まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

ヒナゴン

2006年05月30日 | ブログ

このところ週末になると天候が悪くなることが多いのだが、こういう時はレンタルのCDやらDVDやらのぞいてみるのも休日の過ごし方の一つ。

そんな折見つけたのが映画『ヒナゴン』。おおっ、レンタルで出ていたかと早速に借り出す。

59d5aeebf9_1 この映画『ヒナゴン』、今からおよそ30年前に広島の山奥の小さな町を騒がせた「ヒバゴン」騒動をモチーフにした重松清の小説を映画化したもの。広島が舞台になる映画となると私としても観てみたいし、地元広島の中国放送も全面的に協力?(アナウンサーがアナウンサー役やエキストラで出ていますな)していることで映画をPRしていたのを憶えていたのだ。

映画のストーリー・・・

広島県の山奥にある小さな町「比奈町」。長年の財政赤字のために隣の備北市との合併問題で揺れている。その町役場に「類人猿課」が復活。その復活を宣言したのが、30年前に「ヒナゴンを見た!」と、その存在を今でも信じている元ヤンキーの町長(伊原剛志)。そんな町長と、東京からのUターンで「類人猿課」で働くことになった信子(井川遥)。この二人を中心として、「ヒナゴン」は果たして存在するのか、また財政赤字に苦しむ「比奈町」の運命はどうなるのか・・・ひと夏の物語としてストーリーは面白く展開する。

ストーリー的にはコメディ的なところが多くて笑えるのだが、私としては備北・西城のどこか懐かしく感じられる町並みの映像にどこかほっとしたものを覚えたし、地方の町・村がこれからどのように生き残るのか、ふるさとの町は愛すべきものだが、その一方で厳しい現実を受け入れなければならないという辛さのようなものがメッセージとして伝わってきた。そして昔も今も変わらない「信じること・・・あなたは本当にできますか?」という問いかけ。

「比奈町」の舞台となった西城町は隣の庄原市に合併されたが、ヒバゴンと西城秀樹ゆかりの地としてその名が消えることは・・・おそらくないはずである。

オールスターキャストと、地元西城の人たち、広島在住の子役たちなどがうまく溶け込んでおり、よくできた映画だと思う。原作もまた読んでみたいな。

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六ヶ所村と下北の自然~北東北紀行・終

2006年05月29日 | 旅行記B・東北

尻屋崎で牧草を食む寒立馬たちを見た後、下北半島の東側を南下する。日本最果の地を有する東通村のエリアが広々と続く。人口密度はいかばかりとか思うが、それにしても広い。

その東通村を後にして、いよいよ六ヶ所村に入る。この旅の最後に訪れるのがこの六ヶ所村である。

「六ヶ所」という言葉を聞いただけで寒気がしたり虫酸が走ったり、あるいは感情が昂ったりする人も多いことだろう。そう、言わずと知れた日本原燃による「原子燃料サイクル施設」(人によっては核燃料施設という言い方もするようだが)のそびえる村である。

かねてからエネルギー問題というのには個人的にも関心があり、どちらかといえば「原発も必要なのではないか」という視線でこれまで松江や四国・伊方の原発を観に行ったり、あるいは人形峠でウランについて紹介した建物をのぞいたりしたことがある。六ヶ所と聞いただけで完全に拒絶反応を示すような著作に出会ったこともあるが、それはもの書きの姿勢としていかがなものかという疑問を感じたこともある。

20065_359 東北へ来ることがあればぜひ六ヶ所村に来たいという気持ちがあった。いろんなものの本を読んだり、あるいはいろんなブログをのぞいたりして、賛否両論いろんな考えがある中で、とにもかくにも一度のぞくだけはすべきかなという気がしたので。

東通村と同様原野が広がる六ヶ所村。あるところまで来ると急に道幅が広くなり、「ハコモノ」が目立つようになる。これらの施設が六ヶ所村での原子燃料サイクルに関連したものということになる。ナントカ研究所とか、ナントカ開発センターとか。連休中のこととて人の気配は感じないが、それでも高くめぐらせたフェンスに警備員の常駐するゲートが続くと、やはり緊張感を覚える。のんびり牛が草を食むのとは対照的な光景かな。

20065_360 やってきたのが「六ヶ所村原燃PRセンター」。私のような一般人がそうナマの現場に立ち入ることができるわけでなく、こういうPRセンターで「今この村でされていること、またされようとしていること」について触れることになる。

こういう原子力関係の施設、あとは自衛隊もそうかな、こういう広報的部門を受け持つ人たちというのは非常に愛想がよい。このPRセンターではコンパニオンの女性が施設についていろいろ説明してくれるというサービス。原子力関係にせよ自衛隊にせよ、賛否両論いろいろある中で存在する立場ゆえ、少しでもイメージアップしようという気持ちが前面に出るのもわかる。

20065_367 まずは最上階から周辺の景色を展望することにする。そこではこの村で行われていること、あるいはこれから推進しようとしていることが見てとれる。右手には石油の国家備蓄基地があり、その横には原子燃料の再処理工場(これがこの3月に試運転が始まり、従事者に被曝者が出たとかどうとかいうところ)、以下、尾駮沼をはさんで廃棄物埋没センターにウラン濃縮工場というのが原野の中のハコモノとして見て取れる。まさに科学的要塞。そして、これらの総仕上げが「MOX燃料工場」ということになる。

まずはそれらの施設を遠望した後、原子力発電のメカニズムや、原子の特性、そしてなぜ原子燃料の再処理が必要なのかということをパネルやコンピューターやゲームなどで解き明かすというのがこのPRセンターの役割である。どういうメカニズムかの説明はここでは省くとして、この建物にずっといる限りは「ああ原発とか再処理工場は絶対必要なんだ!日本が生き残るにはこういう方法が最適なんだ!」という考えにうなずかされることは、間違いない。(「六ヶ所」という言葉を聞いただけで虫酸が走る方は、そうは思わないでしょうが)

20065_365 ただ、原子力関係の施設の立地からみても「地域経済の繁栄」というものと引き換えに、都会の人たちが地方に「こういう役割」を押し付けているような気もする。現在のエネルギー事情、またこれからますます増大するであろう電力事情から見ても、「どこかにつくらなければならないもの」と思うのだが、その条件が地方にとって割りの合わないものだったり、都会人のワガママのような気もするし・・・。かといって地方にしてみても人やモノ、金が集まるのは地域の活性化につながるということもあるし・・・。考えれば考えるほど難しい。

だからこそもっとエネルギー問題については国民的な議論を広げるべきだろうし、反原発の連中も示威行為やミュージシャンの反戦歌だけではなくもっと科学的・現実的な観点からの議論を展開してほしい。推進派だろうが反対派だろうが、今や原子燃料でできたエネルギーを幾分ずつでも消費しているのだから。

20065_369 PRセンターを見学後、研究所エリア一帯や、むつ小川原港などを走り回る。特にこの地域の人たちと話をしたわけではないので私とて地元の実感というのはわからないが、おそらくこれらの施設で働く人のものであろう真新しい集合住宅(社宅?)やレストラン、ショッピングモール、はたまたゴルフ場など、原子力関連施設がこの村の表情を「都会的」に変えたのは事実であろう。どういう気持ちで生活しているのだろうか。

長かったこの旅もそろそろ終わりである。この六ヶ所村でUターンとし、大湊に戻る。

思えば、男鹿半島から始まって津軽・下北と回ってきた旅。特に津軽と下北では、同じ県ではあるが実に対照的な表情を見せてくれた。農耕文化、古くからの歴史文化を有する津軽に対して、厳しい自然とその中から生まれた自然信仰(畏怖)、漁業、牧畜文化という下北の姿。そして古くからの自然に対して、原子力という新しい波が押し寄せている下北。さまざまな表情というものを見せてくれたように思う。

20065_179_1 帰りは大湊線~特急白鳥~はやて号。新幹線ではあっという間に東京に連れ戻された感じである。精神がスピードについて行けないのか、それともまだ名残惜しいのか。心の中ではまだ北東北の自然の清々しさが私を捕えているように思えるのである・・・・。(北東北紀行・終)

