まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第12回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~かつては神仏習合だった鵜戸神宮へ

2023年09月29日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

9月9日、青島神社の参拝の後、宮崎交通バスにて国道220号線を南下し、鵜戸神宮のバス停に到着。ここで下車する人も何人かいた。バス停から神宮までは徒歩10~15分とあるが、次の日南・飫肥行きのバス最終便は17時07分発で1時間半ほどある。特段慌てることもない。

石段を上がり、トンネルをくぐり参道をそのまま進む。バスで来るとこうしたルートとなるが、クルマだと神宮のすぐ近くに駐車場があるそうだ。

そして海べりに出る。まず神門をくぐる。令和5年はうさぎ年、鵜戸神宮の使いはうさぎとある。

続いて楼門に出る。「国指定名勝 鵜戸」の石標もある。神宮とつかず単に「鵜戸」とだけ書かれているのは何か意味があるのだろうか。

海べりの参道を歩く。こうした景色を楽しみにしていた。南国らしい景色。

参道に、灯籠とともにうさぎの像が奉納されている。神話の世界でうさぎといえば、因幡の白うさぎ。大国主命の物語もあって出雲大社の境内のあちこちにうさぎの像が並ぶが、鵜戸神宮にもそうした歴史があるのだろうか。

鵜戸神宮が創建された年代は不明だが、古来から海洋信仰の地とされていた。神社名の「ウド」とは空洞の「ウロ」に通じているのと、祭神の鸕鶿草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)の「ウ」から「卯年」が連想され、そしてうさぎがお使いとなったそうだ。特に物語があるわけではないが、「鵜」だからといって参道に鳥の「鵜」の像を並べても仕方ないだろう。

その鸕鶿草葺不合尊は、青島神社の祭神である彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと=山幸彦)と豊玉姫の間の子で、後の神武天皇の父である。現在の本殿がある場所は豊玉姫がお産のための産屋が建てられた場所とされている。その縁で崇神天皇の頃に開かれたとされ、後に社殿が建てられた。平安時代には別当寺院が建てられ、修験道の修行の場ともなった。神仏習合の仁王護国寺が設けられ、当初は天台宗、後に真言宗の官吏となった。「西の高野」とも呼ばれていたそうだ。江戸時代には飫肥藩の保護を受けていたが、明治の神仏分離、廃仏毀釈によりそうしたものはことごとく廃された。

前回の九州八十八ヶ所百八霊場めぐりで宮崎市内の第37番・香泉寺を訪ねた時、「宮崎は神社が多く寺がほとんどないイメージだが、鵜戸神宮は実は長く真言宗が管理していたのですよ」と教えていただいたのを思い起こす。

橋を渡り、石段を下りて本殿の前に出る。

目の前には長年の浸食により形成されたさまざまな奇岩が並ぶ。先ほど「国指定名勝 鵜戸」とあったのは、この海岸の景色を指している。

洞窟内に建つ本殿に参拝。多くの参拝者が列をなしている。

その前にあるのは広島東洋カープの必勝祈願で奉納された絵馬。ここはカープのキャンプ地である日南。カープ坊やの両脇には新井監督、大瀬良のサインが並ぶ。今季、1年目の新井監督の下、7月に一時首位に立つなど戦前の予想をくつがえす好位置につけていたが、その後はタイガースが勝ち星を伸ばすのを前に失速。ちょうどこの日(9月9日)、3連戦3連勝すればかすかに逆転の望みもあったタイガースとの直接対戦が行われていたが、タイガーズの前に完敗・・。このブログ記事を書いている時点(9月29日)ではカープのクライマックスシリーズ出場は決まり、あとは2位になれるかどうかだったが・・。

洞窟の中には他の祠や、なでうさぎ像などもあり、日向灘の景色とも相まってある種のパワースポットとして訪ねる人も多いようだ。私も、九州八十八ヶ所百八霊場めぐりで宮崎を訪ねる時は、初めてとなる鵜戸神宮にはぜひ来てみようと思っていたので、今回の行程の中で大きなポイントだった。

鵜戸神宮では「運玉」というのに挑戦。海岸を見下ろすと亀のような形をした岩があり、その背中には注連縄で囲まれたくぼみがある。そのくぼみに「運玉」が入れば、また入らなくても注連縄の内側の岩に「運玉」が当たれば願いが叶うとされている。男性は左手、女性は右手で投げるようにとあるが、どういう根拠があるのだろうか。右利きの人が多いことを前提として、あえて困難に挑ませようということか。かくいう私、右手でも怪しいのに左手となるとなおのことで、まったくコントロールができなかった・・。

境内でしばらく日向灘の風に吹かれ、また土産物など買い求めながら時間を過ごす。バスの時間に余裕を持ってバス停・駐車場に着く。先に宮崎行きのバスが到着し、先ほどのバスで来た参詣者はそのバスで折り返す。

さて私、17時07分発の最終バスに乗車。しばらく海岸沿いに走り、日南の中心部に向かう。

油津待合所に到着。

ロータリーには日南線の油津駅があるが、何と駅舎の壁は赤。そしてカープのロゴマークとカープ坊やがあしらわれている。通称「カープ油津駅」という。カープがリーグ3連覇を果たした2018年に駅舎の外観が赤く塗られ、2022年にリニューアルされたという。

この日はこの油津で1泊である。そのお宿は駅からすぐの商店街の中にあって・・・。

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第12回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~青島神社に参拝

2023年09月27日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

「にちりんシーガイア5号」を降りた宮崎で日南線の油津行きに乗り、しばらく平野部を揺られた後、13時48分、青島に到着する。当初は宮崎駅で待ち時間の後、宮崎交通バスに乗って鵜戸神宮に向かうことを考えていたが、宮崎からすぐ連絡の日南線に乗れば、青島14時48分発でこのバスに乗ることができる。ちょうど1時間ほどの時間ができるとあって、それならば駆け足だが青島にも立ち寄ることにする。

青島に来るのは学生時代以来である。その時は友人との旅行で、大阪から志布志までフェリーに乗り、日南線で北上、そして青島で途中下車した。ただ、駅周辺の記憶はおぼろげである。

駅前の通りを進み、歩道橋で国道を渡る。青島見物の駐車場が道の両側にあり、クルマの出入りも結構ある。

土産物や飲食店が並ぶ通りを抜けると、青島に続く弥生橋に出る。橋の先にこんもりとした森が見える。

周囲の海は「鬼の洗濯板」と呼ばれる波食台が広がるのだが、この時間帯は干潮ではなく、洗濯板の表がかろうじて水面に見えるかどうかという眺めだった。

青島は周囲1.5キロの島で、全島が亜熱帯植物の群生地として国の天然記念物に指定されており、青島神社の境内地である。

青島神社の創建時代は不明とされるが、青島じたいが古くから信仰の対象とされており、祭神は彦火火出見命(ひこほほでみのみこと=山幸彦)、そして妻の豊玉姫命であり、彦火火出見命が海神宮から帰還した際に宮を構えたことに由来するという。記録では平安時代頃から青島大明神として信仰され、後に飫肥藩の崇敬を受けていた。江戸中期までは神職と島奉行以外の立ち入りが禁止されていたそうだ。

島全体が境内地だが、その中で社殿が建つ一角に入る。もちろん九州八十八ヶ所百八霊場の札所ではないが、せっかく来たのだからと手を合わせる。宮崎県は神話の国だけに神社が多いというイメージが私にはあるのだが、この青島神社の存在もその一つである。

青島は、内田百閒の「第三阿房列車」にも登場する。九州を日豊線から鹿児島線を通ってぐるりと回る「不知火阿房列車」(「阿房列車」として最終の旅)で、宮崎滞在の時、百閒にしては珍しく自発的な観光としてクルマで青島に出かけている。当時はまだ宮崎が新婚旅行のブームになる前のことだが、それでも修学旅行生や青島神社の講中の団体で賑わっていたと綴られている。もっとも、神社そのものにはそれほど興味は示さなかったようで、同行のヒマラヤ山系氏が百閒のスナップ写真を撮ろうとあれこれ苦心するのだが・・。

拝殿にて参拝。絵馬には、毎年のキャンプ時に必勝祈願に訪れる読売ジャイアンツの面々の絵馬が並ぶ。ちなみに私が訪ねた時点(9月9日)で、すでにジャイアンツの優勝の目はなくなっており、クライマックスシリーズ進出もはたしてどうかという状況であった。そして、この記事をアップした時点では・・・どうする原監督?

社殿の奥には元々の社地であったといわれる元宮があり、亜熱帯性植物が茂る参道を歩く。九州八十八ヶ所百八霊場めぐりで初めて「南国」に来たと実感する。

この元宮では「天の平瓮(ひらか)投げ」という、土のかわらけを投げる試みがある。磐境という岩に乗れば心願成就、割れれば開運厄除と、どちらに転んでもご利益があるとして昔から行われている。エイッと投げるとかわらけは割れたのだが、これでもかというくらいかわらけの山ができている。その一方で、ホタテの貝殻も投げることができるようだ。宮崎でホタテが獲れるはずもなく(牡蠣の養殖に使うわけでもないだろう)、これは後から誰かが始めたものかな。

社殿から元の参道を戻る。当初は鵜戸神宮優先で青島は見送りかなと思ったが、こうして短時間ながら来ることができてよかった。

バス停までの戻りは、宮交ボタニックガーデン青島を通り抜ける。入園無料の亜熱帯植物園である。先の記事で触れた柳田國男の「海南小記」で常に登場するビロウ(蒲葵)の木はこれかな。

青島バス停に着き、10分ほど遅れて到着したバスに乗り込む。宮崎から日南・飫肥行きということでもろに日南線とかぶっているが、日南線は青島から内陸部を走るため、鵜戸神宮に行くならバス利用となる。大陸からの客を含め、車内は結構な乗車率である。

バスは国道220号線、日向灘を見下ろすところを快走する。鬼の洗濯板も少しだけその顔をのぞかせている。途中には道の駅の展望スポットもあり、クルマならこうしたところにちょっと立ち寄って景色を見ることができるのだが・・。

モアイ像で知られるサンメッセ日南で乗客が入れ替わる。ここも見物スポットとして立ち寄れないか検討したが、バスの本数を考えてあきらめたところだ。

定刻の15時22分を少し回り、鵜戸神宮に到着。バス停から神宮の本殿までは10分ほど歩くそうだが、次のバスまでの時間はたっぷりある。鵜戸神宮は初めてで、日南に来るなら訪ねたかったところだ。ぼちぼち歩いていくか・・・。

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第12回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~「にちりんシーガイア」のコンパートメントで快適移動

2023年09月26日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

話は日南線を目指す九州八十八ヶ所百八霊場めぐりに戻る。

9月9日、まずは往路のアクセスとして「にちりんシーガイア5号」に乗車する。小倉から改めて4人がけのコンパートメントに陣取り(自由席扱いのこの車両に確実に座るべく、手前の黒崎まで出迎えた)、宮崎まで延々と走る。小倉から宮崎まで約340キロ、それをコンパートメントで移動って、なかなか体験できるものではない。

実は普通車指定席を予約していたのだが、自由席のほうが車両数が多いこともあってまだ空席もあり、3号車の6つのコンパートメントも小倉発車時点で空きがある。もっとも、乗っている客はこういう造りであることを知って乗っているようにも見える。

この3号車のもう半分は元々ビュッフェだったスペースで、それを座席にリニューアルしている。構造上、天井の収納スペースは設けられていないが、そのぶん前後の座席の間隔を空けてそこに荷物を置けるようにしている。それでも自由席だ。

