まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

関西私鉄「サイコロしりとり」の旅2013秋・3-3

2013年11月30日 | 鉄道企画もの

しばし祇園の風情と八坂神社・円山公園の紅葉を見た後で、兵庫は三田のニュータウンまで電車を乗り継ぐ・・・まさに関西私鉄の世界にどっぷりと浸かっているが、再び四条大橋を渡って河原町から十三~新開地と来て神戸電鉄に乗り継ぐ。神戸電鉄の駅はこの企画では道場南口、恵比須、志染、そして今回のウッディタウン中央と4つ目であるが、いずれも滋賀里、橿原神宮前、寝屋川市、そして今回の祇園四条からと、結構長距離移動である。神戸辺りの駅からつながればいいのだが・・・。

新開地から三田行きの各駅停車でとことこと走り、分岐駅となる横山で乗り換える。これからウッディタウン中央に向かう線に乗り換えるが、駅の時刻表を見ると鈴蘭台方面、ウッディタウン中央方面がそれぞれ15分ごとに出ており、両方の系統が走る横山~三田間というのは1時間に8本が走る。この間の移動だけを見れば大阪の中心部にも負けず劣らずの頻度で電車がやってくるので便利に見える。

Dscn3469ウッディタウン中央に向かう電車に乗る。両側を道路で挟まれる区間、単線であるが複線分の敷地を持っており、今後利用客が増えても対応できるよう、とりあえず場所だけは確保しておこうというところだろう。

Dscn3460終点に到着。駅舎は立派なのだがここには駅員が常駐していないようだ。何かあればインターフォンで対応するようだが、この辺りはワンマン運転など、ギリギリのところで運営している神戸電鉄らしいところだろう。ただこちらは、始発は朝の5時前、終電は翌日1時近くである。これは三田からその向こうのJR接続、大阪までの利便性を考慮しているのだろう。

Dscn3463この駅には以前にも降り立ったことがある。一時、とある事情でクルマを運転できないことがあったのだが、その時にゴルフをやるということで、翌朝早くに現地に行くために、ゴルフ場に比較的近いところにある三田に前泊し、当日は会社の後輩に立ち寄りで来てもらって向かったことがある。その時宿泊したのが駅前の三田ホテル。この辺りで大会がある時はプロのゴルファーも泊まることがあるらしく、さすがに部屋も広く、部屋からの眺めもよかった。ただ、如何せんあくまで前泊で入り、翌朝も食事なしで出発したから、ホテルの風情を十分に味わうこともできなかった。

Dscn3465今回はちょうど昼食時間帯にたどり着いたので昼食としよう。駅前はニュータウンらしく店舗も集中しているが、やはり大きな勢力はイオンモールである。いろいろとあるが結局はサイゼリアに入り、昼からワインもつけて前菜~メイン~パスタとなんちゃってフルコースで行ってみる。サイゼリアのワインと言えば、大学時代の友人たちとの集まりでの恒例の二次会での「マグナム」であるが、さすがに一人でそこまでは、ね。

Dscn3466さてこのイオンモールでの次のサイコロ。ウッディタウン中央だから、再び「う」から始まるが、先に出た6つの選択肢の次の駅か選ぶ。

1.畦野(能勢電鉄)・・・今朝の鼓滝から少し先に行ったところ。

2.畝傍御陵前(近鉄橿原線)・・・また昔に思いを馳せるのもいいだろう。

3.梅田(阪急、阪神)・・・出るか、キタのど真ん中。

4.魚崎(阪神本線)・・・「う」で始まる駅もそう多くなく、選択肢が一巡した。

5.山陽魚住(山陽電車)・・・三田から明石なら、それほど遠くは感じないか。

6.浮孔(近鉄南大阪線)・・・ここまで降り戻されるのもまたよし。

「う」で始まる駅というのは思ったほどないのだなということで、次はどこに向かうか・・・出たのは「1」の畦野。この日は能勢電鉄を中心に、まずは京都、次に三田まで振られ、振り子が元に戻ったようである。

来た道を引き返し、谷上に到着。よく考えればスルッとKANSAIの区間内であれば経路は自由なのだから、往路も三宮から地下鉄~北神急行で来ればよかったなということに今頃気づく。で、ホーム向かいに停車していた地下鉄西神中央行きに乗り継ぐ。

Dscn3471神戸地下鉄は交通機関としてオリックス・バファローズを一番応援していると言っていいだろう。車両の窓に主力選手のラッピングというのもいいものだが、ちょうど大陸の銭ゲバの下司野郎がバットを構えていたのがあったので、「これも見納めやな」と一枚収める。何が不動の四番バッターやねん。

ただ、この記事を書いている時には「バルディリスも流出」という状況になっており、ホンマに編成がガタガタやなというところで。カブレラが復帰するとか川崎を獲るとか、いったいどこまでが本当でどこからがガセネタなのか、ようわからん。

Dscn3475・・・話を関西私鉄に戻す。三宮から十三まで戻り、今朝に続いての宝塚線に乗る(神戸線と宝塚線は同じホームで乗り換えられるのが便利)。そして本日二度目の川西能勢口で能勢電鉄に乗り換えである。そしてやってきた畦野駅。

Dscn3476丘を切り開いたようなところで、ホームから階段を上がると地上レベルに出る。駅前の風情はいかにも新興住宅地というところで、駅前に郵便局があるからか、改札の外では年賀はがきを売る呼び声もする。

駅前に何かないかと見るに、「頼光寺」という看板が見える。確かこの辺りは「多田源氏」という、あの源氏の一族が勢力を持っていたところで、「頼光」と言えば武将の名にもある。調べてみると果たして源氏ゆかりの寺院だそうで、現在は曹洞宗の寺として、「北摂七福神 寿老人の寺」として地元の人たちに親しまれているそうである。

Dscn3477Dscn3483駅から歩くこと5分ほど、一度住宅地の間から能勢電鉄の線路の下をくぐると境内に出る。小ぶりな寺であるが、季節にはアジサイが花を咲かせるという。

さて、ここで次なる駅を選ぼうか。畦野の「の」で始まる駅だが・・・これも案外少ないことに気づく。

1.2.3.野江(京阪本線)・・・京橋の次。

4.5.6.野田(阪神本線)・・・いわゆる野田阪神ですな。

今、能勢電鉄にいるからといって「能勢○○」という駅があるわけでもなく、地下鉄なら野江内代というのもあるが、こと関西私鉄に限って言えばこの2駅だけである。

そろそろ日も西に暮れつつあるが、この2駅ならいずれも大阪市内ということで、そこまでで本日の行程は終了ということにする。

果たして、出たのはどっち・・・?

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関西私鉄「サイコロしりとり」の旅2013秋・3-2

2013年11月28日 | 鉄道企画もの

この「サイコロしりとり」、地下鉄というのが訪問の対象となっていないこともあり、なかなか都市の中心部を訪れるというのは少ない(和歌山市というのはあったが)。そんな中で京都の祇園に来るというのはなかなかないことである。

Dscn3424「おこしやす」の看板に迎えられて商店街を歩き、祇園の花見小路に出る。四条通の北側はバーが並ぶ現代風の歓楽街であるが、南側は昔ながらの石畳も再現された、これぞ京都という風景である。

Dscn3426Dscn3427Dscn3431こういうところのお茶屋さん、料亭というのはどういう人たちが利用するんかいなと思うが、外を歩くだけならタダである。この日も朝から大勢の観光客が京風情を味わいにやってきていた。

Dscn3433花見小路からさらに続く路地をぶらついた後にやってきたのは八坂神社。駅前散策もどこまでを範囲とするか、京都の場合は魅力的なスポットが目白押しで、京散策が目当てならこのままどこまででも歩いてしまいそうである。ただ、あくまで駅巡りが目当てということもあり、ここでの訪問は花見小路と八坂神社、そして円山公園ということにする。

