大型補強がどう出るか。また見守って応援する。

第1位:不祥事・・・これは、このブログには書かなかったことだが、私としては大きなことであった。3月に遡るが、会社的というより社会的にやってはならないことをやってしまった。他人に直接的な危害を与えなかったのがせめてものことである。結果、会社からの懲戒もあり、昇給も停止された。それだけでもありがたいことである。ある人からは「どうやって命を断つのか?(それが当たり前!)」と言われた。命を断つなら、首吊りと、電車飛び込みと、ビルか崖からの飛び降りと、服毒と、動脈切断のどれがいろんな意味でどれが一番かな。・・・という中で、職場の皆さんのご指導と叱咤激励があって、そんなアホな行為に至らず何とか仕事納めまで来た。ともかく新年どうするか。まず、そんなことにつながらないように。自分にも制約を科す意味で捨てたものもある・・。(それやったら死ねばよかったのに・・・何で死なないの?お前が生きているからバファローズは優勝を逃した、お前みたいな奴が死ねばバファローズは優勝した・・・と思っているバファローズ原理主義の方の目が怖い)

・・・まあ、いろいろあったが、新年は黙っていても来るのである。マイナス要素が多い中で迎える2015年であるが、新しい年が、少なくとも今年よりは良い年として印象に残るように。私が頑張らなくてはならないし、周りからも良いものを引き込まなければならない。

来年の今頃、2015年は良い年だったと言えるように・・・(生きていれば)。
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来季こそバファローズとカープの日本シリーズが観たい!!

2014年12月27日 | プロ野球(バファローズ・NPB)
先の記事で、このストーブリーグもあとは鳥谷がメジャーに行くのかどうかというくらいで、それよりも石川ミリオンスターズの後任監督が誰になるのか気になるということを書いた。書くうちに、「石川県出身のあの元メジャーリーガーがいるじゃないか」というのが頭に浮かんで「松井秀喜監督説」を出したのだが、ネット上ではとっくの昔にそういう書き込みがなされており、実際に待望論は結構あるのではないかと思う。

そんな中、今朝のニュースでびっくりしたのが、松井秀喜も在籍していたヤンキースの黒田博樹投手がカープに復帰するというもの。

黒田復帰待望論とか、復帰に向けて交渉するとかいうのは、彼がメジャーに行ってから毎年の年中行事のように記事になっている。今年も同様の動きで、まあ、毎年恒例のことかと思っていたら・・・今回は本当にカープに戻るという。

年齢的なものはあるが、メジャーでも確実に2ケタ勝利が計算できる投手として複数の球団から高額のオファーはあった。しかしそれら全てを蹴って、金銭面ではもっとも低条件だったカープに戻る・・・ホンマ、かっこええわ。こうした「家」というのがカープならではなのかなと思う。新井も結局は「家」に帰ってきたし(その一方で、「家」だからこその旧弊や、オーナーのわがままや、わけのわからんしがらみというのもあるわけで、そのところを徹底して糾弾し続けている声もあるのは事実だが)。

今季のアメリカから日本球団への復帰といえば、ソフトバンクに行った松坂、日本ハムに復帰した田中、そしてオリックス・バファローズに来た中島というのがあるが、古巣に戻った田中はまだましとして、他の二人は色あせて見える。中島が入団したバファローズファンの私が言うのも変だが、松坂に中島は、その選択が果たしてベストだったのか?と言いたい。「西武はそんな戻りたくなる『家』ではありませんよ」と否定されたらそこまでの話なのだが。

このオフの戦力補強と言えばオリックスとヤクルトが積極的に動いて成功し、来季への期待を膨らませることになったが、黒田復帰で一気にカープが注目されることになった。マツダスタジアムで投げたことがないし、逆に「日本野球への対応は大丈夫か?」という声もあるようだが、若い選手が多いカープにあって精神的な支えになることは間違いない。

そうなると、私の長年の願いである「バファローズとカープの日本シリーズ」というのがぐっと近づいてくる。決して絵空事ではなく、現実味は増すのではないだろうか。もっともそれはさすがに気が早いので、まずは楽しみとして交流戦である。来季から変則的な試合日程で、この両チームの対戦は大正ドームで3連戦となっている。「金子対黒田」という投げ合いが観られるかもしれない。バリントンが古巣相手に投げるのも観たい。

来たる年の西国三十三所巡りを含めた寺社巡りでの祈願に加えてみよう・・・・。
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石川ミリオンスターズの監督は誰になるのか?

2014年12月25日 | プロ野球(独立リーグほか)
残留か移籍か結構長引いたオリックス・バファローズ金子投手は年内で残留が決まった。

後は阪神の鳥谷がメジャー移籍がなるのか、FA移籍で補償が発生する成瀬、大引、相川の各選手の相手がどうなるかといったところが、ストーブリーグのネタである。

このうち、ヤクルトに移籍した成瀬、大引の補償はいずれも金銭になったようである。ヤクルトのプロテクトが上手かったのか、ロッテ日本ハムがヤクルトに寛容的なのか、そもそもヤクルトが人的補償で獲りたくなる選手がいないチームなのか・・・。その辺りの経緯はわからないが、人的補償が当たり前のところ、金銭で収まったというのが何か意味有り気だ。

さて、野球といえば来季から2球団が新規加入するルートインBCリーグも注目である。いつぞや、新潟に赤堀監督が就任したことで、「BCリーグ8球団中4球団の監督が近鉄経験者だ」ということを書いたのだが、その時点で、大塚晶文、森慎二の両氏がそれぞれ中日、西武のコーチになったことで信濃、石川の両球団の後任監督が決まっていなかった。

このうち信濃は、元ダイエーで、独立リーグの投手コーチ経験もある岡本克道氏が監督、そしてプレイングコーチとして、今季までバファローズにいた高橋信二が就任。ちょうど、信濃のプレイングコーチからバファローズの2軍コーチになった辻竜太郎と立場が入れ替わったようなものだ。

一方で難航しているのが石川の人事。森監督に加え、今季まで投手兼GM的役割でBCリーグの宣伝に大きく貢献した木田優夫氏も、その腕を買われて日本ハムのGM補佐となった(さすが、いろんなキャリアの人材を集めるのが上手い日本ハムらしい)。

森、木田の両氏にとっては見事にキャリアアップできたのだが、問題は後任人事。金森栄治~森慎二とBCで実績を残した両監督の後任が決まらない。石川の首脳陣は「越年仕方ない」とし、ネットでファンの反応を見ても次が誰なのか、具体的な候補がいないようである。

BCリーグの監督には、NPB経験者を充てるのが決まりだそうだ。別に石川県出身である必要はないのだが、北陸地区では実力と人気は一番とされるミリオンスターズの監督が決まらないのはなぜだろうか。NPB経験者で、仮に今季で自由契約になっても現役復帰とか指導者を目指すという選手がいれば、BCリーグは格好の場だと思うのだが・・・。

ここまで書いて、まず実現することはないが「石川県といえばこの人でしょ!」という人がいるのに気付いた。そう、石川が産んだあのゴジラこと、松井秀喜氏。

私がこう思うくらいだから、球団は既にオファーしているのかもしれない。その返事がなかなか来ないのでまだ発表できないとか。

ヤンキースのコーチとか、次期巨人監督とかいろいろ言われているが、まず指導者キャリアの第一歩として、地元の独立リーグも有りかと思う。まあ、実現の可能性はほぼゼロに近いだろうが、仮に実現できたら、新幹線開業と合わせて北陸金沢が熱くなる。

