まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

野球観戦の前に福岡・宮地嶽神社に参拝

2024年04月29日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

4月21日、日帰りで福岡までホークス対バファローズの試合観戦に出かけた。その観戦記はすでに書いたのだが、その前段ということで・・。

広島から博多までは「のぞみ」や「さくら」なら1時間10分以内、「こだま」でも1時間半、途中駅で後続列車の通過待ちが続いても2時間ほどで着く。新幹線の時間だけでいえば大阪よりも近い。そのこともあり、2回目の広島勤務となった2020年10月以降、バファローズの福岡での試合を観る機会もつくっている。

さてこの日、広島6時53分発の「こだま781号」で出発する。この列車、九州への日本旅行の割引プランを使って何度も利用している。現在鹿児島まで進んでいる九州八十八ヶ所百八霊場めぐりでは九州へのアプローチとなっている。この日は乗車した後、車内ではウトウトを通り越してしっかり眠っていた。各駅停車だが、ホームの駅名標を見ていない駅もちょくちょく・・。

九州に入り、さすがに8時を回ると体もシャンとしたようで、8時21分、博多に到着。そのまま在来線ホームに出て、門司港方面の列車が発着するホームの一角にあるスタンドでラーメンをいただく。ホームの立ち食いそば・うどんはあちこちにあるが、立ち食いラーメンというのが博多らしさである。

さて、ペイペイドーム福岡での試合である。あ、4月25日からは「みずほペイペイドーム福岡」という、スポンサーが2社連名となったなあ・・。もしこのドームで日本シリーズが行われることになると、日本シリーズのスポンサーはSMBC、三井住友である。「みずほドーム」というのは面白くないだろうな・・・あ、いや、ホークスが日本シリーズに進出してこうしたことを心配するより、バファローズが4連覇して日本シリーズ進出、そしてタイガース・・いやカープとの対戦でバファローズが日本一になることが、私の願いである・・。

まあ、オリックス銀行、楽天銀行というのもあるし、いらん心配だ。

何の話だったか。ドームでの試合前に福岡のどこかに行けないかということである。九州八十八ヶ所百八霊場めぐりは鹿児島だし、取り急ぎ、福岡での札所めぐりはない。その中で鹿児島線の門司港行きに乗り、降り立ったのは福津市にある福間駅。

ここから向かうのは宮地嶽神社である。福岡から東の方向に筥崎宮、香椎宮、宗像大社など由緒ある神社が並ぶ中、宮地嶽神社もあったなということで出かけてみる。西鉄貝塚線は以前は西鉄宮地岳線として津屋崎まで運転されていたが、この神社への参拝者の輸送も担っていたことだろう。

やって来た西鉄バスに乗り込み、6~7分で宮地嶽神社前のバス停に到着。松ヶ枝餅などを売る門前の商店街を抜けると石段が続く。

石段を上りきったところで後ろを振り返る。この日はどんよりした空模様でこの後雨になるのだが、ここからの景色が「光の道」として知られている。参道が海岸まで一直線に伸びており、沈む夕日がその参道を照らすと一筋の光の道が生じる。毎年2月下旬、10月下旬頃に見られる現象だが、有名になったのは数年前にテレビCMのロケ地になってからだという。

もちろんこの日は景色を望むべくもなかったが、石段の横には「光の道」のパネルがある。

そのまま境内を進む。宮地嶽神社の創建は約1700年前、神功皇后が三韓征伐に出発する時、宮地岳の頂上に神を祀り、勝利を祈願したのが始まりとされる。後に神功皇后を主祭神として、おつきの勝村大神、勝頼大神とともに祀られている。「何事にも打ち勝つ開運の神様」として全国から多くの参拝者が訪れる。

様々な神馬やなで牛も並ぶ。神馬といえばたいていは颯爽と駆ける様子を表しているが、こちらには頭を垂れている神馬像がある、これは何かのメッセージだろうか。ちょうど脇に「人間万事塞翁が馬」とあるが・・。

拝殿に到着。しめ縄が太くて大きい。大きなしめ縄といえば出雲大社を思い浮かべるが、宮地嶽神社によればここが日本一大きいという。

また奥の本殿だが、屋根が金色である。宮地岳の中腹には6世紀末頃のものとされる宮地岳古墳というのがあり、石室にはさまざまな装飾品が納められており、金を施したものも多数見つかっている。時代を経て開運、商売繁盛の神として信仰を集める中、現在の地に遷って80年の年に屋根を黄金色にしたとある。しめ縄の他、こちらも日本一の大きさとされる大鈴、大太鼓。そして「光の道」・・パワースポットを前面に押し出しているかのようだ。

ここまででも十分ご利益ありそうだが、宮地嶽神社でぜひ訪ねるべきとされるのが「奥之宮八社」。こちらも一社一社お参りすれば大願が叶うという信仰がある。この奥之宮の先にあるのが宮地岳古墳である。それほど時間もかからないようなので、せっかくならば訪ねてみよう。

まずは一番社の七福神社。小さな祠だが、いきなり七福神のお出迎えとは。

二番社は稲荷神社。朱色の鳥居が幾重にも並び、狐の像も出迎える。

そして三番社の不動神社に向かうが、参道には多くの幟が奉納されている。ここが奥之宮八社発祥の地で、祠の奥に宮地岳古墳の石室があり、現在は不動明王が祀られている。不動「神社」というのも神仏習合の要素があり、そもそも、かつてはこの地を治めていたであろう有力者の石室を神社にするというのも大胆だと思う。

ここで折り返しとなる。四番社は万地蔵尊。子どもの願いを叶えてくれるという。

五番社は恋の宮。こういうジャンル?も扱っているのか。淡島神社と濡髪大明神の二社ということで、女性の体、心両面を守るという。

六番社は三宝荒神。火の神様として、台所や食べ物・調理の神様として信仰されている。祠の脇には竈も置かれ、また左右に鶴が一対置かれている。竈はわかるのだが、鶴が三宝荒神と何か関係あるのだろうか。

七番社は三宝荒神のすぐ脇の水神社。この辺りは大きな川がなく、農民たちは古くから宮地岳の地下から湧く水を神の恵みとして大切にしてきたという。

そして最後は薬師神社。こちらも薬師如来が神社に祀られるという神仏習合である。

江戸時代中期、宮地岳の山崩れにより古墳の石室が見つかり、畏敬の念として不動明王を祀ったのが奥之宮八社の始まりとのことで、八つの社でありとあらゆるご利益を網羅している。よく八社並べたもので、ありがたい限り。

宮地嶽神社からの帰りだが、バスの本数が限られる中、奥之宮八社を回ったことで中途半端な時間になった。ただ、往路のバスも乗車時間は6~7分だったから、歩いても行けそうだ。今にも雨になりそうな中、約25分で福間駅に戻った。ここでちょうど雨が降り始めたから、宮地嶽の諸々の神仏が護ってくれたようなものだ。

そして博多まで出て、ドームまで移動。そしてこの日はバファローズが勝ち、私の福岡観戦の連敗記録も止まった。宮地嶽神社さまさま・・・?

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第79番「浄土王院」~広島新四国八十八ヶ所めぐり(再びの極楽寺山)

2024年04月24日 | 広島新四国八十八ヶ所

ようやく残り10ヶ所となった広島新四国八十八ヶ所めぐり。終盤は廿日市、そして宮島に固まるのだが、次の第79番・浄土王院は一転して廿日市の極楽寺山の頂上にある。

その山の名の元である極楽寺だが、実は広島新四国の第7番札所で、この札所めぐりの初期に訪ねている。ちょうど3年前、2021年4月のことである。その時に極楽寺本堂の斜め前にある浄土王院も訪ねており、朱印も一緒にいただいている。当時の記事を見返すと、広島新四国については確かに札所番号順で回るとしても、さすがに同じ境内にあるのなら、本堂と浄土王院の両方に手を合わせて朱印も2枚いただいたことで第79番は先行してクリアしたことでよいのでは・・という内容のことを書いていた。

ただどうだろう、広島新四国はさまざまな経緯があり、四国八十八ヶ所のように札所番号が道順通りに並んでいないのである。原爆で焼失したとか、あるいは市街地の再開発により郊外に移転した札所もあれば、寺の経営難などで廃寺、札所返上といったところもある。そうして広島近郊を行ったり来たりしてきただけに、先に参詣済でもここは改めて第79番を目指すことにする。4月20日、所用があるのに合わせて昼前に出発する。

極楽寺山へは公共交通機関の便がなく、むしろ登山の名所として知られるが、さすがに山登りもないだろうとクルマで行くことにする。西広島バイパスを走り、速谷神社の脇を通って国道433号線を上る。しばらくは新たに開かれた区間だが、本格的な上りになるとまずループ橋にさしかかる。

そして道幅が狭くなり、何度もS字カーブを抜ける。3年前に来た時には「遠い将来には改良されるのだろうが」と楽観的なことを書いているが、3年程度ではまだ「遠い将来」ではないようだ。「国道」ながら相変わらずの「酷道」。

