まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

兵庫12番「一乗寺」~神仏霊場巡拝の道・90(賽の河原は単なる石積み?)

2024年02月29日 | 神仏霊場巡拝の道

今回の神仏霊場巡拝の道めぐりは、JR西日本の「駅からはじまる西国三十三所デジタルスタンプラリー」の終盤で丹後地方が目的地なのだが、あえて広島から軽自動車で向かうにあたり、途中の山陽姫路東で下車して、こちらも西国三十三所の札所の一つである兵庫12番・一乗寺に向かう。ちなみに、一乗寺のデジタルスタンプは先に獲得済みである。

自宅を出てちょうど4時間、道端に山門の跡が見えるので停車する。西の総門は加古川市と加西市の境界に位置しているという。この先本堂までは数百メートルあり、さらに東に向かうと東の総門跡がある。往年の規模がうかがえる。

そのまま進み、正面の入口前を過ぎて駐車場に向かう。今回はクルマで来たが、公共交通機関だと姫路からバス、あるいは北条鉄道の法華口からバスまたは徒歩でアクセスが可能である。

入口で入山料を納め、正面に伸びる石段を上がる。一乗寺が開かれたのは大和時代、法道仙人の手によるとされる。天竺から紫の雲に乗ってやって来たとされ、この辺りの山々に霊山を見出し、法華山と名付けた。天竺から紫の雲に乗って来たのは伝説だとしても、播磨一帯の古刹の開創に関わった有力な人物がいたことは確かなようだ。

石段も一気に上るのではなく、最初の踊り場には聖武天皇の勅願とされる常行堂が建つ。二度の焼失を経て明治の初めに再建された建物である。

続いて、三重塔。平安時代末期の建物で、国宝である。ある意味、本堂よりも一乗寺を代表する建物といえる。

そして本堂の下に着き、本堂をぐるりと回り込んで入口に着く。西国三十三所でも播磨地区のお堂の中は似たような造りに見える。畳の上に座ってのお勤めとする。本堂の外陣の天井には無数の札が打ち付けられており、これも一種の「法華」に見える。それはそうと、天井にどうやって札を打ち付けたのやら。梯子をかけて天井に打ち付けるのも至難の業に思う。

一乗寺のシンボルと言える三重塔を本堂の縁台から眺めるのもよい。

こちらで神仏霊場と西国三十三所の朱印をいただく。同じ寺でも筆跡が結構違うものだ。

本堂の裏には護法堂、妙見堂、弁天堂が並ぶ。いずれも鎌倉~室町時代の建物で、寺の歴史を物語る。

奥の院にあたる開山堂に向かう。長らく、大雨による土砂崩れのため開山堂への道は通行止めになっていたが、開山堂までは普通に歩くことができる。ただ、周りの斜面には土砂崩れや倒木の跡が残っており、これが以前のものなのか最近のものなのかよくわからない。

開山堂の奥に柵があり、その向こうに賽の河原へと続く石段があるのだが、途中で倒木に行く手を阻まれているように見える。無理して進むこともないだろう。

そのためか、柵の上、あるいは開山堂の縁側に石が積まれた賽の河原の景色が広がる。積み上げた石が風雨のためにひっくり返ったか、縁側が石だらけになっていて荒れた光景に見える。

帰りは石段ではなく坂道を下り、放生池の周りの日本百観音の祠を回る。その石造りの屋根の上にも賽の河原を思わせるように石が積まれているが、それも乱雑に見える。積んだ石の重みに祠が耐えられないようにも見える。

これで境内を後にしようと入口まで戻ると、石畳の上に一匹の猫がいた。近づいても特に逃げるわけでもなし、のんびりしたものだとこの時はそのまま出口に向かったが、後で知るところによると、現在の一乗寺はちょっとした猫スポットなのだという。西国三十三所で一つ前の播州清水寺がドッグランのコースもある犬スポットなのに対抗したわけではないだろうが。

今回一乗寺に立ち寄ったことで神仏霊場、西国三十三所の播磨地区の地図を埋めることになり、本題の丹後に向かうわけだが、せっかくなので近くのスポットに立ち寄ることにしよう。そういうことなら、クルマではなく北条鉄道にて一乗寺に来るのであったと、旅の後に思うことであった・・・。

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神仏霊場巡拝の道~播磨から丹後まで一気に走る・・

2024年02月28日 | 神仏霊場巡拝の道

神仏霊場巡拝の道と西国三十三所めぐりを兼ねたお出かけ、JR西日本の「駅からはじまる西国三十三所デジタルスタンプラリー」も大詰めとなる中、第28番・成相寺、第29番・松尾寺のデジタルスタンプを獲りに行くことにした。キャンペーン期間の終了まで残り1ヶ月あまりとなる中での出発である。

当初は新幹線で関西に向かうことを考えていた。初日、京都まで新幹線に乗り、山陰線と舞鶴線を乗り継いで東舞鶴へ。小浜線で1駅、松尾寺まで移動して寺までの山道を往復し、西舞鶴に宿泊。そして2日目は京都丹後鉄道で天橋立に向かい、遊覧船で一の宮に渡り、神仏霊場の籠神社、そして西国三十三所の成相寺を訪ねる。午後の列車で福知山に出て福知山線で大阪に戻ってもよし、目先を変えて和田山に出て播但線で姫路に出るのもよし・・ということで、公共交通機関での巡拝コースとなる。あるいは、以前にもやったことがあるが福知山あたりでレンタカーを借りて、現地はクルマ移動というのもありだ。冬の日本海側ということで雨または雪ということも考えられ、その中で松尾寺まで歩くのもなんだかなあ・・。

結局、広島から軽自動車で出かけることにした。決め手となったのは費用面。高速道路のETCも軽自動車料金、休日割引が適用されることを考えれば、遠距離移動となるが、1泊2日ならそれほどしんどくないだろう。2月23日~24日、雨の予報は出ているが途中冬用タイヤ規制もなく、凍結の恐れはそれほどないだろうということで出かけることにする。

さらに、クルマならではの機動力を活かすとして、丹後に向かう途中、神仏霊場と西国三十三所の札所を兼ねる加西市の一乗寺にも立ち寄ることにする。兵庫の西でポツンと残っていた札所で、拾うのにちょうどよい・・。

三連休の初日となる2月23日、朝6時半に出発。まだ外は完全には明るくなっていない。この日の関西方面は曇り、雨の予報である。三連休のうち2日を使っての往復ドライブである。

五日市インターから山陽道に乗り、まずは東を目指す。先日車検があり、その際にタイヤをはじめいろんなものを好感したばかりということで走りも快適に感じる。

山陽道の最高地点もクリアする。

吉備サービスエリアにて休憩。三連休初日ということでフードコートや土産物コーナー、パン店が多くの客で賑わう中、「関西」と書かれた段ボール紙を手にした若い男性が立っている。ヒッチハイクか・・今でもこういう人がおるんや。その男性、見るからに頭の不自由な方、世間の常識からぶっ飛んだ方のように思われるが、吉備サービスエリアでこうして立っているということは、ここまででも誰かに乗せてもらってきたということか。乗るほうも乗るほう、乗せるほうも乗せるほうで、昔ならいざ知らず、リスク面でいかがなものかと思う。

兵庫県に入る。山陽道といえば、2023年9月に下り線の尼子山トンネル内で発生した車両火災の影響で、播磨ジャンクション~赤穂インターが12月半ばまで通行止めになっていた。その期間中、神仏霊場めぐりで軽自動車で滋賀県まで行ったことがあるが、復路は中国道をそのまま走らざるを得ず、大型車をはじめとした交通量、そして中国道もあちらこちらでリニューアル工事のため対面通行の区間も多く、あおり運転にビビりながら走ったことを思い出す。今回は無事に開通したことで安心して走行できた。

山陽姫路東で下車。この先、まずは一乗寺を目指す・・・。

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神仏霊場巡拝の道~和歌山駅前「多田屋」にて

2024年02月27日 | 神仏霊場巡拝の道

和歌山電鐵で和歌山に戻る。これから帰途に就くのだが、少し時間ができたので遅い昼食を兼ねての一献とする。朝方、和歌山でいったん下車した時、「そういえば」ということで駅前の店をチェックしていた。時刻は10時すぎだったがすでにのれんが表にかかっていた。

訪ねたのは「多田屋」。知る人ぞ知る和歌山の大衆酒場で、朝9時から開いている。私も以前大阪在住時に、札所めぐりの帰りに一度訪ねたことがあるのを思い出し、今回久しぶりに入ることにした。ちょうど中途半端な?時間帯だったためか、カウンター席にも余裕で腰かけることができた。

こちらでは昼の定食もやっており、中にはメインディッシュの単品を注文するより定食を注文したほうが安いものもある。

大衆酒場の雰囲気を楽しむ。瓶ビールも各社ある中で、珍しいサッポロラガービール、通称赤星をいただく。多田屋じたい酒屋が経営する大衆酒場ということで、酒の品ぞろえには事欠かない。

壁にもずらりとメニューが並ぶ。そして扉の上には「酒場放浪記」の吉田類氏のサイン色紙も掲げられている。別にそれが目当てではないが、東京以外のところでこの色紙を見るとその筋のプロのお墨付きがついたように感じられる。