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尻屋崎まで~北東北紀行・11

2006年05月28日 | 旅行記B・東北

5月7日、長かったGWの北東北紀行も最終日である。大湊のホテルで朝を迎えた最終日、大湊駅発14時過ぎの列車に乗り東京へと向かうので、それまでが残り時間ということになる。前日は下北半島の西側を回ったので、今日は引き続き下北半島の東側をレンタカーでめぐる。目指すは尻屋崎。学生時代だから10年以上前、ピンポイントでこの岬だけを訪ねたことがあるが、もう一度あの景色に触れてみたかったのだ。20065_227

ということで、むつの市街地を抜ける。廃線となった下北交通の道床や、取り壊された鉄橋跡を見ながら北上。また閑散とした森林地区に入る。東通村に入る。森林に牧草地という景色の中を一直線に突き抜ける道路。北海道にいるかのような感覚である。右手には風力発電の巨大な風車が何基もそびえ立つ。

再びの津軽海峡に出る。左手にはうっすらと横たわって見える北海道の姿。この旅ではずっと海を見てきたようなところがあるが、今日の海も印象に残るものである。

下北半島の東北端という位置に突如として鉱山の施設が現れる。日鉄鉱業の尻屋営業所。10年以上前にバスで来たときにはトロッコか何かの踏切を渡った記憶があるのだが・・・どうやらトロッコは廃止となり、現在はパイプかコンベアを使って直接港に石灰石を送り込んでいるのだろう。

20065_225そして、尻屋崎の入口に差し掛かる。ここから先、岬の先端までが寒立馬の放牧地ということで、遮断機が下りている。クルマがさしかかるとバーが上がる。あいにくと馬たちの姿は少なく、観光案内にあるように何十頭という馬が草原で戯れる・・・ということにはならないが。

20065_246 とうとう、尻屋崎の灯台に出た。朝の早い時間だからだろうか周りには誰もいない。また、寒立馬たちもこの時間灯台の周りにはいない。東からとも北からとも西からともつかない風が吹きまくっており、身体をいっぺんに冷やす。ちょうど津軽海峡と太平洋との境目にあたる尻屋崎。まさに「本州最果の地」。この殺風景さは「本州最北端」の大間を上回るもので、それだけに「端まで来たなあ」という実感が強いものになる。20065_229_1

20065_300 しばし岬で海と対峙した後、岬の東側、今度は太平洋を左手に見てクルマを走らせる。すると、朝食中の寒立馬に出会う。食事の邪魔にならないようこっそりと近寄ってみる。どちらかといえばズングリしたような馬。これが下北の人たちにとっては重要な力資源であったのだ。かつては農耕などの力資源として欠かせないものだったのだが、現在はどうだろう。まさか馬肉にするわけでもなし、農耕や運搬の資源として使うものでもないだろう。ただ、この馬たちを育成することが、下北の豊かな自然文化を受け継ぐものであるのかもしれない。

尻屋の集落に入る。本州最果の集落だが、思った以上に住宅がある。ただ、このあたりに住んでいる人はどのようにして生計を立てているのだろうか(旅に出ると、ふとこういう疑問が頭によぎることがある)。田畑もほとんどないし、漁業にしては家は丘の上だし、鉱山にでも勤めているのだろうか。

20065_350 今日はこの後もう1ヶ所をめぐって、それで大湊に戻ることになるだろう。そちらに向かうべく、尻屋崎から半島の東側を南下する。直線にのびた道路、時折現れる牧草地・・・このあたり「内地」とは一味違った景色である・・・・(続く)。

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清原、男やの~

2006年05月28日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

交流戦で9連敗を喫してしまったオリックス・バファローズ。ファンとしても沈黙する日々が続いていたのだが、ここに来て連勝モードである。そのきっかけというのが「4番」の入れ替えからというのだから、やはり「4番」の役割というのは大きい。

4番に清原が座ってから3連勝と調子が上がっていたが、さすがに27日は9回で3点差、相手が横浜の守護神・クルーンとくればもう勝負は横浜のものだと思うところ。

それが、「逆転サヨナラ満塁ホームラン」で一気にひっくり返してしまうのだから・・・。

ホンマ、えらいやっちゃ。

「夕刊フジ」あたりではシーズン当初から清原のことの皮肉る記事を毎日のように書いていたが、ここに来て本番のバットで活躍している。連敗で沈んでいたチームのムードがガラリとよくなったわけだから、その活躍ぶりをもうちょっと書いてほしいなあ・・・。

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仏ヶ浦とむつの夜~北東北紀行・10

2006年05月27日 | 旅行記B・東北

本州最北端の大間崎に到達した後、西海岸を下る。「最北端」という名前に比して穏やかな感じのした大間崎であったが、半島を下り、佐井の町にたどり着くころには津軽海峡の「内側」というのに、荒々しい感じの地形が目立つようになった。佐井の港で一息入れる。名勝仏ヶ浦に行く観光船の案内があるが、さすがに船で往復するまでの時間はないと思い、このままクルマを走らせる。いよいよ地形の険しいところにさしかかる。一昔前ならクルマで通ることなど考えもつかなかったであろう。S字カーブの続く道を何とかやりすごす。

20065_211とある崖に出た時、駐車スペースがあり陸奥湾を眺めることができるようになっていた。そこでクルマを停めると、何と前方に見えるのは仏ヶ浦。てっきり船でないとたどり着けないと思ってあきらめていたのがこうして眼下にある。もう少し走ったところに、仏ヶ浦に続く遊歩道もあった。崖につけられた階段を折り、小さなお堂のある海岸に出る。ここが仏ヶ浦。

20065_217それにしても、どこをどうすればこんな奇岩が並ぶのだろうか。そびえ立つこれらの岩一つ一つを仏に見立てたことから「仏ヶ浦」という名前がついたそうだが、仏といっても中国の奥地にでもありそうな巨大な「仏像」であり、また壁画のようにも見える。これは人間のいかなる力をもってしても、ここまでのものは創造できない。海峡の荒波、そして海峡を吹き抜ける風がじっくりとこしらえた自然の芸術。いにしえの人たちがこのあたりをどのように行き来したかはわからないが、海から来ても、あるいは崖から崖へ歩いても、目の前に現れた奇岩群には息を呑むことであり、そして畏怖の念をおぼえたことであろう。20065_214

20065_215今日は雲もありやや波が高い。これがもし冬場にくればどのようなすさまじい光景になるのだろうかと想像する。奇岩の間に身を置いた人間は実に小さく見える。

そろそろむつ市内に戻ることにする。途中どこかで温泉に・・と思う。今朝奥薬研温泉につかったが、下北半島は地味ながら温泉が多いところ。市街地から少し離れた山中にある「むつ矢立温泉」へ。宿泊もできる温泉施設のほかに、カラオケ、雀荘、ゴルフ練習場などある。ゴルフ練習の後に温泉という楽しみ方ができそうかな。

20065_219 年代を感じさせる浴槽に地元の人に混じってつかる。浴槽のへりにはブロック大の木片がある。何をするのかなと見ると、あるお年寄りがそれを頭の下にやって、浴槽のへりにゴロンと横になる。ははあ、枕代わりね。

長いドライブを終えて大湊の駅前に戻る。クルマを借りた「フォルクローロ大湊」にチェックインをし、食事に出る。むつの市街地には大型店もあって・・・と先に書いたが、大湊の駅前は中心部から外れており、飲み屋もポツポツとしかない。そんな中一軒家で親父が切り盛りしてそうな「伝ちゃん」という店へ。小ぢんまりとはしているがなかなか雰囲気のある店で、レバ刺しやらヤキトリ、貝焼などを食す。店の親父も愛想よく、地酒「関乃井」の杯も進む。20065_222

