まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

神仏霊場巡拝の道~復路は気動車特急乗り継ぎだが・・酒に溺れ策に溺れる

2023年08月30日 | 神仏霊場巡拝の道

7月の京都といえば祇園祭。だからというわけではなく、年中通して京都駅は客でごった返している。ちょうど在来線のコンコースでは祇園祭を紹介した展示コーナーも設けられている。そういえば祇園祭、一度も行ったことないなあ・・。

さて、奈良の長谷寺を参詣した後、広島に戻るのにわざわざ京都に来たのは、別に京都市内の神仏霊場の札所を追加で回るわけではなく(次は生駒の宝山寺と決まっている)、いっぷう変わったルートを取ろうというもの。

今回思いついたのが、在来線特急、それも電化区間を走る気動車特急の乗り継ぎである。列車は、「スーパーはくと」と「スーパーいなば」。京都から、智頭急行の分岐である上郡まで行き、上郡乗り換えで岡山まで行く。時刻表を見るに、京都12時54分発の「スーパーはくと7号」で発車し、大阪、三ノ宮、姫路を過ぎて14時43分、智頭急行との分岐である上郡に到着。上郡からは15時11分発の「スーパーいなば6号」に乗り継ぎ、15時45分岡山着。そして岡山から広島へは新幹線だ。

「はくと」と「いなば」を乗り継ぐといっても30分近く時間があるし、たまたまそうしたダイヤになっているだけで、「e5489」ではたまたま検索でヒットして特急券の予約もできたが、JRも別にそれらの乗り継ぎは考慮していない。そのため、乗り継ぎといってもそれぞれに特急料金がかかり、かつ岡山から新幹線に乗るため、合計すれば普通に京都から広島まで新幹線に乗るより時間はもとより費用もかかる。まあ、これも一種の乗り鉄のようなもので、YouTubeでネタにしている方も見受けられる。

指定席は先ほど長谷寺にいた時にスマホでチケットレス特急券を予約し、乗車券のみ京都駅で購入。その他飲食物を仕入れて在来線ホームに向かう。「スーパーはくと7号」は倉吉行きで、先頭の前面展望の効く車両は自由席である。先頭座席も空いているようだ。これが普通の紙の特急券なら、指定席券を持ったまま自由席に座っていても車内改札で特に何も言われないが、チケットレス特急券の場合、通常より安い代わりに乗車後の座席の変更や、自由席に移ることもできない。ちょっと早まったかなと思う。

そして自分の指定席に座ったのだが、私の周りには大陸の人がぐるりと囲む形になった。隣に誰か来るのが嫌なので、先ほど予約時にシートマップを見た時空席だったエリアを押さえたのだが、その後、私の周りを囲むような売り方をされたようだ。一瞬、この人たちも倉吉までとは言わないが鳥取まで行くのかな??と思った。鳥取も認知度が上がったものである。

「スーパーはくと」が出発。智頭急行の特急車両には何種類かの童謡が流れるが、この列車は「ふるさと」。後半の「夢は今もめぐりて 忘れがたきふるさと」の部分。

JRのこの区間を移動するなら新快速が定番だが、どうせ遠征で来ているのだし、特急に乗ることで「非日常感」も味わえる。車内で駅弁をいただけるのもその一つということで、先ほどコンコースにて購入していた。土産・夕食用として福井の「越前かにめし」、富山の「ますの寿司」、奈良県の「柿の葉寿司」など爆買いしたのだが、車内用で求めたのが水了軒の「京都料亭菜膳」。

関西の駅弁といえば今は神戸の淡路屋が数々のヒット作を出しているが、水了軒も大阪の(駅弁にとどまらず仕出し弁当全般の)老舗である。その水了軒による京都をテーマとした駅弁だが、上品な味わいの一品である。ちりめん山椒とだし巻き卵がなければ完全に精進料理ともいえるが・・。

アルコールは精進料理か否か。最初は暑気払いのスーパードライ缶を飲み干し、先ほど入手した伏見の山本本家「神聖」をいただく。別に私は日本酒に詳しいわけではなく、京都駅のコンコースの売店に並んでいたうちの一つを購入したまでのこと。

ちびちびやるうちに新大阪を過ぎ、大阪に到着。大阪が近づくと、私を取り囲んでいた大陸の人たちを含め、それなりの数の人が立ち上がる。大陸の人たち以外にも西洋系の顔だちも結構いる。さすがに鳥取までは行かないか(笑)。京都の次は大阪観光ということで、USJやミナミ、新世界にでも行くのかな。海外からの観光客にとっては、京都~大阪という短距離でも特急料金を追加で払うくらい別にどうということもないのだろう。それと入れ替わりにそれなりの数の乗客が入って来たが、鳥取方面に所用か旅行で出かけるらしい日本人がほとんどで何だかホッとした。

大阪からは阪神間を高速で走り抜け、特急車内から見る須磨の海や明石海峡大橋はまた違った感じに見える。

所要時間はそれほど変わらないものの、特急と新快速の差は停車駅でである。「スーパーはくと7号」の京都からの停車駅は新大阪、大阪、三ノ宮、明石、姫路、上郡である。県庁所在地駅の神戸や、新幹線停車の西明石、相生は通過する・・。

車掌が声をかけてきた。ここでハッとした。外を見ると、「スーパーはくと7号」は高架線路を快走していた。どうやら上郡で乗り過ごして、そのまま智頭急行線に入ってしまったようである。あまりにも乗り心地、飲み心地がよかった・・というのはアホな大人の言い訳で、撮影した写真やらその後の思い出しで、明石を過ぎてから爆睡し、姫路、上郡と通過したようである。上郡を発車して、私が座っていた席を予約していた客はいなかったものの、巡回中の車掌が予約のない席に座っていた私に声をかけた次第である。

乗車券を見せ、寝過ごしてしまったと申し出ると、追加の運賃や料金はいらないから、次の佐用で下車し、ちょうど行き違いとなる「スーパーいなば6号」の自由席に乗るよう言われる。乗車券にもその旨書いてもらった。

佐用に着き、ホームの向かい側に停車していた「スーパーいなば6号」に乗り換える。連絡が行っていたようで、私が乗り換えるのを待って扉が閉まる。自由席に2人並びの空席があり着席したが、いや、申し訳ないしお恥ずかしい・・。

上郡に到着。「スーパーいなば6号」はここで向きを変えるため、乗客により座席の転換が行われる。このタイミングでいったんホームに降りて、元々購入していた指定席に向かう。上郡乗り継ぎという策を講じて、自身で酒に溺れ策に溺れたことになったが、結局、いったん上郡で下車して30分待つところ、その時間を使って佐用まで往復した形で結果オーライとなった。車掌に声をかけてもらってなければ、ひょっとしたら鳥取まで行っていたかもしれない。

次は終点岡山なので乗り過ごす心配はないのだが、乗車した先頭座席からの景色も複雑なものに見えた。

岡山では改札を出ることもなく、そのまま新幹線ホームに乗り継ぎ、直後にやって来た「のぞみ」で広島に戻った・・・。

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奈良22番「長谷寺」~神仏霊場巡拝の道・62(風鈴回廊、そして先達委員会からのお知らせは・・)

2023年08月29日 | 神仏霊場巡拝の道

話は7月23日、もう1ヶ月以上前の神仏霊場巡拝の道めぐりの続きである。長谷寺は西国三十三所の札所として何度か訪ねているところで、前回のあみだくじで出た目的地である。これまでの神仏霊場めぐりで奈良県南部はほとんど訪ねているが、このエリアで長谷寺だけ残っていた。前に近くの室生寺を訪ねた時に、他に何もなければセットで回っただろうが、大阪での野球観戦と絡めていたので長谷寺だけ残った形である。

前日宿泊したJR奈良から万葉まほろば線で桜井まで南下し、近鉄大阪線に乗り換える。

朝9時、長谷寺駅に降り立ったのはごくわずかである。名刹であるとともに観光スポット、花のスポットとして知られる長谷寺だが、さすがに朝からこの暑さでは訪ねる人も少ないだろう。

門前町の通りを歩く。かつての初瀬街道で、古い造りの家屋も残る。一部は中を改装してカフェなどに活用されている建物もある。

それにしても暑い。この長谷寺への道のり、駅からはいったん大和川べりまで下り、その後はわずかながら上り坂をだらだら歩く。その距離も微妙に長く感じる。少しでも家屋の日陰を選んで歩く。

そして山門の前に到着。真言宗豊山派の総本山らしい堂々とした構えだが、ある宗派の総本山という枠を超えて、古来から観音霊場として多くの信仰を集めた寺である。

本堂に続く回廊の石段を上がる。長谷寺の石段は数が多く長いと言われているが、勾配も緩やかなのでさほど苦にはならない。

その途中に、風鈴がぶら下げられている。夏の間、「風鈴回廊」として、願い事が短冊に書かれた風鈴を吊るして参詣者に涼をもたらしている。「福寿増長」の文字も見える。

石段を上り、本堂前に出る。いくら勾配が緩やかといっても石段が続くと大汗である。作業現場で見られる大型の送風機があり、しばらくその風を受ける。

さてお参りである。春や秋の参詣シーズンなら内陣に入り、本尊の十一面観音像の足元に触れることができる。前日、大和西大寺で拝観した十一面観音も立派だったが、こちらはその長谷寺式の元祖である。外陣から見てもその威厳がよくわかる。

そして表の舞台に出て、改めてここでお勤めとする。

本来ならここから御影堂や五重塔、奥の院などを順にめぐるところだが、暑いし、以前も来ているから・・ということで今回は省略とした。ということで、本堂すぐ横の納経所に向かう。こちらで神仏霊場巡拝の道の納経帳への朱印、そして西国三十三所の先達用納経軸に重ね印をいただく。

