まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

厳しい豪雪ですね

2011年01月31日 | ブログ

本当に厳しい寒さが続く日本列島。まあその中にあって「今日の東京は好天に恵まれて・・・」と相変わらず中央集権的な放送をやっている局もあるわけだが(まあ、関西中華思想よりは断然ましですが)、日本海側の豪雪というのはすごい。

その中にあって、今日31日はJR西日本の北陸エリアを全面運休にするという大胆な措置。当然日本海縦貫線の夜行列車や貨物列車も運休ということで、「そこまでせなあかんの?」と思う半面、やはり広域ネットワークで列車を運行、管理している現在のシステムなれば、「どこか一つでも不具合があれば全面運休にせなあかんのやろな」と思う。報道では福井県地方の大雪が出ているが、これって石川ではどうだろうか、富山ではどうだろうか、本当に北陸の全域が大雪なのか、それとも一部をあたかも全てのように報道してやしないか・・・といろんなことを考える。

また、鉄道紀行作家の故・宮脇俊三氏の書いたものを読むと、雪国の雪をことさら大げさに書いているように思えることがある。「毎年北陸では3メートル以上の積雪がある」というような内容とか。これも、本籍が香川、あとは東京に育った作家の限界かなという気がする。そういうので雪国のイメージを持った場合、今年の積雪が「観測史上最大」と言われると逆に「そんなもんなん?」と誤った認識を持つ。

宮脇崇拝者の「その筋」がこの記事を読んだら簀巻きにされて淀川に流されるかな??

まあそれはともかく、この雪が人々の暮らしを圧迫し、経済的にも大きな打撃を与えているのは確か。何とかしてあげたいがどうしようもないのがはがゆいが、雪の解けるのを待たないといけないのかな。まあ少なくとも、「大阪はいい天気で・・・」と能天気に感じるのはやめようか・・・・。

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大阪国際女子マラソン・大阪ハーフマラソン

2011年01月30日 | まち歩き

1月30日は大阪国際女子マラソン。今年からはコースの変更が行われ、平坦な区間が増えて好記録が期待できると言われていた。結果は強風に悩まされたということでタイムは2時間26分台ということになったが、昨年だかのリベンジを果たす形でホクレンの赤羽選手が優勝という結果になった。

で、今回このことをブログネタにしたのは、今年初めて大阪国際女子マラソンを現地で観戦したということである。といっても前々から「女子マラソンを観に行こう」と決めていたわけではなく、当日の朝に急遽出かけようということにしたのだ。

そのきっかけが、私のブログも見てくれているという、大学時代の同じ学科仲間のぜんかんさんが、自身のブログおよびツイッターで、この日同時開催された「大阪ハーフマラソン」(大阪城~長居競技場)にエントリーするという記事を見たこと。こりゃ、ぜひとも応援に行ってあげないとな。

ただ、彼のゼッケン番号も出で立ちも聞いていないし、このハーフマラソンは定員4000名というし、果たしてぜんかんさんの姿を見つけることができるのかということはある。

Dscn7161 午前中は一つ所用があったのでそれを済ませ、観戦ポイントはどこにしようかと大阪から環状線に乗る。大阪城内は人が多そうだからということで、何となく森ノ宮はどうかということで下車する。まあ、ぜんかんさんを見つけるなら終盤で集団が長くなったところを見計らって競技場の近くがよかったのかもしれないが。

私が駅前に降り立った頃はまだそれほど人もおらず、ちょうどフルマラソンの15kmのラインの準備などが行われていたり、地元企業・京セラの赤いコートの人たちが目立つ程度。ただ時間が経つに連れて段々と沿道の人の数も多くなってきた。

Dscn7163 12時半頃、先導のタクシー、白バイが中央大通から玉造筋に右折してきて、先頭のランナーがやってきた。まずは実業団でバリバリで陸上をやっている人たちが通過する。時速に換算して20キロほどなのだが、本当、通過するのを横で見ると一瞬の出来事。以下、実業団や学生の選手たちがポツポツと通過していく。

Dscn7169そしてトップが通過して数分の後に、一般参加の市民ランナーたちが通過していく。いつしか私の周りにもランニングのクラブなのかそういう人たちが集まってきて、メンバーが通るたびに大きな声で応援する。なるほど、クラブで揃いのシャツなど着ていればわかりやすいな。

Dscn7173 しかしその人たちですら「○○さんはもう行ったっけ?」「え?あの人のペースやったらもう行ったかな。わからへんわ」などと言っているくらいだから、何の予告もなしにやってきて、時速20キロで通過していく集団の中からぜんかんさんを特定するのは至難の業だろう。本当に集団がぞろぞろと駆け抜けていくわけで・・・。

結局最終のランナー(というよりは、フルマラソンのコースが森ノ宮の交差点を北に直進するためにコースを空けなければならず、ある時間で中央大通からの右折の選手を「足切り」の形で止めたのだが)が行ったため、見つけることはできなかった。まあ森ノ宮ならまだ序盤、1キロ4分台で走るようだからそれなりの順位で通過しているはずで、後は記録がどこまで行くかが楽しみである。頑張れ・・・・!(結果については本人のブログに掲載。1時間36分ということで本人は不満だったようだが、あれだけの参加者の中で完走した、何か一つのことをやり遂げたということに大きな拍手を贈ります!)

Dscn7183さて、この後はフルマラソン。ちょうど15キロの通過ポイントということで沿道の人もふくれ上がる。車道の反対側に移り、選手の到着を待つ。

Dscn7180そして7~8人ほどの先頭集団。それこそ本当に「あっ」という間に通過していく。テレビで見るとゆっくり走っているように見えるのだが、現地で見ると速いものだ。カメラを構えてシャッターを押しても選手はもう画面の向こう側に切れていたりする。列車の流し撮りより難しいかな。

Dscn7194森ノ宮の交差点の向こうには大阪城の天守閣。それを見ながら走るというのも気持ちいいことだろう(見るだけの余裕があるかどうか)。

Dscn7195 さて、どうせなら復路もこのまま見物しようということで駅前で昼食を取り(最近は携帯のワンセグで中継を見ることができるのがありがたい)、場所を少し玉造寄りに移動する。すると30キロのポイントがあり、その向こうでは給水ポイントの準備中である。マラソンならではの給水、よし今度はここで観戦しよう。

