まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

京都39番「妙法院」~神仏霊場巡拝の道・58(天台三門跡の一も今や外資に・・)

2023年07月31日 | 神仏霊場巡拝の道

神仏霊場巡拝の道めぐりは、前回のあみだくじで出た京都39番・妙法院に到着。東山通り沿いに山門があるが、境内の入口はもう少し北である。雨の中しばらく歩く。

妙法院は最澄が開いたとされ、天台宗の三門跡の一つとして伝えられているが、歴史上に出てくるのは平安末期の後白河法皇の時代である。譲位後、院政の場として整備したのが法住寺殿で、先ほど訪ねた三十三間堂(蓮華王院)や新日吉社、新熊野社などを建立した。そして、それらを傘下として管理したのが妙法院である。元々は比叡山の西塔に属していたが、後白河法皇の時に洛中に移ったとされる。さらに現在地に移ったのは、方広寺(京の大仏)の管理も任せられるようになってのことで、桃山時代から江戸時代にかけてとされる。

幕末には土佐藩が御所として借り上げており、三条実美ら尊王攘夷派の公家たちの拠点にもなっていた。三条らが「八月十八日の政変」で京都を追われることになった時もここで対応を協議し、長州に向けて落ち延びることとした。

その妙法院だが現在観光寺院というわけでもなく、一般に広く知られる寺院でもなさそうだ。まず正門は閉じられていて、北側の車両入口から入る。右手が妙法院だが、左手には立派な建物が洋館が見える。「ザ・スパ・アット・フォーシーズンズ京都」という、同じ名前のホテルの一角である。かつての門跡寺院も今や外資に切り取られた形だ。

境内に足場が組まれている。桃山時代、豊臣秀吉の建立とされる庫裏で国宝である。寺院の台所でもあったが、現在修復工事中である。

隣接して、明治天皇も滞在した宸殿も建つ。

さて、神仏霊場のお参りは・・?ということでたどり着いたのが、南側にある普賢堂。庫裏と比べれば小ぢんまりしているが、寺の本堂としてはこちらとされている。中をのぞくと、象に乗った普賢菩薩像が祀られている。ここでお勤めとする。

入口に会館のような建物があり、納経はこちらで受付。

これで、前日の長田神社でのあみだくじで出た目的地まで来た。時間的にはまだ午前中で、雨とはいうもののもう少し北に行けば清水寺や六波羅蜜寺といった、西国三十三所の札所でもある寺院に参詣できるが、今回はここで打ち切りにして、次の行き先を決める。

前段のくじ引きアプリで出たのは・・

・青蓮院(京都35番)

・海神社(兵庫8番)

・長谷寺(奈良22番)

・清水寺(京都37番)

・法華寺(奈良9番)

・勝尾寺(大阪24番)

・・・あら、清水寺出とるがな。もし出れば、そのまま行くだけである。少し離れた青蓮院だったら・・回り道して行くことにするかな。

その中で出たのは、2枠に入った長谷寺。3月、同じ近鉄大阪線沿線の室生寺を訪ねたが、その時は野球観戦との兼ね合いもあり、長谷寺を回れば奈良南部はほぼ制覇となるところ、あえて残す形になった。意外と早く順番が回って来たと思う。

東山七条のバス停に戻り、市バスで京都駅に出る。実はこの日、前日の神戸に続いて大阪でのバファローズ対ライオンズ戦を観戦すべくチケットも押さえていたのだが、その観戦も取り止めて広島に戻ることにしていた。いや、雨は降っているけどドームだから試合は問題なく開催されるはず・・。

それは大雨の影響。前日の7月8日~9日は、九州北部から島根県にかけて梅雨前線の影響で大雨となり、交通機関にも影響が出ていた(その数日前には美祢線、山陰線が豪雨被害で不通になったばかりである)。9日午前の時点で、山陽新幹線の広島~博多間が運転見合わせとなっており、午後以降は天候の回復で運転再開の予定とはあるものの、もし万が一運転見合わせが長引くとともに影響が東に広がったら・・と大事を取って早めに西に戻ることにした。

とりあえず新大阪まで移動し(この時、別に自由席特急料金を払って「スーパーはくと5号」に乗車)。野球のチケットは事前に公式リセールにて無事に譲渡できた。

元々は日本旅行のプランで、列車も夕方以降の「のぞみ」限定だったが、こういう状況だし、もう自由席で移動してしまおう。運転再開を見越してか、博多行きの「のぞみ」が先に来るが、自由席の乗車列には長い列ができていて、やって来た列車はデッキまで立ち客がある。そこで、後続の「ひかり」で岡山まで行き、後はその時の状況によることにした。

結果、「ひかり」は岡山まで空席十分で走り、岡山から乗り継いだ「のぞみ」は広島行きだったので自由席にありつくことができた。広島に着いたのは14時前。

もっとも、新幹線で無事に広島まで戻ったものの、やはり雨に近いエリアは厳しかった。在来線が運休である。自宅に戻るなら広電に乗るところだが、こちらも大混雑の様子だったので、もう一つの手段として広島バスに乗る。こちらの25系統に乗れば、八丁堀、平和公園、己斐(西広島)を経由して自宅近くまで戻ることができる。

バスはたまたま空いており、多少時間はかかるがゆったりしながら帰宅できた。

・・・あれから3週間が経過した7月末、梅雨は明けた模様だが、連日35度前後の猛暑が続く。豪雨、猛暑、そして台風と年々夏の過ごし方が厳しいものになっている。何とか天気の動きも気にしつつ、無事に過ごしたいものである・・・。

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京都40番「智積院」~神仏霊場巡拝の道・57(見逃したなあ・・)

2023年07月29日 | 神仏霊場巡拝の道

7月9日、雨の京都での神仏霊場巡拝の道。三十三間堂を参詣した後、七条通の突き当たりにある智積院に向かう。以前、近畿三十六不動めぐりで訪ねたことがある。拝観入口には「真言宗智山派総本山」の石柱が建つ。今回の一連の神仏霊場めぐりは神社が続いていたが、ようやく寺の出番となる。

智山派は真言宗の中でも覚鑁が開いた新義真言宗の一つで、元々は根来の大伝法院(根来寺)の塔頭寺院であった。根来寺は豊臣秀吉の根来攻めで焼き討ちに遭うのだが、そこから弟子とともに高野山に逃れた玄有が、関ヶ原の戦いの後、徳川家康から京都の豊国社の境内の一角の地を与えられ再興した。

その後も幕府の保護や、仏教の信仰心が篤かった桂昌院からの寄進もあり繫栄した。

入口に拝観受付兼納経所があり、変則的だが先に朱印をいただく。文字は金堂の本尊である大日如来。

境内を進むと現在の智積院を開いた玄有の像があり、本堂に当たる金堂に向かう。1975年に再建された建物である。

自由に中に入ってお参りできるが、この時間、屋外ならまだしも、堂内に入ると蒸し暑い。一気に汗が噴き出る中でのお勤めとする。それなら、中に入らずお堂の外でお勤めすればよいだけの話だが・・。

隣接する明王殿に向かう。江戸時代の大雲院の本堂を移築した建物である。近畿三十六不動めぐりはこちらが本尊。近畿三十六不動でお参りしたのは2019年2月で、「京の冬の旅」キャンペーンの最中だった。その時は期間限定の宸殿が公開されていた。

真言宗ということで大師堂にも参詣。

今回、宸殿は公開されていないが、講堂を含む有料エリアに行こうかどうしようか。庭園を見るのもよいかなというところだが、雨だし、蒸し暑いし、もう次に行こうかと思う。

そして、これは帰ってから気づいたのだが、智積院にはこの4月に新たに宝物館ができていたそうだ。弘法大師の生誕1250年記念事業の一環という。智積院に現存する長谷川等伯一門による障壁画をはじめ、智積院に伝わる宝物などの収納品が展示され、智積院の歴史も紹介されている。こちらを見逃したのはちょっと残念だったかな・・・。

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神仏霊場巡拝の道~まずは三十三間堂へ

2023年07月27日 | 神仏霊場巡拝の道

7月9日、前日に神戸でのバファローズ戦観戦を終えて新大阪に移動し、駅前の「ニューオーサカホテル」に宿泊。

これまで新大阪エリアに何回か宿泊しているが、交通の便でみれば梅田や難波に泊まるよりも便利である。神仏霊場巡拝の道めぐりの行き先をあみだくじで決めるにあたり、翌日もどこかに出かける場合は新大阪に陣取ると動きやすい。前日、長田神社であみだくじのアプリで出たのは京都39番・妙法院だったが、選択肢には熊野三山のうち2ヶ所が含まれていた。もしそうなったとしても、始発の「くろしお」で出れば日帰りかつ広島に戻ることを考えてもどちらか片方はお参りできそうだ。

