まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

紀州鉄道に乗る~神仏霊場巡拝の道めぐり

2024年08月26日 | 神仏霊場巡拝の道

8月17日、道成寺の参詣を終えて御坊に戻る。あ、そういえば次回の行き先を決めるあみだくじがまだだったので、道成寺から御坊に戻る列車の中で候補のくじ引き、そして本選のあみだくじである。

・住吉大社(大阪1番)

・八坂神社(京都36番)

・仁和寺(京都12番)

・大覚寺(京都9番)

・春日大社(奈良2番)

・貴船神社(京都24番)

結構、京都に寄って来た。仁和寺や大覚寺といった洛西地区もまだまだ残っているし、八坂神社が出れば清水寺、六波羅蜜寺といった西国三十三所もセットで行ける。貴船もいいかな・・。大阪の実家に帰省した折、午前中のローカル番組で貴船エリアをぶらぶら回るのを見たばかりということもある。

その中で出たのは、春日大社。おおっ、この5月の連休で訪ねたのだが、「これを何と読む!!」(御朱印は書き置きのみ・・の意)に出くわしたためノーカウントとしたところ。奈良市内でここがポツンと残った形だが、さてどのタイミングで訪ねようか・・。

そして御坊に戻ったが、せっかくなので構内の0番ホームに停まっている紀州鉄道の気動車に乗ることにする。営業キロがわずか2.7キロというミニ私鉄だが、地元の足として、また鉄道ファンも訪れる路線として頑張っている。街外れにある紀勢線の御坊と市街地を結ぶ目的で建設され、かつては御坊臨港鉄道として貨物輸送も手掛けていた。

時代が下り、紀州鉄道という社名になったが、紀州鉄道の本業は不動産やリゾート業で、鉄道業は慢性的な赤字である。赤字ながら鉄道が健在なのは、不動産業を営むにあたり「鉄道会社」であることが信頼につながるという利点があるという理由がある。また鉄道への愛着と信用、そして今注目のグループ全体での「サステナビリティ経営」というやつである。

うーん、サステナビリティねぇ・・。赤字ローカル線と聞いてイメージするのは広島県内を走る芸備線や木次線、福塩線の一部区間だが(今季も、有志の手により芸備線で「呑み鉄列車」が運行されるが)、さすがにJR西日本も中国山地のローカル線まで手が回らないだろう。地元行政も財政が厳しそうだし、大規模な不動産、リゾート会社といえば星野リゾートやアパグループなどが思い浮かぶが、そうしたところに沿線開発と合わせて買い取っていただくのも荒っぽい手ではないかとも考える。

さて紀州鉄道に話を戻す。この時間は数人の乗客で出発。暑さ対策で片側の窓のカーテンは全て閉められている。まずは紀勢線と分かれてカーブを曲がり、御坊の中心部に向かう。

次の駅は学門。県立日高高校(二階俊博氏の母校でもある)の門の前にあることからついた駅名とのことだが、「学問」に通じるということで、受験シーズンには入場券やグッズがよく売れるそうだ。

次は紀伊御坊。紀州鉄道の中心駅で、現在休車の車両も停まっている。

次の市役所前を過ぎ、終点・西御坊に到着。かつてはこの先、日高川まで運転されていたが1989年に廃止された。

道路とは柵で仕切られて立入禁止だが、それでもしばらく線路が残っている。この先の廃線跡めぐりを楽しむ人もいるそうだ。

また西御坊駅近辺は、御坊の地名の由来ともなった本願寺日高別院を中心とした町並みが広がる。一向宗と国人領主が手を組んで一つの勢力となっていたが、豊臣秀吉の紀州攻めで敗退し、江戸時代に現在につながる町並みが形成された。

・・折り返しの列車まで1時間近くあったが、暑いし、以前にも訪ねたので門前町歩きはパス。また一方でトイレにも行きたかったので、ちょうど国道42号線を渡ったところのコンビニ併設のツタヤWAY書店に向かう。涼ませてもらった対価も含めて文庫1冊を買い求める。

西御坊駅に戻ると先ほどの気動車が扉を開けて待機していた。車内に入って涼みながら発車を待つ。

折り返しの時間になると特に案内もなく扉が閉まり、そのまま発車する。途中の各駅から数人ずつ乗客があり、地元の利用があることに安心して御坊に到着。紀州鉄道の支払いは発着とも車内の運賃箱である。精算済券が出ることもなく、そのまま手ぶらでJRの改札口を出る。

待ち時間の間にコンビニでの買い物、コインロッカーからの荷物回収を終え、12時03分発「くろしお18号」に乗る。結局、海南から御坊、道成寺を午前中だけで慌ただしく回った感じだが、早めに帰宅して自宅での時間を増やすことにする。まずは乗り換えなし、2時間弱の行程で新大阪に向かう。

途中では広川地区の風力発電設備、また海南近辺の海岸の車窓を楽しむ。もう、特急でサッと通過するだけでも十分だ。

和歌山からはそこそこの乗車があり、紀ノ川を渡り大阪府に差し掛かる。

和歌山県内は快晴だったが、天王寺が近づく頃には雲が広がった。突然の豪雨ということにならなければよいが・・。

そのまま大阪のうめ地下ホームを経由して、終点・新大阪に到着。今年2024年は東海道新幹線の開業60周年である。コンコースの一角には大阪らしい怪しげなオブジェというか、記念撮影スポットが・・。

新大阪14時23分発「さくら559号」に乗る。当日変更のため通路側の席しか空いていなかったが、2人掛けの広いシートだし、広島までは1時間半の行程。特に隣を気にすることもなく戻ることができた・・。

17日の早い時間に帰宅し、この夜、そして翌18日は広島でゆっくりと過ごした。さて次のお出かけは・・・。

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和歌山6番「道成寺」~神仏霊場巡拝の道めぐり・110(物語の古刹)

2024年08月25日 | 神仏霊場巡拝の道

8月17日、和歌山県・海南の朝。前日の16日は台風16号が関東に接近したことで東海道新幹線の東京~名古屋間が終日運休し、山陽新幹線も本数を減らしての運行となったが、この日は始発から平常通りの模様だ。この日は海南から御坊を経て道成寺に向かい、そこから折り返すコース。当初は、朝は海南でのんびりしてから道成寺に行くことも考えたが、朝風呂にも入ったし、朝食も済ませたし、早めに出かけるとしよう。その分、帰りの新幹線も繰り上げるつもりだ。

ルートインホテルをチェックアウトして、7時43分発の御坊行きに乗る。227系のロングシート車である。気のせいか、乗客は日本人より外国人のほうが多いように見える。それもインバウンドというよりは地域の貴重な働き手ということで・・。関西2府4県すべてで人口減少傾向にあるが、中でも和歌山県は人口、減少率とも関西ワースト。まあそれでも、山陰や四国に比べればまだまだ多いのだが、そりゃ、全国の「鈴木さん」の移住促進もしたくなるわな・・。

ちらりと海岸が見え、昨年操業停止となったENEOSの和歌山製油所の横を通る。脱炭素化の影響による石油需要の減少、人口減少によるものだが、和歌山県としては雇用の受け皿がまた一つ消えることでまた人口流出につながる悪循環だろう。

箕島、藤並、湯浅といったところを過ぎる。藤並からはかつて有田鉄道という私鉄が走っており、現在も廃線跡や車両が残る鉄道公園もある。海南からの野上電鉄もそうだが、和歌山以南にはかつてこうしたミニ路線がいくつか存在していた。

8時32分、御坊着。目指す道成寺は御坊の次の駅だが、次の紀伊田辺行きは9時12分発。いったん改札を出て荷物をコインロッカーに収める。

その御坊駅前には、この方のポスターがまだ健在だ。8月14日に岸田首相が次の自民党総裁選への不出馬を表明してから、政局は次の総裁選への立候補者の話題となっている。裏金問題を受けて自民党の派閥がほとんど解散したこともあり、10~11人が立候補に意欲を示している状況だが、二階俊博氏についてはまったくといっていいほど触れられていない。次期総選挙には子息を候補者に立てることで政界引退はいいが、それで裏金問題もフェードアウトさせるとは・・。

駅に戻る。次に乗るのは9時12分発の紀伊田辺行きだが、その発車直前に和歌山からの列車が到着し、乗り継ぎ客でシートがほぼ埋まった。青春18きっぷでの乗り継ぎ客だろう。この先、紀伊田辺、串本、新宮、亀山と乗り継いできのくに線~紀勢線で紀伊半島を一周することもできる。

御坊を発車したかと思うとすぐに次の道成寺に到着。地図を見ると、御坊駅から道成寺まで2キロほど。本数の少ない列車を待つこともなく歩いても行けそうだ。もっとも、この猛暑の中では無理をせず・・。

駅から2~3分で参道に入る。「天音山道成寺」の石標が立つ。その先には「あんちん」「雲水」といった土産物店が並ぶ。「あんちん」とは、道成寺の「安珍清姫」の物語に登場する修行僧・安珍である。

石段を上がり、山門をくぐる。そのまま正面の本堂に向かってお勤めとする。ちょうど僧の方が堂内にいて「ようお参りです」と声をかけられる。

道成寺が開かれたのは藤原京時代、文武天皇の勅願で義淵僧正によるとされる。義淵は法相宗の僧で、飛鳥の岡寺を開いた人物である。岡寺には「龍蓋寺」という正式名称があるが、飛鳥の地を荒らして人々を困らせた龍を義淵がその法力で池に閉じ込めて蓋をしたことからその名がついている。

道成寺には、文武天皇の后で聖武天皇の母である藤原宮子にまつわる「髪長姫」の伝説がある。その昔、九海士の村長に娘が産まれたが、髪の毛が全く生えていなかった。その時、海中に光るものがあり、海に潜って採り上げると観音像だった。これを拝むうち、娘にも髪が生え始め、「髪長姫」と呼ばれる美しい姿に成長した。それを聞きつけた都人の目に留まり、藤原不比等の養女に召し出された。そして後に文武天皇の后となる。その恩返しとして観音像を祀る寺として開かれたのが道成寺である。

境内の一角にある宝仏殿・縁起堂に向かう。ここで神仏霊場めぐりの朱印をいただくとともに、有料拝観を申し出る。宝仏殿には国宝指定の本尊・千手観音像や脇侍の日光・月光菩薩をはじめとした諸仏が祀られている。エアコンが効いて涼しい室内にて改めての拝観である。

