まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第18番「聖護院」~近畿三十六不動めぐり・32(聖護院◯◯とかありますな)

2019年03月31日 | 近畿三十六不動
平成30年3月31日、年度でいえば最終日。翌日の4月1日には新たな元号が発表される。時代の移り変わりをひしひしと感じる時である。
 
この数年、関西を中心として札所めぐりであちこち出歩いているが、「平成」の終わりまでで一つの区切りをつけようと思う。西国三十三所めぐりは2巡目を終えたところで充電期間だし、残るのは近畿三十六不動めぐりと、四国八十八所めぐり。不動めぐりの結願と、四国めぐりのお礼参りを兼ねて4月中に高野山には行く予定である。
 
不動めぐりでその前に残る札所は3ヶ所。31日に、くじ引きとサイコロで決めた順番に従い、京都市街にある18番の聖護院と、19番の青蓮院を回ることにする。
 
先に聖護院を訪ねようと、京阪電車の快速特急「洛楽」と準急を乗り継いで、神宮丸太町で下車する。丸太町通を東にてくてくと歩く。少し北には京都大学がある一帯で、通り沿いには熊野寮というのもある。京大の寮って立ち退きだ何だとか言われてなかったかなと思うが、4月の新入学を控えて侵入の寮生募集の看板も出ている。中の運営がどうなのかは知らないが。
 
熊野神社の前を通る。通りにも桜の枝が伸びてきているが、結構咲いている。4月を前にして春の景色である。
 
これから目指す聖護院だが、京都の銘菓「八ッ橋」の老舗である聖護院八ッ橋の建物がある。またそれと張り合うように西尾八ッ橋という店もある。まあ、地元の銘菓とされるものには複数の老舗が並ぶものだが、八ッ橋、聖護院というと、確か訴訟が起こされていなかったか。要は、「誰が、いつ、八ッ橋を初めに売り出したか」という争いである。井筒八ッ橋が聖護院八ッ橋を訴えている(逆だったかな?)そうだが、八ッ橋に限らず甘い菓子を避ける私にとっては別にどっちがどうでもいいことである。京都の人もヒマどすなあ・・・てなもんである。
 
さて聖護院に到着。八ッ橋は別に聖護院が作っているわけではなく、聖護院を中心とした一帯の地名から取られた名前である。門をくぐったところの枝垂れ桜が開花しており、訪ねる人たちが次々に撮影していた。
 
正面に参拝入口があり、靴を脱いで上がる。一般の参拝順路ということだがそのまま奥に通り、階段で2階に上がるように案内板が出ている。え、2階? しかも近代的な建物で、普通に階段を上がる。
 
現れたのは仏間ということだが、畳何畳敷きの広間の奥に仏像が祀られている。近畿三十六不動の札所で不動明王像もあるし、役行者像、阿弥陀如来像も祀られている。あら、これで近畿三十六不動の札所でございと言うつもりかな。こういうのって、歴史あるお堂にあるものではないのかな。
 
改めて聖護院の歴史について触れてみる。聖護院を開いたのは平安中期の増誉という僧とされている。智証大師円珍の弟子で、大峯山にて修行したことがあるが、白河上皇の熊野詣の先達を務めた功績により寺を開くことを許されたという。聖護院は後に修験僧を集めるようになり、現在では本山修験宗という天台宗系の総本山でもある。
 
先ほど参詣した本坊とは別に境内への入口がある。修復されて間もない宸殿と不動堂が並ぶ。ロープで仕切られていて入れるのはごくわずかな範囲だけで、遠くから見るだけである。公開されるのは春と秋の限られた時季だが、2月3日には節分行事もあり、前日から見物することができる。2月3日か・・・今年は西国三十三所2巡目の最後として姫路の圓教寺に参詣していた。当日節分の豆まきが行われるからというのもあったが、実は聖護院でも同じような行事があったという。うーん、先に聖護院に来てもよかったかもしれない。
 
外から見ればこういう建物だったのだなと納得して聖護院を後にするが、これは他の門跡寺院と同じく、寺に参詣したという実感がわきにくい。まあ、聖護院の場合はここにお参りするというよりは、ここを起点として各地の修行に旅立つためのスポットと言えるのかもしれないが。
 
さて、この後は第19番の青蓮院を目指して歩く。その前に立ち寄りスポットしては平安神宮がある。神宮に続く疎水沿いの桜も少しずつ開花する中を歩く。
 
神宮の手前には2017年にオープンした土産物店、レストランが集まる「京都・時代祭館 十二十二(トニトニ)」がある。いわゆるインバウンド客向けの建物だが、日本人も普通に入ることができる(こういう書き方、ひねくれてないかな?)。何か土産ということだが、聖護院といえば・・・ということで、ラベルに「聖護院かぶらを使用」と書かれていた老舗・大安の千枚漬を購入する。聖護院かぶらとは、聖護院の周りで栽培されていたかぶらで、千枚漬を仕込む風景は京の冬の風物詩としても有名である。
 
しかしながら、聖護院の周りは京都の市街地である。現在はそのブランドは残しつつも、かぶらそのものは亀岡などの丹波地区で栽培されているのだとか。近年では京野菜のブランド化も進められていると聞くが、実態としては「京都」の範囲を拡大しなければならないのかなと、大人の事情を探ってしまう。まあ、丹波でもオリジナル、あるいはそれ以上の質のかぶらが育ち、都に供給されているのであれば悪いことではないが。
 
せっかく来たので平安神宮にも手を合わせることにする・・・。
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おおさか東線に乗車

2019年03月30日 | ブログ
NPBが開幕、バファローズは札幌でのファイターズ戦だったが・・・開幕戦では延長の末、中田にサヨナラ満塁弾を浴びて敗戦。また第2戦では9回表に勝ち越すもその裏二死から増井が中田に同点タイムリーを打たれ、結果は5時間超の末引き分け。采配がどうというよりはちょっとした勝負のアヤや配球の甘さのせいで白星に結びつかないのがもどかしい。せめて第3戦はどんな形でも勝って、気持ちよく本拠地開幕を迎えてほしい。
 
さて話変わって、3月16日に新たに開業したおおさか東線に乗ることにする。新たに放出~新大阪間11.0キロが開業し、新大阪と大阪東部、奈良へのアクセス向上や、大阪から放射状に延びる鉄道路線どうしの連絡の役割が期待されている。また新大阪から先も北梅田まで延伸の計画があり、ゆくゆくは「なにわ筋線」構想にもつながるところまで期待されている。
 
