まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

党首討論、やってたんや・・

2024年06月19日 | ブログ

所詮、その程度の扱いでしかないし、テレビニュースでその様子も報じられていたが、党首討論という割には何の内容もなく、正直、やる意味があるのかとすら思った。

政治とカネの問題、確かに大きなことかもしれないが、いつまでこうしたことに議論を費やすのかと思う。個人的には、別に多額の政治献金を受けようが、それを記載したかどうかということはどうでもよく、真に国民のためになる素晴らしい政策をしてくれれば何ら構わないと思う。まあ、そうなっていないグダグダな有様だし、野党もあてにならないし、党首討論といってもお互いのマスターベーションの時間でしかない。

結構なご身分、気楽な商売でいいですね。うらやましい。

ロシアと北朝鮮は首脳会談してますよ。こいつらが連合して日本に攻めて来たらどないすんねん・・・。

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白内障手術を受ける(左眼編)

2024年06月11日 | ブログ

以前の記事で、いろいろあった2024年5月の出来事として、「白内障の手術」にさらっと触れた。このたび、だいぶ症状も落ち着いてきたことで体験談として残しておくことにする。

前の記事では最初の右眼の手術、そして1週間の経過観察について書いた。ここまでの経過は良好である。片方だけながら、これまで感じることのなかった視覚をいただくことができた。

水曜日までの右眼の経過観察の1週間が経過し、明くる木曜日に左眼の手術である。同じように朝から眼科に向かう。手術の流れは一度経験しているので、気持ちとしては前回より多少は落ち着いているように思う。瞳孔を開く点眼薬、そして局部麻酔の点眼薬を入れていただき、手術室に入る。

リクライニングシートを倒され、血圧計、酸素濃度計をつけられた後に顔にカバーが掛けられる。ただこれは意外だったが、前回と違い右眼が回復しているので、カバーを通しておぼろげながら外で何が行われているか影が見える。補助のスタッフが何か手にしているなとか、何やら眼の上でゴソゴソしているなとか。片目だけつむるというのができないので、なまじ様子がわかるとやはり怖い気がする。

ただそれもわずかな時間のことで、まぶしい光が当てられ、少し瞼が重くなり、そして急に視界がぼやけた。濁った水晶体が砕かれた瞬間である。

続けて人工レンズが入り、今回も15分くらいで終了。左眼に眼帯と保護カバーがかけられた状態だが、一応右眼の視力が回復しているので、前回と比べて安心して歩いて帰宅できた。そのまままた1日、安静にして過ごす。前日、これを見越してあれこれ食料は買い込んでいたので外に出ることもない。まあ立場上なかなか有給休暇を取ることができないのだが、少なくとも体のことを気遣ってくれる職場の皆さんには感謝である。

翌日金曜日、左眼の眼帯を取ってもらう。これで右眼と左眼の視力のバランスがとれるようになった。私は幼稚園の頃から近視のため眼鏡生活で、裸眼でぼやけたままの状態も慣れているのだが、裸眼で遠くの文字が見えるというのは正直初めて、新鮮な感覚である。もっとも慣れていないせいか、眼鏡がないと座りがよくないようにも感じる。

先生の話では私の場合、「軽い近視が残る(残す)」とのこと。まあ、単焦点レンズで手元のほうが見にくくなっているので、どのみち眼鏡は近いうちに作ることになる。過去には、眼鏡をやめてコンタクトにすれば・・と薦められたこともあった。ただやはり、「眼鏡は体の一部です」という感覚もあったし、コンタクトレンズを眼に押し入れるのを見て怖くなったこともあり、頑なに拒んだ。軽い度数の眼鏡で今後楽になるのならそれで充分である。

先週と同様に、金曜日からは首から下のみ入浴可(洗顔、洗髪は不可)、また抗生剤、炎症止めの点眼薬は両眼に使用する。ただ今回、両方の裸眼で規定値以上の視力が出たとして、自動車の運転もOKとなった。そして翌日の土曜日、中1日おいて月曜日、さらに中1日で水曜日の通院となる。いずれの日もしかるべく検査、診察の後、先生からは「OKです!」のマル印が出る。医療技術の向上により白内障手術が失敗する可能性は限りなく低いがゼロではないので、経験豊富な先生でもやはり結果を見てようやく安心できるのだろう。

