まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第20回中国観音霊場めぐり~これにて中国一回り完結。そして・・・

2021年06月16日 | 中国観音霊場

国道53号線で岡山県に入り、奈義を過ぎて陸上自衛隊の駐屯地もある日本原を過ぎる。それにしても、日本原高原とは何とも雄大な名前だ。

勝北から県道に入り、やって来たのは因美線の美作滝尾駅。

昭和の初めに因美線が全通した時に設けられた駅で、その当時の木造駅舎が今も残っている。「昭和初期の標準的な小規模駅舎」という点が評価され、登録有形文化財にも指定されている。また、映画「男はつらいよ」のロケ地になったこともある。前回は列車で通過しただけだったので、今回久しぶりに立ち寄ってみることにした。

ちょうど訪ねた時はもう1台クルマが停まっていて、同じように駅舎見物に来ていた男性がいた。

駅としては当然無人なのだが、待合室は荒れることなくきれいに整理されている。こういうのは地元の人たちがボランティアで管理しているのだろう。ホームには花壇もある。

窓口や改札口の使い古した木の質感がいい。壁にはロケ当時の山田洋次監督や渥美清さんの写真パネルが掲げられているが、「美作滝尾駅ほど美しい駅はもう日本のどこにもありません」と、この駅をロケ地に選んだ山田監督の言葉が残されている。

そうした駅だけに、今もネットや雑誌でたびたび取り上げられる。私も中国地方一周、津山に来るのならということでこうして立ち寄った次第だ。

また、今は使われていないが貨物用の側線と上屋の跡もある。私は直接目にしたことがないのだが、昔はこうした小規模な駅でも貨物の取り扱い設備があり、小荷物の窓口もあった。その後、物流の仕組みが大きく変わったことでこうした小荷物の扱いもなくなったが、ここに来て、宅配貨物を新幹線やローカル列車、バス、タクシーに乗せる「貨客混載」が少しずつ増えている。利用客が少なく、採算が取れないローカル路線の維持と、運転手不足、環境対策を抱える物流業界の課題緩和が期待されている。

これで美作滝尾を後にする。この後は津山の扇形機関庫「津山まなびの鉄道館」でも訪ねようかと思ったが、市街地の東にある津山インターからそのまま中国自動車道に乗った。一応、これで中国観音霊場めぐりについては、おまけの部分も含めて結願とする・・・。

元号が令和になった直後の2019年6月に始めた中国観音霊場めぐり。当時は大阪に住んでいたが、日帰り、1泊2日での区切り打ちでシミュレーションしたところ、約20回で結願というルートとなった。実際のコース取りはいろいろ変わったが、20回で結願となったのは見立て通りである。最初は大阪からもっとも近い岡山県ということで日帰りが続き、広島県からは1泊コースとなった。

2020年に入ってからは新型コロナウイルス感染拡大にともなう緊急事態宣言で春の中国行きを中断したり、一方で夏のGoToキャンペーンの恩恵を受けたりと、世の中の影響もあった。

ただそれよりも一番の影響は、2020年の10月に私自身が大阪から広島に異動になったことである。札所めぐりとしては出雲にさしかかったところだが、これはもう、中国観音霊場各本尊のお導きとしか思えない。残りの島根、鳥取両県については広島を起点に出かけることになったが、札所へのアクセスもあり、これを機に公共交通機関利用の原則もマイカー利用も可とした。そしてちょうど2年かけて特別霊場含む37の札所を回ることができた。久しぶりの広島勤務の中、中国地方で久しぶりに訪ねるところ、また初めてのところとさまざまあり、地域を知るきっかけにもなった。

・・さて、中国道を走り、真庭パーキングエリアで少し遅めの昼食とする。そしてこのまま中国道で広島に戻ると見せかけて、北房ジャンクションから岡山道に入る。

実は、中国観音霊場めぐりを終えた後の企画として、もう一つ別の札所めぐりを始めることにしたのだ。今度は「中国四十九薬師めぐり」。また新たな中国地方一周の始まりとなる・・・・。

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第20回中国観音霊場めぐり~智頭の石谷家住宅

2021年06月15日 | 中国観音霊場

話はまだ5月30日。中国観音霊場めぐりをめでたく大雲院で結願した後、まだ午前中だが少しずつ広島に向けて戻ることにする。鳥取県の東部から岡山県に南下して、中国地方一周のほうも完結させる。ここからは番外編、おまけ記事だ。

鳥取市街から国道53号線を南下する。国道53号線は鳥取と岡山を結ぶ幹線道路だが、こちらにも鳥取道という無料の高速道路が整備されている。今回は久しぶりに下道を通ることにしており、その高架橋も見ながらの走行である。

途中右手に天守閣の建物が見える。河原城という建物で、因美線の車窓でも目にしたことがある。秀吉の鳥取攻めの時に拠点として使われた城で、後に廃城となったが、平成初期のふるさと創生事業で河原町(当時)が犬山城を模した天守閣を築いた。展望台として使われているそうだ。

因美線の線路に沿って走る。前日の芸備線~伯備線~山陰線と線路に近いところを走った後、この日は因美線沿いということで、それなりにローカル線の車窓に近い視点での走行である。こうやって線路を横に見ると、次はあちらの上を走りたいなとも思う。

大雲院を出てから1時間ほどで智頭に到着。鳥取県南東部の玄関口で、かつては宿場町として栄えた。現在も因美線、智頭急行が出会う交通の要衝である。無料の駐車場にクルマを停め、昔ながらの家屋が並ぶ集落をしばらくぶらつく。ここを訪ねるのも久しぶりだ。

その智頭でもっとも規模が大きく、文化財としても重厚な石谷家住宅を訪ねる。かつての智頭往来に沿って建つ。

石谷家は江戸時代からの商家、庄屋であり、明治以降は山林地主として栄えた家である。現在の建物は大正から昭和の初期にかけて改築されたもので、さまざまな工法、様式が調和していることで建築史としても貴重な建物だという。

その中でも立派なのが土間にかかる梁。上部まで吹き抜けになっていて、重厚な雰囲気と広々とした感じを演出している。これだけ丈夫な梁があれば多少の雪でもびくともしないだろう。