極楽寺山の案内が見え、「さくらの里」にさしかかる。この辺りも含めて、廿日市はさくらの町をアピールしている。今回は山桜がいくつかまだ残っていた。

そのまま車道を進み、奥の駐車場に到着。寺の正面は登山道に向いているため裏から入る形である。

そのため、まず見えるのは奥の院にあたる一願堂である。この寺の先代の住職だった一願和尚が眠っているところで、「一人一願を頼めば必ず成就する」との言葉を遺したという。「一願」といえば簡単なようだが、その「一つ」を何にするかは結構難しい。また「必ず成就する」といっても「何事も自分の思うとおりになる」とか「いつまでも何事も自分の自由にできる」という願いは、世に混乱を招くだけだろう。そこは謙虚になり、そして自分の身の丈にあった願いでなければ叶わないだろうし、願いを叶えるには自分もいろいろ努力しなければならない・・。

この後は西国三十三観音、十三仏の石像が並ぶ中を過ぎ、本堂の裏に着く。本来の参詣順路とは異なるが(やはり極楽寺山の登山も含めての参詣である)、ともかく到着。

極楽寺の歴史は古く、奈良時代に行基により開かれ、平安時代には弘法大師空海も修行で訪れている(対岸の宮島とセットで弘法大師にはゆかりがある)。そして現在の本堂は戦国時代、毛利元就が再建、寄進したものである。広島で現存する貴重な建物である。まずは本堂にてお勤めとする。

そして、斜め前の浄土王院に向かう。先ほど触れた先代の一願和尚の誓願により、京仏師である松本明慶師作の阿弥陀如来を勧請し、祀った建物である。「大仏殿」の文字もある。極楽寺としては、本堂の千手観音、浄土王院の阿弥陀如来の両方が本尊の扱いとなっている。扉を開けると、薄暗い向こうにほのかに大仏の姿が現れる。その大仏の後方には三千体の阿弥陀像が奉納されている。改めて手を合わせる。

境内には登山姿の人が何人かいる。境内の展望台からは、宮島の全体は見えないが入り江を挟んだ景色を望むことができる。

3年前に極楽寺本堂とともに浄土王院の朱印もいただいているので、この日は省略。前回とちょうど同じ時季となったが、改めて訪ねてよかったと思う。

この後は広島市内で所用があり、そのままクルマで向かう。先ほども苦労した九十九折の上り坂、実は下りのほうがコントロールやブレーキ操作に気をつかうのでヒヤヒヤする。幸い後続のクルマが追いつくこともなく、道幅が広くなってほっとする・・。

さて、次からいよいよ最終盤の80番台である・・・。

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神仏霊場巡拝の道~京都からは次につながる「あをによし」

2024年04月23日 | 神仏霊場巡拝の道

話は、4月中旬の神仏霊場巡拝の道に戻る。といっても、その時まわった京都・伏見エリアの札所めぐりはすでに終え、続いて伏見桃山での一献。後は広島に戻るだけである。

桃山御陵前から近鉄で京都に到着。そのまま新幹線に乗り継げば早いが、今回は広島~新大阪の日帰りプラン利用である。それでも新快速なり、わざわざ特急料金を払って「はるか」や「サンダーバード」で新大阪に出れば済む話。そこをあえて、もう一度改札を通って近鉄ホームに戻る。

せっかくなので、近鉄の観光特急「あをによし」大阪難波行きに乗ることにした。京都16時40分発。「あをによし」は先ほどの桃山御陵前の次の駅である丹波橋に停車するのでそこから乗ればよいのだが、「伏見酒蔵小路」で十分満足した後で、京都まで出る時間があったので、せっかくなら始発から乗ることにする。まあ、元々京都発で購入していたし・・。

やはり途中駅から乗るより、折り返しの時間がある始発駅から乗るのがよい。大きなスーツケースを転がすインバウンド客にも人気である。

車内はグループ専用のサロンシート、そしてテーブルを挟んだ1対1のツインシートの2種類。この列車に「おひとりさま」で乗る場合は、ツインシートに限り、自分の乗車券・特急券・特別車両券のほか、こども料金の特急券・特別車両券(おとなの半額)を加算することで利用できる。あくまでツインシート2席単位での販売で、見知らぬおっさん・・というか鉄ヲタ同士が鉢合わせたり、若い女性のところに私のような気色悪いおっさんが相席にならないよう、それぞれに配慮した仕組みである。近鉄としては気色悪いおっさんがツインシートを占領することじたい面白くないだろうが・・。

16時40分、京都を出発。新幹線の高架下をくぐり、右手には東寺の五重塔も見える。なお、神仏霊場巡拝の道めぐりの次の行き先は奈良。あみだくじで出たのは興福寺で、そこに行くなら東大寺、春日大社、そして新たに加入した元興寺といった世界遺産がずらり並ぶ。ちょうど前日の4月13日から6月9日まで奈良国立博物館で空海展が行われており、できればそれとも絡めたいところだ。

先ほど通った丹波橋に停車した後、まずは奈良に向けて快走する。17時を回っても外はまだ明るく、ほっとする。

大和西大寺を過ぎ、平城京跡を見やって地下に入り、奈良に到着。

ここで下車する・・・。実は、京都まで来たのだから「あをによし」に乗りたいとして、京都発大阪難波行きの第8便を確保しようとしたのだが、京都~難波の通し区間は満席。京都~奈良に空席があったので確保した。以前乗った時のように、奈良~大阪が空かないかなとチェックしていたが、残念ながら空きは出なかった。

結局、後続の奈良発神戸三宮行きの快速急行に乗る。阪神の「灘は日本一の酒どころ」のラッピング車両。わあ、先ほど伏見に行ったばかりやで・・。

近鉄奈良線で生駒トンネルを抜け、大阪平野を望む区間の夕陽に出会う。先ほどの「あをによし」ならシートに居ながらにして楽しめた車窓だが、快速急行のドア横に立ってごく自然に見るのもよいものだ。

大阪難波に着き、御堂筋線で新大阪に着く。予定していた18時50分発「のぞみ179号」に乗る。そもそも臨時の広島行きということでこの列車を選んだのだが、4月14日に限っては博多まで運転するという。広島までは新神戸・岡山のみ停車の最速ダイヤだが、寝過ごさないように・・。

「あをによし」では時間が短いのでそのまま持っていたが、「のぞみ」の中で京都で購入した穂久彩の「太秦のり弁」をいただく。穂久彩はそもそも仕出し弁当やロケ弁当がメインの店で、駅弁は余技に含まれるのかもしれないが、ごはん、海苔の上に、紅鮭の切り身、白身フライ、ちくわ天ぷら、れんこん、出し巻き玉子、生麩の田楽といったところが並ぶ。「のり弁」の中にあってグレードも高いし、新幹線車内でのビールのアテにもなる。

車内はあっという間にすぎ、寝過ごさずに無事に広島で下車。

神仏霊場巡拝の道も今回の城南宮でいよいよ100ヶ所目となった。あみだくじの行き先に従って、また1回ごとに周辺の札所をちょくちょく回る、また野球観戦や実家帰省などと絡める中で、進んでいないような進んでいるような気持ちである。これまで広島から2往復していたのが、1往復プラス宿泊のほうが安くつくこともあったはずだ(そこは、なかなか土日2日間をいつでもフルタイムで空けられない事情もあり、逸失しているかな・・)。

次に回ってきた奈良時代からの伝統ある寺社は、しっかりじっくり参詣・参拝しよう・・・。

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観戦記・ホークス対バファローズ@福岡(宮城、圧巻の投球で今季初完投!)

2024年04月22日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

4月21日、福岡で行われたホークス対バファローズ3連戦の3戦目を日帰りで観戦。今季は開幕シリーズとして大阪で行われたバファローズ対ホークス戦以来の野球観戦である。2回目の広島勤務となってから、むしろ大阪より近くなったこともあり、年に一度は福岡で観戦している。もっともここまでの観戦成績は4戦4敗。しかも、昨年、一昨年はホークスがサヨナラ勝ちという有様。久しぶりに、福岡でのバファローズ勝利を観たいものだ。

19日から3連戦、第1戦はホークス・山川がバファローズ・山下から特大の一発を放つなどでホークスが大勝。第2戦はバファローズが中盤までリードするも、中継ぎ陣が四球連発で乱れて同点に追いつかれ、リリーフ総動員の結果延長引き分け。第3戦はバファローズが宮城、そしてホークスがスチュワート・ジュニア。

日帰り観戦のこの日、朝8時半には博多に到着。その後、別のスポットを回っており(その話はまた別に)、博多駅に戻ったのは11時半。博多駅バスターミナルからペイペイドームへの直行バスが出ているのだが、駅前にむかってこの長蛇の列である。この時間になり、雨も本降りになった。「バスはどんどん来ますんでね~」という係の人の案内でしばらく待つが・・。

20分ほどでようやくターミナルの中に入り、傘を差す必要はなくなったが、ここから列が動かなくなる。ここで係の人の案内で、ドーム周辺の渋滞の影響で、折り返しとなるバス車両がなかなか戻らないという。雨のせいもあるだろう。さらに、博多駅からドームまでの所要時間も45分ほどという。これだと試合開始の13時に間に合わない。

