まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

パ・リーグ順位争いが大詰め

2011年09月30日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

東日本大震災の影響を受け、「がんばろう日本」を合言葉に繰り広げられた今年のペナントレース。パ・リーグの優勝争いはソフトバンクがとうとうマジックを1まで減らし、明日1日にも優勝が決まる展開。おそらく、この所沢で決まるのではないだろうか。

内川、カブレラ、細川の補強で戦前の予想も高いものであったが、カブレラがさほど活躍せず、左腕の杉内の故障もある中で、野手では長谷川、福田、明石といったところが出番をつかみ、投手も摂津や岩崎というところの活躍。何だか世代交代もすんなりといっているようで、優勝は文句なしというところ。

さてそんな中、私としてはオリックス・バファローズの終盤の頑張りが喜ばしい。一時は借金がまたかさんで「もうあかん」と思ったが、このところジリジリと来ている。3位の座を固めつつも、日本ハムが落ちてくるところを掬おうかという勢い。

3位でも上出来かと思ったが、仮に2位となって大阪でクライマックスシリーズを迎えるとなると・・・これはどないかして観戦しないと。

そこで出てくるのが、ちょうど大正ドームで都市対抗野球をやっていること。今年は東日本大震災の影響を受けての節電のために、東京ドームでの夏場の開催を取りやめ。その代わりとして、例年秋に大阪で行っている日本選手権も取りやめ、都市対抗野球を大阪で行うということになった。その時「オリックスがクライマックスに出場する場合は日程変更もありえる」という但し書きがあり、夏場には「まさかそんなことないやろう。嫌味やな」という程度に思っていたのだが・・・。今となっては社会人野球の関係者はやきもきするところだろう。

10月に入り、優勝争いとはまた別の順位争い。最後の最後で何かが起こるのか、楽しみにしたいところである・・・。

コメント

十津川村・谷瀬の吊橋

2011年09月26日 | ブログ

「十津川村へ向かう国道168号線をはじめその他多くの道路が寸断されております。
十津川村民みんなが全力で復旧作業を行っています。
温泉の方も一部を除き各施設に通っておらず、公衆浴場もご利用出来きません。
現在、一般観光客の方を受け入れ出来る状況ではありません。ご了承ください。
みなさまのご支援・ご協力の程よろしくお願いいたします。」

先の台風12号で大きな被害を受けた、奈良県十津川村の観光協会のホームページのトップには現在このような文章が掲載されている。奈良県南部の多くを占め、日本一面積の大きな村である十津川。世界遺産の熊野古道もある自然豊かな村である。

Dscn698526日のニュースで「谷瀬の吊橋」のことが報じられていた。長さ297メートル、高さ54メートル。日本有数の長さを誇る吊り橋であるが、この台風でも被害に遭うことはなく、ちゃんと渡ることはできるそうだ。

ただ、そこに観光客が訪れることは現在できない。吊り橋にたどり着く国道168号線の一部区間が例の土砂ダムの警戒区域に入っているためである。

明治の大水害のこともあり(その大水害で多くの村人が犠牲になり、そのために新天地を求めて北海道に渡った人たちが開拓地に選んだのが現在の新十津川)、この地域は常に豪雨と向き合ってきたと思う。生活を便利にするためにコンクリートの橋をかけ、往来の便利を図ろうという取り組みも行われてきた。ただそれをあざ笑うかのような今回の台風。

Dscn2173現在はこのような状況でもあるためにもちろん観光などできることではないし、ボランティアも受け入れ体制のこともあって地元県内の人に限っているとか。土砂ダムの今後の動向も含めれば致し方ないのだろうが、またいつか、十津川を訪れて自分の目で何かを感じてみたいものである。現在、関西ローカルのニュース以外では奈良・和歌山地域のこの被害を取り上げなくなったように見えるが、こちらの被害からの復興もまだまだ時間がかかりそうである。

一方、JR西日本の串本から紀伊勝浦まで開通し、鉄道も少しずつ復旧してきている。しばし時間がかかるだろうが、世界遺産も抱えた豊かな紀伊半島の自然、また楽しめる日が一日も早く来ることを願いたいと思う・・・・。

コメント

『旅と鉄道』が復刊

2011年09月25日 | ブログ

とある方からの情報で知ったのだが、かつて鉄道ジャーナル社から発行されていた『旅と鉄道』が復刊し、その第1号がこのたび発売となったというので書店で購入した。

『旅と鉄道』。私の場合は確か90年代から2000年代半ばまで購読していた。やはりJRの全線乗りつぶしに憧れてあちこちを回っていたこともあるが、単に鉄道のことだけではなく、途中下車の楽しみや、何かテーマにこだわった鉄道の旅ということで、私としても「単にその路線に乗る」だけではなく、プラスアルファの楽しみができるようになったきっかけとなった雑誌といってもいい。当時の種村直樹とか、金久保茂樹、松本典久の各氏あたりの紀行文は結構楽しく読んでいた。

ただ、それがいつしか購読しなくなっていた。テコ入れのためか季刊から月刊化していた時期もあったようだが、別に旅や鉄道への思いが薄くなったわけではないのに遠ざかるようになった。そしていつの間にか休刊。

51vblndqjul__sl500_aa300__3その理由を考えてみると(考える、というほど大げさなものでもないが)、やはり内容にマンネリしていたものを感じるようになったのだろう。季刊といっても季節ごとに取り上げるものはほとんど定番化していたし(夏の号は必ずといっていいほど北海道、とか)、そろそろ息切れしてきたのかなと。そしてもう一つ、私としてはネットの影響がある。いろいろな人の紀行文をブログやホームページで目にすることが増え、その人なりの多様な観点とかドタバタ劇などを手軽に読めるようになったのも大きい。メディアでは取り上げられることのないスポットも、その作者が面白く紹介してくれているのを見てプランニングの参考にしたこともあった。逆に「プロの作家でカネをもらっているのに、この程度の文章か」と、出版物に対して疑問を持つようにも。

とはいってみるものの、やはり「タビテツ」の復活は何か鉄道旅行の原点回帰のようで、これは読んでみたい。まだ購入したばかりで読むのはこれからであるが、特集は東日本大震災で大きな被害を受けた東北のこと、そして宮脇俊三、種村直樹、竹島紀元の、鉄道旅行趣味における「功績」を紹介するとか。

昨今の鉄道ブームとやらで、この手の雑誌がちょくちょく出版されている。ただそれらも10号も出ればいつの間にか消えている。何だろう、上にも書いたように最近では個人の旅行記も充実し、ネットで多くの情報を目にすることができるようになったこともあり、内容が薄っぺらく見えるのかな。「タビテツ」も、1号は作り手の意気込みが感じられる内容に思えるが、いかにこれを持続するか。鉄道雑誌の老舗とも言える雑誌なのだから、「やっぱ一味違うな」というものを見せてほしいものである・・・・。

コメント

琴奨菊が大関昇進を確定

2011年09月24日 | ブログ

客足の伸び悩みも心配されていた大相撲秋場所、日馬富士の綱取りは早々になくなったが、大関昇進を目指す琴奨菊が見事期待に応えて、横綱白鵬も破って14日まで12勝。これで「三役の3場所で33勝」という大関昇進の目安に到達し、場所後の昇進が確定となった。