室内を見て回る。企画展ということで、ところどころに甲冑も置かれている。

1階は客間もいろいろあり、さまざまな意匠が凝らされている。一つ一つを回るだけでも結構大変だ。

面白いのが、庭に面した和室。中央に円座卓があり、その上にはガラスの天板が置かれている。その円卓の上にカメラを置くようメッセージがある。

それがこちら。見事なシンメトリーである。ちょうど光の加減がいいのだろう。

その景色となった庭も池泉式、枯山水と、コンパクトながら奥行きの深さを感じさせる。

2階は生活の間といった趣。立派な神棚(部屋と同じだけの幅がある)も備え付けられている。

開け放たれた窓から見る瓦屋根も風情を感じさせる。懐かしい日本の商家の景色。

敷地には蔵も並ぶ。かつては米蔵や味噌蔵、食器等の保管庫として使われていたが、現在は企画展示室として使用されている。

このうちの一つで、ちょうど最終日という「桑田幸人 牛の版画展」というのが開かれていた。倉吉で獣医を務める一方、牛をテーマに数々の版画を手掛け、多くの賞を受けた方だそうだ。ちょうど丑年ということもあるし、東日本大震災の時に放たれて生き残った牛を描いた作品もある。震災から10年、困難から一歩踏み出すという願いにも改めて触れてほしいとのことである。

別の蔵では「折り紙建築」の展示。「折り紙建築」とは、建築家の茶谷正洋(故人)が考案したもので、「飛び出す絵本」のように1枚の紙を開けるとさまざまな建築物や模様を浮かび上がらせるのが特徴である。石谷家住宅もその作品に含まれる。下図を考えるだけでも大変そうだが、テキストも世に出ているという。子どもにデザイン、数学、芸術への関心を喚起するよい方法だとしている。

ここで智頭を後にして、岡山との県境に向かう。

佐用方面に向かえば智頭急行と同じく関西への近道、一方国道53号線をそのまま進めば津山を経て岡山に向かう因美線~津山線のルート。智頭はその分岐点である。

那岐で因美線の線路とは別れ、カーブで高度を稼ぐ。鳥取道を行くクルマが多いのか、行き交うこともほとんどない。まあその中でも、峠を攻めるということでスピードを上げるクルマもいるので、慌てて退避して先に行かせる。

そして黒尾トンネルを抜け、岡山県に入る。こちらは奈義、那岐山を挟んで同じ「なぎ」という読みである。この那岐山は「古事記」のイザナギ・イザナミ伝説に由来すると言われているそうで、古くから鳥取側に「那岐」の地名があったのに対し、岡山の奈義は昭和の戦後に3つの村が合併してできた町名で、読みは那岐山から取ったにせよ、鳥取側で那岐の字が使われていたために、奈義の字を当てたのだという。

さてこの先、津山インターから中国道に乗るのだが、その前にもう1ヶ所立ち寄りたいところがある。石谷家住宅ほどの豪勢さはないが、こちらも素朴な田舎の表情ということで・・・。

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第20回中国観音霊場めぐり~第33番「大雲院」(とうとう結願)

2021年06月11日 | 中国観音霊場

第32番の観音院からクルマで5分ほど、いよいよ第33番の大雲院に着く。何度も書くが、これで中国観音霊場めぐりもおよそ2年かけて結願となる。

結願の札所というと、山奥で堂々とした伽藍があるとか、結願(満願)をアピールするというイメージがあるのだが、ここ大雲院は開放的である。道路に面して山門があるわけでもない。

大雲院が開かれたのは江戸時代。鳥取藩池田氏の初代・池田光仲は、曾祖父である徳川家康の分霊を日光東照宮から勧請して、鳥取東照宮を建てた。その別当寺として開かれたのがこの寺である。東照宮の祭礼を受け持つとともに、歴代徳川将軍の位牌も祀り、鳥取藩の祈願所の一つとして大いに栄えたという。

しかし、明治の神仏分離で東照宮の別当寺を解かれ、鳥取藩も廃藩となったことから、当時の末寺だったところに移転した。そして、戦前の鳥取大震災で堂宇が崩壊、さらに、戦後の農地解放で寺院収入の道が断たれ、震災復興のために境内の縮小も余儀なくされたとある。

今の本堂は、末寺の霊光院の本堂として江戸時代中期に建てられたもの。

本堂の扉が開いていて、自由に中に入れるようになっている。この後法要があるようで、それに参列するらしい姿も見える。正面には阿弥陀三尊像が並ぶ。阿弥陀如来を中央に祀り、その脇に中国観音霊場の本尊である千手観音を祀る。まずはお勤めとする。

本堂の中央にある阿弥陀三尊を囲むように仏像が並ぶ。西国三十三所の各本尊、33体の観音像である。その前には札所の砂が入った袋が埋め込まれていて、西国三十三所の文字通りのお砂踏みができる。阿弥陀三尊、そして三十三の観音像たちが並ぶのは極楽浄土の中心を表現しているそうで、また結願を歓迎するかのようである。これがあるから、中国観音霊場めぐりの結願札所となったのかな。

本堂の一角に納経所があり、まずは大雲院の朱印をいただく。

また、中国観音霊場めぐりの結願ということで、納経帳の余白のページに結願の文字を入れていただく。

そして、「結願之証」をいただく。名前、住所を書く紙を渡され、それを見て賞状に名前を入れていただく。B4サイズだ。封筒に入れて渡される。

今回、鳥取までクルマで来ることにしたのはこの「結願之証」のためである。他の人のブログ画像など見ると、このサイズはB4またはA3のようで、普段持ち歩くリュックには入らない。卒業証書を入れるような筒でも用意すればいいのだが、丸めたりせず、後部座席に置けばそのまま持ち帰ることができる。

ここには中国観音霊場の「33」をあしらったバッジ、そして祈願済の「満願之札」がつく。お札には「巡拝者がお亡くなりになるまで大切に保管してください」とあり、これは大事にしておかなければ。

寺の方から特に結願を祝っていただいたわけではないが、これでようやく一つの区切りがついたかなと思う。何だかほっとした。

2年にわかった中国観音霊場めぐりのまとめはまた後ほど行うとして、これから広島に向けて少しずつ戻る。無事に帰宅するまでが札所めぐり・・というわけではないが。当初は、鳥取か岡山まで出て、岡山駅前のミシュラン居酒屋で一人打ち上げを・・と思っていたが、この状況のためそれは断念。ただ、国道~高速道路を走りながらもう少し寄り道として、ある意味の中国地方一周の完結としたい・・・。

