まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

がんばれ、高校生

2009年09月30日 | ブログ

今日で9月も終わり、事業年度といえばちょうど折り返し点となった。幸いにして私の勤務先は何とか業績を確保することができたが、下半期から来年に向けてはどのような環境になるか、まったく不透明なところである。営業担当が飛び込みで回って、一見の仕事にありつけるという性格の仕事ではないだけに・・・。

私の勤務先では支店としての取り組みとして、技能の継承と従業員の年齢層の均衡化を目的として、昨年から高卒ルーキーたちの採用(若干名ですが)を行っている。従来は他社での経験者も含めて「即戦力」ということで技能系は中途採用者がほとんどだったのだが、どこぞの球団ではないが少しずつ「育成」に方針転換をしていこうというものである。現に、今年の4月に入社した高卒ルーキーたちも半年たって結構たくましさを増しており、将来的に楽しみな存在になっている。

・・・ということでこの夏も職安に求人票を提出し、数名の応募を得た。それを元に先日採用選考試験を行った。私も面接官として参加し、「こいつなら採用したら根性出してがんばってくれそうやな」という感想を持った受験者の存在にも感心したものだ。

ところが面接と同時に実施したSPI適性検査を見て、私の顔も結構渋くなった。一応合格の目安を定めていたのだが、昨年の受験者とも比べて一定の基準に達した受験者がほとんどいなかったのである。総合的に見て辛うじて1人だけが「内定」かな、ということで結論を出し、ようやく内定通知を発送する段取りを取ることができた。

結局、もう一人くらいは採用をということで、後日日を改めて第2回の採用選考を行う運びとなったのだが、逆にこれからこちらが「営業」に出なければならないのかなと思う。ニュースでは来年春の高卒ルーキーたちの有効求人倍率が0.5とか0.6とか、厳しい数字を伝えていはいるが、いわゆる私のいる業界は「3K」と呼ばれているところ。就職状況が厳しいといっても高校生にも職業選択の自由はあるのだから、これから応募者を募るのが結構難しいかなと思う。言葉は悪いが、優秀な学生は第一志望の企業に内定してしまっていることが多く、これからとなればプロ野球のドラフトの下位指名のような趣を呈し、ウェーバー制と同じく「早いもの勝ち」となってしまう恐れがあるから。

でもまあ、ドラフトでも下位で入団した選手が数年して大きく成長することもあり、要は面接等で当人の素質をいかに見抜くかということである。

ということで、私としては気概のある高校生の応募を待っているし、どんな原石と出会えるかを楽しみにしている。まだ10月、進路を決めるチャンスはこれからまだまだあると思う。現在就職が決まらず悩んでいる高校生たちにはぜひともあきらめずに、がんばってほしいものだ。

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石川の底力~BCリーグチャンピオンシップ目指して

2009年09月29日 | プロ野球(独立リーグほか)

オリックス・バファローズは見事に最下位決定という体たらく。そして次期監督というのが岡田彰布氏に決定という。

山田ではなくて岡田か・・・。かつてドラフト会議で「"星"と"島"を書き間違えたんじゃねーの?」と言った方がいらっしゃいましたが、やはりパ・リーグ派としては元阪神の人気選手が監督というのはちょいと違和感がある。先日お亡くなりになった土井正三さん以上かな。ましてや、次期の阪神監督の目がしばらくなさそうというからという動機で、それまでの「腰かけ」でオリックスの監督を引き受けるとは、頼むほうも頼むほうだし、受けるほうも受けるほうである。球団の考えもどうだかなあ・・・。阪急・近鉄OBを活用しようという考えはないのか・・・?

よしわかった。岡田監督ならば、球場を訪れてしょーもない試合をやるようなら、誰はばかることなく監督へ野次を飛ばしたり、監督の辞任を訴える横断幕をかかげるなどの行為は個人的にやってもいいのではないかと思っている。そこはプラスに考えましょう。

さて、そんな中でプロ野球独立リーグ・BCリーグの話題から。

北陸、上信越各地区の地区チャンピオンシップが行われた。BCリーグの優勝決定方式はなかなか複雑で、改めて整理すると・・・

○6球団が北陸、上信越の2地区に分かれるが、両地区交えた総当り式の公式戦を「前後期制」で戦う。

○前後期の優勝チームによる地区チャンピオンシップ(3回戦)を行う。ただし、前後期とも優勝チームが同じの場合は、年間通算勝率で2位のチームが対戦相手となる。この場合、優勝チームが1つ勝てば地区チャンピオンに決定(2位のチームは3連勝しなければならない)。

○北陸、上信越両地区の地区チャンピオンによるBCリーグチャンピオンシップ(5回戦)を行う。先に3つ勝ったほうがリーグチャンピオン。

○リーグチャンピオンは、四国・九州アイランドリーグのチャンピオンチームとの「グランドチャンピオンシップ」に臨む。5回戦で3つ勝ったほうが独立リーグ日本一。

・・・とまあ、こういう図式。現在考えうるいろんな対戦方式が網羅されているといっていいだろう。

今シーズンは、北陸地区が石川ミリオンスターズ、上信越地区が群馬ダイヤモンドペガサスが前後期とも地区優勝を果たし、それぞれ年間2位の富山サンダーバーズ、新潟アルビレックスBCとの地区チャンピオンシップという組み合わせとなった。上信越では群馬が新潟に1勝して地区制覇となったが、北陸は石川と富山の混戦となった。

とにかくこの両チーム、BCリーグ発足時からライバル関係で、実力もほぼ拮抗している。石川が前後期とも地区優勝と書いたが、前期は同率(直接対決の勝敗差で石川優勝)、後期も最後まで接戦を演じていた。

そして迎えた地区チャンピオンシップ、3連勝しなければ地区制覇がない富山が2連勝と「逆王手」。続く第3戦も9回までリードを奪い、逆転での地区制覇もそこまで見えてきたところ。

ところがHP上でスコアボードを見ると、9回裏の石川の攻撃で「3点×」の数字が入っており、逆転サヨナラで勝利をつかみ、1勝2敗ながらアドバンテージで石川が地区制覇ということになったようだ。

早速、石川球団の広報紙(?)である北國新聞のHPをのぞいてみると、9回裏に代打・平泉が逆転サヨナラ2ランを放ったとあった。

代打・平泉・・・。

Dscn29738月末に金沢の市民球場に石川対富山の公式戦を観にいったのだが、9回2アウトまで1対0とリードしていた富山、完封目前の萩原投手から代打で逆転サヨナラ2ランを放ったのが、この平泉である。それがこの大事な試合で代打で登場し、同じ萩原から逆転サヨナラ2ラン・・・・。これは絶対「何かを持っている」選手だなと思う。その場をライブで観たわけではないが、その場に居合わせていたら本当に鳥肌が立ったことだろう(写真は。8月観戦時のもの)。

本当に「石川の底力」を実感するところである。

Dscn2885これで、今週末と来週末に行われるBCリーグチャンピオンシップは、群馬対石川の組み合わせとなった。ちょうど来週の連休には金沢での試合が予定されている。これはぜひ観戦してみたいものだ。群馬からはあの「風天馬」の応援団がやってくるのだろうが、ここは石川のほうにちょいと肩入れしてみようかな?

ちょうど「鉄道の日記念乗り放題きっぷ」も発売される頃なので鈍行乗り継ぎでもいいし、高速道路ETC割引を利用するのもいいだろう。ぜひとも地域盛り上がりのイベントに身を置いてみたいものである・・・・。

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衛生管理者試験受験

2009年09月28日 | ブログ

久しぶりに日常生活のことについて。

本日28日は、「第一種衛生管理者」の試験当日。全国で受験会場は限定されており、関西地区は兵庫県は加古川市神野町にある近畿安全衛生技術センターに向かう。

200909281451000このセンター、列車で行くならばJR加古川線で加古川から2つ目の神野駅下車で、徒歩15分ほど。昼間の列車は同じような受験者が結構乗車しており、神野駅に到着するとぞろぞろと改札口に向かう。同資格の試験は大体月に3回くらいやっているし、他の資格の試験会場にもなっているので、神野駅にとってはこのセンター行きの乗客は結構「上得意」ということになるのだろう。でもまあ、受験者からすれば同じ試験のためにそう何度もこの駅に降り立つようではいけないのだが・・・。

かくいう私は4月の受験に続いて2回目の受験ということになる、加古川線に乗ったというだけで驚くのではなく、きちんと受け止めないとね・・・。

200909281450000駅前に乳牛を飼う牛舎を見て、駅から歩くこと約15分でセンター着。そしてこの後は100人あまりの受験者とともに試験に臨む。果たしてその出来具合は・・・・?