ここで、西国三十三所の先達用納経軸のことが出たので、その後8月に届いた「西国三十三所札所会先達委員会」からの「夏のご挨拶」について触れておく。

いくつかのお知らせがある中、まずは10月29日、「西国巡礼先達研修会」を4年ぶりに参加者募集で開催するというのに「いいね」である。従来は年に1回、梅田の新阪急ホテルにて西国三十三所の先達が集まっての株主総会、もといファン感謝デー・・いや先達研修会が開かれていて、日曜開催の時に私もこれまで2回参加したのだが、コロナ禍の影響で2020年からは集会は中止、収録動画をYouTUbeで流すにとどまっていた。それが世の中の状況が変わったことで、4年ぶりに新阪急ホテルの開催が決まった。早速同封の参加申し込みはがきを送った。

そしてもう一つ、2024年4月1日から、納経料金が改定されるとあった。現在、納経帳への朱印は300円だが、これが500円になるという。ただし、重ね印については300円で据え置きとのこと。先達用納経軸に押印していただくだけなら変わらないが、この後、神仏霊場と西国三十三所を兼ねる札所もまだまだ残っている。そうしたところでは、神仏霊場は500円、西国の重ね印は300円ということになるのかな。

このところの諸般の物価上昇の影響がこういうところにも波及するのも致し方ないだろう。次の先達委員会で「納経料金を500円に値上げするとはけしからん!!」と質問する先達が出ないことを願う・・。

朱印をいただき、送風機からの風が来るベンチに座って、次の行き先を決めるあみだくじである。まず予備選となるくじ引きで出たのは・・

・宝山寺(奈良16番)

・熊野速玉大社(和歌山1番)

・六波羅蜜寺(京都38番)

・城南宮(京都3番)

・三室戸寺(京都44番)

・岩船寺(京都49番)

このところ、くじ引きのどれか一つに熊野三山のいずれかが出るように思う。くじ引きといってもスマホのアプリなので、一定の法則に沿って出目を決めるのかもしれないが、その一方で「ええ加減にはよ熊野に来いや!」と熱いメッセージを送られているようにも感じる。

そしてあみだくじの結果は・・3枠に入っていた宝山寺。あら、前日訪ねた霊山寺の隣、生駒市である。

そのまま風鈴の石段回廊を下りて山門に戻る。このまま駅まで歩くとして、途中で土産として三輪そうめんを買い求める。「日本三大そうめん」の一つである。一緒に「そうめんばち」も購入。手延べそうめんの製造過程でできる端の部分で、形が三味線バチに似ていることからそう呼ばれているが、いうなればパンの耳にあたるところ。そうめんを茹でるとなるとそれなりの手間がかかるが、ばちなら味噌汁やだし汁の中に入れてちょっと茹でるだけで具材の一つとして美味しくいただける・・。

長谷寺駅に戻り、大阪上本町行きの急行に乗って大和八木で下車する。この日は元々神戸での野球観戦(しかも神戸大花火大会)を予定していてチケットも購入していたが、やはり観戦後広島に戻るのが遅くなるのを嫌って、チケットは公式リセールで譲渡して、長谷寺参詣後はそのまま帰途に就くつもりだった。

今回大阪方面に向かわず大和八木で下車したのは、別にこれから大和西大寺で乗り換えて生駒に行き、宝山寺に向かうためではない。それは次回の楽しみとして、そのまま京都行きの特急に乗る。

やって来た車両はACE車で、京都まで快適に過ごす。わざわざ京都まで向かったのは別に札所めぐりや観光のためではなく、ある「乗り鉄」をやろうということで・・・。

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観戦記・バファローズ対マリーンズ@京セラドーム大阪(東好投、クリーンアップ揃い踏みでM22!)

2023年08月28日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

バファローズの観戦記を書くのも7月7日の神戸でのライオンズ戦以来である。当時はパ・リーグの順位争いも混とんとしており、バファローズ、ホークス、マリーンズが接戦を繰り広げていた。しかしながらホークスは7月7日の試合からオールスター戦明けまでにかけて12連敗を喫するなどして失速。一方でバファローズは順調に勝ち星を伸ばし、一気に首位固めとなった。そして8月26日、京セラドームでのマリーンズ戦は0対0の引き分けとなったが、優勝へのマジック24が点灯した。

実は2021年、2022年に優勝した時、バファローズには一度もマジックが点灯していない。2021年は優位に立っていたマリーンズにマジックが点灯したものの、バファローズがシーズン最終盤に追い上げ、最後はマリーンズが敗れたことで逆転での優勝となった。そして2022年も、ホークスとの優勝争いが本当に最後の最後までもつれ込み、最後はホークスがマジック1としたものの最終戦で敗れ、勝敗、勝率がまったく同じで並んだが直接対決の成績で上回ったバファローズが優勝した。2シーズン、ある意味「ミラクル・バファローズ」だったと言えるが、その分逆に8月にマジック点灯・・・となると、うれしいながらも何だか戸惑ってしまう。

8月27日のマリーンズ戦のチケットは7月には早々に購入していたが、これは8月末の3連戦が大きな山場になるかなと見込んでのことで、まさかマジックが点灯しているとは思っていなかった。これで私が現地に行って負けたら申し訳ないなと思いつつ、京セラドームに現れる。なお、前日の26日から別のお出かけと組み合わせていたが、その道中記は別の機会に・・。

27日は、8月の恒例イベント「Bs夏の陣」の最終日である。今季はストライプ入りのブリリアントグリーンのユニフォームを着用しての戦い。やはりチームの調子がよいと、こうしたイベントもゲンがよいといっていいだろう。そもそも、これが始まった時は「大坂夏の陣」をテーマとして、ビジョン画面には甲冑をつけた選手が登場したり、外国出身選手を漢字で標記したり(狼主、亜力士、羅六華、防具流尊、暴君竜・・・)と、戦国時代の演出でそれはそれで楽しかったのだが、如何せん成績が悪く、歴史と同じく大坂方が敗れるという結果だったなあ・・。その後もパジャマと揶揄されたり、迷彩色のユニフォームを着けたり、賛否両論いろいろあったが、やはりチームが勝てば限定ユニフォームもかっこよく見えるものである。

大阪は連日の猛暑日だったが、さすがドーム内は快適である。冷たいもので一献やるとちょっとした暑気払いだ。試合開始が近づくにつれて観客も増えてくる。

バファローズの先発は東。先発陣にも故障や不調での離脱がある中、7月末から先発の一角に加わり、ここまで「バファローズ山脈の谷間」を十分に埋める2勝負けなしである。一方の打線もそう毎試合大量得点をあげるわけではなく、こちらも故障や不調で入れ替えが多いが、誰かが抜ければ誰かがカバーすることでこれまでの好成績を維持している。ここ数試合は中川、森、頓宮のクリーンアップの組み合わせ。

バファローズナインが初回の守備につく。これも「夏の陣」の演出、ベンチ前で花火、スモークが噴き出る中での登場である。

初回、マリーンズ先頭の藤原がヒットで出塁。続く藤岡も四球で無死一・二塁。そして角中を迎え、早くもマウンドにコーチが向かう。

ここで角中がライトへのヒットを放ち、いきなり1点先制。レフト下段をびっしり埋めたマリーンズファンから大歓声が上がる。

しかしここから東も落ち着きを見せ、ポランコをファウルフライ、安田を併殺に打ち取って1点でしのぐ。

するとその裏、マリーンズ先発の森から渡部が四球で出塁。続く野口はあっさり凡退したが、中川が左中間への当たり。タイムリー二塁打となってすぐさま同点に追いつく。

2回、3回は東が三者凡退として(頓宮の好守備もあり)、3回裏、二死から中川がこの日2本目の二塁打で出塁。

ここで森が無理なく三遊間を破るヒットで、中川が生還。2対1と逆転し、送球の間に森も二塁に進む。

結果的にこの進塁が大きく、頓宮のレフト前ヒットで森が生還、3対1と点差を広げる。これで3番・4番・5番がそれぞれ打点を挙げる活躍だ。

4回も三者凡退とした東だが、5回に踏ん張りどころを迎える。ブロッソーに死球、佐藤のヒットで一死一・二塁として打席には小川。1-2と追い込んだが、ここから小川が連続ファウルで粘り、フルカウントまで持ち込む。しかし最後は高めのボールを空振りさせて三振。

続く藤原もファウルでしつこく粘ったが、頓宮、若月がタイムを取って落ち着くよう声をかけ、こちらも最後は低めのボールを空振りさせ、二者連続三振でしのぐ。

5回裏終了後のハリセンタイム。この日は試合前のイベントからBsGirlsに加え、チアダンススクールの子どもたちもグラウンドに登場する。この試合、私の席の隣にもグラウンドに登場する子どもがいる家族連れがいたのだが、試合中のイベントのタイミングにも合わせてグラウンド裏に集合しなければならず、その都度母親と一緒に行ったり来たりで忙しそうだった。その都度私が立って前を通してあげるのだが、それが何度もあったのに恐縮してか、最後はペットボトルのお茶をいただいた。スクールに通わせるのも大変でしょうな・・。

さて後半6回表、二死までは東が打ち取ったが、ポランコに一発を浴びる。最初はどこまで行ったかわからなかったが、映像を見るとライト上段の通路まで飛んだようである。これで3対2と、試合はわからなくなった。

続く安田に四球を与えたところで東は降板、比嘉に交代する。こういう場面ではこの人しかいない、てなもんで続く岡を平凡なフライに打ち取り、ピンチをしのぐ。

この3連戦は接戦続き、また前日は12回まで進んで投手も多く使っているところ、終盤をどう継投するかという中、7回のマウンドに上がったのは小木田。

うーん、先月奈良であった達川光男氏のトークショーで「小木田って誰なん?」と言われたのを思い出す。あの時はオールスター戦明けのブルペンデーということで先発起用されたのだが、逆に言えばどんな場面でも起用できる投手。ここは三者凡退で抑える。

そしてバファローズのラッキー7だが、ここはマリーンズ3人目の鈴木が三者凡退とする。

8回表は山田が登板。藤原、藤岡と左打者を抑え、角中のところでは右の代打・石川が登場。レフトスタンドからは「シンゴ、シンゴ、シンゴ・・・」の連発だが、空振り三振。

8回裏、一死から頓宮がヒットで出塁(代走・山足)、宗もヒットで一・二塁とする。このチャンスで紅林は凡退して、宜保のところで代打・ゴンザレス。三塁への当たりだが、ブロッソーが後逸。代打からレフトの守備についていた石川も打球の処理にもたつき、二者が生還した(記録はブロッソーのエラーで、ゴンザレスに打点はつかない)。5対2と、これで勝利がぐっと近くなった。