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第20回中国観音霊場めぐり~第32番「観音院」

2021年06月10日 | 中国観音霊場

明けて5月30日、この日の鳥取も晴天である。2年がかりとなった中国観音霊場めぐりの残り2つの札所も午前中で回ることにする。

コロナ対策としてチェックイン時に朝食の時間を選択することになっており、第1陣の6時半からを予約していた。この日はゆっくり出ればいいのだが、このところは休日でもそのくらいの時間には食事をとっている。部屋から朝日を眺め、大浴場に浸かった後に食事会場に向かう。

早々に食事とした後も部屋でゆっくりとして、チェックアウトは8時半すぎ。まず向かうのは第32番の観音院。鳥取駅から公共交通機関利用なら、市内循環バス「くる梨」の赤コースで、山の手会館前、または上町下車が最寄りのようだ。駅から徒歩で行けないこともない。ただ今回は、広島からクルマで来ることを選択したこともあり、この2ヶ所もクルマで回ってしまうことにする。

古くからの住宅が並ぶ一角に観音院がある。他に参詣の人もおらず、静かなたたずまいである。まずは本堂の前で手を合わせ、お勤めである。

観音院は江戸時代初期、岡山から鳥取に国替えとなった池田氏に伴って移った宣伝という僧の手で開かれた。当初は別の地に開かれたが、そこが御用地になったために現在地に移った。池田氏の祈願所の一つとして保護され、合わせて傾斜地形を活かした庭園が造られた。現在の観光情報では「観音院庭園」という名前で紹介されることが多い。

せっかく来たのだからと、納経所で庭の拝観をお願いする。靴を脱いで上がると、「中でお参りされますか?」と言われる。先ほどは本堂の外からだったが、これはありがたい。

本尊は聖観音で、そのお前立ちがお出迎えである。ここでもう一度お勤めとする。

庭園を見る書院に向かうと、ちょうど縁側の戸を全開にしているところ。緑豊かな庭園が目の前に広がる。

縁側のテーブルに抹茶が置かれている。一服しながらの庭園鑑賞。ちょうど案内の放送も流れてくる。寺の人が横についてガイドしていただくより気楽だ。朱印・墨書が入った納経帳も受け取る。

正面に広い池があり、対岸に築山、また後ろの山も借景としている。寺院の庭というと石の配置などで仏像や仏の教えを象徴することがあるが、ここ観音院ではそうしたことなく、明朗でわだかまりがない書院の池庭であることを強調している。

サンダルがあり、庭園の中も散策できる。池には鴨、鯉、亀が悠々と泳いでいる。池の水に周囲の緑がよく映えている。

片隅に何やら石が置かれている。門前に案内板があった「キリシタン灯籠」である。上部のふくらみは十字架を表したもので、中央には人の形が彫られている。鳥取市内に5基現存する灯籠の一つというが、藩の祈願所の境内にあるとは妙なものだ。鳥取藩がかくれキリシタンを容認していたのか。仮にキリスト教の禁令が解けた後にどこかから移したとしても、なぜここにあるのかなと思う。

静かな一時である。鳥取市内では知る人ぞ知るスポットなのだろうが、私としては中国観音霊場の一つだったから初めて知り、こうして訪ねることができた。これも観音さんのご縁かな。

庭園を辞去する。次はいよいよ結願の大雲院。カーナビではものの数分で着く・・・。

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第20回中国観音霊場めぐり~鳥取にて結願の前祝

2021年06月09日 | 中国観音霊場

緊急事態宣言の発令、延長の影響を受けて、連日のように飲食店がどうのこうのということが報じられている。現に私の近所でも6月1日までの休業が6月20日まで延長されたり、テイクアウトのみやっているとか、お好み焼屋はアルコールの提供を中止して時短営業とか、いろいろある。

そんな状況で、鳥取にて中国観音霊場めぐり結願の勝手に前祝である。

向かったのは、鳥取駅高架下にある「三代目網元 魚鮮水産」。何やチェーン店かいなと思う方もいるだろうが、この状況下、感染対策をきちんと行っているチェーン店のほうが安心ではないかと思う。事前に座席、そして単品飲み放題も予約していた。飛び込みで行ったら万が一断られるかもしれないが、事前に名前と連絡先を伝えておけば先方も安心だろう・・・(どこまでも自己弁護)。

4人掛けの座席に通されて、ともかく、ビールにて一人乾杯。一日お疲れさん。この後は飲み放題ということで手を変え品を変え堪能する。別に飲んだからといって大声を出すわけでもなく、誰かと会話するわけでもなく、その辺りは一人旅の利点である。感染防止には、「男は黙ってサッポロビール」でええのでは?(飲んでいるのはアサヒだが)

アテを頼むと、こうしたロボットが運んできた。「鮮ちゃん1号」というもので、こちらが皿を受け取って、頭をなでてやると元に戻る。これもコロナ対策、あるいは店員の負担軽減なのかなと思ったが、ロボットの登場はこの1回のみ。後は店員が自分で運んできた。グループの予約も入っていたようだが、店員の手が回らない・・というほどではなさそうである。

メインは刺身の盛り合わせ。山陰の幸として白イカがメインで、後はマグロ、イサキ、チカメ、サワラ、イカケ。聞き慣れない名前もあるが、このうち「チカメ」は「チカメキントキダイ」の略称、「イカケ」は「アラ」・「クエ」の別名という。いずれも似たような色合いだが、食べごたえあった。

山陰に来たからにはハタハタも欠かせない。塩焼きで美味しくいただく。他にも2~3品ほど注文。

ご飯ものは後で部屋で食するとして、しじみの酒蒸しである。これだけあれば効きそうだ。

さて、この店では「出世サワーチャレンジ」なるものがあった。私は通常の飲み放題(ネット予約で1100円)を頼んでいたから注文することはなかったが、これが正にチャレンジである。1杯目は小ジョッキ、2杯目は中ジョッキ、そして3杯目は大ジョッキとなる。いずれも値段は499円(税込548円)。ここまではいいとして、4杯目は1リットル入りの特大ジョッキ。さらに最後は、2リットルの「出世ジョッキ」が登場する。これも499円(税込548円)である。全部飲むと4リットル超えである。緊急事態宣言下での酒類提供禁止などどこ吹く風、さすがは鳥取県である。

