まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

観戦記~バファローズ対ライオンズ(平成最後の野球観戦)

2019年04月28日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

4月27日からいわゆる「10連休」に突入。朝のニュースでは早速鉄道、空港の混雑や道路の渋滞について報じられていた。

私もこの期間を利用して旅に出るわけだが、27日は野球観戦である。私にとってはこれが「平成最後」の野球観戦となる。バファローズ対ライオンズ戦は「ありがとう平成シリーズ」と銘打っての興行である。BsSHOPをのぞいて見ると、平成の30年間のブレーブス~ブルーウェーブ~バファローズと、「オリックス」の歴代ユニフォームをあしらったTシャツやバッジなども売られている。

上段席に陣取る。試合前練習のBGMも平成の懐かしい曲がチョイスされている。ビジョンではイベントの告知があるが、その中で4月29日は「平成最後のマジック」として、この日が誕生日の仰木彬・元監督のメモリアル試合が行われるとある。ブルーウェーブの復刻ユニフォームを着用し、なんと全員が背番号「72」を背負う。対戦相手が近鉄、オリックス監督時代常に「打倒西武」「西武包囲網」とライバルだったライオンズというのも何かの縁だろう。

また、「KANSAI CLASSIC」が今年も行われる。近鉄はドーム時代の赤ユニ復刻だが、今年は初めて「阪急対南海」の対戦が実現する。

さて試合。

バファローズ先発は開幕投手の山岡。しかし立ち上がりどうもしっくり来ないようで、2番源田、3番秋山に連打を浴びる。そして4番山川がレフトへのタイムリーで先制。続く5番森もライトへ運んで2点目。

ライオンズ先発は多和田。前回ホークス相手に勝てなかった時に辻監督から「相手全員オリックスと思って投げろ」と言われた投手。何とも舐められたものでやり返したいところ。初回、二死からこの日3番に抜擢の小島がヒットで出塁し、二盗を決める。吉田正が敬遠気味で歩かされてチャンスを広げるがメネセスが凡退。

2回、6番中川がレフトへの当たりを放つ。俊足を飛ばして一気に二塁へ。「最後のPL学園出身選手」という中川の活躍も目立つ。続く大城は死球。私が観た角度からは肩に当たったのかなと見えたが、西村監督が抗議に出る。頭部に当たる危険球ではないかと抗議しているのかな。大城は無事に戻って試合再開。

若月が送って一死二・三塁となり、西浦が技ありの一打でセンター前に放つ。これで2対2の同点に追いつく。今日の多和田相手ならいけるのではないかと期待を持たせる。

しかし山岡がピリッとしない。一死二塁から森がレフトへのタイムリー二塁打を放ち、3対2と再びリードする。さらに続く外崎がレフトへの2ラン。5対2、こらあかんやろ・・。

5回、佐野がレフトへの流し打ちで俊足を飛ばして二塁へ。続く小島はセンターフライだが、佐野はタッチアップで三塁を狙い、セーフ。ここでライオンズからリクエスト要求。三塁のタッチプレイではなく、タッチアップのスタートが早い(捕球前にスタートした)のではないかとのリクエストだったが、判定はそのまま。それにしてもこの試合、他にもバファローズからのリクエスト要求もあり、たびたび中断する。

一死三塁というチャンスとなったが、吉田正は三塁へのフライで決められない。しかしメネセスが見事にライトへの一発を放ち、5対4と追い上げる。

6回は吉田一が登板。今季は安定している印象があるが、一死から外崎に四球を与え、さらに二盗を許す。ここで栗山にライトへのタイムリー二塁打が出て6対4、中村にもヒットが出て7対4。うーん、追い上げては突き放されての繰り返しだ。

6回裏、代打・伏見にヒットが出たところで多和田は降板し、左打者が続くところで左腕の野田に交代。バファローズも西浦のところで代打・宮﨑を出す。ヒットでチャンスを広げ、続く福田が右中間へのタイムリー三塁打。7対6とまたも追い上げる。

さらにはスイッチヒッターで右打席に入った佐野がレフト前に放ち、7対7と追いついた。これで多和田の勝ちは消えた。本当はここでクリーンアップに期待だったが逆転とまでは行かなかった。

7回は澤田が登板。いきなり先頭の源田に四球。続く秋山がレフトへの二塁打で無死二・三塁とピンチを迎える。ここで山川がレフト前に放って8対7とまた勝ち越す。ライオンズ打線は止まらず、森のタイムリーで9対7。さらには外崎の送りバントを伏見がはじいて一塁セーフとなり、無死満塁。続く栗山の二ゴロでホームアウトになったところで澤田から金田に交代。しかし中村にヒットが出て10対7。

8回にはまたも山川にタイムリー二塁打が出て11対7。これで万事休すで、8回はマーティン、9回は増田の前に三者凡退で試合終了。ヒーローインタビューは先制、決勝、ダメ押しと3安打3打点の山川。「どすこい」ポーズはなかったが、インタビュー後はレフトスタンドに向かって万歳三唱。

久しぶりに乱打戦というのを見たが、この日の結果でバファローズはまたも単独最下位に転落。打線が打てば投手陣が抑えられず、投手陣が踏ん張れば打線がサッパリという今季当初からの悪循環はまだまだ続きそうだ。若い選手の活躍に光明を見出せるかだが・・・。

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平成最後は福江島へ

2019年04月26日 | 旅行記H・九州
以前の記事で、「平成最後、令和最初」を記念するということで、平成最後の夕日と、令和最初の日の出を見るためにあるツアーに参加するということを書いた。

おそらく記事が長くなりそうなので、旅に出る前にその経緯を一記事として書いておくことにする。

行き先は、五島列島の福江島。旅行会社の広告で、4月30日、「九州本土最西端」とされる福江島の大瀬崎で平成最後の夕日を見て、翌朝5月1日、鬼岳に上って山上から新元号最初の日の出を見るツアーというのを目にした。この時はまだ令和という元号が発表される前だったが、面白そうな企画だと思った。「本土最西端」という表現には異論がいろいろ出そうだが、ともかく日本で最後に近い夕日を見るほうに重きが置かれているのだろう。

旅といっても鉄道に乗ることや札所めぐり、野球観戦が中心とあって、離島を訪ねることはこれまでほとんどなかった。九州では対馬を訪ねたことがあるが、もう20年ほど前の話である。もちろん、五島列島は初めてとなる。

今回訪ねる福江島へは福岡や長崎から航空機、船便の両方がある。また島内もローカルバスがあるが当然行き先も本数も限られていて、夕日や日の出を見るのならレンタカー移動が現実的だろう。ツアーでは他に島内のさまざまなところに立ち寄るそうで、費用面、時間面を考えても今回は個人で行くよりツアーのお世話になったほうがよさそうだ。

費用を抑えるためだろうか。アクセスも一風変わっている。それも今回行ってみることにしたポイントである。

(1日目 4月28日)夕方、大阪南港から名門大洋フェリーに乗船。

(2日目 4月29日)朝、新門司港に到着後、列車で博多に移動。夜まで自由時間。博多港から野母商船フェリーに乗船。

(3日目 4月30日)朝、福江港に到着後、バスで島内各地を見物。夕方、大瀬崎から夕日見物し、福江市街地のビジネスホテル泊。ここで改元を迎える。

(4日目 5月1日)早朝、鬼岳から日の出見物。島内見物後、福江港からジェットフォイルで長崎港へ。バスで新門司港に移動し、名門大洋フェリーに乗船。

(5日目 5月2日)朝、大阪南港到着後、解散。

大阪から九州本土への往復がいずれもフェリーというのがいい。雑魚寝の桟敷ではなく相部屋の寝台席である。

博多に着いて、わざわざ夜行フェリーまで時間をつぶさせるための自由行動もよい。福岡を訪ねるのも久しぶりで、夜は当然飲むとしてそれまでどうしようか・・といろいろ考えていた。ヤフオクドームで野球があれば観戦もありかと思ったがこの日は試合なし。博多からもっと先まで往復しようかと思ったこともある。