9回表は平野。これは8回の追加点の有無にかかわらず予定通りだが、8回の追加点があっただけにより安心して観ることができる。

前の打席で本塁打のポランコを力のないフライに打ち取り、続く安田も平凡なフライ。岡が二塁打を放つが(この時、1点差のままだったら劇場かとヒヤヒヤしたことだろう)、最後はブロッソーを内野フライに打ち取って試合終了(なお今季途中から加入のブロッソー、この日の攻守についてネットでかなり叩かれていたようだ)。前日マジック24が点灯したばかりだが、マジック対象のマリーンズ相手の勝利で一気に2減らし、22となった。

試合後にはこうしたスポーツ紙号外風のビジョンも出るんですな。現実の関西マスゴミではあり得ないことで・・(笑)。

試合後のお立ち台には先発で3勝目の東、そしてそれぞれ打点をあげた中川、森、頓宮の合計4人が登場。東は「調子がよくなかったものの2回以降修正できた」とし、中川、森、頓宮はそれぞれ「前後にいい打者がいるので・・」と、お互いを持ち上げるコメント。森からは「全員で優勝しましょう!」、そして頓宮からは「ほいさー!」と気勢をあげるお決まりの文句。

そして今季もこのキャッチフレーズ「全員で勝つ!!」が登場した。

試合内容に満足して帰途に就く。次の現地観戦は・・9月17日、18日のイーグルス戦の予定。実際観戦できるかどうかは私の今後の予定もあるので何とも言えないが、一応2試合ともチケットは購入済。ひょっとすればそのいずれかで胴上げがあったりして・・いやいや、それはまだ先の話。

新大阪から「バリ得こだま」プランにて広島に戻る。広島には20時すぎに到着だが、その直前、ライトが煌々とともるマツダスタジアムの横を通過する。この日カープはスワローズとの1戦で、結果は5時間の熱戦のうえ、延長12回引き分けとなった。セ・リーグはタイガースがマジック21としており、一部では早くも関西の球団同士による日本シリーズか?と言われているが、ここはカープにももう少し頑張ってほしいものである・・・(私の願いは、あくまでバファローズとカープの日本シリーズ)。

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神仏霊場巡拝の道~奈良にて1泊、そして長谷寺へ

2023年08月24日 | 神仏霊場巡拝の道

7月22日、神仏霊場巡拝の道めぐりと、富雄駅前の野球居酒屋「ビークレイジー」で行われた達川光男・正田耕三両氏のトークショー・サイン会を終えて、近鉄奈良駅に向かう。宿泊するのはJR奈良駅前だが、徒歩で移動する途中にどこかで一献と思う。

いったん、行基像が出迎える地上に出て、アーケードの東向商店街を南に歩く。奈良らしい居酒屋といっても特にお目当てがあるわけではなく、下調べ、予約もしていない。先ほどの「ビークレイジー」でイベント終了後にそのまま居酒屋の客として一献できれば・・ということも期待していたが、さすがにそのまま閉店となった。ということで、道中で雰囲気のよさそうな店があればのぞいてみよう。

そこで目についたのが、「奈良ism」という店。最近開業した感じの店だが、地産地消、「地場産品応援の店」を示す緑の提灯が掲げられている。これはよさそうだ・・・(と思って入ったのだが、後で写真をよく見ると、緑提灯が出ていたのは同じ建物の2階の別の店だった)。

町家らしく間口は狭く奥行きが長い建物の1階で、店員や客の年齢層も若く見える。

緑提灯は勘違いとしても、「奈良イズム」である。メインは串揚げの店のようだが、大和の地場産品メニューも力をいれているようで「奈良ならでは」という一品もある。

まずはプレミアムモルツから始まり、メニューに目についた地ビール「そらみつ」をいただく。「そらみつ」とは「大和」にかかる枕詞で、瓶には「酒の起源 奈良発」のラベル文字も見える。

ただ、ふとラベル横を見ると、「販売者」は奈良市の「ゴールデンラビットビール」とあるが、「製造場」として新潟市の「エチゴビール」とあるのに驚いた。エチゴビールといえば地ビールの草分けのような存在で有名である。現時点で、奈良の素材を使って奈良で醸造するまでは至っておらず、新潟に醸造を委託しているとのことだ。産地偽装とまでは言わないが、そんなんあり?とも思う。

あてをちょこちょこ頼み、メインの一つは大和丸茄子の肉詰め。大和丸茄子は奈良市、大和郡山市で古くから栽培されていて、肉質がよく煮崩れしにくい特徴があり、煮てよし焼いてよしとのこと。夏野菜もしっかりいただこう。

他には、大和地鶏の天ぷら。

酒は、奈良を代表する蔵元の一つである春鹿。超辛口純米を一献傾ける。そこにあえて奈良漬クリームチーズを充てる。

まず満足して店を後にする。JR奈良駅に続く三条通りに出る。さすがに通りは暗くなったが、こちらにもさまざまな小洒落た店が並ぶ。

その中に「牡蠣食べ放題!!」の看板もある。奈良で「カキ」といえば間違いなく「柿」だと思うが(柿の葉すしや、「柿食へば~」の一句)、海の牡蠣とはね。まあ、今は冷蔵、冷凍の技術も発達しているから、こういう店があってもいいだろう。

JR奈良駅に戻り、コインロッカーの荷物を取り出して「ABホテル奈良」にチェックイン。部屋によってはJRの高架を行く列車が見えそうな建物だ。

シンプルな造りだが、大浴場も併設されていて、改めてここでゆっくりして癒される・・。

さて翌7月23日。まずはしっかりと朝食とした後、チェックアウト。

この日は今回の神仏霊場めぐりの本来の目的地である長谷寺に向かう。宿泊をJR奈良駅近くにしたのは、万葉まほろば線で桜井まで行けば、乗り換え1回で長谷寺駅に着くということもあった。近鉄奈良駅からだと、大和西大寺、大和八木と2回乗り換えになる。

8時ちょうど発のJR難波行きに乗る。といっても、万葉まほろば線~和歌山線~大和路線とたどる列車である。桜井に向かう分には問題ないが、大阪方面に向かうのは遠回りのルート。乗り間違える客がいなければいいが・・。

この万葉まほろば線の沿線には神仏霊場巡拝の道の札所も多い。これまでの回で一通り訪ねており、その時のことなども思い出しつつ車窓を眺める。土産に三輪そうめんでも買って帰るか・・。

桜井に到着。そのまま近鉄大阪線に乗り継ぐ。

これで何度目かの下車となる長谷寺に到着。時刻はまだ朝の9時だが、早くもムワッとした暑さを感じる。荷物をコインロッカーに預けたが、駅から寺までの1キロあまりというのが中途半端に遠く感じる・・・。

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神仏霊場巡拝の道~富雄の野球居酒屋「ビークレイジー」にてあの選手のトークショー

2023年08月23日 | 神仏霊場巡拝の道

近鉄奈良線の富雄駅前。先ほど霊山寺に参詣したが、帰りはここで一時を過ごすことにする。目指すのは駅前のあるビルの2階。

お目当ては、「野球居酒屋」を称する「ビークレイジー」。店内のいたるところにパ・リーグを中心としたプロ野球グッズが並ぶことで知られていて、これまでにもメディアで取り上げられていたのを目にした。もっとも、前に西国四十九薬師めぐりで霊山寺を訪ねた時にも店の看板を見たのだが、何だか常連が集まっていて、一見さんは入りにくいな・・というイメージを持っていた。

ただ、大阪から広島に移り、そして神仏霊場巡拝の道めぐりをやるようになると、やはり素直に一度は訪ねてみたいと思っていた。ただ、店の空き状況や、一見さんがポッと入っていいものやらということが気になっていた。

そんな中、「ビークレイジー」では不定期に往年の名選手を招いてトークショーやサイン会を行っているとある。選手に間近で接することができるとして人気のようだ。これなら、イベントへの参加ということで店に入るのにも気にすることはない。

今回、7月に神仏霊場巡拝の道めぐりをすることになり、スケジュールをのぞいてみた。8月にかけて、バファローズだけでなくホークスやブレーブスOBの来店告知もある中、ちょうど関西を訪ねようとした7月22日に元カープの達川光男、正田耕三両氏のトークショー、サイン会があるという。たまにセ・リーグの元選手も来るようだ。

私はバファローズ、パ・リーグのファンだが、現在住んでいる広島からわざわざ奈良の野球居酒屋に行って元カープの選手を間近に見るのも面白そうだと申し込んでみた。13時からが第1部で、その時間はちょうど霊山寺に向かう頃ということで、16時からの第2部にて・・。

パ・リーグとはいっても、店に並ぶのはどちらかといえば昭和から平成初期にかけての、あのガラガラのパ・リーグの時代のものが中心。私の故郷の藤井寺球場なんかまさにど真ん中だ。

開店前にはすでに何人か行列ができる中、先に店員が受付とドリンクの注文に出てきた。人数には余裕があるようで、第1部に続いて第2部への参加申し込みや、当日予約の人もいるようだ。

さて時間となり、店内に通される。通路はもちろん、壁、天井にいたるまでさまざまなグッズが並ぶのだが、達川、正田両氏はすでにスタンバイしているし、来た人から席を詰め合わせるということで残念ながらインテリアをゆっくり見る時間はない。トーク前に大型ビジョンで流れていたのは、1984年の日本シリーズ、カープ対ブレーブスの録画。広島市民球場での試合である。

参加者は9人。最初に「皆さんどこのファンですか?」という話になり、司会であるこの店のオーナーからまず「カープファンの方」というと多くの手が挙がる。それ以外の人はどこのファンということになって、タイガースやドラゴンズという声が出る。逆に、この店のコンセプトに近いはずのバファローズファンの私が浮く形になり、しかも広島から来たヤツということで両氏からも珍しがられた(そのおかげか、トークショーの中で達川氏から「バファローズファンの方」と振ってもらうこともあった)。

トークの中身だが、両氏の現役時代、コーチ時代の裏話、往年の選手たちのエピソードなど盛りだくさん。時間のほとんどは達川氏が話をリードする形で、時にはタイガースの岡田監督や、野村克也氏のモノマネなどで笑わせる。

達川氏からは今年のペナントレースの予想も出たが、パ・リーグはバファローズ有利だがマリーンズも面白いとのこと。そしてセ・リーグはタイガースが首位だが、次の直接対決の行方次第ではカープが行くかもわからん・・・とのことだった。

これは7月22日時点の話で、あれから1ヶ月経った現在はというと、パ・リーグはバファローズが何やかんやで勝ち星を伸ばし、2位マリーンズとはゲーム差がついた。そしてセ・リーグは、カープが10連勝で一気に首位に浮上したものの、その後は息切れ。タイガースが勝ち星を伸ばし、マジックも点灯している。残り30試合あまりとなったところで両リーグともこのまま走るのか・・?

