まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

親不知と475系~信越紀行・3

2007年07月31日 | 旅行記C・関東甲信越

P7283099親不知の駅に降りたのは私のほかには1人か2人。背後は山に覆われ、前には北陸自動車道と国道8号線の高架橋がそびえる。以前に途中下車した時に、糸魚川寄りにある歩道橋を渡って海岸に出たのだが、その時に高架橋が海から伸びているのを見た。本当の親不知の難所はここから少し西にあたるが、駅だけ見ても厳しい自然というのを感じさせる。

P7283103さて今日は、駅から西に歩いて10分ほどの道の駅「親不知ビアパーク」に向かう。道の駅に海水浴場があるというので、1時間ほどの散策には手ごろだろう。

P7283105高速道路の高架下に駐車場と売店・食堂があり、目の前の砂浜には海の家。夏の日本海。近場の人だろうか、多くの海水浴客が海に入っている。海水浴エリアの横では釣竿をすえつけてのんびり構えている人もいる。遠くを見やると、難所と言われる親不知の山肌が伸びている。今は夏の平穏無事な光景で、夕日の見える方向の案内もなるほどと見えるが、これが冬場ともなると大変な荒波になるのだろう。

こうしてしばらく海岸に立っていると、急に西の方から分厚い雲が。そして・・・ポツポツと雨が落ちてきたかと思うと、しばらくして急に本降りになった。一目散に高架下に退散。海水浴客も一斉に海から上がり、海の家へと退避する。

P7283106うーん、ここに来て曇りのち雨の予報が当たったか。高架下に突っ立っていても仕方ないので、売店兼食堂に入る。幸い食堂のほうも営業しており、朝食が早かったのでここで何か入れておこうかとメニューを見るに、「北陸名物 たら汁 650円」の文字が目に入る。これを注文する。注文はしなかったが、カウンターにはおにぎりが積まれており、具は「明太子」・・・。まさか同じ腹の親子ではないだろう(明太子はどこかよそから加工品を仕入れているのだろう)が、しゃれっ気を感じる。たら汁の鱈は骨が多かったが、ぶつ切りをそのままを出しているということで美味かった。冬に食べればもっと「日本海やの~」というのを感じることができたかな。

さて、たら汁を味わった後も雨脚が弱まるどころか、より強くなっている。しかし次の列車に乗るにはとにかく駅に戻らなければということで、折りたたみ傘を広げて大雨の中、駅に戻る。まあ、ここで雨に濡れたのは置いておくとして、むしろこの後が心配だ。このまま雨が続くと、今日の半日をどう過ごすか、また時刻表とにらめっこしなければならなくなる。列車に乗るだけとか、駅から少し歩くというだけなら別にどうということもないのだが、今回の小旅行のお目当ての一つが流れてしまうのは痛い。

P7283109親不知の駅でしばし待つうち、直江津行きの列車がやってきた。おっ、475系のそれも「急行色」ではないか。これはラッキーだ。今回の旅、国鉄型車両、国鉄色によく出会う。幸いボックス席も空いており、直江津までの時間、靴下も脱いでしばし身体を乾かすことにする。しばらく、トンネルと海が交互に車窓の向こうに過ぎていく。

糸魚川を過ぎ、トンネルの中にある筒石を過ぎて東に向かう。するとどうだろうか、先ほど親不知で大雨だったのが、少しずつ雨脚が弱くなり、終点の直江津に着く頃にはやんでいるではないか。あの大雨は海と山が接しているところならではの局地的なものだったのか。この分だったらこの後も予定通りのコースがたどれそうだ。

次の列車は信越線の長野行き。その前に駅弁を購入する。直江津では「ホテルハイマート」と、「ホテルセンチュリーイカヤ」の2軒の隣同士のホテル(というよりかは、弁当屋がホテルもやっているといったほうがいいのか)が駅弁でしのぎを削っており、どちらもレベルの高い商品を提供している。おそらく話し合いによる日替わりなのだろうが、片方が橋上改札前の通路に陣を張っているかと思えば、もう片方がホームに陣取っており、それぞれが売り物の口上を一通り述べて「さあ、どれをお買いになる?」と勧めるのである。なかなか激しい。

で、この日はイカヤから「浜やきめし」、そしてハイマートから「鱈めし」を購入する。結局、こういう買い方をしてしまうのである。この日は直江津に泊まる予定にしていることもあり、一つは昼食用、一つは夜食用だ。

P7283112で、駅弁を抱えて長野行きに乗り、2つ目の高田で下車。交通の要衝としては直江津ということになるのだが、上越市の昔からの中心はこの高田だ。駅の近くにも、雁木作りの家や通りが目立つ。

P7283116P7283114この、高田のお城をモチーフにしたような派手な駅舎から町の中心にある高田公園を目指して歩く。雨もやんでおりちょうどよい。これから降るなよと念じながら、20分ほどで高田城跡の外堀に出る。一面はハスの葉で覆われている。中には鮮やかな花を咲かせているのもある。最盛期には「東洋一」と称されるほどのものとか。元々は高田藩の財政を立て直すため、「レンコン」を育てるために植えたものとされるが、それが今は町の人たちの目を楽しませるものになったということだ。

その外堀を歩くと、元々は高田城の一部であったという「高田公園野球場」に出る。オレンジ色のテントがいくつか出ており、売り声も賑やかだ。もうここまでくれば雨は降らないだろうという安心感のようなものが出てきた。

そう、この日の天気を心配していた大きなお目当てというのは、北信越BCリーグ「新潟アルビレックス・ベースボールクラブ」対「信濃グランセローズ」の観戦である・・・・。(続く)

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大糸線キハ52~信越紀行・2

2007年07月30日 | 旅行記C・関東甲信越

P7283060P7283064早朝の南小谷駅。多くの連中と過ごす一時というのも妙な空気だ。待合室で膝をつつき合わせるのも妙な感じなので、姫川の流れを聞きながら過ごす。駅舎横のあじさいがちょうど見ごろを迎えていた。

しばらく過ごすうち、心なしか待合室の人の数が減ったようだ。どうしたことかと見るに、早々とホームで行列を作っていたり、ホームの端に陣取っていたりする。ちょうど信濃大町からの列車も着き(昨夜ムーンライト83号で信濃大町まで来ればつながる列車)、ホームや駅舎に集まったこの筋の人たちの数は50人くらいいるだろうか。私も慌てて行列に加わる。

P7283067糸魚川方面から、警笛を鳴らしながら1両の気動車が入ってきた。キハ52。通称スカ色といわれるバージョンの車両である。ホームから一斉にカメラが向けられる。この系統、今や本当に数えるほどしかない「国鉄型」の車両であり、おまけにこの大糸線では、国鉄色、スカ色、そして首都圏色という、国鉄時代の「原色」にわざわざ塗りなおして、ファンの人気を集めている。最近「国鉄型」車両がどんどん淘汰されつつあり、そのために余計に「国鉄型」車両への人気が高まっている。おまけに最近のローカル線「ブーム」である。このために大糸線も超人気路線、ボックス席に座ろうものなら早くから並ばないといけないという現象が起きているのである。

P7283071何とか席を確保し、車両の観察。「ブーム」という言葉は嫌いだが、こうして山間の小さな駅にちょこんと停まっている気動車をじっくり見ると、デジタル社会の今の世にあって、こうしたアナログ的なものが多くの人をひきつけるものがあるのだなあと改めて感じさせる。地元の人から言わせれば、新しくきれいで快適な車両のほうがよいに決まっているはずで、こういう感想も汽車旅派の勝手なものだが。