和歌山に来たならとクジラのメニューを注文したが売り切れとのこと。代わりというわけではないが、鹿、そして猪の串焼きを注文する。「朝早くから呑める店」に加えて、最近では「ジビエ料理が味わえる店」として紹介されているそうだ。

このところ、鹿や猪による農作物の被害が注目されているが(地方によっては熊も加わるが)、一方でそれらのジビエ料理も注目されている。私の住む広島県でもそれらの肉を扱う業者がいて、これまで何度か通販で取り寄せたことがあるが、鍋や焼肉で美味しくいただける。ジビエという点では和歌山県も力を入れており、ここ多田屋はその方面でも紹介されている。

神仏霊場めぐりでまた和歌山に来ることもあるので、地酒を含めた他の品々はその時の楽しみとしよう。それにしても、今回注文したものはバラバラで、一貫性がなかったなあ・・。

和歌山に来たならラーメン、もとい中華そばでしょ・・という向きもあると思うが、それも次回以降の楽しみとする。もっとも、土産物店にて「井出商店」の土産用のインスタント麺があったので、これを自宅で調理して和歌山の風情を楽しむことにする・・。

和歌山からは15時50分発の「くろしお24号」に乗車。往復で目先を変えるなら、和歌山市まで出て南海特急「サザン」に乗るのが面白そうだが、多田屋でゆっくりしたぶん、所要時間の短い「くろしお」がよいかと。広島に戻るだけならもっと後の便でも余裕なのだが、このところ、翌日からまた仕事という時は早めに帰宅してゆっくりしたほうがよいという方向である。

新大阪17時17分発の「のぞみ75号」広島行きに乗車。これにて日帰りでの和歌山行きで紀三井寺のスタンプを確実に獲得して、あとは同じ紀州の青岸渡寺、そして丹後の成相寺、松尾寺を残すのみとなった。今後のプランも固まり、順調に行けば西国三十三所の実際の4巡目完了に先立って、JR西日本のデジタルスタンプラリーが期限を前に「満願」となりそうだ・・・。

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神仏霊場巡拝の道~和歌山電鐵にて「たま駅長」のもとへ・・

2024年02月26日 | 神仏霊場巡拝の道

2月12日、西国三十三所の紀三井寺、そして神仏霊場の竈山神社を訪ね、今回の札所めぐりはこれで終了。後は和歌山でのオプションである。オプション・・・昔加入していた旅サークルのことを思い出すなあ・・。

竈山神社から和歌山電鐵の竈山に着き、まずは和歌山ではなく終点の貴志に向かうことにする。和歌山電鐵に乗るのも10何年かぶりだが、ちょうどやってきた貴志行きは「たま電車」の車両。これも懐かしい。2007年に貴志駅の「駅長」を任命された猫の「たま」をモチーフにした車両である。

前回来た時にも「たま電車」に乗っており、車内にあふれる「たま駅長愛」に驚いたやら感心したやら。いわゆる「水戸岡デザイン」車両のヒット作の一つで、今でも現役なのがすごい。ある意味和歌山電鐵の看板車両といえ、わざわざこの車両を目当てに来たとおぼしき国内外の旅行者も目に付く。

和歌山電鐵は元々は日前宮、竈山神社、伊太祁曽神社への三社参りのために軽便鉄道として開業し、その後南海に吸収され南海貴志川線となった。しかし利用客の減少により南海は岸川線の廃止を検討することとなり、地元との協議の結果、両備グループの岡山電気軌道が引き継ぐこととなり、和歌山電鐵となった。移管後も厳しい経営が続いているが、その中で救世主となったのが「たま駅長」である。

以前に和歌山電鐵を訪ねた時、「たま電車」だけでなく「いちご電車」(貴志川辺りがいちごの産地ということにちなんで)や「おもちゃ電車」にも乗った。現在、「おもちゃ電車」は引退して「たま電車ミュージアム号」として走っているとのことで、ちょうど途中の伊太祁曽ですれ違った。以前和歌山電鐵にて伊太祁曽神社にもお参りしたが、今回はそのまま貴志に向かう。

写真は撮れなかったが、側線には「チャギントン電車」というのが停まっていた。「チャギントン電車」、本家・岡山電気軌道にもあったな。

住宅地のほかにみかん畑、公園などの車窓が広がり、また旧型車両ならではの揺れも体感しつつ、終点の貴志に到着。折り返しまでの時間は乗客による「たま電車」の撮影タイムである。

「たま駅長」をイメージした猫の顔をモチーフにした駅舎も内部が改装され、カフェやグッズショップが設けられており、駅自体が観光スポットとなっている。しばらく駅舎で過ごすことにして、折り返しの「たま電車」は見送り。

以前、和歌山電鐵で貴志を訪ねた時、「たま駅長」が改札口にて乗客を出迎えていた。・・・もっとも、籠の中で身体を丸めてお休み中だったが。人間の駅長が客の前で居眠りしていたらクレームの嵐だが、そこに寝ているだけで癒されるのが猫駅長のこれも一つの「仕事」といえる。「たま駅長」は2015年に旅立ったが、それを惜しんだ和歌山電鐵から「永久名誉駅長」の称号が贈られ、現在も車両のラッピングにも残っており、駅舎内にも数多くの写真が掲げられている。現に今でも海外からの観光客が来るくらいだから、ある意味和歌山の顔といってもいいだろう。

現在は2代目となる「ニタマ駅長」がお出迎え・・というところだがゲージの中でお休み中である。結構大きいサイズ。ただ、「初代」と「2代目」とでは・・・というところか。

時間があるのでホームに上がると、鳥居と祠がある。「たま神社」。祀られているのは「たま大明神」で、とうとう会様になってしまった。和歌山電鐵との「縁結び」をはじめ、商売繁盛、学業成就、開運出世、そして鉄道会社としての交通安全といったご利益があるとのこと。先ほど、貴志川線は沿線の「三社参り」の輸送を目的として開業したと触れたが、今ならさしずめ「たま神社」を含めた「四社参り」といったところだろう。

ホームにてのんびり過ごすうち、次の折り返し列車がやって来た。どの車両かな?と待っていたが、やって来たのは「動物愛護啓発ラッピング車両」。動物愛護、中でも犬や猫といった、気軽に飼うことができる一方、飼育放棄や虐待、遺棄、近隣トラブルが原因で殺処分されるケースが多いことに対しての啓蒙である。

外には動物たちのイラストがラッピングされているが、車内は普通のロングシートが並ぶ。子ども連れや外国からわざわざ乗りに来た人にとっては残念かもしれないが、私は逆にほっとした。かつての南海の車両の原形をもっともよくとどめているかと思う。今は廃止されたが、数年前までは南海電車の塗装の車両も走っていた。あちらこちらの鉄道会社で、昔ながらの塗装を復刻させて人気となる車両が出ている中、和歌山電鐵としてもう一度南海カラーを紛れ込ませてもいいのではないかと思うのだが・・。

帰りもトコトコ揺られる中、途中で「たま電車ミュージアム号」、そして先ほど乗った「たま電車」ともすれ違う。

終点の和歌山に到着。構内改札にて運賃を支払い、精算済のきっぷをもらい、JR構内を抜けていったん外に出る。帰りの新幹線まで少し時間ができたので(紀三井寺から竈山神社へのショートカットが大きかった)、昼食兼和歌山での久しぶりの一献とする・・・。

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和歌山8番「竈山神社」~神仏霊場巡拝の道・89(神武天皇の長兄を祀る、建国に関わる神社)

2024年02月25日 | 神仏霊場巡拝の道

JR西日本の西国三十三所のデジタルスタンプラリーのために、神仏霊場巡拝の道には加盟していない紀三井寺を訪ねた後、近くにあるということで和歌山8番・竈山神社に向かう。公共交通機関ならJRで和歌山に戻り、和歌山電鐵貴志川線にて最寄り駅の竈山まで行く。

ただ今回、スマホ地図を見る中で、紀三井寺から名草山の周りをたどれば徒歩で直接竈山神社まで行けるのではないかとして、4キロほど歩くことにする。紀三井寺の山門前から、県道135号線を歩く。135号線といえば通称「国体道路」として地元の主要道路の一つだが、今歩いているのは狭い旧道である。それでもクルマの交通量は結構多い。

和歌山県立医科大学のキャンパスからショートカットできそうなので、旧道を離れて住宅街の中を行く。その一角に石仏が並んでいる。案内板には「歴史の古道 三葛嶺(三昧道)」とある。粉河寺に通じる巡礼の道であり、神武天皇の神話や諏訪の森神社跡があり、石仏古墳の存在が往時を物語っているという。

住宅地やゴルフ練習場がある一帯を抜け、県道13号線に出る。この道は橋本方面に続いている。

紀三井寺を出発してから、途中コンビニにも立ち寄り、50分ほどで竈山神社に到着。ちょっとした運動になったかな。いったん境内の横から入る形になったが、参道を逆に歩いて正面の鳥居に向かう。ここにも「引退ポスト」を見かける。

竈山神社の創建時期は明らかではないが、平安時代前期の「延喜式」には「竈山神」とか「竈山墓」などと記されているそうだ。創建時期が明らかではないのは、戦国時代の羽柴秀吉の紀州攻めの時に社殿や古文書が焼き払われたためとされている。その後、江戸時代となり社殿は再建されたが、神社として格付けされたのは明治以降のことである。菊の御紋も使われている。

