まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅・町歩き、野球等観戦、寺社巡りについて書きます。

一体誰が投げたらいいのやら・・・?

2018年04月20日 | プロ野球(バファローズ・NPB)
とりあえず、ボール、ボールが続いたらいけないということで。

その投手の心のうちはどうだったのだろうか。登板を告げられたタイミングが早かった?先発投手がもう一人を打ち取ってさえくれれば次の回の初めから万全の体制で投げられたのにそうならなかった?

これまで勝ちパターン(だけではなく同点やビハインドの場面でも)で投げてきた投手だが、ここに来て通用しなくなったのでは?

ならば誰を投げさせるかというところだが、頭数はあるが決め手にかけるのがこのチームの選手たち。

どうも、波に乗れないな・・・。
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奈良県庁が橿原に移転!?

2018年04月17日 | ブログ
3月にはこのニュースがすでに流れていたそうだが、私が知ったのはこのタイミングである。

2月の奈良県議会の定例会で、議員からの提案として奈良県庁を奈良市から橿原市に移す決議案が出され、賛成多数で決まったそうである。県の中部、南部選出の議員に賛成が多かった。

その理由は「南北格差」。県庁のある奈良市は県の最も北にある。地理面の偏りがあるとして、県全体が発展するには中部の橿原に県庁を移転し、中南部へのアクセスを改善させる起爆剤とする・・・のが主旨のようだ。ただこれから具体的にどうするという動きもなく、知事もノーコメントを通している。

県庁所在地がどこにあるかということだが、関西を見れば和歌山県はあれだけ広いのに北端の和歌山市だし、滋賀県も西の端、山一つ越えれば京都という大津市にある。京都市も府のかなり南といえば南だし、神戸市は旧国でいえば5つの国に渡り、瀬戸内と日本海の両方を有する兵庫県にあっては南東の端に近いようにも見える。

ただ、これらは歴史や地形を考えると、その場所にあることが自然であるように見える。その中で奈良県を見れば、中部から南部は山また山である。近鉄の阿部野橋から終点の吉野まで行くと、大層な山の中に来たように感じるのだが、これでも真ん中より北である。南の広い面積を持つのは十津川村。大和八木から新宮までの「日本一のローカルバス」で、延々と山の中を乗り通したのも旅の思い出だ。そのような地域の人の中には、せめて県庁がもう少し南にあれば中南部も活性化すると思う方もいるだろう。

はるか昔は県庁どころか、朝廷が飛鳥にあった。それを打破し、新たな時代の都として造られたのが平城京だが、今回の決議を「飛鳥京対平城京」と見るのも面白いだろう。近鉄で大阪、京都、名古屋まで一本でつながっているから、アクセス面では橿原遷都案も面白いと思う。ただ、費用対効果を考えると、あえてそれをやる意味はあるのかな・・?と思う。

人、物、金を集めるのが目的ならもっと他にできることはあると思うが、そうした「話題」を作り、県全体の活性化に向けた取り組みにつながればよいのではと思う。もし奈良の中心が橿原になったら・・・想像するのは一つの未来構想だろう・・・。
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観戦記・バファローズ対ファイターズ@神戸(天気もチームも雨のち晴れ)

2018年04月16日 | プロ野球(バファローズ・NPB)
4月15日、大阪は前夜からに続いての雨。自宅周辺は時間帯によっては結構な雨足となっていた。神戸での試合だが、予報では午後から止むとのこと。グラウンド状態がよほど悪くなければ試合は行われると期待して出発する。

前日はファイターズ相手に打線が奮起せず、西を見殺しにする結果となった。そのためか?試合終了後には雨の中特守を行ったそうだ。

列車を乗り継ぎ神戸に向かうと雨は止んでいた。この先は降らない予報で、まずはよかった。なお、この日は甲子園でのタイガース対スワローズ戦は行われたが、他に関西で行われる予定の野球の試合は全て雨天中止だった。そこには舞洲でのバファローズ2軍の試合や、甲賀での滋賀ユナイテッドの試合、さらには関西の大学野球の試合も含まれる。さすが1軍の公式戦が行われる球場だなと感心する(中止にするとあちこちに影響が出るからというのもあるが)。

この試合はファンクラブデーということで、公式戦では初めてBsSpiritsの白色ユニフォームを着用しての試合となる。白地に赤文字というのもよく映えている。

また同時にペットデーということで、試合前には犬を連れた観客たちがライト側のアンツーカーを散歩するイベントも行われた。犬をつれて来るだけでも結構大変かと思うが・・・。

さて試合はバファローズが山岡、ファイターズが加藤の先発。序盤は両投手が好投して打線にチャンスを作らせない。

3回表、ファイターズが石井の二塁打をきっかけに一死一・三塁と先制のチャンスを作る。山岡はここで松本を二ゴロの併殺打に打ち取ってピンチをしのぐ。また続く4回表にもレアードのレフトへのフライを吉田正が落球するなどして一死一・三塁とされるが、後続を冷静に打ち取って得点を許さない。踏ん張りの投球が打線の援護を呼ぶかどうか。

試合が動いたのは5回裏。伏見のヒット、マレーロの二塁打で二・三塁のチャンスを作り、若月の当たりはライトへ。これがヒットとなりまず伏見が生還して1点先制。続くマレーロもタイミングはアウトだったが、上手くタッチをかわすプレーが出て2対0となる。これには一塁側、ライトスタンドのファンも大喜び。マレーロのホーム突入は栗山監督から「物言い」がついたが、軍配通りマレーロのホームインが認められた。昨年はホームランを打ちながらホームベースを踏み忘れたというので名前が広まったマレーロだが、この日は技ありの走りで見事にホームにたどり着いた。

山岡は味方の援護を受けた直後の6回表も無死一・二塁とピンチを迎えるが、中田をライナー、レアードを併殺で打ち取り得点を許さない。この6回の投球で試合の流れは完全にバファローズに向いたと思わせる。

バファローズ打線もこの日は山岡の粘りの投球に応えようと、6回裏一死一・二塁から小谷野がタイムリー二塁打で3対0、その後安達もレフトへのタイムリーを放ちこの回3点が入る。5対0、試合としては完全にバファローズ有利となった。

さすがのファイターズ打線もこの後は沈黙する。バファローズは7回に近藤、8回に黒木と、勝ち負け関係なく登板する印象がある両投手にこの日も託す。点差を考えると別の投手でもいいと思うのだが、福良監督はよほど思い入れがあるものと感じさせる。

8回裏にはマレーロの2点二塁打が出て7対0と、一方的な展開になった。バファローズの試合のナマ観戦で、ここまで打った試合というのは結構前までさかのぼる。やはり打ち勝つ姿というのは観戦して面白い。

7点差で迎えた9回表は、バファローズは4人目で澤田を投入。ファイターズもクリーンアップを迎えるが、なすすべもなく三者凡退。これで試合終了、結局7対0とバファローズが快勝である。ここまで一方的な試合というのも久しくナマで観ていなかったと思う。

この日は朝は大雨だったが、試合が始まる頃には雨も止み、試合も支障なく運んで行った。まさに、「雨のち晴れ」という感じである。ペナントレースはこの先もまだまだ続いて行くが、この1勝が、沈んでいたムードのチームに明るい光となってくれればいいなと思った。ヒーローインタビューの若いバッテリーも、また次の活躍を期待するところである。

次の観戦は4月末、「KANSAI CLASSIC」での「近鉄対南海」の復刻ユニフォーム試合を予定している。この対戦を両チームがどのくらいの差をもって迎えるのか、今から楽しみにしたいものである・・・。
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帰りは夜の関西線回り

2018年04月14日 | 旅行記D・東海北陸
豊川、岡崎を回った日帰り旅もそろそろ夕方。降り立ったのは金山駅。JRと名鉄が交わる「総合駅」である。そろそろいい時間となり、このエリアで一杯やってから大阪に戻ることにする。改札のところで「知多四国」というポスターを見る。知多半島にある四国八十八所の写し霊場で、ウォーキングのコースとしても人気だという。いずれ、こちらも区切り打ちで回る機会があるかもしれない。

ホッピーとやきとんの立ち飲み客で賑わう店にもひかれたが、やはり名古屋に来たのだからと名古屋らしい店に行く。ということでベタな選択なのでが、手羽先の「世界の山ちゃん」に入る。大阪にも店があるのだが・・。