時間はあっという間に過ぎ、トークショーは終了時間となった。この後は撮影会、サイン会である。

基本参加費には両氏のサイン券が1枚ずつついており、追加希望の人は、当日の限度枠の範囲内でサイン券を追加購入する仕組みである。案内があったのでもう1枚ずついただいたが、中には何枚も追加購入し、いろんなものにサインしてもらおうという人もいた。

私がサインしていただいたのはこちら。まずは通常の色紙。

追加サイン券にて、自宅にあったボールに正田氏のサイン。

そして達川氏には宮島・厳島神社の杓子にサインをいただいた。いつぞや厳島神社に初詣した時のものが自宅にあったのを面白そうだと持ってきた。トークショーの中で達川氏が宮島に参詣し、弥山にある「消えずの火」で沸かした湯を飲んで「心をきれいにした」というエピソードを話していたので、これはいい思い出になった。

サインをいただいた人から順次退出となった。今回、イベント開催日ということで店のパ・リーググッズはほんの少ししか見られなかったが、これはまたオリを見て、もとい折を見て訪ねてみようかと思う(開店日はSNSで告知しており、なかなか奈良まで出向くのは遠いが、そこは神仏霊場巡拝の道めぐりと組み合わせようか)。

充実した1日となり、近鉄奈良線でいったん近鉄奈良に向かう。この後は一献として、JR奈良に向かう途中で適当なところがあれば立ち寄ることにしよう・・・。

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奈良15番「霊山寺」~神仏霊場巡拝の道・61(弁財天のご利益と薬師湯)

2023年08月22日 | 神仏霊場巡拝の道

大和西大寺から近鉄奈良線にて富雄に到着する。次に目指す霊山寺は西国四十九薬師めぐりで一度訪ねたことがある。駅前にてしばらく待ち、若草台行きのバスに乗る。

10分ほどで霊山寺のバス停に到着する。この先の南側の一帯は霊山寺の敷地である。もちろん、寺の境内が中心なのだが、広大な霊園やバラ庭園も有している。今は閉鎖されたそうだが、ゴルフ練習場も運営していたとのこと。

まずは入口で入山料を納める。実は境内に入浴施設「薬師湯」があり、お参りの後に入浴しようと思い申し出ると、「またその時に受付させていただきます」とのこと。ともかく、先にお参りとしよう。

参道で出迎える朱塗りの鳥居をくぐる。これは大弁財天堂の入口を示すものだという。前回、西国四十九薬師めぐりで訪ねた時に奥の院の弁財天堂まで行ったが、1キロ以上坂を上り、最後は下った記憶がある。

霊山寺が開かれたのは、伝承によれば飛鳥時代。小野妹子の子である小野富人が壬申の乱の後に登美山に隠居したが、熊野本宮大社に参詣した時に薬師如来を感得したこともあり、登美山に薬師如来を祀った。また後に、聖武天皇の皇女・阿倍内親王(のちの孝謙天皇)が病に伏した時、登美山に行基をつかわして薬師如来に祈願したところ平癒した。これを受けて聖武天皇は行基に命じて登美山に大きなお堂を建立させた。この時来日していた天竺の菩提僊那は、登美山の地勢が故郷の霊鷲山(りょうじゅせん)に似ているとして、このお堂を「霊山寺(りょうせんじ)」と名付けた。

現在の本堂は鎌倉時代の建築で、国宝に指定されている。中に入り、外陣にてお勤めとする。

本堂の横に菩提僊那の銅像がある。内陣に祀られている像をモデルにインドの総領事館から今年寄贈されたものという。インド独立75周年、日本との国交樹立70周年記念という。

江戸時代まではそれなりの規模の寺だったが、明治の廃仏毀釈によりいったん衰退する。その後昭和になり、弁財天を感得した円照尼により、本尊薬師如来とともに奥の院の弁財天を信仰の中心に据えた。

境内の一角に大弁財天堂を建立し、その眷属である大龍神を祀る。さらに控えるのは七福神の弁財天除く6神。弁財天は黄金堂、大龍神は白金堂に、それぞれガラスで囲われている。古くからの歴史と現世利益が混同しているようだが、さまざまな面の経営も行うことで、現在も多くの人が訪れるところとなってる。

納経所はこちらの一角にあり、手書きの朱印をいただく。墨書はあくまで古来からの本尊の薬師如来である。

これから行く薬師湯もその一つである。改めて入口の受付に向かい、別途入浴料を支払ってロッカーのカギを受け取る。天然温泉ではないのだが、さまざまな薬草のエキスを使った薬草風呂である。登美山に薬師如来を小野富人は、病人を癒すために薬草を栽培して薬風呂を設けたと言われ、それにあやかってのことである。

朝から暑い中札所めぐりをしてきただけに、ここまでで汗だくだった。それを見越して、薬師湯に浸かって汗を落とせるようなルート設定としていた。ここで着替えもでき、脱衣所で涼むこともできた。

バスで富雄駅に戻る。時刻は15時半頃で、ちょうどよい時間である。というのが、今回あえて奈良近辺シリーズ、そして最後に霊山寺を参詣し、入浴して富雄駅に戻るように組んだのは、同じ駅前に位置するある店への訪問のためだった・・・。

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奈良10番「西大寺」~神仏霊場巡拝の道・60(安倍元首相銃撃事件とかつての巨大寺院)

2023年08月21日 | 神仏霊場巡拝の道

法華寺を参詣後、平城京跡の北側を通って大和西大寺駅に到着する。

大和西大寺駅前で思い出されるのが、2022年7月に起きた安倍元首相の銃撃事件。元職とはいえ、首相経験者が銃撃されたということで日本国中に衝撃が走ったことである。当時、大和西大寺駅前では整備工事が行われていたが、現在は車道が完成し、現場近くの歩道には花壇が設けられた。今回、あれから1年が経過して現場がどうなっているのか見ようと来てみた。

当初は事件があったことを示す碑の建立が検討されたが、「事件を思い出したくない」という地元の人たちからの意見もあり見送りとなった。その代わりに花壇を設けることで落ち着いたようで一応の目印になった。季節の花が咲く中で、お供えらしい花束も手向けられている。なお、ここから5キロほど離れた霊苑に、自民党奈良県連の有志により追悼碑が建てられている。

元首相を銃撃した犯人の裁判はこれからだが、事件の大きな動機として、犯人の母親が某宗教団体にのめりこんで多額の献金を行い家庭が崩壊したとして、宗教団体に恨みがあり、その団体とつながりがある政治家として安倍元首相を狙ったという。

一時は政治と宗教をめぐる話題が世間を賑わせていて、「宗教2世」という方もテレビを賑わせていたが、その後どうなったのだろうか。宗教への傾倒については人それぞれだし、それにお金が絡むと結構センシティブなことになる。私も先般依頼葬儀や法要ということで携わることがあったが、小さな家族葬のつもりが気付けば費用も膨大なものになったし、寺院の都度のお布施の相場というのも高いものだなと実感したところである(まあ、某宗教団体から求められる献金に比べれば額はごくごく些細なのだが・・)。

・・・と言いつつその一方で、私なんぞは複数の札所めぐりにいつもいつも多額の旅費と飲み代を費やして回っているのも、傍から見れば宗教に入れあげていると思われているのかな・・。

さてこれから目指す西大寺だが、参詣は初めてである。駅名にもなるくらいだから駅の近くにあるのかなというくらいの知識で、後は大きな茶碗を回し飲みする「大茶盛」が開かれるのをローカルニュースで目にするくらいのイメージだった。駅からすぐのところに外塀が続くのが見え、東門から境内に入る。境内はさらに奥に続いており、これだけの規模がある寺院だとは知らなかった。

西大寺が開かれたのは奈良時代、孝謙上皇(のちの称徳天皇)が恵美押勝の乱の平定を祈願し、四天王像を祀ったのが始まりという。上皇に近い弓削銅鏡の影響もあったという。寺の名前も、東大寺に対抗しての西大寺である。しかし平安時代以降は衰え、鎌倉時代に真言律宗を開いた叡尊により再興された。その後も室町~戦国時代に火災で焼け落ちるなどして、現在につながる姿になったのは江戸時代に幕府から寺領を認められて以降のことである。

境内も拝観順路が決まっているようで、現在は駅に近い東門だけが開放されていて、正面にあたる南門は柵で仕切られていてくぐれない。その順路でまず訪ねるのは四王堂である。入口で四王堂、本堂、愛染堂セットの拝観券を求める。従来はそれぞれのお堂で単体、セットそれぞれの拝観券を出していたが、やはりそれぞれきちんと拝んでほしいという寺の意向で、セット券方式にしたという。拝観順路を決めたのもそうしたところからのようだ。

現在の四王堂は江戸時代前期の再建だが、元々は孝謙上皇が発願した四天王像が祀られていたことからこの名前がつく。現在祀られている四天王は鎌倉~室町時代の作だが、その四天王に踏まれている邪鬼が奈良時代当初の姿を伝えているという。