祭神の彦五瀬命(ひこいつせのみこと)は、鸕鶿草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)と玉依姫(たまよりひめ)の間に生まれた長男で、神武天皇の長兄にあたる。彦五瀬命は神武天皇の東征の際にともに行軍したが、大和の長髄彦との戦いの際に流れ矢で負傷し、それが元で亡くなった。その亡骸が葬られたのがこの辺りで、古墳とされるところに現在の竈山神社が建てられた。菊の御紋が使われているのはそうした歴史があるようだ。

和歌山の酒も奉納されている。

手を合わせた後、朱印をいただく。右上の墨書には「奉拝」の文字が入るのが一般的だが、ここに書かれたのは「肇國宏遠」の四文字。初めて目にする言葉のように思うが、「國を肇むること宏遠に」と読み、「教育勅語」の中にある言葉だという。2月11日の「建国記念の日」は、橿原神宮で神武天皇が初代天皇として即位したことで定められた祝日だが、神武の兄である彦五瀬命も日本の建国(肇國)に力を尽くしたということで、同様に敬意を表しているのだろう。

さてこの先だが、和歌山電鐵の竈山駅まで歩く。駅からは7~8分といったところで、駅近くには石の鳥居がある。今回は逆から来たが、竈山駅で列車を折りて神社に向かう参道らしい景色である。

竈山はホーム1本だけの簡素な駅だが、「三社参り」の文字が見える。「和歌山三社参り」とは和歌山電鐵沿線の日前宮、竈山神社、そして伊太祁曽神社の3つを指す。

せっかく来たのでこのまま和歌山には戻らず、終点の貴志まで行ってみよう・・・。

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神仏霊場巡拝の道~紀三井寺に参詣

2024年02月22日 | 神仏霊場巡拝の道

神仏霊場巡拝の道めぐりとしつつ、JR西日本の「駅からはじまる西国三十三所デジタルスタンプラリー」が気になって、神仏霊場の札所ではない紀三井寺を目指す。デジタルスタンプそのものは和歌山駅で獲得したが、ここまで来れば西国三十三所めぐりの4巡目としてお参りしよう。

紀勢線(きのくに線)の紀三井寺で下車し、まずは寺まで歩いて向かう。別にすべての札所が重なることもないと思うが、西国三十三所の和歌山県の札所のうち、第1番・青岸渡寺は熊野三山とともに神仏霊場の札所となっているが、第2番・紀三井寺、第3番・粉河寺はいずれも対象外である。それぞれの寺のスタンスもあるのだろうか。

山門に着くと以前とは何やら様子が異なっている。山門の右手にあるのはケーブルカーの乗り場。紀三井寺といえば231段の石段で知られていて、結縁や厄除けのご利益があるとされるとともに、この石段を早駆けするのも行事の一つとなっている。とはいうものの、昨今のバリアフリーへの対応である。ケーブルカーといっても高野山や比叡山にあるような本格的なものではなく、エレベーターのようにボタンを押せばやって来るというスタイルだ。2022年4月に開通したとあるが、現地に来て初めて知った。これまでは山門の横で拝観料(入山料)を納めていたが、このケーブルカーの開通後は、ケーブルカー利用は有料、石段を徒歩なら無料という仕組みになっているようだ。

せっかく来たのでケーブルカーに乗ると(これも一応「鉄道」?)、このブログでもネタになるところだろうが、ほとんどの人が子どもも含めて石段を上り下りする中、特に足が悪いとか、手助けを必要とするわけでもない中で利用するのはちょっと気が引ける。そこは普通に石段を上ろう。それでも、世の中の流れであるバリアフリーを採り入れ、お参りのチャンスを広げる紀三井寺の取り組みとして評価できるものである。

石段といっても、途中に湧く井戸や諸々のお堂に立ち寄るとそれほど苦にはならない。

本堂のある境内に到着。境内のお茶屋もリニューアルされたようである。ここに来るまでに空の雲も取れて、和歌浦の景色を楽しむことができる。西国三十三所にあって、海を望むことができる数少ない札所である。

さすがに2月中旬だと桜の標本木にはつぼみすらなく、そのまま外陣にてお勤めとする。

紀三井寺が開かれたのは奈良時代後期、唐の為光上人による。諸国行脚の時、名草山に霊光を感じ、十一面観音を感得したことでお堂を建てたのが最初とされる。以後、後白河法皇が熊野詣の際の勅願所としたり、江戸時代には紀州藩の保護を受けた。

重要文化財公開中とある。本堂奥の大光明殿にて、十一面観音や梵天、帝釈天などが公開されている。

朱印をいただき、西国三十三所めぐりでも4巡目満願に向けて前進した。ただ、熊野三山と天橋立という南北が残っており、デジタルスタンプラリーはあらかじめサービスでついているとはいえ、谷汲山にもいずれ行く必要がある。

下りもケーブルカーは使わず、石段を下りる。

さてここからだが、神仏霊場巡拝の道として和歌山8番・竈山神社を目指すことにした。鉄道なら、きのくに線で和歌山に戻り、和歌山電鐵貴志川線で竈山に行くのが便利だが、それぞれ列車は30分に1本の運転で、和歌山で待ち時間が生じる。一方、改めて地図を見ると名草山の西側を回る形で、紀三井寺と竈山神社の間は4キロほどの道のり。

・・・晴れているし、歩いてみようか。スマホで鉄道乗り継ぎ時間と直接歩いて向かうのとどちらが先に着くか検索したところ、このタイミングなら歩きのほうが早いようだ・・・。

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神仏霊場巡拝の道~そや、和歌山行こら・・

2024年02月20日 | 神仏霊場巡拝の道

2月12日、神仏霊場巡拝の道と西国三十三所めぐりを兼ねて播州清水寺に行き、JR西日本の「駅からはじまる西国三十三所デジタルスタンプラリー」は残り4ヶ所となった。何だか最近、神仏霊場めぐりといいつつ気になるのはこのデジタルスタンプラリーのことばかりである。

今回、その一つである西国第2番・紀三井寺に行こうと思う。

元々、第1番・青岸渡寺を含む熊野三山を1泊で回るプランを立てており、その帰りに和歌山で途中下車して紀三井寺のデジタルスタンプだけ獲得しようと計画していた。事実、他にも駅でスタンプだけ獲得して札所には行っていないところもいくつかあるのだが、和歌山はなかなか行けるところではない。神仏霊場の札所は紀勢線(きのくに線)沿線にいくつかあり、どのみちそれらを一グループとして訪ねる時が来るが、ともかく急遽、和歌山に一度行くことにした。これを思い立ったのが2月17日のことで、翌18日に出かけることにした。前日でも日本旅行での日帰り往復プランを使うことができた。

もっとも、紀三井寺は神仏霊場巡拝の道には加盟していない。そういえば同じ和歌山県の西国三十三所の中では、粉河寺も同様である。この札所に加盟する、しないというのはどういう線引きがあるのかわからないが、紀三井寺や粉河寺にはそれぞれの考えがあったのかもしれない。

ただ、関西では神仏霊場めぐり行っているので紀三井寺だけではなく、どこか札所には行ってみよう。近くには和歌山8番・竈山神社、あるいは和歌山7番・藤白神社といったところがあり、これらとのセットで日帰りも可能である。

いつもながら前置きが長くなったが、2月18日、広島7時18分発「のぞみ80号」に乗る。つい先日も新神戸まで乗ったのと同じ列車で、一体何をやっているのだろうかと思う。1日かけて急行「鷲羽」ミニツアーや播州清水寺に出かけるなら、その前後に1泊してでも紀三井寺をくっつけたほうがよほど効率的なのだが、なかなかまとまった時間が取れないので・・。

新大阪に到着。新大阪からは8時58分発の「くろしお3号」白浜行きに乗り換える。これで一気に和歌山まで南下し、普通列車に乗り継ぐことにする。新大阪から和歌山までの特急料金(全席指定)は1530円だが、「e5489」のチケットレス特急券を使えば850円で済む。大阪からは紀州路快速も走っているが、現在は日根野から先は各駅に停まることもあり、結構のんびりした列車である。急ぐなら特急に乗るということで・・。

「くろしお3号」の車両は「オーシャンアロー」編成。1号車は展望グリーン車である。

この「オーシャンアロー」の3号車に展望ラウンジを見つけた。座席が海側を向いているのが特徴で、ここで車内の時間を過ごすのもよさそうだ。今回、海の見える区間までは行かないが、しばらく座ってみる。

新大阪を出発。淀川を渡り、地下に入って大阪駅のうめきた地下ホームに着く。「はるか」や「くろしお」に大阪駅からでも乗降できるのは新たなポイントである。ただ日曜日の午前中、そう多くの乗客が乗り込んだわけでもないようだ。

ちょうど福島駅のところで地上に顔を出すのだが、なにわ筋の踏切がそのまま残ったのは意外である。大阪でクルマ移動する際、特急や貨物列車だけとはいえ1時間に何回か遮断器が下りるため、結構渋滞するところではある。将来「なにわ筋線」が本格的になればまた線路の形態も変わるだろうか。