P7283074何でも今年は「大糸線全通50周年」ということで、JR西日本も鉄道ファン向けのPRを行っている。3両のキハ52各車両に、車両の写真と履歴が描かれた乗車証明書(日付印を自分で押す)を備えたり、昨日27日には糸魚川のレンガ車庫でのイベント、それに、大糸線50周年を記念した各駅の硬券入場券セットの販売・・・・。ちなみに、入場券セットは本日28日から糸魚川駅でのみ2000セット限定販売とか。

P7283082さて座席も満杯、立ち客(動きやすいようにわざと立っている人も含めて)も多くでる1両の気動車が出発。姫川の流れに沿って走る。姫川という、優しそうな名前の川だが、かつて幾度となく土砂崩れを引き起こした川。河原には、大水の時に上流から流れたと思われる岩やら、がけ崩れの跡を見ることができる。天気はいいのだが、時折徐行運転で下っていく。

P7283083途中の根知で、同じキハ52の首都圏色とすれ違った後、終点の糸魚川着。ホームの向こうのレンガ車庫では国鉄色が停まっており、こちらもカメラの標的になっていた。このレンガ車庫、鉄道の要衝である糸魚川のシンボル的存在であるが、北陸新幹線の開通を近くに控え、今後の動向が気になる物件である。

ここで一旦改札を出る。みどりの窓口には、先ほど大糸線に乗ってきた人たちが行列をつくっている。先に書いた硬券入場券を買い求める行列だ。前の人を見ると、一人で10セットとか、3セットとか購入する人がいる。おいおい、2000セット限定なのにそういうことされちゃ困るよな・・・・。この分だと、1~2週間で完売ということになるんだろうな。

P7283089ちなみに私は慎ましく?1セットのみ購入。台紙には各塗装のキハ52の写真。改めて、「大糸線全通50周年」という文字を見つめなおす。古くからある路線のイメージがあるが、案外、新しい歴史なんやな。最後まで残ったのが中土~小滝間とのことだが、確かに長野と新潟の県境の姫川の流れの厳しい区間で、その分工事に手間取ったことだろう。

糸魚川からはどうしようか。ここまで来たら日本海を見たい。そもそも、今回の旅は、「マリンブルーくじらなみ」で、日本海に近い青海川駅とか、天領と石油の町である出雲崎を訪ねようとしたのが動機。震災の影響でこれらの駅を訪ねることができない分、その代わりとして・・・・親不知駅を訪ねよう。

P7283096糸魚川から2駅、左に急な山、右に高速道路と日本海を見るローカル駅である、親不知駅で下車。こうして下車するのも久しぶりだ・・・・。(続く)

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ムーンライト信州81号~信越紀行・1

2007年07月29日 | 旅行記C・関東甲信越

27日の深夜、新宿駅に現れる。山手線や中央線快速や埼京線のホームは週末の帰宅客でごった返しているが、それらとは少し趣の異なる5番乗り場。

新宿を23時54分に発車する「ムーンライト81号」で、大糸線の白馬を目指す。その少し後、23時59分に「ムーンライト83号」信濃大町行きが出る。それにしても微妙な発車時刻設定やな。青春18きっぷを利用する客に、指定席料金のほかに0時を回った立川駅までの乗車券を買わせようという寸法か。

P7273039さてやってきたのは、189系という「あずさ」や「あさま」に使用されていた車両。クリーム地に赤枠という「国鉄色」だ。お約束通り、入線とともにカメラを持ったファンが群がる。この前は中央線の通勤ライナーで営業していたようで、入線後しばらくは車内へは入れない。

P7273046このホームだけが独特の雰囲気なのは、大きなリュックを持った登山客が多いこともあるだろう。私も1泊旅行なのに「何でそんなに荷物が多いんや?」と聞かれるほどリュックに物を詰め込むのだが、登山客の中に混じると身軽な出で立ちである。他の夜行快速がいろんな客層が乗っているのに比べ、この「ムーンライト信州」は登山客の比率が高い。昔乗った、天王寺(その後新大阪)発新宮行きの165系「釣り列車」を思い出す。

先行の通勤電車に少し遅れが出たようで、少々遅れての発車。本日は81号、83号とも満席という案内があったが、新宿発車時点では半分程度の埋まり具合。通勤電車との間隔を空けるように、ゆっくりと西へ進む。その間に車内改札。立川までの乗車券と、指定席券、そして「青春18」を差し出す。車掌も心得たもので、何も言わずとも「青春18」に日付印を入れる。

日付変わり、立川に停車。ホームには終電を待つ通勤客と、ムーンライトを待つ登山客でごった返す。大勢乗り込んできて、空いていた席もほぼ埋まっていく。近くで「席の番号あっているか?」と聞かれ、券を見たらこの後の83号の指定席券を持っていた・・・なんて光景が見られた。新宿を遅れて出発したから、てっきり83号が来たものと思ったのだろう。次の八王子で降りて、仕切り直しをするようだ。

その八王子を過ぎたところでおそらくこの列車の乗客はすべて乗り込んだであろうが、「満席」と伝えられたのになぜか私の隣の窓側の席は空席である。予約していたが予定が直前にキャンセルになり、払い戻しの手間が面倒なのでそのまま放棄したか。そうであれば、席をちょっと広めに使わせてもらおう・・・。

寝台ではなく座席であるし、夜行列車といっても減光せず、また停車のたびに放送が入るのでなかなかぐっすり眠るというわけにはいかない。私自身、座席夜行に乗るのもいつ以来かな・・・・3年以上経っているかな、という按配で、そう慣れているわけではない。そうはいっても、いくつかの駅の停車放送は意識になかったから、少しは眠ったのだろう。

P7283050といううち、そろそろ外が明るくなった松本着。ここで登山客の第一陣が下車する。松本電鉄新島々から上高地方面に向かうのであろう。大糸線に入り、豊科、穂高、信濃大町と少しずつ登山客が下車する。沿線から山々を見渡すところだが、上のほうはやや雲がかかっているようだ。

P7283051 5時36分、終点の白馬着。大半の客が白馬まで乗りとおしたようだ。到着したホームから陸橋を渡って改札口へと向かうのだが、まるで通勤ラッシュのようにホームがあふれかえる。そして各方面へのバス乗り場に列をつくる。本格的な夏山シーズンの光景だ。

さて何か朝食を・・・と思っていると、バス乗り場の前の店が登山客向けのおにぎりを売っていた。これはちょうどいい。私もこの先大糸線を走り日本海へ抜けるのだが、しばらく食糧に出会えない可能性が高いので・・・。

駅に戻ると、先ほどの「ムーンライト信州」の乗客から登山客を差し引いた残りの汽車旅派だけが残ったような感じになった。彼らのこの後の目当てはわかっているし、私もそうなのだが、予想した通り結構いるもんですな・・・・。信濃大町からやってきた始発の快速南小谷行きにもそれらしい姿が見える。

P7283063 6時20分、山間の小さな駅、南小谷着。南小谷からどこかに行く客はすぐにタクシーで行ったが、待合室や駅の周りに30人くらいがとどまり、駅の写真を撮ったり、駅前をぶらついてすぐに戻ってきたりする。私も駅横を流れる姫川を見下ろす土手に腰掛けてしばしくつろぐ。いつもとは違った朝の光景が広がっていた・・・・。(続く)

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ローズ30本、オリックス5位浮上

2007年07月27日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

・・・・ようやく、5位浮上。

一時はAクラスもうかがっていた楽天の野村監督のボヤキが聞こえてきそうだ。

コリンズ監督はオールスター戦後の残り試合を「40勝16敗」で乗り切れば、ということを言っている。オールスター後これで3勝1敗だが、シーズン終了までこのペースで行かなければならないということで、結構厳しいのだが、ひょっとして何とかなるのでは?という気もしないでもない。