・・ということで、結局地下鉄で唐人町まで行き、歩くことにした。たまたま乗った地下鉄も博多駅から座れたし、唐人町から歩くといっても15分ほど。雨なので傘を差すのは面倒だが、それでもぎゅうぎゅうのバスで45分揺られるよりはよい。11時半に博多駅に着いた時点でそうすればよかった。

ドームに入ったのは12時半を回っており、スタメン発表は終わった後。グラウンドでは試合前のイベントの最中。この日は両チームのパフォーマンスチームのコラボである。

席に着く前に買ったビールを一呑みすると試合開始である。今回は三塁側のS指定席に陣取ったが、バファローズファンの姿も結構見かける。

1回表、スチュワート・ジュニアに対して一死から西野が四球、西川がヒットで早くも先制のチャンス。しかしセデーニョ、頓宮が凡退で無得点。

そしてバファローズの先発は宮城。ホークスとの開幕戦では好投しながらも援護なく惜敗したが、第1戦、第2戦と中継ぎ投手もフル稼働した後で、長いイニングが期待される。

「ファイト!九州」。ホークスの各イニングの攻撃前に選手が代わる代わるビジョンに登場する、ビジターとしても拍手である。熊本地震や各地での豪雨災害など、何かと苦しめられる九州。私も九州西国霊場や九州八十八ヶ所百八霊場を回る中で、九州のさまざまな面白さに触れているところである。

ホークスの1番は周東ではなく野村勇。周東はここまで全試合出場で打率もよく、盗塁もバシバシ決めていたが、「家庭の事情」での欠場という。ご不幸でもあったのかな。そこで野村が抜擢されたが、宮城は問題にせず凡退。初回三者凡退とする。

2回はスチュワート・ジュニアが宗に四球としたものの後続を許さず、また宮城も山川から空振り三振を奪う。

3回表、先頭の福田がヒットで出塁。すると続く西野がライトへの二塁打。ここにライト柳田の悪送球が重なり、福田が一気に生還、西野が三塁まで進み、1対0でバファローズが先制。いい形での先制にうなるばかり。

しかしこの直後、ケガの手当てということで西野がベンチに戻る。治療の後、いったんグラウンドに戻ったが結局安達が代走に出る。走塁の際に右太ももを傷めたとのことだが、結局この試合後に登録抹消となった。まあ、まだ序盤だし、しっかり治療して戻ってほしい。結局この後は中軸が続かず1点止まり。中でも、森の打撃が・・。

直後の3回裏、ホークスは下位打線から海野、緒方の連打で一死一・三塁とする。ここで1番・野村勇に回り、小久保監督の起用に応えたいところだったが宮城の前に空振り三振。今宮も凡退して宮城が踏ん張る。

4回裏、ホークスのクリーンアップの攻撃だが、トイレと買い物を兼ねてコンコースに出る。近くの15番ゲートは、往年の福岡ダイエーホークスの「炎の中継ぎエース」と呼ばれながら、病のため現役のまま亡くなった藤井将雄さんを追悼、顕彰する特別なところだ。正式な永久欠番とはされていないが、亡くなった2000年から20年以上経った現在も空き番号となっている。

さて、飲み物を買って席に戻ろうとするとスタンドからコンコースに歓声があふれてくる。コンコースのモニターを見ると、二死から近藤がライトスタンドに同点ソロ本塁打を放ち生還するところだった。この、私が席を立っている間にホークスの選手が本塁打を放つシーン・・以前にもあったように思う。これで1対1となった。

直後の5回表、前のイニングに盗塁死があって再びの打席となった福田が四球(この辺りで、四球が多いことから「いつものスチュワートが始まった」という声が聞こえる)、途中出場の安達が手堅くバントを決める。西川が凡退し、セデーニョがレフトへのヒットを放つが福田は三塁で止まる。

ここで頓宮がきれいにライト前に弾き返し、2対1とリードする。「ほいさ~」ではなく小さなガッツボーズだが、少しずつ復調の気配を示している。

その裏、宮城が2三振を奪うなど三者凡退。調子を上げてきた。

6回表、ホークスのマウンドは左腕の長谷川。現役ドラフトでファイターズから加入した投手だが、宮城とはまた違った変則投法で、6回、そして7回を三者凡退とする。この日はリードを許しての登板だったが、そのうち、いい場面で出てくるかもしれない。

7回裏、ドームには黄色のジェット風船が舞う。野球ファン、やはり風船飛ばしたいですかねえ・・。

この回も宮城が続投。球数も少ないしテンポもよく、試合時間も短いペースで来ている。7回も山川捕ゴロ、近藤、栗原を連続三振とする。

8回表のホークスのマウンドにはルーキーの澤柳。頓宮に四球、森に死球とするが後続を打ち取る。ライオンズから相次いでFA宣言した森、山川が並ぶ姿・・。

9回表は又吉が登板。一死二塁とした後、西川がライトへのタイムリー二塁打を放つ。貴重な追加点となり、3対1。

そして最終回も宮城が登場する。8回まで95球と、球数はまったく問題ない。こうしたテンポ良い投球が持ち味で、この日はまさに好投である。ホークスは野村勇の代打に中村晃が告げられ、大きな歓声が起こるが内野ゴロでまず一死。

しかし続く今宮がヒット。この先、クリーンアップを迎える。一発が出れば同点の場面。最後に山場が来たが、ベンチは動くことなく宮城に託す。

それに応えた宮城、粘る柳田を空振り三振、しかし続く山川が体勢を崩しながらもヒットで出塁して、二死一・三塁とする。さすがはホークス打線で、ここでこの日本塁打を放っている近藤。一発出れば逆転サヨナラということで、私も以前の福岡でのサヨナラ負けの場面を思い出す・・。

ここで踏ん張ったのは宮城。ボール球を振らせての空振り三振で試合終了。何とかこの3連戦を1勝1敗1分として、シーズンの勝率も5割に戻した。

いや~、私の福岡観戦でのバファローズ勝利は何年振りだろうか・・・ひょっとしたら「大阪近鉄」までさかのぼったりして。

ヒーローインタビューはもちろん宮城。前の2試合、中継ぎ投手がフル稼働した後を受けての見事な完投勝ちで、これにはホークスサイドも「参りました」という他なかった試合である。まあそれでもホークスが首位にいることには変わりなく、今季この先両チームによるペナントレースが楽しみだ。

試合終了後、天神駅、博多駅行きの直通バスは長蛇の列。ただここは往路のこともあるので、雨の中だが歩いて唐人町まで戻ったほうがよさそうだ。多くのファンがぞろぞろ歩く中で試合を振り返るのもよいものだ。

スムーズに博多駅まで戻り、元々予約していた列車を大幅に繰り上げて17時30分発の「こだま864号」博多南行き・・・もとい岡山行きに乗る(「博多南行き」は表示ミスによるもの)。500系新幹に揺られる中、靴下も脱いで濡れた足を乾かす・・。

まだまだペナントレースは序盤だが、この先も熱い戦いを楽しみに。九州にもまた訪ねることにする・・・。

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神仏霊場巡拝の道~伏見の18酒蔵を呑み干す

2024年04月20日 | 神仏霊場巡拝の道

近畿2府4県プラス三重県に広がる神仏霊場巡拝の道。2022年の大型連休の時に伊勢神宮の外宮・内宮から初めて、さまざまな交通手段やイベントを絡めながら154ヶ所のうち100ヶ所に到達した。当初から行き先にくじ引き、あみだくじという不確定要素を交えながらの札所めぐりで、100ヶ所目となったのは京都でも鳥羽伏見の城南宮だった。伊勢神宮から札所順でめぐると87番に相当する。

竹田駅から近鉄で桃山御陵前に移動し、隣接する京阪の伏見桃山駅の踏切を渡り、伏見大手筋のアーケードに入る。「日本酒のまち伏見」の幕が掲げられる。さまざまな店舗があり、地元の人、観光客も含めて賑わっている。

こちらの商店街といえば・・大阪勤務当時、私の職場では年始、そして半期のはじめ(4月・10月)の恒例行事として、土曜日の早朝から午前中にかけて、寝屋川の成田山大阪別院での安全祈願、そして伏見稲荷大社での商売繁盛祈願がセットで行われ、伏見稲荷大社では奥の院の一ノ峰まで往復するというのがあった。スーツ姿で一ノ峰まで歩いて往復というのも結構ハードなものだ。

午前中いっぱいかけて上記のプログラムをこなし、「直会」と称してやってきたのが伏見桃山。まあつまり、早朝から祈願やら山登りまでしたのだから、伏見の酒で一献やろうというものである。総勢20人ほどの御一行なので、当然ながら店は事前予約である。さすがは伏見で、大手の酒造会社の直営レストランがあり、私は幹事として店の予約やコースの選定、会計処理など行っていた。