道成寺といえば縁起堂での「絵とき説法」である。髪長姫、そして安珍清姫の物語を住職や職員の方が絵巻物を広げながら説明してくれるものである。有料拝観の方で、申し出れば随時「絵とき説法」をしてくれるそうだ。

・・ただ、この時境内にいた参詣者は時間が早いこともあってか私一人。さすがに差し向かいで説法をいただくのも恐れ多い(というより気恥ずかしい)し、以前道成寺に参詣した時に説法をいただいたことはあるので、今回は朱印のみいただいて失礼する。

安珍清姫の伝説は「道成寺物」として能・歌舞伎で数多く演じられているが、まあ、女性に言い寄られたり愛を告白されたことのない私には縁のない話・・。

「絵とき説法」を省略したことでそのまま道成寺の駅に戻り、今回の神仏霊場めぐりは終了。また一駅、御坊に向かう・・・。

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神仏霊場巡拝の道めぐり~海南にて一献

2024年08月24日 | 神仏霊場巡拝の道

8月16日、大阪帰省から和歌山に足を延ばしての神仏霊場巡拝の道めぐり。まずは和歌山7番・藤白神社に参拝し、この日の宿泊地である海南駅前に向かう。

その前に、藤白坂の手前にある有間皇子の史跡に向かう。有間皇子は飛鳥時代、孝徳天皇の皇子である。あの大化の改新後の孝徳天皇と中大兄皇子(後の天智天皇)との政争に巻き込まれる中で謀反を企てたとして、味方とされる人物の密告により捕らえられ、護送中にここ藤白坂で絞首刑に処せられたという。いわゆる辞世の歌とされるのが、有名な「家にあれば 笥に盛る飯を 草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る」である。一見すると「草枕」や「旅にしあれば」という単語に旅情を感じさせるのだが、事実は途中で殺されることが確実な「護送の旅」で、椎の葉にご飯が盛られること自体が屈辱という無念の歌である。

大化の改新後、この孝徳天皇と中大兄皇子との政争のほか、天智天皇没後の壬申の乱、さらには天武天皇没後の皇位継承の争いなど混沌とした時代が続く・・。

さて駅に向かうとして、そのまま坂道を下り、JRの線路下をくぐって降り立ったのはENEOSの製油所。そして道を進むうち、中野BC株式会社の前を通る。中野BCは日本酒「長久」(超久)のほか、梅酒なども製造する酒蔵である。事前予約で酒蔵の見学もできるようだ。

国道42号線の交差点に出る。野鉄観光、野鉄タクシー、野鉄運転代行・・と並ぶ看板がある。野鉄とはかつてこの地を走っていた野上電鉄のことで、鉄道はとうの昔に廃止されたが、その子会社として現在も細々と営業している。

海南駅に向かう途中、このポスターを見かける。あの二階俊博氏・・は次の総選挙には出馬しない意向で、後継として三男の伸康氏が立候補予定である。まあそれは二階氏の願望として好きにすればよいことだが、二階氏は和歌山でも御坊から南の3区ではなかったか。

これは公職選挙法改正による区割り変更のためだ。従来、海南市の地域は旧和歌山2区だったのが、2区と3区が統合されたことで、3区の二階氏が海南市にも登場することになった。和歌山の小選挙区といえば参議院から世耕弘成氏が鞍替えするのではとか言われているが、結局いずれも政治とカネで追われた同士・・。

さて、宿泊地である「ホテルルートインGrand海南駅前」に到着。2024年6月に開業したばかりのホテルである。今回、海南・御坊を訪ねるにあたり宿泊をどうしようか考えたが、海南駅前のルートインということで早速予約していた。チェックインの時間を過ぎており、そのまま部屋に入る。ちょうど駅前ロータリーから先ほど訪ねた藤白神社方面を望むことができる。

まずは光明石人工温泉に入る。まだ早い時間ということで浴槽を独り占めする。その後は部屋にて涼みがてら、夕方の関西ローカル番組を見る。

さて、和歌山、海南に来た。ここまで来れば黒潮の幸で一献・・と行きたいところだが、和歌山市街ならともかく、海南はその点では残念だった。先ほど駅に戻って来た時、駅前を一回りしたが「これ」という店がなかった。中には居酒屋もあったが、18日の日曜日まで盆休みの貼り紙もあった。

そして今回、海南駅構内のコンビニであれこれ買い求めた後、ルートイン内の食事処での一献とした。向かったのは1階のレストラン「なごみ」。セルフでビール、サワー類の飲み放題があるのがポイント。これまでルートインホテルに泊まった経験がある中、夕食も館内というのはなかなかないことだ。

飲み放題を注文すると、セルフコーナーでジョッキを取り出す。そしてサーバーからいただく生ビール。この辺り、ビアガーデン感覚である。まずは塩気たっぷりの枝豆。またスマホにQRコードを読み取り、注文はその画面から行うのでお互い気兼ねない。

配膳にはロボットが活躍。もっとも、ロボットが来たかと思えば店員さんが直接持って来たりと、運用基準はあいまいかな。

この後はビール、サワー(何も入れないプレーンサワーも可)を軸に楽しむ。レストラン内のテレビを観たり、スマホ、さらには文庫本も持ち込んだので時間を持て余すこともない。しっかり飲んだし、ビジネスホテル内の夕食も悪くないなと思う。

締めは「上田カリー」をつかったカリーうどん。上田カリーとはホテルルートインが開発したカレーで、「レトロ&モダンをテーマに、とことんルーにこだわった」という一品である。この上田とは、ホテルルートイン発祥の長野県上田市にちなんだ命名。上田カリーは何にでもよく合うとのことだが、今回カリーうどん、そしてご飯も追加してジャンキーにいただく。旨味ある。

さてこの後はもう一度光明石人工温泉につかり、部屋でゆったりする。実家帰りとは違った快適さでのんびり過ごすことに・・・。

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和歌山7番「藤白神社」~神仏霊場巡拝の道めぐり・109(全国の鈴木さん集まれ!)

2024年08月23日 | 神仏霊場巡拝の道

盆休み中の8月16日。この期間は南海トラフ地震臨時情報あり、岸田首相の次期総裁選不出馬表明あり、台風7号の接近ありと、いろいろあった。台風7号が伊豆諸島から関東、東北に接近・上陸の恐れとの予報を受け、14日の時点で早々と、16日は東海道新幹線の東京~名古屋間の運転を終日取り止めることを発表した。予定を切り上げて15日までに移動するよう呼びかけられている。

そして16日の東海道新幹線、名古屋~新大阪間は「こだま」のみ1時間に2本程度の運行。そして山陽新幹線も「のぞみ」の東海道区間への乗り入れは取り止め、本数は半減。一応、新大阪から西に向かう「さくら」や「こだま」は平常運転とある。

その16日だが、実家を後にした私が向かうのは広島ではなく和歌山。神仏霊場巡拝の道めぐり、前回7月の京都5番・善峯寺でのあみだくじで出た和歌山6番・道成寺を目的地とした札所めぐりである。今回大阪まで来ているので、少し足を延ばして神仏霊場めぐりの難関である和歌山に行くことにした。その途中の海南にある和歌山7番・藤白神社と合わせて、和歌山県はほぼ終了となる。

16日、天王寺13時32分発「くろしお13号」に乗車する。特急「くろしお」も南海トラフ地震臨時情報の影響で、前日15日までは和歌山以南の区間では運転取り止めとなっていた。それが解除されて通常ダイヤとなっているが、特に和歌山以南は津波リスクの大きいところ。「くろしお」車内には車外避難用の梯子も備え付けられている。

全体的にガラガラでのんびり過ごす。まずは阪和線を快調に走り、和歌山県境の山越えである。神仏霊場めぐりで和歌山県には何回か足を踏み入れており、今回、藤白神社、道成寺を訪ねると残りは岩出の根来寺のみとなる。

紀ノ川を渡り、和歌山に到着。

この次が海南である。14時27分着。天王寺から約1時間の距離である。和歌山県に入って少し進んだところの地名だが、「海南」という文字にはどこかしら旅情を感じる。この「海南」だが、昭和初期に海草郡の町村合併で誕生した名前で、海草郡の南部にあることから名前がついたそうだ。

駅前にルートインホテルがある。この日はここに宿泊し、翌朝御坊に向かうことにする。チェックイン前だが、フロントで荷物を預かってもらう。藤白神社まで徒歩で往復すればチェックインの時間となり、ルートインホテルならではの大浴場で汗を落とすこともできる。

藤白神社へは、きのくに線の高架沿いに歩くとわかりやすい。その途中に万葉歌碑の一つを見つける。「紀伊の海の 名高の浦に寄する波 音高きかも 逢はぬ子ゆゑに」とある。この辺りは名高の浦と呼ばれる地で、そこに打ち寄せる波のように、まだ逢ってもいない娘との間に高いうわさが立ってしまった・・という意味だという。

きのくに線の高架の山側に、熊野一の鳥居跡、祓戸王子跡といった標識を見る。これから向かう藤白神社は平安~鎌倉時代にかけて広まった熊野信仰において、熊野九十九王子の中で格式の高い五体王子の一つとされ、熊野の聖域の入口とされた歴史がある。

少し進むと鈴木屋敷に出る。「鈴木さんいらっしゃい」の幟も立つ。「鈴木」といえば「佐藤」に次いで日本で2番目に多い苗字というが、このルーツは藤白神社にあるという。ここを拠点に全国に熊野神社を建て、熊野信仰を広めたことによるもので、稲を積み重ねて天皇に献上したのを「すずき」といったことから「鈴木」になったとか、熊野権現のご神木に鈴をつけて神武天皇一行を案内したことから「鈴木」になったとも言われている。

この夜、海南のホテルで一献やりながら、「鈴木姓、野球選手にも多いよな・・」と考えていた。真っ先に思い浮かんだのは近鉄の大エース・鈴木啓示。そして、ヤクルトから近鉄に移籍して「もう一人の鈴木」として投げていた鈴木康二朗(王貞治に当時の世界新記録となる756号本塁打を打たれた投手・・のほうが有名かな)。道産子パワーの鈴木貴久もいたな。オリックス関連ならマック鈴木にK-鈴木、今季ドラゴンズから移籍の鈴木博志・・。