ここに来てローズの打撃が好調だ。オールスター戦最後のロッテ戦で乱闘を起こして自らの退場記録を更新したが、今日は29、30号と2発。ホント、「日本球界に復帰した選手は活躍できない」というジンクスを吹き飛ばした。今年のパ・リーグの本塁打王は、楽天・山崎、オリックス・ローズという2人の「ベテラン」のマッチレースの様相を呈してきた。

これからが楽しみだ。

さて、このブログを書き終えたら再び電車に乗って、新宿へ出る。今夜の「ムーンライト信州」を押さえており、明日は大糸線から北陸方面に回る。お目当ては国鉄型車両と、もう一つは・・・また記事に書くことにしよう。天気予報が曇りのち雨というのが気になる。

もともとは上越線から信越線の「マリンくじらなみ号」を予約しており、越後線あたりを回ろうと思っていたのだが、例の新潟県中越沖地震の影響で列車運休。代行バスを使って柏崎や青海川に行くことはできるのだが、復旧作業の最中でもあり、単に被害の状況を見たいからといってボランティアでもない風来坊が行くのは失礼だろう(まだ復興にむけて観光客を誘致するだけの余裕はないだろう)。

では、久しぶりの座席夜行の旅へ。

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一足早く参議院議員選挙投票

2007年07月26日 | ブログ

次の29日は参議院議員選挙の投票日。ここに来てマスコミ各社は「自民の惨敗、民主の大躍進(この「大躍進」という言葉、中国共産党の臭いがして好きではないのだが)」を報じている。

そんな中、ここに来て私自身が29日の投票日に投票できない可能性が出てきたため、期日前投票を行った。今回誰に、どこの党に投票するかについて、先日実施した毎日新聞「えらぼーと」が大いに参考になった。何せ自民党も民主党も共産党も国民新党も私の意見との一致度は50%割っているからね・・・・。そうなると誰に入れたかは自ずと明らかになるのではないだろうか。

どの党が言っていることも五十歩百歩でしかないと思っているため、私自身は年金問題を争点とはしていない。そんな中で個人的に気にしている問題の一つである外交問題、特に対東アジア、対ロシア外交(靖国問題とは違うよ)についてはっきりした主張を打ち出している候補者はいなかった。こうした長いスパンで考える問題について表に出てこないのはどうしたものか。先の郵政民営化問題と同じく、年金問題も一時の騒ぎで終わることでしょうに。

だから今回については東京選挙区の全員を否定する「白票」でもよかったのだが、そういうわけには行かないので、別の観点で投票をさせていただきました。・・・・といっても、これまで数多くの選挙に投票したが、私が投票する候補というのは必ず「落選」するんですな。

一足早く公民権行使を済ませ、あとはどうなるか。当日夜の選挙特番とやらが楽しみである・・・・。

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東京近郊大回り乗車・5 関東西部

2007年07月25日 | 旅行記C・関東甲信越

夕方の一時を八高線は児玉駅で過ごした後、次に高崎からやってきた18時20分発の高麗川行きに乗る。まさか大回りをしているとは思わないが、汽車旅派らしいのも乗っている。夏のこととて日も長いが、さすがに18時を回ると秩父の山々の稜線も薄くなってくる。もう1時間早ければもう少し車窓も望めたわけで、返す返すもあのロスタイムが痛く感じられる。

少しずつ暗くなる中、折原駅と竹沢駅の間で、警笛が鳴ったかと思うと急にスピードが落ち、そして停まってしまった。何だろうか。運転手と車掌が車外に出て、列車の周りを何か捜しているようだ。しばらくして車掌の案内放送で、イノシシらしきものと列車が接触したようなことを言っている。確かに薄暗い山村で、イノシシくらいは出ても不思議ではない。結局、イノシシが列車をよけて逃げ切ったか、轢いた痕も見られないということで、10分近く停車していたがようやく発車。先ほどは3分のロスタイムで嫌な思いをしたが、ここまで来れば多少遅れようがどちらでもいいような気がしてきた。

小川町、越生と東武線に接続する駅を通るがもちろんそのまま乗車し、遅れも縮まって高麗川着。ホーム向かいの19時23分発八王子行きに乗る。すっかり辺りも暗くなり、車窓を望むべくもない。ここから先は淡々と距離を稼ぐのみである。少し距離を稼ぐために、途中の拝島で降りて、青梅線で立川、そして中央線で八王子に出るという手も考えたが、もう立つことも考えず、そのまま八王子まで乗り通す。20時を回ったが一般の人にとっては十分な活動時間帯で、乗換駅である八王子駅は賑わっていた。ここで、駅舎内のスタンドでカレーライスの軽い夕食。

P7213030この後は、20時20分発の横浜線~相模線直通の茅ヶ崎行きに乗る。東京近郊区間の最も西側の路線だ。電車は通勤タイプなのだが、ドアのところに押しボタンがあり、駅の規模に関係なくボタンを押しての乗り降り。橋本からの相模線は単線で、時折行き違いの停車がある。さすがに車内も静かな時間帯・・・と思いきや、労働者風の男性の高いびきが車内に余計響き渡る。さすがに私もぼんやりとしてきた。

P7213033P7213032茅ヶ崎着。大回り乗車の西南の端である。ようやくにして東海道線に乗ることになるが、次にやってくる21時47分発の列車は「2ドア グリーン車なし」とある。これはひょっとして・・・・やっぱりそうか。やって来たのは、あの「ムーンライトながら」の車両。今夜の東京発の「ながら」になるために、基地である静岡から東京に向かうのに一本営業をこなすというやつである。これまで、「ながら」が静岡の基地に帰るまでの列車(東京発の東海道線の始発列車)には乗ったことがあるが、帰りの東京行きは初めて。9両の車両はほぼ満席で、私はちょうど空いた端の席に座れたが、デッキに立っている人や、今日すでに「青春18」で遠出をしてきたと思われる客で混んでいる。

八高線のロスタイムがあったために、東海道線でこの車両に出会えたのはラッキーである。こうなったら少しでもこの列車に乗るために、もうどうせ外も見えないのだからと、大船から横浜までの根岸線、そして鶴見からの鶴見線もカットすることにする。大回り乗車中の、「鶴見駅での有人改札で事情を説明して通してもらう」という行事(?)はできないが、仕方ないだろう。また、川崎から南武線に乗り換え、川崎-立川-西国分寺-南浦和-赤羽-池袋-日暮里-綾瀬と行けばまだ距離が伸びるなとも思ったが、さすがにそこまで回ると終電の時刻が気になる。結局その辺は断念して、特急型車両で品川まで向かう。

品川からは22時37分の山手線。やけに混雑している。この後のこともあり次の大崎で下車。22時53分の埼京線経由川越行きにスライド。この後のコースは埼京線経由で赤羽、京浜東北線で折り返して日暮里、常磐線で北千住、そして常磐線各停で綾瀬・・・と、ようやく先が見えてきた。といっても時計は23時近い。

P7213034その埼京線、渋谷、新宿、池袋と、東京の北側や埼玉エリアに住む人たちが遊びに来るスポットに停車、ちょうどそろそろ帰宅しようかという時間帯であり、朝のラッシュ時もかくやと思わせるほど乗客が乗ってくる。積み残しになった客も多い。本日これまで17時間以上改札内で過ごしたが、一番の混雑。ホント、何の因果でこういうところに身を置いているのだろうか。

幸い赤羽で乗り換える客が多いため、降りられないということはなかった。それにしても東京と埼玉の境にある赤羽。北の関所といわんばかりにこの時間でもホームは人であふれている。週末の夜はまだまだ終わらないようだ。