ようやく明日は最終日。また早起きになるのでゆっくりと休むことにする・・・(続く)。

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本州最北端・大間にて~北東北紀行・9

2006年05月24日 | 旅行記B・東北

大畑町から津軽海峡に沿って走る。下風呂の町を過ぎ、いよいよ本州最北端の大間町である。ハンドルを握る手も心なしか緊張している。

20065_198大間崎に向かう横道に入る。小さな漁港を見て走る。すると前方にこれまでほとんど目にすることのなかった土産物店らしき構えの店が見えてきて、カーブの右手には写真で見たあの記念碑「ここ本州最北端の地」が現れた。何ともあっけなく着いたものである。○○岬とか○○崎というところには、地形や町並みの雰囲気にも「いよいよ先端に近づいてきたな」と思わせるものがあるものだが、ここ大間崎は「本州最北端」という、最果ての地を思わせるイメージからすれば開けたところのように感じる。

20065_200 ともかくも「ここ本州最北端の地」から海の彼方を見やる。残念ながらこの日は曇っており、すぐ近くにある北海道の姿を見ることはかなわなかった。津軽海峡の荒波を見るだけである。

時間的にちょうど昼どきなので、近くの食堂に入り、「まぐろ刺身定食」を注文する。大間崎といえば本州最北端の地であるとともに、マグロの基地としても最近有名である。マグロといえば紀伊勝浦とか、焼津とか、三浦半島の三崎口というのが有名であるが、いまや「大間のマグロ」と聞けば高級ブランドのイメージが定着している。土産物屋を見てももう、マグロづくし。といってもマグロの切り身を冷凍にしてクール便で直送するのを売りにする頼もしい店があるわけではない。マグロをイメージした商品はいくらもあるのだが、マグロそのものが置いていないのである。

20065_201大間に来れば年中その「高級マグロ」が味わえるかと思っていたのだが、どうもそうではないようなのである。なんでも、津軽海峡でマグロがあがるのは「秋から冬」とか。そして、大間のマグロはそのまま東京あたりに送られてしまうから、地元ならたらふく食えるのかというと必ずしもそうではないとか・・・。これを知らないのは私くらいのものだろう。そんでもってこの時期に出回っているのは近海もの(近海といってもどこまで近海なんだろう・・・)のマグロらしい。刺身定食を食べた食堂にもこのような貼り紙がしてあった。うーん、まあ、だからといって味が悪いというのではないのだが・・・本当の大間のマグロというのを食べたことがないから比較できないだけかな。

それでも「大間はマグロの町」であることには変わりない。それは、遠洋漁業のトロール船に何年も乗り込んで、大量のマグロを獲ってきて「基地」である港に工業製品のごとくおろすのとは違い、大間でマグロを「一本釣り」する男たちの姿によるところが大きいだろう。何かの参考になるかと、この旅に出る前に映画『魚影の群れ』をDVDで観た。この大間が舞台になっており、緒形拳扮する一匹狼の漁師がマグロと格闘するところ、また、佐藤浩市扮する若い漁師がその格闘の末に命を落としてしまう悲劇など息を呑むシーンが多く、「この一本」にかける人たちの思いというのが伝わってきた。

20065_210ただ大間の町は同じ「マグロの町」といっても、『魚影の群れ』のような重い世界ではなく、数年前にNHKの朝ドラで放映された『私の青空』を前面に押し出しているようである。ロケ地マップが置かれていたり、田畑智子演じる主人公「なずな」の看板も多く出ていた。ドラマ自体は見たことないのだが、北の果ての漁港の雰囲気をもっと明るく描こうとした作品なのかな。いずれ原作なり、ドラマなりに接してみようか。20065_206

20065_209 大間の漁港をのぞいてみたり、街中を走り、大間崎を見下ろす「シーサイドキャトルパーク大間」に行く。途中には牧草地が広がり、牛の群れがのんびり草を食べている。展望台からは津軽海峡を見下ろすことができる。晴れていれば文句なしの眺望だっただろうに実に残念。大町桂月の歌碑があり「大間崎 空と海との間に長き蝦夷が島 消えてかはりぬ漁り火の影」とある。渡島半島の姿が目の前に大きく広がったことであろう。しかし、今でこそボーダレスなのだろうが、目と鼻の先に見えて、津軽海峡の北と南では生態系、習俗が随分と異なる。それだけにこの海は、見た目より深いものを感じる。20065_207

本州最北端の地の雰囲気を楽しんだのち、進路を南に向ける。今度は下北の西海岸を回ってみよう・・・(続く)。

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恐山と奥薬研~北東北紀行・8

2006年05月23日 | 旅行記B・東北

GWの北東北紀行も4日目に入った5月6日。男鹿~五能線~津軽と続いてきた旅も、今日からは下北半島に入る。東京で「下北」といえば「下北沢」を指すが、私などは「下北系」という言葉を聞くと、下北半島の未開の地のわびしさをイメージしてしまうからいけない。

20065_1755日の夜は青森で泊まり、翌日は例によって早起きして青森駅に立つ。前日にねぶたを見たのと酒を飲んだのとで、今回の青森の地はおしまいにする。朝の早い列車で野辺地に向かう。ここが下北半島を行く大湊線の始発駅。

ここから乗る大湊線は「はまなすベイライン」という愛称がある。2両の気動車に数組の旅行客を乗せて出発。小さな野辺地の町を抜けると、荒涼とした原野の風景。海岸線のすぐ近くを走るが、なんだか寂しく感じる車窓である。五能線とはまた違う、最果てを目指す鉄道。20065_176

20065_179 人家が少ないためかほとんど直線の区間を走る。普通終着駅が近づくにつれて車窓もわびしくなるものだが、この大湊線は逆で、終点は下北半島の中心・むつ市である。かつて下北交通の大畑線が分かれていた下北駅を過ぎ、むつ市の中心を走ると大きなショッピングセンターや全国的におなじみのチェーン店の看板も出てくる。これなら野辺地のほうがよほど寂しいところである。

終点の大湊着。実は大湊線にはかつて一度乗ったことがあるのだが、その時は下北で下北交通の大畑線に乗り田名部まで行き、下北~大湊間が未乗車となっていたのだ。線路がすぐ先で切れる文字通りの終着駅。改札には折り返しの列車を待つ、恐らくGWを下北で過ごした人たちであふれかえっていた。

私の今回の旅の残り時間は今日と明日の昼過ぎまでの1日半である。こちらの半島めぐりもふたたびレンタカーの世話になることにしており、駅レンタカーの窓口でもあり私の今夜の宿であるフォルクローロ大湊のフロントに向かう。同じ列車でやってきた数組の旅行者も同じようにレンタカーの手続きをしていた。

20065_183 斧の形をした下北半島。今日はその刃の部分を中心に回る。そのいずれもが初めて訪ねる土地。というわけで、まずは恐山へ。比叡山、高野山と並ぶ日本三大霊場である。むつの市街地を抜け、山道へ。途端にクルマの通りが少なくなる。高度を上げるにつれ、山の斜面にまだ根雪が残っているのを見る。途中で湧き水を汲んで一息入れ、宇曽利山湖に面した恐山にたどり着く。20065_185

有名なイタコの口寄せは例祭のときに行われるという。ただ、特に「この死者と話をしたい」というのが私の場合ないので、まあそれはどちらでもよいか。山門や地蔵堂を見て、いよいよ境内、というか場内を歩く。溶岩のようなものがあちこちで無造作に盛り上がっており、ところどころ化学変化で変色している岩もある。どこからともなく硫黄臭が漂う。ふと、「死して屍拾う人なし、死して屍拾う人なし」という、「大江戸捜査網」の口上を頭に思い浮かべる(例えが古いねえ・・・)。あとはウルトラマンなんかの特撮シーンかな。

20065_186 恐山は霊場として有名であるが、どういう地質の歴史からこのような異様な光景が出来上がったのかを語ってくれる人は少ない。

そんな岩場を抜けると、風車がまわり、お供え物などがある「賽の河原」に出会う。今回の旅では2度目の賽の河原。石をこうやって積むことがあの世との心の通信につながる。日本の仏教のナントカ宗というのを超えた、自然信仰というのか、あの世への無形の恐れというのか、その気持ちがよく現れているのがこの恐山信仰につながっているのだろうか。この場所でなら、どんな宗教的儀礼を行っても(従来仏教だろうが新興宗教だろうが)霊験あらたかに感じてしまうことだろう。20065_188