現役他球団ならイーグルスの鈴木大地、カープからメジャーに行った鈴木誠也もいる。一昔前ならベイスターズの鈴木尚典とか・・。

・・あ、彼らよりビッグネームを忘れていた。イチロー・・・・本名・鈴木一朗。

藤白神社の境内に入る。元々は藤白王子ということで、熊野行幸の折にはここで宿泊して法楽会などを催したそうである。当時の行幸は信仰のためといいつつも、京の都を離れてさまざまな祭典を行うイベント要素も強かったそうだ。

その中で、後鳥羽上皇の行幸に随行したのが藤原定家。本人は出世のきっかけにすべく随行したのだが、その道中は上皇のパシリ・・もとい添乗員のような役割で、行幸に先立って様々な段取りをこなしたり、時には上皇とともに歌を詠んだり、その割には粗末な宿に泊まらされたり・・。そのボヤキが日記の一部として現代にも伝わっており、小倉百人一首の選者の素の顔を見せるものとして貴重な史料となっている。

その後、戦国の兵乱で社殿や領地を失ったが、江戸時代に浅野幸長、さらには徳川頼宣といった紀州藩からの寄進や社殿の再建で復興した。

さて、手を合わせよう。「鈴木さん 今日はどちらから来られましたか 鈴木さんご署名所」というのがある。その掲示板には、テレビ番組「ナニコレ珍百景」で訪ねたという鈴木拓さん(ドランクドラゴン)、鈴木砂羽さん(女優)、鈴木亜美さん(歌手)の3人の鈴木さんの「署名」が掲げられている。この「珍百景」とは、「鈴木」姓発祥の地である海南市が移住促進のため、「鈴木さん」に1世帯100万円の支援金を出すというもの。対象は東京23区在住、もしくは東京圏在住で23区内に通勤する「鈴木さん」だとか。支援金をいただくには何年か住むなどの条件はあるが、さまざまな自治体で移住促進の支援が行われる中、「姓」をターゲットとした支援というのはなかなかないのでは。

本殿の横には藤白王子権現堂がある。熊野三所権現本地仏として、阿弥陀如来、薬師如来、千手観音が祀られている。いずれも平安時代の作とされ、熊野信仰というのは神仏習合の要素が強いのだが、明治の神仏分離による廃仏毀釈を免れて現在も残っている。

最後に朱印をいただく。

この日の神仏霊場めぐりはこれで終了。後はテクテクと海南駅に戻ることに・・・。

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大阪17番「道明寺天満宮」~神仏霊場巡拝の道・108(さまざまな思い出語ります・・)

2024年08月20日 | 神仏霊場巡拝の道

今年のお盆は大阪の実家で過ごす。13日に広島から高速バスで移動し、実家に到着。昨年他界した父の葬儀以来お世話になっている高野山真言宗の寺院から届いたお札等を仏壇に飾りつけ、一応迎え火も焚いてお盆の準備とする。

翌14日、寺院から山主自ら実家に来ていただき、お盆の供養。暑い中、檀家の要請を受けてルートを決めて回ってらっしゃるが、やはり13日~16日がピークで、山主自らクルマを飛ばしても1日10軒が限度。ちょうどご子息が高野山で修行中の身とのことで、晴れて正式に僧侶となれば負担も少しは軽減されるそうだが・・。

そして15日。この日は京セラドーム大阪でのナイター、バファローズ対イーグルスを観戦する予定である。今回の帰省はお盆の法要に加えて野球観戦、そして神仏霊場巡拝の道めぐりと盛りだくさんだ(その合間に、実家で長年使っていた冷蔵庫の寿命が来たために、家電量販店での購入~納品・引取の対応というのもあったのだが・・)。

ここで神仏霊場巡拝の道のことが出たが、前回7月、消化不良気味の湖東地区、その後の善峯寺を回り、次の行き先を決めるあみだくじで出たのは和歌山6番・御坊の道成寺である。今回の機会を利用して、16日~17日にかけて海南にある和歌山7番・藤白神社とセットで訪ね、和歌山以南をクリアするつもりである。

さて15日、京セラドーム大阪に向かう前に早めに実家を出発。近鉄の藤井寺から大阪阿部野橋行きに乗るところ、逆方向の古市方面の列車に乗る。そして2駅、道明寺で下車。和歌山に行く前段として、実家近くにある大阪17番・道明寺天満宮を訪ねることにした。

実家のすぐ近くには西国三十三所の第5番・葛井寺がある。葛井寺は神仏霊場めぐりの大阪18番札所でもあり、以前正月に帰省した折に神仏霊場めぐりの朱印もいただいている。この時、同じ市内ということで道明寺天満宮にも向かったのだが、正月3ヶ日は朱印は書き置きのみの対応とのことで、札所めぐりとしてカウントしなかった。初詣で忙しい時期なのはわかるが、わざわざ札所まで行ったにも関わらず「これを何と読む!!」と言われた形でがっかりしたのを覚えている。神仏霊場めぐりでは同様の事情で複数の札所がノーカウントとなっているが、今回、神社はお盆関係ないだろうということで訪ねてみた。

道明寺は近鉄南大阪線のほか、道明寺線も発着する。現在は2両編成のワンマン列車がJR大和路線の柏原との間をのんびり行き来する路線だが、現在の近鉄の中ではもっとも古い歴史を持つ路線である。

駅前にあるのは道明寺合戦の石碑。江戸幕府と豊臣氏による大坂夏の陣での激戦地の一つで、後藤又兵衛が壮絶な戦いの末銃撃により戦死したところである。

駅前の細い道をたどると楼門に出る。道明寺天満宮は元々土師神社(土師社)と呼ばれており、相撲の祖といわれる野見宿禰が「土師」の姓とこの辺り一帯を所領として賜り、天穂日命を祀ったのが始まりとされる。仏教伝来後は神宮寺として土師寺が建てられ、土師氏から出た氏族の一つに菅原氏がある。その菅原氏から出たのが平安時代の菅原道真。言わずと知れた学問の神様、天満宮の主祭神である。

道真が大宰府に左遷される際、自身のルーツであるこの地を訪ね、土師寺にいたおばの覚寿尼にも会って別れを惜しんだという。そして道真亡き後、その霊を慰めるために土師神社に天満宮が建てられ、土師寺にも道真の号である「道明」の名前がついた。天満宮はその後あちこちに建立され、現在だと大宰府天満宮、北野天満宮、大阪(天満)天満宮が有名だが、こちら道明寺天満宮も道真ルーツの地の神社として知る人ぞ知るスポットである。

この道明寺天満宮、私個人としては懐かしいスポットである。私はここ藤井寺市出身だが、大学卒業まで過ごしたのは同じ市内でも道明寺寄りである。よって、七五三のお参り、初詣、受験の合格祈願・・などでちょくちょくお参りに来ていた。また梅のスポットとして知られており、梅の時季には境内に多くの露店も出ている。・・さすがにこの猛暑の中ではそうした出店はおろか、他の参拝者の姿もなかったが・・・。

今回無事に朱印をいただく。墨書は「菅原大神」。

境内の一角には、近所の古墳から出土した修羅の復元展示がある。現在世界文化遺産に登録されている百舌鳥・古市古墳群だが、巨大古墳にも使われた大きな石をどのようにして運んだのかを示す貴重な史料として、出土当時はブームにもなった。

また一角には土師社があるが、その手前にある手形は藤井寺市出身の元幕内・花ノ国のものである。初土俵から新入幕までの場所数は当時でも何番目からのスロー出世だったが、新入幕を祝う新聞記事や幕などが当時私が通っていた中学校に掲げられていたと思う。校長よりも教頭が朝礼の挨拶でうれしんでいたように思う。

花ノ国は三役まであと一息の前頭筆頭まで出世し、敢闘賞1回、金星1個を獲得。ただ記憶に残るのは対千代の富士戦で、千代の富士が大鵬の記録を抜いた46連勝目の相手だったり、千代の富士の当時前人未到の通算1000勝の相手だったり・・(花ノ国は自身を「王貞治に当時世界新記録となる756号本塁打を打たれた鈴木康二朗のようなもんや」と振り返ったそうで・・)。

そういえば私の中学卒業時、同学年で大相撲に入門したK君というのがいて、大きな体格のに着物をまとった姿で卒業式に現れたのを生徒たちが取り囲んでいたなあ。花ノ国がスカウトしたかどうかは知らないが、同じ放駒部屋(当時)に入門したとのこと。卒業アルバムを見返すと寄せ書きに「東京で3年はがんばる」と書いていたと思うが、厳しい相撲の修行、それから何年持ったのかな・・。

花ノ国は引退後、襲名資格はあったが年寄株は取得せず(できず?)、四股名の花ノ国のまま若者頭として相撲協会に残っている。幕下以下の力士の指導役や(早い時間のBS中継に解説で出たこともあるらしい)、本場所の運営・進行に携わる裏方として長く貢献し、先の名古屋場所でも千秋楽のテレビ中継で各段優勝決定戦や表彰式での力士の誘導役などで目にした。

スポーツ刈りで、眼鏡をかけた恰幅のいいおっちゃんが若手力士に何やら言葉をかけているのが花ノ国その人である。ただ、さすがに65歳の定年を迎えるようで、年寄株のような定年延長、嘱託の対象外のため、退職となるのかな・・。もしそうだとしても、長く大相撲を支えた藤井寺市ゆかりの有名人として大いに拍手を贈りたい。

久しぶりの天満宮を回った後、近くにある道明寺にもお参りする。明治の神仏分離で現在は別々の寺社だが、共通しているのは菅原道真ゆかりということ。

このまま、土師氏の名前を受け継ぐ土師ノ里から近鉄南大阪線に乗車。さてこれから向かうのは・・・。

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広島~大阪間高速バス 新たに西条駅に停車

2024年08月19日 | 神仏霊場巡拝の道

南海トラフ地震臨時情報にともなう一部列車の遅れや運休、そして台風7号の接近が気になる中で迎えた2024年のお盆時期。大阪の実家でのお盆供養の予定等あり、帰省、野球観戦、さらには神仏霊場巡拝の道めぐりをセットにしてのお出かけである。まずは13日、広島から大阪への移動である。

今回選択したのは広島から大阪へのJR高速バス「広島エクスプレス大阪号」である。何度か利用しているルートで、以前は本数も多く、またJR大阪駅のほかJR難波(湊町バスターミナル)、USJにも乗り入れていたが、現在は夜行便を含めて1日3往復のみである。もとより新幹線と競合する区間だし、運転手の確保等も含めてなかなか難しいところもあるのだろう。今回は大きな荷物もあるし、大阪までの約5時間、日中の車内を3列独立シートでのんびり過ごすのもよいかと思い選択した。特に最前列だと、ハンドルを握る緊張感なく運転手気分を楽しめるのがよい。

