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まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

「昭和の日」に歩く「どっぷり、昭和町。」

2010年04月29日 | まち歩き

4月29日は昭和天皇の誕生日ということで「昭和の日」。朝は叩きつけるような雨が降っていたが、それも朝食をとって活動する時間になるとさっと引いて、空に雲がほとんどない晴天。いったいどうなってるんかいな?

さて昭和の日であるが、昨日twitter上でのリストを眺めていて「面白そうやな」というイベントを見つけた。

Dscn8969「昭和町で昭和の日に昭和建築の文化財で昭和の文化を味わうおまつり開催」ということで、「どっぷり、昭和町。」というイベント。

Dscn8968地下鉄御堂筋線の天王寺から1駅南の昭和町。大阪出身でありながらこの駅に降りるのは初めてである。駅のすぐそばに昭和建築の文化財である寺西家住宅を中心とした長屋の建物があり、ここをメイン会場としてイベントをやるようだ。

Dscn8972・・・・とその前に向かったのは近くの小学校。ここの体育館で「田辺寄席」という名の無料寄席が開かれるということでのぞいてみる。こうした「学校寄席」というのも、普通の演芸場で聴くのとはまた違った趣がある。この日は5回公演を行うとか。

私が行った1回目の公演では4組登場したが、中でも小学生の女の子が「りんりん亭りん吉」という名前で「粗忽長屋」を披露していたのは、しっかり熊・八の人物描写もできていて上手かった。

Dscn8979これで午前の時間をつぶし、再び寺西長屋界隈に行ってみるとえらい人だかり。路地にはさまざまな物売りが出ており、ちょうどお昼時とあってそこで買った物を食べる人も多い。昭和の賑わいが甦ったかのようである。

Dscn8977その脇には各地から取り寄せた地酒を一杯売りする露店も。島根や広島の地酒を味わい、いい心持になる。路地で即席のイスに腰掛けて「角打ち」をやる・・・これも昭和の長屋風情。

Dscn8984寺西長屋というのは現在では飲食店に姿を変えており、ちょっとした隠れ家的雰囲気を出している。この日は混雑していることもあり中には入れなかったが、何かの折に誰か食事に誘ってみるのもいいかもしれないな。

Dscn8983この日は音楽ライブも楽しめるということで、2階の窓からDJやら楽器奏者やらが顔を出して演奏を披露している。露店で買ったものを食べながら眺めるという風情。どうも、長屋の2階に居候している大家の若旦那が芸を披露するという、何だか落語に出てくるような世界。

Dscn8995さてこの昭和町、昭和風情の長屋住宅がまだ残っているという。まつりの賑わいから少し離れて歩くと、住宅地の中に長屋建築が残る一角に出る。

Dscn9001近くには昭和風情のアーケードの商店街もある。比定できるかどうかは意見の分かれるところだろうが、東京でいうところの谷根千のような感じである。へぇ~、こういうところがあったんですな・・・。

Dscn9003商店街を抜けると、阿倍野の地名の由来ともなったのであろう阿倍氏の創建とも言われる阿倍王子神社、そして陰陽師・安倍晴明生誕の地と言われる安倍晴明神社が並ぶ。晴明神社には占いコーナーもあるようで、何やら相談している声も聞こえる。

Dscn9006ここまで来れば阪堺電車の線路に出る。路面電車というのも昭和風情のある乗り物である。ちょうど天王寺方面からやってきたのは昭和初期の車両。いや~、絵になる。

Dscn9011もっとも、これが折り返してくるまで待つほどでもないかなと思うので、東天下茶屋駅に次にやってきたのは普通タイプの車両。まあ、乗ることに意義あり。

そうやって戻ってきた天王寺駅前。こちらは長く親しまれてきた近鉄百貨店の建物も建て替えのため取り壊され、西日本最大規模となる高さ何百メートルだかの建物に生まれ変わるべく工事に入っている。天王寺・阿倍野界隈の雰囲気も変わりそうである。

ただその中にあっても、南大阪の人情味、庶民性というのはいい意味で変わらずに受け継がれてほしいものである・・・・。

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もうすぐGW

2010年04月27日 | ブログ

今年のGWは1~5日が休日というカレンダー。日ごろ仕事のことがいろいろあったりするが、この時期ぐらいは何とかスパッと割り切って休日を楽しみたいところである。

元々は2~5日で出かける予定にして計画を組んでいたのだが、ここまで来れば1日から出かけようということで、この日になって計画をいじってみる。それでもまあ、まだ何とかなるところが個人旅行のありがたいところである。

私の趣味のさまざまな要素を組み入れてみた計画であり、あとは実行あるのみである・・・・。

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頭に「ご」のつく奴が・・・・オリックス対西武観戦記@神戸

2010年04月26日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

25日、尼崎の列車脱線事故現場で手を合わせ、JR尼崎駅で追悼の記帳を済ませた後、JRで三宮まで出る。ここで待っていたのが野球観戦のお供をしていただく大和人さん、鈍な支障さん。2月に餘部まで日帰りカニツアーでご一緒して以来の組み合わせである。スカイマークスタジアムでのオリックス・バファローズ対埼玉西武の対戦。

Dscn8883この3人では昨年2度神戸に観戦に訪れたのだが、いずれもホームランが乱れ飛び、2ケタ得点になるという試合。この日ももちろん大いに乱戦になることを期待してのことである。

Dscn8907春のスカイマークはこれでもかというくらいの晴天。一塁側の内野席上段、球場全体はおろか、周りの森も手にとって見られる好みの観戦スポットである。思えばちょうど1年前は「オープン戦よりも寒い」というコンディションで、ビールよりは熱燗やホットコーヒーがほしくなるというものだったが、この日は真っ青な空。やはり、野球観戦はこういうところで楽しむのがいいですな・・・。

Dscn8896試合前には西武のマスコット、レオも登場してのパフォーマンス。ところがその中で耳障りな、ベタクソな大阪弁を操るキャラが。何でも楽天から「移籍した」というマスコットのゴーヤとかいう奴だが、正直、言っていることは面白くないし、キャラも気持ち悪いし、正直「何でこういうのがキャラ?」というもの。それは同行のお二人もあきれたような印象だったし、後ろの席で見ていた客も「ゴーヤいらん」とつぶやく有様。バファローズ関係者の皆さん、何とかなりませんか・・・?

