まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

最後の「サロンカーなにわ」金沢~新大阪に乗る(その3)

2023年12月13日 | 旅行記D・東海北陸

11月26日、金沢から乗車した「サロンカーなにわ」も敦賀まで走り、いよいよ新大阪までの終盤である。もっとも、敦賀の発車は17時19分だったが、新大阪着は20時14分。この先は湖西線を経由するのだが、特急なら1時間10分~20分、新快速で2時間のところ、所要時間3時間である。途中駅での列車退避の待ち時間が多いためだが、少しでも長く「サロンカーなにわ」の風情に浸ってほしいというクラブツーリズム鉄道部の思いもあるのかな。

敦賀を発車した後に通るのが、北陸線上りの鳩原(はつはら)ループ線。1957年の北陸本線新鮮として建設されたところである。乗務しているJR西日本のレジェンド・長尾車掌からループ線の案内がある。ループ線を上る途中、進行方向左手には、先ほどいた敦賀の市街地の景色を眺めることができることでも知られている。日が落ちた後の時間帯、私が座っていたのとは反対側の車窓となるが敦賀の夜景が広がっていたことだろう。

長尾車掌の案内だと(画像は、車内イベントのじゃんけん大会のシーン)、日本にはループ線が6ヶ所あるという。その一つがこの北陸線の鳩原ループ線。あとの5ヶ所はどこかというところだが・・・私が思い浮かべたのは肥薩線の大畑ループ線(肥薩線は現在長期運休中で、果たして大畑ループを列車が走る日は来るのやら)、上越線の湯檜曾ループ線、松川ループ線、そして予土線と土佐くろしお鉄道が分岐する川奥ループ線だが、あと1ヶ所は・・・おろちループ?? 違うか。

湖西線に入ると、長尾車掌から琵琶湖を月明かりが照らしているとの案内が入る。反対側なので見ることはできないのだが、秋晴れに恵まれた1日、琵琶湖にも月明かりが映えることだろう。トワイライトからムーンライトへの移り変わりだ。ムーンライトか・・・かつて各地を走っていた夜行快速列車の名前だったは。その代表格は「大垣夜行」こと「ムーンライトながら」だが、大阪出身の私とすれば、「ムーンライト山陽」、「ムーンライト九州」、「ムーンライト八重垣」、「ムーンライト高知」などがなじみである。青春18きっぷに指定席券をプラスするだけで利用したのも懐かしい。

この「サロンカーなにわ」だが、夜行列車としての運用も想定されていたそうである。そのために高速バスを意識した3列シートを採用したという。そしてこのツアーにおいて、車内の消灯、そして翌朝の再点灯という夜行列車ならではの場面を、長尾車掌による「おやすみ放送」、「おはよう放送」とともに演出するという。

「トワイライトエクスプレス」の札幌行きをイメージした「おやすみ放送」が流れ、車内が消灯される。長尾車掌の落ち着いた語り口がよい。「クロスオーバーイレブン」の津嘉山正種さん、「ジェットストリーム」の城達也さんとまではいかないにせよ、夜の雰囲気を演出している。

そして約10分後、長尾車掌による「おはよう放送」が流れる。外は真っ暗なのだが、そこは日の出が遅い冬の時季をイメージする。そしてふたたび車内が明るくなる。こうした演出ができるのも新大阪行きの復路ならではである。申し込んだ当初は、後半暗い中を走って外が見えないので退屈になるかなと懸念していたが、むしろこうした演出の復路を予約してよかったと思う。客室内からも「たまらんわ~」といった雰囲気がにじみ出ていたし、隣の東京からの男性も感激の様子。

おごと温泉に運転停車。この停車時間中、最後尾・5号車の展望室の利用時間となる。5号車には車掌室があるが、長尾車掌が「どうぞどうぞ」と中の撮影を勧める。車内で流れる「ハイケンスのセレナーデ」の音源もここにある。

展望室には先ほどと同じような顔ぶれが集結する。同じ展望車形式のスロフ14だが、先ほど利用した1号車とは違って、車両の半分は一般客室で、同じようなリクライニングシートが並ぶため、展望室のスペースとしては小ぶりである。

おごと温泉を出発。写真はきれいに撮れないのだが、大津から京都にかけての区間を快走し、すれ違う列車のテールランプを追いかける。ほんの少しの時間、夜汽車の風情を追体験する。

東海道線と合流し、京都に到着したところで展望車両の交代時間となった。同じように、無人の展望車両を2~3枚撮影する一時があった。ホームには多くの人たちが「サロンカーなにわ」目当てに集まっていたようだ。2分停車ですぐに発車するが、5号車車掌室から長尾車掌がホームにいた人たちに手を振って別れを惜しんでいた。

京都まで来れば新大阪までは30分かからない距離だが、途中の山﨑で36分運転停車する。19時台といえば夕方の列車本数の多い時間帯で、臨時列車はその間を縫っての走行となる。

この時間、サプライズ企画ということで、もう一度夜行列車の疑似体験として減光、消灯が行われた。「おかわり」じたいはよいとして、やはり走行中の消灯とはちょっと違うなと思う。夜行列車というよりは、途中のサービスエリアで乗務員の休憩のため1時間くらい停車している夜行バスに近いものを感じた。夜の乗り物、途中で長く停まっているのに反応して目が覚めるという、あのパターンである。

それはさておき、再点灯後もまだ停車時間があることから、クラブツーリズム鉄道部からの挨拶、今後のツアー告知があった。クラブツーリズム鉄道部としてはこれまでJR東日本、あるいは親会社である近鉄を利用した鉄道ツアーの実績をあげてきたが、JR西日本エリアではライバルの日本旅行が食い込んでいる関係で、なかなかツアーを企画できなかったたそうだ。

この「サロンカーなにわ」に乗車するツアーも、これまで日本旅行が独占する形で食い込めなかったという。その中で、長年にわたらさまざまな方向からのアプローチを続けた結果、ようやくこの10月のツアーで、最後の北陸線を舞台に実現にこぎつけたという。これをきっかけに、西日本でも今後さまざまな企画をやっていきたいという。西日本エリアなら私もまだ参加しやすいので、これからも情報をチェックするとしよう。

山崎を出発し、長い旅もラストスパートとなる。

20時14分、新大阪到着。6時間あまりの長旅を終え、列車はしばらく停車後、回送される。ホームには乗客のほかに、あらかじめ待ち構えていた人たちが一斉に集まる。

「サロンカーなにわ」は製造からちょうど40周年。北陸線での運行はこれで最後だろうが、客車じたいの引退の話は出ていないようで、もうしばらくは西日本のあちらこちらで走る姿を見ることができそうだ。今回、「サロンカーなにわ」は最初で最後かな・・という思いで乗車したのだが、またチャンスがあれば乗ってみたい。何せ「客車列車」そのものに乗車する機会がごく限られたものになっているし・・。

車内で隣だった東京江戸川からの男性はこの後夜行バスで東京に戻るそうで、先ほど車内の洗面台で髭を剃ったという。夜行バス2連発、きつかろうがどうぞご無事で。そして私は、この時間ならまだバリバリ走っている山陽新幹線で広島に戻る。そう遅くないうちに帰宅できそうだ。

次に北陸に行く時は同じ鉄道でもずいぶん違った感覚になるだろう。それはそれで楽しみ。久しぶりに富山県、新潟県にも足を踏み入れたい・・・。

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最後の「サロンカーなにわ」金沢~新大阪に乗る(その2)

2023年12月11日 | 旅行記D・東海北陸

11月26日、おそらく北陸線を走るのは最後になるであろう「サロンカーなにわ」に、クラブツーリズム鉄道部による貸切ツアーにて乗車する。金沢を13時59分に発車し、途中加賀温泉で27分停車してドア扱いの下車タイムがあった後、福井で運転停車。ここまでおよそ1時間半だが、「サロンカーなにわ」の旅はまだ5時間近く続く。

この先も、本日乗務のJR西日本のレジェンド車掌といえる長尾車掌によるエピソードの披露などもあり、15時43分、武生に到着。

ここでも29分停車だが扉は開かない。その間に、「サロンカーなにわ」を一目見ようとホームに多くの人が集まる。乗客としては座席で待つほかないが、現在はほぼすべての人がスマホを持つ時代である。乗客の一人だろうか、これまでの様子を投稿する人もいるし(画像の片隅に私もちらりと写っていたぞ)、沿線での撮影の成果を見ることもできる。便利な世の中になったものだ(乗車から2週間以上経過してこうした記事を載せるというのは遅れている・・・)。

待つ間に後続の「しらさぎ12号」、そして敦賀行きの各駅停車に追い越される。北陸新幹線の新駅「越前たけふ」はここから2キロほど東に新設されるが、地元の人たちとして利便性はどうなるのだろうか。

そして武生出発の直前に、先頭1号車の展望室の利用時間となった。このツアー、先頭1号車、最後尾5号車の利用時間がそれぞれ20分ずつ設けられており、各回10名あまりで展望室の乗り心地を楽しむことができる。

展望室のすぐ前にはディーゼル機関車が陣取る。この状況にはうなるばかりで、「へぇ~」と言っている間に武生を発車する。客室で私の隣に座る東京からの乗客も「本当に豪華ですね!」とご満悦の表情を見せる。