野田から大阪環状線に合流し、複線を横切って西九条を通過する。ここまでを展望ラウンジで見届けた後で自分の座席に向かう。

天王寺から阪和線に入る。この先、和歌山までの停車駅は日根野のみで、特急の強みが活きるところである。ネット割引とはいえ、新大阪から和歌山まで追加の特急料金850円というのは妥当なところである。新幹線特急券との同時購入で「くろしお」の特急料金に乗り継ぎ割引が適用されるが、そうすると日本旅行の往復プランが利用できないし・・。大阪~和歌山間の神仏霊場めぐりは阪和線、南海本線それぞれ利用する機会があるようで、それもまた楽しみたい。

途中ウトウトするうち、和歌山への峠越えが終わり、紀ノ川を渡る。

和歌山に到着。いったん改札を出る。自動券売機の横に西国三十三所のデジタルスタンプのQRコードが掲示されており、この先の紀三井寺駅にもあるが、忘れないうちにここでスタンプを獲得する。これで、残すは西国第1番・紀三井寺と、第28番・成相寺、第29番・松尾寺という南北の端だけとなった。

10時22分発の簑島行きに乗り、紀三井寺に向かう・・・。

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兵庫13番「播州清水寺」~神仏霊場巡拝の道・88(ワンちゃんに開放的な寺院)

2024年02月17日 | 神仏霊場巡拝の道

3月16日、北陸新幹線の金沢~敦賀間が開業する。ちょうど1ヶ月前となった2月16日、開業初日の指定席が発売開始となった。さぞ、指定席は秒殺で売り切れだろうなとニュース記事を見ると、はたして金沢から敦賀に向かう一番列車は秒殺だったとある。さすがだ。

もっとも、この記事を書いている16日夜の時点では、それ以降の列車には十分な空席があり(さすがに窓側が全部埋まっている列車はあったが)、何なら今から思い立って開業初日に広島から日帰りで金沢まで行くことも可能だ。まあ、特に開業初日に乗って「きれいな体」を保つ必要もないし(そもそも、北海道新幹線や東北線など、未乗区間もぽつぽつ出ている)、そもそもその日は所用があるので、これから乗る機会はいくらでもあるだろう。

能登半島地震の影響も残る中、これが東京から金沢まで新たにつながったのなら復興への大きな話題となったことだろうが、開業するのは金沢から先の区間。恩恵を受けるとすればむしろ福井県側となるが、関西や名古屋から見れば、部分開業のため乗り換えが生じることで不便も感じるところ。開業当日となれば大賑わいとなるのだろうが・・。

さて話は本題の神仏霊場巡拝の道である。午前中、神戸~大阪間の急行「鷲羽」ミニツアーを楽しみ、ぎりぎりで列車に乗ることができて相野に到着し、1日2本の路線バスの2本目に間に合った。最後は清水バス停から料金所をくぐり、山門への専用道を走る。入山料はバス下車時に運賃とは別で支払う。バス運賃はICカード対応だが、入山料は現金払いである。

バスが到着すると、犬を連れた人が珍しそうにバスに近づいてきた。「1日2本だけやって」と笑っていた。折り返しの最終バスは14時50分発で、寺の滞在時間は50分ほどあるが、これを逃すとしゃれにならない。

播州清水寺を開いたのは天竺からの僧・法道仙人と伝えられる。法道仙人は播磨一帯の山岳寺院を開いたとされている。後に、推古天皇の勅願で十一面観音を本尊とする根本中堂が建てられ、聖武天皇の勅願で千手観音を本尊とする大講堂が建てられた。それにしても、播磨、丹波にまたがるこの一帯にわざわざ推古天皇や聖武天皇の勅願で寺が開かれたのはどういう背景があったのだろうか。

境内を進むと犬を連れた人の姿が目立つ。これまで巡拝で訪ねた時にはこうした光景はなかったように思う。犬も大小さまざまな種類がいる。犬はあまり好きではないので(猫派)敬遠するばかりだが、播州清水寺が安産祈願の戌の日に特にちなんだものがあるわけでもないようで・・。

播州清水寺が犬をつれての参詣を歓迎するとしたのはこの数年、もっといえばコロナ禍からだという。住職が愛犬家ということもあったが、コロナ禍で閉塞感が漂う中、山上の広い境内を愛犬と一緒に散歩して(「密」にならない)リラックスしてもらおうということで、SNSで犬の散歩連れを歓迎する旨を発信したところ話題になったそうだ。今ではドッグランもあり、犬をあしらった御守りも登場している。

奈良の「せんとくん」の生みの親である彫刻家・籔内佐斗司氏の手による十二神将が内部を囲む薬師堂にて手を合わせる。

本堂にあたる大講堂に入る。犬はさすがに堂内に入ることはできない。中に入ってのお勤めとする。

西国三十三所の先達用納経帳、そして神仏霊場の朱印帳にそれぞれ朱印をいただく。気づけばこのところ兵庫県の神仏霊場めぐりの機会が多く、元々札所が少ない地区だが、残すは生田神社、天上寺、須磨寺、そして一乗寺である。一乗寺だけポツンと離れることになったが・・。

大講堂の先、昔からの徒歩での参道側に行ったところにあるのが「引退ポスト」。1955年頃までは境内にて現役で使われていたが、別の場所に新たなポストができたことで「引退」した。その後は長く放置されていたが、それをしのびなく思った今の住職がこの場所に移した。現在は新緑や紅葉のスポットにもなっており、犬連れの人たちにも人気だという。

帰りのバスの時間が気になる中、石段を上がって根本中堂に向かう。

その奥にあるのが清水寺の名の由来ともいえる「おかげの井戸」。井戸の水面に顔を映すことができれば寿命が3年延びるという言い伝えがあるが、この時は光の加減か、水面で顔を見ることができなかった。寿命はどうやら延びないようで・・。

最後に火災で焼失した多宝塔跡を回り、バス停に戻る。途中、こんだ薬師温泉や、立杭焼のスポットから帰る乗客の利用もあり、相野駅に到着。

今回は広島~新神戸間の日帰り往復プランを利用しているが、変化をつける意味でいったん三田で下車し、神戸電鉄に乗り換える。この区間に乗るのも久しぶりだ。

そして谷上で地下鉄に乗り換える。かつては北神急行電鉄という、神戸電鉄、阪急電鉄、神戸財界が出資した会社による路線だったが、2020年に神戸市交通局に移管された。民営化ではなく市営化したことで逆に運賃が安くなったという珍しい例である。

新神戸に到着。これで、今回も循環ルートが成立し、新幹線で広島に戻る。せっかくなので三宮あたりで一献やってもよかったが、翌日の仕事にそなえて早めの帰宅。車内でいただいたのは、私のお気に入りの一つである「神戸中華焼売弁当」・・・。

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神仏霊場巡拝の道~大阪駅で115系と新型「やくも」に巡り合う

2024年02月15日 | 神仏霊場巡拝の道

「大阪来てな! TRAIN DAYS」のイベント列車として運転された115系湘南色車両による急行「鷲羽」のミニツアー。11時26分、列車は大阪駅の10番ホームに到着。日中は大阪止まりの列車が到着するくらいでそれほど多くの人はいないのだが、ホームには大勢の撮り鉄、見物客が待ち構えていた。テレビの取材陣も来ているようだ。

ホームにはロープが張られ、ツアー客はその内側で12時頃まで撮影ができ、ツアーに参加できた特典といえる。ただ、後ろからの罵声、怒号というのが半端ない。乗りたかったけど乗れなかったのでせめて見物に来た・・という人も多いことだろう、その無念さも籠っているように聞こえる。

ただそのホームの内側も、先頭部の撮影のためにツアー客が集まって来る。駅員も危険を呼びかけるのに必死だ。

向かいの11番ホームは特急「サンダーバード」が発車するホームだが、車両全体を撮るならあちらからのほうが適しており、何重ものひとだかりである。神戸を出発した時の比ではない。ここまで鉄道ファンが押しかけた現場も久しぶりの体験である。

その11番ホームに「サンダーバード」金沢行きが入って来た。時間帯からして、11時42分発の「サンダーバード19号」のようだ。かつての湘南色の電車、そして大阪駅で見られるのもあとわずかの「金沢」の文字。これで居合わせた人の熱量もあがったようだ。これがJR九州なら「リレーはくたか」、「リレーつるぎ」などという名前で、「敦賀(金沢)」という表示にするのかもしれないが・・。

残り1ヶ月となったが、「サンダーバード」の惜別乗車に出る予定はなく、これで見納めになるのかな・・。

先ほどまでの時間で、115系のサイドボードが「新快速」、「神戸~新快速~大阪」に置き換えられていた。新快速がデビューした1970年当時、115系ではないが東海道線、山陽線を走っていた兄弟分の113系が使われていたという。

これ、長い歴史を持つ湘南色での運転だったから大阪駅も賑わったが、現在岡山、山口地区を走る黄色一色の115系だたら・・。

再びサイドボードが「鷲羽」に戻され、115系の発車の時刻となる。その時もまた罵声、怒号である。ニュースでは大阪駅に約1000人のファンが詰めかけていたとあったが、3月の「サンダーバード」運転最終日となるとどのような騒ぎになるだろうか・・。

急行「鷲羽」の115系が去ったその後、神戸方面から新しい光が差し込んできた。

その正体は、新たに「やくも」としてデビューする273系。大阪でのお披露目ということで岡山からやってきた。

そろそろ「鷲羽」ミニツアーは解散時刻なのだが、この後、大阪駅ではもう一つのイベントとして、新型「やくも」273系の車内見学会が行われる。その車内見学会も事前抽選制で、これも相当な競争率だったという。それでも、「鷲羽」と「やくも」の両方当選したという人がいたかもしれない。