Dscn3459Dscn3438Dscn3441八坂神社へ。境内にはいくつかの祠があるがそれらも含めて紅葉が見ごろである。ここを八坂神社と呼ぶようになったのは明治の神仏分離令のことで、元々は祇園社と呼ばれていた(だから「祇園祭」ね)。元々は牛頭天王(祇園精舎の守護神)を祀っていたのが、平安時代の神仏習合の考えでは素戔嗚尊と同じとされている。先日に天照大神を祀る伊勢神宮に参拝したが、今度はその弟の素戔嗚尊を拝むことになる。

Dscn3437散策の途中だが、神社に来ているということもあって先にここでサイコロである。祇園四条の「う」について、素戔嗚尊はどのようなご託宣が出るか。

1.魚崎(阪神本線)・・・灘の酒どころが近い。

2.山陽魚住(山陽電車)・・・久しぶりに明石の先まで行くか。

3.浮孔(近鉄南大阪線)・・・橿原神宮の手前の珍名駅。

4.宇治(京阪宇治線)・・・八坂神社に続く世界遺産訪問か。

5.打出(阪神本線)・・・ここはどんなところか初めてである。

6.ウッディタウン中央(神戸電鉄)・・・スルッとKANSAIの西の端・・・。

ここで世界遺産の宇治というのはでき過ぎな感じがするし、地味に阪神間に落ち着くのかなと思う。ただ、こういう時に限って神戸電鉄(しかも三田の先まで)に大きく振れそうな気が・・・。

そして運試しのサイコロは・・・「6」。やはりなあ・・・。

さて、幸いまだ早い時間帯ということで、この後は円山公園を見ることにしよう。こちらは桜のスポットというイメージがあるが、紅葉がすこしでもあればなと思った。

Dscn3442Dscn3455Dscn3447Dscn3444Dscn3450ただ、東山を借景としたこの公園、紅葉としてはなかなかよかった。「サイコロしりとり」でも季節の風情を楽しむということでしばし見物する。

・・・せっかくの京都も名残惜しいが、そろそろ次に移動しなければならない。次へはまた遠距離移動となる。また3時間コースということになるのかな・・・・。

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関西私鉄「サイコロしりとり」の旅2013秋・3-1

2013年11月28日 | 鉄道企画もの

秋も深まり、そろそろ冬のたよりもやってくる11月下旬。秋の風情を求めてのサイコロしりとりである。

Dscn3411前回からの繰り越しで訪れるのは能勢電鉄の鼓滝。まずは早い時間から動こうと自宅を始発で出発し、天王寺~御堂筋線~梅田~阪急宝塚線で川西能勢口までやってきて、接続1分で能勢電鉄の妙見口行きに乗車。能勢電鉄の100周年記念イベントということで、電車とアートのコラボレーションの企画も行われているようだ。芸術の秋ですな。

Dscn3412朝の7時前に鼓滝に下車。初めて訪れる駅である。ホームのすぐ横がトンネルというところだが、駅周辺は住宅街が広がっている。鼓滝というと何か由緒ありげな名前であるが、どこかそれらしきものはないかと歩くことにする。すぐのところに能勢街道(国道173号線)が走っており、交差点の手前には小さな公園がある。その一角に石碑が建てられている。草書体で書かれたのは和歌で、

「音に聞く 鼓が滝をうちみれば 川辺に咲くや白百合の花」

Dscn3419という。これは新古今和歌集などでも知られ、「生涯旅人」の元祖のような存在である西行法師が詠んだもの。この歌には言い伝えがあるそうだ。

西行が和歌の道を志して間もなくの頃に、猪名川のほとりにやって来た時のこと。「はるばると 鼓が滝にきてみれば 岸辺に咲くや白百合の花」という、鼓滝と白百合を詠んだ一首を残した。歌の出来に満足して、疲れと空腹もありその場で眠りについた西行、目が覚めると近くに民家の明かりがあり、そこで一夜の宿を求めた。

そこで先に詠んだ歌の話をしたが、それを聞いた古老が「こうしたほうが良いのではないか」と言う。そして古老から出たのが上記の「音に聞く~」の一首である。なるほど、事実を淡々と述べただけの最初の歌よりも情感が増すということだろうか。鼓ということで「音に聞く」とか「うちみれば」とかね。西行は非常に感心し、床についた。

そして再び目が覚めるとそこは大明神の祠だった。つまり、西行は夢の中で民家を訪ね、古老から歌の添削をされたというわけだ。そこで西行は、「これは歌の神のおぼしめしで、自分の歌はまだまだ未熟であった」と痛感し、それからより一層歌の修行に励んで後の世に名を残すことになったという伝説である。

後で知ったが、これは「西行鼓が滝」という上方落語の演目としても残っているそうだ。

Dscn3417吐く息がまだ白い中、その猪名川にかかる橋に立つ。駅の由来となった鼓滝というのはかつて実際にあったそうだが、今はそういうのはなく新興住宅地とこの時間から交通量の多い国道が中心である。ただ猪名川は自然の流れが残されており、なかなか景色がよい。遠くに、先ほど渡った能勢電鉄の鉄橋があり、ちょうど電車が渡るのを見る。来る前はどんなところだろうと思った鼓滝、なかなか良いところであった。

さて、次のサイコロは猪名川にかかる橋の上である。鼓滝の「き」というのも初めての選択である。

1.紀伊神谷(南海高野線)・・・音に聞く南海高野線の秘境駅

2.紀伊清水(南海高野線)・;・これも高野線の山の中の駅

3.紀伊細川(南海高野線)・・・紀伊の国3連発ですな

4.祇園四条(京阪本線)・・・おお、京都のど真ん中

5.桔梗が丘(近鉄大阪線)・・・平井堅の一曲で名前が広まったな

6.私市(京阪交野線)・・・駅から近いところで自然が楽しめる

前半の紀伊3連発も「この駅が目的ででかける」というのは普段まずないことで、秘境駅を含めて面白いかと思う。祇園四条は京都の風情満喫だし、桔梗が丘は遠方だが平井堅のナンバーの風情を楽しむのもありかな。私市も悪くない。今回はなかなかのラインアップである。

そして出たのが・・・・「4」。祇園四条である。

Dscn3420祇園四条は京阪の駅だが、阪急に続く能勢電鉄からだと阪急乗り継ぎで河原町まで行くことにする。スルッとKANSAIが使えるなら経路は問わないので、河原町まで行ってそこから歩いて祇園四条に向かうことにする。十三で京都線の快速急行に乗るが、まだ8時前にも関わらず京都観光に向かう人で混んでいる。

Dscn3422河原町から四条大橋を渡る。夏のこの企画では京阪~阪急の乗り継ぎが多く、そのたびに四条大橋を渡っていたが、今度はこの四条大橋から祇園が目的地である。秋の行楽日和である。

Dscn3423その前に一旦地下の祇園四条駅に降り立つ。京阪電車に乗ってこなかったのが複雑な気分だが、まあいいだろう。

さてここからはしばしの京都観光ということで・・・・。

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『津波災害-減災社会を築く』

2013年11月26日 | ブログ

先の24日に仙台市内で行われた東北楽天の日本一パレード。沿道には20万人以上の人たちが集まり、東北の地に初めて日本一をもたらした選手たちの勇姿に感動する姿がニュースで放映されていた。あの震災から2年8ヶ月が経過しているが、まだまだ復興とは程遠く苦しんでいる人たちが多い中、東北に勇気と希望をもたらした楽天の優勝。鶴岡監督の悲願の日本一を受けての御堂筋パレード、広島の初優勝で、被爆の後遺症で亡くなった人の遺影を掲げる人もいた平和大通りのパレードと並ぶ、優勝パレードの名場面ではないだろうか。

さて、とは言うものの東日本沿岸を襲った津波の爪痕はまだまだ消えることがない。そればかりか、次は東海・東南海・南海トラフ巨大地震がいつ発生するか、その規模はどのくらいか、どのくらいの被害が出るのかということで戦々恐々である。中には、関西にもっとも被害をもたらすであろう南海トラフ巨大地震で、「大阪府の死者は最大13万人」という想定の発表もあった。