よく見ると、仕切りの向こうの男女客のうち一人がこれに挑戦中のようである。聞こえてくる会話の様子だとカップルというよりは仕事仲間かと思われたが、その男性のほうが最後の「出世ジョッキ」に手を出した。店員が運んだ巨大なグラスは、(このところコロナのため見られないが)大相撲の優勝力士が記念撮影の時に注がれる杯のようなものである。一応シェアOKとのことだが、さすがにこの2リットルまでは手が出なかったようで、結局ほとんど残したまま席を後にしていた。SNS映えはするのだろうが、飲まないとはもったいない。

それはさておき、90分経過で飲み放題のラストオーダーとなった。比較的早い時間に入ったので、外もまだ若干の明るさが残る。ただ、駅構内はコンビニを除いて早々と閉店。

一人二次会は部屋で済ませるとして、ホテルに戻りもう一度入浴とする。漫画コーナーもあり、ここでゆっくりくつろぐこともできる。

さて、この前泊を経て、翌日5月30日はいよいよ結願となる。目指すのは鳥取市街地にある2つの札所。朝もゆっくりスタートすることができる・・・。

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第20回中国観音霊場めぐり~因幡の海岸、白兎神社

2021年06月08日 | 中国観音霊場

鳥取へのドライブを続ける。ようやく海に近いところを走る。ところどころに駐車スペースが設けられていて、そうしたところでちょっと景色を楽しむこともできる。この辺り、山陰線は海から離れたところを走るので、クルマならではの楽しみである。

井手ヶ浜という海岸に出る。「鳴り砂」のスポットであり、またサーフィンのスポットだという。海辺にも何人かが浮かんでいる。

こうした砂浜があるかと思えば、魚見台という高台も通る。昔、イワシの大群が押し寄せた時にここから大声で知らせたことからその名前がついたという。案内図には鳥取砂丘も描かれていて、遥か遠くに砂浜らしきものが見えるが、果たして。

また、貝殻節の歌碑もある。眼下の浜村海岸には30~50年周期でホタテが大発生し、ホタテをとるために「じょれん」という重い道具を使っていた。その労働歌だったのが貝殻節とある。

浜村海岸を抜け、東側にある龍見台に向かう。昔、この高台から日本海沖に竜巻が何本も見えたことからその名がついたという。

日本海の景色を満喫した後で着いたのが白兎神社。「因幡の白うさぎ」の舞台である。門前には道の駅「神話の里 白うさぎ」も併設されている。

白兎神社はその白兎神が主神とされ、大国主神の教えで蒲の穂にくるまって回復したことから、古くから皮膚病、傷病、動物医療にご利益があるとして信仰されてきた。

また、大国主神と八上姫の縁を白兎が取り持ったということで、縁結びの神としても信仰されている。白兎神社はそうした目的で訪ねる人が多いようで、カップルの姿も目立つ。

「因幡の白うさぎ」の話には、子ども向けには因果応報の教えが込められているという。うさぎがワニ(サメ、アリゲーターどちらでもいい)をだまして海を渡ったから噛まれて毛をむしられたとか、大国主神がうさぎを助けたことで八上姫と結婚できたとか。その一方では、私も前の中国観音霊場めぐりで触れたが、山陰の現地の人たち(ワニ)と外来の勢力(ウサギ)との争いがあったことが暗に含まれているとも言われている。

石段にはさまざまなポーズの白兎の像が並ぶ。そこに白い石がいくつも置かれている。これは「結び石」として、縁をつなぐ石だという。

白兎海岸に出る。ちょうど海上にはワニ・・・失礼、サーファーたちが浮かんでいる。天気が良すぎるのか、それほど波が立つようには見えず、たまに少し高いところでちょっと乗ってすぐに落ちるという程度。

この辺りは鳥取~広島の高速バスでも走ったところで、鳥取市街に向かう。朝の6時半に出発して、あちこち立ち寄ったこともあり、時刻は16時近くとなった。

この日の宿泊は駅前の鳥取グリーンホテルモーリス。10年あまり前に一度利用したことがある。その時は、引退間近のキハ181系使用の特急「はまかぜ」に乗りに来た。今回はクルマ利用ということで。ホテルが提携する近隣の立体駐車場に停める。

大浴場がついていて、早速一浴びする。この後は、中国観音霊場めぐりの結願の「前祝」として、鳥取駅前での一献である・・・。

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第20回中国観音霊場めぐり~日本海の恵み、彼の国からの風

2021年06月07日 | 中国観音霊場

5月29日、鳥取県西部から中部に差し掛かるところ、昼食ということで「道の駅ポート赤碕」に立ち寄る。駐車場には結構な数のクルマが停まっている。多くは地元鳥取ナンバーだが、その中には(私を含めて)いくらかの県外ナンバーも含まれる。関西方面のナンバーも見える。

さて食事だが、道の駅に隣接してその名も「海」という食堂がある。ここまでの沿道に「日本海を食べに来てごしなれ」という看板がいくつかあったが、その店である。

連日賑わう店とのことだが、この時は昼食のピークの時間をやや過ぎていたこともあり、待つこともなく入る。ドライブのグループ、家族連れで賑わっている。何を注文するかしばし迷う。壁にいろいろお品書きが出ており、定食もあるし、丼もある。また魚料理の単品もある。

結局、一番スタンダードで日替わりの「あみ定食」を注文。そしてせっかくなのでもう一品ということで、岩ガキを注文。岩ガキもサイズによって値段にバラつきがあるが、この時にあったのは「中サイズ」のみとのこと。

「あみ定食」(950円)はその日の刺身、フライ、煮付け、小鉢がセット。画像では何もないように見えるが、実は味噌汁の中にはエビが入っている。いろいろなものが少しずつ味わえるし、これ、クルマでの旅でなければ間違いなくビールでも注文したところだ。

一方の岩ガキ中サイズは850円。夏ということで条件反射的に手を出したが、うーん、定食と値段がほとんど変わらないというのは、コスパ的にどうだったかな。質より量ではないが、他の単品でもよかったように思う。岩ガキの値踏みは難しい。

