まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

大阪環状線の新型車両

2016年11月30日 | ブログ
大阪環状線の新型車両である323系が12月の24日に運転を開始することが決まった。それに先立ち3日に森ノ宮の車庫で見学会を行うとどこかで見たが、事前の抽選制で、しかも気づいたときは応募も締め切られていた。まあ、運転開始となるといやでも乗ることになるからいいのだが。

駅のポスターでは早くからこの車両のPRをしていたように思う。ただ、2016年の早い時期にデビューかと思っていたが、年末になるとはね。

旧国鉄型の103系や201系がまだまだ走っているのだが、これも2018年までで完全に置き換えられる。他に転出するわけでもなく、ちょっともったいないかなと思う。今のうちに乗れるだけ乗っておいたほうがいいだろう。天王寺から梅田に行くのは皆環状線にするとか。

関空快速や大和路快速の車両が乗り入れており、それに合わせる形で3ドア車にしたそうである。特にラッシュ時は乗り降りに不便ではないかと思うが、関西でも阪急、阪神は3ドアである。そこは自然と対応するのだろう。

個人的には、現在の車両のような個性的なラッピング車両がなくなるのが淋しいところで・・・。USJやら真田丸など。最近のステンレス車両がちょっと冷たく、味気ないように感じるのは気のせいだろうか・・・・。
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新井貴浩がMVP

2016年11月29日 | プロ野球(バファローズ・NPB)
このところ、MVPの発表というのはかなり押しつまってからやるようになったのかと気づく。アワード(アウォード)方式というのかな。昔は公式戦終了後、日本シリーズ前だったか最中だったかに決まっていたそうだが。MVPの投票結果が、日本シリーズでの活躍に微妙に影響したとされる例もあるようだ。まあ、11月、球界の1年納めの時期での発表のほうが、雰囲気出るだろう。

パ・リーグのMVPにファイターズの大谷が選ばれたのは文句ないだろう。活躍についてはもう書くまでもない。

一方のセ・リーグは、25年ぶりに優勝したカープの選手から選ばれるのは間違いないとして、いったい誰が?というのはあった。その中で選ばれたのは新井貴浩。数字も立派だが、フルではないが4番として若い選手たちの精神的支柱となったことが評価された形になった。ベテランなのにいじられ役というのもいい。個人というよりは、チームを代表して受賞したようなものだろう。

それにしても、一昨年でタイガースを自由契約になった時は、お情けでカープに戻してもらったようにも見えたが、ここという場面での活躍がすごかった。よほど故郷・広島のグラウンドが合っていたのだろう。

一部記事では「将来の監督候補」とあったが・・・果たしてそれはどうかな?

ちなみに私がカープから一人選ぶなら、鈴木誠也。やはりバファローズとの交流戦での3連発。それも2試合連続のサヨナラと、3戦目での決勝打。広島まで行っていた私の心をへし折ったし、あれでチームに勢いがついた。緒方監督の「神ってる」の語源にもなった(本人の「最高です」は、阿部慎之助の二番煎じ)。

来季のカープは黒田の引退を受けてどうなるかだが、まだまだ若い選手も多いし、連覇の期待も大きいだろう。そんなカープとの交流戦、バファローズは今度は3つやり返して勢いをつけてやるくらいの気持ちで当たってほしい。もちろん、どれか観戦に行く予定である・・・・。
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滋賀ユナイテッドベースボールクラブ

2016年11月27日 | プロ野球(独立リーグほか)
27日は、新西国三十三所めぐりの次の行き先である大津の立木山寺に行こうかと思っていた。新西国の38の札所のうち、滋賀県は2ヶ所ある。そのうちの1ヶ所に初めて行くことになる(もう一ヶ所は延暦寺の横川中堂)。今回はこれに加えて、同じ大津の石山が玄関口となる西国の岩間寺、石山寺も回るウォーキングコースにしよう。ちょうど紅葉も見ごろ、またはピークを過ぎたあたりということで。

・・・ただ、天気予報も気にしていたのだが、案の定日曜は朝から雨。別に雨の中強行するほどのことでもなく、延期することにした。来週はもう12月、動ける日も限られているので年内の新西国はどこまで進めることができるだろうか。

さて、滋賀ということで最近目にして、おおっと思ったことがある。それが「滋賀ユナイテッドベースボールクラブ」である。上信越、北陸で展開しているプロ野球の独立リーグであるルートインBCリーグに、来年から新規参入する球団である。

BCリーグは当初、新潟アルビレックス、信濃グランセローズ、富山サンダーバーズ、石川ミリオンスターズの4球団で発足し、以後、群馬ダイヤモンドペガサス、福井ミラクルエレファンツの2チームが参戦。そして昨年は福島ホープス、武蔵ヒートベアーズが参戦し、拡張を続けている。これに加えて、来年からは栃木ゴールデンブレーブスとともに滋賀ユナイテッドが参戦する。とうとう、関西にもBCリーグがやってくる。これは、一度行ってみなければ。

球団のホームページによると、監督には元阪神タイガースで新人王も取った上園啓史氏、打撃コーチにはこれもタイガース出身で、香川オリーブガイナーズでもプレーした桜井広大氏が就任する。また、特別ドラフトでは滋賀や京都の出身者を中心に指名し、桑田真澄氏の息子で新潟、信濃でプレーした桑田真樹も信濃から移籍するという。

これまで、大阪からだと最も近くて福井だし、後は夏休みの旅行を兼ねて観戦に行くというのが続いていたのだが、滋賀となると日帰りで十分行けるところである。まだ発表されていないが、滋賀で野球場といえば大津の皇子山球場が思いつくが、県内に他にそうした球場はどこにあるだろうか。

関西で独立リーグといえば、以前に「関西独立リーグ」というのがあり、今では別の形で活動しているものの、失敗に終わった悪いイメージがある。そこは経営理念がしっかりしているBCリーグなので変なことにはならないだろうが、10球団まで広げて大丈夫かなという不安はある。四国アイランドリーグも一時は九州のチームが加入していたり、関西独立リーグとの公式戦も行っていたが、結局は四国4県に戻っている。関西でもう一度独立リーグを定着させるなら、地元の支援もそうだし、関西全体で取り上げてほしいなと思う。

今から楽しみを挙げるならば、昨年富山でプレーしていた元バファローズのタフィー・ローズが、今季は来日することができなかったが来季は富山と再契約をしたそうだし、群馬にはカラバイヨがいる(今季も打撃の個人成績は抜群だった。やはりバファローズに残しておけば・・・)。対戦機会はそれぞれ少ないが、彼らをはじめとして、以前にNPBでプレーしていた選手がまだ現役で頑張っている姿を見るのもよいものである。

来季の野球観戦の楽しみが一つ増えた・・・。
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岩田か今成か

2016年11月25日 | プロ野球(バファローズ・NPB)
先の記事で、疲れたようなことを書いたが、まあいつまでも引きずっても仕方ないし、私一人でどうにかなるものでもないし、会社で愚痴のようなことも吐くことはできた。これからどうするのか、自分たちにプラスになることを考えなければならないかな、と思う。

