まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第26回中国四十九薬師めぐり~鳥取にて満願の打ち上げ、そして「満願之証」授与

2023年07月07日 | 中国四十九薬師

中国四十九薬師めぐりが第49番・森福寺で満願となり、オプションとして若桜鉄道に乗車後、レンタカーで鳥取駅前に到着した。後は広島に帰るだけで、予約しているのは鳥取16時20分発の「スーパーいなば8号」。その発車まで2時間ほどある。

そこで、列車に乗る前の時間を利用して、改めて中国四十九薬師めぐり満願の一人打ち上げとしよう。向かったのは、鳥取駅高架下にある「三代目網元 魚鮮水産」。中国観音霊場めぐりの満願前祝いの時にも訪ねた店で、昼夜通し営業で昼飲みにも対応しているのがポイントである。

海鮮丼をはじめとしたランチメニューが中心だが、山陰の名物を含む一品料理もしっかり楽しめる。まずは、レンタカー運転終了後の大ジョッキ。いや~、潤うわ。

とはいえ、それほどたくさん食べられるものではない。あれから1ヶ月近く経ってからの記事だが、改めて食べたものの写真を見返すと・・猛者海老(モサエビ)はから揚げでいただいた。

他には鰰(ハタハタ)の一夜干し、長芋短冊・・、。うわ、前夜と同じものを頼んでいる。

その他アテとしてはカニ味噌(境港で水揚げされたカニ)、しじみの酒蒸し。これでいただくのは「日置桜 純米吟醸 伝承強力」(日本酒度+14)である。何だか、「日本酒度」が高ければ高いほどいいような思いに捕らわれているようだが・・。

ともかく、最後にもう一度日本海の幸を味わうことができて、これで四十九薬師めぐりも締めである。

食事については同じ高架下にある「砂丘そば」。

ほどよい時間となり、ホームに上がる。「スーパーいなば8号」は側線に停まっており、その前にホームに入って来たのは若桜鉄道からの直通列車。先ほど私が乗った緑色の「若桜」号の前に、青色の「昭和」号が連結されている。

若桜鉄道の車両がホームを離れ、その後に「スーパーいなば8号」入線である。指定席車両の最後部の座席を予約している。指定席、自由席とも空席が目立つ。そしていよいよ鳥取出発となる。

列車は郡家で若桜鉄道を分岐し、智頭からは智頭急行に入り、鳥取県から岡山県、そして兵庫県に入る。前夜、鳥取駅前で飲んだ後、夜の東浜駅(山陰線で鳥取県内最後の駅)に降りてみようと思ったが、結局寝過ごして終点の兵庫県に入った浜坂まで乗ってしまった。まあこの時は思わぬ形で兵庫県まで入ったが、「スーパーいなば」の場合は列車の運行じたいがいったん兵庫県に入って上郡まで行き、そこから山陽線に入る形だ。

・・・ただ、気づけば智頭も岡山県もすっ飛ばし、画像は兵庫県に入った佐用の姫新線ホームである。何だかもったいない気分である。

改めて、智頭急行の兵庫県内の千種川沿いの景色を楽しみ、上郡着。ここで進行方向が変わり、私が座っている最後尾の席は、先頭の座席となる。乗降用のデッキがないので、座りしままに前方の展望もばっちり楽しめる。これは途中のウトウトなどもったいない。別に先ほどの智頭急行区間内で寝入って体力を回復したわけではないが・・。

山陽線のこの区間は、「青春18きっぷ」の時季になると混雑で着席が難しい区間なのだが、こうして特急(の最前列)に揺られることに特別感をおぼえる。

「スーパーいなば」同士のすれ違いもある。時刻表によると、相手は「スーパーいなば9号」のようだ。

短い時間だったが架線下の気動車の爆走を楽しみ、終点岡山に到着。ここまで来れば、後は適当な時間の新幹線に乗れば広島までそれほど時間はかからない・・。

最後は鳥取から岡山まで「スーパーいなば」に乗ったことで、中国四十九薬師めぐりをベースとした中国地方一周も無事に終えることができた。それにしても、四十九それぞれの札所がさまざまな個性を持つ寺院だったし、千年以上の歴史を伝える寺から、現代のニーズに応える取り組みをする寺まであらゆる景色を見ることができたし、初めて知ったことも多かった。合わせて、組み合わせた中国地方各地のさまざまな景色、味、鉄道などなどを楽しませてもらった。

・・・さて、帰宅後に中国四十九薬師霊場会の事務局がある第28番・常福寺あてに住所氏名等を記載したハガキを送り、「満願之証」の発行を申請した。

そして郵送されたのがこちらである。A4サイズで、名前の箇所を含めて印刷されている。番号に「五二〇號」とあったが、平成のはじめに発足した霊場会で、令和5年の時点で満願が520というのは少ないように思う。地元の人たちを中心に、別に満願したところで証明書の申請などしない方が圧倒的に多いのだと思うが・・。

これで中国四十九薬師めぐりは満願。さて、次はどのような形で中国地方を満喫しようかな・・・?

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第26回中国四十九薬師めぐり~登録有形文化財と「水戸岡デザイン」満載の若桜鉄道へ

2023年07月05日 | 中国四十九薬師

鳥取まで来たので若桜鉄道に乗るべく、因美線との接続駅・郡家に到着。先ほど、途中の安部、隼両駅を訪ねてきたが、やはり実際に列車に乗ってなんぼである。

智頭急行経由の「スーパーはくと」との行き違いで、鳥取から直通の12時03分若桜行きに乗る。やって来たのは緑色の「若桜」号。若桜鉄道では現在4両の気動車が稼働しているが、同じシリーズとして青色の「昭和」号、赤褐色の「八頭」号がある。そして残りの1台が先ほどちらりと見た「隼ラッピング」車両である。

「若桜」は従来車両の改造車だが、その外観からして何やら感じるものがある。

そして車内に入るとやはりな・・という確信となる。木目調のデザイン、独特の曲線を持つシート・・・そう、いわゆる「水戸岡デザイン」である。4人がけボックスシートは背もたれが一般的なボックスシートより若干低く感じられる。またボックスごとにテーブルがあり、何かを広げるにはちょうどよい広さである。

郡家で下車した人もいて、車内は4~5人となって発車。左手にカーブを取る。

次の駅は八頭高校前。通学生のために1996年に新設された駅で、高校のすぐ横にある。八頭高校は甲子園にも何度か出場しており、名前を耳にした方も多いだろう。最近ホームもリニューアルされたそうで、それも「水戸岡デザイン」である。

この後、因幡船岡を経て先ほど立ち寄った隼に到着する。「ハヤブサ」のライダーか、列車の見物らしき姿も見える。バイクで訪ねるのもよいが、列車の利用にもプラスになってほしいものである。

そして同じく先ほど立ち寄った安部に到着。昔ながらのスタイルを踏襲する駅名標も味わいがある。

のどかな里山の景色が広がる。若桜鉄道は旧国鉄若桜線を引き継いだ全長20キロ足らずのミニ路線で、若桜も行き止まりの駅だが、当初の構想では若桜の先、兵庫との県境を越えて山陰線の八鹿まで結ぶとあった。山陰線は豊岡から海岸沿いに走っていて途中餘部鉄橋があるが、この鉄橋が爆撃されるのを恐れて(そりゃ、標的にもなりやすいだろうし、もし破壊されれば復旧には相当の年月がかかりそうだ)、内陸部を経由するバイパス路線としての計画であった。結局は戦争も終わり、若桜から先は着工されることもなかったが、もし着工したとしても氷ノ山からハチ高原を経るルートで工事も難航しただろうし、また開業したとしても豪雪に悩まされたことだろう。

八東に到着。若桜鉄道は単線が続き、郡家から若桜まで列車行き違いが可能な駅がなかったが、2020年、八東に新たに行き違い設備が設けられた。これで列車の増発が可能となり、利便性の向上につながっている。それまでの9往復から5往復増えて14往復。まあ、増えた後で14往復かいな・・と笑うのは簡単だが、盲腸線で経営状況も決して楽ではない第三セクターローカル鉄道にあって、駅の増設(八頭高校前、徳丸)やこうした増発は精一杯の地域密着策といえる。その一方で、かつての貨物引込線があり、貨車も保存されている。

丹比を出発し、次は終点の若桜。ここまで駅間は2~3キロほどだったが、終点の若桜までの1駅間で5.7キロと長くなる。その間に八頭町から若桜町に入る。若桜は因幡と但馬、播磨を結ぶ街道沿いの宿場町でもある。鉄道は八鹿までつながることはなかったが、旧国鉄若桜線は沿線の木材や、牛馬市で取引された牛などの貨物輸送に使われていたという。