こちらでは定番の手羽先に加えて、みそ串カツ、うずら玉子などいただく。山ちゃんの手羽先を食べたのも久しぶりだが、あのスパイスは食欲を進める何かがある。

変わり種の飲み物もあるので挑戦する。赤味噌ハイというのがあるのでどんなものか注文する。何でも味噌と絡めるのが名古屋の味とはいえ、サワーまでとは。味噌汁を飲んでいるという感じはしないが、甘酸っぱいような香りがする。うーん、これは今一つかな。

一方で西尾産の抹茶を使った抹茶割りは濃い感じがしてよかった。手羽先にも合うといえば合う。

一通りいただいたところで駅に戻り、そろそろ大阪に向けて戻る。実は名古屋発21時の難波行き近鉄特急の指定席を買っていたのだが、これだと帰宅は23時半頃になる。そして名古屋駅に戻った時刻はまだ18時すぎ。今日はその時間までいることもないかと思い、青春18の旅とする。行きが東海道線だから帰りは関西線にしようと、その時はよく考えずに18時35分発の快速みえ21号に乗車。途中の四日市で、途中で追い越した亀山行きに乗り継ぐことができる。

19時07分、四日市に到着。しばらくホームで待つが、ここで雨が降ってきた。また風も強い。この時季に見られる不安定な天候である。やってきた19時14分発の亀山行きに乗り込む。

19時41分、亀山到着。次の加茂行きはそれほど待たずにあるのかなと思いきや、次は20時16分発まで30分以上待ちである。夜の30分は大きい。また亀山の駅前には古い個人経営の店しかなく、この時間はもう閉まっている。改札横の売店も閉まっているし、コンビニその他は10分ほど歩かなければならない。キャリーバッグを重そうに引いた女性客が、「食べるところも何もないんですかあ」と改札の駅員に困った様子で尋ねている。

亀山からは2両のキハ120。20時すぎだが外は完全に真っ暗。外は雨だが、スマホで雨雲の様子を見ると、この時間に雨が降っているのはこの辺りだけのようだ。車内にいるからいいものの、何でわざわざこのルートをたどったかなと苦笑いする。

21時35分、加茂に到着。接続の21時44分発の列車は奈良行き。まあ、奈良から接続列車があるのだろうと向かい、21時59分に奈良到着。

しかし、ここでまた時間が開く。次のJR難波行きは22時18分発と、およそ20分待ち。名古屋からここまで何だかんだで乗り換えの待ち時間が重なっている。東海道線回りなら新快速でとっくに大阪に着いているだろうし、名古屋から21時発の近鉄特急に乗っても同じような時間に大阪に戻れた形である。

結局この後は天王寺まで行かず、柏原で近鉄道明寺線に乗り換え、道明寺から藤井寺というルートで帰宅した。23時を回っていて、正に1日をフルに使う結果になった。この翌日にはBCリーグ観戦でまた滋賀の甲賀まで向かうのだが・・・。

乗る方はバラエティに富んでいた。行きが東海道線で豊橋、飯田線で豊川。ここが折り返しになり、帰りは名鉄で名古屋、名古屋からは関西線に乗り、最後は近鉄道明寺線を通る。名古屋を中心にした8の字型、メビウス型のルートは「乗りで」があった。次は行ったことのない名鉄沿線も見たいものである・・・。
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八丁味噌と岡崎城

2018年04月12日 | 旅行記D・東海北陸
岡崎公園前で下車。こちらは愛知環状鉄道の中岡崎駅と接しており、JRの岡崎駅に渡ることができる。ただせっかく来たのだから、何年かぶりに岡崎城のある岡崎公園に向かうことにする。

その前に、愛知環状鉄道の高架をくぐって、昔ながらの蔵造りのある建物に向かう。「カクキュー八丁味噌」の工場である。名古屋めしの味には欠かせない八丁味噌だが、その発祥は岡崎であり、現在八丁味噌を名乗ることができるのは、「まるや八丁味噌」と、「カクキュー八丁味噌」の2社のみだという。その他はあくまで赤味噌に過ぎないのだとか。

こちらは中の見学が無料でできる。30分ごとに案内があり、私の回は30名ほど参加した。まずは八丁味噌の歴史ということで史料館に向かう。明治時代に建てられた仕込み蔵を改装した建物である。

八丁味噌の「八丁」とは、岡崎城から西へ八丁(約870メートル)の距離にある八丁村(八帖村)で造られたことからその名がついており、大豆、塩、水のみを原料とする。一般に「赤だし」として飲まれている味噌は、米麹など他の原料も交えて風味を整えたものだという。まずは大豆を蒸して握りこぶし大の玉を造り、直径一間(約180cm)の杉の桶に6トンの味噌玉を仕込む。その上に3トンの石を乗せて2年ほど熟成させる。現在でも昔ながらの製造法を守っているという。かつては宮内省の御用達でもあった。

続いて熟成蔵に案内される。入口のところに、昨年の秋に造られたばかりの真新しい桶があるかと思えば、その奥には天保時代のものと書かれた桶もある。他にも石の積まれた桶が整然と並べられており、見ているだけで唾液が出てきそうだ。

最後には八丁味噌と赤だしの試飲。味噌汁ということで言えば風味を工夫した赤だしのほうが美味しく感じた。ただ、原点というか、八丁味噌のほうが濃厚で「味噌を食っているな」という感じがする。せっかくなので八丁味噌、赤だしそれぞれのインスタント用味噌汁をお土産に購入する。他に珍しいものとして浜納豆を購入。こちらは酒のあてでもよし、茶漬けにしてもよしという一品である。

この後は、城下町の通りを八丁歩いて岡崎公園に着く。まずは岡崎城跡に行こうと天守閣前の広場に出ると、賑やかな音楽が聞こえてくる。何かやっているようだ。

こちらは「グレート家康公『葵』武将隊」の皆さんによる演武ショー。徳川家康を中心に、酒井忠次、本多忠勝、榊原康政、井伊直政の徳川四天王、それに本多忠勝の娘で真田信之に嫁いだ稲姫に扮した6人組。最近よくあるおもてなし部隊というか、パフォーマンスのグループである。またギャラリーも子ども連れのほかに、いわゆる「歴女」の方々も目立つ。こういうグループの存在は歴史上の人物や武将を身近なものに感じさせる効果がある。

だいたいこうしたメンバーは現代風のイケメンが揃うのだが、私としては巨漢で三枚目役の酒井忠次がいい存在感を出しているなと思った。最後は「堪忍おどり」というのをギャラリーと一緒に踊り、記念撮影タイムとなる。希望する人は手持ちのカメラやスマホで一緒に撮ることもできる。

この後は、すぐ後ろの「三河武士のやかた家康館」に入る。こちらは徳川家康の生涯をパネルで紹介した展示館で、見どころは関ヶ原の戦いのジオラマ解説。時間軸に沿って、各武将の兵隊の人形が関ヶ原を駆け回る。また企画展示では火縄銃が取り上げられている。火縄銃といえば細長い形をイメージするが、中には「これを一人で担ぐのは無理ではないか」と思う大型の形状のものもある。火縄銃も泰平の時代になると、型としての術になったり、また銃そのものも美術品としての要素が強くなったりと、役割が変わってきた。現在では各地の保存会の人たちが城祭りのようなイベントで腕前を披露している。

一通り見た後で、天守閣に向かう。こちらは戦後に復元されたコンクリート造りの建物で、中は主に江戸期の岡崎藩の時代の紹介である。天守閣が建てられたのが江戸時代の本多氏が藩主だった頃だから、そうした紹介になる。

5階からは岡崎市内の展望が広がる。城のすぐ下には矢作川の支流である乙川が流れている。かつては帆掛け船の荷卸し場になっており、「五万石でも岡崎様は お城下まで舟が着く」と謡われたところだ。今は岡崎公園の一部であるが、多くの屋台が出ている。

岡崎公園は桜の名所ということで、4月13日まで桜祭りが行われるとある。ただ、今年は桜の開花が各地で早かった分、4月7日という日にもかかわらず半分以上が散ってしまっている。岡崎で降りることにしたのは城と桜という組み合わせを楽しみにしたこともあったが、ちょっと残念。まあ仕方がない。