がぶり寄りのスタイル。実力は間違いなくあったわけだが、果たして人気としてはどうだっただろうか。同じ佐渡ヶ嶽部屋の大関・琴欧州、そして解雇された琴光喜の陰に隠れた感じでどちらかと言えば地味な存在だったかもしれない。ちょうど番付の上のほうが淋しくなってきたところだけに、ここで一気にチャンスをつかんだというところである。

福岡出身ということで、新大関として迎える来場所は九州場所。魁皇が引退(そういえば筑豊線を走る特急「かいおう」はまだその名前で走るのだろうか)して日本人大関の空白ができたが、わずかな間で埋めることに、それも同じ福岡出身の力士が昇進するということで、今度の九州場所は間違いなく盛り上がるだろう。さすがに特急「ことしょうぎく」が、琴奨菊の故郷・柳川を通る西鉄特急に走ることはないだろうが・・・。

そうなると、今場所同じ関脇で盛り上げた稀勢の里も続いてほしいところだ。今場所万が一逆転優勝、または決定戦ということになれば「ダブル昇進」もあるかもしれないというが、まあそれはさておき、今度は琴奨菊を追いかける稀勢の里にも期待できる。いずれも馬力のある力士、やはり力相撲というものを見せて大いに土俵を沸かせてほしいものである。昇進後に力を使い果たしたかのように大関に安住せず、上を目指してほしいのだが。

さて、千秋楽はどうなりますか・・・。

コメント

中日・落合監督が今季限りで退団

2011年09月22日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

今日は私の勤務先企業にて、10月1日付人事の内示。毎年10月が定期昇格ということもあり、それと同時に異動も多い時期である。私自身はまあ無風というか、何もないというところであるが、支店の中では昇格人事もあり、また私の社内の知人からも「うれしいような厳しいような人事」を受けたとかで電話がかかってきたりと、何かとそわそわしていた感じである。

さて、そんな「人事」に絡むわけではないが、夕方にニュースをチェックしていたらびっくりした。

中日・落合監督が今季限りで退団するという。

2004年、ちょうどこの年は球界再編騒動が起こったことでペナントレースの行方はすっかり霞んでいた印象だが、監督就任1年目にして優勝。その年の日本一は同じ1年生監督の西武・伊東監督のものになったが、それ以後も2度の優勝、そして1度の日本一(この年は2位からクライマックスシリーズを勝ち上がってのこと)を含め、一度もBクラスを経験していない。

「名選手、名監督にあらず」というプロ野球の言葉があるが、落合監督はコーチの経験もない中でいきなり監督就任、「オレ竜」采配で中日を常勝チームにした手腕はすごいと思う。1年や2年なら「まぐれ」「前の監督の遺産」などと言われるのだろうが、落合監督就任前からレギュラーを張っている選手はどのくらいいるだろうか。上手い具合に世代交代をやったのではないだろうか。

ただ、ネット記事を読むに、「勝利至上主義」をあまりよろしく思っていない人たちもいるようだ。またファン感謝デーに顔を出さない、WBCに選手を出さないというのも、ペナントレース重視、グラウンドでの結果重視という落合監督の考えであるが、ファンサービスが大事ではないのかという向きもあるのも確か。結局はそのところのせめぎ合いがあってのことだろうか。

シーズンのこの時期に発表というのも「名古屋の人というのはそういう発想なのかな、名古屋ビジネスはそうなのかな」と思えば納得しないではないが。

まあ、球団の考えについて私がとやかく言うことではないが、その後任が高木守道氏というのはどうだろうか。てっきり、興行重視ということなら立浪和義氏がいきなり監督なんだろうなと思ったのだが、何だか時代が逆戻りしたというか、中日ファンでも「なぜ高木さん?」と思うことだろう。ワンポイントなのかな。

今季は日本ハムの梨田監督も早々に退団を発表、また一方で原、真弓、星野、野村、小川といったところが早々に続投を発表するなど、「来年の監督人事」の動きが早かった。これは何でだろうか。人事というのも突然発表されても戸惑いやハレーションが大きいものであるが、あまり早くに発表しすぎるのもどうかなと思う。シーズンの終了を待って発表・・・これでいいのではないかと思うが、どうだろうか。

セ・リーグの優勝争いも中日の健闘で、ヤクルトの優勝マジックもまだまだ出る気配なし。中日ナインがこれに奮起してペナントレースにもうひと波乱起こすのか、普段はさほど興味を持っていないリーグながら、行方を見守りたいと思うのである・・・・。

コメント

台風の中での採用選考試験

2011年09月21日 | ブログ

この間は南の海をぐるりと回る動きすら見せていた台風15号。今週に入り、急にその勢いを増してきた。まあ、このブログの前の記事にある野球の雨天中止もその前触れだったのかもしれないが・・・。

そんな中、ちょうど私の勤務先支店での来春高校卒業予定者に対する採用選考試験が行われた。私のところでは「大阪勤務」「神戸勤務」という、それぞれに配属するという前提での採用枠があり、これまでは同じ日で大阪でそれぞれの受験者(つまりは大阪、兵庫の高校生たち)を選考していた。それを今回は「20日神戸」「21日大阪」と、オリックス・バファローズの3連戦のような形で会場を移しての選考を行った。むしろ兵庫の受験生に配慮した形で、こちらから神戸まで出向いてのことである。

ただ、ちょうど20日あたりから関西も台風15号の影響を受けての大雨である。まあ、先日の台風12号でできた土砂ダムが決壊するのではとか、名古屋で100万人に避難勧告、または避難指示が出たとかに比べれば「大雨だけ」というのはさほどのものではない、と思われるかもしれない。それでも時折バケツをひっくり返したような、事務所の屋根も強くたたく雨音もしたものである。高校生も大変なことだっただろう。

そして21日である。前日の神戸と比べても、大阪は朝から豪雨。高校生たちも駅からタクシーでやってくる者、アクセスとなるバスが交通渋滞で遅くなり危うく遅刻になりそうな者、それぞれが苦労して、それでも自分の一生を決める一日のためにやってきた。

それぞれの会場での面接、まだ「第一次」の選考ではあるが、受験者によっては「学内選抜」を勝ち抜いて受験を勝ち取った人もいる(関西ではまずは「一人一社、一校一人」の受験の原則があり、「その高校から1名のエントリーを受け付けます」と企業が言えば、「その1名」に入るために、志望がだぶった場合などに校内で選考を行うという)。そういう受験者も、他の受験者と比べてみて果たしてどうかというのがある。

面接したら結構しっかりしたことを言う。もし私がいま高校生の立場で面接に臨んだら、そこまでしっかりしたことを、それも自分の言葉で面接者側にアピールできるか。年齢を感じるし、会社にいて「あの頃の懸命な自分はどこへ行ったんや?」と振り返るところでもある。ただ中には履歴書に書いたことを棒読みのような形で話す受験者もいる。それは「マニュアル世代」という感じがしてがっかりであるが・・・。

「まだ17~18歳の若者の一生をそんな一日で決めてしまっていいのか」という思いは毎度毎度あるのだが、それは仕方ない面もあるだろう。何もこちらはペーパーテストの結果で機械的に合否を決めるとかいうのではなく、トップ自らも面接に加わってさまざまな角度から質問を投げかけて適性を見極めているのだが・・・・。