手術から1週間経過したことでほぼ通常の生活に戻ることができた。洗顔、洗髪OK、汗も落とそう・・・。

さて、左眼の手術を終えて経過観察が一段落した5月29日水曜日の夜、私が向かったのはマツダスタジアムである。そう、この日はマツダスタジアムで行われたカープ対バファローズの交流戦の観戦である。観戦記の記事では「いろいろあって」と書いたが、要は診察を終えた足で、快気祝いではないが出かけたというわけ。

・・・もっともこの試合、14対0でカープがバファローズに圧勝した。まあバファローズのチーム状態も悪かった時期だったが、通院にかこつけて会社を早退したタイミングで出かけたことに対して、何かしらの戒めがあったと思う(・・こういう思考に対してはいろいろな見方があるだろうな・・)。

その後の経過観察だが、現時点では週1回の通院を指示されている。手術後1ヶ月を目安とした後は、患者それぞれにもよるが通常なら通院の頻度も2週に1回、月に1回、3ヶ月で1回・・といった感じで少しずつ緩和するという。その間、点眼薬は継続使用になるが、おおむね手術後3ヶ月が一区切りとのこと。その頃には新しい眼鏡をつけているのかな。

・・当初「怖い」とか、妄想が先行して気分が悪くなった白内障手術だが、実際に受けてみてこういうものかと感じることができた。医師から手術したほうがよいと言われたら、躊躇せず受けるのがプラスだと思う。

これからどうなるやら・・・。

※一口に白内障日帰り手術といっても、広島市内のいろいろな眼科のホームページを見るだけでも手術前後についてそれぞれの眼科によってルールが異なるようだ。この記事もあくまで「一例」「個人の感想です」というくらいでご覧いただければ・・・。

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白内障手術を受ける(右眼編)

2024年06月10日 | ブログ

以前の記事で、いろいろあった2024年5月の出来事として、「白内障の手術」にさらっと触れた。このたび、だいぶ症状も落ち着いてきたことで体験談として残しておくことにする。

前の記事では、眼科にて両眼の白内障と診断され、手術の説明を聞いたところまで。目玉をグリグリされるのに心理的抵抗はあったものの、この先を考えるとやはり手術しなければならないだろう。後日眼科に電話を入れ、5月中旬の手術を予約した。まず症状がより進んでいる右眼、そして1週間後に左眼の順番で行うことになった。

手術前にも通院して精密検査を受けるとともに、入れる人工レンズの種類について打合せする。単焦点レンズ、多焦点レンズという選択肢があるが、どのタイプが適しているかは患者それぞれで異なるという。先生の診立てにより、私は単焦点レンズ、その中で遠いほうに焦点を合わせるタイプが採用され、手術後に視力が落ち着いたらそれに見合った眼鏡をつくることになった。

ちなみに、単焦点レンズだと全額健康保険適用で、高額療養費制度も使えるので自己負担を抑えることができる。一方の多焦点レンズは「選定療養」の扱いで、差額分は全額自己負担になる。

手術にあたり健康面で問題ないか確認するという。ここで検査できないこともないが、他の医療機関にかかっているのであれば現在の状況がわかる書類をいただきたいとのこと。そこで、糖尿病の定期通院の際にお願いしたのだが、眼科の先生とは懇意で快諾いただき、問題なくクリアできた。

・・さて手術3日前。指示によりこの日から、手術する方の眼に抗生物質入りの点眼薬を1日3回点眼する。手術前に眼を清潔に保つためである。

そして迎えた手術当日は木曜日。

朝食は普通にとってよいとのことで、しっかりいただいた後に眼科に向かう。やはり緊張する。

まず待合室にて、スタッフの方が手術する眼のまぶたに印をつけ、瞳孔を開く点眼薬を数分おきに入れていく。その後、麻酔薬も何度か点眼する。その間はテレビを見ながら過ごすのだが、そんな中、先に手術を終えた高齢の方が片方の眼に大きな眼帯と保護メガネをつけた状態で、付き添いの人と一緒に出てきた。