これを発表したのは大阪府の災害対策等の検討部会であるが、その部会長は河田惠昭という方。京都大学名誉教授、関西大学教授という一方で、神戸にある「阪神・淡路大震災記念 人と防災未来センター」の所長である。同センターは私の最近のライフワーク?の「関西私鉄サイコロしりとり」で回る中で訪ねたこともあり、震災についての総括を行っているスポットとして「神戸観光の一つに加えるべきだ」というような印象を持った。

河田氏については、先日大阪市内の防災に関する講演会を聴く機会があったのだが、津波の特性やら、それに対する大阪市街地の脆弱さ、津波被害を防ぐ、あるいは軽減するには何をしなければならないかということについて熱く語られていた。「死者13万人」というのは一見すれば学者の妄言のようにも思われるが、実際に話を聴いて見ると、確かに悪い条件が重なった場合はその数字になるのだろうが、阻害要因を一つずつ取り除けば被害は軽減できるということであった。ただ一方では、大阪の地形条件や最近の都市開発のやり方を見ると、どちらかと言えば「死者13万人」の公算のほうが高いという警鐘を鳴らしていた。最後は大阪市営地下鉄の民営化にも触れ、「今の黒字のうちに脆弱な、都市交通としての安全対策、防災対策をしなければならないのに、それをやらずに、人気取りだけのために初乗り運賃の値下げとか、果ては民営化というのは、絶対将来に禍根を残す」と力説していた。

予定の時間を大幅にオーバーしての講演であったが、あっという間の時間だった。帰りに「河田先生の著作を展示していますのでご覧ください」という案内で、テーブルに何冊か置いてあった著作を手にした中で出会ったのが、この『津波災害-減災社会を築く』(岩波新書版)である。

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講演当日は著書の販売はなかったので、後日書店で入手した。内容は・・・講演で語っていたことをより詳細に、学術的に触れたものである。ただ、本書の奥付を見るに、これが出版されたのは2010年12月。ちょうど東日本大震災の4ヶ月前である。私が購入した一冊は2011年5月にして早くも6刷目というもの。おそらく震災を機に購入部数が大幅に伸びたのだろう。読んでみると正に震災被害を言い当てていた・・・と言って語弊があるなら、警鐘していたこと、震災発生で恐れていたことが現実になったと思わせるところが多かった。さすがに福島原発のことは想定していなかったとしても、津波の被害、なぜあれだけの犠牲者を出したかということについては、著者にすれば最悪のケースに振れた結果そのものである。講演の時に、私が訪ねた宮城の沿岸部の町の姿を思い出していたのだが、改めて防災、減災について考えさせられるところであった。

南海トラフ地震はいつ起こるかわからないが、近いうちに必ず起こると言われている。もっと広く、阪神・淡路大震災や東日本大震災の教訓を生かすためにも、官民挙げての防災・減災対策を進めるとともに、地域に住む人一人一人の防災意識を高めなければならないということを感じた。ちょっと今の政府の動きが震災への関心が薄いように思われ(そんな、秘密保護法案なんて絶対に今すぐ成立させなければならない、というほどのものでもないでしょう)、日本維新の会の大阪府政・市政もアテにならない(現場第一線の職員の皆さんは一生懸命頑張っていると思うが)、そんな中でどうすればいいか。私ももっと考えなければ・・・・。

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関西私鉄「サイコロしりとり」の旅2013秋・2-3

2013年11月25日 | 鉄道企画もの

八戸ノ里から京阪の土居まで向かう。北浜から京阪に乗り換えるが、昼間の時間帯は特急や準急ばかりが発着する。土居は各駅停車しか停まらないのだが、各駅停車は中之島線からやって来る。このため、一度特急に乗り、京橋でホーム向かい側の各駅停車に乗り換え。

京阪の守口市までの各駅は駅の間が短い。かつての京街道に沿って敷かれた、元々が軌道電車扱いということもあって停留所の感覚だったのだろう。今は立派な複々線で、特急がぶっ飛ばすその横を少し走っては停まり、また走っては停まる。

Dscn3395滝井の次が土居なのだが、ここが特に短い。公式には駅間距離は400mとなっている。滝井を出発するとそのまま惰性で走る感じで土居に到着。車内アナウンスも発車した後に「土居です」と一言。

Rscn3398そのホームの端に立ってみる。どう見ても400mより近い。反対側ホームから中之島行きの各駅停車が出て行ったが、最後尾が土居のホームを離れた時にはもう先頭部が滝井のホームにかかったようにも見えた。京阪の場合は、駅舎の入口から入口の間で駅間距離を出しているそうで、その間が400mという。また、複々線化もそうだし、輸送量の増加で駅のホームが伸びていることから、ここまで駅間が近いことになった。

土居の駅前は小ぶりな商店街があり、そこを一回り回って次のサイコロである。土居の「い」は、この秋の1日目に石切が出ているのでラインアップは・・・

1.伊賀神戸(近鉄大阪線)

2.池田(阪急宝塚線)

3.生駒(近鉄奈良線)

4.石津川(南海本線)

5.石場(京阪石山坂本線)

6.石橋(阪急宝塚線)

このようになるのだが、実はこの秋からルールを変更している。というのが、出た駅は飛ばして順繰りに駅は入れ替わるが、それ以外の選択肢がずっと残っているのが気になっていたからである。ということで、「前回出た6つの選択肢は一度引っ込めて、その次の6つの駅を選ぶ」というルールになっている。

それで駅を選びなおすと・・・

1.石橋(阪急宝塚線)・・・箕面線の分岐駅、阪大の最寄り駅

2.石屋川(阪神本線)・・・車庫のあるところだったな。

3.京阪石山(京阪石山坂本線)・・・もう一度京津線に乗るのか。

4.石山寺(京阪石山坂本線)・・・紫式部ゆかりの寺というのもいいな。

5.泉大津(南海本線)・・・学生時代の友人の住んでいるところやな。

6.和泉大宮(南海本線)・・・うーん、これはどの辺にあるんだろう。

文字が出るたびに選択肢が変わったほうが旅の幅も広がるかと思い、現在京阪の駅にいるため、滋賀方面でも別にいいかと思う。そして出たのは・・・「5」の泉大津。

Dscn3406ということで、今度は北浜まで戻り、堺筋線~天下茶屋乗り換えで泉大津を目指す。その前に、駅間の短い土居から滝井まで歩くことにする。線路沿いに歩くが、もう隣の駅は見えているのである。途中で土居に到着した各駅停車が発車したが、その気になればダッシュで追いつけるのではないかというくらいである。これなら一つの駅にすればよさそうなものだが、途中に大阪内環状線の道路もあるし、それぞれの集落があることから一本化は難しいのだろう。

Dscn3410滝井から乗車してルートをたどり、天下茶屋からは急行で泉大津に到着。市の中心駅ということで、駅の東側にはいずみおおつCITYやダイエーをはじめ、いろいろと建物がある。CITYに入ると1階のコンコースではミニライブが行われていた。

反対側には阪九フェリーの泉大津港行きの送迎バスの乗り場がある。もう1ヶ月少し後、恐らくこの送迎バスのお世話になっているだろうということで改めて乗り場をチェックする。

Dscn3407少し歩くと大津神社というのがある。平安時代にはすでに「小津の泊」として港が開かれており、地名としてはいつしか「大津」になったのだが、この神社は神功皇后と応神天皇を祀る八幡社が由来である。今は「泉大津」でワンセットの地名になっているが、これは滋賀の大津などと区別するために後から呼ばれるようになったわけで、元々は「大津」である。ここでまた例によって手を合わせる。「厄除け」の文字がどうしても目に入ってくるのだが・・・。

この大津神社で(何だかサイコロを振っているのって、寺社の境内が多いような)次の行き先を決める。ただ、前日は伊勢神宮参拝、そしてこの日も朝から京都まで行ったりしており、ちょっと疲労回復も必要である。時間は早いが、どこの目が出ても次回に繰り越しということにする。

1.塚口(阪急神戸線)・・・かつてお世話になっていた駅。久しぶりの訪問もありか。

2.月見山(山陽電車)・・・阪神高速の渋滞の名所というイメージだが・・・。

3.築山(近鉄大阪線)・・・大和盆地のスピードの出るところかな。

4.筒井(近鉄橿原線)・・・筒井順慶。

5.鼓滝(能勢電鉄)・・・どの辺だろうか?