20分という短い時間だが、お互いに席をいろいろ替わりながら乗り心地と車窓を楽しむ。ちょうど夕暮れ近い南越前の景色。

「サロンカーなにわ」の1号車であるスロフ14は、前半分が展望スペース、そして後ろ半分がカウンターになっている。その内装たるや、昭和から平成にかけての時代、当時としては「ハイカラ」な造りだったことがうかがえる。私の子どもの頃、いわゆるお金持ちのお宅の応接間ってこんな感じだったな・・ということすら思い出させる。このスロフ14はお召し列車の展望車として使われたこともあり、そのためにこの車両の窓ガラスは防弾仕様だという。また、車内のトイレも他の車両が和式なのに対して、この展望車に隣接する2号車のトイレはお召し列車仕様として洋式だとの紹介もあった。

ただ令和となってから、コロナ禍で天皇皇后が地方でお出ましになる機会が減ったこともあるが、お出ましの際もわざわざ専用車両を使ったお召し列車を仕立てたということを聞かない。JR西日本としても、さすがにこの先、皇室の方が「サロンカーなにわ」に乗ることは想定していないだろう。

列車は次の今庄で運転停車。ここで私たちの1号車の時間切れとなった。しかし退出前に、無人の展望室を撮影する時間が設けられた。一人2~3枚撮るくらいのわずかなものだが、貴重な瞬間である。こうしたサービスも「鉄道部」ならではの思いつきだと思う。

次のドア開放の停車駅である敦賀までの間には北陸トンネルがある。少し早いが夜の雰囲気である。

17時05分、敦賀着。14分停車で、これも後続の特急などの退避のためだが最後のホームからの撮影タイムである。

ちょうど暗くなりつつある時間ということで、客車もよりシックに映える頃合いである。申し込み時、金沢からの復路は後半が暗くなって車窓が見えないな・・という先入観があったが、トータルでみれば客車列車の昼夜両方の風情が楽しめる、より印象深いツアーになることだろう。

先ほどの加賀温泉と同じく、客車の最後尾のマークと「サンダーバード34号」を見送る・・・。

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最後の「サロンカーなにわ」金沢~新大阪に乗る(その1)

2023年12月10日 | 旅行記D・東海北陸

11月26日、クラブツーリズム鉄道部主催の貸切ツアーにて、金沢から「サロンカーなにわ」に乗る。今回のお出かけはこの「サロンカーなにわ」に乗るためのもので、その前段として金沢市内散策、北陸線の特急や鈍行での移動、敦賀での宿泊・一献、神仏霊場巡拝の道めぐりである・・・。

金沢駅兼六園口の地下に行くと、クラブツールズムの係員が受付の最中で、すでに100人ほどがそこら辺りにたむろしている。私も人のことは言えないのだが、その筋の人たちがずらり固まる光景、他から見たら異様だろうな。

クラブツーリズム鉄道部の2023年のツアーリストが書かれたクリアファイルの中には、座席指定や行程が記された用紙、オリジナルのサイドボード、記念乗車証などが入っている。行程によると、「サロンカーなにわ」は13時52分に入線、13時59分に発車。途中、加賀温泉と敦賀でドア開放があり、終点新大阪には20時14分着。また、この客車の目玉である先頭の1号車、最後尾の5号車の展望室については順番に時間を決めて入ることができるそうで、私に渡された行程表では、先頭1号車は16時10分~16時30分、最後尾5号車は18時40分~19時00分とある。これを行程表に当てはめると、1号車は武生~今庄間、5号車はおごと温泉~京都間のようだ。

6時間以上の長旅だが、途中駅で改札の外に出られないので、飲食物は金沢でそろえる必要がある。一応これでもかと買っておいたが・・。

団体用の改札を通りコンコースに上がる。入線まで少し時間があるということで、改札内のミニコンビニにも長い列ができる。ホームには先発の「サンダーバード26号」が停車中。金沢駅で「サンダーバード」の姿を見るのも私としてはこれが最後だろう。北陸新幹線の敦賀延伸にともない、列車は「かがやき」、「はくたか」、「つるぎ」が踏襲されるそうで、「雷鳥」からの流れを汲む愛称が北陸から消えることになる。

さて時間となり、DD51が牽引する5両編成の客車が入線。電化区間ながらディーゼル機関車が牽引というのも貴重である。新大阪~金沢の「サロンカーなにわ」だが、10月のクラブツーリズム鉄道部主催の貸切ツアーに続いて、11月初めには日本旅行主催のツアーがあり、そして今回追加開催となった今回のクラブツーリズム鉄道部主催のツアーが本当のラストとなる見通しだ。

数分の停車中に何枚か撮影後、割り当ての車両に入る。シートは1列ー2列の配置だが、それが交互に配列されている。私が割り当てられたのは窓側の1人席。ともかく腰を落ち着けよう。

ホームから多くの人の撮影、見送りを受けて出発。客車列車らしい、機関車からの独特の衝撃を感じる。

発車後、クラブツーリズム鉄道部のスタッフから各種案内がある。また、かつて「トワイライトエクスプレス」の最終列車にも乗務したJR西日本の長尾寛車掌が「サロンカーなにわ」に乗務し、この先さまざまな案内や演出があるという。その筋にとっては「レジェンド」のお出ましといった歓迎ぶりである(私自身「トワイライトエクスプレス」に乗ったことがないのでその辺りは何とも・・)。

北陸新幹線の高架橋、そして日が西に回ったことでその姿がくっきり見えるようになった白山の山々を見る。

さて、おそらく最初で最後の乗車になるだろう「サロンカーなにわ」について触れておく。1983年に製造され、今年でちょうど40周年である(この貸切列車には「40周年記念」の意味合いもあり)。いわゆる「ジョイフルトレイン」の先駆けともいえる車両で、夜行列車への運用も想定してゆったりしたリクライニングシートを採用した。なおシートは45度ごとに向きを変えることができ、さまざまな使い方ができる。

「サロンカーなにわ」は団体貸切列車として運用されるが、お召し列車つぃて走ったこともある。そして今回、おそらく最後となる北陸線での走行である。

「豪華な列車ですね」と、2列席の男性から声がかかる。昨夜、東京から夜行バスで金沢に移動し、午前中は万葉線の乗車や、兼六園の見物などしていたという。この列車の撮影記録や乗車記は多くの人がSNSにアップしており、車内からの実況中継もある。まあ、私のこのブログの駄文より、そちらで撮ったもののほうが画像もきれいなのでそちらをご覧いただくとして・・。

巨大な観音像が見え、14時31分、加賀温泉に到着。後続列車に道を譲るため14時58分まで停車するが、ドア開放ということで実質ここが乗客にとっての撮影タイムでもある。

最後尾5号車の車掌室から長尾車掌が顔を出し、気さくに記念撮影に応じる。

金沢では時間がなく見られなかったが、ようやく最後尾の展望室を眺める。

そこへ、後続の「サンダーバード28号」が到着する。ホームの後ろでは、「サンダーバード」と「サロンカーなにわ」の貴重な組み合わせを収めようと多くの人が集まる。

加賀温泉を過ぎ、福井県に差し掛かる。かつて夜行列車などでの定番だった「ハイケンスのセレナーデ」の各バージョンの聴き分けや、記念乗車証への改札印押印などのイベントがある。

九頭竜川を渡り、15時27分、福井到着。福井ではすぐの発車。そろそろ日が西に傾きつつあるところ・・・。

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金沢城、石川県立博物館で加賀・能登の歴史に触れる

2023年12月09日 | 旅行記D・東海北陸

11月26日、「サロンカーなにわ」に乗る前の金沢散策。ひがし茶屋街から金沢城まで歩き、石川門をくぐる。

金沢城があるこの台地は、かつて加賀の一向一揆の拠点であった尾山御坊があったところ。寺というよりはそれこそ城郭のような造りだったそうで、織田信長が一向一揆を鎮圧した後、佐久間盛政が金沢城を築いた。後、盛政が賤ヶ岳の戦いに敗れたことで、豊臣秀吉が前田利家に加賀を与え、金沢城は大規模な改修が施された。

当初は天守閣もあったが関ヶ原の戦いの後、落雷により焼失。しかし徳川方の目を気にして天守閣は再建せず、三層櫓が建てられた。

明治時代になると陸軍の拠点となったが、火災により多くの建物が焼失。戦後は金沢大学のキャンパスとなった。百万石の加賀藩の居城だったとはいえ、隣の兼六園は昔から有名だが、金沢城じたいが公園として整備されるようになったのは平成になってからである。

城内はちょうど紅葉も見頃である。

そのまま城内を抜ける。近くには金沢21世紀美術館があるが、そちらとは反対の坂を上る。向かうのは石川県立博物館。金沢における赤レンガの建物で、かつて陸軍の兵器庫や金沢美術工芸大学の学舎として使われていたのを移築したもの。金沢が陸軍の街であったことの歴史も象徴している。

企画展を見る時間まではなさそうで、常設展の見学である。地域の歴史博物館について、いわゆる縄文・弥生時代はどこも似たような展示となるが、古代以降となると地域の特色が出てくる。石川県は能登半島が飛び出ていることもあり、古くから日本海を通じた交流が盛んで、大陸とのつながりがあったところ。「海から見た日本史」の第一人者である網野善彦が早くから着目したエリアである。