200909281456000試験を終え、再び加古川線の客となって加古川へ。この次はJRで明石に向かう。時間帯もちょうどよいということで、駅前の「道場」で明石のタコなどをサカナに少し早い夕食をいただく・・・(明石焼きは食べませんでしたが)。

明石からは運賃の安い山陽電車に乗車し、ふと思い立って舞子公園で途中下車。駅前の歩道橋を抜け、明石海峡大橋を見上げるプロムナードへ。いつものデジカメを持ってきていないので写真はなしだが、しばし橋を見上げるムードに酔いしれる。カップルで来ているのは風景としてよしとして、気になるのは、フェンスに一人もたれかかるように腰掛け、誰かを待つ風でもなく、景色を眺めるでもなくたたずんでいる様子の女性。

何か思いふけるところがあるのだろうか。

こういう感じで「海峡の海」と対峙する風景というのもなかなかないもので、暗くなった水面を見つめつつもの思いにふける。その一方で、近々明石を拠点として、淡路島も含めてあちこち精力的に散策してみたいものだと思う。

夜の海風を楽しんだ後に帰宅することにする・・・。

200909281823000さて、明石といえば「そういえば、こんなんがあったな・・・」ということで、山陽電鉄の改札口にこのような幟を発見。発足1年目、リーグ運営のあまりのドタバタにもう観戦する気もなく、「とっとと解散しろ」とすら思うこともあるのだが、こと明石レッドソルジャーズに関しては、「独立リーグの存在意義」を全うするようにがんばっているように思う。どうせなら関西独立リーグなどやめてしまって、瀬戸内を挟んだ四国・九州アイランドリーグの1球団としてやればいいと思うのだがね。

それはさておき、山陽電車から眺める明石海峡大橋も立派な眺めである。よし、秋の一日の車窓、この山陽電車をターゲットにして出かけることにしようか・・・・?

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日高線へ

2009年09月27日 | 旅行記A・北海道

Dscn378621日。北海道旅行の最終日である。朝の地元局の番組では、この朝はこの秋でもっとも冷え込んだそうで、北海道の上川地方では氷点下を記録したところもあったと伝えられていた。関西ではまだ真夏日になっていることを思えば、日本の気候の多様性がうかがえる(写真は、ホテルの部屋の窓からの眺め)。

Dscn3799さて、これから日高線を目指すべく、朝は東室蘭からの始発列車となる6時26分発の苫小牧行きに乗車。乗車券は様似まで新たに買いなおした。うーん、最初からこうなるとわかっていれば、「周遊きっぷ」を作ったほうが安かったかな・・・?3両の気動車であるが、ワンマン列車のため無人駅での乗り降りは先頭車両のみ。休日の朝のこととでさほど混んでおらず、ボックス席でゆったりと進む。

前日は白老まで来たが、そこから苫小牧までは初乗車区間となる。白老からは28キロあまり、日本でもっとも長い「直線区間」を走ることになるが、ポツポツと住宅地があるかと思えば牧草地も広がるという、北海道らしい茫洋とした景色が広がる。

Dscn3802それが一転して王子製紙の巨大な工場が現れると、苫小牧に到着。北海道一といってもいい工業都市である。日高線の列車まで30分ほど時間があるが、改札口は出ずにそのまま日高線ホームに向かう。日高線のような人気ローカル線となると、ボックス席の窓側に陣取ろうというものなら最低でも20分前には並んでおく必要がある。このところ、ローカル線のほうが席取りに神経を使うことが多い。

Dscn3805やってきたのは、日高線オリジナル塗装の2両編成の気動車。しかし苫小牧で1両を切り離し、結局様似に向かうのは1両だけ。

Dscn3806早速、観光客やその筋の客たちで座席は満席になる。私も30分前に並んだ甲斐があって、進行右側の窓際の席を確保できた。

Dscn38138時03分に出発。しばらくは室蘭線と並走し、いつしか単線となる。茫洋とした原野の中に放り出された感じだ。隣の勇払まで営業キロで13キロあまり、時間にして12分の走り。原野があるかと思えばその向こうに大規模なプラントが見えるという、どこか日本離れした風景である。

Dscn3816勇払から次の浜厚真までも10キロほどある。こちらも原野の向こうに火力発電所、そして新日本海フェリーの船体を見る。敦賀・舞鶴から苫小牧を結ぶルートがあり、北海道へ渡るにあたって一時検討したルートであるが、苫小牧ではこういうところに降ろされるのかと思う。ちょっと、北の大地の玄関としては殺風景な感じがするかな。

Dscn3818「ししゃも打線」と名づけられた鵡川高校のある鵡川でしばらく停車。私と同じようにカメラを持ってホームに降りる人もいる。それにしても最近は画素数の多い携帯電話も出ており、こういった撮影でも携帯電話が活躍している。こういうのが「モブログ」でリアルタイムな旅の風景を発信することができるということで、ある意味うらやましい。

Dscn3829鵡川を過ぎるとここからより日高らしい車窓が広がる。競走馬を飼育する牧場も見えるようになった。その一方で太平洋も広がる。前日とは異なり薄く雲が広がってはいるが、すぐ波打ち際を走るところもあり、窓の外の豪快な景色にうなりっぱなしである。

Dscn3838 Dscn3859

Dscn3867右手に海が見えるかと思えば、反対側には牧草地が広がり、馬の食事風景を見ることもある。

Dscn3880私を含め、他の乗客も右に左に首を動かしたり、カメラを構えたりと結構忙しい。風光明媚なローカル線として人気が高いのにはうなづける。

Dscn3854静内に到着。ここで17分ほど停車する。日高地方の中心部ということで下車する人も多く、また本格的な一息ということでほとんどの人が席を立つ。苫小牧から様似まで3時間あまりの道のりにあって、1時間半、ほぼ中間地点ということもある。

太平洋と競走馬を眺めていると、「日高昆布と馬肉で一杯やりたいな」という気持ちになっていた。静内駅の中には観光案内を兼ねた土産物コーナーもあり、馬をモチーフにしたグッズやら、土産物の菓子などが並ぶ。その中で日高昆布(だしをとるための本格的なものと、おしゃぶり昆布を買い求める)と一杯の「燃料」は手にすることができたが、馬肉のほうはさすがに置いていなかった。このあたりでは馬は競走馬としてあるのであり、食べるためのものではないということだろうか。

Dscn3879静内からも太平洋と牧草地が作り出す車窓が続き、乗っていて飽きない。なかなかしょっちゅうは訪れることのできない北海道に来た機会を利用して日高線を楽しむことができるのはよいのだが、これだけの線区なら、「乗りつぶし最後の路線」として、様似で「JR全線完乗」を飾るというのがイベント的にはよかったかな、とも思う。まあ、そういうのもタイミングというのか、路線との縁というのかな・・・。

駅の両側が牧場という荻伏を過ぎ、浦河に到着。日高「支庁」のある町で、今でもたまに聴くNHKラジオの「気象通報」で、風力、気圧、気温が紹介されるところである。この気象通報、北海道やその向こうの大陸の気象も伝えてくれるのだが、冬場に聴くのが面白い。東京や大阪といった環境の中で、「氷点下何度」の世界への想像を掻き立ててくれるものがある。

Dscn3892浦河を過ぎると、海岸で昆布を干す光景に出会う。線路端にシートや網が広げられ、その上に昆布の波が広がっている。こういう車窓を見ながらおしゃぶり昆布を味わうのもまた独特の味わい。

Dscn3901そろそろ線路が行き詰るような感じがして、11時19分、様似到着。座席定員の半分くらいが様似まで乗車してきた感じだ。ガランとした駅前広場はしばし記念写真コーナーと化す。

Dscn3904駅前には日通の営業所にバス乗り場。襟裳岬に向かうバスを待つ人が結構多い。私は折り返し組となる。ちょうど昼食時ということで何かないかと思い、駅前をぶらつく。コープがあったので(組合員ではないが)入り、食料を確保。これで帰路の3時間も安泰だ。

Dscn3954様似を後にし、帰りは車窓の巻き戻しを楽しんで15時19分、苫小牧着。当初のきっぷのルートではここから新千歳空港を目指すのだが、待ち時間が長いこともあるし、混雑が予想される空港に早く着いておきたいので、ここで列車の旅を終え、直行の連絡バスで空港に向かう。果たして手荷物検査場、保安検査場は混雑していたが、軽く早めの夕食を取るくらいの時間は取ることはでき、北の大地に別れを告げることになった。

Dscn397317時30分に出航した全日空の関空行き、19時35分には関空の滑走路に降り立った。往路、函館まで一日仕事で移動したことを思えば、あっとういう間の関西帰還ということになった。

さて、これでJRの乗りつぶしは、函館本線の深川~旭川間30.2kmを残すのみとなった。うーん、この区間ということであれば、最後は「最北の都市」で締めくくるということになるかな。酷寒の時期に行くのも面白いかもしれない。何とか九州新幹線の開通までには、一度「完乗」状態にしておきたいものである。これからの鉄道旅行が楽しみである・・・・。(終わり)

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室蘭地球岬

2009年09月26日 | 旅行記A・北海道

巨人V9時代の名二塁手、土井正三さんが亡くなったという。ONより若い67歳。

私の世代くらいになると、一時オリックス・ブルーウェーブの監督を務めており、あのイチローの振り子打法を「使い物にならない」としてレギュラーで使わなかったという「眼力のなさ」や、オリックスの選手に向かってことあるごとに「巨人軍では・・・」と言っていたりという「迷監督」ぶりが知られていたところ。しかしまあ、一時の名プレーヤーとして球史に名を残す選手だったことには違いなく、死去を伝える記事では迷監督ぶりは置いておいて名選手だった伝え方だったのは救いである(それにしても、扱いが大きかったのはV9戦士だからだっただろうな。名球会にも入ったパ・リーグの名内野手が亡くなった時はそこまでではなかったし・・)。

ともかくも、ご冥福をお祈りいたします。

・・・・さて、室蘭線旅行記の続き。

Dscn3736白老でアイヌ民族関連の見学を行った後、東室蘭に戻り、15時43分発の室蘭行きで、枝線区間の乗りつぶしに向かう。いや枝線といったのは失礼で、元々は石狩の石炭を天然の良港である室蘭から積み出すために敷かれた路線なのだから、本来の終着駅に向かっているというところだ。