そんなことはさておき、地に足つけたところで考えると、監督が早く決まらないと選手も安心できないだろう。この先どうなるか、見守っていきたいものである・・・・。
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金子残留

2014年12月24日 | プロ野球(バファローズ・NPB)
まあ、何やかんやあったが、「FA残留」ということになったのだから、来年以降ポスティング問題が再燃しない限りは、数年はバファローズで頑張るということで、いいのではないか。

ここ一番での勝負弱さは何とかならんのかと思うのだが、真のエースとして、誰にも文句を言わせないような活躍を期待したい。バファローズファンとしては、やきもきしていた問題が落着したことで、これで安心して正月を迎えられるといったところである。

それにしても、毎度書いているような気がするが、関西マスゴミの「金子攻め」に関する阪神目線での報道には、怒りを通り越して哀れみすら感じられる。また明日の新聞や一部テレビでは「虎の最愛の恋人に振られた」などと言うのだろう。虎の恋人とは直接関係ないが、虎バン主義などと言っている大阪朝日放送の女性アナウンサーもソフトバンクの中田投手と結婚とか。アナウンサーの学生時代からの交際のようで、朝日や阪神と直接絡むわけではないのだが、何だかここでも阪神が振られたようで妙な感じである。

さて本題に戻ると、金子が肘が癒えて本格的に活躍できるとなると、先発組がどうなるかである。金子、西と来て松葉、吉田一、東明、山崎福など名前は挙がる。どうするかは外国人投手。野手にブランコ、ヘルマンといるので、ディクソン、バリントン、マエストリで投手枠を争う。

個人的には、勝ち負けどこでも使えるマエストリは置いてほしいところ。となると、ディクソンとバリントンで先発枠を争ってもらうか。あるいは小谷野と中島の加入で内野が厚くなったので、(年齢的衰えも見越して)ヘルマンと両投手で2枠を争ってもらうか。

野手には複数ポジションをというのが森脇監督のスタイルなので、他の野手の起用法も考えれば、結構多面的な作戦が取れる。嬉しい悩み。

・・・・とはいうものの、これらは全て、全選手がベストコンディションでいることが前提である。開幕までに、あるいはシーズン中に故障離脱は絶対にあるし、最悪の場合、気がつけばここに名が挙がったほとんどが故障か不振で2軍にいる事態が全くないわけではない。

「優勝チームとの勝率の差が、今年の2厘から2割になりました・・・」なんてことのないように、選手の皆さんよろしくお頼み申し上げます・・・。
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池とビーチバンカーと瘤

2014年12月21日 | ブログ
別に三題噺をするわけでもないのだが、久しぶりにゴルフの話である。

この日は職場での懇親(あくまで公式のコンペではなく、プライベートということで)ということで出かけた。向かったのは吉野のグランデージゴルフ倶楽部。駅で言えば近鉄吉野線の大和上市からさらに津風呂湖方面に入る。

ここは関西屈指のチャンピオンコースということで、プロの大会も開催されたことがある。北、東、西と3つのコース(各9ホール)を有し、「結構難しい」という評がある。

クラブハウスは木と石をふんだんに使っている。やはりこのあたりだから吉野杉かな。

さてコースに出る。今回は北コースから西コースという流れなのだが、驚くのはバンカーの多さ。しかも多いだけではなく、長いのである。ホールによってはフェアウェイの横に沿ってバンカーがあるのではないかと思われるところもある。池や川が干上がってバンカーになってしまったのかと思いたくもなる。

また、バンカーの前後には瘤のように凹凸がある。バンカーを逃れることができてもこの凹凸に苦しめられる。

さらにウォーターハザードも、池がそこに横たわっているというレベルではなく、川かと思うくらい長い。河川敷のコースの凹凸をつけたのかと思ってしまう。その池に沿ってバンカーが続く。これを用語でビーチバンカーというそうだ。確認したところでは27ホール中11ホールに池が絡み、その中でビーチバンカーのあるホールがいくつかある。ゴルフコースの攻略法を書いたサイトの中には「ピンポイントで攻める技量が試されるアメリカンタイプのコース」という記述もあった。そのビーチバンカーをカートが走るホールもあり、初めて見る光景に思わず笑ってしまった。まさか吉野の山の中で「ビーチ」という言葉を聞くとは思わなかった。

そして仕上げは、グリーンが速い。これは一緒にプレーした皆さんも悩まされていた。

スコアは相変わらずといったところでとても公表できるものではないが、その中でドライバーショットのポイントをちょっと教えていただいていい当たりがでたり、以前のコンペのブービー賞でいただいたウェッジが上手く働いてくれたり、下手は下手なりに結構楽しめた(プレーしたメンバーがよかったというのも大きな要因だが)。いつの日か、私が誰かに「どっかお薦めないか?」と訊かれたり、私から誰かを「どっか行こうや」と誘えるくらいの立場と腕前になれば、グランデージは是非とも推してみようかなと思う。

あ、その前に「お前はそんなエラソーに言える腕前か」と言われるな。来年はこちらで何か今までと変わったものを・・・というところだろう・・・・。



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第9番「興福寺南円堂」~西国三十三ヶ所巡り・11(「ならまち」と元興寺)

2014年12月20日 | 西国三十三所
もちいどの商店街を抜けると古い造りの建物が現れる。ここが「ならまち」である。元々は猿沢池を挟んで北に興福寺、南に飛鳥の法興寺が移ってきた元興寺があり、元興寺の境内がいつしか商業のまちに変わり、江戸から明治の面影を今に伝えるスポットである。

奈良と言えばどうしても東大寺の大仏や興福寺の五重塔、奈良公園の鹿というのが観光名所であるが、そうした層々たる寺院と比べて、奈良の庶民の昔ながらの風情を残す「ならまち」も最近では結構人気である。私も久しぶりに歩いてみる。

「ならまち」では古い民家を改装してカフェや民芸品、ミニ資料館として活用されており、女性にも人気のスポットである。「ここって本当に人住んでるんだね~」という女性観光客のグループも感心しているようだ。

今回は奈良マラソン~興福寺と来てそのオプションでぶらぶらと歩く。この格子の家並みを見て思い出すのは、奈良出身の河瀬直美監督の「沙羅双樹」。またDVD借りて観てみようかな。

「ならまち」には庚申信仰が伝わっている。庚申さんのお使いである「身代わり申」の人形を軒先にぶら下げる家も結構ある。もっとも、途中で入った「奈良町資料館」では「さるぼぼとは違います」という注意書きがあった。さるぼぼといえば飛騨高山が有名だが、こうして見ると全国的にはこうしてぶら下がっているのは「さるぼぼ」という認識なのかなと思う。まあ、呼び方や形状に違いはあるものの、ルーツとするのは同じようなものだろう。ただきっぱりと「さるぼぼとは違う」というのは、古都としてのプライドなのかな。