Dscn8906さて試合は、オリックスが今季初登板の2年目・伊原、西武が帆足という左腕同士の先発。カブレラ、ラロッカ、田口など故障者多数で打線が弱いオリックスから見て、伊原がどこまで持つか、下手したら私たちのジンクスにはまって大量失点ってなことになりやせんかと心配である。

Dscn8927その伊原、初回から先頭打者を四球で歩かせたり、ボールが先行したりヒットを打たれたりと、不安定な投球。大丈夫かいなと思うが、そこは抑えたのか西武打線が拙攻なのか、無失点で切り抜ける。特に3回、一死満塁のピンチを迎えて3番・栗山を空振三振、4番・中村を遊飛に仕留めたあたりは「こりゃツキがあるんと違うか?」といい心持になってきたところである。

Dscn8918一方のオリックス打線、やはり長距離打者が次々といなくなっては昨年以下の迫力でしかない。4番に入った歌麿さんこと北川もヒットで気を吐くが、決して好調とは言えない帆足を捉えられない。伊原がゼロで抑えているのだから何とかからんものかな・・・。

隣の大和人さんも「何とかせえよ!オレのタオルの出番があらへんやんけ!」と消化不良気味。この日の神戸観戦に合わせて、あるタオルをわざわざ仕込んで持ち込んだというのに・・・(そういえば、この日私が誘ったメールのタイトルが「神戸にタオルを振りに行きませんか?」というもの)。

Dscn8932早いペースで進んだ6回表、試合が動く。栗山のヒットの後で、再び中村。甘く入ったボールを一閃、打球はあっという間にレフトスタンドに吸い込まれた。これで2対0と西武先制。

Dscn8935鳴り物でリードを取る姿が見えず、「あれって西武百貨店か西友の店員が動員されてるんとちゃうの?」と大和人さん、支障さんが言っていたレフトスタンドが大いに沸く。

Dscn8934しかしオリックスも負けていられない。2塁に坂口を置いて、3番・後藤の当たりはレフトへ。するとその打球を一瞬前進した西武の後藤が判断を誤った形になり、慌ててバックするものの追いつけず2塁打となる。ラッキーな形での得点で2対1と迫る。これで追い上げムードとなる。

Dscn8944結局伊原は6回まで投げて中村の2ランによる2点のみで降板。この後は小松、平野佳、そして最終回は抑えのレスターまで投入して失点を防ぐ作戦に出る。

Dscn8957ここで2死二塁となって打席は片岡。一・二塁間へのゴロ。二塁後藤が回りこんでキャッチして一塁送球・3アウトチェンジ・・・と思いきや、まさかのトンネル。これには球場全体がため息。時にはアクロバットな守備で観客を魅了するファンタジスタが、負の意味でのファンタジスタ。翌日の新聞で「あのエラーが・・・」と激怒する岡田監督のコメントがあったが、そりゃ、追い上げムードに水をさすとして不機嫌になるのも無理はないわな。

Dscn8961これが大きなダメ押し点となり、最後はシコースキーにあっさりとひねられて結局3対1で西武の勝ちとなった。試合時間は3時間経過していないが、やはりこのような試合では疲れが増すばかりである。この日はゴーヤに西武の後藤、オリックスの後藤と、頭に「ご」のつく奴が目立ったというか・・・・。

結構疲れた感じで球場を後にする。試合中にビールやら、サントリーの角ハイボールを飲みながら(球場でハイボールが飲めるとは、さすが飲食充実のスカイマークスタジアム)ということもあったのでお疲れモードで、地下鉄三宮まで爆睡。

まだ日が高い時期に三宮に戻れるとは思わなかった。このところ試合後は三宮で「反省会兼打ち上げ」というのが恒例であるが、少し時間が早いかなということで梅田まで移動。駅内の居酒屋での打ち上げである。まっとうな野球論からブログでは決して書けない下の話まで大いに盛り上がる。

店のメニューにゴーヤチャンプルがあったので注文。もう今日は、せめてベタな大阪弁のキャラを思い出しながらゴーヤをつついて鬱憤晴らし。これで一つの「形」になったようである。

まあまだ4月であるし、珍しく勝率5割で来ていることもあるのでこれからまだまだ楽しみ。夏にはまた「R50」だの「大坂夏の陣」だのといったイベント試合もあることなので、またお誘いして野球場の雰囲気を楽しみたいものである・・・・。

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尼崎列車脱線事故から5年

2010年04月25日 | ブログ

4月25日。5年前のこの日、JR福知山線の列車脱線事故が発生した。もう5年経過したというべきか、まだ5年しか経過していないというべきか。

この日は神戸スカイマークスタジアムでの野球観戦を予定していたのだが、朝のニュースを見て「そういえば今日は脱線事故の日だったな」と思い出す。

特に親類知人でこの事故で亡くなった、あるいは負傷したという人がいるわけではないのだが、縁あって尼崎市に住むようになってからというもの、これはそのまま黙って見過ごすことのできない事故であるという気持ちになっている。せめて現場を訪れて哀悼の意を表そうと、JR塚口駅から現場に向けて10分ほど歩く。

Dscn8870訪れたのは9時10分頃。列車事故のあった9時18分に近い時間である。現場となったマンションの横まで行ってみるが、黒い衣装を着た人たちの集団を見る。おそらく、被害者への補償を訴える集まりなのだろう。そしてその集団を取り囲むように報道の腕章をつけた人の姿を見かける。また、線路際に陣取ったカメラマンたちも、やはりこういう被写体だからということで喪服用に黒いスーツや背広を着込んで三脚に乗っていたりする。

Dscn88729時15分頃、踏切音がして、事故の遭った塚口方面から列車がやって来る。あのカーブの手前にさしかかるとスピードを落とし、ゆっくりと通過していく。その場に居合わせた人たちみんなが頭を下げたり手を合わせたりして、列車の通過を待つ・・・。

Dscn887518分にもっとも近いといえばこの後にやってくる特急北近畿であるが(確かにその時刻にやってきたのだが)、当時の様子とも合わせて実質近いのは、先ほどの快速列車ということになる。

この後、JR尼崎駅までのシャトルバスで移動。駅コンコースで記帳台の受付をやっていたのでイスに座り、記帳を行う。神妙な顔つきになる。

Dscn8882事故から5年、ともすれば風化してしまいそうなところであるが、被害者の遺族や、負傷した人たちの思いというのは変わることはない。それだけに、事故の状況というのは大いに語り継いでいかなければならない。

