まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

試合途中降雨コールドゲームにバファローズ監督が激怒しているようですが・・

2024年06月28日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

雨は仕方ないでしょう・・・。運営のマズさはあったかもしれないが、こうなることが想定された試合ならなおのこと途中コールドになる前に1点でも多く得点しとけやというだけのこと。審判に八つ当たりはないでしょ。見苦しい。監督の無能さが露呈するだけ。

・・・今季、バファローズの現地観戦成績1勝5敗「1雨天中止(ここ大事)」のおっさんのひとりごと。

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観戦記・バファローズ対ホークス@京セラドーム大阪(出張帰りの現地観戦で自力優勝消滅)

2024年06月27日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

パ・リーグは依然としてホークスが首位独走、2位~5位が混戦で、ライオンズが大きく離されての最下位という展開が続く。ファイターズが若手台頭、イーグルスも交流戦優勝というプラス材料で健闘しているがホークスが抜きんでている状況は変わらない。

バファローズはそのホークスを大阪に迎えての3連戦。この第2戦である26日、現地観戦に出かけた。この日は大阪で行われる会議出席のため日帰り出張だったのだが、出張が決まった際たまたま日程表を見ると大阪での試合である。まあ、帰りに立ち寄ればのぞいてみようというくらいの気持ちで、ファンクラブ特典の指定席引換券を使って一塁側上段中央指定席を確保していた。仮に観戦できなくなったとしても金銭的に損はしない。

会議終了後はそのまま散会となり、自由行動である。帰宅の時間を考えると試合終了までの観戦は厳しいが、6時半頃にはドームに着きそうだ。

この日の先発はバファローズ・東、ホークス・大関。東大関・・・琴櫻、豊昇龍。いや、人の苗字で遊んではいけませんな。向かう途中、スマホで試合速報を見ると初回にホークスが栗原の2ランで先制。あらあらと思うと、周りの乗客の会話で「裏で1点入っとるで」というのが聞こえ、太田に反撃のソロ本塁打が出たのを知る。

個人的には試合開始から観戦したいということで、大阪勤務時代もなかなか平日ナイトゲームを観ることはなかったが、今回はせっかくの機会である。席に着いたのはちょうど3回表が始まったところ。先頭の周東の打球をショート・紅林が上手くさばき、一塁アウトの好プレーが出る。いったん小久保監督から物言いがついたが、軍配通りアウト。その後、栗原の内野安打、山川の四球でピンチを迎えるが、近藤を打ち取ってこの回無失点。

1回の表・裏それぞれに本塁打が出てこの日は打撃戦か?と期待したが、2回以降、バファローズは淡泊な攻撃が続いている。打線がね・・・。

5回表、先頭の周東が二塁打で出塁、今宮の犠打で三塁へ。ここで東は栗原に死球。ボールが当たる音、栗原の悲鳴が上段まで響く。一死一・三塁のピンチとなるが、山川を5-4-3というこれ以上ない形の併殺に打ち取る。

その裏、バファローズは二死二塁とするが頓宮が力のないファウルフライで同点ならず。ここでハリセンタイムとなるが、私が入場してから得点が入らないというのは・・。

そんなことを思ったからか。6回表、ホークスが近藤四球、柳町のヒットで無死一・三塁とする。先発の東はここで降板し、吉田に交代する。しかしその代わり端、正木にタイムリーが出て3対1となる。望みどおり得点は入った・・・ただしホークスに。

7回表、バファローズは3人目の髙島が登板。ここで先頭の今宮が四球、先制本塁打の栗原が3打点目となるタイムリー二塁打を放ち、4対1とする。さらに近藤にもタイムリーが出て5対1。どんどん離される・・。

ラッキー7のダンスタイムの後、西川、紅林、森と主力が続くが大関相撲の前に力なく三者凡退。ここまで観たところで席を立った。それなりに時間も経っておりさすがに帰りの時間も気になるところだし、この日の展開を見る限り、残り2イニングで同点、逆転の可能性はほぼないだろう・・。

試合は新大阪への移動中にそのまま5対1で終了。大関は8回まで投げて被安打4。試合後、中嶋監督のコメントにもあったが粘りとか、そういうのが・・。

実はこの前の日曜日も大阪で(この時は最初から最後まで)観戦していたが、またも敗戦。これで今季は1勝5敗1中止。京セラドーム大阪は4戦全敗というひどい結果に・・・。

 

・・さて、この記事を書きながらテレビにてバファローズ対ホークスの第3戦を途中から観戦したが、森の先制2ランに始まり、故障明けの宮城が5回まで無失点と見事な投球。デビューからの無失点記録試合の日本新記録がかかった古田島は連打で1点を失い、なおも満塁のピンチを迎えるも後続を断つ正に劇場を見せてくれた。3対1でバファローズが勝利。私が現地観戦した次の試合は良い形で勝つケースが多いようで、そこはうれしいながら何とも複雑な気持ちなのだが、次のカードも期待したいところである・・・。。

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京都47番「毘沙門堂」~神仏霊場巡拝の道・104(八方睨みの龍、動く襖絵)

2024年06月25日 | 神仏霊場巡拝の道

神仏霊場巡拝の道、京セラドーム大阪での野球観戦との組み合わせで広島から日帰りでまず京都に向かう。当初、6月22日と23日のどちらに行くか迷ったが、22日の午前中だとまだ雨は降らない、しかし23日は西日本で広く雨の予報ということで、22日の朝から出かけることにした。

そして、バファローズとライオンズの両日の試合はどうだったか。選択した22日はバファローズ先発の齋藤を序盤に攻略したライオンズが4対2で勝利し、連敗を止めた。そして23日はバファローズ先発のカスティーヨが好投、私の勤務先企業出身の古田島がデビューから22試合連続無失点というNPB記録に並び、4対1でバファローズが勝利。23日の試合は広島の自宅にて外が大雨の中テレビ桟敷での観戦だったが、こういう巡り合わせなら23日、京都で雨に濡れての参拝の後、ドームで現地観戦したほうがよかったかな、私のツキもないな・・というのが感想である。

25日からはホークスとの3連戦、古田島の日本新記録達成なるか楽しみ・・・。

さて話はタイトルにもある京都・山科の毘沙門堂。前回、興福寺の後でのくじ引き・あみだくじで出た山科の札所である。神仏霊場巡拝の道、前回の奈良の前は京都の伏見地区を訪ねており、山科だけ残った形だが、まさかそこが出るとは。地図を見ると山科駅から北へ一本道の緩やかな上りのようだ。

今回は毘沙門堂だけ訪ねればよく、毘沙門堂には失礼だが、あみだくじで次はどこに展開するかのほうに興味がある。

22日、広島6時45分発の「のぞみ78号」で出発する。一気に京都まで行き、在来線で山科に到着。雨雲レーダーを見てもこの日の関西は何とか天気が持ちそうだ。

JRの山科を出て、京阪京津線の線路脇に出る。毘沙門堂のほか、山科聖天、山科両別院の看板、石柱。さらに「祝『令和』 天智天皇中臣の里・山科」の立て看板がある。令和が新元号になったことを受け、日本最初の元号とされる「大化」にちなんだ天智天皇、中臣(藤原)鎌足を崇敬しようということか。令和改元当時に建てられたのだろうが、こういう看板には気づかなかった。宗教法人・天智教、教祖・中臣不比等・・・。東京都知事選挙の候補者にいてそうな名前ですなあ。