・・・というのは、タイガースに入団した糸井が縦じまの背番号7を披露した記事を見た後で改めて感じたこと。もう、彼はタイガースの一員である。後はこれから、タイガースからバファローズに加わるのは誰かを予想するのを楽しむのが精神的にプラスだろう。

前の記事で「左腕かスーパーサブ」ということを予想して、さて誰かというのを考えてみたのだが、左腕なら、多くの方も予想されている岩田投手がいいかなと思う。一時は表ローテを張っていた投手だし、守口出身、関大出身は大きい。1型糖尿病とも闘っている姿も頑張ってほしいポイントだと感じる。

一方で、スーパーサブとして期待したいのは、今成選手。そんなにすごい成績を挙げているわけではないが、キャラクター的に大人しい選手が多いバファローズにあって、何か雰囲気を変えてくれるかなという期待がある。

まあ、いずれもプロテクト外が前提だし、特に今成は「糸井との橋渡しをする」と言われているくらいの選手である。加えて、「ベテランをプロテクトさせて、そこから漏れた若手を獲る」というのが大方の予想だろう。ただ、若手は若手で育成やドラフトで補強できるとしても、実績ある選手が抜けた後は、何らかの実績で埋められるもので埋めないといけないのかなと思う。

私のような1ファンの勝手な予想よりも、当事者はもっとあれこれ考えていると思う。ベストの選択をしてくれることを願っている・・・。
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何か疲れました

2016年11月23日 | ブログ
別にバファローズのファンフェスタに行けなかったからとか(元々行く予定もなく)、新西国の次の札所になかなか行けないからというわけではないが・・・。

23日は仕事というか、とある業務応援のため1日出ていたのだが、別に私がいる意味はなく、戦力になったわけでもなく、個人的には徒労感が強かった。いったい何のためにいたのか。私なんかいなくてもよかった。これなら、本業で早朝から日直出勤していたほうがマシだったし、私が行く必要があったのかなと思う。

でもそのことを正面だって批判することはできない。いろいろ力関係があるので・・・。

今日の出勤ぶんの手当を請求すべきか・・・いや請求すべきでないだろうな。いや、請求してはいけない・・・。
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糸井、タイガース入りを決断

2016年11月21日 | プロ野球(バファローズ・NPB)
バファローズファンとしては残念だが、これも仕方ないのかなと思う。私としては「一番してほしくなかった」決断であるが、本人が決めたことだし、自分の野球人生の(おそらく)最後をこうしようというのは、本人しかわからないこともあるだろう。

私が気に食わないのは、タイガースを取り巻く人たち、特にファンとマスゴミの上から目線。同じ関西なのだから、パ・リーグの不人気球団なんかさっさと見切りをつけて、人気と伝統のあるセ・リーグの球団に来るのが当然やろという世の雰囲気である。まあ、私なんかが今さら言っても仕方ないことなのだが。

思えば、2014年に2厘差で優勝を逃したことが後に引いている気がする。あの時優勝していれば、「勝てるチーム」というのができただろうし、もう少し明るい状況だったのではないかと思う。糸井が魅力あると感じるチームにできなかったのが悔やまれるところだ。

まあ、これで愚痴を言っても仕方ないので、糸井がパ・リーグでバリバリやっていたプレーを、タイガースでも魅せてくれるのを期待したい。四国八十八所めぐりと合わせて安芸キャンプに行くのもいいかな(高知キャンプも忘れずに)。

・・・となると、人的補償がどうなるかが気になる(陽岱鋼がバファローズに来るのかどうかは置いておくとして)。ネットでは様々な予測がなされているが、個人的には「左腕投手」か「野手のスーパーサブ的な選手」がいればなと思う。左腕については、松葉、山崎福、海田、山田というところはいるが、何かこう、もう一つ決め手になるような人がいればなと。タイガースは左腕が多いイメージもあるし。スーパーサブというのは、バファローズはスタメンとそれ以外だととたんに迫力が落ちるので。代打を告げられる選手も、「こいつやったら何とかしてくれるやろう」というのが足りない。これは現有の若手の底上げが必要なのだが、何なら「代打の神様」を襲名する選手でもいいと思う。

果たして、今のタイガースならそれはいったい誰やねんという話だが・・・。
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第5回四国八十八所めぐり~徳島の夜はこれで最後か?

2016年11月20日 | 四国八十八ヶ所
太龍寺から下るロープウェイが間もなく出発するというので急いできっぷを買う。片道だと1300円と結構な値段である。「明日の朝にまた上がられるんでしたら往復で買えますが」と言われたが、その予定はない。結構大型のゴンドラだが、それなりの数の乗客が発車を待っている。私が乗り込んだ後、ガイドさんが最後に乗って発車する。

下りなのだが、まずは一旦さらに高度を上げる。そして左手に、先ほど仰ぎ見た舎心嶽の弘法大師像を見る。遠くて顔の様子までは見られなかったが、遥か彼方を見やる姿は「空海」の名前を引き立てているようだ。

一旦太龍寺山の頂上近くまで上り、支柱を越えると一気に下る。傾斜は30度あるそうだ。雄大な山の景色を窓から見ることができる。この山全体が太龍寺の持ち物で、県に管理を委託しているそうだ。杉やヒノキに恵まれている。また、このロープウェイの床面の一部には金網だけ敷かれていて、直接外の空気が入ってくるところがある。ガラスもないのでビビってしまう。

途中の山犬ヶ嶽には5頭の狼の像がある。かつてこの山にはニホンオオカミが多く住んでいたそうだ。弘法大師の修行に付き合っていたのかもしれない。

もう一度支柱を越えると、那賀町の景色が眼下に広がるようになる。先ほど渡った那賀川の流れを中心にして広がる町で、面積の8割は山である。農業ではイチゴのハウス栽培が盛んで、ちょうど今はクリスマスに向けた出荷時季だという。この日の巡拝がみかんに始まりイチゴに終わるとは。

10分ほどの空中散歩を終えて到着。乗り場は宿泊施設も備えた旅の駅である。観光バスも停まっているし、太龍寺へはクルマはここに停めてロープウェイで往復というのが一般的なようだ。往復2400円は高いと思うが仕方ないのかな。一方で、午前中から夕方にかけて鶴林寺の下からずっと歩いた後の山下りが1300円というのは、雄大な景色も見ることができたし、まあこの値段もありかと思う。

さてこれから徳島、さらには大阪に向けて戻りである。ロープウェイに乗っていた人たちは観光バスかクルマで移動、あるいは道の駅の宿に泊まる感じで、最寄りの和食東(わじきひがし)のバス停を目指して歩くのは私一人。10分ほどで到着。16時すぎだかもう日は西に傾いている。

バス停の横にローソンがあり、ここで白衣を脱ぎ、中のシャツも取り替え、金剛杖をカバーにしまう。今日も一日、弘法大師と四国アイランドリーグのキャラクターたちに感謝だ。

