まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

「まつなる的雑文」営業縮小のお知らせ

2007年05月26日 | ブログ

「まつなる的雑文~a place in the sun~」をご覧いただき、ありがとうございます。

さて、タイトルにありますように、一時このブログの書き込み営業を縮小することになりました・・・。

というのが、私が自宅で使用しているパソコンに不具合が発生してしまい、現在メーカーに修復を依頼しているためです。

個人的には、この不具合の原因を作った、某M社に文句を垂れたいところなんですが・・・。原因はいくつか考えられますが、パソコンの復旧には早くて1ヶ月かかるとか。仮にテレビがぶっ壊れても別になんとも思わないのですが、その分生活の中でパソコンの占める割合が多く、その点で凹んでます。

OCNブログ人には携帯電話からの投稿機能もあるようですが、私のようにひとつの記事で長文を書くのには向いていません。かといって会社のパソコンから書き込むわけにもいかず、当面は更新作業もこのようにネットカフェや、ホテルや空港にあるパソコンから行うことになります。

日々の雑感はともかく、せめて野球の観戦記や旅行記は、それに近いタイミングで書きたいもの。細々とはいえ、少しずつでもUPできるようにしますので、ご了承のほど宜しくお願いします!!

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白鵬・綱取りに大きく前進!

2007年05月24日 | ブログ

大相撲夏場所12日目、白鵬が全勝を守る一方で、1敗の朝青龍が千代大海に敗れ、これで白鵬との星の差が「2」となった。白鵬はこれで優勝へのマジックが「2」。13日目に勝ち、2敗の5人が揃って負ければ早くも優勝決定。まあ、5人とも揃って負けることはないだろうが、14日目に白鵬が勝って「自力優勝」を決めるのではないだろうか。本当は、朝青龍との「直接対決」に勝って優勝というのが、ファンの望みだったのだろうが。

このブログでも、場所前の記事として「序盤であっさり負けて、朝青龍の独走だろう」と書いたのだが、見事ここまで全勝で来たものである。恐れ入りました。

場所中には、例の「週刊現代」で宮城野親方が愛人に八百長を告白したとかいう記事があった。しかし、宮城野部屋の力士であるが、白鵬が本当に師匠と思っているのは先代の宮城野(現・熊ヶ谷)のほうだから、そんな記事など気にならないのだろう。

白鵬が横綱になったら、「土俵入りは不知火型で」という話があるとか。うーん、過去の歴史を見て、不知火型は短命の横綱が多いのだが・・・・。

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第1回 時刻表"旅"検定

2007年05月23日 | ブログ

先日何気なく「時刻表検定試験」のホームページをのぞいたら、記事欄に

「~自宅でできる旅~ 8月9日(金)スタート 第1回 時刻表"旅"検定 申込受付中!」

という記事が載っていた。

この記事を引用すると、

「時刻表“旅”検定は、旅行事例をあげた日程表の設問を多く取り入れ、ご自宅で時刻表検定第2種の基本レベルの問題にチャレンジできる検定です。」

とある。

200点満点で、180点以上が上級、179点から150点が中級、149点から120点が初級で、それぞれ本家時刻表検定の2級、3級、4級に相当するという。

また、これはどこかの会場に出向くのではなく、自宅で「JR時刻表8月号」を見ながら解いて、マークシートを郵送するとか。そして認定証は希望者に実費負担で発行するとか。

うーん、果たしてどの程度の問題が出るのか。上級が検定2級レベルなら、最後のほうには頭をひねるような問題が控えているのだろう。

かねて、時刻表検定試験の「年2回」実施の声はあるようだが、単純に同じ試験を2回行うのではなく、少し変化をつける意味でこのような形態にしたのだろう。

この試験、まだまだ認知度が低いようであるが、これから時刻表検定試験のツワモノたちが名乗りを挙げることだろう。本番の検定の腕試しには手ごろかもしれないな・・・。

自宅受験だからと時間を延ばしたりすることなく、制限時間いっぱいで「上級」を取れるようにがんばります・・・!?

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ハニカミ王子

2007年05月22日 | ブログ

今日から始まったプロ野球交流戦。まずはパ・リーグ6球団が全て勝利!

これはパ・リーグファンとしてはうれしい限りですなあ!目指すはパの144勝0敗・・・。まあ、さすがにそこまでのことはないだろうけどね。

そんな交流戦開幕だが、マスコミの話題は先のトーナメントで優勝した高校生ゴルファーの石川遼選手、通称「ハニカミ王子」でもちきり。久しぶりに登場した男子ゴルフ界の期待の星とか、早くもパパラッチやスポンサー契約の動きがあるとか。

ただ、スコア150超えのヘボゴルファーが言うことではないが、石川選手って、そんなにスゴイの?という疑問もある。先日のトーナメント優勝だって、アマチュアのラッキーな面なのか、本当の実力かわからないし。そういえば、ちょこちょこっと好成績を収めて「天才」ともてはやされた伊藤涼太という選手がいたが、ヤツはどこに行ったのかねえ・・・。だいたい、10代で天才と呼ばれた連中がその後大成した例はどのくらいあるか?

その点、石川選手はまだ自分の「分」がわかっているようなので、まだこれから頑張れると思う。マスコミも大騒ぎするのではなく、もっと建設的に、暖かく見守ってやれよ。お前らが、この国の数多の才能ある選手を空騒ぎでつぶしたのと違う??