それはさておき、JRの線路下をくぐって緩やかな上り坂を行く。琵琶湖疎水の一部である山科疎水も渡る。その橋に「国鉄」山科駅とあるのが時代を感じる。

毘沙門堂「門跡」に到着。毘沙門天王の幟が並ぶ石段を上がる。拝観料と、先に朱印帳を預ける。拝観ルートとして、まず正面の本堂、その奥の霊殿、そして宸殿と庭園・晩翠園を回るとある。

毘沙門堂が開かれたのは平城京よりも前、文武天皇の勅願によるという。当初は後の出雲路沿いに建てられたことから出雲寺と呼ばれていた。出雲寺は後に衰退と再興を繰り返し、現在の山科の地に復興したのは江戸時代になってからである。復興に関わったのは南光坊天海。あの明智光秀と同一人物という説もある僧侶である。

本堂に上がる。江戸時代の建築のためか、寺の本堂というより神社の拝殿を思わせる。こちらに安置されている本尊毘沙門天は伝教大師最澄の作と伝えられる。まずはこちらでお勤めとする。

毘沙門堂は後に後西天皇の皇子である公弁法親王が入ったことから門跡寺院となったが、父の後西天皇の死後、御所の一部を移築したのがこの先の勅使門、霊殿、宸殿である。その霊殿の天井から見下ろすのが「八方睨みの龍」。江戸時代の狩野派の作品で、堂内のどの場所から見ても龍と目が合い、睨まれているように見える造りである。これまでいくつかの寺院で龍が描かれた天井図を目にしたが、やはり龍はこのポジションなのだろう。

続く宸殿はいくつかの間に分かれており、それぞれ襖絵が広がる。こちらは「動く襖絵」との呼び名があるそうだ。かといって、襖そのものや、襖絵の人物じたいが勝手に動き出すホラーものではなく、一歩ずつ歩いて襖絵を観る角度によって人物の表情が変わったり、縦長の机が横長に見えたり、要は目の錯覚によるものである。現代なら何ということないトリックアートだろうが、それを今から300年以上前の襖絵で表現したのはさすが狩野派である。屋内は撮影禁止だし、こういうのは現物を目にしなければ実感がわかないので訪ねることをお勧めする。

奥は晩翠園の庭園。ここで折り返し。

勅使門や宸殿を改めて外から。

受付で預けていた朱印帳を受け取る。今回の神仏霊場めぐりは毘沙門堂のみで、近くに他の札所がないことから、ここであみだくじとして局面の展開を図ることにする。

予備のくじ引きで出たのは・・

・叡福寺(大阪16番)

・金剛輪寺(滋賀3番)

・大念仏寺(大阪5番)

・道成寺(和歌山6番)

・当麻寺(奈良19番)

・藤白神社(和歌山7番)

京都の選択肢がなく、滋賀、大阪(奈良)、和歌山と振られた形である。

そしてあみだくじ、運命のお時間の結果は・・・アプリで6枠に振られた金剛輪寺。冒頭に書いた「次の展開」は滋賀・湖東となった、当初は「金剛輪寺か」という反応だったが、よくよく見ると湖東地区の公共交通機関では難関のエリアである。金剛輪寺の南北にも神仏霊場の札所がいくつかあり、次回はリアルにクルマで回ることになるだろう。レンタカーを利用するのか、いつぞやのように広島から軽自動車で山陽道、名神高速を長躯して滋賀まで遠征するか・・・。

さてこの後、山科駅前に立て看板があった山科聖天に行くことにする。こちらは毘沙門堂の塔頭寺院で、歓喜天を本尊として、比叡山の無動堂から勧請されたという不動明王も祀られている。

山科といえばこれまで乗り換えで醍醐寺をはじめとした洛南地区の寺社めぐりで利用したが、駅の北側にある毘沙門堂や山科聖天というのは今回の札所めぐりで初めて知ったスポットである。決して観光地ではないが、こうした力強い面々が地元の人たちのよりどころというのは決して観光ガイドに載らない京都の奥深さで、恐れ入るばかりである。

山科駅に戻る。この後、京セラドーム大阪に向かうなら新快速・快速に乗るのがよいが、思ったより時間もできたので、変化球の意味で京阪京津線のホームに向かう。

山科から地下に潜り、三条で下車。大阪までそのまま京阪で向かうとして、ならば「プレミアムカー」一択。

この日は京橋で下車。ちょうど昼時・・・ということで京橋駅近くの立ち飲みスタンドで一献として、景気をつけて京セラドームに向かう。

そして、バファローズとライオンズの両日の試合はどうだったか。選択した22日はバファローズ先発の齋藤を序盤に攻略したライオンズが4対2で勝利し、連敗を止め・・・(以下、無限ループ)

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観戦記・バファローズ対ライオンズ@京セラドーム大阪(オリ姫デー、100敗ペースの相手に・・)

2024年06月23日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

交流戦明けのカードとなったライオンズ3連戦の2戦目の観戦に出かける。当初は22日にするか23日にするか迷ったのだが、天気予報を見て22日に遠征とした。ドーム球場だから雨は関係ないのだが、そこに1ヶ所、神仏霊場めぐりを絡ませようというのがある中で、22日は夕方以降に雨というので日帰りで出かけた。

広島からいったん京都に出かけた後、大阪に移動する。神仏霊場めぐりのことはまた別の記事として・・。

このカードは恒例の「オリ姫デー」として行われる。今季のテーマはロックとポップということで、選手たちがミュージシャン風にキメている。離脱者が多いのはさておき、限定ユニフォームの配布には長い列ができている。

さてこの日座ったのは三塁側、大商大シートのすぐ後ろである。普段はグラウンド全体を見渡す内野上段に陣取るのだが、たまにはこういう席もいいだろう。チケット売買のサイトから入手したもので、売り文句には「見切り席」とあったが、どの辺が「見切り」なのかなと思う。確かに目の前はネットだが、大商大シートとさほど変わらぬアングルである。ライオンズの選手もすぐ近くに見えるし、バファローズのベンチの様子も見られる。

今季のライオンズは開幕から絶不調、松井監督が休養し渡辺監督代行で迎えた交流戦でも大きく負け越し、前日のバファローズ戦も完封負けで5連敗中。シーズン100敗ペースだが、バファローズとの対戦成績は前日まで5勝5敗の五分。

スタメン発表。貧打のライオンズは4番に岸を起用。四国アイランドリーグ・徳島インディゴソックスから入団5年目。アイランドリーグか・・四国八十八ヶ所の巡拝時、金剛杖を手にしながら各県での観戦を組み合わせたのも思い出である。

さて、試合開始。バファローズのナインが守備位置へ。

バファローズの先発は2年目の齋藤。ジャイアンツとの交流戦でプロ初勝利を挙げ、これからが楽しみな投手。

その齋藤に対し初回、ライオンズは先頭の西川が二塁打。続く滝澤のバントで一死三塁として、3番に入った栗山が犠牲フライで1点を先制する。ライオンズとしては球団ワーストの無得点記録が32で止まり、レフトスタンドからは「1・2・3・ダァーッ!!」。

