まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第3回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~第89番「金剛頂院」(奥の院を前にして・・)

2022年08月31日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

九州八十八ヶ所百八霊場は、はじめて本格的な山中コースである若杉山の明王院、金剛頂院と進む。この2ヶ所とも徒歩でめぐるとなると山登りコースだし結構な時間がかかることだろう。あ、でも金剛頂院からの戻りに、暑さ対策万全といったいでたちの男性が上っていたのを見かけたな・・。

第6番の明王院から軽自動車のエンジンを5分ほどうならせた後、開けた場所に出る。第89番の金剛頂院の看板もあるが、その前に若杉楽園キャンプ場という休憩スポットが広がる。ここから篠栗町、福岡市街を望むことができる。前の木々が伸びているが、遠くには玄界灘まで見渡せる。

金剛頂院は九州八十八ヶ所百八霊場めぐりでは、88の次の89という番号がついているから後で札所に加わった形だが、当初から番外札所の扱いだったようだ。唐から帰国した弘法大師は都の情勢もあっていったん大宰府にとどまるのだが、その時に若杉山に登り、鎮護国家、人々の救済を祈願したのが始まりとされる。先ほどの明王院で紹介した養老ヶ滝でも修行しており、若杉山がそうした場であることもかねてから知っていたのだろう。

かつては広大な伽藍を持ち、最大で300もの塔頭寺院を構えていたそうだが、南北朝時代の兵火で焼失してしまったとある。現在の本堂は昭和の再建である。

金剛頂院には普段人がいないから文珠院で朱印の対応をしているのだろうが、本堂の扉は開いていて、中に入ってお参りができる。無人とはいえ荒れた感じはなく、普段から法要がある時には開放して多くの人が参詣するのだろう。また篠栗新四国八十八ヶ所の番外でもあり、若杉奥之院とともにやって来る人もいるそうだ。お堂の中にも篠栗関連の張り紙が見られる。ともかくここでお勤めとする。

ここまで来ればもう少しクルマを進めて若杉山の山頂にある若杉奥の院や、太祖宮の上社に参詣するところだろうし、今思えばそうすればよかったなと思うが、この時は来た道を下った。奥の院じたい、手前の駐車場から1キロ以上歩いたところにあり、しかも岩場もあるそうで、今回そこまでの予備知識がなく来たものだから躊躇してしまった。

この後、九州八十八ヶ所百八霊場めぐりは八木山峠を越えて飯塚に入るのだが、その途中に広がるのが篠栗四国八十八ヶ所の札所群である。さすがにこれらを巡拝することはないにしても、もろにそのエリアを通るわけだから無視するわけにもいかない。せめてその総本寺である城戸南蔵院にお参りするとしよう・・・。

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第3回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~第9番「明王院」(1300年の歴史を持つ養老ヶ滝)

2022年08月30日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

8月16日、九州八十八ヶ所百八霊場めぐりの後編である。この日はまず、ホテル近くの若杉山にある第9番・明王院、第89番・金剛頂院を回る。そして八木山峠を越えて飯塚に入る。飯塚市内には4ヶ所の札所があり、これをクリアするとその後は直方市内の3ヶ所が待っている。朝から夕方まで目一杯時間をかければ9ヶ所を一気に回れないこともないだろうが、そこまで急ぐつもりはないし、筑豊は筑豊でローカル線めぐりを兼ねて、次の回にいくつか取っておきたい。帰りは高速に乗るとしても、そう遅くない時間に帰宅しようと思う。

まずはホテルにてバイキング形式の朝食。前日朝のルートインと比べると品数は少ないが、一通りのものはちゃんとそろっている。この日から仕事再開ということで工事関係者らしい人の姿も目立つ。

7時半すぎに出発。ホテルすぐ横の脇道を進む。方角からして前方に見えるのが若杉山だろう。

途中、山に向かって「太祖宮」と書かれた石の鳥居に出会う。これは若杉山と何か関係がありそうだ。鳥居から少し行ったところに神社らしき建物を見かけたので立ち寄ってみる。太祖神社といい、祭神はイザナギノミコトであるが、神功皇后の三韓征伐の伝承とも関連があるそうだ。

境内には前日訪ねた宇美八幡宮ほどではないが、クスノキの巨木が広がっている。ここは太祖宮の下社にあたり、上社は若杉山の山頂にあるという。

社殿のすぐ横には篠栗町の総合運動公園のグラウンドが広がっている。かつてはこのグラウンドを含む一帯に太祖神社があったが、総合運動公園の建設にともなって土地を交換する形で神社が現在地に移った旨の石碑もある。

改めて山道へ。通行が困難というわけではないが、そこそこの勾配、カーブが続く。その中に若杉山の諸堂の案内板がある。その山頂にあるのが若杉奥之院である。先ほどの太祖宮もそうだが、この山も古くから山岳信仰の歴史があり、神仏習合の時代が長かったようだ。後に触れることになる篠栗四国八十八ヶ所の札所も若杉山の北麓に点在する。

山の4合目付近だそうだが、文珠院の駐車場に出る。これから目指す明王院と同じ境内にあるようで、ここにクルマを停める。建物がいくつか固まっているのが見える。まず初めに出たのは文珠院である。文珠院は、1972年に先代の住職が高野山の弘法大師御廟に参籠した際に文殊菩薩を感得したことを受けて建立された。この先の明王院、金剛頂院の朱印もここで受け付けるとある。明王院に行く前、せっかくなので文珠院でもお勤めとする。

明王院はこの先にある。本来なら、先ほど坂を上って来た途中に山門があり、そこから石段を上がるべきなのだろうが・・。手前に護摩堂、休憩所があり、その奥に祠がある。

奥に落ちる滝は養老ヶ滝といい、いかにも修行の場らしい雰囲気が漂う。寺社参詣におすすめの朝の時間、先ほどまでいた平地と比べて涼しさを感じる。思わずうなってしまう。

お堂には自由に上がることができ、滝の水音を聞きながらのお勤めである。祠の周りの石像も自然の景色に溶け込んで、神秘的な風情だ。これまではどちらかと言えば町の中の寺院が多かったのだが、ここで山岳寺院に来て、この札所めぐりの面白さも広がったように思う。

この養老ヶ滝を開いたのは奈良時代、インドから来日した善無畏三蔵が若杉山で修行した時とされ、それ以来1300年の歴史がある。後に弘法大師をはじめ、伝教大師、慈覚大師といった高僧たちもここで修行したという。すぐ近くには篠栗八十八ヶ所があるが、それよりも古くから若杉山は修行の場、祈りの場であった。弘法大師が修行したのも、大宰府から近い場所だったこともあっただろう。その後は荒廃したが、明治になって盲目の高瀬無染によって復興され、現在に至る。養老ヶ滝では今も滝行を修める人の姿が見られるそうだ。

文珠院に戻り、インターフォンで寺の方を呼んで明王院と、参詣前だが金剛頂院の2ヶ所の朱印をいただく。そして金剛頂院に向けてもう少し山道を上ることに・・・。

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第3回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~篠栗にて1泊、鶏料理を楽しむ

2022年08月29日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

8月15日、山口~福岡とめぐった後の宿泊は、JR篠栗線・門松駅近くにある「ホテルAZ福岡篠栗店」である。ホテルAZは九州を中心に展開している店舗で、この先の八十八ヶ所百八霊場でもお世話になる機会があるだろう。この篠栗店は県道2つが交わる交差点の近くにあり、交通量も比較的多いところにある。翌日は若杉山の山中にある札所2つを訪ねるのだが、ホテルからクルマで20分ほどと手頃なところで、宿泊地の選択としてベストだと思う。

部屋からの景色を眺めつつ、平日ということで福岡の夕方のローカル情報番組を観る。その中のある番組でホークスのコーナーがあったのだが、13日、私がペイペイドームでのバファローズ戦で「周東デー」に出くわした試合を中心に取り上げていた。その前、その後の試合がバファローズの快勝だったので、せめてその試合だけ月曜日に取り上げたということか。こういうご都合主義の編成はローカル局ならだが、パ・リーグ球団のある福岡ならいいだろう。地元関西ですらバファローズがこうした扱いはしてもらえない・・・。

しばし休憩した後、外に出る。ホテルAZでは館内レストランでアルコール飲み放題も可能な夕食バイキングがあるのだが、今回は外に出ることにした。時間は18時前だがまだまだ蒸し暑い中、ホテルから県道を東に歩いて数分で着いたのが「博多一番どり居食家あらい 篠栗本店」。