20065_190 また恐山の位置もいい。これが都会にほど近いところだと確かに訪れやすいが、それだけ恐山の神秘性とか、このような自然のロケーションは望めなかっただろう。東北の、それも津軽より厳しい自然の下北半島にあるからこその恐山。

一通り霊場の雰囲気で妙な心持ちとなり、恐山をあとにする。山中のカーブをいくつも曲がり、少し北の奥薬研温泉に着く。バスの便もあるようだが実質クルマでないと入れない地区である。

下北半島の北部には耕地というのがほとんどないが、その代わりに豊かな山林がある。この奥薬研のあたりもヒバやブナをはじめとして木材の産出が多く、かつては運搬用の森林鉄道も走っていたとか。

20065_194 さて、温泉である。まずはレストハウス併設の「夫婦かっぱの湯」に入る。入浴料200円。渓谷沿いに広々とした浴槽。ちょうど誰も入浴客がおらず、木洩れ日の中露天風呂の風情を楽しむ。こういう時「この塀の向こうに連れがいればなあ・・・」などと、柄にもないことをふと思う。

ところでこの奥薬研温泉、本当の「かっぱの湯」というのはまた別なのである。少し戻ったところにあるのが本当の「かっぱの湯」。レストハウスも何もなく、渓谷の脇に広く深く掘った温泉。湯の表面に辺りの緑がキラリと映える。こちらは無料。実に野趣のある温泉である。もちろんというべきかこちらは混浴。しかし私が訪れた時は無人・・・。脱衣所の壁には長い年月を経ていろんな落書きがなされている。カップルの書き込みも多い。そりゃ、こういう野趣ある露天風呂で二人きりなんてことになったら・・・と想像する。川の流れを聞きながら、しばしうっとりとする。20065_195

下北の湯でリラックスし、山を下りる形で大畑の町へ。いよいよ津軽海峡が右側に広がる。

これから目指すのは、いよいよ本州最北端の地・大間である・・・・(続く)。20065_184

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5時間22分の「熱戦」

2006年05月22日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

本来であれば5月21日の記事として書きたいところだったのだが・・。21日、22日と2日またぎの出来事だったのだから仕方ない。

20065_057 各地で熱戦を繰り広げるプロ野球交流戦(まあ、もっともオリックス・バファローズは22日も阪神に敗れて8連敗、交流戦1勝10敗と最悪の成績ですが・・・)、21日は会社の仲間K氏夫妻と神宮球場に東京ヤクルト対福岡ソフトバンク戦のナイター観戦に出かける。

九州出身で熱心なホークスファンのK氏と、野球についてはイケメンか面白いキャラの選手くらいしか知らないK氏の奥様。バファローズファンの私であるが、交流戦でいろんなカードを見られるのも面白いしということで、外野指定席を事前買いし、当日は解説係としておともすることに。

20055_014_1 交流戦といえば思い出すのは昨年の神戸でのオリックス対広島戦。両軍合わせて42安打の大乱戦、4時間をゆうに超える16対14でカープが勝ったという試合。私が球場に行くと(知らず知らずのうちに期待するのか)乱戦とか延長戦とか4時間超の試合になるケースがなぜか多い。逆に2対0で2時間台という短時間で終わると翌日大雨になったとか、そんな印象に残る試合が多い。今日のおともにK氏とは千葉マリンスタジアムでロッテ対ダイエー戦を観たことがあり、21対0でダイエーの勝ちということもあった。

地下鉄の外苑前から球場に向かう。沿道にはビールや弁当やヤキトリなどを売るワゴンがたくさん出ており、威勢のいい売り声がかかる。そういえば最近、球場の近くのワゴンを見かける機会が少なくなったように思う。球場側の「飲食物持ち込み禁止」の圧力が厳しいからだろうか。そこに来ると神宮はまだ規制がゆるいのか、こういうワゴンで缶ビールや食糧を選ぶ楽しみがある。懐かしい感じがする。

さてK氏夫妻とも合流して入場・・・と思いきや、スタンドからトランペットの演奏に歓声が聞こえてくる。昼間行われている東京六大学野球の明治対法政戦の最中とか。神宮球場というところは学生野球の聖地のようなところで、土日の昼間はたいてい大学野球に当てられている。プロ野球などは大学野球の使い終わった残り湯につかるようなものという「伝統」がこの球場にはあり、日程は全て大学野球優先である。

20065_058_1 こういうことは珍しくないのか、ファンの人たちもさほどいらだつ様子もなく、球場の周りで気長に待っている。球場横の軟式野球場のほうにぶらつくと、室内練習場でちょうどホークスの選手が準備運動をしていることろだった。

やっと大学野球も終わり、両校の学生たちがスタンドの外に出てくる。久しぶりに見る「現役」女子大生の群れ。鼻の下を伸ばして彼女たちを眺めるK氏に、奥さんのはたきが飛ぶ。

20065_061 このために試合開始18時20分のところが、30分遅れて18時50分の試合開始。先発はヤクルト・石井一久、ソフトバンク・杉内。レフトスタンドからは熱心なホークスファンたちの声援が飛ぶ。ホークス側の外野席に入るのは初めての経験だが、それにしても多い。20065_072_1

こちらは酒を飲みながらののんびり観戦で、奥さんの素朴なギモンやら、トンチンカンな精神論についてこちらが答えてあげたり、解き明かせてみたりとグラウンド内外の動きを見るのに忙しい。

試合は3回にズレータの3ランで先制、6回にヤクルト宮本の2点タイムリー、7回には松中のタイムリー2塁打、その裏ラミレスのタイムリーで4対3。こう書けば接戦が繰り広げられたように見えるが、両チームの四死球の多いこと。また終盤には1点を争う展開からか、敬遠四球が続くことも。そうするうちに時計の針がどんどん進む。普通の球場より遅い時間に始まっているのだから、早くも22時を回り、鳴り物応援が自粛となる。

20065_069_1 やはり圧巻は9回裏。ホークス抑えの切り札・馬原の乱調。ストレートで押していく配球は悪くなかったのだが、ヤクルトの打者たちにうまく見られたというところ。1球1球にレフトスタンドから悲鳴があがる。結局敬遠で満塁策を取ったものの、ラロッカの打席「暴投」で同点・・・これで4対4。また延長戦である。

延長に入り、両チームとも選手を次々と投入。一時はヤクルト・古田監督も「代打、オレ」の準備でネクストバッターズサークルに立つ。(この時は打者の米野が無死から出塁し、次の打者が送りバントという場面になったために、代打に古田自身ではなく城石を起用。残念ながら打者・古田の出番はなし)

それでも決まらず、時計の針も23時を回り、バックスクリーンに終電の案内が出る。気付けば周りの客もかなりの数が球場をあとにした。

そんな中、23時を過ぎてから仕事が回ってくる人たち。ホークスの佐藤、ヤクルトの高津、吉川といったところ。夜勤労働者のお勤めである。

そして12回、ランナーを3塁において途中出場の捕手・山崎。ここでしぶとくライト前へ転がし、とうとう均衡を破る。この後大村にも2点打が出て7対4。この時点で時計の針は5時間を回った。打った山崎はアピールにつながるいい働きをしたが、投げた吉川も23時を過ぎて登場せざるを得なかったわけなので、打たれたからと責めることはできない。

12回表を終わり、あとは裏の攻撃を残すのみ。・・・というところだが、残念ながら私はここでギブアップ。まあ、12回で3点だから勝負はあっただろう。勝利の瞬間を観ようと粘るK氏夫妻を残し、お先に失礼する。

20065_076 球場を出て暗闇の神宮外苑を数人の人とともに歩く。ふとK氏メールが「ノーアウト満塁です・・・」と知らせる。おいおい、終わらせてくれんなあ。ただ結局この後踏ん張ったようで、私が電車に乗り人心地したところで、「何とか勝ちました」とメールが入る。試合時間5時間22分・・・・。これまで20年以上球場で試合を観てきたが、5時間超えに日付超えというのは初めての経験である。試合開始が遅れたとはいうものの、それにしても長時間。ヒット数がホークス11本、ヤクルト17本!、四死球がホークス9個、ヤクルト8個という乱戦(拙攻戦?)。いやいやまたしても、疲れる長時間試合に立ち会ってしまった・・・。

