まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

マレーロ、プロ野球10万号本塁打

2017年09月29日 | プロ野球(バファローズ・NPB)
笑わせてくれる。

プロ野球創設から通算10万号の本塁打を誰が打つかということで、9月28日終了時点であと4本になっていた。29日の試合で10万号に到達するのではと予想されていて、誰が打つかというのが注目されていた。ちなみに、本塁打が認定されるのは「スタンドインの場合は座席に着弾した時点」「ランニングホームランの場合は本塁を踏んだ時点」で、秒単位で計測・判定するという。

29日の試合では、イーグルスのアマダー、ベイスターズの戸柱、バファローズのT-岡田ときて、10万号を放ったのはバファローズのマレーロ。

バファローズファンとしては、チームの勝ちに近づく一発がうれしいとして、メモリアル弾がマレーロというのに笑いのほうが起こる。ご存知の方も多いと思うが、このマレーロ、今季途中に新加入して、早速来日1号を放つ・・・が、自身の本塁踏み忘れで取り消しになった(記録は三塁打)というのでスポーツニュースでも一時話題になっていた。それが10万号で、改めて「あのベース踏み忘れがなければ」と見出しになったことである。

本人やチーム、ファンとしては、そのベース踏み忘れとは関係なく、「この場面で本塁打を打ってくれれば--・・」という思いのほうが強いかな。それでも、10万号は偶然とはいえ、ベース踏み忘れとセットで、バファローズの中で後まで印象に残る外国人の仲間入りしたことは間違いない。来季も契約とのことで、また勝負強い打撃を見せてほしい・・・。

一方で、そのマレーロと入れ替わる形で2軍に下がるようになったのがモレル。今季は減俸ながらも契約更新、一度はお立ち台にも上がったが結局は今季限り。また、野球選手そのものも引退して、家業のブドウ園を継ぐとか。私が観戦した試合ではよく打っていたイメージがあるので残念だが、これからの活躍を願うところである・・・。
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よくわからんぞ、総選挙

2017年09月27日 | ブログ
28日の臨時国会の最初での衆議院解散~10月10日告示~10月22日総選挙。

なぜこのタイミングで、何を争点とした選挙を行うのか。

一方で、不祥事により離党した議員たちを一掃する機会でもある。そういうところにも今回の選挙の意義はあると思う。また、野党としても、兼ねてから安倍辞めろだの民意を問えだの言っていたのだから、その通りになって政権に打撃を与えるチャンスが来たのではないのだろうか。それが大義なき解散とか疑惑隠しとか・・・どうなんだろう。

そして、自民、民進党などの離党組による新党結成が、いつしか小池都知事が代表の希望の党となった。東京都政はどこに行く。

で、ネットでニュースを見て思わず呆れ笑いしたのが、民進党がその希望の党に合流して、小池代表を表看板にして安倍政権を倒す・・・というもの。政権を倒すという目的だけで集まったはいいが、政策とか、もし大逆転で第一党になっさまったらどうするのか、よくわからない。

お笑いなのが、何とか議員の席を守ろうと民進党を出て新しい党に参加したのに、元の親分たちが後からくっついて来たというコントのような展開。

・・・で、大多数の国民はこれらの間置き去りにされていると。

こんなんでええの?総選挙・・・。
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第5番「報恩院」~近畿三十六不動めぐり・3(二つの北向不動尊)

2017年09月26日 | 近畿三十六不動
生国魂神社の境内を抜けて千日前通に出る。地図上では、これから行く報恩院は通りの向かいにあるが、ここは車道に塞がれている。一度谷町九丁目の交差点まで向かい、そこで渡る。これで天王寺区から中央区に入る。

千日前通の1本北の通りを進む。この辺りは飲食店が入るビルもあればラブホテル、マンションもあって雑然としている。その中に寺院の屋根瓦も混在している。

周りをビルに囲まれた中、「近畿三十六不動」「おおさか十三仏霊場」「摂津国八十八所」という看板が塀に掛けられている。ここが報恩院。境内としては実に小ぢんまりとしていている。

報恩院は江戸時代前期の寛文年間に良遍上人の手で、上町台地の良い場所を選んで北向不動尊を安置したのが始まりとされている。ちょうど谷町九丁目から難波方向への下り坂の途中に位置している。

その後、明治初期の廃仏毀釈で一度廃れ、明治から大正にかけて再興された。しかし大阪の大空襲で寺は焼かれる。ただその中でも北向不動尊の像は残った。被災数日して僧侶や壇信徒の手で焼け跡を整理し、再び祀られた。

その北向不動尊とは門をくぐるとすぐにご対面である。彼岸ということで花も多く供えられている。私が行った時にはちょうど一人の男性が北向不動尊の真ん前で手を合わせていた。不動尊に水をかけた後、長く、かつ真剣に手を合わせている。日頃から不動尊への信仰が篤いように見える。私も割り込むわけにいかず、終わるまでその後で待つ。

不動尊の後には相生の樟というのがある。北向不動尊と同じ時期に植えられ、枝葉もよく繁っていたそうだが、これも空襲で焼けた。それでも今も枝を伸ばしているとは、生命力というのか、不屈の精神を感じる。

その樟の後ろ側にもう1体、黒ずんだ仏像が祀られている。実は空襲で焼けた北向不動尊はこれである。北向ではなく南向だが、これも歴史を伝えるものである。見た感じ正面の北向不動尊よりも穏やかな表情に見えるのは、江戸時代の作風なのかもしれないが、廃仏毀釈や大阪空襲といった激動を乗り越え、今は北向の座を後継者に譲った楽隠居のようにも見える。

・・・とここまで、北向、北向と書いてきたが、なぜ不動明王が北を向くのだろうか。先ほど訪ねた四天王寺や清水寺では、不動明王は西や東を向いていた。そこをあえて「北向」とつけるのはどういう意味があるのだろうか・・・。これは三十六不動をめぐる中で見つけていきたい(んなもん、寺の人に訊いたら一発でわかるやろ・・・というのはなしで)。

「先代」の北向不動尊の向かいが納経所で、ベルを鳴らして寺の人を呼び、近畿三十六不動の書き置きの朱印入りの紙をいただく。なお、これは帰宅して気づいたのだが、日付を書いてもらった紙の下から、もう1枚「北向不動尊」と書かれた紙が出てきた。これらは朱印や筆書の位置がまったく同じだったので、専用用紙は書き置きではなく印刷物だったことがわかる。ありがたみが薄れそうに思うが、それを言っても仕方がない。それよりも紙が2枚出てきたのは、今は南向となった「先代」の北向不動尊の分かな・・・?と勝手に解釈する。