私も数十分後にああいう姿になるのか。

そろそろ時間のようで、手術用の帽子をかぶり、術衣を羽織り、スリッパに履き替える。手術室に入ると、先生とスタッフ数名が「頑張りましょう」と出迎えてくれる。

リクライニングシートが倒されるとともに、片腕には血圧計、もう片方の指には酸素濃度計をつけられ、顔には眼の周囲だけ開いたカバーをかぶせられる。その眼の周囲もまぶたを開いた状態でテープを貼られ、瞬きもできない。そこは麻酔やら洗浄液のようなものやらをかけられて乾燥しないようにする。

そして執刀開始。基本的には目の前のまぶしい光を見る感じで、先生が時折「上を見てください」「下を見てください」などと声をかけるのに従うのみである。

「急に視界がぼやけますが、大丈夫。順調に行っていますよ」の言葉とともに、視界がぼやける。おそらくこの瞬間、元の水晶体が砕かれたのだろう。

実際に手術を受けている間、多少眼に圧迫感はあったものの痛みはほとんど感じなかった。ただ、何が行われているか見ることはできないのだが、目玉をグリグリやられてることには変わりない。これ、付き添いでその光景を間近にするとまた気分が悪くなったのではないかと思う。

手術室に入って15分くらい、最後は右眼に眼帯がかけられて終了。当然眼鏡はかけられず視力の悪い状態で、普通は付き添いの人が来るかタクシーを呼ぶかするそうだが、独り者だし、家はすぐ近くでタクシーに乗るほどではないのそのまま一人で歩いて帰宅した。比較的往来の多い道路を渡る時はヒヤッとしたが、無事に帰宅。この日はそのまま安静である(会社は有給休暇)。

手術後の生活として、食事は普通にとってよいが、水が眼に入ることによる感染症のリスク予防のため、入浴、洗顔、洗髪は禁止である(固く絞ったタオルで患部以外の顔を拭く、電気カミソリでひげを剃るのはぎりぎりセーフ)。

その日はボーッとした状態で眼帯とカバーを気にしていたが、夜は一応眠ることができた。

翌日金曜日も通院。先生の手で眼帯を外し、手術痕などを確認したところ問題なく、手術は無事成功とのこと。裸眼でも視力がよくなったのがわかる。また、片眼ずつで白いものを見比べると、手術前の左眼に比べ、手術後の右眼だと白の鮮やかさが違うのがわかる。蛍光灯とLEDの違いというのか、あるいは使用後のワイシャツの白さを強調する洗濯用洗剤のCMというのか・・。この違いが水晶体の濁りで、手術後の見え方は20歳代に相当するとのこと。

いや~、手術受けてよかった。左右で視力がアンバランスのためちょっとしんどいが、これは過渡期のものである。

ただ術後も継続してケアする必要があり、抗生剤および新たに処方された2種類の炎症止めの点眼薬を1日3回入れるよう指示される。この日から首から下の入浴はOKとなったが、洗顔、洗髪は引き続き禁止で、入浴する際は浴槽やシャワーの水が眼にかからないよう注意を受ける。

ということで、いったん帰宅した後、首から下だけシャワーを浴びる。そして、さすがに自動車の運転はできないが公共交通機関と徒歩で職場に向かうことができた。職場の皆さんにも心配をかけたが、安心していただいた。

なお術後の経過観察は継続で、翌日土曜日、そして1日挟んで月曜日に通院。その都度いろいろ検査をした後で先生の診察だが、「OKです!」と手でマルを作ってくれる。手術痕の写真も見せてくれるが、これも自然になくなるとのこと。

さらに1日挟んだ水曜日に通院。この日も問題なく、「OKです! 明日は左眼の手術ですが、今日はしっかりリフレッシュして、また頑張りましょう」ということで、洗顔、洗髪も解禁。帰宅後存分に入浴し、久しぶりにさっぱりした・・・。

※画像は私が通院している広電宮島線・高須電停すぐの「うえ眼科」ホームページから引用。

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白内障手術を受ける(手術まで)

2024年06月09日 | ブログ

以前の記事で、いろいろあった2024年5月の出来事として、「白内障の手術」にさらっと触れた。このたび、だいぶ症状も落ち着いてきたことで体験談として残しておくことにする。

話は半年以上前にさかのぼるのだが、長くかけていた眼鏡が合わなくなった。今思えば2度目の広島勤務となった2020年以降少しずつ見えにくさを感じていたのだが、パソコンの画面を見る時間が長くなったのと、年齢で近視の度合いが進んだのだろうとそれほど気には留めていなかった。