Dscn7215 ゼッケン番号の下1ケタの番号ごとにテーブルを置き、学生のボランティアがスペシャルドリンクを置く作業をしている。ただ風が強い。そしてドリンクのボトルは軽い。風が吹く路上にボトルが散乱する。そしてそれを拾い上げたかと思うとまた風が吹いて別のボトルが転げ落ちて・・・何だかコントを見ているようで面白い。「何でオレのテーブルだけよう落ちるねん」とぼやく学生クンも。

そうするうちに先頭がやってくる。30キロの付近では赤羽、堀江、伊藤、木崎という選手たちがレースを引っ張っているようで、前のほうからゼッケン番号がリレー式に伝言される。そしてテーブルの学生クンがその番号のボトルを取り、テーブルの取りやすい位置に置くわけだ。レースの上で給水ポイントは重要なところで、大事な役目である。

Rscn7207そしてやってきたのが赤羽、堀江、伊藤の3選手。このあたりは抜かりなく給水を行い、レース終盤に向けてさらにエンジンがかかるところ。

Dscn7210 この後は結構開いて選手がポツポツとやってくる。招待の外国選手もこの日に限っては苦戦しているようだ。

Dscn7221 ただこの後、一般参加の選手が集団でやってくる。前からのゼッケン番号の声も次々にかかる。各テーブルでは、自分のテーブルのボトルも取りながらも、リレーされた番号が後ろであればそれをまた伝言するということを一気にやる。また、ボトルがなかなか見つからないということもある。見ていて結構ヒヤヒヤものだ。

Dscn7223 一般参加くらいとなると選手の反応もさまざまで、ボトルが取りにくいとなればあっさりとあきらめる人、一度立ち止まって自分の番号のボトルをまさぐるように取る人、いろいろある。私の立っていたところにも、前の番号で取って飲み終えたボトルが結構投げ捨てられる。

Dscn7230 目立つように取りやすいようにボトルの飾り付けを行う選手が多い中、番号のところに自分への激励のメッセージや目標タイムを書いて置いている選手もいる。何とか完走したい、自己ベストを出したいというそれぞれの選手の思いが込められているようだ。

Dscn7225 そんな中、私の立っていたところで路上にバタリと倒れこむ一人の選手。すぐに係員がかけつけるが「触れたら棄権になってしまいます。大丈夫ですか?行けますか?」と声をかける。

Dscn7227 選手もしばらくうずくまっていたがやがて立ち上がり、また少しずつ走り出した。沿道の人からも頑張れの掛け声がかかる(ホームページで記録を検索すると、この328番、森江という選手だったが30~35キロのタイムがガタ落ちしたが、その後ペースを取り戻してしっかり完走していた。よく頑張ったと思う)。

テレビでは終盤抜け出した赤羽選手がちょうど競技場に入り、優勝のゴールテープを切ろうというところ。そのテレビでは映らない後のほう。ドリンクはまだテーブルにいくつも残っているが、選手はまだ来るのかどうなのか。しばらく待っていたがそのうち選手収容用のバス、そしてパトカーがやってきて、どうやら選手は全て通過したようである。ドリンクが残っていたのは結局途中棄権した選手のものたちだったようである。当日のコンディションもあるのだろうが、口にすることができなかったドリンクのボトルが、本人の悔しさというか、レースの厳しさを物語っているように見えた・・・・。

本当に選手、関係者の皆さんお疲れ様でした。

ということで撤収作業となったのを見て玉造を後にする。それにしてもこの冬一番の冷え込み、着込んでいても冷える。熱いうどんか何かすすろうか・・・・・。

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西鉄ライオンズ研究会NPO化

2011年01月28日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

帰宅してCS放送をつけるとちょうど昨年のパ・リーグクライマックスシリーズ第5戦の録画をやっていて、ロッテからメジャーを希望しながらも結局は西宮狂虎軍に入団した小林宏が投球をしていた。最後は福岡のファンの落胆の雰囲気がスタジアムからも伝わってきたものだ。

さて、その福岡にかつてあった球団が西鉄ライオンズ。

パソコンでサンスポのコラム「甘口辛口」のバックナンバーを読むうちに目に止まったのが、「西鉄ライオンズ研究会、NPO化」という記事である。

この研究会は西鉄ライオンズの熱心なファン約20人で構成されており、関連資料の収集や、西鉄の栄光を後世に語り継ごうという活動をやっているそうだが、その活動を本格化させるにあたりNPO法人としての活動を申請したとか。法人としては資料の展示や発表などの活動を行うそうである。

九州大学では「西鉄ライオンズの経営史」ということで、地方におけるプロ野球の経営や、福岡において西鉄ライオンズがどのような存在で、戦後の復興、地域活性化にどのような役割を果たしたかということを研究するゼミというものもできているとか。今でこそダイエー→ソフトバンクが九州の顔として人気を集めているが、福岡の人たちの思いというのはやはり「西鉄」なんだろうな。特にライオンズのファンというわけではないが、こういうテーマの話なら何時間でも聞きたい、付き合いたいという気がする。

で、翻ってわれらがオリックス・バファローズはどうだろうか。阪急、近鉄、オリックス(ブルーウェーブ)という、歴史は幾層にも重なり、また今季からのユニフォームなどの一新は「新しい伝統」ということが念頭に置かれている。ただ、そこにあって昔を顕彰しようという動きがそれほど見られないのが残念である。南海ホークスにあっては永井良和氏の名著などもあるのだが、阪急、近鉄はどうだろうか(元近鉄応援団員とかいう肩書きの、Sという人の作品はあまり評価していません)。もっと福岡のような活動があってもいいのではないかと思う。

交通新聞社叢書に「国鉄スワローズ」という、鉄道の観点からの野球関連作品があるのだから、今度は私鉄経営と関西人の気質を絡めた作品というのを出しても面白いと思うのだが、果たしてどうだろうか・・・?