また信仰文化としては、白山の神仏習合の歴史、そして一向宗である。一向宗が加賀を中心に北陸一帯に広まったのは蓮如の影響も大きいが、加賀が「百姓の持ちたる国」にまでなったのは北陸の地域性とか、人々の気質も何か関係しているのかなとも思う。

そして加賀藩の時代。金沢に城下町としての賑わいが生まれる。

加賀藩といえば参勤交代の大名行列である。常時2000人、多い時は4000人が随行したとあり、絵巻物から再現した模型や映像でその様子を紹介している。江戸までのルートがちょうど現在の北陸新幹線に近いというのも面白く、映像の中でも「今なら江戸まで2時間半で行けるんですが~」と紹介されていた。

後半は民俗のコーナーとして、加賀、能登に伝わる祭礼に関する展示が充実している。そして最後は祭礼の様子を巨大スクリーン、スピーガー、床からの振動で体感できる映像コーナー。ちょうど能登の御陣乗太鼓が上映されていて、その荒々しさに少しばかり触れる。

博物館は駆け足で回った形だったが、建物じたいも含めて展示も充実していながら、金沢観光の穴場スポットと思う。

そろそろ「サロンカーなにわ」ツアーの集合時間が気になり、金沢21世紀美術館前のバス停から金沢駅に戻る。尾山神社、長町武家屋敷、香林坊、近江町市場といったスポットはまた今度である。その時は北陸新幹線で訪ねることになるだろう・・・。

金沢駅に戻り、車内での飲食物をいろいろ買い求めた後、集合場所である兼六園口の地下に向かう。そこには独特の空気を漂わせる集団がすでに広がっていて、私もその中に加わることに・・・。

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久しぶりの金沢訪問

2023年12月07日 | 旅行記D・東海北陸

11月26日、「サロンカーなにわ」に金沢から新大阪まで乗るために北陸線で北上した。北陸新幹線の開業にともない第三セクターに移管されるJRの北陸線として乗車するのが最後ということもあり、「サロンカーなにわ」には初めて乗ることになる(この客車列車も製造から40年を迎え、この先いつまで走ることができるやら)。

せっかく金沢に行くからには、少しだけでも金沢の街をめぐることにしよう。金沢に来るのはいつ以来だろうか。限られた時間をどうしようかと思ったが、結局はポピュラーなところで町の中心部に行くことにする。

その前にコンコースを歩くと、大相撲力士の等身大パネルが並ぶ。いずれも石川県出身の輝、遠藤、そして炎鵬。輝と炎鵬の身長差がよくわかる。このパネルが登場したのは2021年とのことだが、炎鵬はケガのため三段目まで番付を落としている。その間に、石川県出身力士としては大の里が初場所での新入幕が確実で、欧勝海の新十両が決定している。また先日の全日本アマチュア相撲では金沢学院大学の池田選手(同じ石川県出身の竹縄親方(元栃乃洋)のおい)が優勝するなど、石川県も相撲どころである。

 

まずは金沢駅の兼六園口のもてなしドーム、鼓門に出る。今、金沢のシンボルとしてこの鼓門が挙げられることも多いと思う。兼六園は日本三名園の一つであるが、以前訪ねた時の印象としても、シンボルとしてのインパクトはなかったように感じられた。その意味では、鼓門は金沢に来た記念撮影スポットに適している。多くの観光客であふれていて、カメラやスマホを向ける人が横に列をなしている。

さてここからだが、中心部の主要スポットを巡る「城下まち金沢周遊バス」が便利である。1日フリー乗車券もあるが、都度乗車でも各種交通系ICカードに対応しており、ふらりと乗ることもできる。

そして向かったのは、ひがし茶屋街。もう、ベタな金沢観光である。

町並みにある店に入ってお茶するとか、少し早い昼食とするとか、買い物するとかすれば茶屋街の風情を楽しむことになるのだろうが、まあ、一通り歩くだけである。老若男女、洋の東西、さまざまな人がぶらついている。

この町並みなら、兼六園よりも「金沢に来た」ことがわかりやすいのではないかな。どこかの店に入るわけではないが、とりあえず通りを一回りする。

この後、金沢城まで歩く。加賀藩の祖である前田利家像が出迎える。

この先、日本三名園の兼六園の入口があるが、ここは石川門に向かう。こちらも国内外の観光客に人気のスポットである・・・。

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北陸新幹線の「並行在来線」を行く

2023年12月05日 | 旅行記D・東海北陸

11月26日、前日宿泊した敦賀を出発し、金沢に向かう。北陸新幹線の延伸にともない、北陸線は石川県内が「IRいしかわ鉄道」、福井県内が新たに「ハピラインふくい」という第三セクター鉄道に移管される。JRとして乗る最後の機会かと思い、乗車する。それにしても、このところ第三セクターに移管した区間の鉄道名、どうしてこうキラキラの要素が強くなるのだろうか。共通するのは、地名をひらがなで表記すること。

JR北陸線のお別れ乗車ならもう少し後でもよいのだが(さすがに2024年に入るとそうした利用客が増えるのではないかと思う)、あえてこのタイミングで金沢に向かうのは、あるイベント列車のためである。

「サロンカーなにわ」。JR西日本の「ジョイフルトレイン」客車である。製造は国鉄時代の1983年だが、JR移行後はJR西日本エリアのあちこちの路線でイベント列車として走っている。そんな中、クラブツーリズム鉄道部の主催旅行で、10月8~9日に北陸線での貸切ツアーが行われるという情報を見つけた。「北陸線を走るのはおそらく最後」というので申し込もうと思ったが、発売開始日にもかかわらず速攻で満席の表示。キャンセル待ちにエントリーしたが順番は回らなかった。結局この両日は、神仏霊場巡拝の道めぐりで、広島から軽自動車で滋賀の札所を訪ね、いろんなことがあったが大いに楽しんだ。

そのこともあり「サロンカーなにわ」のことは頭から離れていたのだが、滋賀から戻った数日後、クラブツーリズムから1通のメールが届いた。その内容は、北陸線の「サロンカーなにわ」ツアーの第2弾を11月25日~26日に行うことになったとあり、キャンセル待ちにエントリーしたが乗車できなかった人を対象に先行予約案内するという。

10月で「お別れ」のつもりが、11月に「おかわり」である。おそらく多くの人が申し込んだこともあり、クラブツーリズムが「おかわり」とJRに掛け合ったのだろう。

この「おかわり」ツアーで、「サロンカーなにわ」は11月25日に新大阪~金沢、26日に金沢~新大阪を走る。先行予約で往路、復路、往復を選ぶことができたが、26日の金沢からの復路を選択した。25日の往路の新大阪集合時間が早くて広島から始発の新幹線でも厳しかったので、復路の金沢発とした。時季的に後半は日没で車窓は楽しめないが、新大阪到着後も新幹線で何とか広島まで戻れそうだ。

当初、その週末には大相撲九州場所観戦、あるいは九州八十八ヶ所約八霊場めぐり(都城シリーズ)を予定していたが、北陸線としての最後の乗車を優先した。大相撲のチケットはリセールサイトに出品して無事買い手がつき、南九州行きは延期とした。その代わり、新幹線延伸後は敦賀以北の運転がなくなる「サンダーバード」に乗り、いったん、開業間近の福井駅の現在の様子を見た後、金沢に向かうことにした。そして、さらにその前段で阪神間の神仏霊場めぐりをくっつけ、1日かけて敦賀までやって来た。

ルートインで朝食とした後、敦賀駅に向かう。いったん立ち寄る福井へは、7時58分発「サンダーバード1号」をチケットレス特急券を予約していた。

しかし、駅に来て時刻表を確認したところ、時間を勘違いして結構前に駅に来てしまったことに気づく。「サンダーバード1号」の発車は40分あまり後である。ならばもう少しホテルでゆっくりできた・・。

ただ、待合室に座っているのももったいないと思い、先行する7時22分発の芦原温泉行きに乗ってしまう。特急もいいが、こうしたローカル列車に乗っておくのもいいだろう。チケットレス特急券は車内にて後続の福井~金沢間の特急券に変更した。これはチケットレスだからこそできる芸当だ。

敦賀を発車すると新幹線の高架が上をまたぎ、それぞれトンネルに入る。在来の北陸線の北陸トンネルの13870メートルもずいぶん長く、携帯の電波も完全に遮断されるのだが、新たに開通した新幹線の新北陸トンネルは19760メートルとさらに約6000メートル長い。同じ福井県内でも若狭と越前の境界である。

北陸トンネルを抜けて南今庄、今庄という山間の駅に到着する。

景色が開け、再び新幹線の高架とクロスした後武生に到着。

北陸新幹線は武生ではなく、約2キロ東に離れた場所に新設される越前たけふに停まる。越前たけふ駅近くには北陸道の武生インターや道の駅がある。新幹線とクルマが融合した新たなスポットとなることも期待される。

各駅に停まるうちに地元の人たちがぽつぽつ乗って来て、4両の車内もほどよく埋まる。北陸新幹線開業後は敦賀以北が「ハピラインふくい」に移管される北陸線に加え、福井鉄道、えちぜん鉄道(こちらは福井市などが出資する第三セクター鉄道)、そしてJRは越美北線がポツンと残ることになる。それぞれ単体だと経営は厳しそうで、同じ福井県内ということで、いっそのこと合併して新たな「福井県鉄道」でも設立してはいかがかと思う。