しかし、健康診断などで眼鏡をかけても視力が出ず、このままだと運転免許証の更新に影響が出ると思い、10年以上ぶりに眼鏡を新調することにした。そして近くの商業施設にある眼鏡店に行ったのだが、レンズの度を上げても十分見えるところまではいかず、眼科に相談したほうがよいと言われた。

そこで、同じ商業施設にある眼科に行き検査を受けると、「白内障の症状があるようだ」とのこと。ただこの眼科は主に眼鏡やコンタクトレンズの処方を行う診療所ということでそれ以上のことはできず、一度専門の眼科に行ったほうがよいとだけ言われる。

うーん、白内障か・・。糖尿病の毎月の通院は欠かしていないが、よく言われる「定期的に眼科に通いましょう」を怠ったツケが回ったかなと思った。HbA1cは安定しているとはいえ、知らぬ間に合併症が進行していたのか・・。

自宅のすぐ近所に白内障手術を扱う眼科があるのだが、手術というと目玉をグリグリされる姿がイメージされ、どうしても躊躇してしまい、そこからまた時間が経過した。

たださすがにこれ以上は無理だとして、4月になり眼科を受診。いくつかの検査の結果、両眼とも白内障との診断が出た。幸い糖尿病の合併症ではなく加齢性のもので、ちょうど50歳代の私はそれが早めに現れたとのこと。

私より歳が若い先生から、「白内障とは何かいね、というところから説明しましょう」として、モニターのスライド、目の模型、そして私や他の患者さんの眼の写真を見せながらの解説を聞く。

白内障とはひとことでいえば、眼の中にある水晶体が濁る病気である。それによる症状や進行度合いには個人差があり、私のような視力低下のほか、光が拡散してまぶしく感じたり、視界が全体的にかすむなどさまざまある。なお、いったん白内障が発症したら、点眼薬だと初期段階の進行を遅らせるだけで、治療するには手術ということになる。

手術の流れだが、眼球の端に2.5mmほどの傷を作り、超音波を発信する器具を挿入して水晶体を砕きながら吸い出し、その後に人工レンズを挿入するというもの(画像は、日本眼科学会のホームページから引用)。ただ私の場合、年齢の割には症状がそれなりに進んでいるようで、両眼とも水晶体が結構硬くなっているという。硬くなるとその分超音波で砕く難易度が高くなるし、場合によっては手術ができないこともあるそうで、今日明日とは言わないがやはり早めの手術を薦められた。

・・恥ずかしい話だが、若い先生が熱心かつ丁寧に話をしてくださるのに、おっさんの私、症状が進んだ眼の写真を見せられたり、目玉をグリグリやられる姿を想像するうち、気分が悪くなってしまった。「ちょっと休みましょう」とスタッフの方に声をかけられ、いったん診察室を出て長椅子で呼吸を整える。これは何も先生に問題があるわけでなく、私が勝手に想像(妄想?)を膨らませただけのことだが、こういうのが苦手なもので・・・。

少し休んでもう一度先生の説明を聞いた後、今日のところは即刻問答無用で手術とはならず、「ご自身の決心がついた時点で構いませんので」と後日予約の電話をすることになった。

とはいえこのままだと何ら好転することはないわけで、早急に腹をくくって決めなければならないだろう・・・。

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第29回全国男子駅伝

2024年01月21日 | ブログ

1月21日、広島を舞台に行われた第29回都道府県対抗全国男子駅伝。

2020年10月に2回目の広島勤務となったが、コロナ禍の影響で2021年、2022年の大会は中止。2023年は3年ぶりに開催されたが、沿道での応援は控えるように・・ということもあってか、その日私は広島を離れていた。今回、従来からの応援スタイルに戻ったこともあり、せっかくなので沿道で応援としよう。

午前中に広島新四国八十八ヶ所霊場めぐりで江波地区を訪ねた後、自宅に戻る。広電の車内にはどこの県だろうか、応援の幟を手にした人も見かける。

レースは12時30分、平和記念公園をスタート。テレビで見届けた後、自宅近くの宮島街道に向かう。ちょうど1区の高校生区間である。選手がやってくるのに先立ち、白バイやパトカーが道路上のクルマをどかせる。ちょうど、沿道の店への納品のために停まっていた軽トラがいて、白バイから「運転手さ~ん!」とマイクで声がかかる。