今後二度とこのような悲惨な事故が発生することのないよう、祈念するばかりである・・・。

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広島爆心地の町並みを再現

2010年04月23日 | ブログ

今日は会社の研修で大卒ルーキーを連れて三重県亀山へ。亀山といえば「世界の亀山モデル」のシャープの工場のあるところで、私の勤務先もそれに関連した業務を行っているのだが、その現場を見ようということでの一日見学である。

その一方で、今日23日は彼らにとっては(研修づけの日々ではあるが)初任給の支給日。「初任給で親御さんに何かプレゼントでもするの?」という話になった。聞けば「GWに実家に帰った時に食事に連れて行こうと思います」「初めての給料では無理なので、もう1ヶ月分と合わせて両親に1泊旅行をプレゼントしようと思います」という、殊勝な答え。さて、14年前を振り返って私の初任給はどうだったかな・・・・と思いをめぐらせて、確か両親それぞれに小物を買ってGWに大阪に帰省したときに渡したかなと記憶を引っ張り出したりする(本当は違っていたりして)。

私が初任給をいただいたのは、初任の地であった広島。広島には入社から8年を過ごしたこともあり、私にとっては「第二の故郷」。今でも野球の交流戦やら何やらでリンクさせて広島を訪れることにしている。これは勝手な推測なのだが、私の会社人生の中でもう一度くらい彼の地に赴任することもあるのかなと思うこともある。

さてその広島であるが、被爆地としての歴史を持つ街である。そのシンボルとしての存在が原爆ドームということになり、今でも広島を訪れる時にはその前で手を合わせることにしているのだが、一方で常々思うことが、「原爆ドームだけでは、被爆地の姿はわからない」ということである。

Dscn4621_2原爆ドーム、確かに被爆の証人的存在である。しかし、「原爆ドーム」という名詞が余りにも定着しているために、「最初からこういう姿だったのでは」という面がありやしないかということもあった。「使用前使用後」のダイエットではないが、「被爆前被爆後」というのがわからなければ、原爆の悲惨さが今ひとつ伝わらないのではないのかと。

そんな中、今日のニュースで「爆心直下の町並みをCGで再現した映像作品をつくった」というのを見た。現在平和記念公園がある中島地区というのはもともと広島の繁華街であったのだが、それが一瞬にして失われ、後に公園になったというところである。その中島地区を、現存する史料や旧住民の証言をもとに再現し、CGとして映像作品に仕上げたというものである。

Dscn4616原爆ドームと呼ばれる建物はもともと広島県産業奨励館というもので、川を挟んだ対岸には旅館があったという。その旅館の座敷から奨励館を臨む風景というのもCGで表現されていたりする。その他、中島地区の商店街が広がる風景、人々の往来の様子などが再現され、往年の様子がよく伝わってくる。

この映像は5月のNPT会議に合わせてニューヨークで上映されるという。果たして、どういう印象を与えることになるのだろうか。私個人としては、そんな平和な様子の映像を流した後、それが原爆一つで阿鼻叫喚の様相を呈するという、悲惨な情景を描写して流さなければ効果を表さないと思うのだが・・・・。昔の町並みを再現するだけでは不十分だと思う。

今日はニュースの一コーナーで映像を見ただけであるが、ニューヨークでの上映だけではなく、もっと手軽に、常時見られるような活用を考えてほしいと思う。せっかくいい映像に仕上がっているのだから・・・・。

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これも新社員研修?リバティおおさか

2010年04月22日 | ブログ

この春私の職場に配属されてきた大卒ルーキーたちの独自の研修の最中である。4月の初めは本社での研修を受けてきたのだが、後半の今月いっぱいはこちらで独自にプログラムを組んで研修を行うことになる。

ただ、「支店独自の研修」といっても、そこは歴史が浅く「営業はしっかりしているが管理系に弱点がある」私の支店。毎年決まったプログラムがあるわけではなく、その時、その状況に応じて研修内容が変わるという、非常に危なっかしいものである(教育という観点からすればいかがなものかという気がするが)。状況によって私と上司の課長が相談して研修内容を簡単に変えてしまうというもの。

さて前日、大阪の団体が主催する新社員向けの人権研修というものに、新社員と上司が出席した。企業の協議会に加入しているということもあり行って来たのだが、今朝になって上司の言うには「あれではアカン」というものだったそうな。また、引率の際の会話の端々に見られた「新社員A君の価値観」というのにもちょっと不満があるようである。私の上司というのがこれまで企業内の人権活動に関わってきたということもあり、その目からしていろいろ思うようで・・・。

・・・ということで、「今日はこれで行こう」ということで私が案内役を命ぜられたのが、「大阪人権博物館・リバティおおさか」への見学である。「あそこは面白いで」と。

JRの芦原橋、南海汐見橋線の木津川に近いところにあるリバティおおさか。正直、私もこういう建物があることは知らなかった(森ノ宮のピースおおさかとごっちゃになっていたようである)。

平日のこととて見学客もほとんどいない中、自然とボランティアガイドの男性がついてくる。新社員の研修の一環であることを話すと、快く案内を引き受けてくれる。

いや~、館内は結構広いし、展示物も充実しているし、その感想たるや「しっかり見るには1日がかりやな」というもの。結局は午前中の2時間くらいいたが、最後は駆け足気味に。

さまざまな観点から、現在問題となっているあらゆる差別について触れている。それは開放のことであったり、在日韓国・朝鮮人、琉球・アイヌ、障害者、女性問題など幅広いもの。かといって「原理主義的」なものではなく(ガイドの方も、「原理主義的に走り過ぎると逆差別を産む」と話していた)、まずはあらゆる人権問題について知ってもらおうという展示の仕方で、私も落ち着いて見ることができた。

この春配属されてきた大卒ルーキーは2人いるのだが、いずれも関東出身で関西は初めて。そんな2人に対して、産まれてこの方ずっと大阪という上司から見れば「発言が軽い」「この新社員は韓国が好きだというが、日韓関係というのはそんな上っ面のものではない。もっと根深い問題について知らなければならない」「関東ではなかなか実感できないのだろうが、大阪ではそんな考えでは生きられないぞ。シバかれるぞ」「興味本位ではなく、大阪の持つもうひとつの一面を知ってほしい」という重いがあったのだろう。その狙いは当たったようで、2時間の見学を終えて出てきた2人の表情は幾分か暗くなったかのように見えた。

正面から差別と向き合えとか、反対運動をせよという気持ちはない。ただ、これまでのようにどちらかと言えば比較的同じような価値観や環境、背景を持った人たちと接するだけではなく、社会人ともなればいろんな人と接することになる。現に、私の勤務先企業にしたって、いろいろな背景を持った人たちが集まっており、それらが力を合わせないと仕事が成り立たないというものである。まずはそのことを理解できるか、そしてお互いを尊重する気持ちをもって仕事に臨めるか。こういうことも社会人としては必要なことではないだろうか。

こういう社会見学をやる支店というのも、私の勤務先企業の中ではなかなかないことだろう。ただ、ひたすら座学をやるよりはこういう見学もよいものかなと思っている。

後は、彼らが何を感じて、それをこれからの社会人生活に活かしていくのか?ということなのだが・・・・。

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新党乱立、どないやねん?