今回の行き先は京都ということで、朝は多少ゆっくりできる。ということで、元々プランについていた朝食とする、チェックイン時に、レストランの利用時間と和洋いずれにするかを予約しておく。私は6時半からの和食プランとしていた。

そして出てきたのがこちら。立派な御膳である。ただ、豊富なおかずを前にして申し訳ないが、これを茶碗1杯のごはんでまかなうのは私としては結構厳しい。ごはんのおかわりができるのか(「格式の高い」ホテルならではの悩み)。係の人に訊けば済むことだが、訊くのも強要するようでいやらしいし、そういう様子でもないのでそのまま何とか賄う。

さて、目指す妙法院だが、位置するのは東山七条。通りを隔てて近いのは京都国立博物館、智積院、三十三間堂。ならば、先に同じ神仏霊場の札所である京都40番・智積院を参詣しよう。

このエリアに行くなら京阪が便利。午後から新幹線で広島に戻るので荷物をコインロッカーに預け、地下鉄で淀屋橋に出る。そう、前日、石清水八幡宮に向かったのと同じく京阪特急のプレミアムカーを利用する。今度は七条まで券売機で購入する。この時間、一般のクロスシートもガラガラだったが、せっかくなので・・。

前日8日は夜の神戸での試合も含めて何とか雨にならずに済んだが、9日は朝から雨模様である。この日は智積院、妙法院と回り、その後も東山エリアの神仏霊場(西国三十三所ともダブる)が続くが、早めに切り上げて広島に戻るつもりである。まだまだ先は長いし、日曜の早めの時間に帰宅することで翌週からの仕事にも身心の余裕を持ちたいというのがある。

七条に到着し、七条通を東に向かう。時刻はまだ9時過ぎだが、観光客の姿も目立つ。大陸からの人たちも戻って来た。京都観光の混雑ぶりのニュースにも触れるようになったが、午前の早い時間ならまだゆったりと回ることができる。

まず智積院に向かうが、その手前の三十三間堂は外せない。まずはこちらに向かうことにする。

三十三間堂にまず向かったのは貴重な文化遺産ということもあるが、三十三間堂の正式名称である「蓮華王院本堂」は、現在妙法院の境内の飛地に位置し、妙法院が所有・管理しているのだという。私も初めて知った。

さて、三十三間堂である。拝観ルートに沿って堂内に入る。ここの「一間」とは距離の単位ではなく、単に柱と柱の間の数であり、「三十三」は観音菩薩と縁が深い数である。大陸からの観光客や、修学旅行の小グループとともに千体の観音菩薩像、そしてその先頭でグループを代表するかのように鎮座する二十八部衆を拝観する。

ひな壇が何段も続く。多くの参詣者が訪ねる三十三間堂だが、千体の観音菩薩像が並ぶといってもほとんどの人が目に留めるのはどうしても前列側の観音菩薩像で、後段、上段となるとともすれば「その他大勢」ともなりかねない。この配列にはどういう決め事があったのかなと、ふと考えてしまう。一体一体じたいは、どこかの寺院で本尊としてありがたく祀られていてもおかしくないと思う。

中央に鎮座する本尊千手観音の前では僧侶によるお勤めの最中。

三十三間堂の後方は通し矢の会場であり、弓矢の紹介とともにこれまでの優勝者が奉納した額なども並ぶ。

そして御守り等の販売所に出るが、三十三間堂関連の書籍もある中で、ある一冊には千体の観音菩薩像それぞれが選手名鑑のように紹介されており、それぞれに名前があることがわかる。ただ、こうしてそれぞれに「○○観音」とか「○○仏」とつけられているのを見ると、後方にいる観音菩薩などはどこか小さな寺院の「本尊」となったほうが活躍するのではないかと思ってしまう。三十三間堂の1000分の1としてひな壇の後ろにいるか、それとも、それを良しとせず小規模でもいいからどこかの寺院の1分の1(本尊)となるべく独立するか・・・。

そうして出て行った観音菩薩像も、地方の寺院で「元・三十三間堂メンバー」としてありがたく拝まれていたりして・・・。

・・・相変わらず変な文章になってしまった。七条通の奥にある智積院に向かおう・・・。

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兵庫6番「長田神社」~神仏霊場巡拝の道・56(神戸にてバファローズ必勝祈願?)

2023年07月26日 | 神仏霊場巡拝の道

7月8日の神仏霊場巡拝の道めぐり。当初の目的地だった水無瀬神宮にて次の行き先を決めるあみだくじを行い、前段のくじ引きで出ただけでもびっくりしたところ、本番のあみだくじで見事一発で当たったのが長田神社。これからほっともっとフィールド神戸に向かうにあたり、ちょうどその途中に位置する。これは、神社から「スタジアムに行く前にぜひとも立ち寄りなさい」と言われているかのようだ。

島本からJRに乗り、三ノ宮で下車。乗り換えついでに高架下で昼食とするかと向かったところにあるのは、バファローズグッズの直営店「BーWAVE」。この後神戸での試合ということで多くのファンが詰めかけているが、店もそれほど広くないため、入場制限を行っているようだ。その間に列が高架沿いでどこまでも伸びている。チームの好調がこうしたところにも反映しているようだ。

高架下の「やよい軒」で昼食を取った後、地下鉄ホームに向かう。長田神社に行くなら地下鉄、神戸高速どちらでもよいが、この後スタジアムに行くという頭があってか、自然と地下鉄のほうに足が向いた。

ホームのデジタルサイネージには、7月23日に同じ神戸でのファイターズ戦での「大花火大会」のPRがある。日曜日夕方からの試合だが、実はこの試合のチケットを1枚購入している。今から試合を観に行くのに、さらにその先の試合を楽しみにするのも妙なものだ。その時も、神仏霊場巡拝の道と絡めるつもりである。

長田に到着。関西勤務時代、地下鉄、あるいはクルマでこの永田近辺にはちょくちょく来ていた。労働基準監督署が近いのと、駅からすぐの神戸村野工業高校に新卒採用の挨拶や求人で訪ねていた。久しぶりだなと、ふと学校名で検索すると、その村野工業高校、2023年からは「彩星工科高校」と改名したとある。「村野」というのは創立者の姓からつけられたが、創立100年をすぎて、新たな時代にふさわしい名前として改名したようだ。

ここまで何とか曇りで持ってきた空模様だが、地上に出ると少しパラパラとしてきた。これから試合を迎えるところで、せめて小ぶりで持ちこたえてほしい。勝ち負けはともかく、せっかく訪ねて試合中止、あるいはノーゲームというのは切ないので・・。

商店街を抜けて神社に到着する。長田神社が開かれたのは神功皇后の頃。新羅など三韓征伐を終えて難波に帰る途中の神功皇后が乗る船がこの辺りで動かなくなった。そこで占ったところ、事代主神から「吾をこの地に祀るように」との神託があり、創建されたのが始まりとされる。

祭神の事代主神はどちらかといえば産業の守護神として、商売繁盛や日々の開運招福のご利益があるそうで、野球の必勝祈願が目的なら別の神社のほうがよいのかもしれないが、そこは神戸でもっとも古くから親しまれてきた神社である。これから天気が持つことと、あくまでその後でバファローズが勝ちますように・・という願いを込めて手を合わせる。

本殿の後ろには楠宮稲荷神社がある。楠が御神木なのだが、神の使いであるアカエイが宿るとされている。

境内の参集殿にて朱印をいただく。

これで気持ち新たにスタジアムに向かうが、その前に次の行き先である。前段のくじ引きで出たのは・・

・叡福寺(大阪16番)

・宝山寺(奈良16番)

・妙法院(京都39番)

・枚岡神社(大阪19番)

・熊野那智大社(和歌山3番)

・熊野本宮大社(和歌山4番)

・・・この前のあみだくじでも熊野速玉大社が出たが、今回は熊野三山のうち2ヶ所が選択肢に入った。それほど熊野に行かせたいのかと思うが、そもそも、元々の「くじ引きアプリ」が、似たようなところの目しか出さないのではないかという気もする。

その中、あみだくじで出たのは5枠に入った妙法院。初めて触れる名前だが、場所としては智積院、三十三間堂の近くである。翌日、向かうことにしよう。

再び地下鉄に乗り、総合運動公園で下車。すでに大勢の観客が訪れており、何とか雨も持ってくれるものと期待する。

そして試合はバファローズがエース・山本の好投もありライオンズに5対1と勝利。観戦記は以前に書いたのでそちらをご覧いただくとして、快勝によい心持ち、これも長田神社のおかげという気になる。