ライオンズの先発は隅田。2番に入った森、3番・太田の連打でチャンスを作るが、4番・西川が空振り三振。続く紅林も凡退して同点とはならず。

3回表、齋藤は先頭の西川、一死から栗山に四球を与えて一・二塁となる。ここで4番・岸がレフト上段へ飛び込む3ランを放つ。これで4対0とリードを広げる。

齋藤は4回も児玉、源田のヒットで一死一・三塁とピンチを招くが、ここは後続を打ち取ってしのぐ。この日は毎回ランナーを背負うことになり、結局4回で降板となった。

4回裏、バファローズは西川、紅林の連打で無死二・三塁とする。続く宗の内野ゴロの間に1点を返すが、隅田の前にもう1点、2点とはいかない。

また5回裏も一死から茶野がヒットで出塁も、森の当たりはライナー。併殺となりチャンスを広げられない。

5回終了後のハリセンタイム。三塁側ではバファローベルとライナの共演。

さて5回表から2番手として登板の高島。6回、一死から児玉に三塁打を許すも、後続を打ち取り追加点を許さない。

7回表、3イニング目に入った高島は栗山に四球(代走・高松は盗塁死)、岸にヒットを許すが無失点。ブルペンデーの先発など、この投手もいろいろな場面で起用されるがこの日も試合を壊さず粘りの投球を見せた。

バファローズのラッキー7。先頭の宗がヒットで出塁するも、安達、代打・セデーニョが凡退。そこから若月のヒットでチャンスを作り、茶野を迎えたところでこの日初めてマウンドに野手陣が集まる。

あと一本・・というところだが、ここは隅田が踏ん張り茶野は三振。

8回表、バファローズの3番手は先日加入のペルドモ。昨季はマリーンズで最優秀中継ぎに輝いた投手である。今季はメジャーでのプレーを目指していたが昇格ならず再来日となったが、バファローズとしてはカスティーヨと合わせて昨季マリーンズにいた2人の外国人が加わった形だ。1軍初登板、下位打線相手ではあるが難なく三者凡退とする。今後、勝ちパターンでの出番もあるだろうが、それにしても昨季までと比べてバファローズのブルペン陣の顔ぶれはガラリと変わっている。もっともこの日はビハインドの展開なので、私の勤務先企業出身の古田島の出番はなさそう・・。

7回まで1失点の隅田にかわり、8回は中継ぎに回っている松本が登板。簡単に二死となったが、西川が4番の一振りでライトへの本塁打。4対2とする。

9回表は山田が登板。二死から滝澤に内野安打が出た後、代打・中村が登場。ここで吉田に交代する。この投手もいろんな場面で登場するが、中村をフライに打ち取って無失点。後は最終回の反撃あるのみ。

9回裏、ライオンズはアブレイユが登板。これに対して先頭の宗が二塁打で出塁。代打・西野は凡退したがセデーニョが四球を選んで一死一・二塁と粘る。

長打で同点、一発出れば逆転サヨナラと期待の場面で、代打・杉本が登場。しかし力のないファウルフライで凡退。

最後は茶野が三振に倒れ、4対2でライオンズの勝利。100敗ペースのライオンズだが、序盤の先制を隅田の好投、リリーフ陣も抑えてよい勝ち方といえるだろう。一方バファローズ先発の齋藤はプロ初黒星となったが、これも経験である。

・・あと、どうでもいい話だが私の今季の現地観戦成績は1勝4敗1中止・・・。

 

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党首討論、やってたんや・・

2024年06月19日 | ブログ

所詮、その程度の扱いでしかないし、テレビニュースでその様子も報じられていたが、党首討論という割には何の内容もなく、正直、やる意味があるのかとすら思った。

政治とカネの問題、確かに大きなことかもしれないが、いつまでこうしたことに議論を費やすのかと思う。個人的には、別に多額の政治献金を受けようが、それを記載したかどうかということはどうでもよく、真に国民のためになる素晴らしい政策をしてくれれば何ら構わないと思う。まあ、そうなっていないグダグダな有様だし、野党もあてにならないし、党首討論といってもお互いのマスターベーションの時間でしかない。

結構なご身分、気楽な商売でいいですね。うらやましい。

ロシアと北朝鮮は首脳会談してますよ。こいつらが連合して日本に攻めて来たらどないすんねん・・・。

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20年目の交流戦、球団創設20周年のイーグルスが優勝

2024年06月17日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

今季も、ペナントレース前半の楽しみである交流戦が終了(正しくは、雨天中止になったタイガース対ファイターズの1試合が残っているが)、2024年の交流戦は最終戦でカープに勝利したイーグルスが初優勝した。

今江新監督のイーグルスはリーグ戦前半低調だったが、交流戦に入って投打がかみ合ってきた。大きかったのが超アウェイ状態で臨んだ(ビジター応援席の割り当てが11球団一狭い)甲子園でタイガースを3タテしたことだろう。

球団ホームページでは交流戦優勝記念のロゴが表示されていたが、その中に「20th」の文字が見える。ああそうか、球団創設からもう20年が経つのかと思う。イーグルス創設にいたるきっかけが「あの出来事」だったわけだが、その一連の協議の中で行われるようになったのがセ・パ交流戦である。

片や「あの出来事」の結果、合併球団として発足したオリックス・バファローズだが、阪急~オリックスという球団史の中で特に「オリックス・バファローズ20周年」として何かあるわけでもないようだ。

さてバファローズ、交流戦は10勝8敗でカープと5位タイで終了。途中7連勝もあり、得意の交流戦で何とか持ち直した感がある。

交流戦は昨年とはガラリとメンバーが入れ替わる中、先発ではエスピノーザ、曽谷、ブルペンデー対応の高島、齋藤、そして支配下登録の佐藤といったところが活躍、山下も最終戦で戻って来た。中継ぎでは私の勤務先企業出身の古田島がデビュー以来無失点を継続中、勝ちパターンには山田、本田が復調、どんな場面でも黙々と投げる吉田、井口といったところが支えている。抑えのマチャドは最終戦で逆転をくらったが、まあこれはこういう日もあると割り切るしかない。

攻撃陣では西川を4番に据えるという荒療治が功を奏したようで、3番・太田、5番・紅林で中軸はようやく安定してきた。前後についてはその時その時でしのぐしかないようだが・・。

パ・リーグ首位のホークスは相変わらず独走状態だが、2位・ファイターズから5位・バファローズまではまだ団子状態。ペナントレースもまだ前半ということで、再開後の勝負も楽しみである。

・・私はといえばこの交流戦、大阪での週末カードが2つあったが結局現地観戦に行けず、その中で1試合現地観戦した広島での試合は14対0でボロ負け。まあ、こういう年もあるだろう。来年はどのような日程・場所になるかわからないが、カープとの試合観戦は楽しみたいものである・・・。

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特急「スーパーおき5号」で山陰から山陽へ

2024年06月16日 | 旅行記F・中国

6月14日、国鉄型特急車両381系による「やくも」の定期運行が終了し、岡山、米子、出雲市などの駅に多くの人たちがかけつけた様子がテレビでも流されていた。「ゆったりやくも」編成については当面多客期の臨時列車に割り当てられることがあるそうで、その時はその時で多くの人が駆け付けるのだろう。