6.壺阪山(近鉄吉野線)・・・吉野線のスルッとKANSAIエリアの端の駅。

阪急・阪神対近鉄奈良エリアという対決。「つ」で始まる駅というのは初めての選択である。そして振ったのは・・・・「5」。鼓滝である。調べてみると川西市。夏の時に一つ手前の鶯の森駅には訪れている。何か滝に因んだものがあるだろうか。

そろそろ秋の紅葉も見ごろを迎えており、次回はぜひともそういうスポットにも行ってみたいところ。サイコロしりとりだか、駅のお百度参りだか、まだまだ続きそうである・・・。

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関西私鉄「サイコロしりとり」の旅2013秋・2-2

2013年11月24日 | 鉄道企画もの

Dscn3384Dscn3392京阪京津線の四宮から近鉄奈良線の八戸ノ里に向かう。京阪の丹波橋から近鉄に乗り換え、特急で大和西大寺まで南下する。京阪間をゆっくりと走る京阪特急に比べ、丹波橋から大和西大寺までノンストップで走る分だけ有利かなと思ったが、大和西大寺から、各駅停車しか停まらない八戸ノ里までとなると結局そこから各駅停車の旅となる。後で時間を確認したら、京阪特急で北浜から日本橋を回ってくるのとさほど変わらなかった。

Dscn3386さて、八戸ノ里といえば大商大など学生の町でもあるが、やはりここでの駅前散策は、司馬遼太郎記念館となる。部活動の練習をしている布施高校のグラウンドの横を通り、昔ながらの住宅街が広がる一角にたどり着く。

Dscn3389司馬遼太郎が亡くなったのは1996年であるが、その当時の状況で残されている書斎を外からガラス戸越しに見ることができる。ここが創作の拠点となったわけだが、かつては大阪市内の高級マンションに居を構えており、同じマンションの隣室に当時南海の野村克也が偶然住んでいたというのも有名な話である。野球に興味がなかった司馬遼太郎が出入りの記者に「同じマンションに、いつも昼過ぎに部屋を出て、夜中に帰って来る図体の大きい男がいるんだけど、どこかの肉体労働者かな」と話して、その記者がよくよく見るとその人こそ野村克也だった。記者が「あの人は南海の4番でスターなんですよ」と言っても、野球に興味がなければ何のことやら。ただその後、何かの対談で一緒になるなど親交があったり、野村克也も司馬作品の世界を采配に生かしたり、ということはあったようである。

Dscn3390その書斎を抜けると、無粋なコンクリート建築に出る。こちらが安藤忠雄設計の記念館である。ちょうど来年3月までの日程で「司馬遼太郎とモンゴル」展が行われていた。

この記念館の見どころが、高さ11メートルの3層建てに2万冊は収められているという書架。司馬作品、参考文献としての各種資料がこれでもかというくらいである。ただその資料(史料)の枠に止まらず、自身の筆で登場人物を活き活きと動かす。それも、それまで世間の人が注目していなかった人物である。それが坂本龍馬であったり新撰組であったり、秋山好古・真之兄弟だったりするわけだが、世間の好き嫌いはいろいろと分かれるようだ(高知出身の漫画家・西原理恵子が「偉大なのは坂本龍馬ではなく、司馬遼太郎の『ふかし』が」と描いていたり)。

Dscn3387かくいう私は小説よりも『街道をゆく』シリーズのほうが好きで、日本の各地を回りながら、それまでさほどスポットの当たることのなかった人物や風土について取材を通して取り上げることで、その土地について新たな見方を提供してくれていたように思う(一方で、昔からの名所旧跡とか土地の食べ物にはほとんど頓着していなかったが)。私もそれを読んで旅の行き先を決めたこともある。

今回はそのシリーズのモンゴル編ということで、取材当時の様子や取材ノート、直筆原稿などが紹介されている。映像ホールで、NHKで放送された「街道をゆく」のモンゴル編も上映されるというのでそれも合わせて鑑賞する。雄大なモンゴルの大平原の映像にうなる一方で、日本、ソ連(当時)、中国の狭間で揺れ動く遊牧民族の生き様にも考えさせられるものがあった。ただ、21世紀の今は朝青龍、白鵬、日馬富士といった横綱に代表されるモンゴル出身の力士たちの存在や、彼の国でも浸透してきた資本主義経済、最近では朝鮮総連本部をモンゴル企業が落札するとか、単に「雄大な大平原と遊牧民族」という言葉だけでは語られないものがある。まあ、そんなもんだろう。

Dscn3507せっかくなので、まだ読んでいなかった『モンゴル紀行』と、取材の時に現地ガイドを担当したツェベクマさんという女性の半生を題材とした『草原の記』を買い求める。記念館オリジナルのブックカバーで包装してくれる。

・・・さて、すっかり長くなったが、こちらの記念館での次なるサイコロである。八戸ノ里の「と」で始まるのは、

1.土居(京阪本線)・・・駅間の短いところ。

2.東寺(近鉄京都線)・・・京都の観光地、よろしおすなあ。

3.神鉄道場(神鉄三田線)・・・何やら鍛えられそう。

4.東福寺(京阪本線)・・・紅葉が見られるかな。

5.道明寺(近鉄南大阪線)・・・地元に戻る。

6.ドーム前(阪神なんば線)・・・さて、これが出るかな・・・?

実はこの日というのは大正ドームにてオリックス・バファローズのファン感謝イベントが行われていた。野球についてはグラウンドでのプレーを見ることを第一義としており、こういうお遊びのイベントは長年参加していないのだが(そんな成績のくせに遊んでいる場合か、という頭の固さ)、もしサイコロでこの目が出れば久しぶりに行ってみることにする。後は、京都の有名寺院というのもいいかな。

そしてサイコロは・・・・「1」。別に土居駅がいけないということではないが、これらの目の中ではもっとも地味な出目だろう。電車は尼崎行きということで、このまま乗っていれば大正ドームに行けるのだが、ファン感謝イベントは見送りということにして日本橋で下車。なんばウォークで昼食を済ませ、堺筋線~京阪電車で土居に向かう・・・。

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関西私鉄「サイコロしりとり」の旅2013秋・2-1

2013年11月22日 | 鉄道企画もの

秋というよりは朝晩も冷え込む11月も早くも下旬。今年もあっという間に残り1ヶ月あまりである。

先に伊勢神宮への参拝記事を書いたが、16~17日の予定がそのように変わったということで、それならばと17日は「サイコロしりとり」を行うことに。拙ブログの読者の皆さんからすれば「いつまでやっとんねん」と思われるかもしれないが・・・。

Dscn3368さて、前回の和歌山市に続いての出発点となったのは京阪京津線の四宮。京阪の京津線、石山坂本線というあたりは駅数が少ないが、滋賀里、三井寺に次いで3つ目の駅となる。ということでまたも朝の京阪電車に乗り込む。朝の時間帯だと急行でも特急型車両を使った便があり、最前列に陣取って前方の景色を楽しみつつ・・・眠りを補充する。この「サイコロしりとり」、朝の移動というのが結構長く感じる。これまで中書島、八家、松ノ浜、貝塚、志染、大開と、自宅から比較的遠いところまでまずアプローチしている。

Dscn3369Dscn3370三条から地下鉄東西線~京津線直通運転の浜大津行に乗り、四宮に来た時には7時半を回っていた。ここは京津線の小ぶりな車庫があるなという記憶を持ってやってきた。ちょうど京都と滋賀の境目ということで、国道1号線、東海道線などが寄ってくるところである。

Dscn3373この四宮というのは何か由来があるのだろうか。少し駅前を歩くことにして駅前に出る。やや狭い幅の道に出るが、これは旧の東海道。別に宿場であったということはなく、古くからの街並みが残っているというわけではないが、表札に「四宮」とあるお屋敷もあったりする。

