まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

神仏霊場巡拝の道~結局神戸でのBs大花火大会は・・

2024年07月29日 | 神仏霊場巡拝の道

7月21日、京都・善峯寺の参詣後に阪急東向日駅前の餃子の王将で昼呑みとした後、JRの向日町から新大阪に向かう。この日購入した乗車券は「彦根~広島市内」で、新大阪から新幹線経由としている。

元々今回の神仏霊場めぐりは、21日16時試合開始のほっともっとフィールド神戸でのバファローズ対イーグルス戦が目当てで、関西に遠征するなら札所めぐりの続きということで滋賀まで向かったものだ。

ただ、その滋賀・湖東シリーズもいろいろあって積み残し、またいつか出かけることになった。そしてこの日も、善峯寺を訪ねて西国三十三所の4巡目も進めることができたが、何せこの暑さである。この先、神戸での試合は16時開始だが、周りを緑に囲まれているとはいえ、屋外でまだ猛暑の名残が残っていることだろう。試合終了後には年に一度の「Bs大花火大会」が行われるが・・。

向日町から快速で新大阪に向かう中、「もう、新大阪からこのまま広島に戻ろう」という気になった。乗車券を新大阪から新幹線経由としたのは、新神戸でいったん下車して地下鉄乗り換えで総合運動公園に向かい、試合終了後は新神戸まで戻ってそのまま新幹線で広島に戻るつもりで、新神戸から広島まで遅い時間の「のぞみ」指定席を確保していた。ただ、よく考えれば広島に戻る時間も遅くなるし、翌朝からの仕事のことを考えると体力も温存したい。

・・・ということで、せっかく確保したチケットはそのままにして、「のぞみ」指定席も新大阪~広島に変更とした。新大阪13時41分発「のぞみ27号」である。ただ、空席検索を見ても指定席はほぼ満席とある。

そこで、往路と同じく7号車の「S Workシート」に目をつける。ただこちらも窓側は満席。ただ、中央部の「S Work Pシート」には窓側にも空席あり。距離関係なく追加料金が1200円かかるが、これも面白いだろうと変更をかける。

「S Work Pシート」は、3人掛けシートのB席にパーティション、ドリンクホルダーをかぶせる形で仕切り、「より広く快適にお仕事したい方」向けのシートである。この日の私は「お仕事」ではないが、ビジネス以外で利用してはいけないわけではない。

こうして身を置いてみると、この車両じたいが単身での利用を前提としているためか、実に静かである。また、パーティションがあるだけでもパーソナルスペースを確保した感じがあり、これなら通路側C席に相客がいたとしてもお互い気にならなくてよいだろう。車内を見渡してもビジネス利用とおぼしき方はほとんどいないが、7号車の特性を知ったうえで最初から予約した旅慣れた感じの方が多いように見える。

往路に乗車した通常の「S Workシート」とは異なり、目の前のテーブルは手前に引き出してパソコンの操作に適した角度にすることができる。へぇぇ。

「のぞみ27号」の広島までの停車駅は新神戸、岡山のみという最速タイプ。快適な時間もあっという間に過ぎて15時02分、広島に到着。

・・・結局、神戸での試合が始まる16時少し前に自宅に戻った。中継のJ SPORTSにチャンネルを合わせると、ちょうど試合開始前の神戸の真夏の暑いスタンドが映されていた。

この試合、バファローズの先発は佐藤。しかし初回から乱調で、2回表終了時点で6対0。バファローズはその裏に2点返すも、3回表にイーグルスが2点追加し、8対2と序盤で大きくリードする。いや~、猛暑の中、こうしたゲームを観せられたのでは厳しいだろう。

結局その後もイーグルスが得点を重ね、結局12対5で大勝。投手交代も多く試合時間もそれなりにかかり、試合終了後のBs大花火大会は20時10分頃開始とあった。J SPORTSでは、通常の試合中継を延長する形で、解説・坂口智隆、実況・大前一樹の両氏により大花火大会も中継する。

そして、満月とともに花火である。選手の登場曲、ファンからのリクエスト曲が流れる中で打ちあがる。

まあ、これでよかったのかなと思う。そのまま現地で観戦していれば、猛暑の中でバファローズのボロ負けを見ることになったし、その後の花火も帰りの時間を気にしながらとなっただろう・・。

ちなみにこの21日の試合がオールスター戦、いわゆる前半戦の最終戦となったが、バファローズは神戸でのイーグルス3連戦3連敗、その前のライオンズ戦と合わせて4連敗で終了。花火の際には大前氏、坂口氏から「これでオールスター休みもあるのでリセットして・・」と後半戦の巻き返しを期待するコメントもあった。

・・・で、オールスター戦明け最初の福岡でのホークス3連戦だったが、バファローズはいずれも完敗で3連敗。これで合計7連敗、力ない・・・。

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京都5番「善峯寺」~神仏霊場巡拝の道・107(朝から暑い~)

2024年07月28日 | 神仏霊場巡拝の道

7月21日、彦根で朝を迎える。昨日からそうだったのだが、ホテルの部屋の窓から東海道線の線路が見え、列車のコトコトいう走行音も時折聞こえる。早朝の時間帯は長い走行音が相次ぐ。貨物列車だ。JR貨物の一般コンテナが雑然と積まれているかと思えば、福山通運や西濃運輸のコンテナが何両も続く景色も圧巻である。

朝風呂、バイキング形式の朝食を済ませる。

さてこの日は、前日訪ねるのを断念した湖東の札所を回ることも考えたが、結局は次回以降にするとして、あみだくじで出た京都5番・善峯寺に向かう。善峯寺は西国三十三所の札所でもあり、終盤に差し掛かった4巡目を進めることができる。

結局彦根城は駅コンコースからの遠景として、彦根8時07分発の新快速で京都まで一気に移動する。京都で普通に乗り換え、向日町で下車。ちょうど橋上駅化に向けた工事中である。

改札を出ると見覚えのあるQRコード。JR西日本の「駅からはじまる西国三十三所デジタルスタンプラリー」だが、あれ、今年の3月末で終了したのではなかったか。その終了に間に合うように神仏霊場巡拝の道めぐりの行程を組んだこともあったが・・。JR西日本の「JRおでかけネット」によると、この7月1日から2026年3月31日まで、JR西日本アプリ「WESTER」から参加できるとある。このスタンプラリーも紙からデジタルに移行しながら続いているが、西国三十三所開創1300年記念行事の後でも、JR、西国三十三所札所会としては参詣者を呼び込む効果があると判断したのだろう。

さて善峯寺へは向日町から阪急バスで行くのだが、橋上駅化工事にともないコインロッカーが撤去されている。善峯寺はバス停から坂道を上るので身軽になりたかったのだが、幸い、少し歩いた阪急の東向日にはコインロッカーがあるので移動する。

今回の目的地は善峯寺だが、神仏霊場の札所としては京都6番・大原野神社がある。こちらにも行くべきかどうかちょっと考える。これから乗るバスの系統としては、善峯寺行きの他に、南春日町経由洛西バスターミナル行きというのがあり、途中の灰方で分かれる。以前、西国四十九薬師めぐりでは、西国三十三所としての善峯寺を訪ねた後、灰方で下車し、南春日町に行くバスの時間までかなりあったので歩いて勝持寺、正法寺を回った際、大原野神社にも立ち寄っている。だから今回も行こうと思えば行けるのだが・・。

善峯寺行きのバスに乗車。トレッキングらしき人の姿も見える。この先、大阪府との境にあるポンポン山を経由して高槻方面に抜けるルートがある。

灰方を過ぎ、手前の小塩を過ぎて上りとなる。

善峯寺に到着。ここから山門まで距離にすれば300メートルほどだが九十九折の参道である。駐車場は山門近くにあるのだから、バス停もそちらに設ければよいと思うのだが・・。

暑い中、参道を上る。その間からは京都の市街地もちらりと見える。

善峯寺が開かれたのは平安時代中期。源信の弟子である源算が千手観音を本尊とし、後一条天皇の勅願寺となった。その後、鎌倉、室町時代には法親王が入ったことから西山門跡とも呼ばれ、多くの僧坊を抱えていたが、応仁の乱に巻き込まれるなどして伽藍の大半を失った。

現在の形で再建されたのは江戸中期、5代将軍・徳川綱吉の母・桂昌院による。桂昌院は仏教への信仰が篤く、京都の様々な寺院の再建に尽力している。綱吉が「生類憐みの令」を出すにいたったのも、こうした母の影響があったかもしれない。

本堂に向かい、さてお勤めをしようと準備すると、境内に西国三十三所めぐりの団体がやって来るのが見える。ここは先に朱印をいただいておいたほうがよさそうだ・・。

神仏霊場、そして西国三十三所の先達用納経軸に朱印をいただく。なお、これまでのJR西日本のデジタルスタンプラリーでは、オリジナルの散華を紙でいただいていたが、この4月から新たに始まったデジタルスタンプラリーは、この散華を境内設置のQRコードで読み取るシステムとなっている。このデジタル散華が全て貯まってエントリーすると、紙の散華が貼られた台紙が進呈されるという。まあ今の時代、こうしたデジタルのほうがとっつきやすい面はある。そのうち、朱印じたいもデジタルでいただく時代が来るのかもしれないなあ・・。

私が朱印をいただいている間に団体は本堂の中に入ってのお勤め。それが済むと外に出て、やはり納経所に列ができる。団体の場合、一般の朱印帳は添乗員が取りまとめて先に納経所に持ち込めるが、先達用納経軸は先達自らがいただくルールとなっている。「○○先達」の袈裟巻をつけている人が目立ち、結構熟練した方たちの集まりのようだ。その方々と入れ替わる形で本堂の中に入り、改めてお参りする。

この後は、奥の院を含めた庭園めぐりである。今でも3万坪(プロの野球場2個分)の広さを持つ境内、しかも奥の院まで上りが続くことで、より暑さを感じる。樹齢600年の遊龍の松から多宝塔、経堂を通る。