「博多一番どり」は九州、山口を中心に展開するチェーン店だが、福岡県産の地鶏「はかた一番どり」を使ったメニューが揃う。この日は昼食抜きで下道をひた走ったのだが、その分夜の部はしっかり楽しみたい。夜の一献のあてがあったから我慢できたと思う。この店だが、お盆の時期ということで座席と飲み放題をあらかじめグルメサイトで予約していた。果たして店内は家族連れを中心に満員御礼だった。

てっきりカウンターでいただくのかと思ったが、通されたのは4人がけの個室。店じたいが一人客よりは家族連れ、グループ客を中心とした造りになっている。私が個室を利用したことで当日入れなかったグループもいたのではないかと思うと恐縮だが、店が案内したのだからいいだろう。個室からだと注文はタッチパネルで行えるし、飲み放題の残り時間もタッチパネルでカウントダウンされるので気兼ねなく過ごすことにする。

まずはともあれビールで乾杯だ。飲み物もそれほど待つことなく運ばれる。やはりいいもんですな・・。

アテはとりわさ、ごまさばといったところ。

そしてメインの焼鳥も各種いただく。塩味で注文したのがタレ味で出てきたのはご愛嬌として、しっかりと味わう。塚注文した鳥皮が串に巻かれて出てくるのは博多流である。皮のブニブニした食感が苦手という人にも食べてもらおうと、博多のある焼き鳥店が開発した調理法とかで、薄さがあり柔らかい首の部分の皮を使い、ぐるぐる巻くことで外がカリっと仕上がるのだという。古くから鶏肉料理に親しんできた福岡、さまざまな調理法が編み出されたところである。

メニューには他に唐揚げやチキン南蛮もあるが、ひとり鍋も注文できる。脂っぽいものが重なるので、夏だけど鍋にしよう。ということで水炊きを注文する。肉も骨がついておらず、もも肉をそのまま丸ごと食べることができる。この辺りになるとビールから糖質ゼロチューハイに切り替わる。水炊きの後は雑炊もしっかりいただく。これで昼・夜の2食分を一度に食ったことになる。体にあまりよろしくないのはわかっているが、まあそこは盆休みということで・・。

一通りいただき、飲み放題プランにしたにも関わらず結構な値段となったが、すっかり満足。福岡市の隣町で博多の味を楽しむことができてよかった。この後は別に夜食がほしいとも思わず、まっすぐホテルに戻る。翌朝もそれなりの時間に出発するが、その前に熟睡できそうだ・・・。

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第3回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~宇美八幡宮へ

2022年08月28日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

8月15日、徳山から山口県内の中国四十九薬師霊場を回り、関門トンネルをくぐって九州に入り、九州八十八ヶ所百八霊場の第8番・隆照寺を訪ねた。

その帰り、宿泊先に向かう途中で、先ほど前を通過した宇美八幡宮に立ち寄る。宇美という地のシンボルと言えるスポットである。

宇美八幡宮の歴史は古く、神功皇后が三韓征伐から帰還する途中、この地で応神天皇を産んだとされる。後に敏達天皇の時に、応神天皇を祭神として祀ったのが始まりという。現在の宇美という地名も、「産み」に由来するという。

外の鳥居をくぐった時から、境内に巨木が目立つのに気づく。境内全体が「子安の杜」として、古くから子宝、安産、育児の信仰を集めている。子どもがこうした木々に守られている、木々のゆりかごの中にいるかのように見える。

まずは拝殿にて手を合わせる。子宝、安産祈願での参拝が多いというが、そこから派生して八幡宮は殖産興業(こちらも、さまざまなものを「産み出す」ことにつながる)のご利益にも通じる。

境内には神功皇后が応神天皇を産んだ出来事に由来するスポットも多い。まず拝殿の横にあるのは「子安の木」。神功皇后はえんじゅの木の枝に取りすがり、応神天皇を産んだという。その木が今も種を絶やさず受け継がれているそうで、えんじゅは安産のお守りにも使われているという。

そのまま社殿の左側から回る。奥のクスノキの巨木は「衣掛の森」として国の天然記念物に指定されている。これ自体が信仰の対象にもなっているようだ。神功皇后が応神天皇を産んだ時、着けていた産衣を掛けたことからこの名前がついた。

その奥には産湯に使ったとされる水が湧き出ている。祠の脇でちょろちょろ出ていて、ペットボトルにでも汲んで持ち帰れそうだし、そうする人もいるのだろうが、飲むのは違うように思う。こういうのも信心のものだが、例えば実際の産湯の中に成長を願ってちょっと入れるとか、そうした願いを込めるものだろう。

社殿の背後にあたる場所に「子安の石」がある。これでもかと石が積み上げられていて、そこにはお子さんの名前、生年月日がマジックで書かれている。2022年、令和4年と書かれたものが多い。その仕組みとは、宇美八幡宮で安産祈願を受けた後、ここの子安の石からどれか一つを預かって自宅で祀る(どれにするかは直感でよいとのこと)。そして無事出産すれば、自身で新しい石を用意してお子さんの名前、生年月日を記して、預かった石と一緒に奉納する。自分の前に無事出産した人のご利益にあやかり、そして次に別の人の出産の力へと受け継ごうということだ。いつ頃から行われた慣習かはわからないが、よいことだと思う。自身が産んだ○○ちゃんは、石に書かれた△△ちゃんともつながっているように感じられるのだろう。

社殿の右側に出て、またもクスノキの巨木に出会う。「湯蓋の森」といい、神功皇后が応神天皇を産んで産湯を使った時、クスノキの枝葉が産湯の上に蓋をしているかのように見えたことから名づけられた。先ほどの衣掛の森とともに樹齢は2000年と言われていて、国の天然記念物に指定されている。

境内を一回りして参拝を終える。軽自動車を走らせ、香椎線の終着である宇美駅前を通る。国鉄時代には宇美駅というのはここ香椎線と、もう一つ勝田線にあった。もっとも同じ敷地で乗り換えではなく、100メートルほどとはいえ離れていた。宮脇俊三の「時刻表2万キロ」でも、同じ国鉄宇美駅なのに香椎線と勝田線で場所が異なっていて慌てる場面があった。

この2路線の違いは、異なる2つの私鉄が前身になっていることによるもので、現在残っているJR香椎線は、西戸崎まで石炭を運ぶことを目的とした博多湾鉄道が前身である。一方、勝田線の前身は、石炭の輸送と宇美八幡宮の参拝客輸送のために敷かれたのが筑前参宮鉄道で、宇美駅は博多湾鉄道とは少し離れた場所に設けられた。いずれも炭鉱路線だったのに、香椎線が残って勝田線が廃止になったのは線区ごとの営業係数等によるもので、香椎線は香椎~西戸崎の区間があったことで生き延びたのかもしれない。一方、廃止となった勝田線の志免駅跡には、炭鉱跡も含む記念公園があり、機会があれば訪ねてみたいものである。

さてこの後は軽自動車をもう少し走らせ、篠栗線の門松駅近くにある「ホテルAZ福岡篠栗店」に宿泊。翌日は若竹山の札所を回った後、飯塚、直方の筑豊エリアを目指すことに・・・。

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第3回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~第8番「隆照寺」(国道3号線をひた走って・・)

2022年08月27日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

8月15日、午前中は中国四十九薬師の山口県内の4つの札所を軽自動車で回り、国道2号線で関門トンネルをくぐっての九州入り。ここからは第3回の九州八十八ヶ所百八霊場めぐりの記事である。

九州八十八ヶ所百八霊場については札所番号もいろいろ入り乱れているので、エリアごとに回ることにしている。今回はまず福岡の糟屋郡一帯が目的地で、まずは宇美町にある第8番の隆照寺を目指す。とはいうものの、起点となった宇部市の覚天寺からカーナビで一般道走行の条件で検索すると4時間あまりかかると表示される。覚天寺を出たのが正午すぎだが、寺の開門時間を考えるとどこかでのんびり昼食とは行かず、下道をひた走ることになりそうだ。

さて軽自動車は関門トンネルを抜け、門司港一帯を過ぎる。門司港レトロや門司港駅、九州鉄道記念館といった魅力的なスポットへの標識が目に入り、思わずうなる。これらに立ち寄りたいところだが今回は素通り。まあ、北九州市の札所もいくつかあるので、それらと組み合わせて訪ねることができればよいのだが・・。

