まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第25回中国四十九薬師めぐり~第41番「長昌寺」(伯耆富士と巨大バーガー)

2023年04月29日 | 中国四十九薬師

今回の中国四十九薬師めぐりは自宅から軽自動車で大山の西から東へと回るルートである。快晴の下、伯耆富士の姿が少しずつ大きくなる。

金屋谷という集落に入ったところに、第41番・長昌寺がある。駐車場から改めて正面に回る。山門はなく、石標と石段が出迎える。

長昌寺が開かれたのは江戸時代の前期で、大山寺領内の減罪道場である。天台宗に属する。正面の本堂はまだ新しい感じで、検索すると2014年再建とある。

薬師如来はこちらの本堂かと思いきや、その左手前にあるお堂が札所だという。こちらに中国四十九薬師霊場の札がかかり、窓からのぞくと薬師如来が祀られている。扉が開いており、中におじゃましてこちらでのお勤めとする。ちなみに本堂の本尊は阿弥陀如来だそうだ。

朱印ということで、先ほどの本堂の右側の扉に「納経所」とあるのでそちらを開ける。玄関に書き置きの朱印が入った箱が置かれ、そちらから1枚いただく。他に人の姿もなく、静かなひと時が過ぎる。

時刻は昼を過ぎたところ。ここからだが、次の第42番・大日寺にそのまま向かうこともできるが、その前に大山の西麓を通って大山寺に参詣する。そして北から下り、海岸に近い琴浦町で1泊する予定である。

このままさらに坂を上って行く。周囲の高原、森林の景色も濃くなってきた。

そして枡水高原に到着。ちょっと立ち寄ってみよう。この辺りは「天空のリゾート」として四季の自然を楽しむことができる。冬のスキー場のイメージも強いが、春以降も「天空リフト」として動いているし、夜には星空も楽しめる。鳥取県も「星取県」としてPRしているほどだ。

枡水フィールドステーションに立ち寄る。マウンテンバイクの貸し出しも行っているようだ。せっかくなので昼食(旅先では昼食を取りはぐれることが多いのだが)をいただくことにしよう。表の看板に「ミスターバーガー」の文字が見え、たまにはハンバーガーもいいか。

メニューを見ると、一口にハンバーガーといっても、世界的なM社のようなお手軽なものではなく結構手が込んでいるようだ。その中でどうせならと、もっとも大きな「ミスタービッグ」。大山にかけたわけではないだろうが・・。

そしてやって来たのがこちら。黒毛和牛と国産豚肉を使ったパティ、自家製燻製ベーコンがそれぞれダブルで入っていて、チーズ、タルタルソース、バーゲキューソースもたっぷりかかっている。こんなん、口に入るんかいなと笑ってしまう。また、ハンバーガーにはもれなくポテトがつくということで、さつまいもにじゃがいものフライも。こんなの手で持てるのかと思いつつ、まず串を引き抜き、紙で包むようにして持ち、上からつぶすようにする。それからがっつりいただく。様々な味が口の中でミックスされ、包み紙がなければ手はソース類でべちゃべちゃになるところ。それでも何とも贅沢な味わいだ。

もちろん、他にもレギュラーサイズのハンバーガーや、大山どりと地元野菜を使ったバーガーもあり、いろいろ楽しむことができる。

薬師如来からハンバーガーとは対照的な展開だが、お腹もできたことで大山寺エリアに向かう・・・。

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第25回中国四十九薬師めぐり~舞台は伯耆・大山へ

2023年04月28日 | 中国四十九薬師

中国四十九薬師めぐりは最後の県である鳥取に入り、米子の市街地にある第40番・安国寺まで回っている。結願まで残り9ヶ所、鳥取県内を横断することになる。

4月に入り、続きを行うことにする。次のエリアは鳥取県、いや西日本を代表する名峰の大山をめぐることになり、第41番が大山の西にある伯耆溝口の長昌寺、そして第42番は大山の東にある大日寺となる。さらに足を延ばすと、第43番は三徳山三佛寺の塔頭寺院の一つ、皆成院である。

広島から鳥取県までは結構時間がかかる。米子近辺ならともかく、倉吉や鳥取となると新幹線と在来線の乗り継ぎでも時間・費用がかかるところ。軽自動車で行くと片道4~5時間は見る必要がある。最初は広島を早朝に出発すればこのうち2つ、あるいは3つとも1日で回れるかと思ったが、それも慌ただしく、甘い考えのようだ。結局、4月22日~23日の2日間を確保し、軽自動車利用にて、鳥取県内で宿泊する無理のない行程で回ることにした。

さて22日、朝は少しゆったりした後、8時30分頃に出発。まずは山陽道の五日市インターから乗車し、山陽道~広島道~中国道と進む。順調に進む。

七塚原サービスエリアで小休止の後、庄原インターで下車。広島から鳥取県に最短距離で入ることを選択し、そのまま国道183号線を進む。

国道183号線をそのまま走ると、備後落合駅の横を通る。立ち寄って構内の様子を見ようかと思ったが、駅の周囲には結構な人だかり。見物客というわけでもなさそうだ。後で知ったところでは、地元の人たちがボランティアで駅の清掃を行っていたとのこと。4月29日から大型連休に入り、今季で運行を終える「奥出雲おろち号」で駅を訪ねる客も増えるのに備えてのようだ。

「奥出雲おろち号」か・・・昨年乗車したので最後にしたつもりだったが、廃止となる前にやはりもう一度乗ってみたいという気にもなっている。ただ、いよいよ指定券が取れない模様で・・・。

備後落合駅はそのまま通過し、次の道後山に続く小鳥原川橋梁に差し掛かる。土砂崩れの影響で備後落合~東城間は5月まで運休中なのだが、その間の代行輸送の利用次第では、芸備線の存続論議にも影響するかもしれない。

そのまま鍵掛峠に出て、鳥取県との県境に出る。天気は良いが風が結構強く、4月下旬だが羽織るものがほしいところである。

このまま日南町を走り、これまで気づかずに通過していた松本清張の記念碑に立ち寄る。矢戸という集落なのだが、松本清張の父親の出身地である。記念碑には「幼き日 夜ごと父の手枕で聞きしその郷里 矢戸 いまわが目の前に在り」と記されている。父親が終生慕い、息子にも聞かせていた景色である。今はその当時と比べれば様子は変わっているのかもしれないが、自然と緑豊かな場所には変わりないようである。

国道181号線に入り、伯備線、そして日野川沿いに走る。すると正面遠くに大山の頂上が顔をのぞかせるのが見える。そろそろ近づいてきた。

とっとり花回廊に近い伯耆溝口駅辺りで国道に別れ、伯耆街道に入る。ちょうど大山を西から見るが、伯耆富士と呼ばれるその形が少しずつ大きくなるのにうなる。大山はこの先少しずつ姿を変えていくのだが、それは後の楽しみ。

これから目指す第41番・長昌寺は大山の西麓の金屋谷という集落にある。案内板もあり、その先にクルマを進めることに・・・。

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第60番「法念寺」~広島新四国八十八ヶ所めぐり(60番まで進んだのでビールで祝杯!)

2023年04月21日 | 広島新四国八十八ヶ所

海田市駅から広電バスで矢野駅を経由して熊野町に入る。目指すのは第60番・法念寺だが、熊野西防災交流センターのバス停の向かいにあった。寺の看板がどこか商店街にでもありそうな造りで、ひょっとしてどこかの商店を居抜きで買ったのではないかとも思わせる。

熊野町といえば、過日呉からの帰りに第49番・浄空寺に参詣したが、地図をよく見ると浄空寺があるのは呉市で、法念寺が熊野町唯一の札所という。今いる辺りは熊野町、呉市、広島市安芸区の3つの境界線が接している。

さて、法念寺を開いたのは芳念尼僧で、戦後に高野山に上り、女性として初めて加行を受け護摩を焚くことを授かったという。その後、道場の地を求めていたところ、広島の東雲町にて、原爆で亡くなった人を焼いたという土手下の広場に縁があり、お堂を建てて無縁仏を供養したのが寺の始まりという。その後、1968年に広島の土地計画により立ち退きとなり、現在の熊野町に移り、1989年、2代目の覚念の時に正式な高野山真言宗の寺院となった。

第59番は海田町で、次の第60番は熊野町、そして第61番が南区の黄金山というので、第60番が飛び地になっているなと思ったが、東雲町から熊野町に移転したと言われれば納得する。札所の場所や、寺院そのものがさまざまな事情で変わることの多い広島新四国ではよくあることだ。

建物の横の限られたスペースには水子地蔵や十三仏像などが並ぶ。そして玄関というより縁側の扉を開けると、目の前に賽銭箱、書き置きの朱印が入った箱が置かれている。扉が開いたのに気づいてか寺の方が出てきて、「お参りですか?」と声をかけられる。そのまま外からお勤めとする。

バス停の目の前だったし、寺じたいも小ぢんまりしたものでお参りじたいそれほど時間がかからず、早い時間のバスに乗れそうだ。少し待って、矢野駅行きの便に乗り込む。5月の広島サミット開催にともなう交通規制の影響で、近辺のバスも日祝日ダイヤへの変更、運休などの措置が取られるとの案内もある。

熊野営業所から矢野ニュータウンを経由する便。熊野町は筆の生産で有名だが、私にはあまり縁がないかなと、わずかな時間で後にした形だ。広島熊野道路を経由し、ニュータウンの各バス停でも乗客が乗って来る。遠くに広島湾も眺めつつ、そのまま矢野駅に到着した。

呉線の列車にて広島に戻る。マツダスタジアムも開門して早くも多くの観客がスタンドに詰めかけている。広島駅にも大勢のカープファンがスタジアム方向に向かうところだった。カープも何やかんやで頑張っているし、休日の昼を青空の下で楽しむファンをちょっとうらやましくとすら感じる。