広電で紙屋町に出て、バスセンターに向かう。今回乗るのは朝便。7時20分と早い時間ということもあり、始発のJR広島駅から数名乗っていたが、お盆時期にも関わらずそれを含めて席には十分な余裕がある。

国道54号線を走り、中筋駅に停車。さてここからJR大阪駅までノンストップ・・と思いきや、次は山陽線の西条駅北口に停車との案内がある。いつから変更されたか気づかなかったが、広島市内でちまちま停まるより、東広島近辺の需要が見込まれるということだろうか。

広島インターから山陽道に入る。車両の通行量は普段の週末と変わらない様子で、特に渋滞もなくスムーズに走る。そして西条インターでいったん外に出る。

酒蔵の看板を見た後、西条駅に到着する。果たしてここで数人の乗車があった。日中便は西条駅のみ停車だが、夜行便は広大中央口、大学会館前にも停車する。安く移動したい広大生を新たなターゲットにしたかな。

西条インターに戻る。この経路変更で所要時間が変わったためか、従来の大阪便の途中休憩が八幡パーキングエリア、吉備サービスエリア、淡河パーキングエリアだったのが、小谷サービスエリア、吉備サービスエリア、三木サービスエリアに変更されている。もっとも、それぞれの休憩時間が約10分というのは変わらないから、サービスエリアだから何か特別なことができるわけでも、グルメを味わえるわけではない。まあ、その辺りは自分のドライブにて・・。

吉備に到着。岡山インターの手前にあるサービスエリアで、大阪までようやく半分まで来たことを感じるところだ。山陰、四国方面から関西への合流地点ということもあり利用客も多い。

この先も特に渋滞なく、ウトウトするうちに兵庫県に入り、三木に到着。土産物コーナーには関西各県の名物が並ぶ。クルマで来ていたらいろいろ買っていたことだろう。

山陽道から神戸ジャンクションで新名神・中国道に合流する。この先、京都、滋賀方面に行くなら新名神が近道だが、高槻~大津間で20km渋滞との表示がある。新名神や第二京阪といったルートもあるが、やはり山越えの区間では渋滞が発生するのだろうか。

新名神の高槻~神戸が開通したことで、かつては渋滞発生箇所だった宝塚インターもスムーズに通過する。中国池田から阪神高速に入り、このまま順調に大阪に着きそうだ。

うめきた地区の工事が順調に進む中、ほとんど遅れなくJR大阪に到着。時刻は昼を回っていたが、そのまま天王寺まで移動。かつて大阪勤務時代にちょこちょこ行っていた居酒屋にて昼からの一献・・・。

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神仏霊場巡拝の道~結局神戸でのBs大花火大会は・・

2024年07月29日 | 神仏霊場巡拝の道

7月21日、京都・善峯寺の参詣後に阪急東向日駅前の餃子の王将で昼呑みとした後、JRの向日町から新大阪に向かう。この日購入した乗車券は「彦根~広島市内」で、新大阪から新幹線経由としている。

元々今回の神仏霊場めぐりは、21日16時試合開始のほっともっとフィールド神戸でのバファローズ対イーグルス戦が目当てで、関西に遠征するなら札所めぐりの続きということで滋賀まで向かったものだ。

ただ、その滋賀・湖東シリーズもいろいろあって積み残し、またいつか出かけることになった。そしてこの日も、善峯寺を訪ねて西国三十三所の4巡目も進めることができたが、何せこの暑さである。この先、神戸での試合は16時開始だが、周りを緑に囲まれているとはいえ、屋外でまだ猛暑の名残が残っていることだろう。試合終了後には年に一度の「Bs大花火大会」が行われるが・・。

向日町から快速で新大阪に向かう中、「もう、新大阪からこのまま広島に戻ろう」という気になった。乗車券を新大阪から新幹線経由としたのは、新神戸でいったん下車して地下鉄乗り換えで総合運動公園に向かい、試合終了後は新神戸まで戻ってそのまま新幹線で広島に戻るつもりで、新神戸から広島まで遅い時間の「のぞみ」指定席を確保していた。ただ、よく考えれば広島に戻る時間も遅くなるし、翌朝からの仕事のことを考えると体力も温存したい。

・・・ということで、せっかく確保したチケットはそのままにして、「のぞみ」指定席も新大阪~広島に変更とした。新大阪13時41分発「のぞみ27号」である。ただ、空席検索を見ても指定席はほぼ満席とある。

そこで、往路と同じく7号車の「S Workシート」に目をつける。ただこちらも窓側は満席。ただ、中央部の「S Work Pシート」には窓側にも空席あり。距離関係なく追加料金が1200円かかるが、これも面白いだろうと変更をかける。

「S Work Pシート」は、3人掛けシートのB席にパーティション、ドリンクホルダーをかぶせる形で仕切り、「より広く快適にお仕事したい方」向けのシートである。この日の私は「お仕事」ではないが、ビジネス以外で利用してはいけないわけではない。

こうして身を置いてみると、この車両じたいが単身での利用を前提としているためか、実に静かである。また、パーティションがあるだけでもパーソナルスペースを確保した感じがあり、これなら通路側C席に相客がいたとしてもお互い気にならなくてよいだろう。車内を見渡してもビジネス利用とおぼしき方はほとんどいないが、7号車の特性を知ったうえで最初から予約した旅慣れた感じの方が多いように見える。

往路に乗車した通常の「S Workシート」とは異なり、目の前のテーブルは手前に引き出してパソコンの操作に適した角度にすることができる。へぇぇ。

「のぞみ27号」の広島までの停車駅は新神戸、岡山のみという最速タイプ。快適な時間もあっという間に過ぎて15時02分、広島に到着。

・・・結局、神戸での試合が始まる16時少し前に自宅に戻った。中継のJ SPORTSにチャンネルを合わせると、ちょうど試合開始前の神戸の真夏の暑いスタンドが映されていた。

この試合、バファローズの先発は佐藤。しかし初回から乱調で、2回表終了時点で6対0。バファローズはその裏に2点返すも、3回表にイーグルスが2点追加し、8対2と序盤で大きくリードする。いや~、猛暑の中、こうしたゲームを観せられたのでは厳しいだろう。

結局その後もイーグルスが得点を重ね、結局12対5で大勝。投手交代も多く試合時間もそれなりにかかり、試合終了後のBs大花火大会は20時10分頃開始とあった。J SPORTSでは、通常の試合中継を延長する形で、解説・坂口智隆、実況・大前一樹の両氏により大花火大会も中継する。

そして、満月とともに花火である。選手の登場曲、ファンからのリクエスト曲が流れる中で打ちあがる。

まあ、これでよかったのかなと思う。そのまま現地で観戦していれば、猛暑の中でバファローズのボロ負けを見ることになったし、その後の花火も帰りの時間を気にしながらとなっただろう・・。

ちなみにこの21日の試合がオールスター戦、いわゆる前半戦の最終戦となったが、バファローズは神戸でのイーグルス3連戦3連敗、その前のライオンズ戦と合わせて4連敗で終了。花火の際には大前氏、坂口氏から「これでオールスター休みもあるのでリセットして・・」と後半戦の巻き返しを期待するコメントもあった。

・・・で、オールスター戦明け最初の福岡でのホークス3連戦だったが、バファローズはいずれも完敗で3連敗。これで合計7連敗、力ない・・・。

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京都5番「善峯寺」~神仏霊場巡拝の道・107(朝から暑い~)

2024年07月28日 | 神仏霊場巡拝の道

7月21日、彦根で朝を迎える。昨日からそうだったのだが、ホテルの部屋の窓から東海道線の線路が見え、列車のコトコトいう走行音も時折聞こえる。早朝の時間帯は長い走行音が相次ぐ。貨物列車だ。JR貨物の一般コンテナが雑然と積まれているかと思えば、福山通運や西濃運輸のコンテナが何両も続く景色も圧巻である。

朝風呂、バイキング形式の朝食を済ませる。

さてこの日は、前日訪ねるのを断念した湖東の札所を回ることも考えたが、結局は次回以降にするとして、あみだくじで出た京都5番・善峯寺に向かう。善峯寺は西国三十三所の札所でもあり、終盤に差し掛かった4巡目を進めることができる。

結局彦根城は駅コンコースからの遠景として、彦根8時07分発の新快速で京都まで一気に移動する。京都で普通に乗り換え、向日町で下車。ちょうど橋上駅化に向けた工事中である。

改札を出ると見覚えのあるQRコード。JR西日本の「駅からはじまる西国三十三所デジタルスタンプラリー」だが、あれ、今年の3月末で終了したのではなかったか。その終了に間に合うように神仏霊場巡拝の道めぐりの行程を組んだこともあったが・・。JR西日本の「JRおでかけネット」によると、この7月1日から2026年3月31日まで、JR西日本アプリ「WESTER」から参加できるとある。このスタンプラリーも紙からデジタルに移行しながら続いているが、西国三十三所開創1300年記念行事の後でも、JR、西国三十三所札所会としては参詣者を呼び込む効果があると判断したのだろう。

さて善峯寺へは向日町から阪急バスで行くのだが、橋上駅化工事にともないコインロッカーが撤去されている。善峯寺はバス停から坂道を上るので身軽になりたかったのだが、幸い、少し歩いた阪急の東向日にはコインロッカーがあるので移動する。

今回の目的地は善峯寺だが、神仏霊場の札所としては京都6番・大原野神社がある。こちらにも行くべきかどうかちょっと考える。これから乗るバスの系統としては、善峯寺行きの他に、南春日町経由洛西バスターミナル行きというのがあり、途中の灰方で分かれる。以前、西国四十九薬師めぐりでは、西国三十三所としての善峯寺を訪ねた後、灰方で下車し、南春日町に行くバスの時間までかなりあったので歩いて勝持寺、正法寺を回った際、大原野神社にも立ち寄っている。だから今回も行こうと思えば行けるのだが・・。

善峯寺行きのバスに乗車。トレッキングらしき人の姿も見える。この先、大阪府との境にあるポンポン山を経由して高槻方面に抜けるルートがある。

灰方を過ぎ、手前の小塩を過ぎて上りとなる。

善峯寺に到着。ここから山門まで距離にすれば300メートルほどだが九十九折の参道である。駐車場は山門近くにあるのだから、バス停もそちらに設ければよいと思うのだが・・。