新大阪から乗ってみた。久宝寺行きは201系のウグイス色編成。以前は大阪環状線を走っていた車両だが、新型車両の導入にともない転籍したものである。
 
次の駅は東淀川ではなく、南吹田。JR京都線の線路を一気にまたいで到着する。
 
続いてはJR淡路。その手前では阪急千里線、阪急京都線の線路をまたぐが、2025年竣工予定の阪急淡路駅の高架工事が進んでおり、いずれは阪急がJRをまたぐ日も来る。淡路近辺の景色も大きく変わることだろう。
 
淀川を渡る。かつては線路のすぐ脇に歩行者通路が設けられるという珍しい橋梁だった。「赤川鉄橋」という愛称があったのだが、おおさか東線の工事にともない閉鎖されるのを前に私も一度歩いたことがある。
 
赤川鉄橋もそうだが、おおさか東線とは全体的に城東貨物線をベースとしたものである。おおさか東線の整備と併せて、百済貨物ターミナルの拡張、吹田貨物ターミナルの新設、一方で梅田貨物駅は廃止して跡地(地下)には北梅田駅を開く・・と、貨物列車の運行形態も大きく変わったことである。旅客列車の合間を縫って貨物列車も走っており、ちょうどコンテナ列車ともすれ違う。
 
放出からは先行の開業区間を走る。途中には昨年3月に新規開業した衣摺加美北もある。
 
終点の久宝寺に到着。今回の開業で新大阪~奈良のアクセス向上とあるが、直通快速は朝、夕方の限られた本数しかなく、久宝寺にて大和路快速に乗り換えることになる。おそらく今後もこうした運行形態で行くのだろう。
 
結局この後は反対側の天王寺方面のホームに移り、大和路快速にて天王寺まで乗る。ちょっとした「大回り」乗り鉄である。
 
・・・「大回り」で思い出したが、今回のおおさか東線新大阪開業で、大阪近郊区間における「大回り」ルートには影響が出るのだろうか。いずれそれも検証してみたいものである・・・。
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いよいよ開幕

2019年03月28日 | プロ野球(バファローズ・NPB)
いよいよNPBの開幕である。果たしてどんなシーズンになるのやら。

パ・リーグはやはりホークス優勝と予想する向きが多いようだ。ドラフトしか補強はしていないし、故障で離脱する選手もいる中で、やはり選手層の厚さだろう。ただ、他チームの優勝を予想する声もあり、どこかのチームがぶっちぎりで優勝・・ということはなさそうだ。

その中でバファローズはダークホースの位置付けで評価されているようだ。金子、西両投手の移籍はあったものの、若手が出つつあるというのがその根拠のようだ。オープン戦では勝率1位こそ逃したが、チーム打率、防御率は12球団1位だった。これは公式戦に向けて悪くない流れである。

ただ、若い選手が多いだけに長い公式戦となるとどこまで持つかが気になる。特に福田、西浦の1・2番、5番の頓宮という、1~2年目の選手たちが鍵を握っているように思う。彼らがどこまで食らいつけるか、スタメンを張り続けることができるか。

そんな中で、ファンの間で注目が集まっているのはファイターズとの開幕2戦目という。ファイターズの先発は金子。まずは彼を打ち崩せるかどうかで開幕の勢いも変わるだろう。私も注目したいものである・・・。

(追記)個人的には、「浪速ノ轟砲」と称されるあの選手がこうした話題に上らなくなったのが寂しいのだが・・・
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平成最後、◯◯最初

2019年03月26日 | ブログ
昨年から今年にかけて「平成最後」という言葉が飛び交っている。つい先日も「平成最後の本場所」が終わったところだ。そして次の本場所は新元号となって最初の場所、新大関貴景勝誕生でまた盛り上がるだろう。

バファローズも4月27日~29日のライオンズ戦が「平成最後」の主催試合ということで、「ありがとう平成シリーズ」というイベントをやるそうだ。オリックスが球団を持ってペナントレースに参戦したのが平成元年ということで(ダイエーも同じ)、オリックス球団史は平成史とともにあると言っていいかな。神戸移転、イチローの活躍、がんばろう神戸、近鉄との球団合併などさまざまなことがあった。

バファローズは「関西クラシック」ということで阪急、ブルーウェーブ、近鉄の復刻イベントを毎年行っているが、今年は5月に開催される。となれば、「昭和」テイストのものは2時代前のものになる。「昭和」というのがより古臭い響きに聞こえるのかなとゾッとする。

それはさておき、私も連休を利用して、ある「平成最後、◯◯最初」を目の当たりにしたい。当初は自宅で静かに・・とも思い、元号が改まってから動こうと考えていたが、ある広告を目にして、これは行ってみよう!と方針を決めた。もっとも、それが絵になるかは当日の天候次第なのだが・・。

1ヶ月あまり先のことだが、今から楽しみに、日々の行いを良くしていくことにしよう・・・。
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観戦記~オープン戦・バファローズ対タイガース@BsSpirits大撮影会

2019年03月24日 | プロ野球(バファローズ・NPB)
大相撲春場所の千秋楽が終わった。結局優勝は白鵬、これで42回目の優勝で、そのうち15回が全勝優勝という偉業である。平成の最後を締めくくるにふさわしい結果だった。また「大関入れ替え戦」だった栃ノ心対貴景勝は、貴景勝が一気の寄りで栃ノ心を圧倒、場所後の大関昇進を確実なものにした。新たな時代の土俵も楽しみである。

さて、その千秋楽のチケットも発売直後に気合を入れてプレイガイドのサイトを当たれば取れたのだと思うが、購入しなかった。それはこのオープン戦観戦のためである。

3月の関西はスポーツ盛りだくさんである。春場所もあるし甲子園のセンバツ高校野球もある。その中で影が薄いが、開幕前のバファローズ対タイガースのオープン戦3連戦も定番である。その3戦目は開幕前最後のオープン戦ということで、ファン参加のイベントもあり、公式戦に向けての景気づけ、決起集会のようなところがある。

・・・ということで大正ドームに現れる。まずはファンクラブ入会特典の「BsSpirits」ユニフォームと、ゴールド会員特典のリュックを引き取る。このリュックもデサントと提携するようになってなかなかイケる作りになっていて、2019年バージョンも普段使いできそうだ。

こちらでは近鉄バファローズ、阪急ブレーブス、オリックス・ブルーウェーブのかつての選手のユニフォームなどが展示されているのだが、その中に先日引退したイチローのメジャーでのユニフォームもある。以前から展示されていたものだが、引退表明を受けて改めてそれらに見入る人の姿もある。

オープン戦ということで、シーズン中ではなかなか入れない下段の指定席エリアも安く売られており、前売りで確保していた。選手たちも間近で見ることができる(写真を撮るのに防球ネットにピントが合って選手がぼやけてしまうのが欠点だが)。