待つ間、先頭がどのあたりに来ているかスマホ(NHKプラス)で見る。高校生とはいえ1キロ3分ほどで走るのだから、もうすぐにやって来る。

NHKの中継車、そして先導の白バイが通過する。いよいよ、選手がやって来る。

1区7キロの中盤ということで、20人近くが一塊になって通過する。この辺りは沿道の観客も1列になる程度だが、温かい拍手が送られる。

地元広島は中くらいの順位で通過したが、やはり拍手が大きい。

下位になると選手もぽつぽつと通過する中、最後にやって来たのは石川。遊学館高校の選手である。元日に発生した能登半島地震、200人以上の方が亡くなり、現在も避難生活を送る方が多い状況での出場である。トップ集団や広島チーム以上に拍手が送られた。

復路は最終7区で再びここを通過するため、いったん帰宅して、昼食を取りながら続きをテレビで観戦する。全国男子駅伝のコースは仕事等でクルマで通る機会も多く、沿道の景色で「だいたいあの辺り」というのがわかるので面白い。

1区はは長崎がトップで通過したが、2区の中学生区間は兵庫、長崎、埼玉が並ぶ展開。3区の大学・社会人区間は埼玉がリードして宮島口へ。そして4区の高校生区間で、高校駅伝で優勝した佐久長聖高校の選手の快走で長野がトップに立つ。

5区、6区も長野がトップで、最終7区に入る。もう一度観戦しようと、先ほどとはちょっとずれた宮島街道のポイントに向かう。往路の時は離れていて気付かなかったが、店舗の駐車場で太鼓の演奏が披露されている。「広島庚午太鼓団」によるもので、同じ町内でこういう活動があるとは初めて知った。

そろそろトップがやって来るようで、NHKの中継車、白バイに続き、先頭の長野がまず通過。箱根駅伝でも活躍した駒澤大学の鈴木選手である。

続いて上位チームが通過する。沿道で見ると、みんな速いわ・・。

その中で、広島は青山学院大学の箱根駅伝優勝メンバー・区間賞の倉本選手も健闘する。

そして、ここでももっとも拍手が大きかったのが最下位の石川。3区の大学・社会人区間では大会最年長の40歳のランナーも走っていたが、1区から結局順位を上げることができなかった。一緒に見ていた中で、「一番応援しよったのに、何でドベなんじゃろ・・」と半泣きになっていた方もいた。

再び自宅に戻り、ゴールの瞬間をテレビで観る。優勝した長野は3連覇、そして大会新記録も更新した。2位埼玉、3位千葉と入り、中国地方の最高は岡山の6位だった。ちなみに私の出身・大阪は(3区の葛西選手の区間新記録もあり)10位、広島は14位だった。

そして、最下位とはなったが石川も完走し、平和記念公園に詰めかけた人たちからも大きな拍手が起こった。こうした地域応援、ふるさと応援というのもこの全国駅伝の特徴である。

・・さて、石川、能登の支援に少しでもつながればということで、ネット通販にて注文した「能登棚田米」が届いた。能登といえば白米千枚田をはじめとした、狭い土地を有効活用した棚田が多い。米じたいは昨年のうちに収穫済だったのでまだしも、このたびの地震では棚田にもひび割れ、地滑りなどの被害が目立ち、2024年は田植えができるかわからないとのことである。棚田を含めた地域復興全体がこの先どうなるかだが・・・。

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能登半島地震に揺れた2024年正月

2024年01月12日 | ブログ

2024年は元日に発生した能登半島地震、2日に羽田空港の滑走路で発生した旅客機と海上保安庁の航空機の衝突事故という、何とも衝撃的な出来事から始まった。亡くなられた方、被災された方にはお悔やみ、お見舞い申し上げます。

元日の16時すぎの地震発生時、私は奈良県の橿原神宮前から近鉄南大阪線に乗車中で、電車の中で一斉にスマホのアラームが鳴り出し、何事かと動揺した。電車の中だと特に地震の揺れを感じることはなく、電車はしばらく徐行したものの安全確認できたとして通常運転に戻った。それでも、能登半島の地震で奈良や大阪にまでアラームが鳴るとは・・と思ったが、藤井寺の実家マンションに戻った際、この辺りでも結構揺れを感じたとのことだった。