ともかく、台風の中での採用選考は終了。あとは適性検査の結果が出てからのことになるが(この台風の影響で、答案用紙が東京の業者に着くのも遅れるというが)、一応選考側では「神戸はこの人」「大阪はこの人」という大枠は決まった。適性検査がよほどひどい結果でない限りはこれで決まることになる。ただ、残念ながら不合格となった人には、別の企業の受験機会を早く与えなければならないから、一日でも早く結果を通知してあげないとと思う(合格した人は、あとはこちらのものだから多少ゆっくりでもいいかと)。もちろん、その受験者を推薦していただいた先生にお会いして、「この人はこういう点ではよかった。ただこの部分が相対的に落ちたために残念ながらウチとしては不合格」ということをお話しする。そうすることで次への対策になってくれればと思うし、来年度以降も受験者を推薦してほしいということから。

円高不況、震災の影響もあり高校生の就職内定率も低い水準とか。何とか、自分の進みたい道というものに向かって頑張ってほしいし、早く決まってほしいなと思う。

コメント

今季初の神戸観戦は雨天ノーゲーム・・・対ソフトバンク

2011年09月19日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

19日の兵庫県南部の降水確率、夕方から夜にかけて60%。・・・さて、どうしようか。

今季初めて、そしておそらく最後になるであろう神戸でのオリックス・バファローズ観戦。相手は優勝へのマジックも点灯しているソフトバンクだし、迷うところである。

Dscn0826昼間は残暑厳しく、夏の日差しが照りつける大阪。うん、やはりここは出かけることにしよう。相手が天気なればどうしようもないが、仮に試合が行われたとしてそれに行かなかったほうが悔いが残りそうである。電車と地下鉄を乗り継いでやってきたほっともっとフィールド神戸。どんよりとした雲は広がっていたが、遠くのほうには青空も見える。何とかうまい具合に天気も持ってくれるのでは・・・?と、わずかながら希望がでてきた。

Dscn0825球場には大勢の客も詰めかけているし(今年は水色のホークスユニフォーム姿の人が目立つ)、ステージでは公式チアのB's Dreamsもダンスを披露している。空も少し明るくなって、ファンとしてはヤル気満々というところだろう。

Dscn0835ただ雨が降ってくることを見据えて、最初から2階自由席の屋根の下に陣取るか、あるいはせっかく来たのだから指定席をおごって選手を間近で見るか。少し考えた後、ライブ指定席をセレクト。何と最前列を割り当てられる。

Dscn0844Dscn0852Dscn0857 こうなれば、試合前練習に取り組む選手たちの表情も間近に見ることができる。ここまで4連勝、貯金もできてCS圏内を確保。選手たちの表情にも明るさがあるようだ。

Dscn0884「強風の影響で花火が中止になるかもしれません」とのアナウンスはあったが、試合開始時点では雨もなく、カクテル光線が緑鮮やかな芝生を照らす。そういえば夜の試合の観戦も今季初めてであるが、この球場はこれだけの設備を持っているのだ。ほっともっと、もといもっともっと試合をやってもいいのではないかと思う。

Dscn0896さて試合、オリックスはエース金子、ソフトバンクは大場が先発。天気のこともあるので両チームとも早いところで点を取りたいところである。まずは金子がソフトバンクの川﨑、本多、内川を3人で退ける上々の立ち上がり。

Dscn0904そしてその裏のオリックスの攻撃。まずは坂口が大場から四球を選び出塁。そして続く大引は早くも送りバントの構え。

Dscn0906そこへ、である。大場の速球が大引のヘルメットを直撃。真横から見ると、顔面に当たったのではないかとヒヤリとした。その場にうずくまる大引。

Dscn0907主審がすぐさま大場に向けて三塁ベンチを指さす。危険球で退場ということだ。後でネットで試合状況を確認したところ、この大場、以前にも大引に死球を与えて危険球退場になったことがあるとか。まあ別に故意でも遺恨でもなく偶然なんだろうが、これで場内が騒然としたことは言うまでもない。「何だか今日は荒れるな」という予感がした。

Dscn0910大引は一度ベンチに下がったものの大事には至らなかったようでそのまま出てきた。慌てたのはソフトバンク。

Dscn0912ブルペンでは急いで藤岡あたりが肩を作っていたが、2番手としてベンチから出てきたのは吉川。ごつい体格の投手で、最初は捕手を立たせて何球か投げ、そして座らせた。おそらく「すぐに行ける」ということで出てきたのだろう。

Dscn0919続く後藤は内野ゴロに倒れたが坂口が三塁まで進む。ここで打撃復調のT-岡田。ライトスタンドからも「浪速の轟砲」への大きな声援が飛ぶ。

Dscn0922T-岡田はフルカウントまで持ち込み、レフトへ上手く流し打ち。これで1点を先制する。ファンとしては豪快な一発が見たかったところだが、今はこれでいい。とにかく打点をあげてチームを盛り立てて。

この後バルディリスも吉川への内野安打で続き、イ・スンヨプはセンターに打ち上げる。犠牲フライには十分かなという当たりだったが、センターの長谷川が捕球ミス(記録はヒット)。これで初回に2点が入り、オリックスとしては申し分ない展開となった。

2回。とうとう雨がぱらついてきた。まあ、これを予期して一応はレインコート(100円ショップで売っている薄っぺらいやつです)に折り畳み傘は持ってきており、とりあえずコートを羽織って傘で足元をガードする。上段席を見ると屋根のあるところはびっしり満員で、さらにそこへ退避しようとする人で混雑してきている。

Dscn0927だからということではないのだろうが、ソフトバンクも金子を捕え、カブレラがライト線への二塁打、続く松田もヒットで1・3塁とする。何だか松中、小久保がいないと「ホークスらしくないな」と思ったりするが、内川、カブレラ、松田でクリーンアップができて、その中でも特に生え抜きの松田が一人前になってきているのもこのチームの強いところである。

続く長谷川の併殺の間にカブレラが戻って2対1とソフトバンクが追い上げを見せる。続く福田にもヒットが出るが、その後は盗塁失敗。金子が何とかしのぐ。

Dscn09293回。雨はやむどころか少しずつ強くなってきた。思わず最前列の席を放棄して、とにかく屋根のあるところに退避する。すでに多くの人がここで立ち見をしている。まあ、ここからでもグラウンド全体は見えるし、最後まで立ち見でもいいかな。

Dscn0932その3回もランナーを出しながら金子が何とか無得点に抑える。

Dscn0934と、ここで係員がシートを持ってグラウンドに出てくる。一時中断である。その間、雨足がだんだんと強くなり、スタンドの観客も「やってられん」という感じでぞろぞろと通路を引き上げる。それでもレインコートや傘でじっと自席に座っている人も結構おり、「絶対やむ」と信じているんだろうなとその姿にも感心するが、「雨雲がもろにこっち来とるで。絶対やまんわ」と、スマートフォンで天気を確認していた人が仲間に声をかける場面も。

Dscn0942しばらくは観客とのじゃんけんゲームなどで中断時間の場をつなげようとしていたが雨はやむ気配なく、さすがの内野の土の部分も水が浮いてきた。これはもうだめだろうな。

