まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

岡山のスーパー銭湯、そして最後は「ミシュラン居酒屋」へ

2024年03月29日 | 旅行記F・中国

3月24日、倉敷から総社を経て岡山に着く。雨が降り続いており、この分だと午後からの「国鉄水島計画」イベント、倉敷貨物ターミナルでのキハと機関車の撮影会も雨模様だろう。午前中、雨が降る前に少しでも撮影できたのがラッキーだった(イベント時間の後半は休憩用の気動車で過ごす形になったが・・)。

岡山で少し時間がある。令和の大改修を終えた岡山城、日本三名園の一つ・後楽園に行くのもいいかと思ったが、絶対に行かなければならないとまでは思わない。別に城が嫌いなわけではないが、世にいう城マニアもない。

ふと思いついたのが、どこか温泉、スーパー銭湯にでも行こうかというもの。スマホで検索すると、「後楽温泉 ほのかの湯」というのが見つかった。岡山駅からだと日赤病院方面行きのバスで20分ほどとある。途中、岡山電気軌道の線路と並走するが、そこですれ違ったのが「おかでんチャギントン電車」。この電車には乗ったことがないのだが、単に路面電車がチャギントンをあしらった車両で走っているわけではなく、これじたいがイベント列車である。鉄道ファンならこの列車に乗るという選択肢もあったのだが・・。

岡電の終点・清輝橋を過ぎ、岡南小学校前バス停で下車。道を一本入ったところにある「ほのかの湯」に到着。駐車場も結構埋まっており、地元の人たちには人気のスポットのようだ。

ここは人工温泉だが、ホームページによると道後、下呂、越後湯沢温泉と同質で、やわらかく刺激が少なくやさしいとある。内湯よりも露天風呂エリアのほうが広く、風穴風呂やごろ寝湯、壺湯などもある。ともかくさまざまな浴槽に浸かり、楽しめた。

ここで湯上がりのビールというのもよいが、そのままバスで岡山駅まで戻る。

そして向かったのが・・お待ちかね、岡山駅前の「ミシュラン居酒屋」、「鳥好」である。16時の開店に間に合うように戻ることができた。先ほどから倉敷、岡山の時間がどうのこうのと言っていたのは、16時に「鳥好」に入るのを基準として、それまでの時間をどう過ごすかというものである。

そして15時45分頃「鳥好」に着いたのだが、すでに並んでいる人がいる。そして私がその後ろにつくと、それに続く人もいる。どれほど人気なのか。

16時になり、表の提灯に灯りが入り、のれんが出る。さて店に入るが、予約の有無を訊かれる。前にいた人たちは予約のようで、おしぼりと皿が置かれたカウンター席に通された。その後の私はといえば、店の人がいったん確認した結果、相席の大テーブルに案内された。別にカウンターでも大テーブルの相席でもよいが、この日は座敷はもちろん、カウンター、大テーブルの多くに予約を示すおしぼりと皿が置かれていた。これ、タイミングが悪かったら「予約のお客様で満席で・・」と断られたかもしれない(事実、以前に1回入店を断られたことがある)。「鳥好」には常連とはいわないまでも過去何度も来ているが、年々、来店のハードルが上がっているように感じる。そこで今回、16時の開店と同時に入ったのだが、座れてよかった。

まずは岡山工場からのキリン一番搾り。そりゃあ、大ジョッキでしょう。

まず出てくるのは岡山の居酒屋メニューの定番といえるとり酢、しゃこ酢。

刺身の盛り合わせは必ずサワラが1切れついてくる。

鶏のもつ煮に焼き鳥。大衆酒場らしく様々な料理があるのだが、ここに来るとだいたいこうしたところを定番で注文している。何でだろうな。

そうこうするうち、店内には次々と客が入って来る。予約の客も多いが、フリで入って来た1人、2人客は何とか大テーブルの相席で収まっている。夕方、さあこれから飲もうかと多くの人が思う時間帯、予約なしだと3人以上は厳しいかもしれない。その一方で、予約の印を置いていたカウンターの客が30分くらいでさっと席を立つところもある。先に並んでいた客も早々にいなくなっていた。予約用なのか、常連さん用の指定席なのか。

さて店内のテレビで大相撲中継をやっていればよかったのだが(テレビのチャンネルは店の人の気まぐれのようだ)、スマホで春場所の結果を見ると、新入幕の尊富士が前日の取組で右足を傷めたが千秋楽も出場、本割で豪ノ山を破って見事110年ぶりの新入幕優勝を果たしたと出た。例年、「荒れる春場所」と言われるが、今年はいつもにも増して荒れていた。優勝争いが新入幕の尊富士と、入幕間もない大の里に絞られ、どちらが優勝してもまだ大銀杏が結えない力士。そこに、14日目の尊富士の負傷、千秋楽は休場だろう、いや将来を考えれば球場すべきという声もある中での出場。もし尊富士が休場して、大の里が勝てば優勝決定戦になるが、不戦勝で大の里が勝って逆転優勝、石川県出身ということで被災地にも勇気を与える・・という、どちらに転んでもドラマチックな展開だった。

・・・こういうドラマを生で観ることができたのなら、千秋楽のチケットを手放すべきではなかったかな・・と、岡山の居酒屋で複雑な思いである。

締めは「のりくらっち」。注文する時は、9回のマウンドに絶対的な抑え投手を送り込むような気分である。もっとも、この一品を味わう時はさまざまな組み合わせでいろいろ楽しむので、すっきり三者三振とはいかないが・・。

店を出て、17時50分発「こだま859号」に間に合ったので予定を繰り上げて乗車する。

今回は水島臨海鉄道に焦点を当てて倉敷、岡山まで出向いたが、この近辺で大きな動きといえば、4月6日に新型「やくも」がデビューする。と同時に旧国鉄型の381系が順次置き換わる。次の目標としては、381系、特に旧国鉄特急型車両に乗ることかな。また岡山を楽しもう・・・。

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倉敷から桃太郎線経由で岡山へ~「Urara」にも初乗車

2024年03月28日 | 旅行記F・中国

「国鉄水島計画」のイベントとして水島臨海鉄道のキハ、機関車の撮影会を終え、倉敷市まで戻る。撮影会は午後の部もあるが、天気はこの後も雨が続く模様だ。

この後は特に何時の列車に乗らなければならないというわけではなく、倉敷で昼食としよう。訪ねたのは、駅の南のアーケード街に入ったところにある「ぶっかけうどん ふるいち」。倉敷を代表するうどん店で、岡山駅の新幹線ホームにもスタンドがあるが、ここに入るのは初めてである(一度、水島店に入ったことがあるかな)。

普通の出汁のうどんもあるが、ここは温ぶっかけ、そしてさまざまな具材がのったスペシャルをいただく。味は、・・・甘い、甘すぎる。まあ、これは好みの問題で店が悪いわけではない。次に来た時は出汁のうどんをいただくとするか。

この後、倉敷駅の自由通路を抜けて反対側の北口に出る。かつて、デンマークをイメージしたテーマパーク「倉敷チボリ公園」の跡地にはArio、三井アウトレットパークがあり、この日も多くの人で賑わっていた。倉敷駅からすぐのところで、ここだけで半日は過ごせそうだ。

さて、夕方に岡山に着くとしてそれまでどうするか。思いついたのは、伯備線で総社に向かい、桃太郎線(吉備線)で岡山に遠回りするルート。12時37分発の総社行きに乗ることにする。

伯備線のホームにやって来たのは227系。広島地区では先行して走っているが、岡山・備後地区に導入されたのは2023年から。順次、従来の国鉄型115系との置き換えが進められているとあったが、ここで初めて出会うことになった。まあ、内装は基本的に広島の227系と同じだが、外のピンクの帯が独特である。広島の赤はやはりカープをイメージさせる一方、岡山・備後地区のピンクは岡山の桃、福山のバラ、尾道の桜をイメージさせたという。

線区によって外装、内装に若干の差はあるだろうが、このところ導入されている車両は大体このような面構えである。中国地方にはまだまだ国鉄型車両も残っているが、いずれはこうした形式に置き換えられるか、それとも廃線となってしまうのか・・。

総社に到着。たまたま、向かいの井原鉄道ホームには「アート列車」が停車中。

改札を出ず、13時00分発の桃太郎線岡山行きに乗る。キハ47の2両編成だが、後ろの車両はオールロングシート、前の1両はボックス席主体のセミクロスシート。沿線の利用客もそれなりにいるので、多くの客を捌けるロングシート車が入っている。

外は相変わらずの雨で、車窓は望むべくない。総社を発車した時はガラガラだったが、その後、駅ごとに客が一定数乗って来て、立ち客も出る。岡山から各方面に向かう路線の一つ、地元の足として機能している。その中で桃太郎線は利便性向上のためLRT化が検討されていたが、諸事情により計画は中断されている。もっとも、桃太郎線をLRT化するなら、岡山駅では反対側に位置する岡電とつながることが必須といえるが、さすがに岡山駅をまたぐのは難しい。LRTのお手本といえる富山の場合は、北陸新幹線開業もあって富山駅全体が高架化されたから地上レベルで南北の路面がつながった。また、現在再開発工事中の広島駅は、広電を2階まで持って来る予定。ただ、岡山駅全部を高架化する、あるいはLRTで駅を跨ぐ・・のは現実的ではなさそうだ。

岡山に到着。先ほど、倉敷からICカードで入場し、総社では改札を出ずに桃太郎線に乗り、そのまま岡山でICカードで出場した。運賃は倉敷~岡山を山陽線で利用したとして計算されたが、大阪や東京のように「都市近郊区間」で、区間委はどのようなルートをたどっても最短ルートで計算する(だから、いわゆる「大回り乗車」を楽しむ人が多い)のではなく、厳密には異なる。まあそこは、JRとしても許容範囲なのかな。とにかく、乗っていただければお客様というところ・・?