Dscn3374旧東海道を歩いて3分ほどのところに、小ぶりなお堂を見つける。徳林庵の六角堂というもので、「伏見六ぢざう」の道標もある。ここに四宮の解説があったので見てみると、平安の世、仁明天皇の第四皇子の人康(さねやす)親王というのがいたのだが、病気で失明し、出家して山科のこの地に入ったという。四番目の宮様ということで「四宮」になったとか。隠棲生活の慰みか、和歌や琵琶に長けていたということで、後に琵琶法師の祖とした崇められるようになったそうだ。

Dscn3379徳林庵のところに、周辺の案内図とシールがケースに入れられていた。弦楽上達の祈願めぐりということで、徳林庵をはじめ4つのスポット(四宮に因んで)でシールを集め、それを四宮駅の改札口に提示すると記念品がいただけるという。残りのスポットもそれぞれ5分ほど歩けば行けるところで、ちょうど四宮駅に戻るコースになっている。朝の散歩も兼ねて歩いてみることにする。

Dscn3377Dscn3378徳林庵に次いでやってきたのが、JRのガード下をくぐって少し歩いたところにある諸羽神社。こちらも9世紀後半の創建で、小ぶりではあるが清々しさを感じる。先の人康親王が座って琵琶を弾いたとされる琵琶石などという岩も残されている。もっとも、21世紀の現在は拝殿などに「下校性はここに座らないように」という注意の貼り紙がしてあったが、子どもたちの遊び場というところなのかもしれない。

続いては十禅寺。こちらも人康親王が開山したとされるが、戦火などで荒廃し、江戸時代に再興されたもの。拝観することはできなかったが、こちらには親王の坐像や琵琶なども安置されているという。ここで3つ目のシールを獲得。

Dscn3380最後は人康親王が琵琶や琴など弦楽器の祖として祀られた四宮大明神である。ただここは立派な境内が広がって・・・というのではなく、地図では「狭い路地を抜けたところ」とある。確かにその通りに狭い路地の奥に、住宅と線路に挟まれるように小さな祠が立っていた。親王を祀るにしてはえらく粗末なもので、これならいっそのこと諸羽神社に遷したほうがよいのではないかというくらいである。しばらく立っていると、する横の家からトースターの「チーン」という音がした。

この祠の下にシールの入ったケースがあり、そこには別の紙も入っていた。これに名前などを書いて駅に持っていくと記念品をいただけるというものである。4つのシールを集めながらの4つの神社や寺参り、「四宮」という駅名とうまく合わさったミニ散策コースである。弦楽器の神様というのも、ひょっとしたらその筋の人たちには有名な存在なのかもしれない。

さて、四宮から次はどこに行くか。せっかくなので、四宮大明神、人康親王のご託宣?ということで、ここでサイコロタイムとしよう。四宮の「や」から始まるのは・・・

1.八戸ノ里(近鉄奈良線)・・・これはひょっとしてあの歴史作家の記念館の最寄駅か。

2.近鉄八尾(近鉄大阪線)・・・藤井寺の隣の市だが、駅前のことはあまりよく知らない。

3.八木西口(近鉄橿原線)・・・古い町家の並ぶ今井町の最寄駅。

4.八瀬比叡山口(叡山電車)・・・比叡山のたもと。

5.矢田(近鉄南大阪線)・・・毎日通過している駅だが降りたことがない。

6.山下(能勢電鉄)・・・妙見口と日生中央の分岐駅。

近鉄の駅が4つ、ただ京都にいるのだから八瀬比叡山口もいいかなと思う(ただし、その次は自動的に大阪南部まで行くことになるが)。さてどうだろうか。

そしてサイコロは・・・・「1」。八戸ノ里である。なかなかいいところを出してくれたと思う。

Dscn3382駅に戻り、先ほどの用紙と4枚のシールを改札口に差し出す。物腰柔らかそうな駅員は「ようお参りでした」と、神社のお札授与所の人のようなことを言って、奥から何やら出してくる。四宮と人康親王に因んで、琵琶のイラストが描かれた4枚の小さなマグネット。これも京都の一つの姿だなと、何だか奥ゆかしさを感じた(もちろん、シールはそのまま持ち帰りとなった)。

Dscn3383さて四宮からはどう移動するか。まずは三条まで戻り再び京阪本線に乗るが、このまま天満橋、北浜辺りまで戻って地下鉄~近鉄奈良線に乗るか、あるいは丹波橋で近鉄京都線~近鉄奈良線をたどるか。もう京阪本線は「サイコロしりとり」で何度も行ったり来たりしているので、ここは初めての近鉄京都線に乗る。そして少しでも早くということで、丹波橋からあえて有料の特急に乗車。柔らかな日差しを浴びながら、ゆったりとした特急で大和西大寺まで向かう・・・。

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伊勢神宮祈願参拝・内宮

2013年11月20日 | 旅行記D・東海北陸

さて、外宮参拝を終えてバスで内宮に移動する。まだ午前の10時過ぎということでそれほどまでの渋滞もなく、スムーズに内宮前に運ばれる。

Dscn3338ただ、五十鈴川に架けられた宇治橋まで来ると結構な賑わいである。これから参拝する人、そして参拝を終えた人でごった返す。中央に仕切りがありお互いちゃんと右側通行が保たれているのは見事だが、初詣の時期となるとどうなるだろうか。今度の正月は遷宮の儀を終えて初めての初詣を迎えるが、ひょっとして正殿から宇治橋まで渋滞が続く、あるいは宇治橋も一時閉鎖・・・などということにはならないだろうか。

Dscn3342宇治橋を渡った境内の雰囲気というのも、外宮とは違った荘厳さを感じる。やはり日本の神道で最も権威のある神社というのは別格であると思う。

Dscn3343さて、ここでこの日の第一の目的であるご祈祷である。お札やお守りを入手する建物の一角にその受付があり、神楽と御饌(みけ)のいずれかを選ぶことになる。今回は一般的な祈祷ということで後者を選択。安全祈願を選択し、儀式までしばらく待機する。

そして呼ばれて御饌殿に昇殿する。これまでの伊勢神宮参拝はそのまま正殿に行っただけで、こういう形で別の建物に入るのは初めてである。さまざまな願いを持って参拝に来た人たちもおり、およそ20人ほどが昇殿する。

Dscn3346ここで神職により祝詞が詠みあげられ、続いてお祓い、そして二礼二拍手一拝という手順。

その間、およそ15分。外の参道の砂利を踏みしめる参拝客たちの足音は聞こえてくるが、そんな中の微妙な静けさが、遠くまで参拝に来たのだなと感じさせる。会社での神社祈願といえば、年始と年度初めに商売繁盛の伏見稲荷にて祝詞奏上を行うのだが、その時は祈祷のスペースに入っても、常に後ろからの賽銭投げ入れの音や歓声が大きく、なかなか落ち着けないというのがあるのだが・・・。(また、支店長がいるからいいものの、その他のお歴々を飛び越して私が会社代表で手を合わせるというのは、組織という点で見ると恐れ多いことなのだが)

清々しい気分になり、再び参道から正殿を目指す。ある人の説では、「まずは正殿に参拝して、その後の復路にて祈祷の申し込みを行う」のが正しい参拝の方法だとか。やはりまずは総元締めというか、主として祀られている存在の天照大神に顔を出しておかなければ、ということだろうか。

Dscn3348そしてやってきた正殿。石畳の下から見上げるという構図も、それだけですでに神々しさを感じる。でもやはりいるんだよな、正殿を背にピースサインで写真を撮るグループというのが・・・。

そして正殿にて手を合わせる。横手から奥の本殿を見ることができるが、何だろう、雰囲気が違う。奥に入って参拝している人たちもいるが、聞いたところでは遷宮に当たって「貢献」をしていただいた会の会員へのサービスという。さすがにそこまでは仕方ないかな。

Dscn3352道順として、別宮の荒祭宮に向かう。するとこちらは結構長い行列ができている。中にはバスツアーで参加している人が、集合時間に間に合うのかどうか添乗員に問いただしている人もいる。結局、行列本体は後ろから見て右側に並んでいるものの、横のスペースが空いているということで、その情報を聞き出した人たちが一斉にそちらに向かっている。ご利益は変わらないという言葉を信じて、支店長と私もそちらに向かう。

Dscn3355この後は再び石でできたパワースポットを見たり、神馬の様子を見たりしながら再び宇治橋に戻る。とりあえずの「公式参拝」はそれほどの問題もなく済んだのかな、と思う。

Dscn3363再びバスで今度は宇治山田駅に到着。ここで列車待ちの時間を利用しての昼食である(内宮前のおはらい町に行ってもよかったのだが、どうしても復路のバスの時間が気になることもあり、そこは断念。

Dscn3364駅舎の中に店を構える和風の店。メインということで伊勢うどん。うーん、讃岐のうどんと比べれば、原材料は同じなのだろうが麺のコシ、固さにおいてどうかなと思う。支店長、果たしてお味はお気に召されたかな・・・?