私は特に観戦の予定はないが、久しぶりに昼間に広島駅に降り立ったこともあり、昼でも食べて帰るとしようか。向かったのは、駅ビル「ekie」内にある「銀座ライオン」。昼食ではなく昼からの一献である。

この日も穏やかな天候だが、そろそろ(いや、私の場合は年中かもしれないが)ビールが美味しく感じられる時季である。豪快に、黒ラベルを特大ジョッキでいただく。美味い。同じビールなら安い居酒屋でスーパードライの大ジョッキでも満足なのだが、たまにはこうしたちょっとお値段高めの店でジョッキをあおるのもいいだろう。

以前この店に来た時、広島限定メニューとして「フィッシュ&チップス」ならぬ「がんす&チップス」という一品があったのを思い出す。今回メニューを見るとさすがに消えており、代わりに本家「フィッシュ&チップス」を注文する。

広島料理枠として注文したのは小いわしの酢漬け。

ヱビスビールはブーツグラスで。

来店時、隣の席ではカープファンのグループが野球談議に花を咲かせていたが、そろそろ試合開始が近づいてきたためか席を立った。私はその後も楽しんでいたが、いいところで切り上げる。

酔った勢いではないが、そのまま同ビルの1階下のお好み焼店が並ぶ一角に向かう。久しぶりの「麗ちゃん」。昼時にはいつも長い列ができるのだが、さすがにピークの時間帯を過ぎていたためかスムーズに入り、鉄板にて1枚いただく・・。

昼過ぎにこれだけがっつりいってしまったこともあり(何千キロカロリー摂ったんや??)、帰宅してからは昼寝。そして、目が覚めた後の夕食もほとんど何もいらないな・・という有様だった。生活習慣としていかがなものかと思うが、たまにはこういう日もあるだろう。

さて、これで広島新四国はようやく60番に到達した。次回からは広島市内に戻る形で、中心部にある札所も増えるところ。また、市内で「お参り後の一献」ということもあるのだろうな・・・。

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第59番「薬師禅寺」~広島新四国八十八ヶ所めぐり(海田の町の祈りスポット)

2023年04月20日 | 広島新四国八十八ヶ所

本格的な春になり、関西、中国、九州と多重債務状態の札所めぐりもどんどん進めていこう。

4月16日は広島新四国八十八ヶ所めぐり。4月の初めに倉橋島を訪ねた続きで、今回は第59番・薬師禅寺、そして第60番・法念寺の2ヶ所である。それぞれ海田町、熊野町にあり、ここまで時間がかかったがようやく60番に到達するとともに、安芸郡の札所もコンプリートする。今回も鉄道またはバスでのアクセスが容易なので、それらに身を委ねることにする。

まずは山陽線で海田市を目指す。時刻は9時台、この日はマツダスタジアムでカープ対スワローズ戦のデーゲームが行われるが、さすがにこの時間だとスタジアム周辺の客はまばらである。

ちょうどこの日の夜は広島~海田市間で一部列車の運転取り止め、バス代行輸送が行われるとある。広島市東部地区連続立体交差事業にともなう線路切換工事のためである。カープはデーゲームなのでさすがに工事のため客が帰れないということはないだろうが・・。

海田市に到着。広島新四国では第35番・大師寺に参詣した時以来である。昨年の3月末のことだったから1年以上経過している。時間が経つのが早く感じられる。

安芸山陽道に出る。西国街道のこの辺りでの呼び名で、海田市には宿場町が置かれていた。

小さいながら存在感ある祠を見つける。海田恵比須神社である。海田は古くは包浦と呼び、後に開田という名になったが、瀬野川の河口で海に面していたため海田と呼ばれるようになった。そして、四日市(西条)や廿日市と並んで市が立ち、安芸の国の経済の拠点の一つとして賑わいを見せた。海と商売が結びついての恵比須信仰の名残である。

恵比須神社の先から太鼓の音が聞こえてくる。安芸山陽道を少し東に行くと熊野神社があり、その社殿からのようだ。鳥居をくぐると狭い敷地ながら屋台が出ているし、道の向かいのスペースはキッチンカーが開店準備中である。熊野神社でお祭りでもあるのかな。せっかくなのでお参りしよう。

石段の途中に、「海田町戦没者原爆死没者慰霊塔」がある。1975年8月15日建立とあるから、ちょうど終戦から30年後のことである。資料によると日清戦争から太平洋戦争までの戦没者405名、建立までの原爆死没者151名という。

こちらの熊野神社は平安時代に紀伊の熊野大社を勧請したもので、江戸時代には海田市の総氏神として、広島藩主浅野氏からも信仰を集めていたという。

中ではどこかの団体か、20人ほどが拝殿の中に入ってちょうど祈祷が行われていた。先ほどの太鼓の音はこの祈祷によるものである。

さまざまな祈願札や絵馬も掲げられているが、正面で目に留まったのが「祈 広島東洋カープ優勝 海田町」という年季の入った札。行政が神社にこうした札を奉納していいのかという議論は野暮というものだろう。そして、後から気づいたのだが、海田町の札の反対側に同じく扁額と写真が掲げられていたが、よく見るとカープの黄金時代を築いた大下剛史、三村敏之両選手による必勝祈願のもの。いずれも頴田町の出身ということで、地元の神社への奉納である。

カープの場合、地方球団ゆえに「広島市または広島県出身者か否か」で結構カラーが異なり、派閥もあり、引退後の処遇にも差が大きいなという印象がある。ともすれば前者が王道、後者が異端という扱いも見受けられる。その伝だと、大下(東映からの移籍だが)、三村は濃厚、どっぷりと広島ということで・・・。

熊野神社まで来れば薬師禅寺も近い。薬師といいつつも、金色の観音像が目につく。寺の敷地はちょうど斜面になっており、これを切り開いた形である。境内の横がこの奥の日浦山の登山ルートにもなっている。

薬師禅寺が開かれたのは江戸時代中期。この地に疫病が流行したため薬師如来を勧請したところ、そのおかげで疫病が退散したため、薬師堂が建てられた。現在地には明治時代に移されたという。

本堂である薬師堂の扉に手を掛けるが鍵がかかっており、その前でお勤めとする。

先ほどの観音像に行ってみる。「いつもやさしい ひまわり観音さま」とある。ちょうど、海田の町を見下ろす角度にあり、町と人とをやさしく見守っているかのようだ。ひまわりは、海田町の花とのこと。

ひまわり観音像のたもとには「むすびの碑」もある。先ほどの熊野神社と合わせて、海田の人たちの憩い、癒しの場になっているようである。あ、以前に訪ねた大師寺もそうだろう・・。

これで一通り回り、本堂の外に書き置き朱印の箱もないのでインターフォンを鳴らす。ややあって、腰の曲がった住職らしき方が出て来られた。

さて、次は熊野町に移動である。熊野町へは呉線の矢野駅、または呉駅からのアクセスが便利だが、広電バスの路線図を見ると、広島バスセンターから熊野萩原車庫前行きの系統があり、海田市駅入口も通ることがわかった。この路線は1時間に1本だが、それほど待つほどもなく来るようなのでバス停に向かう。

バスセンターからここまでの間は混雑する区間(ちょうどマツダスタジアムの横も通るし・・)とあって、10分ほどの遅れでやって来た。

国道2号線と国道31号線の分岐となる大正交差点を過ぎ、矢野駅に到着。「このバスは矢野ニュータウンを経由しません」との案内がある。あちらは、かつて有料道路だった広島熊野道路を経由するルートだが、こちらは古くからの道である矢野通りを走り、途中カーブの多い山道も経由する。

そして着いたのは「ゼロバランス サッカーフィールド広島」。県内有数のサッカーフィールドで、ここまで乗って来たサッカー少年たちも下車する。

そのまま熊野団地に入り、熊野西防災交流センター前に到着する。目指す第60番・法念寺は・・・。

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第9回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~大阪駅うめきたエリアへ

2023年04月19日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

完全に大阪での記事なのに九州八十八ヶ所百八霊場めぐりのカテゴリに入れるのはどうかと思うが、大分からのフェリーの続きということで、開業したばかりの大阪駅うめきたエリアをのぞいた時のことを書いておく。

4月9日、大分からの「さんふらわあ」で神戸六甲アイランドに到着し、送迎バスでJRの住吉まで来た。そのまま快速で新大阪に向かう。途中、大阪に到着の際の乗り換え案内で、「特急くろしお、はるか、おおさか東線」というのが加わっていたのが斬新だった。改めて、大阪でもこれらにつながったのだなと思う。

帰りは新幹線に乗るので荷物を改札内のコインロッカーに預けるのと、新大赤から大阪への新たなルートの乗車である。なお、新たな路線といってもあくまで新大阪~大阪にもう1本線路ができただけの扱いという。

これまで、貨物船を利用する形で特急「くろしお」や「はるか」などが大阪駅の西側を通過し、踏切も渡りながら大阪環状線に合流していた。それが大阪駅のうめきたエリアの再開発のために新たに地下駅が設けられ、先日の3月18日に開業した。これに合わせて、特急が大阪駅にも停車することになり、大阪、梅田から関空や紀州方面への利便性も高まり、従来新大阪発着だったおおさか東線の列車も大阪駅に乗り入れることになった。

ちょうどホームには久宝寺からの列車が到着し、新大阪でほとんどの客が下車するところだった。さすがに大阪までとなると大和路線~大阪環状線のほうが便利なのか、この列車については次の大阪までガラガラである。

淀川を渡り、本線から右に分かれる。少しずつ信号待ちの停車も繰り返しながら地下区間に入る。

そして大阪駅到着。新たに21~24番線が割り当てられている。ここまで乗った列車は時間を置いて奈良行きとして折り返す。

開業してまだ半月ということもあり、ホームには見物客の姿も目立つ。ホームドアは扉の位置が異なる車両にも対応して開閉する技術が導入されており、またドアそのものも行き先表示やドア注意のメッセージなど自由自在に出せる。ちょうど9時33分発の「くろしお5号」新宮行きがやって来た。ホームドアに一斉にカメラが向けられる。