一方、扉越しに指定席車の様子をのぞくと結構混雑しており、私が割り当てられたとおぼしき座席の周りも他の乗客が固まって座っている。無理にその中に入ることもなく、このまま自由席扱いのコンパートメントに腰を下ろすとする。車内改札で車掌が回って来たが、こういう状況なので特に何も言われなかった。もっとも、自由席に立ち客も出るくらいの混雑なら指定された席に座るよう誘導されるのだろうが。

小倉を出て最初の停車駅である行橋に着く。自由席ということで3号車にも新たに乗客がやって来たが、コンパートメントが並ぶ様子に戸惑いを見せ、「ここ、自由席ですよね?」と声をかけられる。私がうなずくも、「本当?」という表情で、まだ空きがあった1席に腰を下ろす。確かに、ぎゅうぎゅうの座席が指定席で、コンパートメントと広々シートが占める車両が自由席というのは普通に考えれば戸惑うところだろう。

座席はリクライニングこそしないものの、テーブルは広げることができるし、足を伸ばしてくつろぐこともできる。ある意味、グリーン車座席よりもぜいたくだ。本来はグループ客の利用を想定しているのだろうが、今のところ1席あたり1人、もしくは2人での利用である。通路との間はパーテーションで仕切られているし、前後の座席間は完全に壁になっており、プライベート空間が保たれる。

・・・だからというわけではないが、いや、だからこそか。半個室での「呑み鉄」である。話は前後するが、ブログのこの前の記事では芸備線の「呑み鉄鈍行ちどり足号」の乗車記である。ローカル列車をクラウドファンディングで貸し切り、ロングシートで沿線の地酒を吞みまくるイベント列車。ああした賑やかな空間で、ロングシートで向かい合ったおっさん連中で意気投合するのもよし、こうした静かな半個室で他の目につかないようちびりちびりやるのもよい。

山国川を渡って大分県に入り、中津に到着。九州西国霊場、九州八十八ヶ所百八霊場めぐりでは豊前東部のベースとなったところだ。

宇佐が近づくと国東半島の山々も見える。しばらくは豊前から豊後への山越えで静かな区間を行く。

周囲が開け、別府湾に近づく。9時52分、別府に到着。車内では外の様子がわからないが、ある程度は下車があったものの、別府から大勢が乗って来るわけでもない。

別府湾沿いに走る。787系の座席は1席ごとに1枚の窓が並ぶが、さすがコンパートメントでいくらか窓は広い。

10時03分、大分到着。5分停車ということで一瞬だけ列車の外に出る。「にちりんシーガイア5号」も大分でコンパートメントを含めて乗客の入れ替えが見られ、列車の役目としては一段落である。小倉、いや始発の博多から宮崎まで乗り通す客というのはどのくらいいるのだろうか。

ネットの書き込みや個人のブログで拝見したことがあるのだが、この787系編成、通常は日豊線の延岡以南の特急「ひゅうが」や「きりしま」として運行されているが、車両の所属じたいは南福岡車両区で、メンテナンスその他のため定期的に南福岡に送り込む必要があるという。その行き帰りに1日1往復の「にちりんシーガイア5号・14号」として長距離運行しているそうだ。

大分を発車し、この先鶴崎、臼杵、津久見と停車する。大分近隣の工業地帯、津久見のセメント工場、さらに豊後水道に面したリアス式海岸が広がる。

11時04分、佐伯に到着。停車中のホームの壁に、「ふるさと観光漫画」として、漫画家・富永一朗の作品が掲げられている。佐伯市出身と紹介されている。略歴によると佐伯は富永一朗の父の出身地で、幼少の頃から旧制中学卒業まで過ごしたそうで、現在も記念館などがあるそうだ。

佐伯から先、延岡までは県境越えで1時間ノンストップで走る。日豊線で最後に開通したところで、重岡~市棚間の開業は大正時代も終わりに近い1923年(大正12年)のこと。

今回の九州八十八ヶ所めぐりのお供として、柳田國男の「海南小記」(角川ソフィア文庫版)を持参している。「海南小記」は、柳田國男が1920年(大正9年)の12月から翌年の2月にかけて九州東海岸から奄美諸島を経て沖縄の島々を回り、日本の民俗学において沖縄の重要性や、南島研究の意義を説いた、ルポのような紀行文のような、そんな文章である。その時の行程は神戸から汽船で別府に上陸し、大分から臼杵までは鉄道、そして臼杵からまた船で移動している。文庫に掲載の地図では大分から延岡、宮崎を経てずっと鉄道が通っているように描かれているが、実際に旅した当時は豊後から日向に至る鉄道は通っていなかったはずだ。

作中では途中のリアス式海岸に浮かぶ島々をめぐり、その様子も描かれている。延岡では九州八十八ヶ所百八霊場の札所の一つである龍仙寺にも訪ねている。その道中で豊後水道の島々を回ったことにも触れているが、要は鉄道が開通していない当時では、海路をたどるのが便利だったのだと思われる。

さて佐伯から延岡までの区間、秘境駅の宗太郎駅が見られるかと車窓に目をやっていたが・・コンパートメントで静かで落ち着いた車内、

そして適度な揺れが効いたのか・・寝落ちしたようだ。途中ガクンという停車に気づいて外を見るとどこかの駅のようだが、宗太郎ではなく、宮崎県に入ったのは間違いないようだ。駅の構造で後から調べた限り、おそらく北川駅だったと思う。後は延岡まで下る景色を眺める。

12時07分、延岡到着。窓の外にはコンテナヤードが広がる。ここでまた乗客が入れ替わったようである。

日向灘が開けるようになる。日豊線後半の車窓の見どころである。

その中でもやはり異質なのは、都農のリニア実験線。現在は高架橋上に太陽光パネルが並ぶ。何でも太陽光にすればよいというものばかりではなかろうに・・。

13時07分、宮崎に到着。広島からやはり日豊線ルートだと直通の特急を使っても半日がかりとなる。もし、前回札所の住職から話があったように、九州新幹線で新八代まで移動して、高速バスの「B&Sみやざき」に乗れば11時台には宮崎に到着し、その後の行程もまた違ったものになったところだ。それでも、今回は長々とした日豊線の旅もコンパートメントの1室で快適に過ごすことができたおかげで、移動の長さを感じることはなかった。これ、何なら往復コンパートメントで広島~宮崎の日帰り弾丸旅行をやってもいいなとすら思った。

この「にちりんシーガイア5号」は宮崎空港行きだが、名残を惜しみつつ宮崎で下車して、反対側ホームに停車中の13時19分発日南線油津行きに乗り換える。キハ140の1両編成だが、ボックス席、ロングシートもそこそこ埋まる。

大淀川を渡り、南宮崎から日南線に入る。前回宮崎まで進んでいた九州八十八ヶ所百八霊場のコマも、ここから南に動く。

気動車に揺られ、13時47分、青島に到着。列車はこの日の宿泊地である油津行きだが、ここで下車する。同じように観光客らしい人の多くも下車する。

今回の九州八十八ヶ所百八霊場めぐりのポイントの一つとして、鵜戸神宮に立ち寄ることを挙げていた。宮崎駅から宮崎交通バスに乗れば直通するのだが、せっかくなのでその手前にある青島にも行ってみたいという気もあった。そこで、日南線と宮崎交通バスの組み合わせを調べると、宮崎発13時19分発の列車に乗れば、宮崎駅からバスで南下するよりも速く移動することができ、青島で1時間ほどの時間が取れることに気づいた。バスは宮崎市街を抜けるのに時間がかかるようだ。

その「差分」を活用して、久しぶりとなる青島に向かうことに・・・。

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芸備線「呑み鉄鈍行ちどり足号」に乗車

2023年09月25日 | 旅行記F・中国

このところ存続についていろいろと取り沙汰されている芸備線。何とか路線の存続と活性化を願うクラウドファンディングが行われ、その返礼品の目玉として三次~備後落合間に「呑み鉄」列車を走らせるというのがあった。一口1万円。クラウドファンディングというのに参加するのは生涯で初めてなのだが、一口乗ってみた。

こういう運動はネットニュースやSNSで広がり、当初の目標金額だった200万円は早くもクリアした。列車は「呑み鉄鈍行ちどり足号」と命名され、9月24日に運転となった(画像はクラウドファンディングからお借りした)。

その後、当日が近づくにつれて事前の弁当の予約案内や、当日の行程の案内などが配信された。また、前日の23日に庄原市内で行われたシンポジウムへの参加権もついていたのだが、この日は彼岸の中日ということで大阪に日帰りで帰省しており、残念ながらライブ配信も含めて参加できなかった。「呑み鉄」で知られる俳優の六角精児さんや、「書く鉄」の鉄道ジャーナリストの杉山淳一さんらが参加するというので楽しみだったが、ネット記事を見る中では、「廃線になると大変なことになる」「何とか沿線の活性化ができないか」ということでさまざまな意見、提言も出たようだが、いかんせん地域人口も少なく、完全にクルマ社会ということで・・。

さて24日当日。広島9時ちょうど発の快速「みよしライナー」に乗る。この列車が10時25分に三次に着き、そのまま10時45分発団体列車「呑み鉄鈍行ちどり足号」として備後落合に向かう。この時刻の「みよしライナー」、この夏に備後庄原まで延長された「庄原ライナー」と同じ列車である。広島から備北方面に出かけるのにちょうどよい時間設定なのだろう。

「呑み鉄鈍行ちどり足号」は約70人の定員が満員御礼となっており、さぞかしこの「みよしライナー」にもその筋の人たちがたくさん乗っているのだろうな・・と思いつつ乗り込む。下深川あたりまでは一般の利用客も見られたが、その先の区間はガラガラで、見たところ「呑み鉄」目的とおぼしき客ばかりが残ったようにも思う。中には、これもクラウドファンディングの返礼品の一つである芸備線応援の紫のTシャツ姿の人もいる。

10時25分、三次到着。するとホームはこの列車を待つ多くの人であふれかえっていた。イベントの関係者や酒蔵の皆さんも準備中。ホームの待合室で受付するというので全員いったん列車から出る。受付では参加記念の乗車証、庄原の観光パンフレット、そして「呑み鉄鈍行ちどり足号」車内で楽しむためのプラスチックのお猪口と、つまみなどをのせるプレートが配られる。

三次から乗車という人が多いのは、前日のシンポジウムから参加してそのまま三次まで来て宿泊したか、広島から芸備線の1本早い列車で来たか、ひょっとしたら福塩線で・・?