Dscn3365・・・とまあ、こういう形で行った伊勢神宮への「公式」祈願参拝、苦しい時の神頼みではないが、やはり今後の気持ちの支えになるのではないかと思う。まずは、事故や災害の防止というのは、上から命令されるだけでなく、自分たちのやり方で積極的に実施していかなければならないということで・・・・。

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伊勢神宮祈願参拝・外宮

2013年11月18日 | 旅行記D・東海北陸

Dscn3315職場の安全祈願ということで支店長と共にやって来た伊勢神宮参拝。まずは外宮参拝ということで下車したのは近鉄とJRの共同駅である伊勢市駅。雲もほとんどなく、まさに参拝日和である。近鉄特急を下車して、跨線橋を渡る間に見えるJRの気動車たちというのは見ていて面白い景色だが、そう思うのは私だけで、同行の支店長をはじめその他の参拝とおぼしき客たちは「通路が長い」「こっちから外に出ることができるのか」というところである。同じような感覚は松阪駅や桑名、津でも感じることができる。

それはさておき、出迎えたのは新しい感じの伊勢市駅。ここでまずは復路の特急券、乗車券を買い求める。以前訪れた時には門前駅としての厳かな感じの駅舎で、駅前にはデパートなどもあったように思うが、駅舎も新しく建て替えられ、駅前も何だか開放的な空間になっている。後でわかったことだが、駅前には当時のジャスコや三交百貨店というのもあったそうだが、地方の御多分にもれず郊外での大型ショッピングモールの展開によって閉店になったとか。ただその分、外宮への参拝客の増加傾向を思えば、玄関駅として明るい感じではないかと思う(近鉄とJRの共同駅・・・という事実をご存知の方は案外少なかったりして)。

Dscn3316ここから外宮へは歩いても10分かからないところ。参道は石畳が整備されているものの、昔ながらの風情を残す旅館や商店も残る。

Dscn3318外宮に到着。こちらは豊受大御神を祀る。衣食住の恵みを与える、いわば産業の守護神の総元締めのようなもの。「商売繁盛は、こちらの守備範囲だと言えます」などと言いながら境内に入っていく。

さて、伊勢神宮と言えば最近は「パワースポット」としてその名が広がっている。それを感じない奴は人にあらずとでも言わんばかりの風潮があり、いくらお伊勢参りが日本人にとって特別なものであるという伝統があるにしても、そうした意味で伊勢神宮を崇めるようになった傾向はこの数年ではないだろうか。少なくとも東海道中膝栗毛の弥次喜多のお二人はそんな「パワースポット」などとはこれっぽっちも思わなかっただろう。

何だかその言葉に違和感を覚えるのは私だけだろうか。

伊勢神宮としては公式には「パワースポットなどというのはありません」というスタンスである。でも、いかに民間信仰とはいえ、そういう言葉が出てくるというのは、21世紀型の伊勢信仰とでもいうべきものだろう。個人的にはそういう「ブーム」というのは不快に感じるのだが、実際にはそれはそれで認めざるを得ないかな。そもそも、江戸時代あたりから起こった、猫も杓子もお伊勢参りするとか、子どもが奉公先を抜け出して道中の人たちからもらいものをしながら伊勢に行く「抜け参り」とか、それらも「ブーム」の現れなのだろう。信仰する人しない人、単なる旅好きにミーハー、浅はかな連中を全て包み込むのが伊勢神宮の懐の深さというものか・・・。

Dscn3321そのパワースポットとして知られる一つに三ツ石というのがある。正殿を見るところにあり、しめ縄で囲っているものだから余計に有難みを増している。小銭が奉納されているのでこれはお賽銭かと思い、三ツ石の真ん中を狙って私も投げる。見事真ん中にヒットしたが、後で考えれば「そういうことをする輩がおるから、三ツ石の存在も間違って広まってしまう」という行いだった。でも石はほのかに暖かい。

Dscn3322Dscn3333ということで、遷宮したばかりの外宮正殿に参拝する。祈祷を受けるというのは内宮で行おうということで支店長とも話したので、ここは普通の参拝客と同じような形式に止める。まずは20年を経過した元の正殿を見る。神様が新しいところに遷ったということで、こちらは言わば昔のお住まい。それはもう役目を終えたということで開けっぴろげである。神殿の「中」を見ることのできる数少ない機会ということでカメラを構える人が多い。

Dscn3326一方で真新しい感じの新たな正殿。大勢の人が押しかけているのでゆっくりと手を合わせるというわけにはいかないが、合間に見る清々しさというのは、やはり伊勢神宮は特別なものと思わせる。

Dscn3328この後は別宮に当たる多賀宮、風宮、土宮をまわる。正殿だけではなく別宮もお参りする人が多く、特に石段の上にある多賀宮は途中渋滞ということにもなった。別宮といっても外宮の境内にあっては有難みが増すようである。

境内を一通り回り、外宮の門前に戻る。時刻は10時前ということで、これからいよいよ参拝客も増える時間帯である。そのラッシュを前に落ち着いた感じで外宮参拝することができてよかった。

Dscn3334支店長の声で、内宮への移動前に外宮前の赤福で小休止。「ぜんざい」の文字に魅かれてのことであるが、餅は外がパリッとあぶられたもの、そして餡子は赤福餅と同じ材料。普段ぜんざいを食べることのない私も、その甘味というのはなかなか良いものに思えた。うーん、私の場合などは、石やら何やらでパワースポットとやらに接するよりも、がっつりしたものをいただいて直接的にパワーを得たほうがより効果的なのかな・・・と思ってしまう。そういう考えでパワースポット大好きの女性と価値観を共有できるか?と訊かれれば辛いのだが・・・・。

Dscn3335内宮へは外宮との循環ルートのバスで移動ととなる。ただ運のよいことに、臨時の、外宮と内宮をノンストップで結ぶバスがあった。こちらに乗り込み、内宮を目指す。実は今回、外宮から内宮への移動時の混雑というのがもっとも心配だったのだが、それも杞憂に終わりそうである。遷宮のフィーバーも一段落した、ということだろうか・・・?