さて、次のバスは16時40分発。ただしこれは徳島駅直通ではない別の系統で、阿南市の共生病院行きである。もっとも、スマホに落としている徳島バスの時刻表によれば(ちゃんと最新版であることを確認済み)、途中の橘西始発の便が13分後に続いていて、乗り継ぎで徳島駅には18時39分着とある。また、共生病院行きのバスを途中の桑野上で降りるとJR牟岐線の桑野駅が近い。17時18分の特急があり、これだと特急料金が発生するが、18時前に徳島駅に着く。ちなみに、大阪に早く帰るなら途中の橘営業所で大阪行きの高速バスに乗り継げるのだが、携帯サイトおよびローソンの端末で照会したところ満席だった。ただ、大阪から徳島駅を経由せずに直接阿南、日和佐、さらには室戸まで行く便があるというのは大きい。次回以降、効果的に使えないかなと思う。それはさておき徳島までどう戻るかだが、桑野乗り継ぎで早く徳島駅に着くプランで行くことにした。徳島から大阪へは20時発の高速バスなのでどちらでも十分間に合うのだが・・・。

・・・ということを和食東のバス停で決めた時、ロープウェイ乗り場方面から歩いて来る人がいた。午前中、鶴林寺の麓の生名バス停で私が身仕度をしている時に追い越して行き、その後で私が追い越した女性二人連れである。あの後もそれなりのペースで来たわけだし、ましてや朝は私より先に歩き始めていたわけだから(果たして立江から)、私よりも健脚である。今夜は徳島駅前に泊まるようだが、バスの時間を見て慌てている。やはり見知らぬ地でのローカルバスの時刻表は見ていても不安になるものである。そこで、上記のバスダイヤのルートを解説してあげた。二人で相談して、徳島駅までに一度降りなければならないため停留所に記載された運賃よりは高くなるが、確実ということでバス乗り継ぎを選んだ。

状況によってはもっと相手に話しかけるとか、何なら徳島駅まで同行しようかとか、せっかくの一期一会なので(これまでそういう場面もなく)対応のしようは如何ようにもあったのかもしれないが、結局はバスの時間を教えたところまで。

やって来たバスは先客もなく、快調に走る。桑野には運動公園があり、野球場は「JAあぐりあなんスタジアム」として、徳島インディゴソックスも多くの試合を行っている。いずれこの球場にも来たいなというところで桑野上着。女性二人に会釈して下車する。駅はすぐ近くにあり、特急には十分間に合うタイミングである。

周囲も暗くなり、月が見えるようになったところで2両の列車が到着。国鉄時代の185系である。1両半が自由席なのだが、それもガラガラ。途中の駅でポツポツと乗客がある。早い時点で、先ほどのバスは追い越したようである。

17時54分、徳島に到着。乗ってきた車両は折り返しでホームライナーとして運転のようだ。これで帰りの高速バスまで2時間ができたことになる。

これまで徳島市街を軸として四国八十八所めぐりを行い、徳島県内は市内の3ヶ所(大日寺、常楽寺、国分寺)、新野の平等寺、そして日和佐の薬王寺の5ヶ所となった。これらについては、スケジュールの組み方にもよるが年末年始を利用して回ろうと思う。今のプランでは日和佐がベースキャンプになりそうで、徳島市街というのも一段落したのかなと思う。駅前で飲むのもこれで一段落かな・・・ということで、2時間をそれに充てることにする。まあ、ローカルバスを乗り継いで到着する40分の時間差を惜しんでJRの特急に乗ったようなものだが・・・。

これまでに入った「安兵衛」と「味祭」がいずれも満席だったこともあり、少し離れた「阿波海鮮 魚家」に向かう。たまたまカウンターが空いていた。まずは生ビールで歩きの乾杯として、海鮮が売りの店なので魚メインで選択する。

ここで目についたのが、「すだちぶり」。前回、焼山寺を歩いた後で神山温泉で初めていただいたのだが、今回は定食の一品ではなく単品でいただく。身を厚く切っており、歯ごたえもなかなかのもの。店の一押しというのもうなづける。

今回はそれにプラスして、すだちぶりのカマ焼きもいただく。うーん、焼いた後だと別にすだちの風味がどうのというのは関係なくなるが、頭部の肉も骨からスルリとはがれる感じで、食べやすかった。これはすだち風味というのではなく、大将の腕前かな・・・?

この「魚家」、海鮮もの中心であり、一方では徳島の郷土料理もある。結構おすすめなのだが、この日は観光客、地元客ともに多く、また宴会の客も入ったようで、板場とホール係がてんてこ舞いだった。次々にあれやこれやと注文できる感じではなかったので、そこそこに引き上げる。

バスまでの時間は駅前でぶらついて過ごし、20時発の大阪行きの高速バスがやってきた。今回は阪急バスの車両。全体の半分が埋まるくらいの乗車率で、各座席にコンセントがついている。スマホの充電はこれで事足りる。今回の四国めぐりの記事をスマホで書き起こしながら、道中を行く。途中の渋滞もなく、定刻より10分早く阪急梅田三番街に到着。ここで下車して、地下鉄経由で帰宅した。

さて、上にも書いたように四国八十八所のうち「発心の霊場」である阿波の国、徳島県がそろそろ目処が立ってきた。これが終わると土佐高知。大阪から遠いエリアだし、公共交通機関の便も徳島と比べてあまりよろしくない。それらをどう回るか。今のうちから、時刻表をあれこれ駆使してプランニングするところである・・・・。
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第5回四国八十八所めぐり~第21番「太龍寺」

2016年11月19日 | 四国八十八ヶ所
鶴林寺から2時間半の歩きで太龍寺に到着した。山門からも急坂があり、ようやく境内に入る。右手に六角の経蔵があり、先に納経所のある本坊に出る。修復工事が行われて足場が組まれており、作業のクルマも出入りしている。朱印をいただくのは後にして、まずは本堂にお参りすることにする。

階段を上がると鐘楼門がある。門に鐘がつけられているのも珍しいのではないか。普通、鐘をつくときはひもを後ろに何度か引っ張ってゴーンと鳴らすが、こちらはひもを上から下に引く。感覚としては西洋の鐘に近いかもしれない。

広い境内を歩く。木々に覆われているし、石垣が組まれているし、町中の寺とは違った壮大感がある。中世の山城をイメージさせるところで本堂に出る。これまで「遍路ころがし」で訪ねた焼山寺、鶴林寺と比べても堂々とした建物が並び、団体客を含めて多くの参詣者で賑わっている。太龍寺にはほとんどの人がロープウェイで上がって来るが、その山頂駅の正面に階段があって直接本堂に出ることができる。その石段を上るだけで「しんどいなあ」と言っている人もいる。元々は私の通ってきた山門が正面玄関だったのだろうが、今では裏門のような雰囲気で人の姿もほとんどなかった。それとは対照的である。

本堂は最近改修されたようで新しい感じがする。後で調べたところでは2011年の台風で折れた杉の木が本堂の屋根を突き破ったのだという。こちらも桓武天皇の勅願で弘法大師が開創したとされる古刹であり、「西の高野」とも称される。高野山と同じく山の上にあるということや、弘法大師の修行の場として由緒あることからそう言われている。ただ、これまでにも戦乱や災害で荒廃した時期もあったそうである。弘法大師が19歳の時、この境内の「舎心嶽」という岩の上で100日の間、虚空蔵求聞持法を修行したとされている。虚空蔵菩薩の真言を百万遍唱えるという荒行だが、これを習得すると全ての記憶がよくなると言われている。この荒行は何も弘法大師だけのものではなく、現在も行われているものである。1日に1万から2万遍、それを50日以上続けるのだそうだ。