三次から乗車の人は先頭の1号車、広島から「みよしライナー」でやって来た人は後ろの2号車という割り当てはあるものの、座席は決まっていないとのこと。2号車はボックス席が4つしかなくその他はロングシートという造り。ボックス席は先客で埋まっていたので、ロングシートに陣取る。ロングシートで「呑み鉄」とは普段の乗り鉄ではできないことだ。こちらもほどよく埋まり、発車。

まずは「やわらぎ水」として水のペットボトルが配布される。今回は芸備線沿線の4つの酒蔵が自慢の利き酒を携えてのおもてなしだが、それは発車してからのお楽しみである。

列車名は「呑み鉄『鈍行』ちどり足号」だが、備後落合まではノンストップで1時間ほどかけて走る。なお「ちどり」とはかつて芸備線~木次線を走っていた急行の愛称である。

本日の司会として、鉄道ライターのやまもとのりこさんがマイクを握る。その横には鉄道ジャーナリストの杉山淳一さんも手を振って皆さんをお出迎え。

また杜氏の皆さんからも一言ずつ挨拶があり、その間にスタッフの方が4合瓶をもって利き酒用の酒を注いで回る。あちこちで乾杯が始まる。ほとんどが1名、あるいは2名での参加のようだが、酒がそれぞれの壁を取り払うのか、お互い初対面同士でもあちらこちらで会話が始まる。

また新聞社やテレビ局のカメラマン、汽車もとい記者の姿も見え、カメラを回したり乗客へのインタビューなども始まった。演出で「乾杯してください」とリクエストを受ける人も(ちなみに、私にはインタビューなどは来なかったが、一献やっているところがローカルニュースでちらりと映っていた)。

この車内もいろいろなところからその筋の人が集まっているようで、むしろ広島市内の私などかわいいもので、関西、東海、関東、はては司会のやまもとさんからは「北海道から沖縄」までというアナウンスもあった。おそるべし「鉄」の執念。

今回出てきたのは、「向井櫻」(向原酒造=向原)、「どぶろく 油木のしずく」(高原酒造=油木)、「比婆美人 大吟醸」(比婆美人酒造=庄原)、「菊文明」(北村醸造場=東城)。また、今回特別に「芸備線応援特別記念酒」というのがふるまわれた。それぞれ、かつて芸備線を走っていた急行列車の愛称がついたラベルがあしらわれていて、「ひば」(比婆美人酒造=庄原)、「ちどり」(花酔酒造=総領)、「たいしゃく」(北村醸造場=東城)、「やまのゆ」(生熊酒造=東城)のセット。クラウドファンディングでは、「呑み鉄」には参加できずとも、この4合瓶のセットも返礼品となっていた(お値段も結構高かったが・・)。

つまみセットが車内で売られていて、先日もいただいたイザナミ茶屋の「かき餅揚げ」や、三次の「わにジャーキー」、総領の「こんにゃくジャーキー」のセットである。ご存知の方も多いだろうが、「わに」とは備北地区でいうところのサメである。また、「こんにゃくジャーキー」が意外にも牛肉に近い味付けがされていて味わい深かった。

さて、酒は先ほど紹介した順番で出て来たのか、ただ数分おきにスタッフが次々に瓶を片手に「どうぞ」と回って来るし、この一角は呑兵衛が揃っているのかペースが速い。私もその都度お猪口を出していたものだから、1杯は少量とはいえ何杯飲んだことやら(いつの間にかどぶろくも入っているし)。スタッフも、酒が中途半端に残っても仕方ないので最後の一滴までついでくれる。そのうち、ロングシートで向かい合わせに座っていたおっさん連中同士で盛り上がるようになる・・。

さて車窓だが、走りのほうは「呑み鉄『鈍行』」ならぬ「呑み鉄『急行』」で、沿線最大の備後庄原ですら全速で通過する。ホームで誰か見送りに出ていたと思うが、あっという間である。やまもとさんが「備後庄原駅を通過したみたいです・・」というが、いや、もうとっくの昔に・・。まあ、ここは急行「ちどり」を復刻させたと思えば悪くない・・。

ガイドの後半は、備後落合駅でボランティアガイドを務める国鉄OBの永橋則夫さんが登場。先ほどから2号車のロングシート部分がステージになっており、ちょうど間近でガイドを聴くことができた(1号車の人たちは音声だけだったのかな)。これまで備後落合駅で何度かお目にかかっているが、車内でガイドを聴くのは初めて。やはり動く列車の中だとかつての機関士時代が思い起こされるのか、話しぶりも活き活きして見える。

ちょうど列車は西城の町に差し掛かったところ。

しかし備後西城も容赦なく通過。次の比婆山も通過だが、窓の向こうに国道から熊野神社に続く参道の入口の鳥居をちらりと見ることができた。

このまま「呑み鉄『急行』ちどり足」号で備後落合に向かうかと思ったが、最後はそう、西城川沿いの時速25キロ区間である。ここは往年の「鈍行」よりも遅いスピードで走る。それでも永橋さんのガイドは続くし、沿道にはクルマで追いかけてカメラを構える人の姿も増えて来た。国鉄型気動車が備後落合に入るだけでも大きなイベントで、そりゃ「撮り鉄」も黙っていないだろう。

左から木次線の線路が近づき、備後落合に到着。

普段はキハ120の単行が1日数回、3方向の列車が揃うのは1日1回だけ。そしてシーズンに「奥出雲おろち号」が乗り換え相手もなく姿を見せるだけの駅だが、キハ47が入って来るのは珍しい光景である。そして、この日は「奥出雲おろち号」の運転日に当たっており、「呑み鉄」の折り返しの時間に備後落合に入って来るという。もっともお互いの乗り継ぎはできないのだが・・。

永橋さんによる構内に残る転車台跡の解説があるというので、ホームの端に多くの人が集まる。

この山間の景色、昔ながらの汽車旅風情を感じさせていいですなあ・・。支社がまたがるので現実的に無理だろうが、もし津山線を走る旧国鉄急行型塗装の「ノスタルジー号」が備後落合に姿を現すと、もう大変なことになるだろう。そこにかつての急行のヘッドマークを掲げようものなら、もうその場で卒倒する人も出るだろうな・・。

駅前にはテントやテーブルが出ており、沿線の地酒や木次線グッズの販売もある。東城の「菊文明」に「超群」、そして木次線コーナーでは奥出雲の「七冠馬」を買い求める。「七冠馬」とは昭和の名馬・シンボリルドルフからつけられた名前で、シンボリルドルフの牧場のオーナーのルーツが島根県で、簸上酒造の蔵元と知人関係にあるということで新たな酒の名前になったのだとか。

そして、備後落合駅のジオラマもテントに展示され、先ほど転車台のガイドを終えた永橋さんが今度はジオラマの説明。普段よりギャラリーが多い分、話にも熱が入る。「このジオラマが(駅の)外に出るのも貴重ですよ」と私の横で声がしたので振り向くと、杉山淳一さんの姿があった。

さて食事だが、予約済の「ドライブインおちあい」の弁当と、おでんセットをいただく。備後落合といえばかつて「おでんうどん」が有名で、現在も季節限定で「ドライブインおちあい」のメニューとしていただくことができる。ホームのベンチや待合室は先客で埋まっていたので、先ほどのロングシートにていただく。

おでんは3品入りだが、つゆが全く入っていなかったのにびっくり。おそらく、その辺りにこぼさないようにとの配慮だったのだろうが・・。まあ、幕の内弁当に煮物のおかずが一品増えた感じかな。

その間にも、「よかったら」ということでロングシートの相客から、「七冠馬」の4合瓶をついでもらったりする。こうしたロングシートでの呑み鉄、居酒屋のカウンターのノリに近いものがある。

「奥出雲おろち号」が入ってきますよ、というので行ってみる。この11月で運行を終える「奥出雲おろち号」。

後継として「あめつち」が運行されるとはいえ、木次線内は宍道~出雲横田までである。この後乗る予定もなく、この列車も見納めだろう。「あめつち」のキハ47が円陣の出力不足で出雲坂根の三段スイッチバックを上ることができないというのであれば、あの機関車だけでも残して気動車を引っ張る・・ということはどうかなとも思う。

それ以上に、備後落合で「奥出雲おろち号」とキハ47、青+白と朱色が顔を合わせるのは、おそらく最初で最後ではないかと思う。私にとっておそらく「奥出雲おろち号」はこれで見納めになるだろうが、それが山間のターミナルでのキハ47との出会いということでもう十分だと思った(「葬式鉄」に来ることもないだろう、という意味で)。

もし、備後落合から「奥出雲おろち号」の指定席を持っていれば、「呑み鉄鈍行ちどり足号」のツアーを途中離脱してでも「おろち号」に乗り換える人がいてもおかしくないと思う。

その「奥出雲おろち号」の備後落合発は12時57分。こちら「呑み鉄鈍行ちどり足号」は13時00分発だが、こちらの車内での人数確認などもしなければならないので12時55分には車内に戻るようにとあらかじめ案内があった。そのため「おろち号」のホームでの見送りは不可。せめて窓からのぞき、客車の最後尾をちらりと見た。

それに続いて「ちどり足号」も発車。ホームにいた「おろち号」の下車客、外からの見物客、そして永橋さんのお見送りを受ける。運行の関係で難しいのだろうが、「同時出発」でほんの一瞬だけでも両者が並走するシーンがあればなお盛り上がったことだろう・・・。

行程では地酒の利き酒は往路のみで、復路は地元の土産物などとともに販売が行われるとあった。しかしながら、往路の利き酒がまだまだ残っていて、余らせるわけにもいかないのでまだまだ先ほどと同じようにスタッフが回って来る。「呑み鉄」も後半戦だ。また、飲んだ後のデザートというわけでもないが、土産として東城の「竹屋饅頭」や西城の「ヒバゴンのたまご」などが人気である。

帰りも見頃のソバの花や、西城川の景色などを楽しむが、またも備後庄原は全速で通過。一応ホームには「ちどり足号」の撮影に出ていた人もいたが、せめて1分くらい停車して、ホームに並ぶカープ選手たちのフィギュアや、何なら庄原の名物ガイド「熊本隊長」のお出迎えでもあれば・・と思った。まあ、広島~三次間の列車運行の都合というのはわかるが・・。

往復の時間は濃密だったが、そろそろ列車は終点の三次に入る。あっという間に終わったように感じる。この車両は三次到着後、14時14分発の広島行きとしてそのまま運転される。そのため広島方面に戻る客はそのまま乗ったままでよく、三次から先の乗車券がない人は車内で団体列車の乗車証明を渡すという。一応、これあるを見越して今朝方西広島~三次の往復乗車券を買っていた。

三次到着前に、この企画を立ち上げた「芸備線魅力創造プロジェクト」の代表である横山修さんから挨拶があった。これからも地域を走るローカル線を活かす道を考えたいということで、車内からも大きな拍手が起こる。決して道のりは楽ではないし、こうした取り組みがローカル線問題を根本的に解決するとまではいかないと思うが、これからも広島県民の一人として何らか応援していきたいものである。

三次に到着。ここで下車する人、このまま広島に戻る人それぞれだ。またどこかで会えるかな。この後定期列車で広島に向かう時には(車内、酒臭さが残っていなかったか?)お見送りがあった。

帰りの車内は、ボックス席の相客同士で会話の続きもあったが、さすがにまったりしたもの。また広島が近づくにつれて、白木山登山の帰り客や、これから市内に出る人、はてはこの夜マツダスタジアムで試合があるカープとスワローズのユニフォーム姿の人で乗客も増え、2両編成だと満員だった。

あ、後で時刻表を見て気づいたが、三次からそのまま芸備線で広島に戻るのではなく、14時40分発で福塩線尾府中行きに乗るのもありかなと思った。これなら福山まで出ても、少し遅い時間に広島に戻ることができ、同様に存続が取り沙汰される福塩線の非電化区間も回ることができたなあ・・。

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第12回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~今回の舞台は「日南線」

2023年09月24日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

九州八十八ヶ所百八霊場めぐりは前回7月のお出かけで宮崎市の第38番・長久寺、第37番・香泉寺まで進んでいる。この次は第39番・潮満寺、第40番・西明寺という日南市の札所で、この九州一周の札所めぐりもいよいよ宮崎南部に入る。九州でも奥深いエリアに入っていくわけだが、広島からなら1泊2日ででも何ヶ所かずつ回ることができるそうだ。