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BADBOYS

2011年01月27日 | ブログ

広島を舞台にした漫画が実写映画化されるという。

そのタイトルは「BADBOYS」。・・・といっても、こういう漫画があるということ自体、ネットのニュースで初めて知った次第なのだが。

あらすじなどをいろいろと見るに、要は広島名物(?)のヤンキーたちの青春グラフィティというところらしいが、広島の街並み、繁華街、そして若者たちのリアリティーを描いた作品ということで、映画のロケは全て広島で行われたとか。

かつての戦争映画のことはさておき、現代の広島を舞台にした映画というので個人的に印象的なのが「H Story」に「カスタムメイド10.30」。「H Story」はよくよく見ないと展開がよくわからないというストーリーで、あの町田康も役者として出演、「カスタムメイド~」はメジャーになる前の木村カエラが奥田民生と共演していたりということだが、随所に広島の街並みが描かれており、かつて青春時代を彼の地で送った私としては懐かしいところである。

何と言うのかな、「広島が舞台」というと、地方都市でありながら全国的に一通りのものは揃っており、それなりに知名度があるようで(スポーツの大会で「広島県代表」といえばそれなりに一目置かれるというのか)、独特の味が出そうな雰囲気。原作のことは初めて知ったのだが、それだけに余計な先入観なしで楽しめるのではないかという気がする。

うーん、これを見てまた広島に行きたくなるのかな。今年もぜひオリックス・バファローズの交流戦広島遠征には参加したいし、「第二の故郷」としてまたゆっくりと訪れたいという気がするし・・・。

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大阪マラソン

2011年01月26日 | ブログ

今年の10月に開催される大阪マラソンの概要が発表されたという。

大阪城をスタートし、千日前通、御堂筋、通天閣、大正ドームなどを通り、ゴールは南港のインテックス大阪というもの。折り返し区間が多いなと思うが大阪中心部の名所を巡るコースである。フルマラソンコースで28000人を受け付けるとか。

市民マラソンとして有名なのが東京マラソンで、あちらは3万人が参加するのだがこのところ30万人のエントリーがあって抽選で選ばれるとか(その割にタレントやアナウンサーが数多く参加しているのは何でかなと思うのだが)。おそらく、大阪でも数倍、10倍の競争率ということになるのだろうか。

まあ私は絶対参加することなど無理だが、私の友人には本格マラソンランナーがいる。「走る司法書士のブログ」の中の人、KENさん。フルマラソンで3時間を切る記録を持ち、いつも生駒や奈良やらを走り(昨年の忘年会では生駒からくらがり峠を越えて上本町まで走ってきた・・・さすがに帰りは電車だったが、という武勇伝も)、もちろんこの大阪マラソンも視野に入れているそうだが、さすがに抽選となるとどうだろうか。それに当たるだけの運があれば大したものだが。

もし参加するということになれば、学生時代の仲間ともども沿道で応援したいものである(あ、もう一人、そろそろジョガーからランナーに進化しつつあるぜんかんさんもエントリーするのかな)。もちろん好タイムで完走したら皆で祝杯を挙げるということで・・・・!

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名球会投手の高津がBCリーグ・新潟入り

2011年01月24日 | プロ野球(独立リーグほか)

久しぶりに旅行記以外の話題。

パソコンでスポーツのニュースをチェックしていたところ、思わずエッという記事を見つけた。

日本プロ野球記録となる286セーブをあげ、ホワイトソックスなどのメジャーリーグ、そして台湾、韓国でもプレーした元ヤクルトの高津臣吾投手が、北信越のBCリーグ・新潟アルビレックスBCに入団したというものである。

P7122067 これまでにもBCリーグには元NPBプロ野球の選手が監督、コーチとして入団しただけではなく、元西武、ダイエーの宮地克彦(富山サンダーバーズ)、元オリックス、楽天の竜太郎(信濃グランセローズ)、元西武、横浜ほかの富岡久貴なども選手として入団し、やはり元NPBらしく格の違いをみせつけていたものだが、高津ほどの有名な選手、ましてや名球会プレーヤーが入団するのは初めてのことである。

それだけ本人の「野球を続けたい」という気持ちはもちろん強かったのだろうが、選手として続ける一方で、コーチとしての役割もあって若い選手にいろいろなことを伝えてほしいというリーグ、球団側の要望もあったのだろう。ちょうど今季から新潟の監督になったのが元ヤクルトの橋上監督。そのラインからの声かけもあったのだろう。

こうなると、どういう投球を見せるのかが楽しみ。役どころとしてはもちろんリリーフということになるだろうから、遠征を含めてチームに帯同する機会は多いだろう。ということは新潟だけでなく北陸の球場でも間近に見られる機会も増えるということで、こりゃ、地元のファン、そして子どもたちにとってはたまらないだろうな。

記事にリンクされていた本人のブログを見ると、昨年11月に台湾のチームを自由契約になった時の記事として「これでクビ(自由契約)は7回目」「オレを必要とするほど、リリーフで困っているチームはないか・・・」とあったのが、まだまだいろんな意味で「必要」としたチームがあったということで、NPBと独立リーグの選手の行き来というのはこれからもあっていいと思う。独立リーグの活性化にもなるし、数字には現れない貢献度も期待できるだろう。

「メジャー契約でなければアメリカには行かない」とか、「落札金額が本人の希望と合わないので・・・」という記事が相次いだ中で、こういう「野球バカ」がいてもいいかな、と思う。

・・・他に戦力外になった選手も、こういうルートで野球を続けるという選択肢をしてもいいと思うのだけどね(中村ノリ、大村・・・?)。

(写真)2008年7月、リーグ発足後初となる新潟の前期優勝のシーン(糸魚川・美山球場)

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旅の終わりはサッポロビール園で

2011年01月23日 | 旅行記A・北海道

快晴の札幌、地下鉄の東区役所前駅から雪道を歩くこと約10分で、レンガ造りの建物に出る。

Dscn7109 そう、サッポロビール園。重厚なレンガ造りの建物に、北極星をイメージした赤い星に「サッポロビール」と書かれた煙突。ここを訪れるのは大学生当時初めて北海道を訪れた時以来で、もう17年も前のこと。その時はジンギスカンを食べただけで、ビール園の周りにはあまり建物もなかったと思うが、いざ来てみると周りにはアリオもできているし、日本ハムの練習場もあるし、古いものと新しいものが共存しているエリアとなっている。

Dscn7115 あの時と同じようにビールとジンギスカンで昼食ということだが、その前にサッポロビール博物館へ。数年前に内容をリニューアルしたとかで、日本のビールの歴史そのものといってもいいサッポロビールの歴史について、ガイドさんによる無料ツアーが行われており、何人かの観光客とともに見て回る。

