まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

カープ対バファローズ@マツダ3回戦は逆転で連敗ストップ! 古田島プロ初勝利!!

2024年05月30日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

前日29日、14対0というぐうの音も出ない完敗試合をマツダスタジアムで観戦。悪いものが全部出た、それよりも仕事の後に広島の夜風に吹かれながら生観戦できたのはよかったと割り切るしかないところだった。

そして迎えた3回戦。前半はネットでの結果のみ。バファローズ先発の齋藤は2回にカープ先発・九里のスクイズバントを本塁に悪送球して先制を許し、そして4回には一死三塁から九里に犠牲フライを打たれて2対0。打線も4回には連打と四球で無死満塁と攻めたてるも、ルーキー横山が併殺打、そして打席が回った齋藤が空振りで、前日からの無得点が続く。

帰宅するとNHKが生放送中。さて、テレビ桟敷の準備である。広島、山口限定放送だが、解説は大野豊、緒方孝市、そして武本アナウンサーというNHK広島最強の布陣である。その中、齋藤の後を受けて6回裏に2人目で登板した私の勤務先企業出身の古田島が何とかしのぐ。ただ、それでも得点が入らずバファローズとしては重苦しい。

7回表。カープは先発九里から継投に入り、矢崎が登板。ここで頓宮、そして古田島の代打・西野のヒットでチャンスを作り、1番・福田がタイムリーで1点差。続く西川のところでカープは塹江に交代。ここまで成績は良くないが西川を打席に迎えたことで中継も「ここなんよ!」の札が出るが、西川は四球で満塁。

そして、3番に入った太田がライトへのタイムリーを放つ。これで2点が入り3対2と逆転する。さらに、ライトからの返球をカットした一塁手・坂倉が、一塁走者・西川の進塁を防ぐために三塁へ投げた球を三塁手・小園が捕れず、西川も生還して4対2とする。これには解説の緒方氏が小園に苦言を呈していた。

さらに塹江から森、紅林が連続四球。さらに代わった黒原から頓宮が押し出し四球で5対2。なおも満塁で横山は三振に倒れたが、実に久しぶりのビッグイニングとなった。もっとも、小園のミスがなければ3対2のままだったかもしれない。それでも、この回の逆転で古田島にプロ初勝利の権利が回って来た。

7回裏は本田が危なげなくつなぎ、そして8回裏は阿部が登板。しかしヒット3本で一死満塁とピンチを迎える。ここでカープは代打・野間を送るが空振り三振。さらに代打・松山はセンターへの大きな当たり(テレビ桟敷で一瞬悲鳴をあげてしまった)だが、福田がキャッチして無失点。やれやれ・・。

9回、バファローズはカープ森浦に対して一死満塁として、頓宮が2点タイムリー、さらに西野の内野安打で8対2とリードを広げる。サブチャンネルにかわったテレビの前でカープファンよろしく「しゃっ!!」。

結局この試合はバファローズが快勝。そして、勝ち投手は古田島!やったぞ!

ただ、NHKはこの後、試合のハイライトシーンを流していて、大野、緒方氏の試合振り返りはいいのだが、ビジターチームのヒーローインタビューを流さない。

そこでCSにチャンネルを変えて、ちょうど古田島の表情を見ることができた。リリーフ陣も苦しい状況にあって、この先の活躍期待である。

前日までの悪いものをこれで出し切ったようなものである。広島の夜空の下で快勝を味わったファンの皆さん、おめでとうございます。まあ、相変わらず厳しい状況ですが、ぼちぼち勝っていきましょう。まあ、何かいいことあるかもしれんし・・・。

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観戦記・カープ対バファローズ交流戦@マツダ(ぐうの音も出ない完敗)

2024年05月30日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

私にとってバファローズ対カープというのはプロ野球観戦でも楽しみにしているカードである。第1回の広島勤務時代には「広島市民球場でカープと近鉄がもう一度日本シリーズを戦う」ことを楽しみにしていたが実現せず、奇しくも球界再編、セ・パ交流戦の実施により、公式戦でこの両チームの試合を観戦することになった。

大阪、神戸、広島で毎年のように観戦しており、さまざま一喜一憂したことである。16対14の大乱戦があったかと思えば、接戦あり、鈴木誠也の「神ってる」3試合連続弾あり、延長戦でバファローズが大量点を挙げたり・・・いろいろあった。

さて2024年交流戦のこのカードは広島での平日3連戦。広島在住のバファローズファンとしては平日、また勤務先からマツダスタジアムへのアクセスに時間がかかることもあり、球場での観戦は難しいところ。そんな中、さまざまな要素が絡んで、5月29日の2回戦に行くことができた。三塁側上段内野指定席の空きがあり、当日行ければ儲けものくらいの気で確保したのだが、いろいろあって結局早上がりしたようなもので、試合開始の直前にスタジアムに到着できた。平日のナイターを試合開始から現地観戦というのもなかなかないことである。

すでにスタメン発表は終わり、試合前の「それ行けカープ」が流れているところ。カープファンの有名人がリレー形式で次々にビジョンに映し出される。こういうのを見るとやはりカープは人気球団であると感じる。

生ビール片手に、屋外のナイターを楽しみとしよう。よっしゃっ!!

試合開始。カープ先発の森下に対し、初回先頭の福田が幸先よくヒットで出塁する。続く2番は宗だが、一塁ゴロが併殺なりチャンスを作れない。次の中川はヒットを放ったが、森が倒れて先制点ならず。ちょうど、ビジターパフォーマンスシート越しに新幹線500系が広島に到着するところで、新幹線、在来線、貨物列車の発着を見ることができるのもマツダスタジアムの意外な楽しみである・・。

バファローズの先発は田嶋。特に故障や不調というわけではないが登板後の抹消が続いており、この日の出番である。そういえば、5月12日に鹿児島で行われる予定のホークス戦に合わせて九州八十八ヶ所百八霊場めぐりを組んだものの雨天中止になったが、この試合のバファローズの先発予定が田嶋だった。結局ここで出番となったのだが・・。

初回、カープは先頭の秋山がヒットで出塁。続く矢野のバントはセーフティ気味になり、一塁セーフ。ここで3番・菊池がきっちり送りバントを決めて一死二・三塁。続く小園の内野ゴロの間にカープが1点先制。

2回、バファローズの先頭は西川。登場時、スタンドのカープファンからも温かい拍手が起こる。西川がFA宣言してバファローズ移籍が決まった際、カープ首脳陣だけでなくファンも温かく送り出したのだが(私が定期的に通っている医院のスタッフも、私がバファローズファンと知ると「ウチの西川をよろしくお願いします」と診察時に言ってくださったのだが)、今季ここまでの成績は決して期待に見合ったものではなく、所詮その程度の打者・・いやそれ以下というしかない。カープが現在好調なのは、天才だか何だか知らんけどこの打者を放出したこともあるのでは?とすら思う。

続く頓宮の四球、太田のヒットで一死一・二塁として打席にはドラフト1位ルーキーの横山が入る。体調不良でベンチを外れた紅林に代わっての先発起用。しかしここは森下が貫録を見せて三振に打ち取る。次は9番・田嶋でなすすべもなく同点のチャンスがつぶれる。

3回裏、カープの先頭は投手・森下だがヒットで出塁。さすが、打撃にも定評のある森下である。

続く秋山は倒れたが、次の2番・矢野がセンター越えの三塁打を放ち、追加点を挙げて2対0とする。そして次の菊池に対して、田嶋が暴投。これで3対0となる。

この回二死から小園が出塁し、続く末包がレフトへの一発を放つ。5対0。これまで「天敵」と思っていた方もいるバファローズに対して大量リードだ。これもチームの勢いだろう。スタンドも大いに沸く。

スタンドの熱狂の一方で、火照る身体を少しクールダウンしようということで、ライト側奥のコンコースには巨大ミストのサービスがある。この日は夜涼しかったが、これからというもの、瀬戸の夕凪も合わせてスタンドは蒸し暑く、こうしたサービスは人気になることだろう。

序盤で5対0となったが、森下の調子がよいのとバファローズ打線が完全にイカれているのとで試合自体はテンポよく進む。ちょっと、コンコースで何か仕入れますか・・。交流戦限定メニューの「ポンぽこサワー」や、県内ということで「戸河内ハイボール」。もう完全に呑みモードだが、夜風に吹かれながらの野球観戦というのも久しぶりである。

売店に行っている間にカープがチャンスを作り、秋山のタイムリーで1点追加、6対0と一方的。打順の関係もあり田嶋は4回裏終了まで投げたものの、厳しい結果となった。

5回裏は井口が登板。ファイターズ自由契約~バファローズ育成~支配下を経て、どちらかといえば便利使いの登板が続く。まあ、こうした一方的な試合でも誰かが登板しなければならないことで、まず5回は起用に応えた。