郡家から30分が経った12時35分、終点の若桜に到着。終着駅だが、若桜鉄道の本社や車庫はここにあって郡家よりもむしろ賑わっているように見える。駅舎をはじめ、こちらでもさまざまなものが登録有形文化財に指定されている。

その駅舎内だがレトロ調(というより「水戸岡調」)に改装されており、駅事務室を改装したカフェもできている。

本来ならここで多少時間を取り、鉄道施設や若桜の町並みの見物ができればよかったのだが、折り返しの列車は12時52分発で、その次は15時13分までない。列車を1本見送って若桜駅近辺で時間を送ることじたいは構わないのだが、鳥取から広島に戻る列車の乗り継ぎが・・(そのこともあり、一度はレンタカーで若桜まで来て郡家まで往復乗車し、その後若桜で少し時間を取ろうかとも考えたのだが、断念した)。

わずかの時間だが、「鉄印帳」の朱印を求める人の後で、窓口で「入構券」(300円)を買い求め、ホームの先に向かう。こちらにはかつての転車台、給水塔が保存されており、蒸気機関車、ディーゼル機関車も留置されている。駅舎、ホームと合わせてこれらの設備が一体感を演出する。

ローカル鉄道でも設備がコンパクトになり、必要最小限の設備だけ残して後は撤去されることも多いのだが、若桜は線区じたいがコンパクトだったためか、そのままに残されたものが多く、それが現在になって文化財的価値を産み出すようになった。何が作用するかわからないものである。

留置されている蒸気機関車は現在でも動くことができ、転車台で実演や構内走行のイベントも行われる。一度、実験走行の扱いで若桜鉄道の本線を走ったこともある。私も以前、蒸気機関車の機関助手側の席に座り、構内を往復したことがあるのを思い出す。

線路の奥に進むと客車が3両留置されている。たださすがに外観の傷みが目立ち、線路の上を走るのは厳しいのではないかと思う。

早くも折り返しとなり、同じ「若桜」号に乗り込む。行きで見た顔も交えて発車する。来た時とは反対側のシートに腰かける。帰りものんびりした車内である。テーブルがあるのでそれこそビールや弁当を広げての「飲み鉄」が似合うが、この後鳥取駅までのレンタカー運転が残っていて・・。

13時24分、郡家到着。駅前の駐車場から再びレンタカーに乗る。ここから鳥取駅までは30分ほどで行くことができる。ということで、帰りの列車まで時間があるし、昼食を兼ねて中国四十九薬師めぐり満願の打ち上げで一献いきますか・・・。

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第26回中国四十九薬師めぐり~若桜鉄道の木造駅舎を訪ねる(寅さんとハヤブサ)

2023年07月02日 | 中国四十九薬師

中国四十九薬師めぐりも無事満願となり、帰りの列車まで時間があるのでローカル線の若桜鉄道に乗ることにした。当初は、いったんレンタカーで終点若桜まで行き、若桜からの往復乗車ができるかと思ったが、列車の時間に間に合わなそうなので途中で断念し、郡家に戻ることになった。

その途中で駅をのぞいてみよう。若桜鉄道には開業当時からの駅舎や施設が多く残されており、合計23点が登録有形文化財に指定されている。ローカル線のこととて、駅舎を建て替えるお金がなかった・・のかもしれないが、今となっては昔ながらの姿を伝えるものとして、若桜鉄道の売りとなっている。

やって来たのは安部駅。1932年開業当時の駅舎、プラットホームがそのまま残されており、これらも登録有形文化財に指定されている。駅舎には美容室が入っている。

安部駅は映画「男はつらいよ」のロケ地にもなったそうで、駅舎内には当時の写真やポスターも飾られている。「男はつらいよ」シリーズ、ほとんど見ていないので映画のことはよく知らないのだが、昔ながらの鉄道風景はよく登場するという(それらを特集した書物もある)。

もう1ヶ所、安部駅の隣の隼駅を訪ねる。こちらも1929年の駅舎が登録有形文化財として残されている。そして、今はその筋にとって「整地」として知られている。

「隼」という駅名が、スズキのバイク「ハヤブサ」と同じということで、バイク専門誌の企画がきっかけで全国から「ハヤブサ」のライダーが集まるようになった。毎年、ライダー、鉄道ファンが集結する「隼駅まつり」も行われている。

かつての駅事務室は売店になっており、若桜鉄道や「ハヤブサ」オリジナルのグッズが並ぶ。また、日本地図が広げられて、どこから来たのかピンを刺すことができる。広島からもそれなりにいるが、関西、さらには首都圏が別枠になるくらい圧倒的に多い。

私がいる間にも駅舎に1台のバイク(おそらく「ハヤブサ」だろう)が横付けされた。店主と気軽に会話していたから近くの常連さんなのだろう。「隼」という駅名はこのあたりの地名から取られたそうだが、まさか開業から数十年の時を経て、バイクライダーの聖地になるとは思わなかっただろう。

駅舎に隣接して客車が留置されている。ライダーハウスとしての活用を見込んでここに持って来たそうだが・・。

郡家駅に向かう。駅横の駐車場にレンタカーを停める。改札口横にはJRの「みどりの券売機」はあるが、若桜鉄道の乗車券は駅舎内の観光案内所での取り扱いとある。若桜まで往復の乗車券を買おうとすると、1日フリー乗車券のほうがお得と案内される。郡家~若桜は片道440円、往復880円に対し、1日フリー乗車券は760円である。

しばらくホームで待つうち、鳥取から若桜へ直通する列車がやって来た。落ち着いた緑の塗色の「若桜号」である・・・。

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第26回中国四十九薬師めぐり~第49番「森福寺」(いよいよ満願!しかし・・)

2023年07月01日 | 中国四十九薬師

2年あまりかけて中国5県を巡拝した中国四十九薬師めぐりも、最後の1ヶ所、第49番・森福寺を残すのみとなった。

因美線の東郡家駅で国道29号線に入り、そのまま北上する。森福寺の最寄り駅は津ノ井で、地図で見ると駅からは2キロほどのところにある。近隣は工業団地も広がるが、古郡家という名の地区で、近くには前方後円墳もあるという。因幡の国にあって、畿内との結びつきが伺えるという。

カーナビに従って走ると森福寺の石柱があり、クルマ1台がやっとの路地に入る。その途中に駐車場の敷地が現れ、すぐ奥が山門である。

森福寺は平安時代中期、伯耆の三徳山の秀道法印が八坂山に庵を結んだのが始まりとされている。後に山崩れで廃寺となったが、江戸時代の初期に、戦国時代の因幡武田氏の当主・武田高信の遺臣たちが主君の菩提を弔うとして、播磨から道久という僧を招き、現在地に禅寺を建立し、現在の森福寺となった。この武田高信という人物、毛利氏の手先の役回りで因幡にて山名氏や尼子氏再興軍らと戦いを繰り広げたが、後に毛利氏と山名氏が和睦を結んだことで邪魔な存在となり、切腹させられたとも斬殺されたとも言われている。さすが謀略が得意とされる毛利らしいが・・。

本尊の木造薬師如来は平安時代後期の作とされ、かつて八坂山にて祀られていたものという。

山門をくぐると正面に本堂がデンと構える。中から僧侶の読経の声がする。門前にクルマが何台か停まっていたのは、法事で来られた人たちだろうか。私も扉の外にてお勤めとする。

さて、これで朱印をいただき、中国四十九薬師めぐりのパンフレットに「満願之証」がいただけるとあるので、それを申し出よう。寺の方が確認できるよう、これまでの48ヶ所分の朱印とバインダーも持参している。

本堂で法要中なのでどうかなと思うが、インターフォンを鳴らす。しばらくして寺のご老人が出てきた。「年寄りで要領がわからなくて・・」と言われたが、これまでの朱印を見せるなどしてどうやら理解していただき、「これでいいですか?」と中国四十九薬師の書置きの朱印の紙はいただけた。

問題は「満願之証」である。これまで巡拝して来た札所めぐりでは結願となる寺院、あるいは任意の寺院にて満願の対応をしていただいている。中国観音霊場の場合、鳥取市にある最後の第33番・大雲院の納経所にて証明書や御札などを授与された。当然、中国四十九薬師の場合も森福寺で対応してくれるものと思ったが、ご老人は何のことやらといった表情である。