まずは本堂でお勤めをした後、多宝塔の下を回り込む形で大師堂に向かう。大師堂の前に「いのちのいずみ」と書かれた石碑がある。「あなたは お大師様に手を合わす資格があるか」と、単刀直入に問いかける前文から始まり、その資格を得るためとして、

一、小善を積んでお大師様に近づくのだ
一、向かい合う人をお大師様と思え
一、苦悩を背負う時こと背筋を伸ばせ

とある。やはり日頃からの気の持ちよう、自らの姿勢が大切であり、困った時だけ「お大師様助けてください」と願うだけというのはご都合主義というものだろう。

先にお勤めをしていた団体客が行った後で私もお勤めを行う。すると「御廟はこちらから」との貼り紙がある。それに従って大師堂の縁側を回り込むと、大師堂の後ろに、高野山の奥の院にあるのと同じような造りの御廟がある。

そして一旦戻る形で納経所に向かうが、石段を下りる時に「ギャッ」と言ってしまった。やはり足に来てしまったようだ。坂道、山道を下るのはまだしも、これで階段を下りるのは厳しくなった。金剛杖を持っているから何とかだましだまし歩くことにする。納経所では堂々とした文字を書いていただいた。

本坊持仏堂の廊下の天井には龍の絵がある。太龍寺というのも、弘法大師が修行中に龍が守護していたとの言い伝えがあることからついた名前だそうだ。

納経所からロープウェイ乗り場に向かう。もう一度階段を上がらなくてもそのまま横伝いに行くことができる。このロープウェイは1992年開業と比較的新しく、それまではクルマでも中腹までしか上がれなかったのが一気に本堂前まで来ることができるようになった。私もここまでは歩いてきたが、下りは迷うことなくロープウェイに乗ることにする。20分おきの運転である。このロープウェイ乗り場の前が今は玄関口で、本堂に続く石段もある。パンフレットなどの太龍寺の写真はこの位置から撮ったものが多いのだが、最後にようやくここに来たという感じである。

ただその前に、足は痛いのだがもうひと頑張りして歩くことにする。先ほど、弘法大師が修行した舎心嶽について触れたが、その跡が奥の院として今でも残っているという。ロープウェイ乗り場から650メートルほどあるが、せっかくなので行ってみる。途中は四国八十八所のそれぞれの本尊が立っており、それを数えながらの歩きである。前半はなだらかだったがやはり後半になると坂が急になる。八十八を数えた先には小さな祠があり、修行の場らしい風情がある。

そしてその先は崖。その上に山の先、遥か遠くを見るように座っている像がある。修行中の弘法大師像である。後で乗ったロープウェイの中でのガイドさんの説明では、「空海」という名前の「空」の部分はこの舎心嶽の修行から来ているとしている(「海」の部分は室戸岬)。山岳修行では山の上から身を捨てることがあり(今でも、大峯山の修行で半身を崖の上から乗り出して・・・というのをテレビなどで見るが)、この舎心嶽はそうした場であることがうかがえる。何とも雄大な景色である。

四国を巡拝している人のブログなど見ると、この像のところまで行って正面から大師像を拝んで・・・というのもあるのだが、そこに行くのも崖だし、鎖場もある。本当はここで行かなければならないのだろうが、私の体重では・・というのと、足の痛みというのがあって断念した。大師像を後ろから拝むに止める。

元来た道を戻り(やはり下りのほうが足に来る)、ロープウェイ乗り場に到着。時刻は15時40分、次の平等寺に行く時間もなく、今回の四国八十八所めぐりはこれで終了となる。後は徳島に出て大阪に戻るということで・・・・。
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第5回四国八十八所めぐり~太龍寺への遍路ころがし・・・下って上って

2016年11月17日 | 四国八十八ヶ所
四国八十八所めぐりも20番台に入る。もっとも第13番~第15番が抜けた状態で、今の予定だと年末まで持ち越しとなりそうなのだが。

時刻は12時、鶴林寺の本堂に上がる石段と反対側に階段がある。次の太龍寺までは6.7キロの歩きだが、その間に標高500メートルの鶴林寺から標高50メートルの那賀川の河原まで下り、そしてまた標高520メートルまで上る。先の焼山寺が「遍路ころがし」13.7キロの歩きだったことを思うと距離はその半分くらいであるが、アップダウンの差はこちらのほうが大きい。藤井寺から焼山寺までが5時間15分かかったのを目安とすると、2時間半くらいで行けるかなと思う。もっともこれは「この時間内に行かなければならない」というものではなく、太龍寺~ロープウェイ~バスの時間には余裕があるので無理はしない。

ここまで上ってきて、寺でも腰かけずに立ったままだった。もう少し休めばいいかなと思ったがそのまま下る。丸太で区切った階段が続く。ところどころでは丸太の組み方も変わっていて、結構歩調を合わせるのが難しい。普通、下り道といえば平地よりも勢いがついて速度も速くなると思うのだが、会談は逆に手こずる。動かすのは脚なのに手こずるとはこれいかにだが・・・。おまけに、下り坂で時たま起こるのだが、左膝の後ろがピリッと来る。これは前の焼山寺ではなかったことである。何とか太龍寺まで持ってほしい。

途中、車道を渡り、時にはコンクリートと手すりがついた普通の階段もある。ようやく前方に家並みが見えてきた。大井の集落である。鶴林寺から2キロほどだが、45分ほど要した。やはり平地よりは遅いペースである。道しるべに従って路地の間を抜けると県道に出て、屋根つきのベンチがあるちょっとした休憩所に出た。地元の人たちのご好意で建てられたもののようで、とりあえず坂を下りきったところということで休憩とする。鶴林寺では食事を取らなかったので、少し遅いがここのベンチで昼食とする。備え付けの木のベンチの他に、応接ソファーやら事務机用の椅子、どこかの店のカウンターにあるような椅子も並べられている。

また、太龍寺の方向とは逆に150メートル離れたところに大井小学校というのがある。現在は廃校となっているようだが、地元の人たちのためにグラウンドが開放されており、歩きの人向けにはトイレを提供している。この先太龍寺まではトイレがないようなので、ここで済ませることにする。校門を入ってすぐ左手に折り返したところの校舎の離れにトイレがある。建物は古いが清潔である。これは地元の人たちがゲートボールでグラウンドを使うことがあるのだが、そのボランティアとしてトイレの清掃を行っているとある。こうした人たちの支えで四国巡拝が無事快適にできることに対して、この場を借りて感謝。

大井小学校から再び休憩所の前を通ると、男性一人が新たに休憩中。挨拶だけして先に進む。しばらくすると怪しげな白の鳥居と神殿を意識した建物に出る。「神光本宮」とある。塀には祀っている神々の名が記されているが、日本の神社によくある神とはまた名前が違う。そもそも、ここは神社として機能しているのだろうか。境内は草が生い茂っているし、黄色のテープが張られているのは立入禁止を示しているのだろうか。