さて、この夜の宿泊は新大阪で、まだそれほど遅い時間でもなく地下鉄で三宮まで出てJRに乗り継げばよいのだが、ここはあえて三宮で下車せず、新神戸まで向かう。

格安プラン利用の貯金を吐き出す形だが、あえて1駅、新神戸から新大阪まで新幹線で移動する。何やってんだか。

チェックインしたのは、新大阪駅の正面にほど近い「ニューオーサカホテル」。建物じたいは結婚式場や会議室もあり多目的に使われるが、宿泊じたいはいたってシンプルなシングルルームである。朝からあちこち移動して回ったこともあり、また観戦の後ということもあって夜はゆっくりと過ごすことに・・・。

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大阪21番「水無瀬神宮」~神仏霊場巡拝の道・55(風鈴の音涼やかに)

2023年07月25日 | 神仏霊場巡拝の道

神仏霊場巡拝の道、まずは京都1番の石清水八幡宮に参拝し、京阪の淀駅に隣接する京都競馬場からシャトルバスに乗って阪急の西山天王山駅に向かう。通常の路線バスを運行するのは阪急バスだが、競馬場の臨時輸送は京阪バスが担当している。

サントリービールの京都工場の横を通る。天然水のビール工場である。水無瀬神宮と石清水八幡宮をセットで回ろうと決めた時、サントリーの工場見学ができるかなと予約サイトを検索したが、特に渡日は満員御礼が続いているようだ。

西山天王山駅に到着。京都縦貫道の高架下に2013年に新設された駅である。駅の開業と合わせて高速バスの停留所も設けられたこともあるが、京都、大阪方面への通学や通勤の利便性もあって利用客は当初の予想を上回るペースだという。

天下茶屋行きの準急に乗る。しばらくするとJR京都線の線路が並走し、それと分かれると今度は大山崎駅近くで新幹線の線路と並走する。東海道新幹線を建設する工程の中で阪急京都線の線路のかさ上げも必要となり、一時的に阪急電車が建設中の新幹線の線路上を走った歴史もある。到着した水無瀬駅は対向式ホームで新幹線側には塀が並ぶ。ちなみに1駅高槻市寄りの上牧駅だと島式ホームで阪急電車と新幹線の両方を見物することができる。

水無瀬駅に降り立つのは初めて。高架下を利用した商店街も伸びる。

水無瀬神宮へは徒歩10分あまり。じめじめした暑さの中、阪急、新幹線に沿って歩く。歩くのは阪急の線路側だが、2~3分おきに新幹線の通過音が聞こえる。この区間はいずれも16両編成のため、通過音も長い。1日中この音に接する沿線住民の心持ちはいかがなものだろうか。新幹線と合わせて阪急電車も並走するので、鉄道好きな方なら1日いても飽きることがないだろうが・・。

案内板に従って、いったん境内を回り込み、西向きに鎮座する水無瀬神宮に到着。神門の前には風鈴が飾られており、涼しげな音色を奏でている。風鈴とともにスマホでインスタ映えを狙った撮影をする光景も見える。

そして境内に入ると、社殿前をはじめあちこちで風鈴である。これを目当てに参拝する人の姿も多い。子どもも喜んでいるし、自ら小道具を仕込んで撮影に勤しむ姿も見える。

水無瀬神宮が建てられたのは鎌倉時代。元々は後鳥羽上皇の離宮があった場所だが、上皇は承久の乱に敗れて隠岐に流され、そこで崩御した。その後は荒れ果てていたが、水無瀬信成という公卿が離宮の跡地に後鳥羽上皇の御影堂を建立し、後土御門天皇が隠岐から後鳥羽上皇の神霊を迎えて水無瀬宮とした。

江戸時代までは仏式で祀られていたが、明治の神仏分離で水無瀬宮となり、承久の乱で後鳥羽上皇とともに配流された土御門天皇、順徳天皇の神霊も迎えた。今は北摂の地にあって地元の人たちも気軽にお参りする神社である。

そして、風鈴である。後鳥羽上皇の霊を慰めたのが始まりというが、いつから行われているのだろうか。現在は「招福の風」として、願い事を書いた短冊を風鈴につける。9月上旬まで行われていて、8月の土日の夜にはライトアップもされるそうだ。

この風鈴、日本人には涼やかな音として昔から夏の風物詩として親しまれており、全国各地で風鈴を吊るす神社仏閣も多いが、これがバックボーンとして刷り込まれていない人にとっては単なる騒音にしか聴こえないそうだ。どちらが良い、悪いということではないが・・。

朱印をいただき、もうしばらく風鈴の音を楽しむ。それともう一つ、手水舎の水が「離宮の水」として、多くの人が水をいただこうとボトルを手に行列しているのを見る。後鳥羽上皇がこの地に離宮を構えたのも、ひょっとしたらこの水に惹かれたからかもしれない。現在もサントリービールの京都工場、そしてウイスキーの山﨑蒸留所があるのも、後鳥羽上皇の頃から変わらぬ水が湧き出る地ということからだろう。また、手水舎では水みくじも行える。

さて、前回からの目的地であった水無瀬神宮に無事参拝したということで、こちらは水みくじではないが、次の行き先を決めるあみだくじである。その出走表となる前段のくじ引きでは・・

・永源寺(滋賀8番)

・熊野速玉大社(和歌山1番)

・智積院(京都40番)

・御上神社(滋賀12番)

・日吉大社(滋賀17番)

・長田神社(兵庫6番)

やけに滋賀方面、そしてまたも熊野三山の一つが出たなというところで、くじ引きの最後に出た長田神社にびっくりした。この後、午後からはほっともっとフィールド神戸でのバファローズ対ライオンズの薄暮試合に出かけることにしており、長田神社といえばまさにその道中、しかも神戸市内ということで、途中下車して必勝祈願でもできそうである。

そしてアプリにランダムに並んだ6つの行き先。そしてくじの結果は・・何と長田神社! これはイカサマなどなく、本当に1貝での結果である。よし、これはお参りだ。

往復で変化をつける意味で、水無瀬駅とほぼ距離が変わらないJRの島本駅に向かう。JRの山﨑駅方面から続く西国街道を通るルートである。

その島本駅のすぐ横に、桜井駅跡がある。ここは「太平記」にも登場する、楠木正成・正行親子の「桜井の別れ」で知られている。九州で勢力をつけて逆襲した足利軍を迎え撃つよう後醍醐天皇から命ぜられた楠木正成だが、とても勝ち目はないと悟り、ここ桜井で子・正行と別れる。自分(正成)はおそらくこの戦いで討ち死にするだろうが、子(正行)はこれからも天皇に忠義を尽くし、朝敵を破るように・・ということで、正行を河内に帰らせる。正成はこの後の湊川の戦いに敗れて自刃したが、正行はその後成長して南朝方の武将として活躍した。

戦前には称賛されたことで、この桜井駅跡にも明治天皇の御製の歌碑や、乃木希典、東郷平八郎の碑文も残る。先の後鳥羽上皇から南北朝の戦いを経て一気に明治まで飛んできたが、この一帯、天皇家を慕う、忠義を尽くす空気が漂っているのかな・・。

その桜井駅横にある島本駅(ややこしいな)だが、開業は2008年と新しい。前後の山﨑~高槻間の距離が長いのと、島本町にも駅を作ってはどうかということでJR西日本が働きかけたもので造られた。先に紹介した阪急の西山天王山ほどではないが、こちらもそれなりの数の利用客がある。

ホームに降りる。幹線区間ということで、次の列車を待つ間にも新快速のほかに特急「サンダーバード」、「はるか」、さらには貨物列車にDD51の単行の通過にも出会う。この時は見かけなかったが、ホームの端に撮り鉄が陣取っていても不思議ではない駅で、この駅のホームなら待ち時間も気にならないだろう。

そして次に乗る加古川行き(高槻から快速)が入線する。この時のメロディが、かつてサントリーオールドのCMで流れていた「人間みな兄弟~夜がくる~」である。小林亜星作曲、開高健のキャッチコピーである。私も子どもの頃、こういうウイスキーが似合う大人になりたかったとか、その一方で「親父みたいな酒飲みにはなりません」と作文の宿題で書いたことがあったとか、いろいろ揺れ動いていたようだが、50歳手前にして、また亡くなった父と比べてみると、ウイスキーが似合わない単なる酒好きのおっさんという・・・何とも中途半端な姿に成長したものであると思う今日この頃である・・・。