門司港から小倉までの国道3号線は関門海峡を見下ろすところを走る。右手には海峡を挟んで下関の市街地が広がる。関門は私の好きなエリアの一つなのだが、実際に住むとなると下関側、門司側どちらが適しているのかなと考える。

小倉駅近辺はやはり交通量も多く、信号で引っかかることも多くなった。宇部から宇美まで4時間もかかるのかと思い、カーナビの到着予想時刻は途中で早まることが多いのだが、北九州市街に入っても縮まる様子がない。下関側までは順調に走って来たが、短縮したぶんをここで一気に吐き出す形である。国道3号線と国道10号線が分岐する三萩野交差点あたりはなかなか進まない。

三萩野といえばモノレールの駅があり、北九州市民球場にも近い。北九州か・・・前の広島勤務時、北九州で「ダイエー対近鉄」という試合も観に行ったなと思い出す。近鉄の2年目・岡本晃投手のプロ初先発・初勝利だった。今は九州アジアリーグの北九州球団もできたことで、また機会があれば観戦したいものである。

それにしても九州に入ってから怪しい雲が広がるようになり、3号線を走っていても天気が急変する。晴れ間が出たかと思うと、急に強い雨が落ちることも。この先大丈夫かと思う。

遠賀川を渡ったあたりから走りもスムーズになってきた。また、先ほどの雨雲も抜けて空も明るくなった。バイパス区間もあり順調なのだが、福岡県も結構広いものである。

途中、ラーメンやうどんの名店も数多く通過しており、あまり考えずにその辺の店に入ればいいものの、まだまだ先が長いことや、駐車場が満車に見えたり、そうかと思えば入れそうな店を見逃して気づけば通過した後だったりと・・・結局食いそびれる。まあ、私の場合なぜかどこかに出かけると昼食が欠食になることが多く、今回もそのケースかなと致し方なく受け入れる。その分夜はしっかりと・・・。

古賀市まで来て国道3号線に別れを告げて県道に入る。今度は九州自動車道に近い県道35号線を走る。

この日の宿泊地近くのJR篠栗線門松駅近くを通過する。そのまま、JR香椎線の終着駅である宇美駅横を通過する。そして案内に沿ってまだまだ軽自動車を走らせ、ようやく隆照寺に到着。途中、昼食はおろかトレイ休憩をすることもなく国道~県道を走ったが、結局着いたのは15時45分頃。4時間は切ったが、それでも時間はかかった・・・。

九州八十八ヶ所百八霊場のほかに、九州二十四地蔵霊場の札所でもある。寺の他に納骨堂、墓地も有している。

隆照寺は、須恵で加持祈祷を行っていた隆照和尚の後を継いだ弘隆和尚が1968年に現在地に建立したのが始まりである。ちょうど宇美の町を見渡せる高台にある。本尊は大日如来だ。

本堂の扉を開けてまずはお勤めとする。

ところで朱印だが、九州八十八ヶ所百八霊場については専用の納経帳を持参している。あらかじめ各札所の墨書きが印字されていて、朱印だけ押すタイプ。寺の人が不在の場合はセルフで押印することになるが、本堂を見渡しても朱印は見当たらない。そこでいったん本堂の外に出て、改めてインターフォンで寺の方を呼ぶ。朱印は別の間にあり、無事にいただくことができた。

15日のうちに隆照寺を押さえておけば翌日の行程も楽になるなということで、ノンストップでやって来たが、寺そのものはそれほど時間がかからずに参詣を終えた。逆に時間があまった形だが、ホテルにチェックインするにはまだ早い。ならばせっかく来たので、宇美の有名な神社に参拝してみようと思う・・・。

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歌舞伎俳優ってうらやましい職業ですね

2022年08月26日 | ブログ

何をやっても庇護されますから。

梨園だかリンゴ園だか知らんけど・・・

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第16回中国四十九薬師めぐり~第30番「覚天寺」(十三佛に祈りをささげる終戦の日)

2022年08月26日 | 中国四十九薬師

中国四十九薬師めぐりから九州八十八ヶ所百八霊場めぐりへという強欲な札所めぐり。8月15日、山口大学近くの第27番・廣澤寺に参詣してそのまま下道を走り九州入りする予定だったのだが、近くを通るということで、第20番・覚天寺にも立ち寄ることにした。

新山口駅の西で国道2号線バイパスに出て、厚東駅から宇部市の船木地区に差し掛かる。途中、サイドカーにも遭遇する。

いったん国道2号線を離れて南に向かう。この辺りはかつて船木鉄道という軽便鉄道が走っていた。船木じたいはかつて山陽道の宿場町として栄えていたが、明治時代に開通した山陽鉄道(現在の山陽線)は船木を避けて南に迂回するルートを取った。そのため、現在の宇部駅とを結ぶ軽便鉄道として敷かれたのが船木鉄道である。船木周辺には小規模な炭鉱が点在しており、石炭を運ぶ役目もあった。しかし戦後となり、石炭産業も衰退したことから鉄道は廃止、現在は船木鉄道バス、略称船鉄バスとして、宇部市、山陽小野田市、美祢市で路線バスが走っている。

これから目指す覚天寺だが、山陽線の小野田駅から船鉄バスで10分ほどの中村バス停から徒歩とある。バスの時刻表を見ると1時間~1時間半に1本の割合で運行されていて、中国四十九薬師めぐりにあって公共交通機関で訪ねることができる札所として紹介しておく。

大休団地が広がる一角を抜け。その奥に覚天寺がある。さらにその奥には墓地も広がっているが、門の手前に軽自動車を停める。

覚天寺が開かれたのは室町時代。瑞松庵の守邦和尚がみずからの隠居所として大休寺として建立した。その後衰えたが、江戸時代になり、毛利氏家臣の宍戸広貞がこの地を治めることになり、菩提寺とした。明治時代になり宍戸氏が治めることもなくなり一時廃寺となったが、地元の人たちが長門の国にあった覚天寺をこの地に移すことで受け継ぎ、現在に至る。

本堂の前にはロープで仕切られた一角があり、「丹後守就俊の宝篋印塔」とある。江戸時代初期に長州藩の重臣として毛利氏を支えた宍戸就俊のことで、この宝篋印塔は没後150年の追善供養で建立したという。

本堂に上がる。ちょうど広間の一角では地元の檀信徒らしき人たちがお話の最中。その中を会釈してお勤めとする。

書き置きの朱印も本堂の上り口にあったのでそのままいただく。すると寺の人がやって来て、「暑い中ご苦労様です」と声をかける。「荷物になるかしら」といいつつも、お参りのお接待プラスお盆のお接待ということで、お菓子にティッシュ、さらにクールタオルもいただく。水に濡らして首に巻くと冷んやりする・・というやつである。

先ほど山門をくぐる前に、境内の奥に十三佛が祀られているという看板を見た。せっかくなのでお参りしようと言うと、「暑いので気を付けて」と言われる。

裏の墓地を抜けて少し坂を上ると、十三佛のエリアに出る。ただ現在整備中なのか、歩道のコンクリートも途中までしかなく、後は木々がまばらに生えていたり、道なのか草むらなのかよくわからない一帯を歩く。十三佛には一応順番と言うのがあるが、そこは順不同にたどることになった。もっとも、十三佛といえは境内の一角に横並びに祀られることが多く、こうして写し霊場のように点在して祀られるのは珍しいという。

とりあえず一帯をぐるりと回る形で、一応十三佛全てに手を合わせることはできた。そして境内に戻り、山門を後にして軽自動車に戻る。出発しようとエンジンをかけると、寺の方が走って来た。「ああ、無事に帰って来ちゃった」と笑いながら、ペットボトルのお茶を差し出してくれる。そこまでハードなところとは思わなかったが・・。

ペットボトルはこの先の道中でいただくとして、軽自動車を出発させるとちょうど12時である。8月15日の正午ということで、別に周りで鐘やらサイレンが鳴るわけではないが、一応終戦の日ということでちょっと手を合わせる。今こうやって札所めぐりを楽しめるのも平和があってのことで、現実にはこの瞬間もゴタゴタが起こっているのだが一時でも気持ちを落ち着かせ、過去を振り返ることがあってもよいと思う。

さて、正午に覚天寺を出発して、次の目的地は九州。九州八十八ヶ所百八霊場百八霊場の第8番・隆照寺である。福岡市の東、宇美町にあるのだが、カーナビで一般道経由で検索すると到着予定時刻は16時を回る。カーナビの設定なので実際に走る中で予定時刻も繰り上がるだろうが、途中どこかに寄り道して・・とはいかないだろう。その後の都合上、隆照寺を含む一帯は15日中に回っておきたいところだ。ともかく、下道をひた走ることにしよう。

国道2号線に戻り、厚狭埴生バイパス~小月バイパスと走る。少し寄り道すれば貝汁が名物の「ドライブインみちしお」がある。出発前はここで昼食というのもいいかなと思っていたが・・。まあ、この辺りはまたドライブで訪ねることもあるだろう。

やがて国道2号線は関門トンネルへと続き、覚天寺から40分あまりで入口までやって来た。軽自動車の通行料金は110円。

海底をくぐり、福岡県に入る。次からは記事のカテゴリは九州八十八ヶ所百八霊場として、まだまだ長々と続くことに・・・。

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第16回中国四十九薬師めぐり~第27番「廣澤寺」(10月23日は三次に行こう!)