2010年04月21日 | ブログ

このところ(に始まったわけではないが)鳩山政権のあきれた対応ぶりというのが目につく。

沖縄の普天間基地の移転問題もそう。今話題となっている徳之島への移転をめぐる対応も後手後手で、政権としての求心力というのがはなはだ疑問である。世界を取り巻く情勢は厳しいというのに、リーダーシップというのがまるで見られない。

また、「影の総理」などと言われている小沢幹事長も、いらんところではあれやこれや口出しするくせに、こういう肝心な問題になるとダンマリを決め込むのは卑怯である。もしご自分が党の中で実力を持っている、首相すら操ることができる力があるというのなら、こういう時こそ表に出て身を粉にして働く、リーダーとしての道筋を正々堂々と示す、というのであればまだ多少は見直さないこともないのだが・・・・。

さてこんな政治の混乱の中で起こるのが新党の乱立。みんなの党が「第三党」としての支持を少しずつ広げているほか、立ち上がれ日本だの、日本創新党だの、地域政党としての大阪維新の会だのある。また今日の報道では舛添要一氏が自民党を離党して新党を結成(改革クラブへの合流?)というのもあった。

選挙前となるとこういういろんな政党・政治団体が出てきて選挙戦を賑わせるのだが、何だかどれも帯に短したすきに長し、のような感じである。今の世の中や政治を何とかしたいというその意欲は評価したいのだが・・・。

私の住んでいる尼崎市では、昨年の総選挙では「公明対新党日本」といういびつな選挙戦を見せられ、結果、新党日本の田中康夫氏が当選した。ただこれは私の勉強不足なのかどうかはわからないが、当選した後の田中氏の業績というのは何やねん?という気がしている。また新党日本の存在意義というか、立ち位置も影も薄い。一時のブームに乗って、評論家でホモの勝谷某とか尼崎の市長やらの知り合いというだけでやってきた落下傘候補でしかなかったということか。

次の選挙は正直どないしようか、全く決定打が見えてこない・・・・。

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CATV化で見られたサヨナラ試合

2010年04月20日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

先日、私の住む建物にテレビの視聴障害が発生。新しく出来た建物がどうだとか何だとかで、従来からのアンテナ方式ではテレビが映らないというような話であった。このため、市の費用負担もあってケーブルテレビ化の工事を行った。

その工事に来た際に、CATVの多チャンネル化の勧誘があった。せっかくの機会ということもあり、これに乗ることに。先日チューナーがやってきてセッティング完了。

今やプロ野球は球場でナマの試合を観るか、CATVで見るかという時代だろう。試合開始から試合終了までやってくれるし、やかましいほどのCMもないし、よくわからんタレントがゲストとやらで出ることもないし・・・。もっとも、ホームチームべったりの中継のことが多く、ビジターのファンからすれば面白くないこともあるだろうが。

他にも旅のチャンネル、ニュースチャンネル、鉄道の番組など多く、まだ視聴できるチャンネルを全て回ったわけではないが、少なくともよくわからないバラエティー番組ばかりの地上波よりもコンセプトがしっかりしているし、「与えられる」番組ではなく「自分から見に行く」番組が多くなると思う。

そのCATV化で試合途中からテレビ観戦し、劇的な逆転サヨナラ試合を観ることができたのが今日のオリックス・バファローズ対日本ハム戦。9回裏、日本ハムの抑え・ウルフから後藤が暴走気味ながら果敢に塁を狙って二塁打。ラロッカの内野安打でつなぎ、歌麿・北川のタイムリー、T-岡田が敬遠で満塁として赤田がサヨナラ。その連続をリアルタイムに観ることができたのはよかった。これで再び貯金1となったこともあり、これからの巻き返しに期待したいものである。

CATV化で仕事から帰るのが楽しみになりそうである・・・・。

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造幣局の桜の通り抜け

2010年04月18日 | まち歩き

晴天に恵まれた18日、大阪造幣局恒例の桜の通り抜けに出かける。

春の風物詩として、また一足遅い桜見物ができるということで毎年大勢の見物客で賑わうのだが、私自身はといえば5年ぶりに足を運ぶことになる。

さて会場への最寄りは京阪・地下鉄の天満橋駅ということになるが、今日は東西線の大阪天満宮駅からアクセス。こちらからも結構歩く人が多く見られる。

Dscn8795午前11時頃。すでに大勢の見物客で賑わっている。昨日の土曜日は1日に12万人が訪れたという。日曜日で天気もよく、どれだけの人が訪れるか。

Dscn8814あくまで「通り抜け」であり、警備員はしきりに「立ち止まらず前の方に続いて順序よくお進みください!」「立ち止まっての写真撮影は通行の妨げになりますのでご遠慮ください!」と拡声器でアナウンスするが、それはもう儀礼的なものにしか聞こえない。

Dscn8832全体のコースは500mあまりであるが、そこに一時にどのくらいの人が詰め掛けているのだろうか。まあ、前が進まないからカメラを構えて写真を撮るのには苦にならないのだが・・・。

Dscn8803というわけで、この構内に植わっている八重桜の数々を。

Dscn8818Dscn8838Dscn8852Dscn8843

Dscn8801また、桜一本ごとに一首したためた短冊がぶら下げられており、それと桜の組み合わせを楽しむのもまた興趣あることかと。

Dscn8805

Dscn8845

Dscn8849

 ・・・・ロマンスが生まれるかどうかは、わからないけどね・・・・。

Dscn8855アオザイの国からも見物に訪れているようで、こちらもまた可憐な花を咲かせているように見える。

Dscn8831500mの距離を40分くらいかけて「通り抜け」る。

さて、花見といえば「花より団子」という言葉があるが、さすがに造幣局の構内では飲食物を売っていない。そこでというか、アフター花見はということで、造幣局横の大川べりには多くの屋台が出ている。いや~、何にしようか迷ってしまう。