ここまで来ればようやく先が見えてきて、23時33分発の大船行きで日暮里に南下、23時52分発の常磐線で北千住へ・・・。とここで、とうとう0時を回ってしまった。暦の上での「当日」は過ぎてしまったわけだが、切符の有効はこのエリアでは終電が終わるまでである。北千住から0時03分発の各駅停車に乗り継ぎ1駅。

P7223036ようやく0時06分、綾瀬着。ようやく長かった大回り乗車の旅が終わる。高架ホームを降り、ようやく「亀有→130円」の乗車券を自動改札に入れる。駅によっては時間切れでゲートが閉まってしまうらしいが、ここ綾瀬ではあっけなく、乗車券が吸い取られてゲートが開いた。いつも通る隣の駅ということで見慣れた景色が広がり、いつもの週末の夜の雰囲気だった。

結局この大回り乗車。亀有から綾瀬までの営業キロの合計は651.5キロ。乗った列車は23本。所要時間は18時間24分というものだった・・・・。東京近郊区間のさまざまな路線の様子を見ることができ、それは面白かったのだが、一日の4分の3をJR構内で過ごしたことで、さすがに疲れた・・・・。

この日乗り終えての教訓というか。

1.事前に時刻表でシミュレーションを立て、ある程度計画的に乗ったほうがよいこと。

2.とはいうものの、やはり始発から出て本当の終電で戻るくらいでないと。今日これをやれば、もう2時間近く生み出せたはず。

3.どこかの駅で時間調整するよりは、前に進める時に少しでも進めておくこと。(大宮駅で時間をつぶしすぎた結果から)

で、もう一度やってみるかって・・・?うーん、今度は西のほうから時計回りというのもいいかなと思うが、さすがにしばらくはいいかな・・・・・。(終わり)

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東京近郊大回り乗車・4 北関東

2007年07月25日 | 旅行記C・関東甲信越

P7213021我孫子から乗車した常磐線グリーン車、土浦で切り離されるために普通車に引越。2つ先の高浜で特急に追い抜かれるため10分停車。この辺りになると茨城名産のレンコン畑が目立つようになる。次の石岡はこの3月まで鹿島鉄道の起点だった駅。廃止直前は鉄道ファンが大勢押しかけて大変なことになっていたようだが、今や線路も気動車もなく、完全な更地になっている。ほんと、廃止後はさっさと片付けたというような感じだ。

P7213022我孫子から1時間20分ほどの乗車で、水戸手前の友部着。新たな橋上駅舎に生まれ変わったようだが、ここでは短い接続でホーム向かい側に停まっていた12時49分発の水戸線の小山行きに乗り換え。415系のステンレス車だ。ここまで亀有を出てから7時間。そろそろ、眠たくなってくる時かな。水戸線ものどかな田園風景をたどる路線で、昼寝向きといえば昼寝向き・・・・。真岡鉄道、関東鉄道の乗換駅である下館で乗客が入れ替わったのは覚えているが、後は小山駅直前の「死電区間」くらいかな。

さて小山駅着。路線図ではここから両毛線で高崎、その後で八高線に乗る・・・ということになっていたが、時刻表で先まで検索すると、この小山で30分以上の待ち時間、そこから2時間ほど両毛線に乗っても、高崎で40分ほどの待ち時間。先にも書いたように、改札の中で長い時間待つというのも結構疲れるものだ。おっと、改札の中での待ち時間を有効に使う・・・・ということであれば、ここから宇都宮線で大宮に出て、しばし「エキナカ」で過ごした後で今度は高崎線に乗って倉賀野まで行っても、八高線の同じ列車を捕まえることができる。多少距離に変動が出るし、八高線の後に大宮を経由できなくなるのでこの後のコースに影響が出るが、これもいいだろう。

P7213025ということで、小山14時06分発の湘南新宿ライン直通快速に乗る。ここではあえてグリーン車に乗らず、ロングシートに腰掛ける。先ほどの水戸線と違って関東平野の直線を爆走する。40分ほどで大宮着。ここから京浜東北線に乗れば亀有に戻ることも出来るのだが、まだまだ。JR東日本のCMにも登場した大宮のエキナカは食品街、アパレル、書店など充実しており、それらを見て回るだけでも面白い。別に大回り乗車の客のためにエキナカがあるわけではないが、新たな駅の楽しみ方というのを提供してくれるのがよい。

P7213027さて高崎線に乗るのに、15時41分発の特別快速に乗ろうとしたのだが、湘南新宿ラインでトラブルがあったらしく、大幅な遅れが出ているとか。仕方なく、その次の15時51分発の高崎行きに乗る。これだと倉賀野には17時02分着。八高線の列車は17時05分発なので、辛うじて間に合うか。先ほどエキナカの「神戸コロッケ」でコロッケとメンチカツ、そしてビールを仕入れており、今度はグリーン車に乗車。これで快適に過ごしたのはいいのだが・・・。

途中の駅で「上り列車が途中で異常な音を聞いたということで、安全確認のためこの列車もしばらく停車します」とある。何で反対方向の列車に影響あるというのに、この列車も停まらなければならないのか・・・・。しばらくして運転再開したが、ここで「3分」の遅れ。3分といえば、倉賀野で八高線との乗り換えに必要な時間ではないか。ローカル線だからしばらく待つかもしれないな。

しかし、倉賀野駅に着く直前に、無情にも右側を気動車がすれ違う。何や、こいつだけは定時で行ってしまったんかいな。結局、小山・高崎での待ち時間を嫌った結果、八高線の列車を1本遅らせることになってしまった。このロスは痛いな。よほどこの列車の車掌や、倉賀野の駅員に文句をいってやりたいところだったが、やはりここは「130円旅行者」の弱いところ。(いや、130円旅行者でなくても、行ってしまった列車を呼び戻すことはできないけどね)

P7213029結局、倉賀野を17時22分に出る途中の児玉行きで、少しだけ前に進む。大回り乗車発の気動車の乗車である。出会う車両の幅が大いに広がった。20分ほど走って終点の児玉着。他の乗客は橋を渡って駅舎の外に出るが、ホームに取り残されたのは私だけ。これも途中下車ができない旅行者のさだめ。時間が時間なので、携帯のワンセグで大相撲の中継を見て過ごす。亀有を出て12時間が経過した・・・・。(まだ続く)

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東京近郊大回り乗車・3 千葉県から茨城県

2007年07月23日 | 旅行記C・関東甲信越

さて特急利用の大回り乗車も三度江戸川を渡って千葉県へ。蘇我駅に着く。この先特急「わかしお1号」と同じ外房線を大網まで行くのだが、特急料金も高くなるし、蘇我で下車する。

P7213005P7213006蘇我からは113系横須賀色の8両編成。今やこうした国鉄型近郊用車両が見られるのもこの房総半島だけになってしまった。千葉を基点にあちこちに113系は活躍しており、先頭の行き先表示で、内房線・青、外房線・オレンジ、総武線・黄、成田線・緑という使い分けがなされている。やってきた7時59分発の外房線上総一ノ宮行きで大網に向かう。「千マリ」という、おそらく車庫のある「まくはり」の略称なのだろうが、「千葉マリン」という単語をイメージする。これで房総半島の付け根を横断することになる。

P7213008大網からは8時26分発の東金線経由成東行き。千葉からの直通列車なのだが、なんと同じ国鉄型でも211系の登場である。おそらく宇都宮・高崎線から移籍してきたものだろう。オレンジと緑の帯が、黄色と青に変わっている。房総半島もそろそろこの勢力に変わられるのだろうか。ここからは単線となり、車窓ものどかな田園風景となる。Suicaの読み取り機だけのある無人駅も出てくる。これでも東京近郊区間なんだよな・・・・。水田が広がるが、ここに来て日照時間の短さが稲の生育に影響がないか気になる。路線名にもなっている東金でほとんどの乗客が下車し、成東駅では0番線に到着。亀有を出てから3時間。順調に進んでいる・・・のかな?