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「国鉄水島計画」~水島臨海鉄道 キハと機関車の撮影会

2024年03月27日 | 旅行記F・中国

3月24日、「国鉄水島計画」のイベントの一環で行われた水島臨海鉄道の撮影会。かつて国鉄~JRで走っていた気動車、水島臨海鉄道の貨物輸送で活躍する機関車、そして現在旅客輸送の主力である各種粗糖の気動車が一堂に会するとあり、特に国鉄型気動車「キハ」を近くで見ようということで参加した。

倉敷市からのキハ38+キハ37が倉敷貨物ターミナル横の水島臨海鉄道の車両区に到着し、昇降台を使って線路に降り立つ。そのまま誘導されてまずはヘルメットを着用し、係の人から撮影会の案内を受ける。

準備ができ、撮影会開始。一応、スポーツ観戦時に使用する大きいほうのデジカメを使うのだが、一眼レフではなくただのデジカメである。まあ、画像はそれなり。

まずはキハが並ぶゾーンに向かう。やはり目を引くのは、手前にあるキハ205。引退したものの、クラウドファンディングで「復活」した車両である。車内を見ることはできないがエンジンは回っており、イベントでやって来た人たちを歓迎しているかのようである。

その隣にはキハ30。相模線~久留里線を経て水島臨海鉄道に来た車両で、旧国鉄色にお色直しされている。

そして、先ほど乗って来たキハ37の首都圏色、そして同じくキハ37の水島臨海鉄道色と並ぶ。三菱自工前駅側から見ると、ちょうど4編成が斜めに並ぶ構図となる。いただいた案内図によると、午前、午後で車両の位置が少し違うのだが、それぞれ順光になるように配置したのだなとわかる。もっともこの日は曇り、そしてやがて雨が降って来たから関係者のせっかくの企画がもったいなかったが・・。

いろいろなアングルからの撮影を楽しむ。

一方の機関車ゾーンでは、昭和のDD50、そして新型のDD200が並ぶ。機関車を間近に見るのも珍しい体験である。

一番端には傷みが目立つキハ30が停まっている。こちらには「久留里線」の方向幕がそのまま残されている。先ほどのキハ30と一緒に水島臨海鉄道に移籍した車両だが、当初から部品取り用としての導入だったそうだ。

その後も構内をいろいろ見て回る。

ここまでは何とか本格的な雨にならず耐えてきたが、そのうち雨が落ちて来た。撮り鉄ではない私としてはここまで撮り過ぎるくらい撮っているし、もう十分かなと休憩用に開放されていた気動車に入る。ボックスシートに腰を下ろしてひとまず休むことに。

ヘルメット姿の参加者が次々に気動車にやって来て、工事現場の詰所のような雰囲気になった。それでも外を見ると、傘を差して、またカメラをカバーで覆って撮影を続ける人がそれなりにいる。よほど撮れ高があるのだろう。

雨はそのまま降り続き、個人的に撮れ高が十分な私はそのまま車内で過ごした。一応、窓からはこうしたアングルの1枚を撮ることができた。

やがて帰りの時間となり、今度は新型気動車2両編成で倉敷市に戻る。係の人が「雨の中ご参加ありがとうございました」と一人一人にお礼を言って回る。

列車は水島まで回送扱いで、三菱自工前は通過。水島に到着すると地元の人たちが乗って来る。この後、駅ごとに乗客が増え、立ち客も出る。途中の西富井では、岡山方面から乗り入れる貨物列車ともすれ違った。

雨になったのは残念だったが、様々な車両を間近にし、また乗ることができて面白い午前の一時となった。

さてこの後だが、せっかくなのでもう少し楽しみ、最後は岡山駅前のあの居酒屋に行く予定である・・・。

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「国鉄水島計画」~キハに揺られて倉敷貨物ターミナルへ

2024年03月26日 | 旅行記F・中国

「国鉄水島計画」というのを見つける。2024年、専用鉄道としての開業から80周年を迎える水島臨海鉄道。「国鉄」とあるのは、かつての国鉄型気動車が在籍していることからである。

3月のはじめ、倉敷で行われたオープン戦の観戦に出かけた時、試合までの時間に久しぶりに水島臨海鉄道に乗ったのだが、その時に倉敷市駅や、同社のホームページでこの言葉を目にした。

「国鉄水島計画」とは、水島臨海鉄道が保有している「キハ205」を「復活」させたプロジェクトである。このキハ205とはかつての国鉄型気動車キハ20で、水島臨海鉄道に譲渡された車両である。老朽化もあり2017年に引退しして車庫で眠っていたが、この形式で動かすことが可能な車両が全国に2両しかないことから、鉄道ファンを中心に「復活」を望む声が高まった。

そこで活用したのがクラウドファンディング。目標金額を1300万円としたが、早々に目標を大きく上回る金額が集まり、エンジンのメンテナンスや旧国鉄型への塗装だけでなく、シートの張替えや車両を雨風から守る屋根の設置まで可能となった。書類の上では廃車扱いになったとかで一般の旅客列車としての運用はできないが、基地でのイベント等で動かせることはできるという。

水島臨海鉄道ではキハ20のほか、久留里線、八高線などを走っていたキハ30、キハ37、キハ38といった旧国鉄通勤型気動車を保有しており、こちらは平日の朝夕を中心に今も現役で走っている。貨物列車だけでなく、こうした「キハ」が走ることで、水島臨海鉄道は地元以外にもいわゆるその筋の人たちに密かな人気となっている。

オープン戦後に水島臨海鉄道の乗車記を書こうとして同社のホームページで目にしたのは、3月24日開催の「国鉄水島計画 春の写真撮影会」。終点・三菱自工前駅の奥、倉敷貨物ターミナルに隣接する同社の車両基地で行われるとある。私は撮り鉄ではないのだが、キハ205をはじめとした旧国鉄型気動車を間近に見るのに加え、行き帰りのいずれかでキハの車両が充当された列車に乗ることができるとある。また、三菱自工前から先の線路に乗れるというのも面白そうだ。午後の部は早々に満員になったようだが午前の部に空きがあり、申し込む。料金は1日乗車券や記念乗車証などがついて5000円。

3月24日、この日は大相撲春場所の千秋楽。優勝争いが史上最高の「荒れる春場所」となっており、その結果も気になる(実は当初、「チケット大相撲」にて千秋楽のイス席のチケットを確保しており、日帰りで大阪まで往復しようと思っていたのだが・・)。広島6時49分発「こだま836号」にて岡山に移動。

この日は雨の予報である。実はこの数日前の3月20日、由宇で行われるウエスタンリーグ、カープ対バファローズの試合を観ようと由宇からバスで球場まで行ったのはいいが、この日は天気の変化が激しいこともあり、バファローズの選手たちの練習中に霰まで降る始末。結局中止になりバスで引き返すことに。彼岸の時季、なかなか天気が安定しない。

岡山から山陽線で倉敷に移動し、水島臨海鉄道の倉敷市駅に到着。すでに「国鉄水島計画」と書かれた参加証兼1日乗車券をぶら下げる人の姿が目立つ。窓口で受付すると、その参加証のほかに本日の案内、そしてトレインカードが渡される。

これから乗るのはキハ38+キハ37の2両編成で、9時01分発の三菱自工前行きの定期列車として運転される。撮影会参加者の貸切列車ではなく一般の利用客も乗車するが、全体で見れば参加者が圧倒的に多い。車掌の案内でも「本日に限り2両で運転します」とあったから、普段は1両、ワンマン運転で十分なのだろう。

ホームの先端でカメラを構える人も多い中、折り返し列車となる首都圏色のキハ27、八高線色のキハ38の2両のキハが到着。より古い形式のキハ37に乗り込む。オールロングシートで、車站部のトイレの前だけボックス席という構造だが、トイレは「業務用」の文字があるだけで閉鎖されている。

この車両がそれだったかどうかは覚えていないが、おそらく初めて久留里線に乗った時の車両はキハ37ではなかったかと思う。

気動車らしいエンジン音を響かせ、高架区間や住宅地の一帯を走り抜ける。

水島に到着。日曜日ということもあり工場に通勤する人もおらず、一般の人はここですべて下車。次の三菱自工前までの間で、参加証兼1日乗車券にて撮影会参加の確認が行われた。