すると、新元号発表を受けて太宰府市が注目を集めているという。太宰府市も候補の一つではあったが、令和という元になったとされるのならこの機会に行こう。ベタではあるが、改元を記念する旅にもう一本筋が通ったようだ(実は、この旅を終えた後に、九州とは反対側の富山で令和を記念するイベントに行くことに。それも含めて楽しみだ)。

五島列島はさまざまな島をめぐるのがメインの楽しみ方のようで、このたび世界遺産に登録された潜伏キリシタン関連のスポットも各島に分散しているのだが、今回訪ねるは福江島のみ。これは仕方ないが、地図を見ると福江島の主な見所は実質1日半の滞在で概ねカバーするようで、結構お腹いっぱいになりそうだ。ツアーのため食事は皆さん一緒だが、どんなものがいただけるか。さすがに福江の居酒屋で一杯は難しそうだ。

出発を前に旅程の詳細案内が来た。これによると、4日目の長崎から新門司港へのバス移動が、渋滞の恐れがあるために特急利用に変更されていた。お、長崎本線にも乗れるのか。また、博多からのフェリーは雑魚寝の桟敷席利用だが、これも混雑が予想されるためプラス料金で寝台に変更できるとある。自分のスペースが確保できるならと、早速変更を申し込んだ。

これら全ての合計金額は7万円少し。個人で同じように行くことを考えるとどうだろうか。

後は出発を待つだけだが、気になるのは天気。週間予報で改元前後の天気も出たが・・この記事を書いている時点では30日は雨、1日は晴れ時々曇りとある。うーん・・微妙。あと数日で好天に好転するかな・・・。
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四国八十八所めぐり~高野山奥の院御礼参り

2019年04月24日 | 四国八十八ヶ所

一の橋から奥の院への参道に入る。これでもかという数の墓石、供養塔が並ぶエリアである。奥の院の御廟まではおよそ2キロ、いったいどのくらいの数があるのだろうか。世の中には何でも凝った人というのがいるものだから、限りなく正確な数というのも数えられているかもしれない。

昔の大名家の供養塔は史跡という扱いで案内板も出ている。石にへばりついた苔の厚さが年月を物語る。

一方で、管理する人もいないのか倒壊したままの供養塔も目立つ。こういうのはいずれ撤去されることになるのだろうが、墓石にも栄枯盛衰があるようだ。

中にはこのようなものもある。「八代将軍吉宗公之墓」の木札があり、その隣には「どなたか埋葬希望の方はこちらへご連絡を」と、連絡先の電話番号が書かれた札がある。そして同じ敷地に「大川家」ともある。大川家と吉宗、何か関係があるのだろうか。それとも、織田信長や豊臣秀吉の墓もあるくらいだから、紀州生まれの名君の名前だけ勝手に拝借したものだろうか。

また、平成になって新たに建てられた墓石もある。奥の院に墓を建てるとすればどのくらいの値段がするのだろうか。宗教宗派は不問とのことだが、一般の墓地と比べると墓石代はともかく場所代は結構するのではないか。一般庶民がそうやすやすと入れるものではないかもしれない(このようなことを書くのは、それほど遠くない時期に、両親の「終活」についても考えることになることを想定してのこと)。

御廟が近づくにつれて参詣者の姿も多くなってきた。旗を手にしたガイドに引率される一団もいる。御廟橋のたもとで地蔵菩薩、不動明王、観音菩薩に水を掛けた後、いよいよ橋を渡る。喪服姿の人も見られる。21日というのは関係なく、○回忌の法要なのだろうか。

まずは灯籠堂で手を合わせて、その後ろにある御廟に回る。ここで改めてお勤めとする。奥さんだろうか、体が不自由な感じで手を合わせる女性を支えるようにして、一連のお経を朗々と唱える男性の姿もある。他にも喪服姿の人もいるし、四国の笈摺姿の人もいる。それぞれが思いを持って、人によってはようやく念願叶ってという表情で手を合わせている。私も今回四国八十八所を一通り回った御礼参りで奥の院に来たわけだが、世にはその四国めぐりに強い気持ち(それこそ大切な人の供養だったり、ある願いを込めて歩き通すという)を持つ方も多く、その人たちにとっては奥の院まで来た感慨もそれだけ大きいことだろう。

それに比べれば私のやっていることは単なる札所めぐりでしかないわけだが、こうして無事にめぐることができた、それだけでもありがたく、謙虚に受け止めることなのかもしれない。

灯籠堂の地下に下りる。この奥では今でも弘法大師が修行を続けているとされている。奥にうっすらと肖像画が見えるが、そちらの方向から何かボソボソいう小さな声が聞こえてくる。一瞬ドキッとする。まさか弘法大師の修行に遭遇したとか。

ふと見ると祭壇の足元に雪駄が脱がれていて、奥では生身の僧侶が一人祈祷の言葉か何かをボソボソ唱えているのが見えた。何だかホッとした。

これで御廟を後にして、納経所に向かう。四国八十八所の納経帳を出し、最初にある奥の院のページを差し出す。係の人は「結願されたんですね」と喜ぶように反応し、気持ちよく筆を走らせる。こちらでは日付のゴム印を押してくれる。弘法大師の御影は有料(カラー300円、白黒200円)とのことだが、各札所でいただいたのと同じく白黒の御影をいただく。御影を額に入れるとなると結構な費用になるので、とりあえずは御影帳にて保管することにする。

最後は納経帳をおしいただいて返してくださる。これで四国八十八所めぐりも区切りである。もう一度回ってみたいかと尋ねられたとして、どうするか。今はそのつもりはない。ただ、また時間が経てば渡りたくなるかもしれない。そこは気の向くままにしたい。

中の橋まで、今度は企業関係の慰霊塔、阪神・淡路大震災や東日本大震災の犠牲者の慰霊塔が並ぶエリアを歩く。

中の橋のバス停に着く。ちょうどバスの本数も少ない時間帯で、長い列ができている。これで駅まで向かうが、途中からの乗車も多く、千手院橋では積み残しが出た。幸い、大門から駅に向かうバスが待っていて、運転手同士が無線で連絡し合ってそちらに乗るよう誘導した。

駅に到着。当然、ケーブルカーも満員である。

極楽橋からはまず各停の橋本行きに乗り継ぐ。同区間限定の転換クロスシート車両で、50パーミルの勾配を今度は下っていく。下りのほうが常にブレーキを利かさなければならず、レールの軋む音がより高く響く。

これは個人的な感想なのだが、行きに乗った「天空」と比べて、こちらのクロスシートのほうが景色をゆったり楽しめたように思う。自分の体と窓との距離感もあるのかな。「天空」のほうが中途半端な間隔のように感じられた。

途中、紀伊細川で行き違い停車があったり、上古沢駅の谷側ホームの線路が実は撤去中だったりと、各停ならではの発見もある中で、橋本まで戻った。同じホームの前側に停車中の急行に乗り換え、河内長野経由で帰宅。

さてこれで、平成の最後に2つの札所めぐりを終えることになった。で、次の令和である。これまでの西国三十三所めぐりは、3巡目に本格的に取り組むことにする。そして、これと並行して「新たな札所めぐり」というのも考えている。また新たな挑戦とでもいうか、訪ねたことがないところでの新たな発見の期待とでもいうか。これからである・・・。