開幕直前の試合ということで両チームとも開幕を見据えたオーダーになっている。バファローズの先発は育成出身から3年目で開幕ローテーションを勝ち取った榊原、そしてタイガースはバファローズからFAで移籍した西が先発する。何だか複雑な気持ちだが、一塁側からも拍手が起こる。バファローズのローテーションは山岡~東明~榊原~アルバース~山本~松葉で始まるようだが、西、金子が抜けてどうなるかというところに榊原と山本が入り、東明、松葉という中堅どころが復調して何とか頭数が揃った。

その榊原、初回は無難に切り抜けたが、2回に先頭の4番・大山に一発を浴びる。まあ、タイガースも4番をどうしようかという中で一発が出たのは明るい材料だろう。これは打ったほうを褒めるところ。

ただその後がよろしくない。2安打と1四球で一死満塁となり、打席には9番・西。ここで断ち切るどころか、センター前へのタイムリーヒットを許す。その後も1番・木浪に2点タイムリー、続く近本のところでは投ゴロを悪送球、さらに満塁のところで糸井に走者一掃の二塁打を許す。この回だけで7失点。オープン戦だったのが救いだが、公式戦は果たして大丈夫かなと思う。

試合だけを見ればタイガースの一方的な展開で、これで関西のマスゴミはタイガース万々歳!!としてバカ騒ぎするのだろうが(元々私は阪神キ○ガイのその手の情報番組は一切見ないので知らないが)、そう扱われても返す言葉がなく、昨年までの主力の西に抑えられて回が進む。結局西は6回まで投げて被安打5、四球2、無失点ということで、いい感じで公式戦に入る。次週の開幕カード、ここでのスワローズ戦での先発が予想されており、まずは慣れ親しんだグラウンドというのはプラスになるだろう。

オープン戦だからということもあって、榊原が4回で降板したのは早いにしても、5回の山﨑福、6回の比嘉、齋藤はピシャリと抑えたし、7回の近藤、8回の吉田一はあらかじめ予定されていたのだろう。9回には7点ビハインドながら抑えの増井も登板した。

一方打線は、西の後を受けた能見、ジョンソンの前に得点が奪えない。オープン戦とはいえこのまま7対0で終わるのも面白くないが、9回まで来てしまった。9回裏のマウンドには藤川があがる。

その藤川から途中出場の佐野がヒットで出塁する。大城が四球を選び、小田がセンター前に弾き返す。これでようやく1点を返す。続くは外国人枠争いも気になる途中出場のマレーロ。

振り抜いた打球は瞬間にそれとわかる一発。3ランとなり8対4と追い上げる。この日ドームが一番盛り上がった瞬間だ。

しかし後が続かずそのまま8対4で試合終了。敗戦は残念だが、最終回の追い上げは明るい材料としたい。それにしてもマレーロ、昨年オフ限りでの退団が濃厚だったのをよく残してくれたなと思う。

さて試合終了後のイベント。大撮影会ということで、選手、スタッフとファンが1枚の写真に収まるというものである。2年前にも行われたこのイベントに参加したのだが、出来上がって球場や大正駅などに貼られたポスターの中に自分の姿を見つけるのも面白い。シーズン後半にはポスターがファンクラブのポイント交換の景品にもなっており、1枚いただいて一時期部屋にも貼っていたものである。

準備が済んでグラウンドの中に入る。集合場所がセンターからライト方向ということで人工芝を踏みながら所定の場所に向かう。こうしてグラウンドを歩くというだけでも面白い。

撮影のポジションは当然ながらファンクラブのステージの高い順で、その人たちの後ろに付くように誘導される。それでも三塁ベースより前の位置だ。いつの間にかバックネット前にクレーン車が持ち込まれ、ゴンドラの上にスタジアムDJの神戸さんとカメラマンが陣取っている。

その神戸さんのリードでポーズを取る。右手の人差し指と小指を立てるのは、バファローズの「牛」をイメージしたものだろう。その右手を左胸の前に構える。それを何カットか撮影して完了である。

公式戦が始まるとポスターも球場で見ることになるだろう。また「まつなるを探せ!」をやってみようか・・・・。
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貴景勝の大関昇進はどうなるやら

2019年03月23日 | ブログ
実は、春場所の初日を上段イス席でナマ観戦しているのである。本来ならその観戦記を2回にでも分けて書くところなのだが、四国八十八所の満願のお礼参りの記事が先に来たり、あるいは疲れのために書くのが停滞したりで、タイミングを逃したことである。

ちなみに初日は横鶴竜が御嶽海に敗れたものの、他の上位陣は安泰。大関昇進を目指す貴景勝も妙義龍を危なげなく下して好スタートをきった。

この日は隣り合わせたお兄さんと相撲談義で盛り上がりながらの観戦だった。

春場所は連日盛り上がるが、14日目まで終えて全勝が白鵬、1敗で逸ノ城。まあ、優勝は白鵬で決まりだろうが、逸ノ城の力任せに相手をはたき潰す相撲がここまで白星を伸ばしたのはすごい。

そして貴景勝は9勝5敗となった。上記の二人に負けたのも大きい。大関昇進には2ケタ勝利が最低条件と言われている中で、千秋楽に勝つか負けるかというところまで来てしまった。

その千秋楽の相手は、今場所大関カド番、しかも7勝7敗という栃ノ心。番付順ならこの取組になるのはわかっていたとは言え、ガチの「大関入れ替え戦」となった。横綱同士の結びの一番よりも注目が集まるのではないかな。

まわしを取れば怪力を発揮する栃ノ心、押しきれるかどうかの貴景勝だが・・・別にネガティブな予想をするわけではないが、栃ノ心が組み止めて寄り切るのではないかと思う。大関の「維持」も「意地」もあるだろうし。

まあこれは勝手な予想。ともかく、千秋楽の大一番に思いきってぶつかりあってほしいものだ・・・(ナマ観戦には行けないけど)。
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イチローが引退表明

2019年03月22日 | プロ野球(バファローズ・NPB)
メジャーリーグの日本開幕試合をテレビで観ることはなく、「何か、試合やってるみたいやで」というくらいでニュースを見ていたのだが、21日のアスレチックス戦を最後に、マリナーズのイチローが引退を表明したのには驚いた。記者会見の模様は22日朝のニュースで見たのだが、この人にもその時が訪れたのだなとしんみりする。

ブルーウェーブ時代のイチローを観たのも随分昔のことだ。近鉄ファンの私は藤井寺や日生球場の試合での観戦だったが、イチローの人気で両球場が満員になったのに驚いた。その中で、1995年、「がんばろう神戸」で快進撃を続けたブルーウェーブ・佐藤義則の当時最年長でのノーヒットノーラン達成を藤井寺でナマ観戦したのも思い出である。