定期列車としての終点・三菱自工前を出る。この先は初めて乗る区間で、今回のイベントならではの体験となる。線路が分岐し、倉敷貨物ターミナルに向かう線が分かれる。そしてこちらは気動車、機関車の姿が見える。最後はゆっくりと、他のキハの間の線路に入り停車。

前のキハ38の扉に昇降台が置かれ、参加者はそこで下車する。撮影会の時間はおよそ1時間20分・・・。

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神仏霊場巡拝の道~最後は「くろしお」でロングラン

2024年03月25日 | 神仏霊場巡拝の道

3月10日、熊野三山詣でからの帰りは紀伊勝浦15時21分発「くろしお30号」である。終点新大阪着は19時21分ということで、ちょうど4時間の乗車となる。4時間の乗車といえば、ちょうど東京から広島までの「のぞみ」の所要時間と同じくらい。新幹線と在来線特急で単純比較はできないが、紀伊半島をぐるりと回って大阪に至る道のりはやはり遠いということだ。

今は国道バイパスができたり、和歌山3区のあの方のご威光で高速道路も少しずつ延伸してはいるが、遠いのは遠い。

列車の発車前に、駅近くのコンビニまで行って車内での飲食物を購入する。その一方で、駅前の土産物店でマグロやクジラの加工品を購入する。クジラといえば大和煮の缶詰が有名だが、この辺りならではの一品が「鯨ハム」。鯨ベーコンとは違うし、一般的な豚肉のハムとも異なる。鯨肉の切り落としを熟成させたもの。車内でのおつまみにと思ったが結局そのまま自宅まで持ち帰り、まだお楽しみに取っている。

ホームにはそこそこの乗客がいたが、車内に入ると半分も埋まらない状況。春休みの少し前の時季ということもあるだろう。車両の一番後ろの席を確保し、シートの背も高いので、自分だけの空間で落ち着ける。後ろの壁にあるコンセントに接続してスマホの充電も可能だ。

まずは紀の松島から太地にかけての海岸。かつて補陀落渡海として舟を漕ぎ出した地である。源平の戦いに敗れた平維盛が入水したところでもある。

捕鯨の町、太地に到着。今回は鯨やイルカの刺身はいただけなかったな・・。あと、勝浦でマグロの刺身も・・。

続いては、太地から古座にかけての玉ノ浦。深い入江になっており、養殖いかだが浮かぶ天然の港であるとともに夏には海水浴場としても賑わう。

その一方で外海の景色も広がる。くろしお、熊野灘。旅の最後の車窓を十分に楽しませてくれる。

串本の手前では建物越しではあるが、橋杭岩の一部も目にすることができた。

本州最南端の駅・串本に到着。橋杭岩や潮岬に行くことはなくそのまま乗り通すのが残念。ただ、ここでふと思い出したのが、「神仏霊場巡拝の道、次の行き先を決めていなかった」ということ。このところ、JR西日本の「駅からはじまる西国三十三所デジタルスタンプラリー」の期間内での「満願」を優先して、くじ引き&あみだくじではなく、神仏霊場巡拝の道もそれに近いところを決めていた。ただ、それが終わった以上、次はどこに行くかを決めなければ。

急遽、停車中に慌ててくじ引きで候補を選定する。

・城南宮(京都3番)

・毘沙門堂(京都47番)

・阿倍野神社(大阪3番)

・醍醐寺(京都46番)

・松尾大社(京都7番)

・青蓮院(京都35番)

・・・今度は揺り戻しのように京都の各寺社が並んだ。その中であみだくじで出たのは、城南宮。京都市南部の札所である。ここなら、候補にも出ていた醍醐寺もセットで訪ねることになりそうだ。次にいつ行くかは未定だが・・。

ここで線路の向きが変わることで、海側がまぶしく感じるようになる。周参見にかけtの枯木灘沿岸である。

16時50分、白浜に到着。ここで6分停車。さすがに白浜からは温泉、レジャー帰りの人たちがそれなりに乗り込んでくる。

紀伊田辺に到着。前日はここから熊野古道の中辺路ルートをたどったが、海沿いの大辺路ルートで合流点に戻って来た。今回の旅、ある意味ここまでが「往路」で、紀伊田辺から「復路」とも言える。ちょうどこの辺りが乗車区間の半分くらいである。

南部から印南にかけての区間で、そろそろ日が西に沈む・・・。

和歌山に到着。紀ノ川を渡ったところまでは覚えているが、その後は天王寺着までウトウトと・・。

19時21分、終点新大阪に到着。4時間、お疲れさまでした。

混雑する新幹線コンコースに出る。日曜日の夕方ということで多くの客でごった返していたが、有人改札にも多くの列ができていて、ちょっと様子がおかしい。この後は新大阪19時50分発の「のぞみ187号」の指定席を予約していたのだが、東海道・山陽新幹線はダイヤが乱れているようだ。急遽車両の点検を行ったとか、架線に飛来物が付着したとか、複数の要因が重なったようだ。

東京からの「のぞみ187号」も遅れているようで、急遽、19時54分発「みずほ615号」の自由席に乗る。翌日からまた仕事なので少しでも早く帰宅するためにはやむを得ない。

さて、今回の熊野三山詣でで和歌山県の南半分をクリアすることができ、また札所も100ヶ所に近づいた。全体の3分の2近くを回ったことになるが、まだまだ交通の難所もあるし、もうしばらくは楽しむことになりそうだ・・・。

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和歌山2番「青岸渡寺」~神仏霊場巡拝の道・97(那智の滝を拝む)

2024年03月23日 | 神仏霊場巡拝の道

神仏霊場めぐりの熊野三山詣では熊野那智大社の参詣を終え、隣接する青岸渡寺に入る。隣接といっても、元々は那智の滝を中心とした自然信仰の場として開かれ、神仏習合の考えが広まった平安時代からは那智大社と一体化していたところである。青岸渡寺にも山門があり正しくはそちらから参詣するところだが、毎度こうして那智大社の通用門のようなところから境内に入る。まあ、元々一体化しているのならこうした通用門もなかったはずだが・・。

青岸渡寺の本堂は元々熊野権現における如意輪堂として、安土桃山時代、豊臣秀吉の手により再建されたものである。

明治時代の神仏分離、廃仏毀釈の際、熊野本宮大社、熊野速玉大社にある仏堂はすべて取り壊されたが、熊野那智大社の如意輪堂は、西国三十三所の1番札所であったこともあり、仏像は他に移されたものの、建物だけは残されたという。神仏分離が明けた後、青岸渡寺として復興した。如意輪堂は青岸渡寺の本堂となった。

本堂に上がり、お勤めとする。熊野三山の名所の一つということもあり、この寺はいつも参詣者で賑わっている。

青岸渡寺で思い出すのは、やはり西国三十三所を回り始めた当初の日帰りバスツアー。某旅行会社の企画だが、シリーズの初回ということでツアー料金は安く設定されているが、大阪から延々とバスに揺られ、昼食は車内での弁当、一応、那智の滝には立ち寄ったが那智大社・青岸渡寺の滞在時間もわずかでまたバスに揺られ・・・。

本堂の外陣でお勤めとして、朱印をいただく。西国三十三所の先達用納経軸の青岸渡寺の欄は、西国観音曼荼羅で八角形の札がすべて揃った特典の1巡分も含めてすべて埋まった。私の実家地元にある第5番・葛井寺に次ぐもので、ここまで来ると、この先達用納経軸もコンプリートしたいものだと改めて思う。

本堂の横には三重塔と那智の滝を望むスポットがある。このまま那智の滝まで歩き、滝前のバス停から紀伊勝浦駅に戻ることにする。

さて、帰宅してから記事を書くにあたり青岸渡寺に関する記事をネットで見ていると、神仏分離の際に取り壊された行者堂が、およそ150年ぶりとなる2023年10月に再建、落慶法要が行われたとある。行者堂? それがあるとはまったく気づかなかった。かつては現在の那智大社の境内にあったのが、青岸渡寺の境内に移す形で再建されたという。改めて調べると、本堂から三重塔方面への道の途中の左手にあるようだ。本堂から三重塔へは滝を気にしながら、また途中トイレに立ち寄るなどしており、案内板もあったのかもしれないが、何の気なしに通り過ぎたようだ。

三重塔方面に向かっているとウィーキングツアーらしき人たちとすれ違う。ガイドとともに、普段は立入禁止となっている那智原始林と、その中にある那智の滝の二ノ滝、三ノ滝をめぐるコースだという。

古道の石段を下りて那智の滝、那智大社の別宮にあたる飛瀧神社に向かう。熊野というか、南紀を代表するスポットといえる。滝壺までの落差133メートル、その流れの様は何度見ても新鮮である。熊野三山、熊野古道には昔の信仰文化が現在にも残されるとして世界遺産に認定されているが、那智の滝は、熊野古道の佇まいがどうとか、神社の建物がどうとかいうのを超えて、訪れる人たちを魅了する存在といえる。

それにしても、滝を見ると「この滝を斬れ!」というフレーズが頭によぎってしまう。

参入料を納め、滝を近くに見る舞台に向かう。途中、滝壺の水が流れる龍の口から湧き出る水をいただくことができる。盃とともに、ちょうど空いたペットボトルにも汲んでこの先の道中でありがたくいたたく。