5回裏終了。マツダスタジアム恒例の「CCダンス」である。カープは12球団で唯一チアガールが存在しないのだが、ビールの売り子さんがそれぞれの持ち場でダンスするのが独特である。5回裏のカープの攻撃のタイミングを見つつ、背負っているビール樽をいったんおろし、スタンドを盛り上げる。せっかくなので、この後私の席の通路に来た売り子さんから労いを含めて一杯注文する。いやもう、今日はカープに完敗、乾杯ですわ・・。

5回は無失点の井口だったが、6回は先頭の坂倉に四球、続く宇草にヒットを打たれ、曾澤が追加点のタイムリー。さらに森下にもタイムリーが出て、合わせて8対0となる。さらには秋山のタイムリー、交代した山田に対しても矢野が犠飛を放ち、10対0。カープファン、広島の皆さんにとっては最高だろう。この後、小園の打球はバットが折れたものの、タイムリーとなって11対0。もし京セラドーム大阪で攻守切り替えて同じようにリードされていたら、この時点で席を立っていたと思う。貴重なマツダスタジアムでの試合だから試合終了まで座ることにしようというのも一つの決断だが・・。

7回ラッキーセブンも森、西川、頓宮があっさり打ち取られる。そういえば2回一死一・二塁となって以降、まったくランナーが出ていない。11点取られてもまだ何点か取っていればまだ救いはあるのだが・・。

7回裏には赤いジェット風船が舞う。そしてバファローズの捕手は森から石川に交代。実質、白旗をあげたようなものだ。

その7回もカープは攻撃の手を緩めず、坂倉、宇草の連打の後、曾澤が2点二塁打で13対0。さらに、途中出場の大盛にも西川の頭上を越すタイムリーが出て14対0。

8回表はハーンが登板。ルーキー横山、2年目茶野らを簡単に退ける。

8回裏、育成から支配下登録されたばかりの才木が登板。しかしいきなり小園、末包に連打を浴び、カープのチーム安打も19本となった。ここまで来れば20安打でも変わらないと思ったが、才木が踏ん張り後続を断つ。

9回表、河野が登板。一死から宗が四球。ランナーが出ること自体2回以降初めてである。宗は投球の間に二塁へ進んだが、最後は石川が倒れて試合終了。14対0、久しぶりにこんな試合を観てしまった・・。

これだけの一方的な試合だが試合時間は3時間あまり。実質、バファローズの攻撃時間はいくらあっただろうかというくらいのものだった。もう、悪いところが全部出たと思い、現地で観戦することができたのを唯一の思い出として帰宅することに・・・。

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広島「勝ちじゃけぇ!!」 Bリーグ日本一とセ・リーグ首位浮上

2024年05月28日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

プロバスケットボール・Bリーグのチャンピオンシップ。ワイルドカードから勝ち上がった広島ドラゴンフライズが、王者・琉球ゴールデンキングスを破っての逆転日本一を決めた。2戦先勝のチャンピオンシップ、琉球が先勝したが2戦目を広島がとり、そして連勝である。チームとして初の日本一を「下克上」で決め、今季での引退を表明している朝山正悟主将にとっても最高のエンディングとなった。

広島市西区民の一人として、祝福します。

・・・その一方で、28日からはカープ対バファローズの交流戦。序盤はネット速報、そして後半からテレビ桟敷での観戦だっ。試合は投手が踏ん張るも打線の援護がないというパターンで、先発エスピノーザが初回に末包に与えた先制打が重くのしかかり、7回二死三塁の同点のチャンスにも、安定感ある床田の前に広陵高校出身の福田が三振。バファローズは勤務先企業出身の古田島は相変わらずピンチを招いては無失点に抑える「平野劇場」の後継者にふさわしい投球を披露したが、最終回は栗林が101セーブ目と、レジェンドへの新たな一歩となる締めでカープの勝利。

ドラゴンフライズの「勝ちじゃけぇ!!」はいいが、個人的にはバファローズがカープに敗れたことでがっかり。やはり両チームの勢いの差がなぁ・・。

この日タイガースの試合が中止になったことで、セ・リーグはカープが首位に立った。ドラゴンフライズのBリーグ日本一と合わせて、広島のスポーツ紙や地元局番組はどんちゃん騒ぎ・・・(各紙「広島版」の見出しがあるのですよ!)!!。

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交流戦を前にして・・・

2024年05月27日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

この週末は交流戦前最後の3連戦、バファローズは所沢でライオンズとの試合だった。

初戦は序盤からの点の取り合いで9回にバファローズが一気に5点を勝ち越し、しかしライオンズもその裏に粘りを見せ、結局9対6でバファローズが勝ったもののヒヤヒヤした。そして第2戦はバファローズがリードしたものの7回に一挙4点を奪われての逆転負け。第2戦はテレビ桟敷で観戦したが、CS放送で解説していた松坂世代・ライオンズOBの吉見太一氏の「選手の『つなごう』という意識」を強調していたのが印象的。

そして26日の第3戦。この日は出勤していたので結果だけだったが、終盤まで1対0でリードしていたのが、8回に5点を取られての逆転負け。ブルペンデーで何とかつないだのだが・・。

3試合ともライオンズが終盤に粘り、攻勢を見せたところだが、一方のバファローズは投手陣が厳しい。開幕当初は「8人ローテ」でゆったり回していたが、5月に入り一人、また一人と故障や不調で脱落、気づけば6連戦のうち2試合がブルペンデーとなった。そしてリリーフ陣も盤石とはいえない。私の勤務先企業出身である古田島投手がルーキーながら出番が回って頑張っているのは喜ばしいが・・。

さて連勝したライオンズだが、26日の試合終了後、松井稼頭央監督の休養が発表された。監督休養・・・バファローズでも相次いだが、あのライオンズでこのような事態になるとは意外である。交流戦というのは一つの節目になるのだろう。ライオンズの切り札として、二軍監督、一軍ヘッドコーチと順当に経験を積んだはずだが、やはり一軍監督というのはやった人にしかわからない難しいポジションなのだろう。ネットの書き込みを見ても、戦力に関して同情する意見も多いが、采配力に疑問、さらには「監督業に向いていない性格」とまで言われている。渡辺久信GMが監督代行を務めるが、どのように巻き返すか。また後任監督は誰になるか。

その交流戦がいよいよ始まる。初戦のカード、バファローズは広島でのカープ戦である。ここ数年の交流戦ではバファローズがカープに圧勝しているが、今季もカープは首位に迫る勢いがある。その中、広島在住の私としてはぜひともマツダスタジアムに駆け付けたいとして、平日で仕事もあるので実際に行けるかどうかは微妙ながら、一応、チケットを押さえている。交流戦の時だけは、広島の人を敵に回してもパ・リーグ各球団に勝ってほしいと願う日々なのである・・。

交流戦も楽しみましょう・・・。

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第15回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~西大山から枕崎へワープ、そして最後は大雨で・・

2024年05月26日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

5月12日、午後からの鹿児島市内見物も雨のために取り止め、指宿枕崎線で枕崎に向かった。その途中、日本最南端の駅・西大山にて一時停車したのだが、しばらくの停車中にホームに降りている間に列車に乗り遅れてしまうというアホな事態となった・・。

スマホ、財布、パスケース、カメラは身に着けているので問題ないが、リュックの中には、九州八十八ヶ所百八霊場めぐりの朱印帳が入っており、それは私にとっては貴重品である。おまけに、傘が座席に残されたままである。私がいたボックス席には他に相客はいなかったが、周りのボックスの人たち、今頃ひょっとしたら「あのおっさん、西大山で積み残しになったようだぞ」と笑っているかもしれない。

西大山駅は今や観光スポットになっており、駅前には土産物店がある。とりあえずそこで雨宿りとする。まさかこのような形で西大山駅に「下車」することになるとは思わなかった。鹿児島中央から乗って来た韓国人グループも一緒に降りたが、どうやらこの駅を訪ねるのが目的だったようで、時刻表を見ると約1時間後に指宿行きの列車が着く。駅見物が目当てならちょうどよい滞在時間だろう。

さてこれからどうするか。おそらく荷物座席に残されたまま枕崎まで行くだろう。終点・枕崎到着後だが、枕崎は無人駅のため、ワンマンの運転士が到着後の車内点検で荷物を見つけ、いったん預かってくれれば幸いだ。そのまま折り返して鹿児島中央まで持ち帰り、持ち主が現れなければそのまま鹿児島中央駅に引き渡しとなるのではと思う。JR九州の忘れ物案内ダイヤルにかけてみたが、現在運行中の運転士に連絡することはできないので何ともいえないが、この状況であればおそらくそのような対応になるはずで、西大山でお待ちになってはいかがかとの案内があった。ただ、折り返し列車の到着は約3時間後の16時56分、さすがに土産物店の店先で3時間過ごすのはしんどい。