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岩手・三陸フリーきっぷ

2007年05月21日 | ブログ

この7月から9月にかけて、「北東北ディステファーノキャンペーン」もとい「北東北ディスティネーションキャンペーン」を行うそうだ。それにしてもディスティネーションというのも、日本全国(というよりは、これまで観光地として超有名ではなく、穴場的存在とかちょっとアクセスしにくかったところを中心に)で行われてますなあ。今やJRグループの大切な商品といってもいいだろう。

さて、駅のパンフレットを見るに、このキャンペーンにあわせる形で、5月~9月の間、「岩手・三陸フリーきっぷ」というのが売り出されているようだ。これには思わずうなってしまった。

12741_2というのが、JR東日本の「未乗車区間」が、このエリアに集中しているからだ。朝夕3往復の「難攻不落」の岩泉線をはじめ、山田線なんかがある。また、三陸鉄道の南北リアス線や、東北本線から移管したいわて銀河鉄道や青い森鉄道などの第三セクター線も乗り放題で、南は気仙沼、北は八戸までというフリー区間に、往復の東北新幹線の指定席が付いて有効期間4日間(利用開始が8月8~10日の間は短くなるが)の都区内発28,100円ってんだから、JR東日本も太っ腹だ。

ローカル線の乗りつぶしのほかに、三陸海岸の風景と海の幸を楽しむ、「日本のチベット」と言われる北上山地を横断する、北上線の温泉駅に行く、世界遺産候補にノミネートされた平泉を訪れる、盛岡でわんこそばと冷麺を喰らう・・・と、このエリアを回るだけでいろんなものがついてくる。問題は、限られた日程でどれだけ消化できるか。

会社の夏休みの取得状況によってはこの8月、遅くとも9月後半の3連休をターゲットにして、早速どのように回るか時刻表と検討である。先日の記事に書いた九州の肥薩線と迷うところではあるのだが・・・。

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観戦記・オリックス対西武~東京ドーム

2007年05月20日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

19日は参議院の見学を終え、永田町から南北線で後楽園へ。それにしても南北線、後でできた路線だけに、それに乗るには他の線のホームを歩いたり、長々とエスカレーターに乗ったりと、なかなかたどり着くのに時間がかかる。

P5192137東京ドームでのオリックス・バファローズの主催試合。東京に多いオリックスグループ各社の後援デーというのか、福利厚生の一環というのかで行うとか。おそらく招待券なのだろう、内野の指定席は比較的埋まっているのだが、天候が今ひとつのせいか全体的にガラガラ。また、西武相手ということで、外野席もレフト側のほうが埋まっているように見えた。

P5192141ライトスタンドに陣取る。東京ドームの外野って、両翼は100mあるのだが、右中間・左中間のふくらみというのがほとんどなく、「両翼とセンターは大リーグサイズ、その間は藤井寺球場なみ」というのだが、その分グラウンドの選手が近くに感じられる。こちらに陣取るのは、オリックスの本社後援デーとは関係なく、純粋にバファローズを応援しようという人たち。いつもスタンドで見る人の姿も相変わらずだ。中には「打倒裏金球団」という手書きのプラカードを掲げていた人がいたが、さすがにこれはチーム・選手を中傷するものとして、係員に注意されて引っ込められていた。

P5192178 大阪や神戸の試合と違うのは、試合前やイニングの間にバックスクリーンに流れるのは、オリックスのCMがほとんどということ。篠原涼子が出演している「オリックスVIPローン」や、「新車男」とかオリックス生命とか。それにしても、多額の借金(勝敗の上で)を抱えているこのチームにとって、「ゆとりを持って返しましょう」というCMのコピーは激励なのか皮肉なのか・・・・。

P5192156さてこの日の先発は、オリックス・平野佳、そして西武が、予告されていた西口が腰痛のため先発を回避、左腕の山崎。試合は序盤から両投手の好投が見られる。平野が140km後半の直球で力の投球を見せたかと思えば、山崎は対照的に100kmそこそこのカーブを混ぜながらいい当たりを許さない。

試合が動いたのは4回裏。先頭の1番・大西が四球でチーム初出塁。2死からローズがライト前へ両チーム通しての初安打で続き、そして北川が右中間への一発。あっという間に3点先取。ライトスタンドが大いにわく。これで平野の投球にも弾みがつく。今日こそは、私の観戦戦績の連敗を止めることができるか。

P5192158それが確信に変わったのが6回裏。またも大西がエラーで出塁。続く下山が送って、ラロッカがセンターへタイムリー。そして続くローズ。打った瞬間にそれとわかる右中間への特大の当たり。久しぶりにナマで見た彼の一発!長嶋の顔面を直撃する一発でこの回一気に3点。これで6対0。いくらなんでも今日はいけるでしょう。

平野は7回にG・G佐藤に一発を浴び、8回に平尾にヒットを打たれたところで交代。しかしその後は高木-加藤大輔の継投で逃げ切り、6対1で快勝!いや~スッキリしたぞ。何せ、私が観戦しての勝利は昨年の交流戦以来で、連敗も7でストップ。確か前に勝ったのも平野投手だった。

P5192177ちなみにこの日は両チームとも4安打ずつ。オリックスは上に書いた3人の4安打だけで、得点が入った回以外は全て三者凡退。クリーンアップ揃い踏みはいいのだが、後の選手にも続いてほしい。

さて、ここから一気に行くのか。借金は借りすぎ注意で計画的に返済しないとな・・・・。

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参議院60周年特別参観

2007年05月19日 | まち歩き

P5192133今年は参議院が創設されて60周年という。確かに、今の憲法により参議院が定められたのだから、憲法と同じ年である。それを記念してということで、この19・20日は参議院の特別参観というのが行われる。参議院自体は普段でも平日に見学を受け付けており、見学コースがあるようだが、ただ、今回は特別参観ということで、委員会室や本会議場の中にも入れるというのだ。