このまま川沿いを歩き、東岡崎駅に出た。時間は16時前。岡崎の駅前での一杯というのも考えたが、さすがにまだどの店も開店前である。もう1時間待つのも中途半端なので、このまま名鉄で名古屋に向かうことにする。駅のコンビニで八丁味噌のもう1件の老舗である「まるや八丁味噌」の商品があったので、こちらも追加土産で買い求める。

乗車するのは名鉄特急。指定席のミューシートをおごってみた。直線の多い区間を快走する乗り心地もなかなかよい。これで名鉄名古屋・・・と行くところだが、今回は趣向を変えて一つ前の金山で下車する。同じ飲むのも気軽に飲むならこちらのほうがよさそうで・・・。
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豊川稲荷は神社ではなく寺院だった・・・

2018年04月11日 | 旅行記D・東海北陸
JRの豊川駅から歩いて豊川稲荷に向かう。駅前から車道が伸びて、両側が商店街になっている。実は一本入ったところが昔からの参道で、飲食店や土産物店が並んでいるというのは、豊川稲荷に着いて初めて気づいた。

初めて気づいたといえば、豊川稲荷に来ること自体が初めてなのでそうなのだが、稲荷神社につきものの朱色の鳥居が見えない。それどころか、豊川稲荷の正門である総門は屋敷の門構えのようである。

総門をくぐると山門があり、仁王像が立つ。そうかと思えば左手には石造りの鳥居や狐の像もある。私がイメージする稲荷神社とは趣が異なる。日本三大稲荷の一つとされているが(伏見稲荷、祐徳稲荷と合わせて三大稲荷とされているが、伏見稲荷以外については諸説あるそうだ)、こういう感じなのかな。

これは私が知らなかっただけだが、豊川稲荷は神社ではなく曹洞宗の寺院である。正式には「妙嚴寺」といい、本尊は豊川吒枳尼眞天(とよかわだきにしんてん)である。手に宝珠を持ち、白狐に乗っているという。元々は古代インドの民間信仰から生まれた仏教の神だが、日本では神仏習合で稲荷神と同一視された。

妙嚴寺が開かれたのは嘉吉元年(1441年)のことで、以後は今川義元や徳川家康の保護を受ける。江戸時代も大岡忠相や渡辺崋山などの歴史上の人物や、一般大衆からも篤い信仰を受け、豊川稲荷として栄えた。ただ、明治の神仏分離によって、稲荷神と吒枳尼眞天が分離され、鳥居も外された。今のように鳥居が建ち、狐の像が見られるようになったのは戦後のことだという。だから歴史はあるといっても伏見稲荷とは系統がだいぶ違う。日本三大稲荷に諸説があると先に書いたが、「日本三大稲荷『神社』」とする向きは豊川稲荷は対象外としている。こんなところにも日本の神仏の複雑な関係が見える。

ということで、本殿に向かう。明治末に着工、昭和の初めに完成した建物である。正面には吒枳尼眞天の真言「おんしらばった にり うん そわか」の札がある。それならば、数珠は持ってきていないが般若心経のお勤めをしなければなるまい。少し横にずれてブツブツとやり、最後に豊川吒枳尼眞天の真言を7度唱える。全く思っていなかった展開である。今回のサイコロの出目も、吒枳尼眞天や狐が呼び寄せたものかもしれない。

境内はこの後奥の院に続く。豊川稲荷の見どころは本殿よりもむしろ奥の院だそうで、元々吒枳尼眞天が祀られていたところだという。そこで向かうとまず目に飛び込むのが両側に立てられた数多くの幟。伏見稲荷の拝殿の奥から一ノ峯に続く千本鳥居のようなものである。地元の個人や企業に交じって、県外からも多く奉納されている。

その間には諸仏を祀るお堂もあるし、腹を撫でるとご利益が授かるという大黒天の像もある。曹洞宗の寺だがなぜか弘法大師も祀られている。道元はどげんした・・?

その中に奥の院のお堂があり、ここでも吒枳尼眞天の真言を唱える。

境内の最も奥、奥の院の奥(ややこしいな)に「霊狐塚(れいこづか)」というのがある。鳥居をくぐり、両側に吒枳尼眞天の幟と、何対もある狐の像を見る。

で、たどり着いたのは・・無数の狐の像。ゴツゴツした岩があり、その方向に狐が向いている。狐の像は願い事がかなった人たちが御礼の意味で奉納したそうだが、狐がこれだけ集まるというのはシュールな感じ。珍スポットとして紹介されることが多いそうだが、パワースポットとしても人気があるのだという。インスタ映えするとしてスマホであれこれ撮っている人がいるかと思えば、狐の多さに圧倒されたか泣き出す子どももいる。

何だか圧倒された感じを抱きながら参道を戻り、これで境内一周となる。時刻はちょうど昼時ということで食事にする。駅から続く昔からの参道に向かう。ちょうど総門の前の角に行列ができている店がある。豊川はいなり寿司発祥の地とされており、地元もいなり寿司で町を盛り上げようとPRに熱心だ。その「門前そば山彦」に入る。豊川のいなり寿司の店でも老舗だという。いなり寿司とそばというのはよく合うが、ここは愛知ということできしめんもある。

いなり寿司は「ミックス」を注文。五目いなり(ひじき、ニンジン、しいたけ、くるみ、タケノコ)と、葉山葵のいなりの組み合わせである。甘く煮た揚げに五目飯というのはなかなか見られない。また葉山葵のピリ辛というのも面白い。この店は昔ながらの味を守っているが、他の店ではいなり寿司に鰻を乗せたり、いなり寿司そのものを揚げてみたり、あるいはハンバーガー風にアレンジしたりと、いろいろ加工しているのもあるそうだ。最も美味しいのは昔ながらのスタンダードないなり寿司だと思うのだが、また機会があればこうした変わり種を試すのもいいかもしれない。

駅に戻る。ここで折り返すとして、行きに乗った飯田線ではなく名鉄の豊川線に乗る。こちらの駅名は豊川稲荷。これで国府まで出て、名古屋本線に乗ることにする。途中の駅で乗り換えて名鉄の支線に寄り道というのも面白そうだ。2両編成の列車に揺られ、豊川市内の近郊区間をトコトコと走る。

国府からの列車乗り継ぎで名古屋、岐阜方面のホームに移ると、リュックを背負いウォーキング姿の人たちであふれかえっている。改札の外にも乗車券を買う行列ができていた。何かのイベントかとスマホで検索すると、当日(4月7日)、トヨタ車体の健康保険組合主催のウォーキングイベントで豊川稲荷駅から国府駅まで歩くというのがあったそうだ。途中、佐奈川堤、赤塚山公園という地元の桜のスポットを通り、三河国の国分寺跡も経由する10.5キロのコース。ちょうど昼過ぎで完歩した人たちがホームに来たところに当たったようだ。それにしても桜・・・今年の傾向からして途中のポイントでもほとんど散ってしまっていたのではないだろうか。花に絡めたイベントというのは難しい。

やって来た特急はウォーキングの客で満員となる。私ももちろん立った状態で移動する。旧東海道の宿場町に近いルートを快走する。その中で、この列車をどこで降りるか考える。乗り鉄、名鉄乗りつぶしにこだわるなら新安城まで行って西尾線~蒲郡線とたどるのが面白そうだ。

ただ結局下車したのは次の東岡崎。そしてホームの向かい側で待っていた各駅停車で岡崎公園前に向かい、ここで外に出る。以前一度訪ねたが、岡崎での途中下車ということにした。西尾や蒲郡はまたの機会として楽しみにしておく。

岡崎で下車したのは桜の名所である岡崎城跡に行くというのもあるし、その前に名古屋の味覚の原点というべきスポットに行ってみようということで・・・・。
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飯田線の通し列車に乗る・・・豊川まで

2018年04月10日 | 旅行記D・東海北陸
青春18きっぷ利用の日帰り旅で目指す愛知、岐阜。目的地を決めるのにサイコロを使うことにして、関ヶ原を過ぎたところでサイコロアプリを起動する。もうタイトルからしてどこに行くことになったかはおわかりかと思うが、出たのは「5」。豊橋から豊川稲荷を目指すことになった。