水井橋で那賀川を渡る。長さ125キロと、徳島県で最も長い川である。「徳島で一番長いのは吉野川では?」と思う方も多いだろう。私もそうだった。ただし、吉野川は長さ194キロと長いのは長いが、そのうち85キロは水源のある高知県を流れている。このため、徳島県内だけを見れば那賀川のほうが長い。今の時期、河原の石がやたら目立ち、水量はさほど多くないのだが、このあたりの豊かな自然を引き立てている流れである。那賀川を渡るといよいよ上りだが、まだ4キロ近くある。ここからが結構大変なことになるのだろうか。

坂の入口に着く。ここにも「阿波遍路道」の看板があり、一部は国の史跡になっているようだ。「この先道幅が狭いため車両通行不可」とある。ただこれは、「道幅が狭いため」通行不可と解釈して、途中までなら通ろうと思えば通れるのかなということで歩き始める。実際、道も粗いながら舗装されているし、勾配もそれほどでもない。下りなら痛む膝の後ろも、今は気にならない。ただ、「遍路ころがし」の3つ目である。このままますんなりとはいかないだろうなと思う。

少しずつ上がる中、川のすぐ横を歩くようになる。これならウォーキングに適した眺め、コースだと感じる。いつしか太龍寺まで残り2キロの立て札を過ぎるが同じような感じだ。ふと向こうに、幌のついた軽トラが停まっている。軽トラならここまで来ることができるわけか。もっとも下からここまでガードレールも何もないし、離合できるところもなかったが。

・・・・で、残り1.5キロとなったところで、「遍路みち↗」と記された石柱がある。ここから丸太で仕切られた階段が続く山道が分かれている。ここで来たか・・・。

残りはカウントダウンできる距離とわかっていても、ここからの上りはキツい。グッとペースが落ちる。階段を上がるのに足を上げるのがきつく感じて、階段の脇の道の端を上る。まだこちらの方が心持ち楽に感じるが、それでも、少し歩いては止まりを繰り返す。心臓がバクバク言うのも感じる。止まって休むうちに、先ほど休憩所にいた男性に追い越される(この区間はとてもカメラを構えようという気になれず・・・)。

ようやく山道が切れて、クルマが通れそうな車道に出る。残り400メートルとあるが、舗装された急坂が続く。これがまたキツい。何とか歩いて山門に到着するが、太龍寺は「西の高野」と称されるくらいで敷地は広い。山門をくぐってもしばらく参道の坂道が続く。結局は鶴林寺を出てから2時間半。寺の直前で急な坂に痛めつけられたのは焼山寺と同じだったが、まずは無事に上ることができてよかった。

さてこの後はお参りで・・・・。
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第5回四国八十八所めぐり~第20番「鶴林寺」

2016年11月16日 | 四国八十八ヶ所
上り坂を歩くこと50分、鶴林寺の駐車場に到着。歩きで来ると駐車場の片隅に出る形で、多くのクルマが出入りする中を縫って山門に出る。「別格本山」の文字が立派である。

この鶴林寺は、桓武天皇の勅願により弘法大師が開創したとされている。弘法大師がこの山で修行している時、雌雄の鶴が木の梢で小さな地蔵菩薩像を護っているのを見つけた。そこで大師は霊木で地蔵菩薩を彫り、鶴が護っていた小さな地蔵菩薩を胎内に納めて祀った。このことから、山門には仁王像が立つところに鶴の木像が安置されている。鶴林寺と聞いて思い浮かぶのは、新西国の札所の一つで加古川にある鶴林寺だが、こちらはネットで調べても加古川に鶴が現れたという伝承はなく、平安末期に鳥羽天皇の勅願寺となったことからその名前をいただいたと言われている。

境内はちょうど団体客がお参りのところ。多くの人が石段の下から本堂を見上げて歓声を挙げている。カメラやスマホを向ける人も多い。それは本堂そのものが立派ということもあるが、ちょうど木が色づいていることもある。鶴林寺が紅葉の名所だとは聞かないが、標高550メートルとなると麓よりは季節の進み具合が早いのだろうか。ちょうど弘法大師像も紅葉を背負った形になる。

石段を上り、ろうそくや線香を供えるうちに先の団体客がお勤めを終える。それを見計らって私もお勤めである。ちょうど本堂の脇には、神社の本殿の両脇に狛犬がいるように、鶴の銅像が並んでいる。また本堂にも鶴をかたどった紋の幟がかけられている。鶴は千年というくらい縁起のいい鳥として尊ばれている現われだろう。パッと見ると日本航空のマークに見えないこともない。

本堂横の立派な三重塔を見た後で、続いて大師堂にお参り。こちらはお勤めを終えたところで次の団体客がやってきて、さほど広くない大師堂前のスペースがごった返す。

そして納経所へ。朱印帳の真ん中の印は、普通はご本尊を表す梵字をあしらったものが多いが、ここは鶴が飛ぶ様子がデザインされている。鶴は鹿児島の出水や釧路湿原のように、田んぼや湖沼、草原に生息する生き物だそうだが、こんな山の中に地蔵を護る鶴がいて、それを寺の開創としたのは何か意味がある、何かの例えなのかなと思う。それはよいとして、係の人は「今日はお車ですか?」と一人ひとりに訊ねている。クルマだと答えると、駐車場の料金を「志納」するように言われる。もっともその代わりに、鶴の紋をあしらった寺のステッカーがついてくる。私は歩いて上ってきたので駐車場料金はいらないが、その分、鶴のステッカーはいただけない。「クルマで来ました」とハッタリをかましてもよかったのかもしれないが、そこまでしてステッカーをもらわなくとも・・・(ちなみにステッカーはお守り等のように売られているものではなく、駐車場料金支払いの印である)。

ここ鶴林寺、駐車場に新しくできた感じのトイレは立派だったが、他には何もない。山の上だからか自動販売機もないのが意外である。クルマならともかく、歩きで鶴林寺を目指す人は、水分は十分に持ってきておいたほうがよい。ここから来た道を生名方面に戻るにしても、この先太龍寺を目指すにしても、あるいは逆打ちで回っている人に共通して言えることである。

これから第21番の太龍寺を目指すことにする。時刻は12時前。遍路道の立て看板によれば、歩行距離は6.7キロほどとある。一度那賀川の川べりまで下り、そこからまた山を上るというルートである。いよいよ、「遍路ころがし」の最後の歩行である・・・・。
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第5回四国八十八所めぐり~勝浦町から遍路ころがしへ

2016年11月15日 | 四国八十八ヶ所
明石海峡大橋のたもとから乗った高速バスは、途中渋滞もなく8時20分よりすこし早く徳島駅に到着した。朝が早かったぶん、車内で一眠りすることもできた。

路線バスの9時10分発の勝浦線横瀬行きまで時間があり、昼食をコンビニで仕入れた後、駅ビル内のスターバックスで時間待ち。行楽シーズンと思うが、駅前には巡拝とおぼしき人の姿は見えない。同じバスで移動して、同じように上る人がいてもよさそうなものだが。

時間になりバスがやって来た。乗ったのは私の他には、地元の人が4人。前回、小松島の恩山寺前まで路線バスで行ったが、小松島市内までは同じルートをたどる。

その小松島の交通の要衝が、徳島赤十字病院。この辺りの系統の路線バスはほとんどここを発着または経由する。これから目指す勝浦町へは、徳島市街からだと手前で曲がり、勝浦川沿いに走ったほうが近いのだが、わざわざ小松島を経由している。勝浦町の人が日赤病院に通う利便性を図っているのだろうか。