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伊勢神宮祈願参拝・前段

2013年11月17日 | 旅行記D・東海北陸

今年は20年に一度の遷宮の儀が行われたこともあり、伊勢神宮が改めて注目されている。特に近鉄にとっては絶好の稼ぎ時、大々的な観光キャンペーンを展開して、新型特急「しまかぜ」や観光列車「つどい」の運行開始など、力を入れているところである。

10月に遷宮の儀が執り行われ、内宮、外宮とも新たな建物で参拝客を迎えている。私も久しく伊勢神宮には参拝していないし、遷宮の年などはいい機会だなと思っていたのだが、一方では「土日などは大変な混雑ぶりではないか」ということで行けずにいる状況である(一方で、夏から秋にかけて実施している「サイコロしりとり」では、さすがにお伊勢さんはテリトリーに入っておらず・・・)。

さて話は変わって私の職場。どうもこのところ、現場での物損事故や交通事故が続いている。ケガ人が出たとか、新聞沙汰になるような大きなものになっていないのはまだ幸いだが、ハインリッヒの法則ということもあるし、このままズルズルと行ったのではいずれは大きな事故につながるかもしれない。

職場でも事例を出して注意喚起をしているし、事故を受けて原因究明や再発防止策を皆で考えたりしている。ただ、多くが物理的な要因や構造上の欠陥というよりは、その人の「ちょっとした不注意」「思い込み」「確認不足」というところから来ているだけに、再発防止策もその人に確認の徹底を促すくらいしかないというのが正直なところである。支店としても上部機関からも目をつけられることで悩ましいところである。

中には「縁起悪いから、お祓いとか祈祷とかやってもらったらええんとちゃいますか?」という意見も出た。さすがに「再発防止策の報告書」にはそのようなことは書けないが、人の気持ちに何か拠り所を求めるのならばそういうことも必要だろう。職場にも神を祀っており、従来から商売繁盛は伏見のお稲荷さんに、そして災難消除は成田山不動尊のお札にお願いしている。ただ、「これまでとは違ったこともやったほうがいいな」という支店長の意向もあり、まずはもっと地元に根差したことをやろうということで、職場のある地区の氏神を祀る神社で月初めにお祓いをしてもらうことになった。

ということで、そのお願いに私と上司で神社を訪ねたのが15日の金曜日のこと。そこでいろいろとお話を訊く中で、「神様の総元締めである天照大神を中心にお祀りしなければ」ということが出た。

あぎゃっ、そういえばあの棚には天照大神はなかったな・・・。「これは伊勢神宮にお札をいただきに行かないといけませんな」ということを上司と話す。

そして帰って上司から支店長にその報告をしたところ、その直後、支店長から直々に「まつなる、明日(16日)、伊勢神宮に行こう」と。

あまりにも急なことだし、実は16日は予定で入れていたことがあったので一瞬返答に詰まったのだが・・・・、そこは気持ちを前向きにとらまえて、同行することで返答した。支店長は讃岐の金毘羅さんが地元なのだが、伊勢神宮には参拝したことがないとのこと。上司はどうしても外せない予定があり、鉄道のこんなことばっかりやっている私に、列車の設定や現地歴史案内ということで指名があったものと考える。16日なら暦も天候もよいということでの即断である。

まあ、私としても、思ってもみなかったことがきっかけで、遷宮したばかりの伊勢神宮に参拝する機会をいただけるということで、段々と「こういう出張なら私が」という気持ちになってきた(ちなみに予定というのは、この日臨時に運転されたある列車に乗るというものだったが・・・)。

Dscn3314土日は恐らく出かける客が多いだろうとネットで列車を調べると、8時台以降の列車は軒並み満席。結局7時過ぎに難波を出発する特急に落ち着き、15日の夜に前売りで購入。16日早朝、支店長と駅で合流する。思わぬ形での「公式参拝」ということになるが、まずは大和、伊賀の朝靄を突っ切り、好天の伊勢平野へと繰り出した・・・・(続く)。

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今シーズンも、伊藤嘉昭農園

2013年11月16日 | ブログ

以前の記事で、大学時代の友人たちとともに、和歌山は有田でみかん農園を営む伊藤嘉昭農園を訪ねたことに触れた。

10年目を迎えるということでそろそろ農業界の中堅どころにさしかかるのだろうが、少しずつ農園を広げ、また肥料を中心に品種の改良も進め、その味はなかなかのものである。また、結婚を機会に、奥さんは実際の畑にはほとんど出ないそうだが、女性ならではのPRであったり商品づくりであったりと才媛ぶりを発揮しており、今後より一層の繁栄に期待したいところである。

Dscn3311さて、そんな農園からこのたび採れたてのみかんを送っていただいた。先日のお礼??ということではないが、早速実家のほうでも食べてもらう。そろそろみかんがほしくなっていた頃ということで、すっかり定番となっている。

この夏は連日の酷暑、そして台風の襲来と厳しい季節だった。そんな中、収穫もどうかと危ぶまれていた中で何とか出荷にこぎつけたという。ご夫婦の愛情の賜物とも言えるし、よく自然の風雨にさらされながらも鍛え上げられた??みかんたちの地力というものもある。土壌、肥料をしっかりとこしらえているから、多少のコンディションの変化にも余裕を持って対応できるのだろう。

Dscn3291農業を取り巻く環境というのは決して楽ではないし、またしてもTPPのことなど考えてしまうが、熱意と愛情があればきっとうまく続くだろう。これからが本格的な出荷シーズンということで忙しくなるが頑張ってほしい。また、今度は「お客」として改めて買い求めることにしよう・・・。

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李大浩退団

2013年11月14日 | プロ野球(バファローズ・NPB)
まあ、こうなることはファン諸氏も思っていたから、ああそうですかという感じだが。

それにしても、「その程度の条件と金額では日本に残ってる理由はありません」とはね。何をのぼせあがっとんねん。不動(動かない、動けない)の4番が。

まあ、言いたいことはいろいろあるが、それをまともに書くと私が彼の国の方々から簀巻きにされて大和川に浮かんでしまうので書かない。ただ退団は仕方ないとして、そんな言い草はないんとちゃうの?

それならまだ黙って出ていけよ。

球団史上、最悪の外国人選手やね。もう彼の国から選手取るのやめましょう。



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開けて~閉めて~開けて~閉めて~開けて~閉めたら入れない!

2013年11月13日 | ブログ

別にしょーもない吉本芸人のことを取り上げるわけではないのだが・・・。

ただ、そんなしょーもないギャグを連想させてしまったのが、諫早湾の干拓事業を巡るあれやこれやである。諫早湾の入り江に建造された巨大な堤防の、その排水門を開けるのか、閉めるのかの争いが長年に亘り続いている。開けたら農業への悪影響が出るし、閉めたら漁業への悪影響が出る。またこれについて、高裁の判断を地裁が覆すというようなわけのわからない判例も出ており、結局のところどっちがどうやねんというところである。

「干拓」という言葉は、例えば秋田の八郎潟とか、岡山の児島・水島地区のように、学校の社会科で教わったように、平坦な土地を確保して稲作や、あるいは工業団地の形成いうことで結構前向きな取り組みとして取り上げられていた。

ところが最近は、海の幸が以前ほど獲れなくなったということから、こうした開発に対して負のイメージを持つ人が増えている。中でも大きな問題となっているのが、福岡、佐賀、長崎の3県に面した有明海である。

最近では無秩序に国土の開発を進めてきた政府(あるいは自民党)への批判が高まっており、果たして原状復帰か、そこまでなくても環境に配慮したレベルまで持ってこれるのか、当事者でなければわからない。ここは司法で2つの相反する判断が出たのだから、後は地元の人たちが正々堂々と議論をすればよいことだと思う。水門を開けるのか、一旦開けたものはきちんと取り扱うのか・・・。

吉田ヒロのように、「開けて~閉めて~」と繰り返した挙句、結論が「入れない!」ではシャレにならないのだが・・・・。

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また今年も鉄道に関する引退廃止記事が・・・

2013年11月11日 | ブログ

例年秋口というのはプロ野球での引退、戦力外通告、FA宣言、トレード・・・といったいわゆるストーブリーグの話題が出る頃。出る人、入る人、さまざまである。

同じように話題が出るのが鉄道に関することであるが、こちらは「新線開業」「新車投入」以上に、毎年出るのが「ナントカ線の廃止」「ナントカ系車両の引退」「夜行列車ナントカ号がなくなる」・・・ということ。

このところ明らかになった主なものだけでも、岩手の岩泉線廃止、青函トンネルの海底駅の閉鎖ということがあるが、やはり一番インパクトがあったのが「ブルートレインの廃止」ではないだろうか。

現在定期便で残る夜行列車自体、北斗星、はまなす、あけぼの、サンライズ出雲・瀬戸というところで、毎日運転ではないが定期に準じて運転するのがカシオペアとトワイライトエクスプレス。これらについて、あけぼのが2014年春での廃止、北斗星、カシオペア、トワイライトエクスプレスも2015年で廃止ということになりそうだ。はまなすはニュースには出ていなかったが、おそらく北斗星などと同じタイミングでの廃止だろう。