あいにくの雨天にもかかわらず大勢の人が詰めかけていた。組番号が書かれた入場整理券を配られ、手荷物検査を経て敷地内に入るが、入場制限が行われることもなくすんなりと入れた。

P5192079_1国会議事堂、1920年に着工され、17年の歳月をかけて完成した建物であるが、国権の最高機関というだけでなく、建造物としても実に見ごたえがある。会議を行うだけなら近代的なビルでもよいのだが、やはり「重み」というのかな。もっとも、この「重み」が「自分たちは特別階級なんだ」と、ある面で一部の議員を錯覚させ、何かと一般庶民をお騒がせすることにつながるのかもしれないが・・・・。

P5192083_2中央玄関から中央広間へ。あの中央の塔の真下だ。床には大理石、側面にはステンドグラスに彫刻の数々。天皇陛下の御休所に通じる中央階段。そして天井まで32mもあるという吹き抜け。法隆寺の五重塔が入る高さという。国会の中に足を踏み入れる一般庶民はただただ上を見上げるだけだ。この議事堂内のあちこちに、このような独特の意匠がこらされている。建造物として見所がある所以だ。

P5192104この後、大臣室や閣議室、各党に割り当てられた控え室の並ぶ廊下を歩き、この特別参観の見所の一つである第一委員会室へ。よくニュースで「参議院の予算委員会で・・・」と流れるときに映し出される場所。本会議場はどちらかといえば儀礼的・パフォーマンス的なところがあり、実際に審議し、法案の方向性を定めるのがこの委員会といってもいい。もっと広いのかと思ったが、案外狭いものである。それでも、椅子の厚みや木目のインテリア、照明には歴史を感じる。

P5192118P5192123そしてやってきたのが本会議場。さすがにここが一番人気で、混雑している。普段の見学コースでは傍聴席からの見学ということだが、このように議場の中を通り、演壇のすぐ下まで行けるのだ。衆議院にはない天皇陛下の「お席」(やはり貴族院の流れを汲む「良識の府」なのだ)も近くで見ることができる。ただ、実際に一瞬でも議員席に座らせてくれればな・・・と思ったが、さすがにそこまでのサービスは行っていない。座りたければ自分で選挙に出て勝ち取れ・・・・? はあ、そうですか。

この後、議院運営委員会が開かれる応接室を通り、参議院の玄関から外に出る。こちらには議員の出席を示すための押しボタンが備え付けられている。見学者は有名議員や地元選出の議員の名前を見つけたり、ボタンにさわったりと楽しんでいた。

P5192131ただ、やはり忘れちゃいけないのは、議長であるこの人でしょう・・・・。

見学は1時間ほどで終わり。昼に近づくにつれ、見学者の数も増えてきたようだ。

P5192114 さて、この夏には3年に一度の参議院選挙が行われる。そろそろ、立候補の意思を表明する動きが本格的なものになるだろう。今の安倍内閣の方針をどう評価するのか、憲法改正についてどのくらい争点になるのか、大きな意味を持つ選挙になる。今回、このような特別参観をきっかけにして(なかなか地方から訪れるのは難しいかもしれないが)、国会を身近に感じる、あるいは選挙の投票率アップにつながることがあればよいのではないか。

まあ、私が本会議場の椅子に座ったり、押しボタン式の出席簿に名前が載ることはないだろうが、それはともかくとして、ここに送り込む人間を選ぶことはできる。

夏の参議院選挙、必ず投票しましょう・・・・。

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国会で次々に重要法案が可決

2007年05月17日 | ブログ

ようやく6連敗でストップしたオリックス・バファローズ。まあ、やればできるやないかと言いたいところだが、勝率も3割、このままでは「100敗」もあり得るなどと言われているくらいで、しっかりせえという状況に変わりない。楽天とのゲーム差もすっかり離されてしまっているのだが、スポーツニュースでもほとんど取り上げられることはない。まあ、このままボチボチやっていくしかないのかな。

ところで、ニュースでそれほど大きく取り上げられることのないまま今国会で成立した国民投票法、そして、近く衆議院を通過する教育3法案。安倍内閣が「最重要法案」と位置づけ、言ってみれば安倍首相お得意の分野なのだが、以前のような賛否両論がさほど表に出ないまま、終わってみればあっさりと成立するというものである。これまで歴代の首相が手をつけられなかった分野をあっさりクリアするのだから、安倍首相という人はさぞかしすごい政治家なんだろうな・・・・。

ただその一方で、与党の独走を許している野党、特に民主党は何をやっているのか。民主党は野党第一党を名乗る資格がないんじゃないか。

それとマスコミも、他のワイドショー的な話題にばかり目が行っており、こうした政治の根本的なこと、将来的にこの国の形に影響を及ぼすかもしれない話題にあえて厳しく突っ込まなかったのはどういうことだろうか。法案が成立してから「いつの間にか決まってしまいました。これはいけません」と言っても遅いでしょう。まあ、マスコミの中にも積極的に改憲を進める立場を取る社があるくらいだから、あえて今の政府のやり方を批判するなんてことはしないでしょうがね・・・。

今の時代、マスコミがしっかり物事を伝えないと、国民が判断を誤ったり、事実を知らないままに過ごしてしまうところがあると思う。「どうすれば視聴率が取れるか」ではなく、「何を伝えるべきか」をしっかり見据えて報道してほしいものだ。