コンコースに上がる。そこでは長さ14メートル、高さ3.3メートルの巨大スクリーンがお出迎え。水の景色「ネイチャー・アクアリウム」が広がる。両サイドにあるタッチパネルでスクリーンに効果を加えることもできる。列車の待ち時間も、このスクリーンを見ているとあっという間に過ぎそうだ。

そして、登録により顔認証でも通過できるという改札を通る。一見さんなのでそうした顔認証もなく、普通にICカードをタッチして通る。ちょうど外から、「くろしお」に乗るのか「はるか」に乗るのか、添乗員に連れられた団体が改札をくぐるところだった。

いったん地上に出よう。ちょうど駅の真上ではうめきたエリアの工事が進んでいるところで、フェンス越しにこれらの景色を眺める。今からおよそ20年ほど前、私はかつての梅田貨物駅内にて勤務していたことがあるが、今でも覚えているその景色と比べると全くの別世界である。

しばらくするとこの一角の景色もまたガラリと変わることだろう。その時を楽しみにしつつ、改めて大阪駅に向かうのであった・・。

この後は御堂筋線でなんばまで移動し、10時開店の立ち飲み「赤垣屋」に向かう。ドームに向かう前の景気づけである。開店直後だがカウンターは満席で、奥のテーブル席に陣取る。もっとも、隣の客に気をつかわなくてよいのでこちらのほうが居心地よい。赤垣屋については、定番メニュー(これも来るたびになくなったり追加されたりするが)のほかに、季節ごとの一品が用意されているのが面白い。例えば若竹煮。

コロナ禍の対策が緩和されたためか、従来カウンターで客と客の間に吊るされていたシートも取り払われて、開放的に見える。つい、あれやこれやと注文する。アジの開きがあるが、さらに素揚げしているので頭から丸ごとバリバリいったり・・。

そして阪神なんば線でドームに向かい、対ファイターズ戦。ただ、4月9日の試合といえば・・・まぁその、何じゃこりゃあ・・・!!

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第9回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~「さんふらわあ」で大分から神戸へ

2023年04月17日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

4月8日、九州八十八ヶ所百八霊場めぐりの一連の札所めぐりを終え、帰途につく・・のか関西への行きの続きなのか、大分から神戸までフェリー「さんふらわあ」で移動する。

大分から日豊線で1駅進んだ西大分に到着。貨物駅を併設しており、コンテナヤードのある側線には貨物列車が停車している。かつては大分港までの貨物専用線も延びていたそうだ。

これから乗船する「さんふらわあ」の大分側の乗り場は西大分駅からほど近い(その他、別府~大分間の路線バスでもアクセスできる)。公式サイトでは駅から徒歩10分とあるが、駅前から国道10号線を渡るともう港のエリアで、海でも見ながら歩くとすぐに到着する。

金曜・土曜の大分出航は19時30分。徒歩での乗船開始は1時間前の18時30分との案内である。ちょっと早く来すぎたかな。ただ、大分駅近辺にいても中途半端に時間を過ごすだけだからこれでいいだろう。待合室で読書でもしながら時間をつぶす。多客期というわけでもなく、やって来る人たちものんびりした様子である。

この日は個室タイプの「スタンダード」を利用する。1人部屋の料金が15040円のところ、キャンペーン中で2人部屋のシングルユースでも同料金で利用できるとあった。部屋の写真を見る限り、やはり2人部屋のほうが2段ベッドながら全体的にゆとりがありそうなので、そちらを予約した。乗船手続き時にカード式のルームキーも渡される。返却不要で旅の記念に持ち帰ることもできる。

乗船の案内がある。乗り込むのは「さんふらわあ ごーるど」。早速「スタンダード」に向かうと、2段ベッドのほかに洗面台、テレビ台があり、2人部屋ということでミニテーブルと向かい合わせの椅子も備えられている。

さて、まずはレストランである。バイキング形式で、通常2000円のところ、「おためしスモールバイキング」として1500円で提供される。通常の時に乗ったことがないので何とも言えないが、「スモール」と銘打っているためか、もう少し品数があってもよさそうに思った。それでも、ブリの刺身とブリのりゅうきゅう(結局、刺身に醤油をかけたらどちらがどちらかわかりにくいが)、中津からあげといったところがメインである。

おでんもありますなあ。

窓際のカウンター席に陣取り、出航までの景色を眺めつつの夕食である。アルコール類は先ほど西大分駅近くのコンビニでいろいろ購入したのでそちらに委ねるとして、ただ冷蔵庫がないので船内の氷で対応する必要がある。

夕食の間に陽は落ちて、そろそろ出航の時刻である。甲板に出てみる。少しずつ岸壁から遠ざかるのもフェリーならではである。しばらくは甲板から別府湾の景色を楽しむ。

景色も落ち着いたところで入浴とする。ちょうど利用客が落ち着いた時間帯だからか、ゆったり入ることができた。

この後、部屋にこもってもよいのだがさすがに時間が早いので、レストラン、売店に近いプロムナードでゆったりする。この日の乗客はそれほど多いわけでもなく、船内ものんびりした雰囲気だ。

そろそろ、「スタンダード」ルームに収まる。最後は下段に横になるとして、試しに上段ベッドにも上ってみる。重量級を梯子の上に持って行くのは結構キツいが、ここはここで屋根裏感覚で落ち着くところだろう。

フェリーは豊後水道に出て、そろそろ佐田岬半島に近づこうかというところ。一応船内にはWi-Fiの設定はあるが、特に窓に面していない客室ではその先のネットにつながらない。テレビの受信も不安定だ。まあ、フェリーの客室はそういうものだと割り切ってネットはいいかということで、朝からいろいろ動いたのでそこそこに眠ることに・・・。

翌朝4月9日。さすが瀬戸内航路、揺れもほとんど感じずぐっすり眠ることができた。モニターで現在地を確認すると、淡路島の西、順調に航行しているようだ。朝風呂はいいかと洗面台で洗顔と髭剃りだけして甲板に出る。ちょうど朝日が顔を出したところだ。

6時からの朝食の案内ということでレストランに向かう。バイキング形式で620円。一般的なビジネスホテルのバイキング朝食といった感じ。今回いただかなかったが、朝カレーも行っておけばよかったかな・・。

朝食をいただきつつ、前方に明石海峡大橋の姿が少しずつ近づくのが見える。レストランから食事とともに明石海峡大橋を眺めようかとも思ったが、やはり近いところで見てみたい。朝食は掻き込むような形になり(だからカレーは食べることなく?)、もう一度甲板に上がる。

そして明石海峡大橋。近くに中学生と小学生くらいの男の子の親子連れがいたのだが、父親が息子に「お前もああいうデカいもん造るんやぞ」と声をかけている。お父さんの年恰好から見て直接明石海峡大橋の建造に携わった年代ではなさそうだが、こうしたインフラに何らかの関わりがある方なのかな。

フェリーはこの先神戸に向かう。これまでの乗船では大阪に向かっており、神戸までとは距離が短いように思うが、甲板やプロムナードで朝のゆったりした時間を過ごす。

そして着岸する六甲アイランドに差し掛かる。コンテナヤードや倉庫、工場群とともに、背景に六甲山系が広がるのも私にとっては新鮮な景色である。

定刻7時55分より若干早く神戸港に着岸した。横づけされた連絡バスに乗る。通常の路線バス車両で立ち客が何人か出るくらいの乗車数である。六甲ライナーのアイランド北口までは無料で、その先、阪神御影、JR住吉、阪急御影まで230円(ICカード利用不可)である。

六甲アイランドから本土に渡り、私はJRの住吉まで乗車した。この先京セラドーム大阪に向かうのだが、その前にせっかく大阪に向かうのだから最近誕生したあるスポットに向かうことにする。九州八十八ヶ所百八霊場めぐりの記事だが、番外編としてそこまでお付き合いのほどを・・・。

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第9回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~第26番「福寿院」(豊後大分府内城と灌仏会)

2023年04月16日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

4月8日、大分駅に到着。大友宗麟とフランシスコ・ザビエルの銅像が出迎える。宗麟は当時山口で布教していたザビエルを豊後府内に招き、会見を行ってキリスト教の布教を許可した。ザビエルの府内滞在はわずか2ヶ月ほどだったが、その後もポルトガルからの宣教師が多く府内を訪れ、宗麟自身も禅宗に帰依していたのがキリスト教徒になった。また、南蛮貿易でも賑わったという。

その銅像のある広場にて、100人ほどの人だかりができている。キリスト教の宣教師でも来るのかと思いきや、お揃いのブルゾンでマイクを手にした人が「間もなく、候補者本人がこちらに参ります! 皆様盛大な拍手でお迎えください!」と叫ぶ。そして候補者が姿を現した。この日は統一地方選挙の投票日前日で、いわゆる「最後のお願い」というやつである。この候補者をスマホで検索すると、これまで何度も当選している現職のベテラン議員で、安定した支持票があるのだろう、果たして翌日の投票結果でも上位で当選していた。

先ほどの日田駅前でも選挙カーは回っていたが、やはり県庁所在地であり、定数も多いが候補者も多く、この先さまざまな候補者の名前を耳にした。それはさておき・・。

九州八十八ヶ所百八霊場の第26番・福寿院は府内城跡の近くにある。まずは駅からまっすぐの通りを抜ける。この両側が大分の繁華街のようだ。今回、大分で一献できないのは残念だが・・。