Dscn0947案の定、19時17分、主審が出てきてノーゲームを宣告。その後、ソフトバンクの福田が三塁ベンチから出てきてレフトスタンドへ。外野の芝の上でスライディングの後、レフトスタンドのファンに一礼。雨の中ずっと残っていたホークスファンから大きな声援を受ける。

Dscn0949 こうなると出てくるのが、ダイヤモンドを一周して水しぶきを上げながらホームベースに滑り込む選手。オリックスからまず出てきたのが、何とキャッチャーの横山。決して快走とは言えず途中でずっこけそうになりながらホームへ。

Dscn0951続いて出てきたのが新人の深江。こちらは俊足が売り物ということでベースランニングもまだサマになっており、ホームへ見事にヘッドスライディング。まあ、こういうシーンは最近ではめったに見ることができないとあって、ファンも大喜びである。

Dscn0946結局ノーゲームということでチケット代金も払い戻しを受け、そのまま三宮に向けて地下鉄に乗車した。

うーん、天気予報が当たったということであるが、試合開始時点では雨も降っていなかったのだから、そりゃプレーボールはかかる。よく考えればこの試合で金子が出たのはもったいなかったかなと思う。3回まで投げたということもあり、いきなり翌日、翌々日の再度の先発というのはないだろう。エースで取りにいった試合をモノにできなかった(負けたわけではないが)のはもったいない気がする。一方のソフトバンク、先発大場の危険球退場ということはあったが、結局その後に引きずるものはなかった(ノーゲームになったとしても、大場の退場は記録として残るそうであるが)。またこの日、2位の日本ハムが敗れたことでマジックも1つ減った。優勝を狙う、優勝に近いチームというのはこういう形で天候も味方にするのかとも思った。このノーゲーム、オリックスには痛く、ソフトバンクには「また明日」というところではないだろうか。

かくして今季の神戸観戦は終了ということになった。まあ球場の雰囲気を味わえたり、身近に選手を見ることができただけでもよしということにするか・・・・。

コメント

ミニスイングで上達なるか?

2011年09月18日 | ブログ

先週の日曜日はゴルフのラウンドということで兵庫県まで遠征したのだが、名コースということで大いに苦戦。このところで最も出来の悪いスコアということになった。

コースに出るにつれ、少しずつスコアが良くなるどころか、だんだん悪くなっているような気がする・・・。

これではいけないということで本日は練習場に現れる。いつもならばPWに始まって番手を上げていき、ドライバーもフルスイングで行うのだが、どうもしっくり来ていなかった。

そこで、ネットなどでさまざまな練習方法を模索していたのだが、とあるサイトで見つけたのが「ミニスイング」の実践。シャフトを地面と平行くらい、あるいはグリップを肩の高さくらいまでにしておき、そこからゆっくり振る。半ば手打ちのような感覚だが、遠くへ飛ばそうとせずまずはきちんとクラブの真ん中に当てること。

ドライバーでもスタンスをせばめ、ほとんど手の回転だけで当てるようにこれをやってみた。軽くちょこんと当てる感じでも低い打球で100ヤードは飛ぶ。要は真っ直ぐに打球が出ているか、ヘッドアップせずにボールを最後まで見ること。

考えてみれば、いきなり「遠くへ飛ばそう」ということで力みが入り、体の動きがバラバラになっていたということである。もう一度基本にかえって、上半身、そして下半身と少しずつ固めなおすことにしよう。そのためには「ミニスイング」がいいということなのだが・・・・。

11月に会社での定例のコンペがあるので、それまでにどこまで固められるか。できる限りのことをやってみよう。

コメント

伝説の猛牛軍団・近鉄バファローズクリニカル

2011年09月17日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

今年のオリックス・バファローズでは「阪急ブレーブス」そして「近鉄バファローズ」の復刻ユニフォーム着用での試合が行われた。阪急復刻試合ではそれに合わせるようにベースボール・マガジン社から「阪急ブレーブス 黄金の歴史」という、かつてのパ・リーグの覇者としての輝かしい歴史、多数のOBたちへの回顧インタビューで読み応えのある一冊が出版され、復刻試合の時に買い求めたものである。

一方で8月の近鉄復刻試合。同じような出版物が出るのかと思いきやそういうものはなく、「やはり近鉄では本がつくりにくいのかな??」と思っていた。

そんな中で書店で見かけたこの一冊。スコラマガジン社によるムック本ということで、ベースボール・マガジン社と比べれば野球本としてのブランド力は落ちるのだが、やはりその表紙を見た時には「まなじり、口元 武者震い」したものだ。

61o3emxk0ul_3「伝説の猛牛軍団 近鉄バファローズ クロニカル」(スコラムック)

表紙をめくるといきなりの「いてまえ!!」である。ちょうど10年前、近鉄最後の優勝となった2001年のシーズンの大一番である近鉄対西武。ローズの55号が飛び出し、それでも力投を続けていた松坂から中村紀洋がサヨナラ逆転2ランを放ったシーン。ちょうどこの試合、私もライトスタンド上段で観戦しており、サヨナラの後はうれしさ余ってその場にへたり込んでしまったのを憶えている。この年は北川の代打逆転サヨナラ満塁本塁打で優勝を決めるのだが、ナマで見た分、この試合のほうが今でもインパクトに残っている。

他にもブライアントの4連発という奇跡の逆転があったかと思えば、江夏の21球、昭和最後の名勝負である川崎球場での「10・19」、日本シリーズでの3連勝4連敗・・・・普通名場面といえば日本シリーズでの優勝とか、圧倒的な強さの際立ったシーズンとか、そういうものが思い出されるものであるが、「引き分け」とか「敗戦」というのが球史に残る、あるいはファンの印象に強く残るという球団もそうあるものではないだろう。

古いところでは鈴木啓示、土井正博、栗橋茂、太田幸司といったところの回顧録もあり、それらを読むにつれて懐かしさ、あるいは私が生まれる前の話もあり、今年の復刻試合とも合わせて昔に思いを馳せることもできる。まあ、長年のファン、我こそはというファンにとってみれば「言わずもがな」の内容かもしれないが、この時期に「近鉄」がらみの一冊が出ること自体、新鮮な気持ちで手にすることができるというものである。

まあ、古いといっても、あまり古すぎればそれこそ弱すぎて書くネタがない・・・のも正直な話だろうが(例えば、近鉄パールズとか別当監督の頃の話はほとんどなく)。

Dscn7401私としては、地元民として「藤井寺球場物語」のコーナーがもっとも読み応えがあったかな。現在は四天王寺学園となっている藤井寺球場。その現在の様子を地元の人たちの声も交えて取材したものであるが、「昭和のおおらかさ」がある一方で、プロ野球チームの本拠地としてはどこか不遇な、哀愁ただよう雰囲気があったのも確かである。それも「近鉄」というチームカラーを象徴しているような。現在は往年の選手のプレー写真や映像でしか振り返ることはできないが、古市古墳群という世界遺産を目指す「文化遺産」の一方で、「こういう球場があった」ということも、地元の文化遺産として語り継いでいきたいものである・・・・。

この一冊で、昭和から平成にかけてのしばしのタイムトリップもいいかもしれないな・・・。

コメント (2)