テレビはどの局も地震特番、画面には「津波」「逃げて」の大きな字幕とともに、北陸や山陰の一部に大津波警報が出ていると報じられている。この時はまだ被害の状況もつかめておらず、テレビを見ても限られた定点カメラからの映像の繰り返し。正月どころではなく不安な思いである。

また北陸の交通も全面的にストップしたようで、先ほど京都駅で乗車案内を見た「サンダーバード」も、発車後に途中で運転取り止め、あるいは途中で立ち往生となったのかなと気になる。

そこに時折関西のスタジオからのニュースも入るが、山陰の豊岡や浜坂では大津波警報のため避難指示が出たところもあるという。先ほど乗った「きのさき5号」で城崎温泉、さらにその先に乗り継いだはいいが、避難を余儀なくされた方もいたかもしれない。北陸にせよ、山陰にせよ、ひょっとしたらこの年末年始に回ってから帰省することも一時考えていただけに、もしその場に居合わせていたらどうなっていたかと思う。

元日は夕食もそこそこにとりあえず横になる。

翌2日、大津波警報は解除されたものの、依然として余震、津波の危険への呼びかけが続く。もっとも、箱根駅伝は通常に中継され、サッポロビールをはじめとしたCMも入った。これで気が紛れたように思う。

その2日の夕方に発生したのが羽田空港の事故である。ちょうど夕方の地震関連のニュースを見ていたのだが、画面が急に羽田空港で炎上する航空機に切り替わった。

最初は、能登地震の影響で新たに発生した火災の映像かと思ったが、羽田空港設置のカメラのものだという。少しずつ状況が明らかになり、新千歳から羽田に到着したJALの旅客機が、被災地に救援物資を届ける海上保安庁の航空機と衝突。旅客機の乗客乗員が全員無事に脱出できたのは奇跡である(一方、海上保安庁の職員5名がこの事故で亡くなったのは悼まれる)。こちらはこちらで、帰省ラッシュにも大きな影響となった。

3日、ともかく広島に戻る・・・。

その能登半島地震、時間の経過とともにっ被害状況が明らかとなってきた。避難所に多くの人が身を寄せる一方で、まだ孤立している集落もあるし、安否がわからない方もまだいるという。復興まではかなりの時間がかかることだろう。能登に行ってどうのこうのとはいかないが、何らか、支援したいものである・・・。

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新年のご挨拶・・どころではない元日の地震

2024年01月01日 | ブログ
本年もよろしくお願いします・・・という元日のはずだったが、ちょうど実家に向かう電車の中で、乗客のスマホから一斉に警報が鳴ったのに驚いた。

石川県能登地方で最大震度7の地震、そして大津波警報。今後被害が心配である・・・。
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芸備線の1日3往復区間が「当面の間」運休、はたして存続は大丈夫か・・

2023年03月24日 | ブログ

3月23日、芸備線の備後八幡~内名間を走行中の列車が、線路上に落下した石に接触し、脱線する事故が発生した。原因調査等を行うこともあり、翌24日から「当面の間」列車の運転を取りやめ、代行輸送を行うという。

芸備線のこの区間といえば東城~備後落合間の1日3往復の運転で、かねてから今後の存続のあり方についてJRが地元への協議を働きかけているところである。事故に遭った列車は備後落合への夕方の最終列車。発生したのが19時25分頃だが、列車には乗客が乗っておらず、運転士にもけがはなかったそうである。死傷者がなかったのは幸い・・・であるが、平日の19時台にして「乗客ゼロ」というのが、この区間の現状を物語っている。

芸備線の東城~備後落合間も、青春18きっぷの時季には全国から乗りに来る人が多く立ち客も出るくらいの乗車数になるのだが、それも昼の1往復に限ったことだという。この列車で備後落合に着いたとしてもその先の三次方面や木次線の列車はなく、何もないところで朝を迎える羽目になる(三次行きはこの列車が着く30分あまり前に出たばかり。どうせならもう少し待ったれやと思うのだが・・)。

線路のほうも大きな土砂崩れが発生したわけではないようだが、落石というのはこれからもあるだろう。ただ、それに対する保線というのも費用対効果を考えると十分ではないと見受けられるし、線路や路盤への衝撃を最小限にするために「時速25km運転」も行われているのがせいぜいである。運休期間がどのくらいになるかわからないが、JRとしては廃止に向けた材料の一つにもなるのではないかと思う。