K氏からの最後のメール「今日は帰ったら何もせずに寝ます・・・・」。

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弘前城の桜と青森のねぶた

2006年05月20日 | 旅行記B・東北

20065_140 5月5日。桜の名所、弘前城に着く。例年GWの時期が見ごろであるが、今年は何と私が訪れた5日がちょうど満開の日とか。バスターミナルから大勢の観光客に混じって外堀に着いたが、実に白く花開いている。

20065_123 以前に写真で、散った花びらが外堀を絨毯のように埋め尽くす風景を見たことがあるが、これだけの花びらが散ったらさもありなんと想像させる。

20065_154城内に入る。桜並木に見入る人、写真を撮る人、芝生で酒盛りに興じる人たち・・・満開の桜とあいまって、花見の風景である。「東京時間」でいえば1ヶ月くらい時計の針が逆に戻ったようだ。私もビールを買い求め、しばしよい心持ちになる。

天守閣にたどり着く。やはり天守閣があってこそ、桜の花もよく映える。ここが一番の撮影ポイントでもあり、記念撮影をする人が絶えない。これでもう少し晴れていれば・・・。20065_152_1

もう少し晴れていればということでは、天守閣前から美しい稜線を見せるはずの岩木山の姿が全く見えなかったのが残念である。桜の賑わいの向こうの岩木山は想像の中で思い描くことにする。20065_150

城内をひとしきり歩いた後、一角にある弘前市立博物館に入る。津軽藩以降の歴史を中心に紹介するとともに、特別展示として今年生誕100年という建築家・前川國男展が開かれていた。モダニズム建築の先駆者であり、全国の「ハコモノ」づくりに大いに貢献した建築家であるが、ここ弘前にも地縁・血縁があったそうで、市役所はじめ、隣接する市民会館、そしてこの市立博物館など、弘前には前川デザインの建築物が多い。城下町であり、文化の薫り高い弘前のイメージづくりに一役買っている。城内の喧騒をよそに、博物館の中は実に落ち着いた雰囲気であった。20065_160

再度の花見に大いに満足し、青森銀行記念館など洋館群を見ながら弘前駅に出る。弘前に泊まるという手もあるのだが、桜の時期はホテルが全て埋まっているし、翌日の行程もあるので今日は青森に移動する。

青森駅。本州の北のターミナルとしていつ来てもゆったりとした佇まいである。今日は駅前の「ルートイン」に荷物をおろし、小雨の降る中駅前の通りに出る。

20065_167遠くのほうから太鼓の音に歓声が聞こえる。近くの交通規制の看板を見ると、ちょうどGWのこの時期、港まつりだったか春まつりだったかというのをやっているそうだ。そして今、通りでは「よさこいソーラン」の踊りが披露されているところだった。はあ、「よさこいソーラン」ね。今ではどこでも「踊り」とくれば「よさこいソーラン」である。踊りの熱気とか粋な装束とかを見るのは嫌いではないのだが、こうまで広がってしまうと新鮮味に欠けるようにも思われる。

20065_169・・・と、今しがた披露していたグループの演技が終わると、前方からまた太鼓の音が聞こえ、ドデカい何かがこちらへ向かってくる。そう、青森のシンボル、ねぶた。阿修羅に虎という勇壮なねぶたの山車が通りを練り歩くのだ。そしてそのねぶたを先導するように、先ほど「よさこいソーラン」を披露していたいくつかのグループが「らっせーらーらっせーら」「よさこいよさこい」と、振りをつけながら通りを練り歩く。「ねぶたとよさこいソーランのコラボ」という、贅沢な組み合わせ。そう、こういう風にやれば楽しめるのだ。20065_173

20065_174それにしてもねぶたはデカい。車道いっぱいに広がり、時には右に左に旋廻してその姿を沿道の人たちに披露する。本番のねぶた祭りになるとこういう山車がいくつも練り歩くのだからそれは圧巻だろう。今日のところは思わぬ出会いがあったことを喜ぶ。

20065_351 その余韻の中、駅前の「鱒の介」という郷土料理の店へ。繁盛しているらしく、忙しそうに店員が駆けずり回っている。注文も時間がかかること承知の上でカウンターの上に陣取る。ほたて、ホヤ、貝焼、じゃっぱ汁などを取り、地酒を楽しむ。まあ今日はこの後用事があるわけでなし、テレビでナイター中継を見つつじっくり待つ。これで出たものがまずかったらどうしようもないところだが、食材の味は満足できるものだった。20065_354

これまで男鹿から津軽へと回ってきたが、青森で旅の中盤、一区切りついたような心持ちだ。翌日は東の方、下北半島へと向かうのである・・・・(続く)。20065_345

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雅山、優勝なるか?

2006年05月18日 | ブログ

サッカーW杯の日本代表選考やプロ野球の交流戦の影に隠れた形にはなっているものの、大相撲の夏場所の優勝争いが混沌としているのが面白い。一人横綱がいれば独走気配だが、これがいなくなるとこれだけ混戦になってしまうのだからいかに朝青龍が土俵を引っぱっていたかがわかる。

12日目を終えて1敗でトップを行くのが「新大関」白鵬と、「元大関」雅山の2人。これを「新入幕」シオタラン把瑠都が追うという展開。

別に白鵬が嫌いなわけでもなく、雅山の熱心なファンというわけではないのだが、私としてはこの優勝争いでは、優勝争いに久しぶりに加わっている雅山に肩入れしたい。あっという間に大関に駆け上がり、あっという間に陥落し、以後長い平幕の日々が続いていたが、このところ地味に関脇をキープ、地力も復活してきたようである。武蔵丸、武双山、出島らと一時代を築いた武蔵川部屋から久しぶりの優勝というのも悪くない(そういえば一時の角界って、若貴率いるニ子山部屋と、ハワイ勢に学生相撲出身を揃えた武蔵川部屋の二大勢力だったよな・・・と懐かしむ)。また、昨今外国人力士に押されっぱなしで影の薄い学生相撲出身力士の優勝ともなる。

ただカギを握るのが今後の対戦相手。白鵬は残り3日間で大関戦だが、今場所後半に失速した大関相手では順当に勝つだろう。一方雅山は対戦相手の番付こそ低いが、今場所好調の旭鷲山、朝赤龍、そして星勘定によっては把瑠都との対戦があるかもしれない。千秋楽まで、見逃せないところではある・・・・。

最近は相撲の世界でもブログが盛んなようで、武蔵川部屋にもホームページとともにオフィシャルブログ「大相撲 武蔵川部屋の日々」なんてのがある。関取のコメント、力士の素顔の紹介、ファンの書き込み多数。

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津軽平野~北東北紀行・6

2006年05月17日 | 旅行記B・東北

5月4日、北東北紀行2日目の宿泊は五所川原である。駅から15分ほど歩いた「サンルートホテルパティオ」が今日の宿。

駅前の商店街を歩く。昔は一帯の中心として栄えたであろう五所川原の駅前であるが、連休中というためかシャッターをおろしている店が多い。もう一つ賑やかさの感じられないところで、夜の時間をどう過ごそうかと思う。

ところが、ホテルにチェックインして、これまで歩いた道をもう少し進むと国道にあたり、その沿道というのが実に賑やかなのである。東京はじめ全国で見られるチェーン店の看板、銀行、消費者金融、レンタカーなど、いろんなものが集まっている。

さらに歩を進めると巨大なイトーヨーカドーの看板。ここが「エルムの街」というところで、ヨーカドーのほかに多くの専門店を集め、この辺りの購買客を一手に引き受けているのである。ローカル線の沿線によくあることで、駅前の古びた商店街がそのまま寂れるのに対して、少し離れたところに建つ大型ショッピングセンターが近隣のクルマ生活者を呼び込む。そんな図式が五所川原でもはっきりと見てとれた。