日本ハム・梨田監督が退任表明

2011年09月15日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

熾烈な3位争いのパ・リーグ。直接対決の3戦目となったオリックス・バファローズ対楽天の試合は、赤田のサヨナラ打で2勝1敗とし、再び3位に浮上。もうしばらく、この2チームの争いが続くことで、10月まで予断を許さないことであろう。

そんな中、リーグ2位につけている日本ハムの梨田監督が今季限りでの退任を表明した。少し前に一部報道には上がっていたことであるが、本人の口からの表明である。

Dscn0067何もこの時期に発表しなくてもな、と思う。仮に本人が「優勝しても、日本一になっても今季限り」と思ってペナント当初から臨んでいたとしても、すべて結果が出てからでも遅くはないと思う。

しかし一方で、「監督の花道を飾ろう」という、ナインの奮起を期待するということもあるだろう。首位ソフトバンクとはこれ以上差を広げられたくないギリギリのところで、優勝のためのカードを切ったとも取れる。

梨田監督を慕う選手も、必ずしもそうでない選手もいることだろう(過去に、「あの監督が辞める」というニュースを聞いたとたんに打撃開眼した選手のエピソードを聞いたことがある)。

スポーツの世界での「辞任劇」も難しいものである。ともあれ、監督退任のニュースを受けたとしても日本ハムの選手には気持ちを切らすことのないよう、最後までペナントレースを盛り立ててほしい。

それにしても、近鉄監督時代では「いてまえ打線」を前面に出し、ローズ、中村、磯部のクリーンアップを軸とした強力打線で奇跡の優勝を成し遂げ、近鉄バファローズの有終の美を飾り、一方で日本ハム監督としては投手力、機動力、小技を絡めた野球を展開、その一方で小谷野、糸井、中田といった打者も定着させた。これだけ違ったカラーのチームを作れる手腕というのは見事で、西本イズム、仰木イズムを継承した立派な監督といえる。

記者会見では「しばらく休んで」と語っていたとのことであるが、そう遠くない時期に次の監督のオファーがあることだろう。・・・できればその時は、一度は固辞された「Bs」のユニフォーム姿を見てみたいのだが、それは一ファンの一方的な思い入れかな・・・・?

コメント

『無理難題「プロデュース」します』~小谷正一伝説

2011年09月14日 | ブログ

「プロデュース」とは表に出るべきか、あるいは黒子に徹するべきか。これまでさまざまな議論の起こることだっただろう。

芸能界の情報には疎いのだが、昨今テレビのワイドショーを賑わすのは秋元康氏プロデュースのAKB48をはじめとしたあの手のアイドルたち、または誰が仕掛けているのかよくわからないが韓国から続々と来日するK-POPのグループなど。これが少し前ならつんく♂プロデュースのモーニング娘。などとか、小室ファミリーと呼ばれた人たちが該当するのかな。もっといえばジャニーズ事務所とか。こういう風に、本人よりもプロデュースする人の名前が前面に出てくるのは果たしていいことなのだろうか。

・・・ということを論じるのがこのブログの目的ではない。前の記事で「毎日オリオンズ」のことを書き、最後に「そのオリオンズの設立、ひいてはパ・リーグの設立に関わった人物のことについて書いた一冊がある」とした。今回はその人物の波乱万丈の半生を描いたノンフィクションについて紹介してみよう。

51vn8rz5el__sl500_aa300__2 『無理難題「プロデュース」します 小谷正一伝説』(早瀬圭一著、岩波書店)

この小谷正一という人物、毎日新聞社に籍を置き、「事業部」という「新聞を宣伝するための部署」に身を置く中で、次々に新しいことを行っていった。時代としては戦後の混乱と復興の時期、新しいことが受け入れられやすい頃だっただろう。

中でも、小谷の活躍ぶりが際立っていたのが次の出来事だろう。

・西宮球場での闘牛大会・・・宇和島で行われていた闘牛を関西でも、ということで行った。戦後、鉄道の輸送力がまだ十分ではなかった時期に22頭の牛を貨物列車から宇高連絡船を経由させて移送。その移送代や牛の餌代、勢子の手間賃などの資金繰り、そして西宮球場の使用許可、これらに奔走。これを主催した当時の毎日新聞系列の夕刊紙「新大阪」でも大々的な宣伝を打った。ただ、当時として話題になり闘牛は成功裏に終わる・・・・と思いきや、雨にたたられたこともあり客足が思うように伸びず、事業としては「新大阪」の資本金を上回る額の損失に終わったという。

事業としては失敗であったが、小谷と同じく毎日新聞社に籍を置き親しかった井上靖がそのエピソードを聞き、自らの「情熱と孤独」の感情と合わせて書いた作品が『闘牛』である。この『闘牛』は芥川賞を受賞し、井上靖が作家として有名になるきっかけともなった。後年、小谷は「『闘牛』のモデル」として紹介されることにも。

Dscn2407・パ・リーグの創設・・・私がもっとも興味を持ったのがこのエピソード。当時の讀賣新聞の正力松太郎からプロ野球への参入話を持ちかけられた毎日新聞は、小谷にそのプロデュースを任せる。既存の球団、新規参入を狙う企業、讀賣内部の派閥争いなどさまざまな権謀術数がうごめく中、結局小谷が「好き勝手にひっかきまわした」かのような形でのオリオンズ参入となった。阪神から若林監督、別当、土井垣といった主力を引き抜き、湯浅総監督の下でリーグ初年度を制覇、日本一となったが球団人気が続かなかったのはプロ野球史のとおり。あまり毎日側からの視点で書かれたものがなかったということもあり、記録として、また小説的な観点で読むことができた。

・日本初の民間ラジオ放送・・・毎日オリオンズの1年目のシーズンを終えると、小谷は次は放送のほうに出向となる。これからの報道は新聞だけではなく、ラジオという媒体を使った速報性も求められるということで、これまでNHKの独占であったラジオ放送が民間にも開放されるのを機に毎日新聞として参入し、「新日本放送」を設立。これが現在のMBS毎日放送である。

・・・と書いてみたが、本文中では、いずれも「何もない」ところから「これをやれ!」という「無理難題」を目の前に突き付けられながらもそれを情熱とアイデア、バイタリティーで次々と立ち上げていった姿が生き生きと描かれている。その後、小谷は毎日新聞を退社し、電通に籍を置いたり、自らプロダクションを設立したりもしたのだが、やはり「大事業」として挙げられるのは毎日新聞時代のことである。

やはり、柔軟性と開き直りが必要なのかな、と思う。私も会社で「何か自分のカラーを出す、新しいこと、みんなが喜ぶようなことを考えろ」とよく言われるのだが、それが簡単なようでなかなか難しい。結局はありきたりのことで終わってしまっていることが多いように思う。「そら無理やろ」と自分を正当化してしまうことも。そんな時に手にした一冊である。小谷正一の伝記でもあるが、当時の戦後復興から高度成長に向かう時代背景を描いたビジネス書としても楽しめた。こういう沈滞した時期にあって、何かを打破するためのヒントになるかな、とも思うのである・・・。

コメント

「毎日オリオンズ」の野球遺産?