列車は高槻から快速運転となる。長田神社に向かう前に、昼食もかねていったん三ノ宮で下車することに・・・。

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京都1番「石清水八幡宮」~神仏霊場巡拝の道・54(先達はあらまほしきことなり)

2023年07月24日 | 神仏霊場巡拝の道

7月8日に出かけた神仏霊場巡拝の道めぐり。前回のあみだくじで出たのは島本町の水無瀬神宮だが、その前段で、淀川を挟んで南側にある石清水八幡宮に参拝とする。

新大阪から淀屋橋に出て京阪に乗り、石清水八幡宮に到着。以前は自治体と同じ八幡市という駅名だったが、観光客へのPRということでそのままズバリの名前に変更された。

駅は京阪電車で何度も通り過ぎているが、肝心の石清水八幡宮に参詣するのは初めてである。「徒然草」に出てくる仁和寺の法師ではないが、「年寄るまで石清水を拝まざりければ、心うく覚えて」ようやくやって来た形だ。ケーブルカーで上がればすぐに拝殿までたどり着くが、参道を歩いても30分ほどというので徒歩で上ることにする。

石の鳥居をくぐり、楼門をくぐってまず入るのは頓宮。「頓宮」という言葉を目にすると今季好調のバファローズのあのバッターを連想するのだが・・元の意味は神様の仮の宿のこと。かつては石清水八幡宮の別当寺である極楽寺が建っていたが、幕末の鳥羽・伏見の戦いの兵火で焼失したという。

頓宮を抜けると高良神社への鳥居が見える。石清水八幡宮の祭神が神功皇后で、その麓に建つ高良神社は神功皇后に長らく仕えた武内宿禰を祀る。

この頓宮(かつての極楽寺)、そして高良神社だが、先の仁和寺の法師はここを石清水八幡宮と思い、これだけだと思ってそのまま引き返した。後で仲間に「そも、参りたる人ごとに山へ登りしは、何事かありけん、ゆかしかりしかど*、神へ参るこそ本意なれと思ひて、山までは見ず」と語った。参詣する人が皆この後で山に上っていくので何かあるのかなと興味があったけど、神様にお参りするのが目的なので山までは見なかった・・ということである。

これを受けて、「少しのことにも、先達はあらまほしきことなり」と結ばれる。「徒然草」には仁和寺の法師がちょくちょく登場するのだが、何かこう、失敗談の形で取り上げられている。吉田兼好が仁和寺の近所の双ヶ岡に庵を結んでいたこともあるだろうが、世間から偉いと思われている仁和寺の法師でも、こうしたドジを踏んだり滑稽なことをしたり、人間味があるものだよ、だからこういう教訓があるんだよと、温かい目で見守っているように思われる。

当時は現在のように気軽に情報が得られる時代ではないし、現地に行っても案内板が出ているわけでもないだろう。最初に一通り境内らしきものを見せられたら、ここが石清水八幡宮か・・と思って満足したのもわからないわけではない。

さて、現在の私たちには「徒然草」という先達がいることだから、ここを過ぎて九十九折の石段を上がる。まだ午前中で、雨は降っていないがじめじめした空気がまとわりつく。

途中、表参道から裏参道へショートカットする形になったが、石清水社に出る。石清水八幡宮の摂社の一つだが、そもそも「石清水」とは、古くからこの地に霊泉が湧き出ていたことから来た名前であり、八幡宮の勧請よりも前に山寺があったとされる。現在の石清水社も、現存する中では最古の部類の建物とされる。

正面玄関に当たる南総門に着く。現在は改修工事中で、囲いをくぐった先に拝殿に出る。ちょうどお宮参りの家族も含め、参拝者の姿もそれなりにある。

石清水八幡宮が開かれたのは平安時代。奈良・大安寺の行教和尚が豊前の宇佐八幡に籠り祈りを捧げたところ、八幡大神から「都に近い男山の地に遷って国家を鎮護する」というご託宣があり、この地に社殿が建立された。木津川、宇治川、桂川の3つの川の合流点に近く、交通の要衝でもあった。

その後、国家鎮護だけでなく厄除け、武運長久などさまざまな人々の信仰を受け入れ、古くは平清盛、源頼朝、織田信長、豊臣秀吉の保護を受けた武家の聖地でもあった。社殿や塀にも、信長が寄進したと伝わるものが残されている。

そして現在は神仏習合の聖地としてもクローズアップされるようになり、今私が巡拝している神仏霊場巡拝の道の発足にも積極的だったという。

拝殿を一回りして朱印をいただく。こちらは京都1番札所。

帰りはせっかくなのでケーブルカーに乗ろう。乗り場手前には展望台が広がる。曇り空だが、淀川につながる3つの河川や、京阪本線、高速道路、さらには京都の市街地と広がる。天気が良ければ比叡山も見ることができるそうだが、京都を南西部から望む良い景色である。交通の要衝であったこともうかがえ、かつて豊臣秀吉、後に江戸幕府が淀城を築き、守りの要としたのもうなずける。

ゲーブルカーに乗車する。駅名の改称に合わせて「石清水八幡宮参道ケーブル」という名で運行されている。営業キロは0.4キロながら、トンネルが2ヶ所あり、108.7メートルのとレッスル橋もある。

さて、次に目指すのは淀川を渡った対岸の水無瀬神宮。事前の検索で、石清水八幡宮から1駅先の淀から阪急の西山天王山を経由する路線バスがあるのを見つけている。淀駅に到着したが、バスは1時間に1本ということで発車までそれなりに時間がある。

本来なら、先ほど少し触れた淀城に行くべきところなのだろうが、私の目に入ったのは駅すぐ横の京都競馬場である。競馬をたしなむこともないのだが、せっかくなので競馬場の外側だけも見ようと思う。現在開設100周年事業としてスタンドの改築工事も進んでおり、この日もレースの開催はなかったが、他の競馬場の馬券も買えるし、大型ビジョンで中継もやっているのでそれなりの数の人たちが集まっている。

私は生まれてこの方馬券を買ったことがなく、頭の中の知識では「馬券購入=マークシートに記入」で止まっている。それがここに来て見ると、フロアには発売機がズラリ。さらにはネットやスマホでのオンラインでの購入が主流のようだ。

正直、目が点である。まさに「先達はあらまほしきことなり」状態だ。まあ、別に競馬をしようと淀に来たわけではないが、極楽寺、高良に参ることもなくそのまま引き返すことにした。

ふと見ると、JR、阪急方面への臨時バス乗り場がある。京阪の淀駅が隣接しているとはいえ、同じ京阪間のJR、阪急沿線からの利用客の利便性ということで臨時バスが出ているようだ。運賃は普通にかかるが、乗ろうと思っていた定期バスよりも早く出発しそうだし、次は阪急の西山天王山駅までノンストップである。これは京都から大阪に抜ける(休日限定の)隠しルートやな・・とほくそ笑んで停まっていたバスに乗り込むと、それを見計らってバスは発車した・・・。

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神仏霊場巡拝の道~忌が明け、神社参拝を再開

2023年07月21日 | 神仏霊場巡拝の道

5月に父親が亡くなったことを受けて、「神仏霊場巡拝の道」めぐりはその直前の目的地であった大阪21番・水無瀬神宮を前に一時止まっていた。そして6月下旬に四十九日、満中陰志を迎え、とりあえずは一区切りである。もっとも、これからも初盆や彼岸があるし、納骨をどうするか、また相続の関連などいろいろやるべきことは多い。

それはそれとして、神仏霊場巡拝の道も再開である。これからもさまざまな願いを込めて手を合わせ、お勤めである。

そして水無瀬神宮を目指すわけだが、日程は7月8日~9日とした。8日の夕方からは神戸でバファローズ対ライオンズ戦の観戦を予定しており、試合終了後は新大阪まで移動しての宿泊である。新大阪までの往復の新幹線とホテル宿泊のセットプランを申し込んだ。

改めて神仏霊場の札所の分布を見ると、島本町にある水無瀬神宮の近くといえば、淀川の対岸に京都1番・石清水八幡宮がある。それぞれの最寄り駅である阪急の水無瀬駅と京阪の石清水八幡宮駅間を単純にルート検索すると、いったん京都市街まで大回りさせられる。それはあまりにも不便で、さすがに淀川を渡る路線バスくらいあるだろうと検索すると、阪急の西山天王山駅~京阪の淀駅を結ぶ路線が1時間に1本ある。ならば、先に石清水八幡宮に参詣し、路線バスで淀川を渡って阪急に乗り継いで水無瀬まで行き、水無瀬神宮で次の行き先を決めるあみだくじとする。