そしてやって来たのが「ならまち」の原形の中心である元興寺。本堂にあたる極楽堂は世界遺産にも登録されている。受付では参拝の順路について親切に説明してくれる。ふと見るとここは「西国四十九薬師巡り」の第5番霊場とある。「朱印をされる方は先にお預かりします」という内容の貼り紙もある。極楽堂の中や、元興寺の外の通りにも薬師巡りのポスターがあったし、これはかなり西国三十三観音を意識しているなと思う。西国が満願したら、さらに関西の名所を巡るということでこれもありかな・・・と今から新たな構想の一つに加える。

宝物館では弘法大師像をはじめとした宝物や、元興寺の昔の瓦などの歴史的なものを見学し、境内の奥へ。受付では「ここで極楽堂のほうに振り返ってください」と言われていた。極楽堂と、隣接する禅堂の屋根瓦の一部が、他とは形や色が違う。元興寺の場合、解体修理を行う際には古い瓦でも使えるものは使ったとのことで、色が変わっているのは飛鳥時代からのものだという。ということは、ここに来る前に飛鳥の法興寺で使われていたものがそのまま伝わっているということである。

元興寺までお参りしたところで、再び猿沢池まで戻る。遠くに見る興福寺の五重塔が奈良らしさを感じさせる。この池を挟んだ興福寺と元興寺、そして「ならまち」・・・やはり絵になるところである。

絵になるところは小説にもなるところ・・・というわけでもないだろうが、帰りにJR奈良まで歩いて戻る際に入った書店で「大和路ろまん文庫」という地元の出版物を見つける。「ならまち」を舞台にした小説があり、こういうものもまた新たな奈良の魅力を発信することになるだろう。

さてこれで西国巡りの奈良県は岡寺が残るだけとなったが、一方で京都府内に一度も足を踏み入れていないのが気になる。次も兵庫県だし。うーん、これは終盤に立て続けにやってくるパターンかな・・・?
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第9番「興福寺南円堂」~西国三十三ヶ所巡り・11(興福寺参り)

2014年12月19日 | 西国三十三所
奈良マラソンの沿道応援を終えて再び興福寺まで戻る。本当はこの後に一般の市民ランナーたちがズラズラと続き、市民マラソンならではのさまざまなコスチュームを見るのも楽しみなのだが、やはりお参りはしておかないと。

南円堂に出る。一辺が6.4mの八角の建物である。興福寺といえばどうしても五重塔と東金堂、阿修羅のいる国宝館に目が行き、西国三十三所巡りをするまでは「その他のお堂」というくらいの認識でしかなかった。それが由緒ある札所であり、南都・奈良市内唯一の札所という目で見ると立派なものに映る。八角の建物と言えば他に法隆寺の夢殿を思い出す。ものの本では、こうした円堂というのは個人の菩提を弔うためのものとある。夢殿は聖徳太子だし、南円堂は藤原内麻呂、そして南円堂と対比するように建つ北円堂は藤原不比等を弔うために建てられた。八角形をしているのは周囲をあまねく照らし、邪悪から守り永遠の繁栄を願うという、中国の易経の思想から来ているそうだ。珍しい形ということもあってか、外国人観光客もしきりにカメラを向けている。

ここで般若心経のお勤め。建物の中には入れず外に立つので結構寒い。その横には一言だけ願いをかなえてくれるという一言観音がひっそりと建つ。一言だけね・・・。あれ?春日大社にも同じようなところがあったはず。一言で済まなければそちらに行って別の一言をお願いする・・・というわけにはいかないのかな。

一言観音の横に納経所がある。多くの人が朱印をいただきに来ている。ここでは「西国南円堂、世界遺産、一言観音、どれにしますか?」と尋ねている。世界遺産の朱印というのがあるのか。私は西国専用の朱印帳なので、係の人は何も言わずに南円堂の西国第9番の朱印を押す。

そして、次の行き先を決める。いずれにしても年内は予定が詰まっているので、年が明けてからということになるのだが・・・

1.三田方面(播州清水寺、花山院)

2.姫路(圓教寺)

3.嵯峨亀岡(穴太寺)

4.和歌山(紀三井寺、粉河寺)

5.近江八幡・安土(長命寺、観音正寺)

6.丹後一泊(成相寺、松尾寺)

・・・これまで何度も選択肢に出ているが、京都府内には足を踏み入れていない。そんな中で丹後の目が出てきた。考えればこちらも京都府である。こちらなら一泊コースにしようと決めているのだが、冬の時期に行くのは結構大変かもしれない。美味い日本海の魚を食べに行くと思えばそれもまた魅力なのだが、果たして出るだろうか。一方で一度行った和歌山方面に納経軸の朱印を入れるというのも課題だし、前回訪れた一乗寺に続いて姫路まで飛ぶというのも出そうな気がする。

そして出たのは・・・「1」。今度は福知山線である。この播州清水寺というのもある意味ハードルが高いところである。それは、実際に行く段になると明らかになる。

東金堂と国宝館の共通券を買い求め、東金堂に入る。こちらは薬師如来を本尊としており、日光・月光菩薩、四天王に十二神将と勢揃いで出迎えてくれる。観音グループに対抗した薬師グループといったところだろうか。納経所も別である。後で知ったのだが、「西国三十三観音巡り」に対抗して「西国四十九薬師巡り」というのがあるそうだ。仏教の中では、如来というのは「悟りを開いた人」、菩薩は「悟りを開くために修行している人」ということで、ランクで言えば薬師如来のほうが上ということになるが、観世音菩薩のほうがそれだけ一般の人間に近いということも言える。西国三十三所と重なっているところも結構あるが、西国薬師巡りもこれはこれで意義があるものかなと思う。

一度東金堂を出て国宝館に入る。旧・食堂(じきどう)の跡に建てられたものだが、中にはそれこそ国宝、重要文化財の仏像がてんこ盛りである。教科書に出てくる仏像も多い。

その中心にいるのが国宝の千手観音像。鎌倉時代の作とされており、5メートルあまりの堂々とした姿。国宝館の見学ルートが千手観音をまず左から、そして右から、最後に正面で向かい合うということになっており、ありがたさが増している。正面のところには小さな賽銭箱があり、ちょうどお参りしていた人がそこにお札を入れて拝んでいた。先ほど南円堂にお参りしたが、興福寺に関してはこちらの千手観音のほうが同じ観音でも名高いものだろう。

その国宝館には乾漆八部衆立像がある。先ほどの薬師グループの十二神将に対抗するかのようである。その中心にあって、ちょうど千手観音と向かい合うように立つのが、阿修羅像である。

興福寺=阿修羅という図式を描いている方も結構いるのではないかと思う。腕の数だけなら千手観音に敵わないのだが、東大寺の大仏に次いで、いや大仏以上に奈良の象徴とも言えるものである。ちょうど千手観音の正面に来るような配置も心憎いものがあるが、それだけに阿修羅像の堂々とした雰囲気を感じさせる。

漫画『キン肉マン』に登場する超人に「アシュラマン」というのがいるが、6本の腕を使ってキン肉バスター以上の完成度を見せた阿修羅バスターとか、三面の顔をそれぞれ闘いに活かす設定とかが面白かった。興福寺にいる実物は結構線が細いように見えるのだが、独特の形状とか、像から感じられる風情というは阿修羅像ならではのものだろう。

興福寺を見た後でどうするか。せっかくなので東大寺や春日大社に行こうかなとも思ったが、これらは比較的近い時期に訪れたこともあるし、この先いずれ来ることもあるかなと思う。ということで、興福寺の南に広がる「ならまち」を久しぶりに歩いてみることにする。