その中にある赤レンガの建物が目を引く。旧二十三銀行(現在の大分銀行)の本店として建てられたもので、東京駅なども手掛けた辰野金吾の設計による。

通りにはさまざまな彫刻も並ぶが、目を引いたのはラグビー選手らしき金色の像。2019年のラグビーW杯日本大会では大分で準々決勝1試合を含む計5試合が行われ、大いに盛り上がったという。それを記念したモニュメントである。横から見ると頭や腕がちぎれたように見え、壊されたのかなと一瞬思ったがそうではなく、複数の人間が連続写真のように連なる群像を表現しているそうだ。

市役所やさまざまな庁舎が集まる一帯に差し掛かる。この辺りもかつての府内城の一部だったところで、目指す福寿院もその一角にある。「松平家祈願所」の札も掲げられている。

古くから豊後を支配していた大友宗麟だが、島津氏の攻撃に敗れて府内の中心部は焼き払われ、宗麟の次の大友義統は豊臣秀吉の配下となったが改易された。その後で転封して府内に入った福原直高が、大友氏の拠点だった大友館が地形的に狭かったため、現在の地に府内城を築いた。その後、関ヶ原の戦いを経て豊後府内藩は何代か藩主が替わった後、江戸時代前期に松平忠昭が藩主となった。その時、福寿院も一緒に移り三の丸に置かれた。

本堂の前でお釈迦様の誕生仏像が出迎える。右手を上に、左手を下に指し「天上天下唯我独尊」と言葉を発した姿を表した像である。甘茶をかける柄杓がある。ああそうか、4月8日はお釈迦様の誕生日、灌仏会(花まつり)の日だったな。

本堂の扉が閉まっており、とりあえず外でお勤めとする。そして朱印だがセルフ用の箱もないし、これはインターフォンで寺の方を呼ぶのかなと思ったところで、ちょうど住職らしき方が建物から顔を出した。「ああ気づきませんで」と言われ、扉を開けていただく。本堂内の電気もつけていただき、中に入って改めてのお勤めとする。

本尊の不動明王のほかに、「おみや弁財天」というのが祀られている。ここ府内城の鎮守とされている。府内城は「荷揚城」という別名があるそうだ。この地は築城当時、大分川の支流に位置する「荷落し(におろし)」と呼ばれる湿地帯で工事が難しかった。そこで「みや」という娘を人柱とすることになり、「みや」は弁財天を抱いて入水したという。そして城の完成後、「荷落し」は不吉なので「荷揚」という名前にしたという。そして「みや」をモデルにした弁財天像が造られ、現在も法要が営まれているそうだ。

お勤めを終えると、先ほど預けた納経帳のほかに、「今日はお釈迦様の誕生日なんで、甘茶をどうぞ」と勧められる。これも何かのご縁である。

せっかくなので府内城を一回りしよう。福寿院がある三の丸は本丸の北側で、堀に沿って時計回りに進む。ちょうど桜が散りつつあるところで、花見もこの週末が最後といった感じである。櫓は江戸時代後期に再建されたものが残されている。

ちょうど花見にもってこいのスペースがあり、家族連れや若者グループで賑わっている。ここでも、こうした賑わいの花見はコロナ禍以降初めてなのだろう。時刻は16時近く、何時からここにいるか知らないが、結構ご機嫌な方もいるようだ。ふざkて、堀に面した柵の向こう側に立つ者もいる。落ちても知らんぞ。

南側に出て、改めて大手門から本丸に入る。天守台の石垣があるので上ってみる。現在の本格的な城郭として整備されたのは関ヶ原の後に入った竹中重利の時で、この時四層の天守閣も築かれた。しかし、江戸中期の大火により天守閣は焼失し、それ以後は再建されることなく現在に至る。

今回の札所めぐりは大分府内城の見物とセットとなったところで、駅に戻る。ふと、今夜は大分に宿泊して、翌日も九州八十八ヶ所百八霊場めぐりを続けようかとも思ったが、それは次の機会として、予定通り神戸行きのフェリーに乗ることにする。ということで、大分から日豊線の列車で1駅、西大分に向かうことに・・・。

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第9回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~天ヶ瀬から豊後森の機関庫へ

2023年04月15日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

九州八十八ヶ所百八霊場めぐりは久留米から日田を経て大分に出て、瀬戸内航路に続く。

第95番・明王寺の参詣と豆田町を回った後、日田から「ゆふいんの森3号」別府行きで豊後森に移動する。久大線の日田~大分間は随分前に1回か2回乗ったことがあり、由布院には立ち寄ったことがあるものの、豊後森は初めてである。たまたま、特急の指定席が1つだけ空いていたので日田の滞在時間を縮めて先行することに。

「ゆふいんの森」は1989年から運行されており、現在九州各地で運行されている観光列車の元祖ともいえる。前面展望席を設けた車体は戦隊ものに出てきそうな面構えだ。扉が開くと客室乗務員がうやうやしく出迎えてくれる。

客室はハイデッカー構造で眺望が利く。もっともそのぶん座席の上の棚のスペースが狭いが、デッキには広く荷物スペースが取られていて、キャリーバッグが無造作に置かれている。そして客室は満席なのだが、どう見ても日本人よりは半島、大陸の方々が目立つ。一瞬、国際列車にでも乗ったような感覚がする。

私が割り当てられたのはもちろん通路側だが、すぐ近くに木目調のサロンスペースがある。これも「水戸岡デザイン」かな。座席よりもこちらのほうが快適なので、豊後森までの大半はこちらで過ごす。インバウンドの客とすればこのスペースも格好の撮影スポットらしく、次々にスマホで撮影をしていた。また売店もあり、飲食物や鉄道グッズの販売もある。

沿線は玖珠川の流れとともに進む。何度も鉄橋を渡り、川面が左右に展開する。久大線でもっとも奥深いところで、中盤の見どころである。

天ヶ瀬に到着。地元の人たちが外から「ゆふいんの森」に向かって手を振る。近辺の渓谷、滝の見物の拠点となる駅で、日帰り入浴ができる温泉もある。

天ヶ瀬を過ぎたところでいったん減速する。光の加減で画像が上手く撮れないのだが、二段落としの「慈恩の滝」である。

周囲が開けると、右手にはお椀を伏せたような独特の形の山が現れる。もっとも、名前は伐株山という。確かに、あるところから上がバッサリ切られたようにも見える。昔々、ここには天まで届く長さの巨大なクスの大木があり、その影で周りでは作物がとれなかった。困った村人たちは木こりの大男に頼み、その大木を切り落としてもらい、その切り株が残ったのが今の伐株山だ・・・という話がある。玖珠の地名もこの大木に由来しているともいう。

30分ほどの乗車を終え、豊後森で下車する。黒を基調としたシックな駅舎である。これも「水戸岡デザイン」。ホームには鳥居があり、伐株山をご神体に見立てているようにも見える。

豊後森は久大線の拠点駅の機能を持っており、1934年に機関区が開設された。また、1984年まで走っていた宮原線の列車も乗り入れていた。その宮原線で思い出したのが、門司港にある九州鉄道記念館の屋外展示場で保存されている気動車のキハ07。いかにも戦前のローカル線といった感じの車両である。

特急で豊後森まで先行したのは、豊後森機関庫、転車台の見物のためである。駅前の道を歩いて踏切を渡る。かつての操車場跡が豊後森機関庫ミュージアムとして保存、公開されている。転車台の手前には9600形蒸気機関車が保存されていて、機関庫と合わせて格好の被写体となっている。青空、高原の風景によく映えている。

津山まなびの鉄道館のように往年の車両が機関庫の中に収まっているわけではなく、1971年に廃止されたそのままの姿で残されている。廃墟といえば廃墟なのだが、それを超越した遺跡といっていいだろう。

機関庫の外側を回る。外壁に凹んだ跡があるのは、太平洋戦争での米軍の機銃掃射によるものとある。駅の助役や職員も犠牲になったとのこと。この山奥で機銃掃射?と思ったが、九州の東西を結ぶ路線の拠点ということで、何らかの標的にされたようである。

かつての詰所を改装した豊後森機関庫ミュージアムに入る。往年の機関庫や、久大線の風景と列車の写真も多く飾られている。当時の賑わいを再現したジオラマを見るのも楽しい。

ちょうど、外では由布院からの特急「ゆふいんの森2号」が豊後森駅に着くところだった。

一通り見たところで、1時間の途中下車は十分満足できるものだった。次の列車までしばらく時間があるので、ホームにてのんびりする。この日は気温は20度を超えるくらいだったが、風が強い。暖かいのか寒いのかよくわからない天候だったが・・。

13時03分発の大分行きが来た。そしてその車内を見ると・・・またもロングシート。思わず、膝がガクッとした。大分までは2時間近くの乗車。さらに、先ほど久留米から日田まで乗った列車もロングシート。これがすべてロングシートなら何も文句は言わないが、途中の駅ですれ違う列車はなぜかすべて転換クロスシート車だった。何だかなあ・・。

車内には先ほど久留米から日田までの車内で見かけた客(青春18きっぷで、日田で2時間観光を楽しんだか、まったりとしたか)の他、外国人観光客も目につく。

旅情という点でロングシートは否定されがちなのだが、車内が空いていれば向かい側の窓越しに景色を広々と楽しむこともできる。先ほどの渓谷とば一転して山岳路線の景色が広がる。

由布岳の姿が見え、13時34分、由布院に到着。しばらく停車するので車外に出る。観光地の玄関駅として多くの人で賑わっている。由布院か・・人気のところだけになかなか宿泊するのは難しいところだ。

この後も淡々と進み、いつしか景色が開けて大分市内に入る。駅ごとに地元の人たちもぽつぽつと乗って来る。

最後は高架となり、14時51分、大分着。日豊線、久大線、豊肥線が合流するターミナルである。ちなみに、西広島を6時ちょうどの始発で出発して、途中の待ち時間が増えても鈍行だけで乗り継ぐと、大分に着くのは14時52分と、ほぼ同じ時刻である。博多までの「バリ得こだま」や「ゆふいんの森」の費用が加わったものの、札所一つと機関庫の見物がプラス要素となった。そこは、いろいろな手段を織り交ぜて・・。