20065_072そのエルムの街に入る。都会的なカフェやブティックなども中にあり、津軽にいることを忘れさせる。おまけにこのエルムの街には「津軽ラーメン街道」という名のフードテーマパークまであるのだ。私もそこに釣られるように入り、津軽にいるのにこってりした札幌ラーメンなど食べるのである。そして帰りにイトーヨーカドーで酒と惣菜を買い求める(さすがに酒だけは地元の「じょっぱり」という銘柄が手に入るが)。ほとんど東京の普段の週末と変わらないやね・・・。(まあ、旅先で今ひとつ店に入りそびれるようなときにはヨーカドーは重宝しますが)20065_073

さて翌5日。再び五所川原の駅前に立つ。といってもJRの駅舎に隣接する津軽鉄道の駅。これから津軽鉄道に乗ってみる。今日のプランに津軽鉄道を組み入れるかもしれないという思惑もあって、五所川原泊にしたという面もある。昨日までとは変わって今にも雨が降ろうかというどんよりした空模様。

20065_077 施設やサービスの近代化が進められる中でこの津軽鉄道は、あえてレトロ風というのを売り物にしている。その代表が冬季のストーブ列車であるが、それ以外にも駅の風情などは昔ながらである。五所川原駅の時刻表は、いまだに漢数字の縦書きである。絶対、ワザとやってるよ。

20065_085 連休中なので観光客も多いようだ。窓口で「金木」「芦野公園」と言って切符を買い求める人がほとんど。そんなこともあってか、1両の気動車「走れメロス」号は立ち客も出るほどの賑わい。津軽鉄道には少し前にストーブ客車に乗ったことがあるが、普通の気動車は初めて。

田おこしの始まった津軽平野を駆け抜ける。20分ほどで金木着。ここで大勢の客が下車し、一駅先の芦野公園でガラガラになる。私もこの公園で降りる。

20065_089 芦野公園は津軽の桜の名所として知られ、よく桜並木と駅のホームと気動車の3点セットで写真の撮られる観光駅である。例年時期的には今頃が見ごろとかで、「金木さくらまつり」というのも金木町挙げて盛り上げているそうだが・・・。

ホームに降りたが残念、まだまだ桜はこれからといったところ。遠目に見ればピンクがかっているのだが、近くではまだつぼみが目立つ。冬の寒さのせいで開花が遅れているのだろうか。芦野公園での花見もオツかなと思ったがこれでは残念。

ならばと、先ほど通過した金木に向かう。もっとも、町の観光スポットの一帯は芦野公園からの徒歩圏内。まつりのイベントとしてグランドゴルフや剣道やらの大会が行われるようでちょうど開会式が行われていたが、そこを後にして斜陽館まで歩く。芦野公園からでも15分あれば着く。

20065_093 沿線随一の観光スポットである斜陽館ではあるが直接そこには入らずに、隣接する「津軽三味線会館」に入る。日本の音楽として絶対に外せないのが三味線。その中でも風土とよくマッチした津軽三味線の発祥の地とされるのが金木。その三味線の歴史やら、世界の各地に伝わる弦楽器の比較展示(ボタンを押せばスピーカーから音も流れる)などが興味深く展示されている。吉幾三やら、三橋美智也(津軽三味線の語り部だったのですね)の名前や写真も見られる。

そしてこの会館の目玉が津軽三味線の「生演奏」。私が斜陽館ではなくこちらに先に来たのが、この生演奏の時間を見てのことであった。この時間に合わせるかのように観光客やら団体客がホールに詰め掛ける。やはりナマはいいもんだ。

20065_095 この回の弾き手は「津軽三味線まんじ流」のまんじ愛華さん(写真右)。パートナーに現在三味線の修行中という女性が加わるという二重奏。「津軽じょんから」はじめ、女性ながら力強い弦の音を響かせ、聴く者をうならせる。ナマの三味線は落語の寄席では聴くが、ああいうところで使われているのとは棹が違う、やはり骨太の演奏は津軽三味線ということになる、らしい。芸事の一つというよりは、食うために弾く、そんな音色。とはいうものの、北島三郎の「風雪ながれ旅」の一節「破れ単衣に三味線だけば よされよされと雪が降る」という、一昔前の風雪厳しい世界からも一皮抜けているのも、昨今若い人も多くてがける津軽三味線である。

20065_096 弾き手のまんじ愛華さんは津軽出身ということで、演奏の合間には津軽弁まるだしでトークもしてくれ、聴衆から温かい声援ももらう。500円の入場料が実に安く感じる、貴重な時間であった。

三味線の余韻抜けやらぬままに、向かいの斜陽館に入る。言わずと知れた太宰治の生家。若い人に多い太宰ファンも、私のようにそうでない人も、津軽観光となれば必ず立ち寄るところである。一時は旅館として人の手に渡っていたのが、金木町の所有となり、今では純粋な観光名所として多くの客を集めている。入口から随時ガイドによる説明があり、見学客はそのガイドの説明に従って邸内を回ることになっている。

20065_099 さすがに金木の大地主・富豪の津島家である。和洋折衷の建物の細部にもさまざまな趣向を凝らしている。欄間、襖、屏風など。今は観光史跡として保全されているからよいが、現役の旅館だったときには手入れが行き届かず朽ちてしまった工芸品や、客が旅館の備品のつもりで無遠慮に触ったり使ったりしたために昔のよさが半減したものもある。旅館として開放したのはちょっともったいなかったかな?

これら邸宅部分に、太宰家の資料館でもある蔵の部分を含めるとやはり広大だ。身分格差の大きかった津軽ならではのことである。また、邸宅部分の柱の一本一本、蔵に納められた資料の一言一句をも見逃すまいと血眼になっている太宰ファンと、そんなん別にどーでもえーやんか、という観光客の姿がこれだけ対照的になるスポットも珍しい。

20065_116 斜陽館を一回りして、金木駅から五所川原に出る。すると、先頭には旧国鉄でいうところのキハ22タイプの車両がつながっているではないか。おそらく金木、芦野公園への乗客が増えることを見越しての増結なのだろうが、これは楽しい。ストーブ列車の客車とはまた一味違う、旧タイプの気動車。旧の気動車に乗ることもこれからは一つ一つ貴重な体験となるのであろう。20065_118

五所川原着。ここまで来れば東北の桜の名所・弘前に行ってみよう。とはいうものの五能線の列車はしばらく来ない。というわけで、弘前のバスターミナルまでバスで向かう。朝方パラッと来た雨もどうやらやみそうである・・・(続く)。

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不老ふ死温泉と驫木駅~北東北紀行・5

2006年05月15日 | 旅行記B・東北

20065_334 森山海岸の「賽の河原」を後にして、艫作に着く。ここから再び海岸のほうにクルマを走らせてやってきたのが「不老ふ死温泉」。ちょうど訪れる入浴客で混雑しているようで、係員が出て駐車車両の整理に追われている。

この「不老ふ死温泉」、もちろん普通の大浴場もあるのだがやはりメインは海岸べりの露天風呂である。辺りに海岸が広がり、潮干狩りや釣り客の姿もちらほら見える岩場。その中に忽然として「混浴」「女湯」という二つの露天風呂。

20065_337 男性は「混浴」に自動的に向かうことになる。実に開けっぴろげな空間で、脱いだものもその辺の駕籠に入れて、ひょうたん形の浴槽へと身を沈める。「黄金崎」という名前にふさわしく、黄金色をした湯である。鉄分か何かがよほど濃いのかな。浴槽周りの岩も茶褐色を帯びている。それにしても、「混浴」と言い条、浴槽をぐるりと見渡すと私のようなオッサン臭い連中ばかりである。何もそういう人と顔を合わせ続けることもなく、浴槽のへりにつかまる格好で海岸のほうを見やる。

今日は実に波も穏やかであるが、満潮時で波の高い時期などはこの浴槽も潮をかぶることがあるそうである。それだけ近いのである。カモメが間近に飛ぶのを眺めることもできる。