2022年08月25日 | 中国四十九薬師

中国四十九薬師めぐりは、第26番・興隆寺から第27番・廣澤寺に向かう(これまでは「広沢寺」と書いていたが、改めて記事にするにあたり「廣澤寺」のほうが正式なのかなと思い、以後はこの表記で)。山口市街の南にあり、瑠璃光寺や湯田温泉がある中心部からは離れていく。それももったいないので、どこか機会を作って改めて訪ねることにしよう。

中国自動車道が近づき、山口大学キャンパスの横や湯田温泉スマートインターチェンジを経由する。そこから細道に入り、田んぼの中の坂道をちょっと上って廣澤寺の駐車場に着く。「廣澤禅寺」の石標が出迎える。

本堂や、隣接する納骨堂はまだ新しい感じだ。境内の奥には墓地もあり、先ほど訪ねた興隆寺とは対照的に、多くの檀信徒によって支えられているのかなと見える。本堂の正面扉に向かうと、渡り廊下でつながっている檀信徒会館から入るようにとの案内板がある。檀信徒会館の敷居も高そうだが、玄関の扉を開けるとメロディが流れる。すると住職らしき人が出てきて、「どうぞお参りください」と出迎えてくれる。

渡り廊下から本堂の扉を開けると、中では若い僧侶が掃除機をかけていた。私の姿を見ると掃除機を止めて、「どうぞお参りください」と正面を勧めてくれる。こちらこそ、お仕事中にお邪魔して恐縮だ。

廣澤寺の前身は泉香寺といい、室町時代に大内盛見(もりあきら)により開かれた。どこかで聞いた名前だなと思い出すと・・瑠璃光寺の五重塔の建立を手掛けたほか、中国観音霊場で訪ねた周南市鹿野の漢陽寺を開いた人物である。父の大内弘世の菩提を弔うためだった。泉香寺は後にいったん廃寺となったが、明治になり、別の場所にあった廣澤寺が現在地に移り、今に至る。

お勤めをしている間、掃除機をかけていた僧侶も片隅で見守ってくれる。こうした場合、かえって緊張するものだ。中国四十九薬師の朱印の紙が置かれていたので、1枚いただき300円を賽銭箱に納める。

「お薬師さんで回ってるんですね?」と僧侶が声をかける。「それでしたら・・」と勧められたのが「第24回 中国四十九薬師霊場合同法要」のチラシ。10月23日、場所は第14番・日光寺である。日光寺は三次駅が最寄りの札所で、ここなら広島からでも日帰りで行くことができる。四十九薬師のお砂踏みがあり、コロナや災害からの復興への祈りの法要、大護摩供や火渡式もあるという。2ヶ月先のことで、コロナ禍の状況もどうなっているかわからないが(ともすれば中止になる恐れもあるだろう)、ここは今から予定を入れておこう・・。

・・・後で知ったところでは、10月23日とは日本シリーズ第2戦の予定日である。今季は土日はセ・リーグ出場チームの本拠地で行われるが、その試合の三塁側・レフトスタンドに私が現れる可能性がゼロではないよな、うわ~、ダブルブッキングになったらどうしようかな・・・と、いらん心配をしてみる。本当、どうでもいいことだが・・。

さて、これで福岡に行く途次に徳山に前泊して、当初の目的であった山口県内の中国四十九薬師の3ヶ所を訪ね終えた。これから国道2号線に出て、そのまま下道(バイパス含めて)をひた走って福岡に向かうが、その途中の宇部市、2号線から少しだけ南に寄り道したところに第30番の覚天寺というのがある。札所を2つ飛ばす形になるが、クルマでここまで来ていることもあり、先に覚天寺に行ってしまおう。

仁保川沿いに出て、その後で国道9号線に出る。もう少し待てば、先日(8月11日)に乗車した「DLやまぐち号」を走る姿を見ることもできそうだ。ただ、ここは先に進もうと、新山口駅の西側で線路を跨ぎ、国道2号線に向かうことに・・・。

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第16回中国四十九薬師めぐり~第26番「興隆寺」(山口の妙見社、大内氏の氏神)

2022年08月24日 | 中国四十九薬師

中国四十九薬師めぐりは第25番の月輪寺の参詣を終えて、次に目指すのは山口市街にほど近い第26番の興隆寺である。島地川から、徳地の町を流れる佐波川沿いに出る。8月15日、ここからまだまだ長々と紀行文は続く・・。

先の記事で、東大寺の再興に尽力し、月輪寺も建立した重源のことを紹介したが、徳地の地で調達した木材を運搬するのに使ったのがこの佐波川で、重源はそのために河川の改修も行ったという。島地川から佐波川をたどるとちょうど防府に出ることから、そうした条件も木材調達にプラスになったことだろう。

しばらく佐波川沿いに走った後、山口市街への最短ルートである荷卸峠に差し掛かる。軽自動車もうなりをあげる。荷卸峠とは、かつて行商人たちが頂上付近で荷物を下ろして一服したことからついた名前だそうだが(そのまんまやな)、中国自動車道のパーキングエリアもある。国道のほうは特に休憩スポットがあるわけでなく、ここは荷を下ろすこともなく一気に峠を上り下りする。

峠を下ると仁保に出る。JR山口線にもこの名前の駅がある。山口線の駅は先日も列車で通った際、結構山の中にある印象だったが、県道は仁保川沿いの開けたところを行く。仁保の町は川沿いだが、鉄道は島根県へ少しでも近道ということで山の中を通したのだろう。

仁保川沿いに下るうち、周りの町名や交差点名に「大内」の文字が目立つようになった。現在の山口の町の元を造ったのが室町時代の大内氏で、京と地形が似ている山口を「西の京」とすべく市街地を整備し、文化人も招いた。明や朝鮮との交易が盛んだったこともある。今回の札所めぐりにあたっては、せっかく山口に来たのだから、四十九薬師の札所には含まれていないが瑠璃光寺にも行ってみようかと思っていた。ただ、同じ市内でも少し離れており、またこのまま下道で夕方までに福岡に行くため、残念だが見送りとする・・(一応、以前の中国観音霊場めぐりの時は参詣している)。

カーナビはやがて細い道に案内する。かつての萩往還である。こちらは江戸時代に整備された街道で、関ヶ原の戦いで敗れた毛利氏が萩に居城を移した後、萩~山口~三田尻(防府)を結んだ。日本海側と瀬戸内海側の西国街道、中関港をつなぐルートで、現在も国道262号線に引き継がれている。

その萩往還沿いに「妙見社」と刻まれた石灯籠があり、その道を進む。どうやら興隆寺のかつての参道のようだ。

そして到着した駐車場には石の鳥居がお出迎え。これは神仏習合の名残を残す寺かな。案内板には「興隆寺・妙見社」と記されている。正面の本堂も寺というよりは神社を思わせる造りである。

興隆寺が開かれたのは、聖徳太子の時代、琳聖太子によるとされる。以後、平安時代前期に大内茂村が妙見社を勧請して氏神とし、興隆寺を氏寺とした。その後、大内氏は周防、長門を中心に勢力を持ち、山口を「西の京」として大いに栄えた。しかし戦国の世となり、家臣の陶晴賢の謀反により滅亡してしまう。

その後も興隆寺は多くの塔頭寺院を有していたようだが、明治の神仏分離である。ほとんどが取り壊されたり他の地に移されたりして、残ったのは本堂にあたる妙見社、隣の釈迦堂、そして大内義隆が寄進した梵鐘くらいだった。今は地元の人が気軽に手を合わせるという感じの寺(というのか神社というのか)だが、大内氏の氏神だったとは初めて知った。山口の観光ガイドでも紹介されることはなかなかないのでは。