福井に到着。県庁所在地ということもあり、今回の延伸でもっとも恩恵を受けそうな駅である。開業前の様子を少しだけ見ることにする。

と、福井駅に来たからには、「行列のできる」駅そば、今庄そばのスタンドに立ち寄る。

在来線側は従前の高架駅で、駅前には恐竜の像がお出迎え。改めて、福井の表玄関として注目されるのだろう。

もっとも現在は工事中のため、高架下のショッピングエリアは一時休業、土産物等は仮店舗で買い求める。

その向こう、東側に新幹線のコンコースが広がる。あと3ヶ月もすれば新たな賑わいとなることだろう。ちなみに福井駅の新幹線ホームは国内でもっともコンパクトなものだという。1面2線の島式ホームがあるだけで、高架の在来線ホームとえちぜん鉄道のホームに挟まれる形である。用地取得や費用の関係でそうなったのかな。

この後は、8時55分発の「サンダーバード3号」に乗り継ぐ。増結含めて12両という堂々とした編成で入線する。このところ私が乗ったり駅などで見かけたりした在来線特急といえばせいぜい6~8両というもので、ローカル区間となると2両編成も当たり前である。その中で12両編成とはさすがである。

北陸新幹線延伸後、「サンダーバード」、「しらさぎ」は敦賀までの運行に短縮されるが、新幹線からの乗り継ぎ列車に変わりないとすると、ある程度長い編成での運転は確保されるのではないかと思う。

もっとも、この日に関していえば福井から先はガラガラだった。

福井を発車後、えちぜん鉄道と新幹線としばらく並走し、新幹線が離れた後に九頭竜川を渡る。

この先、新幹線の高架も離れたかと思うといつの間にか寄り添ってくる。新幹線の途中駅は芦原温泉、加賀温泉、小松だが、今乗っている「サンダーバード3号」は、金沢までの途中の停車駅は小松のみということもあり途中駅の様子は一瞬でしかうかがえない。その中で、東の方向には白山の山々を見ることができる。この山並みは、新幹線の延伸後の車窓の大きな目玉になるのではないかと思う。

9時38分、金沢に到着。途中からの乗車とはいえ、「サンダーバード」で金沢まで来たことを一つの記念とする。この高架ホームに特急列車が発着するのもあとわずかのことだ。

さて、この記事で触れた「サロンカーなにわ」のツアーの集合は、金沢駅東口の地下コンコースに13時20分とある。余裕を見て3時間半ほどのフリータイムだが、さてどう過ごそうかと、前夜の敦賀、そして金沢までの列車の中でいろいろ考えていた。いっそ、金沢にとどまらず時間の許す限り、新幹線も活用して富山方面を目指し、何なら氷見線や城端線、万葉線、富山ライトレール、富山地鉄にちょこっと乗るとか、能登半島の付け根まで行くとか、北陸鉄道の内灘方面、鶴来方面の各路線に乗るとか、あれこれ考えた。

そして金沢に着いてどうしたか・・。この先各方面まで足を延ばしても限られた時間で中途半端な結果になりそうだった。ならば、ベタベタかもしれないが、金沢じたいが久しぶりなので、中心部のスポットを回るくらいにしようと思う。結果として時間が足りないくらいだったのだが・・・。

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北陸新幹線開業間近の敦賀で一献

2023年12月04日 | 旅行記D・東海北陸

11月25日、神仏霊場巡拝の道めぐりや東海道線、北陸線の車窓を楽しみ、敦賀に到着。2024年3月16日、いよいよ北陸新幹線の金沢~敦賀間の開業ということで、駅のあちらこちらではPRがなされている。

北陸新幹線は高崎から信州、北陸をぐるりと回り、大阪に到達することを目的として建設が進み、福井県南部の敦賀まで来ることになった。ただその先はどうか。一応、小浜を経由して京都、そして京阪奈のエリアを通って大阪までということになっているが、さまざまな反対意見もあり、着工は早くても2025年度以降とされている。そのため、費用がかかること、環境への影響を最小限とすべく、北陸線に沿って米原ルートで開業すべきという声もあるようだ。

北海道新幹線の新函館北斗~札幌の開業も当初の計画から延期が決まったし、西九州新幹線は武雄温泉から先のルートもまだ目途が立っていない。またリニア中央新幹線も静岡県知事がごねているので見通しが立っていない。新幹線、高速鉄道にとっては逆風の展開である。

その中で、とりあえず2024年に新幹線がやって来る敦賀駅は、それに合わせて少しずつ姿を変えている。ひとまず、土産物として何種類かのとろろ昆布、鯖のへしこ、小鯛ささ漬などを買い求める。また、コンビニで北陸限定のとろろ昆布のおにぎりを夜食用に購入する。関西から「サンダーバード」もしくは新快速で気軽に北陸気分を味わえる敦賀、今回は時間の関係で訪ねなかったが、かつては大陸との玄関駅であり、敦賀港界隈でそうした風情を楽しむことができることもあって、敦賀は私として印象に残る旅先の一つである。そうしたことで、翌日の金沢行きの前に敦賀で一泊とした。

駅前の駅前といえば、新幹線とは関係ないが私としてはこの看板が印象的である。「魚辻」という魚屋の看板だが、プロ野球12球団のマークが並ぶ。とはいっても現在のそれとは大きく異なっており(詳細は画像をよく見ていただくとして)、レアを感じさせる。この「魚辻」が野球看板なのは、タイガース等で活躍した「ヒゲ辻」こと辻佳紀の実家だからである。

この日は、駅前のルートインに宿泊。事前予約の際、敦賀で空いていたのがルートインの別館だった。9階か10階建ての本館とは対照的に、2階建て。男性専用、喫煙可という、ちょっと隔離された感じもそれはそれでよい。

本館のフロントでチェックインして、駐車場を挟んだ別館へ。玄関で靴を脱ぎ、中はスリッパで移動。部屋は一般のシングルだが、洗面台は客室内の一角、そして独立のトイレ。ホテルというより寮の一室という感じがしないでもない。風呂は大浴場である。ルートインといえば大浴場が一つの売りなのでこれは全く気にならない。もっとも別館ということで、定員は4~5名といったところ。

とりあえず1回目の入浴後、テレビで大相撲九州場所14日目を観戦。そういえば、当初のお出かけプランには大相撲九州場所の観戦というのがあった。さらに、14日目を観戦後、新幹線と高速バスで宮崎に移動して宿泊し、次の日は九州八十八ヶ所百八霊場で都城を訪ねて・・というプランも考えていた。それはさておき、14日目は優勝争いのトップを並走していた大関霧島と幕内熱海富士の直接対決。ここは霧島が一日の長で熱海富士を寄せ付けず勝利(翌日の千秋楽で霧島がそのまま優勝した)。

さて大相撲中継の後、敦賀での一献である。これまで、駅前通りに面した「まるさん屋」という店に何回か入ったことがあるが、この日はルートインの目の前にある「ダイニングしおそう」に入る。「しおそう(塩荘)」は敦賀の駅弁も製造している会社で、その居酒屋部門といったところだ。

事前に1人で予約していたが、ここは「全席個室」が売りとのことで、2人用の個室に通される。お相手がいれば最上の構造だろう。注文は卓上のタブレットで行うので店員を呼ぶ手間も省け、2人の時間をじっくり楽しめるだろう。まあ、私の場合は物理的に2人分のスペースを占めてしまうということで・・・。

まずはビールで乾杯。

この日の店の一押しということで、「敦賀真鯛の焼塩薄造りポン酢」をいただく。敦賀真鯛とは養殖の鯛というが、冬の日本海という環境下での養殖で身も締まっており、カニ殻など栄養価の高いエサで味わい深くなっているという。瀬戸内とはまた違った感じかな。

続いては造り盛り合わせ。中央に乗っている一切れは「ふくいサーモン」だろうか。

そして「せいこ蟹」。ズワイガニの雌であり、ところによっては香箱ガニ、セコガニとも呼ばれる。店のこだわりか、飾りつけられた一品で出てきたが、もう少しそのままに、何なら脚をそのまま出してくれてもよかったかなと思う。

酒は「一本義」の燗酒。

中盤には鯖のへしこスライスが登場。切り身の間にはカブラかな、アクセントになっている。鯖とカブラ、鯖だけ、カブラだけといろいろな味わいである。これまで、へしこといえばそれだけでいただいた印象だが、アクセントが入るのは初めて。

さらにもう一品としたのは、若狭カレイ一夜干し。これで鯛、蟹、諸々の魚、カレイと、かつての「御饌国」若狭の一端を味わうことになった。値段はそれなりに張ったが・・・。

ホテルに戻りもう一度別館の大浴場に入り、後はのんびりする。翌26日は北陸線で金沢まで行き、午後はゆっくりと新大阪に戻る。そのお目当て列車とは・・・?