まあ、酒どころで昼から飲むのはよいこと。その場で盛り上がるのはよいこと。・・ただ、その後はおっさん連中もグダグラになって、公式には14時までにはお開き、現地解散となったのだが、だいたいは京阪で大阪に戻った後に二次会と称してさらに飲んでいた。人によっては三次会、四次会となり終電で自宅に帰ることができなかったとか、気づいたら駅のホームで寝ていてカバンがなくなっていたとか、数々の武勇伝もあった。

それも伏見の魔力、お稲荷さんの使いの狐か、白河上皇・鳥羽上皇によるものか・・。今となっては懐かしい想い出の一つである。

そういうことも懐かしみつつ、商店街にある「理容プラージュ」で散髪。私の出身地・藤井寺市に本社を持つ数少ない全国展開企業「阪南理美容」。実はこの後で一献の店を予約していたのだが、予定よりも早く伏見に着いたので時間を繰り上げられないかスマホを操ったが変更不可だった。そろそろ散髪のタイミングだったし、さすが「理美容業界年商日本一」だけあってほどよく混んでいたことで待ち時間を過ごすことができた。

オプションでシャンプーもしてもらいさっぱりしたところで向かったのが、商店街の路地にある「伏見酒蔵小路」。伏見の酒、そして京の美味いものを味わってもらおうというところ。町屋風の入口である。

一つの建屋にさまざまなジャンルの店が並ぶ。その中でメインとなるのが酒蔵カウンター。予約していた店というのはこちらである。壁には伏見の酒蔵の看板が並ぶ。

まずは京都の「乾杯条例」にもとづいて、お通し代わりの1杯が出てくる。「乾杯条例」とは、京都の伝統産業である清酒の普及の促進のためのもの。

「伏見酒蔵小路」のメインは、伏見の18の酒蔵のきき酒セット。こちらが6×3の升で出てくる。グラス1杯が20mlで、18杯だとちょうど2合だが、杯がこれだけ並ぶと圧巻である。

店の人の説明だと、この18杯も勝手に並べているのではなく、奥の列から、そして左から右の順に味わってほしいという。奥の列の6杯は冷たい状態で飲むのが美味く、手前に来るに連れて、ぬるくなっても美味く楽しめる銘柄という。酒蔵に優劣をつけるわけではなく、後は飲む側の好き好きだ。

アテには京の漬物3種と枝豆の酒粕味噌和えのセット。そして単品で寄せ豆腐を注文。いずれも清酒に合うところだ。「伏見酒蔵小路」では、席にいながら他の店のメニューを「出前」で注文することができる。割烹や鉄板焼き、ラーメンなどなど。まあでも、ここでじっくりやるのがいいかな。

同じ2合でも、居酒屋で2合徳利や冷酒の300ml瓶だったらあっという間になくなるが、きき酒セットだと様々な味が楽しめ、おのずとじっくり味わうことになる。私は18種類の味を舌で区別するだけの力量はないが、飲み比べで気に入ったものがあれば追加単品で飲むのもよし、また別のセットもあるが、さすがは伏見、値段はそれなりにかかる。

魚ということで、鮎の一夜干し。10cmほどの小鮎が3尾、七輪であぶっていただく。18種類のきき酒も、後に来るほどしっかりした味わいの一杯が続くように感じられ、こうした魚にも合うかなと。

ほどよい時間になったので店に戻り、桃山御陵前に戻る。大手筋商店街近辺には他にも酒場があるようで、日曜の昼下がりの一献というのもよいものだ。そして近鉄で京都に向かうことに・・・。

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京都3番「城南宮」~神仏霊場巡拝の道・100(とうとう100ヶ所目!)

2024年04月18日 | 神仏霊場巡拝の道

4月14日、近鉄の桃山御陵前から竹田に移動する。この日3ヶ所目で、今回の目的地である京都3番・城南宮の最寄り駅である。ここ竹田は近鉄京都線と地下鉄烏丸線が合流する駅で、双方乗り入れている。桃山御陵前から乗ったのも地下鉄の車両だ。

駅名標を見ると、表と裏で地下鉄、近鉄それぞれのデザインである。

それにしても今回は京都市南部のジャンクションを渡っている。六児童、桃山、そして竹田。

城南宮へは駅から徒歩15分ほどとある。バス乗り場もあるが、城南宮方面に行く便はなかなかなさそうだ。そのまま歩くことにしよう。その一方、「伊藤忠グループ社員ご家族ご招待会 会場行き 無料送迎バスのりば」の看板が立ち、その先にバスが停まっている。どこで何が行われるのだろうか。

竹田駅の上を名神高速が横切っており、その高架沿いに歩くと名神高速を跨ぐ道路との交差点に出る。第二京阪道路である。名神高速の京都南インターも近くにあり、鉄道だけでなくクルマの要衝でもある。

第二京阪に沿って歩くと出るのが白河天皇陵。白河天皇は退位後も上皇の立場で政治を行い、院政の始まりとされる人物である。

歩くと暑さすら感じられる中、城南宮はその先にある。平安遷都に際して、都の守護と国の安泰を願って建てられ、院政を敷いた白河上皇や鳥羽上皇の時には離宮として拡張されたところ。また時代が下ると戊辰戦争の始まりである鳥羽・伏見の戦いの舞台ともなったところで、政治体制が変わる節目の地とも言えるだろう。

また、白河上皇や鳥羽上皇は熊野御幸を何度も行っている。城南宮はその出立の地となったところで、そういえば前回神仏霊場めぐりで訪ねたのが熊野三山。そこでのあみだくじの結果、次の目的地が熊野御幸の出立の地だったとは面白い。

その城南宮で有名なのは、方除の祈願。日々の暮らしの中で、悪い方位に行ったり、家の間取りがよくないことがあるが、それによる厄災を避けるために行われるのが方除。方角がどうのというのを名神、もとい迷信と片付けるのは簡単だが、人間も自然の一部で、地球の磁場の流れや風・水の動きから何らかの作用を受けるならば、理屈では言い表せない良い・悪いが生じるのだろう。

拝殿・本殿は昭和の再建だが、平安時代後期、まさに院政時代の建築様式である。本殿の奥にもさまざまな祠があり、ぐるり一周する。

神楽殿に向かって座席が設けられ、落語家の札もあがっている。この日(4月14日)は方除大祭の当日で、午前・午後の2回に落語の奉納が行われるとある。私が訪ねたのはちょうどその合間のことで・・。

朱印をいただく。こちらにも「方除の大社」の文字がある。そして、ここ城南宮まで来て、神仏霊場巡拝の道も特別霊場の伊勢神宮を含めて100ヶ所目となった。これで全体の3分の2を回ったことで、大掛かりなこの札所めぐりもいよいよ終盤に入る。

城南宮には境内を囲む神苑と呼ばれる庭園があり、平安時代の風情をイメージした造りだという。当時の貴族の遊びだった曲水の宴が行われることでも知られる。今はつつじが見頃との案内もあるが、庭園はまあいいか・・。

その代わり、次の行き先を決めるあみだくじである。まず予備のくじ引きで出たのは・・

・松尾大社(京都7番)

・根来字(和歌山9番)

・東大寺(奈良1番)

・興福寺(奈良3番)

・今宮戎神社(大阪4番)

・大覚寺(京都9番)

結構有名なところが並ぶ。中でも東大寺、興福寺という奈良を代表する寺院が2つ入っており、これらの引きが結構強そうだ。

そしてあみだくじの結果は・・・興福寺。これには驚く。まあ、4巡目も残り少なくなった西国三十三所の札所でもあるし、興福寺に行くのなら周辺の他の札所も一緒に行くことになるだろうし、6月9日までは奈良国立博物館で弘法大師空海に関する特別展も行われているので、チェックしたい。

竹田駅に戻ることにする。来た時とは別の道を通ると、北向山不動院に着く。かつて、近畿三十六不動めぐりの札所として訪ねたことがあり、城南宮はその後に訪ねている。鳥羽上皇の勅願で開かれた寺で、本尊不動明王が北にある平安京の方角を向いて護っていることからその名がつけられている。

最後は隣接する鳥羽上皇陵を過ぎる。白河上皇もそうだが、この地に陵墓があるということはよほど洛南の地を気に入っていたのかなと思う。かつての洛中は摂関政治のせいで腐れきっている、そのしがらみを断ち切った地でオレたちの楽園を造るのだ、そして熊野にもじゃんじゃん行くのだ・・・。

竹田駅に着き、再び京都地下鉄の車両で桃山御陵前に移動する。せっかく伏見に来たのだから伏見の酒で一献・・ということだが、それが神仏霊場巡拝の道・100ヶ所目到達の祝杯になるとは・・・。

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京都2番「御香宮神社」~神仏霊場巡拝の道・99(伏見の安産祈願と御香水)

2024年04月17日 | 神仏霊場巡拝の道

春の京都・伏見の神仏霊場めぐりである。まずは京都46番・醍醐寺に向かい、地下鉄で六地蔵までやって来た。

ここ六地蔵は地下鉄、京阪、そしてJRと3路線が接続している。元々は京阪の駅だけだったのが、平成になってJR奈良線の駅ができ、そこに地下鉄が延伸してきた。それぞれに使い勝手があることから周辺にはマンションも建ち並ぶようになった。