2011年09月13日 | まち歩き

先日のニュースで「ロッテ、通算4000勝」というのが出ていた。日本のプロ野球にあって8球団目ということで、前身球団を含めた4000勝以上の球団を見てみると、巨人、阪神、中日、ソフトバンク(南海・ダイエー含む)、西武(西鉄、太平洋、クラウン含む)、日本ハム(東映、日拓含む)、オリックス(阪急含む)に続いてということになる。まあ、この中で1950年の「セパ分立」の時期に新生球団として登場したのは西武とロッテということで、まずまず健闘しているのではないかと思う。

現在の千葉ロッテマリーンズ。この球団の歴史をさかのぼると、ロッテオリオンズ⇒東京オリオンズ⇒大毎オリオンズときて、初代の「毎日オリオンズ」ということになる。この「毎日」のプロ野球参入が、一連の「セパ分立」のきっかけというか火種になったと言える。

オリオンズは阪神からの大量の選手移籍などで強力な戦力を持ち、パ・リーグの初代優勝チーム、そして日本一となったにもかかわらず人気はさほどでもなかったとか、リーグの盟主になれそうでなれなかったとか、どうしてもマイナーなイメージがあるようだ。

2011090813550000_3こちら、大阪・西梅田の毎日新聞ビル。この1階にあるのが「茶房 オリオンズ」。前から気にはなっていたのだが、先日仕事の関係で近くを訪れることがあり、時間が空いていたこともあってようやく入ることができた。

店のロゴを見ると、あの「オリオンズ」の字体、そして球団旗。さりげなく「かつてウチもプロ野球チームを持っていたんですよ」とアピールしているかのようである。でもまあ、例えば接客をしてくれる従業員に店名の由来を聞いてもわからないかも。

注文票を見ると「社用・私用」を選ぶところがある。毎日新聞の1階ということもあり、ひょっとしたら新聞関係者の打ち合わせや商用で使うことがあるのだろう。経費で落とせるとか。

2011090813550001西梅田からさらに西よりということだし、日曜は休みということで休日の一時をここで過ごす、というのは難しいが、喫茶店としての雰囲気はまずまずで、また時間つぶしを兼ねて、往年の球団の「遺産」に触れてみるのも悪くないだろう。

2011090813580000今回この「オリオンズ」について書いてみたのは、毎日球団について書かれた一冊の本を読んでのことである。そのことについては、また稿を改めて書くことに・・・・。

コメント

そういえば明日から・・・・

2011年09月10日 | ブログ

このところいろんな出来事が起こりほとんど話題にならなくなった感のある大相撲。そういえば、ということで、明日11日から秋場所が始まる。

もっと盛り上がってもいいと思うのである。先場所見事に優勝を飾った日馬富士が2場所連続優勝で横綱昇進を勝ち取るか、先場所はだめだったがまだ大関昇進の可能性を残す琴奨菊、そして今場所大関取りの場所を迎えた鶴竜といったところが話題になる。稀勢の里も全勝もしくは内容のある14勝1敗で大関昇進という可能性もなきにしあらず。

本来なら横綱・大関当時誕生ということで盛り上がってもいいはずである。それが話題にならないのは、「日本人の人気力士」がいないからだろう。琴奨菊にしろ稀勢の里にしろ、実力者であることには違いない。ただ、そうかといって広く世間の人が知っているかときかれればそうでもないだろう。それだけ魁皇の存在感が大きかったということか。

まだ八百長問題、もっといえばその前の暴行事件、麻薬問題、野球賭博・・・これらの問題が完全に解決されたわけではない。元のようなファンの信頼を取り戻すにはまだまだ時間のかかることであるが、久しぶりに出てきた明るい話題であり、もっと盛り上がってもいいのではないかと思うがどうだろうか。せめて本場所期間中は、これらの力士がどのような熱戦を繰り広げるのか注目してみたいところである・・・。

コメント

カキオコ?夏期オコ?ミシュラン??

2011年09月09日 | 旅行記F・中国

本日9日は仕事の関係でクルマで神戸に向かった後、そのまま阪神高速~名阪国道で三重県は亀山へ。明日の業務に備えての前泊で、亀山インター近くのホテルに投宿。部屋も快適だし、最上階からの展望風呂もよろしい。次に亀山に来ることがあったとしたらまたここに泊まろうかと思う。今回はそんなホテルの一室からの書き込み。

Dscn0792前回、赤穂線の旅で播州赤穂を訪問。そのまま岡山行に乗車する。かつて瀬戸大橋を快速「マリンライナー」として走っていた213系で、2両のローカルワンマン編成となっている。何だかもったいないような気がしないでもないが、居住性としては悪くない。

Dscn0794ただ今回は20分足らずの乗車で、日生に到着。ここで下車する。古代体験のできる鹿久居島を目の前にし、小豆島へのフェリーも出ている小さな港である。実はこの駅で下車するのは初めて。駅舎のすぐ前に漁船がもやっていたりする。

Dscn0797日生といえば最近ではカキの産地として、特に京阪神あたりでは広島をしのぐではないかというくらい有名になっている。広島のものと比べても身が大きいようで、シーズンになると旅の番組などで大ぶりのカキを次々に焼いて食べ放題に食べるシーンも見かける。こういうところを見ても「中国地方にあって、最近は広島と比べて岡山のほうが活気があるなあ」と思ってしまう次第。

そしてそのカキを使った地元B級グルメとして最近人気が出ているのが「カキオコ」。豚肉とかイカの代わりにカキを具材として使うのだが、その盛り付けが半端ではないとのこと。今回の旅の目的はこの「カキオコ」を食べることもあった。町内には20軒近くのお好み焼き屋があるという。

ただここでたいていの人は「カキって冬場のものでしょ?」と気づくことだろう。確かにそう。やはり冬の時期に来てこそ旬の味を楽しむことができる。ただお好み焼き屋の半数近くが「冷凍カキオコ」と、わざわざ「冷凍」と断ったうえで夏場にもメニューとして出している。冷凍ものと聞いてまた抵抗を示す人もいるだろうが、「冷凍したほうが栄養素がギュッと圧縮されてその分旨みを出す」という弁護の声もあるようで、まあそう堅いことを言わずに食べることにしよう。

駅横の観光案内所にカキオコのグルメマップが置いてある。その表紙に書かれていたのは「夏期オコ」という文字。その横には「夏はエビオコ!!」とうたっている。ちょうど夏はエビのシーズンということで、カキの代わりにエビでお好み焼きをつくるという。なるほど、これも理にかなった話だろう。

ということで、昼食としてヘビーになるが、せっかく来たのだから1軒でカキオコ、もう1軒でエビオコを食べることにしよう。マップを手にぶらぶらと歩く。特にどこのものが美味しいとかいう予備知識はないので目に付いた適当なところに行くことにする。道端に「B級グルメ カキオコ」の矢印つき看板があったのでそちらに向かい、住宅地の中にある「きたろう」という店へ。ご主人一人が切り回しているようだ。

Dscn0798ここでカキオコを注文。冷凍カキをレンジで解凍し、鉄板の上の小麦粉、キャベツの上に乗せる。そしてひっくり返し、カキに充分火が通った頃を見計らって玉子を割る。そしてその上にお好み焼きを乗せ、もう一度ひっくり返す。ちょうど関西風と広島風の両方の要素を備えた作り方。これにソースをたっぷりとかけて出てきた一皿。