少し近いところで滝を拝む。こうして眺めることができるのは那智の一ノ滝で、この奥に普段立入禁止の二ノ滝、三ノ滝をはじめとした「那智四十八滝」が広がる。四十八というのは必ずしも滝が48本あるということではなく「たくさんある」というくらいの意味だが、この奥には、かつての修験者たちの修行の場であり、花山法皇もここで修行して西国三十三所の再興につなげた歴史がある。

バス停に戻る。ちょうどバスを待つ国内外の旅行者が長い列をなし、やって来たバスは満員となった。

これで今回の目的地であった熊野三山めぐりは終了。この後は長躯、「くろしお」から「のぞみ」を乗り継いで広島までひた走ることに・・・。

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和歌山3番「熊野那智大社」~神仏霊場巡拝の道・96(JR西日本スタンプラリーを「満願」)

2024年03月22日 | 神仏霊場巡拝の道

オープン戦とはいえ、バファローズがタイガースに完勝。昨年の日本シリーズの嫌な敗れ方を払拭するもので、酒も美味い、飯も進む・・・。

‥・・話は、神仏霊場巡拝の道めぐりの熊野三山シリーズ。

紀勢線の特急「南紀1号」でハイブリッド気動車の乗り心地を少しだけ楽しみ、紀伊勝浦に到着。こちらの駅前も外国人旅行者の姿が目立つ。

忘れないうちに、紀伊勝浦駅にあるJR西日本「駅からはじめるデジタルスタンプラリー」の青岸渡寺のデジタルスタンプを獲得。これで、3月31日の期限まであとわずかのところで、このラリーを無事コンプリートすることができた(西国第33番・華厳寺のスタンプは最初からサービスでついていた)。

「満願」達成者には記念品のほか、「満願コース」のプレゼント応募の権利が発生する。早速そのままスマホを操作して応募したのだが、後日、JR西日本の事務局から電話がかかってきた。何でも、「満願コース」の応募には、札所を回った証として各札所で配付している散華を33枚出せという。さすがに、駅のQRコードだけで集められるデジタルスタンプよりハードルは高いようだが、こちらはすでに4巡目の最中である。散華はいくらでもあるのでそれらをまとめて撮影して、改めて応募した。まあ、高い倍率だから当選にはさほど期待せず、もれなくいただける記念品を楽しみにしよう。

駅舎の横には新たに観光案内所ができていた。以前は確か土産物屋や駅弁屋があったはず。このところの熊野三山詣ではレンタカーで回っていたこともあり、紀伊勝浦駅に降り立つのが久しぶりということもあるが、観光客で賑わう割に駅前の店舗は閑散とした印象である。駅弁屋ではさんま寿司やめはり寿司、「鮪素停育(マグロステーキ)弁当」というのもあったが、駅弁じたい廃業したのかな。

足湯があったのでちょっと入ったが・・・ぬるい。そもそも紀伊勝浦の源泉の温度が高いのか低いのか、そのあたりがよくわからない。

次に乗るのは紀伊勝浦駅12時25分発の熊野御坊南海バス。那智山まで往復するだけでお得とはならないが、1200円の「那智エリア世界遺産フリー乗車券」を購入する。なお、熊野御坊南海バスでは、那智山、新宮、熊野本宮(湯の峰温泉や川湯温泉を含む)のエリア全体が乗り放題となる「悠遊フリー乗車券」を発売している。1日乗車券3000円、2日乗車券3500円、3日乗車券4000円と、熊野三山めぐりの過ごし方により選択できる。窓口で前に並んでいた人が、「悠遊フリー乗車券」をどのように購入すべきかいろいろ相談していた。

紀伊勝浦駅を出発。大きなリュックを背負った外国人旅行客が途中のバス停からでも乗って来る。地元農産物の直売所や駅舎内の温泉がある那智駅を過ぎ、那智川沿いに走る。

2011年に発生した紀伊半島豪雨でもっとも死者・行方不明者が多かったのが那智勝浦町である。那智山に何度か来る中で、住宅の再建もある程度進み、砂防ダムが建設されたり、国道42号線バイパスも開通しているが、まだ流木や流石が積まれたままのところもある。2000年代以降、毎年のようにどこかしらで豪雨災害が発生しているが、なじみがあったり、旅で訪ねたことがあるエリアで発生した災害は特に気になる。

大門坂に到着。バスの乗客の半数がここで下車した。ここから那智大社までの大門坂も気軽に熊野古道の雰囲気に触れることができるとして人気のスポットである。那智大社・青岸渡寺を経て那智の滝までは約2.5キロというほどよい距離ということもある。

終点の那智山バス停に到着。ここからは467段の石段が続く。長い熊野古道、石畳の道の最後だけ取るような形で上がっていく。

熊野那智大社は熊野三山の中でも、山中の那智の滝が古来からの信仰の対象という歴史があり、社殿の創建は新しい。いや新しいといっても、那智の滝前から現在地に移ったのは仁徳天皇の頃とされているが・・。

鳥居を前にして、右手に行けば青岸渡寺、左手に行けば熊野那智大社。神仏習合の名残が今に残る。こちらから来ると道順というのか、鳥居をくぐった那智大社のほうに先に足が向かう。

もう一息石段を上がり、拝殿前に出る。熊野夫須美大神を主祭神として、御子速玉大神、家津御子大神、国常立尊、大己貴命などを祀る。

左手には八咫烏の文字が見える。やはり熊野である。

朱印をいただく。

境内の脇には樹齢850年とされる大樟が神木として祀られている。幹が空洞化していることもあり「胎内くぐり」のスポットとなっている。体が太いためちょっとこの手のものは敬遠・・。

那智大社・青岸渡寺、実質同じ境内にあるといえるのだが、一応この門で仕切られている。ということで、神仏霊場巡拝の道の記事もここでいったん区切りとして、青岸渡寺は次の札所として手を合わせる・・・。

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和歌山1番「熊野速玉大社」~神仏霊場巡拝の道・95(ハイブリッド気動車特急に揺られる)

2024年03月21日 | 神仏霊場巡拝の道

熊野三山めぐりは熊野本宮から速玉大社に入る。バス停から速玉大社の鳥居に向かう。

速玉大社は、神倉山の磐座であるゴトビキ岩に熊野速玉大神と熊野夫須美大神を祀ったのが始まりとされるが、後の景行天皇の時に現在地に移された。そのため、元々祀られていた神倉山は元宮、そして移された後の速玉大社は新宮と呼ばれるようになった。現在の新宮の地名の由来である。私は長い間、新宮というのは熊野「本宮」に対しての呼び方だと思っていたのだが・・。

後に、神仏習合が進むとこちらも上四社、中四社、下四社に、祭神と本地仏が祀られるようになった。

境内に入ると、江戸時代に熊野詣でを八度行ったことの記念として奉納された石碑や、樹齢千年以上とされる梛(ナギ)の木が出迎える。古くから、熊野牛王と梛の葉を授与されることで熊野詣でを無事果たす支えとなったという。「世界平和を祈る」とは、沖縄の本土復帰の記念として、また平和の象徴として沖縄県下の学校に植樹したことに由来するとある。

「未来へ繋ぐ 日本の祈り」の文字が並ぶ神門をくぐる境内に入る。熊野本宮と同じように社殿が並ぶが、朱塗りということもあり明るい雰囲気である。このことも、「本宮」に対する「新宮」なのかなと思わせるところである。

境内の一角に「熊野御幸」の記念碑がある。はじめは宇多上皇、そして西国三十三所ゆかりの花山法皇の各一度だったが、平安末期になると白河上皇の12度、鳥羽上皇23度、後白河上皇33度、後鳥羽上皇29度と一気にピークを迎える。都からの熊野詣では往復で1ヶ月ほどかかる道のりだが、厳しい道のりを歩んだその先に悟りが開け、極楽浄土にたどり着けるとされる。

この熊野詣で、上皇や法皇は「誰の」極楽浄土を願っていたか。天皇の役割というのは古くから国や人々の安泰と繁栄を祈る、祭祀を司るというもので、その意味で熊野詣でに出るのはわかるが、何十度ともなるとそうした目的以上に、自身の極楽往生を願う気持ちがあったのではないかとも思われる。他に、レジャー感覚があったのかもしれない。

朱印をいただき、新宮駅まで歩く。途中、浮島の森の横も通る。

新宮駅に到着。駅前の「徐福寿司」にて「さんまの姿寿司」を購入し、構内へ。新宮も「みどりの窓口」が撤去され、「みどりの券売機プラス」に置き換えられている。

時刻は11時20分。この後、那智大社・青岸渡寺に向かうため紀伊勝浦駅まで移動する。当初のプランでは11時44分発の鈍行で向かうことにしていたが、改札口の向こうには11時27分発の「くろしお22号」が停車している。特急で一気に移動してもいいかなと思ったが、「くろしお」は全車指定席のため特急料金だけでも1290円かかる。また、紀伊勝浦に早く着いても那智山行きの1本早いバスに乗れるわけでもない。また、紀伊勝浦でまぐろ料理を味わおうにも中途半端な時間しかない。

