35番の明王院から36番の南院までは徒歩で10分とかからない。「波切不動尊別当 南院」の石柱が立つ山門に出る。
もっとも、本堂のある境内は直接道路に面していて、こちらにも石柱が立つ。開放的といえば開放的だ。高野山駅からの波切不動前のバス停が目の前にある。
南院の縁起として、東大寺の南院に住んでいた真興僧都が建立したとある。本尊は波切不動明王。弘法大師が唐から戻る際、強い風と波のために船が沈没の危機にさらされたが、弘法大師が祈念すると不動明王が現れ、風を鎮め波を切り開き、無事に九州にたどり着くことができた。このことから波切不動と呼ばれるようになった。波切不動を祀る寺院は全国各地にあるが、その大元と言ってもいいだろう。この本尊は平安時代中にあちこちを回り回った末に南院に落ち着いたものだそうで、御開帳は毎年6月28日のみとある。
本尊が拝観できなくとも、南院の見どころは外陣の天井にある。幅いっぱいに描かれた「鳴き龍」の絵。これを描いたのは堂本印象である。堂本印象、一度名を聞いたなと思うが、三十六不動めぐりで京都の智積院を訪ねた時、冬の特別公開で襖絵を見物したことがある。その襖絵とは対照的な豪快さだ。またこれは初めて知ったのだが、先ほど訪ねた壇上伽藍の根本大塔内部の柱に描かれた菩薩像や、四隅の真言八祖の画像も堂本印象によるものである。
鳴き龍の眼の下に立って柏手を打つ。天井と床で音がウワァァン・・と反響する。この音が龍の鳴き声のように聞こえることから「鳴き龍」の名がつけられた。「鳴き龍」は南院だけのものではなく、日光東照宮をはじめとしていくつかの例があるが、音が反響するのは「フラッターエコー現象」のためとか。その現象が発生する条件は・・・後で調べることとして。
柏手を打って龍の鳴き声を出した後でお勤めである。ともかくこれで近畿三十六不動、36の札所を回り終えた。
すぐ横に納経所がある。ちょうど係の人がバインダー用紙に一枚一枚手書きで筆を走らせているところで、ちょうど書きかけのものをそのまま最後まで書き、本日の日付までいれてくれた。
ちょうど満願の証明書の案内が貼り出されていた。もちろんどこの札所でも証明書は出してくれるのだろうが、やはり最後の36番ということで、ここ南院で満願となる人が多いのだろう。その旨を申し出ると、見本を示してサイズを訊かれた。大でA4サイズ、小でA5サイズとあり、大を選択する。申込書に住所氏名を書くが、「第○回」の欄がある。そういえば、「三十六不動めぐりは3回行う」ことを勧められたのを思い出す。第1回が過去、第2回が現在、第3回が未来だったか、また36ヶ所×3回=108=煩悩の数ということだったか。まあそれはまた考えるとして、まずは1回満願したことを喜ぶ。
係の人は申込書を受け取ると別にバインダーを改めることもなくいったん奥に下がり、しばらく待った後で封筒を手に戻ってきた。こうしていただいた満願の証明書。「ようお参りでした」と渡される。
近畿三十六不動めぐり、2017年9月に四天王寺から始めて1年8ヶ月ほどで満願となった。それぞれの寺のロケーションもさまざまで、街中の寺院あり、山深いところあり、訪ねるのに結構時間がかかったところもあり、個性と表情があったように思う。札所めぐりの中では、不動明王への護摩供に参列する機会もあり、中でも比叡山の千日回峰行を修めた阿闍梨のご加持をいただいたり、三田の鏑射寺では寺を再興して「今弘法」とも称される住職による星祭りの護摩供を見ることもできた。またそれぞれの札所への道中や、参詣後の一杯というのを楽しめたことは言うまでもない・・・。
さて、これで今回高野山に来た目的の前半が終了。これから金剛峯寺奥の院に向かう。途中で昼食をと思いながら歩くが、結構満席だったりする。途中の塔頭寺院での桜を楽しみながら歩き、そのまま道中を進み、結局一の橋の観光センターまでやって来た。
ここで、「熊野牛丼」というのをいただく。熊野牛というのを使っていて、テレビの旅番組でも紹介されたとある。吸い物とごま豆腐がついて1300円、価格は観光地価格かと思うが、ブランド牛ということで美味しくいただく(お参り後だったらビールの1本もつけたことだろう)。
腹ごしらえもできたところで奥の院の参道に入る。これから、四国八十八所めぐりの御礼参りである・・・。