新日鐵の構内のようなところを走る。かつては大量の貨物列車が行き来していたであろう側線が広がり、巨大なプラントもあれば、車窓の反対側には「新日鐵球場」という本格的な球場もある。先ほどみた市営球場よりごついつくりだ。

こうやって港に向かう感じ、九州は筑豊線の折尾から若松に向かうのと何だかよく似ている雰囲気のように思う。

Dscn373815時56分、1面ホームの室蘭駅に到着。室蘭という街の玄関駅にしては小ぢんまりとした感じだ。到着した列車の反対ホームには「コンサドーレ号」というマークをかかげた特急車両が停車していた。何でもこの日、室蘭でコンサドーレ札幌対アビスパ福岡の試合が行われていたようで、試合終了後の観客輸送の臨時列車だという。駅の周りにはチームカラーの赤いユニフォームをまとったサポーターたちが結構いた。

Dscn3755ここからバスで向かうのは、地球岬。名前を聞いただけでは大変スケールの大きいスポットで、地球の大きさを実感できるところのように見える。もっとも、もともとはアイヌ語で「断崖」を意味する「チケプ」だったのが、「チキウ」となり、「チキュウ=地球」の字をあてるようになったという。それにしても、面白いところに転訛していったものである。

15分ほどで地球岬団地バス停に到着。地球岬にはここからさらに15分ほど坂道を登ることになる。結構いい運動だ。途中から駐車場に入る車の渋滞が見られる。連休中とはいえ人気のスポットなのだろうか。

その答えは、岬に到着して階段を上がるとすぐにわかった。

Dscn3751手前には灯台、遠くには噴火湾をはさんで渡島半島を見ることができる。この日の朝からずっと眺めてきた駒ケ岳のシルエットがくっきりと見える。

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Dscn3758展望台には「幸せの鐘」があり、これを一緒につくカップルたちが多い。そりゃ、これだけの眺めを見ながら鐘を鳴らすなんて、グッとムードが高まりまっせ。

Dscn3775そろそろ夕日も近づいてきたところで地球岬を後にする。再びバスに乗り、今度は途中通ってきた母恋駅前で下車。ここから東室蘭に戻る列車をつかまえる。こちらの駅舎もなかなかレトロな感じだ。

今日の行程はここまで。東室蘭駅前のルートインホテルにチェックインした後、歩いて10分ほどで繁華街の中島町に向かう。室蘭の名物といわれてもピンと来ないのだが、フロントに尋ねたところ「室蘭やきとり」というのが地場料理でブームになっているとのこと。やきとりといっても鶏肉に長ネギではなく、豚肉、玉ネギ、洋からしというのが室蘭のスタイルとか。

ただ、時間帯が悪かったせいか、教えられた老舗には店の外まで長蛇の列。食事をするのに行列をするのが嫌いな私、もうこれであきらめる。このほかにもやきとりの幟を出している店を回ってみるがどこも満席。ならばと魚料理に狙いを変えるがこれも満席。まあ、繁華街の範囲は限られているし、連休中であれば仕方ないかな。全国チェーンの居酒屋は空いているようだったが室蘭にまで来て入ることもないだろう。仕方なくこの日はホテルでゆっくりすることにして(大浴場もあるし)、コンビニで食材を買い求めて帰参する。今にして思えば長崎屋の食品コーナーにでも行けば地元ならではの食材があったかもしれず、それもよかったかなと思うのだが・・・。

ホテルの一室で翌日(最終日)の行程を検討。事前のプランでは最終日に行こうとしていた白老ポロトコタンも地球岬も前倒しで2日目に行くことができた。夕方までに新千歳空港に着けばいいのだから時間はある。登別の温泉にでも行ってみようか。

ところが、「もう少し足を延ばしてもいいな」と思い、それならば未乗車区間の日高線に入ることはできないかと時刻表を見てみると、これが終点の様似まで往復することができるのである。うーん、予定外のことであり、「JR完乗達成は様似で」という思いで最後まで取っておきたい気持ちもあったが、この際だから別払いで行ってみようか。

ということで、この次はエキシビションでの日高線乗車ということになる・・・・。(続く)

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アイヌ民族との関わり~白老ポロトコタン

2009年09月24日 | 旅行記A・北海道

・・・まだ20日の旅行記が続きますが、しばらくのお付き合いのほどを。

Dscn3667東室蘭の駅前をしばらくぶらついた後、11時56分発の苫小牧行きに乗車。ここから電化区間となり、乗り込むのは北海道独特の赤い塗装の電車である。広々としたボックス席に陣取る。客室内の入口に「冷房車」という札が出ているのは北海道ならではだろう。東京や大阪の近郊の車両であれば夏は冷房がかかるのは当たり前、弱めの車両に「弱冷車」という但し書きを入れるのだから、ところ変われば考えが変わるものだ。

ここからは太平洋の外海に沿って快調な走りを見せる。広大な敷地を利用した郊外型の大型店舗も時折見られるが、漁村や工場なども見ることができる。

Dscn3800温泉で有名な登別に到着。ここからバスで20分ほどで全国的に有名な登別温泉に行くことができるが、今日はこのまま乗車する。特急ならいざ知らず、鈍行列車が到着しても乗り降りするのは地元客とおぼしき人ばかり。

北吉原から萩野にかけては日本製紙の大きな工場を見る。萩野、そういえばかつてJRコンテナの業務に就いていた時、コンテナ取り扱い駅の一覧に北海道の小駅の名前が出ていたような記憶があったが、やはり製紙工場につきものの専用線があったそうだ。どうやら昨年春限りで貨物の取り扱いはやめたそうで、引込み線には雑草が生い茂っている。

そういえばもう一つ、ここの日本製紙の工場はかつての「大昭和製紙北海道」で、都市対抗野球でも同社の野球部(現在は休部し、市民チーム”ウィードしらおい”として活動中)が「白老町代表」でよく出場していたのを覚えている(何せ、実家が毎日新聞購読だったもので、夏になれば同大会の様子が連日2ページ使って報道されていたのを読んでおり)。それらのことで、白老というのは結構な工業の町なのかなというイメージを持っている。

Dscn3671ただ今回下車したのは、白老駅に近いところに、アイヌ民族に関する展示を行っている「白老ポロトコタン」というスポットがあることから。今回の旅の中で数少ない観光地めぐりで、当初のプランでは明日の最終日に訪れる予定のところが、午前中の予定が前倒しになったことからこのタイミングで行ってみようというものである。

駅は思ったよりも大きく、駅員もいれば観光案内を兼ねた土産物コーナーもある。私がパンフレットを探していると、そこの係の人からどこに行くのかと尋ねられる。白老ポロトコタンだと答えると、わざわざ駅の外に出て、駅横の歩道橋を渡っていく道筋を教えてくれた。また、「こういうのをやっていますからぜひのぞいてください」と渡されたチラシ。「しらおいチェプ祭」というのだそうだ。チェプとは、アイヌ語で「魚」を意味するとか。

Dscn367410分ほど歩くと公園にさしかかる。すると遠くから何やら歓声が起こっている。そちらまで歩くと、大きなビニールプールがしつらえられ、子どもたちがプールに足をつけて何やら動き回っている。何でも「サケとニジマスのつかみどり」という、祭りのイベントの一つとか。サケなんぞつかみ取りにしてもいいのか、いやつかみ取りできる魚なのかと一瞬思うが、こちらではいいんでしょう。結構大物をつかむ子もいれば、魚のすばしっこさに翻弄される子もおり、見ていて面白い。

ステージではカラオケ大会が行われていたり、飲食物のテントも多くでており、要は地元の人たちの秋祭りである。チラシには第21回とあったから、結構定着してイベントなのだろう。

Dscn3675さて、昼食は済ませたはずだがテントをのぞいてみると、サケの切り身を太い串に指し、炭火で豪快にあぶっているコーナーがある。チマチェプ(焼き魚)という料理で、10cm×20cm×5cmほどの分厚い切り身が一切れ100円という安さ。せっかくなので一切れ購入し、旬の風味を堪能する。思わずビールがほしくなるところだが、ここはぐっとこらえることに・・・。

Dscn3677思わぬ寄り道を楽しみ、目的地のポロトコタンへ。ポロトコタンももちろんアイヌ語で、ポロ→大きい、ト→湖、コタン→ラーメン屋・・・ではなく町村(こう書くと北海道出身の元官房長官みたいやな)という意味。村にはポロト湖が面しており、園内にはアイヌ語で家を意味するチセが並ぶ。ちょっとした歴史村の趣き。

Dscn3680受付をくぐるとまず現れるのが、高さ10mはあろうかという大きなコタンコロクル(村長)の像。この村の守り神みたいなものだろうか。札幌ラーメンの店に行くと、よくこういう像がカウンターに置いてあって・・・(だからラーメン屋から離れなさいって)。

Dscn3682ちょうどアイヌに関するガイダンスと古式舞踊の披露の時間ということで、チセの中に入る。中には囲炉裏がくべてあり、その煙の上にはたくさんのサケの干したものがぶら下がっている。アイヌの伝統的なつくりの住居を実際に建て、こうやって現役のものとして維持管理しているようだ。