三条通りに面するうどん屋で昼食とした後で、ならまちに続くもちいどの商店街を抜けようとする。するとそこの入口にあるのが餅屋の中谷堂。高速餅つきが売り物の店。ちょうどよもぎ餅をつくところで、周りに見物客の囲みができる。独特の掛け声と餅を叩く合いの手。これまで何回か見たことがあるが、いつ見てもその呼吸は絶妙である。歓声も起こる。

こうしてできた餅。これをかじりながらもちいどの商店街を過ぎ、久しぶりのならまちである・・・・。
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就職活動はどうなるのかな

2014年12月17日 | ブログ
この冬最強の寒波が日本列島に襲来ということで、とにかく寒い。

今日は学生向けの就職セミナーということで、滋賀は龍谷大学の瀬田キャンパスまで出かけた。強風、大雪への警戒ということで大阪から北陸への特急サンダーバードは終日運転見合せ。特急が発車する11番線ホームは照明が落とされ、売店のシャッターも下りていた。

大阪でこの寒さなら滋賀ならもっと・・・と思いきや、駅を降りると寒いのは寒いがそう極端には感じなかった。それだけ、大阪が冷えていたということだろう。

バスに乗りキャンパスへ。約束の時間まで少しあったので生協の書店をのぞく。滋賀の郷土本が1コーナー設けられていたり、さすがは仏教系の大学らしくそちら方面の書籍も多い。出かけた先で郷土本のコーナーを見るのは好きだし、最近西国三十三所巡りをしていることもあり、いずれもそそられるコーナーである。ここでなにがしか買い求める。

その後でセミナーとなったが、再来年春卒業予定の大学生対象の就職協定の変更にともない、採用選考はもとより、個別の企業色を出したセミナーや説明会も「後ろ倒し」となった。このため、この時期に大学で行うのもあくまで「企業の方を招いての業界研究会」という位置付け。授業の一環というわけだ。学生もリクルートスーツではなく私服での参加。

キャリアセンターの方と話したのだが、その中で「学生の緊張感が一昔前に戻りましたな」とあった。学業優先ということで就活を後ろ倒しにしたのだが、その分学生の緊張感や就活への取り組み度も後ろ倒しになってしまったようだ。「全体的に学生がのんびりして、学生気分で受験するようになる。ろくに企業研究せず、CMなどのイメージだけで受験しようとする学生が増えている。それではアカンと喝を入れてるんですが・・・。早慶や関関同立の学生はこの時期でも明確に意識して積極的に就活に取り組んでいるのに、これではね・・・」とのボヤきも。

確かに、セミナーの入りはガラガラだった。しかし、だからこそ参加した学生は意識が高いと思う。(表向きではあるが)採用選考時期が後ろ倒しになった分、業界や企業を研究する時間は増えたはずである。その分、あちこちのセミナーに顔を出して、少しずつ進路選びをすればよいのでは。景気の回復と人手不足で、学生有利な状況なのだから、学生の皆さんにはもっと真剣に取り組んでほしいものである。

まあ、私の勤務先企業も、学生から選んでもらえる業界であり企業となるために、もっと企業努力と魅力アピールをして、社会的地位を向上させなければならないのだが・・・・。
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第9番「興福寺南円堂」~西国三十三ヶ所巡り・11(奈良マラソン)

2014年12月15日 | 西国三十三所
おそらく今年最後となる西国三十三所巡りの札所は、奈良の興福寺である。世界遺産にも登録されている有名寺院であるし、その場所そのものはこれまで何度も訪れている。

興福寺と言えば阿修羅像に五重塔がイメージされるが、西国の札所はそこに「南円堂」とつく。興福寺ほどの規模となるとそれぞれのお堂に受け持ちがあるようで、企業で言えば独立採算とか事業部を敷いているようなものかもしれない。

南円堂は、五重塔や薬師如来のいる東金堂から見て西に対峙する八角形のお堂である。平安初期に藤原北家を繁栄に導いた藤原冬嗣が、その父内麻呂を弔うために建てたもので、不空羂索観音を本尊とする。後に一般にも開放して、藤原家の繁栄にあやかろうとした民衆の信仰を集めたというところである。三十三所がどのような基準で選抜されたのかは研究者でも解明できていないことだが、花山法皇としては自分を無理やり出家させた藤原摂関家(北家)には恨み辛みはあったはずである。それがゆかりである南円堂を札所にしたのは、修行を通じた心の変化があったのだろうか。南都奈良で一ヶ所だけというのも意図があるのだろうか(すぐ近くの東大寺が札所に選ばれていないのは何か関係があるのか)。

さて「選ぶ」といえば14日の総選挙だが、投票を済ませた後、やはりこの日に興福寺には行っておいて、年内の札所巡りは終了ということにした。

行くことにしたもう一つの要素は、同日開催の奈良マラソンである。このレース、私の大学の同級生で、マラソンを趣味とする奈良勤務の司法書士・KEN氏がエントリーしている。地元のレースとして、毎年のマラソンの集大成として参加しているのだ。私と同じ41歳なのだが、このところ少しずつ記録を上げてきており、先月の福知山マラソンでは初めて2時間40分を切る快挙。我々の同期の中ではある意味「レジェンド」である。

KEN氏のナマの走りは、3年前の神戸マラソンで見た。その時は事前に連絡して、32キロ地点の和田岬駅前というマニアックなところから沿道声援を送った。今回は急に思い立ったことだし、サプライズ効果も期待して連絡なしで応援することにした。

藤井寺から道明寺、柏原経由でJR奈良に現れる。ここから三条通りを歩いて猿沢池に出る。興福寺と猿沢池、奈良の景色として切っても切れない関係である。

目指す南円堂は石段を上がったところにある。ただ、札所では般若心経の読経やら朱印などのルーティンがあるのと、時計と奈良マラソンのランナー通過時間を勘案すると、参詣は後にしたほうがいいかなと。まずは五重塔を仰ぎ見て、鹿と観光客の触れ合いに目を細め、鹿どうしのケンカか何かなのか頭をぶつけ合っているのに感心しつつ、春日大社の表参道に出る。

ここは38~39キロ区間で、レースも終盤である。見物客も少なく、ここならKEN氏も気づくだろう。沿道には阪神やオリックス糸井の旗を持ったグループや、鹿の写真に「走れ!」の文字をあしらったボードを持つ人もいる。

その鹿だが、すぐ横に鹿せんべい売りがいることもあってか結構いる。中には家族連れで道路を横断するのもいる。この日総選挙とあって、「投票所に向かうクルマがマラソンコースにさしかかれば、状況によってはランナーを停めてクルマを通す措置を取る」というアナウンスもあったようだ。ただ鹿はどうかな。

そうこうするうちにまず関係者のクルマやパトカーが来て、まもなく先頭ランナーが来ることを告げる。その後でやって来たのがこの杉本選手。後続とも間が空いていて、そのままトップでゴールした。タイムは2時間24分台ということで有名ランナーには全然及ばないのだが、市民マラソンの一般参加で25分を切ってくるのは素直にすごいなと思う。