出目によっては岐阜での乗り換えになったが、豊橋までということは、新快速の終点まで乗ることができる。まずはゆっくり車窓を見ることができる。

岐阜を過ぎて車内は満員。遠くに岐阜城を見て、木曽川、清洲城を過ぎる。名鉄の線路が近づくと名古屋である。愛知県に入ると雨も止み、この先は大丈夫だと安心する。そういえば、新潟や会津を回る青春18きっぷの大旅行をする男性は中央線に乗り換えたのだろうか。

東海道線の名古屋から先の区間に乗ることもなかなかなく、車窓を眺めるながら、豊川稲荷からの帰りをどうしようか考える。名古屋まで名鉄で戻るとして、途中は三河の国を走る支線にも寄ろうかとも思う。名鉄には乗ったことがない支線が多く、こうしたところを回ると新たな楽しさが見つかるかもしれない。

10時28分、豊橋に到着。乗り換え階段を多くの客が駆け上がる。この先浜松行きがあり、東海道線を東へ向かう客は席取り合戦となる。私はここから飯田線に乗り換えるとして、階段上の通路の売店で豊橋名物の竹輪など買い求める。え?飲み鉄のおつまみに決まっとるでしょうが。

その飯田線のホームは名鉄との共用である。駅名標を見ると、豊橋の次は船町。面白いのは、同じホームの反対側の名鉄乗り場では、豊橋の次が伊奈というのをJRのデザインで書かれている。駅コードが併記されているので名鉄と気づくくらいだ。

飯田線はかつて豊川鉄道という私鉄だった。また、名鉄の前身は愛知電鉄という鉄道だった。それぞれが同じくらいの時期に豊橋に路線を伸ばすにあたり、その合流地点から豊橋の間は、お互いが単線の線路を敷いて、それを複線として使用するという話があったそうだ。その名残が、国鉄からJRを経て現在まで続いているが、現在は完全にJRが有利で、名鉄は申し訳なさそうに乗り入れているようにも見える。

これから飯田線の10時42分の列車に乗るが、これが飯田線全線の100近いを7時間弱かけて走る岡谷行きである。飯田線に乗ることが目的なら時間帯的にもベストな列車である。ホームに下りた時にはすでに乗車口に長い列ができている。出で立ちからして、青春18きっぷで全線を乗り通すか、あるいは沿線の秘境駅を訪ねるか、いわゆる乗り鉄の殺気すら感じられる。乗ること自体は問題ないのだが、座れるかどうかは大きい。だから良い席狙いの殺気である。私もそのいずれかのためにこの列車に乗るのなら、知らないうちにそんな表情になっていたかもしれない。

ただ、この日は豊川が目的地。豊川までなら区間列車が頻発しており、座るのが第一なら区間列車に乗れば十分である。ただそこは、飯田線全線の通し列車に乗るほうが面白そうだ。座席は別にいいので、運転席の後ろに立ってみる。この一角も、「ビデオカメラをガラスに吸盤で貼り付けて前面展望を撮影しようというおっさん」とか、「望遠レンズのカメラを首からぶら下げ、右手には時刻表をにぎり、左手ではパンをかじりながら列車番号名をブツブツと唱えるお兄さん」など、こうした列車にお似合いの輩、もといキャラクターたちのパラダイスである。もっとも、その横に立つ私も、他の乗客には同類と見られているだろうが・・・。

運転席の後ろなので、かつてそうした経緯があった線路の様子も見える。豊川を渡り、分岐点で正式にJRと名鉄の線路が分かれる。ただしばらく走ると左側からまた線路が寄り添ってくる。こちらは名鉄の豊川線である。

10時54分、豊川に到着。ここで下車する。岡谷まで7時間近く走る列車のうち、12分だけ乗ったことになる。それもまたいいかな。ホームで列車の発車を見送るが、ボックス席に、ドア横のベンチ席に陣取った人の顔を見ると、やはり「乗りに来た」客の多さを感じる。

さてここからは豊川稲荷に向かう。駅では狐がお出迎えで・・・。
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青春18で東へ・・・行き先はサイコロで

2018年04月09日 | 旅行記D・東海北陸
先の記事では4月8日のBCリーグ観戦について書いたが、その前の日、7日は青春18きっぷを手に東に向かっていた。

北の方は年末年始や今年の西国めぐりで訪ねたし、西や南も何やかんやで訪ねている。とすると東へ向かいたい。岐阜や愛知には、行っているようで行ったことのないスポットも結構ある。ただそれらをどう回ろうかとなると、また迷ってしまう。・・・ということで、そうした時はサイコロである。とりあえず回るエリアを出目に挙げて、それに委ねることにする。

大阪6時21分発の米原行きに乗る。朝の時間だが大阪駅ホームの快速乗車口には長い列ができている。普通に京都あたりに出かける感じの客も多いが、いかにも青春18きっぷのヘビーユーザーという感じに見える客もいる。この列車は大阪始発ということもあり、まずはほぼ全員が座れた。

朝早いのでウトウトとしながら進む。まずはこの列車で米原まで行き、8時25分発の新快速豊橋行きに乗り継いで関ヶ原を越えるつもりだ。京都で乗客の半分が入れ替わるが、同じように京都から滋賀に向かう客が乗って来る。

シート越しに、前の席の男性客が行程を書いたメモが見える。メモと言ってもスーパーのチラシの裏に大きな文字で書かれているので、目に入ってくる。見える限りでは、この先新潟まで向かい、磐越西線で会津若松経由で郡山、磐越東線から常磐線と回って東京に出て、大阪に戻ってくる。2泊3日の行程のようだが、鈍行で乗り通すとなると結構ハード、途中で観光する時間もないだろう。これも純粋な乗り鉄の姿である。新潟までは北陸線~第3セクター乗り継ぎも検討したようだが、名古屋から中央線など乗り継いで向かうようだ(どういう乗り継ぎプランなのか、時刻表で推測してみようか)。

この前日の6日から天気が崩れていて、7日も朝のうちは近畿から東海にかけても雨が残る予報だった。また気温もぐっと下がるそうだ。外の空模様も冬を思わせる感じがして、雨も降ってきた。

米原に到着。乗り継ぎの新快速は同じホームの向かい側から発車する。早速乗車口には行列ができる。8両編成の運転とあり、それなら全員着席できそうだ。事実、車庫からの仕立列車のクロスシートには並んでいた全員が座り、それでも通路側に空席があった。

列車は雨の中、東へ進む。沿線には桜も多いが、残念ながら花が散っている。開花~満開が早かったぶん仕方ないのだが、ちょっと残念だ。

関ヶ原を過ぎる。ここまでだらだら書いて引っ張ったようだが、天下分け目?の行き先サイコロとする。もちろん、周囲の目もあるのでスマホのサイコロアプリだが。その出目は・・

1.岐阜~一宮~清洲など、尾張西部から名古屋(この辺りはJR、名鉄いずれに乗っても通過してばかり)

2.下呂温泉(ただし、美濃太田からは時間節約で特急に乗り換え)

3.恵那から明知鉄道(岩村城跡も含む)

4.太多線~多治見~豊田市(足助、香嵐渓も行けるかな)

5.豊橋、豊川稲荷、後は三河エリア(名鉄の三河エリアの路線にも乗れるかな)

6.知多半島を縦断(歴史のある半島、ともかくは南端の師崎を目指す)

関ヶ原から東に進み、行き先のエリアを時計回りに出目に充てる。それぞれ観光の面ではいろいろ新たな楽しみが期待できる。

外がどんよりした中で出た目とは、果たして・・・?
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BCリーグ観戦記・滋賀対福島@甲賀(球場も試合も寒かった・・)

2018年04月08日 | プロ野球(独立リーグ・女子プロ野球)
今季も独立リーグの試合観戦を何試合か行うことにする。四国アイランドリーグについては八十八所めぐりとの組み合わせで、現在回っている愛媛、そしてその後に入る香川での観戦をもくろんでいる。

一方でBCリーグだが、4月7日に開幕。その中で関西の球団である滋賀ユナイテッドの試合観戦に出かけることにする。8日の甲賀市民スタジアムでの第2戦、対戦相手は福島ホープスである。滋賀対福島、リーグの西の端と東の端という観戦は初めてだ。