この時間であれば次の札所である第26番・福寿院の参詣は十分間に合う。大分駅から徒歩圏内ということでぼちぼち向かうことに・・・。

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第9回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~第95番「明王寺」(日田の淡窓不動尊と昔からの町並み)

2023年04月13日 | 広島新四国八十八ヶ所

九州北部の交通の要衝で、豊後、豊前、さらには筑後川で筑後方面とを結ぶ地である日田に到着。天領の町として見どころもさまざまあるのだが、駅前には「進撃の巨人」のキャラクターたちが出迎える。作者の諌山創さんが日田の出身ということで、観光PRに一役買っている。

また、駅舎の前では「HITA」の「I」の位置に人が立って記念撮影をするのが人気となっている。ここでも、外国人観光客の姿を見かける。

先の記事で、次の大分方面の鈍行は2時間後ということに触れ、それならば町歩きも含めて十分回ることができるとしたが、実は私の日田での時間は半分の1時間あまりしかない。というのも、日田11時32分発の特急「ゆふいんの森3号」に乗るためである。もっとも、この列車で由布院や大分まで行くのではなく、天ヶ瀬を過ぎた次の豊後森までの乗車である。久大線でのもう1ヶ所の途中下車として、かつての扇形機関庫跡がある豊後森にも立ち寄れないかと思い、ダメ元で全車指定席の「ゆふいんの森3号」の空席をネットで検索したところ、たまたま1席だけ空いていた。これで豊後森も組み込み、豊後森からは当初乗る予定にしていた大分行きに乗り継ぐことにした。

その分、日田での滞在が1時間ほどとなりちょっと駆け足になるが・・。

連絡地下道を通って駅の北側に出る。ちょっとした公園になっていて、D51が保存されている。主な活躍場所は東海道線や山陽線、日豊線などで、久大線を走っていたわけではないようだが、当地に寄贈されたものである。

この日(4月8日)は統一地方選挙の投票日前日ということで、県議会議員の候補だろうか、周囲を回る選挙カーの声も響く。

江戸時代後期に広瀬淡窓が開いた私塾・咸宜園の跡地に出る。「咸宜」とは「ことごとくよろし」と読み下すそうで、門下生一人一人の個性や意思を尊重する理念を名前に込めたという。以前来た時に資料室に入ったのだが、その中で印象的だったのが「月旦評」という門下生の成績の番付表のようなものである。入門時に身分、年齢、学歴を問わない一方で、月の初めに学力を評価して1級から9級まで上がり下がりする・・。今では当たり前のことかもしれないが、当時の身分社会にあっては画期的なことだったという。

咸宜園の前を通り、そのまま行けば昔ながらの町並みの豆田町だが、その途中にあるのが、第95番の明王寺である。

明王寺は明治時代、四国八十八ヶ所巡礼で奇跡的に病気を平癒したという水島安兵衛の発願によりにより豆田町に建立され、大正時代に現在地に移転した。本尊の不動明王は、京都の醍醐寺から招かれた2代目の住職と一緒に明王寺にやって来たもので、理源大師聖宝の作と伝えられている。

本堂の柱には「九州八十八ヶ所番外霊場」の額が掲げられている。扉が開いており、中に上がってのお勤めとする。天井の板には般若心経の中の一文字が書かれており、天井絵とはまた違った面白さがある。護摩供、祈祷など人が集まることも多いのだろう。

朱印はセルフにていただく。

明王寺から200メートルも行けば豆田町。どこかに入って見学とはいかないが、せめて通りを往復するくらいのことはしてみよう。以前来た時もちょうど春の頃で、さまざまな雛人形の展示を見たものだ。天領として栄えた当時の名残を残しており、現在はリノベーションしてショップやカフェに生まれ変わっており、訪れる人を楽しませる。

この時は何かの記念写真か、通りをバックにカメラマンによる撮影が行われていたり、韓国からと思わるご婦人の団体も見える。

本来なら宿泊も含めてゆっくり回るに値する町ではあるが、通りを一通り眺める。

何とか「ゆふいんの森3号」に間に合うように駅に戻り、緑の車体が入線するのを待つことに・・・。

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第9回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~九州横断と瀬戸内航路で大阪まで・・

2023年04月12日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

4月9日は京セラドーム大阪での開幕6連戦の最終戦を観戦した(結果は、序盤で席を立つくらいのバファローズの惨敗だったのだが・・)。当初はこの野球観戦と組み合わせて、その前段の8日、9日の午前を利用して関西の神仏霊場めぐりを行おうと考えていた。

ただその間際になって、これとは別に関西に行くこともあるし、神仏霊場はその機会に委ねようという気になった。その代わりということで持ってきたのが、逆方向の九州八十八ヶ所百八霊場。要は、大阪に行くのにいったん九州に向かうわけだ。

九州八十八ヶ所百八霊場めぐり、そしてその前の九州西国霊場ともどもここまでさまざまな交通手段を使っているが、どこかに「フェリー」という選択肢を作りたかった。そして目をつけたのが、関西と別府・大分を結ぶ瀬戸内航路である。九州に行くということで大阪または神戸から出航する便に乗るほうが旅情を味わえそうだが、そこは先に9日の野球観戦があり、フェリーに乗るのが後付けになったので、九州から関西に向かうことにした。

別府~大阪、そして大分~神戸という2つの航路があるが、手頃な個室が取れたことで8日の夜は大分発神戸行きの便に乗ることにした。ということで、広島~大分~神戸~大阪~広島という2日間コースができあがった。

その大分の札所だが、次に行くのは第26番・福寿院である。大分の市街地、府内城の近くにある寺で、それ以降は豊後大野、臼杵、佐伯方面へと続く。次の機会をまとめて訪ねる予定にしていたが、今回、青春18きっぷを使って山陽線~日豊線を乗り継いで大分まで行き、大分市街の福寿院のみ押さえ、そのまま神戸行きのフェリーに乗ることにした。ちなみに、JRで自宅最寄りとなる西広島6時の始発に乗り、岩国、下関、小倉、中津と鈍行だけで乗り継ぐと、大分には14時52分に着く。

さてこれで豊後の国のクリアにも目途が立った・・というところだが、大分県の内陸部に目を抜けると、日田にも1ヶ所、番外霊場からの加入組である第95番・明王寺がある。こちらは福岡県に近いことから、九州を東から南へぐるりと回り、福岡県の筑後エリアに戻った時に合わせて訪れるつもりだったし、今年の夏に日田彦山線がBRT路線として復旧するのでその乗車と組み合わせて行こうも考えていた。

ただ、今回の大分行きのプランニングの中で、この際日田も一緒に行っておこうかという気になった。ポイントは、久大線による九州横断である。鹿児島線で久留米まで行き、久大線で日田を訪ね、そして大分に抜ける。大分からは瀬戸内航路で神戸、さらに京セラドームへと、九州八十八ヶ所百八霊場めぐりとしてスケールが大きくなった。

8日は西広島駅まで徒歩の後、広島6時05分発の「こだま775号」で出発する。青春18きっぷを活かして鈍行乗り継ぎで九州に向かう予定が、久留米まで行って久大線利用となると間に合わないので、新幹線を使う。新幹線特急料金、普通運賃は、博多までの「バリ得こだま」で少しでも圧縮する。

3月25日、30日、そして4月8日と立て続けに九州に向かっている。それなら現地での1泊2日にすればトータルの旅費も安くついたのではないかと思うが、連続したスケジュールがなかなか取れないので・・。

朝の時間ということで車内は空いており、順調に進む(画像がいつも徳山駅周辺の工場群なのはご愛嬌で)。

九州に入り、7時33分、博多に到着。そのまま乗り換えで在来線ホームに出る。間もなく7時43分発の特急「ゆふ1号」別府行きが入るが、ホーム上には大勢の観光客が入線を待っている。外国人、特に韓国、中国、東南アジア系の顔も目立つ。アジアの人たちにとっては日本の中でも九州はお手軽に訪ねることができるエリアである。

「ゆふ1号」に乗れば直接日田まで行けるが、博多からは青春18きっぷとして、同じホームですでに停車していた7時41分発の二日市行きに乗る。二日市から先は後続の列車に乗るのだが、別に博多で待つこともないかと。転換クロスシート車に揺られ、南福岡で「ゆふ1号」にも抜かれながらのんびり進む。大宰府跡にも近い都府楼南近辺では青空の筑紫野も楽しむ。

二日市到着。この後は8時12分発の快速羽犬塚行きに乗り継ぐのだが、その前に肥前鹿島行きの特急「かささぎ101号」が発車する。西九州新幹線の開業で従来の長崎線回りの特急は肥前鹿島までの「かささぎ」に置き換わった。途中の佐賀あたりならまだしも、肥前鹿島じたいにそこまで需要があるかどうか・・。

羽犬塚行きはロングシート車。8時33分、久留米に到着する。次の久大線日田行きまでしばらく待ち時間である。東九州シリーズが続く中で久留米に降り立つとは思わなかった。

折り返しとなる9時15分発の日田行きだが・・こちらもロングシート車。久大線には同じタイプの車両でも転換クロスシート車、クロスシートとロングシートの千鳥配置のタイプがある中でのロングシート車である。

発車前に男性客が運転手に「天ヶ瀬まで行きたいのだがどのくらい時間がかかるか」と尋ねる。この列車が10時19分に日田に着いた後、その先の天ヶ瀬に行く鈍行は12時29分発まで2時間以上待ち時間がある。運転手は「日田で観光でもしていただければ」と言葉を添える。

私がこれから目指す第95番・明王寺はそんな日田の観光スポットにも接しており、駅からも歩いて行ける範囲とあって、途中下車の感覚で組み入れることにした。

発車時にはロングシートもほどよく埋まり、久留米市街を南からぐるり回りこむようにして東に進む。花卉類の育成が盛んな沿線を抜け、河童の像や駅舎が出迎える田主丸に着く。ここは第5番・大師寺の最寄り駅であり、九州一周ルートはここからも続くと言っていいだろう。

うきは市を抜け、大分との県境に差し掛かる。一気に山深くなり、右手から筑後川も寄り添ってくる。川下りのカヌーともすれ違う。

夜明に到着。列車行き違いでしばらく停車する。青春18きっぷの客だろうか、数人の客がホームに出る。夜明は先に触れた日田彦山線との分岐駅だが、2017年の豪雨被害でバス代行となった添田~夜明間については、結局鉄道による復旧を断念し、「BRTひこぼしライン」の愛称で2023年夏に開業予定である。先日からは試験走行も始まったそうだ。かつて日田彦山線の乗り場だった3番線は線路が撤去され、ホームもフェンスで仕切られている。

JR九州の不通区間といえば、肥薩線の八代~吉松間も長期化している。現在八代~葉木、一勝地~人吉間のみタクシー代行輸送で、その他の区間は移動すらできない状態である。この先どのように復旧させるかの見通しも立っていないようだ。その意味では、BRTながら交通網の維持が決まっただけよかったと言えるのかな・・。

10時12分、日田に到着。久大線の途中下車を兼ねての札所めぐりである・・・。

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第58番「白華寺」~広島新四国八十八ヶ所めぐり(倉橋島!)