ここで押し問答しても仕方ないので、住職たちは現在法要の最中だが、終わったら確認していただき、連絡をいただくという話になった。用件と携帯電話番号を書いたメモをご老人に渡し、いったん寺を後にする。

「満願之証」がどうなるかはともかく、これで49ヶ所を回り終えたことは事実である。達成感もあれば、ようやく終わったという安堵感もある・・・。

さてこれからだが、現在の時刻は10時45分頃。鳥取を後にする16時20分発の「スーパーいなば6号」で時間はある。来る前に頭にあったのは、久しぶりに郡家から若桜鉄道に乗るというものである。ここでローカル線も組み込んでみる。

本数が少ないので時刻表をチェックする必要があるが、今の時間からなら郡家での待ち時間が長すぎるので、逆に終点の若桜までクルマで走れば、若桜11時23分発の列車に間に合うかもしれない。若桜駅前にクルマを停めて、郡家まで往復して若桜から鳥取に戻れば早いのだが、さすがにカーナビではギリギリの案内である。もし間に合わなかったら実に中途半端な事態になる。

そこで、標識に安部駅の表示が出たところで若桜まで行くのを断念し、向きを変える。結局、郡家12時03分発の若桜行きに乗ることにしたが、その前に途中駅の見物ができそうだ。この後、安部、隼という2つの駅に立ち寄った後、郡家に戻る。これについては別記事にて・・。

郡家で若桜行きの列車を待っている間に携帯が鳴った。森福寺からである。住職らしき方からの説明によると、中国四十九薬師の「満願之証」については各寺院ではなく、第28番・常福寺にある霊場会事務局で対応しているとのこと。常福寺は山口県美祢市にあり、私の巡拝では山陰線の「○○のはなし」で東萩まで行き、東萩からレンタカーで新山口に出る途中で訪ねたところだ。近くには、奈良・東大寺の大仏にも使われた銅を産出した長登銅山跡もある。一瞬、美祢まで行かなければならないのかと思ったが、わざわざ行かずとも郵送で対応してくれるはずなので確認してほしいと言われた。

案内いただいたことにお礼を言い、中国四十九薬師のサイトに掲載されている事務局のフリーダイヤルにかける。・・ただ、こちらもお留守。常福寺もご家族でやってらっしゃる感じの小さな寺だったのを思い出して、まあ法要等で留守にすることもあるだろうと、後日改めて電話した。確かにここで受け付けているとのことで、「満願之証」に文字を入れるのに間違いがあってはいけないので、手紙またはFAXで名前と住所を連絡するように言われる。手続き費用(2000円)は、振込用紙を同封するのでそれで後払いとのこと。これが届くのを楽しみにしよう・・・。

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第26回中国四十九薬師めぐり~第48番「大樹寺」(八頭の有楽椿)

2023年06月30日 | 中国四十九薬師

6月11日、中国四十九薬師めぐりの満願に向けての1日である。順調に行けば午前中には無事満願となるところ。

宿泊した「鳥取グリーンホテルモーリス」にて、和洋とメニューが豊富なバイキング形式の朝食をいただく。8時前に出発。前日と同じく薄曇りである。

これから目指すのは八頭町にある第48番・大樹寺で、鳥取駅前からなら国道29号線を南に走るところだが、逆方向の国道9号線バイパスにて岩美町を目指す。前日訪ねた第47番・東源寺は寺の方が留守で(本堂の中に書き置きがあったが扉が閉まっていて)朱印をいただくことができず、まずはこちらに出向くことにした。

岩井温泉に到着。前日に続いて「ゆかむり温泉」にも惹かれるが、まずは寺である。境内に入るとクルマが停まっており、これなら在宅されているだろう。本堂の前でお勤めとして、庫裏を訪ねる。そしてインターフォンを鳴らすが、応答がない。あれ・・・またお留守か。前日ならまだしも、ここで朱印がいただけないとなるとこの日の満願が危うい。

さてどうしたものかとしばらく立っていると、寺に女性がやって来た。地元の方がお参りに来たのかなと見ていると庫裡のほうに来た。ちょうどお出かけか散歩から戻って来たタイミングで、無事に朱印をいただく。

ホッとして、改めて大樹寺を目指す。国道9号線から県道31号線に入る。カーナビの画面で、途中クネクネした区間があるのが気になるが、古来の但馬方面からの山陰道の一部で、矢印の先に「鳥取、国府」の文字があるのを頼りに進む。

・・・案の定、細道が続く。「県道」というより「険道」区間で、途中離合に苦戦した区間もあった。とはいえ、その筋の人からみれば何でもない区間なのだろうな・・。

十王峠を越え、国府に入ると道幅が広がる。殿ダムの人造湖も見える。

八頭町に入り、大樹寺への案内板が出た。最後は少し坂を上り、広い墓地と堂々としたお堂に出る。

正面に大木が伸びている。この木があるから大樹寺という名なのかなと思った。この木は有楽椿というそうで、樹齢400年ほどと推定される。有楽椿とは茶人大名の織田有楽斎が茶花として愛好したことからつけられた名前である。もっとも、大樹寺という名前はこの椿から取られたものではなく、大樹とは中国でいうところの将軍、為政者の意味だという。

大樹寺は記録が失われて創建時期などは不明という。戦国時代、秀吉の鳥取城攻めの前段で若桜城を攻め落としたが、その時に大樹寺も兵火に遭ったのではないかとされている。江戸時代に曹洞宗の寺院として再興し、有楽椿もその時に移されたものだろう。

本堂の扉が開いており、中でのお勤めとする。羅漢像のほかに、八頭高校書道部の一筆も掲げられている。こちらにも椿が描かれている。

本堂に隣接して納経所があり、無事に朱印をいただく。

さて、これで残すは第49番・森福寺である。このまま郡家方面に向かい、国道29号線に出る。因美線の東郡家駅近くだが、ちょうど若桜鉄道の「隼」ラッピング車両が通過していった・・・。

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第26回中国四十九薬師めぐり~鳥取にて満願前祝い

2023年06月29日 | 中国四十九薬師

中国四十九薬師めぐりは満願に向けた最後の夜ということになった。鳥取駅前の「鳥取グリーンホテルモーリス」にチェックインする。天然温泉ではないものの大浴場があり、朝食やリラックススペースも充実している。以前の中国観音霊場めぐりの最後にも宿泊したところである。

チェックインの前に近くの提携駐車場にレンタカーを停めたのだが、提携施設に以前は「鳥取大丸」とあったのが、「丸由(まるゆう)百貨店」という名前に変わっている。最近、地方の百貨店が相次いで閉店、縮小する中で大丸も閉店したのかと思ったが、多少事情は異なるようだ。ここは大丸の直営店ではなく、元々あった「丸由(まるゆ)百貨店」が大丸と資本提携して「鳥取大丸」という名前だったのが、その後大丸との資本提携を解消してライセンス契約のみ存続していたが、2022年にその契約も満了となり、大丸の名前が消えたという。

さて、この日(6月10日)の夜は中国四十九薬師めぐりの満願の前祝いとしての一献である。中国観音霊場めぐりの時もそうだったが、岡山に始まり、広島、山口、島根と来て最後は鳥取、日本海の海の幸、山の幸で最後を締めるのはよいものである。そして選んだのは「スーパー居酒屋鳥取だいぜん」。鳥取のあれこれが並ぶ店である。

まずはプレミアムモルツで乾杯。「飲み鉄」もいいのだが、ハンドルを握り終えた後の一杯というのも緊張からの解放ということでよいものである。

そして鳥取のうまいものをいろいろ。まずは長いもの短冊、あごちくわ。

造りの盛り合わせは1人前でもさまざまな味を楽しめる。

「超おすすめ」とあった「酒ノ津産さば麴漬あぶり焼」をいただく。酒ノ津とは鳥取市街から西、白兎神社からもう少し進んだところにある漁港で、塩サバで有名だという。そこのおすすめということで「麹漬あぶり焼」をいただいたが、サバの脂を楽しむなら、シンプルにしっかり塩焼きでもよかったかなというのが個人的な感想である。

焼き魚の部としてハタハタの干物をいただく。これも鳥取の定番といっていいだろう。

地酒の飲み比べセットとして、瑞泉、日置桜、辨天娘とメニューの上から下への3種類を選択する。さらに改めて、瑞泉の純米大吟醸の冷酒を。結構いきました。

さまざまに楽しんだ後だが、日の長い時季ということもあり外はまだ明るい。では二次会・・というところだが、「だいぜん」の隣にあり、前にも入ったことがある立ち飲み屋は満員御礼である。ホテルに戻って大浴場に入ってのんびりしてもよいが、ふと、山陰線の気動車に乗ってみようということで駅に向かう。