Dscn3690まず、アイヌの衣装を身にまとった男性が、アイヌ民族の歴史や衣食住についてのガイダンスを行う。北海道を初めとして、東北北部、千島、サハリンに住んでいたアイヌ。自然との調和の中で独自の生活様式と文化を育んできた民族である。それが、江戸時代になり、松前藩が北海道に拠点を構えるようになってからは、「和人」がアイヌを半ば支配する構図となり、明治になって日本と同一化されることになる。現在ではアイヌと和人の区別がつかなくなっている一方で、ようやくアイヌの先住性を認める国会決議が行われたところである。

ガイダンスの中で私がハッとさせられたこと。部屋の脇には漆器づくりの桶のようなものがいくつか置いてあったのだが、これはアイヌと松前藩の交易の中でアイヌにもたらされたもので、「宝物」とされたものらしい。ただし「この桶一つ得るのに、クマの毛皮なら10枚、サケの燻製なら100匹で交換だったらしいです。だから、桶の数でその家の財力がうかがえたといえます」というもの。

ちょっと待って。それって、交易として「割の合うもの」かな・・・と思うのだ。失礼ながら桶のほうだって、それほど上等なものには見えないし・・・。係の人はやんわりとした言い方だったが、ほとんどタダ同然でサケにクマを召し上げ、それを本州に流すことで利益を上げていたということである。そして北海道の物資はどうやって本州にもたらされたか、それは北前船ということになる。

Dscn3718物流、交易の歴史の一つとしての北前船というものに個人的に興味を持ち、昆布もそうだし、北海道から多くのものをもたらし、上方の文化伝播の役割を担ったということに歴史の面白さを感じている。鉄道の旅に出ても、北前船ゆかりの港町では資料館に入り、交通・物流についてちょいと学ぶことがある。ただその北前船の役割を語るのは常に本州側、和人側の視点であり、逆を返せばアイヌにとっては搾取の歴史だったということには思いがなかなか及ばなかった。

Dscn3695別に北前船を悪者というつもりでもないし、アイヌの肩を持つわけではない。ただ歴史の中のある出来事が、視点によっては違ったものとして受け止められることがあり、そういう見方をもっと身につけなければわからないことも多いということである。そのことに改めて思いをいたしたのは、ポロトコタンに来ての大きな収穫だったと思う。

Dscn3702・・・そんなことを、アイヌの衣装をまとった人たちによるムックリの演奏や、子守唄の披露、最後に囲炉裏を囲んで繰り広げられたイヨマンテ(クマの霊送りの踊り)を眺めながら思っていたことである・・・・。

古式舞踊の見学の後は、敷地内の民族博物館で改めてアイヌの歴史、衣食住、風習についての展示を見て回る。最後にはアイヌと和人の関わりについて書かれた書籍、リーフレットを計4冊も買い求めたため、バッグが一気に重たくなった。少しでも日本史のある側面についての理解の一助になればと思う。

Dscn3707なかなかに充実したひと時を過ごし、白老14時56分発の赤い電車で東室蘭に戻り、さらに乗り継いで室蘭に向かうことにする。持っていた「大阪市内発新千歳空港行き」の乗車券はしばらくポケットにしまい、別払いの旅となる・・・・。(続く)

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駅を眺めつつ室蘭へ

2009年09月23日 | 旅行記A・北海道

Dscn362720日の長万部駅。ニセコから小樽へ向かう「山線」の車両に向かう乗客が多い中、こちら1両の「海線」の9時05分発の東室蘭行きに乗り込む。ここからが「乗りつぶし」対象区間だが、改めて「道内時刻表」を見ると、「あること」に気づき得した気分になる。

右手には噴火湾、左手には広大な林というのか、原野のような風景が広がる。次の静狩までは10キロあまり、時間にして10分かかる。さすがに北海道の駅である。

静狩を過ぎると風景が一転して、海岸に近い山々を長いトンネルで抜けていく。さて、先ほど気づいた「あること」というのはもう間もなくやってくる。

「秘境駅」という言葉が、最近の鉄道ファンの中では浸透し、その筋の「一派」として広がりを見せつつある。そのきっかけというのは、「うっしー」こと牛山隆信さん(サラリーマンかつ秘境駅訪問家)が著した「秘境駅へ行こう!」というサイト、書籍で(最近は写真集やDVDまで出ているそうな)ある。かくいう私も文庫本を持っているし、最近では携帯サイトでコミュニティのようなこともやっていて私もユーザー登録を行っている。

61a8p1vq87lそのサイトで「秘境駅ランキング」というのをやっており、「秘境度」「雰囲気」「列車到達難易度(列車本数が少なくてたどり着くのが困難)」、「車到達難易度(周囲の道路アクセスが悪い、道路そのものがないなどでたどり着くのが困難)」の観点から評価している。その「秘境駅ランキング1位」というのが、この室蘭線で、静狩の次の小幌(こぼろ)駅だというのだ。この駅は普通列車ですら通過するのが多いのだが、今乗っている列車については「下りの始発列車」として停車する。「全国一の秘境駅」、下車することはできないにしても、駅の様子くらいは見ることができるだろう。

小幌駅は両側をトンネルで挟まれているということで、トンネルの中で「まもなく、小幌です」とのアナウンスがかかり、減速を始める。と、後ろの方から席を立つ客(いずれも「その筋」と思われる人)が2人。おっ、彼らは下車するのかな。

Dscn3640トンネルを抜け、小幌駅のホームにさしかかる。と、カメラを構える人の姿。しかも子ども2人連れた家族である。このほかにも2人の男性。「秘境駅」といえば下車する客も皆無というイメージであるが、2人下車、6人乗車とは大賑わいである。おそらく「秘境駅へ行こう!」を見たか聞いたかしたはずで、そうであればネットの力というのか、ブームの根強さというのは恐ろしいものがあるな・・・(かくいう私も、影響されている一人なのだが)。

両側をトンネルに挟まれ、護岸用の壁を乗り越えて海にはたどり着けるが、山側には車道はおろか歩道もない。およそ一般の人間が下車できる機能にはなっていないのである。「秘境駅へ行こう!」の訪問記によれば、そもそもこの駅の存在意義は、トンネルの多いこの区間の保線要員が下車するための拠点ということで、後はたまに釣り客が下車するくらいという(訪問記では、この駅の小屋に住みついていた男性との遭遇が描かれていたが・・・)ものだったが、最近ではこうした「駅を見物するための客」という新たな利用者(?)が現れるのだから世の中不思議なものである。

Dscn3639さて私・・・乗降客がいるためにわずかの時間停車するということから、下車客の後ろにくっついて、運転手に「ちょっと写真だけ撮らせて!」と声をかけて、ホームの写真を1枚。正確には下車したことにはならず駅の雰囲気を味わえたわけではないが、足跡を記すことができただけでよしとしよう。

Dscn3641乗車した人たちも別に前の晩からここにいたわけではなく、時刻表によれば東室蘭方面から早朝にやってくる列車があり、おそらくこれに乗って小幌駅に降り、1時間足らず滞在して折り返しでこの列車に乗ったものだろう。なるほど、上下列車の組み合わせで、「ご利用は計画的に」か。

Dscn3645小幌駅を過ぎた後も噴火湾の眺めが続く。天候もよく穏やかな車窓だ。「海線」というと幹線のイメージが強く、ローカル線を紹介した書籍でもそう多く取り上げられないと思うが、こうして乗ってみるとなかなか風光明媚なところである。

Dscn3648洞爺では昨年開催された「洞爺湖サミット」を記念した、参加各国の旗を掲げたモニュメントがホームに置かれていた。洞爺湖サミットでは環境問題と経済成長の両立について話し合われたわけだが、その成果はこれからどう生かされるのか。環境問題といえば鳩山新首相が「2020年までに1990年比25%の温室効果ガス削減」を国際公約に掲げて話題となっているが・・・。

伊達紋別を過ぎた北舟岡で特急列車通過待ちのために7分ほど停車。ここで一度下車する。

Dscn3657周囲には住宅地もあり、先ほどの「秘境駅へ行こう!」ではランキング外のようだったが、個人的にはこの駅のロケーションはなかなか気に入ったところ。

Dscn3654まずホームの目の前が噴火湾。下を見下ろすとのんびりと釣り糸を垂らす人の姿が見える。その向こうには駒ケ岳のシルエットが。噴火湾というのは円型をしており、線路はその弧を描くように走ってきたということがある。

Dscn3655さらに目を転じれば、後方には有珠山の姿も見える。道南を代表する2つの山を一度に目にできる駅というのもそうあるものではない。天候がよければしばしのんびりするのによいところかもしれないな。

Dscn3659続く黄金という縁起のよい名前の駅を過ぎ、室蘭の市街地にさしかかる。先ほどの風光明媚な車窓とは打って変わって、製鉄所を中心とした工業地帯にさしかかる。石狩の炭鉱で採掘された石炭を利用しての重工業で伸びてきたところだ。

10時44分、橋上駅舎が真新しい東室蘭駅に到着。新日鐵の製鉄所も近く、広大な貨物タード跡地も広がる、鉄道駅らしい光景である。パッと浮かんだキーワードは新日鐵室蘭。都市対抗野球にも何度も出場したチームであるが、時勢の流れにともない野球部は休部。現在は室蘭シャークスという市民チームが活動しているという。

Dscn3660とはいうものの、現在の室蘭といえばやはりこれでしょう・・・。

Dscn3661早めの昼食で室蘭名物というカレーラーメン(味噌仕立て)をいただく。どろりとしたカレーうどんとは違い、さらりとしたスープである。これにライスをつけて二度楽しむ、などというのも面白そうだ(今回はパスしましたが)。