成東から9時01分発の千葉行き。こちらも211系の編成。この車両も少しずつ、かつ確実にその勢力を伸ばしているようだ。千葉や東京に出るのにちょうどよい時間帯のためか、駅ごとに乗客が増え通勤電車のような混雑になる。

佐倉で25分ほどの待ち時間。これがホリデーパスとか青春18きっぷなら改札を出て、駅前を観察するなり何なりできるのだが、もちろん130円の客は改札内にとどまる。こういう時のために新聞とか書物などは持参しておいたほうがよいだろう・・・。

P7213013佐倉からは9時51分発の鹿島神宮行き、成田でしばらく待って10時16分発の我孫子行きに乗車。スーツケースを持った乗客をちらほらと見かける。乗り継ぎの多かった千葉県内の旅ももうすぐ終了だ。再び常磐線の我孫子に到着する。時間は11時前。そろそろ空腹を感じたので、改札内での食事・ホームの立ち食いそばのスタンドに向かう。

メニューを見るに、「唐揚げそば」というのを見つけた。1個入り300円、2個入り380円。ここは2個入りを注文する。一口サイズの唐揚げが2個入っているのだろうと思っていたら、出てきたそれにビックリ。

P7213014唐揚げ1個といっても、子どものげん骨くらいの特大サイズ。これが2個乗っているのだから、丼の表面は唐揚げばかりで、そばが見えないくらい。この唐揚げをかっ食らうだけで腹がふくれそうだ。後で聞いたところでは、我孫子駅のこの「唐揚げそば」というのは、その筋では結構有名だとか。同じ沿線に住んでいたがそれは知らずにうかつでした。

P7213015P7213017我孫子からは常磐線に乗り、ようやく千葉県から茨城県に入る。11時27分の勝田行きに乗車。途中の土浦で切り離されるが、ここはグリーン車に乗車。先ほどの特急列車と違って、あくまで普通列車の優等席に乗るわけだから何もいわれることはないだろう。大回り乗車をする人の中には徹底的に安さにこだわってグリーン車に乗らない人が多いようだが、乗車券の何倍もの料金を支払ってグリーン車に乗るというのも滑稽だろう。

時刻はそろそろ12時近くなる。大回り乗車の旅もようやく午前中終了である・・・・。(続く)

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東京近郊大回り乗車・2 東京~千葉

2007年07月22日 | 旅行記C・関東甲信越

P7212999・・・というわけで、まずは亀有5時42分発の常磐線各駅停車で最初の乗り換え駅、新松戸に向かう。始発電車はもっと早いのだが、結局乗り継いで行くうちに待ち時間が生じ、後から出るのと同じことになるので、この時間にしたのだ。JRの線路を名乗ってはいるが、東京メトロの車両とJRの203系というここにしか走っていないという車両が走る常磐線各駅停車。この日やってきたのはメトロの車両だった。土曜の朝ということで、前夜からの朝帰り客がシートのあちこちで眠っている。私も朝帰りにならないように今日のコースをこなさないとな・・・。

P7213000新松戸からは6時01分発の武蔵野線で南下。大回り乗車の旅ではこうした「外環状線」的な路線が距離を伸ばす上でポイントとなりそうだ。こちらは先ほどとは対照的に朝から都心へ向かう人たちが結構いる。西船橋までの乗車。普通、房総半島へ向かうのであればここから総武線の千葉方面に乗り換える、あるいは南船橋まで行って京葉線に乗り換えるのだが、同じ総武線への乗り換えでも6時08分発の三鷹行き。先ほど渡った江戸川を再び渡り、また東京都に戻る。さあ、この辺りから大回り乗車らしくなってくるぞ。

P7213002このまま総武線で御茶ノ水まで行き、陸橋を渡って反対側のホームから6時54分発の中央線で東京へ。この中央線快速用の新型車両も日に日にその数を増やしている。そのうち、201系のお別れ乗車という日もくるのだろうな・・・。

東京駅で一番高い位置にある中央線ホームから、最も遠い京葉線ホームへと乗り換える。東京駅から京葉線に乗るのも久しぶりだが、こんなに遠かったかな・・・。エスカレーターを下り、動く歩道を何本も歩いて。通路にはあのテーマパークのPRが続き、おそらくそこに行くであろう家族連れも多い。今日から学校も夏休みだし。

P7213003ようやく京葉線の乗り場に着き、列車の時間案内を見るが、その中に「7時15分発 特急わかしお1号 安房鴨川行き」というのがあった。特急か・・・。大回り乗車中に特急って乗れたっけか。確か乗れたようなことを先人たちの旅行記に書いていたような。ということで、最低料金の500円で行ける蘇我まで自由席に乗ることにする。さすが特急列車、シートもええの使ってますな・・・・。

地下ホームを出て、新木場の臨海倉庫群を過ぎる。曇ってはいるが東京湾を望むことができる。さすが特急、それらをすっ飛ばして行く。ここで車内改札。若い車掌が切符を確認したり、手際よく特急券を発行する。私のところに来た時、蘇我までの自由席特急券、そして例の「亀有→130円」の乗車券と、これあるを見越して本日の予定経路を記した紙を見せ、「大回りなんだけど・・・」と申告する。

P7213004車掌は紙を見てざっと経路を確認した後、「大回りはわかりました。・・・ですが、優等列車に乗るのはちょっと・・・・困りますね。本か何かで見られたんでしょうが、普通や快速なら全然構わないですが特急に乗るというのは・・・・やっぱり違うんじゃないですかね。次からは気をつけていただけますか」と困ったように言われた。別に乗車券料金を請求するということはなかったが、車掌の言わんとすることもわかる。

そもそもこの「大回り」も、例えば山手線の外回り、内回りどちらで行くかとか、東京から蘇我まで行くのに京葉線、総武線のどちら経由で行くとか、乗客も多いし列車も同じように走っているし、訊くほうも訊かれるほうも煩わしいから「どちらで行っても最短経路で計算しますよ」というルールにしているわけであって、こういう意図的な大回り乗車というのは合法ではあっても、本来のルールの主旨からは外れていると言えるかもしれない。ましてや特急列車は目的地との間を最短で早く結ぶためのものだから、経路通りの乗車券と対応すべきものである。

えー、そういうことがわかった上で、この車掌から経路通りの乗車券を購入するか、大回り乗車を中断したというのであれば話はスッキリするのだろうが、このまま続けることにする・・・・(ってオイ!!)