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第36番「南院」~近畿三十六不動めぐり・36(不動めぐり、無事に満願)

2019年04月23日 | 近畿三十六不動

35番の明王院から36番の南院までは徒歩で10分とかからない。「波切不動尊別当 南院」の石柱が立つ山門に出る。

もっとも、本堂のある境内は直接道路に面していて、こちらにも石柱が立つ。開放的といえば開放的だ。高野山駅からの波切不動前のバス停が目の前にある。

南院の縁起として、東大寺の南院に住んでいた真興僧都が建立したとある。本尊は波切不動明王。弘法大師が唐から戻る際、強い風と波のために船が沈没の危機にさらされたが、弘法大師が祈念すると不動明王が現れ、風を鎮め波を切り開き、無事に九州にたどり着くことができた。このことから波切不動と呼ばれるようになった。波切不動を祀る寺院は全国各地にあるが、その大元と言ってもいいだろう。この本尊は平安時代中にあちこちを回り回った末に南院に落ち着いたものだそうで、御開帳は毎年6月28日のみとある。

本尊が拝観できなくとも、南院の見どころは外陣の天井にある。幅いっぱいに描かれた「鳴き龍」の絵。これを描いたのは堂本印象である。堂本印象、一度名を聞いたなと思うが、三十六不動めぐりで京都の智積院を訪ねた時、冬の特別公開で襖絵を見物したことがある。その襖絵とは対照的な豪快さだ。またこれは初めて知ったのだが、先ほど訪ねた壇上伽藍の根本大塔内部の柱に描かれた菩薩像や、四隅の真言八祖の画像も堂本印象によるものである。

鳴き龍の眼の下に立って柏手を打つ。天井と床で音がウワァァン・・と反響する。この音が龍の鳴き声のように聞こえることから「鳴き龍」の名がつけられた。「鳴き龍」は南院だけのものではなく、日光東照宮をはじめとしていくつかの例があるが、音が反響するのは「フラッターエコー現象」のためとか。その現象が発生する条件は・・・後で調べることとして。

柏手を打って龍の鳴き声を出した後でお勤めである。ともかくこれで近畿三十六不動、36の札所を回り終えた。

すぐ横に納経所がある。ちょうど係の人がバインダー用紙に一枚一枚手書きで筆を走らせているところで、ちょうど書きかけのものをそのまま最後まで書き、本日の日付までいれてくれた。

ちょうど満願の証明書の案内が貼り出されていた。もちろんどこの札所でも証明書は出してくれるのだろうが、やはり最後の36番ということで、ここ南院で満願となる人が多いのだろう。その旨を申し出ると、見本を示してサイズを訊かれた。大でA4サイズ、小でA5サイズとあり、大を選択する。申込書に住所氏名を書くが、「第○回」の欄がある。そういえば、「三十六不動めぐりは3回行う」ことを勧められたのを思い出す。第1回が過去、第2回が現在、第3回が未来だったか、また36ヶ所×3回=108=煩悩の数ということだったか。まあそれはまた考えるとして、まずは1回満願したことを喜ぶ。

係の人は申込書を受け取ると別にバインダーを改めることもなくいったん奥に下がり、しばらく待った後で封筒を手に戻ってきた。こうしていただいた満願の証明書。「ようお参りでした」と渡される。

近畿三十六不動めぐり、2017年9月に四天王寺から始めて1年8ヶ月ほどで満願となった。それぞれの寺のロケーションもさまざまで、街中の寺院あり、山深いところあり、訪ねるのに結構時間がかかったところもあり、個性と表情があったように思う。札所めぐりの中では、不動明王への護摩供に参列する機会もあり、中でも比叡山の千日回峰行を修めた阿闍梨のご加持をいただいたり、三田の鏑射寺では寺を再興して「今弘法」とも称される住職による星祭りの護摩供を見ることもできた。またそれぞれの札所への道中や、参詣後の一杯というのを楽しめたことは言うまでもない・・・。

さて、これで今回高野山に来た目的の前半が終了。これから金剛峯寺奥の院に向かう。途中で昼食をと思いながら歩くが、結構満席だったりする。途中の塔頭寺院での桜を楽しみながら歩き、そのまま道中を進み、結局一の橋の観光センターまでやって来た。

ここで、「熊野牛丼」というのをいただく。熊野牛というのを使っていて、テレビの旅番組でも紹介されたとある。吸い物とごま豆腐がついて1300円、価格は観光地価格かと思うが、ブランド牛ということで美味しくいただく(お参り後だったらビールの1本もつけたことだろう)。

腹ごしらえもできたところで奥の院の参道に入る。これから、四国八十八所めぐりの御礼参りである・・・。

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第35番「明王院」~近畿三十六不動めぐり・35(血染めの赤不動)

2019年04月22日 | 近畿三十六不動

高野山だから大阪より冷えるかと思い、一枚羽織るものも持っていたが、21日の高野山は穏やかな天候。バスを降りて大勢の人が行き交うのを見ても、そのまま歩けそうな感じである。

これから向かう明王院は壇上伽藍に隣接しているということで、千手院橋のバス停からまずは金剛峯寺を目指す。駐車場では21日の弘法大師縁日として露店も出ている。

4月21日は統一地方選挙の後半戦。ここ高野山町も投票日当日だった。金剛峯寺の周りにもこうした選挙ポスターがある。調べたところでは定数10名のところ、14名が立候補である。さて町の人はどう選ぶか、金剛峯寺や塔頭寺院の住職にも選挙権があるのかな、誰に投票するのかなというのも気になる。・・・いやその前に、私の住む市でも選挙でしょうに。帰りしなに投票するんですよ。

大阪ではすっかり散った桜が、ここではちょうど見頃である。吉野のように桜が名物とはなってないようだが、それだけに意外に感じた。ちょうど正門前の両脇に枝垂れ桜が咲いていて、記念撮影のスポットになっていた。

今回は本殿の中はいいかなと、建物の外から般若心経のお勤めとする。扉には新元号「令和」の墨書が掲げられている。5月3~5日には春の結縁灌頂が行われるのだが、今回は「令和最初」ということか。記念に参加する人も多いんだろうな。

この後は根本大塔、金堂に向かい、こちらではそれぞれ中に入ってお勤めとする。また六角経蔵もぐるりと一回し。

さて、明王院である。壇上伽藍から中門(表側)はくぐらず、根本大塔の後ろにもう一本ある道のほうに出る。こちらも道沿いに塔頭寺院が並ぶが、行き交う人やクルマはぐっと減る。その中に「赤不動」「明王院」の看板や標石がある。

少し坂を上ると山門がある。山門といっても仁王像が立つ仰々しいものではなく、屋敷の門である。両側には仁王でも狛犬でもなく、猫のような動物が彫られている。それでも口の形は「あ・うん」だ。

寺というより屋敷の庭に来たようで、本堂は建物沿いにずっと奥にある。コンクリート造りの建物だ。

明王院は金剛峯寺の塔頭寺院でも初期からあったそうで、弘法大師が五大明王像を祀ったのが始めという。ただ、その後は「赤不動」が本尊となった。この赤不動は、青蓮院門跡の青不動、三井寺の黄不動と並ぶ日本三不動の一つとされている。彫刻ではなく画幅だが、これを描いたのは弘法大師の甥で、後の天台座主の智証大師円珍とされる。円珍が修行中に感得した不動明王の姿を絵にしたものだが、あまりのありがたさに円珍は自分の頭を岩にぶつけ、流れ出た血を絵の具に混ぜて描いたのだという。激しい。