7月8日、広島から早朝の新幹線で新大阪まで移動。この夜はこちらで宿泊となるので荷物はコインロッカーに預ける。

まずは京阪で石清水八幡宮に向かうとして、御堂筋線で淀屋橋に向かう。地下街とはいえ、朝から蒸し暑さを感じる。

石清水八幡宮には特急は停まらないが、せっかく久しぶりに京阪に乗るのだからということで、手前の樟葉まで特急のプレミアムカーに乗る。これまで何度か利用した中で、チケットはいちいち窓口で買わなければならないのがわずらわしかったが、新たに券売機ができていた。チケットレス決済にも対応している。途中駅のホームにも置かれていたから、その時の状況でサッと買って乗ることもできる。

淀屋橋から快適に移動する。この日の天気予報は今一つすっきりせず、京橋の手前で地上に顔を出してもどんよりした雲行きである。夕方は屋外球場である神戸での観戦だが、予報では雨マークも出ていて気がかりではある。この先、この夜のバファローズの勝利祈願以上に天気が持つことを祈ることにしようか・・。

樟葉で後続の準急に乗り換え、石清水八幡宮に到着。長らく「八幡市」という駅名だったが、観光客向けのアピールとして2019年に改名された。

八幡宮には石清水八幡宮参道ケーブル(こちらも、長らく「男山ケーブル」という愛称で親しまれていた)でアクセスするのが近いが、せっかくなので昔からの参道を行くことにしよう・・・。

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第65番「洞門寺」~広島新四国八十八ヶ所めぐり(65番を受け継ぐ寺院)

2023年07月20日 | 広島新四国八十八ヶ所

広島新四国八十八ヶ所めぐり、第63番・光明院、第64番・宝勝院と来て、私のスマホに入れている全国各地の札所めぐりの地図が掲載されているアプリ「かむ朱印」では、第65番として三輪不動院が示されている。広電の銀山町電停の近くにある。また白島まで戻り、白島線で八丁堀まで戻ってぶらぶら行く感じかな。

しかし、寺の情報を見ようと三輪不動院を検索すると、どうも様子がおかしい。そして、広島新四国の公式サイトを見ると、第65番は新白島の祇園新道沿いにある洞門寺と示されている。

その三輪不動院だが、いつしか廃寺になったそうで、2019年度に他の2ヶ所とともに札所寺院が入れ替わったとある。他の2ヶ所とは、第11番・養徳院(現在は安楽寺)、そして第85番・徳寿寺(現在は安養院)である。安楽寺は東区馬木にあってすでに参詣済だが、安養院は広島駅に近い東区曙にあるが、参詣はまだ先である。もっとも、80番台後半となると宮島島内の札所が続き、一応札所順で回る中、宮島に行ったかと思えばもう一度広島駅まで行かなければならない・・という事態となる。まあ、それはその時に考えるとしよう。

それに比べれば、新たな第65番・洞門寺が新白島にあるのはこれまでの道順からして何ら不自然ではない。宝勝院を出て、高級住宅も並ぶ中を歩き、新しい建物の寺に到着する。山門もなく、道路に面していきなり本堂、そしてその西側、祇園新道側に墓地が広がる。

この洞門寺の歴史だが、江戸初期に浅野家が紀州から広島に転封された時に始まる。藩主の浅野長晟の家臣に小野覚雲という人がいたが、長晟の広島入りを前にその準備を命じられ、見事にその役目を果たしたとして広島城の北にあった茶屋を含む一帯を与えられた。覚雲はここに屋敷を構え、自らを開基として屋敷の一角に小野家の菩提寺を建立した。これが洞門寺の始まりという。

しかし覚雲が亡くなったことで小野家が廃絶となり、後に同じ家臣の西尾家が継ぐ形で菩提寺となった。明治の廃藩置県で一般の禅宗寺院として開放された。

そして、こちらも広島原爆により諸堂が倒壊、焼失した。戦後、バラック造りから再建が始まり、現在の建物は2007年に再建されたものだという。

残念ながらこちらは本堂の扉が閉まっており、外から本尊阿弥陀如来に向かってのお勤めとする。上り口の横に朱印箱が置かれ、書き置きの朱印をいただく。

時間はまだ昼になったばかり。次の札所はそれこそ市街中心部にあるが、それは次に回すとして、交差点を挟んで南側にあるアストラムラインの城北駅に向かい、本通に出る。せっかくなので、どこかで昼飲みでもして札所めぐりを締めくくるとするか・・・。

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第64番「宝勝院」~広島新四国八十八ヶ所めぐり(こちらにも被爆樹木)

2023年07月19日 | 広島新四国八十八ヶ所

7月、連日厳しい暑さが続く。先の週末は16日~17日にわたり九州八十八ヶ所百八霊場めぐりに出かけ、そして18日~19日は出張で東京へ。九州、関東、いずれもアホかと思うくらいの暑さだった。まあ、久しぶりに東京でキンミヤ焼酎+ホッピー、焼きとんを味わえたし、東京駅では久しぶりに崎陽軒のシウマイ(弁当ではなく単品)と国技館やきとりを購入することができた。多少は暑気払いもできたかな。

その東京行きは仕事のことなので書かず、また九州めぐりの記事は相当後のことになりそうだが、どうせ暑さが続くのだし、もうゆっくり、ぼちぼち歩みを勧めればよいのではないかと思う。どうせ毎日しゃかりきになって記事をアップしても、ご覧になる方なんてごくごくわずかだし・・・。

話は7月初めの広島。広島新四国八十八ヶ所の第63番・光明院を訪ねた後、すぐ近くにある第64番・宝勝院に着く。同じ白島九軒町に位置し、まず目につくのは永代供養墓である。墓といえば、5月に亡くなった父親の墓をどうするかも考えなければと思う。まだ骨壺のまま、四十九日に合わせて誂えたミニ仏壇の前である。生前、具体的にこうしよう、こうしてくれというはっきりした話がなかったのだが、本家にある墓地も墓じまいを検討していることもあり、決めるにはもう少し時間を要することになりそうだ。

山門はなく、境内の正面に建つのは鉄筋コンクリート造りの本堂。

宝勝院は、毛利輝元が広島城を築いた折、広島城の鬼門の守護として掟明神社を造営し、その別当寺として開かれた。関ヶ原の戦いの後に広島に移った福島正則の手で寺領は縮小され、明治の神仏分離では掟明神社と分離された(寺の敷地の碇神社はその名残)。そして、原爆により諸堂は失われた。

中に入ると、先ほどの光明院に続いてここにも「被爆樹木」の案内板がある。ツバキとボダイジュである。爆心地から1820メートルの地で被爆したが、いずれも焼け残りから新たに芽吹き、移植されたものである。

現在の本堂、会館は昭和50年代の建立という。

建物の前に水子地蔵像が祀られており、祭壇には多くのお供え物があり、ローソクや線香も奉納できる。コンクリートの建物は関係者以外入ることができず、ここがお参りの場だと思い、ローソクや線香に火をつけて、ここでお勤めとする。また、広島新四国の朱印箱もあるのでここでいただく。

・・ただここで、朱印にある墨書に「阿弥陀如来」と書かれていたのを見て初めて気づいた。先ほど、てっきり水子地蔵が宝勝院の本堂だと思い、一連のお勤めをした。まあ、それ自体否定されるものではないが、ここで引き返すと本尊に参らずに朱印をゲットしたスタンプラリーと言われかねない。

正面の建物の2階に上がると、あっさりと扉が開いた。ただ閉め切っているので中は蒸し暑い。その中で改めてお勤めとして、本尊阿弥陀如来の真言も唱え、これで宝勝院のお参りとなった。

次は第65番・洞門寺。もう少し西に向かうことに・・・。

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第63番「光明院」~広島新四国八十八ヶ所めぐり(被爆ナツミカン)

2023年07月15日 | 広島新四国八十八ヶ所

7月に入り、雨と真夏日が繰り返される。今のところ広島市内はそれほどでもないが、九州北部や山陰、北陸、東北で大きな被害が発生。本当、毎年どこかの地域が回り持ちであるかのように被害を受けている。中国地方の鉄道でも、山陰線、美祢線に加え山陽線でも不通区間が発生しているが、中でも美祢線は橋梁がまるごと流されており、復旧の目途は立っていない。ひょっとしたらこのまま廃線・・ということも考えられる。

そんな7月初めの2日、広島新四国の続きである。今回は中区に入り、白島エリアを回る。

八丁堀から広電の白島線に揺られる。かつての京都市電の車両がガタゴト走る。終点の白島に到着。白島線は中心部のわずか1.2キロの区間で、基本的に八丁堀と白島の間を行ったり来たりする路線である。