さて、次に向かうのは京都2番・御香宮神社。読みは「ごこうのみやじんじゃ」である。六地蔵からどう行くかだが、JRで1駅、次の桃山で下車するのが最短のようだ。221系使用の普通で移動する。途中右手に高台があるが、その奥に広がるのが明治天皇陵(伏見桃山陵)である。明治維新に際して都が京都から東京に遷ったわけだが、陵墓が京都に造営されたのは明治天皇の「生まれ故郷である京の地で眠りたい」という生前からの意向で、その用地もあらかじめ確保されていたそうだ。豊臣秀吉が建てた伏見桃山城の跡地でもある。

桃山で下車。明治天皇陵がここに造営されたことで拡張され、戦前は御陵に参拝する人で賑わったという。今は地元の人が気軽に利用する駅だが・・。

駅からすぐのところに、伏見桃山城への大手筋通が走る。その通り沿いに御香宮神社の境内が広がる。

ここは初めて訪ねる。明治天皇陵の近くということで、「御」の文字を見ると明治天皇に関係する神社かなと思ったが、表門はかつての伏見城の大手門を移築したものである。いやそもそも、御香宮神社じたいの歴史はもっと古く、遅くとも平安時代初期には社殿が造営されたとの記録があるそうだ。「香」の文字は、境内から香りのよい水が湧き出ていて、その水を飲むと病が治ったことから、時の天皇から「御香宮」の名前を賜ったという。また、神功皇后を祀る香椎宮を勧請したことで「香」の文字がついたとも言われている。

境内、そして拝殿には宮参りの赤ちゃん連れの姿を見かける。記念撮影のための照明スタンドが立ち、スタッフらしき姿の人も見える。主祭神は神功皇后、仲哀天皇、応神天皇、菟道稚郎子命、仁徳天皇・・といった、あの辺りの神々(あの辺りといったら失礼か)。安産・子育て祈願の神社として知られているようで、次々に神官による祝詞奏上が行われていた。

本殿の脇に「御香水」がある。秀吉の後に伏見城に入ったのは徳川家康だが、その時に産まれ、後に徳川御三家の祖となる徳川義直(尾張)、徳川頼宣(紀伊)、徳川頼房(水戸)はこの御香水を産湯として使ったという。その横には水汲み場があり、授与所で購入したペットボトルに汲む。いや、別に私は安産・子育て祈願には関係しないが、この辺りは酒造りが盛んなところ。一つの水脈ではないかと思う。そうすると、「御香水」は伏見の酒の源といっていいかもしれない・・。

境内には酒樽の奉納も目立つ。つまりそういうことだろう。

御香宮神社を後にする。通りには朱色の大鳥居もかかる。その一方、御香宮神社に隣接して桃山基督教会というのがある。城下町であり、さらに神社の隣に教会というのを意識してか、和風建築である。

その脇に「黒田節」の案内板があって思わず足を止める。黒田家の家臣・母里太兵衛が福島正則の屋敷に招かれた際、大杯の酒を飲み干した褒美に「日本号」と称された槍を所望して見事持ち帰ったのだが、その逸話の舞台は伏見だったという。「酒は飲め飲め飲むならば~」の酒とは、伏見の酒だったということか。母里太兵衛が見事飲み干したのも、それだけ伏見の酒が美味かったから・・というさりげないPRかな。

近鉄の桃山御陵前、京阪の伏見桃山の両駅に着く。このまま伏見の酒で一献!・・といけばいいのだが、今回の目的地である京都3番・城南宮を訪ねてからである。伏見桃山一帯も、京阪、近鉄、少し離れてJRと、鉄道の要衝で賑わっているなあ。

次の城南宮の最寄り駅は近鉄の竹田。ということで、桃山御陵前から近鉄京手線で移動・・・。

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京都46番「醍醐寺」~神仏霊場巡拝の道・98(醍醐の桜は葉桜で)

2024年04月16日 | 神仏霊場巡拝の道

4月14日の神仏霊場めぐり。新大阪から特急「ひだ25号」に乗車し、京都で下車するという荒技を使い、山科に到着。まずは、京都46番・醍醐寺を目指す。

山科から醍醐寺へは、地下鉄で醍醐駅まで行って歩くか、バスで醍醐寺前に行くかである。どちらでも所要時間にはさほど差はないようだが、たまたま京阪六地蔵行きバスの時間が近いようなのでそちらで行くことにする。醍醐寺といえば桜の名所、さぞかし参詣者、花見客で混雑すると思いきや、朝9時前という時間帯のためか空席もあるくらいで出発。途中、特に渋滞することもなく順調に醍醐寺に到着。

最寄りである醍醐寺前のバス停は寺の門前の決して広くない通り沿いにあるのだが、桜の時季の混雑対策ということで、駐車場内に各方面への醍醐寺バス停が設けられている。

改めて門前に出る。枝垂桜があるのだが、さすがに満開を過ぎて葉桜となっている。

拝観料は、三宝院、霊宝館、そして伽藍がセットで1500円。どれか単品で・・とはいかない。あくまでこれらが合わさっての醍醐寺(下醍醐)だということだ。

窓口の係の人は、まず三宝院から拝観するよう案内する。三宝院は醍醐寺の本坊の役割を果たしていたところで、庭園は豊臣秀吉が「醍醐の花見」に際して整備したものである。

「五大力さん」で持ち上げられる紅白の鏡餅もある。もっとも本物の餅は縁起物として切り分けられるそうだから、これはレプリカかな。

庭園を一通り眺める。

霊宝館は最後に回るとして、先に伽藍に入る。その参道の両側にチェーンが張られていて、警備員が立っている。この日は午後から「豊太閤花見行列」が行われる予定で、ここはそのコースになっている。まだ3時間以上前だが早くも場所取りをしている人もいるため、警備員も配置しているのだろう。逆に私は、この祭りがあるのを知って、混雑を避けるために先に参詣した次第である。

山門をくぐった先には「醍醐 桜まつり」のぼんぼりが立ち、豊臣家の桐の紋をあしらった幕が張られているが、その上に広がるのは桜というよりは新緑である。

醍醐寺として、神仏霊場としての本尊である薬師如来を祀る金堂に着く。「豊太閤花見行列」の後、特設舞台で舞楽の奉納が行われるそうで、有料の観覧席の設営が行われているところだ。情報によると有料の観覧席の値段は3000円。伽藍の拝観料1500円とはまったく別払いだから、観覧席で舞楽を鑑賞するならひとり4500円かかることにある。まあ、それだけの価値のあるものだろうし、インバウンドの人たちにとってははした銭だろう。

五重塔。もう1週間早ければ境内全体の桜も満開で見頃だっただろう。

納経所は奥の観音堂にある。醍醐寺の西国三十三所の本尊である准胝観音もこちらに祀られている。元々は上醍醐の准胝堂に祀られていたが、落雷による火災でお堂が焼失したため、現在はこちらに安置されている。他にも上醍醐には諸仏が祀られていたが、なかなか管理保全が行き届かず、こうした焼失のリスクも考慮され、現在は下醍醐や霊宝館などで大切に守られている。

「4月15日 日本巡礼文化の日」とある。見慣れない幟だが、西国三十三所札所会が「巡礼で良いご縁(4・1・5)を結ぶ日」ということで、4月15日はサラダ記念日・・もとい「日本巡礼文化の日」に認定されているという。4月15日を中心に西国三十三所の各札所では記念法要を行うとあり、今季は能登半島地震で亡くなった方の追悼や被災地の復興を祈念するという。

観音堂にて改めてお勤めとした後、納経所の列に並ぶ。醍醐寺の納経所の仕組みは独特で、まず希望の朱印について申込用紙の該当欄に冊数を記載する。醍醐寺はさまざまな札所めぐりの寺院になっており、また本尊の数も多いのでリストはかなりのもの。そして、先に御守り等の授与所で会計を済ませ、領収済みのスタンプが押された申込用紙を手にして列に並ぶ。行列になるのは納経所の係の人の怠慢ではなく、一度に複数の納経帳が提示されること、それに対して一筆一筆丁寧に書くことにより、どうしても時間がかかるため。

かくいう私も、西国三十三所の先達用納経帳の重ね印、そして神仏霊場の納経帳を差し出しているから人のことは言えない。醍醐寺での納経所での待ち時間もこの日の行程には勘案しているので、そう焦ることもない。札所によって本尊も変わるので、書くほうはどれがどの本尊の墨書かの確認も必要だ。「神仏霊場はお薬師さんやな・・」とつぶやいた後、筆を走らせてくれた。

境内は一方通行の措置が取られていて、五重塔の手前から伽藍の外に出る。こちらではトレッキング姿の人が目立つ。下醍醐の伽藍を経由せず、直接上醍醐に向かうようだ。上醍醐は上醍醐で別途拝観料というのか入山料が必要なのだが、「醍醐の花見」の跡地や、植えられた桜は上醍醐に固まっている。確か上醍醐の伽藍までは1時間くらいかかるはずだが、トレッキングとしてはちょうどよい距離・時間、何ならその先、笠取峠を越えて岩間寺まで行こうか・・・というくらいだ。