カキも大ぶりな粒をそのまま残しており、キャベツや玉子との相性もよい。先に書いたように旨みもギュッと圧縮されているように感じられ、きちんとカキの味がする。カキ単独で食べてもいいし、ソースやらお好み焼きと絡めてもいける。これは悪いが広島の冬季限定「カキ入りそば玉」より上かな・・・。

Dscn0801まずは一軒「なるほど」という感じで楽しみ、もう一軒ということで、道路沿いの「安良田(あらた)」という店を見つける。入り口にはかかしのような招き人形もある。

ここではエビオコを注文。そして、壁に掲げられたメニューに「おっぱい焼き」なるものを見つける。おっぱいねえ・・・。思わず「これは何ですか?」と尋ねる。すると「カキとねぎを炒めたもの」という答え。おっぱい・・・カキが「海のミルク」と呼ばれるところから来るのか、あるいは食感舌触りから来るのかは別として、カキが別な形で食べられるならということで合わせて注文。こうなるとビールが欲しくなるが夕方のこともあるのでぐっとこらえる。

Dscn0799最初はテーブル席のほうに座っていたのだが、「どうぞ、鉄板のほうに座って召し上がってください」と招かれる。まずはおっぱい焼き。大粒のカキが適度に胡椒が効いた味付けでうまい。

Dscn0800そしてエビオコ。カキオコと比べてボリューム感はないものの、ぷりぷりしたエビの食感も捨てがたい。おやつ感覚で食べられるというのかな。「ソースはたくさんかけたほうがいいですよ」「マヨネーズも合うと思いますよ」と、店主のおばさんがいろいろ世話を焼いてくれる。

「18きっぷの方ですか?今はカキのシーズンじゃなくてすみませんねえ。10月くらいから美味しいのが出ますんでまた来てください」と親切な言葉に送り出される。後で調べたところではこの「安良田」は日生のお好み焼きでも老舗の部類とかで、シーズンともなれば行列ができる人気店だとか。うーん、冬場に行列覚悟で訪れるのもまたよいかな・・・。

この後、列車の時間まで港の界隈を歩く。海産物の販売などもある「五味の市」や、地元の水産業について紹介した民俗資料館もあるというが、残念ながら火曜日定休。まあ、これは仕方がない。それだけに余計に「冬場にまた日生に来るか」という楽しみができた。

Dscn0805その周りではカキの養殖に使うホタテの貝殻がワイヤーでくくられて保管されていたり、中身の出された後のカキ殻の残骸が山積みされていたり。遠くにはカキの養殖いかだが並ぶ。海も穏やかで、時間の経過がとてもゆっくりと感じられる。夏の一日の休息を楽しむにはもってこいである。

Dscn0809 あと、市内のあちこちに貼られていたこの党のポスターを見ると「岡山に来たなあ・・・」と実感する。ちなみに平山赳夫氏の選挙区であるこの岡山3区というのは北は津山方面、南は日生のある備前市と、美作、備前と、岡山県の東半分を占める結構広いところ。片山虎之助氏も岡山出身で選出。

Dscn0814またまた赤穂線の車中の人となり、岡山に到着。ちょうど夕刻の岡山に来た・・・・ならば、久しぶりにあの店に行こうか。地下道をくぐり、高島屋のところから地上に出て歩くこと2分、やってきたのは「鳥好駅前本店」。もう6~7回は来ているか、いつも満席で座るのがやっとという店。箱根駅伝の駒沢大学の大八木監督に似ている(と、個人的に勝手に思っているのだが)大将が威勢のいい声で店員に指示を出しているのだが、さすがに早い時間ということで楽勝で入ることができたし、店の人もまだ余裕のある接客であった。

Dscn0813いや、ここで何が名物かと聞かれれば、うーんと腕組みしてしまう。ただ、およそ居酒屋のメニューとして考えられるものはまず揃っている。そして値段は安い。特段「美味」として特筆するものはないが、家庭的な味。店も気取った感じがない。だから居心地はいい。このあたりが人気の秘訣だろうか。女性とのデートにはちょっと不向きかなと思うが、一方で一昔前なら「オヤジギャル」と呼ばれていそうな若い女性が常連風にシュッと入ってきてキープのいいちこのボトルを出させる光景にもでくわす。

Dscn0812そんなところでキリンビールに香川の金陵、それに夏の味覚の岩ガキを楽しむ。先ほど日生のカキオコを前にビールを我慢したのは、鳥好で飲むためといっていい。

岡山の地元の人々の憩いの場の一時を楽しみ、店を後にする。まだ外は明るい。店の写真を撮ろうとカメラを向けると、これまで気づかなかった看板が見えた。

Dscn0815「ミシュランに載った店」。ミシュランといっても、西原理恵子の「恨ミシュラン」やとんねるずの「キタナシュラン」ではなく、ほんまもんのミシュラン。何でも、「ここの焼き鳥が絶品だ」とか「刺身料理が最高だ」という、レストランとしての三つ星評価というわけではなく、昔ながらの居酒屋というのが日本らしいということでの評価という。世の中、何がどう見られているかわからない。

以前に訪れた時に西洋人のグループ客がテーブル貸し切って賑やかにやっていたのもそういうことがあったのだろう。まあこの店を訪れる岡山のお父さんたちの中には「ミシュラン?今度阪神に来たガイジン選手か?」という反応を示す人がいるかもしれないが、そのほうがこの店らしくていいのかもしれない。

いや、また来ますよミシュラン掲載店。

さて帰りは山陽線で戻ることに。ちょうど帰宅通勤と青春18の旅行者が重なる時間帯で、4両の列車はすし詰め。少し前にホームに行ったつもりが席にはありつけず。しかも、立っている人は途中の駅で降りていくが、座っている人は県境を越えてもそのまま座っており、席の空く気配がない。結局途中の相生で下車し、10分後に播州赤穂からやってくる新快速に乗り換え。ここでようやく人心地つき、いっきに大阪まで戻った。

夏の海が見たいということで訪れた赤穂線。ただその分、次はカキのシーズンに行く楽しみができた。そしてミシュラン居酒屋(大きく出たな)の再訪も楽しみ。「混戦BB会」の次の旅企画の候補地にしようかな・・・・?

コメント (2)

「AKO47」の地~青春18きっぷで赤穂を訪ねる

2011年09月08日 | 旅行記E・関西

この夏は青春18きっぷを余らせる形になるのかと思っていたところ、9月6日の火曜日、ふと一日休暇を取ることができた。まあ夏季休暇を消化できなかったのと、台風12号が上陸した3日に当番で出勤していたということで。

それならば、まだ残っている青春18きっぷを使おう。結局これで3日目であるが、この日出かければ元手は取れる形になる。

行き先だが、これまでならサイコロを振って決めていたところ、今回はそれには頼らず、最初から西に行こうと決める。伊勢湾、日本海と海を見てきたので、今度は瀬戸内の海を眺めようと思う。それならば赤穂線がよさそうで。

朝の大阪駅から新快速に乗車。大阪始発ということで最初から座ることができ、海側の席を確保する。台風が過ぎ去り、大きな被害を受けた十津川や熊野のことを思うと喜んではいられないが、この日は雲もほとんどなく、またカラッとした陽気。出かけるには絶好のコンディションである。須磨の海岸、明石海峡から淡路島の眺めを楽しむ。