終点の白島に到着。京橋川沿いに出て、新幹線、山陽線の高架下をくぐったところで第63番・光明院に到着する。山門はなく、門柱から境内一帯に木が生い茂る。

その奥にコンクリート造りの本堂がある。扉は閉まっており、外でのお勤めである。

光明院が開かれたのは江戸初期、浅野長晟が紀州から広島に入城した際に祈願寺として建立された。薬師如来を本尊として伽藍を有していたが、江戸中期の享保年間に火災のため焼失、すぐに再建されたが天明年間に再び火災に遭い、記録や什器類も失われた。

そして、広島の原爆である。本尊は疎開していて無事だったが、建物はことごとく焼失した。広島市街の寺院にとっては避けて通れない歴史である。その後仮本堂を経て、弘法大師遠忌1500年の記念事業として現在の本堂が建てられた。

本堂の扉の前に朱印が入った箱があり、セルフでいただく。

外に出ると「被爆樹木」の札が掲げられた木を見つける。ナツミカンである。元々は爆心地から約1700m、寺の南側にある山陽線の線路の土手にあったのだが被爆し、光明院の現在の本堂が再建されるのに合わせて植え替えられたそうだ。なお、画像は残っていないが本堂の前にあった石灯籠も被爆にも耐えたものだという。

原爆では、爆心地から半径2キロ以内の地域では建物とともに多くの樹木が焼失したという。その中で生き抜いた樹木や、あるいは焼け焦げた樹木から新たに芽吹いたものが約160本ほど「被爆樹木」として残っている。このナツミカンは今でも毎年実をつけるそうだ。

さて、次の第64番・宝勝院は光明院と同じ白島九軒町、すぐそこである。暑い中、そのまま歩いて向かうことに・・・。

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第62番「明星院」~広島新四国八十八ヶ所めぐり(赤穂義士も見守る波乱の歴史を持つ寺院)

2023年07月13日 | 広島新四国八十八ヶ所

広島新四国八十八ヶ所めぐり、6月17日はクルマで黄金山に近い第61番・妙光寺を訪ね、その後、広島駅近くの二葉の里に向かう。新幹線口の再開発も一通り済んだ中で、後は広島高速5号線の開通を待つばかりである。トンネルの掘削工事をめぐって住民との対立が続いているが・・。

その二葉の里に建つのが第62番・明星院。通りから路地を数十メートル入ったところにある。こども園が併設されていて、親子連れの姿も見える。

まずは新しい山門が出迎える。その脇に建つのは明星院大檀主の八木新兵衛の銅像である。

明星院が開かれた時期は定かではないが、毛利輝元が吉田郡山城から新たに広島城に移った時にはすでに存在していたとされている。そして関ヶ原の戦いの後で福島正則が広島に入った時、広島の多くの寺が領地を没収される中、明星院は祈願寺として扱われた。福島正則が改易され、広島藩が浅野氏の治世になるとまたも祈願寺となり、寺領も与えられて大いに栄えたという。広島城の艮の方角に位置することで、鬼門を護る意味合いもあった。しかし、江戸末期に火災により伽藍が焼失し、明治の廃仏毀釈で寺領は没収され廃寺同様となった。

ここで立ち上がったのが先に書いた八木新兵衛。毛利、福島、浅野の各大名の時代を通じた名刹が廃れるのを惜しみ、巨額の富を投じて、明治から大正にかけて本堂をはじめとした伽藍の再建を手掛けた。

しかし、この復興も原爆により灰燼に帰す。広島新四国八十八ヶ所にあってはどうしてもこの原爆がついて回る。本尊はあらかじめ難を逃れており、戦後になって現在の形で再び再建された。

仁王像が護る山門には平和の鐘があり、誰でも撞くことができる。現在のウクライナ情勢もあり、平和を願う黄色と水色の千羽鶴が奉納されている。

護摩堂を横に観て、その周りには毘沙門天をはじめとする七福神を祀るお堂もある。

風神雷神が祀られる中門をくぐる。山門の後に中門が続くとは、現在でもかなりの規模の寺院に映る。現在こども園になっているエリアはもちろん、先ほど通りから入った路地もかつては伽藍の一部だっただろう。

松並木の奥に本堂が建つ。扉が開いており、中に入ってのお勤めとする。本尊は千手観音である。

内陣に祀られる千手観音の両脇に並ぶのが、赤穂義士木像。赤穂四十七士に加えて、「忠臣蔵」で討ち入りを資金面で支援したと描かれる天野屋利兵衛の像も祀られている。これらの木像は明治時代に制作され、八木新兵衛が再建した伽藍の一つ「赤穂義士堂」に祀られていた。広島の浅野家は赤穂の浅野家から見て本家筋である。なおこの義士堂、原爆の時に倒壊したが、中の四十七士像は何とか耐えた。そして現在は表門隊、裏門隊と左右に分かれて本尊の千手観音を護っている。それにしても四十七士像、たまに寺で見かける阿羅漢像に見えないこともないなあ。

さて朱印だが、外陣におなじみの箱が置かれている。しかも3つ。右が明星院の朱印、そして真ん中が第26番・龍蔵院の朱印である。そういえば、二葉の里の北、牛田で参詣した際、朱印は明星院で対応する旨の貼り紙があったのを思い出した。

そして左の箱には、「中国地蔵尊霊場会」とのテープが貼られている。中国地蔵尊霊場・・・岡山から始まり、広島、山口、島根とめぐって鳥取で終わる札所である。これは中国地方一周のお誘いだろうか・・?

本堂を後にすると、水子地蔵、子授け地蔵、子育て地蔵と並び、こちらが中国地蔵尊霊場の本尊だという。うーん、独り者だし、子どもと関わることもないので、子授けや子育てといった地蔵尊めぐりはちょっとほど遠いかな。

その地蔵尊の脇には、被爆樹木のイチョウがある。樹齢約150年、原爆にも耐えて毎年秋には黄色く色づいていたが、その後の昭和、平成、そして令和にかけて落雷や台風で大きなダメージを受けた。調査の結果、内部まで腐食が進んでいることが判明したが、それでも生命を保とうと新芽を出し続けており、現在は内部に観音像を祀り、霊木として大切にされている。この霊木にも平和を願う千羽鶴が掛けられている。

広島駅から近いところにこれだけの歴史を持つ寺があるとは、広島新四国めぐりをするまで知らなかった。また、寺の由緒に触れることで近隣を含む広島エリアのさまざまなところを訪ね、この街を知るきっかけとなっている。

この後所用があるため、この日の札所めぐりは終了。続きの第63番からは広島市中心部をめぐることに・・・。

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第61番「妙光寺」~広島新四国八十八ヶ所めぐり(「ノーモアヒロシマ」の平和の鐘)

2023年07月12日 | 広島新四国八十八ヶ所

前の記事は神戸でのバファローズ戦の観戦記で、その前後には関西の神仏霊場巡拝の道めぐりでいくつか回ったのだが、そのことは改めて書くことにして、その前に訪ねた広島新四国八十八ヶ所めぐりについて触れる。

前回の巡拝からおよそ2ヶ月が経った6月17日、ようやく60番台に入った広島新四国八十八ヶ所めぐりである。この前までは広島市の東側、主に安芸郡エリアを訪ねていたが、また広島市に戻って来た。次の第61番・妙光寺は広島市南区である。

この妙光寺がある場所だが、黄金山の北側に広がる住宅団地の中である。少し北には国道2号線が走っていて、公共交通機関で行くなら、広島駅から仁保方面に向かう路線バスに乗れば近くまで行け、その後は坂を上るようだ。

なるべく公共交通機関に揺られたいところだが、この日はその後の予定も加味して、マイカーで行くことにした。西区からカーナビが示したのは、南側の黄金山通りからアクセスするルート。確かに、国道2号線側からだと狭い道ばかりというイメージがある。軽自動車なら何とかなるだろうが・・。

青空の下、黄金山通りの丹那町交差点から妙光寺に向かう。黄金山の北西側の住宅地からクルマで外に出ようとすると、こちらに出ざるを得ないようだ。そういうところに住宅地を広げざるを得ないのも広島の土地事情だろう。

坂道を上り、妙光寺の山門に到着。敷地横には広い駐車場がある。

境内に入ってまず目に留まるのは「総本山善通寺 瞬目大師御分身奉安所」の石碑。善通寺は弘法大師の出身地であり、「瞬目(めひき)大師」とは善通寺に祀られている大師像である。その昔、善通寺に土御門天皇が参詣した時、絵に描かれた弘法大師が目を瞬いたという。その分身を招き、善通寺広島別院としても活動しているという。