ふと思いついたのが、「列車を追いかけて枕崎に向かおう」ということ。折り返し列車の枕崎発は15時54分で、タクシーに乗れば間に合うだろう。枕崎で荷物を見つけたほうが安心だし、逆からながら指宿枕崎線の残りの区間にも乗ることができる。・・・こういう発想をしてしまうあたり、懲りないというか反省しないというか・・。

スマホで最寄りのタクシー会社を検索すると指宿の会社があった。電話すると幸いすぐに配車可能とのことで、25~30分ほどで着くという。これで多少は気持ちも落ち着き、タクシーが来るまでの時間で土産物店を物色する。日本最南端の駅に来た記念に、駅名標のマグネットと絵葉書を購入する。

案内よりも早く、20分ほどでタクシーが到着した。運転手は70歳代と思われる。一瞬、朝テレビでやっていた「さつま狂句」の選者の先生がタクシーのハンドルを握っているのかと思った。

枕崎駅までというと、これから枕崎に宿泊する客に見えたのか、ぜひともカツオ料理、中でも枕崎ならではという「ビンタ」を食べたり、鑑真和上の上陸地である坊津に行くのがおすすめとの案内いただく。私も枕崎の札所を訪ねた際にはそうしたスポットにも行きたいし、枕崎に泊まるのも面白そうなのだが、今こうしてタクシーに乗っている事情が事情だ。西大山駅での出来事を話すと運転手も大笑い。西大山から枕崎までは約35キロの距離、同時スタートならともかく、さすがに列車より先にタクシーが枕崎に着くことはないが、「そりゃあ、西大山で待つよりは枕崎で荷物を見つけたほうが安心でしょう」と。

それがきっかけで鉄道の話にもなった。運転手は鹿児島出身で東京の大学に進んだが、東京行きの「急行」に乗るのにも寝台は値段が高いので4人掛けの固い座席で24時間以上揺られたとか、逆に鹿児島に帰省する時は終点が近づくにつれて車内に鹿児島弁があふれるようになり懐かしく感じたとか、昔語りをしてくれた。福岡や熊本の人がいる時は大人しくしていたが、周りが鹿児島の人ばかりになると開放的になるのだとか。

一方で現在の指宿枕崎線について、そして沿線の状況についてはこの先見通せないという。指宿枕崎線は指宿までは観光客も乗るだろうが、その先は全然乗っていない、そもそも人口も減っているし、これといった見どころや産業もない(先ほど枕崎のおすすめスポットも紹介いただいたが、本土最南端だからといって全国的に人気があるところでもない)。若者の就職も鹿児島を通過して、福岡や広島、大阪に行ってしまうのだとか。

タクシーは国道226号線を快走する。雨の中、サツマイモ畑、時折海岸も見えるが、さすがに車窓をのんびり眺める気分ではない。その分、運転手からはその他にカツオや桜島の火山灰など、いろいろ話を聞かせていただいたのでまだよかった。

さすがに列車を先回りすることはなかったが、35キロの距離を40分ほどで走り、15時10分頃、枕崎駅に到着。先ほど乗っていた列車はホームに停車していた。おそらく荷物は大丈夫だろうと運転手とここでお別れ。西大山からのタクシー代は10300円、レンタカー1日分(プラスガソリン代)より高くついたが、運転手との一時を過ごしたし、何だか複雑な気持ちだ。

「本土最南端・始発・終着駅」の枕崎。こういう形でアプローチすることになるとは思わなかった。雨の中傘もなく、取り急ぎ駅やホームの写真を撮る。

現在の駅舎は2013年の完成で、駅前にはカツオの行商人の像が立つ。行商人といっても、幼い子どもを連れた女性の像である。明治中期、台風のためにカツオ漁船が転覆し、多くの漁師が犠牲になった。その妻子を救うために始められたのがカツオの行商だという。

「枕崎駅」の文字は、地元出身の立行司・第36代木村庄之助による。大相撲の番付の書き手も務めていたそうだ。

列車の発車までは結構時間があるが、列車の扉は閉まったまま。雨は依然として降ったままなので外を歩き回ることもできない。少し離れた、元の駅舎があったあたりに建つスーパーマーケットに行けば、カツオの加工品が置いているかもしれないが、そこまでも行く気になれず、駅舎でぼんやりと過ごす。枕崎は枕崎で改めて来ることにしよう。

駅舎の一角にはQRコードがあり、スマホをかざすと乗車駅証明書がダウンロードできる。ワンマン列車の整理券を取らずともこれを見えれば運賃精算ができる。先ほど着いた時に取得しておいた。これで、枕崎駅まで来た記念としよう。

15時45分頃、ようやく扉が開く。運転士に申し出ると運転席で一緒に預かってくれていた。お手間をかけたお詫びとお礼を申し上げる。これで安心して、ボックス席に腰を下ろす。

15時54分、枕崎を出発。逆からの乗車となったがこのまま行けば指宿枕崎線も乗り通したことになる。先ほどタクシーで並走する国道を通ったが、今度は安心して車窓を見ることになる。途中駅にも停まるがほとんど乗降はない。薩摩富士・開聞岳も畑の向こうに裾野がわずかに見えるばかりで、あの姿は望むべくもない。

まあ、この日は雨天でなければそもそも指宿枕崎線に乗っていなかったわけで・・。

西大山に戻って来た。往路ほどではないがホームには見物客の姿も見える。今度は、ワンマン運転のため扉が開かない後部車両に座っていたし、そもそも記念撮影のための停車時間もない。一応、窓を開けて車内から写真を撮る。往路でもそうしておけばよかったのだ。

17時15分、指宿に到着。約10分停車する。錦江湾沿いに戻ったが、依然として雨が強い。

そんな中、18時08分発の瀬々串では時刻を過ぎても発車せず停車したまま。瀬々串で行き違う予定の列車が大雨による速度制限のため10数分遅れているとの案内が入る。また私が乗っている鹿児島中央行きも、対向列車の到着後、瀬々串~五位野間は速度を落として走行するため、その分さらに遅れが生じるという。こればかりは天候なので仕方ないが、私にとっては先ほどの西大山での乗り遅れよりもヤバい状況になりそうだ。

枕崎から鹿児島中央行きに乗った時点では、鹿児島中央に18時42分に着き、18時59分発の「つばめ334号」博多行きに乗り継ぎ、博多から20時52分発「ひかり592号」で広島に戻る予定にしていた。しかし途中で遅れが出たことで「つばめ334号」には間に合わないことが決定的となった。その後、鹿児島中央からは広島に向かう列車は19時51分発「みずほ614号」、20時14分発「さくら406号」が残っているのだが、今回復路で予約したのが日本旅行の「バリ得」プラン。価格は安いものの予約列車に乗り遅れた場合、乗車券・特急券は無効になってしまう。

もっともこの時点では、後続の列車にも乗れるのかどうかも不安になった。日曜の夜、それにも間に合わないとなればしゃれにならない。

行き違いの列車が到着し、結局15分ほど遅れて瀬々串を発車。右に錦江湾、左に斜面が迫る区間で時速25キロの制限運転だが、幸い途中で立ち往生することなく、規制区間の五位野に到着。ここまで来れば住宅も広がるエリアで、通常速度での運転となった。やれやれ。

それでも単線のため行き違いもあり、鹿児島中央には30分ほどの遅れで到着した。もちろん「つばめ334号」はとっくの前に発車していた。

結局、「みどりの券売機」で改めて19時51分発「みずほ614号」の特急券、そして乗車券を買い直した。「バリ得」だと鹿児島中央~広島が13300円だったのが、それが無効になった挙句、みずほの指定席買い直しで18530円を追加で支払うことに。先ほどの西大山~枕崎のタクシー代が10300円と合わせて、金銭的ダメージは大きかった。

食事は新幹線の中ということで、コンビニで何がしか購入してホームに向かう。「みずほ614号」は広島から先、新大阪までの最終列車との案内が流れる。

シートに力なく腰を下ろし、前日からここに至るまでのいくつもの「たられば」を思い起こしてみる。事の発端は、この日鹿児島・平和リース球場で行われる予定だったホークス対バファローズの試合である(このチラシは、枕崎駅に置いてあった)。雨の1日をどのように過ごすかということでも揺れ動いた。伊集院の剣山寺を訪ね、伊集院に戻ったところですぐ発車の鹿児島中央行きに間に合ったのも分岐点。その列車に間に合ったことで鹿児島中央から枕崎行きの列車に乗ろうと思い立ち・・。西大山で乗り遅れることなくそのまま枕崎まで行った場合、折り返しのバスで鹿児島中央に早い時間に戻る選択肢もあり、大雨での列車遅れに遭うこともなかっただろう(いや、枕崎から同じ列車に乗っていたかもしれない)。

「みずほ614号」はさすがに速達列車で、鹿児島中央を出ると途中の停車駅は熊本、博多、小倉のみ。寝過ごさないよう、いろんなことを考えるうち22時11分、無事に広島で下車した。当初の「バリ得」プランだと広島着が21時58分だったから、時間的なロスは最小限で済んだのだが・・。