いつしか乗客は私一人。勝浦川に沿って走る。河原にクルマを乗り入れて釣りも楽しめる穏やかな川である。いっぽうで、結構ダンプカーとすれ違うことがある。運転席に「加藤鉱業」のプレートがある。

走るうちに、川をはさんだ右手に斜面をかなりえぐられた山が見える。これは加藤鉱業の鉱山で、セメントやアスファルトの原料となるけい石が採れるそうだ。

勝浦町はこれから目指す鶴林寺も有名だが、最も知られているのは「ビッグひな祭り」ではないだろうか。ひな祭りの時季に、あちこちから寄贈されたひな人形を何段にも重ねて豪華に飾るもの。私も以前クルマを持っていた時に、高知へのドライブの途中にこの案内にひかれて一度見物したことがある(その時の記事がこちら)。この時は体育館に並べられた何段もあるひな人形だけでなく、山の斜面に張りつくように家が建つ集落の家の軒先に飾られたひな人形も印象的だった。ちなみに、特に関東の方だと、「勝浦町でビッグひな祭りって、房総のほうでしょ?」と思うかもしれない。千葉の勝浦でも大々的なひな祭りをやっているが、これは徳島の勝浦町から派生したものである。同じ名前として友好都市提携していることから実現したそうだ。

生名バス停に到着する。バス停のすぐ横に鶴林寺の石柱があり、徒歩で上る道を示す看板がある。ここから3キロあまりの道のりである。ここで巡拝の身支度をする。この時季はどんな格好で来たものか迷ったのだが、ここまでは長袖シャツの上に半袖シャツを重ね着してフリースを着ていたのだが、フリースを白衣に替えて出発することに。着替えをしている間に、歩きで来ている女性2人と男性1人が「こんにちは」と先に進む。

看板に従って路地を上る。周りはみかん畑が広がる。前回、小松島の恩山寺から立江寺まで歩く途中にみかん畑があるのを見て、徳島でみかんは意外だと思ったのだが、こちら勝浦も山の斜面を利用して結構畑が広がっている。ちょうどこれから熟すようで、いい色が広がっている。上り坂を振り返るとみかん畑と勝浦川沿いの町並みがいい感じで広がっている。

茅葺き屋根の休憩所や、路肩に「ご自由にお使いください」と杖が置かれているのを見る。そろそろ本格的な上りで、2つ目の「遍路ころがし」が始まるのかと気持ちを改め、杖に「頼むぞ」と言い聞かせる。別に急ぐのではないが、先ほど生名のバス停で先に行った女性2人を追い越す。私がバスで着く前から歩いていたわけで、早朝に前の札所がある立江からだろうか。

まずはコンクリートの坂を上り、水呑大師というスポットに着く。弘法大師が杖で地面を突くと水が湧き出たという伝説がある。そしてここからは昔ながらの山道になる。阿波遍路道のうち、水呑大師から鶴林寺までの1.27キロは、鶴林寺道として国の史跡に指定されている。立江から歩くことはしないにしても、こうした区間は、公共交通機関利用とか関係なく歩くのが風情あっていいだろう。

途中、木々の向こうにクルマの音がする。観光バスも途中まで上がることができるそうだ。

ここだけ木を切って展望が開けたようにしているところがある。眼下には那賀川の流れがカーブを描いている。その向こうに山があるのだが、右手の山が鶴林寺の次に行く太龍寺への道である。つまり、ここから山を下りて、再び同じくらいの高さを上る。標高差は400メートルくらいあり、これは結構きつそうだ。この上り、そして下ってまた上る・・・2つ目、3つ目の「遍路ころがし」と言われるのもわかる。

最後は昔の参道らしく石畳の道が続き、ようやく山門に到着した。生名のバス停から50分の道のりだった。まずはやれやれ・・・・。
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第5回四国八十八所めぐり~始まりは明石海峡

2016年11月13日 | 四国八十八ヶ所
公共交通機関をメインに区切り、ぶつ切りで回る四国八十八所。第5回目は11月12日の日帰りである。最初の阿波の国は大阪から近く、もっともアクセスしやすいためにこうした回り方をしているが、今後先まで行く場合は時間の捻出も厳しくなるし、ここで期間が延びそうである。いずれはどうするか考える場面が出てくる。

さて、旅番組風なら「皆さんおはようございます。今朝は、淡路島にかかる明石海峡大橋から中継でお送りします」というレポーターの挨拶みたいな感じの画像である。この日の朝7時前、私がいたのは明石海峡大橋を目の前にしたJR舞子駅前。この日は小春日和、雲もほとんどない晴天である。

舞子駅前にいるのは、ここから明石海峡大橋を上がったところにある高速舞子のバス停から徳島駅前行きの高速バスに乗るためである。高速バスならなんばや梅田からでも出ているのに、なぜ明石海峡大橋にいるのか。別に大阪発が満席だったわけではない。

今回目指すのは、徳島県の中南部の勝浦町にある第20番の鶴林寺と、那賀町にある第21番の太龍寺。この2つは、前回訪ねた第12番の焼山寺と並び「遍路ころがし」と呼ばれる山道のコースである。この記事は毎度のことながら「時刻表でのプランニング編、アクセス編」ということで・・・。

公共交通機関だと、鶴林寺へは徳島バス勝浦線の生名(いきな)から山登りで、太龍寺へは徳島バス丹生谷線の和食東(わじきひがし)から徒歩10分のロープウェイ乗り場からロープウェイで上がる。八十八所めぐりの最初のグループ分けの段階では、徳島駅から鶴林寺へ往復して、小松島あたりからバスを乗り継いでロープウェイ乗り場に行こうと考えていた。ただ、焼山寺の「遍路ころがし」を歩いたものだから、残り二つも行っておいたほうがいいかなと路線変更した。実質、それぞれ別に数えるのではなく、2ヶ所が合わさって2つの「遍路ころがし」の意味がわかるらしい。というわけで、徳島駅~生名間はバス、ここからずっと歩いて太龍寺まで行き、ロープウェイを下って和食東に出て、徳島駅まで戻るという循環ルートとなった。当初は、もう一つ先の第22番・平等寺まで行けないかとも考えたが、アクセス面でさすがに無理そうである。やはりそこは日和佐の薬王寺とセットになってしまうかな。

帰りは徳島駅から遅めの時間の高速バスとして、昼間が山歩きになるので時間は多く取っておきたい。勝浦線も本数がそう多いわけではなく、朝の大阪からの高速バスで徳島駅に行った場合は、徳島駅10時ちょうど発、生名10時56分着が最速である。ただ、1本前に徳島駅9時10分発、生名10時06分着というのがある。この時間から歩き始めると、帰りのロープウェイ、バスの時間に向けても余裕を持って行けそうだ。

それはいいが、徳島駅9時10分発は、大阪からだと間に合わない。ただ、時刻表をよく見ると、神戸三宮からの便なら間に合う。三宮6時30分~高速舞子7時ちょうど発なら、8時20分に徳島駅に着く。これはいい。

ただ問題が一つ。これに乗ろうとすると、土日ダイヤでは始発が繰り下がるため、藤井寺からアクセスできない。もっともこれは織り込み済みで、早く出るのなら、JR大和路線の柏原4時49分発JR難波行きに乗れば間に合う。この列車、会社での早朝出勤や、遠方に行くのにちょこちょこ使っている。柏原駅まで50分かけて歩く必要はあるが・・・今回は、歩きのウォームアップにちょうどいいだろう?