2023年04月11日 | 広島新四国八十八ヶ所

広島新四国八十八ヶ所めぐりはしばらく間隔が空いていたが、前回から約2ヶ月ぶりにようやく第58番・白華寺に向かう。4月2日、当初の予定がぽっかり空き、ちょうど天気も良いのでここで出かけることにした。

白華寺があるのは倉橋島である。当初はクルマで出かけようかと思っていたが、調べると呉駅から1時間に1本の割合で桂浜温泉館行きのバスが出ている。呉駅からは1時間ほどかかるが、逆に同じ県内でちょっとした日帰り旅の気分が味わえそうだ。倉橋島には以前の広島勤務時代、音戸の瀬戸から渡ったことはあるが、確かその時は江田島に向かう際に通過しただけで、倉橋島を目的地とするのは初めてである。

広島から呉行きに乗り換え、呉線を走る。帰りは呉港からフェリーで宇品に出るのも面白いかな・・・。

呉駅から10時20分発の桂浜温泉館行きに乗る。座席がほぼ埋まるくらいの乗車率である。

海上自衛隊の呉地方総監部から歴史の見える丘を過ぎる。戦艦大和を建造したドックも健在である。広島新四国ではちょうどここから見上げた場所にある萬願寺にも参詣した。さらに、今年に閉鎖を迎える日本製鉄の呉製鉄所も見る。バスの車窓にて呉の街並み観光もできる。

そして警固屋から音戸の瀬戸へ。現在橋は2本架かってるが、路線バスが走るのは古いほうの音戸大橋。ループ線を上り下りする。ぢょうど松山行きのスーパージェットも音戸の瀬戸に近づいてきた。高速艇とはいえここではどうしても速度を落としての運航となる。

このまま、まずは島の東岸を走る。橋でつながっていることもあって街並みも広がっているが、海にはカキの養殖いかだもずらり並ぶ。さすがに4月となると、スーパーの店頭にカキが並ぶこともなくなったなあ。

道が細いうえ、ガードレールもないところも走る。海水も澄んでいる。

途中からは島を横断し、西側にしばらく海が広がった後にもう一度横断する。宇和木バイパスを抜けて島の南岸に出る。倉橋本浦で下車する。ここまで1時間ほど乗って来たが、呉駅から倉橋島まで乗り通した客も結構いたし、島内での乗り降りもそこそこ見られた。

さて目指す白華寺だが、海とは逆の山の方向に戻る形になる。この地区の集落の細道を抜けていく。

途中、立派な構えの門の両側に桜が咲き誇っているスポットに出会う。ここが白華寺かと思ったが、浄土真宗の西蓮寺というところである。

桜にひかれて少し境内におじゃまする。室町時代に開かれた寺で、領主の多賀谷氏の菩提寺でもあった。

白華寺はもう少し細道を上るようだ。道幅も狭く、これでは私の軽自動車でもアクセスが厳しそうだ。

見上げると、独特の形をした岩がむき出しになっている山を見る。ここで連想したのが宮島の弥山である。確か頂上付近に奇岩が並んでおり、昔からの修行の場としての姿を今に伝えているところ。この火山も、例えば弘法大師が修行したことがあるとか、そういう言い伝えがあってもおかしくないように思う。

火山を紹介したネット記事によると、周囲の海を見渡せることから水軍が火をたいて見張りの場、あるいは灯台のような役割をしていたことからその名がついたという。登山道も整備されており、1時間もあれば登れるそうだ。

白華寺が近づき、振り返ると先ほど着いた本浦地区が見える。そして行き止まりとなった先に石段が続く。

白華寺が開かれたのは平安時代中期。倉橋島の地頭だった塩竃勝信という人物が夢のお告げを受け、島の沖合いで十一面観音像を発見し、小舟で持ち帰り、火山の麓の少し開けた地で祀ったのが始まりという。この十一面観音は行基の作と伝えられるが、近年の調査では鎌倉時代の作とされている。

本尊は秘仏だが、本堂の前には本尊をモデルにして造った十一面観音像が立つ。本堂の奥に庫裏があるが、住んでいる気配はなさそうだ。お堂の前でお勤めとする。

朱印は本堂の前に箱が置かれていて、セルフで書き置きをいただく。

ここで折り返しとして、もう少し近場を楽しむことにする。バスの行き先でもあった桂浜に向かう。桂浜といえば高知のイメージだが・・。

砂浜が広がり、目の前には穏やかな海。そして、何組かの家族がテントを広げてバーベキューなど楽しんでいる。外国人の家族もいる。大声での会話はラテン系の言葉に聞こえる。

「萬葉集史蹟 長門島之碑」の文字が見える。「長門の島に船泊まりして作る歌」、「長門の浦から船出する夜に月の光を仰いで作る歌」として、計8首が収められている。長門島とは倉橋島の当時の呼び名で、風待ちの場として古くから活用されていたようだ。

ここから見えるのは山口県にかけての島々で、奥に広がるのは周防大島だろうか。さすがに四国本島までは見えないか・・。

桂浜神社というのがある。現在の社殿は室町時代には建っていたそうで、宗像三女神、宇佐八幡三神を祀る。海上交通の盛んな地にあって多くの信仰を集めたことだろう。

砂浜の奥に、「長門の造船歴史館」がある。来る前、地図で「長門の造船」に関する歴史館があるのを見て、広島なのに長門とはどういうことかと思った。ひょっとしたら、太平洋戦争当時の戦艦「長門」に関するスポットなのかとすら思っていた。

しかし、中に入ると目に飛び込むのは遣唐使船。倉橋島は風待ちの港だけでなく、船の建造も行われた歴史があり、遣唐使船や後の豊臣秀吉の軍船もここで建造されたともいわれている。こうしたこともあり、1989年に当時の絵巻物などを参考にして復元されたのがこの船である。これまでにも地元の祭り等で実際に海に漕ぎ出したこともあるそうだ。

長門は長門でも、戦艦と木造船ではえらい違いである。

こうして実物大とされる遣唐使船を見ると、よくこの大きさで東シナ海を渡って大陸に向かうことができたものだと感心する。事実、途中での嵐、風雨により難破した船も多く、阿倍仲麻呂のように唐には渡ったものの日本に戻ることができなかった人たちもいた。

館内は撮影禁止のため画像はないが、他にも数々の木造船の模型が並ぶ。

さて、一通り見たところで最後に取って置いた桂浜温泉館に入る。中の主浴槽(銀泉)と露天風呂(金泉)がメインである。全体に広く、地元の人や、海・山を楽しんだであろう人たちで賑わっている。欲をいえば、湯上り後にゆったりできる広間でもあればよかったところ。

初めて訪ねた倉橋島の海岸だが、広島県の新たな見どころに出会えてよかったことである。

温泉館を13時54分発のバスで出発する。

来た時と同じくカキの養殖いかだが並ぶ海岸沿いの区間に入るが、帰りはちょうど干潮の時間帯で、ほとんど干潟のようなところにいかだがむき出しになっている。大丈夫か?と一瞬思ったが、これはあえてそうした位置にいかだを組んでいるそうである。倉橋島の周りは潮の干満が大きく、カキが海中に出たり入ったりするのだが、そのぶん身が通よくなり、味わいもよくなるのだという。そして、こうした光景は何も倉橋島に限ったことではなく、全国各地で「干潟養殖」として行われている手法なのだという。

途中のバス停から、東南アジアの人たちが何人か乗ってくる。カキの養殖業者の技能実習生だろうか。この札所めぐりから戻った後、NHK広島の番組で、そうした技能実習生を取り上げていた番組を観た。10年前、江田島の水産加工会社で外国からの技能実習生が社長や従業員を殺傷した事件があった。その時、実習生は待遇面での不満や孤立から犯行に及んだとされたが、それから年月を経て、カキの養殖業者の労働力はより一層外国人の技能実習生頼りになったという。

技能実習生・・・結局は安い労働力。マスゴミがいくら弁護しようとも、何の説得力もない。

私がこの冬にスーパーで購入したカキも、おそらくこうした外国人実習生のカキ打ちによるものだろう。まあ、スーパーだろうが広島市内の高級店だろうが、同じようなものだろう。受け入れ側もいろいろあるが、中には悪質なところもあるのではないかな。そうした労働の上に成り立っているカキ・・・何だか申し訳ない。

こうした番組やネット記事を見ると、単純にカキが美味い旨いといって喜んでばかりでいいのかなと思う。私個人としては外国人実習生制度には反対で、先の参議院選挙ではそれを施策の一つに掲げた党に投票した。

もっとも、ここ最近の為替状況その他のため、技能実習生は日本なんか相手にしていないようだが・・・。

・・・自分でも何を書いているのかわからないが、何だか日本の産業構造はこれでええんか?という複雑な気持ちは持っている。カキ美味しいね!・・だけでええの?