後続には韓国の選手も続いたが、この大会3連覇中の平田選手も続く。4連覇はならなかったが前方の韓国選手をかわして3位に入ったそうで、言うなれば「ミスター奈良マラソン」かな。ついでにその後を「せんとくん」を乗せた応援車両が過ぎていく。

その後間隔を空けてポツポツと選手がやって来る。私が立っていた少し手前は終盤の上り坂で、選手は一様にしんどそうな表情であった。何人かの男子選手が通過していく。現役の大学生ランナーらしいのや、自衛隊の名前の入ったユニフォーム姿の選手もいる。

女子の1位の山口選手が来て、しばらく後か。上り坂をそれっぽい選手が駆け上がる。カメラの望遠で見るとゼッケンには「41歳です」の文字(希望すればゼッケンに文字を入れることができるとのこと)。間違いない、KEN氏だ。

案の定終盤でヘタっていたようだが、市民マラソンの「お祭り感覚」での参加でなく、ここまでなかなかいい感じで来ているのではないか。名字で呼び、最後の頑張りに向けての声援を送る。終盤でヘロヘロ状態でいきなり予期せぬ本名の呼び声がかかったので「???」の表情だったが、それでも顔を横に向けて改めて「おおっ!!」と。そりゃあ、ビックリでしょう。

年齢を感じさせない彼の走りを見ることができてよかった。夕方に来たメールでは、残念ながら自己ベスト更新ならず、タイムは2時間43分台ギリギリというものだったそうだ。ただ終盤に大崩れせず何とか粘れたともあったし、急坂もある奈良コースでは自己ベストではないだろうか。来年2月には都道府県ごとの市民ランナー枠とかで東京マラソンの出場権も得ており、どんなレースをしてくれるかが楽しみである。まずは、お疲れ様。

1万2000人参加の奈良マラソンだが、まずはKEN氏の上位での走りを見たところでよしとして、再び興福寺南円堂まで戻る。これから、西国観音お勤めである・・・。
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衆議院選挙

2014年12月15日 | ブログ
昨日14日は衆議院の総選挙。こちらに来て初めて投票所一番乗りを達成した。

全体の結果を見れば、自公で3分の2を超えるという、選挙前の予想通りの内容。民主は議席を増やしたが海江田代表が落選したり、維新も全体ではほぼ同じ数だが大阪での小選挙区で大きく議席を減らした(落選組の多くは比例復活)。次世代が減った分、共産が大きく数を増やした。

さて私の住所の選挙区である大阪14区だが、維新の谷畑孝氏が自民の長尾敬氏との「たかし対決」を制して当選。ただその差はわずか1100票あまりで、大阪の中でもなかなか当確が出なかったようである。個人的に谷畑氏には当選してもらいたくなかったので残念。長尾氏は比例での復活当選だが、やはり選挙区を勝ち抜くのと比例で復活というのは違うものだろう。まあお互い、国会の場できちんと仕事していただければいいのだが。

それよりも、投票率が52%と、戦後最低だった2年前の総選挙からもさらに下回ったというのはどういうことだろう。組織票を持ったところに有利に運んだのは思うつぼなのだろうが、やむを得ない理由のあった方はともかく、一票の格差などよりも憂慮すべきことではないかと思う。まあ、日常生活には、事前に全て決まっていて、投票や挙手はセレモニーとして行うということがいくらでもあるから、総選挙もその程度でしかないのかもしれないが・・・・。
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第26番「一乗寺」~西国三十三ヶ所巡り・10(三木鉄道廃線跡)

2014年12月14日 | 西国三十三所
加古川線の厄神に到着する。ここからは三木鉄道の跡を訪ねて三木まで向かうことにする。1985年に旧国鉄三木線から第三セクター転換した三木鉄道だが、2008年に廃止となった。

三木鉄道も廃止直前に一度だけ乗車したことがある(その時の記録はこちら)。営業キロわずか6.6キロ、厄神から三木まで13分で走るミニ路線ということもあり、第三セクター転換後も経営は厳しかった。三木の人が神戸方面に向かうなら神戸電鉄が便利だし、2006年の市長選挙では財政再建の目玉として「三木鉄道の廃止」を公約に掲げた市長が当選、社長に就任したことから一気に廃止の流れとなった。

さて2008年の廃止から5年以上経ち、現地はどうなっているか。ということで厄神のホームに降り立ったが、加古川行きホームの反対側にあった三木鉄道ホームからは線路がきれいに撤去されていた。

三木方面へ向かう神姫バスはよくコミュニティバスなどで見かける小型のもの。バスに転換したといっても結局はこの小型バスでも足りるくらいの利用しかないということか。三木鉄道と並走する県道20号線を走る。なかなか交通量の多い道路である。平日の朝夕は通勤で結構混むのではないかと思われる。

左側にかつての線路跡と思われる道が見えてきた。その上を散歩している人がいるかと思えば、「道路改修中」の工事看板が出ているところもある。木造駅舎の姿も見える。

15分ほどで三木鉄道記念公園に到着。かつての終点・三木駅跡を公園として整備し、資料展示を行っているところである。結局バスで来てもかつての気動車でも厄神からの所要時間はさほど変わるものではなく、第三セクターになってから国鉄時代より駅の数を増やしたとはいうものの、沿線の人にとってさほど重要度が高い路線だったとは思えない。

かつての駅舎は「三木鉄道ふれあい館」として改装されており、かつての物品や写真が展示されている。ただ先ほどの鍛冶屋線市原駅記念館ほどのものはなく、あっけなく見学は終了。

ここからどうするか。厄神に戻るバスの時間までは結構ある。ここでじっとして時間をつぶすのももったいない気がする。いっそのこと三木の古い町並みを歩きながら神戸電鉄で神戸に戻ろうかとも思うが、やはり厄神から加古川まで乗り、西国三十三所の駅スタンプを加古川でゲットしたいところである。

ならば・・・もう一度歩けるところまで歩くか。先ほどバスに乗って、バスの通る県道と線路跡が離れていないことは確認済みである。木造駅舎が残っているのも気になる。ということで、記念公園の中を伸びている線路跡をたどりながら、厄神方面に向けて歩く。16時を回り少しずつ日が傾いており、日没も気にしながらである。

公園の辺りは整備されていたが、少し離れると線路だけがはがされた痛々しい姿が残る。キロポストなどが中途半端に残っていたり。

県道から少し入ってそうして線路跡を見たり、また県道に戻ってバス停でバスの時間を確認したり(停留所間の距離が短い)しながら歩く。国道の高架下をくぐる。かつて線路があったために道路のほうが跨ぐ形になっているのだ。

木造の駅舎が現れた。かつての別所駅である。単式ホーム1面きりの駅である。建物は大正時代の開業当時からのもので、当然現在は使われていないがその姿を留めている。横に石碑があり、播州鉄道~播丹鉄道~国鉄三木線~三木鉄道と変遷してきた歴史を顕彰している。

この別所駅、駅名標ははがされているものの、ホームや線路がそのままの形で残されている。ワンマン運転用のホーム上のミラーも残っている。写真だけ見れば、今でも気動車がやってきてもおかしくないように見える。三木駅は先ほどのふれあい館に転用されたが、別所駅をこのような形で残しているのは何か意図があるのだろうか。将来に向けて保存する動きがあるのかもしれないが、それにしてもこの状況では朽ちていくばかりではないかと思う。まあ、線路跡の整備や駅舎を保存するにしても解体するにしても、その費用は誰が出すのかという問題もあるが・・・。