それでも、「鷲羽」ミニツアーに参加したことで、解散までのほんの一瞬だけでも間近で見られたのは思わぬ特典だった。一応、3月の試乗会には応募しているが、これからの車両なのでいずれ乗る機会はあるだろう・・(その前に、現在の旧国鉄特急色の381系に乗っておきたい)。

新型「やくも」にも出会えたのはよいとして、ツアー解散を前に内心ではひやひやして時計を気にしていた。実はミニツアーの案内にあった12時「頃」解散というのはちょっとしたギャンブルかな・・と思っていた。

今回の神仏霊場めぐりは(そうです、本来の目的は神仏霊場)、播州清水寺を目的地としているのだが、最寄り駅の相野から清水寺に向かうバスは1日わずか2本しかない。そして、最終となる2本目のバスは相野駅を13時10分に出発するが、大阪を出てバスにぎりぎり間に合うのが12時07分発の区間快速篠山口行きである。

115系が大阪に着いた後に撮影タイムが設けられているとして、そのまま流れ解散だったり、早めに改札を出ることができれば余裕で乗り換えられるのだが、そこは混乱を避ける意味もあり、ツアー参加者全員揃って改札を出るという。それでも12時ちょうどに出られれば問題ないのだが、解散前の人数確認をしっかり行うという。団体ツアーなのでそれはわかるのだが、係の人が「合わへんな~」として何回も数え直すから時間がかかる。新型「やくも」の横で12時を回った。

もし解散が遅れて、その後の行程が遅れたらどうするか。・・まあ、寺はあきらめて相野でデジタルスタンプだけいただき、そのまま三ノ宮まで南下して昼飲みでもしようか・・、いやいや、それももったいないな・・。

その中、ようやく人数確認ができたことで移動し、改札を出ることができた。そのまま小走りにICカードをかざしてホームに下りて、何とか12時07分発の区間快速に間に合った。

そのままJR宝塚線、福知山線を走り、相野に到着。改札横のQRコードを読み込み、播州清水寺のデジタルスタンプを無事に獲得。

無事に清水寺行きのバスにも間に合い、数人の客とともに揺られる。安心したのか、途中ウトウトしながら・・・。

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神仏霊場巡拝の道~115系湘南色「鷲羽」ミニツアー

2024年02月14日 | 神仏霊場巡拝の道

今回の神仏霊場巡拝の道めぐりは、目的地である兵庫13番(西国三十三所第25番)・播州清水寺に向かう前に「大阪来てな! TRAIN DAY」のイベントの一環である急行「鷲羽」ミニツアーとして、神戸~大阪間を移動する。当日の様子を伝えるネット記事によると、100名の募集人員に対して競争率は35倍もあったという。

使われる車両は現在も岡山地区で走っている115系の湘南色3両編成。急行が走っていた当時は幼かったので実物は見たことないが、湘南色といえば東海道線、山陽線の普通や快速として走っており、その意味では懐かしいところだ。

列車が入線すると、ツアー参加者が乗車する1番ホームは人数が少ないので比較的穏やかな雰囲気だったが、向かいの2番線は一般の新快速利用客に加えて大勢の撮り鉄が集まっており、ざわついたものだった。この車両は早朝に岡山を出発し、その途中の走行シーンの撮影画像も早速SNSにアップされている。

しばらくはホームからの撮影。「鷲羽」のヘッドマーク、サイドボードが掲げられる。「大阪来てな!」のボードとともに記念撮影する人も。

3両編成の先頭が停まっているのはちょうど東海道線と山陽線の分岐点である。これも粋な計らいだろう。

準備ができたようで車内に入る。今回の席決めのくじ引きの結果は、ドア横の2人掛けロングシート。このくじ引きは参加人数に応じて行われており、2人以上参加の場合は固まるように、1人参加はボックス席の相席か、ドア横のロングシートとしているようだ。100人のツアー客が3両に分散、ある程度ゆったりできるようで、私も2人掛けロングシートを1人で使うことができた。

中吊りポスターの位置には、旧国鉄時代からの車両、そしてJR以後の新旧車両が並ぶシーンの写真が並ぶ。私が乗ったのは3号車だが、こちらでは103系や201系といった通勤型車両の写真が並ぶ。他の車両では違うジャンルの車両の写真が飾られているそうで、車内が落ち着いたら見に行こう。

駅員の見送りを受けて発車。早速スピードを上げる。新快速をはじめひっきりなしに列車が行き交う区間なのでちんたら走るわけにもいかず、いきなり全力だ。その中で、三ノ宮を通過する。現在、「スーパーはくと」や「はまかぜ」といった特急の中には、三ノ宮に停車して神戸は通過・・という列車があるが、その逆というのはイベント列車ならではである。途中の通過駅のホーム、あるいは跨線橋などには大勢の人たちがカメラを向けていた。私はこうした列車に乗れることで満足だが、カメラを向けるほうは必死の様子で・・。

岡山、山口地区の115系も現在は転換クロスシート車がほとんどで、こうしたセミクロスシートの景色も今や数少なくなった。

車内が落ち着いたことで弁当とお茶が配られる。いただいたのは「トワイライトエクスプレス弁当」。かつてこの列車を牽引していたEF81機関車を陶器に仕立てた弁当箱にちらし寿司が入っている。こうした弁当を出すのは・・そう、淡路屋である。「ひっぱりだこ飯」や「JRコンテナ弁当」など、中身より器の値段のほうが高いのでは?とも思う一品も数多く手がけている。「トワイライトエクスプレス弁当」もかつて販売されていたのをイベントで復刻販売することがあり、価格は1400円くらい。このミニツアー料金が2000円ということを考えると、キャンペーンの一環とはいえ、JR西日本、およびツアー主催の日本旅行は採算が取れるのか、いやそもそも採算度外視のイベントなのか、わからなくなってきた・・(弁当についてはそのまま自宅に持ち帰った)。

列車は西ノ宮を通過した少し先で速度を落とし、そのまま停車。側線があり、貨物列車も停車している。ここで乗車時間のおよそ半分となる30分ほどの停車である。ホームから離れているのも混乱を避けるためだろう。

車内イベントとして、各号車順に鉄道写真家3名によるトークショーが行われた。車内に掲げられた列車の写真はいずれもこの方々の手によるものだという。

この後、2号車、1号車の写真を見に行く。湘南色やオリジナル色の115系、113系もいれば、かつての新快速117系、機関車に牽引された客車列車、「トワイライトエクスプレス銀河」、特急「雷鳥」などの電車特急など、幅広く多士済々である。この中で3月16日、北陸新幹線の敦賀開業にともない、大阪から北陸方面の特急は敦賀止まりとなる。気がつけばもう1ヶ月先である。

車内での一時を楽しみ、再び大阪に向けて発車する。貸切イベント列車だからということで窓を開ける人も。この日はそれほど寒さも感じず、これもかつての急行の旅をちょっとだけ復刻したかのようである。

淀川を渡ると大阪駅も近く、定刻の11時26分、「鷲羽」は10番ホームに到着。

この後、ホームにて約30分間の撮影タイムがあるのだが、大阪駅は大変なことになっていた・・・。

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兵庫5番「湊川神社」~神仏霊場巡拝の道・87(急行「鷲羽」ミニツアーに参加)

2024年02月13日 | 神仏霊場巡拝の道

JR西日本の「駅からはじまる西国三十三所デジタルスタンプラリー」。実際の西国三十三所めぐりの4巡目とはリンクしていないのだが、3月末までのキャンペーン残りの期間で、第1番・青岸渡寺(紀伊勝浦)、第2番・紀三井寺(和歌山、紀三井寺)、第25番・播州清水寺(相野)、第28番・成相寺(天橋立)、そして第29番・松尾寺(東舞鶴)の5ヶ所となった。もっとも南と北が残り、その中間に一つ残っている。とりあえず、和歌山方面と丹後方面で1泊ずつのプランを組み、間の相野駅には丹後方面に向かう途中で組み入れられないか、あるいはここだけ単独で訪ねるかという両方でプランを考えていた。

・・・タイトルは神戸の湊川神社となっている。そして急行「鷲羽」ミニツアーとは何ぞや??ということで、いつものことながら前置きが長くなる。

1月、鉄道関連のネットニュースを見えいると、「115系湘南色 リバイバル急行鷲羽ミニツアー」という見出しが目に留まった。JR西日本の「大阪来てな! TRAIN DAYS」というイベントが2月12日に行われるとあり、その一環として現在も岡山地区で走っている115系湘南色をかつての急行「鷲羽」に見立てて、神戸~大阪間のイベント列車として走らせるとある。また大阪駅では、この4月から新たに「やくも」でデビューする273系の車内公開イベントも行われるという。

この急行「鷲羽」はかつて京都・大阪~宇野間を走り、宇高連絡船と接続することで関西と岡山、四国を結ぶ役割を果たしていた。かつては湘南色の急行型電車での運転だったが、それを近郊型の115系で復刻運転するものである。115系の湘南色は現在も岡山地区で走っていてたまに遭遇するのだが、岡山地区でもかつての国鉄型の置き換えが始まっており、この車両に乗る機会もなかなかないだろう。またこの日のために岡山から遠征し、大阪駅に乗り入れるというのも珍しいことだ。