さて、報恩院の境内に入った時から読経の声が続いている。彼岸の法要で、僧侶が7~8人、壇信徒らしき人が20人ほど、境内にて各種の経典を唱えている。観音経もあれば各仏の真言もある。締め?が般若心経の繰り返しというやつ。壇信徒ではないのでその輪には入れないが、後ろの方から手を合わせる。そうした中を、隣の千日前通では右翼団体の街宣車が軍歌を大音量で流しながら走り抜ける。街角の寺院らしいひとこまかな。それにしても、故説般若波羅蜜多~いざゆけ日本男児~♪と妙につながってしまうのは、耳がどうかしているのかな。

さて、報恩院まで来たところでこの日の近畿三十六不動めぐりはここまで。次に行くところを例によって?くじ引きとサイコロのアプリで決める。近畿三十六不動めぐり最初の出走表は・・・

1.大津(円満院)

2.豊中宝塚(不動寺、中山寺)

3.竹田(不動院)

4.山科(岩屋寺)

5.天川村(龍泉寺)

6.醍醐(醍醐寺)

京都方面が多いが、最初からさまざまあるなというところ。なお、醍醐寺が出た場合は、朱印は下醍醐でいただくとしても、お参りするのはあくまで上醍醐となる。麓から片道1時間の行程が待つ。そんな中でエイヤッとスマホをなぞって出たのは・・・「5」。えっ、いきなり天川村って・・・。

どうやら、境内の片隅にいたこのオッサン・・・もとい役行者が存在感を出したかな。天川村の龍泉寺は、大峯山への修験道の玄関口である。不動尊めぐりと修験道めぐりは結構リンクしているところがあるようだが、いきなり近畿三十六不動でもっとも山深い札所に行くことになるとは・・・。

これで報恩院は終わりとするが、道を挟んだ向かいに高津宮の鳥居がある。せっかくなので最後にお参りする。この位置関係だと、報恩院は高津宮の神宮寺の役割もあったのかなと想像する。

高津宮は仁徳天皇を祀る神社だが、上方落語でも古典の舞台として出てくる。中でも知られるのが「高津の富」だろうが、境内に「高津の富亭」というのがあるのにうなった。参集殿を利用して不定期に寄席を開いているという。これは初めて知った。ちょうど打ち出しのタイミングで、参集殿からぞろぞろ客が出てきたところだった。客同士の会話から、結構常連さんも多いようだが、ここもまたいつか訪ねてみたいと思った。

この後は難波まで歩き、とある店でのどを潤す。彼岸の中日、この後は四天王寺で日想観ではないかというところだが、曇りの天気は変わりないだろうと打ち止めとする。まずは街角の寺院めぐり、次は山奥の修験道ということで、近畿三十六不動めぐりもまた関西のさまざまな表情が見られるかなと楽しみである・・・。
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第2番「清水寺」~近畿三十六不動めぐり・2(玉手の滝、生国魂神社)

2017年09月25日 | 近畿三十六不動
彼岸会で賑わっていた四天王寺を後にして、谷町筋を挟んだ西側、大阪星光学院の横を抜ける。やって来たのは近畿三十六不動の第2番の清水寺である。くじ引きとサイコロで回るところを決める・・・とはいうものの、同じエリアの札所は一緒に回ることにしている。清水寺は四天王寺とは目と鼻の先である・・・という以上に、四天王寺の支院である。

まず目に入るのは広い墓地である。新西国めぐりで来た時にも書いたが、ここ清水寺の本堂は墓地の東に位置するのだが、現在「建て替え工事中」で更地になっている。ただ実際に工事を行っている様子はなく、その日を見ることは果たしてあるのかなというところだ。

ちょうど彼岸ということで墓参りをする人の姿も見える。その横を抜けるように進み、石段を下りる。上町台地の西側の斜面の中ほどに木造の仮本堂がある。こちらの本尊は十一面千手観音で、江戸初期の寛永年代に清水寺を中興した延海阿闍梨が京都の清水寺から迎えて安置したものとされている。仮本堂は納経所の2階の座敷になっているが、彼岸法要の僧侶の方たちが待機しており、ちょっと邪魔するのも悪いかなと座敷に上がるのは遠慮する。

今回は不動尊めぐりということで、手を合わせる目的は本堂の奥にある。玉手(玉出)の滝である。四天王寺の真下に湧き出た霊水が滝となってここに流れ出ている。こちらに清水寺の音羽の滝を模した祠と石窟があり、石窟の中に不動明王が祀られている。こちらが近畿三十六不動としての仏様である。玉手の滝は行場にもなっていて、滝に打たれる人もたまにいるそうである。さすがに私は・・・そこまでの度胸はないなあ。

ここで納経所に向かう。近畿三十六不動のバインダー型の納経帳を差し出すと、机の引き出しから朱印入りの紙を取り出し、そこに日付だけ書いてバインダーに綴じて返してくれる。うーん、専用の台紙をいただけるのはいいが、目の前で達筆で書いてもらうのを見る楽しみがなくなるのは惜しいかなと思う(近畿三十六不動の納経帳ではなく、一般の納経帳で回った場合はもちろん目の前で書いてもらえるわけだが・・・)。

再び墓地に上がり、その先にある清水の舞台に立つ。通天閣から難波方面の眺望が楽しめるところである。新西国めぐりで来た時は清水の舞台でのサイコロで次の行き先を決めたが、今回は同じエリアということでもう一つ、第5番の報恩院に向かうことにする。

報恩院は谷町9丁目の駅近く。ということは四天王寺前夕陽ヶ丘から地下鉄1駅分ということで、歩いても十分行けるところだ。この界隈は四天王寺を中心に多くの寺院が並ぶ。空襲で焼けたところが多いため、寺と言っても建物は戦後再建されたものや、鉄筋コンクリートの建物になったものがほとんどである。ただ、寺と坂の景色は大阪の中でも独特の風情があり、最近は新たに現代型の宿坊もできて、若い人や外国人を中心に利用があるという。

途中、生国魂神社に立ち寄る。通称「生玉さん」である。主神である生島神、足島神というのは国土の守り神として難波宮の頃から祀られている。

とすれば四天王寺と同様に難波の地を支えてきたと言える。四天王寺に多くのお堂があり、それぞれ受け持ちの仏像が祀られているが、こちら生国魂神社にも多くの祠があり、さまざまな神が祀られている。中には「浄瑠璃神社」なるものもあり、絵馬にはその筋の方が公演の成功を願って書いたものや、オーディションの合格祈願、演劇部の大会での必勝祈願など、芸能関係の願い事が並んでいる。

また、江戸時代、元禄の頃に米澤彦八という人物がいて、生国魂神社の境内で物真似や咄の興行を行ったことから、彦八を「上方落語の祖」として顕彰している。ここにも落語家たちが奉納した絵馬がある。

他にも近松や西鶴の咄の舞台になったており、西鶴の像や『夫婦善哉』の織田作之助の像もある。全国的に知られた観光スポットではないだろうが、大阪の昔、そして町人文化の発祥の歴史を伝えるところである。

ここまで来れば報恩院も近い。神社に隣接したラブホテル街を抜けて(別にやましいことがあるわけではないが、やはり歩くのは妙な気持ちだ)、千日前通に出る・・・。
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第1番「四天王寺」~近畿三十六不動めぐり・1(スタートは混雑の彼岸会から)