妙見社の前に、最近修復が施されたことの看板が立てられている。妙見社や釈迦堂の屋根の老朽化がすすみ、このままでは建物が倒壊する恐れもあり、檀信徒を持たない寺ということでクラウドファンディングにより修復費用を募ったそうだ。とりあえず最低限度の目標額には達したそうで、賛同した人の名前が看板に記されている。この資金をもとに、屋根もブリキから銅板のものに葺き替えられた。

妙見社に上がる。祭神は北辰妙見大菩薩で、北極星または北斗七星を神格化したものである。まずはここで神式に柏手を打ってお参り。

で、薬師如来はというと・・・妙見社の少し離れた脇にちょこんとした木像が祀られていた。朱印の書置きもここに置かれていたので間違いないだろう。ただ、祭神は妙見菩薩だし、隣のお堂は釈迦如来だし、中国四十九「薬師」の一つを名乗るにはインパクトが弱いように感じる。ただ、そこは何かいわれがあるのだろうとネットで調べてみると、昔の本地垂迹説の中に、妙見菩薩を薬師如来の化身と見なす考えがあるそうだ。はぁ・・そういう札所の加わり方もあるのか・・。

隣の釈迦堂では室町時代の作とされる釈迦如来像が祀られている。また、堂内に掲示されている新聞記事の切り抜きによると、両脇に祀られている文珠・普賢両菩薩像だが、2001年に台座もろとも盗まれる事件があった。窃盗団は逮捕されて仏像は戻ってきたが、文殊菩薩の台座だけは戻らず、このたび江戸時代の技法をもとに復原したという。なかなか、現代まで波乱にとんだ歴史を持つ寺である。

鳥居の脇には漢詩が彫られた石碑がある。「山口十境詩碑」の一つ「氷上滌暑(氷上に暑さを滌く(さく)」というもので、氷上とはこの辺りの一角を指す。解説文をざっくり要約すると、「氷上の景色は人々に清涼感を与えて暑さを断つ。しかしここは中国の河北のように暑気払いの酒を酌み交わす風習がなく、私の中ではふるさとの山々の姿が去来するばかりである」というもの。南北朝の頃、明の使節として趙秩という人が日本にやって来て、倭寇の討伐や明の冊封体制に入るよう求めた。その時は南北朝でごたごたしていて使節としての成果はそれほどでもなかったが、大内弘世の招きで山口に滞在しており、町の景色を「山口十境詩」と10の詩に詠んだ。氷上の詩もその一つである。

さてこれで興隆寺を後にして、次の第27番・広沢寺に向かう。ルートとしては山口市街地の南に沿うルートで、市中心部から少しずつ離れることに・・・。

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第16回中国四十九薬師めぐり~第25番「月輪寺」(奈良の東大寺とも縁のある里山の古刹)

2022年08月23日 | 中国四十九薬師

8月15日、広島から中国四十九薬師の山口県、そして九州八十八ヶ所百八霊場の福岡県を目指すに当たり、前日14日の夜に下道を走って徳山まで移動して来た。14日はここで一泊して、山越えで山口市内の中国四十九薬師霊場の3ヶ所を訪ねることにする。そうまでして回るのかという感想を持つ方もいるのかもしれないが・・このくらいの欲張りはいいでしょう。

今月開業したばかりの「ルートイン周南徳山東インター」にて朝風呂と種類豊富なバイキングの朝食をいただき、7時30分に出発する。まず目指すのは第25番の月輪寺(がちりんじ)である。

徳山駅周辺を走り、国道2号線に戻る。旧新南陽市から国道489号線、徳地方面へと向かう。先ほどまでの臨海コンビナート群とはまったく異なる景色が広がる。

周南市から山口市に入る。沿道のところどころに「重源の郷」という文字が見える。山村地域のさまざまな体験交流ができる施設だが、この「重源」とは平安~鎌倉時代の僧で、源平の戦いで焼け落ちた東大寺の再興に尽力したことで知られる。東大寺再興のために各地を勧進で回る中、周防国で大量の木材を得ることができ、大仏殿や南大門の再建に使われた。大仏殿はその後の兵火で焼け落ち、現在の建物は江戸時代の再建だが、南大門は重源が再興した当時の建物である。

そろそろ稲穂が実りつつある水田に石州瓦の家屋が点在する里山の集落に出る中、月輪寺に向かう。各種案内では「薬師堂」と記されていることが多い。駐車スペースに着くと、まず薬師堂に続く石段が目につく。手水場の水が冷たくて気持ち良い。「皇太子殿下ご来臨記念の碑」というのもある。建立されたのが平成なので、今の天皇陛下が訪問されたことの記念である。どういうご縁でここ徳地まで来られたかは説明書きがなくてわからなかったが・・。

月輪寺は寺の言い伝えでは聖徳太子により開かれたとされるが、現在に続く寺として建立したのは重源とされる。聖徳太子が開いたとされる寺も時代が下ると荒れており、それを目にした重源は再興しようと思い立った。何せ東大寺を再興しようというくらいの人だから・・。この地に荘園を持っていた関白九条兼実の援助もあり、寺の名前も兼実の呼び名であった「月輪殿」からつけられた。

山門をくぐり、正面奥にあるのが薬師堂。重源が建立した当時の姿を今に伝えている。鎌倉当時はまだまだ茅葺き屋根が一般的だったのだろうな。山口県内で現存する最古の建築物ともいわれている。

本尊は秘仏ということで、賽銭箱の横に御前立ちの薬師如来像がある。こちらをなでてご利益を感じ、お勤めとする。

境内には他に開山堂や、西国三十三所のお砂踏みもある。

ただここまで来て、納経所らしき建物が見当たらない。薬師堂の前にある建物がそうかなと見るに、通夜堂とある。無人の寺なら朱印の紙がどこにある等の案内があってもよさそうだが、どうしたものか。

いったん石段を下りて駐車場に行くと、左手上に立派な寺らしき建物があった。こちらが現在の月輪寺の本堂である。薬師堂は歴史的建造物として保存し、普段のお勤めや法要はこちらの本堂で行われるようだ。扉を開けて自由にお参りすることができる。月輪寺はちょうどお盆の時期で檀信徒のお参りも多そうで、テーブルにはお下がりでお菓子やジュースが置かれている。

改めて玄関でインターフォンを鳴らすと住職が出て、朱印の綴じ込み用紙をいただく。

この後は島地川に沿って国道376号線を走り、徳地地区の中心部を通過する。その徳地までは山口駅、徳山駅双方から路線バスが出ており、先ほどの月輪寺も徳山駅から1日数本ながらバスでアクセスすることができる。ここだけが目的地なら、里山風景をのんびりバスに揺られながら眺めたところだろうが・・・。

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第16回中国四十九薬師めぐり~九州八十八ヶ所百八霊場の行きがけに・・徳山前泊

2022年08月22日 | 中国四十九薬師

8月11日に津和野日帰り往復、13日にペイペイドーム日帰り往復と「飛び石」でのお出かけとした後、今度は15日~16日と三たび西に向かうことにした。そしてこのたびは山口県から福岡県にかけて、中国四十九薬師霊場と、九州八十八ヶ所百八霊場という二つの札所めぐりを同時に進めることにした。巡拝で煩悩を断ち切るどころか、やっていることは強欲そのものである。

元々は、九州八十八ヶ所百八霊場(第3回)が目的だった。第3回は糟屋郡シリーズとでもいおうか、宇美町にある第8番・隆照寺、そして篠栗町にある第9番・明王院、第89番・金剛頂院である。隆照寺はJR香椎線の終点・宇美から徒歩で行けなくもないが、明王院と金剛頂院は若杉山という山中にあり、バスの便もない。ということはクルマで行くことになる。

現地でレンタカーを利用することも考えたが、福岡までなら広島の自宅から下道をひた走る・・というのを久しぶりにやってみようかと思う。また、八十八ヶ所のルートは篠栗から飯塚、直方という筑豊エリアに続くので、帰りに飯塚あたりに立ち寄るのもいいかと思う。

そして、広島から下道をひた走るのなら当然山口県も通るので、行きがけに中国四十九薬師の札所にも立ち寄ってみよう。第24番・法瀧院へは11日に山陽線で訪ねたので、次は第25番・月輪寺。国道2号線を外れて、山口市の徳地町へと山間部に入る。むしろ、中国自動車道のインターチェンジのほうが近い。