日本旅行のツアーとして行われるが、時刻を見ると9時30分に神戸駅集合、大阪駅での解散は12時頃とある。・・ということは、午後から夕方まで時間が生まれるので、ミニツアーの後に播州清水寺最寄りの相野に行ってみることにした。新型「やくも」は3月の試乗会に申し込んでいるし、またこの先乗る機会もあるだろうから今回はよしとする。

驚くのはこのツアーの価格。神戸~大阪間の利用、乗車前・乗車後の撮影タイムに加えて、昼食の弁当までついて2000円である。先着順ではなく抽選制で、当選者のみメールが来るという。とりあえず2月12日は関西に向かう日として、仮に落選だったとしても播州清水寺や他の札所に行く予定とした。

・・・当選者に順次メールが送信されるというその日、日本旅行からのメールが届いた。当たる時は当たるもので、これは神仏霊場めぐりのご利益とありがたく感謝する。これは2月12日の乗車後に目にした記事だが、この「鷲羽」ミニツアー、募集人数100人のところ3500人を超える応募があったそうだ。競争率35倍! そこまですごかったのか。当日、神戸駅、途中の沿線、そして特に大阪駅がすごいことになっていたのだが、そのことは改めて書くことにする。

さて、出発数日前に来た最終案内のメールによると、当日の受付は9時00分~9時20分の間に済ませるようにとある。座席は当日「くじ引き」で決まるそうだ。その後、神戸駅での撮影タイムを経て10時24分に発車、11時26分頃大阪に到着とある。阪神間といえばひっきりなしに列車が走っており、新快速なら約30分で着く距離だが、そこを1時間かけるということはどこか途中で長時間退避するのだろうか。そして大阪到着後にもホームでの撮影タイムがあり、12時頃に解散となる。この「12時00分頃」というのが播州清水寺への行程にとって微妙なところなのだが、それも改めて書くことにする・・。

2月12日、広島7時18分発の「のぞみ80号」で出発。新幹線で東に向かう場合は6時台の列車に乗ることが多いのだが、神戸駅での集合時間から逆算してこのくらいの出発となった。多少、家をゆっくり出ることができた。

8時29分、新神戸到着。JR神戸駅に向かうのなら地下鉄で三宮に出てJR神戸線に乗り換えるところだが、気づけばそのまま地下鉄に乗っていた。

下車したのは大倉山。地下鉄の西神・山手線からJR神戸駅へは700~800メートルほどである。改札横ではオリックス・バファローズのポスターも見かける。今季の公式戦日程、まだ詳しくチェックしているわけではないのだが、神戸でも1回くらい観戦したいものである。

大倉山駅からJR神戸駅まで歩くのだが、これは事前に意図したことではなかったが、神仏霊場の兵庫5番・湊川神社の横を通る。今回からは、西国三十三所のデジタルスタンプラリーを優先してあみだくじによる行き先決めはしていないが、札所の真横に来たからには手を合わせることにしよう。集合時間にはまだ少し時間がある。

湊川神社に来るのは10数年ぶりだろうか。今は亡くなった当時の友人と、生田神社、湊川神社、長田神社と正月時期にハシゴしたかな。

湊川は南北朝の争いの中で、南朝方の楠木正成が北朝方の足利尊氏との戦いに敗れ、自害した地である。江戸時代に入り、正成の戦死の地を比定して供養塔を建てたのが始まりで、徳川光圀が正成を忠臣として讃える石碑を建立した。その後は水戸学の学者たちにより勤皇家として崇敬され、明治になり神社として建立された。

神仏霊場めぐりでは、河内長野にある観心寺は正成の本拠地千早赤坂に近く、墓所もあることから参詣する人が後を絶たないが、湊川神社は正成自身が主祭神とされている。明治以降、戦前までは忠孝の手本とされて教科書をはじめさまざまなところで英雄視されていたが、当の本人がもしそのことを目や耳にすると、どういう反応をするだろうか。

ある意味日本の歴史を物語るスポットだし、宝物殿もあるので本来なら立ち寄るべきところだが、この後の集合時間も気になったので後にする。大倉山駅方面から来たので、境内の脇から入って正面に出る形である。戦前に建てられた表門の脇に、かつての尼崎藩主の手による正成の墓碑や、徳川光圀像もある。徳川光圀・・水戸黄門。時代劇では助さん格さんらと諸国を漫遊し悪を懲らしめているが、実際の業績として大きいのは「大日本史」の編纂、そして幕末維新につながる水戸学の基礎を作ったことにある。

湊川神社から神戸駅へはすぐである。集合場所の中央コンコースには「鷲羽」ミニツアー参加とおぼしきその筋の人たちが集まっており、私も受付を済ませる。係の人の手元にはすでに多くのチェックが入っており、座席を選ぶくじ引きもほぼ「残り福」の状況だった。日本旅行の袋の中に、座席番号が書かれた硬券が出て来た。115系はセミクロスシート車だが、割り当てられたのはボックス席か(そして向きは?)、それともロングシートか・・。

係の人からこの後の行程案内や諸注意があった後、誘導されて有人改札からホームに向かう。向かうのは湊川神社寄りの1番ホーム。このホームに足を踏み入れるのは初めてだが、普段でも朝のラッシュ時に数本の列車が停まるくらいだという。列車運行の妨げとならないよう、あまり使われないこのホームからの出発である。

神戸駅といえば、現在でこそJR神戸線として、新快速や快速がひっきりなしに発着する「中間駅」だが、路線名でいえば東海道線と山陽線の境界駅である。1番ホーム、そしてその線路にはその表示があり、これを間近で見ることができたのも参加費「2000円」のうちとなった。

向かいの三ノ宮、大阪方面のホームには人だかりができている。その中、姫路方面から115系3両編成の入線となる・・・。

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第14回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~黒さつま鶏で一献、広島に戻る

2024年02月10日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

2日間にわたった九州八十八ヶ所百八霊場めぐり。今回で東九州を回り終えて鹿児島まで来たことで一段落である。次回からはアクセスに九州新幹線を使うことができ、現地の滞在時間も少しずつ長くなる。

帰りも「バリ得」プランで鹿児島中央18時59分発「つばめ334号」博多行き~博多20時52分発「ひかり592号」新大阪行きを乗り継いで広島に戻る。それよりも早い時間の「みずほ」や「さくら」に乗れば早く帰ることができるが、「バリ得」プランの基本は「つばめ」、「こだま」利用である。それでも19時前まで鹿児島にいられるとは、やはり新幹線の強みである。

鹿児島駅に戻ったのは16時すぎ。ならば、鹿児島でちょっと一献くらいはできそうだ。鹿児島中央までの乗車券を持っていたが、残り1駅間は放棄して市電で繁華街の天文館まで移動する。

鹿児島に来るのがいつ以来かなとブログの過去の記事を見ると、2010年5月の大型連休中だった。その時は小倉から「ドリームにちりん」で宮崎に着き、その後は都城に出て吉都線~肥薩線に乗車。肥薩線では開業当時からの木造駅舎が残る嘉例川、大隅横川に立ち寄った後、夕方に鹿児島中央に到着。その時は天文館まで出て「居酒屋ゆ 5号館」という店に入った。地鶏のたたき、きびなごの刺身、黒豚料理などを味わったとある。そして店を出た後のしめは「こむらさきラーメン」。2010年の南九州行きはその後指宿枕崎線とバスによる薩摩半島一周、「鹿児島王将」、さらに肥薩線の矢岳越えなど、当時だから楽しめたことが多く、今改めて過去の記事を読み返している。当時とは立場も異なり、そこまで旅を満喫するのが難しくなっているが・・。

この記事を書くにあたり、過去どの店に入ったか、落ち着いて記事を調べることができているが、現地にいた当日はそこまで頭が回らなかった。やはり年を取ったものだと思う。もっとも、開店時刻まで結構時間があったし、そもそも鹿児島の中心部で時間が取れるとは思わなかった分、持て余す形になった。

結局ふたたび市電に乗り、鹿児島中央駅までやって来た。この後新幹線に乗ることを考えると、駅近くにいたほうがよいだろう。おそらく次回以降の八十八ヶ所百八霊場めぐりで鹿児島に宿泊することになるだろう。その時に「居酒屋ゆ」を含めた一献を楽しむことにしよう。

鹿児島中央に着いたのは17時を回った頃。ちょうど居酒屋も開店する時間である。しばらく周辺をぶらつき、入ったのは「薩摩きんぐ」という店。看板の文字が「焼肉きんぐ」に似ていて、幅広い系列店なのかなと思ったが、真偽のほどは定かではない。前夜の国分でも鶏料理メインだったが・・。

こちらでは「黒さつま鶏」が売りだという。そして飲み物だが、まず生ビールを注文しようとすると、1人でも飲み放題プランがあるという。是非もなし。

食べ物は鶏のタタキもあり、黒さつま鶏のハツ刺し、レバ刺しもいただく。黒さつま鶏・・黒豚、黒牛と同じく「黒」をアピールしているが、鹿児島には「碁石」と呼ばれる黒い羽を持った鶏がいるということである。前日の国分、そしてこの日の鹿児島と、2日続けて地鶏メインでの一献である。