 

再び音戸の瀬戸を渡り、本土に戻る。呉駅に戻り、結局そのまま呉線に乗って広島に戻る・・。

広島新四国は次の第59番・薬師禅寺(海田町)、第60番・法念寺(熊野町)と回ると、東のエリアが終了となる。こちらはこちらで少しずつ進めることに・・・。

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観戦記・バファローズ対ファイターズ@大阪(序盤で球場を後に・・・)

2023年04月10日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

4月9日、バファローズの本拠地開幕6連戦の6戦目である。前日まで8試合を終えて4勝4敗。まあ、ぼちぼちといったところだろう。今季の公式戦初観戦ということで京セラドーム大阪に向かう。この9日の試合、前日8日は別の札所めぐりを行ったうえでの大阪入りである。その紀行文はまた改めて書くことにして・・。

元々公式サイトにて1塁側上段の席を確保していたのだが、行く直前になり、チケットのリセールサイトにて下段席の空席があるのを見つけ、別に購入した。まずはこちらの席に向かう。

今季、公式戦開幕に合わせてバックスクリーンが大型化された。これまでスクリーンの両側に固定した広告がかかっていたエリアも新たにスクリーンとなり、映像演出の幅が広がった。

この試合は「大阪観光局デー」と銘打たれている。2025年の大阪関西万博も含めて大阪の魅力を発信しようという観光局の活動が紹介された。始球式には観光局の溝畑理事長が登板。何か、金色のマントを羽織ってますが・・。

スタメン発表。バファローズの選手紹介では拡張したスクリーンをフルに使っている。昨年の育成ドラフトで入団し、開幕直前に支配下を勝ち取った茶野がこのところ1番に定着している。昨年の宇田川といい、茶野といい、育成入団から活躍する選手も少しずつ出てきてチームへの刺激になっている。

改めての始球式には岡田圭右さんの滑り芸。

バファローズの先発はニックス。ローテーション通りなら前週投げた山岡のところだが、前日の村西、そしてこの日のニックスといい、いろいろ試してみるところだろうか。それとも、山岡に何かあったか。ニックスは広島でのオープン戦でも先発したのを観戦しており、その時は3回を投げて1安打無失点だった。オープン戦2試合は無失点の掘り出し物、公式戦ではどうだろうか。

その立ち上がり、先頭の矢澤に四球を与え、続く松本もライト前のヒットで無死一・三塁となる。

そして清宮がライトへ豪快は一発を放つ。これでいきなり3対0となった。

どよめきが残る中、続く4番・野村もバックスクリーンに飛び込む一発。清宮、野村の連続本塁打で4対0。おいおい、全然あかんやないか。

さらにこの後も2つの四球(一人は牽制球でアウト)、マルティネスの二塁打もあって二死一・二塁とチャンスを続けられるが、9番・石井を打ち取って何とか4点で終える。

1回のバファローズの攻撃前、先に座っていた下段席から、元々購入していた上段席に移る。写真を撮るのに防球ネットが邪魔をするのイラっとしていたのに加え、1回表に2本の本塁打が飛び出し、さらにたまたま後ろの列に座っていたグループ客の会話が耳障りだったので(騒がしいというのではなく、口調とか話の内容で)。

やはり京セラドームではこの位置のほうが、グラウンド全体を見渡せるし、防球ネットも気にならない。

1回裏、ファイターズの先発はルーキーの金村。ルーキーながら公式戦早くも2試合目の先発である。

先頭は茶野。スタンドからは、過去の流用ながら選手別の応援歌が流れた。先に入団し、1軍にも出場している選手でも汎用の応援歌の選手が多い中、早くも個別応援歌である。それだけ起用に応えていることで応援団も反応したようだ。そしてこの打席でも思い切りのいい打撃で早速ヒットを放ち、反撃開始である。

さらに太田、森が連打で続き、無死満塁のチャンスを迎える。さて、初回の4点から何点取り返すか。

しかし、4番・頓宮は力のない内野フライで何も動かず。続く杉本にはタイムリーが出て1点返すものの、中川、宗が凡退してつながらない。今季はヒットは出るもののあと1本が出ず残塁となる場面が目立つ。

2回表、ニックスは松本に四球を出すが、後続を打ち取って無得点とする。この後立て直せるか。

3回表からは山岡が登板。これはどういう意図だろうか。ニックスは当初から3回くらいまでの予定で、その一方で第2先発として山岡も準備していたのかな。シーズンの最初だからいろいろ試す意図があったようで、結局WBC後の山本、宮城の調整もあって9試合で9人が先発した。そして改めてふるいにかけるのだろう。

山岡の投球練習を見届けた後、いったん買い物で席を立ったが、売店で並んでいるとスタンドから歓声が伝わって来る。そしてファイターズの得点時のテーマ曲が聞こえて来た。モニタを見ると万波に本塁打が出たようだ。これでこの日は清宮、野村、万波というファイターズ若手のクリーンアップの本塁打揃い踏みとなった。

席に戻ると上川畑、マルティネスの連打でさらにチャンスが広がっていた。二死二・三塁となり、矢澤がセンターへタイムリーを放つ。これで7対1と大差がついた。

3回裏、バファローズはクリーンアップの打順だが金村の前に三者凡退。

その時、「今日はもうええか」と私はその場で席を立ち、球場を後にした。今思うと、途中経過でボロ負けだからテレビのチャンネルを変える感覚だった。

これまで負け試合は見慣れており、これまでどういう試合であっても9回裏のゲームセットまで観戦してきた。しかしこの日に限っては自分でもあきらめが早いというか、しかも序盤で席を立った。野球は最後まで何が起こるかわからないし、長いシーズンの中にはこうした試合もある。真のファンならどんな展開でも最後まで応援するべきで、途中で席を立つとはあるまじき行為だと非難する方もいらっしゃるだろう。ただ、この日については最後まで観戦しても精神衛生上よろしくない・・という何かのサインが出たのだと思う。

そのまま新大阪まで移動し、15時17分の「のぞみ71号」広島行きに乗る。

そして広島に着いたのが16時42分。新幹線ホーム、そして在来線ホームには、カープの赤いユニフォーム、帽子に身を固めた人たちがあふれていた。この日カープはマツダスタジアムでのジャイアンツ戦で、見事にジャイアンツを3タテした。列車は非常に混雑したが、カープが勝った後なので乗る人たちも上機嫌である。その中、広島にあってはアウェイの存在でいらだつ私・・。

このファイターズ戦は、7対2でファイターズが勝利し、カード勝ち越しとなった。7回途中まで投げた金村にプロ初勝利がついた。ファイターズで「金村」といえば元エースの金村暁の名前が浮かぶのだが、今後それを塗り替える活躍ができるか。

一方のバファローズは、「信長の野望」に出てきそうな名前の茶野篤政が3安打を放ち、パ・リーグの打率トップに立った。スポーツ紙の記事によると、この日始球式に登場した岡田圭右さんは、茶野に対して「新たな”T”(Tea)が出ました」とコメントしたようで。

次の生観戦は5月の予定。その頃にはどうなっているだろうか。すみません、次はちゃんと最後まで観戦するので・・・。

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第8回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~別府にて温泉と一献

2023年04月09日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

3月30日、杵築、日出、別府と札所を回り、せっかくなので少しだけ別府を楽しむことにする。せっかくなので温泉に浸かるとして、向かったのは竹瓦温泉。以前に利用したことがある砂湯を楽しむとしよう。

現在の時刻は14時台。受付で砂湯を希望すると、「19時半からです」と言われる。その時間まで順番待ちのようだ。さすがに日帰りではその時間まで待つことはできず、普通の入浴のみとする。

現在の建物は1938年に完成したもので、登録有形文化財、近代化産業遺産にも指定されている。ある意味別府のシンボル的な存在と言える。

通常の浴槽は空いていて、地元の親父さんらしいのが鼻歌を唄いつつ、旅行者らしい若い人をつかまえて話しかけている。別府の湯は熱いというイメージがあるのだが、浴槽から洗面器で体に湯をかけてもそれほどでもない。何分でも入っていられる温度だ。別に私が熱い湯も平気な体質ということでもなく、朝からうめてこの温度になったのかな。

しばらくして上がると、入れ替わりに西洋人の団体が入って来た。

小上がりでしばし休憩し、周辺をぶらつき、17時まで待つことにする。小倉まで青春18きっぷで戻るのなら、温泉から出た後でそのまま列車に乗って帰途につくところだが、せっかく別府に来たのだからと夕方から少し一献とする。その代わり、途中まで特急利用ということで・・。

入ったのは駅前の通りにある「さかなや道場」。ご存知、全国チェーンの居酒屋だが、先ほど別府駅から金剛頂寺に行く途中、店頭に豊後の魚、大分名物のあれこれのメニューが並んでいることから選択。観光客にもちょうどいいだろう。

まずは湯上がり(から少し時間が経ったが)の生ジョッキ。

看板メニューにあるのが豊後サバ、豊後アジ。ブランドとして関サバ、関アジというのは聞くが、これらは佐賀関沖の豊後水道で、佐賀関の漁師が一本釣りしたもの。これに対して豊後サバ、豊後アジはもう少し範囲が広く、豊後水道で水揚げされたもので、漁法や漁師の所属は問わないという。ブランドとしては関サバ、関アジよりも下になるが、そのぶんリーズナブルにいただくことができる。