ならば鈍行で・・と思ったが、その前にもう1本、11時35分発の「南紀1号」がある。名古屋発紀伊勝浦行きである。ふと、こちらに乗ろうかと思った。特急料金はかかるが自由席の設定があり、760円。また最近、「南紀」や「ひだ」に使われていたキハ85系に代わり、HC85系というハイブリッド気動車が導入されており、短区間ながら新型車両に乗るのもいいかなと思った。

最近の新たな気動車として採用されているハイブリッド方式。JR東海としてはHC85系が初めてという。ディーゼルエンジンで発電した電力と、フレーキ時に発生するエネルギーで充電された蓄電池の電力を組み合わせて走る仕組みである。従来のキハ85系がディーゼルエンジン2台を搭載していたのが、HC85系では1台で済み、その分エンジン音も静かになる効果もあるそうだ。

一応、気動車という分類でいいんですよね・・架線から電源を取っているわけではないので。

新宮で下車した人も多く、次は終点・紀伊勝浦ということで自由席もガラガラ。

新宮を出ると、三輪崎までの海岸べりを走る。この景色はきのくに線に乗らなければ見ることができず、さてここから大阪に向けての折り返しだなと感じるところである。

客室ドア上のディスプレイには、「バッテリーアシスト中」の文字と、動力の流れを示す矢印が表示される。エンジンに加えてバッテリーから動力を提供することで加速をスムーズにするという。新宮~紀伊勝浦のような短区間で平坦なところなら全力走行の必要もないが、紀勢線の紀伊から伊勢に続く荷坂峠や、飛騨の山間部のような難所だと威力を発揮するのだろう。

ふと、3月16日以降の時刻表を見て、紀伊勝浦~名古屋~富山とHC85系を乗り継いで、半日がかりで太平洋から日本海へ抜けることができる(あるいはその逆も可能)ルートが成り立つのを見つける。前後の宿泊を押さえるのが前提だが、そういう純粋な乗り鉄(車両鉄?)を楽しむのもいいかなと思う・・(いや、実際にやろうとするとカネと時間が必要だが・・)。

「南紀1号」の終点である紀伊勝浦に到着。折り返し12時25分発「南紀6号」となるが、乗車を待つ人もそれなりにいる。

さて、これから熊野三山詣での最後となる那智大社・青岸渡寺に向かう・・・。

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和歌山4番「熊野本宮大社」~神仏霊場巡拝の道・94(大斎原と「運」)

2024年03月19日 | 神仏霊場巡拝の道

3月10日、神仏霊場巡拝の道めぐりは熊野三山詣でである。まずは熊野本宮大社に向かうべく、前日宿泊した川湯温泉を8時すぎに出発。このバスは紀伊田辺駅6時16分に出発した便だが、多くの席が埋まっている。手前の湯の峰温泉や、あるいはそこまでの道中のどこかで宿泊し、早い時間に熊野古道を歩くらしき出で立ちの人、また外国人旅行者の姿も目立つ。

キャンプ場もある大塔川から熊野川に出て、いったん川沿いにさかのぼる。

8時20分、本宮大社前に到着。ここで下車した人は意外に少なかった。このバスは奥の発心門王子行きだが、そこまでバスでアクセスして、熊野本宮に向けて歩くのだろう。発心門王子から熊野本宮大社までは約7キロ、緩やかな下りで歩きやすいという。

うーん、私はといえば時間の制約もあって札所をピンポイントで回るだけだが、前日のコースといい、どこか熊野古道を体感することができなかったかなと思う。この旅の後、熊野に来ることはしばらくないだろうが・・。

さて、熊野本宮大社である。その前にいったん路地を抜け、鉄筋コンクリートの大鳥居に向かう。大斎原である。元々熊野本宮大社は熊野川の中州にある大斎原の場所に創建され、鳥羽上皇、後白河法皇、後鳥羽上皇などによる熊野御幸でまず目指したのはこちらである。

かつてはこの地に現在の数倍の規模の境内を有していたが、明治の十津川大水害のため、上四社以外の建物がすべて流されてしまった。上四社は現在地に移されたが、それ以外は再興することもなく現在に至る。現在の熊野川といえば川幅の割に砂利ばかりが目立つが、確かにこれ全体が川の流れのまま、豊かな水量の状態だったら結構様子も異なることであろう。

2024年は熊野古道が世界遺産に登録されて20周年という。その横断幕がかかる境内に入る。社殿が再建されているわけではないが、こちらはこちらで木々に囲まれ、神々のおわす地としての存在感がある。

和歌山県世界遺産センターに立ち寄る。熊野詣でに関する様々な紹介がある。熊野三山の牛王宝印や、サッカー日本代表のエンブレムにも使われる八咫烏も登場する。

改めて、現在の熊野本宮大社の鳥居をくぐる。「輝く日本 煌めく世界へ 世界平和を ここ熊野高野から」の看板が出迎える。ここ熊野本宮大社は熊野三山の中でもこうした仰々しいメッセージを発信している。熊野三山の中でももっとも古式ゆかしい雰囲気のある神社らしいところだ。

神門をくぐる。こちらにも仰々しいメッセージが書かれている。

熊野三山は神仏習合の歴史を有したところで、上四社の神々には千手観音、薬師如来、阿弥陀如来、十一面観音が本地仏とされていた。ドライブの人、熊野古道を歩く人、外国人旅行者、さまざまな人が手を合わせる。ともかく、熊野三山の一つにようやくたどり着いたことで、神仏霊場めぐりも大きな足跡になった。

神門の外に出る。こちらには「運」の一文字が掲げられている。熊野本宮大社では毎年暮れに「来年の一文字」を発表しており、2024年の一文字は、多くの人に昇り龍のように幸運をつかんでほしいという願いを込めて「運」になったとある。京都の清水寺など、毎年暮れに1年を振り返って「今年の一文字」を揮毫したり連想したりというのはよくあるが、「来年の一文字」というのは前向きな感じである。もっとも、年明けて2ヶ月半が経過して、「運」はどのくらいつかんでいるだろうか・・。

朱印をいただく。

八咫烏に見送られ、本宮大社前のバス停に戻る。

次に乗るのは9時37分発の新宮駅行き。やって来たのは明光バスの車両で、7時23分に白浜の三段壁を出発し、紀伊田辺から中辺路ルートを通って熊野本宮大社、新宮速玉大社を経由して新宮駅まで行く快速「熊野古道1号」である。観光バスタイプの車両で運行されており、国道から離れた湯の峰温泉や川湯温泉には停まらないが、こういうバスもあるのかと驚く。前日は白浜温泉に泊まり、翌日に熊野三山を回るというコースも成り立ちそうだ。ここでも外国人観光客の下車も目立つ。

快速ということでこの先新宮駅までの間、請川、志古(瀞峡めぐり)、そして速玉大社前のみ停車する。次に新宮速玉大社に行くのに好都合だ。本宮大社前で下車客が多くガラガラの状態だが、熊野川に沿って快走する。

速玉大社前に到着。鉄道のある新宮まで出たことで何だかホッとする。この先、明るい青空の下、残る熊野の札所を回ることに・・・。

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神仏霊場巡拝の道~川湯温泉にて一泊

2024年03月18日 | 神仏霊場巡拝の道

3月9日、紀伊田辺からバスに乗り、熊野本宮を前にして、熊野川の支流である大塔川沿いに旅館が並ぶ川湯温泉に到着する。川原を掘れば温泉が湧くことからこの名がつき、12月~2月には川の流れをせき止めて作られる「仙人風呂」という巨大な露天風呂で知られている。訪ねたのが3月初めということで、これなら2月終わりに訪ねた丹後シリーズと入れ替えてもよかったかなと思う。

その川湯温泉の代表的なホテルといえるのが、バス停のすぐ横にある「山水館川湯みどりや」。仙人風呂ではないが川原の露天風呂があり、ビュッフェ形式の夕食・朝食がついて20000円ほどかかるとある。まあ、熊野三山まで行くのだから宿泊費も思い切って出そうと思っていた。

ただ後日、改めて予約サイトを見ると、同じ川湯温泉で「川湯まつや」というのを見つけた。「川湯みどりや」から徒歩2分のところにある同系列のホテルとある。「みどりや」が老舗ホテルらしく和室、ツインルームを前提としているが、「まつや」は和洋室、シングルルームが中心で、一人でも気軽に利用できそうだ。なお「まつや」の客も大浴場、露天風呂、食事はいずれも「みどりや」が利用でき、それで2色つき10000円そこそこと半額である(「やまや」にも内風呂はある)。寝るだけと割り切れば、この半額というのは大きいし、ネットの口コミでもその点の評価は高いようだ。

その「まつや」に到着。ホテルというよりは寮、合宿所といった雰囲気である。入口もフロントというよりは管理人室の受付のようだが、まずここで「みどりや」を含めた全般の案内を受ける。