暑い中、参道を上る。その間からは京都の市街地もちらりと見える。

善峯寺が開かれたのは平安時代中期。源信の弟子である源算が千手観音を本尊とし、後一条天皇の勅願寺となった。その後、鎌倉、室町時代には法親王が入ったことから西山門跡とも呼ばれ、多くの僧坊を抱えていたが、応仁の乱に巻き込まれるなどして伽藍の大半を失った。

現在の形で再建されたのは江戸中期、5代将軍・徳川綱吉の母・桂昌院による。桂昌院は仏教への信仰が篤く、京都の様々な寺院の再建に尽力している。綱吉が「生類憐みの令」を出すにいたったのも、こうした母の影響があったかもしれない。

本堂に向かい、さてお勤めをしようと準備すると、境内に西国三十三所めぐりの団体がやって来るのが見える。ここは先に朱印をいただいておいたほうがよさそうだ・・。

神仏霊場、そして西国三十三所の先達用納経軸に朱印をいただく。なお、これまでのJR西日本のデジタルスタンプラリーでは、オリジナルの散華を紙でいただいていたが、この4月から新たに始まったデジタルスタンプラリーは、この散華を境内設置のQRコードで読み取るシステムとなっている。このデジタル散華が全て貯まってエントリーすると、紙の散華が貼られた台紙が進呈されるという。まあ今の時代、こうしたデジタルのほうがとっつきやすい面はある。そのうち、朱印じたいもデジタルでいただく時代が来るのかもしれないなあ・・。

私が朱印をいただいている間に団体は本堂の中に入ってのお勤め。それが済むと外に出て、やはり納経所に列ができる。団体の場合、一般の朱印帳は添乗員が取りまとめて先に納経所に持ち込めるが、先達用納経軸は先達自らがいただくルールとなっている。「○○先達」の袈裟巻をつけている人が目立ち、結構熟練した方たちの集まりのようだ。その方々と入れ替わる形で本堂の中に入り、改めてお参りする。

この後は、奥の院を含めた庭園めぐりである。今でも3万坪(プロの野球場2個分)の広さを持つ境内、しかも奥の院まで上りが続くことで、より暑さを感じる。樹齢600年の遊龍の松から多宝塔、経堂を通る。

桂昌院の遺髪を納めた廟所もある。

善峯寺を開いた源算作とされる釈迦如来を祀る釈迦堂に着く。この辺りまで来ると他の参詣者の姿は見えず、団体も寺の滞在時間が限られているためか、先ほどの遊龍の松あたりで引き返したようだ。

奥の院の薬師堂に向かう。その手前には「悠仁親王お印」の高野槇というのがある。これまで訪ねた中で、この高野槇に気づいたのは初めてである。

そして最後のひと踏ん張り、薬師堂に到着。手水では手だけではなく腕にも水をかける。

そして、改めての眺望である。遠くは比叡山の奥の比良山地、東山、果ては大和の葛城山までを見渡すことができる。この景色が見られるのが善峯寺の楽しみである。周囲を山に囲まれた京都にあって、ここ善峯寺は数少ない初日の出スポットとして知られており、元旦には特別に6時30分から入山できるとある。一度見てみたいものだが当然バスは走っていないし、クルマで行くにしても渋滞でたどり着けるかどうか・・。

これで、前日のあみだくじで出た目的地の善峯寺をクリアしたが、この後どうするか。結局、大原野神社も次回以降に訪ねるとして、改めてあみだくじで次の行き先を決めよう。

あみだくじの前の予選くじ引きでは・・

・西明寺(滋賀4番)

・大念仏寺(大阪5番)

・法隆寺(奈良13番)

・多賀大社(滋賀1番)

・叡福寺(大阪16番)

・道成寺(和歌山6番)

・・・何やねん、前日に集中豪雨のためパスした西明寺、多賀大社の2つが入って来るとは。これは滋賀からの呼び戻しのメッセージか・・。

その中であみだくじアプリが示したのは・・道成寺。意表をついた和歌山編である。そうなると、同じ和歌山以南に残っている藤白神社とのセットで訪ねる形になりそうだ。滋賀についてはまた季節を変えて・・。

薬師堂で折り返し、庭園などの帰路をたどって本堂前に戻る。

ちょうどバスの時間に合うように戻る。向日町からのバスが到着し、ここで折り返しとなる。途中の道幅の狭い区間での周囲確認や、折り返しのための誘導のため、乗務員がもう一人ついている。バスに乗り込むとエアコンがギンギンに効いていて、逆サウナ状態である。もう、灰方で下車して改めて大原野神社に向かうことはなくなったから、そのまま阪急東向日まで涼んで行くことにしよう・・。

時刻はちょうど昼。もう、今回の打ち上げでいいでしょう・・ということで目に留まったのは、東向日駅前にある餃子の王将。拙ブログで最近登場した餃子の王将といえば「鹿児島王将」だが、こちらは本家の「京都王将」である。

そして餃子、生ビール。歩いたといっても善峯寺の境内一周だけのことだが、アップダウンもあったし、これも札所めぐりの楽しみということでいいだろう。餃子以外にも他に注文し、これで整うことができた。

コインロッカーから荷物を取り出し、JRの向日町まで戻り快速の加古川行きに乗る。この後は新大阪で新幹線に乗り換え、新神戸で下車してほっともっとフィールド神戸に向かうことに・・・。

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神仏霊場巡拝の道~彦根にて一献・・はちょっとやりすぎたか

2024年07月27日 | 神仏霊場巡拝の道

7月20日の神仏霊場巡拝の道めぐりは途中の札所で朱印がいただけなかったり、突然の大雨に遭ったために思うように進まず、結局湖東にはまたいつか来ることにして終了。宿泊地の彦根に着き、東口にあるトヨタレンタカーにてクルマを返却し、東西の自由通路を通る。

この通路からは、かつて石田三成の居城だった佐和山城が向こうにあり、そして手前には近江鉄道の駅と車庫が広がる。明日、近江鉄道でまず多賀大社まで行き、さらに八日市を経て近江八幡に出ようかとも考えたが、先ほどのあみだくじで出た京都・向日市の善峯寺に行くことにする。西国三十三所の4巡目も終盤なので・・。

そして西口からは彦根城の天守閣も見える。彦根まで来たのだから国宝の名城を訪ねるべきなのだろうが、まあ以前にも行っているし・・。

駅前では彦根藩初代の井伊直政の像が出迎える。武田氏の滅亡後、かつて仕えていた武将たちを受け入れたことで「井伊の赤備え」としてその名を挙げた武将である。その「赤備え」を今に受け継ぐのが「ひこにゃん」・・?

その向こう、平和堂の外壁には「大相撲彦根場所」の看板が見える。関西から西日本にかけての秋巡業で、横綱照ノ富士の顔も見える。駅のコンコースにポスターが貼られていたが、横綱照ノ富士のほか、大関の琴櫻、豊昇龍、貴景勝、さらに大関陥落後の霧島が並ぶ。巡業が決まった時は霧島もまだ大関だったのだろう。その中で目玉なのが、彦根出身の枝川親方(元・蒼樹山)。

・・この記事を書いている時点で大相撲名古屋場所も終盤だが、カド番の大関・貴景勝は負け越して大関陥落が決定、そして1場所での大関復帰を目指していた霧島も10勝に届くことがなくなった。一方で一気に上がって来た大の里や、新三役で勝ち越した平戸海といった若手もいるわけで、10月の彦根場所はさぞ賑わうことだろう。

この日の宿泊は駅前のABホテル。朝食、大浴場つきということで選択した。予定を早く切り上げたため、しばらくは部屋でゆっくりしよう。ということで1階の大浴場に向かう。北海道から九州までの各地の名湯を本物のような入浴感で楽しめるとあるが、さすがに源泉をそこから汲んできたわけではなく、その成分を分析して入浴剤で再現しているのかな。ちなみにこの日の名湯は「白浜の湯」。

湯上がりには部屋で大相撲中継を観戦。ちょうど窓の外には広い駐車場が広がり(元々はいろいろな建物があったのだろう)、その向こうにJRの線路が見える。さすが東海道線で、この先翌朝まで列車の走行音を聞くことになる。8両の快速、12両の新快速、さらには25両の貨物列車も通る。

結びの一番で横綱照ノ富士が勝ったのを見届けて、外に出る。この日の一献である。事前にいくつかの店を予約しようとしたが、満席、あるいはおひとり様お断りという状況で特に決めずに来た次第。

そんな中、駅前にほど近いところに大衆酒場を見つけた。「丸又食堂 旭町スタンド」。面白そうなので入ってみる。立ち飲み仕様に見えるがそれぞれに椅子が用意されている。

ジョッキには○に又の文字が入る。同じ紋様の看板が店内にあり、「文政十一年創業 味噌醤油醸造所」とある。文政年間といえば今から約200年前、中山道の愛知川宿で創業した醤油屋である。この「旭町スタンド」は、コロナ禍で活気が失われた彦根駅前に賑わいを取り戻すのと、縮小する醤油市場を新規事業で活性化させたいということで開業し、昼は十割そば、そして夜は大衆酒場として客を呼んでいる。

メニューもそこそこある中、一番人気の近江牛のすじ煮込みをいただく。そういえばこの日近江八幡を出発した後、近江牛を扱う業者の看板をあちこちで見た際に、「近江牛をいただくことはできるのか」としたが、リーズナブルな煮込みで出会えたことにする。

カレー味のポテサラに味噌キャベツ。この辺りも含めて大衆酒場らしい。

店名を冠した「丸又ハイボール」や、「びわ湖ハイボール」というのもいただく。後者の「びわ湖ハイボール」とは、琵琶湖ブルーをイメージしたラムネ色のシロップを使った一品。

これもこの店名物という串カツを何品かいただく。そして最後は漬物の盛り合わせ。こちらの醤油を使った一品だ。

これで一次会は終了として、ふと隣には「近江ちゃんぽん亭」がある。近江ちゃんぽんは彦根の「麺家をかべ」発祥とされており、長崎のちゃんぽんとはまた別の美味さがある。野菜や肉もしっかり摂れる理想的な一品と言える。