一般的にサバの造りといえば〆サバ(きずし)で、九州だとゴマサバも知られた一品だが、こうしてシンプルな刺身で食べられるのも本場ならではである。とろ味も感じる。

アジのほうはなめろうで。

他の大分名物ということで鶏天と、椎茸のホイル焼き。

さて、アジは先ほどなめろうでいただいたが、せっかくなら姿造りもいってみよう。アジは店の入口の生け簀で泳いでいたのがそのまま出てくる。結構な一品だった。なお、会計時に生け簀を見ると早くも「活サバ品切れ」の紙が貼られていた。やはり人気のようだ。

ビールの次は、宝焼酎のミニボトルとサイダーのデキャンタを注文してプレーンハイでいただく。

チェーン居酒屋としてのグランドメニューももちろん充実しているが、豊後サバ、豊後アジをはじめとした郷土料理もしっかり楽しめるということで観光客におすすめといえる。次に別府に来ることがあればもう一度入ってみよう。

18時52分発の「ソニック54号」に乗車する。つい先日は「白いかもめ」のグリーン車に乗ったが、今回は普通車にて。

19時30分、中津到着。ここで「ソニック54号」を降りて、19時48分発の小倉行きに乗り換える。これで小倉まで1時間10分かけて進む。

小倉からは21時09分発の「ひかり592号」。広島までは新山口のみ停車という速達タイプで、車両もN700系だから「のぞみ」と変わらない。後は寝過ごさないようにするだけだ。

さて、アフターの別府も含めて九州八十八ヶ所百八霊場めぐりの大分県も中盤に入って来た。次以降の計画についてもさまざま思案中である・・・。

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第8回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~第25番「金剛頂寺」(別府のど真ん中の札所)

2023年04月07日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

別府に到着。駅に降り立つのは2021年の正月以来である。あの時はコロナ禍の最中であったが、久しぶりに来ると駅の内外に外国人含め観光客の姿も目立つ(九州西国霊場の時はクルマで来たこともあり駅前には来ていない)。

駅前にはバンザイの格好をした銅像が建つ。別府観光の生みの親とされる油屋熊八の像。幕末の生まれで明治、大正、昭和にわたり活躍した実業家で、「山は富士、海は瀬戸内、湯は別府」というキャッチフレーズで別府の名を全国に広めたとされる。亀の井ホテルの創業や、別府地獄めぐりもこの人によるものである。このキャッチフレーズを見て、「山が富士なら 酒は白雪」というセリフが私の頭に浮かんだのだが・・。

その横に囲いがあり、「ゆ」の暖簾が出ている。モニュメントであり、実際に手を浸けることができる「手湯」である。

先に、別府には2021年の正月に来たと書いたが、反対側のロータリーに出たせいかこうしたオブジェがあることに気づかなかったようである。これらを見るのは初めてで、手湯にもちょっと腕をひたす。気持ちいい。またこうしたスポットはSNS映えするようで、記念撮影をする人が絶えない。

小倉まで鈍行で戻るにしても別府での時間はたっぷりある。そして目指す第25番・金剛頂寺は別府タワーからもほど近いところにあり、別府駅からも徒歩圏内。ぶらぶら歩いて行くことにする。

国道10号線に出て、別府タワーを見る。

そういえば昼食がまだだが、時間には余裕があるのでどこかで食べよう。ちょうど別府タワーの反対側に「宝来軒」の暖簾が見える。中津の有名なラーメン店の別府店とある。そういえば、先日の中津、宇佐シリーズでも昼食には「宝来軒で修行した~」というのが売りの店だった。別府にて中津の味を楽しむか。牛、豚、鶏と三種類の骨からとったスープが特徴。こってりしすぎずしっかり味わうことができた。

その脇道を1本入ると普通の住宅地である。そしてその一角に普通の住宅とそれほど変わらぬ佇まいの寺がある。ここが金剛頂寺である。名前だけ目にすると四国八十八ヶ所の札所にもあるような歴史、由緒を感じさせるのだが・・。

金剛頂寺が開かれたのは大正時代。元高野山管長の津田実雄和尚のもとで修行した松本覚陞和尚が四国八十八ヶ所の遍路を終えた後に開いた。また、別府西国三十三ヶ所観音霊場というのもあるそうで、これも松本和尚が開き、金剛頂寺が第1番という。

本尊は薬師如来。薬師如来も人々の病を癒すという意味では温泉と共通するものがあり、各地に「薬師の湯」も数多く存在する。

平日ということもあってか、扉は閉まったままでその前でお勤めとする。縁側に箱が置かれていて、朱印はセルフにていただく。今回めぐった3ヶ所はいずれもセルフでの朱印となった。改めて言うと、九州八十八ヶ所百八霊場めぐりの専用納経帳は墨書はあらかじめ印刷されていて、右上の番号印、真ん中の宝印、そして左下の寺印は寺の方、ないしはセルフで押印するものである。

国道10号線を渡り、的ヶ浜公園から別府湾を眺める。左手には先般閉鎖された別府市営温泉「テルマス」の建物も見える。周辺の標識や案内板にはまだ「テルマス」の名前があったので一瞬「まだ営業しているのかな?」と思ったが、閉鎖は閉鎖である。

万葉歌碑もある。「豊後国の白水郎(あま)の歌」とある。

せっかく別府に来たのだから、先ほどの「手湯」にとどまらず実際に体ごと浸かってみたい。ならばということで、昔ながらの建物があるあの公衆浴場に行ってみることにする。そして、当初は別府から広島まで青春18きぷで戻ることも考えていたが、やがて小倉まで戻ることに変わり、そして現地に来ると、もう少し遅くまで別府に滞在できないかなとすら思うようになってきた・・・。

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第8回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~第24番「蓮華寺」(日は暘谷より出でて・・)

2023年04月06日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

日出(ひじ)は杵築と別府の間にある町だが、江戸時代には木下氏が治める日出藩というのがあり、また現在は別府や大分のベッドタウンとして賑わっている。サンリオのハーモニーランドもある。平成の大合併では杵築市などとの合併が検討されたが、新しい市の名称や市役所本庁舎の場所などで折り合わず、日出町だけ離脱。別府、大分近郊のコンパクトシティの道を選び、存在感を示している。

バスを降りて2~3分歩くと、若宮八幡神社に出る。目の前の道路は狭いながらクルマの通行が多いのだが、境内からは日出の港を見下ろすことができる。

若宮八幡神社は平安時代、八津島宮から勧請して開かれ、鎌倉時代以降は豊後の大友氏により保護された。しかし、豊後が豊臣秀吉の直轄地となり、日出の代官となった人物が熱心なキリシタンで、社殿を破壊し、ご神体を海に投げ捨てたという。

江戸時代になり、日出藩に木下氏が入ると神社を再建し、投げ捨てられたご神体も戻り、手厚く保護することとなった。寺の楼門も江戸時代の建立という。地元の人たちに古くから親しまれているところだ。

また末社として愛宕社、天満社、高良社があり、それぞれ火難除け・無病息災、学問成就、延命長寿のご利益があるとされる。

そして目指す第24番・蓮華寺は若宮八幡神社に隣接している。いったん道路に出て改めて山門をくぐるが、ひょっとしたら以前は若宮八幡神社の別当寺として一体だった歴史があったりして・・ということも想像してみた。

山門をくぐった正面の立派な建物はあくまで庫裡で、本堂は左手にある。中に入って自由にお参りをということで靴を脱いで上がり、お勤めとする。

蓮華寺が開かれたのは平安時代で、豊後に土着した大神氏の菩提寺として開かれたと言われている。そして江戸時代、やはり日出藩の木下氏が日出の鬼門を守るためとして現在地に移されたとある。そして武運長久や鎮護を祈っていたから、やはり八幡神社とセットだったのかなと思わせる。

現在の本堂は平成に改修されたようで、境内にはかつて屋根あった宝珠が安置されている。

朱印はセルフにていただく。

これで参詣を終え、地図で見ると日出駅、暘谷駅のいずれも徒歩で行けるところだが、別府寄りの暘谷駅に向かうことにする。その前に、先ほど近くに見えた海をもう少し見ようと港に出てみる。別府湾越しに薄くではあるが高崎山の姿も見ることができる。小さな漁港であるが、日出は「城下かれい」の本場で、江戸時代には徳川将軍家にも献上されていた高級魚である。近くの飲食店にも「城下かれい」の文字が見える。ちなみに旬は初夏だとか。

暘谷駅に到着。民営化直前の1987年にできた駅で、手前の踏切横に「暘谷駅設置の経緯」と記された石碑がある。日出町の中心部に駅がないということで(ということは、今の日出駅は町外れということか・・)、地元の人たちの運動により国鉄末期になってようやく駅の設置に至ったという。その期成会に名を連ねる中に「二階堂」という名があるが、大分麦焼酎「二階堂」のことである。そう、九州の景色を舞台にした独特のCMで有名なあれ。日出のブランドやったんやね。

この「暘谷」は日出城の別名にして中国の古書の一節「日出於暘谷 浴于咸池」から取られた名前。現地に来て初めて知ったことで、別府や杵築の陰に隠れたように見えて歴史、教養にあふれたところなのだなと印象を新たにした。

現在の駅舎は再開発計画にともない2016年に移転したもので、駅前には商業施設も並んでいる。九州の札所めぐりでお世話になるホテルAZも駅前にある。別府、大分方面からハーモニーランドへは暘谷駅が玄関駅ということで、駅内にもキャラクターのデザインやポスターが並ぶ。別府で宿が取れなければ日出で泊まるのも面白そうだ。

13時10分発の臼杵行きに乗り、そのまま別府湾沿いに出る。大分県の中心に入って来たなという楽しみが出てくる、

別府到着。次に目指す第25番の金剛頂寺は別府駅から近いところにある。ここまで来れば後の行程もゆったりしたもので、寺参りの後、帰る前に温泉にも入ってみようか・・・。

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