は6月9日の続き。出雲市にて、岡山に向かう旧国鉄特急色の「やくも24号」を見送った後、これから乗る「スーパーおき5号」に乗るべくしばらく待つ。381系のお別れ乗車が目的ならこの「やくも24号」に乗ればよかったのだろうが、この日は「中国地方一周」ということで、この先山陰線~山口線~山陽線と続く「広島市内~広島市内」の乗車券を作っている。まあ、広島~出雲市を往復するより多少安くつくというのもある。

15時48分発の「スーパーおき5号」新山口行き。この列車の始発は鳥取で、現行の在来線特急としてはかなりの長距離を走る。今回はその後半を利用する形だ。2両編成で、指定席と自由席が各1両。日本海が見えるほうの窓側の席を確保していたが、雨は上がったとはいえ曇り空なのは残念。

出雲市で乗客の入れ替えはあったが、指定席、自由席ともそこそこの乗車率で発車。

小田を過ぎると日本海沿いに出る。この日に限って曇り空というのが残念だが、ここまで来てよかったと思う。次の田儀ではしばらく運転停車。

この先、大田市、温泉津に停車する。世界遺産の石見銀山への玄関口であるが、行けていないのが気になる。二度目の広島勤務となってから、中国観音霊場、中国四十九薬師めぐりで石見地方を通っているのだが・・。

17時00分、浜田に到着。ここでも多少の乗客の入れ替えがある。広島に戻るなら浜田から高速バスが出ているのだが、時刻表を見ると浜田駅発車が同じく17時00分。その次は18時40分発の最終便である。計画時点では、浜田駅前で一献とした後で高速バスに乗るのも悪くないと思ったが、そのまま乗り通すことを選んだ。

やはり、浜田~益田間の日本海の車窓である。曇り空なのは致し方ないとして、日が長い季節なので17時を過ぎても十分明るい。

折居を通過する。この次の三保三隅までの日本海沿いの区間が山陰線の名所の一つで、線路を見下ろす撮影スポットには道の駅もある。車窓の反対側に目をやると列車を見送る人の姿もちらほら見える。

この先、石州瓦の家屋が並ぶ集落を過ぎる。海だけの景色もよいが、こうした生活の営みを感じる区間もよいものである。

17時36分、益田に到着。ここから山口線に入るが、その山口線から益田に着く列車が少し遅れているようで、しばらく停車する。

日本海とは益田で別れ、山間の山口線に入る。まずは高瀬川の景色から日原に向かう。

津和野を過ぎる。島根県も結構横に長い県である。この津和野だが、この5月の連休からD51使用の「SLやまぐち号」が運転されている。

船平山のトンネルを抜け、いよいよ中国5県の最後、山口県に入る。さすがにこの辺りになるとウトウトしたようで、徳佐に停まったのは覚えているが、その先の山口、湯田温泉は気づかないうちに通過した。

益田での遅れはそのままのようで、定刻19時14分着から数分遅れて新山口到着。そのまま新幹線ホームに上がり、19時21分発の「さくら570号」に乗る。自由席なので後続の列車でもよかったのだが、そこは早く帰宅しようということで・・。

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もう一度、381系「やくも」に出会う

2024年06月14日 | 旅行記F・中国

6月14日、旧国鉄型381系による「やくも」がラストランとなった。沿線の各駅ではさまざまな記念イベントが行われたそうだ。この日、岡山~鳥取の県境区間で落石が見つかり一部区間が一時運休になったが、その後運転を再開し、無事に最後走りおおせた。

14日の金曜日が最後となったのはどういう理由からだろうか。せめて16日の日曜日まで運転すればよかったと思うが、車両運用の都合や、日曜日ということで多くの人が押しかけることによる混乱を避けることがあったのか。

さて、その直前の週末である6月9日、岡山から旧国鉄特急色の381系「やくも9号」で出雲市まで乗車した。岡山からの3時間を満喫して、無事「お別れ乗車」とした。

この後だが、出雲市15時48分発「スーパーおき5号」で新山口まで出る。曇り空だが日本海沿いの区間を走り抜けるのも面白いところで、「広島市内~広島市内」の乗車券で中国5県を一周することになる。

時間があるのでいったん改札を出る。遅い昼食ということで駅前の出雲そばの店をのぞくが、昼の部は営業終了。結局、駅構内の「出雲の國麺家」に入る。「麺家」だからJR西日本と関係あるのかな。

ここで注文したのは「神話セット」。出雲の割子そばに「スサノオラーメン」、あごちくわがセットである。

せっかくなので割子そばをもう1枚追加し、あごちくわにそばがあるなら日本酒だろうと、奥出雲の「七冠馬」を注文。前回木次線で乗車した「あめつち」車内でもいただいたが、史上初の七冠馬・シンボリルドルフの牧場と奥出雲の蔵元との縁で生まれた銘柄である。

店内には昨年引退した「奥出雲おろち号」のポスターも飾られている。その「懐かしい」列車に、381系「やくも」も加わることになる。

さて、よい心持になって「スーパーおき5号」に乗るべくホームに上がろうとするが、電光掲示板に岡山行きの「やくも24号」の文字が見える。先ほどの「やくも9号」の折り返し列車で、乗ることはないがせめて最後、発車だけでも見ようか。

時間となり発車。6両編成が目の前を加速して通り過ぎる。最後の雄姿を静かに見送った・・・。

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今度こそ最後の乗車 381系「やくも」

2024年06月13日 | 旅行記F・中国

381系「やくも」が6月14日に運行最終日を迎えるのを前に(正確には6月15日の朝、「ゆったりやくも」編成の岡山7時05分発の出雲市行き「やくも1号」が381系の最終列車だが)、今度こそ最後の乗車として旧国鉄特急色の編成に乗りに出かけた。

6月9日、岡山11時13分発の出雲市行き「やくも9号」に乗る。

全車指定の中、私がこの列車の指定席券を購入した時にはまだ結構空席があったのでどこにしようか考えたのだが、選んだのはこの変則的なシート。2人がけシートが並ぶ中、車両の途中に1人かげの席が点在する。空調のダクトが窓側の壁を伝っているためだ。過去にこの1人がけの席に座ったこともあるのだが、窓から中途半端に離れていて落ち着かなかったのを覚えている。まあ、車窓関係なしにゆっくり寝て過ごすなら隣に気をつかわずに済むとしてお勧めする声もあった。

結局座ったのは、その1人がけの席の後ろ。前がダクトで座席がないスペースなので、足元は楽である。前の座席の背中のテーブルがないのはつらいが、結局隣が出雲市まで空席だったので1人がけの席の後ろのテーブルを使わせてもらった。

ホームで写真を撮っていたためだろうか、発車時刻ぎりぎりに乗り込んでくる人も多い。雨の中、出雲市に向けて出発する。ホームからは多くの見物客、撮影者の見送りを受ける。

「汽笛一声新橋を・・」の「鉄道唱歌」のオルゴールが流れる。これから陰陽連絡、伯備線の旅である。早速、岡山を代表するクラフトビール「独歩」で、この先の旅の平安を願って乾杯とする。