中央に建つのは十一面観音像。長谷寺式に分類され、高いところから見守ってくれているように見える。平安時代の作で、元々は京都の法勝寺に祀られていたという。

堂内を一周する。数々の仏像に交じり、弓削道鏡の坐像もある。等身大の像ということで、「せんとくん」をデザインした籔内佐斗司氏の作品である。道鏡は何かと評価が分かれる僧侶であるが、道鏡が生まれたとされる現在の八尾から寄贈されたものだという。少なくとも、地元の人たちとしては才能ある名僧として推すところである。

続いて本堂に向かう。その前に石段があるのはかつての東塔の跡という。本堂は江戸時代後期の建立で、当時としては大規模なお堂であった。中に入ると中央に釈迦如来像が祀られ、西大寺、そして神仏霊場めぐりの本尊ということでその前の広間にてお勤めとする。両脇には薬師如来、文殊菩薩、善財童子などが並ぶ。巨大な茶碗を用いた「大茶盛」が催されるのもこの本堂で、廊下にはそこで使われたという茶碗も展示されていた。確かに、これを持ち上げるのは一苦労だろう。

先ほどの四王堂もそうだったが、本堂の壁面には灯籠がずらりと並ぶ。その数300基という。奉納者の名前を見ると一般の信徒、中には中国大陸からというのもあるし、真言律宗の系列寺院もある。その一角には「近畿日本鉄道」と書かれた灯籠が何基も固まって奉納されている。さすがだ。日々の安全運転を祈願していることだろう。

こちらで神仏霊場の朱印をいただく。

最後に愛染堂に向かう。京都御所にあった近衛家の建物を寄進する形で江戸時代に移築されたもので、愛染明王の坐像や、中興の祖である叡尊の像が祀られている。、

愛染堂の裏手にはハスが植えられた鉢が並ぶ。ちょうど花を開かせつつあるところで、青空によく映えている。

これで公開されている3つのお堂を回ったが、西大寺はかつての火災などで規模が縮小されたとはいえ、この先も境内が広がっている。かつては寺内町もあったそうだ。どうしても大仏がある東大寺と比べると知名度は低いが、かつての南都七大寺の歴史は今に受け継がれている。

これで大和西大寺駅に戻り、構内の駅そばで昼食として、次の目的地である霊山寺に向かう。区間準急にて移動する・・・。

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奈良9番「法華寺」~神仏霊場巡拝の道・59(光明皇后建立の寺)

2023年08月20日 | 神仏霊場巡拝の道

7月22日~23日の神仏霊場巡拝の道めぐり。22日は奈良市内の3ヶ所、そして23日に今回の目的地である長谷寺を参拝する。まず、JR奈良駅から奈良9番・法華寺を目指す。JR奈良駅発だが、いったん逆方向の近鉄奈良駅にも立ち寄り、奈良女子大学や奈良育英高校の前を経由する。

法華寺のバス停に到着。150メートルほど西に進むと法華寺の拝観口に到着する。

受付で拝観料を収めると「暑い中ご苦労ですねえ」と返され、法華寺の拝観順序を境内図で案内してくれる。まずは本堂(中に入れる)を拝観し、続いて示したのは境内図の左下。「この葉っぱ、何だかおわかりですか」と1枚の葉を取り出して説明したのは、慈光殿の前に植えられてる菩提樹。そして庭園である華楽園、復元された浴室(からふろ)、最後は休憩所である光月亭・・というコースだ。

まずは本堂に向かう。拝観入口の障子を開けると中には納経所、授与所があり、係の人が出迎えてくれる。本堂の中には法華寺の歴史や祀られる仏像の音声ガイドが繰り返し流れる。暑い中だが、扇風機が回っているのでしばらく椅子に腰かけ、落ち着いたところでお勤めとする。

法華寺が開かれたのは奈良時代、光明皇后の手による。東大寺が日本全国の総国分寺とされたのに対して、法華寺は総国分尼寺とされた。元々は藤原不比等の邸宅があったところで、娘の光明皇后が皇后宮を宮寺としたのが始まりとされる。当時は広大な敷地を持ち、金堂、講堂のほかに東西の塔も有する伽藍が広がっていたが、平安時代になると勢力は衰え、源平合戦や戦国時代の兵火でほとんどの建物を失った。

現在の本堂は江戸時代、豊臣秀頼により再建されたものである。

本堂内正面の厨子には本尊の十一面観音像が祀られている。平安時代初期の作で、天竺の仏師が光明皇后をモデルとして彫ったとされている。こちらは春と秋の特別期間のみ御開帳とのことで、通常は観音像の分身像を拝観することとなる。

十一面観音像を囲むようにその他の仏像も祀られ、維摩居士像や文殊菩薩像、不動明王像などが見られる。その中で存在感があるのが釈迦如来仏頭。全身は丈六で造られていたとされ、頭だけでも1m近くある。かつて法華寺で祀られていたのが、戦火で焼け落ち、頭部だけが残ったのだろうか。興福寺にある旧山田寺の仏頭にも似ているように見える。

こちらにて朱印をいただく。

本堂から出て、菩提樹など境内を一回りする。庭園の華楽園ものぞいたが、入口の木々には多くのセミが生息しており、私が近づくと一斉に鳴き声を立てて飛び回る。思わず驚いて、そのまま庭園を後にする。

浴室(からふろ)の建物。光明皇后は悲田院、施薬院を建てて多くの病人たちを救済したことで知られているが、そこから派生して、薬草を用いて蒸し風呂を焚くことが行われていたそうだ。それを寺の尼僧だけでなく、庶民のための風呂として開放されていたという。

その奥にある光月亭は茅葺屋根の建物だ。江戸時代の古民家を移築したもので、座敷には上がれないが土間に入り、縁側に腰かけることができる。土間には水、お茶のサーバーがあり、冷えたお茶をいただくことができる。今の私にとってはこれが悲田院、施薬院である。

しばらく縁側に腰かける。幾分か、暑さも和らぐように感じる。

次のバスがちょうど着くタイミングを見計らって法華寺を後にして、バス停に向かう。ただ、先ほど私が乗って来た便もそうだったが、JR、近鉄奈良駅周辺の交通量が多いためか、10分ほど遅れての到着である。

バスは航空自衛隊の奈良基地前に立ち寄った後、平城宮跡に差し掛かる。近鉄奈良線に乗るのとは違ったアクセスで、復元された大極殿や資料館に近いところを走る。

そのまま直進するとちょうど大和西大寺駅に到着した。これまで列車では何度となく通過しているが、こうしたアプローチで来るのは初めてである・・・。

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神仏霊場巡拝の道~今回は奈良北部から長谷寺を目指す

2023年08月18日 | 神仏霊場巡拝の道

これまで長々と書いてきた九州八十八ヶ所百八霊場めぐり。その翌週(7月22日~23日)、今度は神仏霊場巡拝の道めぐりで関西に向かう。

この7月も毎週のように出かけている。前回・・といってもその2週間前のことだが、大阪、神戸、京都と野球観戦も絡めながら移動した結果、その時のあみだくじで次の行き先は奈良の長谷寺と決まった。ただ今回コースを考えるにあたり、長谷寺へは2日目となる23日に訪ねることにして、初日の22日は奈良市を中心に回り、宿もJR奈良駅前で予約した。翌日は万葉まほろば線(桜井線)で桜井まで南下し、近鉄に乗り継いで長谷寺を目指す。なぜ22日に奈良市を中心に回ることにしたのか、それは後に触れることにする。

広島から朝の新幹線に乗車し、新大阪に到着する。ここからまず宿泊先のあるJR奈良に向かうのだが、ここはJRおおさか東線に乗って行くことにしよう。線内は各駅停車ということもあり、いったん大阪に出て大和路快速に乗るのが早いのかもしれないが、どちらを通ってもこの後の行程はそれほど変わらないようだ。

大阪環状線の駅を中心に各方面に放射状に鉄道路線が伸びているが、案外、それらの線同士を結ぶ路線も少ないものである。その中にあっておおさか東線は元々貨物線を利用した路線であるが、阪急、JR、近鉄の各線とも接続しており、そして現在は新大阪からさらに大阪まで延長されている。

阪急の淡路を中心とした高架化工事現場を通る。元々は1994年に計画され、2012年に完成予定だったものが、実際には着工は2008年、そして完成はさらに後ろ倒しとなり、現在のところ2031年予定となっている。用地取得の遅れが主な理由というが、かなり大がかりなプロジェクトである。

JR学研都市線と接続する放出に到着。この駅を「はなてん」と読むのは難読駅名の定番ネタとしてよく知られているが、私や私より上の世代だと、「放出(ハナテン)中古車センター」のローカルCMでこの地名を知っている方も多いのではないかと思う。その「ハナテン」を買収して大きくなったのが、今世間を騒がせているあの「ビッグモーター」である。

その後も高架線を走り、各線とクロスしながら終点の久宝寺到着。ここで大和路快速に乗り継ぎ、奈良を目指す。この日も晴天に恵まれているが、その分朝から暑い。

JR奈良に到着。ホーム、そしてコンコースには外国人観光客の姿も目立つ。インバウンド需要も順調に戻っているようだ。ここで荷物をコインロッカーに預ける。

駅前にはリニア中央新幹線の早期全線開業を願う三重、奈良、大阪の各府県の看板が出ているが、名古屋までですら開業が延期見通しという中で、関西まで伸びるのはいつのことやら。そもそも、駅をどこに造るかということすら決まっていないのでは・・(私個人としては、奈良・京都それぞれの顔を立てるならば駅および隣接するイオンモールの真ん中に県境がある「高の原」に1票なのだが)。

さてこの後だが、奈良市内を中心とした県北部には未訪の札所がまだまだ残っている。その中で、あくまで長谷寺に行くついでで訪ねる札所として、22日は奈良○番・法華寺、奈良○番・西大寺、そして奈良○番・霊山寺の3ヶ所を回る予定である。JR奈良駅から近鉄大和西大寺駅まで、法華寺を経由する系統のバスがある(日中は30分に1本)。そして大和西大寺まで出て、駅近くの西大寺へ、そして近鉄奈良線で富雄まで行く。