さて今回の鹿児島シリーズの結果、薩摩半島のうち、鹿児島市内と枕崎の札所が斜めに残る形となった。次回も新幹線で鹿児島までアクセスし、現地でレンタカーを利用する見込みだが、今回の一軒で「バリ得」のリスクも考えなければと思う。これから夏に差し掛かり、九州南部だと台風や大雨でダイヤが乱れることも想定しなければ・・・。

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第15回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~指宿枕崎線でやらかしてしまった・・・

2024年05月25日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

5月12日、鹿児島での野球観戦が雨のため中止となったことを受けて、午前中は札所めぐりを前倒しする形で第49番・剣山寺への参詣で伊集院まで往復した。鹿児島中央に戻り、午後からは第45番・大歓寺参詣と鹿児島市内で過ごす予定にしていたが、雨も降り続いているし、傘を差して歩き回るのも何だか面倒に感じられた。次の九州行きの予定は決めていないが、どのみち鹿児島市内に来ることには変わりない。

ここでふと思いついたのが、指宿枕崎線の乗車である。指宿までは前日「指宿のたまて箱」で往復したが、問題はその先、終着駅である枕崎までの区間である。

これまで、九州八十八ヶ所百八霊場めぐりでは南九州の日南線、吉都線、肥薩線といったローカル線に乗っており、ならば日本最南端を目指す指宿枕崎線にも乗っておきたい。枕崎にも札所(第97番・大国寺)があるのだが、指宿枕崎線の駅からは離れており、路線バスの便もないためレンタカーで行くつもりである。どのみち指宿枕崎線に乗る機会を作らねばならず、それなら今回乗ってしまおう。車窓は期待できないが、外で雨に濡れるよりはよい。日本最南端の西大山駅も通る。

時刻表を見ると、12時02分発の枕崎行きがある。終点の枕崎には14時49分着。折り返しの列車は1時間ほど後の15時54分発で、鹿児島中央には18時42分着。ちなみに広島に戻る便は、鹿児島中央18時59分発「つばめ334号」で博多まで行き、「ひかり592号」に乗り継ぐ日本旅行の「バリ得」プランである。

一方、枕崎から15時00分発のバスでとんぼ返りするという手もある。これなら鹿児島で一献やってから新幹線に乗ることができる。さてどうするか。

鹿児島中央駅にはバファローズのグッズを身につけた人、中にはユニフォーム姿の人もちらほら見える。前日の宮﨑での試合はホークスに完敗したが、ファンの皆さんも宮崎、あるいは鹿児島に宿泊してこの日の鹿児島での試合を楽しみにしていたものの、この後どうするのだろうか。

乗車前、「みどりの券売機」で「鹿児島中央~枕崎」の乗車券を購入する。この時点では、この後私にとんでもないことが降りかかるとは知る由もなかった・・・。

枕崎行きは行き止まり式の1番線から発車するが、地元の人、そして個人の乗り鉄の姿がちらほら見える。そこに、韓国人の10人ほどのグループがやって来た。指宿にでも行くのだろうか。

キハ47の2両編成が到着。ボックス席も結構埋まる。韓国人グループは早速おしゃべりに夢中である。そんな中、カーネーションの花束を手にした男性もいる。そういえば今日5月12日は「母の日」。

まずは鹿児島の南側の市街地を走る。路面電車の線路とも並走する。前日は特急でノンストップだったが、各駅に停車しながら進むとやはり雰囲気は違う。しかし外は雨だし、窓ガラスも元々くすんでいるので車窓の写真は難しい。前日は桜島の稜線も望めたが、この日はまったく見えない。まあ、雨でなければ今頃は平和リース球場にいたはずで、予定の変更また変更で枕崎行きの列車に乗っているのだから仕方ない。

錦江湾沿いに出たが、カメラで車窓を撮ってもこんな感じ。窓を開ければもう少しくっきりするのだが、相客もいるしそれは無理な話。

薩摩今和泉に到着。ここで、鹿児島中央を先に発車した「指宿のたまて箱」の指宿折り返し便と行き違う。

指宿に到着。ここで下車する人も多く乗客が入れ替わるが、先の韓国人グループはそのまま乗っている。指宿で下車しないということは、ひょっとしたら日本最南端の駅・西大山が目的地だったりして・・。

指宿を発車し、次は山川。日本最南端の有人駅というのがこの駅の看板である。

山川から先がローカル区間である。山川からは大山を経て、次が日本最南端の駅・西大山である。時刻表上では停車時間2分とあり、発車時には汽笛を鳴らすという。せっかくなのでホームに出てみよう。

西大山に到着。この天候なので薩摩富士・開聞岳の姿は見えないが、ともかくこの記念碑である。

ホームには車内から韓国人グループも出たし、ドライブのついでで列車見物に来たらしい人でごった返している。その中で日本地図、そして駅名標を撮ったのだが・・・。

・・・気がつくと、列車の前方の扉は閉まり、そしてエンジン音が鳴り響いていた。慌てて前方に向かうがどうしようもない。

日本最南端の駅・西大山で列車に乗り遅れる・・・。

今思えば、最初の「日本最南端の駅 北緯33度11分」の記念碑だけにしておけばよかったことだ。これが、下車客が限られていれば駅名標の写真を撮っても車内に戻れたのだろうが、グループの下車や見物客でごった返していたこと、雨のため傘が開いて見通しが悪かったこと・・要因はいろいろあったのだろうが、結局は自分の不注意で乗り遅れただけである。

カメラはこうして手にしているし、スマホ、財布、パスケースは身につけている。気がかりなのは九州八十八ヶ所百八霊場の朱印帳が入ったリュックが座席にあるのと、傘・・・。ホームで写真を撮るだけだからと傘も座席に残していた。このまま、傘もささずにみじめな姿である。

さてこの後、どうしたものか・・・。

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第15回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~第49番「剣山寺」(野球中止で伊集院へ)

2024年05月24日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

5月12日、鹿児島で迎える朝である。窓の外を見ると曇りだが、この日の鹿児島の天気予報。降水確率100%である。この日、鹿児島で行われるホークス対バファローズ戦に合わせて九州八十八ヶ所百八霊場めぐりを組んだのだが、前夜の時点で残念だが試合中止になるのは明らかな状況だった。

当初、12日の午前中で鹿児島市内の第45番・大歓寺、そして市内のスポットを回った後、平和リース球場に向かうことにしていた。ところが野球中止で午後が空いたのでどう埋めようか。札所めぐりを先に進めようかと目を付けたのが第49番・剣山寺。交通案内だと、鹿児島線の伊集院から枕崎行きのバスで15分ほどのところにある。ただこのバスの本数も少なく、現地で2~3時間待ちとなってしまう。ただ唯一、伊集院駅9時49分発のバスで最寄りの城の下に10時04分着、城の下10時38分発のバスで伊集院駅に10時53分に戻るのが現実的なようだ。バス停からの歩きも含めると寺の滞在時間はわずかだが・・。

ということで、先に剣山寺に行き、鹿児島に戻って大歓寺、そして市内見物。夕方に鹿児島中央駅近くで軽く一献として新幹線に乗る・・というプランにする。伊集院からのバスの時間に合わせての動きだと、鹿児島中央の出発は8時56分発の串木野行きということでゆっくりできる。

鹿児島の朝といえば・・というわけではないが、南日本放送の「さつま狂句」である。5月のお題は「連休」ということで・・。

せっかくなので地下の大浴場での朝風呂とした後、朝食会場に向かう。バイキング形式で、ご飯には鹿児島の郷土料理「鶏飯」もある。鶏飯とは、ご飯の上に鶏肉、錦糸卵、干しシイタケ、漬物(正式にはパパイヤの味噌漬け)などを乗せ、鶏ガラスープをかけた一品である。鹿児島といっても奄美の料理で、当時支配していた薩摩本土の威圧的な役人の気持ちをやわらげようというおもてなし料理だったそうだ。

鹿児島中央駅に向かう。ちょうどここで雨が降って来た。もう降るなら降るであきらめもついている。ネット予約していたチケットは鹿児島のコンビニで発券するつもりでいたが、前日発券しなくてよかった。雨天中止の場合、未発券だとそのままネットで返金されるが、発券していればその店舗に翌日以降出向く必要があったからだ。

8時56分発の串木野行きに乗る。鹿児島線に入ったことで、九州一周も西半分に移ったことを実感する。

伊集院着。2015年に橋上駅舎に建て替えられている。

自由通路には関ヶ原の戦いの合戦図の一部(島津義弘の退却戦)、そして「ドリフターズ」の文字が見える。「ドリフターズ」といえば私の世代だといかりや長介、志村けん・・を連想するのだが、この「ドリフターズ」は漫画・アニメ作品で、島津豊久を主人公にした歴史ファンタジーものだという。