2017年09月24日 | 近畿三十六不動
新たな札所めぐりとして始めた近畿三十六不動めぐり。近畿2府4県に広がる36の札所をくじ引きとサイコロで回るもので、訪ねたことがない寺院も多いことから新たな発見が楽しみである。

さて、サイコロで決めるとはいうものの、最初に行くのはやはり1番である。それは四天王寺。新西国三十三所(観音霊場)の時も四天王寺がスタートで、この辺りは日本仏教最初の地として幅広い信仰を集める寺らしいことである。四天王寺じたいは休日にぶらぶらと出向き、六時堂で手を合わせることもあるが、改めて札所めぐりの初めとして行くのは少し気持ちが改まる。

今回は9月23日にスタートする。ちなみに不動明王の縁日は毎月28日とされているが、そこは彼岸の中日ということで23日を選んだ。四天王寺ではこの日は彼岸会ということで、あえてそうした賑わう日を選ぶのもいいだろう。

昼食を済ませた後、JRの天王寺駅から北へ続く参道を行く。駅前の商店街も普段より多くの人が行き交う。車道側の露店もいつも以上に多い。その中にスタンドやテーブルが出ている。回向のための経木に「○○家先祖代々」とか、故人の戒名を書くための台である。この後境内では筆書をしてくれる受付やテントがあり、そこでは係の人やボランティアが書いてくれるが、こうした参道の台では1枚20円、セルフサービスである。

境内の西にある大鳥居から極楽門に入る。彼岸の時季はちょうどこの場所から西に沈む夕陽を見ることができ、彼岸会に合わせて「日想観」という法要が行われる。ただ、それまで時間があり過ぎるのと、この日はあいにく曇りの天候で夕陽を直接拝むというのは難しそうだ。

境内はやはり普段よりも大勢の人で賑わっているし、多くの露店が出ている。極楽門の両脇に並ぶ弘法大師や親鸞像にも手を合わせる人が多い。私も四国八十八所めぐりがちょうど半分近くまで行っていることもあり、中間報告というわけではないが大師像に手を合わせる。

今回は不動霊場めぐりで、不動尊が祀られているのは亀井堂であるがそこは後ほど行くとして、まずは本堂伽藍に向かう。普段は拝観料がかかるが彼岸会ということで無料開放されていた。それは回向をお願いする人のためということもあるだろう。四天王寺の各堂で特別回向が行われていて、お参りの人はお目当てのお堂で経木を差し出して名前を読んでもらう。各堂で行われているのは、それぞれに別々の仏様が祀られているためで、こちら本堂伽藍には救世観音像が祀られている。今回私は回向の申し込みはしていないが、僧侶の読経に合わせて、他の人たちと一緒に手を合わせる。

新西国めぐりの時は五重塔が耐震工事中で覆われていたが、その工事も終了して(現在は回廊の工事中)全体を見渡すことができる。また五重塔も開放されており、螺旋階段を上って最上階まで行ける。私もこの中に入るのは初めてで、せっかくなので急な階段を上る。

五重塔から見る景色はこのような感じ。あべのハルカスや通天閣の展望台よりは低いが、古くからある寺からの眺めというのもなかなかのものである。境内の賑わいというのもよくわかる。

六時堂に向かう。四天王寺の本堂はあくまで本堂伽藍の中だが、手を合わせる人はこちらのほうが多いように思う。本堂伽藍は有料の特別エリア、気軽に手を合わせられるのは六時堂というイメージがあるのだろうか。こちらは西国四十九薬師の札所の一つ(ただし、札所番号は1番ではない)であり、ここはここでそのために来る日がいつかあるだろう。

そして亀井堂へ。ここは経木を流して供養するところで、普段なら数人いるくらいのところがやはり順番待ちの長い列ができている。流すほうも流れ作業だ。・・・で、ようやくこちらが近畿三十六不動めぐりの1番となる亀井不動尊である。

亀井堂の地下には石亀の水盤があり、そこから清水が湧き出ている。その昔、聖徳太子が亀井の井戸を覗くと、仏法の守護神である不動明王の姿が水面に映っていて、そこからここで不動尊を祀ったのが由来とされている。

亀井堂の脇の小さな祠がその不動尊で、ここも行列ができている。亀井の井戸水をかける水かけ不動で、苔でびっしりと覆われている。

各札所では一応、経本に沿ってお勤めを行うということにしているのだが、ここでは水かけ不動に手を合わせた後、行列の脇から行う。般若心経の他に、今回は不動明王の真言、そして聖不動経を加える。この聖不動経は漢字をそのまま音読みするのではなく、漢文訓読方式である(経本にもそのように書かれている)。訓読だから日本語で、不動明王というのはこうしたお姿で、こうした力があるということがよりわかりやすい。

四天王寺は他にも多くのお堂があるが、今回近畿三十六不動としてはここまでとして、納経所に向かう。四天王寺は各種霊場、札所めぐりのスポットとなっており、また各堂の朱印もこの納経所で一括して受け付けている。ここも朱印を求める人で行列ができているが、「ご朱印お願いします」と言って、係の人から「どれにします?」とサンプルをどかっと見せられて戸惑っている人が結構いる。中には「何がお薦めですか?」と訊ねる人もいて、「じゃあそれで」と、居酒屋で料理でも見つくろうようなやりとりも見られる。

私の場合は札所めぐりに合わせた専用の納経帳でお願いするのだが、この近畿三十六不動は少し様子が違う。専用の納経帳はあるのだが、各札所の朱印墨書された紙をバインダー方式で綴じていくものである。そのため、あらかじめ専用の紙が用意されていて、後はそこに日付を書き足したうえで渡される。この朱印というのも手書きというよりは印刷ではないかなと思う。二つ折りになっていて、半分に朱印、もう半分にご詠歌が書かれている。36すべてお参りした後で、紙どうしを糊付けして製本するようにと言われる。

何だか味気ない感じもするが、これなら納経帳をいちいち持ち歩かなくても、納経所で「近畿三十六不動の紙をください」で事足りる。まあ、それだともっと味気なくなるので、中身は自宅でクリアファイルにでも挟んでおいて、納経帳のバインダーだけは持って回ることにしよう。一応これで回っているということで・・・。

ともかくこれでまず1番を終えて、次はすぐ近くにある2番に向かう・・・。
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来季も福良監督ということだが・・

2017年09月22日 | プロ野球(バファローズ・NPB)
カープ、ホークスの優勝、2位以下の順位争い、クライマックスシリーズをかけた残り試合の戦い、名選手の引退発表、高校生のプロ志望届・・・と、秋口らしい話題が並ぶプロ野球。

その中で、オリックス・バファローズは来季も福良監督の続投が正式に決まった。まあ、この成績だが早くから続投の方向が言われていたので、やっぱりなという感じである。一部には落合元中日監督招聘という噂もあったようだが、それができるならとうの昔にやっているのではないだろうか。