桜の時期なのだからと、とある屋台でワンカップを求める。あてはたこ焼き(この組み合わせも何だか妙なものだ)。

これを、川べりのわずかなすき間に腰掛けて味わう。周りでも同じように弁当、酒などを広げて宴会をやっているグループが多く、まさに花見の風情。

Dscn8858そこを、大川を行き交う花見クルーズの屋形船が行き交う。水の都を楽しめるスポットである。

Dscn8866少し西のほうに歩くと、ちょうどこんな景色も見ることができる。あちらのほうも桜のスポットではあるが、もう終わっているだろうな・・・・。

造幣局の桜の通り抜け、帰宅後にホームページによればこの日の夕方までの人出は何と13万人を超えているという。夜9時までライトアップされているそうなので、夜桜見物と合わせればいったいどのくらいの人出になるのだろうか。

この桜が終わればそろそろ春のうららかさも一段落。次の新緑の時期、若葉の時期というのが楽しみになってくる・・・。

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古今伝授の里、郡上市大和町

2010年04月18日 | 旅行記D・東海北陸

長良川鉄道の終着駅・北濃から南下する。高速道路の白鳥インターが近いが、時間もあることだし、この日中に帰宅できればよいので国道を通っていくことにする。今度は足羽川に代わり、長良川が車窓の友となる。結構桜も植わっていて楽しませてくれる。

Dscn8765美濃白鳥駅に立ち寄る。ここも木造の風情ある駅舎である。

Dscn8768ちょうど北濃行きの気動車がやってきたので写真撮影。運転士が私のほうをみやって「乗らんのか」という表情をしたように見える。昼間のこの時間、一人の乗客を降ろすとあっさりと出発する。また駅の周りには静けさが訪れる。

さて行先をということで、長良川鉄道の駅に併設された温泉「みなみ子宝温泉」に立ち寄ることにしよう。郡上八幡の町並みは今回省略することになるが、長良川に沿ったドライブをということで国道156号線を走る。ちょうど長良川鉄道の線路も並行する。結構、桜と川を入れた写真が撮れそうなポイントも見られる。

と、南下するうち、郡上八幡の手前で「道の駅 古今伝授の里やまと やまと温泉やすらぎ館」という看板を見る。道の駅に温泉か・・・。こういうスポットがあることはここで初めて知ったこともあり、以前にも訪れた「みなみ子宝温泉」より面白そうかなということで、立ち寄り湯はこちらにする。

それよりも気になったのが「古今伝授の里」という言葉。「古今伝授」とは、中世から近世にかけて行われた、古今和歌集の解釈を中心として、和歌に関するさまざまな学説などを口伝や切紙で師から弟子に伝えるというものであるが、ここが「古今伝授の里」と言われるのはどういうことだろうか。

Dscn8771その前に温泉である。近代的な設備で広々としている。天然温泉を引いた大浴槽に露天風呂、井戸水を使用したアトラクション風呂などなかなか充実している。これから長時間かけて帰宅する前の一息として結構なものである。

こうなれば湯上りのビールがほしいところだが、今回はドライブの身としてそれはできない。ただふと自動販売機を見ると、キリンのフリーがある。迷わずこちらに手が出る。何だか助かったような気分。

Dscn8773入浴後、隣接する道の駅で地元の酒やら美濃牛を使った具材などを買い求める。この道の駅もさまざまな食べ物コーナーあり、地元産の食材も多く売られておりドライバーで賑わっている。それにしても今回、クルマでの移動ということもあり土産物の料が増えてしまう。

Dscn8774さて、先ほどの「古今伝授の里」であるが、これを説くカギが、道の駅から再び国道156号線に戻り、長良川鉄道の徳永駅前から奥に5分ほど入ったところにある「古今伝授の里 フィールドミュージアム」にある。和歌文化館、東氏記念館を中心として、史跡公園として整備されているスポットである。

Dscn8777時代はちょうど応仁の乱の頃。このあたりを治めていた東常縁(とうのつねより)という守護代がいた。東氏というのは代々和歌の素養にたけており、戦乱で奪われた城を和歌の応酬によって取り返したというエピソードもあるくらいである。常縁は当時古今和歌集の研究を極めた第一人者と言ってもいいだろう。

Dscn8778有名な連歌師である宗祇という人物がいる。この宗祇が師事したのが東常縁であり、3年をかけて常縁から宗祇に切紙による伝授が行われたのがこの大和町であったとされる。この「免許皆伝」により、中世から近世にかけての「古今伝授」の手法が確立されたという。

郡上八幡に「宗祇水」という名水がある。常縁から古今伝授を受ける間、この泉のほとりで過ごしたことからその名がある。これまでは「宗祇水」という観光スポットだけ知っていたが、ここで東常縁という人物が出てきて、何だかこれで歴史がつながったような気持ちがする。

Dscn8784この郡上市大和町はこの歴史を受け継いでいく町づくりを行っており、常縁の居城のあったこの一角を「古今伝授の里」として整備している。2つの建物では古今伝授や和歌の歴史に関して視覚的に学ぶことができる。

Dscn8783また隣接する明建神社への「奉納連歌」も行われているようで、その原稿を見ることもできる。周囲の山里の景色も「大和」という言葉の響きがよく似合うように見える。

Dscn8790その明建神社も由緒ある郷社であるが、参道には美しい桜並木が広がる。この日はまだ五分咲き程度というところだが、この記事を書いている18日はちょうど春祭りが行われるとか。フィールドミュージアムのHPによればちょうどその頃には満開になるとかで、おそらく春の訪れを満喫できることだろう。

うーん、まさか美濃の山奥で(といっては失礼だが)このような奥深い和歌文化に出会えるとは思わなかった。今回のドライブで一番の発見であった。

ドライブといっても高速道路で一気に走り抜けたのではわからないことがある。国道や県道を走ることで町の様子にも少しは触れることができるし、看板を見て思わず「こちらに行ってみようか」と寄り道をすることもある。・・・これって、新幹線や特急列車で一気に行かず、途中下車を繰り返しながら進む鈍行列車の旅とも共通する面白さかな、と思う。

これから時期もよくなるので、鉄道の旅、クルマでの旅、この両輪での楽しみというものを味わいたいものである・・・・。(終わり)

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越美北線から越美南線へ

2010年04月16日 | 旅行記D・東海北陸

越前大野までやってきた11日のドライブ。ここまで来れば福井から岐阜への県境も近く、このまま福井へ引き返すよりは先に進もうという気持ちになる。

Dscn8748_5国道158号線をさらに東へ進む。越前大野の市街地も離れ、少しずつ高度が上がり、両側から迫る谷も深くなってきた。この辺りになると道路にはスノーシェルタの区間も目立ち、また谷の両側には残雪も見られる。