霊宝館にも枝垂桜があるが、一部を除きこちらも葉桜。なかなか、花の見頃と旅程がばっちり合うというのも難しいものだ。

館内では企画展「公家ゆかりの寺宝」としてさまざまな史料が並び、平成館の広大なスペースでは五大力像や薬師三尊像が出迎える。

この企画展でPRされていたのが、今年(2024年)は醍醐寺開創1150年ということ。また、6月~8月に、開創1150年の記念行事の一つとして、厳選した国宝や重要文化財を集めた展覧会が大阪中之島美術館で開かれるという。中之島、機会が合えば訪ねるとしようか。

結局、醍醐寺だからといって特に混雑したところもなかったが(納経所も思ったより早く済んだ)、次に向かう。次は京都2番・御香宮神社で、醍醐寺からだとバスまたは地下鉄で六地蔵まで行き、JR奈良線で1駅京都寄りの桃山で下車するのがよさそうだ。臨時バス停がある駐車場に行くと、ちょうど六地蔵行きのバスが発車したばかりで、次の便は20分待ちである。

ここで待つくらいなら少しでも移動しようということで、地下鉄の醍醐駅まで歩く。開発された住宅団地の中にも桜があり、これもある意味「醍醐の花見」かな。

醍醐から地下鉄で六地蔵に移動する。この先は御香宮神社、城南宮と、洛南の札所をめぐる。その後は打ち上げ、一献ということでふたたび伏見を目指す・・・。

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神仏霊場巡拝の道~特急「ひだ」で春の京都へ

2024年04月15日 | 神仏霊場巡拝の道

神仏霊場巡拝の道めぐり、しばらくはJR西日本の西国三十三所めぐりキャンペーンのデジタルスタンプラリーをコンプリートさせるべく、札所めぐりは該当の寺院(というより駅)を訪ねることを優先した。そのおかげで3月に無事「満願」となり、記念品として三十三所があしらわれたオリジナル手ぬぐいをいただいた。さらに、満願の記念プレゼントにも応募したが、さすがにこちらは倍率も高いようで、当選の通知はない。

さて、前回の札所めぐりのゴールとなった青岸渡寺からの帰途で行ったあみだくじの結果、次の目的地は京都3番・城南宮となった。京都にもまだまだ札所が残っているが、今回は洛南地区。京都3番・城南宮の他、桃山御陵前にある京都2番・御香宮神社、そして京都46番にして西国11番である醍醐寺が東西に並ぶ。醍醐寺については、札所より先にデジタルスタンプラリーをJR六地蔵駅にて獲得している。

出かけるのは4月14日の日帰り。当初、この日は京セラドーム大阪で行われるバファローズ対ファイターズを観戦するとして、指定席を確保していた。ただ、札所めぐりも進めたいし、散りつつあるとはいえこの春桜を見る最後のチャンスではないかと思う。結局チケットは公式リセールにて販売し(買い手の方、ありがとうございました)、代わりに日本旅行の広島~新大阪の日帰りプランを予約した。京都に行くのに新大阪往復というのも妙な話だが、京都往復で購入すると割引のメリットが薄れてしまう。JR東海が絡むからか・・?

この3ヶ所をどのような順番で回るか。ちょうど14日は醍醐寺で「豊太閤花見行列」というのが行われるとある。ああそうか、秀吉が晩年に「醍醐の花見」を行ったところである。毎年第2日曜日、桜が開く境内を秀吉や北政所、淀殿らに扮した人たちが行列し、本堂にあたる金堂前では舞楽の奉納が行われるという。有料の観客席券も発売されている。

ということで、朝の新幹線で出発し、まず醍醐寺に向かうことにする。これは花見行列を観たいためでなく、逆に避けたいがためである。桜のこの時季、醍醐寺には多くの参詣者や花見客でただでさえ混雑していることだろう。それが花見行列や、金堂前での舞楽奉納の時間と重なったら大変だ。そのため、行事の前に醍醐寺を回っておき、その後で御香宮神社、城南宮と移動するのがよさそうだ。

さて、ここまで前置きしたうえで、14日は6時26分発の「のぞみ76号」で出発。順調に走り、7時55分に新大阪到着。このまま京都まで乗れば早く着くが、きっぷの都合上ここで新幹線から在来線ホームに向かう。

その京都への移動。通常なら新快速、あるいは快速に乗る区間だが、このところあえて別途料金を支払っても特急に乗ることがある。遠方から来ていることもあるし、「乗り鉄」要素を盛り込もうというのがある。「サンダーバード」、「はるか」、「スーパーはくと」といったところに乗っている。

今回目に留まったのが、高山行きの「ひだ25号」。土日祝日ダイヤだと大阪8時02分、新大阪8時07分に発車する。非電化区間の高山線に乗り入れるということで、2023年からはハイブリッド方式のHC85系が使われている。この形式、紀勢線の「南紀」で短区間乗車したことがあるが、今回は「ひだ」として乗ってみよう。

わざわざ指定席を予約していた。新大阪発車時点では空席もそれなりにあったが、やはり外国人観光客が多い。大阪・京都から高山まで乗り換えなしで行くことができるのはやはり大きなポイントなのだろう。外国の方というのは列車の中でも平気で大声でおしゃべりするのが当たり前なので今さらそれに目くじらを立てるつもりはないが、あきらかに英語ではない言語、たぶんフランス語かイタリア語かではないかと思うが、多様な言語が飛び交う。ただ、その中にあって負けないのが大阪弁・・・。

気動車なのでエンジン音は聞こえるものの、いかにも頑張っているんやで!という感じで馬力の音を出すわけでもなく、エネルギーを上手く使ってまっせ!というのが車端の電光掲示板で表示される。あっという間に高槻から京都への境目を走り抜き、京都駅が近くなる。

8時32分、京都着。下車したのは私のほかに数人いたかどうかというところだが、外国人観光客を含めて新大阪発車時以上の乗客が乗り込む。おそらく京都から先は満席に近い状況のようだ。「ひだ25号はこの先、草津、米原、大垣ととおり、岐阜から高山線に入る。

ふと時刻表を見ると、大垣まで乗り換えなしで行けるのか、大垣には9時46分に着くのかと感心する。それなら、西国三十三所の第33番・華厳寺に向かうのに、大垣まで「ひだ25号」でアプローチするのも面白そうだな・・と思いつく。大垣からは養老鉄道、垂水鉄道、そしてコミュニティバスの本数が限られるのでメリットがあるかどうかだが・・・。

まずは醍醐寺を目指すべく、京都からは長浜行きの快速(普通)に乗り換え、山科で下車する・・・。

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第78番「三光院」~広島新四国八十八ヶ所めぐり(廿日市の桜を愛でながら)

2024年04月13日 | 広島新四国八十八ヶ所

広島新四国八十八ヶ所めぐり。やれ西国三十三所だ、神仏霊場めぐりだ、九州八十八ヶ所百八霊場だと言っている中で、地元で超スローペースとなっている札所めぐりである。それでも第77番まで来ているのだが、前回訪ねたのは今年の1月。江波にある2ヶ所を訪ねた後、当日行われた都道府県対抗男子駅伝(ひろしま駅伝)を自宅近くの沿道で応援した。それ以来だから3ヶ月ぶりとなる。

今回訪ねるのは廿日市市。地御前にある第78番・三光院である。地図で見ると国道2号線・西広島バイパス沿いにある。一方で、広電宮島線の地御前電停からもそれほど離れていないようだ。クルマでサッと行ってもいいが、ここは広電で出かけることにする。

4月13日、広電宮島線で地御前の手前の広電廿日市で下車する。4月も半ばとなり、桜も散り始める時季であるが、廿日市に行くならせっかくなので廿日市市の木である桜を見物しようかと思う。桜尾城もあるし、文化ホールはさくらピア、コミュニティバスの愛称もさくらバスである。

訪ねたのは住吉堤防敷。前回の広島勤務を含めて初めて訪ねるスポットである。前週4月第1日曜日は桜まつりも行われたそうで、600メートルほどの遊歩道に約240本のソメイヨシノが並ぶ。訪ねた時は満開を過ぎて散りはじめ、葉桜も見えたが、何とか今季最後の見頃に出会えた。

この先、三光院まではそれなりに距離があるが、天気も穏やかだし、散歩も兼ねてこのまま宮島街道に出て地御前まで歩くことにする。ゆめタウンやウッドワンの横を過ぎる。

途中、JA広島総合病院の前を通り、病院の横にある産直ふれあい市場「よりん菜」というのを見つける。廿日市市の農家が栽培した野菜や、手作りの弁当、惣菜などが売られており、せっかくなので昼食も含めて野菜も何品か買う。まさか野菜を背負っての札所めぐりになるとは思わなかった。