乗ったのは、鳥取19時ちょうど発の浜坂行き。キハ47の2両編成は1ボックスに1人いる程度の乗車率である。土曜日の夕方となるとこんなものかという感じである。

列車に乗るだけが目的ならどの方向でもよかったのだが、浜坂行きに乗ったのは、先ほど訪ねた東浜に降り立ってみようということからである。夜の砂浜の景色を(おそらく一人で)見てみたいと思ったのだ。東浜到着は19時37分、そして帰りの鳥取行きは20時22分発である。

まずは隣の福部までの長い駅間を走る。さすがに走るに連れて外も暗くなってくる。そんな中、気動車ののんびりした揺れを心地よく感じる。この日は鳥取まで列車で来たといっても新幹線~やくも~スーパーまつかぜという爆走列車が続いただけに、ローカル線の夜の風情もいいなということで・・・。

・・・外が暗くなったのに気づき、次の疱瘡を聞くと何と終点の浜坂。あら・・・思いっきり寝過ごしてしまった。こういう形で兵庫県にまで入るとは思わなかった。さすがに「だいぜん」で飲んだのが良い具合に回りすぎたか。19時51分、浜坂着。

この時間だがすでに駅前は真っ暗である。折り返しは20時07分の鳥取行き。まあ、東浜で下車した後で折り返すのと同じ列車なので、鳥取に戻る分には同じである。さすがに今から東浜に下車する気はなく、そのまま鳥取に戻ろう。

「お元気でまたおこし下さい」というホームの看板も、何か刺さるなあ・・・。

この時間からの鳥取行きとなるといよいよ乗客は少なく、同じ車両に乗ったのは私ともう一人だけ。ガラガラなのをいいことに窓を開けて、外からの風と気動車のエンジン音を存分に浴びることにする(はっきり言って酔っ払いの所業だが・・)。

東浜に到着。乗降客はいない。先ほど寝過ごさなければここで下車して一人過ごした後にこの列車に乗ったわけだが、この記事をまとめている現時点の思いとして、仮にあの時予定通り下車したとして、この列車が着くまで結構時間を持て余すことになったのではないかな・・。

21時05分、鳥取到着。ホテルに戻る。

大浴場に入った後はリラックススペースにてくつろぐ。マンガもずらりと並ぶし、(私は食べなかったが)夜鳴きラーメンのサービスもある。

さて翌日(6月11日)だが、まずは朱印をいただくことができなかった第47番・東源寺にもう一度向かい、その後で第48番・大樹寺、そして第49番・森福寺で満願となる。まあ、東源寺はどなたかいらっしゃるだろうというのが前提だが・・・。

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第26回中国四十九薬師めぐり~東浜駅と浦富海岸

2023年06月28日 | 中国四十九薬師

中国四十九薬師めぐりは第47番・東源寺まで回り、朱印がいただけなかったので翌日にもう一度訪ねるとして、この後は宿泊地の鳥取駅前に戻る。その前に「山陰ジオパーク」に属する浦富海岸に立ち寄ろうと、岩井温泉からそのまま北上して山を一つ越える。

目指すのは山陰線の東浜駅。山陰線で鳥取県の東端の駅で、隣の居組駅は兵庫県に入る。東浜に停車する列車は兵庫県の浜坂発着だが、JR西日本の福知山と山陰の支社の境界にあたる、つまりは近畿と中国地方の境界に位置することから、災害時の列車運行情報が出る際には「豊岡~東浜間運転見合わせ」「鳥取~東浜間運転見合わせ」といった具合に表示される。実際は「豊岡~鳥取間運転見合わせ」で、現地に行けばそうした案内になるのだが、地域単位、支社単位の視点だとこうした発表になることがある。

これまで山陰線の列車で通ったことはあるが、駅そのものを目的として、また外から出かけるのは初めてである。北近畿と山陰の境界駅はどんなところか。確か駅から近いところに海岸があったはずだ。

駅前の集落をたどり、駅舎に到着。すると何とも開放的な新しい建物が現れた。

もちろん無人駅なのだが、待合室はガラス張り、そして改札口のゲートの天井は鏡張りになっている。ここに立つと集落の向こうに海岸線を見ることができる。天井を鏡張りにしたのは周囲の景色と一体になれる感じを出すためだとか。

また、緑色に塗られた丸型ポストが建つ。この緑色といえば・・。

JR西日本がクルーズ列車「トワイライトエクスプレス瑞風」の運転を開始したのは2017年のこと。そのコースに浦富海岸が含まれることとなり、東浜駅が「瑞風」の立ち寄り駅となった。これに合わせて駅舎も建て替えられ、「瑞風」カラーのポストも置かれた。なお、この駅舎をデザインしたのは、「瑞風」を担当したインテリアデザイナーの浦一也氏。

駅から民宿、民家を抜けたすぐのところに砂浜が広がっている。東浜海水浴場で、浦富海岸の中でも水質が優れているという。こちらの海岸も「瑞風」の運転に合わせて遊歩道が整備されるとともに、海の見えるレストランも地元の人たちによって新たに開業している。また大波等で海岸がえぐられ、だんだん後退するのを防ぐために、壁となる「サンドパック」を設置する工事が進められている。砂浜もところどころ固められているのがわかる。

空には薄雲が張っていて青空は望めないが、風も心地よい。他に人もおらず、しばし一人波と対峙する。もう少し季節が進むと多くの人たちで賑わうことだろう。浦富海岸、山陰ジオパークといえばゴツゴツした岩や複雑な海岸線をイメージするのだが、こうした白砂もあるとは知らなかった。よく、「瑞風」をここに停めようと目をつけたものである。

駅を後にして、国道178号線に出る。次に立ち寄ったのは浦富海岸で、こちらも海水浴場である。この辺りから西が「山陰松島」と称される島や奇岩が続く一帯である。

この日は移動の関係で海沿いの道をレンタカーで走っただけだが、できることならこの景色は遊覧船に乗って海から眺めたほうが迫力あるし、「ジオパーク」を感じることができただろう。札所めぐりの一部は次回にまわして、今回は浦富海岸あたりに1泊しながらジオパーク見学というプランも考えたこともあったが・・。

このまま国道9号線バイパスまで出て鳥取市街に戻る。この日の宿泊は駅前の「鳥取グリーンホテルモーリス」。以前にも泊まったことがあり、(大浴場は天然温泉ではないが)居心地がよいところ。広めのシングルルームにてゆったり過ごす・・・。

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第26回中国四十九薬師めぐり~第47番「東源寺」(岩井温泉にて憩う・・)

2023年06月27日 | 中国四十九薬師

中国四十九薬師めぐりは鳥取県の東の端、岩美町に入る。山陰ジオパークを構成する浦富海岸で知られる。この日(6月10日)の札所めぐりは第47番の東源寺で折り返して鳥取駅前に戻るので、帰りは海岸線をちょっと見物しようかとも思う。

国道9号線・鳥取バイパスから在来の国道9号線に入り、岩井温泉に向かう。1200年ほどの歴史を持つ山陰でも最古に属する温泉場である。カーナビは東源寺に近づくが、路地の突き当たりにある。手前に「ゆかむり温泉」の駐車場があり、ちょっとそこに停めさせてもらう。

境内に上がると、正面の愛宕山の下に戦没者の慰霊碑があり、左手に本堂がある。「本尊薬師如来」の札が掛けられている。

ここ東源寺だが、案内板に「岩井温泉の歴史と関わりを持つ寺である」と紹介されている。平安時代、左大臣藤原冬嗣の子孫に藤原冬久という人がいたが、家督を継ぐことのゴタゴタに嫌気がさして狂気のふりをして都を出てこの地にたどり着いたとも、幼い時から皮膚病を患って醜い容貌となったのをはかなんで放浪の旅に出たとも言われている。冬久はこの地で神女と出会い、神女が愛宕山の下で岩を掘ると温泉が湧き出て、それを浴びた冬久の病は全快した。冬久はこの恩に報いるために薬師如来を祀り、自身も都に戻らずこの地に湯治場を開いた。これが東源寺および岩井温泉の始まりだという。

これとは別に、慈覚大師円仁がこの地に立ち寄り、湯栄山如来寺と名付けたのが始まりということも書かれている。現在の東源寺という名前は、因幡の国の東端にあり、また第一番の温泉があることからつけられたそうだ。