赤不動は一時後醍醐天皇が吉野に祀っていて、後に戦乱での焼失を恐れて高野山に戻したという歴史もあるそうだ。明王院の建物は焼失もあって再建されたり新築されたりしたものばかりだが、赤不動はずっと守られているとのことだ。ちなみに赤不動の御開帳は年に1回、4月28日のみとのこと。年に一度の御開帳は青不動、黄不動と比べれば断然高い頻度だが、それがちょうど1週間後だったとは。まあ、私の場合いろいろ札所めぐりをしていても、いわゆる「見仏」にはそれほどこだわりがないようだ。図録とか、ネット上の画像でも別に構わないかと。この赤不動も、本堂の外陣に模写(額に入れたものを販売する、もとい授与するためのサンプル)があり、こんなものかと拝んだつもりになっている。

現在、高野山の明王院は近畿三十六不動めぐりの札所めぐりの一つとしてだけではなく、宿坊として知られているようだ。ネット検索でも赤不動よりもむしろ宿坊の記事のほうが多く、口コミ評判もよさそうだ。お値段は多少張るように感じたるが、壇上伽藍にも近いし結構オススメかと思う(高野山の宿坊といえば・・私もかなり前に一度だけ泊まったことがあるのだが、それだどこだったかとんと思い出せない)。

バインダー式の朱印をいただく。これまでは、紙の保護のためもあってバインダーの外側だけ持参し、いただいた朱印の紙は自宅でクリアファイルに入れて保管していたが、今回満願を迎えるに当たり、これまでの全部を札所番号順に綴じて持ってきた。

いよいよ、この朱印も残り一つである・・・。

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第35番「明王院」~近畿三十六不動めぐり・35(観光列車「天空」とケーブルカー新型車両)

2019年04月21日 | 近畿三十六不動

平成も残すところ10日となった。新元号となる前に近畿三十六不動めぐりの満願ということにしよう。

そこで残っているのは高野山にある2ヶ所。そして、高野山に行くということで四国八十八所めぐりの御礼参りも合わせて行うことにする。平成の最後に、二つの札所めぐりを完結させよう。日程の都合上、4月21日に出かけることにした。21日といえば弘法大師の縁日である。行く日を決めた時には特段意識しなかったのだが、これも札所めぐりのご縁だろう。まずは不動めぐりの35番の明王院、36番の南院に参詣し、最後に奥の院への御礼参りとする。

高野山には南海電車で行くわけだが、ここは観光列車「天空」に乗ることにしよう。2009年から運行されている「天空」だが、実はこれまで乗ったことがなかった。高野山に行く時は特急「こうや」や各停に乗っていたからだろう。「天空」は途中の橋本が始発である。

橋本10時40分発の「天空1号」に乗ることにした。観光車両は全席指定で事前予約制である。ただし、南海電車のホームページや駅の窓口では予約を受け付けておらず、専用のフリーダイヤルに電話する方式。数日前に電話したところ空席ありとのことで、係員から予約番号をもらう。購入は橋本駅のホームの専用窓口で、発車40分前から10分前の時間帯で予約番号を告げることとの指示がある。結構アナログなやり方だ。

寺参りにしてはゆっくりと自宅を出て、藤井寺から河内長野経由で橋本に到着する。河内長野から乗ったのは極楽橋行きで、高野山に行くならそのまま乗ればよいのだがわざわざ下車する。「天空」、結構敷居が高いな。

ホームには極楽橋行きを見送り、「天空」を待つ人があふれている。高野山に向かうツアー客もいるようだ。ホームの窓口で予約番号を告げて、指定券を受け取る。

側線にいた車両がいったん極楽橋方面に向かい、入線してきた。まずは着席前に編成を見渡す。

中央部の座席は進行方向右側を向いて設けられている。前列と後列があり、後列のほうは少し高い位置にある。こちら側が極楽橋まで眺望が利くためにこのような造りになっている。また車両の端にはボックス席もあるし、2両目には窓をくり抜いた展望デッキもある。風を感じることができるところで、この先極楽橋までずっとここで過ごす様子の人もいる。

私が割り当てられたのは中央部の前列シート(水色)。2両の指定席はいずれも前列が埋まり、後列に若干の空席がある程度で出発する。ちなみに、当日でも空席があれば橋本駅ホームの窓口で指定券を売るそうである。なお、観光車両の後ろに一般車両が2両あり、こちらは自由席扱い、乗車券のみで乗れる。

まずは紀ノ川を渡り、車窓が左から右に流れていく。標高92メートルの橋本から、学文路ではいったん79メートルまで下がるが、目指すのは535メートルの極楽橋である。学文路、九度山に停車して、いよいよ「登山鉄道」の様相を帯びてくる。

丹生川の竜王渓を眼下に見て、丹生川橋梁を渡る。ここから極楽橋まで23のトンネルをくぐるという案内がある。

高野下を通過するとオーム型のカーブを回り、最大で50パーミルの勾配に挑む。1000メートル進んで50メートル上がるというもので、線路と車輪がこすれるギシギシ言う音が響く。

下古沢、上古沢と通過する。ここまで来ると集落もかなり下のほうにある。駅に来るだけでも大変である。

上古沢からは細かなカーブや短いトンネルが連続する。この辺りから車窓は山ばかりとなり、人家もほとんど見えなくなった。50パーミルの勾配も続いており、窓側のテーブルに載せたペットボトルが転倒する。

秘境駅といってもいい紀伊細川、紀伊神谷を過ぎる。

橋本を出て36分、終点の極楽橋に到着した。何だかあっけないようにも感じた。

ここからはケーブルカーに乗り継ぎである。このケーブルカー、今年3月に55年ぶりに新型車両が導入されたばかりである。これが4代目の車両で、車体の赤は金剛峯寺壇上伽藍の根本大塔をイメージしており、車内も木目調の装飾が施されている。先ほど「天空」から乗り継いだ客などで満員で、着席はあきらめて先頭部に立つ。前面展望を見ようというわけだ。

ケーブルカー乗り場は標高539メートル、そして0.8キロ進む中で867メートルの高野山駅まで上る。とするとパーミルは・・・ちょっと置いておくとして、ともかく急ということだ。

前回、新西国三十三所の札所めぐりで高野山の宝亀院を訪ねた時、極楽橋駅から不動坂を1時間近くかけて歩いた。その時は女人堂に出たのだが、ひたすら上り坂が続いて結構厳しかったのを思い出す。やはりケーブルカーのあるところは素直に乗った方がよい。

およそ5分で高野山に到着。ここからバスに乗る。バスルートでは先に36番の南院(波切不動)の前を通るのだが、やはりそこは最後にしようと、まずは千手院橋まで乗る。これから訪ねる35番の明王院は壇上伽藍のすぐ近くにあるようだ・・・。

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平成最後の夕日、令和最初の日の出

2019年04月19日 | ブログ
いよいよ、平成も残すところ後10日あまり。こういう形で時代の変化を感じるのは西暦2000年を迎える時以来だと思う。あの時は「2000年問題」といって、コンピュータやネットワークに障害が出るのではと連日対応に追われたり、ヒヤヒヤさせられた方も多かったのではないだろうか。

今回の改元でも一部で懸念の声も挙がっているが、西暦で動いているものが多いためか、あまり騒ぎにはなっていないようだ。

さて、平成最後、令和最初ということで何をしよう。当初は元号またぎで出かけるとして、北陸から関東にかけてBCリーグの観戦行脚を考えていた。群馬、栃木、茨城というなかなか訪ねられないエリアの試合も並んでいる。宿泊も、観光地ではない地方都市なので比較的安価に予約することができた。