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ニッポン鉄道遺産を旅する

2007年05月16日 | ブログ

最近「昭和の風景」がブームになっている。現在生きている人たちがちょうと「懐かしさ」を抱く風景や文物というのが取り上げられることが多い。

書店で、こんな一冊を見つけた。「ニッポン鉄道遺産を旅する」(斉木実・米屋浩二著、交通新聞社)。

20_img鉄道というもの、それが誕生した時は当時の「最新の」技術であり文化だったわけだが、技術の進歩というのは早いもので、いつしかそれらも「古いもの」になる。その移り変わりの中で消えたものも多いが、まだまだ健在のものも多い。この一冊は、古くから受け継がれてきた「鉄道遺産」をめぐる紀行文と写真で綴られている。

架け替えの決まった餘部鉄橋に始まり、腕木式信号機、硬券切符、ナローゲージ、客車列車、「開く窓」・・・・。ページをめくるたびに、「見に行きたい!」という衝動にかられる。

最新の技術の粋を集めた新線や新型車両も面白く、また普段利用する客にとってはそちらのほうが快適であるのだが、やはり「風情」という点では、この一冊に登場する「鉄道遺産」のほうに軍配があがる。

その中で「路線そのものが鉄道文化遺産」というタイトルで紹介されたのが、九州は肥薩線。大畑ループ線、スイッチバック、木造駅舎、蒸気機関車の遺構、今でも残る駅弁の立ち売り・・・途中下車しながら全線通して乗るだけでも多くの鉄道遺産に出会えるそうだ。私も肥薩線に乗ったことはあるが、もう長い間ご無沙汰である。往路・肥薩線、復路・九州新幹線で行く鹿児島の旅なんてのも面白そうだ・・・・。

今に残る鉄道遺産、しっかりとこの目と心に焼き付けておきたいものである。

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飲んで笑おう!福T当たる!!

2007年05月14日 | ブログ

サントリーと笑点のコラボレーションによる「福T」キャンペーン。その告知がCMで流れていたのを初めて見たときには思わず「おおっ」と声を挙げてしまった。

その昔、大喜利でサントリー、毎日香、カルビーなど、笑点のスポンサー企業をヨイショするような答えが出たら、無条件で「座布団一枚!」ということもあったよな・・・・。

P5121987というわけで、私もこれまで購入していたビール・発泡酒の類はこのキャンペーン中は全てサントリーのものに切り替え(切り替えって、これまで特定のメーカーのみに入れ込んでいたわけでもないのだが)、少しでも口数を増やそうとしている。まあ見事に同社の策略にはまっているわけだが、せっかくのチャンスだからね。この福Tキャンペーン、かつてのキリンの勝ちTキャンペーンにも負けず劣らずの人気ぶりという。

ところで、10週にわたり抽選を行い、総計30,000名に当たるという。30,000名といえば多い数で、「それなら当たる可能性は高い」と思ってしまうが、これだけの数を選ぶのに母体は数百万口はあるだろう。とすれば、何百人に一人の確率。

おまけに、10週の抽選だから、1回あたりに直すと3,000名。そして、用意された24種類のTシャツのどれかが当たるわけではなく、応募時に予めタイプを指定するのだから、単純にいえば3,000名が24分割され、1週1種類あたり125名という計算になる。こうなると、かなり競争率の激しい抽選になるな・・・。

P5121989それでも応募しないことには始まらないので、出来る限り希望のTシャツの種類も分散して申し込む。まあ、1種類に絞って多数応募するのとどちらが確率が高いかわからないけどね・・・・。

何とか当たりますように・・・。というか、キャンペーン後にも、「笑点公式グッズ」として売ればいいのにね・・・・。

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奥能登塩田村~能登旅行記・5

2007年05月12日 | 旅行記D・東海北陸

P5051929禄剛先から再び外海岸の旅。再び波風が高くなり、ゴツゴツした岩が並ぶ。厳しそうな自然だ。そんな中、途中の大谷川というところで鯉のぼりの群れを発見。4日まで「鯉のぼりフェスティバル」というのをやっていたそうだ。山からの風と海から河口をのぼる風で激しく舞っている。

P5051950

そしてやってきたのが、海に面した道の駅「すず塩田村」。ここでは、奥能登に伝わる「揚浜塩田」の塩作りが体験できると聞き、今回のコースに組み入れたのだ。奥能登の製塩については鎌田慧『日本列島を往く(6)』でその存在を知ってから興味を持った次第。かつての加賀藩の財政確保のために始まった塩作り。資料館もあるのだが、実際に体験できるのも面白い。案内によれば、4~9月までの間1日1回、事前予約制でこの体験が出来、最近では伝統文化を学ぶということで近隣の学校から体験学習で子どもたちがやってくることも多いとか。ただし、自然相手のこととて、雨天中止である。5日は少し雲が出て風も強いが、塩作りは無事できる。

P50519392組の家族連れとともに、塩田に裸足で入る。まず持ったのはトンボのような道具。これで、塩田の砂をかき集める。この砂にはすでに塩が含まれているとか。グラウンドの整備のようで、子どもさんも面白がってトンボを引いている。

P5051941

そして積みあがった砂を、今度は塩田の真ん中に開けられた穴を囲む畔板に入れる。こちらもシャベルではなく昔ながらの鋤のような道具での土木作業。風にあおられて砂が舞う。

P5051944こうして出来上がった畔板の砂に海水を流し込む。昔はこの海水はもちろん人力で運んでいたわけだが、さすがに今日の体験ではポンプで汲み上げる。これを一度大きな桶一杯に張り、そこから砂に流し込む。砂を介して濾過するようなものだ。