境内はいたってシンプルである。本堂の扉が閉まっていたので外でお勤めとして、朱印は別かなと本堂とつながっている一段下の庫裏(というかご自宅)を訪ねる。

・・・しかし、インターフォンを鳴らすも応答がない。寺の駐車スペースにもクルマはなく、これは留守だろう。本堂のガラス扉越しに、書き置きの朱印が置かれている台も見えるのだが・・・。

待っていても仕方ないので、いったん寺を後にする。向かったのは岩井温泉の公衆浴場である「ゆかむり温泉」である。入浴料は380円と銭湯価格である(ただし、シャンプー・ボディソープは備えられていないので別払い)「ゆかむり」とは、頭に手ぬぐいを乗せ、柄杓で湯を叩いては頭に湯をかむるという独特の風習だという。その時に唄われたのが「ゆかむり唄」で、岩井八景や芸能、忠臣蔵などのバージョンがある。

浴槽には何人かの先客がいたが、さすがに現在にあっては湯を叩いて「ゆかむり唄」をうなる人もおらず、マナー良くおとなしく入っている。源泉かけ流しの浴槽と、ちょっとぬるめの浴槽の二つがあり、その両方を楽しむ。先ほど入った吉岡温泉ほどではないが、源泉の温度は約49℃と、やはり熱めである。

それにしてもこの日は、最初に訪ねた第44番・宝泉寺は吉岡温泉、そしてここ第47番・東源寺派岩井温泉と、因幡の国で歴史ある温泉と寺の組み合わせに出会ったことである。いずれも大規模な温泉旅館やホテルがあるわけでもなく小ぢんまりしたところだが、のんびりするには適しているように見えた。

そしてこれを取り持つ薬師如来・・・。

湯上がりにしばし休憩室でゆっくりした後、もう一度東源寺の庫裏を訪ねる。しかしインターフォンを鳴らしてもやはり留守のようだ。幸い、翌日もう1日あるので、第48番・大樹寺を訪ねる前にもう一度東源寺に来ることにしよう。東源寺から大樹寺へのルートは結構ハードそうなのだが・・・。

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第26回中国四十九薬師めぐり~第46番「最勝院」(池田氏の祈願寺)

2023年06月24日 | 中国四十九薬師

中国四十九薬師めぐり、この日(6月10日)3ヶ所目となる第46番・最勝院に向かう。正面に鳥取城がある久松山を見て、その脇、雁金山との間の谷間にある坂道を上る。車道脇に「最勝院」の石標が見え、カーナビの案内もここで終了する。しかし駐車場が見当たらない。やむを得ず、レンタカーは隣接する寺の駐車場に停めさせてもらって石段を上がる。

最勝院が開かれたのは8世紀、法道上人によると伝えられる。元々は池田氏の祈願所として岐阜にあったが、その後池田氏の転封にともない播磨、備前を経て鳥取に移る。鳥取では当初寺町にあり、領内八ヶ寺の一つとして伽藍を有する巨大な寺院だったが、火災に遭い規模を縮小、そして明治になり現在地に移された。現在地でも伽藍が建てられたそうだが、1952年の鳥取大火災で焼失し、現在の建物はその後の再建とある。

境内に入る。ちょうど鳥取の中心部も見渡せるところに位置する。

さて正面の本堂らしき建物に向かうが、扉が開いていないのはともかくとして、中国四十九薬師の立て札や幟があるわけでもなく、建物を間違えたのかなと思った。改めて中国四十九薬師のサイトを見ると、掲載されている建物はどうやら別のようだ。

敷地の斜面に沿って広がる墓地の奥にお堂の屋根が見える。地図を見ると「木山堂」という文字があり、どうやらそこが札所の建物のようだ。墓地内の石段をさらに上る。

そして到着したのは木山堂。弘法大師の像もあり、実質的にはこちらが本堂といっていいだろう。また、先ほどの車道をずっと上れば木山堂のすぐ裏の駐車場まで来ることができた。

扉が開いており、中で自由に手を合わせることができる。正面には薬師如来の立像、不動明王、愛染明王が並ぶ。広間に腰を下ろし、ゆったりとお勤めとする。こちらの薬師如来は平成になって新たに造られたものという。

書き置きの朱印もこちらにあり、これで6ヶ所のうち前半の3つを回り終えた。用紙にも「最勝院木山堂」と書かれている。最勝院も先ほど訪ねた宝泉寺、座光寺ともども因幡薬師霊場の札所で、その第1番札所である。後でわかったが、この先訪ねる3ヶ所の寺院いずれも因幡薬師霊場も兼ねており、因幡薬師霊場より後に発足した中国四十九薬師に対しては、その代表として6ヶ所を選抜したようにも見える。

さて次は岩美町にある第46番・東源寺に向かう。そのまま谷間を突っ切り、鳥取バイパスに乗る。もう少し北に行けば鳥取砂丘があり、その名も「鳥取砂丘トンネル」というトンネルもある。先ほどの姫路方面とは別ルートで、京都への国道9号線、および豊岡方面への山陰近畿自動車道につながる。いずれにしても、鉄道の山陰線など眼中にない道路である。

岩美インターで下車して国道9号線を走る。道の駅を過ぎてしばらく走ったところで、「歓迎 岩井温泉」の看板に出会う。これから訪ねる東源寺は岩井温泉の近くにあるようで、またも薬師如来と温泉の出会いということになるのだろうか・・・?

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第26回中国四十九薬師めぐり~第45番「座光寺」(都と因幡のお薬師さん)

2023年06月23日 | 中国四十九薬師

中国四十九薬師めぐりは第44番・宝泉寺を回り終え、吉岡温泉から山陰道で鳥取インターまで向かう。このまま乗り続けると鳥取道に入り、因美線、智頭急行にも沿う形で姫路方面に抜けることができる。

鳥取インターで下車して、国道29号線につながる連絡道を走り、国道に出る手前で側道に入る。田んぼのあぜ道のような細道をたどると空地と墓地に出る。ここが座光寺である。背後の丘の上にはゴルフ練習場が広がる。

座光寺が開かれたのは平安中期、摂関政治の頃とされる。因幡の国司として都から赴任した橘行平という人物が、当地で病にかかった時、夢枕で霊木があるとのお告げがあり、浜辺に行くと薬師如来が打ち上げられていた。これを因幡の菖蒲浦にお堂を建てて薬師如来を祀り、薬師寺と称した。

後に行平が任期を終えて都に戻る際、この薬師如来も持ち帰り、自らの屋敷にて祀ったという。これが後に平等寺、因幡堂という名前となって現在にいたる。一方、因幡の薬師寺には薬師如来の台座と光背が残ったので、座光寺という名前になったという。後に、因幡の行平の屋敷跡に寺を移して復興したそうだ。この辺りの経緯は諸説あるらしいが、いずれにしても因幡の国司を務めた橘行平という人を通じて都と因幡の接点となった寺院といえるだろう。

ただ現在は国道から少し離れたところに寺だけがポツンと建っているように見える。、こちらも扉が閉まっていたので外でのお勤めとする。朱印は先ほどの宝泉寺にあったのと同じ引き出しつきの箱が、雨除けのためテレビ台の中に収められており、そのまま書き置きをいただく。ここも、宝泉寺と同じく因幡薬師霊場の札所の一つのようだ。

山陰道無料区間も活用して、思ったより早く2ヶ所を回ることができた。状況によっては、先に遠い岩美町にある第47番・東源寺を押さえようかとも思っていたが、時間に余裕があるので札所順の通りに第46番・最勝院に向かうことにする。

最勝院は鳥取城跡がある久松山の西側にあり、現在地からだと鳥取中心部の西側をたどる。千代川を渡り、かつての城下町の町割りの中を進む・・・。

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第26回中国四十九薬師めぐり~第44番「宝泉寺」(寺ゆかりの吉岡温泉にてひとっ風呂)

2023年06月22日 | 中国四十九薬師

中国四十九薬師めぐりの最終シリーズは鳥取駅前にてレンタカーを借り、翌6月11日の夕方までの時間で6ヶ所を回る予定である。その中に岩美町の石井温泉にある第47番・東源寺や八頭町にある第48番・大樹寺など、結構広範囲にわたっている。時間的に、本日10日は東源寺まで、そして鳥取駅前にて宿泊し、翌11日に残り2ヶ所を回って満願ということになりそうだ。

11時前、鳥取駅から高架に沿って西に行ったタイムズレンタカーに向かう。マツダ系列ということで今回の乗車はコンパクトカーの「MAZDA2」だが、どうしても以前の国内向け名称の「デミオ」と呼んでしまう。