Dscn7130かつてのサッポロビールのホーロー引きの看板なども展示されている。

ビールのシェアということになればアサヒとキリンが毎年のように首位の座を争っているが、サッポロというのもマイナーなようで個性的というか、CMや商品名などでは結構いいのがあるのではないかなと思う。

Dscn7145札幌、ミュンヘン、ミルウォーキーとか。

Dscn7146 「男は黙ってサッポロビール」ね。三船敏郎さんだったんですな。それにしても、最近こういう重厚な、男くさいキャッチコピーはそう出てこないぞ。

Dscn7139 商品のほうも、私がビールを飲みだした頃には「吟仕込」とか「焙煎飲んだらまた焙煎(ちょっと苦味がありましたな)」というのもあったし。一時、各社とも味や製法に少しずつ差を出す形でいろんな種類のビールを売り出し、季節限定や地域限定商品もいろいろ出ていたように思う。ただやはり製造の効率化や宣伝費用などいろいろあるのだろうか、現在は大人しくなったかなという印象がある。

Dscn7138 その中で今も続く冬の定番が「冬物語」。かつては槇原敬之とかカズンとか、今も耳に残るCMソングがあったのだが、商品は売られているもののCMが流れなくなったのは残念。もう少し、いろいろと味わう楽しみを提供してくれてもいいかなと思ったりする。

ツアーの終了後は有料で試飲も楽しめるということだが、どうせ昼食はビールだからということで辞退し、となりのビアホールへ。シーズンオフとはいえ連休の昼間ということで席だけは予約しておいたのだ。まあ、実際来てみると客もそれほどいなかったので杞憂に終わったのだが・・・。

Dscn7154 そして味わいますジンギスカン。生ラムと冷凍ラムの2種類が出てくる。生のほうは、プレートの周りの部分にもやしなどの野菜を敷き、真ん中で肉を焼く。そして冷凍のほうは、野菜をプレート全体に敷き、その上からスライス肉をかぶせる。そして全体を野菜炒めのようにして味わう。それぞれ、ラム肉と野菜がほどよく混ざり合っていい味を出している。

Dscn7153 そしてこれを迎え撃つのはサッポロクラシック。いや、もう北海道満喫です。食べ飲み放題ということでそれなりに箸を進めるのだが、ただ中年にさしかかったからかな、生ラムと野菜を1皿ずつお代わりしたところでもう限界。学生の頃は確かもう1皿は食べられたのではないかと思うが・・・。

身体もすっかり温まり、天気もいいということで帰りは腹ごなしを兼ねて札幌駅まで歩く。もう少し時間があれば駅横のタワーに登って札幌市街を見物しようかとも思ったが、今回の帰りの飛行機は比較的時間が早く、また雪のために列車が遅れるということもあってはならないため、ここでもう快速に乗車する。

新千歳からの帰路は関西空港へ。あれだけ白かった北海道からたった2時間で戻ってきた。飛行機の旅はこれだから味気ないと思うし、こういう気候の急激な変化、日本の多様性を短時間で味わえるとも思う。

北海道の旅、また旭川にも訪れたいし、学生の頃に一度乗っただけである宗谷本線にも乗ってみたい。オホーツクを目指すのもいいかな。遠いためそうおいそれとはいかないだろうが、また行ってみたいものである・・・。(終わり)

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厳寒のローカル線を行く

2011年01月22日 | 旅行記A・北海道

・・・いつまでもこの旅行記が続いていますが、今しばらくおつき合いのほどを。

Dscn7087Dscn709710日の朝、旭川からの普通列車で岩見沢に到着。この日は札幌に向かうところ、一旦回り道ということで室蘭線に乗ることにする。9時08分の発車ということで1時間ほど時間があるので、少し外に出てみることに。

Dscn7094 この日も晴れたかと思えばまた雪が降ってくるという天気の移り変わり。そんな中、駅前の商店街を歩く。歩道脇には道路から除かれた雪がうず高く積み上げられており、私の身長よりも高くなっている。祝日の朝ではあるが除雪車も走り回り、商店街の人たちも雪かきに追われている。

Dscn7090 路地裏にはこれも長いつらら。街中でこれだけの積雪やつららを見たのって人生でも初めてではないかな。空知のほうって結構降るんだろうか。私が以前所属していた旅のサークルでご一緒した方で、現在は結婚して名古屋に住んでいるが以前この岩見沢に住み働いていた方がいらっしゃる。その人も冬場は雪に悩まされたのだろうなと思いを巡らせる。

Dscn7088 30分ほど歩いた時点で身体が冷えてきたので駅に戻る。廃レールや地元の木材も活用し、かつての鉄道の要衝であったことを未来に伝えようというデザインの新しい駅舎である。

Dscn7098 ここから乗る苫小牧行きはキハ40の単行。それでも結構な乗車がある。それで白い平野部に出る。また雪が激しくなってきた。

Dscn7102 かつての石炭の輸送路線として賑わった室蘭線も、苫小牧から岩見沢までは1日数往復しかないローカル線。そんな細々とした感じの線路であるが、雪の中を淡々と走り街を結ぶ鉄道の存在は心強いものに感じる。まあ列車に乗っていれば遭難することはないし・・・。

Dscn7106 50分ほどの乗車で追分に到着。ここで列車を降り、10時03分発の千歳行きに乗り継ぐ。ただ、帯広方面からの特急に遅れが出たのを受けて、こちらも15分ほど遅れて発車。次の駅は南千歳であるが、隣の駅といっても17.8キロ離れており、15分もかかる。何とも北海道らしい話だ。まあ、15分やそこらの遅れではこの先の行程にそう影響があるものではないのでいいのだが。

千歳から快速エアポートに乗り継ぎ。私の後ろの方から女性2人の英語の会話が聞こえてくる。国際空港と札幌を直結する列車らしいなと思って、内容はほとんど聞き取れない会話をBGM代わりに聞いていると、時折「そうなんだ~」「それマジ~」というフレーズが挟まる。そして片方が日本語で聞き、もう一方が英語で返し、そしてまた英語同士の会話になる。???ってなことでちょっとそちらを見ると、どうみても日本人同士である。あまりに流暢なのだが外語学校にでも行っているのだろうか。普段の会話から英語でやることで鍛錬しているとか、あるいは他人に聴き取られたらあまりよろしくない内容は英語でやっているのか、そのあたりはよくわからないが・・・。