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東京近郊区間大回り乗車・1

2007年07月22日 | 旅行記C・関東甲信越

東京近郊区間大回り乗車・・・。「大都市近郊区間内のみを普通乗車券でご利用になる場合は、実際にご乗車になる経路にかかわらず、最も安くなる経路で計算した運賃で乗車することができます」(「JR時刻表」ピンクのページより)という規則を拡大解釈し、最低運賃区間で行ける隣の駅に行くのに思い切り遠回りをして行こうという遊びである。これが東京近郊区間となるとかなりの距離を回ることができる。

この規則は昔からあったわけで、汽車旅派の中ではよく知られていたことではあるが、最近の鉄道ブームとやらで(落語にせよ鉄道にせよ、安易に「ブーム」にしてほしくないのだが)広く注目されるようになったとか。別にそれに刺激されたわけではないが、東京に住んでいるうちに一度やってみようということで、21日の早朝に出かけた。

大回り乗車の旅行記が書かれたHPやブログは結構あり、それぞれの方がさまざまなコースで最寄り駅から隣の駅までの大回り乗車を決行しているようだ。今回は私の自宅の最寄り駅である常磐線亀有から、一つ上野寄りの綾瀬までの「130円」で楽しむことにする。ちなみにこの両駅間、普通に列車に乗れば2分、歩いても20分くらいで着く距離である。

ご存知の方も多いだろうが、大回り乗車の際の留意点のおさらい。

ルール上の話として、

1.途中下車できない。

2.同じ駅を2度通ってはならない。

3.大都市近郊区間からはみ出してはならない。

4.その日のうちに(終電がなくならないうちに)完了しなければならない。

あとは、先人たちのアドバイスとして、持参すべきものとして、

1.自分が大回り乗車でたどろうとしている路線図。(車内改札時や、鶴見駅での京浜東北線と鶴見線との乗り換え改札通過時の説明用)

2.食糧。

というのがある。まあ、食糧については駅の立ち食いそばとか、改札内のNEW DAYSとか、最近は「駅ナカ」もあるからさほど心配はしていないのだが、路線図は作成しておいたほうがよいだろう。

ということで、なるべく遠回りになりそうなルートを紙に書き出すとこの通り。

亀有-(常磐線)-新松戸-(武蔵野線)-西船橋-(総武線)-御茶ノ水-(中央線)-東京-(京葉線)-蘇我-(外房線)-大網-(東金線)-成東-(総武線)-佐倉-(成田線)-成田-(成田線)-我孫子-(常磐線)-友部-(水戸線)-小山-(両毛線)-高崎-(八高線)-高麗川-(川越線)-大宮-(京浜東北線)-南浦和-(武蔵野線)-府中本町-(南武線)-立川-(青梅線)-拝島-(八高線)-八王子-(横浜線)-橋本-(相模線)-茅ヶ崎-(東海道線)-大船-(根岸線・京浜東北線)-鶴見-(鶴見線)-浜川崎-(南武線)-尻手-(南武線)-川崎-(東海道線)-品川-(山手線・埼京線)-赤羽-(京浜東北線)-日暮里-(常磐線)-綾瀬

営業キロを足していくと698.4キロとなり、単純に本州3社内の幹線の運賃表にあてはめると9870円・・・。(もし実際にこの経路の乗車券を買うとすると、地方交通線も含まれるので運賃計算キロはもう少し伸びる)これを130円で行こうというのだから、合法とはいえJRからすればおちょくられた気分だろうな。

路線図を見ただけでコースを組んだだけで、時間的に果たして完走可能なのかわからないが、とにかく出かけることにする。Suicaではなく「亀有→130円」の切符を券売機で購入して、いざ出発・・・・。(続く)

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列車のレストランと客車列車

2007年07月20日 | 旅行記C・関東甲信越

わたらせ渓谷鉄道の旅の続き。神戸と書いて「ごうど」と呼ぶ駅に降りる。この駅舎も昔ながらの木造駅舎である。ちょうど団体のバスが乗り付けており、駅舎をバックに写真を撮ったり、駅舎内に設けられた特産品の売店をのぞいたりしている。私も、鹿肉のジャーキーなどというものを購入。

P7162927この駅が賑わっているわけ。近くに富弘美術館があることもあるだろうが、お目当てはこの駅のホームにある「列車のレストラン 清流」での昼食だろう。元々東武特急として走っていた車両を改装したレストラン。間に受付カウンターと厨房を挟んだ「2両編成」で、そのうち1両は団体予約用とある。先ほどバスで乗り付けていたのは、おそらく足尾銅山観光、富弘美術館、列車レストラン、そしてトロッコ列車といったところを組み合わせたツアーの客だろう。

P7162928昼時であったが一般席のほうは空席があり、きのこカレーに生ビールで昼食。座席も昔の車両のままで、駅のホームの佇まいを見ながらの食事というのはいいものだ。あくまで普通の客室だが、今やほとんどなじみのなくなった「食堂車」という単語を連想させる。

さて腹もできたところで、またまた間藤行きに乗る。あじさいの駅の沢入から先は今日何回目だろうか。そして再び間藤駅まで行き、朝に比べて観光客の姿が増えているのを見てから折り返し、2度目の足尾駅下車。20分後にトロッコ列車が足尾を始発として出発するので、始発から乗ってしまおうといいうものだ。

P7162960P7162961そのトロッコ列車、まだ間藤方面のホームに停まっていたが、先ほど乗ってきた列車が行ってしまうと、機関車に引っ張られて間藤方面に引き上げる。しばらくすると駅舎のある桐生方面のホームに客車が先頭となってやって来た。ここで機関車が切り離され、間藤方面へ。そして反対側の線路を伝って入れ換わり、桐生方面へ。最後にじわりじわりと近づいて、客車と連結。こうした入れ換え風景を見る機会ってそうあるものではない。

P7162965こうしてつながったトロッコ列車「わたらせ渓谷号」。牽引するDE10は、パンフレットにあるわたらせ渓谷鉄道カラーの茶色ではなく、国鉄時代の赤と白の原色。4両の客車の中2両がトロッコ型車両で、その前後は国鉄の12系客車。これが足尾駅の古い駅舎とよくなじんでいる。

P716299312系客車に乗るなんて本当何年ぶりだろうか。塗装は渓谷鉄道カラーだが内装は国鉄時代そのもの。急行型という、一般のボックス席より若干広めのシートに座って懐かしさを感じる。トロッコ型車両より、客車車両に出会えたことのほうがうれしい・・・? なので、足尾出発時にはこちらに乗る。こういう列車ならばトロッコ型車両に乗るのが当然で、最後部の車両に乗っているのは私一人。車掌も「何でこっちに乗っているの?」という顔をして通り過ぎる。

客車列車独特の衝撃が来て静かに発車。この発車感というのも久しぶりだ。

P7162976P7162978次の通洞からは旅行社の旗を持った団体ご一行が乗り込んでくる。もちろんトロッコ型車両へと案内される。さてここからは渡良瀬川の渓谷に沿うということで、私も荷物はそのままにしてカメラだけ持ってトロッコ型車両に移る。やはりこちらの乗り心地も試さないとね。元々カーブの多い区間を慎重に走る。だが観光列車としてはそのほうがよいのだ。おかげで、ゆったりとした気分で渓谷の眺めを楽しむことができる。これまで通った気動車がせっかちに見えてしまう。

沢入着。交換のためしばし停車するので、一度外に出る。あじさいと客車列車の組み合わせ。いい時期に訪れたなと思う。

P7162984P7162988この駅でやっていたあじさい祭りもそろそろ店じまいのようで、地元の人たちが焼きそばやら食べ物を売りにくる。中にはあじさいの苗というのもあり、「これタダでいいよ」という言葉に次々に団体客から手が伸びる。おおっ、こういう列車の窓越しのやり取りも今やそう見られるものではないぞ。

ここからトンネルに入るということもあり、トロッコ型車両を離れて客車席に戻り、ボックスに足を投げ出す。久しぶりに「客車列車の旅」を満喫する。あまり長いことトンネルに入っていたためか、団体客の何人かがこちらに避難してくる。そうした団体客も次の神戸で下車。すると今度は別の団体客が乗ってくる。なるほど、1日1往復だからツアー同士で区間を区切って乗っているわけか。わたらせ渓谷鉄道側としても、客が回転すればその分整理券収入が増えるから切り売りしたほうがいいということかな。