Dscn0744姫路に到着。ここで儀式のように「えきそば」をいただく。平日の朝に旅行者気分でそばをすするのは美味しく、これから西に向かうのだと気持ちが改まる。

Dscn0747ここからは播州赤穂行きに乗車。中間車は115系の3000番台。広島在住時代は鈍行の旅でよく乗り合わせた車両で、転換クロスシートで快適に過ごせたものである。ただ、塗装が黄色一色という、何とも愛想のない外観。例えば大阪環状線のオレンジ一色や大和路線の薄いグリーン一色なら子どもの頃から見慣れているので何とも思わないが、近郊型が一色に塗り直されたのはやはり違和感を感じる。ローカル線の経費節減と言われれば仕方ないが。

Dscn0748播州赤穂に到着。今日はここを歩いてみようと思う。赤穂線も何度も乗車しているが、街歩きは随分久しぶりのように思う。駅舎も赤穂城をイメージした新しいものに建て替えられており、「忠臣蔵」の大胆な書や、赤穂四十七士のパネルが階段に飾られていたりと、いやでも赤穂浪士のムードを盛り立ててくれる。なんやかんや言っても、赤穂浪士、忠臣蔵といえば日本人の心に今も受け継がれる物語ということで・・・。

ここで午前中の時間を過ごすことに。ちょうど駅内の観光案内所でレンタサイクルを扱っており、1日200円という安さ。機動性を生かすためにこれに乗ることに。

Dscn0753駅前も歴史を意識した景観の街づくりが行われている。一つ路地を入れば古い街並みも残っており、赤穂のイメージをつくる塩を売る店もある。

Dscn0754赤穂城に到着。大手門と櫓の組み合わせも絵になるところだ。青空に櫓の白壁がよく映えている。

Dscn0756大手門をくぐり、そのまま走ると大石邸の長屋門、そして大石内蔵助ら四十七士が祭られている大石神社に出る。

Dscn0758鳥居をくぐると四十七士の石像が参拝者を出迎えてくれる。一人一人、その名前を確かめながら参道を歩く。

Dscn0762平日の午前中ということで人出はほとんどなく、静かな気持ちで参拝する。武運長久ということで、人生のあらゆる局面に打ち勝つようにというのがここのご利益のようである。

Dscn0764参拝の後は宝物館を見学。四十七士ゆかりの品々も並び、大石内蔵助が使ったとされる采配や、隊士ゆかりの品々や書状などが展示されている。

Dscn0771また別の宝物殿では浅野内匠頭、大石内蔵助を初めとして四十七士の木像が並ぶ。それぞれにストーリーがあり、その中から想像を高め、その道の達人とされる匠たちの手によりなされた作品たち。木像の豊かな表情を見ると、匠たちの創造意欲を掻き立てる47通り(萱野三平を入れると48通りか)の生き様が伝わってくるようだ。(写真は、酒を飲みながら討ち入りの策を練っているところをイメージした堀部安兵衛)

・・・ふとここで、「AKO47」という言葉が私の頭の中によぎる。これは先日の飯田線の列車の中で同行の人たちとの雑談で出たことだが、AKBとかSKEとかNMBとか、「48」のつくアイドルグループがあちこちにある中、ふと「赤穂の四十七士」ということから「AKO47」ってのもありだな、と思ったこと。

Dscn0751表門隊、裏門隊という組分けもそうだが、それぞれに個性がありエピソードがあり、歴史の好きな人なら「この隊士」というのがあるのではないだろうか。「堀部安兵衛の豪快さがいいわ」とか、「岡野金右衛門はイケメンですわ」とか。いわゆる「歴女」の皆さんにとってもたまらないだろうな。この後訪れた赤穂市立博物館でも忠臣蔵に関する展示があったが、「仮名手本忠臣蔵」が人気を博した当時でも特に人気どころの浪士の錦絵が出されていたりしたようだ。

私?うーんどうだろうか。涙の徳利のエピソードがあり(実際は下戸だったらしいが)、私もちょくちょく行く立ち飲み居酒屋の店名の由来にもなったという赤垣(赤埴)源蔵ですかね・・・。

赤穂のほうでは特にそういう方法での観光PRは行っていないようだが、ネットで「AKO47」と検索すれば、個人のサイトやブログなどでぞろぞろとヒットする。同じような発想をする人というのも結構いるようだ。別に歴史上の人物をアイドル化するつもりはないが、「忠臣蔵」の四十七士を見る目というのは相通じるものがあるのかもしれない。

Dscn0778史跡としての整備が進められている本丸跡を見て、赤穂市立博物館へ。赤穂四十七士に関する展示については先ほど触れた通りだが、ここでは「製塩の町」としての赤穂の紹介に力が入れられていた。自然の利を生かした塩づくりは古代から行われていたが、江戸時代に完成された入浜塩田の技術で生産性も高まり、その技術が各地に広まった。忠臣蔵では、吉良上野介が浅野内匠頭に嫌がらせをしたのは赤穂の製塩方法を教えなかったことへの恨み、などという説があるようだが、実際は海路を通して物流とともに三河にも製塩方法はちゃんと広まっていたようである。

数年前に能登を旅行した時に、当時の入浜塩田での製塩の一部を体験したことがある。砂の上に海水を撒き、水分が蒸発したところで砂をかき集めて沼井の中に入れ、そこに海水を入れて塩の結晶を洗い取り鹹水を採取するというもの。何だかその場にいるだけで口の中がしょっぱくなるような感じであるが、多くの人手を必要とした作業。最盛期には製塩だけで5000人近くの人たちが従事していたという。それが現在では化学反応を利用した製塩にとって代わり、その原料すら外国から輸入している。土産物店で「赤穂の塩」として売られているものも結構あるが、裏面をよく見ると「オーストラリア産の塩を国内で精製しました」というような但し書きがある。

Dscn0780現在もその入浜塩田での製塩が体験できる海洋科学館というのがこの先の海浜公園の中にあるそうで、自転車をこいで行ってみる。ただ残念なことに火曜日は休館であった。屋外展示されている塩田や釜屋などを見るにとどめる。

Dscn0784この海浜公園を抜けると穏やかな瀬戸の海が広がる。地元の人が数人散歩している程度で、静かなたたずまい。海水浴場にもなる砂浜が広がり、しばしぼーっとする。左手には家島諸島、正面には小豆島がそびえる。それらの島々が防潮堤の役割も果たす赤穂の海。

Dscn0782仮に、あの松の廊下の刃傷沙汰が起きていなければ、赤穂の四十七士というのはどういう人生を歩んでいただろうか。こうした穏やかな海を眺めつつ、泰平の世の中にあってつつましく、穏やかな生涯を歩んだことだろう。今となってはのんびりと暮らすには適した街ではないかな、と思う。

自転車で駅に戻り、時間があったので駅前の書店に入る。やはり忠臣蔵に一コーナー設けており、いろんな書物が出ている。どこまでが史実でどこからが創り話かの議論はあるが、それにしてもさまざまな角度からこの事件を分析した人の多いことである。考えてみれば不思議なことであるが、やはり「人間ドラマ」として共感を呼ぶものがあるのだろう。今の「AKB」は「AKO」にどこまで迫れるかな・・・?

再び赤穂線の旅を続けることとして、列車は西へ。兵庫県から岡山県に入る・・・。

コメント