駅前に建つ騎馬像は島津義弘。島津氏の居城といえば鹿児島の内城、そして江戸時代の薩摩藩となってからは鶴丸城に移ったが、元々は現在の日置市の伊作城を拠点としていた。

9時49分の枕崎行きのバスに乗る。伊集院から加世田を経て枕崎まで走っていた鹿児島交通枕崎線(南薩線)の廃止後の路線バスである。伊集院駅を出るといきなりちょっとした峠越え。

雨の中、城の下バス停に到着。帰りのバスを考えると滞在時間は約30分。寺へはバス停から少し先まで歩き、若干の上り道である。目印は小正醸造の蒸留蔵。

剣山寺に到着。山門はなく、弘法大師像が出迎える。本堂もプレハブ造りである。玄関のインターフォンを鳴らすと寺の方で出てきて、中の照明をつけてくれる。

本尊は不動明王。建物がプレハブなのは火災で焼失したためとのこと。

朱印をいただく。またお接待ということでペットボトルのお茶をいただいた。境内には他にも仏像などがあるようだったが、時間が限られているし、また雨ということでそのままバス停に戻る。伊集院駅方面の乗り場には屋根がかかっていたが、膝から下はびしょびしょである。

伊集院駅に戻り、そのまま鹿児島中央行きの列車に乗る。鹿児島方面に向かうため車内は立ち客も多かった・・・。

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第15回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~鹿児島の郷土料理と「鹿児島王将」

2024年05月22日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

指宿まで往復した後、鹿児島中央に戻る。駅横のアミュプラザでは「新茶まつり」というのが行われており、鹿児島県内のお茶屋さん10数店舗が出店している。無料で試飲ができる。鹿児島といえば知覧茶が有名だが、枕崎の札所に行くのに合わせて知覧の町も訪ねてみようと考えている。

駅前には「若き薩摩の群像」の像が建つ。鹿児島といえば西郷隆盛、大久保利通や島津斉彬といったところが連想され、彼らの像もあるのだが、ここに居並ぶのは幕末に薩摩藩がイギリスに派遣した留学生たちで、彼らは帰国後、明治日本の近代化に政治、経済、産業面で貢献した人たちである。鹿児島市内の札所を訪ねるならば、せっかくなので明治維新や近代化に関するスポットも見物したい。

さて5月11日の宿泊は、駅からしばらく歩いた「ホテルタイセイアネックス」。部屋自体は一般的なビジネスホテルだが、地下にはサウナ・大浴場がある。こちらはカプセル&サウナとして別の宿泊施設なのだが、ビジネスホテルの宿泊客も無料で利用できる。後で入ることにしよう。

そして、南国鹿児島での夜の一献である。せっかくなので天文館通まで移動する。ちょうどホテルの目の前が高見橋の電停で、路面電車に揺られる。感覚としては広島駅から八丁堀、紙屋町に行くようなものだ。さすが鹿児島の中心部ということで多くの人で賑わっている。

向かったのは「居酒屋 ゆ」。以前に鹿児島に来た時にもこの名前の居酒屋に入り、鹿児島の味をいろいろ楽しんだので、今回席だけ予約していた。ただ来てみると、店の雰囲気がその時とは何やら違うような気がする。調べてみると、この「居酒屋 ゆ」は市内に複数あるチェーンで、前に入ったのは別の店だったようだ。

店名が「ゆ」だし、ロゴは温泉のマーク。これは銭湯の暖簾が由来で、気軽にゆったりくつろげる・・ということでつけられた名前である。メニューは薩摩の郷土料理から大衆酒場の定番まで200種類以上ありいろいろ迷う。

まずはビールで乾杯。

そしてさつま地鶏の刺身。鶏を刺身で・・というのも南九州の味である。一人でいただくには結構ボリュームもある。歯ごたえあり、美味しくいただく。

薩摩特産の魚介類ということで、カツオのたたきや刺身の盛り合わせもあるが、「時価」というのに少しびびる。ここで店内を見渡すとか、店員に訊くとかすればよかったのだろうが、まあ鹿児島ならではということで、定価で出るキビナゴの単品をいただく。郷土の味ということで美味かったのだが、一人でこれだけ一度にいただかなくてもよかったかな。今思うに、「時価」だったにせよ、さまざまな魚介類を味わったほうがよかったかな。カツオのたたきが2切れくらいはいったかもしれないし。

続いては焼鳥盛り合わせ。「居酒屋 ゆ」は元々焼鳥専門店だったそうで、創業以来の味だという。出発点は地元の人たちが気軽に入れる大衆酒場で、後に郷土料理を押し出して観光客にも入りやすくしたと思う。

鹿児島といえば黒豚、さまざまなメニューがありいろいろ迷ったが、結局選んだのは豚足。この豚足だが、骨ごとバリバリいただく必要があるのか、周りのコラーゲンだけ掬えばいいのか、迷う一品である。

入店した時は私が口開け客だったが、気づけば予約のグループが何組も来ており、オペレーションの都合か、予約なしの来店は断っているようだ。接客の店員も慌ただしそうだし、他にも食べてみようと思うメニューがあったが、ここは早めに切り上げることにする。

・・切り上げたのは店の混み具合もあるが、もう1ヶ所行きたいところがあったためである。

路面電車の線路を渡り、向かったのは「餃子の王将」。「王将」といえば全国チェーンのあの店舗、わざわざ旅先で「王将」もなかろうと思われる方もいるだろうが、ここ鹿児島には「鹿児島王将」というのがある。「鹿児島王将」は以前、鹿児島出身の方から教えてもらったことがあり一度入店したことがあり、久しぶりの訪問である。

全国の「餃子の王将」というのはいわゆる「京都王将」。別に「大阪王将」というのがあるが、こちらはいろいろややこしい関係にあるようだ。その中で「鹿児島王将」は「京都王将」も公認の存在である。

「鹿児島王将」の設立にはあの実業家・稲盛和夫氏が関わっている。稲盛氏の義弟が「京都王将」で働いていたが、ある時独立を希望した。そこで稲盛氏が「京都王将」に掛け合って、独立した会社として鹿児島県内での出店を一任されることになった。

「鹿児島王将」独自のスタイルとして、注文はテーブルの上にある用紙に鉛筆で個数を入れて店員に渡す。

町中華ということで、改めて瓶ビールで仕切り直し。そして餃子である。「京都王将」の餃子独特の濃さとは一味違う家庭的な味わいだ。

そして鶏のから揚げ。こちらも「京都王将」とは異なり、竜田揚げに近いメニューである。

締めとして天津飯・・ではなく天津焼飯。「鹿児島王将」の名物は天津飯なのだが、焼飯も食べたいなということで、結局両者合わさった一品を注文した。こちらも鹿児島オリジナルで、餡の味つけのベースは黒酢である。

「餃子の王将」は店舗ごとのオリジナルセットメニューもあるのだが、さすがに「鹿児島王将」となると一種独特になる。鹿児島の人たちの口に合うように、ということで独自の味付け、レシピになったとのことだが、ある意味「鹿児島王将」も「郷土料理」の店といえるのではないかと思う。

結局、薩摩料理と「鹿児島王将」で一献は二次会まで及び、そのまま歩いてホテルまで戻る。大久保利通像にも出会う。

部屋に戻り、地下のサウナ・大浴場に向かう。ビジネスホテル側からだと部屋着のままでよく、エレベーターの地下から専用の入口に進み、ルームキーを見せるとそのままロッカーキーを渡される。天然ではなく人工の光明石温泉だが、ジャグジーもあり(サウナは苦手なので入らない)心身を癒すことができる。

入浴後は休憩スペースでしばらくゆっくり。こちらは宿泊中は自由に利用できるので、翌朝も来ることにしよう。

・・・こうして、鹿児島での一夜は十分満足できるものとなった。しかし問題は翌12日である。鹿児島でのホークス対バファローズ戦に合わせて今回の九州八十八ヶ所百八霊場めぐりを組んだのだが、テレビ、スマホの天気予報を何度繰り返し見ても、12日の鹿児島の天気予報は雨。しかも降水確率100%とある。正直、今日11日なら土砂降りの雨で桜島や錦江湾の景色が見えず、宮ヶ浜の札所まで傘をさして歩き、指宿の砂蒸し風呂で雨に濡れてもよかった。

ただ、こればかりはどうしようもない。野球は中止確実として、夕方の新幹線までどのように過ごすか。他の札所を訪ねることも含めて考え直すことに・・・。

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第15回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~指宿の砂蒸し風呂に浸かり、復路も「たまて箱」

2024年05月21日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

5月11日~12日の九州八十八ヶ所百八霊場めぐり、初日は指宿・宮ヶ浜にある第47番・光明寺を訪ね、この日の札所めぐりは終了。この後は指宿での砂蒸し風呂、そして鹿児島に戻っての一献。翌12日は鹿児島市内の第45番・大歓寺などを訪ねて、午後からは平和リース球場で行われるホークス対バファローズ戦の観戦である。私流で鹿児島を楽しむ2日間になる・・・はずだったが、その辺りは追々書くことに。