大きな要因は北海道新幹線の開通である。とりあえずは函館まで先行開業のようだが、青函トンネルを新幹線が通るというのが目玉であり、夜行列車などはもうその役割を終えたということだろう。まあ、時代の流れ、需要の変化ということを考えれば仕方のないことだろう。

一「乗り鉄」とすれば「夜行列車」「ブルートレイン」の廃止というのは淋しい話題だが、ならばお前は頻繁にそれらを利用していたのかと尋ねられれば、首を振ってしまう。確かにお別れの乗車や、廃止する列車を駅のホームに見に行ったことはあるが、別にそれがなくなったからと言って実生活に支障が出たということはない。もしその地域に行く必要があるのなら、仕方ないことだが前の日から先乗りして前泊するか、早朝の飛行機で飛んで時間のロスを最小限に食い止めるかである。

夜行バス・・・「水曜どうでしょう」ならば「深夜バス」の名で過酷な乗り物として描かれるところだが、現在となってはサイコロの目になるくらい各方面に出ているもので、私は苦手だが特定層の利用客にはなくてはならない交通手段となっている(あの番組が「深夜バス」の存在感を知らしめたかどうかは別として)。

さて、私の沿線である近鉄でも、しまかぜや観光列車「つどい」登場とか伊勢志摩ライナーのリニューアルという話題がある一方で、この秋にはかつての特急型の名車両が引退するという。そのお別れ乗車の日帰りツアーもあるということで、できればどんなものか見てみたい。これもまた、歴史の1ページに立ち会うということになるのかな・・・・?

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関西私鉄「サイコロしりとり」の旅・2013秋1-4

2013年11月10日 | 鉄道企画もの

「サイコロしりとり」は、関西の駅の五十音順で最初に来る相川に到着。ちなみに日本の駅で五十音順で最初に来るのは相生(山陽線)と相老(東武、わたらせ渓谷鉄道)となる。

Dscn3270相川、近くには安威川(あいがわ)という川が流れている。また駅の少し西のほうで神崎川と合流するのだが、なぜかここからは細い方の神崎川を名乗る。相川という地名、駅名は、安威川という川の名前と、2つの川が合流するところから来ているのかな、と勝手に想像する。

この駅の東側の改札から外に出ると、放射線状に道が伸びている。信号がないのでクルマが曲がるのが大変そうに思うが、信号をつけるとかえって渋滞してしまうのだろう。

Dscn3271駅前は学びのエリアになっており、大阪高校、そしてその奥には大阪成蹊大学、短期大学、女子高校が並ぶ。成蹊といえば今の安部総理大臣が成蹊大学出身とのことだが、あちら東京の成蹊大学と大阪成蹊大学は別に姉妹校ということでもないようだ。「成蹊」という言葉は中国の「史記」にある「桃李不言、下自成蹊」という一節から出たもので、「徳のある人のところには、だまっていても人が集まる」ということの例えである。こちら大阪成蹊は「徳があり、人に慕われ、信頼される人を育てること」というのが建学の精神という。

学生もそこそこ歩いているし、学生向けのアパートや飲食店もあるところ。私の名前にも多少通じるところがある大学であり、この中から数多くの「徳のある人」が出ますように。

さてこの正門前での次なるサイコロであるが、「あいかわ」の終わりは「わ」。ということは、ゴールの渡辺橋に向けてのチャンスである(逆に、サイコロ一振りでこの企画が終了してしまう可能性があったから、出発をこの相川にしなかったのだが・・・)。というころでラインアップ。

1.若江岩田(近鉄奈良線)・・・東大阪ね。

2.和歌山港(南海本線)・・・ここまで来ると徳島に渡りたくなる。

3.和歌山市(南海本線)・・・和歌山の中心駅。

4.和歌山大学前(南海本線)・・・大学つながりというのもありか。

5.渡辺橋(京阪中之島線)・・・いよいよゴールなるか??

6.振り直し

・・・5が出ればゴールで企画終了ということになるが、その前に3つ、和歌山の駅が並ぶ。そういう土地だからそうなるのだが、うまくそれをかいくぐれるか。

そして出た目は・・・・3、和歌山市である。うーん、企画終了ならず。それでも「わ」で始まる駅に行っておけばその後の選択肢が少しずつ狭まって、いずれは終了するからいいか(その前に何度も和歌山まで行ったり来たりするのはどうかと思うが)。

相川から和歌山市、ということは先ほど通って来た阪急~地下鉄堺筋線~天下茶屋から南海本線という、同じルートをたどることになる。天下茶屋からは急行が先着するということで乗り込み、眠気防止のために先頭部に陣取る。大阪の下町から紀州街道沿いのそれぞれの街並みを見る。海も右手に広がるようになった。

Dscn3272孝子峠を越えて、紀ノ川が見えるようになると和歌山市である。大阪から隣の県であるが、はるばるやって来たという感じがする。峠を越えるということや、この和歌山市を北の玄関口としてその向こうに延々と広がる山と海・・・というのがそう思わせるのかもしれない。同じくらいか、それより遠い姫路や滋賀県に行くのでも「ちょっとしたお出かけ」の感覚だが、和歌山に行くとなると「南への旅」の要素が強くなるように思う(あくまで個人的な印象)。

Dscn3273さて和歌山市となれば和歌山城にぶらくり町に和歌山ラーメン・・・いろいろ出てくる。何やかんやで時刻は16時半を回っており、ここから北上するとしてもおそらく次回に繰り越しとなるだろう。ならばいっそのことこちらで南紀の魚とともに一杯・・・と行きたいところだが、この日は夜に所用で大阪市内に戻っていなければならないためそれは無理。30分ごとに出る特急「サザン」に乗ることを前提としても、和歌山市での滞在時間は長くない。

Dscn3275ならばせめて、ということで、和歌山市駅から1キロほどの和歌山城の下まで歩く。時間的に天守閣に上がるのは無理なので、市役所の前から天守閣を仰ぎ見る。またの機会に、今度は夜の部込みで来てみたいものである。

ということで、次回の最初の駅を決めるための選択肢である。いずれにしても自宅からそこに向かうわけだが、「し」で始まるラインアップ。

1.山陽塩屋(山陽電車)・・・須磨の海を見に行くか。

2.飾磨(山陽電車)・・・和歌山から姫路に飛ぶのもなかなかの長距離。

3.信貴山口(近鉄信貴線)・・・山の反対側の信貴山下は出たことがある。

4.七条(京阪本線)・・・京都の中心部、なかなか行く機会がない。

5.七道(南海本線)・・・おっと、帰り道か。もしここが出れば帰りに降りる。

6.四宮(京阪京津線)・・・京津線の車庫のある駅。

思わぬ七道という選択肢が出た。もしここなら特急「サザン」は堺で下車して行くことにする。そうなると次回のスタート駅がまた変わることになる。

ということで出した目は・・・・6の四宮。京都は山科である。

Dscn3278さて乗車するのは17時30分発の特急「サザン48号」。一日のうちに、「ラピート」と「サザン」という、南海のエース2枚に乗ることになった。ある意味「乗り鉄」三昧である。おまけにこの「サザン」は新型の「サザンプレミアム」である。

Dscn3281先ほどの「ラピート」が関西空港を利用する旅行者を意識した造りに対して、こちら「サザン」はビジネス色が強い。パソコンの使用や携帯端末の充電使用にも対応した座席ごとのコンセント、耐久性のあるテーブル。また座席の背丈も高く、前の人の頭部も隠れる設計だし、プラズマクラスターも天井部に設置されている。一歩前の設計で、これだけを見ると「南海電車はガタゴト電車、近鉄電車は2階建て」というかつての藤井寺球場のヤジも逆転してしまう。

外はすっかり暗くなり、後はシートの心地よさに任せてなんばまで戻る。

さて、もう少しのところでゴールを逃した今回のお出かけ、この先本当に「駅のお百度」ということになるか、まだまだ続くことになる。次は京都山科から・・・・。

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