しかし、実家にて新聞である旅行社のツアー広告をたまたま見て、大いに心を揺るがされた。それが、平成最後の夕日と、新元号最初の日の出を見るツアーである(この時点ではまだ新元号令和は発表されていなかった)。

普段の私の旅は個人スタイルで旅行社のツアーを利用することもないのだが、その目的地というのが私は全く初めての場所で、そう簡単には行けない。そこへの移動手段もなかなか凝っていて、乗り物好きもうなりそうな感じだ。一方価格面でも、正規運賃を積算し、また現地で個人で移動する場合の手間を考えればこんなものかなと納得できるものだった。

どこで夕日、どこで日の出を見るかは、現時点では伏せておく(何をえらそーに)。

野球はまた別の機会にするとして、いい記念になればとこちらのツアーに申し込んだ。幸い催行決定で、現在はキャンセル待ち受付中とあるので満員御礼だ。何人で行くのかわからないが。

予報では4月30日~5月1日にかけては天気も安定するところが多いとのこと。後は、日頃の行い次第かな・・・。
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そういえば次の日曜は統一地方選後半戦だったな

2019年04月16日 | ブログ
統一地方選。

大阪の選挙といえば7日に行われた大阪府知事、大阪市長、府議会、市議会議員選挙で、この日一番の話題にもなったが、蓋を開けてみれば20時ちょうどに松井・吉村の維新の当確が出たのを始め、府議会も維新が過半数、市議会は維新が過半数に迫るという圧勝だった。今後、大阪都構想を含めて大阪府、大阪市がどのように進んでいくのかを見守りたいところだ。

一方で、21日の後半戦は市長や市議会議員選挙となる。私が住む藤井寺市では現職の市長が引退し、新人3氏での争い。また市議会も一定数の候補者が出たようで、無投票当選という事態は避けられた。先の日曜日は早速市内各地で支援を呼び掛ける声が響いた。

それにしても、市長は一人を選ぶわけだから選挙としてもわかりやすいが、市議会議員となると誰に入れたらいいのやら。一応、政党所属で政党色を出す候補者もいるが、無所属の候補者も多い。議員としては会派を組んでいるようだが、多くはその町内の有力者とか。大阪の中でも結構「ムラ」的な社会を感じるところだけに、中央政党の勢力がそのまま反映されるわけでもない。

まあ、市内の各地区のバランスも考えつつ、最後は何となくで1票を投じることになるのかな。ともかく街の活性化を願うものである・・・。

(追記)全国的には大阪12区の補欠選挙の行方が注目されているようだ。記事の中には、この選挙結果次第では安倍内閣が消費税増税を見送るとか、衆参ダブル選挙に打って出るとかいうのがあるようで・・・。
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第27番「葛川明王院」~近畿三十六不動めぐり・34(琵琶湖大回り乗車)

2019年04月15日 | 近畿三十六不動

堅田から大津京への運賃は240円。普通列車でも12~13分で着く距離である。そこをあえて逆方向に乗り、琵琶湖を一周する形で向かうというのである。

大阪近郊区間内のみを利用する場合は、実際の乗車経路に関わらず、最も安くなる経路で計算できるという特例がある。ただし条件として、経路が途中で重複しないこと(一周回って元の駅に着くのもダメ)、途中下車できないこと、当日のみ有効というのがある。これを逆手に取ったのが「大回り乗車」である。今回
で言えば近江塩津が北限で、そのまま北陸線で米原、JR琵琶湖線で山科まで出て、もう一度湖西線で大津京まで利用しても同じ値段だ。

ついでに記事も「大回り」で書くと、この3月に開業したおおさか東線ができたことで、大阪近郊区間の大回り乗車の最長経路がどうなったかについても触れてみる。発着駅はJR宝塚線塚口~東西線加島間で、塚口発で経路を書き出すと・・・、

塚口~(宝塚線・福知山線)~谷川~(加古川線)~加古川~(神戸線)~大阪~(大阪環状線)~天王寺~(阪和線)~和歌山~(和歌山線)~高田~(万葉まほろば線)~奈良~(大和路線)~久宝寺~(おおさか東線)~放出~(学研都市線)~木津~(大和路線・関西線)~柘植~(草津線)~草津~(琵琶湖線・北陸線)~近江塩津~(湖西線・京都線)~新大阪~(おおさか東線)~鴫野~(学研都市線・東西線)~加島

このルートを時刻表をたどってシミュレーションしてみた。しかし、塚口を始発で出ても近江塩津まで行ったところで湖西線に乗り換え出来ずにゲームオーバー。一方加島から回ると加古川線内でゲームオーバーになった。つまり、最長ルートはたどれないのである。

ならば、理論上の最長ルートより短くなったとして、実際に乗れる最長ルートはどれになるか。路線の配置上、尼崎がカギになるのは間違いないので、各線の隣の駅(塚口、立花、塚本、加島)をどう組み合わせるかだろう。組み合わせによってはルート自体も変わるだろうが。

で、某月某日にまつなるがその最長ルートを忠実にたどる企画を行って雑文に4回くらいの記事を書く・・・のはこらえてつかぁさい。

まあ、このような大回りは現実的ではないので、部分部分で大回りをすればよいと思う。で、今回は堅田から大津京だ。

堅田の駅前で昼食を済ませて、11時35分発の近江今津行きに乗る。その後は30分後の新快速敦賀行きに乗ることになるが、まずは乗客の少ない鈍行で先行。

この時間帯に湖西線に乗るのはこれまでにあったかな。たいていは早朝に敦賀方面へ、日が暮れてから山科・京都・大阪方面へというものだ。対岸の景色もはっきり見えるのだなと感心する。湖岸にも桜が咲いているのもいいアクセントだ。一方で湖西道路の工事も進められているようで、新たに湖西線の線路と琵琶湖畔の間に土台や橋脚が見られる。開通すれば地元の利便性につながるのだろうが、湖西線の琵琶湖の景色が変わることにもなるのかなと思う。

近江今津に到着。改札の外には出られないので、ホーム上の待合室で待機する。次の新快速敦賀行きの乗車口が1~4なのは、12両の列車を4両と8両に切り離し、前の4両だけが敦賀に向かうというもの。その4両にはそれを知った客たちで結構賑わっている。

2駅目のマキノでの下車が多い。おそらく桜目当てだろう。琵琶湖の北端に当たる海津大崎は桜の名所で知られていて、大阪からも多数のバスツアーやウォーキングツアーが出ている。駅から歩く人もいるだろうし、桜の時季にはマキノ駅から臨時のバスも出るそうだ。

海津大崎には行けなくとも、マキノから次の永原にかけて桜を見ることはできる。

近江塩津に到着。ホームの向かい側に停車中の新快速米原経由の姫路行きに乗り換える。同じ動きの客もちらほらいる、大回り?