境内に入ると本坊にメロディーが流れ(ファミリーマートに入ったかのようだ)、それに気づいてか、住職らしき方が本堂のほうに出てくる。どうやら扉を開けてくれるようだ。ここは中に入ってのお勤めである。

「何か納経されます?」と訊かれて、貼り付けタイプの小サイズの朱印を所望する。その対応や、内陣内であれこれ開く準備をしている間にお勤めとする。「もうだいぶ回られていますか?」という話になり、札所番号順でようやく61番まで来たと言うと、それが本来の回り方という反応。いや、そのために広島の東西を行ったり来たりしているのだが・・。それでも、広島のさまざまなスポットに触れることができる点で八十八ヶ所めぐりは適しているとのお言葉をいただいた。

本堂の前に鐘がある。これは「平和の鐘」で、平和記念公園の「平和の鐘」を制作した香取正彦氏が奉納したという。毎朝、広島に原爆が投下されたのと同じ8時15分に撞かれるという。もう少し早く来ればよかったな・・。

ちょうど広島市街を南から見る場所である。また振り向くと黄金山も望むことができる。

境内の浦には、四国八十八ヶ所のお砂踏み、そして千羽鶴の石像が並ぶ。山号の「平和山」にあるように、平和を願う気持ちの強い寺院である。そう願いたいものだ。

さて、妙光寺を後にして、今度は幅の狭い道をクネクネと下り、近くの北大河町にある第50番・地蔵寺に向かう。こちらには以前参詣したが、その時に貼り付けタイプの小サイズの朱印が置かれてなく、尋ねるすべもなかったのでいったん引き上げたところだ。

かつて神仏習合のかたわれだったとおぼしき寺で、6月のこの時点では忌中の身であった私は神社を訪ねるのに躊躇されるところだが、一応寺院ということで石段を上った。今度は書置きの箱に小サイズの朱印があり、これで第50番もクリアである。

この後は市街地を北上し、広島駅を越えて二葉の里に向かう・・・。

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観戦記・バファローズ対ライオンズ@神戸・後編(花火はくすぶったが、投打に見事な試合)

2023年07月11日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

7月8日、神戸での花火ナイター。この日の神戸は曇一時雨の予報だったが、17時の試合開始時点では空も雨雲というほどではなく、何とか最後まで試合が行われる期待も膨らむ。

この試合はバファローズが山本由伸、ライオンズが高橋光成という両エースが先発登板である。山本の先発試合を観戦するのは今季初である。

まずは山本。初回は2者連続三振など上々の立ち上がり。

一方の高橋も初回は危なげなく三者凡退とする。

2回表の先頭は中村。ライオンズの4番打者といえば・・というのはアレだが、この人が健在というのがせめてもの救いだろう。何とか、2000本安打は達成してほしいなと思うが、この打席は全打球スイングで三球三振。

続くマキノンは四球で出塁したが、次の岸が内野ゴロでランナーが入れ替わる。そして佐藤がライトへのヒットを放つ。ここで、この試合で1軍昇格即スタメンとなった野口からの三塁への好送球が出る。三塁を狙った岸はタッチアウト。スタンドも大いに沸く。

その裏、頓宮、セデーニョが倒れた後、宗がヒットで出塁。先ほどから、後ろに座っている男性ファンの一生懸命な声援が飛んでくる。選手ごとの応援歌の歌詞を叫んでいるのはいいが、ライトスタンドの鳴り物と全然調子が合っていない。「音の不自由な人」と言えばそれまでなのだが、応援の熱意はあるので注意するわけにもいかず・・。

続く杉本が左中間への大きな当たり。フェンスを直撃し、二死二・三塁とチャンスを作る。

ここで打席は先ほど好プレーの野口。打球はセカンドの横を破り、右中間へ。2者が生還し、野口も三塁まで到達する。野口としても大きなアピールだ。

続く3回裏、一死から宜保が四球で出塁。そして続く紅林が、曇り空を切り開くかのような鮮やかな当たりを放つ。左中間の深いところへの2ランで4対0とする。これで俄然優位な試合運びとなった。私もその辺の人たちと久しぶりのハイタッチ。

この回にはセデーニョにもヒットが出たが、追加点とはならず。ちなみにこのセデーニョ、翌9日の大阪でのライオンズ戦では3ランを含む5打点、そして11日のマリーンズ戦では満塁本塁打と大暴れ。BCリーグ出身ということで、個人的には「カラバイヨの再来」といいたいところ。

屋外でのナイター観戦も久しぶり。時間はまだ早いのだが、ビールやチューハイも進む。外の通路を歩くが、キッチンワゴンにも長蛇の列ができている。

4点のリードをもらった山本はこの後も快投を続ける。一方の高橋も何とか踏ん張ろうという投球で5回裏まで来たが、先頭の中川が三塁打で出塁。追加点のチャンスで宜保が内野安打として、これで5対0。その後クリーンアップを抑えたのは高橋の意地であろう。

さて、5回が終わり試合が成立したところで通路に出て、この試合の特典である2022年パ・リーグ優勝の記念コインが配布されるブースに向かう。当初は開門直後からの配布を予定していたが、雨天のためノーゲームとなる恐れがあるのに備えて、5回裏終了後にずらした。早くも行列ができる中、私も無事に引き換えることができた。

そうして外に出たついでに、またアルコールを求める行列に並んだものだから隙間からしか見えなかったが、スタンドからの製塩、そして「地平を駆ける獅子を見た」が聞こえたのでライオンズに得点が入ったようだ。6回表、ライオンズは二死から源田の二塁打、鈴木のタイムリーで5対1とした。しかし山本はこの1点で切り抜けた。

高橋は5回で降板。6回裏は水上が三者凡退とする。

ライオンズのラッキー7も山本はあっさりと三者凡退。6回の1失点は仕方ないとして、それ以外は万全の投球である。勝ち投手の権利はほぼ手中にしたので、後はどこまで投げるかである。完投もありではないか?

バファローズのラッキー7。この試合は「神戸マクドナルド50周年」の冠試合で、7回裏終了前にはドナルドおじさんもグラウンドに出て盛り上げる。

7回裏は中川がヒットで出塁したが、その後の併殺打でライオンズ3人目・青山が三者凡退とする。

お待ちかねの花火大会。花火の死角となる三塁側内野席を除けばほぼ満席のスタンド。カウントダウンとともに花火が打ち上げられる。7回裏終了後といっても、この試合はテンポが速くて外はまだ真っ暗とまではいかず、また曇りのためか、花火の明るさは今一つに感じた(さらに、画像がショボいのは撮影者の技術のせいである)。それでも、神戸の花火というのを久しぶりに観戦することができたのはうれしかった。天気もよく持ってくれたものである。もっとお、この8日、9日というのは九州北部から中国地方にかけて線状降水帯が発生するくらいの豪雨となり、交通にも大きく影響が出ていたのだが・・。

大花火大会は7月23日。ひょっとしたら、その場に立ち会えるかも・・。

山本の調子が落ちることもなく、8回も下位打線ということもあり三者凡退とする。さて、9回はどうするか。CS中継だとイニングの合間にベンチの様子が映し出され、監督やコーチの声のかけ具合や、その場で握手するなどによって「このイニングまでかな」という予測もつくのだが・・。

8回裏はボー・タカハシがしっかり抑え、いよいよ9回表のマウンド。

改めて、山本の登場曲が流れ、スタジアムDJからも激励のコールが響く。よっしゃ、完投狙いや。

その山本に対し、源田、鈴木が倒れて二死。しかしその後中村がヒットで出塁し、マウンドに内野陣とコーチが集まる。

一応、ブルペンでは平野が投球練習をしていた。まあ、よほどのことがない限りは大丈夫だろうが・・。

最後はマキノンを空振り三振に打ち取り、試合終了。バファローズの連敗は2で止まり、山本は完投勝利でリーグトップの8勝目、そしてチームも混戦が続く中でまた首位に返り咲いた。いや、いい試合を観戦できた。

お立ち台は完投勝利の山本、1軍復帰後即結果を出した野口、そして貴重な2ランを放った紅林の3人が登場。私の今季(オープン戦を含めた)感染症率も3勝3敗1分と五分に戻した(それは別にどうでもいい話で・・)。