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たら汁とヒスイ海岸

2020年01月02日 | 旅行記D・東海北陸

話は年末の29日に戻る。

あいの風とやま鉄道の泊行きに乗る。富山を12時47分に出て、終点の泊まで50分の道のりである。進行右手には立山連峰の姿が先ほどよりも近くにはっきりと見える。車窓にカメラやスマホを向ける姿も見られる。

泊では次の13時52分発の直江津行きに接続だが、駅舎とは反対側のホームの前と後での乗り換えとなる。泊が終点ではあるが、これは第三セクターどうしの都合でのことでしかない。確かに富山県朝日町の玄関駅ではあるが、富山県と新潟県の県境に近いところで設備がそれなりにあることから乗り換え駅になっているだけだ。第三セクターらしい仕切り。

つまりは、直通で利用する人のほうが多いために階段を上り下りすることなく乗り換えということだ。直江津行きは1両の気動車だが、まだ4~5年の新車である。立ち客も出る中、前側のドア付近に立つ。

泊を出るとさっそく左手に日本海が見える。波が実に穏やかだ。話はこの先になるが、一口に「冬の日本海」といっても少しエリアや日が変わることによってさまざまな表情を見せるものだなとまざまざと感じさせられることになる。

次の越中宮崎で下車する。富山県側最後の駅である。ちなみに、あいの風とやま鉄道ではICカードの利用が可能である。富山では乗り換えが慌ただしかったのでICカードで改札を入ったのだが、これを見越してのことである。もっともカード読み取り機は駅舎にあるので、ワンマン運転手にその旨を告げて外に出る。

越中宮崎に降り立つのは初めてである。無人駅だがコインロッカーが備え付けられていて、しかも100円の返却式である。また今は閉まっているが臨時の案内所もある。越中宮崎駅のすぐ目の前には海岸がある。シーズンには海水浴やキャンプで訪ねる客も多いのだろう。ここでロッカーを利用する。

海岸に向かってもいいのだが、先に遅めの昼食とする。この朝日町から糸魚川市にかけての一帯は、たら汁が名物である。横を走る国道8号線沿いには何軒かのたら汁料理店(兼民宿)がある。今回はその中で、駅のホームからも見える「ドライブインきんかい」に向かう。たら汁のみならずラーメンや丼ものといったガッツリ系メニューもあり、民宿やコインランドリーも兼ねている。幅広いドライバー向けの店という感じだが、駅から近ければ私のような客も来ることができる。

メインの食堂が満室のようで、先に待っていた家族連れ2組とともに別室に通される。たら汁は単品の他に定食があり、さらに刺身盛りを追加したセットもある。ならばとたら汁と刺身のセットを注文し、エイヤッとばかりに1本つける。

やってきたのは別にアルミ鍋に入ったたら汁と、刺身盛り合わせ、小鉢が3品とごはん、なます。刺身もなかなかだし、小鉢のいかの煮付けも食べられるとはお得だ。で、たら汁だがぶつ切りが3~4切れ入っていて、少しずつ身をほぐしながらいただく。たら汁はいわゆる宴会のたらちりとは違う、あくまでも家庭料理のメニューに入る。そのため作り方もシンプルで小骨なども入るが、切り身と格闘するぶん時間をかけて楽しめる。この時点で、越中宮崎からの列車を1本遅らせることにした。

味噌もあっさり仕立てで、たらの味を損なわないようにしているように感じた。たら以外には白ねぎとゴボウが入り、薬味のような位置付けだ。まあ、店によって作り方も違うようだし、たら汁を語ろうと思えばいろんな食べ比べをする必要があるが、満足して店を後にする。

さて、次の列島までの時間は酔いさましも兼ねて海岸に出る。有名なヒスイ海岸だ。正しくは境海岸と呼ぶそうだが、地元でもヒスイ海岸としてPRしている。この日は年末年始休みだったが、駅前には「ヒスイテラス」という海岸のPRや交流センターの位置付けの新しい建物もある。

ヒスイは古くから宝石の一種として貴ばれているが、日本では長い間中国からもたらされたものだと考えられていた。それが昭和になってから糸魚川でヒスイの鉱石が見つかり、古くからこの辺りで採れたヒスイが当時の交易ルートに乗って都をはじめ各地にもたらされたのではないかということになった。

ヒスイの鉱石が長い年月をかけて姫川や青海川の流れによって海に運ばれ、そこから波によってこの辺りの海岸に打ち上げられたという。そして今では宝探しのようにヒスイ探しが行われるようになった。

こう書くと海岸のいたるところにヒスイがゴロゴロ出てくるイメージを持つ人がいるかもしれないが、観光案内その他によると、ヒスイ探しは簡単なものではなく、地元の人でも苦労してようやく見つかるかどうかというものらしい。見た感じがヒスイに似た石も結構あるそうで、見分け方も紹介されているが、パッと見てわかるかと言われれば・・。

別に一攫千金を狙うものではないのでヒスイ探しはしない。海岸を歩くが、砂浜ではなくこうした丸い形の小石がゴロゴロしている景色に驚く。別にヒスイでなくても、色や形が気に入った石を持って帰ればいいのだが、この先の道中に石を持ち歩くのも何だかなと思う。

見ていると等間隔で釣糸を遠くに飛ばしている人が目立つ中、打ち寄せる波に腰まで浸かりながら波打ち際の地面の石を拾う人がいる。ヒスイは波打ち際にある可能性が高いそうだが、それを実践している人だ。やはり何かを得たいならばそれに見合った取り組みをしないといけないようだ。しばらくすると自分のクルマに戻ったようだが、果たして成果はあったのかどうか。

そうかと思えば、おそらく先ほど私が見送った列車で越中宮崎に来たであろう、おじいさんと孫らしい出で立ちも見える。男の子は両手に何個かの石を持っている。おそらくヒスイとは違うだろうが、おじいちゃんと越中宮崎のきれいな海岸に来て、きれいな石を拾えた思い出・・私より純で、旅の記念とはそもそもそういうことなのだろう。

乗るのは16時38分発の直江津行き。座席は埋まっているのでまたドア横に立つ。次の市振から新潟県に入ってえちごトキめき鉄道の区間になるとともに、景色が険しくなった。親不知の険である。

1本前の列車なら親不知での途中下車もありだったが、すでに暗くなりつつなる中では躊躇する。その中で1人下車があった。列車にカメラを向けていて地元の人ではなさそうだが、よく考えれば時刻はまだ17時前、列車は上り下りともいくらでも来る。

その17時になったばかりの糸魚川に到着。29日の乗り鉄はここで終了。糸魚川には過去にも泊まったことがあるが、北陸新幹線が開通してからは初めてである・・・。

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特急「ひだ」で日本海側へ横断

2019年12月31日 | 旅行記D・東海北陸

29日に乗車した「ひだ3号」。岐阜からは進行方向が変わる。私が座っているのは進行方向の右側で、東から南に向くところだ。冬の青空に降り注ぐ日光はありがたいのだが、その分まぶしいし、車内も暑く感じる。あちこちで窓側のカーテンが引かれるが、私は外の景色を見たいのでそれは我慢する。ただ、外の景色の写真を撮るとなると、窓ガラスに車内の様子が反射したりで思うようにはいかない。

岐阜を過ぎると乗車は落ち着いたようで、自由席の通路に立っていた客もデッキに移動したり、果ては向かい合わせにしてできたシートの隙間に荷物を入れたり、果てはその隙間に子どもを座らせたりと、混雑の中にあって少しでも快適にという動きになる。

観光利用の多い特急らしく、時折車窓の案内も入る。まずは現存の天守閣で日本最古である国宝の犬山城。高山線からは結構離れたところに位置するし、この時間だと逆光なので姿がくっきり見えるわけではないが、小高い丘の上にそれらしき姿が見える。

続いては木曽川の日本ライン。確か「日本ライン下り」という遊覧船があったと思うが、現在はその名前を聞かない。どうやら利用客の減少や安全面の理由から営業休止となったようである。

そして天然記念物にも指定されている飛水峡。木曽川水系の飛騨川の河床の岩盤の上に数多くの穴が見られるのが特徴というが、車窓で見る限りではよくわからない。時折ゴツゴツした岩が現れるなというくらいである。

美濃から飛騨に続く道中、茶畑が目立つ。白川茶というのはこの辺りの名産だという。国内の茶の生産の北限だそうで、急な地形で栽培され、昼夜の寒暖差が大きいことから立ち込める朝霧が保温効果を出すそうで、ゆっくりと旨味を蓄えるという。この日は穏やかな天候とはいえ、ここまで来ると日陰では霜が下りているのが見え、茶畑もうっすらと白くなっている。これでも大丈夫なのだろうか。

名勝の中山七里はほとんどが反対側の車窓に広がったようだが、いつしか飛騨川を渡り、下呂の温泉街が見えてきた。

ここで外国人観光客を含めてそこそこの下車があったが、それ以上に多くの乗客が乗り込んできた。下呂温泉に宿泊して、翌日に高山観光というルートだろうか。飛騨観光の王道といえば王道だが、実は私は下呂温泉を訪ねたことがないので何とも言えない。下呂であれば大阪から青春18きっぷの日帰り旅行でも行ける範囲で、宿泊しなくても日帰り入浴の施設もあるし、民俗村のようなスポットもあることからこれまで何回か行き先の候補に挙げたこともあるが、まだ実施にいたっていない。

下呂を出発してから車内改札があった。下呂から乗車したのもほとんどが外国人のようで、持っているのも一部新幹線を除く全国のJR特急が乗り放題の「ジャパン・レール・パス」のようである。その提示を受けて車掌も「タカヤマ?」「タカヤマ?」と呼称確認するだけである。で、私も指定席を放棄して自由席に座っている特急券を提示しようかとすると、先に、隣から周りにかけて陣取っていた大陸の親子連れのお父さんらしい客が人数分のパスを提示した。それを見て車掌も「タカヤマ?」とまとめて処理してそのまま行ってしまった。どうやら私も大陸からの客にカウントされたようだ。