桂昌院の遺髪を納めた廟所もある。

善峯寺を開いた源算作とされる釈迦如来を祀る釈迦堂に着く。この辺りまで来ると他の参詣者の姿は見えず、団体も寺の滞在時間が限られているためか、先ほどの遊龍の松あたりで引き返したようだ。

奥の院の薬師堂に向かう。その手前には「悠仁親王お印」の高野槇というのがある。これまで訪ねた中で、この高野槇に気づいたのは初めてである。

そして最後のひと踏ん張り、薬師堂に到着。手水では手だけではなく腕にも水をかける。

そして、改めての眺望である。遠くは比叡山の奥の比良山地、東山、果ては大和の葛城山までを見渡すことができる。この景色が見られるのが善峯寺の楽しみである。周囲を山に囲まれた京都にあって、ここ善峯寺は数少ない初日の出スポットとして知られており、元旦には特別に6時30分から入山できるとある。一度見てみたいものだが当然バスは走っていないし、クルマで行くにしても渋滞でたどり着けるかどうか・・。

これで、前日のあみだくじで出た目的地の善峯寺をクリアしたが、この後どうするか。結局、大原野神社も次回以降に訪ねるとして、改めてあみだくじで次の行き先を決めよう。

あみだくじの前の予選くじ引きでは・・

・西明寺(滋賀4番)

・大念仏寺(大阪5番)

・法隆寺(奈良13番)

・多賀大社(滋賀1番)

・叡福寺(大阪16番)

・道成寺(和歌山6番)

・・・何やねん、前日に集中豪雨のためパスした西明寺、多賀大社の2つが入って来るとは。これは滋賀からの呼び戻しのメッセージか・・。

その中であみだくじアプリが示したのは・・道成寺。意表をついた和歌山編である。そうなると、同じ和歌山以南に残っている藤白神社とのセットで訪ねる形になりそうだ。滋賀についてはまた季節を変えて・・。

薬師堂で折り返し、庭園などの帰路をたどって本堂前に戻る。

ちょうどバスの時間に合うように戻る。向日町からのバスが到着し、ここで折り返しとなる。途中の道幅の狭い区間での周囲確認や、折り返しのための誘導のため、乗務員がもう一人ついている。バスに乗り込むとエアコンがギンギンに効いていて、逆サウナ状態である。もう、灰方で下車して改めて大原野神社に向かうことはなくなったから、そのまま阪急東向日まで涼んで行くことにしよう・・。

時刻はちょうど昼。もう、今回の打ち上げでいいでしょう・・ということで目に留まったのは、東向日駅前にある餃子の王将。拙ブログで最近登場した餃子の王将といえば「鹿児島王将」だが、こちらは本家の「京都王将」である。

そして餃子、生ビール。歩いたといっても善峯寺の境内一周だけのことだが、アップダウンもあったし、これも札所めぐりの楽しみということでいいだろう。餃子以外にも他に注文し、これで整うことができた。

コインロッカーから荷物を取り出し、JRの向日町まで戻り快速の加古川行きに乗る。この後は新大阪で新幹線に乗り換え、新神戸で下車してほっともっとフィールド神戸に向かうことに・・・。

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神仏霊場巡拝の道~彦根にて一献・・はちょっとやりすぎたか

2024年07月27日 | 神仏霊場巡拝の道

7月20日の神仏霊場巡拝の道めぐりは途中の札所で朱印がいただけなかったり、突然の大雨に遭ったために思うように進まず、結局湖東にはまたいつか来ることにして終了。宿泊地の彦根に着き、東口にあるトヨタレンタカーにてクルマを返却し、東西の自由通路を通る。

この通路からは、かつて石田三成の居城だった佐和山城が向こうにあり、そして手前には近江鉄道の駅と車庫が広がる。明日、近江鉄道でまず多賀大社まで行き、さらに八日市を経て近江八幡に出ようかとも考えたが、先ほどのあみだくじで出た京都・向日市の善峯寺に行くことにする。西国三十三所の4巡目も終盤なので・・。

そして西口からは彦根城の天守閣も見える。彦根まで来たのだから国宝の名城を訪ねるべきなのだろうが、まあ以前にも行っているし・・。

駅前では彦根藩初代の井伊直政の像が出迎える。武田氏の滅亡後、かつて仕えていた武将たちを受け入れたことで「井伊の赤備え」としてその名を挙げた武将である。その「赤備え」を今に受け継ぐのが「ひこにゃん」・・?

その向こう、平和堂の外壁には「大相撲彦根場所」の看板が見える。関西から西日本にかけての秋巡業で、横綱照ノ富士の顔も見える。駅のコンコースにポスターが貼られていたが、横綱照ノ富士のほか、大関の琴櫻、豊昇龍、貴景勝、さらに大関陥落後の霧島が並ぶ。巡業が決まった時は霧島もまだ大関だったのだろう。その中で目玉なのが、彦根出身の枝川親方(元・蒼樹山)。

・・この記事を書いている時点で大相撲名古屋場所も終盤だが、カド番の大関・貴景勝は負け越して大関陥落が決定、そして1場所での大関復帰を目指していた霧島も10勝に届くことがなくなった。一方で一気に上がって来た大の里や、新三役で勝ち越した平戸海といった若手もいるわけで、10月の彦根場所はさぞ賑わうことだろう。

この日の宿泊は駅前のABホテル。朝食、大浴場つきということで選択した。予定を早く切り上げたため、しばらくは部屋でゆっくりしよう。ということで1階の大浴場に向かう。北海道から九州までの各地の名湯を本物のような入浴感で楽しめるとあるが、さすがに源泉をそこから汲んできたわけではなく、その成分を分析して入浴剤で再現しているのかな。ちなみにこの日の名湯は「白浜の湯」。

湯上がりには部屋で大相撲中継を観戦。ちょうど窓の外には広い駐車場が広がり(元々はいろいろな建物があったのだろう)、その向こうにJRの線路が見える。さすが東海道線で、この先翌朝まで列車の走行音を聞くことになる。8両の快速、12両の新快速、さらには25両の貨物列車も通る。

結びの一番で横綱照ノ富士が勝ったのを見届けて、外に出る。この日の一献である。事前にいくつかの店を予約しようとしたが、満席、あるいはおひとり様お断りという状況で特に決めずに来た次第。

そんな中、駅前にほど近いところに大衆酒場を見つけた。「丸又食堂 旭町スタンド」。面白そうなので入ってみる。立ち飲み仕様に見えるがそれぞれに椅子が用意されている。

ジョッキには○に又の文字が入る。同じ紋様の看板が店内にあり、「文政十一年創業 味噌醤油醸造所」とある。文政年間といえば今から約200年前、中山道の愛知川宿で創業した醤油屋である。この「旭町スタンド」は、コロナ禍で活気が失われた彦根駅前に賑わいを取り戻すのと、縮小する醤油市場を新規事業で活性化させたいということで開業し、昼は十割そば、そして夜は大衆酒場として客を呼んでいる。

メニューもそこそこある中、一番人気の近江牛のすじ煮込みをいただく。そういえばこの日近江八幡を出発した後、近江牛を扱う業者の看板をあちこちで見た際に、「近江牛をいただくことはできるのか」としたが、リーズナブルな煮込みで出会えたことにする。

カレー味のポテサラに味噌キャベツ。この辺りも含めて大衆酒場らしい。

店名を冠した「丸又ハイボール」や、「びわ湖ハイボール」というのもいただく。後者の「びわ湖ハイボール」とは、琵琶湖ブルーをイメージしたラムネ色のシロップを使った一品。

これもこの店名物という串カツを何品かいただく。そして最後は漬物の盛り合わせ。こちらの醤油を使った一品だ。

これで一次会は終了として、ふと隣には「近江ちゃんぽん亭」がある。近江ちゃんぽんは彦根の「麺家をかべ」発祥とされており、長崎のちゃんぽんとはまた別の美味さがある。野菜や肉もしっかり摂れる理想的な一品と言える。

ホテルに戻り、ふたたびの入浴。

落ち着いたところで、先ほど道の駅で購入した鮒ずしを取り出す。鮒ずしといえば好き嫌いが分かれる品物の一つだが、私は好き。これをいただくと滋賀に来たと実感するが、居酒屋ならどこにでもあるというものではなく、手にするなら道の駅や、それこそ地元スーパーの平和堂が確実だ。

しかるべく飲み、いろいろなものをいただいた。まずは滋賀県で一夜を過ごしたことを良しとして、翌21日は京都、そして花火ナイターが行われる神戸へ・・・。

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滋賀3番「金剛輪寺」~神仏霊場巡拝の道・106(千体地蔵に願いを込めた後には・・)

2024年07月26日 | 神仏霊場巡拝の道

神仏霊場巡拝の道は湖東シリーズとして先ほど湖東三山の一つ、百済寺を訪ねたが、朱印の書き手がいない「書き置きの日」ということで参詣を断念。「明日なら書き手がいる予定」とのことだが、公共交通機関でのアクセスは難しく、かといって改めて明日レンタカーを借りるのもどうかと思う。まあ、もう一度滋賀に来る機会ができたと思うことにしよう。

気を取り直して、同じ湖東三山の一つで、今回のあみだくじの目的地である金剛輪寺に向かう。百済寺からは5~6キロほどで、国道307号線に出てしばらく走ると間もなく到着する。

名神高速の湖東三山パーキングエリア、スマートインターの横を過ぎる。そういえば以前、西国四十九薬師めぐりでこの先の西明寺を訪ねた時、レンタカーで湖東三山のスマートインターで下車した。その時にも金剛輪寺へ続く交差点を過ぎたのだが、この時は湖東三山を回るというよりは西国薬師めぐりがメインで、西明寺の後は桑實寺や善水寺などを急いで回った。