この先、余呉湖畔にぐるりと桜を見たり、伊吹山のくっきりした姿を車窓でとらえた。しかしその後は、起きていたような寝ていたような。米原からはまた8両つないで12両になったようだが、ホームに出て写真を撮るほどでもないかなと。

14時38分に山科に着き、14時47分発の近江舞子行きに乗り継ぐ。やって来た8両編成の前4両は、甲賀の「忍トレイン」車両。基本は草津線の運用だろうが、普段から時間によっては湖西線にも来るのかな。まあ、この後観戦する滋賀ユナイテッドBCのチームカラーは甲賀忍者をイメージした「黒」で、ユニフォームにも忍者が描かれてるし、ファンクラブの名称も「BLACKS」。まあ、ええやないですか。

・・・ということで、これも札所めぐりと野球観戦の組み合わせと、大津京駅から皇子山球場に向かうのであった・・・。

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第27番「葛川明王院」~近畿三十六不動めぐり・34(比良の山奥へ)

2019年04月14日 | 近畿三十六不動

先の記事で、4月12日にBCリーグの滋賀対巨人3軍交流戦の観戦の様子を書いた。この中で、当日あるお出かけと組み合わせて・・・と触れたのだが、そのお出かけとは近畿三十六不動めぐりである。

近畿三十六不動めぐりの満願まで残り3ヶ所。このうち高野山にある35番の明王院と36番の南院は最後に回ることにしていて、その前に残るのは27番の葛川明王院である。こちらは天台宗の修験道の道場でもあり、三十六不動めぐりで最も北にある。アクセスとしてはJR湖西線の堅田駅からバスが出ている。

で、大津まで野球観戦に向かうなら、そのついでで葛川明王院にも行くことにした。札所めぐりと野球観戦のコラボ、ええやないですか。

ただ難点が一つ。堅田駅からバスが出ていると書いたが、その本数が極端に少ないのである。江若バスの堅田葛川線という路線なのだが、明王院の最寄である坊村まで行くのが、平日ダイヤだと堅田駅発が8時50分、17時45分のわずか2本だけである。寺の拝観時間を考えると8時50分しか選択肢はない。坊村に着くのが9時36分で、折り返しとなると10時20分発が最終である(土日祝日ダイヤだと堅田駅発は8時50分、13時56分発で、折り返しは10時19分、15時46分発。また3月~11月は京阪の出町柳から京都バスの路線も運行されるが、それでも1日1往復のみ)。バスが少ないなら堅田駅から歩こうか・・・と気軽にも言えないくらいの距離がある。土日に来れば13時56分のバスに乗るのが手頃だが、今回は平日のため8時50分に乗るしかない。アクセスの難しさで言えば三十六不動では1番だろう。

・・・ということで、振替休日ではあるが普段出社するのと変わらない時間に自宅を出て、満員の新快速に揺られて堅田に着く。空は青く、駅横に植えられている桜も満開である。

唯一の便と言ってもいい8時50分発の細川行きに乗る。車内はハイキング客と、リュックサック姿の子どもたちで席がほぼ埋まる。子どもたちは南庄道というバス停で一斉に下車した。地図を見ると近くに支援学校があり、そこに通うのだろう。帰りはどうするのかなと思うが、この辺りまでの区間運転の便は他にも何本か出ている。

向かうのは比良山に続く道である。道沿いには桜並木もあり、ちょうど見頃の桜をバスの窓越しに愛でる。

花折峠に差し掛かる。比叡山系と比良山系の分水嶺であり、この先をずっと進むと朽木を経て若狭に向かう。若狭から京への「鯖街道」でもある。現在は長いトンネルをくぐって抜ける。その先の停留所でハイキング客が下車する。比良山の登山ルートの一つがこちらにあるようだ。

その後、坂下という集落を抜け、坊村に到着する。安曇川に沿って集落が細長く続く一帯である。バス停前のプレハブの建物にはなぜか漫画やアニメのキャラクターが描かれている。

明王院はバス停から近い。「山の辺料理」と看板が出る比良山荘という建物がある。街の喧騒を離れて静かな一時を過ごすにはよさそうなところだ。

この奥に明王院の境内がある。このところ回っていた門跡寺院とは異なり、山の中のお堂の雰囲気がよく漂う。

明王院は平安初期、相応和尚が修行の道場として開いたのが由来である。相応和尚といえば比叡山の無動寺にも登場したが、現在の比叡山の千日回峰行の元を作った人。相応和尚はこの奥にある比良山中の三の滝で7日間飲食を断つ厳しい修行を行い、満願の日に不動明王を感得した。相応はその時に滝壷に飛び込み、滝の霊木から千手観音像を刻んで安置したのが明王院の始まりとされている。比叡山の奥の院という位置づけでもある。

現在では7月16日~20日の5日間に夏安居(げあんご)という行事が行われ、回峰行の行者も参加する。当然ながら比叡山からここまで徒歩で来るそうな。18日には「太鼓回し」という行事があり、相応が滝壺に飛び込んだことに因んで、行者たちが大太鼓に飛び乗ったり飛び降りたりすることが行われる。

本堂に上がる。1715年の建立とあり、外陣に上がることができる。卒塔婆形の札が壁に掲げられている。これは参籠札と呼ばれ、先の夏安居の参籠を行った者が奉納するものである。

また、毎月18日には無動寺の光永圓道阿闍梨による護摩供が行われるとある。

他に誰もいない中、正面に座ってのお勤めとする。本尊は不動明王、千手観音、毘沙門天の三尊で、それぞれのご真言も唱える。

納経所に向かう。大阪から来たと言うと、「今日は西宮から来たという方がいましたなあ」と言われる。おそらくクルマで来られたのだろう。

明王院の手前にある地主神社に立ち寄る。葛川地区の総鎮守であり、社殿は室町時代のものだという。

この奥には比良山への登山道が続く。登山届を出すよう促す看板が立てられている。昨年も山の事故があり、死者も出ているようだ。

そろそろバスの時間が近づく。坊村にはわずか40分あまりの滞在だったが、白洲正子が「かくれ里」の一つとして紹介したように、ゆっくりとした時間を過ごすにはよいところに思えた。今はちょうど桜が咲いていたが、夏の緑、秋の紅葉、冬の雪と四季の景色が楽しめるのでは。土日祝日ダイヤで、朝のバスでやってきて夕方のバスで帰る・・・というのがぜいたくな時間の過ごし方のように思う。

平日は「最終便」となる10時20分発のバスに乗る。乗った時は私一人だったが、途中の集落の停留所からお婆さんが一人ずつ、合計3人乗ってきた。それぞれ顔見知りのようで病院に行くようだが、帰りの堅田からのバスは17時45分発、いくら病院といっても時間が長すぎやしないか。タクシーか何かを使うのだろうが、都度結構な出費となりそうだ。

花折峠を過ぎて周りが開けてくるとバスの乗客も増えて、11時過ぎに堅田駅に到着。

さて、これでも夕方の野球観戦までは時間がある。堅田から大津京へは湖西線で4駅、ここでふと逆転の発想で、湖西線を北上して近江塩津からぐるりと回り込む、つまり「大回り乗車」はどうかと思う。途中下車はできないが、ダイヤを検索すると15時頃に大津京駅に着くことができる。午後の時間を列車の中で過ごすのもよいかなと思う・・・。

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観戦記・BCリーグ滋賀対巨人3軍@皇子山(ユナイテッド、ホーム開幕戦勝利)

2019年04月13日 | プロ野球(独立リーグほか)

4月に入り、BCリーグも開幕。今年はどのくらい観戦できるものか、日程表をチェックすることである。

その中で唯一関西に本拠地を置く滋賀ユナイテッドBC。今季は冠スポンサーにオセアングループがついたことで、球団名も「オセアン滋賀ユナイテッドBC」となった。このオセアン、確かバファローズの2軍本拠地の舞洲スタジアムのネーミングライツも持っていて、「オセアンバファローズスタジアム舞洲」と名乗っている。オセアンってどんな会社やねんと調べてみると、横浜に本社を持つ大洋建設を中心としたホールディングスで、建設の他にリフォーム、不動産、介護サービスなどを手掛けているとのこと。横浜で大洋といえばホエールズを連想してしまうが、社会貢献活動の一環として次世代の育成支援というのを掲げていて、その対象にスポーツを挙げている。なるほど、NPBの2軍や、独立リーグというのはその趣旨に合っているのかもしれない。