まずは法華寺に向かうべく、奈良駅の西口から奈良交通バスに乗車する・・・。

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第11回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~「にちりんシーガイア」にて日豊線を北上する

2023年08月17日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

九州の南部に差し掛かった九州八十八ヶ所百八霊場めぐり。帰りは宮崎16時39分発の特急「にちりんシーガイア14号」に乗る。県庁所在地ではあるが、先ほど寺を2ヶ所回ったのと、中心部をレンタカーで通過しただけで、実際の繁華街の様子を見るとか、宿泊、あるいは一献ということもなく慌ただしく戻ることになる。

この次は日南線沿線の2ヶ所を回る予定だが、いろいろプランニングする中で、日南市内に泊まるのが都合よさそうということで、同市内のホテルを予約している。県庁所在地を無視するようでもったいないのだが・・。

さて、列車の出発までは時間があるので、高架下の土産物コーナーやコンビニであれこれ買い求める。この先4時間半、ちょうど夕餉の一献の時間帯である。もちろん車内販売もなく、途中で買い物ができるだけの停車時間もないため、これでもかというくらい買っておく。ビールその他が途中でぬるくなるのも嫌なので、保冷も兼ねてカップ入りの氷も仕込んでおく。一献というより、酒盛りの籠城戦のような荷物となる。

列車は宮崎空港が始発で、途中南宮崎に停車した後に宮崎に着く。列車好きなら始発の宮崎空港から乗るところだろうが、JR九州のネット予約画面で割安で購入できる「九州ネットきっぷ」の場合、宮崎・南宮崎~小倉の設定はあるが、宮崎空港~小倉は設定がなく、通常運賃・料金となる。まあ、宮崎空港~宮崎は特例で乗車券のみで乗車できるから、その区間だけ別購入すればよいのだが・・。

6両編成の列車がやって来た。このうち前から4両が自由席、その後の1両が指定席、そして最後尾がグリーン車である。今回乗車するのはグリーン車である。「JR九州ネットきっぷ」利用だと、宮崎~小倉間は9850円と値段が一気に跳ね上がるが、これでも普通車指定席を通常に購入するのと比べて560円高いだけである。ならば、4時間半の長丁場ということでグリーン車に乗って行くことにする。

なお、ネット予約で購入できるのは通常のグリーン車のみで、最後尾の運転台寄り最後列のDXグリーン車や、グリーン個室は購入できない。グリーン車は1-2列の配列で、海側(進行方向右側)は2列席なのだが、先ほど駅のみどりの券売機で空席照会をかけたところ、隣の席は空席のようで、他にも窓側の席や1人がけの席も空いていたから、誰かと相席になることはないだろう。

その一方で普通車指定席は満席と出ている。もっとも、全員が宮崎~小倉を乗り通すわけではないだろう。指定席が1両しかないのと、途中の1駅間だけでも利用する客がいれば、宮崎~小倉の通しの座席が取れなくなる。だからといって区間を分けると、その都度特急料金がかかってしまう。

そんなことを思いつつ、宮崎を出発。朝からレンタカーで通った都市間を特急で戻るわけでだが、まずは缶ビールを開けて一人お疲れさんとする。今日も暑かった。その中で日中ハンドルを握り、終わった後の1杯というのも、今やレンタカー旅行の楽しみである。これ、広島まで延々と東九州道~中国道~山陽道と走るとなると・・・。

まずは宮崎の近郊を走る。平野の向こうにポツンと高い建物が見える。シーガイアにあるホテルということで・・名前は何だっけ。シェラトン・グランデ・オーシャンリゾート。やはり結構なお値段がするのだろうな。

コンテナオフレールステーションのある佐土原を過ぎ(その昔、宮崎の某製薬会社工場からのコンテナ貨物が広島にも到着してていたのに携わったことがあり、そこで「佐土原」という地名を知った)、河口部の広い一ッ瀬川を渡る。

先ほど走った国道10号線とも並走する。高鍋を過ぎると国道10号線と別れ、日豊線は日向灘に近いところを行く。海が近いのはわかるが、海岸側の草木が伸びていて水平線をなかなか見渡すことが難しいのだが・・。

都農を過ぎたあたりから右手に高架橋が続く。かつてのリニア実験線跡である。確か日豊線の線路沿いにあったのを車窓で見たな・・と思っていたが、このあたりだったかと思い出す。宮崎のリニア実験線の歴史は古く、国鉄時代の1977年に建設され、1996年まで使用された。その後、宮崎の実験線の後を受け継ぐ形で山梨に実験線が設けられ、現在建設中のリニア中央新幹線の一部となっている。そのリニア中央新幹線、いろいろあって東京~名古屋の2027年開業は後ろ倒しになる見込みだが・・。

その実験線に沿ってしばらく走る。現在も高架橋が残るが、よく見るとその上の軌道部分に何やら乗っている。太陽光発電のパネルだ。時代が経てばこういう利用をするのかと思う。南国宮崎らしいといえばらしいのかもしれないが・・。

そもそも、日豊線をリニア化するわけでもないのに、ここに実験線が建設されたのはどういう事情かと思う。土地が取得しやすいところ、平坦な土地で並走する線路が長い直線であること、そして都市部から離れているところ・・などという理由があったそうだ。当初は電磁波の影響も心配されたという。実際に東京からリニアを建設するとなると中部地方のアルプス山脈を通すがあり、そういう場合の曲線や勾配のデータ、さらにはトンネルの出入り時の気圧の影響などの評価が必要ということで、新たな実験線の建設の声があがった。そこで建設されたのが山梨実験線だという。

それでも宮崎の場合は軌道をシンプルにした分、基本的な高速走行の実験に役立ったという点では評価されるところである。この実験線は、伝統的な町並みが残る美々津の近くまで続いた。戦国時代、九州の覇権をかけて島津氏と大友氏が激戦を繰り広げた耳川を渡る。

高架駅の日向市に到着。ここから、先ほど1名が乗っていた最後尾のDXグリーン席にもう一人やって来る。この1-2列シートだけ、通常のグリーン車の座席とは仕切られていて、スペースもゆったりしている。こういう座席でゆったり過ごせばなお快適だろうな。

今朝方、第33番・永願寺を訪ねる際に見た門川町の海岸を過ぎ、南延岡に到着。旭化成の工場への専用線が分岐するところである。

17時42分、ホームの向こうにコンテナ基地が広がる延岡に到着。日豊線もここまでは貨物「列車」がやって来る。とりあえず宮崎から延岡まで1時間。ここから、大分への県境越えの区間である。往路でたどった宗太郎越えだが、その時はうたた寝のまま通過してしまった。今回は見逃さないようにしなければ。

延岡から佐伯まで、次の1時間はノンストップである。外はまだ明るく、駅の様子は何とか見ることができそうだ。ここで油断しないように・・。

そして、通過しながらなので写真は上手く撮れなかったが、来訪記念のメッセージ石が置かれているベンチがあるホームをとらえることができた。

18時41分、佐伯に到着。ここでようやく2時間経過である。道のりはまだまだ半分以上残っている。さすがに18時を過ぎると辺りも暗くなるが、何とかリアス式海岸の一端を見ることができる。ここまでレンタカーで通過した区間が多かったが、今回「にちりんシーガイア」に乗ることで回収することができたところも多かった。やはり列車にも乗っておきたい。

19時41分、大分到着。宮崎を出発して、ほぼ1時間の間隔で延岡、佐伯、大分と途中の主要駅に停車する。

大分からの別府湾は暗闇となり、別府に到着。連休の最終日の夜となればさすがにホームもひっそりしている。

ここまで来れば何回か列車で走った区間で、ようやくゴールの小倉も見えてくるところ。外の景色も見えなくなったので、あとはゆらり一献である。小倉では数分停車して列車の向きが変わるので、さすがに車内もごそごそするから乗り過ごすことはないだろう・・。なお、宮崎からちょうど4時間後の20時37分、中津に停車。

21時10分、小倉に到着。列車は向きを変えて博多に向かうが、ここで広島に戻るべく乗り換えである。列車全体でも小倉まで乗って来た客は少ないようで、ホームやコンコースも静かなものだった。

小倉からは21時25分発の「みずほ614号」新大阪行きに乗り継ぐ。なお、広島までならこの後21時47分発「こだま876号」福山行き、22時08分発「さくら406号」広島行きがあるが、いずれも宮崎からなら先ほど乗って来た「にちりんシーガイア14号」に乗る必要がある。

この時間なので自由席でも空席があるとして、その分安くあげた。それでも自由席はそこそこの乗車率で、通路側の席に陣取る。今度こそ乗り過ごすとしゃれにならないところ、通路側ということで緊張感を保つことができた。

22時11分、広島到着。この時間なら在来線もまだまだ動いており、連休最終日、無事に帰宅できた。

これで九州八十八ヶ所百八霊場めぐりも何だかんだで南下し、久しぶりに日向の国、宮崎県に足を踏み入れることができた。古事記からの神話、そして神道の影響が強い土地なのかなというイメージだったが、真言宗の仏教寺院も頑張っているなというのが新たな印象となった。この後は日南線シリーズ、そして都城・霧島シリーズと続く予定だが、札所めぐりに合わせたスポットめぐり、そして鉄道を中心にさまざまな乗り物を利用したいものである・・・。

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第11回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~第37番「香泉寺」(次は日南シリーズ)

2023年08月16日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

7月17日の九州八十八ヶ所百八霊場めぐり。この日だけで6ヶ所目となる第37番・香泉寺に向かう。広島から遠いエリアということもあり、この機に日向路を一気に南下した形である。本当は時間をかけてもっとさまざまなスポットを訪ねるべきなのだろうが・・。

先に訪ねた第38番・長久寺からカーナビをセットする。宮崎市の中心部に近いところに向かう。ただ、寺の近くに来て「目的地周辺です、音声案内を終了します」とのカーナビの音声に、はたと困った。確かに寺はこの辺りのようだが、入口がわからない。寺の本堂らしき建物は見えるのだが・・。