道の駅に戻る。地元で上がった鮮魚の直売もある。こういうところで魚をまるまる1匹買って自分で捌くことができればいいのだが、あいにくそれだけの腕がないのが残念だ。

その奥に、韓国の歴史を感じさせる建物がある。「日韓友好資料館・韓国物産館」とある。なぜここで韓国なのかなと思いつつ、面白そうなので入ってみる。

まずは韓国の民族衣装が出迎え、展示スペースでは韓国のあれこれが並ぶ。

時は今から200年ほど前、1819年のこと。韓国(当時は李氏朝鮮)の商船が嵐で難破し、この赤碕に漂着した。この時、鳥取藩や地元の人たちが12名の乗組員を手厚く保護し、長崎まで送り届けて無事に帰国させたという話がある。国としては鎖国政策中だったが、清国や朝鮮とは交易があったし、土地の人たちも自然にふるまったのだろう。その時の乗組員の絵や、船長からのお礼の手紙などの史料も展示されている。

時代が下った1963年、韓国の漁船が船の故障で漂流し、赤碕に漂着した。この時も町の人たちの援助を受け、船も無事修理されて帰還することができた。それだけなら別にどうということもないが、漂流した1963年とはまだ日韓国交が正常化されていない時期である。それを踏まえると、当時の地元の人たちの対応はすばらしかったというのもうなずける。

こうした歴史もあり、日韓友好を願ってこの資料館を含めた公園「風の丘」が整備された。2003年のこと。

赤碕沖に漂着したのは風の流れ、潮の流れの影響だろうが、日本海を介した古くからの交流の歴史を感じさせる。かつての李承晩ライン、竹島問題、日本海の呼称(韓国が「東海」と呼ぶように国際的に訴えている問題)、さらには北朝鮮による日本人拉致など、現在も日本海を挟んだ問題もさまざまあるのだが、ここでは過去の温かい話を材料として、前向きな交流、友好をPRしている。公園が開かれた2003年とは、ちょうど「韓流ブーム」が湧き出した頃ではないだろうか。日韓友好はいいとして、ブームに乗ってこの町を盛り上げようということもあったのかな。

その友好の記念碑をはじめ、さまざまな建物、オブジェも並ぶ。新羅や高麗時代をイメージした灯籠もある。

記念碑にはハングルでの祝辞も刻まれているが、よく読めば「日本海」は「東海」と書かれているのかな。

最後に物産館をのぞく。韓国直輸入の食材、香辛料、グッズなども並ぶ。鳥取土産が変なことになったが、韓国海苔、パックの参鶏湯を購入する。実は参鶏湯は食べたことがないのだが、これから夏に向けての滋養食だという。いずれ食してみよう。

ちなみにこの「道の駅ポート赤碕」だが、すぐ横を山陰線の線路が走っていて、赤碕の一つ鳥取寄りの八橋から1キロほどのところにある。鉄道旅でも行けそうだ。

さて、国道9号線は山陰自動車道の大栄東伯インターで合流し、北条バイパスを走る。

山陰自動車道の整備も進んでいるが、その奥にはまたも風力発電の風車が林立する。地元の北栄町直営で、2005年に稼働を開始した北条砂丘風力発電所である。北栄町は「名探偵コナン」の町というイメージだったが、こうした設備があるとは初めて知った。

再生可能エネルギーの活用が言われている中で、町としてこれだけの設備を構えるのは立派だなあと思った。ただ、実態はめでたい話ばかりではないそうだ。発電設備の耐用年数は17年とされており、計算では2022年がその年となる。設備更新をどうするか、長い間町では議論されているそうだ。更新するにしても費用はどうするのか、また周辺住民への健康被害をどうするかというのが争点のようだが、まだ最終結論は出ていないようだ。

北条バイパスでそのままはわいインターまで進み、伯耆の国から因幡の国に入る。鳥取まではもう少しで、それまでの海岸風景を楽しむことに・・・。

 

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第20回中国観音霊場めぐり~鳥取西部を走る 川と山と風と

2021年06月06日 | 中国観音霊場

広島から県を跨いで鳥取に入る。国道183号線でそのまま日南町を下って行く。

やって来たのは道の駅「にちなん日野川の郷」。日南町は鳥取県の南の玄関口にあたり、広島・岡山の両県と接している。木のまちであり、農業も盛んなところだ。

売店コーナーにて地元産のコシヒカリ、そしてトマトジュースを購入する。トマトジュースで思い出すのは昨年の秋。「WEST EXPRESS銀河」の乗車抽選に繰り上げ当選し、朝を迎えたのが日南町にある生山駅。列車行き違いのために長時間停車となったホームでは地元の人たちのお出迎えがあり、そこで飲んだのがこのトマトジュースだった。ちょうど、朝のおめざにぴったり。

「WEST EXPRESS銀河」はこの夏紀勢線を走る。京都~新大阪~天王寺から夜の紀勢線を行くのはかつての「新宮夜行」をイメージさせる。これまでと同様、日本旅行主催のツアー列車で抽選方式だが、夏の旅としてダメ元でエントリーしている。

道の駅から少し走ると、伯備線の生山駅に出る。この辺りから国道180号線、181号線と重複、入り混じる。伯備線の線路とも並走するところで、ちょうど米子方面への列車も追い越して行く。

伯耆町に入り、伯耆溝口や岸本あたりでは大山の景色が望め、道端に展望駐車場もあるのだが、この日は雲が出ており残念ながらその雄姿を見ることはできなかった。

国道9号線のバイパスでもある山陰自動車道に出るが、あえて旧道を行くことにする。こちらのほうが日本海にも近いし、ちょっとどこかに立ち寄ることもできる。

早速というか、国道の両側に風力発電の風車が立ち並ぶ。山陰線の車窓から見たことがあるのだが、間近に来るのは初めてである。ちょうどトイレつきのパーキングエリアがあり、そこから眺めるのがちょうどよい。かつての大山ウインドファーム、現在は各地のローカルの風力発電所が統合した日本風力開発が運営している。

この中国観音霊場めぐりでも、江津や出雲で風力発電設備を目にすることがあった。山陰はそうした意味で恵まれた立地条件なのかな。

この先も順調に走るが、時刻は昼を回り、そろそろどこかで昼食とする。日本海の魚をPRする看板も見え、琴浦町に入った道の駅「ポート赤碕」に立ち寄ることにする。風力発電つながりか、「風の丘」という施設もあるようで・・・。

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第20回中国観音霊場めぐり~芸備線のローカル駅を訪ねて県境へ