札幌に到着。ここでの目的地は一点。ということで地下鉄東豊線に乗車し、東区役所前駅からまた雪道を歩く・・・。(もう少し続く)

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北の街の夜と朝

2011年01月20日 | 旅行記A・北海道

Dscn7063 旭川にあるアイヌ関連の展示を見た後、再び雪中行軍で市内中心部まで戻る。顔をフードで覆い、手袋で防備するもバッグが雪をかぶってしまうという有様。ただそんな中でも地元の人たちはさほど厚着をせず、これって大阪や東京の普通の冬の服装やなという感じで歩いている。寒くないのだろうか。中にはスカートに生脚の女の子もいて、さすがにそれってどうよと思う。雪に埋もれる北の街ではあるが、やはりそこは可愛い格好をしたい、お洒落をしたいという気持ちなんだろうな。

Dscn7065 早くもネオンがともる旭川駅前の買物公園を通り、中心部へ。昨年旭川を訪れた時は、JR全線乗りつぶしを達成した直後ということで名物の炉端焼きを味わおうと、バンガローという店を訪れて、ログハウス風の内装の店で暖かい料理を味わった。今回もそこにしてもよかったのだが、そういえばそこのビールはスーパードライだった。普段はスーパードライ派なのだが、せっかく北海道に来たのだからサッポロクラシックを飲みたい。

Dscn7075 そんなことを思いながら歩くうちに出会ったのが、バンガローにもほど近い「郷土料理」の看板もある「ユーカラ」。サッポロクラシックの文字があり、今回はここにしようかと思う。「おばんでした!」のあいさつで迎え入れられる。

Dscn7066 雪の中を歩いてきたところにビールというのも妙な話だが、クラシックをくいっとやって人心地ついた。ちょうど座ったカウンターが炉端に近いところで、それを見るだけでも暖まる。

Dscn7072 北海道らしいものをいろいろ取り揃えているということで、さまざまに焼いてもらったりしながらクラシックに国士無双の熱燗をいただく。時間が経つにつれて団体予約も入ってきたし、ズラリと並ぶカウンターは私のところ以外は全てカップルで埋まり(道内の客も旅行客もいるようで)、昭和のニューミュージックや演歌やフォークなどが流れる店内はレトロなムードであふれる。

Dscn7071細川たかしの「北酒場」の雰囲気かな。ただ上田正樹の「悲しい色やね」が流れた時は、北の酒場で「ほうみたい、大阪べいぶるうす」と一人つぶやいたが・・・・。

その夜はすっかりいい心持になって、宿泊先のホテルルートインへ。大浴場で本格的に体を温める。北海道まで来てラジウム人工温泉に入るというのも妙な話だが・・・・。

さて明くる1月10日、成人の日である。早起きしてテレビをつけると札幌テレビ(日本テレビ系列)では朝のローカル番組。天気情報を見るが旭川で氷点下10度、釧路で氷点下14度とこの冬一番の冷え込みというのを伝えていた。道内各地も雪の予報で結構厳しいよなと思う。また、スポーツコーナーでは今季日本ハムに入団した斎藤佑樹投手の話題をやっており、アナウンサーが「斎藤投手、ぜひ北海道でお待ちしています」と言っていたのが印象的。

Dscn70771ゆっくりしてもよかったのだが、まだ夜も明けやらぬ、氷点下10度の外に出て駅に向かう。これから乗るのは6時25分発の普通列車の手稲行き。この日は「青春18きっぷ」の有効期間最終日で、千歳空港に戻るにあたりこれで移動しようというもの。

Dscn7079 昨日も見た私の名前が刻まれたプレートにもう一度触れる。再び、この地にやってくることを心に誓い(大げさやな)、風の吹き抜けるホームに上がる。赤色のデッキつき車両に乗り込んだのは恐らく私一人というくらい静かな佇まいだ。

Dscn7083 暗闇の中を雪を弾き飛ばすように列車は走る。昨日通った線路であるが、一夜のうちにまた雪が積もったようである。早い時間から除雪作業に余念のない人たちの姿、あるいは除雪車が国道を行く光景を見る。大阪のようなところで迎える朝の光景とは全く違った世界がここに広がる。身体を動かさなければならない時間は圧倒的に雪国の人のほうが多いだろう。

少しずつ外も明るくなり、駅ごとにポツポツと乗客がある。そして岩見沢に到着。このまま札幌方面に向かってもいいのだが、一度ここで途中下車することにする・・・。(続く)

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雪中行軍でアイヌ資料を見学

2011年01月18日 | 旅行記A・北海道

雪の旭川駅に降り立つ。これから午後の時間を市内で過ごすことにするが、私の目的地は旭山動物園ではなく、ここからバスで15分ほど走った近文にある。

旭川の近文といえば上川アイヌとして、白老、静内と並ぶ大規模なアイヌの居住地があったところ。北海道を旅行するようになっていつしか、北海道の先住民として、そして交易の民としてのアイヌにも少しずつ興味を持つようになった。アイヌ関連の書物も読むようになった。

近文ではなく静内が舞台ではあるが、この旅行に来る前の予習として、年末年始の北陸行きにも持参していたのが池澤夏樹の『静かな大地』である。淡路島から静内に入植した士族の息子が、当時内地人に経済的に苦しめられていたアイヌのために牧場を開くのだが、その短い期間の繁栄と悲劇を描いた作品である。中にはアイヌの言葉や習俗、民話なども盛り込まれており、テーマは重く読者には歴史や科学の知識を要求しながらももさわやかな言い回しで話を展開させる池澤らしい作風に仕上がっている。

Dscn7034 バスに揺られてやってきたのは「川村カ子トアイヌ記念館」。

Dscn7030 川村カ子ト(カネト)は上川アイヌの長であり、国鉄の測量技手。北海道を中心に各地の鉄道の測量を行ったが、彼の名を有名にしたのは三信鉄道(現在のJR飯田線)の天竜峡での測量。飯田線の中でもあの「秘境駅」の多い難所の区間である。難所で引き受けてのいなかったところをぜひにと請われて従事したという。晩年は国鉄を退いて、1916年にここ近文で日本最古のアイヌ資料館を建設した。