金剛輪寺の駐車場に到着。「聖観音」の大きな提灯がかかる総門をくぐる。石垣と青紅葉が並ぶ参道を歩くと受付に着く。ここでは境内の参詣ルートについて案内してくれる。特に予習もせずに訪ねたのだが、ここから本堂までは徒歩10数分の参道が続くという。その間には「千体地蔵」が祀られているそうだ。また金剛輪寺は桃山時代~江戸時代にかけて整備された庭園も知られており、本堂とどちらが先でも構わないので鑑賞するよう案内される。

まずは青紅葉の参道を進み、西谷堂に着く。阪神淡路大震災の犠牲者への供養塔もある。

庭園の入口に着き、ここから本堂まで上り道となる。参道の両側に千体地蔵が祀られており、一つ一つに番号が振られている。千番からカウントダウンとなり、「一〇〇〇 金剛輪寺」とある。この先は奉納した方の名前が刻まれ、一つ一つの前には風車が供えられている。いつ頃からこうした千体地蔵となったのだろうか。

かと思えば、参道の脇には番号こそ振られていないが多数の地蔵像が祀られている。参道の千体地蔵と比べてどちらが先に祀られたのだろうか。

地蔵像をカウントダウンしながら進むが、結構長い階段が続く。

10分あまりで、本堂に続く最後の階段に着く。地蔵像もとうとう最後の一番となったが、そこにある名前を見て驚いた。「武村正義」とある。この方、滋賀県知事や大蔵大臣、内閣官房長官など務め、「新党さきがけ」の代表でもあったあの武村さんなのか。

千体地蔵の第1番がこの方の名前ということは、何らかの形で関わったのかな。もっともそれは政治家としてではなく(政教分離の原則もあるので)、あくまで地元の一市民としての奉納であったということで・・。

階段を上がると二天門に到着。ちょうどこの頃、木々の向こうで雷らしいごろごろいう音が聞こえるようになる。

金剛輪寺の歴史は奈良時代、聖武天皇の勅願で行基が開創したという、多くの寺院に見られるもの。一方で近江に移り住んだ渡来系の人たちにもゆかりがあるともされている。平安時代に慈覚大師円仁により再興され、現在の本堂は国宝で、鎌倉時代、元寇に勝った記念として近江の守護・佐々木(六角)頼綱により建立されたとある。

本堂に上がる。まずは外陣でのお勤めとして、開放されている内陣にも入る。本尊は行基作とされる秘仏の聖観音像で、厨子の周りは四天王像、阿弥陀如来像が守護するかのように鎮座する。またその奥には慈恵大師や十一面観音、大黒天などさまざまな仏像が並ぶ。湖東三山は戦国の兵火の被害に遭ったところだが、金剛輪寺については本堂が山深いところに建っていたため被害が及ばなかったという。そのため多くの仏像が残されることになった。

内陣を一回りした後、無事に朱印をいただく。

さて本堂を出ると、雨が降り出した。やはり先ほどの雷鳴は雨を呼んでいたのか。朝、広島を出た時に雨が降っていたので折り畳み傘を差し、その後リュックに入れて邪魔にも感じていたが、ここで雨が降り傘を開くことになるとは、湖東三山が意地悪しているようにも守ってくれているようにも思われる。

千体地蔵の並ぶ階段を下り、名勝庭園に向かう。金剛輪寺の本坊・明寿院の庭園である。ただ、ここでは雨の中の鑑賞である。

湖東三山ということで、金剛輪寺も紅葉の名所である。ここまでの参道、そしてこの庭園は紅葉の時季には多くの人で賑わうそうだ。まあ今回は急な雨の中での鑑賞となったが・・。

さてこの先だが、すぐ近くには西明寺がある。ただ、先ほど百済寺が次回以降に繰り越しとなったことから、雨の中、西明寺をめぐることもないかなという気になった(以前に西国四十九薬師めぐりで訪ねたこともあるし)。ならば、宿泊地の彦根に向かうことにして、途中経由する多賀大社には行っておこうか・・。

そのまま国道307号線を走り、休憩のため道の駅「せせらぎの里こうら(甲良)」に立ち寄った。滋賀の土産もいろいろある。鮒ずし、ちゃんとありますねえ・・・これは今夜の彦根のホテルで晩酌のあてとしましょう。

・・・ここで買い物を終えて外に出ると、先ほどの小雨から一転、豪雨となっていた。油断して傘をレンタカーの中に置いていたため、駐車場を横切るだけでずぶ濡れになった。

この先クルマを進めて多賀大社に到着したが、外は豪雨のまま。少し待てば止むのかもしれないが、もう今日はいいかなという気になった。結局この日は近江八幡から彦根までのルートで、永源寺、金剛輪寺の2ヶ所をめぐって終了である。湖東には百済寺、西明寺、多賀大社、そして近江八幡には日牟禮八幡宮が残ることになり、この先まだまだ楽しめそうだ。

多賀大社を過ぎ、コンビニの駐車場にいったん立ち寄り、ここで次の行き先を決めるあみだくじとする。くじ引きアプリによるエントリーは・・

・天龍寺(京都8番)

・四条畷神社(大阪20番)

・阿倍野神社(大阪3番)

・仁和寺(京都12番)

・善峯寺(京都5番)

・根来寺(和歌山9番)

翌21日はほっともっとフィールド神戸で16時開始のバファローズ対イーグルス戦観戦を予定しており、午前中~午後早くまで時間が取れる。和歌山の根来寺以外であれば1ヶ所に立ち寄り、その次の行き先を決めることができそうだ。

そして出たのは・・・善峯寺。西国三十三所第20番で、西国4巡目の終盤で数少ない残り札所である。彦根からならJRで向日町まで行き、そして参詣後に神戸に移動する時間は十分に取れそうだ。

湖東シリーズを終え、翌日の行き先もとりあえず決めた。・・・ということでクルマが彦根の市街地に近づくと、先ほどまでの勢いがウソのように雨が上がった。今や夏場にはどこで発生してもおかしくない急な豪雨。やはり、何かおちょくられているような気分だ・・・。

予定よりも早く、彦根駅東口近くのトヨタレンタカーに到着。後は、宿泊では初めてとなるこの地でゆっくりするか・・・。

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滋賀9番「百済寺」~神仏霊場巡拝の道・・・まさかの「これを何と読む!」

2024年07月25日 | 神仏霊場巡拝の道

7月20日、神仏霊場巡拝の道は湖東シリーズである。まずは永源寺を訪ね、これから湖東三山の百済寺、金剛禅寺、西明寺を順番に回る。遅めの出発のため、レンタカーを使える時間も限られるがどうだろうか。

湖東三山とは琵琶湖の東に並ぶ天台宗の古刹で、永源寺ともども紅葉の名所として知られる。室町時代には敏満寺、大覚寺と合わせて湖東五山と呼ばれていたが、その後の戦乱による衰退~復興の中で広い寺域を保った3つの寺院が湖東三山となった。

さてレンタカーは愛知川沿いから鈴鹿山脈の西を進み、湖東三山の看板も見える。まず目指すのは百済寺である。

百済寺への石標もあり、集落を抜けて山道を上る。そして駐車場に到着。暑い中である。

百済寺は1400年以上前、聖徳太子により開かれたとある。寺の名前に「百済」とあるから朝鮮半島とも関係あるのかなと思うが、聖徳太子が近江を訪ねた時、この地の山中に不思議な光を見たので行ってみると杉の霊木があった。その木で十一面観音を彫り、お堂を建てたのが始まりである。木の上半分が百済の龍雲寺で東向きに安置されたことから、寺に「百済」の名前がついたという。聖徳太子の伝説がどこまで真実かはさておき、渡来系の人たちの氏寺として開創、発展したとされており、天台宗の比叡山延暦寺が開かれた後はその勢力下に入った。

「百済寺三百坊跡図」という看板がある。平安から中世にかけて、先ほど走って来た山道の一帯に多数の僧坊を有していたが、その後は火災や兵火のために焼失と復興を繰り返した。この時代の寺院はどこも受難の時代である。室町時代の明応年代の火災で本堂等を焼失した後、朝廷に再建を願い出る文書の中に、伽藍、諸堂その他合わせて三百坊を有していたとの記述があった。昭和になって遺跡調査が行われ、これらの坊の存在も確認されたそうだ。

・・・と、ここまで札所の歴史について書いたのはいいが、門をくぐり受付に向かう。朱印受付とあったので神仏霊場の朱印帳を差し出すと、係の方が「申し訳ないんですが・・」とした後、「今日は書き置きの日です」という。え?書き置きの日って・・。

話によると、この日は午前中まで書き手がいらっしゃったようだが、その方が不在で午後は書き置き対応になったという。「明日はいてると思うんですが・・」というがどうだろうか。これが書き置き、バインダー方式の札所めぐりなら何とも思わないが、神仏霊場については直書きにこだわりたい(だからといって、目の前の方に書いてくれというわけにもいかない)。

まあ、これまでにも正月や大型連休の時の訪問で「書き置きのみの対応」という文字を見せられ「これを何と読む!」という対応もあり出直すことになった札所もある。参詣だけしてもよかったが、参詣前の受付でこうした対応となってしまってはお参りも改めての機会でいいかな・・。明日か・・明日どうするか・・。

百済寺は公共交通機関で訪ねるには決して至便ではないところにあり、時刻表による事前のシミュレーションが必須のようだ。

気を取り直して、今回のあみだくじでの目的地である金剛禅寺に向かうことに・・・。

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滋賀8番「永源寺」~神仏霊場巡拝の道・105(クールジャパンはここにも)

2024年07月24日 | 神仏霊場巡拝の道

今回の神仏霊場巡拝の道めぐり、当初の予定から遅くなって午後からのスタートだが、近江八幡でレンタカーに乗り、午後の半日で彦根に向かう。

その途中の札所、特に公共交通機関だと不便なところをレンタカーで回れればと思う。予定では滋賀8番・永源寺、9番・百済寺、そしてあみだくじの目的地である3番・金剛禅寺、拝観時間に間に合えば4番・西明寺まで押さえられるかなというつもり。