2021年06月05日 | 中国観音霊場

中国観音霊場めぐりの結願を目指して、5月29日、鳥取に向けて出発。そのルートは中国山地を広島県から直接鳥取県に抜けるものである。

朝6時半に出発。国道183号線~国道54号線を走る。安佐南区、安佐北区は前回の勤務時でも営業で回っていたところだが、現在はバイパスも開通して可部の町を避けて順調に走って行く。

安芸高田市に入る。川の流れが太田川から可愛川(~江の川)に変わる。毛利元就が拠点とした吉田郡山城跡の麓も通る。

順調に走り、国道54号線から国道183号線に入り、出発から1時間半ほどで三次駅に到着。トイレ休憩を兼ねて駅の駐車場にクルマを入れる。ちょうど、キハ120の2両編成の広島行きが発車するところだった。

三次市から庄原市に向かう。三次から先は芸備線の線路と並走する区間も多い。しかし備後庄原までは1日7往復(うち2往復は土日祝日は運休)、その先の備後落合までは1日5往復しか走っていない。よほどタイミングが合わなければ列車の姿を見ることはない。

50年ほど前に騒動となった「ヒバゴン」の里を現在もアピールする西城を過ぎる。

国道沿いにある比婆山駅でいったん停車。列車に乗ったのではなかなか見られない駅舎を見ることにする。

「ヒバゴン」の名前の由来となった比婆山への玄関駅だが、ここ10年ほどの1日平均の乗車人員は1~3人、もちろん無人駅だ。神社の社殿を模した駅舎だが、建屋内はがらんとしている。

比婆山の次が備後落合。より一層山深くなり、西城川沿いにカーブが増える。芸備線は川の反対側を走るが、比婆山~備後落合間は営業キロが5.6キロのところ15分前後かかる。おそらく、JR西日本の「必殺徐行」の区間であろう。

その中で、ちらっと銀色の車体が見えた。備後落合を出たばかりの列車である。後で時刻表を確認すると、9時09分発の三次行きだった。木次線の木次6時45分発の列車と接続しており、一応「陰陽連絡」となっている。

その備後落合にも立ち寄る。今はこの駅も観光名所となるのか、駅前のスペースには何台かのクルマが停まっている。ちょうどドライブの途中で立ち寄ってみたという人がちらほらいる。

ホームに出てみると、ちょうど木次線の列車が発車を待っているところだった。9時20分発の木次行き。なんと、備後落合から木次方面への「始発列車」である。ちょっと乗ってみたい気もするが、本当に乗ってしまうと、備後落合に戻るのは14時33分のこととなる。

その木次線の観光列車に「奥出雲おろち号」という、ディーゼル機関車が牽引するトロッコ風の客車列車がある。この「奥出雲おろち号」だが、このたび、2023年度での運行終了が発表された。現在使用している12系客車の老朽化がその理由という。それに代わる列車が運転されるかどうかはまだ何も決まっていないようだが、他の路線のようにキハ47を改造した列車が出る・・・ことはないだろうな。

木次行きの発車時刻が近づくと、どこからともなく腕カバーとエプロンをつけた男性が現れる。何やら運転手と親しげに話をした後、列車が動き出すと両手を振ってのお見送りである。その姿で気づいたが、備後落合でガイドを務める国鉄OBの永橋則夫さんだった。ボランティアで駅の清掃などもされているそうだから、午前中はそうした作業、そして午後は「奥出雲おろち号」や普通列車でやって来る乗り鉄、観光客相手のガイドといったところ。

線路はこの先、木次線は奥出雲へ、そして芸備線は東城から新見へと続くが、国道183号線は一気に鳥取県を目指す。芸備線の橋梁にも出会う。県境が近づくと途中、狭い車線、S字カーブが連続する。

やって来たのは鍵掛峠(かっかけとうげ)。標高750メートルの表示もある。

そして県境を越える。県をまたいだ移動の自粛をというのを笑うかのように・・・。

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第20回中国観音霊場めぐり~結願に向けてあえて出かけます

2021年06月03日 | 中国観音霊場

話は先月、5月28日、全国10の都道府県に出されている緊急事態宣言の延長が発表された。当初5月31日までのところ、直近で追加された沖縄県の期間に合わせる形で6月20日までとされた。まあ、「どうせ延長だろう」という声も多かったと思う。

延長して6月20日までというのは東京五輪を無理やり開催させるためのものだし、ここまで来れば「緊急」でも何でもない。医療機関が大変というのもわかるし、気の毒だから飲食店を応援しなければということはないが、密にならず感染対策ができていれば、個人レベルでの県をまたいだ外出を自粛するというのはもういいのではないか。もう前倒しで、5月29日~30日には出かけることにする。

さかのぼって5月22日~23日、この日は第2回の九州西国霊場めぐりを予定していたが、6月中旬に延期した(代わりにJRでの広島県一周、広島新四国八十八ヶ所めぐりということで「県内」で過ごした)。当初は前倒しで九州に行こうかとも考えたが、さすがにそれはそのままにした。

代わりに、同じ中国地方である中国観音霊場めぐりの最終・鳥取シリーズを前倒しで行うことにした。関西、中国、広島、九州と、札所めぐりが多重になっているので、どれかを勧めることにする。もう、宣言期間中でもそうでなくとも、どちらでもいいでしょう・・。

目的地は鳥取。前回5月の大型連休の時に鳥取までコマは進めており、残すのは鳥取市街地に近い第32番の観音院、そして第33番の大雲院だけである。つまり今回で無事「結願」となる。第1番の岡山・西大寺を訪ねてから2年近く、ここで結んでおくのもいいだろう。

鳥取までどうやって行くか。これまでの札所めぐりで山陰線、そして因美線でも訪ねていることもあるし、一応接触機会を減らす意味で、広島からクルマで向かうことにした。この先、コロナとかは関係なくクルマにして正解だったと振り返る場面が出るのだが、それはまたいずれ・・・。

そのコースにしても、往路は有料の高速道路には乗らず、なるべく地道を伝っていくことにする。道中の景色もいろいろ見たい。「なるべく」と書いたのは、中国山地、山陰には無料の高速道路(自動車専用道)もあるので、場合によってはそうした道も利用することがあるからだ。