昨季新加入した滋賀の試合には3試合訪ねているが、いずれも敗戦。まずは初勝利の場面を見ることができるだろうか。

ということで、東海道線と草津線を乗り継いで貴生川駅に現れる。駅から球場までは歩いて20分あまりだが、7日と8日は開幕シリーズということで、球団が無料送迎バスを出すという。普段は選手の移動用で使っている観光バスタイプの車両で、せっかくなのでこれに乗る。ホームページでは10時45分から30分おきの運転とあったが、何人か乗っているからか、前倒しで11時に出発。5分ほどで球場横の道路に横付けされた。このサービスもこのシリーズ限定だと思うが、滋賀球団の球場はいずれも駅から離れているところなので、せめて土日は運転してもいいのではないかと思う。

さて今季、滋賀ユナイテッドのファンクラブ「BLACKS」に入会することにした。これまでBCリーグでの試合は特定の球団は応援せず、球場めぐりの旅を兼ねて地元の雰囲気を味わうのを楽しんでいたし、これからもそうするつもりなのだが、やはりBCリーグ唯一の関西のチームとして応援したいところである。最もライトな会員で年会費3000円だが、入場券が2枚ついてくるのと、チケットホルダーがもらえる。当日券は1500円だから、2試合観れば元が取れる。球場入口で申し込みを行い、いただいたチケットを早速使う。ファンクラブ会員は通常より早く入場することができる。

グラウンドでは福島の選手が打撃練習中である。三塁側のファウルグラウンドで野手相手にノックをしているのが、福島の岩村明憲監督。言わずと知れた元スワローズ、メジャーリーガーの好打者である。福島球団初年度から選手兼任監督としてチームを率いてきたが、選手としては昨年で引退。今季は監督一本で臨む。

一方の滋賀は、今季は松本匡史監督が指揮を執る。元ジャイアンツの盗塁王で「青い稲妻」の愛称がある。ジャイアンツやイーグルスでの2軍監督やコーチの経験があるが、BCリーグ、それも滋賀の監督になるとは驚いた。出身が兵庫(尼崎出身、報徳学園)ということで関西に縁のある人だが、どういう経緯でオファーを出したのだろうか。

監督はいいとして、コーチはどうなっているか。昨季は上園啓史監督、桜井広大コーチという元タイガースのコンビで投手、野手を見ていたが、今季は投手コーチという肩書はいない。そして野手コーチは、選手兼任でジョニー・セリスが務める。BCリーグで福井、富山とプレーしており、7年目の今季、滋賀に移籍。打線の中軸として期待されるが、コーチの指導としては未知数である。他に誰かコーチを引き受けるNPB出身者はいなかったのか、オファーを断られたのかはわからないが、大丈夫かな。試合前のアップではジョークを交えて一番声が出ていたが・・・。

試合前には、「滋賀球団公式アイドル」の紹介や、甲賀市長による始球式が行われる。それにしてもこの日は4月とは思えない寒さ。一応上に羽織ってはいるが、じっとしていると結構きつい。そんな中アイドルの女の子は脚を出してもっと寒いのではないかなと思う。

さて試合開始。滋賀の先発はチーム最年少の17歳の寺内(近江高校中退)。立ち上がりボールが先行し、3番のボウカー(元ジャイアンツ、イーグルス)には四球を許したが、バックの好守もあり無失点。

一方の福島の先発は高橋元気。3番の田中が二塁打、4番のジョニーが四球で出るが、続く北本を空振り三振に取る。続く2回は両チームとも三者凡退で、まずは締まった展開である。

三塁側スタンドには滋賀の私設応援団「近江豪勝連合」の面々が陣取る。昨年の途中から結成されたところだが、選手ごとのオリジナルの応援歌も出来ているし、トランペット、太鼓も充実している。先ほどの球団公式アイドルのお二人もスティックを持って応援に加わる。

3回は福島が二死満塁、滋賀が二死一・二塁とチャンスを作るが、それぞれの4番が凡退して無得点。特に滋賀の寺内が落ち着いた投球に見えた。

試合が動いたのは4回裏。北本、杉本の連打で無死一・二塁。迎えるのは桑田(桑田真澄さんの息子)。ここでチャンスコールなのだが、「止めたろか」というもの。「琵琶湖の水止めたろか 滋賀県ナメたら止めたろか 俺らの水止めたろか 止めたろか 止めたろか 琵琶湖の水止めたろか」とあり、チャンスの場面で『止める』とは歌詞としてどうかなという気がする。また、琵琶湖の水の恩恵を受けている大阪人としては複雑な気分。「滋賀をナメたらあかん」ということなのだろうが、福島の選手に向けて言ってもなあ・・。

そのチャンスコールのためか、桑田の当たりは一塁ゴロ。ボウカーが捕って二塁へ送球し、一塁走者はアウト。そして再び一塁に送球したところ、ボールが逸れた。その間に二塁走者がホームインして滋賀が1点先制。スタンドではバンザイが起こる。

これで滋賀有利となったが、直後の5回表。先頭の久岐がチーム初安打を放つ。続く吉田のバントが一塁エラーとなり、1番・岡下がレフトへの同点タイムリーを放つ。次の岸本の当たりは二塁ゴロで、二塁はアウトとなったが一塁への送球が一塁走者の岡下に当たってしまう。その間に二塁走者がホームイン。

これで流れが福島に傾き、ボウカー四球の後、高橋祥のセンター前ヒットで3対1。続く奈良のところで二塁への牽制球が悪送球となりホームインを許す。これで4対1。寺内としては前半が良かっただけに、守備の乱れ、さらには自身の牽制悪送球で急にバタバタと崩れたのがもったいなかった。

滋賀打線も、福島の高橋元気の前にランナーは出すが後1本が出ない。ランナーを置いたところで三振という結果が続く。

7回表。滋賀の投手は6回から登板の大高。そこから岡下のヒット、岸本の二塁打で5対1。その後もヒットと四球で一死満塁で高橋に交代。ただ福島の攻撃は止まらず、高橋恒の犠牲フライ、福士の2点二塁打、吉田のタイムリー、打者一巡後の岸本の2点タイムリーでさらに6点を挙げる。これで11対1。何とも一方的な試合になった。

7回裏、滋賀は北本のタイムリーで1点を返す。ただ反撃の勢いもなく、スタンドも寒いということでこの回で席を立つ人も見られた。

福島は9回表にも途中出場の野原、そして高橋祥のタイムリー、奈良の犠牲フライで3点を追加。14対2とした。

そして9回裏。滋賀は福島3人目の笠原から最後に田中のヒット、ジョニーの二塁打、北本の四球で無死満塁とする。試合の大勢は決まっていてもここで意地を見せたいところ。しかし後続が三者続けて凡退し、無得点。ヒットの数は福島13本、滋賀9本だったが14対2という大差。ヒット以上に四死球が福島10個、滋賀6個というのもあったし、チャンス時の後1本と、守備の乱れが点につながったところで差が出た形になった。

まだまだ公式戦は始まったばかり、これから巻き返しのチャンスはあると思うので、がんばってほしいところだ。

試合終了後、松本監督のサインをいただいて帰りもバスに乗り込む。今季の滋賀は甲賀、守山、湖東の3球場に絞って試合を行うという。またチャンスを見つけて観戦である・・・。
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土俵の「女人禁制」と相撲協会の対応

2018年04月05日 | ブログ
先の記事で、松尾寺に向かう途中で下車した西舞鶴で見かけたものとして、4月4日開催の大相撲の舞鶴巡業について触れた。町歩きの中で、舞鶴市制施行75周年記念イベントで、舞鶴での巡業が69年ぶりとして前回の番付などが資料館に展示されていたのを見た。

・・・その巡業が、まさかああいう形で注目を集めたとはね。

挨拶のために土俵に上がっていた舞鶴市長が急に倒れ、救護のために咄嗟に土俵に上がった医療関係者らしい女性複数に対して、アナウンス係の行司が「女性は土俵から下りてください」と連呼した一件である。

市長はくも膜下出血だったが、こうした救護のおかげか、入院、手術となったが大事には至らなかった。一方で、行司のアナウンスを含めた協会の対応には多くの批判が起こっている。まあこのタイミング、何かあれば相撲協会を叩こうという向きにとっては思いがけず舞い降りてきたネタである。今度は「女人禁制という伝統と人命のどちらが大事なのか」である。

私は、「女人禁制」というものを何でもかんでも否定するのは少し違うと思う。現代の合理性や価値観だけで物事の是非を決めてしまうのなら、伝統や文化というのはいらないだろう。神事の要素もある大相撲も、ちょんまげや着物を着る必要もなく、取り組み前後の所作もいらないとなる。それでは単なる力比べである。