その後の活躍は目覚ましいもので今さらここで触れないが、私と同じ1973年生まれの学年(実は誕生日も近い)にはNPBで活躍したそうそうたる選手が並ぶ中、45歳という年齢まで現役を続けたのは凄いとしか言いようがない。この世代には中村紀洋、松中信彦、小笠原道大、石井一久、三浦大輔などに見られる個性派選手が揃っていたのが特徴だが、やはりイチローが最たるものだろう。

シーズン始まったばかりの3月で引退というのは、本人は意識してないだろうが「平成」の終わりを実感することでもある。この1年、さまざまな方の引退や逝去が時代の移り変わりに重ねて報じられたが、今回の引退表明はその最後を飾るかのようである。そのくせ記者会見で淡々としていたのはイチローらしい、平成らしいと思う。

イチローには改めて国民栄誉賞の打診もあるだろう。過去に辞退したが、現役引退した今なら受けるのかな。ただその時は、抱き合わせでもいいから野茂英雄にも授与してほしい。投打でメジャーリーグへの風穴を開けたわけだし。

ともかく、お疲れ様でした。ありがとうございました・・・。
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阪神なんば線、開業10周年

2019年03月20日 | ブログ
3月20日、阪神なんば線が開業してちょうど10年となった。

2009年の開業当初、確かタイガースの真弓監督(当時)が「阪神の、新戦力」と言うCMがあったと思う。開業時の私は東京から異動で大阪に戻ってきたばかりだったが、その時は尼崎の北部、阪急の沿線に住んでいたので、今のようになんば線を通勤で利用するようになるのはもう少し後のことになる。

なんば線の開業はさまざまなところでプラスになっていると思う。単に近鉄奈良線と阪神が直通するようになっただけでなく、近鉄はその先の伊勢志摩、名古屋まで広がるし、阪神も山陽電車の姫路や神戸電鉄エリアまで広がる。個人的には、近鉄~阪神~山陽を直通するイベント列車に乗ったり、山陽姫路~近鉄名古屋の各駅に停車する列車を乗り継いでみたりと楽しんだこともある。今年の10周年記念のイベントでも三宮から近鉄特急で伊勢神宮に参詣するなど各種行われるそうだ。

野球についてもなんば線の影響はある。大正ドームでタイガースが開幕戦や夏の主催試合を行うのも当たり前になり、大阪難波駅では時折タイガースの看板がデカデカと出る。ドーム前は阪神の駅なので目をつぶるとして、大阪難波は近鉄の駅なんだけどな・・、まあ、それも大阪の現状、実態である。「大阪都構想」が実現してもそれは変わらないのだろうな。いやそれどころか、「タイガースとバファローズが二重に存在するのは非合理的で、大阪の地下鉄やバスが広告を出すのは経費の無駄遣い。なのでバファローズはタイガースと統合するか、大阪から退場してもらいましょう」くらいのことを言われるのではないかな。松井、吉村両氏がどこのファンかは知らないが。

まあそれは私の被害妄想としておいとくとして、JRのおおさか東線も新大阪まで伸びたし、他の路線の延伸も話題になっている。関西の活性化という意味で、その先陣を切った形のなんば線にはますます期待である・・。
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第1番「霊山寺」~四国八十八所「満願」

2019年03月18日 | 四国八十八ヶ所
高徳線の板東駅から霊山寺を目指す。駅からは道路に緑のラインが引かれている。霊山寺まで続いており、まず第1番を目指す人たちへの道案内である。これも広い意味での「お接待」と言ってもいいのかな。

午後の時間帯、今から歩き遍路をしようという人はいないだろう。どころか、地元の人を含めた歩行者の姿を見ない。

「四国第一番」の石柱に出る。この道を歩くと突き当りで霊山寺である。88の札所を回り、何だか懐かしい思いを持って正面に見える山門に向かう。境内は白衣、笈摺姿の人もあるが、「第1番」というのは普通に観光地的要素もあるようで普通に参詣する人も多い。

気持ちをリセットさせるつもりで手水を使い、右手の大師堂は後にして正面の本堂に向かう。本堂の外陣に吊るされた灯篭にも懐かしいものを感じる。改めてのお勤めである。これまで回ってきた数々の札所のことも思い出すところだ。

確か本堂の中に納経所があり、かつて巡拝した時は夏だったこともあり冷房に当たったのも覚えている。しかし現在は空きスペースになっており、納経所は外の駐車場にある遍路用品売り場と統合したとある。

不動堂、十三仏にも手を合わせた後、大師堂に向かう。お堂の前に池があり、橋を渡って着くのも演出的だ。

ちょうどこの記事を書いているところで、NHKの土曜夜の「ブラタモリ」で鳴門編というのをやっていた。鳴門が四国の玄関であること、中央構造線の断層によってできた吉野川流域の撫養街道を行くことで霊山寺が「第1番」になったこと、遍路へのお接待文化も玄関ならではのこと、そしてお接待文化がひいては第一次大戦でのドイツ兵の板東捕虜収容所での手厚い保護~第九の演奏につながったこと・・・と、タイムリーで楽しめた。

それはさておくとして、駐車場にある納経所に向かう。前回の朱印は本堂内の納経所で受けたし、その後は寺の西側にある「門前一番街」に行ったため、この建物に入るのは初めてである。ここで遍路用品一式が揃うということで「どれにしようかな」と選ぶ人の姿もある。身軽な出で立ちなのでクルマで回るのかな。

奥が朱印受付のコーナーとなっていて、「お礼参りで来ました」と納経帳を差し出す。係の人は納経帳をパラパラとめくり、他にいくつかいただいた朱印のページも見た後で、一番最後のページを開く。そしてサラサラと筆を走らせる。中央の宝号も通常の「釈尊」とは違い、また通常どこの札所でも入れない日付も入る。これで納経帳としては「満願」となった(高野山奥の院が残っているが)。そして、「これはお接待です」と、菩提樹の実で作ったという腕輪念珠もいただく。

88番の大窪寺では「結願証明書」をいただいたのだが、ここ霊山寺は「満願之証」を出している。納経所でサンプルも大々的に貼られているので寺としても書く気満々であろう。また、これから八十八所めぐりを始めようという人にも、「ここまで戻って来てな」というPRにもなるのかな。お礼参りをするに当たってこの証明の存在を知ったのだが、こちらもいただくことにする。