今回向かう2つの札所はいずれも日南線の沿線にある。第39番・潮満寺は油津駅、第40番・西明寺は南郷駅からそれぞれ徒歩で行けるようだ。九州八十八ヶ所百八霊場めぐりではマイカー、レンタカーの世話になることも多いが、今回は日南線の乗り鉄と絡めてみたいところだ。日南線に乗るのもずいぶん久しぶりである。

出かけるのは9月9日~10日の1泊2日として、2つの札所をめぐることに加えて、いくつか条件をつけて行程を考えてみた。日南線に乗る(できれば終点の志布志にも行きたいし、可能ならば日南線のD&S列車「海幸山幸」にも乗りたい)、日南線からは離れるが沿線の鵜戸神宮に参拝する、宿泊は宮崎よりも日南線沿線のどこかのほうがよさそう・・・ということを考えて時刻表や宿泊予約サイトをのぞく。

そもそも、広島~宮崎の往復はどうするか。私の頭の中にあったのは日豊線の特急だが、前回の九州八十八ヶ所百八霊場めぐりで寺の住職から教えていただいたのが、新八代~宮崎間の高速バス「B&Sみやざき」号である。この高速バスと新幹線を接続させることで、JR九州としては博多~宮崎間の最速ルートとしてPRしている。

いろいろ考えた結果、9月9日の往路は広島から小倉に移動して、宮崎まで「にちりんシーガイア5号」に乗り通すことにした。前回の九州八十八ヶ所百八霊場めぐりの復路では宮崎から「にちりんシーガイア14号」で小倉まで移動したが、今回はその逆で、沿線の景色もしっかり観るつもりである。そして日南線とバスで鵜戸神宮を経由し、宿泊は途中の油津とした。

札所を訪ねるのは翌10日。そして日南線の終点・志布志まで行き、最後に「海幸山幸」に乗って宮崎に戻る。宮崎まで戻ると「にちりんシーガイア14号」は出た後だが、「B&Sみやざき」号で新八代まで行けば、何とか広島行きの最終の新幹線に間に合う。このバスがあってこそ初めて成り立つ行程ができた。後はそれぞれ遅れのないよう、順調に運転されることを望むだけ。

さて9月9日、広島6時05分発の「こだま775号」にて出発。小倉から「にちりんシーガイア5号」に乗るなら後続の6時53分発「こだま781号」でも間に合うのだが、あえて始発に乗った。「にちりんシーガイア5号」の指定席も「九州ネットきっぷ」であらかじめ押さえている。

その理由、「にちりんシーガイア5号」の座席にある。6両編成で、1号車がグリーン車、2号車が指定席、3~6号車が自由席だが、このうち3号車はもともとビュッフェだった車両で、コンパートメントもついている。前回、宮崎からの帰途はグリーン車に乗ったのだが、今回はこのコンパートメントに乗ってみようと思う。ただし自由席扱いなので、小倉からだと先客が並んでいる可能性もある。

そこで、早めに九州に入り、博多からやって来る「にちりんシーガイア5号」を小倉の手前で迎えることにした。これなら、先客がいたとしても小倉で乗客が入れ替わる可能性が高そうだ。

7時15分、小倉に到着。7時33分発の南福岡行きに乗り継ぐ。

時刻表を見て、8時20分発となる黒崎から「にちりんシーガイア5号」に乗ることにする。宮崎まで5時間近くの乗車ということもあり、いったん改札を出て黒崎駅構内のコンビニであれこれ買い求める。そして、黒崎~小倉間の自由席特急券を別に購入してホームに向かう。

3号車の乗車位置にて「にちりんシーガイア5号」を出迎える。博多~小倉間は通勤利用も多いのだが、6室あるコンパートメントの1つに空きがあり、無事に席を確保できた。

小倉に到着。ここで乗客が入れ替わり、海側のコンパートメントに空きがでたのでそちらに移る。これで宮崎までゆったり過ごすことができる。自由席扱いなので相客が来る可能性はあるが、普通のシートにも空きがあるようで、わざわざ個室に入る人もいないだろう。

これからある意味贅沢な空間での宮崎行きである・・・。

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鳥取にて1泊、日本交通バスで大阪へ

2023年09月22日 | 旅行記F・中国

8月26日、広島から高速バスで米子まで移動して新たな米子駅舎を見物し、観光列車「あめつち」にて鳥取に到着。その気になればこの日のうちに大阪まで移動することもできたのだが、せっかく山陰の県庁所在地まで来たのだから鳥取で1泊とする。

今回宿泊したのは駅近くのホテルアルファーワン。今回の行程、急に思い立ったようなところもあり、駅近くで手頃な料金のホテルの空きは少なかった。その中で全国チェーンの1室である。

部屋はまずまずとして、今回は駅前での一献としてある店に入った。ところが期待外れ、そもそもの接客がどうかという目に遭い、わざわざ予約したにも関わらず最初の一杯に口をつけただけですぐに出て来た。何か、残念だなあ・・。

ならばどこか別の店で仕切り直せばよいことだが、この時は「もうええわ!」と感情的になってしまっていた。今夜は居酒屋はなし。コンビニで買い物してホテルでの部屋飲みとするか。うーん、こうなるなら先ほど鳥取駅で駅弁を買えばよかったな(「とっとりの居酒屋」という一品もあるし)。あ、米子で買った「吾左衛門鮓」があったな・・。

ホテルに戻る前に、ふと思いついたのが鳥取温泉。当初は一献の後に入浴しようと思っていたが(身体にはよくないのだろうが)、こうなれば温泉に先に入って、その後部屋に戻って部屋飲みするほうが健康的だ。

向かったのは「元湯温泉」。1925年に開業、この辺りに湧き出た最初の温泉ということで「元湯」の名がつけられた。それだけ聞くと古色蒼然とした建物を想像するが、現在の建物は2006年に改築されたとのことで、昔ながらの先頭の雰囲気を保ちつつ快適に利用できる。入浴料も450円は銭湯価格だが、洗い場にはボディーソープが置かれていて良心的だ。

鳥取では以前、別の公衆浴場に入ったこともあるが、近隣の温泉も含めてなぜ熱い湯のところが多いのかと思う。地質などが関係しているのだろうか。

風呂でさっぱりしたのはいいが、外に出ると夜とはいえ蒸し暑い。近くのコンビニで飲み物等購入し、エアコンの効いた部屋に急いで戻る・・・。

さて翌27日、この日は京セラドーム大阪でのバファローズ対マリーンズ戦である。「Bs夏の陣」の最終戦。まずはホテルのレストランにてバイキング形式の朝食。それなりにメニューも豊富で、しっかりいただけた。

鳥取から大阪に向かうということで思いつくのは特急「スーパーはくと」だが、所要時間はいい勝負、そして価格で優位に立っているのが日本交通の高速バスである。「スーパーはくと」は大阪、新大阪に向かうが、日本交通のバスは梅田行きのほかに難波(湊町バスターミナル)行きも設定されている。難波まで乗り換えなしというのもポイントで、難波から京セラドーム大阪へは阪神電車で2駅だ。

鳥取駅7時40分発の便は伊丹空港、湊町バスターミナル経由の弁天町営業所行き。座席指定の高速バスの場合、現在は「発車オーライネット」や「高速バスネット」などの予約サイトで事前予約し、事前にクレジットカードやコンビニ払いで決済し、座席指定も可能である。またチケットレスにも対応しており、当日はWEBの乗車券を提示すればよい。

しかしながら日本交通の高速バスについては、事前予約こそ同社のホームページやメールで可能なものの、座席指定はできず、決済も乗車前に窓口で行う必要がある。何か、システムへの参入を拒む理由が日本交通にあるのだろうか。

座席は1ー2列配置の3列シート。1人席はほぼ全て埋まり、私が割り当てられたのは2人席の窓側。隣に相客がいなかったので別に問題なかったのだが、こうした席の配置はどのように決まるのだろうか。事前予約が早かった順?それとも窓口で決済した順? 席のリクエストはできるものかどうか。結局、1列席の全てと、2列席の窓側がほぼ埋まる乗車率で発車する。

まあ、前から2列目ということでまだ前方の景色も楽しめる。まずは鳥取市街地を抜け、国道53号線を走る。おしtr鳥取道に入り、千代川沿いの河原インターにて停車。この鳥取道も中国道の佐用に続く無料の高速道路である。

その後バスは用瀬パーキングエリア、智頭福原に停車する。いずれもここからの乗車はなかったが、これらの停留所で大阪行きのバスに乗る場合、決済はどのようにしているのだろうか。バス車内なので現金だけとか・・?

智頭急行は関西と鳥取を最短ルートで結ぼうとして建設、開通したのだが、後からほぼ並走するように開通したのが鳥取道である。それでも「スーパーはくと」の存在は大きく、松江道や尾道道の開通で徹底的に痛めつけられている木次線、芸備線、福塩線と比べると、智頭急行は第三セクターの中でも健闘している路線である。

佐用ジャンクションから中国道に入り、安富パーキングエリアで休憩のため停車。土産物コーナーには「揖保乃糸」が並ぶ。厳しい残暑を乗り切るためというわけではないが、夏の味覚を土産で買い求める。

この先の中国道も順調に走り、伊丹空港に到着。ここで下車する人が多い。トランクからキャリーケースを取り出す人も多い。鳥取にも空港はあるが、バスで2時間半かけて伊丹まで来れば飛行機の系統、便数も増えて旅の選択肢が広がるということか。伊丹空港に立ち寄るのは限られた便だが、こういう需要もあるものだと思った。

この後は阪神高速を順調に走り、大阪駅、梅田は素通りして湊町バスターミナルに到着。実質ここが終点のようで、残っていた客も皆さん下車したようである。

このまま大阪難波まで移動して、阪神なんば線でドーム前に到着。時刻は11時を回ったところで、まだそれほど混雑することもなく京セラドーム大阪に入ることができた。

この時はまだマジックが点灯したばかりだったが、それから順調に勝ち星を積み重ねて一気に優勝を決めてしまうとは・・・。

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観光列車「あめつち」にて鳥取へ

2023年09月21日 | 旅行記F・中国

話は8月下旬までさかのぼる。このたびリニューアルした米子駅舎と「がいなロード」の見物との組み合わせでいったん松江まで移動し、観光列車「あめつち(天地)」にて鳥取まで移動する。

この「あめつち」、キハ47改造の列車で、本当にこの形式はいろんな車両に生まれ変わっている。同じような車両で山陰線の「○○のはなし」や、呉線の「etSETOra」などがある。「○○のはなし」の2号車は全席海向きの座席配置ということで趣が異なるが、その他は海側にカウンター席と4人がけのボックス席、山側には2人がけの向かい合わせの席が並ぶ配置である。それが列車によって全席普通車指定席とグリーン車指定席と差が出ている。後者だと「青春18きっぷ」では乗ることはできない。「あめつち」はグリーン車指定席ということで、松江~鳥取間の乗車券を別途購入した。

先ほど米子にいて、わざわざ松江に向かったのは乗車距離を延ばすため。ならば出雲市まで行けばよいのだが、さすがにそこまでの時間はなかった。松江での折り返し20分は、社内での飲食物を買うだけならちょうどよい時間である。後は土産としてこのところお気に入りの鯖の塩辛(これは帰宅後のお楽しみ)。