ホテルに戻り、ふたたびの入浴。

落ち着いたところで、先ほど道の駅で購入した鮒ずしを取り出す。鮒ずしといえば好き嫌いが分かれる品物の一つだが、私は好き。これをいただくと滋賀に来たと実感するが、居酒屋ならどこにでもあるというものではなく、手にするなら道の駅や、それこそ地元スーパーの平和堂が確実だ。

しかるべく飲み、いろいろなものをいただいた。まずは滋賀県で一夜を過ごしたことを良しとして、翌21日は京都、そして花火ナイターが行われる神戸へ・・・。

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滋賀3番「金剛輪寺」~神仏霊場巡拝の道・106(千体地蔵に願いを込めた後には・・)

2024年07月26日 | 神仏霊場巡拝の道

神仏霊場巡拝の道は湖東シリーズとして先ほど湖東三山の一つ、百済寺を訪ねたが、朱印の書き手がいない「書き置きの日」ということで参詣を断念。「明日なら書き手がいる予定」とのことだが、公共交通機関でのアクセスは難しく、かといって改めて明日レンタカーを借りるのもどうかと思う。まあ、もう一度滋賀に来る機会ができたと思うことにしよう。

気を取り直して、同じ湖東三山の一つで、今回のあみだくじの目的地である金剛輪寺に向かう。百済寺からは5~6キロほどで、国道307号線に出てしばらく走ると間もなく到着する。

名神高速の湖東三山パーキングエリア、スマートインターの横を過ぎる。そういえば以前、西国四十九薬師めぐりでこの先の西明寺を訪ねた時、レンタカーで湖東三山のスマートインターで下車した。その時にも金剛輪寺へ続く交差点を過ぎたのだが、この時は湖東三山を回るというよりは西国薬師めぐりがメインで、西明寺の後は桑實寺や善水寺などを急いで回った。

金剛輪寺の駐車場に到着。「聖観音」の大きな提灯がかかる総門をくぐる。石垣と青紅葉が並ぶ参道を歩くと受付に着く。ここでは境内の参詣ルートについて案内してくれる。特に予習もせずに訪ねたのだが、ここから本堂までは徒歩10数分の参道が続くという。その間には「千体地蔵」が祀られているそうだ。また金剛輪寺は桃山時代~江戸時代にかけて整備された庭園も知られており、本堂とどちらが先でも構わないので鑑賞するよう案内される。

まずは青紅葉の参道を進み、西谷堂に着く。阪神淡路大震災の犠牲者への供養塔もある。

庭園の入口に着き、ここから本堂まで上り道となる。参道の両側に千体地蔵が祀られており、一つ一つに番号が振られている。千番からカウントダウンとなり、「一〇〇〇 金剛輪寺」とある。この先は奉納した方の名前が刻まれ、一つ一つの前には風車が供えられている。いつ頃からこうした千体地蔵となったのだろうか。

かと思えば、参道の脇には番号こそ振られていないが多数の地蔵像が祀られている。参道の千体地蔵と比べてどちらが先に祀られたのだろうか。

地蔵像をカウントダウンしながら進むが、結構長い階段が続く。

10分あまりで、本堂に続く最後の階段に着く。地蔵像もとうとう最後の一番となったが、そこにある名前を見て驚いた。「武村正義」とある。この方、滋賀県知事や大蔵大臣、内閣官房長官など務め、「新党さきがけ」の代表でもあったあの武村さんなのか。

千体地蔵の第1番がこの方の名前ということは、何らかの形で関わったのかな。もっともそれは政治家としてではなく(政教分離の原則もあるので)、あくまで地元の一市民としての奉納であったということで・・。

階段を上がると二天門に到着。ちょうどこの頃、木々の向こうで雷らしいごろごろいう音が聞こえるようになる。

金剛輪寺の歴史は奈良時代、聖武天皇の勅願で行基が開創したという、多くの寺院に見られるもの。一方で近江に移り住んだ渡来系の人たちにもゆかりがあるともされている。平安時代に慈覚大師円仁により再興され、現在の本堂は国宝で、鎌倉時代、元寇に勝った記念として近江の守護・佐々木(六角)頼綱により建立されたとある。

本堂に上がる。まずは外陣でのお勤めとして、開放されている内陣にも入る。本尊は行基作とされる秘仏の聖観音像で、厨子の周りは四天王像、阿弥陀如来像が守護するかのように鎮座する。またその奥には慈恵大師や十一面観音、大黒天などさまざまな仏像が並ぶ。湖東三山は戦国の兵火の被害に遭ったところだが、金剛輪寺については本堂が山深いところに建っていたため被害が及ばなかったという。そのため多くの仏像が残されることになった。

内陣を一回りした後、無事に朱印をいただく。

さて本堂を出ると、雨が降り出した。やはり先ほどの雷鳴は雨を呼んでいたのか。朝、広島を出た時に雨が降っていたので折り畳み傘を差し、その後リュックに入れて邪魔にも感じていたが、ここで雨が降り傘を開くことになるとは、湖東三山が意地悪しているようにも守ってくれているようにも思われる。

千体地蔵の並ぶ階段を下り、名勝庭園に向かう。金剛輪寺の本坊・明寿院の庭園である。ただ、ここでは雨の中の鑑賞である。

湖東三山ということで、金剛輪寺も紅葉の名所である。ここまでの参道、そしてこの庭園は紅葉の時季には多くの人で賑わうそうだ。まあ今回は急な雨の中での鑑賞となったが・・。

さてこの先だが、すぐ近くには西明寺がある。ただ、先ほど百済寺が次回以降に繰り越しとなったことから、雨の中、西明寺をめぐることもないかなという気になった(以前に西国四十九薬師めぐりで訪ねたこともあるし)。ならば、宿泊地の彦根に向かうことにして、途中経由する多賀大社には行っておこうか・・。

そのまま国道307号線を走り、休憩のため道の駅「せせらぎの里こうら(甲良)」に立ち寄った。滋賀の土産もいろいろある。鮒ずし、ちゃんとありますねえ・・・これは今夜の彦根のホテルで晩酌のあてとしましょう。

・・・ここで買い物を終えて外に出ると、先ほどの小雨から一転、豪雨となっていた。油断して傘をレンタカーの中に置いていたため、駐車場を横切るだけでずぶ濡れになった。

この先クルマを進めて多賀大社に到着したが、外は豪雨のまま。少し待てば止むのかもしれないが、もう今日はいいかなという気になった。結局この日は近江八幡から彦根までのルートで、永源寺、金剛輪寺の2ヶ所をめぐって終了である。湖東には百済寺、西明寺、多賀大社、そして近江八幡には日牟禮八幡宮が残ることになり、この先まだまだ楽しめそうだ。

多賀大社を過ぎ、コンビニの駐車場にいったん立ち寄り、ここで次の行き先を決めるあみだくじとする。くじ引きアプリによるエントリーは・・

・天龍寺(京都8番)

・四条畷神社(大阪20番)

・阿倍野神社(大阪3番)

・仁和寺(京都12番)

・善峯寺(京都5番)

・根来寺(和歌山9番)

翌21日はほっともっとフィールド神戸で16時開始のバファローズ対イーグルス戦観戦を予定しており、午前中~午後早くまで時間が取れる。和歌山の根来寺以外であれば1ヶ所に立ち寄り、その次の行き先を決めることができそうだ。

そして出たのは・・・善峯寺。西国三十三所第20番で、西国4巡目の終盤で数少ない残り札所である。彦根からならJRで向日町まで行き、そして参詣後に神戸に移動する時間は十分に取れそうだ。

湖東シリーズを終え、翌日の行き先もとりあえず決めた。・・・ということでクルマが彦根の市街地に近づくと、先ほどまでの勢いがウソのように雨が上がった。今や夏場にはどこで発生してもおかしくない急な豪雨。やはり、何かおちょくられているような気分だ・・・。

予定よりも早く、彦根駅東口近くのトヨタレンタカーに到着。後は、宿泊では初めてとなるこの地でゆっくりするか・・・。

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滋賀9番「百済寺」~神仏霊場巡拝の道・・・まさかの「これを何と読む!」

2024年07月25日 | 神仏霊場巡拝の道

7月20日、神仏霊場巡拝の道は湖東シリーズである。まずは永源寺を訪ね、これから湖東三山の百済寺、金剛禅寺、西明寺を順番に回る。遅めの出発のため、レンタカーを使える時間も限られるがどうだろうか。

湖東三山とは琵琶湖の東に並ぶ天台宗の古刹で、永源寺ともども紅葉の名所として知られる。室町時代には敏満寺、大覚寺と合わせて湖東五山と呼ばれていたが、その後の戦乱による衰退~復興の中で広い寺域を保った3つの寺院が湖東三山となった。

さてレンタカーは愛知川沿いから鈴鹿山脈の西を進み、湖東三山の看板も見える。まず目指すのは百済寺である。

百済寺への石標もあり、集落を抜けて山道を上る。そして駐車場に到着。暑い中である。

百済寺は1400年以上前、聖徳太子により開かれたとある。寺の名前に「百済」とあるから朝鮮半島とも関係あるのかなと思うが、聖徳太子が近江を訪ねた時、この地の山中に不思議な光を見たので行ってみると杉の霊木があった。その木で十一面観音を彫り、お堂を建てたのが始まりである。木の上半分が百済の龍雲寺で東向きに安置されたことから、寺に「百済」の名前がついたという。聖徳太子の伝説がどこまで真実かはさておき、渡来系の人たちの氏寺として開創、発展したとされており、天台宗の比叡山延暦寺が開かれた後はその勢力下に入った。

「百済寺三百坊跡図」という看板がある。平安から中世にかけて、先ほど走って来た山道の一帯に多数の僧坊を有していたが、その後は火災や兵火のために焼失と復興を繰り返した。この時代の寺院はどこも受難の時代である。室町時代の明応年代の火災で本堂等を焼失した後、朝廷に再建を願い出る文書の中に、伽藍、諸堂その他合わせて三百坊を有していたとの記述があった。昭和になって遺跡調査が行われ、これらの坊の存在も確認されたそうだ。

・・・と、ここまで札所の歴史について書いたのはいいが、門をくぐり受付に向かう。朱印受付とあったので神仏霊場の朱印帳を差し出すと、係の方が「申し訳ないんですが・・」とした後、「今日は書き置きの日です」という。え?書き置きの日って・・。

話によると、この日は午前中まで書き手がいらっしゃったようだが、その方が不在で午後は書き置き対応になったという。「明日はいてると思うんですが・・」というがどうだろうか。これが書き置き、バインダー方式の札所めぐりなら何とも思わないが、神仏霊場については直書きにこだわりたい(だからといって、目の前の方に書いてくれというわけにもいかない)。