ただ、この一件での「女性は土俵から下りてください」というのは、相撲協会側が女人禁制の意味を正しく理解していなかったのではと思う。神事、宗教としては禁制だとしても、目の前で人が倒れているというのは神事ではない。そこは男性女性を言う場面ではないだろう。

あの場面なら、やはりまずは救護優先。女性が土俵に上がったことに対して場内アナウンスするのではなく、その場は成り行きを見守り、後で個別に事情を訊くなりすればここまでの騒ぎにはならなかったのではないか。その場にいた人たちは、まず市長が大変なことになり、そこに女性も含めた救護の人が駆けつけ、どうなるのか見守っていたはずだ。市長が晴れの舞台(というか土俵の上)で倒れたということが発端で、ここが一番のトラブルのはずである。そこであんなアナウンスをしたために騒ぎが別の方向に行った。

また、女人禁制がけしからんと言っている人の中には、単に今の相撲協会をバッシングしたいだけなのでは?と思わせるものもある。何だかなあ。

ただ、何か突然のことが起きた時にどう対処するかは、私も会社組織にいる人間として考えなければならないと感じた。マニュアルの杓子定規な運用ではなく、柔軟な対応、咄嗟の判断、決断、事後のフォローなど。このところ相次ぐトラブルを見て、相撲協会はこの辺りのセンスが十分養われていないのではないかと思う。そうならば、こうしたところに外部の知恵を入れれば改善の余地があるかもしれない。

今はともかく、舞鶴市長の1日も早い回復を願うことである・・・。
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明石海峡大橋開通20年

2018年04月04日 | ブログ
明石海峡大橋が開通したのは1998年の4月5日。それからちょうど20年という記事を、神戸新聞のネット記事で見た。個人的には、今年は青函トンネルと瀬戸大橋の開通30年というのは認識していたが、明石海峡大橋20年は記事で初めて気づいた。鉄道が走っているところとそうでないところとの差ではないが。

明石海峡大橋の開通で、同じ兵庫県の淡路島と本土が結ばれただけでなく、その先の鳴門・徳島と関西が隣接することになった効果は大きい。また、明石海峡から淡路島を経て大鳴門橋から四国に入るのは、関西と四国を結ぶ最短ルートになった。四国八十八所めぐりでも何度となく通ったし、この先も通ることになる。

ただ、途中の淡路島となるとどうだろうか。これまで仕事でクルマで何回か高速を降りて島内を走っている程度だ。プライベートとなると・・・今思えばアホらしいのだが、いわゆる「お見合いバスツアー」で淡路島に行くというのに参加したものの、結局何事もなく、そのために居心地が悪くなって帰りのバスの中で一人ビールを飲んでいたくらい・・・しかない。

まあお見合いバスツアーはさておき、淡路島はそれ単独でも見所があるし、南北に広い兵庫県の多様性を現しているエリアである。近くて遠い、あるいは四国への通過点という認識のところだが、一度私流に回ってみるべきところだろう・・・。
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第29番「松尾寺」~西国三十三所めぐり2巡目・23(山の上で宝物に出会う)

2018年04月03日 | 西国三十三ヶ所
松尾寺駅からいよいよ寺への往復である。3キロほどの道のりで、次の敦賀方面の列車は2時間半後の13時46分発。駅から寺までは徒歩50分とあり、特に何事もなければ間に合うだろうし、寺での時間もそれなりに取れそうだ。

木造の駅舎は昔ながらの造りで、もちろん無人駅。かつての駅務室のスペースは集会所として使われるのか、会議用の机と椅子が並ぶ。

駅にこのような張り紙が2枚あった。駅にトイレの設備はあるものの、集会での利用時や工事の際の関係者用として普段は使用できないとある。私は先ほど西舞鶴で済ませたばかりだからいいが、松尾寺駅まで普通に列車を乗り継ぎ、駅でトイレを済ませてから寺に向けて歩こうか・・という人には厳しいだろう。まあ、無人駅で駅舎すらないとか、路線バスでやって来るのと変わらないが、近くにコンビニがあるわけでもなく(昔は国道から山道への分岐のところにあったそうだが)、張り紙では近所の民家にトイレを借りるのも迷惑と書かれているのを見ると、どないしたらええねんと怒る客もいることだろう。事実、張り紙の1枚には抗議の落書きがいくつもあった。ホームの上で用を足すぞという内容もある。元からないのならまだしも、あるのに使えないということに腹を立てている感じがする。

まあ、これは仕方ないのかな。松尾寺に徒歩で訪ねる人が多ければ何らかの手は打つのだろうが、わずかな人数ではね。これは西舞鶴、東舞鶴の駅、あるいは小浜線の車内であらかじめ済ませて・・・と気を付けるしかない。

トイレのことを書いている間に、同じ列車から降りた人たちはとっくに先に向かっている。私も寺に向けて歩き始める。徒歩であれば駅の南の国道27号線には行かず、少し東に歩いて線路の下をくぐり、集落の細道を行く。近畿自然歩道もこのルートをとっている。しばらくすると未舗装となる。轍があるのでクルマも通れるのだろうが、周りの田畑の作業用の位置付けらしく、クルマは入れない。前方に一人、さらに前方大きく離れて一人が歩いている。

田畑の中を進み、松尾寺に続く車道に合流する。前方に見える山の中腹に松尾寺がある。案外近いのかなと感じる。途中で前を歩いていたうちの一人を追い越す。

ここから勾配が急になるところで、直進すれば未舗装の道がある。西国古道ウォーキングを薦める団体による道しるべがあるが、確か途中で崩れているところがあったような。通行禁止とは出ていないが、ここは車道をそのまま上ることにする。近畿自然歩道は車道ルートをとっている。確かに勾配は急だが、これまでの札所めぐりの中でもこのような上りは何ヵ所か経験している。少し休みながらも、急な区間は15分ほどだ。そしてふと前を見ると、あれ、先ほど追い越したはずの人が前を歩いている。この人は西国古道の山道をそのまま歩いたのだろう。そのほうが結構近道になるのかな。西国の場合、四国とは異なり徒歩で回る人などめったにおらず、そのためにこうした徒歩道に関する案内はほとんどない。

駅から40分ほどで山門の下の石段に着き、最後の上りとなる。ともかく松尾寺に到着だ。山門の仁王像がパネルなのはともかくとして、境内に入る。一応、ここにも桜の木がある。山の中だからかこの日はまだ満開ではなかったが、春の雰囲気は十分である。それどころか、歩いて来たこともあり少々暑いなとも感じる。

正面の本堂に向かう。中から「どうぞ上がって中でお参りください」と声がかかり、靴を脱いで外陣に入る。正面には馬頭観音のお前立ちの像がある。松尾寺は西国三十三所で唯一馬頭観音を本尊としており、家畜の供養、交通安全(昔は馬が貴重な交通手段だったことから)、果ては競馬が当たりますようにというところまで受け持っている。もちろん、寺としては一般的な病気平癒や心願成就のご利益もあるとしている。

こちらで一通りのお勤めを行い、山門を出て右手の本坊で先達用納経帳に朱印をいただく。先日総持寺にて、掛け軸に替わる新たな取り組みである額縁用の台紙と各札所の八角形の用紙をいただいたが、この2巡目では出さず、これまで通りカラーの本尊御影を買い求めるにとどめる。それは、いつかまた3巡目を行うということを意味する・・のかな?