P5051943それを待つ間、桶の海水を手桶で塩田に撒く。名人上手のワザになると、ちょうど霧をふいたように万遍なく撒かれるのだが、素人がやるとベチャっと一本の筋状になる。先ほど土木作業で疲れた子どもたちも面白がって水撒きをやる。実はこれが「揚浜塩田」の特徴で、潮の干満差が小さかったり、外海に面していて波が荒いところでの製塩方法という。これに対し、瀬戸内海(赤穂の塩もそう)では干満差が大きいのを利用して、堤防や海水溝を作って海水を引き入れる「入浜塩田」という方法をとっている。海水を撒くのは当然人力の要る仕事であるが、能登半島のような海岸まで山が迫っている狭い土地では「揚浜」によらざるを得ない。

P5051946さて、水撒きを終えたところで、濾過されたかん水が桶に流れ出る。海水をより濃縮したもの。そしてこれを天秤棒で担いで釜に運ぶのだ。これも重労働で、さすがにこれは係の人が行う。ここまでで塩作り体験は終了。

P5051948

こうして釜に入れられたかん水。入っているのは塩の原液である。酒でいうと発酵した状態みたいなものかな。見るだけで口の中に唾液がたまってくる。「少しなめてもいいですよ」と言われ一口なめてみる。塩辛い中に甘味も感じるような、アジシオなどの食卓塩とは全然違う味わい。このかん水を長時間煮詰めて、塩の結晶を出す。さらにそこから3~4日ほど置いて、ニガリを切る。このニガリは豆腐作りに欠かせないもので、一時は「ニガリダイエット」などというのもはやったな。

また、さきほど畔板に組まれた砂だが、これはまた塩田に戻して均される。それが乾いたらまたかき集めて・・・という、最初の行程に戻る。

P5051952体験のお土産に自然塩を持って帰ることができる・・・というが、今私たちがつくったかん水から塩になるには時間がかかるので、ここは資料館の電気コンロにかけられた鍋の中の「予め煮詰めていた」塩の結晶がお持ち帰りとなる。3分クッキングのようだ。これをキッチンペーパーに移してニガリを搾り出す。持ち帰って4日ほど乾かせば食べごろになるとか。この旅の後、乾いたので舐めてみたが、深い味わいがする。思ったよりも量があるので、結構長い間この味わいが楽しめそうだ。

P5051954奥能登の自然風土を感じることが出来た一時。ここから輪島に向かうのだが、途中一箇所だけ不通になっている区間があるそうで、山の中を迂回。能登半島の山々も深いものだ。再び海岸に出ても、大きく崩れた崖、折れ曲がった標識を見る。改めて能登半島地震の爪あとを見ることになる。その後、これも能登の地形、産業をよく象徴する「千枚田」に立ち寄り、ちょうど田植えが終わった水田を見る。この千枚田も、先ほどの塩田と同様、厳しい地形の中で人力により守られているのだ。やはりこうした厳しい条件の中にあるからこそ、神の恵みをよろこぶ各種の祭りが盛んになったというのがあるのかもしれない。

P5041865そろそろレンタカーの時間も少なくなってきた。半島を下り、再び金沢市内に戻る。丸2日能登半島を楽しんだが、厳しい自然、多様性のある風景を眺める中であっという間に過ぎたような気がする。また、地震後の「がんばってます 能登半島」のコピー通り、復興に向けて取り組んでいる人々の様子や、多くの観光客が訪れていたことに安心したものである。今度は冬の能登もいいかな・・・?(終わり)

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のと鉄道に沿って~能登旅行記・4

2007年05月10日 | 旅行記D・東海北陸

4月28日から続いたオリックス・バファローズの「連敗街道」。それが10まで伸び、さてこれからどうなるのかと思っていたら9日にようやくストップ。いつしか獅子のしっぽどころかイヌワシの翼まで遠くなってしまったが、これからボチボチ調子を取り戻すか。その意味では、川越が投げて、ラロッカ、ローズが打って勝ったのは今後につながりそう。一方で、同じ関西の虎の球団は9連敗・・・。まあ、こちらの球団が20連敗でも30連敗でもどんどん負け続けてくれたほうがうれしいのだが。

・・・・話をGWの旅行記に戻す。

5日朝8時にチェックアウト。「お早いお発ちで」と送られる。確かに、この時間になっても浴衣姿でのんびりしている宿泊客がほとんどだから、確かにお早いのだろう。朝食つきのシティホテルで8時、ビジネスホテルなら7時前(時には6時前)の出立は当たり前なのだが、そのあたりが大きな観光ホテルならではだろう。

P5041876これから能登の東海岸に沿って、最先端の禄剛崎を目指すのだが、「お早いお発ち」とあってクルマの数はほとんどない。途中、穴水で「ボラ待ちやぐら」を見る。波もほとんどなく、海というよりは湖に接しているかのようだ。同じ能登といっても外と内で海岸の表情が異なり、それは気質の違いにも出るのではないかという気がする。

穴水からは、2005年に廃線となった、のと鉄道の能登線に沿って走る。幸いにして?私の乗っているレンタカーに備え付けのカーナビは、昨日走った穴水~輪島間の線路は表示されないが、この能登線の線路は表示され、目的地に駅も指定できる、という時期のもの。クルマを走らせていても、「これは線路の路盤だな」と感じられるものがあれば、果たしてそれはのと鉄道の跡である。

P5051890こちらはまだレールや施設の撤去が完全に行われておらず、こんな感じで駅のホームや路盤がそのまま残っていたりする。何だか妙な感じだ。撤去作業が進んでいないのは、費用がないのか、ややもすればこれを元手にまた列車を走らせようとする意図が隠れているのか。

単調に国道を行くだけなのかと思っていたが、この廃線跡のおかげで、ドライブに楽しみができた。そうするうちに海岸沿いに出る。能登線にも一度乗ったことがあるが、こんな風景だったかなと改めて感心する。

P5051897いつしか、恋路海岸に出る。海を見下ろすところに「恋路」駅というのがある。今でも「歓迎」の看板が立っている。どんな感じなのか、クルマを停めて行ってみる。駅自体は畑の中のホーム一本きりなのだが、近くにトンネルがあり、「鉄の臭い」というのも感じられる。ただこうして見ると、「恋路」というよりは「失恋」という名前が似合う?