前夜に地図を見て、まずは国道183号線&国道54号線で県北の三次、庄原を抜け、そのまま鳥取県に入ることにした。鉄道では芸備線~伯備線~山陰線を斜めに結ぶ形だ。そして鳥取県では大山、日本海の景色も見つつ、夕方に鳥取に入ることを目指す。29日の夜は鳥取に宿泊して、翌30日に2ヶ所を回り結願。復路は国道53号線で津山まで出て、そのまま中国自動車道で広島に戻ることにする。ちょっとした東中国循環である。

そのつもりで、29日の朝6時半に自宅を出発。まずは広島の市街地を抜けて三次を目指す・・・。

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福塩線を行く

2021年05月28日 | 中国観音霊場

JRで広島県内を一周するとなると、広島、三次、福山の3つの駅を経由することになる。広島~福山は山陽線経由でも呉線経由でもいいが、一番のネックといえるのが福山~塩町(~三次)を結ぶ福塩線である。このうち、電化区間である福山~府中はまだ本数があるものの、府中~塩町(~三次)となると1日6往復しかない。自ずと、この区間の列車に合わせて前後の行程を組むことになる。

その6往復といっても、早朝・朝に3往復、午後1往復、夕方・夜に2往復。地元の人ではなく一般的な乗り鉄、乗り継ぎで訪ねるなら、府中発なら15時05分の三次行き、三次発なら14時43分発の府中行きに乗ることになる。

今回は府中から乗ることにして、記事の始まりは福山から。福山といえば老舗食堂の「自由軒」がある。大衆食堂ながら実質は日中から営業の大衆酒場で、「吉田類の酒場放浪記」にも登場した店だが、この状況での営業はどうなっているのかな。

まあ、それはこの記事を書くにあたり思い出したこと。

訪ねた5月22日、福山駅の高架下のショッピングゾーンの「さんすて」は臨時休業とあった。コンコースの照明も心なしか暗く感じる。

南側に出る。福山はバラの町。そして時季は5月、バラが咲きほこるところ。例年行われる「福山ばら祭」のイベントはコロナ禍で中止となったが、駅前ではたくさんのバラが花を開かせている。コロナがどうのこうのとあっても、時季が来れば花は咲く。それを見てどう思うかは人それぞれ・・。

そんな福山の山陽線ホームで列車到着時に流れるのは、加藤登紀子さんの「百万本のバラ」。

福塩線のホームに上がる。ちょうど福山城の石垣と対面するところで、現在天守閣は改修工事のためフェンスで覆われている。駅のホームから城の石垣を間近に見ることができるところは、全国的に見てもありそうでなかなかない。これから乗るのは14時09分発の府中行き。「府中から三次連絡」という案内が加わる。

折り返しでやって来たのは105系の2両編成。国鉄時代から継続して使われている車両で、かつては黄色の車体に青色の線が入った福塩線カラーだったのが、現在は岡山管内の電車共通の黄色オンリーである。

14時09分発、2両のロングシートは発車間際には座席が埋まり、ドア横に立ち客もあるくらい。高校生や若者の乗車が目立つ。元々私鉄線だったこともあり、短い間隔で駅に着く。駅ごとに客が下車していく。この時は私も途中ちょっとウトウトしていた。

14時51分、府中着。駅舎側の行き止まりの番線に停車する。終点ではあるが一番前のドアだけが開き、運転手が改札を行う。次の三次行きは・・と見ると、駅舎の改札口の前に1両のキハ120が停まっていた。確かボックス席は4つだけあったよな、ちょっと急いでみる。

・・ただ、車内に入るとオールロングシートのタイプだった。これなら恨みっこなしでどこに座ってもいい。乗客は12~13人くらいか。

府中を出ると芦田川を渡る。先ほどまでは比較的町並みも広がっていたが、一気にローカル線の車窓となった。すると出てくるのが時速25キロ区間。その筋ではJR西日本の「必殺徐行」と呼ばれるもので、中国山地のローカル線のいたるところで見られる。地盤が弱かったり、かつて落石や雪崩などの災害があったところで設定されている。

駅ごとで下車する客もいて、いつしか乗客は私を含めて6人となった。この辺りが福塩線でもっとも閑散とした区間と言えるだろう。そのうち、カバンを二つ持った年輩の方は用務客のようだが、それ以外はその筋の人たちのようだ。ロングシートに横向きに座り、前方を眺めている。ちょうどシートが3~4人ずつで区切られていて、その端がちょっとした背もたれにもなる。

上下に到着。定刻なら2~3分で対向列車が来るのを待って発車するところ、運転手が対向列車の遅れを告げる。これで10分ほどの待ち時間ができたので、一度ホームに下りる。福塩線最高地点の駅、標高383.7メートルとある。この辺りが瀬戸内の芦田川水系と、日本海の江の川水系に分かれている峠ということから「上下」である。府中から三次への列車も時間的にここが中間点である。

相変わらずのんびりした車窓を進む。田植えの時季で、ちょうど水を張った田んぼに山の景色が映える。

府中市から三次市に入った吉舎から少しずつ乗客が増える。3~4人ずつに区切られたロングシートは、高校生のカップルにとってもちょうど居心地がいい席配置と見える。

塩町で芸備線と合流。今回使用している「ひろしま1デイきっぷ」は芸備線の東城までがフリー区間に入っており、備北方面を訪ねるにもちょうどいい。

上下での対向列車の遅れがあったため、16時52分から数分遅れて三次に到着。この日はこのまま広島に向けて戻る。日の長い季節、どこまで外の景色が見られるだろうか・・・。

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第19回中国観音霊場めぐり~鳥取から広島に戻る、次は・・?