・・・いつもながら(それ以上に?)前置きが長くなったが、柏原から新今宮、大阪と乗り継いで、舞子までやって来た。今回5回目、現地までいろんな方法でアクセスしているが、朝の3時半に自宅を出て歩くというのも、自分でも何を暇なことをやっているのかと、JR神戸線の各駅停車に揺られながら思う。同じ車両には、前日オールで飲んでいた勢いだろう、途中からグループ客が缶ビール片手に乗って来て、ロングシートで◯次会を開く。彼らは、これから家に帰って爆睡だろう。一方こちらは前日23時帰宅、2時半起床で寺巡り・・・まあ、私のやっていることも彼ら以上にアホなことだ。

舞子に到着。小春日和とはいうものの、朝は冷える。また海からの風もひんやりする。そんな中を、エスカレーターと階段を乗り継いでバス停に着く。この場に立つのは初めてで、目の前を多くのクルマが通過するスピード感にうならされる。クルマを運転していたら高速道路のスピードはあまり実感できないのだが、側道に立つといかに速いかが感じられる。

舞子は四国だけでなく淡路島の玄関口で、淡路島行きの系統もいろいろある。そんな時刻表を見るうちに、徳島駅行きの神姫バスの車両が到着した。座席は半分弱の埋まり具合である。予約していた座席券は通路側だったが、隣は空席だし、この先乗って来る客もないので、2席を広く使う。

時刻は7時すぎ。ちょうど、明石海峡を朝日が照らしていた。海面に日の光が筋状に伸びており、何とも見事なものである。この先の札所めぐりが無事に行きますように・・・・。
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「半家」から「増毛」への旅

2016年11月11日 | 旅行記A・北海道
さてこの「◯◯」、何て読むでしょうか?

正解は「はげ」と「ましけ」。「ハゲからぞうもう」とも読める。それぞれ、JRの駅名である。

最近、ネットやテレビでこの言葉が目につくようになった。駅じたいは昔からあるのだが、このうち「増毛」が来月5日にて廃止となるのだ。

増毛駅があるのは北海道、留萌線の終着駅である。かつてはニシン漁で栄えた港町で、高倉健主演の映画『駅 STATION』の舞台、ロケ地としても知られている。私もJR乗りつぶしの最終盤で一度訪れたが、古い町並みや酒蔵を観光の目玉にしようという雰囲気があった。もっとも夏のことで、映画の雰囲気とは全く違っていたのだが。

この5日にて、留萌線の留萌~増毛が廃止となる。それを惜しんで大阪の日本旅行が、語呂合わせもあって「半家から増毛への旅」を企画した。すでに満杯だという。

これを聞いて、私の中学生~高校生時代、ちょうど国鉄からJRになった頃のことを思い出す。ちょうど乗りつぶしに興味を持って実際にやりだした時期だし、宮脇俊三や種村直樹といった、鉄道紀行作家やレイルウェイ・ライターの作品や時刻表を読んでいた時である。中でも種村流は、ゲーム的要素をもった汽車旅が多く、さまざまな鈍行乗り継ぎの話を面白く、かつ行ける人を羨ましく感じたものである。その当時は鈍行の夜行列車もあちこちにあり、それらを絡めながら全国を回るというもの。私もせめてもう10年早く生まれていれば、自分でもリアルにこんな旅ができたのになと思うことがある。

そんな種村直樹のどの作品だったか、巻末に種村氏本人か読者かが考えた鈍行乗り継ぎのプランがいくつか載っていて、その一つに「半家から増毛」というのがあった。

北海道の鉄道旅行は、大自然の中を走るということで昔から人気である。それはローカル線によるところも大きいと思うが、どこも厳しい。国鉄時代、JR移行時、民営化後と、何回も廃止の波がやって来る。そして今、北海道新幹線開業の中でまた大きな波が来ている。上記の留萌線に続き、石勝線の夕張への支線も廃止が決定的。そして、札沼線の新十津川までの末端区間や根室線の富良野~新得、さらには留萌線の深川~留萌も廃止の意向だとか。それだけでなく、札幌近郊を除いたほとんどの路線を、JR単独で維持するのは困難として地元の支援を得たいとしている。先に、社会人野球のJR北海道の野球部休部を書いたが、要はこういう状態である。地元自治体としてもどうしようもないのかもしれない。

このぶんだと、日本の端、最果てである根室や稚内から鉄道が消える恐れもある。そうなる前にせめてもう一度彼の地を訪れたいのだが・・・・。
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第2番「紀三井寺」~西国三十三ヶ所めぐり2巡目・7(夕方の名刹)

2016年11月10日 | 西国三十三所
御坊から和歌山行きの普通列車に揺られる。関空・紀州路快速で使われている1-2列の座席の車両の一人席で、ゆったりと移動する。

海南を過ぎた黒江で大量の学生が乗って来る。どうやら智弁和歌山の生徒たちだ。後で同校のホームページを見た時に、学校へのアクセスのところで、「この役から1時間目に間に合うように出るには何時の列車に乗る」という紹介があった。要は黒江に着く紀勢線のダイヤ案内だが、私の近くだと天王寺やJR八尾、南海高野線の金剛でも、6時過ぎに乗れば間に合うようだ。まあ、これは1時間目ぎりぎりのダイヤだし、実際は部活などやっていたら現実的ではなさそうだが、和歌山だけではなく大阪方面からも広く生徒を呼び込もうというのがうかがえる。

学生で賑やかになった車内、次の紀三井寺で下車する。今回道成寺に行くにあたり、通り道なので西国の2巡目もセットでこなすということで紀三井寺にも行くことにしていた。2巡目としているが、実際には三度目の参詣である。1巡目の時、一度参詣したが、その後で両親から託された納経軸に朱印をいただくために、和歌山の3ヶ所にはもう一度ずつ訪ねている。その時に納経帳には重ね印をいただいたのだが、今回は先達用の巻物型納経帳に初めて筆を入れていただく。

1時間後の列車に乗るつもりで、駅から歩いて山門の下に着く。時刻は16時前だが、門前の土産物店はすでにシャッターを下ろしているし、訪れるひともさほど多くない。

石段を上がる。この石段の231段はハードと言われることが多いが、西国や新西国、それに四国も含めると、これよりも無茶苦茶なアクセスはいくらでもある。確かにしんどいが、極端に恐れるほどではない(逆に、これでビビっているようでは、その先が危ういという意味で)。