滋賀のホーム開幕シリーズはいきなり巨人3軍との2連戦。当初は2戦目にあたる13日の守山での観戦を計画していたが、その前日12日は大津の皇子山で行われる。滋賀を本拠地とするといいながら皇子山での試合は初年度(2017年度)の開幕戦のみで、アクセスもいいのにもったいないと思うのだが使用料その他のことがあるのだろう。皇子山球場の中には入ったことがないので、これは行ってみようと思う。

17時試合開始、平日ではあるが会社の振替休日をここに持って来て観戦が可能となった。ということで朝から別のお出かけと組み合わせたのだが、そのことは後の記事にて。

開門はファンクラブ会員が15時、一般観客が15時半だが、いくら巨人戦といってもこの時間から大勢の客が来るものでもない。防球ネットを気にせず全体を見ようと席を選ぶと、ちょうど応援団の上の当たりに落ち着いた。ちょうど応援団や常連のファンにとっても開幕戦ということで、スタンドのあちこちで挨拶を交わす光景が見られる。私のところにも「応援よろしくお願いします」と選手の応援歌詞の紙を配りに来てくれる。面白いのが応援団監修による選手名鑑で、例えばこの日先発の高井ジュリアンについては「『柔』のエース、低めのコントロールとゾーンの出し入れでゴロの山を築く。選手タイプ:金子弌大(千尋)」とある。他の選手もNPBの選手になぞらえており、選手の多くが新加入だけにそういう見方も面白いと思う。

スタンドの周りにも桜が咲いているし、京阪石山坂本線のミニ電車がコトコト走るのも見える。三塁側スタンドの上段からは建物の向こうに琵琶湖も水面も見える。ドーム球場では見られない景色である(試合中に「京阪狙え、◯◯!」というコールがあったのも屋外球場ならではである)。

スタメン発表の後は開幕セレモニー。越・大津市長や鈴木球団社長、そしてこの試合のスポンサーであるスズキ自販滋賀の方からの挨拶がある。

そして滋賀の選手紹介。昨年途中の監督代行から成本年秀監督が昇格、コーチには昨年まで愛媛のコーチだった萩原淳が就任。一方の巨人3軍は井上真二監督、昨年は栃木でプレーした村田修一コーチ、先日タレントのベッキーさんと結婚した片岡治大コーチなどの顔が並ぶ。

17時、まだ日が差す中での試合開始。スタンドの観客もまばらだが、ネット裏にはスズキ自販滋賀のブルゾンを着た人が陣取り、三塁側の最上段ではジャイアンツのハッピ、ユニフォーム、ハチマキに身を固めた巨漢の男性が一人で応援。それに対してこちらからは「太鼓くらい貸したろか~」「おっさんの声が近所迷惑や言うとるぞ~」などと半分茶化す声も聞こえる。

ます初回、先頭のドラフト2位高卒ルーキー・増田陸から始まる打線を三者凡退に打ち取る。

巨人の先発はこれもドラフト6位高卒ルーキーの戸郷。初回、井川、纐纈(こうけつ)のヒットでチャンスを作るも得点には至らない。

試合が動いたのは3回表。巨人先頭の比嘉がエラーで出塁し、二塁へ盗塁する。続く増田陸、黒田は高井が2者連続で見逃し三振としたが、笠井がライト前に運ぶ。これで巨人1点先制。

その裏、先頭の湯井がヒットで出塁し、井川がきっちり送る。二死後、纐纈が左中間を破る当たりを放つ。湯井が生還して1対1の同点。纐纈も三塁まで到達したが、この際の外野からの返球が逸れてベンチに入った様子だった。これで審判もホームベースを指す仕草をしたため、そのままホームインした。エラー絡みだが結果的に「ランニングホームラン」となり、2対1と滋賀が逆転。

4回から巨人はドラフト4位ルーキーの横川が登板。そう、根尾(中日)や藤原(ロッテ)らと並ぶ昨年の大阪桐蔭の春夏連覇のメンバーである。滋賀出身だそうで、その意味では凱旋登板ということかな。一塁側からも拍手が送られていた。中盤の3イニングを投げて被安打1(そのランナーも牽制で刺す)、与死球1、無失点と好投した。

滋賀先発の高井もランナーを出すものの失点は3回の1点のみ。応援団監修の選手名鑑のように「ゴロの山を築く」とまでは行かなかったが、7回まで投げて被安打4、奪三振6、与四球1、失点1とNPB相手に立派な成績。

滋賀は8回に2人目のパクが登板し、三者三振に打ち取る。そして9回には抑えのタバーレスが2三振、最後の打者も遊ゴロに抑えて試合終了。2対1、先週の福井での開幕戦に続いて連勝スタートとなった。一昨年、昨年と1勝を挙げるのがやっとだったという印象だが、今年は何かが違うぞと思わせる。

ヒーローインタビューは7回好投の高井と、決勝につながる三塁打を含む3安打を放った4番・纐纈の2人が登場。今季はこの2人がチームの軸になりそうだ。

試合後は恒例のお見送りということで、納経帳に朱印・・もとい選手名鑑にサインをいただく。

17時からの試合、観衆は875人と発表された。2時間半ほどで終わったので時刻は20時前。すぐ近くの湖西線大津京駅に戻る。駅前で飲んでもいいくらいの時間だが、先ほど球場ではかなり冷えたのでそのまま列車に乗る。1駅山科まで出て新快速にて大阪に戻った。

今季のBCリーグは新たに茨城球団も加わり合計11球団となった。まだ行ったことのない球場もたくさんあるので、そうしたところも楽しみにしたいものだ・・・。

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何か「帽子をひっくり返して云々」とか言ってましたなあ・・・

2019年04月09日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

ラリーキャップ・・でしたっけ?

試合が劣勢のところで、「試合をひっくり返す」という願いを込めて帽子を裏返しにしてかぶるのだとか。今季のバファローズはそういうのも売り物にしようということで、入場者に帽子を配ったり、PR動画では「アルバース先生」が出演して帽子を広めたりしている。

・・・そのアルバースが今季初勝利をかけて千葉で先発。投球はすばらしく、イニングも8回途中までマリーンズ打線をきっちり抑えてそのまま勝ち投手になるものだと思っていた。

ところが、9回登板の澤田が打たれて同点に追いつかれ、さらに延長10回には近藤が打たれて逆転のサヨナラ敗け・・・。哀れにも帽子をひっくり返して見事勝利をつかんだのはマリーンズのほうだった。

何やっとんねん。

「実は9回裏の1塁側で『アルバース先生の講義とおりに帽子を裏返しにかぶってました』・・・」とか言うのではないだろうな・・・?

しっかりせえや・・・。

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観戦記~バファローズ対イーグルス2回戦(今季初勝利から見事連勝!)