P50518961ただホームの待合スペースにはノートが置かれており(よく見たら昨日の書き込みもあるやん!)、カップルか鉄道ファンのいずれかによる書き込みがなされている。鉄道ファンの書き込みはどうでもいいのだが、カップルが何組も書き込みをするとは、やはり駅としての知名度は高いのだろうし、さまざまに感じることがあるのだろう。そりゃそうと、「恋路駅に行こうよ」というのは、男性から誘うものか?それとも女性が行ってみたいとおねだりするスポットなのか?これは今後の参考までに?聞いてみたいもんだな・・・。

P5051906海岸にあるハート型の鐘をヤケ気味に鳴らし、次は「軍艦島」の名を持つ見附島を見る。先の恋路海岸と合わせてその名も「えんむすびーち」。こちらでも鐘を鳴らして、今度は軍艦に敬礼!?

P5051909P5051910 このあたりまで来ると、旧のと鉄道の線路も終点が近い。珠洲の町を過ぎ、国道沿いに終着駅の蛸島駅に着く。カーナビは見事に蛸島駅を現役の駅として案内してくれた。こちらは建物が残っているものの、一瞬入るのをためらわれる。ところが、同じように駅前に停まっていたワゴン車の男性が「おはようございます」と、招じ入れてくれる。中に入ると、出札口やきっぷの券売機、当時の発車時刻表が残っていたり、能登線への惜別メッセージが書かれた模造紙が掲示されている。ホームもそのまま残っている。

P5051916P5051914この蛸島駅、今はNPO法人の「のとレール・エア21」というのが管理しているそうで、のと鉄道の気動車の動態保存などの活動をしているとか。先に声をかけてくれた男性はそのスタッフとのこと。ホームから線路伝いに歩くと、かなりさびついた気動車が残っている。これが動態保存の車両という。同じのと鉄道の廃線跡といっても、輪島駅とはまた違った風情の蛸島駅である。証明書つき絵葉書、携帯ストラップ、キーホルダー、写真シール、焼き板の5点がセットになって2000円というのが売られていた。これもNPOの運営資金になるのかと思い、1セット購入。その筋の客と見たか、「ここで活動やってますんで、ぜひのぞいてください」と、「のとレール・エア21」のURLを裏面に書いて写真シールをもう1枚つけてくれた。こういう駅に出会えただけでも、奥能登までクルマを走らせてきた甲斐があった。

さて、陸地はこの先の禄剛崎に続く。狼煙と呼ばれる地区にある駐車場にクルマを停め、丘を登ること5分、芝生の向こうに小さな灯台。これが半島最先端の禄剛崎灯台だ。ここから見下ろす海は穏やかに見える。

P5051922ただここは灯台よりも、その手前にある方向看板に、能登半島という土地の位置づけを感じるのである。「東京 302km 上海 1538km 釜山 783km」と来て、その下に「ウラジオストック 772km」とある。昨日輪島で見た「輪島の次はシベリア」に引き続き、「ウラジオストックの次は禄剛崎」である。釜山よりも近いウラジオストック。こうして見ると、日本海側の町と韓国・ロシアという国の港町の「心理的な近さ」というのがうかがえる。「ウラジ・ボストーク」というのがそもそもの町の名前の成り立ちなのだが、和名は「浦塩」である。伏木港から定期船が出ているようで、いつか日本海を横断して大陸に渡ってみたいという憧れがある。

さてここからは半島の折り返しコース。再び、波風の高い奥能登の外海岸を走行する・・・・。(続く)

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地震の爪あとから輪島へ~能登旅行記・3

2007年05月08日 | 旅行記D・東海北陸

ヤセの断崖で能登半島地震の爪あとの一つを見た後、引き続き海岸線を北上。今は輪島市になっているが、門前町の黒島地区にさしかかる。左には能登の荒海、右には黒い板塀を並べた昔ながらの住居が並ぶ漁村である。ただ、漁村のほかに港町の顔もあり、北前船の資料館というのもある。

P5041845P5041844ただ、先の能登半島地震で最も被害の大きかったのがこの西海岸で、今でも屋根に青いビニールシートがかぶせられていたり、倒れたままの家屋も顔をのぞかせる。北前船資料館の案内の矢印に惹かれるように、この集落に入る。何事もなければ、古い情緒ある町並みですなあと手放しで感心するのだが、ところがこの様子はどうだろう。家屋が倒れていたり、石段がゆがんでいたりで、町並みが静まり返っている。

P50418461空き地の前でクルマを停め、しばし歩く。こうした状況だから資料館も閉館中。もう古いからか修復をあきらめたような家屋もあるが、家屋調査士が一軒一軒玄関に貼り紙をして、家屋が倒壊しないように早急に修復するよう警告している風情も見える。これからどうするのだろうか。

P5041847P5041849 さらにしばらく行くと、災害で出た大量の廃棄物が積み上げられている山に出会い、その隣では見事におしつぶされた建物。傍らに材木が積んであるのでこれから修復するのかと思いきや、この倒壊した建物が製材所だったということだ。改めて地震のエネルギーにうなるばかりである。被害に遭われた方はたくさんいるが、よく死者が一人で済んだなと思うしかない。