Dscn8744そんな一角に見事に流れ落ちる滝も見つける。このあたり、越美北線はトンネルで一気に走り抜けるところだが、国道は九頭竜川の上流に沿ってクネクネと進むところである。それでも名古屋や尾張小牧やら、あちらのナンバーをつけたクルマの往来も多いところ。

Dscn8753正午前に、越美北線の終着駅・九頭竜湖に到着。この駅には「道の駅」も併設されており、地元産のまいたけを売っていたり、まいたけご飯やら山菜のおこわなども売っている。ちょうど昼時ということもありまいたけのご飯をいただいたりする。

Dscn8750さて、越美「北」線があるからには「南」線もある。その南線というのは現在の長良川鉄道である。もともとこの両線は越前と美濃を結ぶことを前提に計画された路線であるが、モータリゼーションの普及やら財政難やら利用客の減少などで結局結ばれることなく、一時は両方とも廃止の話が出ていたくらいのものである。

もはや両線を結ぶことは実現できないことであるが、せめてクルマでたどってみることで何かわかるものはないか。そういう思いで先に進む。

Dscn8754九頭竜湖の駅から走ること10分ほどで、九頭竜川の上流にある九頭竜ダムに到着。ここに立ち寄る人の姿も見られる。ちょっとした憩いの場となっていて、湖を見ながら弁当を広げる家族連れも。

Dscn8755事務所の一角では九頭竜ダム建設の様子を記録した映像を見ることもできる。とにかく日本列島をあれやこれやで開発して経済を活発にしようという、往年の政治史の一端を垣間見るような気もする。

Dscn8756ダムの見物を終えて再びドライブ。九頭竜湖の穏やかな湖面に沿ってしばらく走る。この辺りになると元々植わっていないのか、桜の風情を楽しむということはほとんどなかった。いつしか県境を越える。九頭竜湖駅から一番近い美濃白鳥まで約25キロ。最近の鉄道技術をもってすれば「越美線」を開通させることも可能だったのだろうが、結局実現することはなく。こうやって行き止まり同士を結ぶのが面白いかどうかはまた別のものであるが・・・・。

Dscn8758美濃白鳥の辺りの中心部から北にしばらく外れ、やってきたのが長良川鉄道の終着駅、北濃。

Dscn8760「北」線の終着駅・九頭竜湖は道の駅も併設してある程度鉄道の駅として認知できるところなのだが、この廃屋寸前の終着駅はどのように見ればよいのだろうか。転車台もあって駅として風情としては悪くなと思うのだが・・・・。

この後はどうしようかとも思ったが、もう午後も回ったことであるし、少しずつなれど関西に向けて戻ろうということで、クルマの進路を南に取る・・・・。(続く)

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一乗谷と越前大野

2010年04月15日 | 旅行記D・東海北陸

11日の朝の福井は前日とは打って変わって雨で迎える。この雨で桜も散ってしまうのではないかと思わせる。

さて、当初のとおり「青春18」利用で列車で来ていれば、2日目のこの日はえちぜん鉄道やら福井鉄道に乗りながら少しずつ南に下ろうかというところだったのだが、今回はクルマでの移動。ということであれば、クルマを使っての観光移動ということにする。

前日は東尋坊に三国港という「海側」を回ったので、今回は「山側」を回ることにする。ということで、国道158号線を東へ30分ばかり走り、戦国時代の朝倉家の本拠地のあった一乗谷に到着する。

Dscn8701足羽川に流れる一乗谷川沿いにある、一見のどかな山村である。その一乗谷も400年以上前の町の様子が遺跡として良好な状態で残されていることから復原が進み、昨今の戦国ブームとも合わせてひそかな人気スポットとなっている。もう10年も前になるか、初めての越美北線乗車の時に訪れたが、一乗谷の駅から「無料」の自転車をこいで屋敷跡に出たのを覚えている。

Dscn8705雨に濡れているのが残念だが、現在の集落やかつての屋敷の跡地ではちょうど桜が見ごろとなっており、しばしそぞろ歩く。晴れていれば、その下で弁当を広げるのもオツな感じがする。

Dscn8699遺跡のシンボルにあたる朝倉館跡にある唐門。現在で見れば静かな山村だが、かつて戦乱を逃れた公家や僧侶たちも大勢住み着き、北陸有数の都市であったことを窺わせる建物である。足羽川の水運というのも町の発展には何か影響があったのかなとも思う。

Dscn8707さて、その当時の賑わいを21世紀の現代に復原させたのが、遺跡の一角にある復原町並。当時の武家屋敷、そして町家の一部を実際の遺跡の上に復原させたもので、こうやって見ると現代の作り物とは思えない景色が見られる。

Dscn8711柱の組み方、土壁など、それらがちょいと使い古されたかのようなレタリングを施されており、しばしタイムスリップを味わう。

Dscn8720武家屋敷では主人が客人を招いて将棋の最中。そして使用人が料理の準備に慌しいようである。

Dscn8718ただ、門の向こうはかつての屋敷の礎石が残るのみというところもある。これは、遺跡と復原町並の両方の姿を同時に見てもらおうということか。まあ、全部昔風に復原してしまうこともないだろう。

しばらくの城下町散策を終え、国道のほうに戻る。すると、目の前を2両の気動車が越前大野方面に向けて過ぎ去っていくのを見る。ならば、ということで進路を越前大野方面に向ける。気動車を追いかけてみたくなったということもある。

ローカル気動車ということでのんびりした交通手段のイメージがあるが、ところが気動車が走っているのを横で見ると結構早いものである。一般道を走る限りではそうやすやすと追いかけられるものではない。

ただ、クルマはほとんど信号に引っかからない中、気動車は途中の各駅に停車する。その間に抜き去り、そしてまたどこかで追い越される。そういうことを繰り返す。

Dscn8722途中、気動車が私のクルマを追い越し、その後で足羽川の鉄橋を渡るところを慌ててカメラに収める。「青春18」のシーズンが終わった次の日の日曜日の乗客は20名いないくらいに見えた。まあ普段の日曜日の朝の列車はこんなもんだろう。