申し込み用紙を渡され、名前と満願の回数、そしてどのサイズにするかを記入する。「満願之証」はA4サイズで1000円。なお価格もいくつか設定されていて、A4サイズで連名なら1500円、A3サイズで1名なら2000円、A3サイズで連名なら2500円となっている。持ち運びのこともあるのでA4サイズを選択する。

そして「ご苦労様でした」と押し頂いて渡されたのがこちら。「第一回」とあるのは、この先第二回、第三回と続くことを期してのことだろうか。

私もこれで八十八所めぐりを一巡させたわけだが、改めて第2回を行うかどうか。今終わったばかりということもあるが、現在のところその予定はない。大窪寺を回った時も、それまでの道中で「ああすればよかった」「ここにも行ってみたい」という「煩悩」が出てきたのが皮肉だと感じたのだが、時間が経つとまた行ってみたい気になるのかもしれない。ひょっとしたらまたいつの日か、四国を歩くこともあるだろう。

駅に戻り、次の徳島行きに乗る。次は鳴門線との分岐がある池谷。最初に霊山寺を訪ねた時は板東ではなく池谷で下車し、ここから歩いて一番前談義所の十輪寺にお参りした。そういう意味では出発点と言っていいところだった。

徳島に到着。この駅に降り立つのも、阿波の札所を打ち終えて以来である。帰りのバスまで時間があるので、改めての「打ち上げ」としよう(お礼参りと言いつつもこれが目的だったというフシもあるが・・)。

ということで来たのは駅前の「安兵衛」。郷土料理を楽しむなら隣にある姉妹店の「味祭」だが、「創業昭和40年」の大衆酒場で地元の味を楽しむほうを選ぶ。こちらも吉田類さんの「酒場放浪記」で紹介された店である。夕方の時間帯、カウンターは地元のおじさま方で結構埋まっていて、テーブルもグループ客で賑わっている。さすがは人気店だ。

四国八十八所の満願を祝しての大ジョッキ。

焼き鳥も「かたい」と「やわらかい」の二種あり、それぞれ一皿ずつ注文。また短冊にほたるいかがあったので注文すると、スーパーで売られているパックのラップをはがしたままと思われるものがドンと出てきた。これも大衆酒場らしい。

また三芳菊の燗酒、おでんなどをいただき、これで「締め」と相成った。よい心持ち。

順番が逆かと思うが、ホテルサンルートの中にある「びざんの湯」につかる。ホテルの宿泊者だけでなく、外来でも有料で入浴ができる。窓の外に眉山を眺めながらの一浴というのも「締め」にふさわしい。

18時45分発のJRバスに乗車する。この日はガラガラの乗車率で、徳島市街を抜け、松茂、鳴門と順調に進む。さすがにこの後は眠っていたようだ。特に渋滞もなく定刻より10分ほど早く湊町バスターミナルに戻ってきた。

これで残すは高野山の奥の院へのお参りとなった・・・。
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引田の町歩き、阿讃越え

2019年03月17日 | 四国八十八ヶ所
高徳線にて四国満願の旅。三本松から2駅、この列車の終着である引田に到着した。12時27分着で次が14時19分発。ちょうど町歩きにいい間隔かと思う。

引田は先ほどと同じ東かがわ市だが、香川県の最東部に位置する。播磨灘に面した港町で(そういえば三本松の港もそうだが、「播磨灘」という言葉が出ると、四国から関西に戻りつつあるのを感じる)、醤油の醸造で栄えた歴史を持つ。古い町並みも残っているので散策しよう。

まず立ち寄ったのが積善坊(しゃくぜんぼう)という寺。駅前に看板があったので訪ねたところ、目立つのは山門に立つ仁王像で、赤や青に彩られているのにうなる。これまで何体も仁王像に出会ったがここまでカラフルなのは初めてだ。

また「讃岐成田山」ということで、千葉の成田山不動尊の分身を祀っているとある。

境内にある由来によると、積善坊は奈良時代に行基がこの地を訪ねた折、漁師たちの営みを見て地蔵菩薩を祀ったのが始まりとある。その後、源義経が屋島に進軍した時に地蔵菩薩に勝利を祈願したともある。このことから地元では「つりあげ地蔵」として親しまれている。江戸時代には高松藩の保護を受け、先ほどの仁王像は文化・文政の頃のものだという。そして、昭和の初めに成田山不動尊の分身を勧請したとある。結構さまざまな歴史を持つ寺のようだ。

また、西行が讃岐で亡くなった崇徳上皇を偲んで訪ねた際に詠んだ歌の石碑もある。積善坊という寺があること自体、現地に来て初めて知ったのだが、こうした歴史に触れるのも面白いものである。

引田では毎年町家の雛祭りが行われるそうで、祭りの期間は終わったが、通りではあちこちで人形を公開している。こうした景色に本格的な春の訪れを感じる。昔ながらの商家や、かつての郵便局の建物を利用した喫茶店など、初めて歩く引田の町に感心する。

「讃州井筒屋敷」というのに出る。江戸時代に栄えた醤油醸造の井筒屋(佐野家)のかつての屋敷や蔵を修復したものである。母屋の公開や、かつての蔵を土産物店、食事処、体験工房などにリニューアルしたスポットだが、屋敷は・・別にいいかな。食事も昼時で、海鮮ものがある、生ビールもあるが、見送る。普段の鉄道旅行ならビールだが、この後で霊山寺にお礼参りなので飲むわけにもいかない(ここまでの心境は、高徳線の途中下車の旅がメインで、霊山寺へのお礼参りが付け足しかという感じだが)。まあ、土産物店でいくつか土産物を買い求めたことで良しとする。

ビールはさておき食事をどうするか。訪ねたのは讃州井筒屋敷から少し歩いた「かめびし屋」。ベンガラ色の壁がインパクト感じる建物だ。江戸時代から続く醤油醸造の老舗だが、新しい感覚のビジネスも取り入れていて、讃州井筒屋敷と並ぶ引田の代表的なスポットという。

ここでうどんが食べられるというので、昼食とする。醤油の老舗だから、うどんに生醤油を垂らす醤油うどんだ!・・というつもりだったが、イチオシは「もろみうどん」と勧められる。もろみ・・液体の醤油を搾り出す前段の固形物である。

うどんができるまで少し時間を要するとのことで、待ち時間は物販コーナーを見て回る。一口に醤油といってもさまざまで、醸造のやり方次第で濃口、薄口それぞれのモノができる。いろいろ試食できるようになっていて、小さなスプーンですくった一滴を手の甲に落としてなめる。中には他社の醤油の試食もある。「かめびし屋の醤油は他のとはちゃうぞ」というアピールなのかな。