納経所にて、宝物殿の見学を申し出る。筆を片手に係の人が奥に「宝物殿お願いします」と声をかけると、奥から係の女性が出てきた。普段鍵をかけているようで、「準備しますんで、どうぞおいでください」と言われるが、こういう時に限って巻物の納経軸を片付けるのに手間がかかる。

山門をくぐって右手の新しい建物が宝物殿である。とは言っても常時開けているわけではなく、春と秋の期間限定である。この春は3月18日~5月20日まで開けている。3月末というタイミングで訪ねたのは宝物殿を見たいというのもある。納経所から急いで向かうと、先ほど奥から出てきた女性が出迎えてくれる。

収蔵スペースは思ったより小ぶり。解説をしてくれるとのことで中に入る。当然室内は撮影禁止なのでブログとしては文章だけになる。

まず目に入ったのは阿吽の仁王像。本来なら山門の両側に並び立つ像である。長年立っていたが損傷が激しくて修復に出したのだが、歴史的価値なども踏まえて、山門には置かないほうが良いのではとなったそうだ。松尾寺の山門は雨が吹き込むし、冬は深い雪に覆われる。そうした環境に長い間仁王像を置いていたのが損傷の原因とされている。ただ、宝物殿の中なら間近に見ることができる。仁王像を上から下まで眺める機会はそうあるものではなく、係の人に言わせれば東大寺の仁王像にも引けをとらないそうで、パネルの現物を見る中で迫力を感じる。

他には快慶の作とされる阿弥陀如来像や、国宝の普賢菩薩像の模写がある。他にも地蔵菩薩や松尾寺の仏舞の面も飾られている。

「実は今回の展示のメインがこちらで・・・ただ、一般の博物館で何も案内なければそのまま通りすぎるものかもしれません」と言われて紹介されたのが、終南山曼荼羅。見る限りではくすぶった感じの絵で、終南山という言葉も初めて聞くので、案内がなければそれこそスルーしていただろう。解説によると、終南山とは中国の西安の近くにある山で、仏教と道教の霊山という。中国に仏教が伝わった当時の漢の明帝が北斗七星の神に会ったという説話が描かれているそうで、太陽や星への信仰、あるいは五臓六腑や三尸の虫(庚申信仰に出てくる)なども登場する。終南山を描いた曼荼羅が日本で現存するのは、松尾寺と香川の道隆寺(八十八所の一つ)だけとのことで、国の重要文化財に指定されている。「欠けているところもありますが、もっと研究の対象になってもいいと思いますよ」と。

孔雀明王と如意輪観音の仏画を見て、これで一回り。最後に、「これは寺の秘宝でして」と、笑いながらケースに入った松の木の一部と松ぼっくりを紹介する。松尾寺は708年、中国から渡ってきた威光上人が開いたとされており、今年が「西国三十三所の1300年より10年早い1310周年」という。上人がこの地を訪ねた時、青葉山を見て、故郷の山に似た霊地と感じて、中腹にある松の木の下で修行した。すると馬頭観音を感得したので、この地にお堂を建てた。もうお察しかと思うが、寺ではこれがその時の松の木であるとして伝わっている。「そんなん嘘や思いますけど、まあ、言い伝えですから」と係の人が笑ったところで、宝物殿の見学にもオチがついた。

宝物殿には30分ほどいて、時刻は13時前。列車には間に合うが、寺の境内で昼食というにはちょっと余裕がない。食事は駅に着いてから、あるいは次の車内として、参道を戻る。途中、未舗装の道への案内が出る。先ほどここを近道で上った人もいたことだし、どんなものか行ってみる。

こちらは自然の山道。石がデコボコしていたり、大雨によって倒れたらしい木が道を塞いでいたりする。まあ、通れないわけではない。下りということもあり、10分ほどで車道に出た。行きの上りが15分あまりだったから、確かにショートカットの効果はありそうだ。このまま駅に戻ったのは発車の10分ほど前だった。待つ間に、ホームに設置されたガラス張りの待合室で昼食とする。

やって来た敦賀行きはワンマンの2両編成。ここから久しぶりの小浜線乗り通しで・・・。
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第29番「松尾寺」~西国三十三所めぐり2巡目・23(西舞鶴で桜見物)

2018年04月02日 | 西国三十三ヶ所
西舞鶴に到着。次の列車まで1時間半あまりあるので町歩きとする。列車での乗り換えでは何度か来ているが、町並みを歩くのは初めてである。

駅構内、また駅前には「大相撲舞鶴場所」のポスターや幟が目立つ。舞鶴市政施行75周年記念のイベントとして4月4日に行われるとある。舞鶴で大相撲の巡業はおよそ70年ぶりだという。大相撲の春場所は横綱鶴竜の優勝で幕を閉じたが、その後は関西から関東にかけての春巡業である。ポスターには3横綱2大関が出ているが、春場所休場の白鵬や稀勢の里は参加するのだろうか。私は巡業は観たことがないが、本場所とは違ったさまざまなイベントがあるし、稽古が見られたり力士との交流もある。この舞鶴場所はもちろん平日の仕事なので行けないが、一度どこかの巡業を観たいものである。

まず向かったのは田辺城跡。平成に復元された城門がシンボルのように建っている。この地に最初に城を築いたのは細川幽斎。関ヶ原の戦いでは東軍に味方して、50日に及ぶ西軍との攻城戦を繰り広げた。後に田辺藩として京極氏、牧野氏が入り、後に舞鶴藩と改称された。

城門の上は資料館となっており、細川幽斎の像や、牧野氏に伝わる武具などが展示されている。また、舞鶴の城下町を再現した模型もある。舞鶴というと軍港、岸壁の母、そして現在の海上自衛隊というイメージが強く、城下町の歴史というのはかえって新たな気づきになった。

城跡は舞鶴公園として、地元の人たちの憩いの場になっている。こちらの桜も満開である。カメラを手に桜のアップ画像を撮る人の姿も目立つ。城跡と桜というのはよく合うように思う。これが大阪城公園だとものすごい人だかりだが、こうした小ぢんまりした城跡で気軽に桜を楽しむのもよい。

田辺城跡から少し歩くと舞鶴市の総合会館がある。外には北陸新幹線の舞鶴ルート誘致の看板が出ている。確か、敦賀から京都までは小浜ルートに決まったのではなかったかな。大阪から北陸に向かうのに舞鶴を経由するというのはあまりにも現実離れしているように思うが、地元の人たちはまだあきらめていないのだろうか。

その一角が郷土資料館になっている。田辺城の資料館と同じく無料ということで中に入る。こちらは舞鶴の歴史をさらっと紹介したスポットで、「海の京都」の一部として、古来から海とともに生きてきた様子が紹介されている。昔の塩づくりの模型や、北前船による交易についても触れられている。当時の港は、城下町を流れる高野川の河口にあったという。

目を引いたのは相撲の番付。先に、大相撲の舞鶴巡業がおよそ70年ぶりに開かれると触れたが、ここにあるのは前回1949年(昭和24年)に行われた舞鶴場所の番付である。横綱が照国、羽黒山、前田山、東富士と4人いて、他にも後に横綱、大関となる力士の名前が見える。小結があの力道山というのも発見である。

「糸井文庫」というものを紹介するコーナーもある。丹後の与謝野町出身で、明治、大正、昭和戦前の実業家である糸井仙之助という人が丹後にゆかりの書籍や錦絵などを収集したもので、没後に舞鶴市に寄贈され、現在舞鶴市の指定文化財となっているものである。酒呑童子、浦島太郎、山椒大夫、岩見重太郎といったところがテーマとなっている。現在はこうした資料館での展示のほかに、舞鶴市と立命館大学の取り組みで閲覧システムとしてデータベース化されている。こうしたものがあるとは初めて知った。また話が逸れるが、タイガースの糸井選手も与謝野町の出身である。この糸井仙之助とはどこか親戚でつながっているのかな。

資料館を後にして、国道27号線を渡って高野川沿いに向かう。昔ながらの商店や旅館なども残る。伝統的な古い町並みというわけではないが、一昔前、昭和の雰囲気にさかのぼるような感じだ。この辺りは京へと続く旧街道だったそうだ。

その街道から山の手の方向に何やら立派な寺の山門が見えたので行ってみる。曹洞宗の寺で桂林寺とある。本堂には階段を上がるが、境内の桜がなかなかの眺めだった。

桂林寺は15世紀の初めに開かれた寺で、阿弥陀如来、薬師如来を本尊とする。細川幽斎ともつながりがあり、関ヶ原の戦いにともなう田辺城の籠城戦では幽斎を支援したこともある。その後、江戸時代の京極氏、牧野氏からも保護を受けた。西国や四国の札所の一つと言われてもうなずけるような由緒を感じる。お勤めは省略するとしても手を合わせようかと本堂に向かう。ちょうど中からは読経の声が聞こえてくる。

この愛宕山麓は寺町だったのか、麓にはいくつかの寺社が見られる。土地の神と言える朝代神社の鳥居をくぐり、境内を抜けると寺の本堂に出た。円隆寺という。こちらは真言宗の寺院で、平安中期の開創とされる。現在の建物は江戸時代に再建されたものだが、堂々とした造りである。