指宿駅からテクテク歩き、「砂むし会館 砂楽」に到着。他にも砂蒸し風呂を楽しめるスポットはあるが、指宿で代表的なのが「砂楽」である。海岸線にも近いところ。久しぶりの訪問だが、その時は5月の大型連休中で、「砂楽」にも長い列ができていた。今年の大型連休もおそらく待ち時間が長かっただろうが、連休後の週末ということもあってか、待ち時間なしでそのまま受付完了。

「砂楽」の入り方だが、更衣室で下着も全て脱いで専用の浴衣を着用して、タオルだけ持って外に出る。そして階段を下りて砂浜に向かう。砂浜までの道はパブリックスペースで、行き交う男女の浴衣の下は何もないのかというと変なことを想像してしまいそうだが・・。

来た人順に屋根付きの浴場に通され、ここで横になるよう案内される。タオルを頭の後ろに敷いて、そりゃそりゃと砂をかけられる。温泉成分を含んだ砂に埋もれ、全身に圧力がかかることや温泉の熱で血管が拡張され、血液循環が促進されるという。効能は盛りだくさん。体がドクドクいうのを感じる。

入浴は約10分。起き上がる・・というより這い上がるといった感じで出る。ちょうど海からの風が涼しく感じられる。建物に戻り、砂を落とした後で液体の?温泉に入浴。砂蒸し風呂の後の入浴でいわゆる「整った」感じになる。

ちょうど鹿児島方面のバスが来たので乗り込み、指宿駅で下車する。帰りも15時07分発の「指宿のたまて箱6号」を予約している。列車の発車まで結構時間があるので食事としよう。駅近くに「麺屋二郎」という、どこかで聞いたことがあるような名前のラーメン店があるが、指宿近辺で展開する豚骨ラーメンの店である。ここで遅めの昼食としたが、ラーメンは普通に美味かった。

指宿駅前には足湯もある。2019年にリニューアルされ、夜もライトアップされて最終列車まで利用可能とある。ここでもしばらくくつろいだ。

さて駅に戻ると待合室は団体客であふれていた。これから「指宿のたまて箱6号」に乗るようで、添乗員から注意事項の説明を受けているところ。こちらも満員御礼のようだ。

折り返しとなる「指宿のたまて箱6号」が入線すると、団体客も一斉にカメラ、スマホを向ける。顔ぶれからして鉄道ファン向けのツアーというわけではないようだが、指宿近辺をいろいろ回り、砂蒸し風呂にも入り、最後は観光特急に乗って・・という盛りだくさんのコースなのかな。

主に1号車はこのツアー客で埋まっているようで、私が乗ったのは2号車。往路では海側のカウンター席に陣取ったが、復路で空いていたのは山側のみ。ただ、この席は面白いことにソファー型となっていて、席の両側は本棚である。私の跡にあったのは「たまて箱」にちなんでか、童話や民話、昔話の本が並ぶ。活字が並ぶ本から絵本まであり、子ども連れも退屈せず過ごせそうだ。

また、座席の周りには魚が泳ぐ・・。鯛や平目の舞い踊り・・ここにも竜宮城がある。

指宿を発車した列車は鹿児島中央を目指す。途中、錦江湾や桜島の景色も楽しむが、往路と同様ということでそのまま流す。帰りの車窓があっという間だったのは、これも「たまて箱」効果なのかな・・。

鹿児島中央に到着。下車後、隣のホームに向かう。ここまで見ることのなかった「指宿のたまて箱」の黒いほうの姿。いや、まるっきり印象が異なる。「たまて箱」の伝説からすれば、黒がオリジナルで白が「その後」の姿なのだが、乗った時の印象として、白いままのほうがよかったと思う。こうやって見ると、「腹黒さ」というか、裏の顔に出会ったかのようにも思える。まあ、この対比もJR九州があえて狙ったことなのだろうが・・。

さてこの後は鹿児島にて宿泊・・・。

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第15回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~第47番「光明寺」(指宿・宮ヶ浜)

2024年05月20日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

指宿枕崎線「指宿のたまて箱1号」で指宿に着き、ここから折り返す形で宮ヶ浜に向かう。これから向かうのは九州八十八ヶ所百八霊場の第47番・光明寺である。薩摩国では札所番号と並び順が一致していないところがあるのだが、この札所めぐりは番号順にはこだわっていないので、まずは指宿を目指した。

九州八十八ヶ所百八霊場のサイトによれば、宮ヶ浜駅から光明寺までは徒歩20分とある。外も晴れているし、折り返しの列車までの時間にも多少余裕はある。南九州、池田湖方面に向かう県道を歩くことになる。道路標識の池田湖の横に何やらイラストが描かれているが、池田湖に生息しているとされる「イッシー」という未確認動物だという。同じ未確認動物の「ネッシー」から名づけられたそうだが、その正体はオオウナギではないかと言われている。

鹿児島でウナギといえば池田湖のほかに鰻池というのがあり、かつては鰻村と呼ばれ、この辺りの人たちは「鰻」姓を名乗ったという。現在では数少なくなったが、漫才コンビ・銀シャリの鰻さんのルーツもこちらだという。鰻さんがかつて付き合っていた方の名前がが「重子」さんといい、別れたのは結婚したら「鰻重」子になっていまうから・・・というのはネタだが。

この札所めぐりでウナギをいただくことはないなと思いつつ、少し緩やかな上り坂を歩き、光明寺の看板を見る。そこからしばらく下り、光明寺の石柱に出る。実質徒歩15分ほどだった。

山門はなく開放的な境内で、本堂も比較的新しい建物のようだ。

中に入ってお勤めとする。扉を開けたところで寺の方が出て来られて、納経帳を預ける。

光明寺・・九州八十八ヶ所百八霊場でも同じ名前の寺がある。その歴史だが、八十八ヶ所のサイトを見てもいつ開創されたかはっきりしたことは書かれていない。薩摩は明治の廃仏毀釈が徹底して行われたところだ(島津家の菩提寺ですらその対象となった)。

お勤めを終えると、「お茶をどうぞ」と隣の応接間に招かれる。お茶菓子をいただき少し話す中で、現在の光明寺が開かれたのは現在の住職の先々代だったというようなことをうかがった。

寺を後にして宮ヶ浜駅に戻る。ちょうど錦江湾が広がるところで、こうした景色もなかなかのものである。

宮ヶ浜の駅前には指宿方面へのバス停もあり、時刻表のうえでは発車時間も近いのだが、バス停のQRコードでバスの現在位置を確認すると、かなりの時間遅れているようだ、そのまま駅に向かい、列車で指宿に向かうことにする。その宮ヶ浜は無人駅で、交通系ICカードの利用エリアからも外れているのだが、ホームにはクレジットカードのタッチ決済用の機器が置かれている。福岡エリア、そして指宿枕崎線の鹿児島中央~指宿間で2026年3月までの実証実験として設置されているとのこと。機器にカードをピッとするのはICカードと同じだが、このタイプだと、交通系ICカードを持っていない人でもクレジットカードにタッチ決済機能があれば利用可能である。インバウンドの人も利用しやすいだろう。

ホームに入ると、桜島を前に「ようこそ! 長渕剛ゆかりの地 宮ヶ浜へ」の横断幕が掲げられている。長渕剛さんが鹿児島出身というのは何かで知っていたが、ここ宮ヶ浜は長渕さんの母の出身で、長渕さんも母と海で泳いだ思い出があり。「私の原風景そのものだ」としている。海岸には歌碑が建てられており、聖地として訪ねるファンも多いとのこと。もっとも、駅から海岸に行くには結構大回りになるようだが・・。

列車に乗り込む。2駅で指宿に到着。改札口の横に目立たぬようにクレジットカードのタッチ決済の機器があり、そこにカードをタッチする。乗り降りの方法は交通系ICカードと同じで気軽にでき、これならもっと範囲を広げてもよいのではないかと思う。

後は帰りの「指宿のたまて箱6号」まで指宿で過ごすことにして、砂蒸し風呂に入ることに・・・。

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第15回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~「指宿のたまて箱」に乗車

2024年05月19日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

5月11日、広島から「さくら401号」で鹿児島中央に到着。荷物を預けにいったん改札口の外に出て、在来線ホームに入る。これから、九州八十八ヶ所百八霊場の第47番・光明寺を訪ねるべく、指宿に向かう。

9時56分発「指宿のたまて箱1号」指宿行き。キハ47、キハ40の2両編成だが、正面の左右両側で白と黒に大胆に塗り分けられている。各地のローカル線で活躍していたキハ40・47系を観光列車に改造した車両はいろいろあるが、こうした大胆なカットというのは初めて見る。指宿枕崎線でいえば、海側が白、山側が黒である。

指宿というところは竜宮伝説発祥の地とされており、竜宮といえばたまて箱、そして、乙姫からたまて箱をいただいた浦島太郎がたまて箱を開けると黒髪が白髪に・・というのがテーマだという。もっとも見ようによっては白霧島と黒霧島を連想するし、ジキルトハイド、天使と悪魔という、物事の裏表を想像してしまう。