20065_338 適度な温度の湯、潮風を受けるシチュエーション。しばし時を忘れて長風呂になる。さすがにこの湯に「不老不死」の効能があるわけではないが、長時間運転してきたので、この入浴は格好の休息時間となった。

艫作から深浦の町並みにさしかかる。この深浦も古くからの港町で、津軽西海岸の中心地として太宰治の『津軽』にも登場するし、何よりも北前船の寄港地でもあった。太宰治の文学館は割愛するとして、北前船に関する展示のある「風待ち館」に立ち寄る。

20065_038単に商品だけではなく、土地土地の習俗や文化までも諸国間に伝播する役割をも果たした北前船。ちょうど天然の入江のある深浦にも文化をもたらしている。「風待ち館」では古くに伝わった伊万里焼や、特大サイズの仏壇などがその代表として紹介されていた。北前船ゆかりの地となるとのぞいてみようという嗜好性が私にはある。

漁港である深浦の町並みを過ぎ、再び荒涼とした海岸線にでる。そんな海に対峙しているのが五能線は驫木駅。小さな木造の駅舎に「驫木駅」という看板。馬三つなどという漢字は、駅名に使用されているものとしては最も画数が多いのではないだろうか。20065_050

ホーム1本のがらんとした駅舎。建物は辛うじて雨露をしのぐという程度で、時刻表、運賃表が掲げられている以外、何もない。元々はポスターなどを掲示していたと思われる板も旅人たちの落書きで一杯である。

20065_045こういう駅があるとなると不思議と下車したり、私のようにクルマで移動していても立ち寄ってみるというのが人間の面白いところ。今は私のほかには誰もいないが、夕暮れ時に、ホームの古びたベンチに腰掛けて、西の方日本海に沈む夕日を眺めるのも贅沢な時間だろうなと想像する。それが男と女の二人連れならなおさらだ。実際にそうしたのだろう、そんな二人の想い出を書いた落書きもある。今頃どうしているのかな・・・。

20065_055 浸食により独特の形勝をなす千畳敷にも立ち寄る。五能線の車窓としても広がるスポットであるので知名度も高いところ。大陸から流れ着いたペットボトルなど見つけて写真を撮る。日本海の海辺に行くと、必ず大陸から流れ着いたこの手のものがないかを探す習性がある。たいていはペットボトルか空き缶というものだが。改めて、この向こうには大陸があることを意識する。このあたりの人にとっては存外普通のことなのだろうが。20065_056

長かった五能線沿線のドライブ。深浦町から鯵ヶ沢町に入る。昨日借りたレンタカー、この鯵ヶ沢で返却となる。駅レンタカーの取扱駅の関係からこの鯵ヶ沢がゴール地点。

20065_060 五能線の次の列車まで時間があるので、海の駅「わんど」の中にある「鯵ヶ沢相撲館」に行く。鯵ヶ沢は昔から相撲の盛んなところで、郷土のスターといえばご存知舞の海(元小結)である。この舞の海を中心として相撲に関する紹介をしたのがこの相撲館。館内にはミニチュアながら土俵もこしらえられている。

この鯵ヶ沢もそうだが、先ほど通ってきた深浦町などは、現役関取を見ても安美錦、安壮富士の兄弟、海鵬、将司と「一つの市町村」で見れば最多の人数を誇る。また外国人力士が目立つ昨今の大相撲であるが、日本人の出身地別で見ると、関取に名を連ねているのは青森県勢が最多である。それだけ相撲の盛んな土地ということだろう。20065_341

20065_063より熱心なファンの方ならいろんな見方をされると思うが、個人的には青森県出身の力士は「粘りが身上」という気がする。古くに初代(2代目も)若乃花、そして先代の貴ノ花、隆の里、旭富士という横綱・大関もそうだが、貴ノ浪もフトコロの深さで土俵際粘るし、先ほど出た安美錦や海鵬はワザ師、そしてその元祖の舞の海、あ、高見盛も津軽出身だな・・・。プロ野球選手にも「人国記」があるように、力士にも出身地による性格や相撲の違いがあるような気がする。

ビデオでは舞の海対小錦、曙などの取り組みが流されている。今にして思えばよくあんな体格のハンデ差の中を戦ったものだ。体格だけでいえば舞の海って、オレよりもやせているぞ・・・!?

20065_069しばし鯵ヶ沢の町を歩いた後、次の五能線に乗る。そう、この列車は「リゾートしらかみ」5号。先ほど「リゾートしらかみが軒並み満席だったので」クルマで移動したということを書いたが、さすがに最終便の5号、それも海の眺めが終わった便ともなるとようやく何とか指定席を確保することができた。やってきたのは3月のダイヤ改正で登場したばかりの「くまげら」編成。最後尾のハイデッキの展望ラウンジから流れ行く景色を眺める。

五所川原着。この列車は弘前まで行くが、今日はこの五所川原で泊まる。弘前まで行ってもホテルが軒並み満室なもので・・・・(続く)。

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交通博物館・最終日

2006年05月14日 | まち歩き

20065_002 今日5月14日限りで、神田・秋葉原の交通博物館が閉館となる。1921年に鉄道博物館として開館し、1936年に現在の場所に移り、日本の鉄道をはじめとした交通に関するさまざまな史料を展示し、多くの見学客を集めた博物館である。このたび建物の老朽化にともない一度閉館することになり、2007年秋、大宮近辺に新たな鉄道博物館としてリニューアルすることになっている。

人間「これが最後」「今日で最後」というのを耳にするとどこか落ち着かなくなるもので、惜別の念というのか、そういうのがあらわになる。特に「鉄道もの」となると鉄道ファンだけでなく、一般の人も「名残惜しいなあ」という気持ちが強くなる。ローカル線の廃止とか、ダイヤ改正で消える列車などには大勢のギャラリーがホームや沿線につめかけるものである。

20065_003 さて最終日の昼頃、秋葉原に出向く。アキバ系の雑踏の向こう側、万世橋にも人ごみができている。交通博物館の外観の写真を撮ろうという人たち。また正面には新幹線0系とD51の頭部が切り取られて展示されているのだが、「さようなら交通博物館」のヘッドマークをつけたそれらの車両の前はかわるがわる記念撮影する人たちでいっぱい。子どもたちや鉄道ファンの歓声と、混雑を整理しようとする係員の掛け声が飛び交う。

20065_015 人ごみをくぐって入館。1階の鉄道関係の展示室へ・・・・というところだが、やはりというかこのフロアが最も混雑しており、なかなか前に進むこともできない。鉄道模型のジオラマにはお父さんに肩車された子どもが大勢群がっているし、ちょうど出口のところにある記念品売り場は鉄道グッズや交通博物館の記念品などを買い求める人で身動きが取れない。私は鉄道グッズを買い求めるという嗜好が強いわけではないが、来館記念ということで、一番安い公式パンフレット(400円)を買い求める。20065_011

20065_014 この博物館はいろんなものに触れたり、操作したりして交通のメカニズムを学べる仕組みになっているのだが、トレインシミュレーターをはじめてした各種体験装置は長蛇の列。京浜東北線のシミュレーターだったか、「60~90分待ち」という立て札も。どこを回っても人・人・人とカメラ・カメラ・写真だから、解説をゆっくり読んで回ろうなどということはできない。

20065_043 とまあ、子どもと鉄道ファンに人気の1階コーナーであるが、2階の自動車・船舶、3階の航空機のコーナーになると多少は落ち着いて見られる。鉄道ほどには人気がないということか。ただその中で私自身うなったのが「交通」ということで、「自転車」とか「人力車」とか、はては「道中駕籠」「蓮台」なんてのが出てきたところ。ははは、これらも「交通手段」やね。20065_039

屋上から旧万世橋駅を見下ろした後、退館とする。午後になっても詰め掛ける客の姿が途絶えることなく、相変わらず大勢のギャラリーによる記念撮影。テレビの取材カメラも来ていた。20065_048

「近代化遺産」という言葉がある。主に明治・大正・昭和の時代にかけての産業の近代化に大いに活躍した建物や施設を「遺産」として動態保存したり、あるいは朽ちるに任せたりとしているという形で残されたもの。私も旅の中でよく「近代化遺産」のスポット見学を組み込むことがある。

20065_041 中でも「鉄道」というのは近代化遺産の大いなるものである。今回は老朽化のため万世橋からは撤退するが、旧万世橋駅を含むこの建物自身も近代化遺産である。いずれは取り壊すのだろうが、表看板の0系やD51など、何らかの鉄道モノは残してほしいものである。別に、今秋葉原が再開発をやっているからといって、交通博物館の跡地までどうするということはないでしょう?