時刻は12時15分すぎ、トヨタレンタカーを出発し、まずは永源寺に向かう。近江八幡からは約25キロである。近江鉄道の八日市行きに近いところを走るが、沿線には近江牛の看板がいろいろ並ぶ。一口に近江といっても範囲は広いが、かつてこの辺りを領有した蒲生氏郷や豊臣秀次が牛馬の畜産を奨励し、江戸時代に彦根藩の井伊氏も太鼓用の牛革確保の名目で畜産を行い、そこから出た肉を食べることを黙認したことが現在の近江牛のルーツという。

・・だた、こうして看板にひかれるが、今回、近江牛を口にする機会はあるのかどうか。いや、別に豪華なステーキやしゃぶしゃぶをいただこうというのではないが・・。

国道421号線に入り、八日市の街中や名神高速のインターを過ぎ、永源寺の看板を見る。

最後は愛知川にかかる橋を渡り、無料の駐車場に到着。「永源禅寺」の石柱と看板があり、いよいよ参詣である。

外は厳しい暑さだが、愛知川に注ぐ水路を渡る石橋に立つとほんのわずかだが涼しい風が流れてくる。

しばらく参道が続く。石段の途中には眼鏡をかけた石像が現れ、ドキッとする。どなたか特定の方をモデルにしたのだろうが、私の身近にいる方によく似ていて・・。そして上がりきると十六羅漢像が並ぶ。

総門をくぐったところに券売機があり、ここで入山料を納める。そして出た紙のきっぷをこの先の納経所に出すようにとある。何だか手間に見えるが。永源寺は紅葉の名所として知られるところで、その時季には多くの参詣者で賑わうのだろう。ここに券売機があるのも混雑緩和の狙いがあるのかな。

紅葉の名所とは真逆の真夏の暑さの中だが、「青紅葉」というのも悪くない。もっとも、5月の初夏あたりなら「青紅葉」という形容もありだが、この暑さで「青」も濃いものに感じられる・・。

受付で紙のきっぷ、そして朱印帳も差し出し、先に神仏霊場の朱印をいただく。

永源寺が開かれたのは南北朝時代。近江の守護である佐々木(六角)氏頼が、美作出身で鎌倉や元などで修行を積んだ禅僧・寂室元光を招いたのが始まりである。その後は多くの僧が集まり多くの支院も持ったが、戦火により焼失、衰退した。後に同じ臨済宗の妙心寺や彦根藩などの支援で再興し、明治以降は永源寺派として独立し、大本山となった。

本堂にあたる方丈は江戸時代中期、井伊氏の援助で建立されたもの。まずは広間にあがり、お勤めとする。

ここ永源寺は「クールジャパン」の取り組みにも貢献しているようだ。インバウンド向けの「源 ROOTS OF JAPAN 永源寺エリア 日本の原風景を訪ねて」という動画が、CJPF(クールジャパン官民連携プラットフォームという、いかにもうさんくさげな団体の名称)アウォードのムービー部門でグランプリを獲得したという。

気温30度を軽く超える中での「クールジャパン」か・・・。「クールジャパン」、「クールジャパン」という、上からの押し付け言葉を聞くと、別の意味で「寒さ」を感じる・・・・もっとも身体はちっとも涼しくならないが。

ただこの暑い中、永源寺には良い意味での涼しさを感じさせるスポットがあった。風穴である。現在は石垣で綴じられているとはいえ、その隙間から冷風が漂ってくる。昔は食料の貯蔵庫として使われていたそうだ。

これ以外にも手水の水は冷たいし、やはり山に近く、昔から愛知川の恵みとともにあった地である。近隣の名物として、水を活かしたイワナなどの川魚、こんにゃくなども有名だという。

まずは最初の札所を押さえ、次はそのまま県道を伝って湖東三山の一つである百済寺に向かう・・・。

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神仏霊場巡拝の道~ペナントレース前半最終戦は神戸での「Bs大花火大会2024」

2024年07月23日 | 神仏霊場巡拝の道

NPBプロ野球は7月21日の試合で前半戦終了。まあ厳密にいえば公式戦143試合のうち半数以上の90試合近くを消化しているのだが、7月下旬のオールスター戦が一つの区切りである。

オールスター第1戦はファイターズの本拠地・エスコンフィールド。前半の健闘もありファイターズの選手も多数ファン投票等で選出されているが、先発・山﨑福也が2番・DHという二刀流での登場、さらにファイターズの選手がそれぞれ歴代のユニフォームを身にまとうなど、オールスターならではの演出である(かつての「日拓ホームフライヤーズ」の「七色のユニフォーム」をオマージュしたかのようだ)。もっとも、その山﨑は2回に9失点と完全にのされてしまったのだが・・。

さて、前半戦のパ・リーグはホークスが2位マリーンズに10ゲーム差で独走状態。そこにマリーンズ、ファイターズ、イーグルスが続き、その後ろを前年まで3連覇のバファローズが置かれ、さらに大きく引き離れてライオンズという順位。バファローズも前半は連勝を伸ばした時期もあったが、投打に故障者が相次ぎ、残された打線も打たずつながらず、さらに頼みの投手陣も先発・リリーフとも昨年とはがらりと入れ替わるなどいろいろあり、借金5、首位ホークスとは15.5ゲーム差、4位のイーグルスとも3.5ゲーム差の5位での折り返しとなった。まあ、まだクライマックスシリーズ進出には望みがあるかなというところ。

その前半戦の最終戦が21日の神戸でのイーグルス戦。この日は16時開始、そして試合終了後には神戸での最大イベント「Bs大花火大会」が行われる。今季神戸での観戦はまだだったこともあり、思い立った時には前売りチケットがほぼ完売だったのだが、そこはリセールサイトを通して指定席を確保することができた。

・・・そしてここからが本題なのだが、神戸に行くのなら試合と組み合わせて、神仏霊場巡拝の道である。前回6月、山科の毘沙門堂でのあみだくじで出たのが、滋賀3番・金剛輪寺である。

ただこの金剛輪寺、湖東三山の一つである名刹なのだが、公共交通機関だと結構難所である。鉄道からは遠く、公式ホームページによるとJRの稲枝駅から予約型乗り合いタクシーで行くとある。まあ、そういう乗り物を体験するのも悪くないが・・。

地図を見ると、湖東地区は他にも未訪の寺社がある。札所番号は省略するが、近江八幡には以前に「朱印が書き置きのみ」との理由でカウントしなかった日牟禮八幡宮、永源寺、そして湖東三山の百済寺、西明寺、さらに多賀大社がある。乗り合いタクシーではなく、新幹線~東海道線でアクセスし、レンタカーを組み合わせれば一度に回れそうだ。

ということで、試合前日の20日早朝に広島を出発し、まずは近江八幡に到着。ここでレンタカーを借りて、駅から近い日牟禮八幡宮は後回しでもいいから、公共交通機関不便な永源寺、百済寺、金剛輪寺、西明寺を優先し、これも近江鉄道で行ける多賀大社も後でいいかなとする。そしてレンタカーを彦根で乗り捨てて1泊。翌21日は近江鉄道沿線の多賀大社、日牟禮八幡宮を優先するか、あるいはあみだくじで行き先を変えるかはその時次第として、午後には神戸に向けて移動、16時からの試合観戦、そして試合終了後の大花火大会という流れだ。もっとも、花火が試合終了30分後ということは、その試合展開によっては開始が遅くなることもあり、帰りの新神戸からの新幹線が大丈夫かという懸念はあるのだが、一応、新神戸から広島まで遅めの「のぞみ」指定席は確保した。

さて20日早朝に新幹線に乗るところ、朝一番で広島でこなさなければならない用事ができた。指定席を後の時間に変更する必要があるのだが、土曜日朝ということもあり、京都までの「のぞみ」の普通車は窓側席は満席、空席も3人掛けの通路側か、真ん中の席がぽつぽつある程度。

ただその中、7号車の「S Work」車両に目が留まる。今は「e5489」からでも座席指定予約ができる。不思議とこの車両だけ窓側席も空いていたが、やはり特別な席として敬遠されているのだろう。私も普通車の指定席と同料金で利用できると知ったのはこれが初めてで、ビジネス利用とはいえないが空席なら確保しよう・・・。

乗車したのは広島9時12分発臨時「のぞみ120号」。7号車の2人掛け席に向かう。ここで目立つのは3人掛け席の真ん中をパーティションで区切った「S Work Pシート」。7号車じたい、周りに気兼ねすることなくビジネスに必要なパソコン操作や携帯電話での会話が可能な車両ということで人気だが、さすがに土曜日となるとそうした需要も低くなるか。

今回利用したE席じたいは通常のN700系と変わることはないが(N700Sなので座席のひじ掛け一つ一つにコンセントがある)、単独利用のビジネス客が主なターゲットとあってか、インバウンドの客もおらず室内も静かで(客同士の歓談や座席を転換しての利用はご遠慮とある)、結構快適な移動となった。

もっとも、私もごくたまに出張で新幹線に乗ることはあるが、その道中で仕事用のパソコンを開けることはしない。せっかくの新幹線車内、車窓を見ながらゆったりしたいものである。パソコンを開けるとすれば発車前、あるいは到着後の構内のビジネスコーナーか、コーヒー店か、はたまた別料金でコワーキングスペースを使うくらい・・。

新大阪を過ぎ、京都に到着。相変わらず国内外の客でごった返す中、京都から東海道線に乗り換え、まずは近江八幡に到着。

昔ながらの町並みや長命寺方面に続く北口(2023~2024年の年越しもこの地だった)とは逆の南口、駅直結のイオンを過ぎて(滋賀はイオンと平和堂の激戦区です)、しばらく歩いたところのトヨタレンタカーに到着。時刻は12時を回ったところで、彦根での返却は18時予定なので利用時間は6時間。

出発を遅らせた時点でこの日訪ねるスポットは限られることになり、近江鉄道でもカバーできる日牟禮八幡宮と多賀大社は後回しにして、永源寺と湖東三山は大丈夫かな・・という思いで出発する。この日のパートナーはトヨタレンタカーおなじみのヤリス・・・。