まあ、どこぞの国の暗殺された要人にそっくりだと言われて居酒屋で写メを撮られた経験があるくらいだから、別にいいか。

高山線の最高地点にある久々野のあたりではさすがに少し雪の姿も見えるが、交通に支障があるものではなくうっすらとしたものである。大陸のお父さんも「雪だ」と外を指さすものの、事前に聞いていたほどの量ではなかったのか、ちょっと期待外れというような反応である。

さて、「タカヤマ」に到着した。果たしてほとんどの客が下車する。高山は飛騨の観光の拠点であり、もちろん古い町並みも見どころであるが、世界遺産の白川郷へのアクセス地でもある。下呂温泉に泊まり、高山をちょっと見てから白川郷に移動するというのも外国人に人気のルートのようだ。

ここで意外だったのが、高山で後ろを切り離して4両で走る富山行きにも、これもほとんどが外国人の待ち客があり、先ほど以上の混雑となった。この人たちは、もちろん富山を観光するケースもあるだろうが、富山から北陸新幹線に乗って金沢に行くか、ひょっとしたらそのまま東京に向かうために「ひだ」に乗るという人が多いのかな。

隣にやって来たのは外国からのカップル。女性に席を与えて男性が立っていたのだが、スマホに映る文字はクルクルした字体のタイ語。このエリアを訪ねるタイ人観光客が多いという。座席にあるJR東海の運行情報のQRコードの案内にもタイ語バージョンがあるようだ。

飛騨古川を過ぎて、富山県境の山深いエリアに入る。雪景色も少しは見えるがそれほどの量ではない。10年くらい前だったか、途中の杉原駅近くの民宿で年越しを迎えたことがあるのだが、その時は雪が深く、駅から徒歩3分のところだがご主人に送迎していただいた。

猪谷からはJR西日本の路線となる。少しウトウトする間に富山平野に出てきた。神通川に沿うエリアだが、手前に散居村、奥には雪をかぶった立山連峰が広がる。これは運がよい。隣のタイ人から私の目の前にスマホが伸びてきた。

定刻なら12時30分のところ、5分ほど遅れて高架の富山に到着。この旅にあたってまずは富山を目指すと書いたが、今回は乗り換えのみである。この後「あいの風とやま鉄道」の泊行きに乗り継ぐのだが、予定では12時47分発である。ただ乗り換えるだけなら同じホームなので問題はないのだが、富山では駅弁、そしてほたるいかやかまぼこといったアテを購入したい。まあ17分あれば買い物の時間はあるかと思うが、5分遅れとなるとちょっと厳しい。また多くの下車客がいるので移動に少し手間取る。

その中でいったん改札を出て、コンコース内の土産物コーナーでしかるべきものを購入する。幸い12時47分発には間に合い、そのまま東へと向かう・・・。

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富山、新潟を目指す旅でまずはアーバンライナー

2019年12月30日 | 旅行記D・東海北陸

29日、この日は富山を経て糸魚川を目指すわけだが、大阪駅に向かわずに御堂筋線のなんばで下車する。

そのまま近鉄の大阪難波のホームに向かう。今回乗ることにしたのは6時発の名古屋行き特急、アーバンライナーである。デラックスシートは1人掛けシートはほぼ埋まるものの2人掛けシートはグループ客が2~3組いる程度で空いている。

新潟県を目指す旅なのに名古屋行きのアーバンライナーに乗ったのは旅に変化をつけかたったからだが、名古屋に着いてからどうするか。この日の宿泊地である糸魚川を目指すなら中央線で松本に出て、大糸線に乗るという手がある。そしてもう一つ、高山線で富山に出るルートがある。その中で今回は北陸の日本海も見たかったので、名古屋からは8時43分発の「ひだ3号」に乗ることにする。出発の数日前にふと思い立って調べると、指定席に空席があったので確保した。高山線に乗るのも久しぶりだが、特急「ひだ」に乗るのは初めてである。この日は青春18きっぷは封印で、普段乗らない在来線特急を味わうことにする。

鶴橋で地上に出るがまだ真っ暗である。そのまま大阪府から奈良県に入り、ようやく山の稜線が見えてきたかというところだ。そろそろ明るくなるかというのは三重県に入ってから。山間部のため、太陽の姿はなかなか見えない。

特急は快走を続け、青山トンネルに入る。

伊勢平野に出て、名古屋線との連絡線を渡るところで太陽がまぶしくなる。29日は全国的に日中は穏やかな天候に恵まれるとの予報で、これから向かう飛騨地方、さらには日本海沿岸も晴天の予報が出ている。

揖斐川、長良川、木曽川と渡り、愛知県に入る。そのまま順調に走り、8時08分に近鉄名古屋に到着。このままJRとの連絡口を出て、在来線ホームに出る。

「ひだ3号」の発車まで時間があるのでいったんホームのスタンド「住よし」できしめんをいただく。かき揚げも揚げたてが入る。早朝に朝食は済ませているのだが、これから「ひだ3号」に乗ると富山までは4時間弱の道のりである。ついでに売店にてあれやこれやと買い求める。

その「ひだ3号」は名古屋駅の11番ホームに入線していた。年末ということで増車しているそうで、9両編成ある。そのうち富山まで行くのは4両(7~10号車)、残り5両(1~5号車)は高山までである。このキハ85系、JR東海発足から間もない時期にデビューした、JR東海初めての自社車両で、通路から少し高い位置にあるシート、そして大型の窓を持つことから「ワイドビュー」を冠して「ひだ」「南紀」に使用されている。非電化区間にあって高スピードを出せるのが強みである。

そのキハ85系、特に老朽化したイメージはないのだが、高速バスとの競争が激化していることや、インバウンド増加による利用客の増加を見込んで、JR東海はハイブリッド技術を導入した新型車両をデビューさせるという。

さて、指定された席に向かうが、その位置がちょっと残念である。そこで、まだ空席がある9号車の自由席に座る。出発時刻が近づくと次々に乗客がやって来て、立ち客も出る。その多くが大きなキャリーケースを持った外国人客である。西洋人もいるが多くはアジア系である。車内に日本人は何人いるのやらと思う。まさか富山まで乗り通すわけではなく、多くは下呂か高山で降りるのだろう。指定席券を持っている私が自由席にいていいのかということはあるが、外国人相手なら別にいいかとそのまま座ることにする。

発車時刻となる。岐阜までは高山行きの1号車を先頭に、後ろ向きに走る。岐阜からの高山線で方向が変わるためである。新幹線や名鉄電車の走りも見つつ、まずは20分弱、この向きで走る・・・。

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年越し旅、まずは富山に向かう

2019年12月29日 | 旅行記D・東海北陸
令和最初の年末年始、今回はカレンダーの並びで長い休暇となるということで、気が早いが夏頃から、どこに行こうかあれこれ考えていた。

西のほうは中国観音霊場めぐりをしているから、行くとしたら東、そして雪のイメージではないが新潟かなということは早くから頭にあった。新潟といえば今年の元日夜に降り立ったところだが、とりあえず、31日から1日の年越しは新潟市内ということにする。2日の朝には帰宅する必要があるので、1日夜にどこかから大阪行きの夜行バスに乗ることにする。

新潟にはどう行くか。北陸ルートが有力だが、東京から群馬を経由するのも面白そうだ。有名な草津温泉に行ったことがないので寄り道もありかなと思う。時刻表であれこれシミュレーションしたり、宿泊サイトで候補の宿をいくつか仮押さえしながら、少しずつ選択肢を絞っていく。こうした計画の楽しみというのがある。

結局は北陸、現在は第三セクターになっている区間をたどりながら少しずつ新潟に向かうことにした。出発は29日と決めて、大阪から鈍行乗り継ぎもよいが、せっかくなので予約開始から早い時期に、サンダーバード+北陸新幹線つるぎ号の指定席を購入した。まずは富山まで行き、富山から「あいの風とやま鉄道」と「えちごトキめき鉄道」を乗り継いで(それにしても、なぜ最近の第三セクター鉄道はこうもキラキラネームばかりなのだろうか)、宿泊は糸魚川とした。

ということで、29日のまだ夜が明けないうちに自宅を出て、天王寺から大阪メトロ御堂筋線に乗る。そしてなんばで下車。

あれ?大阪からサンダーバードに乗るのになぜなんばで下車・・というところだが、別に急にトイレに行きたくなったわけではない。出発の数日前になってからの計画変更である・・・。
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東海道線~名鉄特急~近鉄アーバンライナー

2019年08月12日 | 旅行記D・東海北陸

青春18きっぷで静岡を訪ねた後の復路。乗るのは17時02分発の浜松行きで、この列車の始発は熱海である。ロングシート車が来るのはわかっているから、普通に通勤列車を待つのと変わらない。静岡で多くの乗客が入れ替わることもあり、無事に着席することができる。

さすがにこの時間となると、朝から乗り継ぎで来たことと、先ほどの「茶っきり」が回って来たか、往路ほどしっかり景色を見ることもなく静かに過ごす。外は田園地帯や山の緑が広がり、夏の車窓だなというのが印象だった。