Dscn8727足羽川に沿って進むうち、川沿いに何やらコンクリートの塊を見つけ停車する。近づいてみると、「福井豪雨の記憶」とある。2004年7月に発生した福井豪雨(そういえば2004年という年は台風が数多く来襲するわ、新潟県中越での大地震が起こるわ、冬は大雪に見舞われるわで、異常気象の年だったと思う)の影響で足羽川が大暴れし、越美北線の鉄橋の橋梁も流された。このモニュメントはその流された橋脚の一部ということである。福井豪雨の影響で結局越美北線は3年もの長きに渡り、不通・代替バス利用という不便を強いられることになった。

確かにこういうモニュメントを見かけて、「そういえばかなり長い間運休になっていたっけ」というのを思い出したくらいである。鉄道の安全性や「3年かけても復旧させた」くらいの鉄道の重みというものを改めて感じさせられるポイントであった。

さて、とはいうものの再び越美北線を遠くに見るところまで追い上げ、クルマは越前大野の市街地へショートカットするトンネルを抜ける。ここで結局逆転。遠くに越前大野の復原天守閣を見る。

Dscn8736せっかくなので、というより越前大野の町に降り立つのが初めてなものなので、観光駐車場にクルマを停めて、越前大野城までの山道を上がる。坂道を上がるたびに盆地の町並みが広がるのが見えてうなってしまう。

Dscn873010分ほどかけて天守閣前にでる。ちょうどこちらも桜が見ごろ。やはり「城郭と桜」というのは、どこに行っても似合う組み合わせである。

Dscn8733こちらが町並みの景色。本当、「小京都」という言葉がよく似合う景色といえるだろう・・・。

Dscn8740越前大野は水の町でもある。町のいたるところで「名水」とされる水が湧き出ており、観光客の楽しみというだけではなく、地元の人たちの生活用水として活躍している。

Dscn8739中でも有名なのは、町並み散策の中心部から少し歩いたところに湧き出ている「御清水」。一掬い飲んで、その混じりけのなさを味わう。そしてペットボトルに入れて持ち帰る。なかなか難しいが、季節のよい時などは井戸の周りで世間話・・・などということもある。

水がよいということはいい食べ物の生まれる土壌にもなる。最後に立ち寄った土産物店にて、越前大野の地酒「花垣」の瓶に、地元製造の醤油のボトルを購入する。これはまだ味わっていないのだが、それぞれどんな風味を楽しませてくれるのやら。

さて越前大野まで来たところで、この先どのようなコースで関西に戻るか。少し思い切ったコースどりを行ってみることにする・・・・。(続く)

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足羽川で夜桜見物

2010年04月13日 | 旅行記D・東海北陸

10日、福井・三国港でのBCリーグ観戦を終え、20キロほど離れた福井市中心部に移動。この日の宿泊は福井ということになる。本来であれば、BCリーグのオフィシャルスポンサーでもあるルートインホテルに泊まりたかったところだがあいにく満室のため、市役所前に近いエースイン福井に投宿。大浴場があるのと、姉妹店オープン記念とかでシングル4500円のプランを見つけたことからここにした。

さてチェックイン後、まずは夜の料理ということで福井駅前に向かう。福井にはかなり以前に一度泊まったことがあるが、その時入った居酒屋で隣に座ったお兄さんと意気投合して、その後駅の今庄そばの屋台まで連れられてそばをおごってもらったことがある。その時の店も再開発でなくなったか、今となっては特定できない。

Dscn8649ぶらぶらするうち、駅前のビルの地下に「味の王様」という店を発見。カウンター、テーブル含めて30人弱が入れる小ぢんまりした居酒屋であるが、旅行雑誌でも紹介されているという店である。その一方では地元の人もふらりと寄ってきて店の親父と談笑する光景も見られるという。まるっきり観光客向けでもなく、かといって常連の地元の人が幅を利かせているという店でもないというのが、一見の客として入るのに私的にちょうどいいかなと思う。

Dscn8645刺身の盛り合わせ、福井名物鯖のへしこ焼きなどを注文。この他にはこの店一押しの鯵のタタキを注文。親父のレクチャーによれば、タタキ全体にちょろっとだけたまり醤油を垂らし、それに好みの薬味を合わせて食べるのが最も美味しいという(逆に、醤油を垂らした皿にタタキの切り身をつけて食べるのが最も美味しくないという)。確かにこうしたほうが魚の風味をよい味わうことができるように思う。

Dscn8648後は若狭名物の笹ガレイなど。これらに対抗するのは福井の名酒「一本義」である。まさに「一本勝負」を挑む。ただこの「一本義」のセコンドもしくはパートナーとして越前若狭の魚たちがつくのだから、私としてはそれ以上勝負のしようがない。あっさりと一本取られてしまった・・・。

さて、心持もよくなったところでむかうは、ホテルからもほど近い足羽川。

Dscn8662ここではちょうど桜が見ごろ。ちょうど「桜祭り」というのも行われているようで大勢の見物客が訪れていた。桜もきれいにライトアップ。

Dscn8673Dscn8676ちょうど川べりのステージで繰り広げられていたジャズなどのライブ音を聴きながら、しばらく、桜並木の下を歩く。

Dscn8688「まさに坂本冬美、演歌の花道かしら?」という声もある。

Dscn8667昼間は野球場での桜、そして夜は川べりでの桜。まさに福井は花見ごろである。春先のお出かけとしてかなりいいところを選択したのではないかなと思う。

すっかりいい心持になってホテルに戻る。さて翌日はどう動こうか・・・・。(続く)

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東尋坊・三国港へ

2010年04月12日 | 旅行記D・東海北陸

・・・元々は、「青春18きっぷ」の1回分を使おうと思っていたのである。

春の青春18の有効期限は4月10日(土)まで。元々春の18きっぷは使う機会がなかなかないということで社会人になってからはあまり購入していたかったのだが、今回「1日分」ということで、ネットオークションに入札して2500円で購入したものがある。

10日は福井・三国港で行われたプロ野球独立リーグ・BCリーグの観戦を予定していたのだが、その足として福井まで青春18を利用し、福井からはえちぜん鉄道で三国港を目指すという計画を立てていた。大阪を6時20分に出る快速に乗れば、京都、湖西線・近江今津と乗り継いで福井には10時前に到着するということで、これだけでもモトは取れるというもの。そんな段取りで10日の朝を迎える。

・・・・ということで、10日の朝目覚めて時計を見ると6時ちょうど。・・・・あかん、寝過ごした。

いくらなんでも尼崎の自宅から大阪駅まで20分では行けないぞ。ということで、もろくも青春18は紙切れと化すことに(もし、私と同じオークションに入札していた方がいらっしゃれば申し訳なかったです)。