座席は満員御礼という。行き先が指宿ということで団体客や外国人旅行者の姿も目立つ。キハ40と47の組み合わせは珍しいなと見ていると、1号車のキハ40は普段は予備車扱いで、本来の車両が検査等で運用を外れる時には代打で入るようだ。クロスシートが並ぶ。

そして私も乗る2号車のキハ47が、「指宿のたまて箱」のレギュラー車両のようだ。こちらはほとんどの座席が海側を向いており、海側の座席はカウンター、そして山側の座席はソファー型となっている。こうした木をふんだんに用いたインテリアの車両をデザインした人といえば・・・はい、あの方です。

「指宿のたまて箱」は愛称「いぶたま」と呼ぶようだ。鹿児島中央を出ると指宿までノンストップ。

私も海側のカウンター席に陣取り、出発。まず鹿児島中央駅近くの車両区の横を過ぎる。旧国鉄の朱色とクリーム色に復刻したキハ40や、引退した415系なども並ぶ。まずは鹿児島の市街地から郊外を走り抜ける。

街並みの向こうに桜島の姿を見る。桜島は今でも継続して噴煙があがるところで、日々の天気予報でも降灰の予想が流される。日本の中でもっとも火山を意識した街ではないだろうか。

その桜島を眺めながら、車内販売でいただいたのが「鹿児島ハイボール」。あえて飲んでみた。鹿児島といえば・・私の苦手科目である芋焼酎の本場。芋焼酎にあらずんば酒にあらず・・とまでは言わないが、いろんな飲み方があるのかなと買ってみた。地元・西酒蔵の「宝山」を炭酸で割った一品で、ちびちびやる分には悪くない味である。

車窓は錦江湾に差し掛かる。左手には桜島、そして正面から右手にかけて大隅半島が横たわる。この九州八十八ヶ所百八霊場めぐりでは大隅半島に行くことはなかったが(付け根にある国分を訪ねたのみ)、九州最南端の佐田岬、さらにその先の屋久島、種子島といったところにも足跡を残したいものである。

薩摩今和泉を過ぎる。島津氏の支流である今和泉島津氏の拠点で、幕末に徳川家定の正室となった天璋院篤姫ゆかりの地という車内案内がある。

11時48分、終点指宿に到着。

うーん、桜島や錦江湾の車窓はよかったのだが、50分ほどの乗車で何か特別なことがあったわけでもなし、「観光特急」という看板の割には少し物足りなかったかなという気がする。JR西日本のキハ40・47改造の観光列車たちは列車種別としてはあくまで「快速」だからそれ相応だと思うが、それに比べると・・・。

まあともかく、九州八十八ヶ所百八霊場めぐりにおいては九州のさまざまな路線、列車に乗っているが、ここに指宿枕崎線も加えることができた。もっとも、線路は日本最南端の西大山駅、そして終着駅の枕崎駅まで延びているのだが・・。

指宿の砂蒸し風呂は後のお楽しみとして、まずは一度折り返す形で、11時06分発の鹿児島中央行きに乗る。目指すのは2駅前の宮ヶ浜・・・。

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第15回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~鹿児島での野球観戦とともに

2024年05月18日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

九州八十八ヶ所百八霊場めぐりは、今年1月末に鹿児島市内まで到達。札所もちょうど半分となる第44番まで進んでいる。今回は鹿児島編の続きで、鹿児島市中心部にある第45番・大歓寺、そして番号は前後するが、指宿にある第47番・光明寺、枕崎の第97番・大国寺、日置の第48番・剣山寺といった薩摩半島の札所に進む。

いつ頃訪ねようかと機会をうかがっていたのだが、何ともぴったりのタイミングを見つけた。5月11日~12日、ホークス対バファローズの2連戦が宮崎、鹿児島で行われる。これはいい。鹿児島での試合は12日のデーゲームで、それならば11日、12日の両日で第45番・大歓寺ともう1ヶ所くらい回ることにしよう。野球のほうも無事にチケットを確保できた。関西から宮崎、鹿児島と遠征するファンもいることだろう。金曜日夜に神戸からフェリーに乗って宮崎入りする人がいるかもしれない。ホークスの主催試合ではあるが、宮崎はバファローズもキャンプ地にしており、京セラドーム大阪の試合でも「キャンプ地宮崎」のCMが流れるくらいだ。

さて、具体的な鹿児島行きのプランである。大歓寺以外のもう1ヶ所ということで検討したが、やはり指宿の第47番・光明寺だろう。指宿枕崎線の宮ヶ浜から少し歩くが、同線に乗るのも久しぶりだし、砂蒸し風呂に入るのもよい。一時は指宿での宿泊も考えた。

そして同線には観光特急「指宿のたまて箱」というのがあり、鹿児島中央~指宿間を1日3往復している。せっかくなのでこれを組み入れようとして時刻表をいろいろ検討したところ、鹿児島中央9時56分発の1号で指宿に向かい、到着後普通列車で折り返して宮ヶ浜に戻り、光明寺を参詣。そして指宿に戻って砂蒸し風呂に入り、指宿15時07分発の6号で鹿児島中央に戻る。宿泊は鹿児島中央駅前のホテル。

・・ここまでは順調に決まり、後は出かけるのを待つだけだが、5月の大型連休を過ぎて週間天気予報をチェックすると、5月12日の九州、西日本には傘マークが見える。そして日程が近づく中、鹿児島の11日は晴天だが12日は雨。降水確率も高い。もっとも翌13日はまた晴れ・曇りになっているから何ともいやらしい。12日の試合、雨天中止もある程度覚悟しなければ・・。

5月11日、広島6時43分発「さくら401号」に乗る。上記の「指宿のたまて箱1号」に間に合うため、この列車で一気に鹿児島中央まで向かうことにする。これまで大分、宮崎方面が続き、日豊線に乗ったり、新八代~宮崎方面のバスに乗ったりとアクセスも楽しんだ中、いよいよ王道の九州新幹線での鹿児島入りである。

広島発車時点では空席が目立ち、山陽新幹線の区間はそのまま進む。乗客が増えたのは7時58分発の博多から。

福岡・佐賀県内では外の景色を見ていたが、その後ウトウト。

気づけば熊本県はそのまますっ飛ばして、鹿児島県に入っていた。博多では結構席も埋まったがいつしかガラガラになった。熊本、あるいは宮崎方面への「B&Sみやざき号」に乗り継ぐ新八代で下車したか。

9時34分、鹿児島中央着。鹿児島というと九州最南端、結構遠いイメージなのだが、停車駅の多い「さくら」でも広島から3時間弱である。十分日帰り圏内といえるだろう。

まずは指宿に向かうべく、在来線ホームに移動する。待っていたのは車両の左右を大胆に白黒に塗り分けた気動車・・・。

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神仏霊場巡拝の道~近鉄奈良駅で一献

2024年05月17日 | 神仏霊場巡拝の道

長々と書いてきた5月4日の神仏霊場めぐり。この日は奈良のメインともいえるエリアを回り、朱印をいただけなかったり、あるいは朱印をいただくのに1時間以上並んだりといろいろあったが、近鉄奈良駅に戻って来た。

さて夕食は藤井寺の実家に戻っていただく予定にしているが、せっかく奈良に来たので軽く一献とするか。以前奈良に来た時に見つけていた「蔵元豊祝」。豊祝とは奈良の地酒で、ここは蔵元直営の呑み処の一つである(他に大和西大寺、大阪難波、天王寺にも店がある)。店内のカウンターは立ち飲みスタイル。

セットメニューをいただくが、やはり最初は生ビールである。料金は品物と引き換えのキャッシュ・オン・デリバリー方式。「角打ち」の雰囲気を近鉄奈良駅のコンコースに持ってきている。腰を据えて飲むというよりは、帰りの列車に乗る前にちょっと一杯ひっかけて・・という客のほうが多いだろう。この日の私もその部類だ。

生ビールで落ち着いた後、きき酒セットをいただく。「純米吟醸 無上盃」、「純米酒 豊祝」、「本醸造辛口 貴仙寿」という、蔵元・奈良豊澤酒造の代表的な銘柄。いずれもすっきりしており、広く受け入れられる味と思えた。

本来なら他にアテもいろいろ頼めばよいところだが、ここはサクッと引き上げることにする。神仏霊場めぐりではまた奈良に来る必要があることだし、その時に改めて楽しもう。

近鉄で奈良を後にするが、ちょうど到着の神戸三宮行きは国内外の観光客で満員。元々外国人観光客の多い奈良だが、コロナ禍以降、円安によるところも多い。

そろそろ日が傾くところを走る・・。

5月の連休は翌5日が父親の一周忌法要、そして6日の午前中に広島に向けて移動した。この大型連休期間中、東海道・山陽新幹線の「のぞみ」は全列車全座席指定だったが、それで乗る列車があらかじめ決められたためか、新幹線も思ったほどの混雑もなかった(広島止めということもあった)。この先当分5月の連休は法要もあることだから、関西で過ごすことになりそうだ・・・。