Dscn3663次に乗る列車まで少し時間があるので、駅の西口から周囲をしばし散策。駅前の商店街にはこういう張り紙があった。4代続く政治一家であり、首相自身は室蘭が選挙区であっても特に室蘭出身というわけではないようだ。かつて鳩山家が経営していた農場があったということらしいが、出馬のきっかけはかつてこの地区から選出されていた議員の引退に伴うものだったとかで、要は「落下傘」。室蘭の人たちは北海道から初めて総理大臣が誕生したことに大変喜んでいたようだが、そろそろお祝いムードも切り替えて、これからこの国をどの方向に導いていくか、注目していきたいところである。

Dscn366410分ほど歩くうち、公園に出た。ここには市営の野球場があり、選手名を告げるアナウンスが聞こえたのでのぞいてみる。北海道新聞主催の軟式野球大会が行われているようで、面白そうなのでちょっとだけ観戦。思わぬ形で「球場めぐり」のコレクションが一つ増えた。ちょうど四球で出たランナーが盗塁、パスボールで三塁まで進み、犠牲フライで帰ってきた場面。プロの試合もいいが、こうした地元草野球チームの試合を秋空の下で観戦するというのも面白いものである。

気づけば次の列車の時間が近い。急いで駅に戻る。次に目指すのは苫小牧行きの列車となる・・・。(続く)

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駒ケ岳と噴火湾

2009年09月22日 | 旅行記A・北海道

Dscn359120日、朝6時。函館線の鹿部回り長万部行きの1両の気動車は、10人あまりの乗客を乗せて函館駅を出発した。その中には私の姿もあった。

前夜、「明日の行程をどうしようか」というのを考えていた。この日の宿泊地は室蘭線の東室蘭駅前のルートインホテル。鈍行列車を乗り継いで東室蘭に手ごろな時間に着くには朝の函館の街を散歩した後で10時44分発の森行きで発てばよいということで計画していたが、前夜の夜景の風情で楽しんだことだし、少し前倒しで函館の朝市をのぞいてから8時14分発の長万部行きに乗ろうと決めていた。

Dscn3592ところが朝起きてみて「朝市も別にいいかな」という気になった。函館はこれまでにも訪れた街だし、逆に今回の未乗車区間の室蘭線のエリアは初めてのところだから少しでも早く近づこうということにした。朝食はコンビニでパンとサラダを買い求めてホテルの部屋で済ませ、朝6時発の列車の客となったのである。函館線のこの区間に日中乗車するのも学生の時以来だ。

函館の市街地を抜けると周囲は広々とした田畑になり、少しずつ勾配を上げる。この日も朝から秋晴れで、遠くに函館の市街と、津軽海峡の様子も見ることができる。函館山から見る函館の夜景はあまりにも有名だが、遠くなるが逆方向からの函館の夜景というのはどんな姿何だろうかと想像する。

七飯からは線路が二手に分かれる。途中駅のない通称「藤城線」という区間を15分ほどかけて上る。気動車のエンジン音が高く響くところ。そして長いトンネルに入る。

Dscn3595そのトンネルを抜けると、ハッとしたかのように左側の窓に湖の光景が広がる。大沼・小沼のうちの小沼である。そして、その向こうにくっきりと見えるのは駒ヶ岳。鉄道での旅の面白さを感じさせる車窓である。車内は観光客らしき姿も多かったが、一斉にそちらの窓のほうに視線をやる。

Dscn3603大沼で列車行き違いのため10分ほど停車。跨線橋に上がると駅の向こうにそびえる駒ケ岳の姿がくっきり見える。この構図は特急で通過しただけでは見ることができない。

一度駅舎のほうに出ると、一人の青年から「北斗星って何時くらいに通過しますか?」と尋ねられる。ホームや景色の写真を撮っている私をその筋の客と認めてのことだろう。正確な時間はわからないが前後の停車駅から推測するに7時すぎくらいだろうか。駒ケ岳とブルートレインの組み合わせ。ちょっと見てみたい気もしたがこのまま列車で先に進むことにする。

Dscn3606線路はここでまた二手に分かれる。大沼公園を直線で走る「駒ケ岳回り」と、海沿いの鹿部経由の「砂原回り」。「駒ケ岳回り」は勾配が急ということと、戦時中の輸送力増強のために、距離は長くなるが勾配が緩やかで済む「砂原回り」が後から建設された。駒ケ岳の西側を通るか、東側を通るかの違いもある。私の乗っている列車は後者の「砂原回り」。左側に駒ケ岳の稜線、右側やや遠くに噴火湾の水平線も見えるという、なかなかスケールの大きな車窓となる。朝の光線がまぶしい。

Dscn36137時34分、噴火湾に面した森駅に到着。8時05分まで長時間停車する。「いかめし」で有名な駅だが、さすがにこの早朝では売っていないだろう。先ほどの「北斗星」は大沼公園回りですでに行ってしまった後。

Dscn3623さて私はここで長万部行きを下車し、先に発車する特急「スーパー北斗1号」に乗り換える。プランニングの中で、少しでも長く鈍行で旅したいということと、運転本数の少ない区間を効率よくカバーすることを両立するために、一度乗車したことのある森~長万部間を特急でつなぐことで、初乗車の室蘭線は1本早い鈍行(その次は4時間後までない)に乗ることができるという寸法だ。

その特急、連休中のこととて自由席はもちろん満席。デッキにも大勢の立ち客がおり、私もなんとかドアの窓に近いほうに立つことができた。長万部まで35分の乗車だが、これが「振り子式」の車両で、カーブの多い区間でも減速を抑えて高速で走り抜けることができる構造のもの。メカのことはよくわからないが時折「カシャーン、カシャーン」という音が聞こえるのは「振り子」が何か作用しているのだろうか。

Dscn3622それにしても高速でカーブを走り抜けるのだから、立っていると揺れのせいで身体を持っていかれそうだ。スピード「感」ということになれば新幹線以上のように感じる。思わず「スピード違反や!」と叫びそうだ。車窓の合間に噴火湾も見ることができるが、さっそうと駆け抜けていく。

Dscn36328時15分、長万部着。列車が到着してホームに下りると逆に何だかほっとしたものを感じた。「おしゃまんべ」の駅名標を見て、関西にはないその語感に、「遠いところに来てしまったなあ」と思う。次に乗車するのは9時05分発の東室蘭行き。それまで時間があるので一度改札口を出る。学生の頃に長万部駅を通った時は冬の風が吹いており、待合室でストーブが焚かれていたのを覚えているが、この日は秋のさわやかな風が吹く。少し時間があるので駅前通りを歩く。5分もすれば国道5号線に出る。その向こうは砂浜が広がる。噴火湾だ。

Dscn3629海岸線の向こうには駒ケ岳のシルエットが見える。かなりの距離を走ってきたように思うが、案外近いものなのか、それだけ空気が澄んでいたということか。

Dscn3633これからは「海線」沿いに室蘭まで向かうことになる。さてここからが初乗車区間である。・・・ということで、これで景気づけて・・・・。(続く)

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夜の函館散歩

2009年09月22日 | 旅行記A・北海道

Dscn351019日、15時過ぎに函館駅に到着。雲もほとんどない、カラリとした空気が旅人を出迎えてくれる。気温も20度くらいと少し冷えるかなという感じがする。関西はまだ夏日が続いている中、長袖姿で出てきて正解だった。陸路を9時間かけて(自宅を出た時間からすればもう1時間追加になるが)はるばる来たのだなと実感する。

駅前のホテルにチェックインし、しばらく休憩して17時になったので駅前の飲食店街へ。函館に来るたびに入る店を変えているのだが、いずれの店も素材できちんと勝負しており、港町らしい海の幸を楽しむことができる。まあ難を挙げるとすれば「値段は結構する」というもの。普通、現地に来れば安く食べられるものというイメージがあるが、そのへんは「観光地価格」とでもいうのか。

Dscn3518今回入ったのは松風町の「いか太郎」。「時価」の活イカ料理と、「サッポロクラシック」を出してくれるところがポイントになった。

というわけで、その「時価」はというと、1,880円。これは価格として妥当なのかどうか。それでもまあ、函館の活イカというものは初体験なので、ここは行っておくことにする(イカはカロリー的にも優等生だし)。

Dscn3516早速こちらを注文。ゲソの部分をつつくとまだ反応がある。スーパーなどで刺身や寿司ネタで売られているイカと比べて身は透明。歯ごたえとのどごしを味わう。

Dscn3514この他にイカのルイベ、ホッケ焼などの味を楽しみ、気持ち的に落ち着いたものを感じる。凝った料理というよりは、素材の味を十分に楽しむことができた(食事療法的には今日はお休みといっていいかな)。

食後は運動療法ということで、港のあたりを散策する。函館といえば函館山からの夜景が有名であるが、その夜景を作り出す港町の建物を観て回るのも面白い。

Dscn3526まずは駅にほど近い摩周丸へ。「JNR」のマークが誇らしげにかかげられている。現在の若い人にはこのロゴも「何コレ?」というところなのだろうが・・・。青函連絡船が廃止されて20年以上が経過するが、港町のモニュメントとして、歴史の生き証人としていつまでも残してほしいものだ。

Dscn3537続いては金森倉庫群。周囲はウォーターフロントということで大勢の観光客、カップルで賑わっているところ。食事はすでに済ませているのでここは外からの建物を眺める。淡いランプの灯りがレンガに反射してムードを盛り上げてくれる。