「あめつち」は過去に1度乗車したことがある。この時は宍道湖、日本海側のカウンター席だったが、目の前にちょうど改造前はドア横だったところで、その時の枠が目の前に来ていた。キハ47改造の観光列車シリーズ、元の車体をできるだけ有効に使おうとしたために、座席と窓の位置が合っていなかったり、ちょうど目の高さに窓の中央部分が来たりというところが多い。そのため、個人の乗車記などを見ると、普通車指定料金ならまだしも、グリーン車料金は割高ではないかという声もあるようだ。また、みどりの券売機や「e5489」で座席指定ができないのも残念なところ。

今回は「e5489」で自動割り当てとなった山側の2人向かい合わせ席に陣取る。この席はたまたま座席と窓枠がいい感じで合っており、窓からの車窓もそれほどストレスなく楽しめるようだ。向かいの席は鳥取まで空席のようで、これなら気兼ねなしに「呑み鉄」も楽しめる。

「あめつち」は2023年秋に木次線の「奥出雲おろち号」が引退した後の代替列車として、2024年度からは宍道~出雲横田間を走行することが決まっている。木次線が走る奥出雲も神話の舞台になったところで、自然豊かなところ。観光列車も似合うことだろう。ただし、木次線の鉄道としての最大の見どころである出雲坂根の三段式スイッチバックには入らない。あの勾配を上るには性能が足りないためとのことだが、そういえば昔の木次線の写真を見ても、強力エンジンを積んだ車両が行き来していたなと思う。

松江を出発後、中海沿いに走る。客室乗務員が記念乗車証と「おみくじ」を持って来た。おみくじは大吉とか凶とかいうものではなく、出雲の神々が登場するという。引いたのは「櫛名田比売(クシナダヒメ)」。ヤマタノオロチ伝説にて、スサノオノミコトに命を救われた姫だが、おみくじの解説では、クシナダヒメはただ逃げていたわけではなく、その名のとおりスサノオノミコトの髪の上で櫛となり、オロチ退治の最前線に立っていたという。「意外な強さを内面に持ち、その強さをここ一番で発揮することで、大切な人の支えとなり、自身も輝きを発揮できるだろう」というご宣託をいただく。

安来に到着。後続の特急が先に発車するため約10分停車する。松江から東で停車時間が確保されているのは安来だけで、ちょうど車両の外からの撮影タイムとなる。車内全体も見て回るが、乗車率は半分強といったところだ。

鳥取県に戻り、先ほどまでいた米子に差し掛かる。扇形機関庫や気動車の群れを見て、新たな「がいなロード」を外から見る。

ここで半分以上の乗客が入れ替わる。出雲市~米子、米子~鳥取がそれぞれ約2時間ずつで、また米子は各方面の乗り換えとなることから利用が分かれるところのようだ。また、途中の停車駅が倉吉だけということもあり、特急よりは多少時間はかかるが、ゆったり座って行けるということで米子~鳥取の純粋な移動手段として乗ったらしい客も見かける。グリーン車だが快速列車のため、特急料金よりは若干安いこともある。

米子発車後、客室乗務員が声をかけてくる。車内での食事メニューとして「山陰の酒と肴」を別途事前予約していたのだ。セットには出雲の「豊の秋 花かんざし」。先ほど松江でビールやら缶チューハイや松江の「李白」なども仕入れ、すでに車内での一献は始まっていたが、ここでメインディッシュの登場である。

包みの中は彩あふれている。あくまで「酒の肴」で、弁当とは違いご飯物はない。「あめつち」限定の一品である。お品書きを見ると、島根牛のおろしソースかけ、しじみ入り玉子焼き、あごの磯辺揚げ、出雲そばの素揚げ、大山鶏と野菜の玉味噌和え、頓原漬けなど島根、鳥取両県の名物が一同に揃う。頓原漬けの頓原とは出雲でももっとも奥まった地域だが、大根、きゅうり、茄子、にんじんなどの夏野菜を古漬けにして醤油ベースのタレで煮込んだ漬物だという。冬は特に雪が多いところで、野菜不足を補う昔ながらの食物だという。

これで私が座っている進行方向右手に大山の雄姿が見えれば言うことないのだが、あいにく雲が広がっている。

車窓案内の放送をしていた車掌が乗車カードを配りに来る。「天気がよければこのように見えるのですが、今日は残念で・・」という。いやそもそも、大山の全容がくっきり見える日のほうが少ないのではないのかなと思う。

一方海側に目を転じれば、山陰線最古の駅舎がある御来屋での運転停車や、風力発電用の風車も車窓となる。日本海が見える区間も限られているが、それでも水平線を見る。

夕方が近づくがムシムシした空気は相変わらずの中、倉吉に到着。わずかな停車時間でいったんホームに出てみる。前回「あめつち」に乗った時は倉吉で下車したが、今回は終点鳥取まで向かう。

17時36分、終点鳥取到着。この翌日(8月27日)はいつぞや観戦記を書いたとおり、昼から京セラドーム大阪でのバファローズ対マリーンズ戦の現地観戦である。当初、「あめつち」でこの時間に鳥取に着いた後の過ごし方でいくらか迷った。この時間なら鳥取で1泊して一献として、翌朝大阪に向けて移動するのが自然だろう。もっとも、大阪に行くなら特急「スーパーはくと」もあれば、日本交通の高速バスもある。その一方で、鳥取からコマを進める手もある。「スーパーはくと」もしくは高速バスならこの日のうちに大阪まで行けるし、因美線~智頭急行の鈍行乗り継ぎでもこの日のうちに姫路などの山陽側に出ることもできる。

出発の前々日くらいまでいくつかのパターンを並べていろいろ考えたのだが、結論としては鳥取で1泊、そして翌27日は初めての乗車となる日本交通の高速バスで(安価に)大阪に向かうことにした・・・。

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「全員で勝った!!」オリックス・バファローズ見事リーグ3連覇おめでとう!!!

2023年09月20日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

どんぱーい!!おめでとう!!!歓喜歓喜!!!

これで「全員で勝つ!!」、いや「全員で勝った!!」 パ・リーグ3連覇おめでとう!!!

20日は職場もそこそこに引き上げて(まあ、早朝から勤務というのもあったので)、NHKーBSでのテレビ桟敷観戦。バファローズファンならJ-SPORTSの大前一樹氏の実況が人気なのだが、私個人はあまり好きではないアナウンサーなので(個人的にはオールドスタイルの濱野派)、ここは落ち着いた実況と、梨田昌孝、井口資仁という双方にバランスの取れた解説を選択。さすがNHKは大一番を見放さなかった。

試合はマリーンズが2対0と優位に進めていたし、バファローズの打線もさっぱりだったが、7回裏はこれまでの何か溜まっていたものを一気に吐き出すかのように一挙6点を奪い逆転した。

2021年は全日程が終了した後でマリーンズの結果待ちでの優勝決定、2022年は全く同成績ながら直接対戦の差でホークスに競り勝ったうえでの優勝決定だったが、マジックが早くから点灯して、そして順調に減らしたうえでの堂々とした優勝というのがすばらしい。かつての「近鉄バファローズ」ファンとして、同球団の優勝はヒヤヒヤの一方でミラクルがついてくる展開ばかりで、こうした堂々とした優勝への道のりは初めて。強いチームになったんやな・・と感慨深い。

さてこの後はクライマックスシリーズ。バファローズのファンクラブの私のステータスでは本日20日から前売開始だったが、ファイナルステージのチケットを何とか確保することができた。相手がどのチームになるかはわからないが、ファイナルステージはきっちり勝ち抜き、ぜひとも私の長年の夢である「あの球団」との日本シリーズを!!

まずはリーグ制覇おめでとう、ありがとう!!!

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観戦記・バファローズ対イーグルス@京セラドーム大阪(いよいよ、優勝に近づいてきた)

2023年09月19日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

9月18日、バファローズはイーグルスに勝利してリーグ優勝へのマジックを「4」とした。これで、19日からマジック対象であるマリーンズに連勝すれば20日に本拠地での胴上げとなる。

さてその前段として、9月17日~18日に関西遠征。このいずれかでリーグ優勝が決まる可能性があるとして2試合のチケットを押さえていたのだが、このところの成績のためリーグ優勝は最短で20日となった。ならばこの2連戦はどちらか片方だけでの現地観戦でもいいかという気になり(いや、熱心なファンなら優勝マジックがどうあろうと2試合観戦すべきとおっしゃるのだろうが・・)、結局関西の神仏霊場巡拝の道めぐりと組み合わせることにして、17日は京セラドームでの現地観戦、そして大阪市内に宿泊し、翌18日に神仏霊場めぐりで次のミッションとなっていた京都市街地に向かうことにする。この記事は17日の観戦記。

さて17日、広島から「こだま」にて新大阪に到着し、いったん天王寺まで行った後(近鉄百貨店では応援セール開催中!)、大正駅から京セラドーム大阪に向かう。9月も半ばを過ぎたが暑さは相変わらず。またバファローズも優勝間近ということで早くからファンも詰めかけており、雰囲気も熱い。

この球場での私のお気に入りスポットである1塁側上段指定席の最前列に陣取る。イーグルス戦は今季初観戦だが、これでホーム、ビジター合わせて、パ・リーグ5球団との試合に足を運ぶことができた。

終盤に来て、今季も「全員で勝つ!!」の言葉が踊る。このスローガンも連覇の中で定着している。

さて大入りとなった中、試合開始。

バファローズの先発は3年連続となる2けた勝利を挙げた宮城。この先さらに勝ち星を積み上げたい。

その立ち上がり、小郷のヒットの後二死一塁となり、4番・浅村を迎える。浅村は先日、パ・リーグの連続試合出場記録を更新(1144試合)したばかりで、CS中継でも表彰されたのを見たのだが、パ・リーグにも長年プレーした選手が大勢いる割に、連続試合出場記録となると意外にも少ないなと感じた。それを思うと、いかに衣笠祥雄の2215試合というのがとてつもない数字というのがわかる。まあ、最近ではベテラン、若手を問わずあえて休養日を設けることでシーズン全体を通したコンディション維持を重視するのが主流で、それほど「連続」にはこだわらない、いやあえて「連続」を避けるというのが世の流れ(一般の企業にもあてはまるぞ)。

その浅村、いきなり左中間への当たり。これが先制の2ランとなる。イーグルスもCS出場に希望をつないでいるだけに(レフトスタンドからは試合中何度も「CS行くぞ イーグルス!」のコールが起こっていた)、負けられないところだ。

イーグルスの先発は荘司。ドラフト1位ルーキーでここまでなかなか勝ち星が伸びないが、8月下旬からは先発で3連勝と少しずつ芽が出てきている。対するバファローズ打線は体調不良で頓宮、若月らが離脱する中、4番にセデーニョが復帰。二死一塁で打席を迎えるが、荘司の前に空振り三振。

バファローズの反撃は3回、二死から中川が四球で出塁し、西野がチーム初安打となる二塁打で二死二・三塁とする。

ここで森がライトへのタイムリーで2対2の同点とする。さすが頼りになる存在だ。ここでセデーニョに回るがフライで凡退となり、一気の逆転とはならなかった。

2回、3回は危なげなかった宮城だが、4回、先頭の浅村の二塁打、岡島のヒットと続き、阿部がタイムリーを放って3対2とイーグルスが勝ち越す。なおも無死一・二塁と続くが、辰己が送りバント失敗、太田が併殺に倒れ何とか最少失点で切り抜ける。