さて「もろみうどん」。うどんの上の黒い物体がもろみで、丼の底にある出汁と絡めるように全体を混ぜる。できたのは味噌煮込みうどんのような色合いのもの。それでもしつこい感じがなく、ちょいと濃い目の醤油うどんというところ。

また付け合わせには醤油を塗った焼きおにぎり。醤油どころの引田らしさを味わうことができた。

まだ時間があるので、誉田八幡宮にお参り。

その麓にあるのが中世から風待ち港として栄えた引田の港である。往時は醤油の積出港だったそうだが、今は静かな漁港である。小型漁船が停泊し、防波堤では地元の人らしいのが釣糸を垂らす。のどかな雰囲気だ。

海の対岸は讃岐と阿波の境目の山地。大坂峠というのがある。先ほど訪ねた與田寺からさらに歩いて霊山寺に向かう場合はあの山を越すことになる。今の私はこの後で高徳線で山越えだ。

河口には結構大きな魚が群れをなして泳いでいる。何の種類だろうか。ちょっと不気味な見た目だし、あまり食用に適していないのかもしれない。

途中下車を楽しんで駅に戻り、14時19分発の徳島行きに乗る。次の讃岐相生が香川県最後の駅で、少しずつ上りに差し掛かる。木々の間から青い播磨灘も見る。長いトンネルの中で県境を越えた。

徳島県に入って最初の阿波大宮を過ぎると、次は板野である。私の四国八十八所めぐりにて、第1回の初日、第3番の金泉寺で打ち止めとしてこの駅から徳島に戻り、翌日はこの駅から第4番の大日寺に向けて歩いた。結局この第1回は、第7番の十楽寺まで行ったところで暑さのためにギブアップ、早々に路線バスで徳島に戻り、そのまま帰阪した。ちょっと苦い思い出でもあるが、その時と比べて少しでも気持ちの落ち着き、余裕というのは出てきたのかなと思う。それだけでも四国を回ってのプラスがあったのかな。

板野駅から大日寺へ歩いた時に渡った踏切を通過する。あの時、踏切の脇に建てられた何かの石碑と、その向こうの線路を見たなと、当時の映像が浮かぶ。

板野を過ぎ、阿波川端、板東と続く線路の左手には霊山寺から続く遍路道がある。ここは「逆打ち」の感覚だ。

板東に到着。ホームには菜の花、そして桜?が咲いている。すっかり春の景色で、お礼参りの歓迎かなと思う。

待合室で笈摺を取り出し、ブルゾンの上から羽織る。ようやく霊山寺へのお礼参りである・・・。
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「與田寺」~四国八十八所奥の院

2019年03月16日 | 四国八十八ヶ所
高徳線の三本松駅に降り立つ。「三本松」という地名は村に三本の老松があるからつけられたそうで、駅前にも松の木を植えたオブジェがある。

また駅前には「ひとの駅さんぼんまつ」という建物がある。昨年11月にできたばかりだそうで、東かがわ市役所の大内支所や市立図書館が入る。

3階が展望スペースということで上がってみる。家並みの向こうに青い海、さらには小豆島だろうか、島影を望むことができる。ここには江戸時代に高松藩が開いた三本松港がある。当時は讃岐東部随一の港として砂糖などの積み出しで賑わったそうだ。その後は紡績工場も建ち、大阪への汽船も出ていた。四国八十八所を巡拝した後に三本松まで出て、汽船で大阪に向かうというのも遍路ルートの一つだった。

その汽船に乗る前にお参りということで「四国八十八所奥の院」を名乗る寺が三本松にある。それが與田寺(よだじ)である。今回、大窪寺からではなく高徳線で三本松まで来たが、駅から徒歩20分あまりで行けるとあって、列車ダイヤを組んでみたのだ。

駅前から国道11号線を西に進み、与田川に架かる橋にある標識を目印に川沿いに進む。行き方としては分かりやすい。また、画像は載せないが前回のさぬき市シリーズに続いて国民民主党の玉木代表のポスターが至るところに貼られている。

集落の真ん中に由緒ありげな山門が見えてきた。與田寺は地元では厄除けの寺としても信仰を集めているそうだ。

與田寺は行基が開いたとされ、後に弘法大師も訪ねている。勅願寺としての歴史もあり、中興の祖とされる鎌倉時代の増吽(そううん)僧正の頃には讃岐で多くの支院を持つまでになった。四国八十八所の奥の院を名乗るようになったのは直接弘法大師に関係あるわけでもなく、三本松への道順でいつしかそうなったのだろうが、それなりの歴史と格式があるのは確かだ。

鐘楼門をくぐり、本堂に向かう。八十八所と同じ作法にてお勤めとする。別に気負うこともなく、八十八所の後のオプションのような気楽な感じである。

両脇に「厄除臼」というのがある。厄年の人は年の数だけお金を臼の中に入れ、年の数だけ薬師如来の真言を唱えて杵で軽くつくとたちまち厄が除かれるとある。この「年の数だけのお金」というのは「円」のことなのかな、それとも「枚」のことなのかな。そこは1円玉を用意すれば解決することで、臼には実際たくさんの1円玉が入っている。私は四十の本厄も過ぎたので無理にお参りしなくてもいいのだろうが、さすがに1円玉を40数枚持っているわけではない。そこは「1年=1円」と勝手に解釈して、10円や5円を混ぜてお供えする。

本堂の横に、四国八十八所、西国三十三所の写し霊場への案内板がある。時間もあるので回ってみよう。

まずは四国八十八所がお出迎え。急な坂を上らせるところもあり、なかなかのものである。

写し霊場の札所は本尊、弘法大師の二つの石仏がセットで並ぶ。一つ一つでお勤めというのは無理なので、手だけ合わせて先に進む。見ると、日露戦争の戦没者の供養という文字が目立つ。この写し霊場ができたのはその頃で、そうした目的があってのことかなと思う。

西国三十三所へは、四国の25番、26番の辺りに分岐の矢印が出ていた。これをたどると道路を跨ぐ橋を渡った先にあった。新たに設けたのだろう。両側に本尊像が並んでいて、行き止まりの道を折り返すことで一巡できる。

再び四国の写し霊場に戻り、小屋に出る。ここは奥の院の大師堂ということで、お勤めをする。

この後は写し霊場の石仏の間隔が狭くなり、流れ作業のように進む。そして再び本堂の前に来たところで87番長尾寺、88番大窪寺となり、写し霊場の結願となった。四国と西国の写し霊場を同時に回るというのもなかなかないのでは。大窪寺を回った後で初めて知った寺だが、奥の院を名乗るだけのことはあるなとうなるばかりである。