Dscn7029冬のことで、敷地内も深々と雪が積もっている。それでも開館しているのがうれしい。ただこの時期に見学する人もほとんどいないようで、資料館の入口に来ると初めて隣の事務所建物から長髪に髭の男性が出てきた。話はしなかったがこの方が館長で川村カ子トの息子さんに当たる川村シンリツ エオリパック アイヌさんだろうか。写真などで見るアイヌの顔かたちがよくうかがえる。

Dscn7026 館内にはアイヌが狩猟で用いた道具類や衣服、アイヌとともに暮らしていた生物の標本などが数々展示されている。自然とともに暮らしてきた民族の歴史に触れることができる。

Dscn7031 また、チセと呼ばれる彼ら独特の民家も復元されている。雪の時期であるがこれでしのげるのかなと思うが、囲炉裏の回りは結構暖かく、これはこれで風土に合った造りなのかなと思う。

資料館はアイヌ文化の伝承ということで民族楽器の演奏やら刺繍やらの体験もできるとか、また旭川はアイヌ民族運動の盛んな土地ということで(館長も講演活動を積極的にやっているそうだ)その手の催しに触れることもできるようだ。ただ冬だからね・・・。今回は資料に触れたということで後にするが、また季節を変えて訪れてみたいところだ。

Dscn7035 さてここから引き返すが、ちょうどバスが行ってしまった後である。寒い中を待つのも退屈なので、ここは北海道に来たのだからと、雪中行軍を行うことにしよう。歩道も確保されているし(それは懸命の除雪作業あってのおかげだが)、北海道の雪はパウダースノーということで、歩いてもさほど重く感じることがない。時折雪も舞うが、上着のフードをかぶっておけば傘なしでもしのげる。これが新潟や富山あたりのベタ雪とは違うところ。

雪の感触を確かめつつ、結局3キロ以上歩いただろうか。引き続いてやってきたのは、石狩川を渡り、JRの高架橋をくぐり、忠別川をさらに渡って町の南側にある旭川市博物館。ここは昨年の旭川行きの時にも訪れたことがある。

Dscn7048こちらもアイヌに関する展示が充実している。ただどうだろう、先の川村カ子ト記念館はアイヌが建てた施設の資料館、そしてこちらは公立の博物館である。うがった見方をすれば内地人、開拓の民としての視点で展示が構成されているようにも見える・・・?

Dscn7055 そういえば、旭川駅前の観光案内所で川村カ子ト記念館に向かうバスの乗り場を訪ねたところ、係の人は「あそこやってたっけ?(冬だから、という意味だとは思うが・・・)アイヌのこと見るのなら博物館のほうがいいですよ」てな感じのことを言ってたかな。

Dscn7053 ただどうだろう、昨年も見た内容なので流すところもあったが、アイヌの文化、そして明治以降の旭川の開拓の歴史、街の反映、そして自然科学に関すること、さらには新しい形でのアイヌ文化の伝承、というトータルで考えればこちらの博物館のほうが見学にはいいかなと思う。

Dscn7040 アイヌとの関わりというのは他の人権問題と同じように、無知ではいけないし、かといって腫れ物に触るようでもいけないところがあって難しいと思う。現在の歴史にあってアイヌが差別を受けたり、社会的に不利益をこうむってきた側面も否定できない。ただ日本という国が、ヤマト民族だけで成り立っているのではなく、その中にはいろんな民族の歴史があって、それで成り立っているのだということを知るだけでも大きな違いがあると思う。そういうそれぞれの背景を尊重するというのかな。

荷物が増えるがここの土産物コーナーでアイヌ通史に関する書籍を購入して外に出る。先ほどは晴れていたがまた雪雲が垂れ込めており、結構激しく降っている。ここまで来たのだ、もう一歩きしようか・・・。(続く)

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旭川駅のプレートに対面

2011年01月16日 | 旅行記A・北海道

1月9日の昼、氷点下の旭川駅に降り立つ。

Dscn7017 昨年の10月に「川のある駅」ということで新しい駅舎が完成した旭川駅。それを記念して「旭川駅に名前を刻むプロジェクト」が実施され、私もJR全線の乗りつぶし(当時)をこの駅で達成したということもあり、自らの記念としてこのプロジェクトに応募し、その「登録証」が送られてきた。

Dscn7018 私が当てられたのは8000番台。ホームから東改札口へ向かう階段があるが、内壁には北海道産のタモ材が使われている。外は一面の寒々しい雪景色であるが、木の温もりを感じさせるつくり。そのコンコースの中に、プロジェクトに参加した1万人の名前が刻まれている。

Dscn70191 そして探すうちに、結構低い位置に見つけた私の名前。

Dscn70761 しかしこうやって見ると感慨深いものがある。何か一つの区切りというのか、いい記念というのか。北海道に地縁、血縁があるわけではないが(かつては同じ旅行サークルに所属していた人もいるが現在は連絡取っていない)、そういう土地に名前が残るというのも不思議なものである。

Dscn7021 案内によれば旭川市内からの応募が77%、道内が16.6%、道外が6.4%で、九州・沖縄地方からの応募もあったそうだ。それぞれの思いや記念があってのことだろうが、それだけ、さまざまな人が行き交う「駅」というものに人を引きつけるものがあるのだろう。私もここに名前を刻んでもらうことで、遠い駅ではあるがここで乗り降りする地元の人、観光客の人たちとも何かつながっているような感じがする。

Dscn7022 今回の旅の大きな目的だったこのプレートとの対面を果たし、ほっとした感じがして改札口を出る。新駅舎は完成したが、元のホームはまだ解体整理工事中で仮通路が続く。新しい駅前広場の完成はまだ少し先のようだ。ということで、旧駅舎の三角型の看板、それに木彫りのアイヌの人形は健在である。できれば、この二つのアイテムは新駅舎にも残してほしいと思うのだが、どうだろうか。

Dscn7023 さてまだ時間は昼下がり。今夜は旭川宿泊ということで、その間街に出ることにする・・・。(続く)

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雪の旭川へ

2011年01月15日 | 旅行記A・北海道

成人の日の連休は冬の風情を味わおうということで、北の大地に向かうことにする。今回の目的地は旭川である。

Dscn6979_2 1月9日の早朝、神戸・三宮に現れる。ネットで申し込んだ往復航空券プラスホテルの格安プランなのだが、早くから申し込んだにも関わらず伊丹発着は満席。往路が神戸発、復路が関空着という、何とも妙なことになった。神戸空港が7時45分発なので早起きすれば間に合うのだが、そこは一ひねりしたいなということで三宮ターミナルホテルに前泊。遅いチェックインで室料が半分になるというプランがあり、三宮のガード下で夕食の一献を済ませた後にホテルへ。ちょうどJRの三宮駅ホームを見下ろす部屋で、なかなか面白い。