昔ながらの鉄扉を開けるとこんな感じ。ベッドではなく2畳あまりの小上がりが設けられている。寝るときは自分で布団を広げる。テレビその他は部屋の隅に設けられた棚にコンパクトにまとめられていたが、ミニ冷蔵庫もあり、Wi-fiもしっかりつながる。確かに寝るだけなら十分である。

外には大塔川の流れと小ぢんまりした建物群が見え、静かな山間の雰囲気である。

さて、温泉と夕食のため「みどりや」に行くことにする。浴衣、雪駄履きで行ってもよいとのことだが、さすがに少し冷えるのでそのままの服装で出かける。フロントは2階相当で、大浴場、レストランは1階下にある。

浴室は男女別の内湯、そして混浴の露天風呂である。もっとも、そこは川原で開放的なところ。まったくの裸とはいかず、男女それぞれの湯着がある。男性の場合、脱衣所にて筒状になった布に体を入れ、それを巻き付ける。ちょうど腰から膝のあたりまで隠れる形だ。また露天風呂はそれぞれの内湯を出たところにあるので、自然と男女別に入る形になる。

少しずつ日が暮れる景色をぼんやり眺めながらの入浴である。こうした鄙びた地での一泊もよいものである。

風呂から上がり、しばらくロビーでくつろぐうち、夕食の時間となった。部屋ごとにテーブルが割り当てられており、案内の席にはミニ会席を追加していた。前菜の小鉢、造り盛り合わせ(このマグロが勝浦から来たものかどうかはわからない)、牛肉鍋である。

そして和風、洋風の各種おかず、天ぷら、サンマ寿司などいろいろ取って、まずはビールで乾杯とする。

このビュッフェで目玉だったのが、鮎の塩焼き。網の上に並べられ、これも自由に取ることができる。「くまのあゆ」というもので、養殖は養殖だが、豊富な地下水をかけ流し、自然に近い環境で育てられたそうだ。この鮎はお代わりして、地酒「那智の滝」とともにいただく。

食事を終えるとすっかり暗くなっていた。もう一度露天風呂に入ろうかと思ったが暗いだけだし、明日の早朝にまた来ることにして、「やまや」に戻る。一応こちらにも内風呂があるのでそちらに入った後、部屋での二次会とする。さすがに旅館のレストランのアルコールメニューは高く、部屋飲み用として紀伊田辺のコンビニで仕入れていた。

しかるべく食べ、飲んでそのまま布団を敷いて横になる・・・。

さて翌10日、山の稜線が見える時間となった。身支度をして再び「みどりや」に向かい、大浴場から露天風呂に向かう。

ここでも静かな一時を過ごす。

そしてそのまま朝食。ビュッフェ形式で、さすがに鮎の塩焼きはなかったがさまざまなメニューをこれでもかといただく。朝らしく温泉玉子も登場する。

この日は熊野三山を一気に回る。まず乗るのは8時07分発の発心門王子行き・・・。

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神仏霊場巡拝の道~熊野古道を路線バスでたどる

2024年03月17日 | 神仏霊場巡拝の道

紀伊田辺から熊野古道の中辺路ルートに入る。これから乗るのは紀伊田辺駅14時50分発、道の駅奥熊野行きの龍神バスで、途中宿泊する川湯温泉で下車する。時刻表を見ると所要時間は約2時間。路線図が何重にも折り重なっており、道のりの遠さがうかがえる。

バスはそれなりの乗車があり、外国人の旅行者の姿も見える。インバウンドの増加もあるが、熊野古道や熊野三山は外国人、特に欧米やオーストラリア人気スポットだそうで、もちろん熊野の自然や歴史文化が豊かなこともあるが、外国人向けのプロモーションの成功によるところが大きいという。

まずはきのくに線の線路に沿って朝来まで進む。途中の工業高校前とは県立田辺工業高校で、大阪勤務時代、ここまで高校生の募集に来たことがある。よくこんな遠いところから採用しようと思ったものだ。

朝来から朝来街道に入り、稲葉根王子のバス停から国道311号線に合流する。並走する富田川も水垢離の場であったとされる。しばらくはこの川沿いの景色を楽しむ。

鮎川温泉の先で、清姫というバス停を通過する。道成寺の安珍・清姫伝説で知られる清姫はこの地の庄屋の娘で、熊野詣でに来た安珍に一目惚れするも逃げられ、その恨みのために大蛇に姿を変え、最後には焼き殺してしまう。清姫もその後入水し、その墓もここに残されている。

滝尻を通過。熊野九十九王子の中で格式が高い五体王子の一つで、ここからいよいよ熊野の霊域に入るとして、富田川でのみそぎ、社前での供養や神楽の奉納が行われたという。後鳥羽上皇が歌会を開いたともある。また、バスはこのまま国道311号線を走るが、熊野古道の徒歩ルートは十丈峠を越えて近露王子に向かう。この辺りはかつての道の風情をよく残しているそうだ。私も早い時間のバスに乗れば、こうした途中の道をのぞくことができたなと、今にして思う。

バスは栗栖川に到着。かつて紀伊田辺から熊野本宮へは国鉄バス~西日本JRバスの便があり、栗栖川は「自動車駅」という扱いだった。

長いトンネルでショートカットし、近露に入る。ここでトイレのある駐車場に乗り入れ、しbらくトイレ休憩を取る。紀伊田辺を出てから1時間ほど経っている。「近露の水は現世の不浄を祓う」(京都仁和寺所蔵「熊野縁起」より)という看板が立つ。トイレの目の前に掲げられると妙にしっくり来てしまう。ちょうど熊野本宮方面からのバスも到着し、同様にトイレ休憩となった。

近露王子に到着。ここで何人かの外国人旅行者が乗って来る。荷物がキャリーケースでなく大型のリュックサックであることから、先ほどの古道の区間を歩いてきたようだ。

野中一方杉に到着。先ほど近露王子から乗って来た外国人旅行者はここで下車していった。野中の清水、一方杉も熊野古道のスポットである。結構器用にバスを利用するものだと思う。また、その先の小広王子口ではまた別の外国人グループが乗って来る。この方たちも古道めぐりのようで、ここまでの乗客の移り変わりを見ると日本人より外国人のほうが多いのではないかと思う。

熊野本宮温泉郷の看板が現れた。まず目指すのは湯の峰温泉で、バスは湯の峰温泉で折り返してまたこの看板の前を過ぎることになる。

湯の峰温泉は4世紀頃に発見されたといい、後の熊野御幸によってその名が広められた日本最古の湯とされる。この湯の峰温泉も世界遺産の一つに含まれているとのことだ。こちらは私も以前に立ち寄りで来たことがあるが、有名な「つぼ湯」は長い順番待ちだったため、公衆浴場だけ入ったと思う。

ここで、外国人旅行者を含む多くの客が下車していった。その間にすれ違ったのは奈良交通の新宮駅行きのバス。それも大和八木駅から延々と走って来る「日本一距離の長い路線バス」にここで出会うとは。土日は観光特急「やまかぜ」として運行している便である。

温泉街の奥でUターンして来た道を引き返し、渡瀬温泉を過ぎる。いったん国道から離れてトンネルを抜けると、静かなたたずまいの川湯温泉に到着。何とか日のあるうちに到着できた。この日(3月9日)はここで1泊とする。

私が下車した龍神バスのすぐ後に、先ほど渡瀬温泉で追い越した新宮行きのバスも到着。川湯温泉から新宮駅までは後1時間かかる・・・。

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和歌山5番「闘鶏神社」~神仏霊場巡拝の道・93(熊野古道への出発道)

2024年03月16日 | 神仏霊場巡拝の道

神仏霊場めぐりとJR西日本デジタルスタンプラリー獲得のための熊野三山詣で。初日は朝ゆっくりと出発し、午後になって紀伊田辺に到着。今回は熊野古道中辺路ルートをたどる形である。

その出発道といえる紀伊田辺にあるのが、和歌山5番・闘鶏神社。正しくは「鬪雞」という名称だそうだが、このブログでは簡単な「闘鶏」の表記とする。

駅前では源義経に仕えた武蔵坊弁慶の像が出迎える。弁慶は紀伊田辺の生まれ、熊野別当・湛増の子とされる。幼い時に比叡山に入れられるが乱暴が過ぎ、三井寺や圓教寺などにはその痕跡も残されている。そんな荒くれ者が五条大橋での牛若丸(源義経)との出会いを境に、忠実な家来として活躍するのだから物語としては面白い。

駅前の商店街も「弁慶」の名が冠せられている。

目指す闘鶏神社は駅から徒歩で5分ほど。こちらも、熊野古道の世界遺産の一つに指定されている。

参道の脇に、大福院の不動堂がある。弁慶が生まれたとされるところである。闘鶏神社の創建の年代ははっきりしていないが、5世紀の允恭天皇の頃とも伝えられている。平安時代の後期に熊野三所権現を勧請して「新熊野権現社」と称され、熊野詣での前にこちらで心願成就を祈願するようになったという。大福院はその別当の役割を担っていたとあり、明治の神仏分離で関係はなくなったが、本尊不動明王は神仏習合の名残を残すとされる。