Dscn3531倉庫群の夜というのも妙なもので、この建物が現役で使われていた当時は、倉庫群など夜は真っ暗で殺風景なところであっただろう(それは、現在の倉庫群を見ればわかるところ)。それが夜の賑わいを見せるところになるのだから、時代が変われば建物の役割も変わり、街の風景も変わるところだ。

そしていよいよ函館山へ。時間も19時を回り、大勢の観光客がロープウェイ乗り場に列をなしている。ロープウェイといっても100人以上が一度に乗れる大型のものだが、乗車までそれを2本ほどやり過ごすほどの賑わい。

Dscn3548今年は函館が開港して150年という。開港150年といえば横浜もそうで、記念の博覧会をやっているが客が不入りと聞く。記念イベントは結構だが、横浜レベルになれば特別なことをやらなくても十分魅力のある街と思う。高い入場料を取る博覧会をやらずとも、オープンな形で観光客を受け入れればよいのではないだろうか。

そんなことを思いながらロープウェーを上り、展望台へ。秋の澄んだ空気の中、眼下に広がる光景には余計な説明はいらないでしょう。

Dscn3560Dscn3564函館山にはこれまで数回訪れているが、その中でももっともよいコンディションでの見物となった。

Dscn3570風に吹かれ、観光客にもまれながらの見物を終え、再び街中へ。ライトアップされた教会群や坂道をしばし散策。

Dscn3579でもまあ、カップルなど多い中、男一人で散策するというのも、坂道を吹き抜ける秋風が余計に身にしみるような・・・・。

Dscn3587ロシアの大学の日本校の建物を見る。こういうキリル文字を見ると条件反射的にカメラに収めてしまう。具体的にどこがどうというのはなかなか上手く表現できないのだが、函館まで来るとこういう「大陸」の存在というのが東京や大阪などと違って見えてくる感じがする。いろいろな街を訪問させていただく中での感じ方というのかな。

Dscn3589しばらく街歩きを楽しみ、最後は市営の谷地頭温泉入浴で締めることにする。実はこの日宿泊のホテルのプランに「谷地頭温泉入浴券つき」というのがあって、回数券を手にしての温泉行きである。ちょうど谷地頭行きの路面電車が出た後だったので、十字街からさらに歩くことに。20分ほど歩いてさらに歩数を稼ぐ。

43~44度とちょいと熱めだが、北国の湯としてはこのくらいがちょうどよいところなのだろう。鉄分を含み、ちょいと茶褐色をしているのがいかにも温泉らしい。さっぱりすることができた。

Dscn3546ホテルに戻り、明日の旅程を再度検討。最初は函館散策の午前の部を楽しみ、昼過ぎの列車で移動する計画だったのだが、朝市の食事だけ楽しんで少し早い列車で移動しようか・・・とか。明日からが「乗りつぶし」の行程となる・・・・。(続く)

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はるばる来たぜ函館へ

2009年09月20日 | 旅行記A・北海道

このいわゆる「シルバーウィーク」。これをどう使おうかというのは早いうちから考えていたのだが、長い期間であることから、長年の懸案であった「JR全線乗りつぶし」に向けての活動を行おうと考えた。

現在までの「未乗車区間」はいずれも北海道で、室蘭線(長万部~苫小牧、東室蘭~室蘭)、日高線(全線)、函館線(深川~旭川)である。このうち室蘭線の長万部~苫小牧と函館線の深川~旭川は、これまでにも夜行列車で夜中に通過した経験はあるのだが、「まるなる的乗りつぶしルール」では、夜行列車での通過区間は乗った対象にしていないということがある(夜明け後の外が見える時間帯の乗車は、乗った対象にカウントしている)ため、これらが残党としてある。「乗りつぶし」を意識するようになってもう20年が経過しており、その筋の多くの人たちが早い段階で「乗りつぶし達成」している中で、そろそろ結果を出してもよいのではないかと思っている。

ただ、まとまった休日となるこの時期、関西と北海道を結ぶ航空券は早々と売り切れが続出。その中にあって、21日夕方の新千歳から関西までの便に奇跡的に空席を見つけた(しかも旅割)。結局これを軸にすれば、関西からの往路は19日の土曜日となる。ただ、この日関西から北海道へ向かう便は「全滅状態」。

そこで考えたのが、「陸路を伝って行こうか・・・・」というもの。距離で行けば日本海縦貫線経由が短いのだが、本州を出るのに1日では足りない。ということで、「東海道新幹線のぞみ~東北新幹線はやて~津軽海峡線特急スーパー白鳥」の乗り継ぎで、初日は函館まで行くことにする。1700kmあまりの移動距離だが、接続よく9時間で行けてしまうのは文明の力のなせるわざか・・・(ちなみに、航空機なら関西から新千歳までは2時間)。こちらのほうは1ヶ月前の発売日に何とか指定席を確保することができた。

あとは乗車券。復路が航空機なので「周遊きっぷ」も利用できるのだが、今回の乗りつぶしの目的地は幹線の室蘭線。これを通って最後は新千歳空港から航空機に乗るコースのため、あちこち寄り道できる代わりにそれなりの値段をとる「周遊きっぷ」よりは通常の片道乗車券を購入したほうが安くつくようだ。

Dscn3443・・・ということで、前日にJR尼崎駅のみどりの窓口に出向き、「大阪市内→新千歳空港」までの乗車券を買い求める。昔のように手計算で手書きするのではなく、システムに経由路線と経由駅を入力すれば自動発行してくれるようになった。若い係員は北海道部分の入力に多少手間取ったが、先輩社員に経由地を見てもらって無事発券。2人から深々と頭を下げられる。手間のかかる発券をこなしてくれてこちらこそ恐縮なのだが・・・。

Dscn3444さて前置きが長くなったが、19日の早朝に新大阪駅に現れる。思ったほどには混雑しておらず、東京行きののぞみ号にも少しは空席があるようだ。快晴の下、6時03分発のN700系のぞみでまずは東京を目指す。

Dscn3448頂上に雪のかぶらない夏富士を久しぶりに車窓に眺め、8時30分に東京駅着。時間があれば東京で途中下車して、こちらへのご挨拶ということにしたかったのだが、今回は「最短経路」で函館まで行くのである。新幹線同士の乗り換え改札機をくぐって、東北・上越・長野新幹線のホームへ。

Dscn3450朝の新大阪とは違い、こちらはかなりの混雑。売店や乗車口には長蛇の列ができており、放送ではこれから発車する各列車の指定席がほぼすべて満席であるとの案内が流される。私が乗車する八戸行きの「はやて」だが、全車指定席の列車にもかかわらずデッキに大勢の客が立つ。JRとしてはこういう確信犯的な乗客は排除しないのだろうか。

Dscn3467座席も大宮までで満席となって出発。関東平野を抜け、東北へと分け入って行く。ちょうどコメの収穫時期と重なり、車窓にも黄金色の景色が広がる。

Dscn3458仙台到着。そういえば車内の電光掲示板にも日本製紙の広告として「がんばれ楽天イーグルス」のメッセージが表示されていた。この日はロッテとのデーゲームが組まれており、ということはその気になれば当日の朝大阪を出発しても仙台の試合に参戦できるのかなという新たな実感。

盛岡、いわて沼宮内、二戸と過ぎて八戸到着。大勢の客が在来線ホームへなだれ込む。続く函館行きの「スーパー白鳥」は6両編成(このうち自由席は2両)。10両の新幹線の乗客を受けるのがこれでは、受け皿としては不十分だろう。結局自由席車両に入れなかった乗客が指定席車両の車内にまであふれ、指定席券を持っている客が危うく乗車できないという羽目にもなった。こうなることは最初からわかっているのだから、もう少し何とかならないのかなと思うが・・・。

Dscn3474_2この日の昼食は八戸で購入した「大漁弁当」。小ぶりの器だがイカ、ホタテ、ウニ、イクラ、カニが乗っており、ごはんをホタテ貝の皿によそって食べるのが味わい深い。

スピードを出すせいか結構揺れを感じる。その中で青森到着。指定席車にまであふれていた乗客も結構な数が下車したが、それと同じくらいの数の乗客が乗ってくる。ここで向きを変えたが、あいにくと私の座っているのは進行左側となる。これでは津軽海峡に沿う区間の車窓が楽しめない。

Dscn3481座席テーブルの背面には青函トンネルの通過時刻があり、客室の出入口にも現在地が表示される。少しずつ半島の先に近づくのがわかり、そしていくつかのトンネルをくぐった後、青函トンネルに突入する。

Dscn3496橋と違ってトンネルは外が見えない。また、これまで以上にスピードを上げて走るものだから、途中の竜飛海峡駅を通過したのも、海底最深部の通過時にトンネルの照明が青と緑に変わるというのもあっという間の出来事で通過する。ラーメンズの日本語学校のコントのセリフに「青函トンネル窓あれよ~」というのがあるが、本当にそのとおりだと感じる。

Dscn3508・・・とまあ、そんなことをグチるうちに高度を上げ、パッと地上に出る。こちらも相変わらずの雲ひとつない晴天である。通路越しに津軽海峡の車窓を眺め、函館に少しずつ近づく。市街地も少しずつ見え、夜景展望のスポットして名高い函館山の姿もくっきりと見える。

Dscn3511定刻から少し遅れたが15時16分、函館駅到着。最短経路ということになればこの後の特急でさらに北を目指すことができるのだが、せっかくはるばる函館まで来たのである。私の好きな港町であるし、魚のうまいところである。何度来てもよいところであり「関所」のようなところもあるので、この日はここで移動はおしまい。