Dscn6990_7 結構ゆっくりと眠ることができ、ポートライナーで神戸空港に到着。あの方角は生駒だろうか、ちょうど太陽が昇ってくる。やはり日の出の瞬間を見るというのは清々しい気分がする。これからの旅が楽しいものになりそうな予感。

神戸からの飛行機は修学旅行生だろうか、後部座席は学生服姿の高校生が陣取る。そして離陸の瞬間、キャーとかヤバイとか、いろんな歓声が沸きあがる。飛行機に乗るのが初めてなのだろうが、遊園地の乗り物に乗っているかのような感じ。それにしても、この時期に北海道に向かうとすればどこに行くのだろうか。旭山動物園?スキー?

Dscn6993 神戸は晴天だったがこの連休は強い寒波が来ており、日本海上空は分厚い雲に覆われている。それを抜けるとまた青空。飛行機に乗るとこういう景色を見ることができるのが面白い。そして2時間後、どんよりとした雲の下、真っ白な大地が広がる北海道、新千歳空港に到達。短い時間での景色の変わりようにまた高校生たちの驚く声が広がる。

Dscn6997 ここから旭川に向かうわけだが、10時19分発の快速エアポート103号(札幌からスーパーカムイ15号)の旭川行き。ちょうど2時間での到着となる。ただ、案内放送によれば、旭川からやってくる便が大雪のために遅れているという。結局15分ほど遅れての発車となった。私は指定席(300円)を確保していたからいいが、自由席はデッキまで立ち客であふれ返る混雑ぶりである。

Dscn7003 地下の新千歳空港駅から地上にでるとそこは一面の雪の世界。時折激しく舞っているようで、道路も白く覆われている。除雪機も走っているし、玄関前の雪かきに追われている人たちの姿も多い。

札幌を中心に列車ダイヤも乱れているようで、遅れの幅がジワジワと広がってくる。札幌ではそれが30分にまで広がった。ホームには振袖姿の人も。成人の日は翌10日であるが、北海道内では9日の日曜日に成人式を行う自治体も結構あるようだ。翌朝のローカル番組のニュースで、財政破綻により市民からの寄付でまかなって開催された夕張市の成人式の様子も放送されていた。

Dscn7006 函館線に入り特急らしく走っていくがそれでも遅れが広がる。こちらの空知地方の風雪が厳しいようだ。激しく舞ったかと思えば、時には空が青く太陽の光も差し込んでくる。

Dscn7014 本当、雪の日の天候の移り変わりが激しい。結局旭川に到着したのは13時。40分の遅れということになった。

Dscn7015 昨年10月に新たな高架駅となった旭川。ホームは木を多用したシェルターに覆われた構造である。それでも冷気が吹き込んできて寒い。新千歳空港では外に出ることがなかったので、この旅でようやく北海道の空気に触れることになった・・・。(続く)

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飛騨高山へ

2011年01月12日 | 旅行記D・東海北陸

1月ももう半ばというのにまだ元日のことを書いています・・・。

Dscn6860 飛騨古川での途中下車と散歩を楽しみ、同駅始発の区間列車で高山に到着。飛騨の中心地で、観光客で賑わっている。年越しは高山の町や温泉地で過ごしたのかな。私も一時高山での宿泊を考えていたのだが、結果として奥飛騨の民宿に泊まったのはよかったと思っている。

Dscn6873 さてここで時間を取って町歩きをする。バスでの移動となる飛騨の里のエリアはパスして、上三之町などの中心部をぶらつくことに。ここに来て天気もよくなり、澄んだ青空の下での散策となる。バスツアーの客やら家族連れ、カップルなどで初春の賑わいである。こういう「和」のテイストで正月を迎える、いいものですなあ。

そんな街中の一角にある舩坂酒造店。飛騨は地酒の多いところで、元日からも店を開けて賑やかに呼び込んでいる。その中に吸い込まれるように入る。

Dscn6874 こちらでは試飲もやっているようだが、その奥の蔵ではカウンターに腰掛けてマス酒を味わえるコーナーがある。いつしか身体がそちらに向かい、地元ブランドの「深山菊」を注文する。カウンターには塩の盛られた皿があり、これをマスの隅にちょこっと乗せて味わう、角打ちの飲み方。マイルドな味わいの「深山菊」と、シャープな「甚五郎」、いずれもお屠蘇気分満喫である。

そこにちょうど外国人のカップルも入ってきた。ただ日本酒ということで、種類はいろいろあるがどれを飲んでいいやらわからない様子。すると隣で飲んでいて既にいい心持になっている富山のお父さんから「一番普通のやつを出してやんなさいよ」と店の人に声がかかり、「深山菊」が出てくる。そしてにわかに一堂で乾杯!「日本の酒はこうやって飲むのよ」と、富山のお父さんが塩をマスに乗せるようジェスチャー。イタリアから来たというカップル、果たして日本の酒はおいしかったかどうか・・・?

Dscn6883 結局ここで2杯、また別の店で土産物購入のついでに試飲をするなど、高山にはほとんどお屠蘇をもらいに来たかの様相になってきた。歩き回るのとで身体も暖まるような感じ。ふとその中で見つけたのが「高山昭和館」。昨今あちこちにある昭和レトロを感じさせる建物で、ダットサンがあるかと思えば駄菓子もある。

Dscn6902 そして有料ゾーンに入ると、そこは昭和30~40年代の町並みが再現されていた。路地裏の飲み屋街に始まり、表通りに出ると写真館だの映画館、床屋に電器屋などの商店が軒を連ねている。看板は岐阜県各地から集めたようで、それぞれの地名が描かれたりしている。

Dscn6891 私が生まれたのは昭和48年であるが、石油ショック、相次ぐ鉱山の閉山、巨人の連覇最後の年など、高度成長期からの転換の時期だったと思う。こういう古きよき時代から次の時代への転換点であり、私が大人として接した世界ではないが、心のどこかに懐かしいと思わせるものがある。高山という、江戸時代、あるいは明治時代の古い時代の建物が観光地として賑わう中にあって、こういう昭和の懐かしスポットが出るのも町の伝統のなせることだろうか。これからの高山の人気スポットになるかもしれない。

Dscn6888 ふと思うのだが、例えばもう30~40年経過したとして、平成時代の町並みというのが「懐かしい町並み」としてその時に観光施設として復元されるだろうか。そして、それを見て「懐かしい」と思うだろうか、想像がつかない。昭和の重厚さが薄れて、何だか軽薄短小、何でもコンビニ的、お手軽さがもてはやされる平成の時代である。同じように町並みや商店街を再現したらどんな感じになるだろうか。大手チェーンとかコンビニとかが並んだりして・・・?