とはいうものの、新しい博物館も行ってみたいものである。ただ「鉄道」だけでなく、これまでのような「交通全般」に関する理解や知識を深められるような、そういうスポットであってほしい・・・・。20065_036

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五能線沿線の旅~北東北紀行・4

2006年05月13日 | 旅行記B・東北

十二湖の駅前から白神山地の入口にあたる十二湖へ進む。「十二」とはいうものの実際の湖や池というのはもっとあるそうだ。GWということでクルマの列も多く続く。

そういえば、湖と池の違いというのはどういうものだろうか。広さ?深さ?

王地東湖、中の池、落口の池などいくつかの湖や池を見ながら、挑戦館に着く。ここから歩くこと5分ほどで、あの青池に出会う。十二湖一の有名スポットである。

20065_309 JRのポスターの写真が作り物でないことは、言わずもがな。訪れる人たちも一様に関心するばかり。

それにしても、この池の青さはどこから出てくるのだろうか。よく、空の青さや周りの山の緑が川や池に映えるということはあるが、この透き通った青さというのはつくりものではないかとも思わせる。水の底からなにか特別なものが湧き出ているのだろうか。理屈ではわからないものである。

20065_317 青池を後に、しばらくブナの原生林を歩く。世界遺産である白神山地はもっと奥深いものであるが、こうして気軽に自然の一端に触れることができるのは喜ばしい。沸壺の池などをしばらく歩き、十二湖の散策とする。20065_020

十二湖をはじめとした白神山地の風情を味わい、山道を再び海岸まで戻る。少し北に進んで、岩崎地区の森山海岸に着く。ここでも立ち寄り。この森山海岸には「ガンガラ岩」という奇勝があり、入江越しに白神山地をも見ることができるスポットであるが、私の目的はこの岩ではなく、海岸から少し丘をのぼったところにある「賽の河原」。

20065_319 「賽の河原」といっても、海を見下ろす「賽の河原」。今日は天候もよく、穏やかな日本海を優しく見守っているのだが、冬場なら実に荒涼とした風景であろう。

五能線沿線を訪れるにあたって、ぜひ行きたいと探していたスポットがここである。

TBSのドラマで放映された「砂の器」。あのドラマはストーリーの展開もさることながら、日本各地の美しい原風景(例えその場所がドラマの舞台とは異なる場所であったとしても)にこだわってつくられたものであるが、岸壁に小さな祠のあるこの荒涼としたシーンというのが印象に残っていた。そのロケ地がどこだったのかが気になっていたのだが、あるサイトでこの森山海岸の「賽の河原」だったことを知り、ならば来てみようと思っていたのだ。20065_323

20065_318 今はこうして穏やかな天候であるが、夕暮れ時とか、あるいは冬の寒風が吹く中では「身投げ」という言葉が連想される。「砂の器」でも、この海岸から「あさみ」が飛び込もうとするシーンがある・・・。

なおこの「賽の河原」からも、五能線を眺めることができる。

さて、しばらく歩いたり運転したりが続いたので、一息入れることにしよう。目指すは「不老ふ死温泉」・・・(続く)。

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男鹿線・五能線へ~北東北紀行・3

2006年05月11日 | 旅行記B・東北

北国の朝は早く感じられる。朝5時半に秋田のホテルをチェックアウトする。昨日から借りているレンタカーを転がす。向かうのは昨日に引き続き、男鹿である。できれば男鹿に6時半までには着きたい。

20065_004 なぜこのようなことをするのか。確かに昨日はレンタカーで男鹿半島を回ったが、JR全線の乗りつぶしも目指す私とすれば、まだ乗ったことのない男鹿線を無視することはできない。ならば男鹿線に乗ってから観光すればよさそうなものだが、昨日の旅行記にも書いたように、回りたいスポットと列車・バスの便の兼ね合いでレンタカーにしたといういきさつもある。また今日は五能線に乗る「はず」だったのだが、本数の少ない五能線において移動の柱として期待していた「リゾートしらかみ」の指定席がことごとくアウト。ならばこちらも「そんな人気路線には乗ってやるもんか」という気持ちになり、今日もレンタカーで五能線沿いに走ることにしたのだ。そんなことがあり、早朝に男鹿に行って五能線で追分まで往復し、男鹿から八郎潟を突き抜けて五能線沿線に向かうというのが今日のコースである。

早朝のこととてクルマもほとんど走っておらず、快調に走って男鹿着。目指す6時半の列車には余裕で間に合った。

20065_005 昔は広かったであろう構内も今は草むらの中にポツンとホームが立つ終着駅。しかし、キハ40形を中心とした気動車が何と7両という長大編成でアイドリングの最中。昔ながらのボックス席あり、ロングシートに改装されたものあり、それにしても7両とは長いが、それでも発車間際になると高校生たちが乗ってくる。休日でさえこうなのだから、平日などは7両の気動車も立ち客がでるくらいの需要があるのだろう。観光路線というよりは地元の足としての役割が強そうな線である。

昨日走った国道よりも内陸部を走る。五能線に乗っている限りでは日本海を見ることはない。奥羽本線との接続駅・追分に着く。秋田近郊ということもあってか、何と自動改札機まで入っているではないか。ここで折り返し、男鹿に向かう列車の客となる。今度は男鹿に通う高校生たちと車両を共にする。これで男鹿に戻り、男鹿線の乗車とする。

20065_013 さて男鹿から能代方面へは、八郎潟を横切って走る。そろそろ水田に水を引き入れたり、トラクターで土を起こしたりする時期。周りには広々とした水田地帯が広がり、かつての偉業をしのばせる。ビシッと一直線に伸びた道を走ると、本州にいることを忘れさせてくれそうだ。そんな水田にトラクターで「出勤」する光景にも出会う。

途中、「菜の花ロード」という道に出会う。写真の通り、桜と菜の花の競演。イメージとしては菜の花のほうが先で桜が真打のように思うが、北国の春とはこういうものだろう。いろんな花が一時に開く。いずれの花も快晴の空によく映え、眩く感じられる。久しぶりにこのような「春」らしい景色を見る。20065_012

八郎潟から能代の町を過ぎ、右手に単線の線路が寄り添うようになる。五能線だ。これまでに乗ったことのある線路であるが、こうしてクルマの立場からローカル線を見るというのもなかなか味わいがある。

どこかで列車に出会うことがないかと、クルマを停めて時刻表を確認する。すると、もう少し先のあきた白神駅あたりで、「リゾートしらかみ」1号に出会うのではということがわかる。そう、早くに指定席を申し込んでも取れなかったという列車である。ならばそれを見ようと国道を走るうち、ちょうどあきた白神駅~岩館駅間で、海べりの鉄橋を見下ろすポイントに出会う。クルマを停め、三脚を立てている人がいたから撮影ポイントとして間違いなかろう。指定席は取れなかったが、列車の写真は撮ることにしよう。

20065_017 そして待つことしばし。ブルーの車体の気動車が鉄橋にさしかかる。五能線といえば日本海、その日本海に躍りだす一瞬である。

観光列車ということでスピードも遅く、その分国道でも並走することができる。もはやローカル線というより、通勤電車に近い混雑が出るほどの人気路線である五能線。乗っているほうはしんどいかもしれないが、こうして外から列車を眺めるといかにも旅情を醸し出しているようで気持ちがよい。抜きつ抜かれつを繰り返し、沿線の目的地である十二湖を目指す。いよいよ世界遺産、白神山地の入口にさしかかる・・・(続く)。20065_018

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