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D51使用の「SLやまぐち号」は雨の中力強く・・

2024年07月22日 | 旅行記F・中国

7月15日、山口線を行く「SLやまぐち号」に乗車。この日は九州から中国地方にかけて雨模様で、山口県内も宇部線、岩徳線が終日運転見合わせ。そんな中、「SLやまぐち号」は無事に新山口を出発し、上り勾配の区間を過ぎて篠目に到着。

ただ、ここで雨脚が強まり、しばらく様子見となる。扉は半自動扱いとなる。ここでホームの様子を見ようとデジカメをポケットから取り出したのはいいが、手元から落としてしまう。ただ打ち所が悪かったか、電源は入るが作動しなくなった。・・・うーん、コンパクトで使いやすい機種(しかも単3乾電池で動く)で気に入っていたが残念。現在使っているのは同型式の2台目だが、すでに製造終了の型式のため、次を入手するならネットショッピング、あるいはオークション頼みとなる・・。

この先はスマホのカメラ。今や画質ならコンデジよりスマホのほうがきれいだが・・。

私が落としたデジカメ相手にうんうんやっている間に雨脚も落ち着いたようで、20分あまり遅れての発車となる。しかし安全のため、この先、長門峡を過ぎて三谷までは速度を落として運転するという。感覚として、中国山地のローカル線で線路保守のために行われている時速25キロ徐行のようだ。ただその分、沿線で傘を手に、あるいは雨合羽姿でカメラを構える人たちにはゆったり走るD51ということでサービスカットになったのではないかな。こうした雨の汽車旅というのも悪くはない。

三谷を通過し、停車駅である地福に到着。本来のダイヤならここでしばらく停車してD51の撮影タイムなのだが、ここまで遅れていることもあり、すぐに発車する。ホームにはすぐの発車を惜しみつつ見送る人の姿が目立つ。

この後はりんご園が広がる徳佐を過ぎ、船平山トンネルで県境を越える。

津和野の町並みが広がる、途中、三谷までの徐行で遅れは広がったが、地福での停車時間をカットしたためか、篠目時点での約20分遅れまで回復し、津和野に到着できた。

「SLやまぐち号」はしばらく停車し、到着後の記念撮影タイムである。蒸気機関車の型式もいろいろあるが、D51は「デゴイチ」の愛称もあり、今の子どもたちも含めてC57よりも知名度、親しみがあるのではないかと思う。C57が「貴婦人」なら、D51は何だろう・・・貧乏だけど働き者のおっちゃんおばちゃん??

いったん駅の外に出る。この日の復路は13時58分発の「スーパーおき3号」。津和野観光や、復路の「SLやまぐち号」にはこだわらず、そのまま折り返して広島に戻ることにする。ダイヤも少しずつ回復しているようだ。

「スーパーおき3号」に乗車。この列車は鳥取発新山口行きで、山陰線~山口線を5時間半近くかけて走り抜ける。以前、鳥取から新山口まで通しで乗ったことがあるが、在来線特急として乗りごたえがある列車である。

ここで遅めの昼食とする。津和野駅構内で売られていたのが「特製鮎飯辨當」。しめじなどが入った炊き込みご飯の上に鮎の塩焼きが一尾。これに合わせるのは、駅前の土産物店で購入した津和野蔵元の「華泉」。300mlの冷酒だが、「車内でどうぞ」と紙コップをつけてくれる。

・・・あとはこれをちびりちびりとやるうちに・・・「スーパーおき3号」は間もなく新山口に到着。数時間前、途中の沿線が大雨に見合われていたのがウソのようで、後はそのまま新幹線で広島に戻る・・・。

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D51使用の「SLやまぐち号」に乗りに行く

2024年07月19日 | 旅行記F・中国

7月中旬の3連休、いろいろな所用があったのだが15日の海の日は体が空くことに。さてどうしようか・・。

このところ、日帰りで中国・四国への「乗り鉄」も楽しんでいるが、山口県が少しご無沙汰である。そこで思いついたのが、「SLやまぐち号」の乗車である。「SLやまぐち号」といいつつも、2022年に肝心の蒸気機関車C57、D51に故障が相次ぎ、それ以降はディーゼル機関車DD51が牽引する「DLやまぐち号」として運転された。まあ、機関車が牽引する客車列車に乗ることじたいが今や貴重な体験で、それはそれで人気を博していた。

その「SLやまぐち号」、今年5月の連休からD51の牽引で復活したという。ここは一つ行ってみようか・・。

ただ、九州北部から山口県、さらには中国山地にかけては大雨の影響で運転見合わせ、あるいは終日計画運休の路線が目立つ。15日も雨予報で、山口県内でも岩徳線、宇部線、錦川鉄道などで計画運休とある。ちょっと出かけるのがためらわれるが、山口線は運行のようだ。ネット予約の指定席を別の日に変更しようかと「e5489」を検索するが、8月中旬まで軒並み満席である。これは当初の購入どおり15日に行くべしということとして、広島から新幹線に乗る。

新山口到着。小雨である。ただ、ホワイトボードには列車運休のお知らせ。山間部を走る岩徳線が運転を見合わせるのはわかるが、近郊区間を行く宇部線が全線運休というのは・・?

その後、「SLやまぐち号」車内での飲食物を仕入れたり、種田山頭火の像を見たりする。

さてホームに下りると、すでに大勢の人が「SLやまぐち号」の入線を待っている。ここはいったん、入線する1番線の隣、2番線のホームに向かう。こちらからのほうが、列車全体、そしてD51の動輪も含めた姿を見るのに適している。

D51が押す形で、展望車を先頭に客車が入線する。そして後ろ向きに姿を現したD51。

私にとって、この機関車が単独で牽引する列車に乗るのは初めてではないかと思う。かつて「貴婦人」とも称されたC57 1号機はもはや現役復帰は難しいとされる中、もう一人のベテランが元気に戻った形である。

発車前の一時、雨にも関わらずホームは賑わう。D51を前に記念撮影する人も多いが、ちょうどこの日はクラブツーリズム、そして阪急交通社による日帰りツアーが企画されていたようだ。各地から新山口に集結し、「SLやまぐち号」に乗車。そして津和野での豪華昼食とフリータイムの後、帰りは特急「スーパーおき」に乗るというプラン。

停車中の客車を一通り回る。前寄りの4号車、ここはほぼツアー客で占められた車両だが、車内に入るとやけに熱気・・というより蒸し暑さを感じる。その時はツアー客たちの熱気のせいかと思ったが、発車後の車内放送で、この車両の空調が故障していたとあった。車内温度調整のために窓を開けて外の涼しい風を入れてください・・とあったが、外は雨だし、またこの先トンネルの多い区間では煤煙が入らないように窓を閉めろと言われる有様。

さて私が陣取ったのは3号車。こちらにもツアー客の一部が出ていたが、乗車前の空席検索を見るに、なぜか私のいるボックスだけ他の相客なし。図らずして、津和野までボックスを貸し切る形で行くことになる。よしよし。

10時54分、遠くで汽笛が鳴る中、ガタリという客車独特の初動で発車する。ホームからは大勢の見物客からの見送りを受ける。まずは湯田温泉を経て山口まで、国道9号線とも並走し住宅地が並ぶ中を走る。沿線の人たちも「SLやまぐち号」の到着時刻を見計らって家の前に出て手を振る。

湯田温泉を経て山口に停車。新山口から乗って湯田温泉、山口で下車する人もいれば、湯田温泉、山口から乗車する人もいる。湯田温泉や山口から乗って津和野に向かうならともかく、新山口から乗って湯田温泉、山口で下車とは何とも贅沢な乗り方だと思う。というのが、2024年3月以降、「SLやまぐち号」についてはそれまで普通車の指定席料金が530円だったのが1680円、グリーン車の指定席料金が1000円だったのが2500円と一気に倍以上跳ねあがったからである。普通車の指定席料金は、新山口~津和野間の特急「スーパーおき」とほぼ同額である。このところさまざまなものの値上げが家計を直撃して・・と報じられるが、「SLやまぐち号」については、あくまで「快速」列車の扱いだったから指定席、グリーン料金もその水準だったが、やはり蒸気機関車の維持管理の費用を考えればここまでの値上げも致し方ないだろう。ツアー客、個人客それぞれでほぼ満席だし、沿線の撮り鉄を含めて外からの客を誘致できているから・・。

山口から宮野を過ぎると、最高25パーミルの上り勾配に差し掛かる。同じ山口市内ではあるが国境をまたぐかのようである。D51は急に速度を落とすが、その分力を入れるために蒸気が吐き出される。そして定番スポット、あるいはゲリラ的スポットで多くのスナイパー・・もとい撮り鉄どもが出没する。全身ずぶ濡れになりながらこの車体を追いかける様って、正直何なん??