チームの人事やドラフト戦略について素人ファンがとやかく言えるものではないが、来季も福良監督で行くとしても、周りが同じ顔ぶれでは変化は期待できないなと思う。やはりコーチが小粒ばかりだし、ネットやブログでやり玉に挙げられているバッテリーコーチあたりもそろそろ何とかしなければならないのではと思う。何か「変わる」という期待を持たせてほしい。采配やチーム戦略もしかり。

後は、「Yes !高須クリニック」の罰ゲームのようなCMは何とかならんのかということで・・・。
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近畿三十六不動めぐり始めます

2017年09月20日 | 近畿三十六不動
9月20日は秋の彼岸の入り。23日は彼岸のドラゴンズ・・・もとい中日ということで、別にそれに合わせるわけではないが、新西国めぐりを終えたことで、関西の新たな札所めぐりを始めることにする。もちろん、西国2巡目に四国八十八所めぐりも続いていて、行き先が野球まみれならぬ寺まみれになるわけだが・・・。

観音信仰、弘法大師信仰というのがこれまでの札所めぐりのベースにあるのだが、不動明王というのもあちらこちらの寺で祀られている。本尊が他の仏様でも、本堂の片隅に安置されていたり、境内のどこかに不動堂があったりする。災難を逃れる、厄を払うということで手を合わせる対象である。実は私の勤務先でも、定期的に安全祈祷ということである寺にて不動明王に手を合わせている。

そういうわけで、各地方に不動尊霊場というのがあり、もちろん関西にもある。今度はそれを回ろうというものである。その名も近畿三十六不動・・・。

近畿三十六不動めぐりは新西国よりも新しく、1979年に発足とは私の年齢より若い。近畿2府4県を対象に、古寺顕彰会というところが中心となって36の寺院を選定した。宗派にこだわらず、不動明王を本尊かそれに準じて祀っているところが選ばれたという。この36という数は、不動明王の家来である眷属三十六童子から来ているとされ(なぜ眷属が36体なのかは置いておくとして)、これを3倍すれば108で煩悩の数と同じである。まあ、言い伝えはいろいろあることで、とりあえず不動明王に関係のある数字で構成されているということだけ知っていればいいのではないかと思う。

その近畿三十六不動めぐりにはどんな札所があるのか。エリアごとに並べると・・・、

・天王寺(四天王寺、清水寺、報恩院)

・東住吉(法楽寺、京善寺)

・大阪キタ(太融寺、国分寺)

・豊中宝塚(不動寺、中山寺)

・神戸(大龍寺、無動寺)

・神戸北(鏑射寺)

・高槻(安岡寺)

・嵯峨(大覚寺、仁和寺、蓮華寺)

・大原(三千院)

・左京(曼殊院)

・東山(聖護院、青蓮院、智積院)

・竹田(不動院)

・醍醐(醍醐寺)

・山科(岩屋寺)

・大津(円満院)

・比叡山(無動寺)

・湖西(葛川明王院)

・寝屋川(明王院)

・生駒(宝山寺)

・吉野(如意輪寺)

・天川村(龍泉寺)

・河内長野(明王寺)

・泉佐野(七宝瀧寺)

・和歌山(根来寺)

・高野山(明王院、南院)

これまでにも訪ねたことがあるところもあれば、名前じたい初めて聞くところも多い。これまでの西国、新西国と比べると、回るエリアの円は小さい。大阪や京都の市内に結構固まっているのも大きい。

で、これをどう回るか。今回も「くじ引き&サイコロ」方式を取ることにする。1番の四天王寺、36番の南院がある両エリアは最初と最後にするとして、後はランダムに決める。1回で1ヶ所というところも結構あるので、まあ、ぼちぼちと行くつもりである。

この近畿三十六不動も、新西国と同じく四天王寺から始めることになる。さて、どういう札所めぐりがこれから広がるのだろうか・・・・。
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台風の次は解散風?

2017年09月19日 | ブログ
台風関連のニュースが続いた連休だが、それが北のほうに向かった後はカープの優勝、そしてにわかに騒がれ出した衆議院の解散総選挙である。10月の22日でほぼ決まりだとか。ちょうどプロ野球クライマックスシリーズのファイナルステージと重なる(それまでに決着がついているかもしれないが)。

別にその時でなくても・・・と思うが、政略、政局ということを考えればそういうことなのだろう。一般の市民にはどうすることもできない。面白いのは、首相が正式に何も言っていないのに与野党やマスゴミがいつの間にかそうした風を出している。それこそが「忖度」ではないのか。

まあ、いろんなお騒がせ議員が次の選挙で消えてくれればいいと思うし、本当にふさわしい人だけが当選する選挙にすればよいと思う。「議員にふさわしくない連中を一掃する選挙」というのを争点にすれば、立派な大義名分ではないかな。個人名は出さないが、政治とカネ、暴言、失言、不倫・・・。また、国民ファーストおよびそれとの連係を目指す民進離党組だって、年内に政党を結成するのはどうせ助成金目当てなのだし、同じようなものだ。

・・・とは言うものの、自分の住所の選挙区でなければそうした意思は反映できない。それももどかしい。

改めて私の住所のある大阪14区というのを見ると、今度も谷畑孝(維新・選挙区当選)と長尾敬(自民・比例復活)という二人の「たかし」を軸に争うものと思う。さて、どうなることやら・・・?
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台風一過・・・でカープがセ・リーグ連覇

2017年09月18日 | プロ野球(バファローズ・NPB)
3連休、特に17~18日は列島を台風18号が縦断。コースとしては枕崎~宿毛~明石と上陸し、18日は日本海から北海道を通過した。通過したエリアでは河川の氾濫、家屋の浸水などの被害が出た。数人とはいえ死者、行方不明者も出てしまった。

結局、この連休に予定していた四国行きは延期ということでよかったと思う。特に17日は愛媛県内も大雨が降り、松山近郊を流れる重信川も増水した。四国内のJR、私鉄、そして瀬戸大橋や明石海峡大橋、フェリーも全面的に運休、通行止めとなり、まさに身動きが取れないところであった。ニュースでも、松山や高知の駅で立ち往生してしまった人のインタビューも流れていた。おそらく、この3連休に八十八所めぐりを予定されていた方も多いと思うが、多くの人が中止、延期をしたのではないかと思う。もっとも、歩き、クルマともども通し打ちで事前に四国に入っていた人はどのように1日を過ごしたのかなと思う。あの雨ではさすがに先に進むということは無理だっただろう。

まあ、これはこれとして、また10月以降に再度海を渡ることにして楽しみとする。

さて台風一過となった関西では、18日に甲子園でタイガース対カープ戦が行われ、接戦の中カープが勝利してセ・リーグ2連覇となった。こちらもおめでとうございます。今年は戦力的に連覇がどうかなという声もあったようだが、ふたを開けてみれば序盤から安定した戦いで、苦手の交流戦も(バファローズに3連勝というのも含めて)乗り切り、危なげない優勝であった。こちらも若手を中心とした選手層が整っていたと思う。ただMVPとなると・・・これは票が分かれそうな気がする。