改めて境内に入ると、「勝運導き」の幟とともに闘鶏の像が出迎える。

そして奥には熊野別当・湛増と弁慶と闘鶏の像が立つ。現在の闘鶏神社の名前は「平家物語」の故事から取られたものである。源平の戦いの時、熊野水軍を有していた熊野別当はいずれに加勢するかを占うべく、鶏を紅白に分けて闘わせた。そこで白が勝ったことから源氏につき、後の勝利に貢献した。闘鶏の占いで源氏についたというが、それは何か後付けのようなところがあり、世の中の流れを見る中で源氏についたほうがよいという計算があったことだろう。

拝殿の奥に六棟の社殿がある。本殿の祭神は伊邪那美命である。戦乱により荒廃したが、江戸時代になり、紀州徳川家の家老として紀伊田辺藩を治めた安藤氏により保護され、社殿も再建されて現在に至る。

朱印をいただく。待つ間、安産祈願やお宮参りで訪ねる人の姿を見る。闘鶏神社は安産祈願のご利益もあるという。

闘鶏神社の一角に、藤巌神社というのがある。紀州藩の家老で紀伊田辺藩主となった安藤直次を祀る。この辺りは土地が狭く瘦せている中で、安藤直次はそうした地でも育つ梅の栽培を奨励した。戦国時代は武士たちの薬や兵糧として使われていた梅干しが江戸時代には民衆にも広まり、紀州の梅はブランドとなった。それは現在の南高梅にもつながっている。この後、自分土産として南高梅を購入したのだが、その時頭に浮かんだのは「梅干し食べてスッパマン!」という、「Dr.スランプ」のキャラクター。ちょうど、原作者の鳥山明さんが亡くなったというニュースの直後だったからかな。アラレちゃんのアニメは子どもの頃よく見ていたなあ・・(その一方、「ドラゴンボール」は全然知らないのだが)。

次に乗るバスまで少し時間があるので、扇ヶ浜に向かう。海水浴場が整備され、風がそれなりに吹く中、田辺湾、その先の黒潮の景色を眺める。

熊野古道の中辺路、大辺路が分岐する紀伊田辺だが、かつての熊野詣ででは水垢離として海に入っていたという。さすがにこの時季、海水に浸かるわけにはいかないが、海に面したことで「潮垢離」として、山に入るとしよう。

紀伊田辺駅に戻る。その途中で出会ったのがこの方のポスター。衆議院の和歌山県内の選挙区にあって、御坊のあたりから「こっから全部オレの領地!」みたいな顔で居座っている、また最近では3500万円を費やして書籍を購入した方の領地である。これが、自分の著書が売れないので自費で購入して回った・・という貧乏作家の話ならまだ笑えるのだが・・。

和歌山の選挙といえば、近畿大学の方が鼻息荒くこの方から主導権を奪うべく活動していたが、結局一連のパーティー券キックバックで自滅。

それにしても、国会で政治資金や政治倫理の討論をするのもよいが、そもそも国会で多くの時間を費やすのはそこなのか? 経済対策、震災復興などもっと議論すべきことがあるはずで、何の結論も出ない、パフォーマンスに1日数億浪費されることこそおかしな政治倫理である。そんな奴らこそ問答無用で粛清すれば早い話。

次に乗るのは14時50分発の道の駅奥熊野行きバス。これで宿泊地である川湯温泉に向かう・・・。

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神仏霊場巡拝の道~いよいよ、熊野三山へ

2024年03月15日 | 神仏霊場巡拝の道

JR西日本の「駅からはじまる西国三十三所デジタルスタンプラリー」の実施期間が3月末までとなる中、最後に残る紀伊勝浦駅での青岸渡寺のスタンプを獲得すべく、神仏霊場めぐりとしての熊野三山詣でに出かける。さすがに広島からの日帰りは無理で1泊2日の行程となるが、3月9日~10日の土日にスケジュールを組み込んだ。

地図にて、神仏霊場めぐりの和歌山県内の札所の分布を眺める。高野山方面は先に訪ねているが、和歌山から南、広大な範囲に札所が散らばっている。デジタルスタンプ獲得で遠征するなら青岸渡寺、紀三井寺の両方を一度で回ればよかったのだが一度には難しく、先にデジタルスタンプの紀三井寺と、神仏霊場の竈山神社を回った。

熊野三山を目指すべくきのくに線を南に下ると、海南の藤白神社、御坊の道成寺、紀伊田辺の闘鶏神社と続き、熊野古道の中辺路ルートで熊野本宮、速玉大社、那智大社・青岸渡寺とたどればよい。ただ、これら7ヶ所をすべて回れればよいのだがそれでも時間的は厳しい。そこで、手前にある藤白神社、道成寺は別途組み合わせで行くことにして通過し、一気に紀伊田辺まで向かい中辺路ルートをたどる熊野三山詣でとする。

3月9日、広島9時12分発の「のぞみ120号」にて出発。紀伊半島の南部まで行くのならもっと早い時間に出ればよいだろう。確かに、当初はそのように考えていた。「のぞみ」と「くろしお」を乗り継いで紀伊田辺まで出て闘鶏神社に参詣後、昼頃に熊野古道を走るバスに乗れば熊野本宮大社に立ち寄り、そのまま夕方には新宮に到着する。新宮で1泊して(一献して)、翌日午前中に速玉大社と那智大社・青岸渡寺に参詣すれば13時台の「くろしお」で紀伊勝浦を出発し、それなりの時間に広島に戻ることができる。

新宮にはこれまでにも泊まったことがあり、前回は「WEST EXPRESS銀河」の夜行ツアーで新宮到着後、レンタカーで熊野三山を回り、そのまま駅近くのホテルに宿泊した。夜の一献は近くの個性的な居酒屋にて、イルカの刺身をはじめさまざまなものを味わった。今回も新宮で宿泊し、その居酒屋を再訪してもよいかと思っていたが、熊野古道ルートを通るなら新宮以外のところで泊まるのもよいかなと思う。

そこで目についたのが、熊野本宮の手前にある川湯温泉。ここに夕方に到着して1泊、翌朝から熊野三山詣でをして、15時台の「くろしお」に乗っても広島の自宅には22時頃に着くことができる。西国三十三所デジタルスタンプラリーの最後に温泉宿というのもいいだろう。

あて、新大阪からは11時13分発「くろしお9号」白浜行きに乗り換える。新大阪の新幹線乗り場は多くの客でごった返いていたが、「くろしお9号」は空席のほうが多かった。

淀川を渡り、いったん大阪うめきたの地下に潜り、福島から外に顔を出す。

天王寺から阪和線に入る。新大阪から紀伊田辺までは約2時間半。車内でそれなりにゆっくりできる時間で、阪和線区間ではちょっとウトウトする。気づけば、紀ノ川を渡っていた。

和歌山で下車する人もそれなりにいて、車内はガラガラになった。白浜に行く客がもって乗っていてもよさそうなものだが・・。

先日訪ねた紀三井寺を通過し、海南に到着。海南、御坊にはまた別の機会に来ることになる。海岸と製油所が並ぶ一角を通り、簑島に到着。

有田川とみかん畑の車窓、そして広川地区の風力発電所といったこの辺りの地形を利用したあれこれを眺め、御坊に到着。先ほどの海南と合わせて、この辺りはこの辺りでやはり別に来るのがよいだろう。ミニ私鉄の紀州鉄道に乗ることもできるし、かつての有田鉄道の跡地を見るのもいいだろう。

切目を過ぎると太平洋に近づく。ここで「くろしお9号」は徐行運転を始める。JR西日本で徐行運転といえば、中国山地のローカル線の時速25キロ区間を連想してしまうが、ここは純粋に、黒潮の眺めを楽しんでもらおうということである。特急といっても「のぞみ」のように一分一秒を急ぐわけでもない。山側の席から海側に移ってスマホで車窓の写真を撮る人も。多少雲はあるが青空の下の黒潮でよかった。

13時35分、紀伊田辺に到着。ここで下車する。紀伊田辺からは熊野本宮大社方面へのバスに乗るが、それまで1時間あまりのインターバルがある。その時間を利用して、駅近くにある神仏霊場の札所・闘鶏神社を訪ねることにする・・・。

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オープン戦観戦後、倉敷の「鳥好」で一献

2024年03月14日 | 旅行記F・中国

3月3日、倉敷マスカットスタジアムでのオープン戦観戦を終え、中庄駅に戻る。午前中は晴れの天気だったが、試合途中からは雲が出て、傘を差すほどではないが小雨も降って来た。終盤には一部照明灯もついた。

この日は16000人ほどの観客が詰めかけたが、最寄りの中庄駅は一時入場制限をかけるほどの混雑だった。

今回は広島から新倉敷への「こだま」往復プランのため新倉敷まで向かうのだが、いったん倉敷で下車する。

この後は帰宅するだけなので、これも久しぶりとなる倉敷での一献としよう。時刻はもうすぐ17時、この時刻から開店する店なら飛び込みでも入れるだろう。

駅前のアーケード街をぶらつく中、入ったのは「鳥好」。「鳥好」と聞いて連想するのは、岡山駅前にある「ミシュラン居酒屋」。岡山のミシュラン居酒屋は「駅前本店」を名乗っているのだが、倉敷の「鳥好」はその系列なのか、暖簾分けの店なのか。こちらはこちらでのれんに「倉敷本店」と書かれている。まあ、そもそも「鳥好」で検索すると全国各地の店がヒットする。「好」という縁起の良い字を使うことで千客万来の願いも込めているのだろう。