18時14分、浜松に到着。次は18時28分発の豊橋行きで、豊橋からの折り返し列車に乗る。こちらは転換クロスシート車両だ。

そろそろ日が暮れる頃合いで、浜松の西にある貨物ターミナルのあたりで夕日を見る。もうすぐ浜名湖で、もう少し何とかならないか期待して外を見るが、浜名湖を渡る鉄橋のところでは太陽が雲に隠れてしまった。

19時05分、豊橋到着。最後に乗るのは名古屋21時00分の特急アーバンライナーのため、十分に間に合う。先ほどは締めの一品をいただいていなかったので、コンコース内のスタンドできしめんをいただく。

ふと、このまま東海道線を行くより、帰りの時間が見えてきたので変化をつけてもいいかなと思った。この日の青春18きっぷ(2回目)の元は十分に取れている。なお大阪市内~静岡の片道乗車券は6260円、静岡~豊橋の片道乗車券は1940円する。1回目では大阪~長浜、近江今津~大阪と乗車したが、すでに2回目で全5回分の料金11850円に迫ろうかというところ。

ここでいう「変化をつける」というのは、名鉄線に乗ることである。東海道線の新快速、特別快速と、名鉄の特急では所要時間にそれほど差はない。ならばということで名鉄線のホームに下りる。名鉄線は歴史的な経緯があって飯田線と同じホームに発着するので、飯田線の列車と並ぶ姿が見える。

購入したのは19時32分発の新鵜沼行き特急の特別車両券(ミューチケット)。名鉄の特急には自由席車両もあるのだが、ここはせっかくなので快適に移動することに。豊橋のホームには浴衣姿の人も目立つ。8月3日、夏祭りでもあるのだろう。

この時間となると外は真っ暗で、また特急は途中の駅を高速で通過するので、どういうところを走っているのかよくわからない。そんな中で、外に花火が上がるのが見える。どこでやっているのかと検索すると、走行位置から見て御油の夏祭りのようである。さすがに音は聞こえないが、こうした車窓を見るのもよい。

花火はこの先岡崎でも見ることができた。こちらは矢作川の河畔で行われる岡崎城下家康公夏祭り。規模としてはこちらのほうが大きい感じだった。いずれも写真に収めることはできなかったが・・。

そのまま快走を続け、地下に入った名古屋に20時21分に到着。そのまま連絡改札をくぐって近鉄のホームに出る。後は近鉄特急に乗るだけだ。

21時00分のアーバンライナーのデラックスシートに乗る。前日に照会した時には1人席がすでに満席で、2人席の窓側に陣取る。このままの状態で発車する。

名古屋から特急に乗ると、藤井寺に戻るのに鶴橋回りにするか、大和八木から橿原神宮前に戻るのか選択肢がある。特急券は鶴橋まで購入しているが、その後の乗り換えや混雑具合を比べるのだ。そして結局は大和八木での下車を選ぶ。

以降の乗り継ぎは、22時38分に大和八木に到着し、22時49分発橿原神宮前行きで22時55分着、23時07分発古市行きで23時36分着、23時37分発大阪阿部野橋行きで23時44分に藤井寺に到着した。朝出発したのが5時17分発の始発だったから、文字通り一日仕事だった。その中での古市行きは、4両編成で乗客は10数人。ロングシートもガラガラで、シートに横になる人もいる。寝過ごしは大丈夫かな。

今回は静岡での町歩きや昼飲みがメインということになったが、いずれは、遠く行けるところまで行って、滞在先がほんのわずかでとんぼ返りするという、机上旅行にとどまらず実際にチャレンジしてみるのもいいかなと思ったことである・・・。

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静岡浅間神社と「ちゃっきり」

2019年08月11日 | 旅行記D・東海北陸

駿府城から少し行くと大きな鳥居がある。浅間(せんげん)通りということで、静岡浅間神社の参詣路で、両側には商店が並んでいる。

山田長政の像がある。江戸時代初め、シャム(現在のタイ)の日本人町を中心に活躍した人物である。彼の出身がこの駿府とされており、沼津藩主の大久保忠佐の駕籠かきをしていたが、朱印船に乗ってシャムに渡った。現地では傭兵部隊に加わって頭角を現し、日本人町の頭領となり、やがては地方の王に任じられるまでになったが、それに不満を持つ勢力の手により毒殺されてしまう。その後日本人町の勢力は衰え、鎖国政策もあって滅びてしまうのだが、戦国の気風を残す武士たちが最後にもう一旗をと夢見たのがシャムだったのかもしれない。

正面に鳥居が見える。石柱には「大歳御祖神社」とある。静岡浅間神社は地元では「せんげんさん」として親しまれているが、浅間神社、神部神社、大歳御祖神社の三社の総称である。

大歳御祖神社は応神天皇の頃に鎮座したとされ、神大市比売命を祭神として、農業・漁業・工業・商業など産業繁栄の神として信仰されている。

そして浅間神社、神部神社という二社に出る。正面から見て左手の浅間神社は木之花咲耶姫命を祀っており、平安時代に現在の富士宮の分霊を勧請したものである。右手の神部神社は大己貴命を祀っており、崇神天皇の頃に鎮座したこの地方で最も古い神社とされている。駿河国の魂の大神を祀る総社でもある。

他にも八十戈神社や少名彦神社などが建ち、合計7つの社を回ると境内を一回りとなる。各社にはスタンプがあり、これをラリー感覚で集めることもできる。

楼門もあるのだがこちらは改修工事中。

浅間神社(総称として)は古くから朝廷、武士たちからの信仰を集めている。今川氏も氏神として祈願を行っているし、徳川家康が元服した(当時は松平元信)のも浅間神社だという。そのこともあって江戸時代には幕府の祈願所として2千石の領地を持っていたそうだ。見どころは大拝殿で、天守閣のてっぺんを切り取ったような形をしており、朱塗りの柱に数々の装飾が施されている。当時は日光の東照宮に次ぐ美麗な神社と評されたそうで、江戸時代当時の、というより徳川家の趣向なのかなと思う。

今回は神社に手を合わせただけだったが、実はこの奥に賤機山(しずはたやま)という山が続いており、山じたいに神が宿るとして信仰されたのが浅間神社全体の始まりとされている。今の「静岡」の地名も、賤機山から来ているのだとか。

境内の一角に文化財資料館があり、かつて武将たちが奉納した武具などが展示されているという。ただこの日は、何となく浅間神社に来たということもあり、資料館の存在には気づかなかった。お参りを一通り終えると、暑いということもありそのままバスに乗って駅まで戻ってきた。

さてここから静岡の「味」である。時刻は15時を回ったところ。帰りの乗り継ぎの時間を考えると17時には静岡を出ることになるので、要は昼飲みである。さすがは県庁所在地、土日ということもあってかそういう受け皿もちゃんとある。

その中で駅北口の「ちゃっきりや」というのを見つける。年中無休、毎日14時から開いているそうだ。メニューにも静岡ものがいろいろ並んでおり、初入店のこちらに決める。テーブル、座敷がメインの店だが大勢の人で賑わっている。店員の声も元気だ。静岡の人もこんなに昼飲みをするのかな。空いていた入口のところの小さなカウンターに陣取る。この後も入店があってカウンターも埋まり、15時すぎにして早くも満員御礼となった。

日中暑かったぶん、生ビールのジョッキが気持ちいい。まずはこれで一息つく。

おすすめということでカツオの刺身、沼津産アジのなめろうをいただく。こちらのほうに来るとこうした魚が美味いイメージがあるが、結構なものだった。

メニューに桜えびと生しらすがあるが、これは春もののイメージである。果たしていずれも「生」はやっていないそうだが、代わりにメニューにあったのが生しらすの塩辛。これは初めての味だったが、こういう保存方法、食べ方があるのかと感心した。ビールもそうだったが、ご飯も進みそうだ。静岡駅でも売っているかなと帰り際に探してみたが残念ながら見つからず。

焼き物は黒はんぺん。そしてここで静岡名物の緑茶割りにスイッチする。緑茶割りは「しぞーか割り」とも呼ばれるが、この店では店名にあるように「茶っきり」と呼んでいる。注文すると店員が大きな声で「茶っきり!」と通し、そしてすぐに出てくる。他の店で緑茶割りを「茶っきり」と呼んでいるかどうかは知らないが、「ちゃっきりぶし」という民謡もあることだし、そこからいただいた呼び名かな。

この緑茶割り、茶っきり、飲みやすくてついつい普通の緑茶を飲んでいるような感覚になる。

そして仕上げにおでんの盛り合わせ。他にも気になるメニューはあったが一人ではこの辺りが限界。グルメサイトでは料理の味についてはさまざま意見が挙がっているようだが、一通りのものを無難に、かつ地元店(全国チェーン居酒屋ではないという意味で)でいただけるとして、予備知識なしで入れてよかったと思う。次に静岡に来た時にものぞいてみたい。

店を出て静岡駅で土産物を物色したところで時刻は17時前。まだ日は高いが十分満足したところで大阪に向けて戻ることにする。帰りは17時02分発の浜松行きから再び乗り継ぎとなる・・・。

   
   
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駿府城跡

2019年08月10日 | 旅行記D・東海北陸

青春18きっぷでの列車乗り継ぎで到着した静岡。これから夕方まで滞在とする。

どこかに出かけようかと地図を見る。そういえば街の中心にある駿府城に行ったことがないなということで、駅から徒歩15分ほどということでまずは歩いて向かう。堀と櫓が見えてきた。