後はCSにどのチームが出るかというところだが、今季の試合運びを見て、ホークス対カープという優勝チームが勝ち抜いての日本シリーズになるだろう。福岡対広島という「西日本対決」が楽しみ。ここは毎年恒例のことでパ・リーグのチームを応援したいところである。

・・・そういえば「ミッション・オクトーバー2017」などというキャッチコピーを掲げていた関西の球団があったと思うが、これは「みやざきフェニックスリーグ」のことであると、素直に受け止めておこう・・・。
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ホークス、パ・リーグ史上最速で優勝

2017年09月17日 | プロ野球(バファローズ・NPB)
16日からの連休は台風が日本列島を縦断するところで、広島でのカープ戦も雨の中で行われたようである。こちらはスワローズが意地を見せて本拠地での胴上げに待った。17日はおそらく中止だろうから、となると18日の甲子園でのタイガース戦ということになる。地元での胴上げができずに残念なところだが、ここは甲子園でのタイガースファンに胴上げを見せつける、関西のマスゴミを黙らせる・・・ということでいいのではないかと思う。

それはさておき、パ・リーグはホークスが優勝。ともかく、おめでとうございます。

9月16日の胴上げというのはパ・リーグ最速だという。以前ライオンズが連続して優勝していた時も早く決めていたイメージがあるが、当時は今よりも試合数が少ないにも関わらず、優勝は10月のことであった。今はドーム球場が増えたこともあるし、逆に地方巡業が減って「金曜日が移動日」ということも少なくなって6連戦が増えているように思う。その分試合の消化が早いから、暦での最速というのもそれほど意味を持たないのかなと思う。それより、2位とのゲーム差がいくらあるとか、何試合を残しての優勝かというのが「最速」と言えるかな。

ペナントレースの最初はイーグルスが突っ走ったり、バファローズが「春の珍事」を演出したこともあり、ホークスも出遅れた感があったが、さすがに戦力層が違う。故障者も多かったが、新戦力のデスパイネ、モイネロも当たったし、東浜、上林らの成長、和田の復調もあった。川﨑が復帰したのも何かプラスになったかと思う。そしてセーブの日本記録を更新したサファテ。誰がMVPになるかという予想としては、やはり日本記録を樹立したサファテに一票。

一方で、バファローズである。

今季はあまり球場で観戦する気も起こらず、CS中継やネットでの結果を追うことが多かったのでとやかく言えたものではないが、何かもやっとしたものが残るシーズンである。「完全最下位」だった昨年のほうがまだサバサバしていた感じだったが、今季は中途半端に連勝したりするものだから余計にもどかしいものを感じている。終盤になって少しずつ勝ってきて(まだかすかながらに勝率5割以上と、CS進出の可能性が残っているほうにびっくり)、これで来年も福良監督で行くのだろうと思う。

まあ、ファンが監督を決めるわけではないし、球団がそうするというのならそれで仕方ないことではあるが、もう少し厳しさ、喜怒哀楽を前に出して、チームの雰囲気を変えてくれるような人がいれば、そういう方を招いてもいいのではないかと思う。

これから残り試合、球場に足を運べるかどうかはわからないが、来季に向けて何か手ごたえをつかむような、そうした試合を行ってほしいものである・・・。
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第12回四国八十八所めぐり~・・・は、台風のため延期

2017年09月14日 | 四国八十八ヶ所
9月は敬老の日を絡めた連休がある。これを利用して四国八十八所めぐりの続きを行おうと思う。

今回は松山シリーズであるが、札所順で次に訪ねるのは松山市の南にある久万高原町。ここに44番の大宝寺、45番の岩屋寺がある。松山駅からJRバスの久万高原線に乗り、後は歩き、または本数が極端に少ない伊予鉄バスで回る。ここは昔からの遍路道が残っていて、公共交通機関遍路の私もできれば歩いてみたい。となれば、この久万高原の2ヶ所だけで一日仕事である。その結果、前後に松山市内に宿泊となり、往復入れて全部で3日がかりとなる。このために9月の連休での四国行きとした。

計画では、16日は朝の高速バスで大阪を出て昼過ぎに松山着。午後は前回コースから外れた内子の町並みを見物して、松山泊。17日は上記の通り久万高原まで往復して松山連泊。連休でホテルの確保に苦労したが、宿泊サイトをあれこれチェックして、市街地のビジネスホテルが2夜続けて取れた。そして18日は午前中で松山南部の3ヶ所を回り、伊予鉄道の久米駅でゴール。昼過ぎの高速バスで帰阪する・・・というプランである。

・・・ところが、てある。今週に台風18号が発生し、沖縄に接近した。当初は大陸のほうに抜ける予想だったが、何と高気圧の配置の影響で、東にカーブを取るというではないか。そして3連休に列島縦断という確率が時間を追うごとに高まってきた。先ほど見た予報だと、16日に九州に接近、上陸し、17日に西日本、18日に東日本を通過するとある。17日は、ちょうど久万高原の山道を歩く日だ。あまりのストライクさに、笑うところではないが笑ってしまった。台風が来たらそもそも四国に渡ることもできないし、仮に渡っても最悪の場合帰って来れなくなる恐れがある。台風が運よく逸れたとしても、雨風が大変なことは間違いなさそうだ。私も好き好んで雨の中は行きたくない。

・・・というわけで、9月の第12回については延期ということで、往復の高速バス、2泊ぶんのホテルはキャンセルした。このぶんは、元々私なりの「ミッション・オクトーバー2017」を期待して松山行きを組んでいる10月14日~15日にあてがうとする(詳細は宇和島での四国アイランドリーグの観戦記にて)。もっとも、野球観戦となると札所めぐりは限られるし、久万高原の1日も難しい。また一方では、愛媛マンダリンパイレーツが後期一時首位に立ったものの、現在は香川オリーブガイナーズに逆転されていて、このままだと後期優勝もなく、リーグのチャンピオンシップにも出場できない。まあどうなることか。場合によっては札所めぐりの順番を入れ替えることも考える必要もあるが、そこは状況に任せることにする。

それよりも、宮古島でも50年に一度とかいう雨だし、九州特に福岡、大分の山間部は豪雨被害に遭ったばかりである。この台風による被害が最小限のものであることを願うばかりである・・・。
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第21番「穴太寺」~西国三十三所めぐり2巡目・17(かやぶきの里へ・復路)

2017年09月13日 | 西国三十三所
園部駅に戻るバスまで時間があるので、自然文化村まで歩いて往復することにした。府道の歩道を行くとかやぶきの集落が少しずつ離れていく。