徳地町から九州方面に向かうとなると、山口市の郊外にある第26番・興隆寺、第27番・広沢寺も通り道に位置する。これらはいずれも公共交通機関で行けないこともないが、本数が限られている。効率重視のようになっているが、15日は山口県内の3ヶ所に立ち寄ってから九州に渡り、九州八十八ヶ所の隆照寺まで行く。15日の宿泊はJR篠栗線の門松駅近くのホテルを見つけた。翌16日に目指す若杉山にもほど近いところである。

そうなると15日朝は早起きして・・というところだが、14日の当番での出勤時、軽自動車に荷物一式を乗せて自宅を出た。14日の勤務終了後、そのまま西に向けて走り、前泊することにしたのだ。少しでもゆっくりできるかなということで・・。

14日の仕事終了後、もう少し早く出発できるかと思っていたが、何やかんやで職場を出たのは19時。まずは国道2号線を走る。宮島口手前が渋滞しており抜けるのに時間がかかったが、その後は順調に走る。岩国からは欽明路越えのルートを選択。すっかり暗くなったが、クルマの行き来が途絶えることはなく、前のクルマのテールランプを目印に走る。

2時間あまり走行し、この日の宿としたのは「ホテルルートイン周南徳山東インター」。徳山駅近辺には他にもホテルはいろいろあるが、今回は軽自動車ということで駐車場無料のメリットを生かすことにした。さらにこの徳山東インター店、この8月10日にオープンしたばかりである。広島から新幹線で徳山駅に近づくところでちょうど高架の横に見える建物で、私も以前から目にはついていた。私が泊まったのは低い階だったので景色はそれほどでもなかったが、部屋によっては近くに新幹線を、さらに遠くには周南コンビナートの夜景も見ることができそうだ。

また、ルートインといえば大浴場。こちらのホテルでは周南市の湯野温泉の湯を使っているとある。まずはこちらでゆったりとする。

開業記念ということで、ルートインホテルのキャラクターをあしらったクリアファイルをいただく。

この日はホテル手前のコンビニで買ったあれこれで済ませる。ちなみに近所に飲み屋街はないものの、コンビニ、ロードサイド店も並び、滞在中の買い物には困らない。

翌朝はゆっくりとは言っても、あちらこちら立ち寄るところができたので結局は朝食後、7時30分頃には出発しようと思う。まずは幅広ベッドでゆったり休むことに・・・。

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観戦記~8月13日ホークス対バファローズ@福岡(この日は「周東デー」・・)

2022年08月21日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

お盆時期の福岡での野球観戦。5月の連休、8月のお盆と、いずれも福岡にてバファローズの試合を観ることができるとは、いい休みになったものである。観戦したのは13日の2戦目。お盆時期ということで三塁側座席にもバファローズファンの姿が結構見られる。朝の山陽線乗り継ぎで見かけた吉田正Tシャツの若者もこのスタンドのどこかにいることだろう(だからといって広島県、山口県の人ではなく、ひょっとしたら関西から2日がかりで青春18きっぷで移動していたのかもしれないが・・)。

ホークスの先発は武田。1回、先頭の福田、そして3番の吉田正が四球でチャンスを作るも、続く杉本、宗が凡退して先制点ならず。

一方バファローズの先発は山﨑福。1回、こちらは先頭の周東が内野安打で出塁。さらに盗塁を決める。

続く今宮がセーフティ気味のバントをすると、山﨑が一塁に悪送球となり、周東が一気に生還する。ホークスが早速1点先制だ。さらに牧原がバントヒット、柳田もヒットで無死満塁と攻めたてる。大量失点の予感がする。

ここでデスパイネは犠牲フライ。2対0となった。まあ、タイムリーにならなかっただけよかったかもしれない。なおも一死一・三塁だが、山﨑は後続の中村、柳町を抑えて何とか2点でしのぐ。やれやれという感じでベンチに引き上げてくる。

2回表、先頭の紅林がレフトフェンス直撃の二塁打で出塁。その後、大下、福田の2四球で二死満塁として、打席には中川。

レフトスタンドではチャンスのタオルが振られる中、中川の当たりは右中間へ。よっしゃ同点や!!と思ったが、センターの周東が後方に走り込み、そのままランニングキャッチ・・。これでチェンジとなる。ここまで周東の足がゲームの行方を左右している。

バファローズはなおも攻めたてる。3回は吉田正の四球、杉本のヒット、宗の死球で無死満塁とする。武田も決して好調には見えない投球の中、一死満塁から西野の犠牲フライで1点を返す。ただ、後が続かず1点にしかならず拙攻続きである。

ホークスは4回裏、一死から柳町のヒット、リチャードの当たりを宗が後逸するエラーでチャンスを作る。続く甲斐の当たりで本塁を狙った柳町はアウトとなったが、周東が死球で出塁して二死満塁とする。ここで今宮が三遊間を破るタイムリーを放ち、4対1とリードを広げる。バファローズにあと1本が出ない中、試合のペースは完全のホークスのもの。こりゃ、私の福岡観戦の連敗が伸びそうだな・・。

さて試合は後半。6回表、先頭の西野が死球で出塁するも後が続かず二死となった。次に福田を迎えたところで、武田は勝ち投手の権利を持って嘉弥真に交代。きっちりと福田を抑えて反撃の芽を摘む。

バファローズの山﨑は5回で降板。5回は三者凡退としたが、ここまで4失点は致し方ないだろう。そして6回裏のマウンドには本田があがる。ここで登板かいな・・と思うが、リードを許しているが勝ちパターンの投手も積極的に使っていこうということか。本田は期待に応えて三者凡退に抑える。

7回表、ホークスのマウンドには甲斐野。このまま淡々と無失点となるのかな・・ということでバファローズのラッキーセブンの光景はカメラに収めていない。そんな中、イニング間には外野とのキャッチボールに出ていた吉田正のヒットも出たが、後が続かない・・。

一方、7回裏のマウンドには、前週6日のファイターズ戦に先発、プロ初勝利をあげた東が登板する。いろいろとブルペンのやり繰りもあるのだろうが・・。その東、今宮の二塁打、柳田への申告敬遠で二死一・二塁となるがデスパイネを打ち取って無失点。

8回表、ホークスは藤井が登板。元カープで、自由契約後は四国アイランドリーグに在籍し、今季NPBに復帰してセットアッパーとして活躍している。その藤井から一死一・二塁として、伏見がライトへのタイムリーを放つ。これで4対2。さらに一死満塁とチャンスを広げ、中川が犠牲フライを放つ。これで4対3と追い上げる。さらに吉田正が四球の後、杉本の内野ゴロが悪送球となってもう1点。終盤に来て一気の得点で4対4の同点となった。途中、眠たくなる展開だったが一気に目が覚めた。ただ、ここでもう一押しできなかったのが(ここに限らず序盤からそうだったが)結果的に痛いことに・・・。

同点となったところで8回裏はワゲスパックが登板。三者凡退とする。

ホークスも9回表は抑えのモイネロを送り出す。こちらも簡単に三者凡退とする。4対4のまま9回裏に入る。あまりイメージしたくないのだが、サヨナラということも当然考えなければならない。

その9回裏を託されたのは宇田川。先月のフレッシュオールスターでも好投を見せたが、その後支配下登録を勝ち取り、早速試合後半で登板を重ねている。同点の9回で出すとは思い切った起用である。

その宇田川、先頭の野村を打ち取り、迎えるは周東。その初球だった。振り抜いた打球は一直線・・・ライトのホームランテラスに吸い込まれた。見事なサヨナラ本塁打。試合はあっけなく決着がついた・・・。

この日の周東は先頭打者での出塁あり、盗塁あり、守備では失点を防ぐランニングキャッチあり、そして最後はサヨナラ本塁打・・・。正に「周東デー」だった。一方の宇田川は白星の前にプロ初黒星がついたが、まだ若い投手だし、これもNPBの経験として今後活かしてほしいと思った。これがもし平野佳が打たれたとなるとさすがの私も荒れたことだろうが・・・。

この日は帰りのことも気になっていたので、ヒーローインタビューや試合後のセレモニー見物も省略して、さっさとドームを後にした。

そのまま直行臨時バスで博多駅に戻り、18時31分の「こだま778号」広島行きに乗る。このまま終点の広島まで行けばスムーズに帰宅できるのだが、ここは青春18きっぷを少しでも活用したい。また、翌14日は出勤といえども、普段の平日ではないので多少のんびりしても構わない。13日中に帰宅できればというくらいのものだった。