地御前の電停に到着。JR、広電の共同踏切を渡り、住宅地の中に古い町並みや寺社が残る一角を過ぎる。

そして地図を見ながら進み、西広島バイパス沿いに出る。寺の幟が出ているが、そこから入るのかな。完全に民家のようだが・・。

庭先を抜けると住宅と棟続きのお堂があり、合っていた。扉を開けて自由に参詣する方式である。住宅のほうからはテレビの音声が聞こえてくる。

三光院が開かれたのは戦後、1953年のこと。お堂の中に京都・仁和寺のパンフレットがあり、真言宗の御室派の末寺であることがわかる。

このような張り紙がある。「我に聞く、人に聞く、一生、一死する覚悟、生きる覚悟 病みや苦しみに耐える覚悟。心に持ち続ける事出来るか それが一番大切な宝物」とある。覚悟か・・・覚悟せんといけんのか・・・。

箱に収められた朱印をいただき、三光院を後にする。当初は、西広島バイパスの反対側に並ぶラーメン店で昼食とするかとも思っていたが、先ほどJAの産直市場で野菜やら惣菜やらを買ったので、そのまま地御前の電停に戻り、帰宅して昼食とする・・・。

食後、テレビ桟敷にて京セラドーム大阪のバファローズ対ファイターズの2回戦を観戦。前日に続いての投手戦となったが、ここまで不振に苦しんでいた頓宮が先制のタイムリー、そして追加点となる2ラン本塁打で3打点、また先発・宮城が8回を無失点として5対1でバファローズが快勝した。広島新四国のご利益とは言わないが、寺社参りの後で勝ち試合を観るとやはりご利益かなと気持ちのよいものである。これでまた良い方向に向かえばということで・・・。

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東好投も残念。なかなか、上手くいきませんな。まだまだこれから!

2024年04月12日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

ペナントレースもカード一回りの最終シリーズとなった。バファローズは大阪でファイターズと対戦。12日の初戦はプロ入りここまで負けなし、ファイターズにも好投を続けていた東が先発。6回一死まで無安打投球、結果7回1安打1失点(その失点も盗塁悪送球での進塁後、野選によるもの)と好投したが、打線の援護なくプロ初黒星となった。

打たれまくっての黒星ではないだけ、余計にもったいないところだが、ここまで好投を続けていることには変わりない。これからも楽しみである。

ただ打線が・・あと1本が出ないし、波に乗れない。

チームもここまで3タテこそなく、直前のイーグルス戦ではシーズン初のカード勝ち越しとなったが、この日の敗戦でシーズン初の連勝はまたもお預け。シーズン始まったばかりとはいえ、なかなか思うようにはいかない。

まだまだこれから。週末はテレビ桟敷から声援を送るとしよう・・・。

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新型「やくも」273系は快適なり・・

2024年04月10日 | 旅行記F・中国

「君の運命のヒトは僕じゃない 辛いけど否めない でも離れ難いのさ」

グッバイ・・・とともに出雲市を13時40分に出発した「やくも20号」。新型車両の車内チャイムの曲は、Official髭男dismの「Pretender」。ちょっと切なく感じるのだが、JR西日本も「岡山へ向かう場面は多くのお客様が帰路となることから、情緒的な楽曲の雰囲気が旅情にマッチする」ということでの選曲である。一方、岡山からの新型「やくも」では同じOfficial髭男dismの「I LOVE...」が使われている。山陰は縁結びの地として、「多くの人の胸を打った恋愛を歌った楽曲が旅情にマッチする」とのこと。

いずれも「ヒゲダン」の楽曲が使われているのは、メンバーの出身地が米子や松江だったり、島根大学でバンド活動を始めた「山陰ゆかり」ということからである。こうしたところにも新型車両への期待が表れている。

さて出発し、斐伊川を渡る。直線を走るのだが、結構揺れが激しい。新型「やくも」はカーブ区間の振り子装置を改良することでかつての「ぐったりはくも」の乗り物酔いを改善したとされるが、直線で揺れ、テーブルに乗せていたビールの缶を慌てて引っ込める。これは車両というよりそもそもの線路の状態に難があるようだ。

次の直江で反対列車との行き違いのためしばらく停車。なお、その列車に遅れが出ているためこちらの発車も遅れるという。運行初日の6日も線路内に撮り鉄が侵入したとかで列車に遅れが生じたが、同じような事象が起こったか。

そして反対列車がやって来たが、よく見ると旧国鉄特急色の381系である。あれ、確か本日は旧国鉄特急色の運用はなかったはずでは・・と思うが、岡山からの新旧「やくも」の見学ツアーのためにこの日は団体専用列車としての運用だったとわかった。直江駅にもカメラを構えた人がいたのも新旧「やくも」が並ぶのを知ってのことだろう。

沿線はちょうど桜も満開で、桜と特急の組み合わせもよいものだ。

宍道に到着。木次線との接続駅だが、ふと反対側ホームを見ると、山陰の観光列車「あめつち」が停車している。4月7日は「あめつち」の木次線での運転初日。ちょうど出雲横田から宍道に戻ったところで、「やくも20号」を先に通した形。車内やホームから見送りを受ける。もっとも時刻表を見ると、定刻なら「あめつち」が宍道に着く前に「やくも20号」が発車するのだが、この日は山陰線の遅れのためにここで遭遇することになったようだ。「その髪に触れただけでも 痛いや いやでも 甘いな いやいや」・・。

宍道湖畔に出る。宍道湖を望む弘法大師像の脇も通る。さすがにこの辺りに来ると、出雲市発車直後の揺れも感じなくなり、快適な走りとなった。

松江で結構な乗客がある。この先も中海に続く景色が広がる。鋼の町である安来も過ぎ、列車は島根から鳥取に入る。

数分遅れのまま米子に到着。境線の列車も「やくも20号」の遅れを待っていたようだ。こちらにも「やくも」をイメージした駅名標があり、発車メロディは「ヒゲダン」の地元らしくここでも「Pretender」が新たに使われている。今回米子はそのまま通過だが、次に山陰に来る時は下車してみようと思う。

やはり「やくも」の利用客が多いのは米子からで、ここで車内はほぼ満席となったようである。グリーン車と同じ車両にあるセミコンパートメントも家族連れ等ですべて埋まった。この先、新見までの山間部の区間が線形の厳しいところで、新型車両の「振り子」が効力を発揮するところである。

まずは日野川を渡り、伯耆大山から伯備線に入る。ややかすんではいるが大山の稜線も見ることができる。やはりこちら側の座席を選択して正解。

日野川が寄り添い、そろそろ山深くなる手前の根雨に停車。「ゆったりやくも」とすれ違う。

元々乗り物酔いしない体質なので、新型車両導入で「ぐったりはくも」がどのくらい改善されたのか実感しにくいのだが、揺れるのは揺れる。区間によっては、トイレで用足しするのに手がもう1本あれば・・と思わないでもない。

セミコンパートメントに乗車の皆さんもお休み中だが、これは「ぐったり」ではなく、ちょうど昼下がりだし、新型車両の揺れの心地よさで気持ちよくウトウトしているのだろう・・。

山間の難所を過ぎ、新見に到着。ここからは高梁川に沿って線路の状態もよい区間である。「やくも」も快走を見せるようになった。

かくいう私も、備中高梁の停車までは覚えていたが、「呑み鉄」の影響もあってか、気づいたら倉敷も通過して終点・岡山到着のアナウンスだった。いやこれは、あまりにも乗り心地がよかったから・・ということにする。

16時47分、岡山到着。しばらく停車後、回送される新型「やくも」を見送る・・。

この日はそのまま新幹線に乗り継ぎ、まだ暗くなる前に広島に戻る。

こうして、まずはデビュー間もない新型「やくも」に乗ることができた。そうなると次は6月までで運行を終了する381系の「やくも」である。もう一度出かけることになるが、今度は木次線の「あめつち」とも組み合わせる予定である。中国地区、とりわけ山陰を走る列車からしばらく目が離せないようだ・・・。

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出雲の「献上そば」を味わい、温泉に浸かっていよいよ新型「やくも」に乗車

2024年04月09日 | 旅行記F・中国

新型「やくも」車両に乗るために広島から出雲市に移動。ちょうど昼の時間帯に出雲市にいるわけだが、出雲大社には行かず、かといって一畑電車に乗るわけでもなく、駅近くで時間を過ごすことにする。

昼食は出雲そばとしよう。近くに店があればと検索すると、徒歩5分ほどのところにある「羽根屋」が有名らしい。江戸時代末期に創業という老舗で、「献上そば」の店として知られているそうだ。時刻は11時過ぎ、ちょうど開店して間もない時間帯だが、おそらく混雑しているのだろう。私は食事のために並ぶのは好きではないのだが、今日は多少時間を要してもよいので行ってみることにする。

商店街を抜けたところにある「羽根屋本店」。やはり人気店らしく順番待ちの人が店の外まで出ている。店内のタブレットで受付をするよう案内される。画面には10組待ちとあるが、タッチして受付を済ませる。店内は1階がカウンター、テーブルで、2階が座敷となっている。レジ横のタブレットで店員が画面を見ながら席の割り振りを行っている。