境内には四国八十八所のお砂踏みとして、各札所の本尊石像が祀られている。これを伝って行けば結構奥の方まで広がっていそうだ。丹後舞鶴の地にもこうした寺院があるというのも勉強になった。

これで駅まで一回りした形になり、そろそろ列車の時間も近づいてきたので駅に戻る。今回は訪ねることはなかったが、昔ながらの居酒屋もちらほらと見えるところで、何かの機会があれば一度西舞鶴に泊まってみるのも面白いかなとも思った(東舞鶴は過去に駅前で宿泊したことがあるが)。

さて、これから松尾寺を目指すが、昼食を仕入れることにする。次の東舞鶴では列車の接続が2分しかないし、松尾寺駅および松尾寺の周辺には食べるところもコンビニもない。改札口横にセブンイレブン売店もあるが、目に留まったのが待合室の奥にある「まちカフェ」のコーナー。手作りのパン、サンドイッチ、おにぎり弁当などがあり、こちらでいくつか仕入れる。松尾寺の境内でいただくことにしよう。

西舞鶴10時58分発の東舞鶴行きは、大阪からの福知山線の列車に接続していることもあってか結構混雑していた。一つ山越えする形で舞鶴の西から東へ移り、高架の東舞鶴に到着。次の小浜線の敦賀行きはホーム向かい側に停まっていて、すぐに出発する。

東舞鶴から7分、次の駅が松尾寺である。この駅に降り立つのは初めてで、1本だけのホームには私の他に2人が下車した。出で立ちからして松尾寺まで歩くのだろう。ようやくここから本日の本題である・・・。
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第29番「松尾寺」~西国三十三所めぐり2巡目・23(今回は青春18にて)

2018年04月01日 | 西国三十三ヶ所
4月に入り、拙ブログも2006年4月から数えて13年目。相変わらず細々としたローカルブログですが、これからもよろしくお願いします。

そんな中、カレンダーを戻して3月31日。この日は青春18きっぷを使って出かけることにする。そこで出たのが、西国三十三所めぐりのうち、自宅から離れた第29番の松尾寺である。西国の2巡目も3分の2まで来て、残りの札所をどう回るかだが、青春18の時季に出かけるのが得なのが松尾寺となる。1巡目の時は福井のおおい町で行われたBCリーグの試合を観るのと合わせたこともあり、レンタカーで訪ねた。三十三所のうち唯一公共交通機関または徒歩で訪ねることがなかったところである。小浜線の松尾寺駅から3キロほどだが、青葉山の中腹まで上ることになる。春の時季、天候もよさそうなので出かけることにする。なお、3月31日~4月1日の週末はちょうど関西のあちらこちらで桜が満開である。松尾寺が桜の名所とは聞かないが、まあ、境内に桜の1本や2本はあるだろう・・・。

朝6時すぎ、大阪駅に現れる。大阪から小浜線の松尾寺に行くのなら、福知山線~山陰線~舞鶴線~小浜線のルートが最短となる。自宅から始発で大阪駅に着いて乗るのは6時09分発の篠山口行き。この列車が篠山口で福知山行きに接続していて、8時31分に福知山に到着する。その後で舞鶴線に向かうとなると・・・その2分前の8時29分に出たばかりである。その次は10時18分発の東舞鶴行きとなり、終点の東舞鶴では2分の接続で小浜線に乗る。

福知山8時29分発の東舞鶴行きに間に合わせるには、大阪5時55分発の福知山行きに乗る必要がある。ただこれには藤井寺からでは間に合わず、どうしても乗るなら大和路線の柏原まで1時間近く歩いて、4時49分発の始発に乗ることになる。さすがにそれはどうかな・・・。

松尾寺に向かうなら、最初に書いたルートでの乗り継ぎでよい。そんな中で福知山8時29分発に乗りたいなと思ったのが、松尾寺に行くまでの間にどこか1ヶ所で途中下車しようということである。駅としては西舞鶴かなと思う。そう思って時刻表をもう少し見ると、京都からなら舞鶴線との分岐駅である綾部で乗り換え可能であることがわかる。大阪6時21分発という早朝には変わりないが、山陰線の園部~綾部で特急を利用すれば綾部で追いつくことができる。ちょっと変則的なルートとなるが、これで行ってみよう。

大阪6時21分発の米原行きに乗り、京都で下車。7時02分発の園部行きに乗り換える。4両編成だが、次々に乗客が乗りこむ。外国人の姿も目立つ。周りを見るだけでも韓国、インド、欧米と多様に亘っており、私のほうがどこかの国の列車に乗りに来たような気分である。

梅小路公園の横を過ぎる。こちらにも桜があり満開である。京都鉄道博物館の横では新駅が建設工事中である。そこから市街地を走り、嵯峨嵐山に到着。立ち客も出るほど多かった客が、外国人を含めて一斉に下車する。スマホで桜の見物スポットを検索すると、京都市街では桜がほぼ満開となっており、朝早くから嵐山や周辺の寺院なども大勢の観光客で賑わうことだろう。京都市街といえば、私が現在並行して進めている近畿三十六不動めぐりの札所が固まっているのだが、なぜかここまでくじ引き、サイコロで当たったことがない。この桜の時季もあえて避けているのかなというくらいである。

列車がガラガラとなり、保津峡に差し掛かる。トンネルを抜けた馬堀では、ホームに沿って桜並木がある。これもよいものだ。

この後、亀岡の先の千代川でもホームの桜並木が見事な眺めである。駅のホームのすぐ横というのがよい。年に数日の景色なのだが駅を利用する人、あるいは列車で通り過ぎる人たちの目を楽しませてくれる。

7時47分、終点の園部に到着。ここで8時02分発の特急きのさき1号に乗り換える。時間があるので一度改札を出て、乗車券と自由席特急券を購入。7両編成のうち自由席は中央の2両なのだが、半数以上の座席が埋まっている。通路側の席に腰掛けたが、外の様子はよく見えない。園部から綾部までが山陰線で最初のローカル区間と言えて、車窓も山並みが広がるのだが、それらはちらちらと見るだけである。

8時38分に綾部に到着。ホームが替わって、福知山から来る東舞鶴行きを待つ。やって来たのは国鉄型113系の2両編成。この辺りでも転換クロスシートの車両が増える中、昔ながらのボックス席車両である。

舞鶴線沿いにも至るところで満開の桜が見られる。途中の淵垣や真倉ではホーム横でも見られる。先ほどの山陰線から引き続いて、ローカル線の車窓で桜を愛でるわけだが、これから寺参りということで・・・桜を眺めながらの一杯はまだお預けである。

9時13分、西舞鶴に到着。ここで途中下車する。そのためにわざわざルートを変えたところもある。舞鶴見物ならこの先の東舞鶴まで行き、レンガ造りの建物や海上自衛隊の艦艇見学というのもよいが、この日はかつての城下町である西舞鶴を少し歩いてみることにする。同じ舞鶴でもまた違った表情があるようで・・・。
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開幕戦、惜しいというか残念な負け方・・・

2018年03月30日 | プロ野球(バファローズ・NPB)
30日に開幕したNPBプロ野球。福岡でのホークス対バファローズ戦について、中盤からBSでの中継を観る。バファローズ先発の西はホークス相手に好投を見せていた。

解説は小久保裕紀さん。「キャッチャーが構えたミットがほとんど動かないですね」「(ノーヒット・ノーランをされた)自分の引退試合でのピッチングを見ているようですね」などと、西の投球を褒めるところも。

ただ、打線がどうも・・・。ホークスの千賀がよかったこともあるが、何だか急に元気がなくなったように見える。

そんな中、7回で交代かと思った西が8回にも登板。ちょっと嫌な予感がしたが、案の定、ランナーをためて柳田に決勝の二塁打を許す。で、9回はサファテに手も足もでず2対0で敗戦。これで開幕戦は7連敗。惜しい点差なのだが、それ以上にもったいない、残念な負け方のように思う。

まあ、1試合終わったばかりだし、続く2戦目には田嶋、3戦目には山岡という若い投手が先発する。田嶋は立ち上がりが課題だと思うが、そこを乗り切ればスイスイ行くかもしれない。

気になるのは打線で、打てなければ、勝てない。何とか奮起してほしいものである・・・。
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