・・つまり、広島まで乗らずに途中の駅で下車して、そこから山陽線の鈍行に乗り継ぐということ。まずは小倉を過ぎ、新下関で後続列車の通過待ち。

そして下車したのは厚狭である。新幹線で降り立つのが初めてということもある。19時20分に到着後、いったん在来線側の改札口から駅前に出る。まだこの時間だがすでに駅周辺は真っ暗。ただ昨年、ちょうど東京五輪の開会式の日にこの駅前のホテルに泊まったのを思い出す。大分から広島まで下道をひた走る途中のことだった。郷土料理の居酒屋も楽しめた。

この後はガラガラの山陽線を乗り継ぎ、何とか広電の電車にも間に合って無事帰宅・・・。

これで私の昨年からの福岡観戦も3連敗となったが、大阪と同じような距離感で来ることができるスタジアムということで、また機会を見つけての参戦、そしてバファローズの勝利を観たいものである・・・。

(後日談)ちなみに、翌14日の3戦目はバファローズが10対2と圧勝。4回には打者一巡の7得点、来日初先発のビドルが5回無失点、宇田川も大差の場面ながら9回をきっちり抑えた。これで私が観戦した試合だけが黒星となったが、チームとしてはカード勝ち越し。この後も何とか首位争いに踏みとどまっている・・・。

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夏のペイペイドームへ~中1日での青春18旅行

2022年08月20日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

8月のお盆期間中の過ごし方その2。その1である11日は中国四十九薬師めぐりを兼ねて新山口から「DLやまぐち号」に乗車。そして12日は出勤で13日は休み。変則的な飛び石連休である。

その13日、当初は別のところに出かけようと思っていた。ただその中で何となくNPBの日程を見てみると、12日~14日に福岡のペイペイドームでホークス対バファローズの3連戦が組まれていた。何や、福岡で試合合ったのか・・ただ、お盆時期のペイペイドームなんて前売りで早々にチケットも完売しているのだろうな。そう思いながらふとチケット販売サイトをのぞいてみると空席もちらほらあり、その中で三塁側のベンチサイドシートの1ブロックが「アウトレット価格」で販売されていた。ここはまだほとんどが空席で、最前列にも空きがあった。「アウトレット」という単語を目にすると何やら訳ありのように見えるが、せっかくなのでネット購入し、1日を使って観に行くことにしよう。

試合開始は14時ということで、広島から青春18きっぷを使っても間に合う。もっとも、そのまま行ったのでは試合開始ぎりぎりになるので、途中でワープを使うことにする。また、翌14日は出勤のため帰宅する必要があり、さすがに新幹線を使うことになる。

西広島の下関方面始発となる6時ちょうどの列車で出発。西に向かう列車だが、キャリーケースを持った客もちらほら見える。新幹線に乗るなら逆方向だし、かといって青春18きっぷを持っている感じでもない。ひょっとして、岩国錦帯橋空港から羽田まで飛ぶとか?

6時41分、岩国に到着。6時44分発の下関行きはホーム向かいに停車しており、同じ4両編成なのだが座席をめぐってちょっとした小競り合いになるのもこの駅である。遅れて来た客が窓側の席に座れず通路側に無理に座ろうとして、窓側の荷物を抱えたおっさんが罵倒するシーンもあった。荷物を抱えたおっさんが2席を独り占めしたかっただけなのだが・・。

そうかと思えば、胸に「Buffaloes」、背中には「YOSHIDA 7」をあしらったTシャツ姿の若者もいる。おいおい、このままペイペイドームまで行くつもりか・・?

前々日、岩徳線を岩国から徳山まで乗ったばかりというのに、今度は海沿いの山陽線である。ちょうど朝日が海面を照らしていてまぶしい。

途中、柳井、徳山、新山口で停車。新山口で山口線、宇部線方面に乗り換えた客もいたが、結構多くが下関まで乗り通す。10時01分、下関に到着。

次の小倉行きは10時09分発だが、この日の私の行程ではもう1本後の列車で行っても同じなので、下関でいったん改札を出る。

8月13日は「関門海峡花火大会」の当日ということで、先ほどの列車内でも「お帰りの切符はお早めにお買い求めください」とのアナウンスがあった。関門海峡を挟んで下関側、門司側でそれぞれ打ち上げられるそうで、コロナ禍で2020年、2021年が中止になったため3年ぶりの開催という。さすがに花火が打ちあがる時間帯は帰宅途中だが・・。

10時34分発の小倉行きで関門トンネルをくぐる。駅ホームの「かしわうどん」で早めの昼食とする。お盆時期、帰省客、旅行客らしい人も次々にスタンドにやって来る。

小倉からは、11時05分発の「ソニック18号」に乗る。「ソニック18号」は途中黒崎、折尾のみ停車の速達型。乗車券、特急券が課金となるが、手ごろな時間にペイペイドームに着くためには致し方ないかな。

2回目の広島勤務となり、また九州の札所めぐりもするようになって九州地区の時刻表を見る機会も増えたが、前回の広島勤務時と比べて鹿児島線の快速というのが大幅に減っているように感じる。また、区間快速というのもあるが途中の数駅を通過するだけで普通列車と変わらない。場合によっては特急利用が現実的だろう。

11時48分、博多に到着。早速ドームに向かうとして、駅前のバスターミナルからの臨時直通バスに乗ることにする。結構長蛇の列となっている。地下鉄の唐人町まで行って歩いたほうがよいのか、バスに乗ったほうがいいのかいつも迷うところだ。

満員のバスに揺られてドーム着。時間は13時前ということでちょうどよい頃合いである。早速ビールを買って席に行ってみよう。

ベンチサイドシートに腰掛ける。私が購入した席があるブロックはフィールドシートであるコカ・コーラシートの上。それはよいとして、私が座った席がちょうどコカ・コーラシートへの通路になっていて、そこに出入りする客、またビールの売り子が入れ替わり立ち替わり、私の前に立つ。売り子はコカ・コーラシートの中に入れず、中の客が出入口まで買いに来るので私の目の前がちょうどやり取りの場となる。

最前列ならネットに張り付いて見られるのかなと思ったが・・だから「アウトレット」だったとか??

それでも、グラウンドが間近なのは確かである。

ちょうどバファローズの選手たちもウォームアップ中。前日12日は吉田正の2本塁打などで快勝のバファローズ、果たして連勝なるか。また、私も昨年、今年と福岡での観戦連敗が止められるか。

バファローズ先発は山﨑福、ホークス先発は武田である。

始球式には、元水泳選手の松田丈志さんが登場。2023年に福岡で開催される世界水泳のPRだという。背番号「714」は、開幕日の7月14日からとか。さすがはアスリートで、ノーバウンド投球を見せてのガッツポーズ。

この13日の試合は最後に劇的なことになったのだが・・その観戦記は次の記事にて・・・。

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第15回中国四十九薬師めぐり~第24番「法瀧院」(乗り鉄の帰りに途中下車)

2022年08月19日 | 中国四十九薬師

8月11日、「DLやまぐち号」で津和野まで行き、ここから折り返しとする。

次に津和野に来るのは13時38分発の新山口行き「スーパーおき3号」で、これに乗って新山口に戻る。山口線を走る特急もわずか3往復しかないが、鳥取から山陰線、山口線を経て新山口まで5時間かけて走る長距離特急である。私も昨年の11月、鳥取から新山口まで通しで乗ったことがある。その時はJR西日本の「どこでもきっぷ」の西日本全線版を使った。またこうした便利なきっぷが出ないものかと願うところだ。

先ほど機関車が牽引する客車列車で通ったのと同じ区間、車窓だが、やはり特急だと速さのために違ったものに見える。「DLやまぐち号」で2時間かかった区間を1時間で走り抜ける。

車内で昼食とする。先ほど津和野駅の待合室で駅弁の販売があった。元々うどんのスタンドと売店があったが、駅のリニューアルにともない閉店し、今はこうして臨時で販売しているそうだ。「かしわめし」と「鮎弁当」の2種類があり、ここはオリジナル性が高い「鮎弁当」を選択。掛け紙には昔ながらの「特製お弁当」とあり、そこに「鮎」のゴム印が押されている。どうやら、かつては普通の幕の内弁当も扱っており、同じ掛け紙を使っていたので商品を区別するために「鮎」の印を入れたようだ。掛け紙には「鯉の町津和野」とあり、ならば鯉を使った駅弁があってもよさそうなものだが、鯉料理といえば鯉の洗いに鯉こくとなると、弁当には不向きだな。