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奈良3番「興福寺」~神仏霊場巡拝の道・103(五重塔は工事中、そして納経所は・・)

2024年05月15日 | 神仏霊場巡拝の道

5月4日の神仏霊場巡拝の道めぐりは、奈良国立博物館~東大寺~春日大社~元興寺を経て、この日最後、そしてあみだくじの目的地である興福寺に向かう。元興寺から北に進んだので、ちょうど猿沢池に出る。池の周囲も観光客であふれていて、また池の横にスターバックスがあるためコーヒーカップを手にする人も。コーヒーのアテに、「高速餅つき」で知られる中谷堂の餅を買う人もいたりして。

さて、五重塔方面に向かうが、先ほどから違和感あるなと思っていると、五重塔、東金堂の前のエリアにフェンスが並び、クレーンが置かれている。知らなかったのだが、五重塔は明治時代以来となる2022年から大規模な修理工事に入っているとある。2031年までの長期間の工事で、現在は工事を行うため五重塔全体を覆う全天候型足場(素屋根)の建設中のようだ。高さ51メートルの五重塔には約6万枚の瓦が使われているとされているが、文化財保護のため、できるだけ元の部材を再使用することが決められているという。現在の五重塔は室町時代の再建で、その当時の瓦も使われているようだ。

それにしても、平成から令和にかけて、あちらこちらの文化財の大規模な修復工事が行われている。ちょうど時代の移り変わりに差し掛かっているのかなと思う。文化財関連の工事には専門性の高い業者も多く携わることだろうが、この業界も「2024年問題」の影響が避けられないところ。人材確保も含めて、果たして予定通りの期間に修復を終えることができるのか気になる。

神仏霊場巡拝の道としては東金堂にお参りするところだが、工事のためこのエリアは立ち入ることができない。フェンスの外から手を合わせる。

さてその一方、興福寺は西国三十三所の札所でもある。西国三十三所の本尊は南円堂の不空羂索観音。神仏霊場めぐりと西国三十三所めぐりを兼ねることにして南円堂に向かうが、手前の納経所には長い列ができている。嫌な予感がする。

ともかく、南円堂にてお勤めとする。神仏霊場も含め、興福寺はこれでクリアしたことにしよう。

・・・で、納経所である。現在の時刻は15時前だが、今から並んだとしてどのくらいの時間がかかるか。それでもやはり、神仏霊場、西国三十三所それぞれの朱印をいただいて、次の札所を決めたい。

しかしその一方で、先ほど春日大社で「これを何と読む!」という事態(手書きの朱印、墨書をいただけない)のため、もう一度時期を見て訪ねることになっている。興福寺もいったん保留にして、その時に春日大社と一緒に回ればええやん・・という気にもなる。並ぶ時間がもったいない、それより奈良駅で一献やったほうが精神衛生上よろしい・・というささやき。

少し「うーん」となったが、やはり並ぶことにした。納経所にこれだげ行列ができるのはもちろん大型連休中で寺を訪ねる人が多いからだが、工事の影響で東金堂前の納経所が閉鎖されており、南円堂前の納経所に集中しているのが実情のようだ。さらに興福寺の朱印も結構な種類があり、複数の朱印をいただく人が多いため時間がかかっているようだ。

これなら興福寺を後日に回しても同じようなもので、ならば本日並んでクリアしておいたほうがよさそうだ。

私が並んだ前には家族連れがいて、退屈なので前にどのくらい並んでいるのか見に行ったりする。何人並んでいて、フォーク型の納経所の受付が何人いて、何やかんやで一人当たり何分かかる・・と計算して、1時間20分ほどかなと推理している。状況を数値化して予測を立てているが、果たしてどうだろうか。

・・その後は長い待ち時間。それでも少しずつ進み、五重塔~東金堂~中金堂の角度も少しずつ変わる。

15時前から並んだが、16時15分頃、ようやく私の番になった。前のお父さんの推理がほぼピタリ当たった形だ。最初、「結構勝手なこと言っているな」と思っていたが、こうした結果を数値で示されると「このお父さん、やるな」と感心した(別に会話したわけではないが)。

興福寺の朱印はいろいろあるが、西国三十三所の南円堂はの先達用納経帳は重ね印として、神仏霊場については係の人が「神仏霊場はアレやったな?」と隣に確認したうえで「令興福力」としたためた。

「令興福力」とはどういう意味か。「福力を興さしむ」~福を起こす力を持つ寺である・・ということ。ただ、こうして見ると、「福」というのは何もせずとも勝手に降ってくるものではなく、自ら呼び寄せるだけの力を持たなければならないのかな・・とも読める。

それはそうと、納経所の窓には「16時45分受付終了」とある。朱印をいただいた後も変わらず長蛇の列ができていて、この人たちは果たして朱印をいただけたのかなと気がかりだ。さすがに16時45分で窓口を閉めることはせず、その時間までに並んでいた人までは時間外でも対応する・・ということだと思うが、実際どうだったか。

さて、無事に納経も済ませたところで次の行き先である。そのラインアップは・・

・道明寺天満宮(大阪17番)

・毘沙門堂(京都47番)

・大念仏寺(大阪5番)

・日牟禮八幡宮(滋賀10番)

・阿倍野神社(大阪3番)

・百済寺(滋賀9番)

この中で道明寺天満宮といえば実家近くである。ただ道明寺天満宮・・記事にはしなかったが、近江八幡の日牟禮八幡宮、そして先ほどの春日大社同様、朱印については「これを何と読む!!」という神社らしい対応をいただいたところ。もしここが出れば、この後の帰省、法事ついでで訪ねるのだが。

そして結果は、毘沙門堂。前回、広島から山科までアクセスして醍醐寺他を訪ねたが、またも山科である。単独で行くか、何かと組み合わせるか・・・。

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奈良30番「元興寺」~神仏霊場巡拝の道・102(ならまち)

2024年05月14日 | 神仏霊場巡拝の道

春日大社を後にして、次に目指すのは奈良30番・元興寺。2018年、同じ奈良県の丹生川上神社下社とともに神仏霊場巡拝の道に加わった。神仏霊場については府県ごとに札所番号があるので、それぞれ奈良29番、奈良30番としての加入である。

春日野町から南に向かう道を歩くと、荒池という溜池に出る。そのそも奈良というところは大きな河川があるわけでもなく、水に乏しいところだが、明治時代に干ばつが起こった際、丈夫な溜池を造ってほしいとの声が高まり築かれたものである。後に護岸の補強や周辺の環境整備が行われ、公園にもなっている。その荒池の向こうに興福寺の五重塔が見える。池と五重塔といえば猿沢池だが、距離としてはむしろ荒池のほうが近いようで、より大きく見える。

この後、奈良ホテル、大乗院庭園の前を過ぎる。奈良ホテルなど、まあこの先も泊まる機会はないだろう。

そして、今は「ならまち」として奈良の人気スポットとなっている地域の一角にある元興寺に到着。元々、蘇我馬子が飛鳥に建立した法興寺(飛鳥寺)が、平城遷都にともない移転した寺である。元興という名前は、日本で最初に仏法が興隆したという意味だとか。

奈良時代には猿沢池の南、現在の「ならまち」一帯が元興寺の寺域で、東大寺や興福寺にも匹敵する大伽藍を有していたが、平安時代以降は衰退した。その後、阿弥陀浄土を描いた智光曼荼羅を祀ったお堂が「極楽坊」として、現在につながる元興寺の本尊、本堂となった。その後も落雷や一揆の焼き討ちなどで寺は縮小したが、一方で智光曼荼羅、弘法大師、聖徳太子といった民間信仰の寺として栄え、いつしか庶民的な雰囲気の佇まいとなった。

本堂に上がる。さすがに東大寺や春日大社と比べて多くの人でごった返すわけでもなく、椅子に腰かけてのお勤めである。

この本堂と隣接する禅堂の一部には奈良時代当時の瓦がそのまま使われていることでも知られている。さまざまな苦難の歴史、もしこれらの瓦が言葉を話すことができれば、どのような物語りをすることだろうか。

収蔵庫の法輪館に向かう。元興寺には西国四十九薬師めぐりでも訪ねたことがあり、その本尊である薬師如来もこちらに祀られている。一方、弘法大師像の収蔵ケースには写真パネルが置かれていた。先ほど奈良国立博物館の「空海」展に出ていた。

受付で預けていた朱印帳には「智光曼荼羅」の文字。そして「佛法元興 浄土発祥」のスタンプも見える。

せっかくなので「ならまち」一帯を歩くのがよさそうだが、以前にも何度か訪ねているし、この後、今回の神仏霊場めぐりの目的地である興福寺が控えている。そのまま北に向かい、猿沢池に出る・・・。

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