三木城跡は大河ドラマの影響もあってか注目されているようだが、その城主の名がついた別所駅はさすがに世間の目を引くには至っていないようである。

ここからさらに西に歩いて、ちょうどバスの時間が近づいてきたところで乗車。厄神駅に戻った時にはちょうど日が暮れたところであった。

何だか札所巡りか鉄道路線巡りかという一日となったが、三木鉄道が廃止される一因となった神戸電鉄粟生線に存続問題が出ていたり、一方では北条鉄道のような活性化を模索する路線、路線跡がクルマ社会の地方都市らしい光景に変身したりと、鉄道を巡る諸相というのを見ることができた一日でもあった。今回は行かなかったが今度は加古川の南にも旧国鉄高砂線や別府鉄道というのもある。地味ではあるがそうしたところもまた訪れてみたいものである・・・・。
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第26番「一乗寺」~西国三十三ヶ所巡り・10(鍛冶屋線廃線跡)

2014年12月13日 | 西国三十三所
一乗寺を参拝後、北条鉄道と加古川線を乗り継いでやってきた西脇市。ここまでやってきたのは、かつて分岐していた鍛冶屋線の廃線跡を訪ねることである。

鍛冶屋線は、ここ西脇市(当時、野村)から鍛冶屋まで走っていた13.2キロのローカル線。開業の経緯や、西脇の中心部を通るということで加古川線の加古川方面からの列車は谷川方面ではなく鍛冶屋線に乗り入れる列車が多かった。ローカル線の中では比較的利用客も多かったようであるが、ローカル線の存廃基準が「線区」単位ということもあり、野村~西脇間のみの存続も検討されたが、結局は廃止ということになった。

鍛冶屋線には廃止直前に一度だけ乗りに来たことがある。当時高校生でJR乗りつぶしを始めた頃とあって、ただ単に「乗っている」状況で単純に野村~鍛冶屋を往復しただけなのだが、終点の鍛冶屋駅で路線の廃止を惜しむ寄せ書きだったかノートだったかがあったのを憶えている。おそらく小学生なのかな、「かじやせんがなくなってもべんきょうがんばります」というような書き込みもあったような。

全国で廃止されたローカル線があり、その路線跡はいろいろなことになっているが、鍛冶屋線については有効的な活用が図られているという。今回、乗車した時からおよそ25年が経過するが、その跡を回ることにする。バスの時間や、この後で訪れる三木鉄道跡の時間も含めて検討したうえで、鉄道資料館のある市原駅跡までの往路を歩き、復路はバスで西脇市まで戻るということにした。こちらも5キロくらいだろうか。

西脇市の駅舎から左手の道に出て、踏切を渡ると歩行者自転車道が伸びている。ちょうど谷川からの加古川線の列車がやってきたが、あちらの線路はカーブして駅に入ってくる。歩行者道のほうがまっすぐに伸びている。歴史的に見てもこちらのほうが古く沿線の需要があったことがうかがえる。歩きやすく整備されている。

歩道を進むと大きな道路に出会う。かつては踏切があったようで線路の形も残されている。列車ならば道路の流れを止めて通り過ぎるところだが、廃線となった今では歩行者は横断歩道のある交差点まで迂回することになる。

今度は築堤の上を歩く。小道が歩道の下をくぐっているのを見る。

突然、これまでの歩道が突如2車線の車道に変わるところに出る。かつての西脇駅のあたりである。アピカ西脇という、ホテルやバスターミナルが入るビルが建つ。「STATION」の看板がある建物が、かつて駅があったことを伝えている。

この辺りは「レントン通り」と呼ばれている。西脇市と姉妹都市提携を結ぶアメリカ・ワシントン州のレントン市の名前を取ったものである。それはいいが、姉妹都市提携を結ぶことになった経緯というのは何なのかなと思う。西脇は繊維産業が盛んなのと、駅伝の強豪というイメージがあるのだが、例えばレントン市でも同じような産業が盛んというのがあるのだろうか。

ここからは2車線の道路が伸びる。沿道には大型駐車場を備えた大型店舗が並び、いかにもクルマ社会の地方都市らしい光景である。かつてのローカル線も四半世紀経てば完全なクルマ文化になるということか。

そんな店舗群を過ぎると右手に市原川、左手に山の斜面というところになる。2車線が1車線になった。それでも線路跡とおぼしき幅の広い歩道があり、歩きやすい。

西脇市から歩き始めて50分ほどで前方に木造の建物と水色の物体が見えてきた。ここが今回の目的地である鍛冶屋線市原駅記念館。かつての市原駅の建物を若干移動させて、リニューアルさせて記念館として開放している。かつての市原駅や鍛冶屋線で使われていた鉄道用品の展示や、鍛冶屋線の歴史について紹介されている。

廃止を前に鍛冶屋線の歴史を取り上げた新聞の切り抜きもあったが、それによれば旅客だけでなく生糸や木材、さらには酒米の山田錦の輸送も盛んだったようだ。また存続運動としてミニ独立国「カナソ・ハイニノ国」というのも建設されたことがある。駅名の頭文字を順番に並べたもので、いろいろなイベントも仕掛けたが結局は廃止の流れを止めることはできなかった。

駅の横に「コヤノ美術館 豪農の館」という建物がある。コヤノと聞くと先日FAでオリックス・バファローズに移籍してきたあの選手を思い浮かべるが、鍛冶屋線の建設にも尽力した豪農・藤井家の豪邸を修復したもので、現在は館長の小谷野達雄氏が長年蒐集した美術品や工芸品が展示されているという。

入ろうかなとも思ったが、西脇市に戻るバスの時間も近いし、次のバスは2時間後。それに三木鉄道のこともあるのでパスした。ただ帰宅してからネットで見て、三木鉄道を次の機会に回しても訪れるべきところだったことがわかる。今度は、鍛冶屋線の残りの区間と合わせて訪れてみてもいいかな。

今回は市原で折り返しとなるが、他にも鍛冶屋線の駅跡を公園として整備したり、歩行者自転車道として保存されている区間も多い。当時の数字基準で廃止となってしまったが、こうした動きが多いのは、地元の人にはそれを惜しむ、あるいは「失って初めてその価値に気づいた」という人も多かったのだろう。

バスに乗る。事前に調べた時刻表では西脇市まで30分近くかかる。鉄道の時はそこまで時間がかかっていないはずだからサービスダウンなのかなと思ったが、バスは西脇市役所や合同庁舎、さらには町の中心部や学校の間を抜ける。西脇には初めて訪れたが、一応こういう街なのかなというのを見ることができた。駅伝で有名な西脇工高の横も通る。全国大会出場を祝う横断幕が出ている。

西脇市に到着。ここからは再び加古川線を南下する。目指すのは厄神で、第三セクターから廃線となった三木鉄道跡を巡ることに・・・・。

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第26番「一乗寺」~西国三十三ヶ所巡り・10(北条鉄道から西脇市)