・・にもかかわらず、與田寺では朱印はいただかなかった。納経帳は持ってきていたが、ページが残っていなかったためだ。今回の四国行きの第一の目的は1番霊山寺へのお礼参りで、満願だと別の朱印・墨書となるが、ここまで番外でいただいたところがいくつかあり、その結果ページがなくなったのだ。まあ、與田寺をお参りしたことには間違いなく、中身も充実したとプラスに考えて、駅に戻ることにする。

次に乗るのは12時19分発、2駅先の引田止まりの列車だ。霊山寺、さらには徳島市街にはなかなかたどり着けないが、これも計算のうちである・・・。
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満願、四国循環の道へ

2019年03月12日 | 四国八十八ヶ所
四国八十八所めぐりは先月2月の大窪寺への参拝にて結願となり、後は高野山奥の院への「お礼参り」を残すことになった。

ただ、その時の記事でも触れたが、88番の大窪寺の後は1番の霊山寺に戻って「お礼参り」をするのも習わしとされている。再び1番にお参りするのは、1番から時計回りの円運動の形て四国を回り、その輪をつなげるという意味もある。また遍路というものに終わりがないことも示唆するのだとか。まさに「遍路は続くよどこまでも」の世界だ。

また、明治から大正にかけての大先達である中務(中司)茂兵衛の案内では、大窪寺から三本松に抜けて汽船で大阪に出るコースが紹介されている(道の駅ながおにある「おへんろ交流サロン」展示の史料による)。霊山寺に行くもよし、そのまま高野山に向かうもよしというところだろう。

私はといえば、公共交通機関を活用した四国めぐりで、JR四国の路線も予土線を除いてほぼ全て乗っている(窪川~宇和島は土佐くろしお鉄道と路線バスでカバー)。ただその中で、高松と徳島を結ぶ高徳線に乗っていない。高松道の高速バスには何度も乗っているが、単に高速道路を通過しただけである。ということで、霊山寺に行くだけなら鳴門から行けばすぐだが、鉄道、路線バスでの四国一周を完結させるために、あえて岡山から瀬戸大橋を渡って高松に向かい、高徳線に乗って最寄りの板東駅を目指すことにする。まあ、アホらしいと思う方もいらっしゃるだろうが・・。

訪ねたのは3月9日。青春18きっぷの有効期間に入っているが、この春はそこまで消化する予定がないのと、早い時間に高松に入ろうということで岡山まで新幹線に乗る。乗車券は大阪市内から徳島行き、そこに新幹線特急券とマリンライナーの指定席券が加わる。八十八所めぐりのアフターにしては豪勢だ。なお帰りは徳島駅から高速バスに乗り、これも循環ルートとする。

新大阪から乗るのは6時50分発の「さくら543号」。このさくら号も四国めぐりのアクセスで重宝した。ただ乗るのは岡山までで、この列車が結ぶ九州には久しく足を踏み入れていない。いずれ行ってみたいものだ。

岡山で下車して、7時55分発の「マリンライナー9号」に乗り継ぐ。マリンライナーも四国八十八所めぐりでは何度も乗っていて、先頭のパノラマ席もあれば後部の普通車両にも乗った。

今回は2階建ての先頭車両の下段の普通指定席に乗る。座るだけなら普通車両でも十分だが、あえて普段見られない景色を見ることにする(変な意味ではなく・・)。

その景色とはこういうもの。もっとも瀬戸大橋線は高架区間もあり、そうしたところでは目の前に広がるのはコンクリートの壁ばかり。

児島を過ぎて瀬戸大橋を渡る。海の上ではパノラマ席と同様の景色を楽しめるが、島の上、また四国に上陸してしばらくの間、コンビナートが広がる一帯はコンクリート壁の景色になる。窓の外を意識するからそう見えるのかな。都市部の鉄道のように、指定席が「通勤時の着席料」の位置付けで地元の人たちにも浸透しているなら車窓は二の次だろうが。

坂出から予讃線を快走する。この辺りのシリーズで回った景色を思い出すうちに、8時50分、高松に到着した。次に乗るのは高徳線9時16分発の三本松行き。三本松とは中途半端なところと思いきや、今回の日帰りお礼参りだとベストの行き先である。わざわざ新幹線に乗ったのもこれを考えてのことである。

それまで少し時間があるので、構内の「連絡船うどん」で一杯いただく。やはり香川に来たということで。

高徳線のホームに行くと、国鉄型のキハ47、キハ40の列車が到着したところ。これに乗って高徳線を旅すればベストだが、どうやら朝夕の通勤時間帯対応の運用のようだ。全国的にも姿を消しつつある型式で、今やたまたま見かけただけでも撮影対象になるくらいだが、1日でも長く活躍してほしいと思う。

普通の乗車券なので特急料金を追加しても知れてるのだが、せっかくなので鈍行で行こうと9時16分発のワンマン列車に乗る。ボックス席とロングシートが互い違いに並ぶ四国独特の型式である。乗り込んだ時には全てのボックス席に先客がいたので対面のロングシートに座る。

ポツポツの乗車率で出発。高松市街地をぐるりと回り込んだ栗林でボックス席も空く。この後、屋島や志度まではことでんと並走するところで、四国めぐりではことでんに乗ったところをJRで見直すのも面白い。志度を過ぎると右手に遍路道も見えて、オレンジタウンも過ぎる。

オレンジタウンの先のすぐのところは遍路道も近いところで見覚えあるが、その先は純粋な鉄道ルート。車窓や駅名標を見ながら進む。志度を過ぎると乗客もほとんどいなくなった。

津田の松原がある讃岐津田では特急「うずしお」の新型車両と行き違う。

10時19分、終点の三本松に到着。中途半端なところで降ろされたように見えるが、実はここがこの日最初の目的地である。向かうのは「四国八十八所の奥の院」と呼ばれる寺である・・・。
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また選挙をやるのか

2019年03月08日 | ブログ
大阪都構想の制度設計について、大阪維新の会と他の党の協議が物別れになったことから、維新の松井知事、吉村市長がダブル辞職した。今度は松井氏が市長選、吉村氏が知事選と入れ替わって出馬するという。投票は府議会、市議会議員選挙と同じ4月7日。

この大阪都構想を巡る争い、もう何年行われているだろうか。知事、市長と議会側がもめているということは伝えられるが、都構想のメリット・デメリットが今一つ伝わってこない。住むのは大阪府、勤めるのは大阪市内だが、日常周りで都構想の是非について話題になっているようにも感じられず、当の府民、市民の関心も低いのではないだろうか。以前に住民投票までやったのに「またか」てなもんだろう。

大阪の今後といえば、万博の開催が決定しているし、IRの建設も有力視されている。その財政負担をどうするかにも関係する。また松井氏は日本維新の会の代表でもあることから、ダブル選挙の結果は党の勢力にも影響する。また維新といえば憲法改正を目指す安倍首相にも近く・・。