由良川の流れに沿い、20分も歩くと次の集落が出てくる。先ほどの北集落と規模はそれほど変わらないが、こちらはかやの上にトタンをかぶせたり、あるいは普通の瓦屋根という家がほとんどである。あの集落だけがかやぶきをそこまで残しているのはなぜか、疑問が深まる。

川の対岸は自然文化村。そこに渡るのは沈下橋である。四万十川で見た景色だが、ここは上流ということであそこまで川幅は広くないし、川に浸かる人の膝元くらいまでの水位である。対岸はキャンプ場やグラウンド、体育館がある。ちょうど少年野球のチームの試合前のようで、子どもたちの中を抜けるように歩くと、頭を丸刈りにした一人の野球少年がつかつかと私のほうに歩いてきて「今日は!」と頭を下げる。道ですれ違った場面ならわかるが、わざわざこちらに来て挨拶とは、誰かの保護者かコーチにでも見えたのかな。

自然文化村の中心である河鹿荘に着く。レストラン、温泉だけでなく宿泊設備もある。レストランは鮎やジビエ料理を出すそうで、そういう食事も良かったかなと思う。もう少し時間があれば入浴も良かったが、帰りの歩きを考えて見送る。なるほど、先の周遊バスでここまで来ていれば、1時間半の折り返し時間の中でそれらを楽しめたわけだ。

帰りは先ほどの府道とは対岸の遊歩道を歩く。歩道といってもずっとクルマの轍が続いているし、アップダウンもほとんどない。周りを木々に囲まれていて川の様子がほとんど見えないのが惜しい。それでも、最後に川の対岸から北集落を見渡す形となり、改めて昔懐かしさを感じさせる景色にうなるばかりである。

少し時間が残ったのでもう一度集落の中を回り、そろそろバスの出発時刻の14時25分が近づく。散らばっていた乗客も無事にバスに戻ってきた。そして園部駅に向けて発車するが、2~3分でまた停車する。

やって来たのは大石酒造の「美山路酒の館」。20分ほどの買い物タイムである。酒蔵ということで、またバスの客相手なので利き酒が行われる。大石酒造は元禄の頃からの老舗で、「翁鶴」というメイン賞品に加えて、美山の米でつくった「美山てんごり」がお勧めという。また、女性には酒精でつくった化粧水が人気のようだ。大陸の人たちも日本酒や化粧水を試したり購入したりしていて、わざわざ京都の山奥でピンポイントでこれらを爆買い・・・とまではいかなくても、慣れた感じでバスツアーの人並みに買っていたのに驚く。

次に停車したのは道の駅「美山ふれあい広場」。2回目の買い物タイムは30分。ここでは、美山の牛乳を使ったソフトクリームやプリンが人気という。ちょうど他のバスツアー客や、バイクのツーリングのグループなども立ち寄っていて、ソフトクリームのコーナーは長蛇の列。ここも、大陸の人たちは慣れた感じでソフトクリームの列に入っている。よほど人気、有名なのだろう。私は普段ソフトクリームを食べないこともあり、別に並ぶまでもないなと思ったが、元の牛乳はどんなものか、道の駅の産直売り場でパックを買って飲んでみた。確かに濃厚な味。こちらでは製造者欄に地元の農家の名前が入った味噌や山椒ちりめんを買う。やはり私はソフトクリームよりも酒のアテのほうが興味を示す。

停車時間も終わりとなり、今度は園部駅に向かう。行きと違って車内は静かになる。かやぶきの里をめぐり、食事や買い物も済んだし、しばしのお休みである。

園部駅に到着。折り返し運転の快速で京都に向かう。嵯峨嵐山や二条からは東洋、西洋の異国の人たちも乗ってくる。さすがは京都という光景であった。

・・・今回はあくまで西国三十三所めぐりの一つだったが、その穴太寺が霞むくらい、美山町はインパクトがあった。大陸の人たちがここ目当てで来るくらいのスポットでありながら、関西にいながらこれまで訪ねたことがなかったのが少し恥ずかしい。ただ、それでも関西にはまだまだ知らない、訪ねたことがないスポットがたくさんある。そうしたものを、各種の札所めぐりをツールとして、足を運んでみたいものだと改めて感じたのであった・・・。
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第21番「穴太寺」~西国三十三所めぐり2巡目・17(かやぶきの里へ・往路)

2017年09月12日 | 西国三十三所
朝から亀岡の穴太寺に参詣し、京都市街とは逆の園部駅に降り立つ。大勢の学生やキャリーバッグを持った人たちがぞろぞろと跨線橋を渡っていく。駅近くに大学があるということもあるが、それだけではないようである。

駅の西口を出たところに1台の観光バスが停まっている。次に乗るのは10時30分に出発するこのバスである。向かうのは同じ南丹市にある美山町。そう「かやぶきの里」として知られるところである。美山町には園部駅、または次の日吉駅から南丹市営バスも出ているのだが、今回利用したのは京阪京都交通バスが季節運転する「園部・美山周遊バス」というものである。ちょうど美山町の観光案内のサイトを見ているとあったもので、1日1運行ということもあり、園部駅到着から逆算して穴太寺の参詣を組んだようなものである。バスは事前予約制で、ネットからだと私がいつも高速バスの予約で使っているサイトからアクセスすることができた。

ルートとしては、10時30分に園部駅を出発し、11時20分にかやぶきの里に到着、バスはそのまま自然文化村まで行き、13時10分に折り返し、13時15分から14時25分までかやぶきの里に停車する。以後、買い物タイムということで2ヶ所に立ち寄って16時13分に園部駅に戻る。かやぶきの里に下車して、帰りのバスが来る3時間を過ごしてもいいし、自然文化村には温泉もあるので、そこで温泉に浸かって昼食をとり、帰りにかやぶきの里を回るという方法もある。これで往復乗車2000円、バスに乗る時の支払いである。座席もあらかじめ割り当てられている。観光バスの後ろ3列ほどは空いていたが、それ以外は結構乗っている。また飛び交う言葉が大陸のそれというのが驚きだった。彼らが自力でこのバスを見つけたのかどうかはわからないが、旅行会社がオプションか何かで提供しているのかもしれない。美山町は京都や大阪という都市部とは違った「日本の原風景」とでも紹介されているのだろう。車内放送では中国語も流れる。

バスは園部駅を出ると美山町に向けて走る。府道を行き、山も深くなる。かやぶきの里までは45分とは結構遠いものに感じる。

かやぶきの里の駐車場に着く。先に書いたようにバスは一度自然文化村まで行ってから折り返しで戻ってくるが、ほとんどの乗客がかやぶきの里で下車する。私もここで降りる。

まずは集落全体が広がり、バスを降りた大陸の人たちも「凄イネ」てな感じのことを言っている。ちょうど記念撮影ポイントらしき木のベンチがあり、ここで一眼レフで撮ったかと思えば、同行者と自撮り棒でもう一枚。この先、集落のいたるところで同じ光景を見る。私もあちこちにカメラを向けたので人のことはいえないが、かやぶきの里の集落は一部に店舗もあるが、多くは今も土地の人が住んでいる。あまり、家や通りの様子をバシャバシャ撮られるというのも気持ちのいいものではないだろう。私も家の前の畑で作業していた非とからにらまれた(ような気がする)。