結局、ルール違反かもしれないがいったんスーパーの駐車場に停め、そこから歩くことにした。・・と思ったら、駐車場のすぐ横が香泉寺の入口だった。おまけに看板も出ていた。確か先ほどこの前を通ったはずだが、カーナビの音声案内に引っ張られて気づかなかったようだ。

ちなみに香泉寺、一応クルマが入れるだけの通路幅はあるが、中は行き止まりである。コンパクトカーといえども、中に入ると方向転換が難しかっただろうから、まあ、スーパーに停めさせてもらったのはちょっと目をつぶっていただいて・・(一応、参詣後わずかばかりの買い物させてもらいました)。

さてこの香泉寺だが、九州八十八ヶ所百八霊場の公式サイトを見ても、寺の開基についてははっきりしたことがわからないという。明治後期に高野山から全国に布教して回っていた龍雲和尚が、近くのお堂に祀られていた弘法大師像を現在地に移して現在の香泉寺を建立したそうだ。大正時代以降は地元の人たちから高野山、お大師さんとして親しまれたとある。

小ぢんまりした境内だが、子安大師像を囲むように石仏が並ぶ。四国八十八ヶ所の写し霊場である。

また、寺では「おとなの寺子屋」として、写経体験や勤行体験、阿字観の瞑想も随時行っているそうだ。日向の国というと、私の頭の中ではやはり古事記の神話から続く神道が中心というイメージが強く、薩摩・大隅とともに明治の神仏分離、廃仏毀釈が徹底的に行われたところなのだが、時代が経てばこの地でも改めて真言宗、弘法大師信仰を根付かせた僧侶や地域の人たちも多いものだと、実際に来てみての感想である。

本堂の扉が閉まっており、外でのお勤めとする。そして、隣接する客殿玄関に、御用の方はこちらへというのでインターフォンを鳴らすと、住職らしき方が出てきて、「表を開けるのでお参りください」と通される。そして改めてのお勤めである。

預けた納経帳とともに、お茶とお菓子のお接待をいただく。これで宮崎市内の2ヶ所を回ったことで「次は日南ですね」と言われる。この先は第39番・潮満寺、第40番・西明寺と、JR日南線の沿線である。いずれも最寄りの駅から歩いて行けそうなので、次は公共交通機関利用シリーズとしようか。

住職との話の中で、ふと「宮崎県は神道のイメージが強いですね」ということを発した。住職はそれは現実のこととして、鵜戸神宮のパンフレットを差し出した。これまで訪ねたことがなく、日南線は経由しないのでバス利用となるが、この九州八十八ヶ所百八霊場めぐりで参拝しようと思っていたところ。鵜戸神宮はそれこそ神話の頃からの由緒ある神社だが、神仏習合の歴史があり、かつての別当寺は天台宗、後には真言宗の僧侶が務めていたそうだ。住職は「このことは鵜戸神宮の歴史にも書かれているのだし、真言宗の側がもっとアピールしなきゃいけないんですけどね・・」という。

次の日南線シリーズをどう回るか。香泉寺を訪ねてからちょうど1ヶ月後にこの記事をまとめているが、一応、公共交通機関利用での行程案を作ったところで、各種チケットの手配をしたところである。何やかんやで、1泊2日でも行こうと思えば行けるものである・・。

これで延岡を朝出発して、宮崎まで無事に来ることができた。このままトヨタレンタカー宮崎店に向かう。返却時間には十分余裕があった。返却手続き後、サービスとして乗って来たクルマにてそのまま宮崎駅まで送っていただく。徒歩でも数分とあるが、荷物もあるし、暑い中なのでこれはありがたかった。

久しぶりの宮崎駅。これから16時39分発の特急「にちりんシーガイア14号」で、日豊線を長駆することに・・・。

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第11回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~第38番「長久寺」(宮崎の六観音)

2023年08月15日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

7月17日、九州八十八ヶ所百八霊場めぐりも宮崎市内に入った。市内に2ヶ所あるのだが、札所順では後になるが、宮崎駅から遠い第38番・長久寺に参詣する。時間的に何とか2ヶ所参詣できそうだ。

大淀川を渡り、住宅地の中を進む。最後は狭い通りとなり、長久寺の看板が見える。それなりの広さの駐車場があるが、他にクルマの姿は見えない。

境内には弘法大師や聖観音ほかの石像が出迎える。その中に「木造六観音像」の案内板がある。長久寺の本尊で、聖観音、十一面観音、千手観音、馬頭観音、如意輪観音、准胝観音の6つ。像の台座に室町時代の永禄年間、奈良を中心に活躍していた仏師の名前があり、宮崎県内では唯一の例という。

長久寺が開かれたのはその永禄年間、伊満福寺の珏融(かくゆう)僧正によるとされる。明治の廃仏毀釈により伊満福寺が廃寺となり、長久寺が一時期伊満福寺を名乗ったこともあった。

石段を上がり、コンクリート造りの本堂に出る。九州八十八ヶ所百八霊場のほかに、九州三十六不動の札もかかる。振り返ると、宮崎の市街もほんの少し見下ろすことができる。

扉が開いており、中に入る。それにしても中はムシムシした暑さだ。ここでも扇風機をつけさせてもらってのお勤めとする。内陣に祀られている六観音像や弘法大師像などの解説もある。

シンプルに本堂のみの寺院で、庫裏に向かう。納経所のカウンターはあり、九州八十八ヶ所百八霊場、九州三十六不動のセルフの朱印が置かれている。これで宮崎市内の1ヶ所はクリア。

この後は宮崎駅に戻る途中に位置する第37番・香泉寺に向かうことに・・・。

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第11回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~第36番「貫川寺」(宮崎へのアクセスは・・)

2023年08月11日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

第35番・行真寺で「霊性開発」という住職の世界に触れ、その大元とする神武天皇ゆかりの都農神社に参詣後、国道10号線を行く。

貫川寺に到着。山門もなく、そのまま狭い境内にクルマを突っ込む形になる。他に駐車場があるわけではなさそうだ。

コンパクトな境内には地蔵像が祀られ、鐘楼もある。「子育大師」像も建つが、その表情はよくある大師像に比べると結構リアリティがある。特定のどなたかをモデルにしたのかなと思わせる。

正面にはコンクリート造りの本堂があり、こちらがクルマを停めたのを見てか、住職らしき僧侶が「どうぞお入りください」と網戸を開けてくれる。こちらも対応が早い。

そういえば先ほど行真寺で住職のお話を聞いた後、「この後はあそこ(言葉には出なかったが、おそらく貫川寺のことを指していると思われる)に行かれるんでしょ。連絡しておきます」ということを言われた。「こういう風貌のおっさんが次にそちらに行くから扉を開けておくように」という連絡が入っていたのか。とすると、先ほど行真寺を訪ねた時、あらかじめ待っていたかのように「お参りの方ですか~」と声をかけられたのは、その前の第34番・中野寺から連絡でも入っていたのか。

ここ貫川寺が開かれたのは明治時代。諸国を行脚していた高橋貫弘という僧侶が、この地を修行で訪ねた時に眼病の村人に加持祈祷を行ったところ平癒したというので、多くの人たちが集まった。そこでここに留まることとして建立したのが始まりという。当初は弘法大師を本尊としていたが、後に、背後にあるかつて修験道の修行の場であった尾鈴山の本地仏である十一面観音を本尊として祀るようになった。

お勤めを終え、預けていた納経帳を受け取る。「この先はどちらへ?」と尋ねられる。今思うに、宮崎県内の札所ではこうした「リレー」が行われているのかなと思うようになった。この時だが、まだ宮崎市内まで距離があるし、帰りの列車の時間も気になるところ。次の第37番・香泉寺に行くかどうかはわからないので、今回は宮崎まで行き、そのまま広島に帰る旨を話した。

話はいつしか「宮崎県へのアクセスの難しさ」ということになった。九州の7つの県を見渡すと、宮崎へのアクセスというのが最も厳しいという。住職も「不便なんですよね・・」と苦笑する。私もこの後宮崎まで行った後、特急「にちりんシーガイア」に4時間半揺られて小倉に戻る。時間帯によっては、宮崎から日豊線で大分を経由するのではなく、あえて逆の鹿児島中央まで行き、九州新幹線に乗り継いだほうが早いとの検索結果も出るくらいだ。

ただそこで住職から出たのが、「宮崎に行くのに、新八代からバスに乗るという手がありますよ」という言葉。確かに、宮崎に行くなら都市間バスに乗る手があるとは知っていたが、「新八代」というのが意外なキーワードだった、「B&Sみやざき」というルートで、Bはバス、Sは新幹線である。九州新幹線の博多~新八代開業に合わせて、新幹線が走らない宮崎へのアクセスを強化しようということでできた路線というので、歴史じたいはそれなりにある。JR九州も、新幹線と「B&Sみやざき」がセットになった割引きっぷも発売され、結構需要もあるようだ。

エリア外在住ということもあり、私の頭の中では鉄道の路線図しか浮かばないところ、これはよい情報をいただいた。次回以降、宮崎県南部の札所が続くが、行き帰りにこの「B&Sみやざき」ルートを使うのも効果的かなと思う。

その一方で、このバスがあるから、豪雨災害の影響で現在も八代~人吉~吉松間で不通となっている肥薩線の復旧にもあまり積極的になれないのかなとも思う。今は高速道路があればどこでも手軽に結ばれる時勢だから・・。

寺を後にして国道10号線を南下する。帰りに乗る「にちりんシーガイア14号」には十分間に合いそうだが、どうせなら次の行程を少しでも楽にするために?宮崎市内の2ヶ所、いやせめてどちらか1ヶ所だけでも今回押さえることができるかどうかのタイミングとなった。この先、古墳群もある西都を経由するが、このまま南下する。

宮崎市を流れる大淀川を渡る。橋の歩道には「橋の上からの釣り、投網を禁止する」の掲示もある。橋といっても結構な高さにあり、釣りならまだわからなくもないが、こんなところから投網をする輩がいるとはね。