梅雨の中休みの快晴の下、まずは第44番・宝泉寺に向かう。カーナビで入力すると寺の名前というよりは吉岡温泉の温泉マークがヒットする。鳥取県内も多くの温泉があり、それなりに名の知られた吉岡温泉も鳥取駅から路線バスで30分ほどのところにあるが、後の行程を考えてのレンタカー利用である。

駅前から道なりに走って千代川を渡り、鳥取西インターから山陰道に入る。無料区間で、国道9号線~国道29号線のバイパス路線として交通量も多い。右手に湖山池を見て、吉岡温泉インターで下車する。

しばらく行くと吉岡温泉の集落に入る。温泉といっても派手な建物のホテル・旅館があるわけでもなく、宿泊施設も10軒ほどという小ぢんまりしたところだ。そのため、吉岡温泉は「鳥取の奥座敷」と呼ばれている。そんな中、公衆浴場の「一ノ湯」の建物に出る。と、ここでカーナビの音声案内が終了。

ふと前方を見ると石段があり、その上に寺らしき建物がある。ここが目指す宝泉寺である。駐車場は一ノ湯、宝泉寺共用のようで、まずはここに停めて石段を上がる。こういう立地ならば、せっかくなので参詣の後に一風呂あびることにしよう。

本堂の扉が閉まっているので外でのお勤めとする。宝泉寺という名前からして温泉に何らか関係がありそうだが、宝泉寺、そして吉岡温泉の縁起を見ると果たしてそうだった。

平安時代の中頃、この地に葦岡(よしおか)長者というのがいたが、長者の一人娘の顔に瘡が出て悲しんでいると、夢枕に薬師如来が出て、そのお告げに「柳の古木の下に霊泉が湧き出ており、それで顔を洗うと瘡が治る」とあった。長者がその通りにすると娘の瘡は全快し、そのお礼としてお堂を建てて薬師如来を祀り、人々に霊泉を施したのが宝泉寺、そして吉岡温泉の始まりとされている。また別の話では、宝泉寺は温泉開発のためにこの地を訪ねていた恵心僧都源信を開山として建立されたとされている。

いずれにしても、宝泉寺と吉岡温泉は一体であると見ていいだろう。そして薬師如来と温泉は結びつきやすいものだ。その宝泉寺は戦国時代に兵火に遭い、後に曹洞宗の寺院として再興されて現在に至る。

庫裏の玄関前に引き出しつきの箱があり、書置きの朱印をいただく。同じ箱には「因幡薬師霊場」の書置きの朱印も合わせて入っている。因幡薬師霊場は因幡エリアに広がる札所で30ヶ所で構成されているそうだが、1984年設立とあるから、中国四十九薬師霊場よりも早くに開かれた札所である。

お参りを終え、隣の一ノ湯に向かう。宝泉寺の縁起とも深くかかわっているとあらば、一風呂浴びて薬師如来のご利益をいただくことにしよう。一ノ湯は吉岡温泉会館という枕詞にもあるように同温泉を代表する浴場のようで、最近リニューアルしたようである。公衆浴場のほかにペット風呂、そして本場フィンランド式サウナ(要予約)も楽しめるとある。

受付の際、吉岡温泉に来たことがあるか尋ねられる。初めてだというと、ここの温泉は熱いので注意するように言われる。入り方として、一応ぬるい浴槽や露天風呂(それでも、一般的な浴槽並みの温度)があるので、そちらで体を湯に慣らしてから熱いほうに入ることを薦められる。そしてそのようにして入ると、何とか耐えられるほどの熱さである(湯上がりには多少肌が赤くなったが)。ちなみに浴槽に表示された温度は45℃ほどだが、これでも薄めているのか、吉岡温泉の源泉そのものは50℃以上あるという。

湯上がりは畳敷きの広間でしばし休憩。網戸を通して入る風が気持ちよい。

まずは因幡シリーズは快適なお参りとなり、次は第45番・座光寺である。吉岡温泉で折り返して再び鳥取市中心部方向へ・・・。

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第26回中国四十九薬師めぐり~今回でいよいよ満願目指して鳥取へ

2023年06月21日 | 中国四十九薬師

2021年に岡山県吉備中央町の大村寺から始めた中国四十九薬師めぐり。途中間隔が空いたり、1回の巡拝で1ヶ所だけ参拝・・ということもあったが、第26回のお出かけにしていよいよ満願となる。ちょうど2年がかりである。

今回は最後に残った鳥取県の因幡エリアの6ヶ所を一気に回ることにする。最初は、この6ヶ所を2回に分けて別のイベントとも絡めて回ろうとも考えていた。6月10日~11日の1泊2日として、10日はいったん大阪に行き、京セラドーム大阪での交流戦(バファローズ対ベイスターズ)をデーゲームで観戦した後、日本交通の高速バスで移動して鳥取に宿泊。そして11日にレンタカーにて3~4ヶ所を回るものである。野球と札所の両取りを狙ったが、その前週に名古屋に観戦に出ていることもあって、野球は次の機会にしようかと(一応、7月以降の観戦も考えているし、シーズンはまだ長い)。それよりも、今回で一気に満願を目指すにした。

さて、広島から中国地方の県庁所在地でもっとも遠い鳥取に行くのに最速なのは、新幹線で岡山に行き、智頭急行経由の特急「スーパーいなば」に乗り継ぐか、姫路もしくは上郡まで行き、関西からの「スーパーはくと」に乗り継ぐルート。たただ、岡山・兵庫方面から鳥取に入ると、前回コマを進めた倉吉と鳥取の間が途切れる。一応、中国地方一周も兼ねているので・・。

現地でレンタカーを借りるのと、広島からマイカーで遠路行くのとどちらがよいかと思ったが、結局、今回は中国四十九薬師めぐりの最後ということで、「鉄道で東中国一周」と決めた。正直張り込んだ。

10日はまず新幹線で岡山に行き、特急「やくも」にて伯備線で米子に出る。米子から山陰線をたどって倉吉を経て鳥取に入り、レンタカー利用。そして鳥取駅前に宿泊。状況次第だが、翌11日も午後まで時間を取っており、「いなば」で岡山に出て新幹線で広島に戻る。そのため、乗車券は「広島市内~岡山(新幹線・在来線乗り継ぎ)~米子」、「米子~鳥取~上郡~岡山~広島市内」という2枚を用意した。後者のような面倒くさいルートも、その程度なら「e5489」でも事前に購入することができた。

その代わり、西広島5時30分の始発に乗り、広島6時ちょうどの始発「のぞみ74号」に乗ることが条件である。そこまでやらんといかんのか・・と思うが、やらんといかんのです。朝の始発なら自由席でも十分空席があり、岡山7時05分発の「やくも1号」の特急券も乗り継ぎ割引が適用される。

岡山の在来線ホームに出る。入線した「やくも1号」は「ゆったりやくも」塗装。「やくも」には赤とクリームの旧国鉄特急塗装もあれば、薄紫の「スーパーやくも」塗装もあるが、そもそも現在の381系が置き換わるのも遠くないことである。乗ってしまえば塗装はそれほど関係なく、全国的に希少な存在となっている旧国鉄特急車両に乗れることじたいが貴重なことである。

早朝ということもあってか、私の乗った最後尾・7号車の指定席の乗客は私のほかにもう1人だけ。倉敷では他の車両に乗車があったようだが、全体的にガラガラである。伯備線に入り、高梁川に沿って振り子が左右に揺れる。根が鈍感なのか、振り子式車両で気分が悪くなる「ぐったりはくも」ということもなく・・。

「ツタヤ図書館」を併設する備中高梁で7号車のもう1人の乗客が下車し、車両は私だけになった。ローカル列車ならともかく、特急列車で1両「貸切」となったのは長い乗り鉄趣味の中でも初めてである。この先で、湘南色の115系ともすれ違う。確か1編成しか残っていないはずだが、山陽線、伯備線、瀬戸大橋線~宇野線と神出鬼没である。

中国四十九薬師で伯備線といえば、わざわざ岡山に前泊して、岡山から「サンライズ出雲」の「ノビノビ座席」に乗ったのが印象的である。前夜東京から夜通し走ってきた列車の、岡山で前の客が下車したその後に乗り込み、松江まで過ごした。ゴロンと横になって二度寝したのも面白かった。ただ、こうして朝一番の列車の新鮮な空気を独占するのはそれ以上のぜいたくな時間である。