P5041852そして、この「門前」を控える総持寺祖院へ。能登の名刹である。観光バスも乗り入れており、大勢の参詣客で賑わう。この寺も多くの建物が地震のために瓦が割れたり、柱がへしゃげたりしたようだ。しかし、記念撮影のスポットにもなる山門はじめ、大きな建物は頑丈に残っている。当時の巨大建築物の丈夫さに感心するのも、今回のような時期での観光ならではだ。

P5041853ここで、倒壊した瓦の再建のための奉納金を募っていた。一口1000円で瓦にメッセージを書けば、修復のおりにその瓦が使用され、永く奉納されるという。宗派は違うが私も1枚奉納する。ちょうど本堂では読経の声が流れており、それが能登全体の復興を祈っているように聞こえた。

総持寺を出て、輪島の市街地に入る。輪島に来るのは久しぶりだ。当時は第三セクター「のと鉄道」が走っていたが今は廃線となり、旧輪島駅は「ぷらっと訪夢」という道の駅になっており、観光案内の拠点として大勢のクルマで賑わっている。私もここでクルマを停め、遅めの昼食。店に備え付けのパンフレットの裏面で義援金の呼びかけの宣伝があったが、そのコピーにドキッとした。

「ニュースが伝えなくなった頃、被災地の復興は本番を迎えます。」

確かに、連日能登の状況を伝えていたニュースも、東京のニュースでは能登のことはほとんど伝えられなくなった。まだ報道されているときは全国からの関心、支援も集まりやすいのだが、一次的な身の危険、食糧の危機を脱したその次の段階である、大きな打撃を受けた産業や経済を立て直さなければという、本当にしんどい局面になったときには、ニュースも伝えなくなる・・・というところだろうか。これはニュースだけのせいではなく、一般市民にも言えることなんだろうな。身を正さなければならないなあと思う反面、「こうして観光に来て、見たこと聞いたことを書くのも、能登の力に少しでもなれば・・・」と勝手に自分を正当化する自分がいる。

P5041859この「ぷらっと訪夢」がかつて鉄道の駅であったことを伝える、旧輪島駅ホームの一部が残されている。「わじま」の駅名標の「隣の駅」には、なんと「シベリア」。そういえば、そんなんあったなあ・・・。その昔、誰かの落書きを、しゃれっ気のある駅員がわざわざ書き入れたものらしい。大陸とのつながりを意識できるのも、日本海側ならではだ。

P5041862P5041870少し足を伸ばしてキリコ会館へ。巨大なキリコの展示があるかと思えば、地元が産んだ大横綱・輪島のコーナーなんてのもある。学生相撲出身での唯一の横綱であり、優勝回数では大きく上回る北の湖が、直接の対戦ではとうとう勝ち越せなかったライバルである。旅をしていて、こういう「郷土のヒーロー」に出会うのもまた楽しみだ。

さてここからは一旦内陸を縦断する。4日の宿泊は和倉温泉。途中、廃線になった「のと鉄道」の路盤跡と並走する場面もあり、今度は能登島をはさんだ穏やかな海岸線に出る。同じ半島でも、西と東でこうも波の高さや激しさが変わるものか。

P5041884この日の宿泊は海に面した「日本の宿 のと楽」。この時期によくこんな温泉宿に一人で泊まれたものだと思ったが、別館の「ガーデン能登屋」にはシングルルームがあったのと、これも列車同様、地震直後でまだ予約客が集まらない時期に予約したために入れたようなものだ。もっとも、泊まりは別館でも、オリエンタル風な内装の洋室だし、大浴場は本館の露天風呂に別館の展望風呂が入り放題。2食つきで14,000円とは、私が個人旅行で1泊に費やした最も高値の宿であるが、こうした雰囲気というのも本当にたまに味わうのもいいだろう・・・。(ただ、食事に関していえば、居酒屋で自分の好きなものをチョイスして、というほうがよかったかな)

チェックイン後、就寝前、翌朝と、海の見える大浴場を満喫し、昨夜の夜行と一日のドライブの疲れをじっくり落とす。翌5日は、能登半島の北東部を回ることにする・・・。(続く)

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能登海岸を行く~能登旅行記・2

2007年05月07日 | 旅行記D・東海北陸

金沢市内からレンタカーを走らせ、能登有料道路へ。まだ朝の8時半だが、いろんな地域のナンバーのクルマが、能登半島に向けて快走する。今浜インターで下車し、やってきたのが「千里浜なぎさドライブウェイ」。

P5041805_1このドライブウェイ、海岸沿いというか、モロに海岸の砂浜の上をクルマが走るので有名だ。風が強い、波が高いなどの天候条件により通行不可になることはあるが、私が訪れた4日朝はOKだった。早速レンタカーを乗り入れて、海岸道路のスナップ撮影。ちなみに、左側に停めた水色の車両が、この2日間私の足となるヴィッツ。クルマを波打ち際に停めて、早くも海と戯れる家族連れ、しっとりと二人だけの空間をつくるカップル、そして一人で海と対峙する野郎・・・いろんな人がクルマを停め、また走らせてこの奇妙な感じを楽しむ。この砂浜道路が7キロ以上続いているのだから、日本離れしているなあ。