客車の旅で満足したところで、本日最後のポイント、水沼駅で下車。こちらには駅舎内に温泉があるということで、最後は温泉で締めることにする。

渡良瀬川を遠くにみる露天風呂「かっぱ風呂」で今日の汗を落とし、気持ちよくなったところで休憩ロビーに立ち寄ると、テレビでは何やらものものしい映像が流れている。この日に発生した新潟県中越沖地震のニュースである。海沿いに駅があり、線路が土砂で埋まっているのは青海川の駅のようだ。震度6強、柏崎を中心に死者も出る大きな被害が発生しているとか。今日一日列車に乗っていてニュースを全然見なかったが、先の台風、今度は地震と、のんびり旅をしているのが申し訳ないような気にもなった。

この後は桐生まで出て、高崎回りで東京に戻る。帰宅後も気になるのは地震の情報だ。

確か先の中越地震が起きたのは3年前。ようやく復興したかという矢先の今回の地震。今年は能登半島の地震もあり、日本海側の土地に何かが起きている時期なのだろう。今回は狩羽原発のこともあり、余計に首都圏とは無縁ではない災害である。

遅ればせながら、亡くなられた方のご冥福、被災した地域の皆様へのお見舞いを心より申し上げます。

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足尾を歩く

2007年07月20日 | 旅行記C・関東甲信越

沢入駅からまた間藤行きに乗る。都心から日帰りする場合、この列車が最も早く足尾に着く列車だ。観光客の姿も目立つ。渡良瀬川の渓谷は沢入から原向までの区間がもっとも眺めがよく(車内案内のテープでもそのように案内していた)、山側に座っていた客も立ち上がって渓谷の風景を見やる。

P7162882P7162883P7162893P7162892足尾銅山観光には手前の通洞駅が最寄なのだが、時間もあるので足尾駅で下車。黒塗りの木造駅舎、貨物ホーム、その役目を終えたキハ35、駅周辺の古河の社宅の風情・・・。一気にタイムスリップしたかのようだ。かつて鉱石や硫酸の貨物輸送で賑わった頃をしのばせる。何人かの観光客・汽車旅派と思われる人と一緒に降りたが、やはり感じるものがあるのだろう、駅舎に向けて写真を撮る。中にはクルマで乗りつけた家族もいた。

ここから通洞駅を経て足尾銅山まで歩く。歩くといっても20分くらいのものだ。今でこそ日光市に合併された足尾であるが、「日光市足尾町」というよりただの「足尾町」といったほうがしっくり来る。旧鉱山の町の常としてひっそりと時間が止まっているように見え、往年の賑わいは想像で感じるしかない。

銅山着。ここに来るのは3回目だが、何回来てもよいところだと思っている。前回来た時は友人とのドライブだったが、元々ゴルフのショートコースにでも行こうと言っていたのが、大雨のため断念、なら目的地を決めずに北のほうへと走るうちに、「このへん通るのなら足尾に行こうか」と私が言ってこちらに来た。今回も台風の接近でお出かけ先を変えての足尾。

P7162898その足尾銅山を「世界遺産に」という横断幕が掲げられていた。折りしも先日、石見銀山が世界遺産に登録されたばかり。同じ鉱山の町としてその気持ちはわかる。日本人の知名度としても、石見銀山より足尾銅山のほうが有名だろう(何せ、石見銀山を「岩見」銀山とテロップで紹介したテレビ局もあるくらいだから)。

P7162916ただどうだろう、ここ単独で「世界遺産」を名乗るのはさすがにしんどいかな。日本の近代鉱業の発展という正の面と、渡良瀬川の鉱毒という負の面の両方を持っているのは意義があるが・・・。同じ日光市にあるからといって歴史面で東照宮とは同列には扱えないし、ならばむしろ近くの桐生と合同で、近代化遺産のグループとして富岡製糸場等の仲間に入れてもらったほうが・・・と思う。

P7162902P7162911世界遺産の話はともかく、この銅山の見せ方はまずトロッコで「通洞坑」へと進入する。かつての本物の坑道をそのまま残しており、大雨のためか地表から水がしたたり落ちる中を歩く。外の蒸し暑さに比べてひんやり涼しく感じる。江戸・明治・昭和の各時代ごとにゾーンを分けており、坑道の支柱の組み方にも時代の違いを感じる一方、各時代のリアルな人形が微妙な表情で観光客を出迎えてくれる。足尾といえば鉱毒事件というイメージが先行するが、こちらの展示はむしろ銅山の歴史や役割を積極的に理解してもらおうという姿勢が感じられる。

P7162919P7162924P7162925 銅山に銭座の展示を見学後、少しくだって元の発電所やら選鉱場の建物に出る。今では建設会社の敷地のため選鉱場の中には入れないが、こういうのを見ると再び「公害」という言葉が頭をもたげてくる。銅山と違ってPRしにくい建物のために訪れる人もほとんどいないが、こういう建物もしっかり見ておきたい。もっともわざわざ歩かずとも、わたらせ渓谷鉄道に乗れば通洞駅手前の車窓にバッチリと見ることができるが。

さて通洞駅に戻り、今度は桐生行きに乗る。今度は転換クロスシートつきの車両。他の客と同じように窓を全開にして川下り。再び沢入駅を過ぎる。あじさい祭りも始まったようで、テントの屋台には観光客が大勢来て賑わっていた。長い草木トンネルを抜け、神戸と書いて「ごうど」と読む駅で下車。ちょうどお昼時である・・・。(続く)

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渓谷とあじさいの風情・わたらせ渓谷鉄道

2007年07月20日 | 旅行記C・関東甲信越

15日は桐生駅前のホテルでぐっすりと眠り、朝を迎える。台風4号は関東を遠ざかったが、「台風一過」とはいかず、まだ雲が残る天気だ。

P7162838わたらせ渓谷鉄道では1日乗車券を桐生ほか主な駅(というか、駅員のいる駅というのは数えるほどしかないのだが)で発売している。1800円。桐生から終点間藤までの片道が1080円だから、単純に往復しても元が取れる。さらに今日の私は途中下車やら、路線の行ったりきたりを繰り返すのだからこれは有効だ。さらに、午後の足尾から大間々までのトロッコ列車の乗車整理券をあわせて購入。

P7162844桐生駅のホームに、銅色の気動車が停まっている。これが始発の間藤行きである。4人がけのボックス席に陣取り、窓を開ける。こうして窓を開けるというのも今や珍しいことである。渡良瀬川の鉄橋を渡る。今日は一日この川に沿って乗り降りすることになる。

P7162850相老、大間々と数人の乗客を乗せるといよいよ渓谷ムード。一気に人家が少なくなり、右手に渡良瀬川が沿う。台風の影響でこの山中でもかなり雨が降ったようで、その分水かさも増し、流れに勢いを感じる。渓谷らしいといえば渓谷らしい。旅行者の勝手な感想で、各地で台風の被害に遭われた方には申し訳ないのだが・・・・。最初は窓が曇っているのかと思ったが、朝早くのこととて川面に水蒸気が立ち込めており、普段ちょっと見られないような景色だ。

P7162860途中下車のポイントとなるいくつかの駅を過ぎるが、まずは終点の間藤まで乗り通す。前回来た時にはホームが広場のようになっているものの、古河の工場だけが目に付くポツネンとした終着駅だったなという印象を持っている。