ならばということでアタマを切り替え、鉄道はあきらめてクルマで出かけることに。早速キューブを「出動」させることにする。名神高速から北陸自動車道を乗り継げば行けるだろう。クルマで出かけるなら荷物もそのようなモードにして、モバイルパソコンも詰め込んで、鉄道で出かけるより重装備になって6時30分に出発。

尼崎インターから名神高速に乗車。土曜日の朝であるが大山崎のあたりもほとんど渋滞なく通過し、いい感じで走る。途中、自分の走行位置と「乗る予定だった列車の乗り継ぎコース」の時刻表を比べながら、少しずつではあるが差が縮まっているのを感じる。

順調に走って敦賀インターを通過したのが8時半すぎ。乗る予定にしていた湖西線からの列車の敦賀到着が8時48分・・・・。ここで列車を追い越す形となった。

Dscn8445ということもあって、敦賀インターの次の杉津パーキングエリアで休憩を取る。ここは北陸トンネル開通前の旧・北陸本線の駅があった場所。北陸自動車道の一部区間は旧・北陸本線が走っていたルートを利用して建設されている。

Dscn8447ここから眺める敦賀湾の景色がまた見事である。現在の北陸本線はこの辺りをトンネルで抜けてしまうので、これは高速道路ならではの景色となる。

Dscn8446夕陽の美しいスポットとしてカップルにも人気で、海を眺める展望台には「愛のロック」とかいうことで、二人の名前を書いたカギをフェンスにくくりつけるのが人気である。まあ、私には縁のない話なのだが、こういう風景も悪くはないものだ。それにしても、ここを訪れるカップルの皆さんも、「かつて鉄道の駅がここにあった」と聞けば驚くだろうな。

Dscn8453ここで遅めの朝食で「日本海白波丼」。イカ、ホタテ、カズノコ、つぶ貝が乗って680円。これはなかなかの買いである(他に一番人気としては日本海の夕陽をイメージしてマグロや甘エビなど赤身の魚を盛り込んだ海鮮丼もあり)。このほかに敦賀名産のカマボコ、鯖のへしこ、とろろ昆布などを買い込む。クルマで来ると買い物が多くなって出費が増えるのが痛い・・・。

この後も順調に走る。高速道路の沿道にも結構桜が植えられており、それを眺めてのドライブ(残念ながら運転中のため画像はありませんが・・・)。そういえば満開の桜の高速道路を運転するというのもこれまでそうなかったかなと思う。

おかげで退屈や疲労を感じることもなく、列車よりもかなり早いペースで福井インターも通過し、金津インターまで進む。ここまでの料金は2200円。青春18は無駄にした格好だが、土日のETC割引を活用してダメージを少なく抑えることができたと言っていいだろう。

さてここから三国港まで向かうのだが時間もあるために、三国港の手前にある東尋坊に久しぶりに行くことにする。金津から20分ほどで到着。

Dscn8466ここを訪れるのもいつ以来だろうか。春の好天で波も穏やかなのだが、それでも海岸に面して切り込んで立つ岩々はゴツゴツしたもので、迫力がある。

Dscn8468この断崖絶壁に佇んでみると迫力がある。勇気のある観光客がちょいと下を覗き込んでいるが、私にはとても真似はできない。この写真も結構後ろに引いて、カメラをズームさせて撮影したものである。

Dscn8469東尋坊はよく「自殺の名所」と言われている。散策エリアの一角にも「命を大切に」といった立て看板があったり、公衆電話に警察へのホットラインがあったりする。素人が素面の状態で断崖絶壁に立ったらビビるだけだが、それでも自殺を図る人というのはよほど肝が座っているということだろうか。それも、春や夏の穏やかな時期ではなく、冬の厳しい荒波の時期なんかに訪れてみると・・・・。

Dscn8474今回は遊覧船での観光はパスして、クルマを少し走らせて九頭竜川の河口に面した三国温泉「ゆあぽーと」へ。一度訪れたことがあり、浴室からも日本海とそこに伸びる突堤の跡地を望むことができる絶好のロケーションにある。

Dscn8475ちょうど、こんな感じで見えます。ちなみにこの突堤を設計したのが、あの「だまし絵」のエッシャーの父、エッセル。近くの「みくに龍翔館」には、エッセルの事績を紹介するとともに「だまし絵」の展示もある。

朝が早かった(といっても6時起きだが)うえにクルマをずっと運転してきたこともあり、ここでの入浴は気持ちいい。しばしボケッとする。何だか、列車を乗り継いでくるよりも余裕のコースになってやしませんかな・・・・。

この「ゆあぽーと」、えちぜん鉄道の終点・三国港駅から歩いて5分くらいのところにある。というわけで、せっかくなので三国港駅まで出る。今回町並の見物は省略するが、せめて久しぶりの駅の表情など見ることにしよう。

Dscn8479駅舎もいつしかレトロ風のものに建て替えられており、ホームには旧・京福電鉄時代からの路線の歴史をパネルで紹介する建物も新設されている。

Dscn8488ちょうどそこに福井からの電車がやってきた。1両きりの車両がホームにちょこんと停車しているのは鉄道模型を見ているかのようである。乗客もほとんどおらず、運転手と「アテンダント」が発車待ちの間仲良く談笑しているのものんびりした光景で微笑ましい。

Dscn8486穏やかな港町の駅での一時。うーん、ここまで来ればポイと乗ってもいいところだが、この後にBCリーグの観戦があるもので、ここはせめて列車の発車するところを見送るに止める。やはり、鉄道の駅には鉄道で訪れるのが一番いいな、と思わせる。

この後はクルマで5分ほどの運動公園へ。前の記事のようにBCリーグの熱戦を観戦し、福井ミラクルエレファンツの勝利を見届けて福井市中心部まで移動・・・・。(続く)

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4月DM定期検診

2010年04月12日 | ブログ
今日は月に一度のDM検診のため通院。月曜日ということで早めに会社を早退して出かけたがそれにしても待ち時間が長い。

さて、3月度のHbA1cだが5.0%。この数ヶ月5.0~5.1%の間で推移しており、症状としては安定。このところ、複数いる専門医の中でも非常勤の若い先生に診察を受けることが多く、病院側から見ても深刻な患者の扱いではないということかな。

本日の診察後、これまで朝夕服用していた飲み薬のうち、夕方のものを中止することになった。これでレベルがもう一つあがったことに。ただ、これからは飲み薬なくても常に安定した血糖値コントロールに向けてハードルがあがることに。

旅に出ることが多い分、日常生活をよりきちんとしなければな…。

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