この試合はもつれる。その裏、二死からゴンザレスがライトへの見事な当たりを放つ。2けた10号となる本塁打。バファローズの外国人野手で2けた本塁打というのも久しぶりに目にするように思う(直近では2020年のジョーンズが12本)。

この後中盤は宮城、荘司ともに得点を許さず3対3のまま進む。

6回裏、一死から宗が四球、紅林のヒットで一・二塁のチャンスを作る。ここで先ほど本塁打を放ったゴンザレスを迎え、イーグルスは荘司から安樂に交代。するとゴンザレスは四球を選んで満塁となり、打席には杉本。この日は8番での出場である。

ここで杉本がセンターへの犠牲フライを放つ。4対3とこの試合初めてリードを奪う。その後は野口、中川と倒れて1点止まりだったが、これで宮城に勝ち投手の権利が生まれた。

4対3のまま終盤7回に入る。7回表、太田が二塁打を放ってチャンスを作るが、最後は第打・伊藤が三振で無得点。

その裏イーグルスは3人目の鈴木が登板し、一死から森の四球、セデーニョのヒットで一・二塁とするも、宗が併殺に倒れて追加点ならず。

迎えた8回表、一死から島内が四球で出塁。100球を超えたこともあってか、またここまで本塁打、二塁打を放っている浅村を迎えたためか、宮城から宇田川に交代。

その宇田川、浅村に死球を与え、これで一死一・二塁となる。二塁には島内の代走・田中が入っている。

ここで続く岡島がセンターへのヒットを放つ。二塁から田中がヘッドスライディング、判定はセーフ。中嶋監督から物言いがついたが、ビデオ検証の結果、軍配通りセーフ。これはセンターのビジョンを見ても田中の手が先についているのがはっきりしていた。4対4とまた同点になる。なおも一・二塁の状態が続くが、宇田川が踏ん張って逆転は許さなかった。

8回裏は宋が登板。先頭の紅林がヒットで出塁。続くゴンザレスの打撃に期待するところ、何とセーフティ気味のバント。バントは来日初とのことだが、こんなことまでできるとは。

そして杉本の当たりは左中間へ。紅林が生還し5対4とまたも勝ち越し。杉本も「俊足」を飛ばして三塁に到達。昇天ポーズならぬ両腕を突き上げてのガッツポーズ。ここで「俊足」の杉本の代走で本職の小田に交代。続く野口の内野ゴロの間に小田が生還し6対4とリードを広げる。

2点リードとなった9回表は、平野も体調不良で登録抹消の中、山﨑颯が登板。村林、小郷のヒットで二死一・二塁とするが、最後は代打・フランコを内野ゴロに打ち取り、そのまま6対4で逃げ切った。

点の取り合い、シーソーゲームとなったが、まんべんなく当たりが出た試合であった。いったん同点とされたものの、直後に味方が勝ち越したことで宇田川に勝ち投手がついた。

お立ち台は杉本。犠牲フライ、決勝の三塁打と2打点である。「紅林ヒット、マーゴのバントがあったので自分で決めようと思った」とした後で、「今日は徳島から親友のタカシマ君が来てくれていて、ヒーローになれてよかった」とあった。タカシマ君て誰やねん、今ビジョンに映っているファンの人ではなさそうだな・・というところだが、後で見たスポーツ紙の記事によると、「タカシマ君」とは杉本の徳島商高の野球部の同窓生で、今季初めて観戦に来ていたとのこと。もっとも、これまで杉本が試合に招待しても、当日杉本が2軍落ちしていたということが何度かあったそうで、やっと親友の前で打ててほっとした様子。今季の杉本は何度か2軍落ちを経験しているが、この先、この選手の打棒は必ず欠かすことはできない。

試合前はマジック7だったが、この日のバファローズの勝利、マリーンズの敗戦でマジックは5となった。

翌18日は神仏霊場巡拝の道めぐりで京都に行くことにしており、私のスケジュールとしては今季の現地での公式戦観戦は一応終わりである。いや、この後のクライマックスシリーズ、さらには日本シリーズもある。こちらにはぜひ来たいのだが、果たしてチケットが確保できるものかどうか、今からいらん心配をしてしまう・・・。

・・・そしてこの記事を書いている19日、バファローズはマリーンズとの直接対戦に3対2で勝利し、いよいよマジックが2。20日の同カードに勝てば本拠地での胴上げである。20日はぜひとも早くに帰宅してテレビ桟敷に座らなければ・・どうせ地上波中継はないし、あっても広島では映らないだろうから、いつものJSPORTSでの観戦になるのだろうな・・・(NHK-BSはどうかな)。

ここまで来れば一気に決めたれ!!

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米子駅がいなロード

2023年09月16日 | 旅行記F・中国

広島から高速バス「メリーバード」号でやって来た米子駅。この7月に駅舎がリニューアルされたばかりである。かつては昔ながらの国鉄の風情を残す重厚な建物だったが、南北自由通路「がいなロード」の新設も含めて新たな姿になった。昔は駅のホームでそばをすすり、「吾左衛門鮓」をぱくついたことがあったなあ・・。

橋上駅ということでエスカレーターで上がる。エスカレーターでは顔や手を手すりの外に出さないよう注意する音声が流れるのだが、そのセリフが「顔や手を手すりの外に出したらいけんよ、危ないけん」と、こちらの言葉である。そういうことをするのは子どもが多いだろうから、母親や保育士さんが呼びかけるようである意味効果的かもしれない。

合わせて、駅ビルとして「シャミネ」が入る。JR西日本の関連会社で、これまで松江、鳥取の高架下に店舗があったが、このたびは広大な地上駅の駅ビルの一角でのオープンだ。駅舎のリニューアル工事中には建物の前で営業していた土産物店とセブンイレブンも改めて「シャミネ」に入り、売り場面積も広がっている。新たに広島発のリトルマーメイドや、なぜか米子で仙台の牛たんの店、コクミン薬局や食料雑貨店のジュピターなどが入る。米子という土地柄、鳥取、島根両県の土産物はここで一気に手に入れることができる。昼食になるか夜食になるか、「吾左衛門鮓」も売っていたので購入する。先般1箱買い求めた際、土産用ということか切れ目が入っておらず、プラスチックのナイフもないので「吾左衛門鮓の恵方巻き食い」をしたことがあったが、今回はちゃんと駅弁用である。

さて、がいなロードである。米子駅は車両区もあり側線も広がっていて、広大な地上駅だったのだが、それ故に地元の人たちにとっては駅の南北の行き来は大回りを強いられ不便だった。この自由通路の新設で、自転車での往来(あくまで、押して歩く)も可能となった。通路の壁面や天井には県東部の智頭杉が使われている。夏は涼し気に、冬は木の温もりを感じさせることだろう。

そして・・これがある意味売りになると思うが、側線に停まっている電車、気動車を見渡すことができる。子どもも景色を楽しんでいたし、カメラを構えて窓ガラスにへばりついているその筋の人もいる。交通の要衝。

南口に到達。本来ならこの下に降りて駅舎を外から眺めるところだが、そのままここで引き返す。

さてここから観光列車「天地」に乗るのだが、乗車区間を少し延ばそうかと、いったん指定席を押さえていた松江まで行くことにした。その列車の発車時間もあったので、リニューアルされた米子駅の見物といいつつも、滞在時間はごくわずかなものである。まあ、山陰地区の乗り鉄でこの先米子に来る機会もあるから、改めて楽しむことにしよう。

米子13時42分発の出雲市行きに乗車。駅舎は橋上駅としてリニューアルされたが、ホームに降り立つと昔ながらの風情が残る(悪い意味ではない)。そしてキハ47の2両編成に揺られ、島根県に入り松江に到着。いったん改札を出て「天地」車内での飲食物を購入する。

ホームに上がるとちょうど「天地」が入線してきた。これから乗り鉄、呑み鉄の一時である・・・。

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リニューアルした米子駅舎を見に行こう

2023年09月15日 | 旅行記F・中国

9月14日のプロ野球はタイガースの「アレ」で全国的に賑わったことである。私はタイガースやそのファン、そしてタイガース偏重の関西マスゴミが嫌いなのだが、今季のセ・リーグでの強さは際立っていた。カープもオールスター戦前後は一時首位に立つなどし、何とか食らいつきたいところだったが8月以降のタイガースはほとんど負けなしで一気に抜き出た。前週の甲子園での直接対戦、カープは3連勝が絶対条件だったが逆にタイガースが3連勝と圧勝。これには脱帽するしかない。

それにしても、異動で関西を離れていてよかった。もし大阪勤務のままだったらマスゴミのバカ騒ぎにうんざりしてい、苦痛を感じたことだろう・・・(バファローズが連覇してもそんなことはなかったと聞く)。

14日は体調が思わしくなかったので早めに帰宅し、仙台でのイーグルス対バファローズ戦をCS中継で観戦。0対0のまま静かに試合が進んだが、延長11回に森が決勝の2ランを放つ。これでマジックを7とした。この後は大阪でのイーグルス、マリーンズ相手の5連戦で、最短だと19日のマリーンズ戦での優勝が決まる。さすがに、現地観戦を予定していたイーグルス戦での優勝とはならなかったが、CS中継でその瞬間を楽しみとしよう。

まだ、バファローズとカープの日本シリーズを広島で観戦するという、私の長年の夢は残されている・・・。

さて、この記事の本題は8月下旬にさかのぼる。8月27日、大阪でのバファローズ対マリーンズ戦の観戦にあたり、その前段でのお出かけである。当初は、神仏霊場巡拝の道めぐりとして次の札所がある京都に行くことも考えたが、今回は回り道をしてから大阪に向かうことにした。ということで、山陰を回ろうか・・。

山陰線といえば、今年7月29日に米子駅がリニューアルされ、駅の南北をつなぐ自由通路「がいなロード」が完成した。これまで工事中の姿を目にしたことはあったが、完成したなら一度見てみよう。そして観光列車「天地」に乗り鳥取まで進み、一泊。翌27日は朝から出発して大阪に向かい、ドームでの野球観戦というプランを立てた。

その米子行き、まだ「青春18きっぷ」の時季で、私の手元には1回分のチケットがある。広島を早朝に出発し、山陽線~伯備線を乗り継いで米子まで行く手もあるが、ここは違うルートで行くことにする。そこで思いついたのが、広島~米子の高速バス。広島と山陰を結ぶ公共交通機関は高速バスが主力で、これまでの旅や札所めぐりで利用したことがあるが、米子便は初めてである。

8月26日、広島駅新幹線口に現れる。広島駅9時50分発の「メリーバード号」。鳥取行き、米子行きともにこの愛称がつくが、ウィキペディアによると、「芸備線・木次線の急行ちどり号に取って代わる形で運行開始」とある。急行の「ちどり」は松江城の別名である千鳥城から取られた名前だが、「メリーバード」という造語にも「ちどり」の思いが込められているようにも感じられる。

広島駅から広島バスセンターを経由し、両方合わせて2列シートの片側が埋まるか埋まらないかの乗車率。4列シートだが、隣の席に相客がいなければ広く使うことができる。

広島高速4号線を抜け、大塚駅バス停で1名乗せると、後は米子駅までノンストップである。途中の中国道、松江道の停留所の乗降は松江行き、出雲市行きに任せているようだ。

順調に走り、途中の休憩ポイントである江の川パーキングエリアに到着。

三次東から松江道に入る。今や芸備線・木次線に替わる陰陽連絡の主要ルートである。片側1車線の高速道路というのは自分で運転すると後ろから間違いなく煽られるのでプレッシャーでしかないのだが、バスの乗客として利用するぶんには気楽なもので、安心して身を任せる。