美山かやぶきの里として知られる北という集落は、元々林業を主とした山村集落である。また、京都と若狭を結ぶ鯖街道の一つでもあった。現在50棟の家屋があるが、38棟がかやぶきである。かやの維持もなかなか大変だというが、とある1棟ではかやの葺き替え作業の最中だった。

そのかやぶきの家屋を見学できるのが民俗資料館である。上がり口に土間、囲炉裏があり、奥が座敷である。今から15年前に昔の図面や資料を元に復元した建物ということで、新しいといえば新しい。それでも、土間のすぐ横に馬小屋があったり、階段を上がった屋根裏ではかやの組まれた形を間近に見ることができた。実はこの時急なにわか雨があり、傘を持っていなかったのでどこかで雨宿りできないかというところに出会ったのがこの資料館だったのだが、この程度の雨足なら屋根裏にいても全然気にならない。逆に空気が抜ける構造なので、蒸す感じもしない。夏には適した造りなのかなと思う。

時刻はそろそろ昼時。食事するところが限られているということだったので亀岡で食べ物を調達していたが、多くの人が立ち寄るパン屋を見つける。吉之丞という店で、美山町産の米粉を使ったパンは人気だという。店の外に薪が積まれているが、これを燃料として窯で焼いているのだろうか。ちょうど常連らしき客が来て、店の夫婦とも談笑しながら買い物をしている。

私の旅のブログ記事ではパンというのはほとんど出てこないと思うが、この日は、亀岡で買ったおにぎりよりも、美山町米粉のパンに軍配が上がった。私も地元野菜をトッピングしたパンなど買い求める。せっかくなので昼食は美山町のパンとして、おにぎりは夕方用とする。これを広げたのは、集落の横を流れる由良川の河原。由良川は日本海に注ぐ川で、河口近くを京都丹後鉄道の列車が鉄橋を渡る景色は有名である。その上流が美山町にあるとは初めて知った。水も透き通って見える。

さて集落を一通り回り、お腹も出来たところだが、帰りのバスまではまだ2時間近くある。ならば、周遊バスの折り返し点である自然文化村まで歩こうかと思う。パンフレットを見ると徒歩30分とあり、それなら歩いても十分往復できるかと・・・・。
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第21番「穴太寺」~西国三十三所めぐり2巡目・17(そろそろ秋の気配)

2017年09月11日 | 西国三十三所
2017年の夏、東日本、特に関東・東京が雨の日が多く、気温もそれほど上がらなかったので「冷夏」というような言い方が報道では多かったように思うが、西日本は連日猛暑だった。その中でも関西の気温が国内でもっとも高い日もあったのではないかと思う。

それが不思議なもので、9月に入ると気温は下がり(それでも30度を超えるのだが)、朝晩は涼しくも感じられるようになった。季節は進むものだなと感じる。そうすると秋の行楽ということでまた出かける場面も出てくるだろう。この夏は、2016年の1月から回っていた「新西国三十三所」を満願することができ、また秋になれば新しい札所めぐりを始めようかと考えているところである。

その前に、同時期から並行している西国三十三所の2巡目も進めておきたい。「新西国」と組み合わせて回ったところもあるが、現在は西国草創1300年の記念行事がおちらこちらで行われているし、納経帳に記念印を押すということも行われている。そう思うと、夏用に購入していた青春18きっぷを、スケジュール的に難しいからと2回分残して早々と金券ショップに手放したのも惜しく思う。実は9月になってもう1回使えるチャンスが出てきたのだが、また新たにばら売りを買うと割高になるし、そこは普通運賃で行くことにする。

2巡目はランダムに回っているが、残っている札所の中から選んだのは、亀岡にある第21番の穴太寺。前回は春先、朝からお参りした後で亀岡の城下町を歩き、今は大本教の施設が建つ亀岡城を回った後、嵯峨野のトロッコ列車にて保津峡を見ながら嵐山に向かう・・という1日プランとなった。今回も、そうした京都郊外との組み合わせで行くことにする。

9月2日朝、大阪から快速に乗り京都を目指す。京都からは嵯峨野・山陰線の行き止まり式のホームに向かう。7時21分発の亀岡行きに乗るが、4両の車内は学生を含めて満員である。まずは先頭部まで行き、運転台の後ろに陣取る。ホームを離れ、梅小路公園を過ぎる。2019年の春にこの付近に新しい駅ができる予定だという。京都鉄道博物館への最寄駅となるが、そういえば、新しくなったこの鉄道博物館にはまだ一度も行っていない。そろそろ開業時のブームも落ち着いていることだろうから、タイミングを見て行ってみよう・・・と思うが、これがいつでも行けると思うとなかなか行かないものである。何かきっかけがないと・・・。

京都を出た時には大勢いた立ち客も、早くも次の丹波口から駅ごとにまず学生が下車していく。そして観光の玄関である嵯峨嵐山や保津峡ではリュックを背負った客が下車する。この辺りに来るとごちゃごちゃした市街地を離れ、自然が広がってくる。

7時48分に亀岡に到着。ここから穴太寺を目指す。前回は駅から1時間近くかけて歩いたが、今回は次に向かう場所への列車ダイヤのリミットを設けていて、亀岡に戻る時間が区切られている。このため、バスで往復することにした。亀岡駅から京都学園大学に向かう路線があり、次は8時01分発。京都学園大学に向かうどこかの大学の野球部の皆さんと一緒にバスに揺られ、10分で穴太口に着く。

穴太寺へはバス停から1キロ足らずのところにあり、古い屋敷も残る集落を歩く。稲穂がそろそろ実をつけていて、収穫にはもう少し時期が後だが、次の季節の気配が来ているのを感じる。

穴太寺は仁王門から参道が一直線に、京都学園大学の近くまで延びている。穴太口のバス停からだとその途中から入る形になり、突き当たりの仁王門を目指す。平地にあり、石段を上って仁王門に着くのではなく、仁王門を入って石段を数段下りて境内に入る。時刻はまだ朝の8時半というところで、寺の方たちが境内の掃除をしている。ほうきが砂利を掃く音・・・前回歩いて来たのも朝の時間帯で、同じような音をしていたのを思い出す。こぢんまりまとまった境内とほうきの音というのが、私にとっての穴太寺の印象である。

朝の涼しげな中で、まずは本堂の前でお勤め。そして横の納経所に向かうと、ほうきを使っていた寺の人が手を止めて「どうぞ」とやって来た。掃除の手を止めて恐縮なのだが、先達用の納経帳に朱印と記念印をいただく。ランダムに回っている2巡目だが、巻物の納経帳は1巡目で、それが少しずつ埋まり半分を過ぎたことに少しホッとする。