2014年12月10日 | 西国三十三所
法華口駅に戻り、駅の扉を開けると暖かかった。ストーブが焚かれている。

法華口駅の「駅のパン屋」として知られる「モン・ファボリ」が開店中である。1912年に開業した法華口の駅舎は当時の木造の建物が残るが、赤字ローカル線としていつしか荒れ果て、以前は待合室のスペースも自転車置場と化していたそうだ。それが2012年に内装をリニューアルしてパン屋が開業。乗車券等の販売は行わないが、「ボランティア駅長」として地域活性化に一役買っている。帰宅後にかつての法華口駅の写真と見比べてみたが、まさに劇的ビフォー・アフターである。

こちらのパンは米粉を使っているのが売りで、種類も結構ある。昼食として買い求め、待合室でいただく。もちっとした感じがよろしい。待合室で食事するのも、どこかの家のリビングにお邪魔しているようにも感じる。駅舎がパン屋という話題性に加えて、パンそのものの味も評判ということで、クルマで駅に乗り付けて買いに来る客が次々にやって来る。取り置き依頼の電話もかかっていた。

駅舎だけでなくトイレもリニューアルされている。駅舎の壁にはリニューアルに協賛いただいたとして企業や個人名を記したレリーフがある。先ほど歩いてきた中で見覚えのある店の名前や、一乗寺の名前もある。今回は時間の関係で粟生~法華口の往復のみで全部を見ることはできないが、北条鉄道の駅ではこうした地元の人たちの協賛により駅舎やトイレのリニューアルが行われたり、ボランティア駅長もいる。終点の北条町には子ザルの駅長がいたり、法華口の隣の播磨下里は住職のボランティア駅長がいる。鉄道ファンが高じて駅舎を寺院として利用するようになり、月2回ほど読経や清掃活動、そしてやって来た人たちとの鉄道談義を含むフリートークや悩み相談会のイベントを開いている。寺としてご朱印も押すとか。開いている日は北条鉄道のブログで知らされるが、残念ながらこの日は該当していなかった。このように経営は厳しいながらも北条鉄道としては路線を守り、活性化させようという動きが盛んである。

粟生行の列車に乗る。通常は1両での運転だが、後ろにもう1両繋がれている。「サンタ列車」というもので、事前予約制で北条町から粟生までを往復するイベント車両である。一般車両との通り抜けもできないので中の様子はよくわからないが、サンタクロースの衣装を来たスタッフが子ども向けに何かやっている。駅舎のイルミネーションとともに、北条鉄道の冬の定番のようである。

粟生に到着。ここからは加古川線で一旦西脇市まで北上する。103系をトイレつき、ワンマン運転仕様にした車両である。加古川線の利便性が向上したためか、駅の周りには新しい住宅も目立つ。

西脇市に到着。ここからはかつて分岐していた鍛冶屋線の廃線跡を歩くことにする・・・・。
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第26番「一乗寺」~西国三十三ヶ所巡り・10(一乗寺)

2014年12月09日 | 西国三十三所
法華口の駅から一乗寺までは5キロの案内。1時間あれば着くかなと歩き出す。地図によれば駅前の国道を歩き、途中左折して県道に出ればよいようで、道に迷うことはないだろう。

巡礼橋というのを渡る。川面では白鷺が休んでおりのどかである。ただ、この国道、クルマがバンバン通るのに歩道がほとんどない。前から大型トラックが来ると思わず避けてしまう。ある意味、山道を上るよりも厳しい道行きである。

そんな区間を2キロほど歩くと左手に酒蔵がある。富久錦というところで、レストランも併設しているがさすがに朝の9時半では開いていない。この辺りだから、山田錦とか使っているのかな。

この酒蔵のところで左折。後は道なりに3キロである。歩道も広く歩きやすい。途中、おそらく参拝に向かうであろう他県ナンバーのクルマが追い越して行くが、こちらはほとんどクルマの行き来はなく、静かな集落をのんびり進む。

勾配にさしかかる。看板が見えて、左がクルマで1600m、右が徒歩(車両通行不可)で1000mとある。当然、右手を進む。しばらくすると家並みが途切れ、舗装もなくなり落ち葉のじゅうたんが広がってくる。前に石灯籠が見えてきた。おそらく、昔の参道なのだろう。しばらく上ると門に出る。後でわかったのだが一乗寺は奥の院を含めて山の中に広大な寺域を持っており、この門は東側の山門だという。西の門はバス停のある本坊入口から西に500mほどのところにあるそうで、東西1キロほどの幅である。本格的な寺院であることがうかがえる。

>本坊入口にて拝観料を納め、正面に続く石段を上る。中段に常行堂があり、その上には国宝の三重塔が見える。国内でも十指に入る古い塔とかで、他を圧倒するものではないが柔らかさを感じる。さらに石段が続き、三重塔を徐々に見下ろすようになる景色もよい。

石段を上りきったところが本堂である。ちょうど、各種建物をコンパクトに下から上に並べた感じである。

一乗寺を開いたのは法道上人という、インドから紫雲に乗って渡来したという伝説を持つ僧。この地に寺を開いたのは孝徳天皇の勅願とされており、インドから飛んで来た云々は別にしても、相当古い寺に属する。

本堂には靴を脱いで上がる。ちょうど本堂に入る参詣客が途絶えたタイミングで、私の読経の声だけが本堂に流れる。納経所には二人いて、こちらにじっと耳を傾けているとするとやはりまだ照れを感じる。まだまだ、気持ちが足りないのかな。

足下が結構冷たい。般若心経を唱える口からも白い息が出る。結構山の上まで来ていることを感じるが、その分気が締まる。5キロ程度だが歩いてきたことで、徒歩巡礼気分である。

朱印をいただく。係りの人は「クルマで来られたんですか?」とだけ尋ねた。「圓教寺に行かれる方はカーナビは書写山ロープウェー乗り場にセットしてください」との貼り紙を見る。圓教寺にすると確実に山中で迷うようである。

本堂から三重塔を見下ろした景色もなかなかのものである。西国巡りをするようになって初めて知ったスポットだが、落ち着きを感じるなかなかよいところである。

ここで、次の行き先である。例によってくじ引きで出した候補は・・・

1.洛中(頂法寺六角堂、行願寺革堂)

2.大津石山(岩間寺、石山寺、三井寺)

3.奈良(興福寺南円堂)

4.山科醍醐(元慶寺、醍醐寺)

5.嵯峨亀岡(穴太寺)

6.姫路(圓教寺)

おっと、ここで姫路が出たか。確かに札所順番は次だし、バスに乗れば姫路まで35分、そこからさらにバスとロープウェー乗り継ぎでも昼過ぎには着ける。札所巡りのエリア分けをする際には一緒にすることも考えていたこともある。ただ、もし仮に姫路が出たとしても、今回は加古川線鉄道巡りをテーマとしているので行かない。それよりも、まだ一度も出ていない京都府に足を踏み入れたい。

で、出た目は・・・「3」。奈良である。ここなら興福寺だけでなく周辺の寺社や「ならまち」にも行くかな。自宅からも比較的近いエリアで、今度は朝ゆっくり出発できそうだ。

法華口駅への戻りはバスに乗るとして、それまでの間、境内を回る。本堂の先には奥の院があるが、豪雨で損壊がありそこまで進むことができない。それだけでなく、境内を見渡すと倒木もあれば、かつては付属のお堂などがあったであろうところに崩れた塀があったりして、見方によっては肝試しに出てきそうな荒れた廃寺にも見えるところが目立つ。来た時にくぐった東の門からが寺域だとすれば、結構荒れ果てたところも多く状況の厳しい寺だなと見えてしまう。