島根県に入り、木次、宍道といった木次線とも並走し、山陰道に入る。少し離れて宍道湖の湖面も見ることができる。この後に乗る観光列車「天地」、出雲市始発でこの宍道湖沿いにも走る(ところによっては徐行運転)のが売りの一つで、また乗ってみたいところだ。

米子西インターから市街地に出る。山陰線の線路をまたぎ、米子駅に到着。広島市街から3時間半ほどの道のりだが、今回は定刻より少し早く到着した。

さて、しばらくこの駅舎を見ることにしようか・・・。

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日帰りツアーは庄原名物ガイドの独壇場で楽しませる・・・

2023年09月14日 | 旅行記F・中国

熊野神社、竜王山、大トチと庄原市西城町の自然スポットを回り終え、道中は名物ガイド・熊本隊長のトークが繰り広げられ、庄原観光推進機構主催の「比婆山おさんぽ登山」の日帰りツアーは市の中心部近くにある「食彩館しょうばらゆめさくら」に到着。

帰りは備後庄原駅17時発の広島行き高速バスに乗るのだが、それまではお買い物タイムである。ここまで予定より順調に進んでいるということで、「ゆめさくら」で約50分のインターバルとなった。

「ゆめさくら」には地元のさまざまな食材や土産物が並ぶ。また地元の酪農家の牛乳をベースにした乳製品やソフトクリームの販売もある。帰りに荷物になるなと思いつつ、私も米や地酒、地元産こんにゃくなど買い求める。比婆牛もロースからホルモンまでさまざまな部位が並ぶが、これはさすがに手が出ず、加工品にて一応買ったことにする。

ただ施設自体が小ぢんまりとしたもので、他の参加者もあれこれ買ったり、ソフトクリームをなめたりしていたが、そのうち時間を持て余すようにその辺りをウロウロしたり、限られたスペースに腰を下ろしたりする。外に出ても暑いだけだ。

その様子を見てか、熊本隊長と運転手が話をして、「ゆめさくら」での滞在を切り上げて、高速バス発車まで時間の許す限り庄原市街のスポットをバス車内から見物することになった。バス車内で涼めるのもよい。

まず向かったのは、「ゆめさくら」に隣接する「桜花の郷 ラ・フォーレ庄原」。以前は「かんぽの郷」として営業していたが、庄原市が経営を引き継ぎ、2022年にリニューアルオープンしたところ。最初からこちらを立ち寄りスポットにしてくれれば、おさんぽ登山の後にひと風呂・・となったかもしれない。

続いては、右手に広い邸宅の入口を見る。ここは元大臣・国会議員の亀井静香氏のご自宅だという。そんな、個人の邸宅を紹介してもよいのかとも思うが、庄原の人は皆さんご存知なのだろう。亀井静香、広島県内でも独特の存在感を放つ政治家だったなあ。ご自身は政治家を引退しているが、今でも三次、庄原エリアの沿道で見かける「結集ひろしま」のポスターに支援者として登場している。

その亀井邸からすぐのところに上野池がある上野公園。江戸時代に農業用のため池として開かれ、現在は桜のスポットとしても知られる。熊本隊長に言わせれば「上野公園といえば東京が有名だけど、元祖は庄原」とのこと。

そして「相変わらず人の姿を見ませんね~」と言いつつ市役所近辺を抜け、国道183号線に出る。そこは国営備北丘陵公園の入口。庄原の代表的観光スポットだが、さすがに中に入っても中途半端でしかないのでそのまま通過。

代わりにやって来たのは、国道183号線で芸備線の橋梁をくぐったところにある比婆観光センター。そのわけは、店頭の看板代わりの「ヒバゴン」の人形。「ヒバゴンにも会って来たということで・・」いや、ここまで来ると涙ぐましさすら感じる。

ここで折り返しとしたが、今日は熊本隊長もノッているのか半ばヤケになっているのか、「私の豪邸をお見せしましょう!」となった。西城川に沿って走らせる。そして1本脇道に入りしばらく走ると、城の櫓のような構えの一軒家を通過する。こちらがご自宅とのことだ。ガイドの身を削る案内に車内から笑いが起こる。ただこの邸宅、以前広島のローカル番組でも見たことがあるような。

「バスまでもう少し時間がありますけぇ、どこか行きたいところがあれば!」「もし高速バスに間に合わなければ、このバスをそのまま貸切って広島まで行きましょう!」という隊長に対して、「田んぼの中の柿の木」という声が挙がった。そういうスポットがあるのか。

さすがは隊長と運転手で、それがどこかというのはすぐ特定したようだが、そこまで行ったら帰りのバスの時間がギリギリになりそうだと一瞬心配したものの、一か八か行ってみようということになった。

その「田んぼの中の柿の木」とは「川北の大柿」というそうで、先ほどの老杉や大トチのように天然記念物に指定されているわけではないが、樹齢は500年という。

バスの車窓に、この時季のため周囲の林と同化して見えるがそれらしき木があった。秋になると今でも実をつけるそうで、その時に来るとのどかな彩が見られることだろう。

さすがにここで寄り道も時間切れとなり、折り返して備後庄原駅に戻る。「ホント、今日はいろんなことがあるツアーで、お客さんもいい方ばかりで」と締めくくり、下車時には広島行きの高速バスの切符と、お土産として刺身こんにゃくのパックを手渡し。無事に広島行きのバスに間に合い、熊本隊長のお見送りを受ける。

この便だが、市街地を抜けて庄原インターから中国道に入ると、三次に立ち寄ることなくそのまま通過する(千代田インターのみ停車)。かろうじてまだ外の景色が見える時間帯に広島に到着。

行きは芸備線「庄原ライナー」、帰りは備北交通の高速バス利用ということで、芸備線活性化とともにバスの顔も立てて備北地区の公共交通機関の利用機会を提供する一連のツアー。今回訪れたスポットもマイカーで行けばもっと早く回れて、その分他のスポットにも行けるところだが、普段団体行動があまり好きでない私でも楽しめるのがこの企画。途中、熊本隊長も「私も定年なんでお別れの言葉を考えなきゃ」と言っていたが、いやいや(雇用契約を変えてでしょうし)、これからも楽しませてほしいものである・・・。

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庄原・竜王山への「おさんぽ登山」

2023年09月12日 | 旅行記F・中国

「イザナミ茶屋」での昼食、熊野神社への参拝を終え、この日帰りツアーのメインの目的地ともいえる竜王山山頂を目指す。竜王山の標高は1256メートルと決して低くはないが、その筋の方によれば初心者でも登りやすい山だという。本来の登山なら、熊野神社を出発して標高差600メートルを2時間ほどかけて登るそうだが(いや、登りやすいといっても600メートル上がりますやんか)、今回は「おさんぽ登山」である。

この竜王山、標高1223メートルの位置に駐車場があり、そこから山頂までの標高差はわずか33メートル。これだとビルの7~8階を上がるくらいの高さである。

その駐車場に向かうのだが、途中の山道はもちろんカーブが多く、時にはいったんバックしてハンドルを切り直さなければならないヘアピンカーブもある。以前、通常の大型観光バスで竜王山を目指したことがあったが、途中で離合ができなかったり、沿道から伸びる木の枝に引っかかったりして散々な目に遭ったことがあるそうだ。そのため今回マイクロバスでの移動となった次第。

間もなく駐車場というところでバスが停まる。運転手によるとこの先に草が生い茂っており、マイクロバスでも入るのは得策ではないという。結局ここで下車して山頂を目指すことになったが、それでも当初の予定から歩く距離が300メートルほど延びた程度である。スケジュールにも支障がないということでこの後ぞろぞろ歩く。

と、ここで虫よけスプレーが登場する。バスから一歩出るとアブやらブトやら、いろんな虫が飛び交っている。そうと事前に知らされていれば長袖でも着てきたのだが・・。ガイドの熊本隊長だったかバスの運転手だったか、昔竜王山の山頂付近では牛の放牧が行われていて、それでアブなども棲みつくようになったのではとのことだ。

杖をついて参加している方もいるし、山のことなので勝手な行動ではぐれてもいけないので、「ゆっくり歩いてください!」と隊長のゲキも飛ぶ。草生した駐車場で全員揃ったのを確認し、しばらく休憩する。

そして山頂に続く最後の上り坂に向かう。枯れ葉のために滑りやすくなっているところもあるが、一応階段も設けられているし、楽なものである。

駐車場から5分ほどで山頂に到着。ススキのスポットとしても知られるちょっとした広場である。広く周囲を見渡せるのがよい。ちょうど正面に見えるのが立烏帽子山。その奥に比婆山、吾妻山などを望むことができる。

天候がよければこちらの方角に大山の姿も望めるとのことだが、残念ながらかすんでいる。この方角から見えるとすれば「伯耆富士」とも称されるコニーデ型の姿だろう。

しばらく過ごした後下山する。それぞれのペースで歩き、いつの間にか向きを変えていたバスに戻る。さすがに帰りは隊列も長くなった。相変わらずバスの周りにはこれでもかという数のアブたちが飛び交っていて、運転手もドアを手動扱いにしてその都度開閉する。それでも1匹や2匹は車内に入るので、それを追い払ったり・・なかなか大変だ。窓ガラスにもへばりついている。

全員無事に戻り、特にアブなどに噛まれたとの声もなく、竜王山を下山する。

次に向かうのは熊野神社から少し離れたところにある熊野の大トチ。こちらも国の天然記念物に指定されている。まずは駐車場にバスを停めて、川の対岸にある大トチを眺める。樹齢は600年もあるとか。

橋を渡り、根元まで行ってみる。樹木の保護のため柵で囲われていて普段は入ることができないのだが、今回ツアーということで特別に根元に触れることができる。その根元には大きな空洞ができており、中をのぞいてみる。動物が棲んでいたり、あるいは何かが祀られていてもおかしくない空間だ。

先ほどの熊野神社の老杉といい、この熊野の大トチといい、この近辺には古くからの自然にあふれている。広島の市街地と比べればいくらかの涼しさも味わえ、県内にはこうしたスポットがあるのだなと一つよい経験となった。

この後は土産物購入ということで、庄原の中心部近くに戻ることに・・・。

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比婆山麓の「熊野神社」に参詣、幻の魚「ゴギ」をいただく

2023年09月11日 | 旅行記F・中国

8月20日、芸備線「庄原ライナー」の応援企画として行われた日帰りツアー。庄原の名物ガイド「熊本隊長」が添乗する「比婆山おさんぽ登山」に参加している。比婆山といえば広島県から島根県、鳥取県境に綱らる山々で、それを「おさんぽ登山」と称するのだからそうしたスポットがあるのだろう。

備後庄原駅をマイクロバスで出発し、近くのホームセンターで虫よけスプレーを購入した後、熊本隊長のガイドで庄原市の西城町へ向かう。沿線の見どころや、庄原市内に点在する鉱山、かつて世間を賑わせた「ヒバゴン」など、話のネタは続く。並走する芸備線にも触れる。9月にクラウドファンディングにより芸備線活性化のイベントとして、俳優の六角精児さんや鉄道ジャーナリストの杉山淳一氏らを招いてのシンポジウム、そして「呑み鉄列車」の運転が行われるのだが、地元・庄原市を走る路線のこと、この熊本隊長にも一役買ってほしいと個人的には思う。