その上り勾配で一息つくのが仁保。ここでは給水のほか、石炭を機関室に近い位置に寄せる作業のため数分停車する。ここに来て雨も本降りとなる中、作業が進められる。蒸気機関車を動かすということはこうした作業がついてくることでもあり、それを考えると「SLやまぐち号」に特別な料金が設けられるのもこのご時世、むしろ正当なことではないかと思う。

改めて窓を閉めるよう案内があり、仁保から篠目へと高度を上げる。そして、かつての給水塔も残る篠目に到着。ここで、津和野方面からの特急と行き違う。

この時は単に「特急と行き違いか」とくらいにしか思っていなかったが、改めて時刻表を見ると、行き違ったのは米子発新山口行きの「スーパーおき1号」。大雨の影響で大きく遅れており、篠目到着時点では3時間近く遅れていたものと思われる。

そして、われらが「SLやまぐち号」も篠目で予定以上に長く停車する。ちょうど雨脚も強まって来た。さすがにこの小さい駅で運行を取りやめるとは思わないが、この先津和野への到着は遅れることになる。同じ車両にいたツアー客の添乗員が電話をかけている。おそらく相手はこの先ツアーの津和野到着後、昼食場所として手配している料理屋だろう。

山間の小駅に蒸気機関車に牽引された客車が佇むというのも、昔の汽車旅好きにはたまらない光景だろう・・・。

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髙島屋岡山でビアガーデンのはずが・・・結局はミシュラン居酒屋へ

2024年07月18日 | 旅行記G・四国

7月7日、早朝、広島から呉に移動して松山への「シーパセオ」に乗船し、JR松山駅前で温泉、そして生ビールをあおり、予讃線~瀬戸大橋線と乗り継いだ。広島から岡山に向かうのに、わざわざ瀬戸内海を渡って四国の鉄道も楽しむという、なんとも欲張りな一日である。

瀬戸大橋を渡る。広島から松山にかけての区間とはまた違った島々の景色である。

児島に到着。ここからは時間つぶしを兼ねて鈍行に乗り換えてもよかったが(次の岡山行きは新型227系だった)、そのまま特急で乗り通す。松山から3時間弱の鉄道旅で岡山に到着。

さて、向かいの津山線ホームにはキハ47の旧国鉄急行色「ノスタルジー号」編成が停まっている。16時27分発の津山行きに充てられる。実をいうと、今回乗り鉄で岡山に行くに当たり、広島から山陽線で倉敷、以後、伯備線~姫新線~津山線をたどることも考えていた。中国地方のローカル線をたどるのもこのご時世貴重な体験である。

さて、目指す髙島屋岡山店のビアガーデンの開店は17時である。少し時間があるのでとりあえず駅前に出る。路面電車の乗り入れ工事のため、駅前のシンボルだった桃太郎像も一時撤去されている。どこに行ったのやら。

・・さて、私が岡山に来るといえば・・・あのミシュラン居酒屋「鳥好」だろう。今回あえてその手前にある髙島屋のビアガーデンを予約したのだが、やはり現地に来るとのぞきたくなる。「鳥好」は16時開店。ただし、これまでの経験上、16時開店に並んだものの予約客の多さでかろうじてテーブル相席で座れたとか、ふらりと訪ねて満席だったこともある。

カウンターに空席があった。

申し訳ないが、ここで連絡して髙島屋のビアガーデンは取り消し。まあ、昼の松山で大ジョッキをあおったり、実は「しおかぜ20号」の車内でもささやかな飲み鉄をしていたので、飲み放題の元を取らなければ・・となってしまうビアガーデンは別に今日でなくてもよいかなと。それよりも岡山の人気店「鳥好」を選択した形だが、この店もこれまで何回訪ねたことやら・・。

早い時間からカウンターはもとよりテーブルも埋まり、座敷には予約のグループが次々やって来る。

とはいえ、注文するものはだいたいパターン化されている。とり酢に始まり、刺身盛り合わせ、煮込み、焼き鳥串盛り合わせ・・。回によってはそこにしゃこ酢やままかり酢が入ることもある。

この日は変わったところで石もち唐揚げをいただく。イシモチとは標準名ではテンジクダイだが、広島の中でも備後ではテベラと呼ばれる。カウンターに座った初老の男性が「イシモチって何ね?」と若い店員に訪ねたが、店員も「何ね?」と訊かれて戸惑う様子。そこで「テベラですよ」と助け舟を出すと、男性はうなずく様子。備前と備後、それほど文化圏としては変わらないと思うのだが・・(むしろ、同じ広島県にあって安芸と備後というのは似て非なるところがあり・・)。

そして、私が「鳥好」に来た時の締めは「のりくらっち」。今回ここに新たにイカの塩辛をセットする。これで味わいの幅が格段に広がった。この塩辛、クラッカーによし、チーズによし。そして複合するとなおよし。さすが塩辛、ご飯はもとよりじゃがバターにも相対するだけのことはある。次回の「鳥好」での一献の抑えは新たに強力な一枚を加えたこのカルテットに尽きるだろう・・・。

・・ビアガーデンはまた来ることもあるだろう。という一方で、「岡山は鳥好に限る」は今後も続くのだろう。

この後は岡山駅に戻り、新幹線で広島へ。この距離・時間だし、「のぞみ」利用でもわざわざ指定席にこだわらず、自由席の通路側で十分だ。

・・・さてこの日(7月7日)は、「七夕決戦」となる東京都知事選挙の投開票日だった。自宅に戻った直後に20時を迎え、現職の小池知事の当選確実が報じられた。その後、前の安芸高田市長だった石丸氏が2位に入ったことで世の注目を受けるようになったのは皆さんご存知のとおりである。これは都市部における既存政党への批判の受け皿になったと言われている。

その一方、先般九州八十八ヶ所百八霊場めぐりで訪ねていた鹿児島の知事選挙も同日に投開票が行われ、こちらも20時の時点で現職の塩田知事の当選確実が報じられた。鹿児島では他に2名の女性候補が立候補し、「鹿児島県初の女性知事を」と訴えていたが、やはり壁は高かったようである。うーん、地方においては依然この構図は変わらないのだろう・・。

そして2024年は世界的に見て「選挙の年」である。台湾の総統選挙に始まり、ロシアではプーチン大統領が予定通りの圧勝、その一方でフランスの下院選挙では極右政党が第1回投票で最多の得票を集めたとか、イギリスでは政権交代、イランでは航空事故で亡くなった後の大統領選挙で改革派が勝利。日本では上記の都知事選の後は、自民党総裁、民主党代表の選挙(この結果が日本に及ぼす影響はほとんどないだろうが)、そしてアメリカ大統領選挙である。

その大統領選挙で、遊説中に銃撃を受けたものの右耳の負傷だけでカムバックしたトランプ前大統領の立ち居振る舞いがアメリカの象徴として人気である。あ、やはり現代の社会が求めているのは「こういうリーダー」なのだなと、改めて感じる次第である・・・。

(そりゃそうと、今の与野党問わず、トランプ氏に対して正面切って話ができる「政治屋」っているのかな・・・。同じ利権にまみれるなら、もっと堂々と大胆にやれや!・・と言いたくなるくらい、日本の「政治屋」はみみっちい!!!)

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特急「しおかぜ」で予讃線から瀬戸大橋を渡る

2024年07月17日 | 旅行記G・四国

松山駅前の「喜助の湯」に浸かった後、松山13時26分発「しおかぜ20号」に乗る。この列車の岡山着は16時11分。駅前のビアガーデンの開店前だが、駅前で少しゆっくりして、それから繰り込めば・・というつもりだった。「しおかぜ20号」にも十分な空席がある。

改札口の向こうのホームに赤と黄色の車体が見える。観光列車「伊予灘ものがたり」である。JR四国の中でも人気の列車で、私はリニューアル前、キハ47改造の「伊予灘ものがたり」には一度乗車したことがあるが、現在のキハ185系になってからはまだである。これから出発するのは13時31分発の「八幡浜編」で、車内ではフレンチのミニコースをいただくことができる。伊予市~伊予長浜間は「愛ある伊予灘線」を経由し、海沿いの景色で知られる下灘駅にも停車し、八幡浜には15時50分の到着である。本日は満員御礼だが、この列車で松山から八幡浜まで往復した場合、松山から広島には最終のスーパージェットで何とか帰宅できそうだ。またいずれ乗ってみたいものである。

さてその向こうには高架ホームが姿を見せつつある。今年の9月29日に開業予定で、完成時には自動改札機の導入や、高架下には飲食、物販のテナントも入る。その一方で現在のじゃこ天うどんのコーナーはどうなるだろうか・・。

「しおかぜ20号」が5両、その前に2両編成の高松行き「いしづち20号」をつなぎ、合計7両で発車。在来線特急にある程度長い時間乗車するのも楽しいものである。発車直前、同じホームの先に宇和島からの「宇和海14号」が到着し、同一ホームでの乗り換えが行われる。これも高架ホームになると対面乗り換えとなる模様だ。

まずは松山の市街地を抜け、堀江、そして伊予北条から瀬戸内海沿いを走る。伊予北条の沖合いには鹿島があり、渡し船が出ている。島では海水浴や釣り、展望台からの景色を楽しむことができるが、野生および飼育の鹿も生息している。以前、四国八十八ヶ所めぐりの際に立ち寄った時、柵の向こうに野生の鹿も姿を見せていたのを覚えている。

先ほどフェリーで通った景色を四国側から見る形で走る。SOLATO(太陽石油)の製油所や新来島どっくの工場設備も車窓の一つである。

今治が近づき、岡山理科大学今治キャンパスも見える。こう書くと別にどうということもないのだが、「加計学園獣医学部」と読み替えると、「そういえば」と思い出す方もいらっしゃるのではないだろうか。一時期、「森友・加計(モリカケ)問題」として、当時の安倍政権への攻撃材料になっていたあれである。文書改ざんを強要された財務局職員が自殺したり、国や大阪府などの補助金をだまし取ったとして理事長夫妻が逮捕された森友問題はともかく、加計問題とは結局何がどうなったのやらよくわからない。加計学園の理事長が安倍首相の友人で、獣医学部キャンパスができたのは「最初から加計ありき」「忖度」とかいろいろ言われていたが・・。その獣医学部も今年の春、初めての卒業生が誕生したそうである。その卒業生の心境はいかがなものだろうか。

今治からは東予地区に入る。石鎚山や、予讃線沿線の四国札所を回ったのも懐かしいところだ。現在のところ、四国八十八ヶ所の2巡目を行おうという予定はないが、何らかの形でまた四国一周をしてみたいものだ。

水のきれいな町で知られる伊予西条といえばアサヒビール四国工場があり、併設のビール園でビールとジンギスカンをいただいたことがある。ただこちらはビール需要の減少にともなう生産体制の見直しにより、2023年1月に閉鎖となった。

さてここからだが、ちょうど心持がよくなるタイミングだったか、ウトウトしたようだ。

気づけば横に長い愛媛県の区間が終わり、さらには観音寺も過ぎたようだ。ちょうど目が覚めると再び海岸べりで、遠くに桟橋と小島が見えるのは津島ノ宮のようだ。夏の大祭に合わせて年に2日だけ臨時営業する駅もある。