駅前のホテルにチェックインし、しばらく休憩。まずは「はるばる来たぜ函館へ」ということで、夜の散策に向かうことにする・・・・(続く)。

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まつなる→北の大地へ

2009年09月19日 | ブログ
まつなる→北の大地へ
おはようございます。

秋の連休ということで、思い切ってでかけることにします。 …といいつつも、飛行機なら2時間のところを3日かけて行き、着いたらトンボ返りですが。 初日は私の好きな港町までです。

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敦賀港散策

2009年09月18日 | 旅行記D・東海北陸

前回の記事では滋賀・福井県境の新旧北陸線に絡んだスポットをめぐったことを書いたが、国道8号線から敦賀の市内に戻ったあたりから続きを書く。

Dscn3270やってきたのは「ヤマトタカハシ昆布館」。敦賀にあって昆布を大々的に取り扱っているスポットで、ここは工場であり、直販の店であり、展示館でもある。何も敦賀湾を中心とした日本海で昆布が栽培されるわけではなく、北海道産の昆布をおぼろ昆布やとろろ昆布に加工し、販売しているところである。

Dscn3269「敦賀で昆布」というのはもうご案内のとおり、日本海を股にかけて活躍した北前船がもたらしたものである。そんな敦賀での昆布の加工ルートのことなどを展示館で学び、その後に昆布商品の買い物である。今回はクルマで来ていることもあるし、また昆布料理はDM患者にとっても「食品交換表」上でカロリーを計算しなくともよい食材に挙げられていることから、重宝する食べ物である。いろんなものを結構買い込み、クルマに積み込む。

Dscn3276昆布館を後にして訪れたのが、市街地の東にある金ヶ崎城。織田・徳川の連合軍と浅井・朝倉の連合軍との戦いが行われた舞台である。現在は敦賀港を見下ろすスポットである。金崎宮に参拝した後、裏手の山に上る。10分ほど歩くと、敦賀湾の入り江に、敦賀火力発電所の巨大なプラントを見下ろすところに出る。

Dscn3275小樽への新日本海フェリーも発着する穏やかな港である。関西に近く、日本海側にありながら入り江に囲まれた穏やかな地形というのが良い港として栄えてきた条件である。かつて昆布をもたらした北前船や、大陸との連絡船に思いを馳せる。

Dscn3284Dscn3286今年廃線になった貨物線を横切る。踏み切りは柵で仕切られ、遮断機も線路上に横倒しになっており、これはまたシュールな光景である。現在港湾地区の再開発が進められており、いずれはこの線路も公園か何かになるのだろう。門司港のようにトロッコ列車を走らせる・・・にはちょいとスケールが小さすぎて採算が取れないかな。

Dscn3289クルマを公園の駐車場に停め、しばらく歩きモード。少し早いが、先ほどの昆布館の売店で売っていたおにぎりを昼食代わりにする。おぼろ昆布で巻いたもの、刻み昆布をまぶしたもの、港を眺めながらおいしくいただく。

Dscn3291その後見学に訪れたのが、旧敦賀港駅舎。中は鉄道に関する資料館になっており、大陸への玄関駅として新橋駅から直通列車も走っていた時代、往年の港町の賑わい、北陸トンネル開通、そして現在の新快速直通にいたるまでの道のりが展示されている。昔のパスポート(というより「旅券」という言葉が似合う)や大陸連絡の切符、シベリアを横断して西ヨーロッパに至るまでの時刻表・・・・見ていてうならせせるものがある。こちらは観光客や「その筋」の人たちにも人気のスポットのようで、改めて交通・物流の要衝としての敦賀の姿を認識する。

現在日本海側から大陸に渡る旅客船といえば、富山の伏木港から浦塩(ウラジオストク)行きということになる。一度でいいからこういう大陸の行き方というのをやってみたいものだ。

Dscn3294この後は重要文化財の鳥居を持つ気比大社へ参拝。ここは若狭の一の宮ということもあるが、縁結びの神社としても知られている。ということできちんと参拝し、おみくじで神のご託宣を得る。「身近なところに縁あり」というようなご託宣があったが、身近なところと言われてもなあ・・・・。

気比大社のあたりが市内の中心部となるが、ほとんどの店がシャッターを下ろしており、人が集まっているのは平和堂が入るアル・プラザくらい。ここも全国の地方都市が抱えている問題が表に出ているようだ。

Dscn3298そんな商店街を少し離れたところに昔ながらの洋館を見つける。ここはかつての銀行だった建物で、現在は敦賀市の博物館となっている。現在の企画展は松尾芭蕉。「奥の細道」でも敦賀が登場しており、前半の東北の記述に比べてあっさりと流す感のあった北陸にあって、敦賀では数日逗留し、土地の俳人たちとの交流もあり、「奥の細道」にも4句が登場している。展示室には「奥の細道」の芭蕉直筆原稿の複製があり、あれだけの紀行文と称されながら実際は「これだけの文字数?」と思わせるくらいの短さ。敦賀が登場するのはその最後の最後のほうである。

この他、こちらでも港町としての敦賀の歴史が紹介されており、近代化遺産的建物ということもあって、往年の賑わいを感じることができた。先ほどのシャッター通りというのは、時代の流れといえばそれまでなのだろうが、かつては渤海使も上陸したという土地、何とか活性化してほしいものである。そんなことを感じさせた、なかなか充実した博物館である。

Dscn3308ここから再び敦賀港駅まで戻り、クルマを拾い上げて今度は気比の松原へ。「白砂青松」という言葉がぴったり来る。夏を思わせる空の下、大勢の行楽客が海の風情を楽しんでいた。

Dscn3313そういえばこの夏、こんなきれいな青い海を見るのは初めて。やはりこういう風景というのは心が洗われる。ビールが飲みたくなるがクルマ旅行とあってはそうはいかず・・・・。

Dscn3287そろそろ、野球場へ向かう時間となったので敦賀での滞在はこれまで。現在の存在でいえば観光名所というよりは日本海側の小さな港ということになるのだろうが、その気になれば一日町歩きを十分楽しめるところ。関西からもクルマではなく新快速一本で着けるところであり、また北陸の風情を楽しみたく、日本海の海の幸を味わいたいとなれば、季節を変えて訪れてみたいところである・・・・。

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新疋田・近江塩津・柳ヶ瀬

2009年09月17日 | 旅行記D・東海北陸

・・・この言葉を並べてみて、「ははん、あそこのところやな」とピンと来る方もいらっしゃるでしょう・・・・。

先日から書いている敦賀へのBCリーグ観戦旅行記の続き。ここで時計の針を少しさかのぼって、13日の朝に戻す。

前日の12日は大雨の中をクルマで走ってきたのだが、13日は雲が広がるものの朝から晴れ間も見える。野球場に移動するまでに時間があるので、敦賀の近辺をクルマと歩きで回ることにする。

とはいうものの市内の見学スポットを回るには朝が早すぎる。それまでに一仕事こなそうと、国道8号線を南下することにする。福井県と滋賀県の県境、往年の交通であれば鉄道も道路も建設が困難だったところである。

Dscn3223国道8号線から国道161号線に入ったところにあるのが、ログハウス風の新疋田駅。これまで北陸線で何度も通過している駅だが、こうやって駅舎を見るのは初めて。

Dscn3225ちょうど、敦賀行きの2両編成の列車がやって来た。乗客を一人降ろして静かに走り去ると、静かな峠の駅のたたずまいを見せるようになる。

Dscn3229駅は無人駅だが、中の壁にはさまざまな列車の写真が掲げられている。そう、ここは山越えの区間であり、いろいろな顔の列車がやってくるということもあり、その筋の人たちには人気の撮影スポットが点在するところ。

Dscn3233駅のホームにもしっかりと、こういう感じで陣取っている人たちがいる。特に朝は光線の感じがよく、列車の形がしっかりと写るということもある。私は三脚を持たないし、一眼レフではなくただのデジカメというシロートの出で立ちだが、ちょいと撮影を試みてみよう。

Rscn323710分ほどでやってきたのは、大阪行きの特急雷鳥。この後数年で引退とも噂されている国鉄型車両を1枚収める。まあ、写りはこんな感じだ。

Dscn3245この後は深坂峠を越え、一旦滋賀県に出る。やってきたのは近江塩津。北陸線と湖西線が分岐する駅だが、乗り降りする客は少ない。ここまでがICOCAの利用区間であり、大阪近郊区間の大回り乗車の北端駅である。いずれ、大回り乗車の関西版もやってみたいものだ。

Dscn3252この先もう少しクルマを走らせ、湖西線の高架橋が見える農道に停める。ここでやってきたのは、青森発大阪行きの寝台特急日本海。ブルートレインというものが珍しくなった時代。これも貴重な風景として心に残しておこう。こちらもまたいずれ乗ってみたいものだ。

Dscn3255再び深坂峠を越えて福井県に入る。進路を少し東に向けて、刀根というところを過ぎると、北陸自動車道のガード下のところでトンネルに差し掛かる。これまで2車線の道路だったのだがここで急に道幅が狭くなり、トンネルに入るに当たっては片側通行を指示する信号が設けられている。

Dscn3253ここは「柳ヶ瀬トンネル」という。現在の北陸線は先ほど走ってきた近江塩津、新疋田を通るのだが、明治時代に長浜から敦賀までの鉄道が開通した際のルートは木ノ本から柳ヶ瀬を経由するもので、このトンネルはその当時のものが残っているという。それが現在では車道として利用されており、旧線跡、廃線跡めぐりの有名スポットとしてファンが訪れるところになっている。