倉敷の「鳥好」、だいぶ昔に一度入ったことがある。一般的なカウンターはなく、幅の広い長テーブルに腰掛ける。先客は常連らしき男性一人だけだったが、この後、予約が何組か入っているようだ。

メニューを見ると、2時間飲み放題1650円とある。コース限定でなく、1人でも選択可能。さらに、飲み放題専用のメニューがあるわけでなく、通常メニューに載っているものがそのまま飲み放題である。まあ、メニューに載っているもの自体が定番ものがほとんどで、日本酒の純米大吟醸や焼酎の高級ブランドがあるわけでもないが、生ビール、チューハイ、ハイボール、熱燗といった大衆的なもので楽しむには十分である。

最初に一番搾り(岡山だから)を注文すると、枝豆と冷奴がきた。これは突き出しなのか、一緒に注文した「Aセット」の一部か。

その「Aセット」は刺身、焼き鳥盛り合わせ、トリス・・もとい鳥酢。鳥酢は蒸し鶏と春雨、ネギ、玉ねぎをポン酢醬油と薬味で合わせたもので、ミシュラン居酒屋のほうの「鳥好」でも必ず注文する一品。値段もお手頃で、これこそ前菜、突き出し感覚でいただける。この鳥酢、てっきり「鳥好」の定番かと思っていたのだが、岡山近辺の大衆酒場の定番メニューだという。その発祥であり、一番の名物という店があろそうで、ならば一度訪ねてみたいものである。

セットメニューの刺身と焼き鳥。それぞれ美味しくいただく。

他に単品としてシャコ酢を注文。飲み物は生ビールからチューハイ、そして香川・金毘羅さんの「金陵」と移る。

先客の常連らしき男性は、この前にマスカットスタジアムでのオープン戦を観戦していたようだ。まだ他の客がおらず、愛想のいい店の人もまだ余裕があってこの男性と会話する中、私も自然と話に加わった形である。

18時になると予約のグループや飛び込みの客が相次いで店に入り、店内も賑わうようになった。店の人も急に慌ただしくなった。その中で、牛すじ煮込みやめざしなど、これも大衆酒場らしい一品でちびちびやる。

よい心持になったところで店を後にする。当日一人の飛び込みでも1650円で飲み放題ができるというのは大きいなと思い、また倉敷で一献となれば訪ねたいと思う。ずらり並ぶ一品メニューはほんの一部しか口にできなかったし・・。

この後、新倉敷まで移動して19時02分発「こだま861号」に乗る。やって来たのは500系である。別に車両形式を意識して列車を選んでいるわけではないが、たまたま来たのが500系だと「おっ」と思う。かつてはJR西日本のエース、時速300キロを売りにして鳴り物入りで東海道新幹線でも快走した500系だが、その後の新車両の投入や、東海道のパターンダイヤにそぐわないとして山陽新幹線限定の運用となり、16両編成も8両編成に縮められ、「こだま」として細々と走るだけになった。

この500系、現在は6編成が運用されているが、2024年からはN700系に順次置き換えられるとのことで、2026年には2編成までになるという。この独特の車体が見られなくなる日もそう遠くないようだ・・・。

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水島臨海鉄道に乗車

2024年03月13日 | 旅行記F・中国

3月3日は倉敷マスカットスタジアムで行われたイーグルス対カープのオープン戦を観戦した。その観戦記は試合前、試合後とこのブログで記事にしたのだが、日帰りとはいえ倉敷まで行くのだから・・とその前後にスケジュールをくっつけた。

今回は日本旅行の日帰り新幹線往復プランを利用して、新倉敷まで「こだま」往復のプランである。まずは広島7時39分発の「こだま838号」にて新倉敷に移動する。倉敷、それも1駅岡山寄りの中庄が最寄り駅となるマスカットスタジアムに行くのなら岡山往復でもいいのだが・・。

新倉敷から山陽線に乗り継ぎ、ともかく倉敷で下車する。時刻は9時。オープン戦の開門は11時、試合開始は13時だから、12時前後に入場できればというくらいの感じでやって来た。倉敷といえば美観地区観光もあるが、午前中のプランとして選択したのは、水島臨海鉄道。

倉敷駅を出たところの一角に倉敷市駅がある。水島臨海鉄道は、元々は旧三菱重工業水島航空製作所の専用鉄道として開業した路線で。昨年2023年に開業80周年を迎えた。現在の形になったのは1970年のことで、旧国鉄や倉敷市などが出資した第三セクター方式である。ちょうど水島コンビナート、水島臨海工業地帯の工場群が開発されたこともあり、貨物だけでなく旅客輸送も行うようになった。

そして現在は貨物や地元の足としてだけでなく、昔ながらの気動車や機関車も保存されており、その筋にも人気のある路線の一つである。

2度目の広島勤務である現在、仕事の関係で水島を訪ねることはあるのだが、いずれも会社のクルマである。臨海鉄道に乗るのも久しぶりということで気動車に乗車する。ロングシート、クロスシートが千鳥状に配置された車内である。終点の水島自工前まで行くことにする。

倉敷市を発車。JR山陽線の線路が離れ、次の駅は球場前。駅からすぐのところに倉敷運動公園があり、倉敷市営球場もある。「倉敷でオープン戦」ということで、最寄り駅は水島臨海鉄道の球場前と思ってこちらに来る人は・・さすがにいないかな。こちらは倉敷市営で、マスカットスタジアムは岡山県営である。

この後は住宅が密集する区間もあるが、基本的に高架橋をまっすぐ走るところが多い。長編成の貨物列車が走ることもあるだろう。

弥生からは栄、常盤、水島と短い区間での駅が続く。そして水島に到着すると乗客は私だけになった。次は終点・三菱自工前である。行き先は工場地帯の中で、通勤時間帯でもないし、多くの工場が休みの日曜日である。

ここで東水島駅方面の路線と分かれ、水島港に出る。

そしてホーム1本だけの三菱自工前に到着。線路はこの先倉敷貨物ターミナルまで延びており、水島臨海鉄道の車庫にもなっている。私を下ろした気動車はそのままターミナルに向けて走り去った・・。

これが平日ならクルマやトラックがひっきりなしに行き交うのだろうが、日曜日は閑散とした景色である。折り返しとなる倉敷市行きまでは30分ほど時間があるが、このホームに立っていても仕方ないので、水島駅まで歩いて戻ることにする。距離にして1キロあまりのところだ。

改めて水島港に立ち寄る。もっとも、この辺りに停泊しているのは小型船ばかりで、国際港にもなっているコンテナターミナルはずっとこの先にある。小型船はコンテナターミナル方面との送迎や、貸切遊覧などでも使われるという。

水島駅に戻る。次の列車を待つ客もそれなりにいて、中にはカープのユニフォーム姿の人もいる。キャリーケースも手にしており、ひょっとしたらイーグルスとの倉敷3連戦を泊りがけで、ただし倉敷駅近辺ではホテルが取れなかったので水島まで来たのかな。

倉敷貨物ターミナル、三菱自工前方面からやって来たのは先ほどとは異なる車両で、「お雛列車」として運転されている。ヘッドマークのほか、地元の子どもたちや水島臨海鉄道の社員らが作った雛人形や桃の飾りが車内のいたるところにあしらわれている。ちょうどお出かけにはよい時間帯で、駅ごとに乗客があって車内は立ち客も多く出る満員となった。ワンマン運転のため、終点の倉敷市駅では現金精算の客の長い列ができた。

水島臨海鉄道についてはまた近いうちにまた訪ねる予定である。それも後の楽しみとしよう・・。

さて、中庄駅に移動する。次の列車は伯備線ホームから11時17分発の岡山行きだが、その直前、11時16分発の出雲市行き「やくも9号」がホームの反対側から出発する。「やくも9号」といえば旧国鉄特急色のリバイバル車両で、新型「やくも」の登場にともない近々引退する車両である。せっかくならホームで一目見ることにしよう。到着時刻が近づくと、ホーム先端には何人かが集まった。先に、水島臨海鉄道の機関車が牽引する貨物列車が到着し、ホームに停車する。

そして「やくも9号」。こうして現物を目の前にすると、葬式鉄ではないがもう一度くらいはこの列車に揺られてみたいものだと思う。新型「やくも」は4月6日から投入されるそうだが、新旧の乗り比べというのも面白そうだ・・。

向かいの岡山行きは2両編成ということもあり、倉敷からの乗客で大混雑。次の中庄到着までの間、プロ野球開催のためあらかじめ帰りのきっぷを買うよう繰り返しアナウンスされる。また、前日(3月2日)の試合後は中庄駅で積み残しも出たとして、時間には余裕を持ってほしいとも。

そして久しぶりの中庄に到着。ぶらぶら歩いてマスカットスタジアムに向かうのであった・・・。

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