この後しばらく海岸沿いに走る。

多度津、丸亀と過ぎ、宇多津で「いしづち20号」が離れて先に出発する。

宇多津からは三角線の西の一辺を通り、瀬戸大橋に入る・・・。

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松山駅前「喜助の湯」でととのい、潤う。

2024年07月16日 | 旅行記G・四国

7月7日、呉から松山まで瀬戸内海汽船「シーパセオ」にて渡る。定期航路だがクルーズ船の気分も楽しめる船であった。その後、高浜から伊予鉄道で移動し、大手町からJR松山駅に到着する。

さて今回の日帰りお出かけの目的地は、岡山駅前の髙島屋のビアガーデンでの一献。夕方に岡山にたどり着くためのルートをいろいろ考える中、フェリーでいったん松山に上陸し、予讃線~瀬戸大橋線をたどって向かうことにしたのだ。その予讃線にしても、鈍行でたどる、特急に乗って途中の駅でも下車する・・いろいろ考えたが、結局は直通の岡山行き13時26分発特急「しおかぜ20号」に乗ることにして、それまで松山で過ごす。

特急の発車まで3時間近くあるのだから、松山城や道後温泉まで往復するだけの時間はある。もっともこの時は道後温泉本館はまだ工事中(リニューアルオープンは7月11日)、松山城も以前に訪ねたから(今回の旅とは関係ないが、7月12日に発生した土砂崩れ後は営業中止)、市電に乗って足を運ぶこともないかなと。

・・その代わりに向かうのは、駅前にある「伊予の湯治場 喜助の湯」。四国八十八ヶ所めぐり以来何度か訪ねている温泉施設で、浴場もいろいろあるし、休憩スペースも整っている。見方によっては道後温泉本館よりもゆったりできるのではないかというくらいだ。もちろん天然温泉で、道後温泉郷最深の1700メートルから湧き出る源泉かけ流しのほか、西日本最大級の広さである炭酸泉、さらに信楽焼の壺湯などもある。

そしてサウナ。私はこれまでサウナに対して苦手意識があり、避けていたところもあったが、白内障手術の後、裸眼でも日常生活の多くが気にならなくなったことを受け、眼鏡を屋外に置く心配もなくなり、サウナに入るのもいいかなというのがこのところである。もっとも、長い時間は無理だが・・。

こちらでは鬼瓦で知られる菊間瓦で使われる石をサウナストーンとして使っており、決まった時刻に水がかけられ、さらに蒸気と熱気を発するロウリュウのサービスがある。さすがにこの熱さには参ったが・・。それでも、サウナも何とか入れるようになり、今後の旅先での温泉施設での楽しみの幅が広がったように思う。

入浴後、ちょうど昼前である。食事コーナーに行ってみよう。夜はビアガーデンが待っているとはいえ、午前中に温泉に入り、サウナで汗を絞り出したとなれば・・・生ジョッキの大一択でしょう。

とりあえずのアテとして、愛媛らしくじゃこ天をいただく。

ホッピーもある。セットでいただこう。

食事として目に留まったのが鯛めし。愛媛で鯛めしといえば、鯛の身を具材に入れた炊き込みご飯と、卵を出汁で溶いた中に鯛の刺身を入れ、それをご飯にぶっかけていただくタイプがあり、それぞれ松山(投与~中予)流、宇和島(南予)流の食べ方だが、ここで注文したのは後者。もっとも、松山市内だとどちらの鯛めしもいただくことができる。

元々船上でささっと食べられた一品だし、私のような素人でも手軽に作れることもあって、個人的には宇和島流のほうがいいかな。

この後も列車の時刻までまだあるので、休憩スペースでゆったりする。こういうところで地元の人たちとともに日曜の昼を過ごすのもよいものだ・・・。

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松山行き「シーパセオ」乗船

2024年07月14日 | 旅行記G・四国

7月7日、松山に向かうべく呉から乗船したのは旅客船「シーパセオ」である。「海の散歩道」という意味だという。松山までの移動手段ではあるが、クルーズ気分も味わうことができる。

先に広島から乗船していたのは20人いるかいないかという程度で、やはり宇品6時45分発に間に合う公共交通機関がないというのはいかがなものかと思う。呉からの徒歩の乗船も数名、クルマも数台というところで出航する。

乗船客が少ない分、船内ではゆったりと過ごせる。

客室の前方は前面の景色が楽しめるソファーシート、そしてテーブル付きのリクライニングシートが並ぶ。また側方には靴を脱いで上がる「OZASEKIエリア」、そして「GORONEエリア」がある。このうち「GORONEエリア」は、ごろ寝するとちょうど海が見える小窓がついているのが特徴で、広島からの乗船客が四隅に寝転がって気持ちよさそうだ。

中央は売店のあるラウンジスペースで、窓を向いたカウンターや、こちらも靴を脱いで上がる「KOAGARIエリア」がある。

そして後方には「ひき波のHANARE」。後方の引き波の景色を眺める展望ラウンジである。こうした席を少しずつ楽しんでみる。

ただこの日は青空が広がるということもあり、時間の多くは屋上のデッキで過ごす。エアコンの効いた屋内もよいが、せっかくなので潮風の心地よさを感じることにする。ガゼボ(あずまや)に入れば直射日光をしのぐこともできる。

さて「シーパセオ」は呉港を出航し、海上自衛隊の艦船を遠くに見やる。そして昨年閉鎖となった日本製鉄の呉製鉄所を見る。この跡地はマツダスタジアム約36個分に相当する広さで、施設の解体には約10年かかるそうだが、その後の活用方法はまだこれからのようだ。防衛省が広島県や呉市に対して、複合防衛拠点としての整備案を持ちかけたが、さてどうなるか。

工業用の塩の集積場がある三ツ子島の横を過ぎる。後方を見ると、自衛隊の潜水艦が基地に近づいて浮上している。動く潜水艦を目にするのは初めてだ。

そして、見どころの一つである音戸の瀬戸を通過する。ここを開いた平清盛を祀る清盛塚があるのだが、ちょっと違和感を覚える。確か、塚の前に橋がかかっていたはずである。後で知ったのだが、昨年2月、音戸の瀬戸を通過しようとした貨物船が衝突して橋が大破、その後撤去されたという。昔も今も交通の難所である。

ここから先は瀬戸内海の広いエリアに入る。

広島からのスーパージェットが追い越していく。広島7時30分発の便で、松山には8時40分に着く。広島と四国を結ぶ最速ルートである。以前、九州八十八ヶ所百八霊場めぐりの時、広島~松山~八幡浜~臼杵というルートで渡ったことがあるが、これができるのもスーパージェットならではだった。

この後も船内を出たり入ったりして過ごす。さすがは瀬戸内海で、周りを見渡すとどこかしらに島が浮かんでいる。次々に景色が変わるので飽きることがない。

愛媛県に入る。四国の姿も少しずつ大きくなる。さすがに石鎚山は遠すぎるかな。その前では漁船が連なっている。また中島、睦月島、興居島といった松山市の離島を見る。これらの島々と本土を結ぶフェリーも出ている。

松山観光港に到着。呉から約2時間、クルーズ気分、まったりと過ごすにはちょうどよい長さだった。

ここからJR松山駅に向けて移動する。時間帯によっては松山市駅や道後温泉に向かうリムジンバスが出ているが、伊予鉄道の高浜駅に向かうのが定番のルートである。連絡バスもあるが、駅までは数百メートルなのでそのまま海岸べりを歩く。向こうには夏目漱石の「坊っちゃん」にも登場するターナー島も見える。穏やかな伊予の海。

高浜駅に到着。地方私鉄らしいといっては失礼だが、昔ながらの風情が残る駅である。コンビニではなく売店も残っている。「DPE クリーニング取次」というのも、その当時の「よろづや」らしさを感じる。

ところで「DPE」って何やったっけ・・と調べると、フィルム写真の現像・焼き付け・引き伸ばしのそれぞれの英語の頭文字を取ったもの。昔は写真を撮った後のフィルムを現像に出して、その仕上がりを楽しみにしたものだ。私も社会人になってしばらくはフィルムだったが、1本で撮れる枚数が限られているのに緊張して、その割に現像で上がった写真がピンボケしていたり、構図が今一つだったり・・というのも懐かしいことである。今はデジカメだから撮影後に写真をチェックして、ダメなものはその場でデータ削除するだけのこと・・安直といえば安直。

「玻璃ヶ浦駅」という駅名標と、福山雅治さんのポスターが掲げられている。「真夏の方程式」という映画のロケ地になったそうだ。ロケの中心は伊豆半島だが、あるシーンの撮影にあたってはこのレトロな駅舎が選ばれたという。

横河原行きの列車に乗る。次の梅津寺のホームは海に面しており、柵には多数のハンカチが結ばれている。こちらは「東京ラブストーリー」のロケ地になったところ。あの「トレンディドラマ」から30年以上経つが・・私は当時も今もそうした「ラブストーリー」「トレンディ」とは全く無縁の人生だな。

そのまま列車に揺られ、大手町に到着・・・。

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目的地は岡山だが・・・フェリーで松山に渡る・・・そのために呉に行く

2024年07月12日 | 旅行記G・四国

・・・今回、松山に行った記事を書こうというのだが、7月12日朝、松山城がある城山で土砂崩れが発生し、周辺の住宅やマンションに土砂が流入した。行方不明の方もいるようだ。前日まで松山は大雨が降っていた中での出来事である。道後温泉本館が修復工事を終えてリニューアルオープンという明るい話題の直後、松山城にこうした影響が出るとは・・。

毎年毎年、どこかの地域が当番が回って来るかのごとく大雨による災害に遭っている。連日「○○豪雨から×年」というニュースに接しているように感じる。この週末も雨雲が心配である。