石段の下のエリアには西国三十三所や坂東三十三所の各札所の本尊の石像がお砂踏みとして並ぶ。石に刻まれた文字を解読しながら順番に回るが、見間違えでなければ、西国26番のここ一乗寺は、石像が2つあるのではと思う。一つに「法花」と刻まれていたような。その2つを挟む石像に「新清水」(25番播州清水寺)と「圓」(27番圓教寺)という字を認めたから、どう考えても26番が2つ。これは何か意味があることなのかな。

いろいろ回り、11時すぎの社行バスに乗る。姫路から来た客はここで全て下車し、先ほど歩いてきた道をバスで逆走利用するのは私だけだ。バスは「法華口駅前」停留所に停まるが、それは駅前を素通りし、北条鉄道の踏切を越えてしばらくのところだった。もう少し駅に近いところに停められたのではないかと思うが、どうなんだろうか。

さて札所巡りは終わったので、これからがローカル線跡巡りである・・・・。
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第26番「一乗寺」~西国三十三ヶ所巡り・10(播磨のローカル線と共に)

2014年12月08日 | 西国三十三所
くじ引きとサイコロで巡る西国三十三所も、番外含めて10ヶ所目である。今回は一乗寺を目指す。

一乗寺という名前を聞くと、京都のラーメン激戦区を思い浮かべる方が多いだろう。私は叡山電車の駅名を連想した。昔は京都にもその名の寺院があったそうだが、今はなくなっている。

で、西国三十三所の一乗寺は、兵庫県は加西市にある。巡礼初の兵庫県入りとなる。JRの西国三十三所スタンプは姫路、宝殿、加古川に設置されており、公共交通機関ならば姫路からバスが便利で、35分ほどで着くとある。

ただ、そこは「最近は札所というより、その前後の文章がだんだん長くなっている」私である。姫路エリアは書写山圓教寺の時に行くとして、一乗寺は「北条鉄道」という選択をする。

第3セクターの北条鉄道には法華口という駅がある。初めて北条鉄道に乗った時、名前のユニークさと古くからの木造駅舎の風情が印象に残っていた。その「法華」とは一乗寺の山号「法華山」から来たものである。一乗寺の存在自体、恥ずかしながら西国三十三所巡りをやるようになって初めて知ったが、言われてみれば由緒あることである。

アクセスを調べると、姫路からのバスは一乗寺を通った後は法華口駅前を経由している。ならばその逆もありかと時刻表を見ると、果たして便はあるもののお互い日中5本ずつしか出ていない。バスで往復すると一乗寺での時間が大きく余ってしまう。別に1日1エリアと決めているのだから、時間の心配をする必要はない。ただ今回、別のところで結構欲張っている。

それは、加古川線に接続するローカル線乗車と廃線跡の訪問というものである。北条鉄道に乗るとなると、第3セクター転換組でも現在廃止となった三木鉄道の跡がどうなっているかが気になる。また、第3セクターにもなれずいきなり廃止となった鍛冶屋線も跡地を残している。どんなものか行ってみたい。これに加えて、粟生には神戸方面から神鉄粟生線が延びているが、粟生線も存続に向けて揺れ動いていることだから乗っておきたい。

・・・ということで、ローカル線ながら阪神淡路大震災の時には代替路線として価値を見直され、その後電化を達成し、現在も地域のメイン路線になっている加古川線と、そこから分岐する(していた)路線をいろいろ見ることで、普段なかなか訪れることがない播磨中部を回ることにする。ただ列車やバスの乗り継ぎだけでは、ロスタイムが大きく夕方までにこなすのは無理。そこで「徒歩」を組み込むことに。まあ、それも巡礼らしくていいか。

日曜朝の6時半、阪神梅田から姫路行きの直通特急に乗る。山陽の車両だ。ヘッドマークには「ひめじの官兵衛」とある。今年の大河ドラマ「軍師官兵衛」が姫路ゆかりとあって、姫路市そして山陽電車は結構力を入れていた。岡田准一のラッピング車両もあったし、山陽電車への「経済効果」はどのくらいあっただろうか。

夜明けの阪神線を快走し、新開地で神鉄に乗り継ぐ。乗るのは粟生まで直通の普通。地下区間から地上に顔を出し、車体をキイキイ言わせながら急勾配を上る。途中、日陰に霜柱が下りているのも見えて、冬の訪れを感じる。

鈴蘭台から粟生線に入るが、鈴蘭台から乗客が増えて座席はほぼ埋まる。日曜の朝ということを考えれば乗車率は良いようで、途中駅で下車はあるものの、思ったより多くの人が結構長く乗っている。この程度の乗車率は、都市中心部を少し離れた路線ではごくごくあり得る光景と言える。

ただやはり、粟生線は深刻な状況なのだろうな。車内広告では粟生線活性化に向けたシンポジウムの案内とか、「乗らないと残りません」という、半ば脅しのような広告も見られる。沿線人口の減少に加えて、三宮直通バスの存在、高速道路の整備という厳しい条件はわかるし、徹底的な合理化を図っているのはわかるが、それでも年間10億の赤字が10年以上続くというのはなぜだろうか。時間が合えば、三木市で行われるそのシンポジウムで話を聴いてみたいところである。

さて粟生行はその三木で乗客の入れ替えがあった後、小野で大半が下車して、さすがにローカル線然としてきた。三木、小野といえば播磨中部の中心的なところで、そこから粟生線をひっぺ返すのはどうかなと思う。確かに時間はかかるが、一応神戸市街まで直通で行けるのだし・・・。

粟生に到着。JR、神鉄、北条鉄道の3社が改札の中で出会う。JRは窓口駅員と自動券売機はあるが、改札はしない。ICOCAも対応していない。神鉄は自動券売機とPiTaPa対応の自動改札機はあるが無人。北条鉄道は全て車内精算。三者三様である。

今回は神鉄~北条鉄道への乗り継ぎ。1両の気動車には数人の乗客。車内は中吊り広告もなくシンプルだ。発車間際に運転士が運転台からホームに出たが、若い女性である。北条鉄道として、若い人も雇用してこの先も鉄道としてやっていこうという意気込みかな。

終点北条町まで行けず法華口で降りるが、途中の田原、網引という小駅も地元の人たちの善意でほのぼのとした風情が出ている。

さて法華口。木造駅舎と時代がかった駅名票はあるが、ホームではサンタクロースがお出迎え。

法華口で下車するのは初めてだが、最近、駅舎を改装してパン屋が入っているという。駅のパン屋という話題だけでなく、パンそのものもよろしいとか。下車した時はオープン前で、スタッフの会話は聞こえるがカーテンが下りていた。一乗寺からの帰りには昼食代わりに帰るかな。

駅前に出ると、新しい感じの三重塔が出迎えてくれる。一乗寺の三重塔ら国宝なのだが、それにあやかってか。

これから目指すはその一乗寺だが、結局は往路で5キロを歩き、復路にバスに乗ることにした。計算では帰りのバスまで一乗寺に1時間余り滞在することになる。ちょうどよい頃かな。

ということで、法華口駅から始まる法華山一乗寺参詣・・・・。
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