穴太寺のみどころは他にもあり、それには本坊の玄関をくぐる。拝観料500円を払い、まず本堂の中に入る。「身代わり観音」として知られる本尊の聖観音像は厨子の中でそこは手を合わせるとして、その奥の釈迦涅槃像が独特である。横になる(という言い方が適しているかは別として)釈迦像に布団が掛けられている姿。撮影禁止のためその姿はJRのキャンペーンのポスターを見ていただくとして、庶民信仰らしい姿である。本来の涅槃像はそういうものではないとしても、「うたた寝したら風邪ひくぞ」「寒い中気の毒や」という感じに見えたのだろう。その布団も定期的に替えられているようで、夏布団が掛かっていた。そして、お参りする人はその布団をめくって、涅槃像をなでるとその部分の病気が治癒するという言い伝えがある。なで仏というのはびんずるさんをはじめとしていろいろあるし、釈迦涅槃像もあちこちにある。それをなでることは別に何でもないことだが、布団をめくって・・というのが独特である。何だかお釈迦様と越えてはいけない一線を越えるような、妙な感じである。いろいろ心当たりある部位があるので、涅槃像をなでて手を合わせる。

そして本坊に行き、障子を開け放たれて風が通る座敷から庭園を見る。広さはそれほどでもないのかもしれないが、庭の向こうの多宝塔も良い感じに配置されて見える。座敷には他の参詣者もなく、しばらくぼんやり過ごす。普段の生活で座敷に腰を下ろすということもなかなかないし・・。

そろそろ時間となり、穴太寺を後にしてバス停に戻り、バスで亀山駅に着いた。この次に乗るのは10時ちょうど発の園部行き。亀岡から、京都市街とは逆方向で、この先を目指す。15分で園部に着き、ここからは山陰線の列車に乗り継ぐのではなく、10時半発のバスに乗り換える。このバスこそ、この日この後のお目当てということで・・・・。
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第11回四国八十八所めぐり~いよいよ伊予から帰阪

2017年09月09日 | 四国八十八ヶ所
「愛ある伊予灘線」の下灘駅での途中下車を見送り、松山に15時54分に到着した。列車で松山駅に降り立つのもずいぶん久しぶりである。四国の県庁所在地4つの駅の中で、もっとも古いスタイルを残す駅舎である。これは手つかずなのか、あえてそのスタイルを残しているということか。

帰りのバスは17時半発ということで、1時間半の待ち合わせ時間ができた。ただこの時間では松山城や道後温泉を回るには足りない。中途半端といえば中途半端である。

では、今日も暑かったし、バスまでの間に入浴はどうだろうか。と言っても、道後温泉に行く時間はない。そこは駅前に格好のスポットがある。松山駅から路面電車の電停を挟んだら斜め向かいに「キスケBOX」という施設がある。パチンコやカラオケ、ボウリングやゲームセンター、スポーツクラブを備えたアミューズメント施設なのだが、その1階に「喜助の湯」というのがある。天然温泉で、松山駅前も温泉としては「道後温泉郷」のエリアに含まれるという。入浴料金が600円とはスーパー銭湯価格としてもお手頃である。

キャリーバッグは駅のコインロッカーに預け、混んでいるは施設の傘立てに立てて入る。浴槽も広く、西日本最大級という炭酸泉の浴槽や砥部焼の風呂、半露天の風呂など楽しむことができる。浴槽に浸かりながら、そういえば今回の4日間の日程で、大浴場に入ったのはこれが初めてだなと振り返る。宇和島では、本館に大浴場があるビジネスホテルに連泊したにも関わらず、営業時間のこともありまずは汗を落とそうと、結局は部屋のユニットバスですませていた。

入浴後はしばらく広間で涼む。地元の人らしい客たちで賑わっていた。ここは朝5時から深夜2時まで営業しており、仮に夜行バスで松山入りした後や、松山から夜行バスに乗る前に一風呂という使い方ができる。また浴槽の広さや風呂の種類、休憩スペースという点を見ると、かつて訪ねた道後温泉本館よりも快適に過ごすことができた。もっともこれはあくまで即物的なことで、やはり歴史や伝統を感じるなら本館には行かなければならないと思う。これからの「松山市内シリーズ」のどこかでは回るつもりでいる。

そろそろバスの時間が近づき、駅に戻って飲食物を買い求める。大阪までは5時間半の道のり、夕食はバス車内でとなる。最後に、キリン一番搾りの「愛媛に乾杯」も持ち込むことにした。

やって来た車両は、西日本JRバスの「グランドリーム」車両である。当初は大阪~東京間の夜行バスに投入されたが、順次運用を拡大し、今年の春からは高知、松山便の一部にも入っている。最近の高速バスは、元々鉄道(新幹線、特急)より安いところに加えて、車内の快適性、ゆったりした座席を持つ車両も増えている。それが、私のように何回も四国めぐりに足を運ぶ上では選択肢が増え、乗り比べにもなっている。何だか、私の八十八所めぐりは、「四国との行き帰りをどうするか」というところにも結構ウエイトがあるように思う。松山となると他の行き方も当然出るわけで、次からはどうするか。

それはさておき、まずはグランドリーム車両である。シートの幅がほんの数センチだが広くなっているし、リクライニングするとフットレストが連動して持ち上がる。ゆりかごという意味の「クレイドル」という仕様で、シートに身を任せる感じである。確かに、行きに乗った通常の3列シート車両よりゆったり感はある。また、昼便だが各座席にカーテンがある。これは日中の移動にも個室感を出そうというものだ。

私の席は最前列ということで、右手のカーテンを引いて、左窓と前方の景色を見る形である。松山駅を出発して、路面電車とともに松山城の南側をぐるり回る形で大街道を過ぎ、松山インターに向かう。途中の渋滞で、高速に乗った時点では10分遅れとの案内があったが、この先は帰るだけなので特に気にしない。何せ5時間半の道のり・・・。

日の長い季節で、新居浜あたりまでは遠くに町の様子も見えたが、いつしか暗くなった。「愛媛に乾杯」も高速に乗った後で五臓六腑に染み渡った。

この後、定番の休憩スポットである吉野川サービスエリアと、淡路島の室津パーキングエリアに一時停車。淡路島まで来ると遅れもなくなっていた。そのまま、今回の起点だった湊町バスターミナルに着き、何とか19日のうちに帰宅することができた。やれやれ。

今回は高知から宇和島側を回って松山までと、四国の西半分を一気に回る旅だった。八十八所以外の記事が多かったが、いろいろなものを取り込んだ結果であり、個人的には非常に楽しむことができた。四国めぐりはこれから瀬戸内側のあちこちを回るが、大阪からの距離が近くなったので「ショットガン方式」の区切り打ちになる。また、先にも書いた「四国との行き帰り」もいろいろ経験しながら行きたいところである。八十八所後半戦はどんな展開になるか・・・・ここまで長々とした紀行文におつきあいいただき、ありがとうございました。
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