一方の反対派はどのような候補者を立てるのか。都構想の是非はさておき、これまで実績を挙げている両氏相手となるとよほどの人物を立てないと難しいのではないか。党の要職にある国会議員を持ってくるとか。

私も知事選は投票権があるので、府のあり方についてよく考えて投票したい。

・・と合わせて、私の住む藤井寺市でも市長、市議選が行われる。中でも市長選は、現職の國下市長(3期)が出馬しない意向を示しており、新人2名が立候補の意思を表明している。現時点でポスターやチラシも見られ、おそらくこの2名の争いになるだろう。それだけにどのような町づくりを目指すのかが気になる。関心を持って見ることにしよう・・・。
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10連休、どう回ろうか

2019年03月06日 | プロ野球(独立リーグほか)
3月に入り、連日どこかの大学での合同企業説明会や大型イベント、さらには自社での会社説明会と、相変わらずの売り手市場の中、一人でも多くの学生にエントリーしていただくために走り回っている。

そんな求人活動だが、今年は天皇陛下退位~新天皇即位ということで、4月27日から改元の5月1日を経て6日までいわゆる「10連休」である。この期間をどう使うか、企業によってさまざまな判断があるようだ。大学も休みなのだからとこの期間中に事実上の選考を行うところもある一方で、活動を停止する企業も多い。幸い私の勤務先企業は後者を取るようだが、それは「大型連休中に採用活動やるような企業は、入社後はその期間中でも平気で休日出勤させる企業なのだろう」と、学生が変に解釈しないかという恐れからでもある。

では大型連休はどうするか。昨年、一昨年は四国八十八所の札所めぐりだったが、これはもう結願している。

一方で、東に目を向けるということで、BCリーグの観戦はどうかな。青春18きっぷの時期ではないが、関東甲信越、北陸を回るのも良さそうで、今季から茨城の新球団も登場する。

今季の公式戦日程がリーグのウェブサイトに掲載されたようなので、観戦とプラスアルファの楽しみができないか、いろいろ検討しよう。問題は宿が取れるかどうかだが・・・。
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第20番「智積院」~近畿三十六不動めぐり・31(京の冬の旅特別公開)

2019年03月03日 | 近畿三十六不動
三十三間堂を後にして、七条通の突き当りに出る。ここが智積院の総門で、前には「総本山智積院」の石柱が立つ。智積院は真言宗の智山派の総本山である。

智積院の歴史は京都の寺院としては比較的新しい。新義真言宗を起こした興教大師覚鑁の系統で、根来寺の塔頭寺院だった。根来寺は豊臣秀吉の根来攻めで全滅の被害を受けたが、智積院の住職だった玄宥は高野山に逃れ、後に徳川家康によって豊国神社の近くに土地を与えられ、智積院を復興させた。さらに豊臣家が滅亡すると、秀吉が建てた祥雲寺の土地を与えられ、それが現在の智積院につながっている。

境内だけなら拝観無料である。そろそろ梅の花も見ごろを迎えるようで境内のあちこちに咲いている。それをカメラに収める姿も見られる。

本堂である金堂に上がる。弘法大師の生誕1200年を記念して1975年に建立されたものだ。総本山とあって外陣、内陣も広く取られている。正面には本尊大日如来が祀られ、脇には弘法大師、さらには新義真言宗ということで興教大師の像も祀られている。この智山派は智積院が総本山だが、その系統には全国的に有名な寺院もあり、成田山新勝寺(ということは寝屋川を含め各地にある成田山の分院も)、川崎大師、高尾山薬王院、大須観音、六波羅蜜寺などがある。

金堂の横に明王殿がある。元は京都の大雲院という寺の本堂だった建物である。ここが近畿三十六不動の札所で、本尊は興教大師の作とされる「麦つき不動」である。根来寺の周辺の忙しい農民に代わって収獲後の麦をついたという伝説があるそうだ。外陣の畳に座って不動経のお勤めを行う。

金堂の裏手にも梅が咲いている。その奥に墓地があるが智積院の檀家のものではなく、「学侶墓地」とある。案内文によると智積院は「一般の参詣のお寺とは性格を異にした、学問を尊重するお寺で」とあり、プロの僧侶になるための修行をする寺であった。ただその途中で亡くなった者もいたようで、ここに葬られてたのだとか。それにしても数百柱の墓石があるが、これだけ亡くなったとは修行が厳しかったのか、何か黒歴史のようなものがあったとか・・?

さて、智積院を訪ねたのは2月24日。なぜこの日にここだけでも参詣したのかということだが、毎年開催されている「京の冬の旅」の期間中に文化財の特別公開が行われているからである。キャンペーン自体は3月18日まで行われているが、智積院については2月28日までと限定されているため、2月中に行こうということになった。

受付で拝観料を払うと、まず収蔵庫に案内される。智積院の宝物である長谷川等伯、久蔵親子の手による障壁画(国宝)が保存されている。「楓図」、「桜図」、「松に黄蜀葵図」などの作品だが、これらは秀吉が祥雲寺を建てた時に書かせたものだが、後に火災に遭った際に何とか運び出して現在に残っているものである。

続いて講堂に向かう。興教大師の遠忌850年の記念事業として1995年に再建されたもの。こちらに先ほどの障壁画の模写が飾られ、目の前の日本庭園に映えている。

この奥に宸殿という建物がある。今回の「京の冬の旅」では宸殿を特別公開するとある。智積院における客殿である。長谷川等伯の最晩年の作という「十六羅漢図屏風」があり、奥の三山の間には堂本印象という絵師による襖絵がある。初めて聞く名前で、最初は「堂本印象画」という絵のジャンルがあるのかなと思ったのだが、大正から昭和にかけて活躍した日本画家の名前である。「京の冬の旅」のポスターにも採用されているのが「婦女喫茶」という1958年の作品で、今回の特別公開の目玉である。モダンながらどこかほのかな感じの絵だが、それが寺の襖絵になっているというのが意外だ。

最後に大師堂に向かう。火災により再建された建物が多い智積院の中で数少ない江戸時代の建物である。

外にある総受付で朱印をいただく。

さて近畿三十六不動めぐりの順番としてはこの後青蓮院、聖護院と続くが、それはまた次の機会にしよう。この日はそのまま七条駅に向けて戻る。途中にファミリーマートが数十メートルの間に2軒あるのだが、そのうちの1軒が酒屋の経営ということで、伏見の酒でも置いているのかなと入る。果たしてあったので、300mlを2本購入。とりあえずこれで一献ということで・・・。
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