Dscn6910 昭和館が思わぬ発見となってゆっくり見学したために高山での時間はあっという間に過ぎ、そろそろ乗車予定の列車の時間である。高山始発の美濃太田行はキハ40や48の4両編成。特急に負けず劣らず乗客がある。目に付くのは大陸からの旅行者で、やはり彼の地の人にとっては雪が珍しいのだろう、熱心に外の写真を撮ったり、彼の地の言葉で仲間と感心しあったりしている。

美濃太田まで2時間あまりの時間、この時間は読書にも当てる。少しずつ雪の量も減り、下呂に着く頃にはすっかりなくなっていた。こうなれば後は淡々と自宅に戻るだけである・・・。

年末年始の北陸、飛騨の旅行。この時期にしては雪も多かったということで、普段とは違う冬の車窓を楽しむことができた。また食のほうもすばらしく、また体重が・・・というのはあるがそれも正月ということで納得させることに。昨年の一年の疲れ落とし、そして新年がよい年になるようにとの願いを込めてという旅になったかな・・・・?(終わり)

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線路は続くよどこまでも

2011年01月10日 | 旅行記A・北海道
9日~10日は厳寒の北海道、旭川・札幌を訪問しました。

ツイッターの方では実況つぶやきをやっていましたが、今回の目的は一昨年の12月に旭川でJR乗りつぶしを達成したのを記念して申し込んだ、旭川新駅舎に刻まれたネームプレートを見に行ったというもの。
参加者に送られた入場券の期限が3月末までとあったので…。

また冬の北海道の風情と厳しさも垣間見ました。

旅行記は現在の富山~飛騨高山編の後で順次アップしていきますので、御用とお急ぎでない方はぜひご覧ください。

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飛騨古川町歩き

2011年01月08日 | 旅行記D・東海北陸

元日の朝は奥飛騨の民宿で迎えた。年越しの夜はやはり夜更かしをしたのと、こういうところだけに朝が来ても結構外は暗く、起きたのは「朝食ができました」のインターホン。7時過ぎまで眠ったことになる。

Dscn6807 雪国の空は初日の出とは無縁の世界で、いつの間にか朝が来たという感じ。なにやら音がするなと思い外を見ると、除雪車が道路を走っていたり、あるいは宿の敷地の中をご主人が除雪機をふるって雪を飛ばしていたりする。お向かいのご主人は雪おろしをしているようで、こういうのが雪国の実態なのかなと思う。東京のスタジオから、朝早くからバカ騒ぎに興じている番組を放送するテレビとの対照が目立つ。かくいう私も正月の朝というのに寝坊してしまって、これではいかんなと思う。

Dscn6810 列車の時刻が9時過ぎということで朝食後もまったりと過ごし、ご主人に送っていただいて(といっても、歩いても3分ほどの距離なのだが)杉原駅へ。ここから高山方面への列車を待つのは私一人。ホームに積もった雪を集めてピッチング練習をしたりする。

Dscn6813 やってきた列車。ボックス席に1人くらいの割合の乗車率。飛騨の雪景色の中を走る。こういう車窓を見ていると思い出すのは「奥飛騨慕情」。これをヒットさせた竜鉄也さんも先日お亡くなりになったという。前日は携帯でYouTubeを再生させ、この「奥飛騨慕情」も流したことである。

Dscn6826 1時間ほどの列車の旅で、少しずつ盆地が広がって到着したのが飛騨古川。列車は高山行きであるが、ここで1時間ほど途中下車する。

Dscn6837 高山の陰に隠れた形になっているが、飛騨古川も格子造りの商家や土蔵造りの酒蔵などあり、小ぢんまりとしているが古い町並みを残す。駅から歩いて5分のところにそういう町並みが広がるのもよろしい。

Dscn6828 飛騨古川と聞いて思い出すのは、1997年(おそらく)の秋。その時私は連休を利用して富山から高山方面に抜ける旅をしていたのだが、猪谷から南へ向かう列車の中である女性と相席になった。名前は確かAさんだった。ちょうど宿泊先が途中の飛騨細江駅を下車したユースホステルで、意気投合したものである。何でも「どこかで田舎暮らしをしたい」ということで、その候補地になりそうなところを旅の中で探しているということだったかな。見た目結構美しい方だったし、そういう生き方の女性というのにも個人的には好感を持っているので、旅の間の一時ではあったが楽しい時間を過ごすことができた。

Aさんはその後、私が当時住んでいた広島にも遊びに来てくれたし、手紙のやりとりの中で確か九州の農園で働いているというのもいただいたが、あれから13年経過した今、どこでどのように暮らしているだろうか。どこかお気に入りの「田舎」が見つかったか、あるいは現実に直面してまた舞い戻ったか、あるいはいまだに自分の住み処巡りの旅を続けているのか・・・・。

Dscn6846 当時、飛騨古川の一夜で出会ったのが「狐の嫁入り」である。飛騨古川では「きつね火まつり」ということで、狐の嫁入り行事にならって町内を練り歩くというものである。それがお祭り広場でクライマックスを迎え、この行事を通して五穀豊穣や家内安全を祈念するというものである。それが、見物客も狐よろしく顔をペインティングされるとかで、私もAさん含め、ユースホステルに泊まり合わせた人たちから白粉を塗りたくられたのである。

Dscn6833 あれから13年も経過したのか・・・。もし、お互いどういう形とか環境になっていようとも、Aさんとはもう一度どこかでめぐり合いたいなと思うのである・・・。

飛騨古川の町歩きの間、そんなことを考える。次は飛騨高山・・・・。

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