そして焼き鳥の数々。一般的なところを一通り注文するが、店の一押しは鶏トロ。鶏1羽からわずか2個しか取れない肩の辺りの部位である。

鶏肉以外だとさつま揚げ。

飲み放題プランということだが、この日は無理に芋焼酎は注文せず、ビールのお代わりの他、普通にレモンサワーや、熊本産のデコポンサワーなどをいただく。これだけでも十分もとは取れる。他にもスタッフそれぞれ一押しの様々な一品料理があるが、それは別の機会として、新幹線の時間も気になるので店を後にする。

店にいる間に外はすっかり暗くなり、アミュプラザ鹿児島の屋上、ある意味現在の鹿児島のシンボルとなっている観覧車もイルミネーションの一部となっている。観覧車からは鹿児島の市街地、そして桜島の眺望が楽しめるという。

18時59分発「つばめ334号」に乗り込む。九州新幹線のこの区間に乗るのは、ひょっとしたら新八代までの部分開通以来ではないだろうか。2010年5月の鹿児島旅行では肥薩線で八代に抜けていた。この時間なので外の景色は望むべくもないが、途中の川内、出水を含めた各駅に停まることで、鹿児島県を走っていることを感じることにしよう。

新八代に到着。今回の八十八ヶ所百八霊場めぐりは新八代からの「B&Sみやざき号」から始まったが、ある意味ここまでが「往路」ともいえる。

その「往路」で通過した新玉名、新大牟田、筑後船小屋を含む各駅に停まり、終点・博多に到着。

次に乗る20時52分発「ひかり592号」までは8分の連絡だが、幸い同じホームの向かい側から発車する。新大阪までの最終1本前の列車だが、新大阪までの停車駅は小倉、新山口、広島、福山、岡山、姫路、新神戸で、「さくら」とほとんど変わらない。次の最終列車「みずほ614号」は指定席料金も「のぞみ」と同様割高になるが、「ひかり592号」なら日本旅行の「バリ得」でも利用できるし、ある意味重宝される列車のようだ。「のぞみ」と同じ16両編成だが、指定席も結構な乗車率である。

そんな中、一献やった後(プラス「つばめ」の中でもちょっと飲んで・・)の寝過ごしだけに気をつけて、無事に広島で下車。やれやれ・・・。

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第14回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~仙巌園から桜島を望む

2024年02月08日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

今回の九州八十八ヶ所百八霊場めぐりは鹿児島市に入った不動寺で終わり、午後の残りの時間は鹿児島のスポットめぐりとする。そこで向かうのは、ちょうど日豊線沿いにある「名勝仙巌園」である。確か以前は「磯庭園」という名ではなかったかと思う。

先ほどの不動寺から地図で見ると徒歩で30分くらいで行けそうだ。スマホ地図を見ながら進み、国道10号線に出る。片側1車線で、クルマがひっきりなしに行き交っている。

とそこに、トンネルが穴を開けて待ち構えている。よく見ると幅1メートルもないわずかばかりの歩道があり、何とか通れそうだ。ここが通れないと結構な大回りになってしまう。長さは400メートルほどあり、向こうから歩行者、自転車が来たらすれ違いも相当困難に思ったが、幸いそうしたこともなくトンネルを抜けた。後で地図を見ると山登りの道もあったようだが、トンネルの中を歩いて時間短縮ができた。

トンネルの向こうに洋館の建物が見える。鹿児島紡績所の建築を指導する技師たちの宿舎で、「異人館」と呼ばれている。

そして向こうには桜島である。先ほどは日豊線の車両の汚れた窓からの眺めだったが、ここに来てくっきりと見えるようになった。霧島から桜島に向かう今回の八十八ヶ所めぐり、改めて錦江湾越しの景色を楽しむ。コンビニの駐車場がビュースポットになっているし、その前を日豊線の列車が走るのもよい。

これで仙巌園に到着したようだ。まず出迎えるのは尚古集成館。幕末、薩摩藩主の島津斉彬が進めた近代化の一つとして建造された機械工場の建物で、現在は島津氏に関する史料や工芸品などが展示されているが、「明治日本の産業革命遺産」の一つとして世界遺産に認定されている。ただあいにく、現在耐震・リニューアル工事のため本館は休館中とある。

庭園だけでも見るとしよう。そもそもは江戸時代前期、鹿児島の磯地区に島津氏の別邸として築かれたもので、錦江湾、そして桜島を借景としている。その後、錦江湾を埋め立てるなどして面積を拡大していった。

まず入ったのが、「鹿児島世界文化遺産オリエンテーションセンター」。薩摩の近代化に関することを一通り学ぶことができる。その象徴といえるのが園内にある反射炉。反射炉といえば「ダッシュ島」にもその跡があり、番組の企画で鋳物製造も行われているが、幕末の反射炉が近代化につながった・・というのは、鉄製の大砲の製造が可能になったからだという。

それはそうと、世界文化遺産に登録されている「明治日本の産業革命遺産」は広域にわたっており、鹿児島のほかには山口、福岡、佐賀、長崎、熊本、静岡、岩手に点在している。またジャンルも多岐にわたっており、この時私がいる尚古集成館、反射炉跡もあれば、萩の松下村塾、三池炭鉱や八幡製鉄所、三菱長崎造船所、グラバー邸、軍艦島・・など、このところの世界遺産登録に見られる「団体戦」である。もっとも、私の出身である藤井寺市にもある世界文化遺産「百舌鳥・古市古墳群」はより小粒な「団体戦」といえる。当時の実家の近くで、普通に子どもが遊び場として上っていた小さな古墳も「世界遺産」になったのだから・・。

昔は、「姫路城」、「原爆ドーム」、「厳島神社」といった単独での世界遺産登録もあったが、このところは広い地域、長い時間をトータルでとらえて・・という要素が強いようだ。単にネタ切れなのかもしれないが・・。

そのまま土産物店が並ぶ一角を抜け、正門の跡も過ぎる。この先が本格的な庭園である。

ちょうど別宅の御殿からの桜島の景色が広がる。この辺りが、桜島を借景とした庭園らしいとことである。

さらに進み、桜島の展望スポットに出る。先ほどは庭園とのセットだったが、少し高い位置に設けられたスペースでは錦江湾、桜島をそのまま望むことができる。鹿児島から桜島へのフェリーの便もあり、次回以降の九州八十八ヶ所百八霊場めぐりのではぜひとも桜島にも渡ってみたいt思う。

眼下には国道10号線、そして日豊線の線路が走る。ふと、ここを走る日豊線の列車と、錦江湾、桜島を合わせた写真が撮れないかと思う。しばらく待つと鹿児島駅方面からの列車が来るようで、それをコンパクトデジタルカメラで狙ってみる。タイミングが思いっきりずれてしまったが・・・。

この後も園内を散策する。さまざまなスポットもあれば工芸体験ができるスペースもあり、尚古集成館と合わせるとその気になれば半日いっぱい楽しめるスポットではないかと思う(食事ができるスポットもあるようだ)。

午後から時間がある・・といいつつも、帰りの新幹線の時間もあるし、せっかく鹿児島まで来たのだから新幹線に乗る前の一献というのもいいだろう。巡回バスの「カゴシマシティビュー」に乗る。鹿児島市内の観光スポットを結ぶルートで、車内でも運転手による観光スポットの案内がある。

このまま乗れば鹿児島中央駅まで行くのだが、コインロッカーに荷物を預けたこともあり鹿児島駅前で下車。過去は操車場だったと思われる場所は高層マンションのほかに芝生広場やフットサルコートを備える「かんまちあ」として整備されており、子どもたちや家族連れで賑わっている。その脇には鹿児島貨物ターミナル、さらにコンテナ越しに桜島も見守っている・・・。

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第14回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~第44番「不動寺」(鹿児島の廃仏毀釈の名残を見る)

2024年02月06日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

九州八十八ヶ所百八霊場めぐりはいよいよ鹿児島に入った。下車した鹿児島駅は鹿児島線と日豊線の正式な終点である。これは鹿児島線の歴史によるところだが、元々の鹿児島線は先ほど通って来た肥薩線~日豊線のルートで錦江湾沿いに東から建設され、終点・鹿児島となった。

後に八代から海岸周りのルートが開通し、鹿児島とつながった。その時にできた駅が武、後の西鹿児島である。戦後、鹿児島の市街地整備にともない、従来の鹿児島から西鹿児島が発展するのにともない、列車の運転も西鹿児島が中心となった。そして、九州新幹線の開業にともない、西鹿児島は鹿児島中央へ。文字通り、鹿児島の中央となった。

市の代表駅を譲った鹿児島駅だが、貨物ターミナルはかつての歴史を受け継いでこちらに残っている。また駅周辺も再開発が進み、駅舎も最近改築された。自由通路から桜島を眺めることもできる。

さてこれから向かうのは第44番・不動寺。八十八ヶ所でいえばちょうど中間点となる(実際には、20ヶ所の追加札所があるのでちょうど半分というわけではないが)。一応近くまで路線バスの便もあるようだが、歩けない距離ではないので荷物をコインロッカーに預け、住宅地の中、少しずつ上りとなる一帯を歩く。その中、桜島の火山灰の集積コーナーを見かける。朝、テレビのチャンネルをいろいろ変える中で天気予報を見たが、普通に雨雲レーダーによる降雨予報を伝える感覚で、桜島近辺の風向きや降灰の予報が流れる。この日(1月28日)は噴火は観測されていないが、引き続き噴火警戒レベル「3(入山規制)」という。