鳥取県に入る。根雨では、旧国鉄特急色の「やくも」とすれ違う。

霧が出て大山の姿はほんの微か見えただけだが、この日の鳥取県の天気は晴れの予報。この先も楽しみである。

9時15分、米子到着。次に乗るのは9時51分発の「スーパーまつかぜ6号」で、乗車券もここで切っているのでいったん改札の外に出る。

米子駅は駅舎の新築工事が終盤に差し掛かっていて、新しい建物の外観も見ることができる。オープンはこの7月下旬ということで、次に米子を訪ねる時には楽しみである。

新駅舎になった後も、境線ホームの「ゲゲゲの鬼太郎」の各キャラクターは変わらず出迎えてくれることだろう。

「スーパーまつかぜ6号」が到着。益田発鳥取行きということで、島根・鳥取両県の端から端まで走る列車である。もっとも、山口線に入り新山口まで行き来する「スーパーおき」もある。米子で乗客が入れ替わったが、引き続き指定席も半数以上が埋まっている。

米子から鳥取への区間は、右手に大山、左手には時折日本海がわずかに見えるところ。途中には風力発電設備が何基も立っているが、風車は回らず停止している。たまたまこの時停まっていたという様子でもなく、これまでの札所めぐりでこの一帯を訪ねた時も同じように停止していた。何やかんやでもう稼働しないのかな。

途中倉吉に停車し、ここから先で中国地方一周が続くことになる。

10時58分、鳥取に到着。結局広島から5時間かけての行程となったが、ここから中国四十九薬師めぐりである・・・。

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第25回中国四十九薬師めぐり~三朝温泉にて「整う」

2023年05月09日 | 中国四十九薬師

三佛寺の参詣を終え、立ち寄り予定の三朝温泉に向かう。「ラドン熱気浴」を予約していた「ブランナールみささ」に向かうのだが、その前に広場があり人だかりができている。

舞台を見ると、先ほど三佛寺でトラックに積載されていた神輿が上がっている。ここで法要を行い、三朝温泉の温泉街を時代行列が行くそうである。客席には来賓や、さまざまな衣装姿の関係者が準備、待機中である。

時間があるので、いったん川の反対側の温泉街をぶらつく。前に来た時、橋のたもとにあった源泉かけ流しの公衆浴場「たまわりの湯」に入ったのだが、施設の老朽化を理由にこの3月で閉館したとある。その代わりではないが、レトロな感じの旅館、飲食店が並ぶ一角にある「薬師の湯」という足湯があるので浸かってみる。今回の中国四十九薬師めぐりの後をしめるのに格好の名前である。

広場に戻って来ると雅楽の奉納が行われており、その間に参列者からの玉串奉奠が行われる。三佛寺や塔頭寺院の住職も玉串を奉納する。僧侶で玉串とは見慣れない光景だが、これも神仏習合の歴史から来ているものだろうか。

他にも来賓として先日再選されたばかりの平井鳥取県知事をはじめ、鳥取県、三朝町関係者らも同様に玉串を奉げる。政教分離の観点で大丈夫か?と一瞬思ったが、別に知事が玉串奉奠したからといって三佛寺に特別に有利になる政策を行うわけでもないし(「三佛寺を世界遺産に!」というPRはまた別物だろう)、地元にすれば幅広い意味での公式行事の位置づけなのだろう。

そして三佛寺一同から祈願文が読み上げられる。この後、御輿の行列もあるのだが、祈願文の途中でラドン熱気浴の受付時間となった。御幸行列があると事前にわかっていれば、ラドン熱気浴の予約時間、いやその前の旧国鉄倉吉線の廃線跡を歩く時間も前後にずらしていただろうが・・。

広場向かいの「ブランナールみささ」に向かう。本来は宿泊施設なのだが、昼間も1時間ごとにラドン熱気浴を受け付けている。レストランでの食事付きのプランもある。

ラドン熱気浴の利用料は3500円とちょっとお高めだが、前日宿泊した「サンシャインとうはく」にて、全国旅行支援の1000円クーポンを受け取っており、ここで利用する。

入浴の手順だが、受付にてタオルと作務衣を渡され、ロッカーにて着替える。そして体温と血圧を測定し、問診票のいくつかの質問に回答する。まるで病院か人間ドックに来たようだが、温泉入浴も病気の治療お一環という見方もできるので、それもよい。そしてあらかじめ水分を補給し、浴室に通される。この後は、作務衣は着ているが何も持てず丸腰のため、画像はない。詳細は「ブランナーレみささ」の公式サイトなどをご参照いただければ。

室内は室温40度前後、湿度90パーセントほどに保たれている。蒸気が充満していて視界がよくない中、入口で選択したシートに向かう。この時間帯は私のほかに女性客1名のみで、先に奥のシートに陣取ったとのこと。そこは一応気をつかって少し離れたシートを選ぶ。1室そこに40分、シートに身を預けてリラックスする。日常生活でこの温度、湿度なら耐えられない(真夏の猛暑日以上の過酷な条件)のだが、浴室だと心地よく感じるのはどういうメカニズムなのだろうかと思う。

蒸気を意識して吸うようにとのアドバイスがある。三朝温泉には「浸かってよし、飲んでよし、吸ってよし」という言葉があるそうで、鼻呼吸によりラドンを体内に取り込むのだという。

普段、スーパー銭湯でもサウナコーナーにはほとんど入らないのだが、この熱気浴はミストサウナを濃くしたようなもので、このくらいの条件なら耐えられそうだ。ただ、この蒸気で周りが見えず、今どのくらい時間が経過しているのかもわからない。40分が結構長く感じるのだが、まあ、そうしたことも気にせずリラックスするのもこの熱気浴のポイントなのだろう。

半分の20分が経過したようで、係の人が合図を兼ねて水分補給として温泉水を持って来る。

その後もボーッと過ごし、40分が終了したとして係の人が知らせに来る。立ち上がった時にちょっとふらつきかけたが、何とか大丈夫だ。

そしていったんロッカーから衣類を取り出してビニール袋に入れ、大浴場に向かう。最後は「浸かってよし」である。他に入っている人はおらず、ここでもしばらくリラックスする。

1回利用しただけで身体にどのようなよい影響があるのかはわからないが、今はやりの「整う」という感覚は少なからずあった。このままビールでも飲んで客室でゴロンとできればなおよかったが・・。それでも、また三朝に来る機会があればもう一度入ってみたいと思う。なお、ラドン熱気浴は「ブランナーレみささ」以外でもいくつかの施設で利用できるようだ。

外に出ると広場は閑散としており、スピーカーからは雅楽の音が聞こえる。神輿は町のどこかを練り歩いているところのようだ。再び広場に戻り、そして三佛寺へと帰っていく。そこまでいると夕方になるし、この日は三朝から一気にクルマで広島にあまり遅くならないうちに戻る必要があり、ここで後にすることに。

倉吉、三朝から広島というのも結構時間がかかるもので、まずは国道179号線を走る。行き先表示に「人形峠」とある。かつてウラン鉱石が採掘され、原子力に関する研究も行われていたところ。ただ、人形峠を越えて着くのは津山である。こちらは国道482号線で真庭市に入り、津黒高原から国道313号線で湯原温泉を経由する。

湯原インターから米子道~中国道と経由。三朝温泉を出てからそのまま走り通し、4時間かけての帰宅となった。日が暮れる前に帰宅できたので、翌日の月曜日もいつもと変わらない心持ちで出勤できる。

さて、これで中国四十九薬師めぐりは残り6ヶ所と、結願が見えてきた。とはいえ、鳥取東部の広い範囲にわたっており、一気に回って結願とするか、いやいやもう少し時間をかけて鳥取を回るか。次のプランニングも楽しみである・・・。

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第25回中国四十九薬師めぐり~第43番「皆成院」(三徳山御幸行列)

2023年05月08日 | 中国四十九薬師

旧国鉄倉吉線跡の訪問を終え、第43番・皆成院がある三徳山三佛寺に向かう。崖にへばりつくように建つ投入堂で有名な寺である。

その位置から「日本一危険な国宝」との呼び名もあるが、三佛寺に参詣するならばぜひとも訪ねる価値がある。ただし、途中鎖場のある崖や幅の狭い箇所も通るなど、一つ間違えば事故につながりかねない道のりのため、一人での入山は禁止されてる。それは一人旅の私にとっては厳しいもので、どうしても上りたければ同じようなお一人様を見つけるか、どこかのグループに混ぜてもらう必要がある。ただ、そう都合よく出会いがあるわけでもない。