P7162855P7162856折り返し列車までの間、駅舎に入る。するとどうだろう、「ここは間藤『時刻表2万キロ』の終着駅」という貼り紙が目に入る。確か前来た時にはこういうのはなかった。『時刻表2万キロ』といえば言わずと知れた、故・宮脇俊三氏の著作で、その後の鉄道乗りつぶし、汽車旅というものに大きな影響を与えた一冊。この間藤駅は宮脇氏が当時の国鉄路線の全線完乗を果たした駅であるが、それがいつしか宮脇ファンの「聖地」のようなことになっているらしい。窓ガラスには氏の直筆原稿に、『時刻表2万キロ』の足尾線の件が掲示されており、記念ノートも備え付けられている。当然、宮脇氏に関する書き込みが多い。

P7162948私も心酔するほどまでは行かないが、中学生の時に鉄道の旅にあこがれる中で『時刻表2万キロ』を読んで(いや、最初は『最長片道切符の旅』だったかな)、それから時刻表を読むようになった口だから、こうして記念碑的に、かつひっそりと祭られているのは悪いことではないと思う。

さて折り返しの列車に乗り込む。通常であれば足尾か通洞で降りて足尾観光となるのだが、一度この両駅を通過し、再び渓谷をクネクネと走って沢入(そうり)という駅で下車する。ここも今日のポイントに挙げていた駅の一つ。

P7162872P7162863P7162871 というのが、駅の周りに植えられたたくさんのあじさい。これがちょうど見ごろなのである。このブログにTBしてくれた方の記事で、「この駅もなかなかよさげやな」と思ったとおり。今日まで駅で地元の人たちによる「あじさい祭り」なるものが行われるが、まだ準備中で客の姿もほとんどないうちにあじさいを見ようという趣向である。紫、青、白と色とりどりのあじさいが私の目を楽しませてくれる。

P7162880しばしこの駅に佇み、再び足尾方面の列車に乗ることにする。ホームにやってきた銅色の気動車。あじさいの青との対照的な色合いであるが、夏らしい風景である・・・・。(続く)

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上毛電鉄と桐生の町

2007年07月16日 | 旅行記C・関東甲信越

15日は台風4号接近のため、南房総での「くじら学」参加をキャンセルし、一度帰宅。ただ、せっかくなのでどこかに行こうと思い、同じ関東でも台風の円から外れそうな北関東は、久しぶりに乗るわたらせ渓谷鉄道を目指す。ただ、渓谷鉄道は16日のお楽しみとして、15日はその始発駅である桐生に前泊する。渓谷鉄道を訪れたのはもう7~8年前くらいになるか。その時も桐生駅前の「パークイン桐生」に前泊した。宿泊料が安いこともあり、今回も当日予約でこのホテルを手配。

P7152815北千住から昼過ぎの東武特急の「りょうもう」号に乗る。もうすぐ台風が関東を通過するという時間帯で、まるで台風から避難するかのようだ。果たして、沿線は雨こそ降っているが、暴風ということはなかった。結局終点の赤城まで1時間半の乗車。行き止まり式の東武電車の隣のホームは上毛電鉄。駅舎は両社共用だが、「おおまま 赤城駅」という表示。はて、「おおまま=大間々」とは、わたらせ渓谷鉄道にも駅名があるが、同じ大間々の玄関駅をこちらも主張しているということか。

P7152823P7152824時間があるので、上毛電鉄で中央前橋を目指す。やってきたのは元京王井の頭線で使われていたというやつ。前面に特徴がある。上毛電鉄では前面を赤やら緑やら黄色やらに塗られた車両が行き来している。サイドには「JOMO」。うん、某石油会社やな。そして中に入ると、網棚にはイルカやら金魚やらアザラシやらの縫いぐるみが吊るされ、窓にも魚のペイント。群馬の内陸部を行く列車が海のモードである。こういうことをすると縫いぐるみを盗られたりしないかと余計な心配をするのだが、この辺りの乗客はそんなことなどしないのだろう。大らかだなあ。

P7152827このほかに大らかだなと思ったのが、「自転車の車内持込」というやつ。ドアのステッカーに「自転車は後部車両へ」とある。朝のラッシュ時以外はどの列車でもOKのようで、これも地方私鉄のサービスの一環だろう。残念ながら、私の乗った列車、途中すれ違った列車に自転車を持ち込んだ人はいなかった。

空は曇っており遠くの眺望は利かないが、大雨や強風ということもなくのんびりと前橋を目指す。携帯で情報を検索したら、台風はちょうど房総半島のあたり。「くじら学」はどうなったことやら。

P7152830町の真ん中で急に行き止まりになった感じで、終点の中央前橋着。列車に接続してJR前橋行きのシャトルバスが運行されており、大人100円。歩いて歩けない距離ではないのだが、雨が降っていることもありバスの世話になる。ケヤキ並木の大通りを走り、県庁所在地のある市の玄関としては地味な感じの前橋駅に着く。

P7152832P7152834前橋からはJRで桐生へ移動。チェックイン後、町の中心部に向かう。桐生の名物といえばうどん、最近ではソースカツ丼という。ただ、夜の初めは町の居酒屋で飲みたいし(うどんは締め)、うどんの店はクルマでしか行けないところばかり、ソースカツ丼はあまり好きではない。雨上がりの町をぶらつくが、これといった決定打がない。かつての殖産興業の町で、結構「近代化遺産」的風情のある建物は目にするのだが・・・・。(この建物めぐりにしても、もっと早くに桐生に着いた、あるいは天気がよければ、「ノコギリ形屋根の建物」を含めもっといろんな建物を見たのだろうが)

P7152835で、結局はホテルに戻り、1階の小料理コーナーで軽く飲む。そこで、「ひもかわ」というのに出会う。これも桐生うどんの一つの形とかで、名古屋のきしめんや甲州のほうとうと同じ系統といっていいだろう。いや、それらよりも薄くて平べったく、その割にはコシがある。これはなかなかいけるぞ。

結局近くのコンビニで地酒その他を買い込み、ホテルの部屋で飲む。翌16日はわたらせ渓谷鉄道を訪ねるが、いくつかの「ポイント」を満たすのに、本数の少ない中どのように回るか。桐生の駅でもらった時刻表を眺めながら考える。その考えがようやくまとまったところで就寝。乗るのは桐生からの始発列車だ・・・・。(続く)

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「くじら学」参加キャンセル・・・の代わりに

2007年07月15日 | ブログ

台風4号は予報通り近畿から東海を経て、関東に向かっている。とはいうものの朝起きた時点ではまださほどの風雨でもないので、和田浦までの乗車券を買ってとりあえず千葉方面に向かう。

ただ、JR東日本の携帯サイト、そして乗り換え駅での案内により、和田浦に向かう区間、内房線は君津以南、外房線は上総一ノ宮以南が運転見合わせであることを確認。まだ台風が接近していないこの時間でこうなのだから、今日いっぱいこれが再開するとは思えない。

・・・ということで、昨日連絡のあった南房総市役所の和田支所に連絡。キャンセルということにさせてもらった。ただ訊いてみると何名かは参加可能なので、「くじら学」の各講座は予定通り行うということである。参加可能な人。地元近くの人とか、クルマで行く人・・・うーん、クルマか、じゃレンタカー・・・っても、今からでは台風の中に突っ込んでいくようなものだから、これは無謀というものだろう。キャンセル料もなく、また運休による引き返しのため乗車券も手数料なしで払い戻してくれたから、仕方ないだろう。また来年もこのイベントはあるだろうから、くじらの解体見学を含めて楽しみはそこまでとっておこう。

・・・ということで千葉方面には行けなくなったので、視線を変えて山のほうに出かけようとする。雨の風景が印象的な路線ということで、わたらせ渓谷鉄道なんていいかな。あじさいもまだ咲いているだろうし、トロッコ列車、水沼の温泉駅、足尾の町などのみどころもある。

ネットで桐生のホテルを手配し、これから前泊で出かけます・・・・。

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