昔のトンネルのこととて単線の幅しかなく、クルマも片側交互通行となる。感応式の信号機のようで、トンネルをくぐるクルマがあればその動きに合わせて赤信号となる。結構待った後、トンネルから数台のクルマが出てきたのを見計らってこちらの信号が青になる。

Dscn3262トンネルの中をクルマで走ると、何だか機関車の運転手にでもなったような気分だ。こういう鉄道遺産の保存方法というのも面白いものだ。トンネルをくぐると再び滋賀県に入るが、今度はすぐにUターンし、再びトンネルをくぐって福井県に戻る。このあたり、行ったり来たりだ。

Dscn3263しばらく走ると、今度は車道ではなく車の進入を柵で遮っているトンネルに出会う。ここも旧北陸線が走っていた小刀根トンネル。先の柳ヶ瀬トンネルとともに、県境越えで4つあったというトンネルの一つで、鉄道遺産としての昔ながらの姿をよく止めているトンネルである。車道ではないので入口のレンガ造りや中の空洞もゆっくりと見ることができる。両側を北陸自動車道の上下線で挟まれているのも妙な感じだが、逆にいえば北陸自動車道が昔の北陸線の跡をよくたどっていることがよくわかる。

今回はクルマを使っての鉄道遺産めぐり。朝早めの出発で少しトクした気分になり、再び敦賀の市街に戻ってくる。次に入ったのは敦賀の名産を扱うスポットで・・・・。

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敦賀にてBCリーグ観戦

2009年09月14日 | プロ野球(独立リーグほか)

12日の敦賀「前泊」から明けて13日。前日の雨雲は東に去り、晴れ間も見えるようになった。やれやれ。

Dscn331613日は朝から「鉄」的活動を行った後、敦賀の市内を散策。交通・物流の要衝である町の歴史を楽しんだ後に向かったのは、敦賀総合運動公園野球場。今季2試合目となるプロ野球BCリーグの観戦で、この日の組み合わせは福井ミラクルエレファンツ対富山サンダーバーズ。後期シーズンもそろそろ終盤に向かい、石川ミリオンスターズと北陸地区優勝を争い富山に、今年も苦戦続きのシーズンとなっている福井が挑むという図式。

前日は「ルートインホテル敦賀駅前」に宿泊。このホテルはBCリーグのスポンサーであり、試合の前日または当日に宿泊する場合、フロントに申し出ればBCリーグの入場引換券をもらえる企画を行っている。経営状態が特に苦しい福井球団の試合となれば当日券を「現金」で支払うのがもっともプラスになるのだが、そこはまあ、関西からやってきたということで何とかご理解のほどを・・・・。

ここ敦賀でも年間何試合か行われているようだが、若狭地区だけではなく福井市内や鯖江などからも観客が訪れているようだ。同じ県内ということで、高速道路を使えば短時間で来ることもできる。私の周りにもそういうところから来たとおぼしきおっちゃんたちが陣取り、試合中しきりに野次を飛ばす(その中にあって、わざわざ兵庫県から一般道を通って前泊してやってくるヤツって一体・・・?)。

話の様子では年間相当数の試合は訪れているようで、県外の試合にも結構行っているようだ。試合中もなかなか言いえて妙なところもあったので、今日の試合はおっちゃんたちの野次を解説代わりに選手を見ることにしよう。

Dscn3337両翼97m、中堅122mとなかなか立派なつくりをしている。スタンドは中央部分が一人ずつの腰掛、内野の奥のほうがベンチシート、外野は芝生席だが、いずれもゆったりと観戦できる。また、周辺は稲刈りの終わった福井米の水田地帯。涼しげな風・・・というよりちょいと強すぎる風がグラウンドを吹き抜ける。応援団が観客席の上段に旗を立てているがそれが「空に鳴る鳴る翻る勝利の旗」状態になっている。いろんな風情が味わえるのが屋外球場、地方球場めぐりの楽しみである。

福井チームは昨年の藤田平監督(元阪神の名球会バッター)が紀州レンジャーズの監督に転身したのを受け、選手兼任だった天野監督が指揮を執る。昨年はごつい感じの打者や、ジンバブエ出身のパワーヒッターなどを擁していたのだが、天野監督の方針で半数近くの選手を入れ替え、足のある選手、速球の投げられる投手を集めたチームづくりを目指しているが、同じ北陸の石川、富山にはまだまだ及ばないところがあるようだ。

Dscn3318試合開始は16時。やはり夏の球場にはコレ・・・と行きたいところだが、今回はいつもの味とはちょいと異なるバージョンにて味わう。やはりクルマで来ているしな・・・・。この手の飲み物はだいたいこんな味なのだろうが、ちょっと甘味が強いかなという気がする。「ノンアルコールのドライビール」なんてのが出たら面白いと思うのだけど。

Dscn3339試合前の特別なイベントはなく、16時に試合開始。富山からやってきた熱心なファンが、緑の衣装をまとってのラッパ応援を繰り広げる。福井の先発は笹村。上半身の力で軽く投げるようなフォームだが、序盤は打たせて取る投球で富山打線を抑える。

Dscn3348一方の福井打線。初回、先頭の坂元が内野安打(ショートの悪送球だが・・・)で出塁、送りバントの後、3番・中山が右中間へはじき返す。理想的な攻撃で1点先制。件のおっちゃんたちも「今日はなかなかやるやんけー」と上機嫌である。

Dscn3367ところが4回表の富山の攻撃。四球のランナーを一塁に置いて、3番・優士がエンドランを決めて一・二塁間を抜けるチーム初安打。続く4番・恭史が二塁の脇を抜けるヒットで1対1の同点。

さらに5番・町田があわやホームランかというライトへの大きな二塁打を放ち、2点追加。このあたりの集中打はさすがのものだ。一方の福井ファンのおっちゃんたちの機嫌が悪くなり、この辺りから野次の数が多くなる。

Dscn3370福井は直後の4回裏に5番・内田のタイムリーで1点を返すものの、富山の先発・田中に後続を断たれる。一方、これまで好投を続けてきた笹村も集中力が途切れてきたのか、5回表にはヒット1本と四球2つで満塁のピンチを迎えると、ここでキャッチャーも捕れない高さの大暴投をやらかす。これで4対2、続く優士の内野ゴロの間にもう1点追加となり、5対2となる。

Dscn33955回を終了した時点でナイター照明が点灯される。ちょっと明るさが足りないかなとも思うが、地方球場の規格ではこのようなものだろうか。薄暮の時間帯というのは独特の明るさで、不思議な気持ちに襲われるものだ。

Dscn3417このままズルズルと行くかと思われた試合だが、笹村の後を受けた加藤、岩井という投手が好投を見せ、打線の反撃を待つ福井。8回裏に富山2人目の萩原(先発要員だったのが、終盤に来て大事なリリーフもこなすようになった)から1点を返し、なおも2死2・3塁と一打同点のチャンスを迎える。一塁側からの声援の声もより一層大きくなるが、6番・内田があえなく見逃し三振。「見逃しはねえだろ!」という野次が飛ぶ。やはり今日も福井は勝てないのか。

Dscn3421ところが、「独立リーグの試合は9回に何が起こるかわからない」という、自分なりの勝手なジンクスを持つ者が観戦しているのである。2点差で9回ならまだどうなるかわからない。福井のファンも熱心なところがあり、9回裏は一塁側のほとんどの観客が立ち上がり、「俺たちの~誇り~千葉マリーンズ~」で知られるドラゴンクエストの歌を唄い、手拍子で必死の声援を送る。

だからかどうか。先頭の代打・YASUがヒットで出塁。続く慶家(けいや・地元から大応援団が来ていた)も続いて無死1・2塁。次は俊足で小技も利きそうなタイプの9番・丸木。2点差を考慮してまず送りバントで来るところ。

Dscn3435ところが。ここでまさかのキャッチャーへのファウルフライで1死、続く坂元が四球で満塁のチャンスを作るも、後続が萩原に抑えられて結局無得点。終わってみれば5対3、5安打の富山が9安打の福井との接戦をものにしたということになる。

「バントの差や!」というのがおっちゃんの声。この日の福井は毎回のように先頭打者を塁に出したが、送りバント作戦が3度失敗、併殺が3つというミスで負けたようなものである。少ない安打ながらチャンスをきちんとモノにした富山との差がここではっきりと目にされた。

それでも、この日球場に足を運んだ500人あまりのファンにとっては見ごたえと選手の執念が十分に伝わった試合のようで、両チームの健闘に惜しみない拍手を送っていた。私も「ジンクス」の継続はなかったものの、こういう試合を目の当たりにすることができたのも、わざわざ訪れただけの価値があるというものである。

Dscn3405富山は優勝争い(また「独立リーグ日本一決定シリーズを観たいですな)、そして福井は選手の自信つくりのための残り試合を懸命にプレーしてみたいものだと思った。それがリーグの底上げにもつながることなので、大いに頑張ってほしいものである・・・・。

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まだまだ帰宅途中

2009年09月13日 | 旅行記D・東海北陸
今日は朝から「鉄」的活動、敦賀の町歩き、そしてBCリーグ観戦。
福井ミラクルエレファンツ対富山サンダーバーズ戦でしたが、最終回までなかなか見せ場のある試合でしたぞ。
21時を回ってまだ滋賀県でようやく夕食です。
観戦記その他は明日以降で…。

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