山本の好投もあり、試合時間は2時間35分で終了。帰りの地下鉄もそれほど遅い時間にはならなかった。

この夜は、神仏霊場巡拝の道めぐりの拠点ということで新大阪駅前に宿泊したのだが、地下鉄でつながる新神戸から新大阪まで、「のぞみ」に1駅だけ乗るという「暴挙」に。まあ、三宮で飲むことなく(本当なら、久しぶりに入ってみたい大衆酒場もあったのだが)、後は新大阪のホテルで翌日に備えつつ、勝利の余韻に浸ろうかなと・・・。

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観戦記・バファローズ対ライオンズ@神戸・前編(久しぶりの神戸で夕涼み)

2023年07月10日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

6圧の名古屋以来となるバファローズ戦の生観戦。訪れたのは7月8日、ほっともっとフィールド神戸でのライオンズ戦。8日が神戸で17時開始の薄暮試合、そして9日が大阪で14時開始のデーゲーム。神戸では花火も打ち上げられるとあって、神戸の試合のチケットを早めに押さえておいた。

なお、この観戦には神仏霊場巡拝の道めぐりも絡めており、スタジアムに来る前にも参拝をしていた。必勝祈願を兼ねて・・(またその巡拝については長々と書くことになる)。

8日は九州から山陰、北陸にかけて強い雨。神戸の天気予報も夜から雨の予報が出ていたが、スタジアム入りした時はかろうじて天気も持っていた。一応傘のほかにレインコート、そしてバッグを包む大型ポリ袋も持参している。ただ、「このような天候ですのでチケットの半券は(ノーゲームの場合払い戻しに必要なので)最後までお持ちください」のアナウンスが繰り返し流れ、またこの日予定されていた前売り限定のパ・リーグ優勝記念コインとの引き換えは試合成立の5回裏終了以降から実施との案内があった。

1塁側下段の指定席に陣取る。神戸での試合観戦は2021年のスワローズとの日本シリーズ第6戦以来である。あの時は11月末ということで実に寒く、いろんなものを羽織っても震えるくらいだった(震えたのは、寒さだけでなく試合展開によるところも多かったが)。そのことも思い出しながら席に座ったが、さすがは周りに緑が多い立地条件。日中の札所めぐりは非常にムシムシと感じていたが、スタジアムをほどよい涼しさの風が吹き渡る。最初こそ扇子をバタバタしていたが、しばらくするとその必要もなくなった。これも神戸ならではである。

この試合は途中で花火が打ち上げられるが、通常なら5回裏終了後のところ、17時開始ということもあって7回裏終了後の打ち上げと発表された。ちなみに、7月23日のファイターズ戦では「大花火大会」が催される。

バファローズの先発は山本由伸。試合前の練習でベンチから姿を見せると大きな拍手が起こる。まずはグラウンドでのウォームアップ、キャッチボールに始まる。

対するライオンズの先発は高橋光成。エース対決である。

野手陣も姿を見せる。森が試合中の負傷で離脱後、打線もいろいろとやり繰りが続く。BCリーグから加入のセデーニョも出場機会があり、またこの日からは茶野、福田に替わって野口、西野が昇格。

そしてスタメン発表。2番に宜保、3番には連続試合安打中の紅林。セデーニョも5番に入り、昇格したばかりの野口も即起用である。

山本もブルペンに入り、試合前の投球にも熱が入る。

この日はマクドナルドの冠試合。三宮に兵庫1号店が開店してから50周年ということで、病気と闘う子どもとその家族のための「ドナルド・マクドナルド・ハウス」の支援の輪を広げるとして募金活動も行われていた。ドナルドおじさんもセレモニーや試合中に登場して大活躍だ。それにしてもマクドナルド、久しく食べていないなあ・・・。

いよいよ試合開始。天気が最後まで持ってくれることを願いながらグラウンドに注目する・・・。

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第26回中国四十九薬師めぐり~鳥取にて満願の打ち上げ、そして「満願之証」授与

2023年07月07日 | 中国四十九薬師

中国四十九薬師めぐりが第49番・森福寺で満願となり、オプションとして若桜鉄道に乗車後、レンタカーで鳥取駅前に到着した。後は広島に帰るだけで、予約しているのは鳥取16時20分発の「スーパーいなば8号」。その発車まで2時間ほどある。

そこで、列車に乗る前の時間を利用して、改めて中国四十九薬師めぐり満願の一人打ち上げとしよう。向かったのは、鳥取駅高架下にある「三代目網元 魚鮮水産」。中国観音霊場めぐりの満願前祝いの時にも訪ねた店で、昼夜通し営業で昼飲みにも対応しているのがポイントである。

海鮮丼をはじめとしたランチメニューが中心だが、山陰の名物を含む一品料理もしっかり楽しめる。まずは、レンタカー運転終了後の大ジョッキ。いや~、潤うわ。

とはいえ、それほどたくさん食べられるものではない。あれから1ヶ月近く経ってからの記事だが、改めて食べたものの写真を見返すと・・猛者海老(モサエビ)はから揚げでいただいた。

他には鰰(ハタハタ)の一夜干し、長芋短冊・・、。うわ、前夜と同じものを頼んでいる。

その他アテとしてはカニ味噌(境港で水揚げされたカニ)、しじみの酒蒸し。これでいただくのは「日置桜 純米吟醸 伝承強力」(日本酒度+14)である。何だか、「日本酒度」が高ければ高いほどいいような思いに捕らわれているようだが・・。

ともかく、最後にもう一度日本海の幸を味わうことができて、これで四十九薬師めぐりも締めである。

食事については同じ高架下にある「砂丘そば」。

ほどよい時間となり、ホームに上がる。「スーパーいなば8号」は側線に停まっており、その前にホームに入って来たのは若桜鉄道からの直通列車。先ほど私が乗った緑色の「若桜」号の前に、青色の「昭和」号が連結されている。

若桜鉄道の車両がホームを離れ、その後に「スーパーいなば8号」入線である。指定席車両の最後部の座席を予約している。指定席、自由席とも空席が目立つ。そしていよいよ鳥取出発となる。

列車は郡家で若桜鉄道を分岐し、智頭からは智頭急行に入り、鳥取県から岡山県、そして兵庫県に入る。前夜、鳥取駅前で飲んだ後、夜の東浜駅(山陰線で鳥取県内最後の駅)に降りてみようと思ったが、結局寝過ごして終点の兵庫県に入った浜坂まで乗ってしまった。まあこの時は思わぬ形で兵庫県まで入ったが、「スーパーいなば」の場合は列車の運行じたいがいったん兵庫県に入って上郡まで行き、そこから山陽線に入る形だ。

・・・ただ、気づけば智頭も岡山県もすっ飛ばし、画像は兵庫県に入った佐用の姫新線ホームである。何だかもったいない気分である。

改めて、智頭急行の兵庫県内の千種川沿いの景色を楽しみ、上郡着。ここで進行方向が変わり、私が座っている最後尾の席は、先頭の座席となる。乗降用のデッキがないので、座りしままに前方の展望もばっちり楽しめる。これは途中のウトウトなどもったいない。別に先ほどの智頭急行区間内で寝入って体力を回復したわけではないが・・。

山陽線のこの区間は、「青春18きっぷ」の時季になると混雑で着席が難しい区間なのだが、こうして特急(の最前列)に揺られることに特別感をおぼえる。

「スーパーいなば」同士のすれ違いもある。時刻表によると、相手は「スーパーいなば9号」のようだ。

短い時間だったが架線下の気動車の爆走を楽しみ、終点岡山に到着。ここまで来れば、後は適当な時間の新幹線に乗れば広島までそれほど時間はかからない・・。

最後は鳥取から岡山まで「スーパーいなば」に乗ったことで、中国四十九薬師めぐりをベースとした中国地方一周も無事に終えることができた。それにしても、四十九それぞれの札所がさまざまな個性を持つ寺院だったし、千年以上の歴史を伝える寺から、現代のニーズに応える取り組みをする寺まであらゆる景色を見ることができたし、初めて知ったことも多かった。合わせて、組み合わせた中国地方各地のさまざまな景色、味、鉄道などなどを楽しませてもらった。

・・・さて、帰宅後に中国四十九薬師霊場会の事務局がある第28番・常福寺あてに住所氏名等を記載したハガキを送り、「満願之証」の発行を申請した。

そして郵送されたのがこちらである。A4サイズで、名前の箇所を含めて印刷されている。番号に「五二〇號」とあったが、平成のはじめに発足した霊場会で、令和5年の時点で満願が520というのは少ないように思う。地元の人たちを中心に、別に満願したところで証明書の申請などしない方が圧倒的に多いのだと思うが・・。

これで中国四十九薬師めぐりは満願。さて、次はどのような形で中国地方を満喫しようかな・・・?

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