・・さて、本題に入ろう。

雨が降る日もある一方、晴れの天気だと真夏日、猛暑日というこのところ。ふと、ビアガーデンに行きたいな・・という気になった。

ビールを飲むのならいくらでも居酒屋があるのだが、ビアガーデンは夏独特のものである。私は一人でもビアガーデンに行ける口なのだが、広島だと広島三越屋上のビアガーデンが、銀座ライオンと同じくサッポロ黒ラベルやヱビスビールがいただけて、おひとり様でもOKである。ただ、料理がジンギスカンの大皿メインでさすがにしんどい。

他に、料理がいろいろいただけるビアガーデン、おひとり様利用可で検索すると・・髙島屋岡山店屋上というのがヒットした。こちらではアジアのエスニック料理が食べ放題で、ビールはなんと大手4社すべてを揃えているという。これは面白そうだ。

・・ということで、夕方に岡山に着き、しかるべく飲んで帰りは新幹線という日帰りプランとする。当初は、広島から岡山県内の乗り鉄をしようかとか、新型「やくも」に乗ってみようかとかいろいろ考えたが、どこかしっくり来ない。旧国鉄381系「やくも」の定期運行が終了したことで、岡山の鉄道に寄せられた熱もいくらか冷めたようにも思う。

そこで思いついたのが、いったんフェリーで松山に渡り、予讃線~瀬戸大橋線で夕方に岡山に着いてビアガーデンというもの。四国八十八ヶ所の満願以来、訪ねる機会も少なくなっているが、今回は札所めぐりの要素はまったく入れずに、観光らしい観光もない。フェリーで瀬戸内海を渡り、松山から特急に揺られ、最後はビアガーデン。

あ、でも松山に行くならば温泉は外せない。もっとも、ここでいう温泉とは道後温泉ではなく、JR松山の駅前にあって、四国八十八ヶ所めぐりでもお世話になったスポットである。

広島から松山へはスーパージェットが最速で結ぶが、せっかくなのでフェリーで行こう。同航路には新型「シーパセオ」が就航している。もっとも、朝の時間帯の広島・宇品港発は5時45分、6時45分である。この両便だが、これに間に合う公共交通機関はない。マイカー、あるいはタクシーで来るか。G7広島サミットが行われた宇品島のホテルにでも泊まれば間に合うかもしれないが・・。どういう意図があってこうしたダイヤを組んだのかな。

このうち、宇品6時45分発の便は呉に寄港して、呉を7時30分に出航する。これなら西区の自宅からでも間に合うだろうと時刻表を検索すると、結局は西広島5時30分の始発に乗ることになるが、呉で余裕を持って乗船できる。よし、これで松山に渡ろう。

7月7日、この日は東京都知事選挙、そして先日訪ねたエリアである鹿児島県知事選挙の投票日である。岡山からの帰り道で結果を知ることになるだろう。

西広島から山陽線の列車に乗り、広島でホーム向かいの広行きに乗り継ぐ。時刻はまだ6時だが外は明るく、海田市から呉線に入ると江田島を挟む海岸風景に出会う。

呉に到着。駅のコンビニで朝食等を買い求め、フェリー乗り場に向かう。ちょうど「大和ミュージアム」に隣接するところ。時計を見ると、6時45分発の松山行き「シーパセオ」が宇品を出航して間もないくらいだった。

しばらくフェリーターミナル内でゆったりして、7時に開いた窓口で松山までの乗船券を購入する。

ターミナル最上階の展望スペースにも上がってみる。海上自衛隊の基地のある港だが、何事もなければ穏やかな、のどかな景色の港である。

そして沖合に「シーパセオ」が姿を見せた。宇品からの乗船客も少なく、また呉からの乗船客も数人。早朝便はこんなものなのだろう。

船内・船外にはさまざまなタイプの座席がある。松山までの区間、瀬戸内海の潮風とともに楽しむとしよう・・・。

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第16回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~坊津から薩摩半島北上

2024年07月11日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

九州八十八ヶ所百八霊場めぐりはこれから徐々に北に向けて駒を進める。枕崎の火之神公園を出発する。

国道226号線に入り、耳取峠を越える。その先が坊津である。

歴史資料センター「輝津館」に入る。こちらは南さつま市役所の坊津庁舎も兼ねた建物である。坊津の歴史、民俗についての紹介が充実した施設だった。館内撮影禁止のため画像はないが・・。

坊津は古くから立地的に海上交通の要地であり、遣唐使船の寄港地となっていた。仏教の公式的な伝来よりも先に龍蔵寺一乗院という寺が建立されたし、この先の秋目地区には鑑真和上が唐から上陸している。

また中世では倭寇や遣明船、琉球貿易の拠点にもなっていた。明の歴史書「武備志」では近隣の地誌も紹介しており、「日本三津」として安濃津、博多津と並び、ここ坊津を挙げている。同時期に日本で成立した式目では「三津」として安濃津、博多津は同じだが、もう一つは堺津を挙げている。当時の状況からすれば堺のほうが大きかったに違いないが、大陸の人たちから見れば薩摩半島の港とのつながりが強かったといえるだろう。

江戸時代になると鎖国政策もあり、外国との交易の中心は長崎に移ったが、坊津は薩摩藩主の直轄地として、琉球を介した大陸との貿易が続けられていた。貿易額や品目には厳しい制限が設けられていたものの一応幕府の公認だったが、それを超える「抜け荷」が密貿易として行われていた。こうして得られた利益が薩摩藩の財力になったという。

しかし、江戸中期の享保年間、坊津に一斉に取り締まりが入り、商人や船舶が逃げ出すという事件があった(坊津の唐物崩れ)。もっとも薩摩藩は坊津だけでなく、志布志、種子島、奄美大島など他の拠点で密貿易を続けており、坊津の取り締まりは幕府の目をそらすため薩摩藩じたいがわざと行ったのではないかともいわれている。

その後の坊津はカツオ漁で栄えた。鰹節の製法が伝えられたことも大きい。当初は近海に限られていたが、徐々に海域が広がり、船も大型化された。それでもカツオといえば一本釣りで、次々に釣りあげられる様子をとらえた映像は圧巻である。また大漁を祝う「茜かぶり」という行事もあり、地元の人たちの笑顔も印象的だ。

ただ、今の坊津にはそのカツオ船もいなくなった。大型船が接岸できる枕崎に集約したためである。そして現在は養殖漁業が主な産業となっている。なかなか、変化に富んだ歴史がある。

本来なら2階のテラスからの眺めがよいのだが、外壁の工事中で入れない中、建物の前で背伸びして沖合いの名勝・双剣岩を何とか眺める。

せっかくなのでこの先の鑑真和上上陸の地など、海沿いをもう少し走りたかったのだが、ゴールの川内駅のカーナビ到着予測時刻がこの時点でギリギリとなった。

途中で詰めることはできるだろうが、ここからは山道の県道でショートカットして国道270号線に向かう。途中の山上には風力発電の風車も見える。

この国道270号線に沿う形で、かつて鹿児島交通枕崎線が走っていた。現在の南さつま市の中心である加世田のバスセンター内には鉄道記念館もある。ただ、どこかのスポットに立ち寄って見学するだけの時間は厳しそうだ・・。

温泉や砂浜で有名な吹上浜も通過。ただ、到着予測時刻は少しずつ早くなってはいる。そのまま国道を走るうち、サイクリングロードの案内とともに「永吉駅跡」の標識が見える。鹿児島鉄道の旧駅ということで、これはぜひ立ち寄ってみよう。

永吉駅は伊集院駅から12.7キロのところ。線路や駅舎は撤去されているが、ホームの一部が残り、駅名標も後から設けられている。廃線めぐりといえばひそかに人気が広がるジャンルだが、鹿児島交通枕崎線は結構あちこちに遺構がのこされており、永吉駅跡も知る人ぞ知るスポットである。

国道270号線に戻り、交差点で待っていると右前方から枕崎行きのバスがやってきた。

さらに北に進んだ江口浜で、左手に急に東シナ海が広がった。思わず駐車スペースにクルマを寄せる。少しずつ日が傾くところ。

もう少し走らせると崖のすぐ下に海岸が広がる。海にはサーファーの姿も見える。薩摩半島にこういうスポットがあるとは知らず、今回の車窓の中で印象に残るスポットとなった。

国道270号線から国道3号線に出る。カーナビは無料の南九州西回り自動車道を案内するようだが、そのまま下道を走る。鹿児島線の線路とも並走し、野球、サッカー、駅伝などの強豪である神村学園の前を通過する。鹿児島の学校とはきいていたが、串木野だったのね。

レンタカーの返却時間も気になる中、トヨタレンタカーの川内駅前店に到着。

そのまま歩いて川内駅に到着。駅前に像があるので近づくと、大伴家持とある。薩摩の中心といえば現在の鹿児島市のイメージだが、古来の薩摩の国府は川内にあったという。万葉集の編者として名をのこしている家持だが、本人は時の政争に巻き込まれたこともあり、都と地方を行ったり来たりしている。その中で薩摩守に任ぜられたことがあったのだが、それも左遷人事だったという。

次回は北薩の山中の札所をたどるルートで、川内からふたたびレンタカーにて向かうつもりだ。

川内は九州新幹線、鹿児島線、そして肥薩おれんじ鉄道が乗り入れる駅で、かつJR貨物の駅もある。地方によくあるオフレールステーションではなく、今も東京、名古屋、大阪、北九州への直通コンテナ列車が発車する。またこれらの貨物ターミナルでの中継を経て、全国への長距離輸送が可能である。

これから乗るのは18時06分発「みずほ610号」。広島までの停車駅は熊本、博多、小倉だけという最速タイプで、所要時間は2時間10分。さすが新幹線だ。

レンタカーの利用後のお楽しみということで、「みずほ」指定席に陣取っての一献である。最速タイプだけに寝落ちして広島を寝過ごすことのないように・・。この日(6月30日)は朝の鹿児島中央駅から雨に遭うことはなかったが、「みずほ」に乗って熊本、博多に差し掛かるとまた強い雨になった。まあ梅雨空の下、帰りの新幹線で雨というのも仕方ないだろう。

・・それほど遅くならない時間に広島に着き、西広島まで戻って来た。こちらはしっかり雨が降っていた・・・。

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