11時24分、倉敷着。早速ここで下車する人もいる。最後に1区間だけ乗車というのもなかなかのものだ。

倉敷から伯備線に入り、そろそろカーブの区間も増える。振り子式の本領が発揮されるのは伯備線内である。

さて今回、「広島市内~広島市内」という乗車券を手にしている。伯備線の先は山陰線~山口線~山陽線を通るルートで、「やくも9号」で出雲市まで行った後、折り返しではなくそのまま循環ルート、一度に中国5県を回ることにした。不思議なことに乗車券も広島~出雲市往復より若干安くつく。

「やくも9号」は高梁川に沿って走り、11時47分、備中高梁到着。備中高梁は映画「男はつらいよ」で二度舞台になったところだが、初めの第8作ではSLのD51が牽引する列車が登場し、後の第32作では特急「やくも」が登場する。ちょうど381系が走り出した当初である。

トイレも兼ねて少し車内を散策する。それにしても、座っている分にはどうということはないが、走行中に車内を歩くのは一苦労である。シート上部の把手を伝う形になる。そんな中でもかつては車内販売のワゴンが通っていたそうだが、さぞ大変だったことだろう。やはり酔う人もいるようで、洗面所にはエチケット袋も備えられている。「ゆったりやくも」でも「ぐったりはくも」と揶揄されたものだ。まあ、そんな体験もあと数日で過去のものになるのだが・・。

方谷では新型273系使用の「やくも12号」と行き違う。雨の中、新旧両タイプの特急車両を一度に撮ろうとかけつけた人を何人か見かける。

12時15分、新見着。何分の1かの客がここで下車する。実は私もこの日「やくも9号」に乗るにあたり、新見で下車することも考えていた。新見から12時58分発の芸備線備後落合行きが出ており、先月JRと沿線自治体による「再構築協議会」が立ち上がったことで話題の芸備線を乗り通すのも悪くなく、下車した人はこの後芸備線に乗るのかな?と思った。ここでも多くのカメラに見送られる。

新見から先の県境越えの区間である。まずは芸備線の列車しか停車しない布原駅近くでも撮り鉄の姿を見かけ、芸備線の分岐駅である備中神代を通過する。

備中神代の次の足立で運転停車。こちらのホームにもカメラ姿の人がいて、JRの係員も立っている。停車する列車は1日上下10本もないローカル駅なのだが、係員まで立たせているのは何か意味があるのだろう。

ホームに目をやると、やってきたのは緑をベースとした381系「やくも14号」。381系どうしの行き違いである。なるほど、これが目当てだったか。

・・・とすると、先ほど新見で結構な数が下車したが、その中には芸備線ではなく、この「やくも14号」で岡山まで折り返そうという人がそれなりにいたのではないかと思う。それもありだったか。

そのまま県境越えで鳥取県に入る。「やくも9号」は生山に停車。いつしか雨もやんだ。また、沿線のあちこちで撮り鉄が待っており、撮影者が数十メートル列をなす光景にも出くわした。こちらとしては高見の見物。

中国地方は一日雨の予報だったが、ここに来て大山も薄っすらながら見ることができた。

13時25分、米子着。ここでも下車が多かった。これはお別れ乗車は関係なく、それも含めた普通の乗降だろう。後は宍道湖沿いの景色も含めてひた走るだけだ。

14時05分、宍道着。ホーム向かい側には14時09分発の木次線備後落合行きが待っている。「やくも9号」から乗り換えた人もいたのではないか。この列車に乗れば一部区間の存続が危ぶまれる木次線を乗り通し、備後落合、三次と乗り継いで広島には20時16分に戻ることができる・・・。

一瞬気持ちも揺らいだが、この先、山陰線~山口線~新幹線をたどったほうが早く着く。

斐伊川を渡り、終点出雲市に到着。この後で折り返し15時35分発「やくも24号」として運転される旧国鉄特急色の381系。しばらくホームに停車し、別れを惜しむ人たちとの一時である。

先頭部に回るとヘッドマークが「やくも」から「回送」に変わっており、西出雲方面に向けて発車するのを待つ。

・・とその時、西出雲方面から新型273系の「やくも22号」が入線する。ここでの新旧「やくも」の対面にホーム上も沸き立つ。

そして381系が出雲市を後にする。この光景が見られるのもあとわずか・・・・。

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最後の国鉄特急色「やくも」に乗りに出かける

2024年06月12日 | 旅行記F・中国

6月14日、381系「やくも」が運行最終日を迎える。旧国鉄特急型からの車両の置き換えがこれまで進められてきた中、この「やくも」でいよいよ最後となる(厳密には、国鉄末期に製造された気動車特急はまだ存在するのだが)。

運行終了が近づくと多くの人が名残惜しんで駆け付けるのは世の常で「葬式鉄」と揶揄されるのだが、沿線にも多くの「撮り鉄」が訪れているそうだ。人の土地に勝手に侵入する輩がいる一方、地元の有志が撮影スポットを整備して受け入れているという話もある。伯備線が廃線になるわけではなく、特急「やくも」も乗り心地よい新型車両に置き換わるのだが、かつての国鉄を代表するあの「型式」が引退するのは鉄道の歴史の区切りの一つと言えるだろう。

かくいう私、「葬式鉄」は早めに済ませておこうとこの4月の末に、観光列車「あめつち」の木次線乗り入れとセットで出雲市~岡山まで旧国鉄特急色の編成に乗った。これで満足したはずだったのだが、いざ6月を迎えて「最後にもう1回」となった。

6月9日、岡山11時13分発の「やくも9号」で終点出雲市まで行くことにする。最終日の14日は金曜日のため、9日の日曜日がラストチャンスという方も多いだろう。

実はこの日、マツダスタジアムで行われるカープ対マリーンズの試合を観戦すべくチケットを手にしていた。広島でパ・リーグのチームを観たかったし、マリーンズファンの熱狂的な応援風景を観たいというのもあった(今季は「ネタフリ教」なるものが新たに「布教」されている)。ただ、まあ前週にバファローズ戦を観ることができたし、「ネタフリ教」は関西でお目にかかるかなとして、「やくも9号」を優先してチケットは流通サイトに出品した。

そして迎えた9日だが、予報通り広島の朝は本降りの雨。新幹線で出発してすぐ右手にマツダスタジアムがあるが、試合はどうだろうか。チケットは出品してすぐに買い手がつきコンビニで発券完了の連絡もいただいたが、もし中止になったらその方はさぞ残念だろうな・・。

岡山に到着。いったん改札の外に出る。駅前広場には桃太郎像とともにシンボルだった「ピーコック噴水」というのがあったが、路面電車の駅前乗り入れ事業にともない撤去されている。

駅ビル「さんすて」にある書店に向かうと、「ありがとう やくも」のポスターが貼られている。381系の走行シーンを収めたDVD、ブルーレイの告知である。

ホームに下りると、出雲市からの「やくも8号」が間もなく到着という。旧国鉄特急色381系使用で、岡山で折り返し「やくも9号」となる。

ホームに多くの人がカメラやスマホを手にし、「黄色の点字ブロックまでさがってください」のアナウンスも流れる中、「やくも8号」が到着。特に怒号が飛び交うわけではなく、皆さん静かに撮影する。