しめじの炊き込みご飯の上に鮎の塩焼きが乗っている。往路の「DLやまぐち号」で飲み鉄をした後とあって、弁当のボリュームはこのくらいでちょうどよかった。

途中少しウトウトしたこともあり、あっという間に新山口に到着。14時49分発の岩国行きに乗る。

15時23分、福川に到着。福川、新南陽、徳山と並ぶ区間で、福川は現在は周南市に含まれるが、合併前は新南陽市だった。駅舎は線路の北側にある昔ながらの建物(無人駅)だが、歩道橋を渡った南側には、楽器を模した外観の多目的ホールである新南陽ふれあいセンターや、津田恒実メモリアルスタジアムがある。新南陽出身で、南陽工高から社会人を経てカープに入団、「炎のストッパー」として活躍した。病気のために若くしてこの世を去ったが、そのスピリッツはカープの選手たちにも受け継がれている(はず)だし、周南市では少年野球の「津田恒実杯」が開催されている。

ここまで書いておきながら線路南側には行かず、北側の駅舎を出てそのまま駅正面の道を歩く。ゆるやかな上り坂が続き、数分で国道2号線に出る。これから目指す中国四十九薬師第24番の法瀧院の案内板も出る。

寺としては新しい感じである。「観音神通力」、「観音妙智力」と刻まれた石柱を抜け、楼門をくぐる。

本堂はというと正面の建物がそれらしく、札所の表札も出ている。これは扉を開けて中でお参りするパターンかなとおそるおそる扉を開けると、正面には祭壇。そして、扉が開いたのに反応してか、寺の方が出てくる。暑い中どうぞお参りをと、わざわざエアコン、扇風機をつけてくれる。こうした対応にごくたまに出会うのも「ローカル札所」ならではだろう。

法瀧院が開かれたのは戦後のこと。戦後の混乱期に無常を感じた高塚覚道が吉野山に修行に出て、霊験を感じてこの地にお堂を建てたのが始まりだそうだ。宗派としては天台宗修験本宗というもので、本尊は神仏習合の猿田彦尊と、虚空蔵菩薩、神変大菩薩(役行者)という。そして、私が本堂かと思って入った建物は実は聖仏舎利殿で、薬師如来と阿弥陀如来、十一面観音を祀っている。中国四十九薬師めぐりとしては正解だが、寺が修験道の系統で、本尊が神仏習合云々となると、今思えば本堂を素通りした形で不勉強だったかなと思う。

どうやら本堂はこちらのようだ。

お接待ということでペットボトルのお茶をいただき、福川駅に引き返す。16時15分発の岩国行きに乗り、そのまま乗り継いで帰路についた・・。

さて、中国四十九薬師めぐりは第24番まで進んだが、当初一緒に訪ねるつもりだった第25番・月輪寺はどうするか。結果を先に書くとこの数日後に無事にお参りすることができた。ただここにもさまざまなことを絡めており、そのこともぼちぼちと書いていく・・・(はたしていつまでかかるやら)。

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第15回中国四十九薬師めぐり~「DLやまぐち号」グリーン車に乗車

2022年08月18日 | 中国四十九薬師

山口県内の日帰り乗り鉄に中国四十九薬師めぐりがくっつく・・という1日。新山口から「DLやまぐち号」に乗車する。「やまぐち号」といえば蒸気機関車が牽引する列車として人気だが、長年活躍していたC57は2021年から不具合のため梅小路にて修理中(ただし復活の見通しはたっていない)、代役で走っていたD51にも不具合が出て修理へ。

それらをカバーするのがディーゼル機関車牽引の「DLやまぐち号」である。この夏も日によってDE10の重連運転、そしてDD51の牽引と分かれている。世代的に、かろうじてディーゼル機関車牽引の客車列車には乗ったことがあるので、むしろこちらのほうが懐かしさを感じる。DE10重連、DD51単独いずれも今や希少価値がある。

機関車から順番に各車両を眺める。旧型客車を「やまぐち号」のために復刻させた車両である。昨年には山陽線のイベント列車として、電気機関車に牽引されて下関~柳井間も走行した。こうしたボックス席での旅もよいものだ。

そして今回は最後尾1号車のグリーン車である。座席は車端部のコンパート席を抜けると1ー2列シートが並ぶ。戦前の一等車であるマイテ49をイメージして製作された車両で、もちろん一等車というのに乗ったことがないので比較は難しいが、シートは実にゆったりしており、背もたれが高いので前の席の客の様子も気にならない。そこに折り畳みテーブルやコンセントがついているのは現代風である。

何よりも展望スペースである。この一角はグリーン指定券を持っている人しか入れない(走行途中は、他の号車からのぞきに来た客がいないわけではなかったが・・)。最後尾のデッキは暑いのだが、その手前のソファーが並ぶフリースペースは冷房がよく効いていて、ちょっとした贅沢気分である。展望デッキで外の熱風を受け、このフリースペースで体を冷やす・・・何だかサウナと水風呂の関係のようだ。

新山口発車時、せっかくなので展望デッキに出る。そして見物客、駅の係員らに見送られての出発。手を振り合うのもほっとした光景である。

まずは湯田温泉、山口と平坦なところを走る。住宅街に近く、ご近所の人たちも外に出て列車に手を振る。SLのように煙を吐いて走行する列車ではないが、「やまぐち号」は特別な存在なのだろう。

山口を発車し、宮野を通過すると上り勾配に差し掛かる。この区間はさすがにスピードも落ちるが、あくまでSLのダイヤに沿った走りで、DD51の性能をもってすればもう少し速く走れるそうだ。仁保、篠目まで上るが、山口線の宮野から先は例によってJRの輸送密度が少ないとして今後の議論対象の区間である。もっとも、島根・鳥取を結ぶ特急が走り、こうした「やまぐち号」の人気もあるので、現時点では芸備線や木次線のように一足飛びにどうかなってしまう可能性はないようだが・・。

仁保に到着。ここでしばらく停車ということで乗客が一斉にホームに出る。改札に続く跨線橋にも人だかりができる。ここまでの停車駅と比べて一気に昔らしさを感じる駅である。

仁保から篠目にかけては長いトンネルを通過することもあり、展望デッキには出ないよう案内がある。また客車の窓も閉めるようにとある。ディーゼル機関車の煤煙が流れ込むためである。トンネルを抜ける間は、数分ながら昔の夜汽車の疑似体験を楽しめる・・かな。

篠目に近づく。駅にはかつて使われていた給水塔がそのまま残る。ホームと一緒に眺められるのも展望デッキならではである。

長門峡では、近くの道の駅に立ち寄っていた人たちから盛大な見送りを受ける。国道9号線沿いということで交通量もそこそこあるし、道の駅では「やまぐち号」の通過時間も案内しているのだろう。こうして駅のホームにやって来た一般のドライブ客、家族連れには気持ちよく手を振り合うが、一方で写真のためなら不法侵入、器物損壊も何とも思わないスパイナー(撮り鉄)どもには一切手を振らない(事実、この列車に乗っている最中にも明らかに不法侵入という輩を何人も見かけた)。手を振るかわりに、彼らのカメラに向けて中指でも立ててやろうか。

周囲がすっかりのどかな景色となり、地福に到着。列車行き違いもあり15分ほど停車する。ここが本格的な撮影時間ということで、ホームも賑わう。

ここまで来れば列車のさまざまなスナップ写真も撮ったし、のんびり津和野まで走るだけ。しばらくゆったりと過ごす。

津和野の町に入った。車窓の流れとして、やはり新幹線接続で周囲にホテルやビルも並ぶ新山口から乗ったほうが旅情は味わえる。少しずつ盆地の中の町が開け、石州瓦の屋根が広がる。

12時58分、終点の津和野に到着。新山口から2時間という所要時間は、その間にさまざまな車窓の移り変わりがあり、かつ乗り続けて飽きを感じさせないちょうどよい配分だと感じる。

ホームはそのままだが、駅舎はつい先日改修工事を終えてリニューアルされていた。木をふんだんに使っており、明るく開けた雰囲気であるとともに、以前の駅舎と比べても周囲によく調和している。津和野駅開業100周年、そして津和野出身の森鷗外没後100年の記念事業という。

この日は津和野で折り返しとして、中国四十九薬師を目指す・・・。

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