P5041809しばし砂浜の乗り心地を楽しみ、気多大社に参拝。この神社は能登国の一宮として古くから権威があり、北陸・東北経営、そして海を隔てた新羅、渤海国との交易とも無縁ではなかったという。今でこそ東京から見れば能登は「地方」としか映らないのだろうが、大和・奈良朝の頃は、東国や大陸との関係上、北陸・能登というのは重要な拠点であったのだ。潮風に吹かれる社殿にも歴史の重みを感じる。

P5041811ただ、今の気多大社は、そんな重々しさよりも「縁結びの神様」としての人気が高い。来てみて意外な感じ。これは祭神が大国主神であることによるのだが、あちこちにハートをあしらった絵馬や、恋みくじが備えられている。それにしても、絵馬を見ると皆真剣だなあ・・・。巫女さんに案内されるままに恋みくじを引いたが・・・結果は、このままでは期待薄とのご託宣。ありゃりゃ。

P5041822P5041825_1さらに海岸沿いに北上して、能登金剛にいたる。自然が造り出した多くの奇勝・奇岩が並ぶスポットである。さすがに観光スポットとして多くのクルマが駐車場に陣取っており、賑わっている。空は晴れているが波が高く、残念ながら遊覧船は欠航。崖をくりぬく大きな穴の巌門を初めとしたスポットを歩く。奇岩というものが、こうして波が打ち寄せる、われわれ人間の一生など屁にもならないくらいの長さをかけて出来上がるものであることを実感する。日本海の風雪というイメージがピタリとくる。

さらに北上する。このあたりから、3月の能登半島地震の震源地に近づく。国道を行くが、途中に土砂崩れのため片側通行になっているところもしばしば。

P5041830そして着いたのが、関野鼻にある「ヤセの断崖」。松本清張の「ゼロの焦点」の舞台・・・というのが、このスポットを紹介する枕詞である。そして、能登半島地震でその姿を大きく変えてしまったというところである。そんなわけで、能登を回るにあたって「ヤセの断崖」はコースに必ず入れようと思ったし、「ゼロの焦点」も昨夜の「北陸」に持ち込んでようやく読み終えた。ところが、「ヤセの断崖」が有名なのは、後に映画化されたときにクライマックスの舞台になったからというらしく(これ以来、サスペンスものの最後で、犯人とヒロインが対決?するのが断崖絶壁というのが定番になったとか)、原作を読む限りでは、能登半島の海岸(崖)とは記されていても、「ヤセの断崖」という言葉は出てこなかった(文中の描写により、この海岸であったことは間違いなさそうなのだが)。

P5041831上のような立入禁止の看板が出ていたが、クルマで来た多くの観光客はお構いなしに入っていく。「自殺する勇気があるなら生きてみろ」「遊歩道引き返すこともまた人生」など、自殺を止めるメッセージの看板も立てられている。越前の東尋坊と並ぶ自殺の名所とか。ただ、この看板、果たして自殺を決意した人にどれほどの効果があるのだろうか・・・。

P5041832そして、立入禁止のロープをまたいで断崖に立つ。旅行記の写真では崖っぷちぎりぎりに立っているシーンを見るが、木の柵が立てられていて、それ以上は崖の上にいけなくなっている。地震で地盤がゆるくなっており、自殺するつもりのない人が、地盤が崩れて海中に転落してしまう・・・というシャレにならない状況なのだろう。「柵を越えて海に落ちても責任は取りません」という内容の注意書きもあった。これがもうちょっと身を乗り出せれば、よりスリルが味わえるんだろうが、落ちてしまっては意味がない。「ゼロの焦点」の原作では、ヒロインは沖合いに漕ぎ出した小舟から最後身を投げるとあるが、映画のほうではこの崖から飛び降りるという演出のようで、それだけに多くの人に印象づけられたスポットである。

その一方で、能登半島地震で崩落したことが一大事のこととして報じられたが、長い年月の自然の営みから見れば、この断崖にとっては地震で崩落したことなどほんの些細な出来事でしかないのかもしれない。第一、私たちが見慣れていたとされる「ヤセの断崖」になるまでに、どれだけ長い年月がかかっているのだろうか・・・。

同じ能登でもさまざまな海岸の顔が見える。そんな能登の表情を巡る旅はまだまだ続く・・・・。(続く)

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栃東引退

2007年05月07日 | ブログ

7日、大関栃東が引退を正式に表明した。高血圧、脳梗塞などの体調不安から相撲を取る気力がなくなったからという。

朝青龍、白鵬、琴欧洲など、外国出身の力士が番付の上位を張る中で、「日本代表」として活躍した力士。その実直な相撲が多くのファンに受け入れられていた。私の母親もその一人。

確かに故障が多く、大関陥落も含めて何回カド番になったかというところはあるが、実力そのものが衰えたということではないだろう。その意味では惜しまれる引退である。

これからは「栃東」親方として後進の指導に当たり、再来年にはお父さんの「玉ノ井」を継ぐという。その中で自分の「後継者」として、一門の枠を超えて、稀勢の里、豊真将、豊ノ島を挙げた。何とか自分が果たせなかった「日本人横綱」をモノにしてほしいということだろう。確かにこの3人なら、誰かがその願いをかなえてくれそうだ。

来週の13日から夏場所が始まるが、まだ「八百長疑惑」の裁判がある中、白鵬の綱取りもこれまでさほど話題になっておらず、むしろこの栃東の引退や、朝青龍が稽古場で相手力士を病院送りにしたとか、そんな話題が先行する。これではいけないだろう。何だか、白鵬が序盤であっさり連敗して、結局は朝青龍の独走・・・早くもそんなストーリーが見えてくる。白鵬が朝青龍のライバルに見えないのだ。

何とか、相撲が取れなくなった栃東の分まで、日本人力士の奮起を期待したい。

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