しばらく停車した後、折り返し作業のためいったん引き込み線に下がる。

岡山駅の4番ホームが結構先まで伸びており、こちらも近いとこから「やくも」を見ることができるとあって、ギャラリーがぞろぞろ移動してくる。

さて出雲市までの3時間の「呑み鉄」の準備をして、「やくも9号」が発車する2番ホームに向かう。やはり、列車は「乗ってなんぼ」である。ホームに停まっていた三原行きの発車後、メロディとともにゆっくりと入線する・・・。

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白内障手術を受ける(左眼編)

2024年06月11日 | ブログ

以前の記事で、いろいろあった2024年5月の出来事として、「白内障の手術」にさらっと触れた。このたび、だいぶ症状も落ち着いてきたことで体験談として残しておくことにする。

前の記事では最初の右眼の手術、そして1週間の経過観察について書いた。ここまでの経過は良好である。片方だけながら、これまで感じることのなかった視覚をいただくことができた。

水曜日までの右眼の経過観察の1週間が経過し、明くる木曜日に左眼の手術である。同じように朝から眼科に向かう。手術の流れは一度経験しているので、気持ちとしては前回より多少は落ち着いているように思う。瞳孔を開く点眼薬、そして局部麻酔の点眼薬を入れていただき、手術室に入る。

リクライニングシートを倒され、血圧計、酸素濃度計をつけられた後に顔にカバーが掛けられる。ただこれは意外だったが、前回と違い右眼が回復しているので、カバーを通しておぼろげながら外で何が行われているか影が見える。補助のスタッフが何か手にしているなとか、何やら眼の上でゴソゴソしているなとか。片目だけつむるというのができないので、なまじ様子がわかるとやはり怖い気がする。

ただそれもわずかな時間のことで、まぶしい光が当てられ、少し瞼が重くなり、そして急に視界がぼやけた。濁った水晶体が砕かれた瞬間である。

続けて人工レンズが入り、今回も15分くらいで終了。左眼に眼帯と保護カバーがかけられた状態だが、一応右眼の視力が回復しているので、前回と比べて安心して歩いて帰宅できた。そのまままた1日、安静にして過ごす。前日、これを見越してあれこれ食料は買い込んでいたので外に出ることもない。まあ立場上なかなか有給休暇を取ることができないのだが、少なくとも体のことを気遣ってくれる職場の皆さんには感謝である。

翌日金曜日、左眼の眼帯を取ってもらう。これで右眼と左眼の視力のバランスがとれるようになった。私は幼稚園の頃から近視のため眼鏡生活で、裸眼でぼやけたままの状態も慣れているのだが、裸眼で遠くの文字が見えるというのは正直初めて、新鮮な感覚である。もっとも慣れていないせいか、眼鏡がないと座りがよくないようにも感じる。

先生の話では私の場合、「軽い近視が残る(残す)」とのこと。まあ、単焦点レンズで手元のほうが見にくくなっているので、どのみち眼鏡は近いうちに作ることになる。過去には、眼鏡をやめてコンタクトにすれば・・と薦められたこともあった。ただやはり、「眼鏡は体の一部です」という感覚もあったし、コンタクトレンズを眼に押し入れるのを見て怖くなったこともあり、頑なに拒んだ。軽い度数の眼鏡で今後楽になるのならそれで充分である。

先週と同様に、金曜日からは首から下のみ入浴可(洗顔、洗髪は不可)、また抗生剤、炎症止めの点眼薬は両眼に使用する。ただ今回、両方の裸眼で規定値以上の視力が出たとして、自動車の運転もOKとなった。そして翌日の土曜日、中1日おいて月曜日、さらに中1日で水曜日の通院となる。いずれの日もしかるべく検査、診察の後、先生からは「OKです!」のマル印が出る。医療技術の向上により白内障手術が失敗する可能性は限りなく低いがゼロではないので、経験豊富な先生でもやはり結果を見てようやく安心できるのだろう。

手術から1週間経過したことでほぼ通常の生活に戻ることができた。洗顔、洗髪OK、汗も落とそう・・・。

さて、左眼の手術を終えて経過観察が一段落した5月29日水曜日の夜、私が向かったのはマツダスタジアムである。そう、この日はマツダスタジアムで行われたカープ対バファローズの交流戦の観戦である。観戦記の記事では「いろいろあって」と書いたが、要は診察を終えた足で、快気祝いではないが出かけたというわけ。

・・・もっともこの試合、14対0でカープがバファローズに圧勝した。まあバファローズのチーム状態も悪かった時期だったが、通院にかこつけて会社を早退したタイミングで出かけたことに対して、何かしらの戒めがあったと思う(・・こういう思考に対してはいろいろな見方があるだろうな・・)。

その後の経過観察だが、現時点では週1回の通院を指示されている。手術後1ヶ月を目安とした後は、患者それぞれにもよるが通常なら通院の頻度も2週に1回、月に1回、3ヶ月で1回・・といった感じで少しずつ緩和するという。その間、点眼薬は継続使用になるが、おおむね手術後3ヶ月が一区切りとのこと。その頃には新しい眼鏡をつけているのかな。

・・当初「怖い」とか、妄想が先行して気分が悪くなった白内障手術だが、実際に受けてみてこういうものかと感じることができた。医師から手術したほうがよいと言われたら、躊躇せず受けるのがプラスだと思う。

これからどうなるやら・・・。

※一口に白内障日帰り手術といっても、広島市内のいろいろな眼科のホームページを見るだけでも手術前後についてそれぞれの眼科によってルールが異なるようだ。この記事もあくまで「一例」「個人の感想です」というくらいでご覧いただければ・・・。

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白内障手術を受ける(右眼編)

2024年06月10日 | ブログ

以前の記事で、いろいろあった2024年5月の出来事として、「白内障の手術」にさらっと触れた。このたび、だいぶ症状も落ち着いてきたことで体験談として残しておくことにする。

前の記事では、眼科にて両眼の白内障と診断され、手術の説明を聞いたところまで。目玉をグリグリされるのに心理的抵抗はあったものの、この先を考えるとやはり手術しなければならないだろう。後日眼科に電話を入れ、5月中旬の手術を予約した。まず症状がより進んでいる右眼、そして1週間後に左眼の順番で行うことになった。

手術前にも通院して精密検査を受けるとともに、入れる人工レンズの種類について打合せする。単焦点レンズ、多焦点レンズという選択肢があるが、どのタイプが適しているかは患者それぞれで異なるという。先生の診立てにより、私は単焦点レンズ、その中で遠いほうに焦点を合わせるタイプが採用され、手術後に視力が落ち着いたらそれに見合った眼鏡をつくることになった。

ちなみに、単焦点レンズだと全額健康保険適用で、高額療養費制度も使えるので自己負担を抑えることができる。一方の多焦点レンズは「選定療養」の扱いで、差額分は全額自己負担になる。

手術にあたり健康面で問題ないか確認するという。ここで検査できないこともないが、他の医療機関にかかっているのであれば現在の状況がわかる書類をいただきたいとのこと。そこで、糖尿病の定期通院の際にお願いしたのだが、眼科の先生とは懇意で快諾いただき、問題なくクリアできた。