まあ、これまでにも正月や大型連休の時の訪問で「書き置きのみの対応」という文字を見せられ「これを何と読む!」という対応もあり出直すことになった札所もある。参詣だけしてもよかったが、参詣前の受付でこうした対応となってしまってはお参りも改めての機会でいいかな・・。明日か・・明日どうするか・・。

百済寺は公共交通機関で訪ねるには決して至便ではないところにあり、時刻表による事前のシミュレーションが必須のようだ。

気を取り直して、今回のあみだくじでの目的地である金剛禅寺に向かうことに・・・。

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滋賀8番「永源寺」~神仏霊場巡拝の道・105(クールジャパンはここにも)

2024年07月24日 | 神仏霊場巡拝の道

今回の神仏霊場巡拝の道めぐり、当初の予定から遅くなって午後からのスタートだが、近江八幡でレンタカーに乗り、午後の半日で彦根に向かう。

その途中の札所、特に公共交通機関だと不便なところをレンタカーで回れればと思う。予定では滋賀8番・永源寺、9番・百済寺、そしてあみだくじの目的地である3番・金剛禅寺、拝観時間に間に合えば4番・西明寺まで押さえられるかなというつもり。

時刻は12時15分すぎ、トヨタレンタカーを出発し、まずは永源寺に向かう。近江八幡からは約25キロである。近江鉄道の八日市行きに近いところを走るが、沿線には近江牛の看板がいろいろ並ぶ。一口に近江といっても範囲は広いが、かつてこの辺りを領有した蒲生氏郷や豊臣秀次が牛馬の畜産を奨励し、江戸時代に彦根藩の井伊氏も太鼓用の牛革確保の名目で畜産を行い、そこから出た肉を食べることを黙認したことが現在の近江牛のルーツという。

・・だた、こうして看板にひかれるが、今回、近江牛を口にする機会はあるのかどうか。いや、別に豪華なステーキやしゃぶしゃぶをいただこうというのではないが・・。

国道421号線に入り、八日市の街中や名神高速のインターを過ぎ、永源寺の看板を見る。

最後は愛知川にかかる橋を渡り、無料の駐車場に到着。「永源禅寺」の石柱と看板があり、いよいよ参詣である。

外は厳しい暑さだが、愛知川に注ぐ水路を渡る石橋に立つとほんのわずかだが涼しい風が流れてくる。

しばらく参道が続く。石段の途中には眼鏡をかけた石像が現れ、ドキッとする。どなたか特定の方をモデルにしたのだろうが、私の身近にいる方によく似ていて・・。そして上がりきると十六羅漢像が並ぶ。

総門をくぐったところに券売機があり、ここで入山料を納める。そして出た紙のきっぷをこの先の納経所に出すようにとある。何だか手間に見えるが。永源寺は紅葉の名所として知られるところで、その時季には多くの参詣者で賑わうのだろう。ここに券売機があるのも混雑緩和の狙いがあるのかな。

紅葉の名所とは真逆の真夏の暑さの中だが、「青紅葉」というのも悪くない。もっとも、5月の初夏あたりなら「青紅葉」という形容もありだが、この暑さで「青」も濃いものに感じられる・・。

受付で紙のきっぷ、そして朱印帳も差し出し、先に神仏霊場の朱印をいただく。

永源寺が開かれたのは南北朝時代。近江の守護である佐々木(六角)氏頼が、美作出身で鎌倉や元などで修行を積んだ禅僧・寂室元光を招いたのが始まりである。その後は多くの僧が集まり多くの支院も持ったが、戦火により焼失、衰退した。後に同じ臨済宗の妙心寺や彦根藩などの支援で再興し、明治以降は永源寺派として独立し、大本山となった。

本堂にあたる方丈は江戸時代中期、井伊氏の援助で建立されたもの。まずは広間にあがり、お勤めとする。

ここ永源寺は「クールジャパン」の取り組みにも貢献しているようだ。インバウンド向けの「源 ROOTS OF JAPAN 永源寺エリア 日本の原風景を訪ねて」という動画が、CJPF(クールジャパン官民連携プラットフォームという、いかにもうさんくさげな団体の名称)アウォードのムービー部門でグランプリを獲得したという。

気温30度を軽く超える中での「クールジャパン」か・・・。「クールジャパン」、「クールジャパン」という、上からの押し付け言葉を聞くと、別の意味で「寒さ」を感じる・・・・もっとも身体はちっとも涼しくならないが。

ただこの暑い中、永源寺には良い意味での涼しさを感じさせるスポットがあった。風穴である。現在は石垣で綴じられているとはいえ、その隙間から冷風が漂ってくる。昔は食料の貯蔵庫として使われていたそうだ。

これ以外にも手水の水は冷たいし、やはり山に近く、昔から愛知川の恵みとともにあった地である。近隣の名物として、水を活かしたイワナなどの川魚、こんにゃくなども有名だという。

まずは最初の札所を押さえ、次はそのまま県道を伝って湖東三山の一つである百済寺に向かう・・・。

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神仏霊場巡拝の道~ペナントレース前半最終戦は神戸での「Bs大花火大会2024」

2024年07月23日 | 神仏霊場巡拝の道

NPBプロ野球は7月21日の試合で前半戦終了。まあ厳密にいえば公式戦143試合のうち半数以上の90試合近くを消化しているのだが、7月下旬のオールスター戦が一つの区切りである。

オールスター第1戦はファイターズの本拠地・エスコンフィールド。前半の健闘もありファイターズの選手も多数ファン投票等で選出されているが、先発・山﨑福也が2番・DHという二刀流での登場、さらにファイターズの選手がそれぞれ歴代のユニフォームを身にまとうなど、オールスターならではの演出である(かつての「日拓ホームフライヤーズ」の「七色のユニフォーム」をオマージュしたかのようだ)。もっとも、その山﨑は2回に9失点と完全にのされてしまったのだが・・。

さて、前半戦のパ・リーグはホークスが2位マリーンズに10ゲーム差で独走状態。そこにマリーンズ、ファイターズ、イーグルスが続き、その後ろを前年まで3連覇のバファローズが置かれ、さらに大きく引き離れてライオンズという順位。バファローズも前半は連勝を伸ばした時期もあったが、投打に故障者が相次ぎ、残された打線も打たずつながらず、さらに頼みの投手陣も先発・リリーフとも昨年とはがらりと入れ替わるなどいろいろあり、借金5、首位ホークスとは15.5ゲーム差、4位のイーグルスとも3.5ゲーム差の5位での折り返しとなった。まあ、まだクライマックスシリーズ進出には望みがあるかなというところ。

その前半戦の最終戦が21日の神戸でのイーグルス戦。この日は16時開始、そして試合終了後には神戸での最大イベント「Bs大花火大会」が行われる。今季神戸での観戦はまだだったこともあり、思い立った時には前売りチケットがほぼ完売だったのだが、そこはリセールサイトを通して指定席を確保することができた。

・・・そしてここからが本題なのだが、神戸に行くのなら試合と組み合わせて、神仏霊場巡拝の道である。前回6月、山科の毘沙門堂でのあみだくじで出たのが、滋賀3番・金剛輪寺である。

ただこの金剛輪寺、湖東三山の一つである名刹なのだが、公共交通機関だと結構難所である。鉄道からは遠く、公式ホームページによるとJRの稲枝駅から予約型乗り合いタクシーで行くとある。まあ、そういう乗り物を体験するのも悪くないが・・。

地図を見ると、湖東地区は他にも未訪の寺社がある。札所番号は省略するが、近江八幡には以前に「朱印が書き置きのみ」との理由でカウントしなかった日牟禮八幡宮、永源寺、そして湖東三山の百済寺、西明寺、さらに多賀大社がある。乗り合いタクシーではなく、新幹線~東海道線でアクセスし、レンタカーを組み合わせれば一度に回れそうだ。

ということで、試合前日の20日早朝に広島を出発し、まずは近江八幡に到着。ここでレンタカーを借りて、駅から近い日牟禮八幡宮は後回しでもいいから、公共交通機関不便な永源寺、百済寺、金剛輪寺、西明寺を優先し、これも近江鉄道で行ける多賀大社も後でいいかなとする。そしてレンタカーを彦根で乗り捨てて1泊。翌21日は近江鉄道沿線の多賀大社、日牟禮八幡宮を優先するか、あるいはあみだくじで行き先を変えるかはその時次第として、午後には神戸に向けて移動、16時からの試合観戦、そして試合終了後の大花火大会という流れだ。もっとも、花火が試合終了30分後ということは、その試合展開によっては開始が遅くなることもあり、帰りの新神戸からの新幹線が大丈夫かという懸念はあるのだが、一応、新神戸から広島まで遅めの「のぞみ」指定席は確保した。

さて20日早朝に新幹線に乗るところ、朝一番で広島でこなさなければならない用事ができた。指定席を後の時間に変更する必要があるのだが、土曜日朝ということもあり、京都までの「のぞみ」の普通車は窓側席は満席、空席も3人掛けの通路側か、真ん中の席がぽつぽつある程度。

ただその中、7号車の「S Work」車両に目が留まる。今は「e5489」からでも座席指定予約ができる。不思議とこの車両だけ窓側席も空いていたが、やはり特別な席として敬遠されているのだろう。私も普通車の指定席と同料金で利用できると知ったのはこれが初めてで、ビジネス利用とはいえないが空席なら確保しよう・・・。

乗車したのは広島9時12分発臨時「のぞみ120号」。7号車の2人掛け席に向かう。ここで目立つのは3人掛け席の真ん中をパーティションで区切った「S Work Pシート」。7号車じたい、周りに気兼ねすることなくビジネスに必要なパソコン操作や携帯電話での会話が可能な車両ということで人気だが、さすがに土曜日となるとそうした需要も低くなるか。

今回利用したE席じたいは通常のN700系と変わることはないが(N700Sなので座席のひじ掛け一つ一つにコンセントがある)、単独利用のビジネス客が主なターゲットとあってか、インバウンドの客もおらず室内も静かで(客同士の歓談や座席を転換しての利用はご遠慮とある)、結構快適な移動となった。