そこで出迎えたのは以外にもこの二人の像。十返舎一九の『東海道中膝栗毛』の弥次さん喜多さんである。道中では江戸っ子を気取ってはいるが、実は二人とも駿府(府中)の出身で、いろいろトラブルがあって江戸に「駆け落ち」したということが、作品の冒頭に書かれている。十返舎一九も駿府の出身であり、刊行200年を記念してこの像が建てられたそうだ。弥次さん喜多さんの像は京都・三条大橋で見たことがあるが、駿府にもあったとは。府中という故郷に帰ってきたためか、あるいは、ここまでの道中でごまの灰(泥棒)に遭って旅費に苦労したがここで融通してもらうことができてホッとしたためか、表情が弾けている。

東御門から入る。東御門、巽櫓は平成になって復元されたものである。巽櫓が公開されているので中に入る。まず出迎えるのはかなりお年を召した様子の家康像。

駿府は駿河の国府ということで、かつては今川氏の領国だった。今年2019年は今川義元の生誕500年に当たるとして幟も出ている。この地には今川館という居城があり、徳川家康も少年時代に今川氏の人質として駿府で生活したが、現在のような城郭となったのは家康が駿河を領国としてからのことである。

家康はその後関東に国替えとなるが、江戸幕府を開き、将軍職を秀忠に譲った後で駿府に戻り、「大御所政治」の拠点として駿府城を拡張する。先ほどの家康像も、大御所となって駿府に移った後のイメージで作成したのかな。また近くを流れる安倍川はかつては今の市街地にも流れていたそうだが、駿府城の拡張とともに現在の静岡の町にもつながる駿府の町造りをするにあたり、大規模な治水工事も行った。これらの城郭は町造りには大御所の威光で全国の大名家に普請を命じ、安倍川の治水は薩摩の島津家が請け負ったことから「薩摩土手」と呼ばれる堤防が今も残る。

しかし築城からわずか30年足らずで火災に遭い、天守閣を初めとした城の大半が焼失してしまう。ただ泰平の世を迎えようとしていたためか、その後天守閣が再建されることもなく、また当時の史料も少ないためにそもそもどのような姿だったのかよくわかっていない。規模としては安土城や大坂城に並ぶものではないかとされているようだが。

天守閣がない駿府の町並みを描いた屏風がある。大名行列の様子だが、大名行列でよくある「下に~、下に」で民衆が土下座をするというシーン、駿府では大御所のお膝元ということでそうしたこともなかったそうである。

さらに奥では今川氏に関するパネル展示が行われている。今川義元というと桶狭間の戦いで織田信長の奇襲にて討ち取られたこともあり、よく「公家のマネをした軟弱な大名」というイメージを持たれる。私も、「信長の野望」で出てくる今川義元、息子の氏真というのが白塗りのキャラクターで、BGMも公家風のものなのでそうしたイメージを持っている。そのような人が多い中で静岡市としては「軟弱」イメージを少しでも払しょくしようと、生誕500年に合わせて今川義元の功績を紹介したり、ゆるキャラを作ったりあれこれPRしている。

その一角では、家康が今川氏の人質時代に臨在寺で学んだ「竹千代学びの間」が再現されている。

巽櫓から外に出る。今は公園として町の人の憩いの場となっている。ただこの暑さ、木陰のベンチで昼寝している人もいるが大丈夫かと思う。

城の中心に建つ家康像。先ほど巽櫓で見た像よりも恰幅がよく、表情も締まっている。こちらは最初に駿河を領国とした当時の姿かな。

その家康像の後ろにはフェンスが並び、ブルーシートが広がるのが見える。ここが駿府城の天守台跡で、現在2020年度までの5年がかりで発掘調査が行われている。天守閣が焼失してからは天守台だけが残されていたが、明治時代に廃城となった際に天守台も取り壊され、その時に出た土砂で堀を埋めてしまったのだという。何もそこまでしなくてもと思うが、やはり明治政府、徳川憎しという感情でもあったのかな。

発掘の過程で、家康の最初の時代、大御所となってからの普請の時代と、城が拡張された様子も少しずつわかってきているようだ。駿府城の天守閣が安土城や大坂城に並ぶほどではなかったのかともされるのも、この調査の結果である。静岡市としては今後天守台跡をどのように整備するか検討するようだ。城に隣接して歴史博物館の開館も予定しており、町の新たなPRにしたいようだ。

先ほど巽櫓で係の人に教えてもらい、隣接する高い建物に向かう。静岡県庁の別館で、この21階を土日も展望スポットとして無料で開放しているという。通用口からエレベーターに乗って21階へ。

ここはなかなかのスポット。市街地の向こうに駿河湾を見ることができるし、久能山、日本平も望む。

冬の澄んだ空気ならこの向こうに富士山を見ることもできるそうだ。静岡というのはこういう地形にあるのだなというのを目で感じることができたのは新鮮だった。

まずは静岡のシンボルを見たということで、この先もう少しだけ歩いてみることにする・・・。

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青春18東海道を行く(静岡県各駅停車)

2019年08月07日 | 旅行記D・東海北陸

豊橋発10時43分の浜松行きに乗る。この先の区間は純粋な「各駅停車の旅」となる。青春18きっぷの利用者にとっては修行の場とも言える。

その中でクロスシートに座れたのはラッキー。またしばらくは新幹線の線路がすぐ横を走る。あっという間に抜き去り、またあっという間にすれ違う。走行する新幹線の車両をカメラに収めようとするが難しい。

静岡県に入り、新居関、浜名湖という景色のよいところを走る。浜名湖に面したホテルも並び、リゾート気分で一度こうしたところにも泊まってみたいものである。

地元客が駅ごとに乗ってきて車内も満員となったところで、11時17分に浜松到着。ここからは隣のホームに移る。次は11時28分の静岡行きに乗るが、10分あれば階段下の売店で買い物くらいはできる。

そして静岡行きに乗るが・・あれ、左手にあるのは何かな?

静岡に来たらということで、以前出会ったサッポロの「ふじのくに限定 静岡麦酒」である。本来ならシートに座って・・と行きたいが、ご案内の通りこの先は通勤型のロングシート車両である。発車前にいただいてしまう。

多くはロングシート車3両で運行のところ、この列車に限っては6両編成である。まさか大阪から乗り継いで来た客のことを考慮したわけでもなく、車両運用の関係だと思うが、6両あれば乗客もゆったり座ることができる。

浜松を出るとまずは天竜川を渡る。また浜松近郊を走る中で、新幹線の線路と時に並走したり、少し離れてみたりする。新幹線というのが東海道線の線路を増やした複々線として建設された歴史を持つことを強く感じられる区間である。

ただ掛川を過ぎると新幹線は離れ、金谷に向かう牧之原の峠越えとなる。こうした区間は新幹線は直線に走っていく。

大井川を渡る。今や砂利ばかりが目立つが川幅は広く、越すに越されぬ大井川の姿は今も残る。大井川といえば大井川鐵道で、この日東海道線に揺られる中で、静岡に行かず大井川鐵道に乗るのも面白いかなと時刻表を広げた。千頭まで往復は可能で、この日のダイヤだと千頭からのSL列車に乗ることもできるとある。ただ、スマホで確認するとそのSL列車は満席とあった。まあ、子どもの夏休み中の土曜日で、増発期間でもないからそうなるだろうな。結局金谷はそのまま通過して、大井川を渡る。

金谷の次の島田で下車する人も目立つ。島田に用事があるというよりは、この先の乗り継ぎのためである。今乗っている静岡行きが島田を発車した11分後の12時24分発に、島田始発の熱海行きというのがある。仮に今の列車の終点の静岡まで乗ったとしても、熱海まで(正確には興津から先まで)乗るのなら、その島田発熱海行きの列車に乗ることになる。つまり、始発の島田からなら熱海まで座れる確率が高いわけだ。静岡を挟んで、東行きなら島田、西行きなら興津で同じことがある(興津始発の浜松行き)。青春18きっぷで東海道線、特に修行区間とされる静岡県をいかに乗り切るかのテクニックとしてかつては知る人ぞ知る乗り継ぎだったようだが、現在はスマホの乗り継ぎ検索でも普通に島田、興津乗り継ぎが表示されるから、それはそれでロングシートの争奪戦になるのだろう。

そんなことを思ううち、いつの間にか焼津からの日本坂越えを経て、静岡市内に入る。最後は安倍川を渡り、12時41分、静岡に到着。浜松から1時間あまりのロングシート移動だったが、車窓も新幹線の線路や沿線の工場、田畑など見るもの多く、まあ空いていたこともあったので修行とまでは思わなかった。個人的には、青春18きっぷの客が不平を言うのは、ロングシート、クロスシートがどうというより、編成の長短ではないかとも感じている。編成が長ければ、座れずに立つことになっても客が分散されて少しは隣との空間ができるのでまだマシではないだろうか。

静岡ではホーム上に昔ながらの駅そばのスタンドがある。昼食は軽く、駅そばをいただこう。出汁が完全に東日本の濃口になったが、個人的には好きである。

さてここで初めて改札口を出る。さくらももこさんのイラストと竹千代像の出迎えを受けて、午後は静岡の町歩きである・・・。

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