・・さて手術3日前。指示によりこの日から、手術する方の眼に抗生物質入りの点眼薬を1日3回点眼する。手術前に眼を清潔に保つためである。

そして迎えた手術当日は木曜日。

朝食は普通にとってよいとのことで、しっかりいただいた後に眼科に向かう。やはり緊張する。

まず待合室にて、スタッフの方が手術する眼のまぶたに印をつけ、瞳孔を開く点眼薬を数分おきに入れていく。その後、麻酔薬も何度か点眼する。その間はテレビを見ながら過ごすのだが、そんな中、先に手術を終えた高齢の方が片方の眼に大きな眼帯と保護メガネをつけた状態で、付き添いの人と一緒に出てきた。

私も数十分後にああいう姿になるのか。

そろそろ時間のようで、手術用の帽子をかぶり、術衣を羽織り、スリッパに履き替える。手術室に入ると、先生とスタッフ数名が「頑張りましょう」と出迎えてくれる。

リクライニングシートが倒されるとともに、片腕には血圧計、もう片方の指には酸素濃度計をつけられ、顔には眼の周囲だけ開いたカバーをかぶせられる。その眼の周囲もまぶたを開いた状態でテープを貼られ、瞬きもできない。そこは麻酔やら洗浄液のようなものやらをかけられて乾燥しないようにする。

そして執刀開始。基本的には目の前のまぶしい光を見る感じで、先生が時折「上を見てください」「下を見てください」などと声をかけるのに従うのみである。

「急に視界がぼやけますが、大丈夫。順調に行っていますよ」の言葉とともに、視界がぼやける。おそらくこの瞬間、元の水晶体が砕かれたのだろう。

実際に手術を受けている間、多少眼に圧迫感はあったものの痛みはほとんど感じなかった。ただ、何が行われているか見ることはできないのだが、目玉をグリグリやられてることには変わりない。これ、付き添いでその光景を間近にするとまた気分が悪くなったのではないかと思う。

手術室に入って15分くらい、最後は右眼に眼帯がかけられて終了。当然眼鏡はかけられず視力の悪い状態で、普通は付き添いの人が来るかタクシーを呼ぶかするそうだが、独り者だし、家はすぐ近くでタクシーに乗るほどではないのそのまま一人で歩いて帰宅した。比較的往来の多い道路を渡る時はヒヤッとしたが、無事に帰宅。この日はそのまま安静である(会社は有給休暇)。

手術後の生活として、食事は普通にとってよいが、水が眼に入ることによる感染症のリスク予防のため、入浴、洗顔、洗髪は禁止である(固く絞ったタオルで患部以外の顔を拭く、電気カミソリでひげを剃るのはぎりぎりセーフ)。

その日はボーッとした状態で眼帯とカバーを気にしていたが、夜は一応眠ることができた。

翌日金曜日も通院。先生の手で眼帯を外し、手術痕などを確認したところ問題なく、手術は無事成功とのこと。裸眼でも視力がよくなったのがわかる。また、片眼ずつで白いものを見比べると、手術前の左眼に比べ、手術後の右眼だと白の鮮やかさが違うのがわかる。蛍光灯とLEDの違いというのか、あるいは使用後のワイシャツの白さを強調する洗濯用洗剤のCMというのか・・。この違いが水晶体の濁りで、手術後の見え方は20歳代に相当するとのこと。

いや~、手術受けてよかった。左右で視力がアンバランスのためちょっとしんどいが、これは過渡期のものである。

ただ術後も継続してケアする必要があり、抗生剤および新たに処方された2種類の炎症止めの点眼薬を1日3回入れるよう指示される。この日から首から下の入浴はOKとなったが、洗顔、洗髪は引き続き禁止で、入浴する際は浴槽やシャワーの水が眼にかからないよう注意を受ける。

ということで、いったん帰宅した後、首から下だけシャワーを浴びる。そして、さすがに自動車の運転はできないが公共交通機関と徒歩で職場に向かうことができた。職場の皆さんにも心配をかけたが、安心していただいた。

なお術後の経過観察は継続で、翌日土曜日、そして1日挟んで月曜日に通院。その都度いろいろ検査をした後で先生の診察だが、「OKです!」と手でマルを作ってくれる。手術痕の写真も見せてくれるが、これも自然になくなるとのこと。

さらに1日挟んだ水曜日に通院。この日も問題なく、「OKです! 明日は左眼の手術ですが、今日はしっかりリフレッシュして、また頑張りましょう」ということで、洗顔、洗髪も解禁。帰宅後存分に入浴し、久しぶりにさっぱりした・・・。

※画像は私が通院している広電宮島線・高須電停すぐの「うえ眼科」ホームページから引用。

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白内障手術を受ける(手術まで)

2024年06月09日 | ブログ

以前の記事で、いろいろあった2024年5月の出来事として、「白内障の手術」にさらっと触れた。このたび、だいぶ症状も落ち着いてきたことで体験談として残しておくことにする。

話は半年以上前にさかのぼるのだが、長くかけていた眼鏡が合わなくなった。今思えば2度目の広島勤務となった2020年以降少しずつ見えにくさを感じていたのだが、パソコンの画面を見る時間が長くなったのと、年齢で近視の度合いが進んだのだろうとそれほど気には留めていなかった。

しかし、健康診断などで眼鏡をかけても視力が出ず、このままだと運転免許証の更新に影響が出ると思い、10年以上ぶりに眼鏡を新調することにした。そして近くの商業施設にある眼鏡店に行ったのだが、レンズの度を上げても十分見えるところまではいかず、眼科に相談したほうがよいと言われた。

そこで、同じ商業施設にある眼科に行き検査を受けると、「白内障の症状があるようだ」とのこと。ただこの眼科は主に眼鏡やコンタクトレンズの処方を行う診療所ということでそれ以上のことはできず、一度専門の眼科に行ったほうがよいとだけ言われる。

うーん、白内障か・・。糖尿病の毎月の通院は欠かしていないが、よく言われる「定期的に眼科に通いましょう」を怠ったツケが回ったかなと思った。HbA1cは安定しているとはいえ、知らぬ間に合併症が進行していたのか・・。

自宅のすぐ近所に白内障手術を扱う眼科があるのだが、手術というと目玉をグリグリされる姿がイメージされ、どうしても躊躇してしまい、そこからまた時間が経過した。

たださすがにこれ以上は無理だとして、4月になり眼科を受診。いくつかの検査の結果、両眼とも白内障との診断が出た。幸い糖尿病の合併症ではなく加齢性のもので、ちょうど50歳代の私はそれが早めに現れたとのこと。

私より歳が若い先生から、「白内障とは何かいね、というところから説明しましょう」として、モニターのスライド、目の模型、そして私や他の患者さんの眼の写真を見せながらの解説を聞く。

白内障とはひとことでいえば、眼の中にある水晶体が濁る病気である。それによる症状や進行度合いには個人差があり、私のような視力低下のほか、光が拡散してまぶしく感じたり、視界が全体的にかすむなどさまざまある。なお、いったん白内障が発症したら、点眼薬だと初期段階の進行を遅らせるだけで、治療するには手術ということになる。