今後の対応が気になるところである・・・。

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じゃあ、辞めます。人生も

2023年02月13日 | ブログ
今までありがとうございました。さようなら・・・。
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退職するくらいなら

2023年02月13日 | ブログ

自殺したほうが、そのほうが楽だし、他人にも迷惑がかからないし、同情してもらえるし、いいよね。

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2023年元日

2023年01月01日 | ブログ
2023年元日

新たな年が皆様にとって良き一年になりますように。

拙ブログもよろしくお願いします。
(画像 琵琶湖上ミシガンより初日の出)
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歌舞伎俳優ってうらやましい職業ですね

2022年08月26日 | ブログ

何をやっても庇護されますから。

梨園だかリンゴ園だか知らんけど・・・

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第11回九州西国霊場めぐり~今回は魅惑の長崎編・フレッシュオールスターに軍艦島

2022年07月27日 | ブログ

今回は九州西国霊場めぐりである。同じ九州で九州八十八ヶ所百八霊場めぐりというのも同時に行っており、それらが混同するかのようだが、観音霊場めぐりと弘法大師霊場めぐりの違いがある。そして先行して始めている九州西国霊場は後半、長崎県まで進んでいる。

第11回の目的地は長崎市内。第25番・清水寺、そして第26番・観音寺である。いずれも九州に限らず全国的に同じ名前を持つ寺院である。

前回、5月の大型連休に諫早の札所を訪ねた後で、長崎市内は7月中旬くらいかなとイメージしていた。海の日の連休もあるが、このくらいとしたのは9月に武雄温泉~長崎間で先行開業する西九州新幹線の存在がある。西九州新幹線「かもめ」が運転されるのにともない、博多からは「リレー号」が武雄温泉まで運転される。それと引き換えに長崎線の肥前山口(9月以降は江北に改称)~諫早間は並行在来線として上下分離方式での運営となる。一足飛びで第三セクター線とはならず、23年間はJR九州が列車の運転を行うことになるが、列車の減便、運転区間の縮小は避けられない。

その意味で、今回は少し早いが、博多~長崎運転の「かもめ」のお別れ乗車としよう。利用するのは日本旅行の長崎1泊プランで、往復の新幹線(限定列車)+「かもめ」の往復指定席+長崎駅前のホテル1泊朝食付きで28600円というもの。およそホテル1泊料金分くらい割安となっているようだ。

九州西国霊場はその先佐世保、唐津と続くが、こちらは逆に西九州新幹線の先行開業後の楽しみに取っておく。

そして、今回出かけるのは7月23日~24日とした。23日夜に長崎の「ビッグNスタジアム」で、NPBの「フレッシュオールスター2022」が行われることを知った。フレッシュオールスターを観戦するのも初めてだし、ビッグNスタジアムも車窓から外観を見たことあるだけで、スタンドに入るのは初めてである。野球観戦と札所めぐりの組み合わせ・・・ええやないですか。プレイガイドで前売券を購入。

さらに、長崎に行くのなら世界遺産である軍艦島にも行きたい。軍艦島には一度、2014年の元日にクルーズ船で上陸したことがあるが、せっかくの機会なので訪ねてみたい。

最後の長崎線「かもめ」乗車、フレッシュオールスター、軍艦島、そして札所めぐり・・・目的の優先度がいろいろ入れ替わるようだが、内容の濃い長崎行きになりそうだ。野球があるので雨に遭わないことを祈るばかり・・・。

そして23日当日朝、広島駅に向かう。6時47分発の「こだま781号」で出発。後続列車の通過待ちもなかったこともあり、途中の各駅の描写はなし・・。

そのまま順調に博多に到着。次に乗るのは、博多8時52分発の「かもめ9号」。少し時間があるので、在来線ホームのスタンドで博多ラーメンをさくっと一杯・・・。

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自分のやっている仕事なんて・・・

2022年07月04日 | ブログ

いわゆる「底辺の仕事、そういう業界」。

自分にはそれだけの能力しかなかったんです。

もっと、親のいうことを聞いて、他人を蹴落としてでも一番になればよかったんや。

もう、辞めようかな・・・。

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正直、ほっといてくれ

2022年06月15日 | ブログ

どうせ、恋愛や結婚する資格のないおっさんや。

どうでもええやろ。

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