本堂に到着する。西国用の経本を開いてのお勤めである。ぎりぎりで内陣の拝観もできる時間だったが、それはいいかなと。

そして先達用の納経帳に朱印をいただく。和歌山は青岸渡寺、粉河寺とあるが、次はどのように訪れるか。また計画を立ててみたい。

しゃもじを奉納するところがあり、今回もここでしゃもじに願い事を書いて、それを大きなしゃもじに3回打ちつけて奉納する。それはいいのだが、なぜ紀三井寺でしゃもじなのだろうか。そこで寺の方に訊けばよかったのだろうが、なぜと思ったのは帰宅してからである。ネットでいろいろ検索しても明確な答えは出てこない。しゃもじ奉納といえば宮島の厳島神社をイメージするが、同じような由来があるのだろうか。

紀三井寺は16時で内陣への扉を閉める。これは祈祷なのか日常の行事なのか、太鼓も叩かれる中で般若心経の読経が始まる。一日の締めというところだろうか。16時といえば時間としてはまだ早いと思うが、寺としてはそろそろ一日の仕舞の時間なのだろう。

大十一面千手観音像を仰ぎ見る。この建物の最上階に上がることもできるのだが、過去にも上がっているし、もういいかなと思う、観音像の足元の高さから和歌浦方面を眺めることができる。前回はこの景色を眺めながらサイコロを振って次の行き先を決めたわけだが、2巡目は「何かのついで」で回るようにしているので、特に慌てる必要はない。

過去2回訪れたのはいずれも午前中から昼の時間帯だった。このように夕方に来るのは初めてで、別に意図していたわけではないが、太陽がそろそろ和歌浦の先に沈もうとしていた。こういう眺めもいいものである。

・・・この後で再び紀三井寺の駅に戻り、今度は和歌山まで出て、接続の快速に乗って天王寺まで戻る。かなり内容の濃い1日となった。11月、紅葉はこれから見ごろを迎える時季である。せっかくあちこち回るのだから、そうした景色もゆっくり見てみたいものである・・・・。
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第5番「道成寺」~新西国三十三所めぐり・20(日本一のミニ鉄道)

2016年11月09日 | 新西国三十三所
・・・また本題の前に。

社会人野球日本選手権の決勝戦、勤務先の野球部は最後まで粘りを見せたものの、あと一歩で優勝に手が届かなかった。ヤマハの皆さん、優勝おめでとうございます。

ただ、前評判もそれほど高くない中で、昨年の日本選手権優勝チーム、そして今年の都市対抗野球優勝チームを破り、久々に盛り上がったことである。また来年度も頑張ってほしい。

今季はバファローズが散々な内容ではあったが、初めて女子プロ野球の試合を観たり、久しぶりの四国アイランドリーグに渡ることもできた。最後は社会人野球と、さまざまなスタイルの野球に接することができてよかった。日本一にはあと一歩だったが・・・。

・・・で、タイトルの「日本一」である。

道成寺を参拝した後、御坊まで来たのだからと、紀州鉄道に乗ることにする。日本一のミニ鉄道として知られている。

・・・と、ここまで書いたところでこれには誤りがある。紀州鉄道は営業キロ2.7キロだが、これよりも短いのが2.2キロの芝山鉄道である。この芝山鉄道は、成田空港の先にちょこっと延びている線である。さらに、ケーブルカーも広義の鉄道に含まれるので、鞍馬山のケーブルが日本一短い路線の鉄道事業者である。

この中でケーブルカーを一般の鉄道と見る人は少ないだろう。また、芝山鉄道も京成電鉄の延長線上であり、列車は普通に直通していて単独運行ではない。となると、御坊と西御坊の間を1両の気動車がトコトコ往復している姿こそが、実質日本一のミニ鉄道と言っていいのではないかと思う。もっとも、紀州鉄道そのものはリゾート開発を中心とした不動産業がメインで、鉄道事業はついででやっているようなものである。元の御坊臨海鉄道の路線を買収した不動産業者が、「鉄道会社の不動産部門」としたほうが世間の信用が集まるとしてこのような社名になったそうだ。

列車の発車まで時間があるので御坊駅前で昼食とするが、駅前は市街地から離れているためか店もほとんどない。駅前の一角に「いきいき」という讃岐うどんの店があり、こちらへ。香川に本店があるようで、夜は居酒屋にもなる。何か紀州らしいものということで目についたのが、しらす丼とのセット。味そのものはまずまずであった。

13時25分発の列車に乗る。セミクロス式の車両に乗ったのは、時間帯のせいか地元の人ばかり5人。よく晴れた空の下、トコトコと走る。御坊駅の周囲は閑散としているが、学門、紀伊御坊、市役所前と進むにつれて建物が増える。国道42号線沿いということもあるだろう。

乗車時間8分で終点の西御坊に到着。町中の家並にホームと駅舎が無理やり押し込められた感じである。以前はこの先にも線路が続いていたが、部分廃止ということでぶつ切りになった形である。

折り返しは14時10分発ということで、それまでの35分ほどで駅前を歩くことにする。時間をつぶすなら駅からすぐ、国道を渡ったところにTSUTAYAの書店があるのでそこに行けばいいのだが、寺内町の風情というのに引かれる。御坊駅にもパンフレットがあったし、西御坊の駅舎の中にも案内図があったので、寺内町を歩くことにする。ここも以前に一度回ったことがあるが、ふらりと回るだけなら30分でちょうどいい時間である。

寺内町は昔ながらの町家や酒蔵も点在する。ギャラリーとして開放している家もある。御坊というのは、西本願寺の日高別院が中心にあり、日高御坊と呼ばれていたことに由来する。また、日高川の水運を利用した木材の搬出などで賑わったこともある。伝統的な街並みの保存地区ではないが、自然な感じで家々が残っている感じである。

その中心である日高別院(御坊)であるが、門が閉まっている。今は保育所が併設されていて、子どもの安全のために時間を区切って門を閉める時間帯があるそうである。時計を見るとその時間からは外れているのだが、ひょっとすれば土曜日ということで最初から閉めているのかもしれない。別にどうしても境内に入らなければならないというものではないので、門の外から見るに止める。

そろそろ時間近くなり、西御坊駅に戻る。御坊行きは私の他には地元客が一人だけ。運転手も駅舎内の休憩所(というにはあまりに密閉された空間だと思われるが)から出てきて、おもむろに発車する。途中、紀伊御坊から一人乗って来て、また乗車時間8分で御坊に到着する。こういう短い路線であるが、今のところ廃線にしようという声は聞こえてこない。御坊の中心部から紀勢線乗り継ぎで和歌山、大阪方面に出るのにはそれなりの役割を果たしているのだろうし、御坊から西御坊まで乗っても180円というのは、路線バス1回の運賃相当か、あるいはそれ以下だろう。不動産業者の鉄道部門・・・もとい鉄道会社の不動産部門ということで、何やかんや言って経営できるのだろう。「日本一のミニ鉄道」というのも付加価値を与えているように思う。

さて御坊からは紀勢線を北上する。今回は天王寺から紀勢線の往復ということで、一筆書き、循環ルートを好む者としてはあまりよいプランニングではないのだが、行きは特急「くろしお」、帰りは普通と快速の乗り継ぎ(しかも途中下車つき)にして少しでも変化をつけたつもりでもある。まずは和歌山行きに乗車。そろそろ冷える時季とはいうものの太陽が照ると暖かく、窓際の一人席に座ると、程よい感じで途中ウトウトとするのであった・・・。
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