手術の流れだが、眼球の端に2.5mmほどの傷を作り、超音波を発信する器具を挿入して水晶体を砕きながら吸い出し、その後に人工レンズを挿入するというもの(画像は、日本眼科学会のホームページから引用)。ただ私の場合、年齢の割には症状がそれなりに進んでいるようで、両眼とも水晶体が結構硬くなっているという。硬くなるとその分超音波で砕く難易度が高くなるし、場合によっては手術ができないこともあるそうで、今日明日とは言わないがやはり早めの手術を薦められた。

・・恥ずかしい話だが、若い先生が熱心かつ丁寧に話をしてくださるのに、おっさんの私、症状が進んだ眼の写真を見せられたり、目玉をグリグリやられる姿を想像するうち、気分が悪くなってしまった。「ちょっと休みましょう」とスタッフの方に声をかけられ、いったん診察室を出て長椅子で呼吸を整える。これは何も先生に問題があるわけでなく、私が勝手に想像(妄想?)を膨らませただけのことだが、こういうのが苦手なもので・・・。

少し休んでもう一度先生の説明を聞いた後、今日のところは即刻問答無用で手術とはならず、「ご自身の決心がついた時点で構いませんので」と後日予約の電話をすることになった。

とはいえこのままだと何ら好転することはないわけで、早急に腹をくくって決めなければならないだろう・・・。

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19歳齋藤プロ初勝利!、バファローズも復調4連勝!

2024年06月08日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

高校からプロ入り2年目、初登板初先発から5試合目にしてバファローズ先発の齋藤が5回を無失点に抑え、その後も中継ぎ陣がゼロでつないでジャイアンツ相手にプロ初勝利。

これでバファローズも今季初の4連勝、交流戦の関東シリーズもベイスターズ、ジャイアンツ相手に2カード連続の勝ち越しとなった。またこのジャイアンツ戦、1回戦は2対0,そして2回戦は5対0と2試合連続で0封。これは面白い。

またこの試合先制打を放ったのは4番・西川。故障や不調で選手の離脱が相次ぐとはいえ西川を4番に据えたのは不調にあえぐFA選手への荒療治に見えたが、面白いものでそこから4連勝とは。

そして、私の勤務先企業出身として応援する古田島が7回二死満塁の場面で登板し、ピンチを脱する。そして8回も三者凡退として19試合連続無失点。えらいこっちゃ。

さて9日の3回戦、バファローズはこのたび新たに支配下登録された佐藤が初登板初先発。高校から育成ドラフトで入団して5年目ということで、宮城と同学年である。そのエースは現在離脱中だが、その中で勝ち取った支配下。プロ初勝利の齋藤に続くよう期待しよう・・・!

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「etSETOra」に乗車

2024年06月06日 | 旅行記F・中国

ハローキティ新幹線~ラ・マルしまなみに続いて尾道から乗車するのは、広島行きの「etSETOra」。読みの「エトセトラ」はラテン語の「その他いろいろ」という意味だが、この列車においては広島弁で「たくさん」という意味の「えっと」に「瀬戸」を掛け合わせたものである。

この列車の「e5489」での座席指定も運任せなのだが、進行方向とは逆向きながら海側、そして大きな窓の席を取ることができた。

中国地方には「あめつち」や「○○のはなし」といったキハ47を改造した観光列車が走っているが、「etSETOra」は「瀬戸内マリンビュー」を再改造した車両。それにしてもキハ40、47といったところはあちらこちらで改造された観光列車に使われているが、それだけ使い勝手がよいのだろう。旧国鉄時代にはそういうことはまったく想定されていなかっただろうが・・。

始発となる尾道のホームには、ひょっとしたら先ほど「ラ・マルしまなみ」にいた団体だろうか、列車が入るとスマホをかざす人であふれる。

座席に座る。テーブルには乗車記念のコースターが置かれている。この後、車内をぶらつく。車端部の窓が丸型なのは瀬戸内海を行き交う船をイメージしたもので、「etSETOra」の前身である「瀬戸内マリンビュー」からのものである。

尾道を発車。まずは次の糸崎まででしまなみ海道の景色が広がる。本来なら先ほど岡山から乗った「ラ・マルしまなみ」の車窓として通過すべきところなのだろうが・・。

さてこの「エトセトラ」(アルファベット入力が面倒なので、もうカタカナでいきます)、その中で午後の広島行きのお楽しみはバーカウンターである。酒どころならではの味を楽しんでもらおうというコンセプト。これも「呑み鉄列車」である。

お勧めは「地酒飲みくらべセット」。5種類のうち3種類がセットで、「白鴻 沙羅双樹」(安浦)、「於多福」(安芸津)、「小笹屋竹鶴」(竹原)、「酔心稲穂」(三原)、「賀茂鶴」(西条)というお歴々が並ぶ。「エトセトラ」は呉線を経由するので沿線の銘柄を並べたが、やはり酒処・西条を無視するわけにはいかず、全国的に有名な「賀茂鶴」もちゃんと置いてますよ・・というところ。そりゃあ、2023年のG7広島サミットでの一献でも供された、呑兵衛の岸田首相御用達だし・・・(あ、広島県出身の首相といえば、池田勇人、宮澤喜一も大酒飲みだったなあ・・)。

三原から呉線に入る。早速瀬戸内海に近い区間に入る。次の須波にかけては海浜公園が整備されている。これから夏の時季を迎えると多くの人が訪れることだろう。

今治造船のドックが近づく。この造船業だが、はたして好況なのか不況なのか、記事によってもばらばらで、よくわからん。

そして海岸にもっとも近づくところで徐行運転、そしていったん停車。ちょうど雲もいくらか取れて来た。

丸窓から外をのぞくと、まさに海の上にいるかのようである。

戦時中の毒ガス製造拠点、そして現在はウサギの島である大久野島の玄関口である忠海に到着。車窓の瀬戸内海では瀬戸内しまたびライン「SEA SPICA」が運航されており、大久野島にも立ち寄る。この「エトセトラ」と組み合わせで広島~三原間を往復するプランもある。

竹原に到着。呉線の中でも竹原~広間は列車本数の少ないローカル区間である。

しばらく山間部を走り、次に海岸沿いに出たのは安芸津。カキの養殖が盛んなところである。

さて、先ほどの呉線沿線の地酒飲みくらべセットも空き、次にいただくのは「ナオライ浄酎」。日本酒を「低温浄溜」したいわばウイスキーのようなもので、メーカーであるナオライの本社は呉、浄溜所は神石高原町にある。こういう酒を列車の中で味わうとは、「エトセトラ」、まさに吞兵衛列車である。

かつて予讃線の堀江まで国鉄連絡船が出ていた仁方を過ぎ、呉に到着。カウンターバーの営業もここまでで、後は広島までラストスパート。途中の行き違い停車はあるものの、気動車のスピードも若干上がったように感じる。

最後は広島湾、マツダスタジアムの車窓として、広島に到着。

キハ47を改造した観光列車もいろいろあるもので、乗り比べで楽しめる。その中で山陰線の山口県内の運休でなかなか出番がないのが「○○のはなし」である。この車両も時折他線区に出稼ぎするようで、機会があれば久しぶりに乗ってみたいものである・・・。

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