さて、「献上そば」という呼び名だが、明治時代後期、当時皇太子だった大正天皇が出雲に宿泊した際、この店のそばが「献上」され、ことの外美味としたことから許されたものだという。以後、昭和天皇・皇后や現在の上皇・上皇后をはじめ皇族方の「御食膳に供す」ということが誇らしげに書かれている。やはりその時も出雲流の割子で供したのかな。

結局30分ほど待ってカウンター席に着く。

そして老舗のそば屋だと、ビールやサワーよりも日本酒が似合う。出雲市に蔵元がある「十(じゅうじ)旭日」の冷酒と、あご焼きにて一献とする。ちょうど板わさをあてに一献に似た感じで、たまにはこうした粋な感じもいいだろう。

ただ、そばのほうも思ったより早く到着したので、こちらもいただく。注文したのは三段の割子そばと日替りごはん、しじみ汁がついた定食。

そばはコシもしっかりしているし、香りもよい。大正天皇の皇太子当時そのままの味なのかどうかはわからないが、有名店なのもうなずける。満足して外に出ると、先ほどより待ち客が増えていた。

さて駅に戻り、今度は南側にある「らんぷの湯」に向かう。こちらはちょうど昼食の時間だからかそれほど混雑していなかった。浴槽は内湯と、露天には竹林を眺める檜の浴槽が3つとサウナ。駅近くということで、「サンライズ出雲」や「WEST EXPRESS銀河」で出雲市に到着した後、あるいは出雲市を出発する前に入浴するのに適している。客が少ないのをいいことに、露天の檜風呂に結構長い時間浸かる。

この後は小上がりでしばらくゆったりする。確か棟続きで食事処もあったはずだが、そちらは現在休業中とのこと。

駅に戻る。新型「やくも」のデビューに合わせて待合室がリニューアルされており、山陰の木材をふんだんに使った「やくもラウンジ」という。温かみを感じる。

土産物、そして「やくも」車内での「呑み鉄」あれこれを買い求める。2023年のドラマ「VIVANT」の舞台の一つが島根ということで、ドラマのタイトルを冠した商品も並ぶ。奥出雲町の仁多米を使った赤飯キットなるものも売られていた。

ホームに上がると、これから乗る「やくも20号」がすでに入線し、多くの人がカメラを向けていた。新型「やくも」の273系は基本4両編成で、列車により2編成つないで8両で運転される。この日の「やくも20号」は8両編成。

車体のカラーは「やくもブロンズ」と呼ばれる。宍道湖の夕陽のウコン色、たたら製鉄の黄金色、大山夏山開き祭のたいまつのあかがね色、そして赤瓦の町並みの赤銅(しゃくどう)色をベースに作られたオリジナルカラーだという。また、正面や側面に「やくも」と雲のロゴが描かれている。近年、シンプルなデザインの特急車両が目立つ中、八雲立つ出雲八重垣へのロマンをかき立てる。

出雲市の駅名標も「やくも」デザイン。

実は今回、初めての乗車、デビューしたてということもあり、思い切ってグリーン車に乗ることにした。1‐2列シートの1人席で、宍道湖や大山の景色を楽しめるのはこちら側だ。さすがゆったりしたシートである。

また、1人では利用できないが、グリーン車の半室は2人向かい合わせ、4人向かい合わせのセミコンパートメントが並ぶ。シートを引き出してフラット状にすることもできるそうで、家族連れ、カップルを中心に人気が出そうだ。

普通車も、新しい車両ということで居住性は悪くなさそう。シートピッチは新幹線車両と同じとある。また全席にコンセントが備えられ、車内Wi-fiによる通信も可能である。

その新型「やくも」において、もっとも注目されているのが、新しい振り子装置の導入による乗り心地の改善である。私は乗り物酔いしない体質でピンと来ないのだが、かつて381系、特に「やくも」の場合は振り子式独特の揺れのため、車内で気分が悪くなる客が続出しており、「ゆったりやくも」車両ですら「ぐったりはくも」などと揶揄されていた。今回の新型車両により、乗り物酔い評価指標が23%改善したというデータもあるそうだ。

そろそろ時間となり、岡山に向けて出発する。旅を演出するのは、Official髭男dismの「Pretender」・・・。

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新型「やくも」に乗るために出雲市へ

2024年04月08日 | 旅行記F・中国

4月6日、岡山~出雲市間の特急「やくも」に新型車両となる273系がデビューした。岡山や出雲市での出発式の様子がニュース番組で紹介されていた。また一方、撮り鉄さんの仕業で初日早々緊急停車する事態もあったそうで、沿線は早速賑わっているようである。

その新型「やくも」に乗ってみよう。また、これと引き換えに期間を置いて国鉄型381系の「やくも」も引退する。前日の4月5日限りで、パノラマ型グリーン車を備えた「スーパーやくも」として運転されていたラベンダー色の編成は運行を終了している。

デビュー2日目となる4月7日、せっかくなら新型「やくも」と、国鉄型の中でも旧国鉄特急色の「やくも」を組み合わせたい。時刻表を見る限りでは、岡山10時13分発「やくも7号」でまず新型に乗り、出雲市からは15時35分発「やくも24号」で旧国鉄特急色に乗って18時47分岡山着。あるいは、岡山11時13分発「やくも9号」で旧国鉄特急色に乗り、出雲市から14時37分発「やくも22号」で新型「やくも」に乗って17時47分岡山着が手頃かなと思う。

ただ、「やくも」運行に関するSNSにて、381系各塗色車両の運用を見ると、4月7日は旧国鉄特急色車両の運行は行われないようだ。何でも4月7日~8日にて、JR西日本と日本旅行の主催で「特急やくも全5色見学ツアー」が行われるとあり、旧国鉄特急色の車両は4月7日については岡山からの団体列車に充てられるという。他の381系が充てられるし、乗ってしまえば塗色は関係ないことだが、どうせ出かけるなら日を改めたい。

そんな中、4月7日は山陰線の観光列車「あめつち」が、「奥出雲おろち号」の後を受けて木次線を初めて走る日でもある。この日の指定席は往復とも満席だが、次に木次線を走る期間の1日である4月28日の便の指定席が確保できた。旧国鉄特急色への乗車はその時に合わせるとして、7日はともかくデビュー2日目の新型「やくも」に乗ることにしよう。

どうしようかと考えたが、今回は費用を抑えるため、広島からは高速バスで出雲市に向かい、出雲市から山陰線~伯備線を新型「やくも」でたどることにした。これで循環ルートとなる。まあ、広島から山陰に向かうのなら高速バスが時間的にも費用的にも有利である。

・・ということで前置きが長くなったが、朝8時、広島バスセンターから出雲市行きの急行便「みこと」号に乗る。最前列の席は先約があったが、前方の席を確保。もっとも、この便全体の乗客は12~13人で空席が目立つ。

ちょうど広島でも桜が満開を迎え、沿道でも鮮やかな景色が広がる。

途中休憩の江の川パーキングエリアにも桜が植えられていて、一応今季初めての「花見」とする。

三次東からは松江道に入る。ちょうどドライブ日和、「道の駅たかの」、県をまたいだ「たたらば一番地」とも多くのクルマで賑わっていた。

三刀屋木次インターで松江道を下り、上熊谷から斐伊川沿いに走る。かつて、ヤマタノオロチになぞらえられた河川である。上流では砂鉄を産し、下流では肥沃な土壌をもたらした斐伊川だが、長い歴史の中で氾濫を繰り返し、その氾濫と治水事業が、ヤマタノオロチとスサノオノミコトの伝説となったとも言われている。

11時07分、出雲市駅前に到着。結局この日、新型「やくも」で運行される出雲市13時40分発「やくも20号」で岡山に向かうことにした。それまで2時間半ほどあり、出雲大社まで駆け足で往復することも可能だが、駅近辺でも十分過ごせるかなと思う。

ということで、出雲市に来たら昼食は出雲そばとしよう。駅にもそば店があるが、少し離れたところに有名店があるというので、ぼちぼち歩いて向かうことに・・・。

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「スーパーやくも」引退、新型「やくも」デビュー

2024年04月06日 | 旅行記F・中国

4月5日から6日にかけて、山陽と山陰を結ぶ特急「やくも」が転換期を迎えた。

これまで長年伯備線の「やくも」として活躍した国鉄型381系が、順次新型の273系に置き換わることになった。273系のデビューと引き換えにまず置き換わったのが、パノラマ展望のグリーン車を備えた381系の1編成。かうて紫色の「スーパーやくも」として活躍した編成である。ラストランとなった4月5日は多くの人たちが別れを惜しんだようで、SNSでも多くの画像がアップされていた。ちょうど沿線の桜も満開を迎えたことで、桜と組み合わせたショットも多い。

この先6月までの2ヶ月ほどをかけて順次置き換えが進むという。国鉄型車両が多く残る岡山~山陰地区にあってこれからが転換期である。

かくいう「乗り鉄」、「呑み鉄」の私、新型「やくも」にも乗りたいし、一方で旧国鉄特急色の「やくも」にも最後に乗っておきたい。

ということで、デビュー初日の4月6日は仕事のため行けなかったが、7日に出かけることに・・・。

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