最初の目的地である熊野神社へ続く道に入る。比婆山は「古事記」のイザナギ・イザナミの神にまつわる物語の舞台とされており、山にはイザナミの神が葬られているとされる。その遥拝所として開かれたのが熊野神社の始まりという。

熊野神社の大鳥居の横が駐車場になっており、そこにある「イザナミ茶屋」にて昼食。

古代米に山菜やトロロがのった「いざなみ丼」や、「ゴギ」の塩焼きなどをいただく。「ゴギ」とはイワナの一種で、西中国山地の限られた川でのみ生息する魚である。名前は朝鮮語で魚を意味する「コギ」から来ていて、はるか昔、たたら製鉄の技術を伝えるべく日本に渡っていた朝鮮の人たちがそう呼んだことから定着したという。

かつては「幻の魚」とされていたが現在は養殖にも成功し、こうして日帰りツアーの昼食にも出てくる。以前参加した庄原ツアーで「イザナミ茶屋」にも来たのだが、昼食は別のスポットで(確か比婆牛だったかな?)、「ゴギ」は水槽で泳いでいるものの紹介だけだった。実際に食べるのは私は初めて。焼いた川魚は塩気のためにどれも同じように感じるところあるが、身が軟らかくて美味い。このツアーの参加者はは私より一回り、二回りお年を召した方々ばかりなのだが、皆さん食欲旺盛で、塩焼きもぺろりと召し上がっていた。

他に名物「かき餅揚げ」を買い求めたり、ミニトマトと茗荷はサービスで自由に持ち帰りなど、昼の一時を楽しむ。

この後は出発時間まで熊野神社の自由参拝。多くは熊本隊長とともにゆっくり石段を歩く様子だが、私と、旅慣れた様子のもう一組の方々はそれらを待たずに先に石段を上がる。

境内には天然記念物にも指定されている大きな杉が何本もあり、パワースポットとしても知られている。こういう大木を見るとそれに手を当ててパワーをいただきたくなるのはどういうメカニズムなのか言葉で表現するのは難しいが、やはり触れてみたくなる。

拝殿に着き、手を合わせる。

熊野神社じたいは、20年以上前の広島勤務時にも来たことがある。当時まだ20歳代。当時書き記したものによると、広島県の山奥に熊野神社があり、奥に那智の滝があるのは妙なものだという感想だった。私自身の当時の知識では、熊野神社(大社)や那智の滝は和歌山県のそこだけだというものだった。熊野信仰やイザナギ・イザナミの神の言い伝えが残る場所はあちらこちらにあると知るのは後のことである。

この先、いくつかの祠を経て比婆山の登山道に入り、その途中に那智の滝もあるのだが、今回は本格登山ではなく「おさんぽ登山」。また団体行動のため時間内にバスに戻る必要がある。私たちが折り返して石段を下りていると、ようやく主力部隊がこれから参詣というところですれ違う。一足先にバスに戻り、車内で涼む。

車内から観察していると駐車場のクルマがポツポツ出入りしており、登山スタイルの人も見かける。パワースポットとして知る人ぞ知るところというのがわかる。

乗客が来ると運転手はそのたびにドアを開閉する。冷房中ということもあるが、この時季、外にはアブやブトなどの虫が多く飛び交っていて、車内に入らないようにとのことだ。今回のコース、この先ではさらに虫が増えるとされており、備後庄原駅出発後に虫よけスプレーを購入したのもその対策だという。

予定時間までに無事全員が戻り、これから向かうのは比婆山連峰の一つ、竜王山。ここが今回「おさんぽ登山」のメインスポットだそうで・・・。

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「庄原ライナー」で行く芸備線と自然を楽しむ夏のツアー

2023年09月07日 | 旅行記F・中国

このところ各地のローカル線の存続が話題になっている。自然災害が絡むものも多く、九州では熊本地震から7年を経て全線運転再開となった南阿蘇鉄道や、豪雨で鉄道による復旧を断念しBRTを導入した日田彦山線(ひこぼしライン)のニュースを目にした。一方で、肥薩線の八代~人吉~吉松間は依然として再開の目途は立っていない。

そして中国地方では7月に線状降水帯が発生した影響で山陰線(長門市~小串間)、美祢線が現在も不通である。これらの路線も今後の行方は予断を許さないところだ。

その中国地方において、自然災害とは関係なく存続が取り沙汰されるのが木次線、芸備線である。中でも芸備線の東城~備後落合間では営業係数が25000を超えるというありさま。国鉄末期に相次いで廃止されたローカル線でも営業係数は3000~4000程度だったとされる中で、数字だけ見れば異常である。

その一方で赤字の「額」はどうなのかというと、東城~備後落合間は年間で2億6000万円と発表されている。1年で2億以上の赤字もすごいが、同じ芸備線でも比較的利用が多い下深川~広島間を見ると、営業係数は600台と比較的ましに見えるが、赤字額は年間13億2000万円とある。赤字額だけ見れば後者のほうが多く、経営へのダメージも大きいのではないかと思う。もっとも、広島の交通事情を鑑みると下深川~広島間を廃止することはまず考えられない。やはり、利用客が圧倒的に少なく営業係数の悪い区間の存続が議論される。

芸備線の今後のあり方についてJRと沿線自治体との協議が行われる中、地元有志として何とか線路を守りたい熱い思いを持つ人たちもいる。そうした活動もネット記事で見ることがあるのだが、7月の初め、スマホ記事で「芸備線のクラウドファンディング」というのを見つけた。金額によりさまざまな返礼品が受けられるのだが、目玉としてイベント列車「呑み鉄鈍行ちどり足」に乗車というのがあった。

9月24日、キハ40系を貸し切って、三次~備後落合間にて沿線の地酒を味わうイベント列車を運行するというもの。「呑み鉄」という言葉に惹かれ、寄付金は1万円からとある中、少しでも応援できればとエントリーした。ちなみに、「ちどり」はかつて芸備線、木次線を走っていた急行の愛称でもある。キハ40系が備後落合に入線するだけでも一大イベント。

これに先立ち、前日の23日には庄原市内で芸備線の活性化に関するシンポジウムが行われるとある。そこには「呑み鉄」として知られる俳優の六角精児さんや、鉄道ライターの杉山淳一さんなどがパネラーとして参加するそうだ。「ちどり号」の寄付金にはこのシンポジウムに現地あるいはオンラインで参加する権利も含まれていた。残念ながらお二方が翌日のイベント列車には乗る予定はないとのことだが・・。

このクラウドファンディング、その筋を中心に賛同が多かったようで、期間内の早い段階で目標金額をクリアしたとの通知があった。これで私も無事「ちどり足」に乗ることができそうで、予定を上回った寄付については備後落合駅の環境保全や、さらなるイベントに向けて活用するとのことである。

これで秋の芸備線の楽しみができたのだが(その頃には、オリックス・バファローズが「そこ」に到達しているかもしれないが・・)、その前に夏の芸備線へのお誘いである。

「庄原ライナー」。芸備線の庄原地区の観光促進を目的として、通常の快速「みよしライナー」の1本を備後庄原まで延長して運転される列車である。2回目の広島勤務以降、秋に運転された「庄原ライナー」と組み合わせて庄原市内を回る日帰りツアーに参加したことがあるが、今年は初めて7月中旬~8月中旬、夏休み期間中の土日祝日の運転である。

この「庄原ライナー」と組わせたツアーや、備後庄原駅からの臨時バスが組まれている。今回、庄原観光推進機構から送られてきたダイレクトメールを見て、日帰りツアーに参加することにした。これまで2回日帰りツアーに参加したことがあり、定期的に地元産品の案内も郵送されている。リピーター扱いのようだ。

ダイレクトメールでは夏のツアーとして3つのコースがあったが、私のスケジュールと、私がこれまで訪ねたことがないスポットが含まれているということで、8月20日の「比婆山おさんぽ登山」を申し込んだ。備後庄原からツアーを引率するのは、庄原の名物ガイド「熊本隊長」・・!

8月20日、広島9時ちょうど発の快速「庄原ライナー」に乗る。もっとも、駅の電光掲示板や気動車のサインも「快速 備後庄原」とだけ表示されていた。この快速も7月~8月の土日祝日限定の運転で、しかも広島9時発の1本のみ、さらに備後庄原までの片道だけである。このツアーの帰りも、瓶号庄原駅から高速バスに乗車するプランである。そこは芸備線が出ないのかなと思うが、高速バスを運行する備北交通もローカルバスの会社で、経営は決して楽ではないだろう。そこは鉄道とバスがタッグを組んで、地域の活性化になればというところだろう。

下深川まで各駅に停まった後、快速運転となる。こうしたローカル気動車が比較的長い時間無停車で走るのも、往年の鉄道旅行をイメージさせてくれる。ちょうど1ボックスに1~2名、ロングシートもポツポツ埋まる程度。この後のツアー参加者は全員「庄原ライナー」に乗っているはずで、「登山」というのでそれらしい出で立ちの方も見える。何人くらいいるのかな。

三次に到着。停車時間は約5分で、改札口へは跨線橋を渡る必要があるので乗車したまま。側線にはキハ120のカープラッピング車両が停まっている。このラッピングも地元有志によるものである。こうした取り組み(先に書いた、クラウドファンディングもそうなのだが・・)は注目されるが、その路線の利用につながる効果はごくごく限られたもの。そもそも沿線がクルマ社会で鉄道の存在など眼中にないが、そうなったのは鶏が先か卵が先かを論ずるようなものである。利用客が少ないからダイヤを減らさざるを得ず、そうすると不便なのでさらに利用客が減って・・の負のスパイラルはそう解消できるものではない。

とはいえ、「庄原ライナー」のような列車があり、それに合わせたツアーが行われることで、同じ広島県内でもなかなか訪れる機会がない備北地区を知るきっかけになる。ツアーも3回目となるとリピーターといっていいかな。

三次から庄原まではノンストップ。車内を回ってみたが、2両で20人あまりいるようだ。こういう列車なら期間限定ではなく、年間を通して1日1本だけでも運転できないのかなと思うが・・。

10時56分、備後庄原着。今回のツアーに添乗する名物ガイド「熊本隊長」の出迎えを受ける。

駅前にバスが停まっているが、過去に参加した時より小ぶりな車両である。参加者が少ないからかなと思ったが、その理由は後に明らかになる。

ツアー参加者は私を含めて14名。先ほど車内にはさまざまな年齢層の客がいたように思うが、結局ツアー参加者は失礼ながら私(も大概おっさんだが)よりも一回り上、いや二回り上の方々ばかりである。また男性は私以外はお年を召した2名だけ。ということは・・。

そして、庄原の名物ガイドとして数々のテレビ番組にも出演した「熊本隊長」がマイクを握る。「庄原市は西日本でもっとも面積が広い市ですが・・・しかし見てください、歩行者の姿はまったく見えません!」。「庄原市の人口は現在約32000人。しかし人口は毎年700人くらいずつ減少しています。このぶんで行くと・・・40何年か後には人口がゼロになる庄原市でございます!!」と、最初は庄原の自虐ネタで笑わせる。

出発直後、マイクロバスは国道183号線に面したホームセンターの駐車場に入り、熊本隊長が外に出る。運転手からは、虫よけスプレーを購入するためだという。

改めて国道183号線を走り、西城の中心部を抜け、まずは比婆山の遥拝所としても知られる熊野神社に向かう。その鳥居のたもとにある「いざなみ茶屋」での昼食である・・・。

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