2019年04月07日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

5日のイーグルス戦で今季初勝利を挙げたバファローズ。6日は本拠地での初めての週末開催ということもあってナマ観戦に出かける。

ドームのコンコースには、先月の開幕前の「BsSpirits大撮影会」で撮影した選手たちとファンとの決起写真がポスターになっていた。これにて「まつなるを探せ、2019」である。今回は意識してわかりやすいところに陣取ったので見つけるのも容易だ。

バファローズはこの試合打順を入れ替え、3番・吉田正、4番・メネセスという布陣。吉田正の調子があまりにも上がらないのを見るに見かねてというところだろうか。

バファローズ先発は軟投型の東明。前回はファイターズ戦で金子と投げ合い勝ち負けつかず(9回二死から中田のタイムリーで追いつかれ、そのまま12回引き分けになった試合である)、今回も粘れるか。

初回、先頭の田中に四球を与え、茂木のバントが一塁セーフとなりいきなりピンチを迎える。しかし3番・浅村見逃し三振、4番・島内左飛、5番・ウィーラー見逃し三振とクリーンアップを退ける。

イーグルス先発は美馬。初回は三者凡退だったが、2回、4番のメネセスが逆方向、ライトへの当たりが伸びてそのままスタンドイン。来日1号の本塁打となった。ちなみにチームとしては8試合で2本目の本塁打(少なっ!)だが、ともかく1点先制。

しかし開幕からの戦いぶりで、打力ではイーグルスのほうが上回っている。3回、茂木がバックスクリーンに同点となる1号本塁打を放つ。

4回裏、先頭の吉田正がセンターへのフライを上げる。これをセンターの田中が追い付けず、吉田は一気に三塁まで進む。吉田にとっては今季初の長打だ。そして続くメネセスがセンターにきっちりと犠牲フライを放ち、2対1と勝ち越す。

東明はランナーを出すもピンチを切り抜け、勝ち投手の権利を持って臨んだ6回、一死から島内にレフトへの二塁打を許す。そこで続くウィーラーに上手くセンター前に運ばれる。島内は三塁を回って本塁へ向かう。同点タイムリーだなと思ったが、そこにセンターの西浦からいい球が返ってきて、タッチアウト。これにはスタンドが大きく沸いた。

東明はここで降板となり、代わって左腕の齋藤が登板。続く銀次へのワンポイントだと思うが、四球を与えてしまう。次は近藤が登板。打者のブラッシュを簡単に追い込んだものの最後は四球を出して満塁としてしまう。近藤はここでギアを入れ直して、嶋を空振り三振に打ち取る。近藤に対しても拍手が起こるが、先ほど好返球でピンチを救った西浦にも大きな拍手が送られる。

その裏、西浦、吉田正の連打で一死一・三塁とチャンスを作り、またしてもメネセスがレフトへの犠牲フライを放つ。3対1と突き放す。

7回は吉田一が登板。2者連続で空振り三振を奪い、続く茂木の三塁へのファウルフライを頓宮が大商大シートに飛び込んでキャッチ。この試合は守備での盛り立てが光った。

8回は澤田が登板。ランナーを許すもウィーラーを併殺に打ち取り、これで流れが完全にバファローズになったと思われた。

9回は増井が登板。危なげなく三者凡退に打ち取り試合終了。開幕6試合で白星なしの時はどうなるかと思ったが、好調のイーグルス相手に2連勝、このカードの勝ち越しも決めた。

ヒーローインタビューは先発の東明とメネセスの二人。東明が「アグレッシブに行きました!」と「アグレッシブ」を連発し、メネセスは最後に「マイド、オオキニ!」と締めた。この後の試合も、アグレッシブに、マイドオオキニ!と行ってほしいものだ。

3、4番を入れ替えたわけだが、結果はメネセスが本塁打を含む3打点を挙げ、吉田正も2安打を放った。当面はこの打順で行くのかな。一方で7番のマレーロの不振が続くし、T-岡田にいたっては試合にも出てこなくなった。下位のこの辺りが復調すると打線もうまく回って行くと思うのだが。

やはり対戦が一回りするところまでは手探りが続くのかなと思う。まずは一戦一戦・・・!

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第19番「青蓮院」~近畿三十六不動めぐり・33(将軍塚青龍殿)

2019年04月06日 | 近畿三十六不動

青蓮院の本堂にお参りしたが、肝心の青不動はこちらには祀られておらず、将軍塚青龍殿に行くよう案内される。将軍塚は青蓮院の飛び地として東山の山頂にあるが、2014年に青龍殿という大護摩堂が建てられ、合わせて大舞台が建造された。青不動はここで厳重に保管されているが、その模写像を拝むことができる。

青龍殿のある東山山頂にはクルマの他、路線バスも出ている。また、東山トレイルのコースにもなっていて、青蓮院からだと徒歩30分とある。時刻は昼を回っていて食事もまだだが、これは歩いて上がったほうがありがたみが増すのではないかということでそのまま向かうことにする。歩くとは四国めぐりの影響かな。

青蓮院に接する粟田口から歩く。途中「元三大師」の石標があり、東山トレイルの矢印も出ている。ちょうど前方からトレッキング姿の人が次々に坂道を降りてくる。首からナンバープレートを下げる人が多いのは、何かイベントでもやっているのだろうか。

尊勝院というお堂に出る。青蓮院の支院で、元三大師良源を本尊とする。境内も小ぶりでこの時は特段気に止めなかったが、実はお堂は豊臣秀吉が再建し、大正時代にこの地に移されたものだという。こうした歴史ある寺がひっそりあるのも京都の奥深さだと思う。

この先は本格的な山道になる。近年整備されたものだと思うが、つづら折れの上り坂が続く。そんな中を次々にトレッキングの人たちとすれ違う。私だけが逆打ちをやっているかのようである。

東山トレイルの標識もある。

山道を上ること20分あまりで、将軍塚青龍殿に広がる大舞台の下に出る。敷地の外を回るように歩き、車道に出る。クルマや路線バスで来ればここに着くところで、青蓮院の奥殿としての門をくぐる。

青蓮院とは別に将軍塚青龍殿でも拝観料が発生する。その先、青龍殿に向かう。これが建てられたのが5年前のことである。

大護摩堂として建てられたため、中は広々とした空間である。板の間があり、四辺には段差があって上段が畳敷きである。護摩供の時はこれらがびっしり埋まるのだろう。

その奥に青不動の模写像が祀られている。ともかくここでお勤めとする。青といっても暗い色で、「青黒」という呼び方をするが、この色には調伏の意味がある。お勤めで唱える聖不動経にも「大悲の徳の故に青黒の形を現じ」とある。

この後、青龍殿の背後に広がる大舞台に出る。訪ねた3月31日は寒の戻りで冷えた日である。山歩きの最中はともかく、山頂での吹きさらしは結構堪えた。なお、この大舞台だが、広さは清水寺の大舞台の約4.6倍を有するという。

東山山頂は以前から夜景を楽しむスポットとしてデートコースにもなっていた。そこに新たに大舞台を建て、周りの木々も整理した。その結果がこの景色である。

先ほど参拝した平安神宮の朱色の鳥居も目立つが、三方を山に囲まれた中で成長した京都の街並み全体にうなるばかりだ。こうした角度から京都の街並みを見るのが初めてのことで、気分は石川五右衛門。

大舞台とは別に西展望台がある。こちらからは西から南にかけての眺望が楽しめる。

将軍塚。ここは平安遷都の時からの歴史を持つという。桓武天皇がこの場所から盆地を見下ろして、ここが新たな都にふさわしいとして平安遷都が決まったとされている。その都の鎮護のために将軍の像を造り、武具で固めたうえで塚に埋めた。それが将軍塚の由来だという。その後、国家の大事が動く危機があると塚が鳴動するという伝説(デマ?)もあったそうだが、今は静かなものである。

バスの時間が中途半端だったので、帰りも歩くことにする。再び山道を下り、元の粟田口まで戻った。

そのまま三条駅まで歩き、京阪特急のプレミアムカーに乗る。山を上り下りした慰労?ということで「飲み鉄」・・。

近畿三十六不動めぐりも残すのは葛川明王院と、高野山の明王院、そして南院の3ヶ所となった。最後に北の端と南の端が残ったわけだが、これから暖かくなるしちょうどよいかなと・・・。

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先発投手が開幕4連勝中の打線を相手に9回1安打無失点に抑えても勝てない・・・これは何かのまやかしですか?誰かの陰謀ですか?

2019年04月03日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

せめて、そういうこと・・にでもしないと。

何もかもがかみ合わない。

ここ何年かで最悪やないですか?

やる気あんのか?

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