さて、不動寺に向かう前に、スマホ地図を見ながら少し回り道をした。着いたのは鹿児島玉龍中学・高校。その校舎の裏手にある福昌寺「跡」である。

福昌寺は曹洞宗の寺院で、総本山・總持寺の直系であった。長く、島津氏の菩提寺であった。戦国時代にフランシスコ・ザビエルが布教で鹿児島に滞在していた時は宿舎として使われ、住職だった忍室と宗教問答を行ったと伝えられている。その後、江戸時代には島津氏から1300石の所領を与えられ、全国に多くの支院を有していたという。

さて明治になり、神仏分離、廃仏毀釈の命令が出ると薩摩藩ではこれを徹底して行い、薩摩、大隅の寺院はほぼ破壊された。その中で福昌寺は島津氏の菩提寺ということで特別に残っていたが、いわば「総仕上げ」として破壊されてしまった。歴代藩主が奉納した多くの寺宝も破壊、売却されてほとんどなくなってしまったという。

薩摩は明治維新を通して確かに日本の近代化、西洋化に大きな役割を果たした。ただ一方で、主君の菩提寺をあたかも文化大革命のように躊躇なく破壊して「よかよか」などと言っている・・・。鹿児島の負の歴史が詰まっているように思う。

福昌寺だが、門は閉まっているが鍵を開けて中に入ることができる。歴史を経て現在は史跡にも指定されており、案内板も整備されている。残っているのは墓石くらいだが・・。

その一方で、墓石の前に鳥居が建てられている。福昌寺で廃仏毀釈が行われたのも、島津氏の誰かの葬儀を神道式で行うことにした・・というのがきっかけだという。

奥に進むと歴代藩主、さらにその前の代の墓石や五輪塔などが並ぶ。さすがにこれらには手をつけなかったか。

校舎のすぐ裏が墓地というのも、ここに通っている生徒はどういう思いなのかな。

このまま住宅地の中を抜け、清水中学校の前に出る。この辺りはかつて島津氏が本拠地としていた清水城の跡だという。だから、菩提寺としての福昌寺も近くにあったのか。戦国時代となり、清水城が手狭だとして少し南、先ほど歩いてきたあたりの内城に移ったが、清水城の跡に大乗院という寺が建てられた。この大乗院は薩摩における真言宗の寺として一、二を争う力を持っていたが、明治の廃仏毀釈となると真っ先にやられてしまったという。何だかなあ・・・。

清水中学校から少し上がったところに案内板があり、不動寺に到着する。時代は昭和、大隅にある寺の鮫島弘明という住職が薩摩に修行のため行脚した時、夢の中で不動明王のお告げを受け、この地を訪ねると茂みの中に放置されている石仏を見つけた。これを祀って仮道場としたのが始まりだという。

境内はシンプルに本堂が建つ。扉が開くので中に入る。無人かと思って入ったが、隅の長机で、椅子に腰かけて何か集中している男性を見つけて思わずドキッとする。写経でもされているようだ。お勤めも邪魔にならないよう静かに行う。

・・ただ、セルフで押す朱印はその男性のすぐ脇にある。集中しているところ申し訳ないが声をかけ、朱肉と印鑑だけ取らせてもらう。御影をいただくのを忘れてしまったが・・。

さてこのまま鹿児島駅に戻り、次の第45番・大歓寺に向かうだけの時間は十分にあるのだが、大歓寺は次に回すことにして、先ほど乗って来た日豊線沿線にあるスポットに向かうことにする。そこも初めて訪ねるところだ・・・。

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第14回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~霧島神宮詣で、そして錦江湾へ

2024年02月05日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

九州八十八ヶ所百八霊場めぐりは加治木にある第43番・法城院を参詣し、そのまま鹿児島中央方面に向かうところだが、いったん特急「きりしま6号」で国分方面に逆戻りし、国分の次の霧島神宮で下車する。真言宗の八十八ヶ所めぐりの中で、南九州の天孫降臨、神武東征というのは無視できないし、これまでの九州旅行でも訪ねたことがないので、この機に行ってみることにした。やはり、広島から直接南九州に来てよかった。変に、いったん関西に向かった後で夜行フェリーに乗る・・というプランにしていたら、鹿児島での過ごし方も中途半端なものになっただろう。

「きりしま6号」からは20人ほどが下車した。その多くから聞こえるのはアジアの言語である。インバウンドで霧島神宮を訪ねるのか。

霧島神宮へのアクセスは容易ではない。国分駅~霧島神宮駅~霧島神宮への鹿児島交通のバスは土日祝日ダイヤだと1日3往復しかない。次に乗るのは9時51分発の霧島いわさきホテル行き。この日の始発便である。ほかに、都城から霧島神宮行きの高崎観光バスが出ているが、こちらも土日祝日ダイヤでは1日3往復。前日国分に宿泊したが、霧島神宮へのアクセスがこの時間になるので、それまでにいったん加治木まで行った次第である。

駅前でしばらく待つが、結構風が強い。何かのイベントで駅前にパラソルが立っていたが、風にあおられて転倒するハプニングもあった。その中、バスが到着したが、イベントのために駅前の道路に入れず、駐車場の一角でバックすることになった。交通整理の係員がいたのだが、運転手は「そんなことは聞いていない」というようなことを鹿児島弁でまくしたてていた。

バスはほぼ全席が埋まる中で発車。途中の乗降もないようで結構飛ばしていく。そして霧島神宮のバス停に到着。土産物店などが並ぶロータリー式の交差点である。帰りのバスは11時18分発で、1時間10分ほど時間がある。神宮に参拝するだけなら十分である。

ここから霧島神宮の参道を歩く。

霧島神宮が開かれたのは大和時代、欽明天皇の頃とされる。高千穂峰をはじめとする霧島の山々が天孫降臨の地ということで、瓊瓊杵尊を主祭神として高千穂峰にて開かれたのだが、それ以前にも霧島に対する山岳信仰があったとされている。その後、霧島の山々の噴火により神社も場所を移し、島津氏の手により現在地に遷ったのは室町時代のことだという。

また霧島は、坂本龍馬が日本最初とされる新婚旅行で訪ねた地としても知られている。龍馬のパネルが立つ記念撮影スポットもあるのだが、その向こうはどんよりして眺望がきかない。

社殿に向かう。現在の建物は江戸時代に再建されたもので、色彩を保っている。クルマや観光バスで多くの人が参拝し、拝殿の前には行列もできている。またハイキングか校外学習か、小学生の団体も来ており、ガイドからの案内に聞き入っている光景も見られる。

霧島神宮は島津氏の保護を受け、江戸時代までは「霧島六所権現」の中心的な存在だったが、明治の神仏分離、廃仏毀釈のために本尊、別当寺は失われた。後で知ったが、その別当寺である華林寺の跡が境内の奥にあるという。現在は鎮守神社だが、平安時代に霧島神宮を再興した性空上人のものとされる墓もあるそうだ。性空上人といえば、姫路にある書写山圓教寺を開いた人物だが、霧島でも修行を積んだことがあるそうだ。

神宮参詣後、バスの時間まで少しあるので、観光案内所の前にある足湯に浸かる。寒空の下、湯は若干ぬるく感じるのだが、これで一応霧島温泉も楽しんだことにする。そういえば温泉どころの九州に来たにもかかわらず、それほど温泉には立ち寄っていないなと思う・・。

霧島を楽しむならこの先の地区に足を踏み入れるところだろうが、ともかく最低限の神宮参拝を終え、やって来たバスに乗り込む。こちらの便も、霧島温泉を楽しんだインバウンド客の姿が目立った。その人たちは霧島神宮駅で下車したが、私はこのまま国分駅まで向かう。朝ホテルをチェックアウトした後、国分駅のコインロッカーに荷物を預けていた。

日豊線だと霧島神宮~国分は1駅だが、駅間の長いところで、県道を走るとちょっとした峠越えもある。前方に国分の街並みが開け、その向こうには錦江湾を挟んで桜島もうっすらと見える。先ほどまでとは異なり、天気も回復してきたようだ。

最後は前日訪ねた居酒屋のある通りに入り、百貨店の山形屋、霧島市役所を経由して国分駅に到着。12時38分、国分始発の鹿児島中央行きに乗り込む。この区間、気動車も走るところでできればそれに当たりたかったが、ホームに停まっているのは電車、しかもロングシートタイプである。その中で車端の転換クロスシートに陣取る。隼人、加治木というところを過ぎる。

重富を過ぎると錦江湾沿いに出る。空も晴れ、窓の外には桜島もくっきり見える。肉眼では十分捉えられるのだが、写真に撮ると・・・。まあこれはカメラのせいもあるが、窓が汚れていることもある。ひょっとしたら桜島の灰も付着しているのかなとも思う。それでも、錦江湾からの桜島を見ることで、ようやく九州の南の端まで来たと実感する。

13時11分、鹿児島に到着。鹿児島中央ではなく鹿児島である。次に訪ねる第44番・不動寺の最寄り駅である。ここまで来れば、夕方の鹿児島中央発の新幹線に乗ればよいので時間の余裕がある。不動寺に向かう前に、これも鹿児島の歴史の一つというスポットにも行ってみよう・・・。

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