前日(4月18日)の記事では、緊急事態宣言が全国に拡大されて最初の週末という中での通院や、そのついでで近所の西国三十三所第5番の葛井寺の現況を書いた。
そして19日。外出についてはさまざまなことが言われている中だが、天気も回復したことだし外の空気を吸うことも必要かなと思う。上に書いた西国三十三所めぐりの他に関西では西国四十九薬師めぐりを行っていて、くじ引きとサイコロで次の行き先を決める中、順番では五條市の金剛寺となっている。藤井寺からなら近鉄で吉野口、あるいは御所まで行ってJR和歌山線に乗れば五条駅に着き、おそらく近鉄も和歌山線も空いているから人と接する機会も少ないのかなと考えている。
さらに金剛寺は「関西花の寺」の一つでもあり、境内には多くの花が咲くところだそうである。寺のホームページでは本堂や庫裏などの屋内の拝観は中止しているものの、19日からぼたん園を開園しているとある。もっとも花の開花が遅れているのと、この状況下で無理な参拝は避けるようにとのアナウンスがある。
さてどうするかだが、少し気持ちを冷静にして、金剛寺についてはもう少し様子を見ることにする。ただ一方で札所めぐりを何か進められないかと見た中で、西国四十九薬師めぐりの第14番の野中寺(やちゅうじ)が、藤井寺市の隣の羽曳野市にある。これまでサイコロの選択肢に出たことはあるが順番はまだ来ていない。
隣の市といっても、私の自宅から歩いて20分ほどで着くところである。それならば自宅からの散歩の延長ということで行けばよいのではないか。薬師めぐりのルールといっても私が自分向けに勝手に決めたものなので、そこは柔軟に行こう。先に野中寺に行くことにして、そこではくじ引きとサイコロは行わず、次は金剛寺に行くことはそのままとする。
さて藤井寺駅前。野中寺は駅から南西の道をそのまま歩けば着くのだが、同じ市民でもそちらの方角にはなかなか行く機会がないので、ある意味お出かけに近い。
その藤井寺といえば・・・今は世界遺産の百舌鳥・古市古墳群の一端ということで歴史の町というのが改めて見直されたが、少し前までの藤井寺といえば近鉄バファローズの本拠地、藤井寺球場である。その跡地は四天王寺学園のキャンパスとなっており、かつて球場があったことを伝えるのはこのモニュメントだ。
私がこの球場で実際に試合を観ていたのは1980年代半ばからだが、やはり一番印象に残っているのは1989年のパ・リーグ優勝。ライトスタンドのポール際の席でその時を見届けたが、当時スタンド全体で起こったウェーブが懐かしい。ただ、日本シリーズのチケットを買えなかったのは心残りである。藤井寺球場で最初で最後に行われた日本シリーズで、今たまにニュースで出る映像といえばジャイアンツの駒田や中畑の本塁打の場面。
後は古いところでは鈴木啓示の300勝とか、優勝の後なら野茂対清原とか、イチローの活躍、佐藤義則のノーヒットノーラン(「がんばろう神戸」の1995年)、地味なところでは新井宏昌の2000本安打とか、今の基準でいえばローカル球場の扱いながら、一時代を沸かせた夢舞台である。そうしたメモリアルな試合もあったが、たいていはガラガラのスタンドで鳴り物も禁止された中で普通に行われていた試合で、球場が狭い分ヤジもよく通った。良くも悪くも、私の野球観戦のベースはここである。
今、プロ野球の開幕がいつになるか見通せない中、昔のことを思い出すのもいいだろう。
さらに昔といえば、近鉄パールスには先日亡くなった関根潤三さんが主力として活躍していた。私の印象はヤクルトの監督やフジテレビの解説での飄々とした姿だが、選手として当時弱小の近鉄で投手、打者の両方でオールスターに選ばれたこともあるすごい選手だというのを後から知った。オリックス・バファローズが毎年行っている復刻イベントでも、何らかの形で紹介してほしかったなと思う。
現在は四天王寺学園のキャンパス、そして外野スタンドがあった辺りはマンションになっている。このマンションの造りがちょっとスタンドを意識したかのように見えないこともない。
このまま進み、ちょっと脇道に入って仲哀天皇陵(岡ミサンザイ古墳)に出る。周囲を堀に囲まれた前方後円墳で、その後円部のてっぺんというのが、藤井寺市で最も高い標高点(古墳は人工のものなので山とはちょっと違うような・・)である。
なおこの仲哀天皇とは第14代天皇で、父が日本武尊、妻が神功皇后、子が応神天皇だが、そうした人物に囲まれて影の薄い方だったとか。九州の熊襲との戦いで戦死したとも、神功皇后の三韓出征に反対して暗殺されたとも言われており、謚に「哀」という文字が入っていることも含めてちょっと気の毒な感じがする。
さてこの辺りは藤井寺市と羽曳野市の境界が接するところで、いつの間にか羽曳野市に入った。屋根瓦と門が見えると野中寺だが、入口はここではなく南側の山門である。
・・・藤井寺駅からたかだか20分あまり歩いただけだが、記事がすっかり長くなったのでいったん切る。寺についてはまた次の記事にて・・・。