もっとも、前回中国観音霊場めぐりで三佛寺を訪ねた時には、同じ路線バスで乗り合わせた人同士で行こうと思えば行けたようにも思われた。ちょっと遠慮しちゃったなあ。

その中で調べてみると、投入堂に上るツアーも存在する。近鉄グループの某旅行会社の主催で、新大阪駅からバスで三佛寺まで来て、投入堂まで往復する日帰りツアーを見つけ、5月のある日分の申込を行ったのだが、参加者が催行人数に達しなかったとして開催中止になった。そのため、もう投入堂にはこだわらず、今回の四十九薬師めぐりでとりあえず皆成院までコマを進めることにした。

倉吉の打吹地区を抜け、三朝温泉を経由する。今回のコースでは、三佛寺まで行ったら帰りに三朝温泉に浸かる予定とした。その中で「ラドン熱気浴」というのがあり、それを体験してみようと前日に温浴施設も予約した。

さて、三徳山の鳥居をくぐり、三佛寺の入口に差し掛かると、前方からぞろぞろ歩く白装束の団体とすれ違い、道端には神輿が出ていてトラックに積み込もうとしている。僧侶が誘導して横を通してもらったが、何か祭りでも行われるのだろうか。

この先の駐車場にクルマを停めて三佛寺の入口まで戻ると、ちょうど神輿を荷台に積んだところである。この神輿には三徳山三所大権現が乗っているとのこと。私はまったく知らなかったのだが、実はこの日(4月23日)、「三徳山御幸行列」という伝統行事が行われていた。先ほどまで三佛寺で法要が行われ、神輿はこれから三朝温泉に向かうという。ちょうど廃線跡めぐりをしていた時間帯だ。

石段を上がり、三佛寺の受付に向かう。この日は御幸行列にともなう法要のため、本堂までの入山料は無料とあった。

皆成院は三佛寺の中の塔頭寺院である。三佛寺は役行者が蔵王権現をはじめとした三所権現を祀ったのが開創とされており、平安時代に慈覚大師円仁が阿弥陀如来、薬師如来、大日如来を祀り、三佛寺という名になったという。往時は大伽藍を有していたが火災等により縮小した。皆成院はその中で残った塔頭寺院であり、現在は宿坊や修行体験ができる場として開かれている。

三佛寺の本堂に続く参道沿いにあり、薬師如来が祀られている。投入堂まで上る前、あるいは下りた後に気軽に立ち寄るといった感じのところでもある。お堂の前にてお勤めとして、受付にて書き置きの朱印をいただく。

三佛寺の本堂に向かう。この先に投入堂への受付があるのだが、下りてくる人の姿はちらほらあってもこれから上ろうという人の姿もなく、また私もこの時は投入堂にそこまでのこだわりもなくなっていたので、ここで折り返す。代わりに、宝物殿に立ち寄り、投入堂で使われていた平安時代のものとされる支柱や、そもそも投入堂に祀られていて現在はこちらで安置されている蔵王権現などを拝観する。

投入堂についてはこの先に遥拝所がある。以前行った時は道端に望遠鏡が備えられていただけだったが、今回来て見ると屋根つきの東屋に、3台分の駐車場が新しく設けられている。ただし・・残念なことに望遠鏡は故障中。投入堂があるのはあの辺りというのはわかるのだが、肉眼ではほんの小さく見えるくらいである。

これで三佛寺を後にして、ラドン熱気浴を予約している三朝温泉に向かう。と、そこで行われていたのは・・・。

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第25回中国四十九薬師めぐり~旧国鉄倉吉線跡を歩く

2023年05月06日 | 中国四十九薬師

かつて、山陰線の倉吉から席金の山守まで国鉄倉吉線というのが走っていた。倉吉駅と、倉吉の町の中心で、現在は観光スポットにもなっている打吹地区とを結ぶ路線として開業したのが始まりで、その後山守まで開業した。将来的には県境を越えて姫新線の中国勝山まで結ぶ構想もあったそうだ。しかし、並行する道路の整備も進んだことで利用者が減少し、1985年に廃止となった。

倉吉線関連については、打吹駅の跡地に倉吉線鉄道記念館があり、当時の資料や写真などで往時の様子をうかがうことができる。また、廃線の一部は40年近く経った現在もそのまま残されており、トレッキングツアーにも利用されている。今回クルマで移動していることもあり、当時の線路が残る泰久寺駅近辺を歩いてみることにした。

案内によると泰久寺駅跡の近辺は私有地につき駐車不可で、訪ねる際は手前の県道沿いにある臨時駐車場を利用とのこと。カーナビでは何を目印に行こうかと思ったが、県道沿いに大きな看板が出ているのですぐわかった。他にも何台か停まっており、結構訪ねる人もいるようだ。駐車場には何かの施設を再利用したような「観光案内所」と扉に書かれた建物があるが、閉まっている様子だった(注:記事を書くにあたり、この「観光案内所」は閉まっていたのではなく、私が訪ねた後の4月29日にオープンを控えた施設ということがわかった)。

駐車場の横から線路跡に入る。しばらく路盤の上を歩く。そこで線路はいったん途切れる。普段は閉鎖されているが、観光バス用の駐車スペースが設けられている。

通り沿いの無人スタンドで売られているのはタケノコ。一人暮らしだと調理にちょっと大きすぎるなあ・・。

再び線路跡が現れる。民家の路地裏を抜けると右手に寺院が見える。字は違うが、駅名、地名の由来ともなっている大久寺である。駅名、地名になるくらいだから由緒ある寺院かと思い検索するが、曹洞宗というくらいでこれといった情報は出て来なかった。

廃線跡というと草に埋もれるなどして荒れているところとのイメージがあるが、こちら倉吉線は一部とはいえよく手入れ、保存されている。昭和の廃線がここまではっきり残るのも貴重だと思うが、廃線当時は線路を引きはがす費用も抑えるとして最小限にしたのかな。そして現在は今や倉吉の観光スポットとしてもPRされている。上に触れたように、新たに観光案内所ができたのもその一つである。

泰久寺駅跡に到着。ホームがそのまま残されているが、やけに短く感じる。2両分ないのではないかと思われる。

ホームの前にガチャガチャがあり、倉吉線の切符3種類のどれかが出るというので試しにやってみた。カプセルから出たのは終着駅・山守の入場券。自分で日付、ハサミを入れることもできる。

山守・入場券で思い出したのは、宮脇俊三の「時刻表2万キロ」と「汽車旅12ヵ月」。国鉄乗りつぶしで三江線とともに訪ねており、終点の山守駅を北海道の白糠線の北進駅と同じくらい「何もない駅」と評したところ。また、「汽車旅12ヵ月」では、乗りつぶしの「証拠」となる切符を作ってもらおうと倉吉線の車掌とのやり取りも触れられている。

泰久寺駅から先が倉吉線の廃線跡の中でも見どころである。ちょうど木々に囲まれ、線路、枕木は当時のまま残っているが、線路を横切るように生える木が、今や枕木よりも太い根を張っている。何だか、アニメの世界にでも出てきそうな景色だ。

そして竹林に差し掛かる。線路の真ん中から竹の木が伸びている光景。幻想的な光景は「日本一美しい廃線跡」としてネット等で紹介され、これを目当てに倉吉を訪ねる人も増えているそうだ。私も今回現物を目にすることができてよかった。

この竹だが、元々は線路の間から3本生えていたのが、2021年秋から枯れ始め、雪の重みで倒れたため伐採されたという。残りの2本もそろそろ寿命かと言われている。そのため、竹を押したりしないようにとの注意板もある。

もう少し進むと山守トンネルに差し掛かる。トンネルは普段は立ち入り禁止で、年に数回のトレッキングツアー時などに公開されるという。それは承知済なのでここで折り返しとするが、トンネルの入口が開いていて、中から光が発せられている。逆に怖いなと思っていると、何か作業でもしていた係の人が顔を出した。「イベントの時だけ通れますんで、またお越しください」と声を掛けられる。

中国四十九薬師めぐり、山陰シリーズに入ってから「可部線」、「幻の広浜鉄道」、「江の川鐡道(三江線の宇都井駅、口羽駅)」、そして「旧国鉄倉吉線」と、鉄道の廃線、未成線の記事が間に入るようになった(後は旧大社駅があったが、修復工事中のため見学できず)。この先鳥取まで進むと、廃線ではないが第三セクターで頑張っている若桜鉄道があるが、立ち寄り、乗車の機会は作りたいものである。

終点の山守駅までは行かずにそのまま駐車場まで引き返し、三朝方面に向けてクルマを走らせる・・・。

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