思ったより時間ができたので、宮崎市内の札所も回ろう。まずは宮崎駅から遠い第38番・長久寺に向かい、駅への戻りがてら第37番・香泉寺に行くことに・・・。

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第11回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~第35番「行真寺」(霊性開発)

2023年08月10日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

国道10号線を南下し、都農町に入って第35番・行真寺を目指す。カーナビはこの先の道を示すが、目の前に駐車場があり、こちらが正面のようである。本堂までは少し歩くようだが、一帯の森も含めて境内のようだ。

途中、「白水の滝」に続く道がある。そういう名勝があるのかと思うが、ともかく向かうのは本堂である。

緩やかな坂を上っていると坂の上から「お参りの方ですか~」と呼ぶ声がする。境内の掃除か除草作業をしている様子の方だが、まあ、こう言っては失礼だが観光客が訪ねる寺院でもなさそうで、来るとすればお参りだと思うが・・。

「住職を呼んできますので、どうぞこちらへ!」と本堂に案内される。八角形の、夢殿を連想させる建物である。いや、本堂の扉が閉まっているので開けましょうというのはこれまでにもいくつかの札所であったが、それにとどまらず住職を呼んでくるとは大仰だ。

本堂は2階建てで、1階は空手の道場、そして2階が本堂である。扉が開いて中に入り、さてお勤めというところで住職が入ってこられた。納経帳を預け、内陣の灯りをつけてもらい、本尊大日如来に向けてのお勤めとする。まあ、ローカル札所で小ぢんまりした寺院が多いので、住職直々に対応いただくこともたまにある。ご丁寧なことだ。

お勤めを終えるとテーブルに納経帳と、パンフレット、そして寺で発行している「黎明 心の古里」という会誌が置かれていて、扇風機とお茶を勧められる。「今日は何かそういう日なのか、今日だけでお参りが3人目ですよ」と言われる。九州八十八ヶ所百八霊場めぐりで訪ねた人のことかな。そうした参詣者が来る都度、住職自ら対応しているように思われたが、それにしても、先ほどはまるで私が来るのが、係の人を含め事前にわかっていたかのような出迎えに感じた。

お茶を勧められるとともに「少し時間ありますか?」と訊かれ、住職からの話が始まる。そこで出たのは「霊性」という言葉。

住職はこの寺の先代住職の子として生まれたが、寺の後を継ぐのが嫌で、大学は仏教とは関係のない学部に入った。ところがある時、人間の持つ「霊性」というものに目覚め、これを研究しようと寺に戻り修行を積んだ。そこで「霊性」とは本性=神性の愛、仏の慈悲であると感得し、思想、宗教、国境を越えて宇宙真理に生きるとした。

「霊性開発」というと何だか大丈夫か、ナントカ教会みたいに高いお布施を取られやせんかと身構えてしまうが、住職としては、釈迦の教えを一言で示すなれば、というところのようだ。人には元々「五智」が備わっているが、生まれた瞬間にそれを忘れてしまう。そこでさまざまな修行や徳を積んで能力(霊性)を開発し「五智」を備えた完全な存在になる・・・。

・・・神妙な顔をして聞いていたが、正直、一度聞いてすぐに理解できる内容ではない。

現在の本堂は先代住職の設計をもとに今の住職が建てたそうで、その霊性、真理についてさまざまな仏像を通して表しているという。本堂の外に新たに建つ美恵観音や弥勒菩薩、金剛薩捶もその一つである。御年82歳という住職、自分としてはやるだけのことはやったという思いがあり、次の代に引き継ぐ準備はできているという。

その中で、「神武天皇ゆかりの都農の地で霊性を開発することに意味がある」という言葉が印象に残った。近くに都農神社というのがあり、神武天皇を祭神とする日向国の一ノ宮である。住職によれば、「霊性」の目覚めによる地球黎明祝福の事業は、神武天皇による大和の国造りから始まったという。そして、釈迦如来、イエス・キリスト、役行者、そして弘法大師へと継承されているとしている。釈迦如来の前に神武天皇ありというのは、私にとっては初めての世界観である。

都農神社とは名前だけは聞いたことがあるかなという程度のスポットだが、神武天皇の東正にも登場するところで、行真寺の住職から名前が出るくらいなら、せっかくなのでこの後で行ってみることにしよう。それにしても、日向シリーズの今回、寺参りといいつつ神社、神話の色合いが濃くなったと感じる。

30分ほど住職の話を伺った後、見送られて本堂を後にする。先ほど看板があった白水の滝だが、行願寺の奥の院に当たるとはいえ、到着には時間がかかりそうだ。その代わり、都農神社に行くことにする。近隣の道を走り、再び国道10号線との交差点に出ると、正面に石の鳥居が出迎える。

都農神社は神武天皇の東征の際、ここに大己貴命を祀り武運長久を祈ったことが始まりとされている。また、神功皇后の三韓征伐に際して海の安全を祈り、その凱旋の時に社殿を設けたのが始まりともされている。その後は日向の伊東氏の保護もあり栄えたが、戦国時代の島津氏、大友氏の争いの中で社殿も焼失した。江戸時代に高鍋藩の秋月氏により再興され、明治以降は国幣小社に列せられた。

そして皇紀2600年の記念事業として、神武天皇ゆかりの地として社域も拡大された。

境内は落ち着いた感じ。

これで日向市に続いて都農町も訪ねたが、都農町にはもう1ヶ所、第36番・貫川寺がある。こちらは国道10号線沿いで、都農神社からもほど近いということでそのまま向かうことに・・・。

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第11回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~第34番「中野寺」(美々津は日本海軍発祥の地)

2023年08月09日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

細島半島を回り終えた後、次の第34番・中野寺を目指す。途中、小倉ヶ浜公園の前を過ぎるが、この公園の中にある野球場が、かつて近鉄バファローズが日向キャンプで使っていた球場である。

国道10号線から東九州道の日向インター前を通過し、丘の上に出る。ここが入口かと墓地の間を抜け。山門前に出る。

数々の石仏や弘法大師像などが出迎える。最寄りは日豊線の財光寺駅から徒歩で3キロほど。歩けない距離ではないがこの暑さである・・・。

さてこの中野寺だが、戦国時代に恒富村(現在は延岡市の一部)にあった光福寺の住職・無縛により開かれたそうだが、詳しい寺の歴史が残っていない。現在の九州八十八ヶ所百八霊場の紹介ページでも、宗派は真言宗醍醐派、本尊は阿弥陀如来ということしか書かれていない。

工事を行うのか、足場が組まれたコンクリート造りの本堂の扉に手を掛けると開いており、中に入ってのお勤めとする。いや、中に入るのはいいが、熱気がこもっていてそう長くいられるものではない。

本堂の中にはセルフの朱印がなかったので、庫裏に向かう。中からは高校野球の宮崎大会の中継とおぼしきテレビの音が聞こえてくる。応対していただいた寺の方が納経帳を預かる際、「栄養ドリンク、苦手ではないですか?」と尋ねられる。別に抵抗はないというと、この後朱印を押して出て来られた時、「お接待で」とヤクルトのタフマンの小瓶を手にしていた。レンタカーの中にはお茶や凍らせたペットボトルなど、飲み切れるか?というくらい買っていたのだが、ここに加わった栄養ドリンクがこの日の昼食代わりになりそうだ。

日向岬や大御神社など回るうち、当初の想定より時間が押してきたように思えた。国道10号線に戻るが、時刻が11時を回ったが宮崎まではまだ60キロ以上ある。

少し高い位置から日向灘を見下ろすところを走るが、そのまま通り抜ける。

時間が押してきたといいつつ、いったん国道10号線を離れる。立ち寄りとしたのは美々津である。耳川の河口に位置し、かつての日明貿易や、瀬戸内航路の西の端の港町として賑わい、現在も伝統的な町並みが残されているので少し立ち寄ってみる。資料館もあるようだ。

石畳が敷かれた通り、そして暖簾をかかげる商店や家屋が並ぶが、さてクルマはどこに停めたものか。空地はあるが駐車禁止の札が出ているし、駐車場があってもその関係者用だし、観光客はどこに停めればよいか。そうするうちに町並みを通り過ぎ、一本別の通りを戻ってみるがクルマを停める場所が見当たらない。

こうなると、本格的に町歩きをするとか、路上駐車して資料館に入るわけにもいかないようだ。幸い交通量は少ないので、写真を撮る時だけちょっと停車して外に出る、あるいは車内からカメラを向けるにとどめる。

その中にあって、港の横にちょっとした公園があり、「日本海軍発祥の地」と書かれた巨大な石碑が建つ。日本海軍発祥というが、美々津が軍港だった事実はないようだし、現在も自衛隊の船舶が停まっているわけでもない(イカリは展示されているが)。

この「日本海軍発祥の地」というのは、近代的な組織としての海軍ではなく、神話の世界、戦前の皇紀○○年の世界のことである。神武天皇が日向から大和に向けて東征した際、ここ美々津から船出をしたと伝えられている。その際、自ら水軍を編成したとして「日本海軍発祥の地」とし、皇紀2600年を記念事業として建てられたのがこの石碑である。終戦直後にはアメリカ軍により文字が消されたが、後に地元有志の手により復元されたとある。

ニニギノミコトや神武天皇といったところがごく普通に登場するあたり、さすが日向、神話の国である。こうした言い伝えも、古くから美々津や先ほどの細島といったところが海を通して畿内とつながりがあったことを示すことの表れとも考えられている。

町並みを抜け、防波堤に沿って走ると「神武天皇御舟出の地」の看板が立つ。ちなみに駐車場はこの近くにあったが、特に案内板があるわけでもなく、一見ではわからない。あまり、外からの観光客を受け入れたくないのかなとも感じられる。

日向市から都農町にかけては国道10号線も比較的平坦である。交通量もそれなりにあり、ところどころに「ゆずり車線」が設けられている。片側2車線にするほどではなく、通行をスムーズにするための設備だろう。

「都農ワイナリー」の看板も見える中、国道10号線を離れて第35番・行真寺に向かう・・・。

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