もっとも、私もごくたまに出張で新幹線に乗ることはあるが、その道中で仕事用のパソコンを開けることはしない。せっかくの新幹線車内、車窓を見ながらゆったりしたいものである。パソコンを開けるとすれば発車前、あるいは到着後の構内のビジネスコーナーか、コーヒー店か、はたまた別料金でコワーキングスペースを使うくらい・・。

新大阪を過ぎ、京都に到着。相変わらず国内外の客でごった返す中、京都から東海道線に乗り換え、まずは近江八幡に到着。

昔ながらの町並みや長命寺方面に続く北口(2023~2024年の年越しもこの地だった)とは逆の南口、駅直結のイオンを過ぎて(滋賀はイオンと平和堂の激戦区です)、しばらく歩いたところのトヨタレンタカーに到着。時刻は12時を回ったところで、彦根での返却は18時予定なので利用時間は6時間。

出発を遅らせた時点でこの日訪ねるスポットは限られることになり、近江鉄道でもカバーできる日牟禮八幡宮と多賀大社は後回しにして、永源寺と湖東三山は大丈夫かな・・という思いで出発する。この日のパートナーはトヨタレンタカーおなじみのヤリス・・・。

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京都47番「毘沙門堂」~神仏霊場巡拝の道・104(八方睨みの龍、動く襖絵)

2024年06月25日 | 神仏霊場巡拝の道

神仏霊場巡拝の道、京セラドーム大阪での野球観戦との組み合わせで広島から日帰りでまず京都に向かう。当初、6月22日と23日のどちらに行くか迷ったが、22日の午前中だとまだ雨は降らない、しかし23日は西日本で広く雨の予報ということで、22日の朝から出かけることにした。

そして、バファローズとライオンズの両日の試合はどうだったか。選択した22日はバファローズ先発の齋藤を序盤に攻略したライオンズが4対2で勝利し、連敗を止めた。そして23日はバファローズ先発のカスティーヨが好投、私の勤務先企業出身の古田島がデビューから22試合連続無失点というNPB記録に並び、4対1でバファローズが勝利。23日の試合は広島の自宅にて外が大雨の中テレビ桟敷での観戦だったが、こういう巡り合わせなら23日、京都で雨に濡れての参拝の後、ドームで現地観戦したほうがよかったかな、私のツキもないな・・というのが感想である。

25日からはホークスとの3連戦、古田島の日本新記録達成なるか楽しみ・・・。

さて話はタイトルにもある京都・山科の毘沙門堂。前回、興福寺の後でのくじ引き・あみだくじで出た山科の札所である。神仏霊場巡拝の道、前回の奈良の前は京都の伏見地区を訪ねており、山科だけ残った形だが、まさかそこが出るとは。地図を見ると山科駅から北へ一本道の緩やかな上りのようだ。

今回は毘沙門堂だけ訪ねればよく、毘沙門堂には失礼だが、あみだくじで次はどこに展開するかのほうに興味がある。

22日、広島6時45分発の「のぞみ78号」で出発する。一気に京都まで行き、在来線で山科に到着。雨雲レーダーを見てもこの日の関西は何とか天気が持ちそうだ。

JRの山科を出て、京阪京津線の線路脇に出る。毘沙門堂のほか、山科聖天、山科両別院の看板、石柱。さらに「祝『令和』 天智天皇中臣の里・山科」の立て看板がある。令和が新元号になったことを受け、日本最初の元号とされる「大化」にちなんだ天智天皇、中臣(藤原)鎌足を崇敬しようということか。令和改元当時に建てられたのだろうが、こういう看板には気づかなかった。宗教法人・天智教、教祖・中臣不比等・・・。東京都知事選挙の候補者にいてそうな名前ですなあ。

それはさておき、JRの線路下をくぐって緩やかな上り坂を行く。琵琶湖疎水の一部である山科疎水も渡る。その橋に「国鉄」山科駅とあるのが時代を感じる。

毘沙門堂「門跡」に到着。毘沙門天王の幟が並ぶ石段を上がる。拝観料と、先に朱印帳を預ける。拝観ルートとして、まず正面の本堂、その奥の霊殿、そして宸殿と庭園・晩翠園を回るとある。

毘沙門堂が開かれたのは平城京よりも前、文武天皇の勅願によるという。当初は後の出雲路沿いに建てられたことから出雲寺と呼ばれていた。出雲寺は後に衰退と再興を繰り返し、現在の山科の地に復興したのは江戸時代になってからである。復興に関わったのは南光坊天海。あの明智光秀と同一人物という説もある僧侶である。

本堂に上がる。江戸時代の建築のためか、寺の本堂というより神社の拝殿を思わせる。こちらに安置されている本尊毘沙門天は伝教大師最澄の作と伝えられる。まずはこちらでお勤めとする。

毘沙門堂は後に後西天皇の皇子である公弁法親王が入ったことから門跡寺院となったが、父の後西天皇の死後、御所の一部を移築したのがこの先の勅使門、霊殿、宸殿である。その霊殿の天井から見下ろすのが「八方睨みの龍」。江戸時代の狩野派の作品で、堂内のどの場所から見ても龍と目が合い、睨まれているように見える造りである。これまでいくつかの寺院で龍が描かれた天井図を目にしたが、やはり龍はこのポジションなのだろう。

続く宸殿はいくつかの間に分かれており、それぞれ襖絵が広がる。こちらは「動く襖絵」との呼び名があるそうだ。かといって、襖そのものや、襖絵の人物じたいが勝手に動き出すホラーものではなく、一歩ずつ歩いて襖絵を観る角度によって人物の表情が変わったり、縦長の机が横長に見えたり、要は目の錯覚によるものである。現代なら何ということないトリックアートだろうが、それを今から300年以上前の襖絵で表現したのはさすが狩野派である。屋内は撮影禁止だし、こういうのは現物を目にしなければ実感がわかないので訪ねることをお勧めする。

奥は晩翠園の庭園。ここで折り返し。

勅使門や宸殿を改めて外から。

受付で預けていた朱印帳を受け取る。今回の神仏霊場めぐりは毘沙門堂のみで、近くに他の札所がないことから、ここであみだくじとして局面の展開を図ることにする。

予備のくじ引きで出たのは・・

・叡福寺(大阪16番)

・金剛輪寺(滋賀3番)

・大念仏寺(大阪5番)

・道成寺(和歌山6番)

・当麻寺(奈良19番)

・藤白神社(和歌山7番)

京都の選択肢がなく、滋賀、大阪(奈良)、和歌山と振られた形である。

そしてあみだくじ、運命のお時間の結果は・・・アプリで6枠に振られた金剛輪寺。冒頭に書いた「次の展開」は滋賀・湖東となった、当初は「金剛輪寺か」という反応だったが、よくよく見ると湖東地区の公共交通機関では難関のエリアである。金剛輪寺の南北にも神仏霊場の札所がいくつかあり、次回はリアルにクルマで回ることになるだろう。レンタカーを利用するのか、いつぞやのように広島から軽自動車で山陽道、名神高速を長躯して滋賀まで遠征するか・・・。

さてこの後、山科駅前に立て看板があった山科聖天に行くことにする。こちらは毘沙門堂の塔頭寺院で、歓喜天を本尊として、比叡山の無動堂から勧請されたという不動明王も祀られている。

山科といえばこれまで乗り換えで醍醐寺をはじめとした洛南地区の寺社めぐりで利用したが、駅の北側にある毘沙門堂や山科聖天というのは今回の札所めぐりで初めて知ったスポットである。決して観光地ではないが、こうした力強い面々が地元の人たちのよりどころというのは決して観光ガイドに載らない京都の奥深さで、恐れ入るばかりである。

山科駅に戻る。この後、京セラドーム大阪に向かうなら新快速・快速に乗るのがよいが、思ったより時間もできたので、変化球の意味で京阪京津線のホームに向かう。

山科から地下に潜り、三条で下車。大阪までそのまま京阪で向かうとして、ならば「プレミアムカー」一択。

この日は京橋で下車。ちょうど昼時・・・ということで京橋駅近くの立ち飲みスタンドで一献として、景気をつけて京セラドームに向かう。

そして、バファローズとライオンズの両日の試合はどうだったか。選択した22日はバファローズ先発の齋藤を序盤に攻略したライオンズが4対2で勝利し、連敗を止め・・・(以下、無限ループ)

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神仏霊場巡拝の道~近鉄奈良駅で一献

2024年05月17日 | 神仏霊場巡拝の道

長々と書いてきた5月4日の神仏霊場めぐり。この日は奈良のメインともいえるエリアを回り、朱印をいただけなかったり、あるいは朱印をいただくのに1時間以上並んだりといろいろあったが、近鉄奈良駅に戻って来た。

さて夕食は藤井寺の実家に戻っていただく予定にしているが、せっかく奈良に来たので軽く一献とするか。以前奈良に来た時に見つけていた「蔵元豊祝」。豊祝とは奈良の地酒で、ここは蔵元直営の呑み処の一つである(他に大和西大寺、大阪難波、天王寺にも店がある)。店内のカウンターは立ち飲みスタイル。

セットメニューをいただくが、やはり最初は生ビールである。料金は品物と引き換えのキャッシュ・オン・デリバリー方式。「角打ち」の雰囲気を近鉄奈良駅のコンコースに持ってきている。腰を据えて飲むというよりは、帰りの列車に乗る前にちょっと一杯ひっかけて・・という客のほうが多いだろう。この日の私もその部類だ。

生ビールで落ち着いた後、きき酒セットをいただく。「純米吟醸 無上盃」、「純米酒 豊祝」、「本醸造辛口 貴仙寿」という、蔵元・奈良豊澤酒造の代表的な銘柄。いずれもすっきりしており、広く受け入れられる味と思えた。

本来なら他にアテもいろいろ頼めばよいところだが、ここはサクッと引き上げることにする。神仏霊場めぐりではまた奈良に来る必要があることだし、その時に改めて楽しもう。

近鉄で奈良を後にするが、ちょうど到着の神戸三宮行きは国内外の観光客で満員。元々外国人観光客の多い奈良だが、コロナ禍以降、円安によるところも多い。

そろそろ日が傾くところを走る・・。

5月の連休は翌5日が父親の一周忌法要、そして6日の午前中に広島に向けて移動した。この大型連休期間中、東海道・山陽新幹線の「のぞみ」は全列車全座席指定だったが、それで乗る列車があらかじめ決められたためか、新幹線も思ったほどの混雑もなかった(広島止めということもあった)。この先当分5月の連休は法要もあることだから、関西で過ごすことになりそうだ・・・。

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