2021年05月18日 | 中国観音霊場

5月4日、鳥取駅前のバスセンターにて16時発の広島行きの便を待つ。今年の1月、広島から西国四十九薬師めぐりで城崎、香住と回って鳥取から戻るという循環ルートでも乗った路線。今回も往路は高速バス+鉄道、復路がこのバスということで、極力経路がかぶらない循環型に近い行程となったが、鳥取での一献は時間的にお預けだ。

前回来た時もコロナ禍の影響で鳥取発着の高速バスの運休、減便が行われていたが、この3月には日本交通等が運行していた倉吉・鳥取~東京便、米子~東京便が廃止となった(格安系の高速バスは残っているようだが)。首都圏の感染が収まらないことや、バスは換気が行われているとはいえ、やはり長時間同じ車両内で他の客と過ごすことを嫌ってか、東京都の行き来そのものが減っているのだろう。

待合室のベンチに座っていると、警察官がやって来てカウンターの係員が何やら話をしている。そういえば、先ほど外の乗り場にあるコインロッカーに荷物を取り出しに行ったところ、バス乗り場のベンチで5~6人ほどが大きな声でしゃべっていた。手には缶ビールなどもあったと思う。まあ、この程度の酔っ払い?はどこにでもいると思うが、最近話題になっている「路上飲酒」?ということで乗客かバスセンターの係員が警察を呼んだのかな。鳥取あたりだと特に敏感なのかもしれない。まあ、今のところ他の客に迷惑をかける様子はないということで、ひとまず様子見ということになったようだ。

広島行きの時間となり乗り込む。前回1月に乗った時は途中の倉吉からの客も含めて4人だけだったが、今回は連休中ということもあり定員の3分の2ほど、20人近くの乗客がある。電話予約で1人席を希望したところ後方の席しか空いてなかったことで、私のバス旅には珍しく後部座席での利用である。

これから広島まで5時間半の長時間乗車。最初の停留所である湖山(湖陵高校前)でも乗車があり、まずは国道9号線を走る。

白兎海岸の砂浜が現れた。今回、この景色を近くで見ようと、進行方向右手である1人席をリクエストした。先ほど鳥取砂丘では晴天だったが、駅に戻った辺りから少しずつ雲が出てきていた。ちょうど4日から5日にかけて天気の下り坂だった。そのため白兎海岸も曇りの景色でちょっと残念。画像では見えにくいが、この辺りは鳥取県内有数のサーフポイントということで、海面には黒いウェットスーツ姿のサーファーが何人も浮かんでいる。

その様子を見て、ふと「因幡の白兎」の話を思い出す。ちょうど白兎海岸だ。白兎がワニたちをだまして並ばせて海を渡り、後にワニたちから仕返しを受けて毛をむしり取られる。その後で大国主命に助けられるのだが、この「ワニ」について、現在では山陰でいうところの「鮫」という解釈が主だが、一方でクロコダイル、アリゲーターのほうの「鰐」も実際に日本海にいたという説もある。

鮫でも鰐でもどちらでもいいが、ちょうど海に浮かんでいる黒いスーツのサーファーの姿が「ワニ」を連想させ、ちょっとこいつらおちょくったろうか・・と他の地方から来た「白兎」がどこかにいやしないかと見渡してみる。「古事記」の記述について、白兎を渡来系の氏族、ワニを山陰の土着の氏族として、その間に抗争があった・・という解釈もあるようだ。

今回は海岸の景色を楽しむこともでき、青谷から山陰道に入る。因幡から再び伯耆の国に戻り、はわいで下車。

倉吉駅に到着。ここからも2~3人乗車した。前日に通った倉吉の市街地を走り、横綱琴櫻の像や、長谷寺開山1300年の幟も見る。

この先国道313号線を走る。1月の時より日が長いので、外の景色もまだまだ見える。遠くには大山の姿も認めることができる。この先の関金温泉の近くに旧国鉄倉吉線の線路跡が残る。この跡地、トレッキングツアーの時だけ入れるのかと思っていたが、ツアーの時に普段閉鎖している山守トンネルなどを開放するという意味で、ガイドなしでよければ屋外の線路跡は自由に入れるそうである。ならば前日時間を作って遠征してもよかったかな。いずれにせよ、今後につながる情報だ。

少しずつ高度を上げ、まだ十分外が見えるうちに岡山県に入る。美作三湯の一つである湯原温泉も経由するのがこの路線の意外なところ。

湯原から米子道に入り、上野パーキングエリアで最初の休憩。トイレ、自販機のみの簡素なパーキングエリアだが、トイレの建て替え工事も無事に終了した模様である。

落合ジャンクションから中国道に入るとさすがに外も見えなくなり、ここからが長く感じられる。

そんな中、七塚原サービスエリアで2回目の休憩。時間的にここが夕食タイムだが、15分休憩では店内での食事は難しく、売店で何か買うことができればというところ。まあ、もし適当なものがなくても鳥取駅で食事は仕入れているから問題ないのだが。

確かレストランがあったはずだが、目に入って来たのは牛丼チェーンの松屋。つい先日、4月26日にオープンしたばかりで、広島県の備北エリアでは初出店という。ただいくら牛丼チェーンといえども15分休憩では厳しく、周りを考えるとバスの中に持ち込むというわけにもいかない。まあこれは個人ドライブ向けの情報ということで(牛丼チェーンでも、松屋はあまり利用することがないのだが)。

長いドライブだったが特に渋滞等もなく、21時35分の定刻より少し早く、広島バスセンターに到着。この連休は山陰を楽しむということで満足いくものとなった・・。

さて、この記事を掲載した5月18日時点の話。3日間の行程を半月かけて長々と書いているうちに、世の中の動きが変わっている。ここからグチです。

今回の札所めぐりの5月2日~4日の当時、緊急事態宣言は東京、大阪、兵庫、京都の4都府県が対象で、期間は5月11日までだった。それが5月7日の決定で、4都府県は5月31日まで延長となった。さらに5月12日から愛知、福岡両県が追加されることになった。まあ、5月11日での解除は難しいのではという声も挙がっていたが、新たに対象区域が増えるというのはいかがなものかと。企業なら、見通しの甘さを追及されることだろう。

ここまではまだよいとして、5月14日になって北海道、岡山、そして広島の3道県が新たに追加され、5月16日からの適用となった。政府は当初はまん延防止措置を適用する方針だったのが、分科会であっさりと方針転換。本音としては広島追加かいな・・・。とりあえずは5月31日までの期間とあるが、前にも書いたが緊急事態宣言の安売りが本格的になってきた。そのうえ、他にも緊急事態宣言を出してもらおうと手を挙げようかという県がちらほらあるようだ。

広島県の緊急事態宣言を受けてか、今回乗車した鳥取・倉吉~広島の高速バスも5月22日から当面の間、運休するという。あらあら・・・。

それはともかく、次回がいよいよ中国観音霊場めぐりの最終回、結願となるところ。どういうルート、手段で行くことになるか、緊急事態宣言の動きも見つつ、今から検討である・・・(他の札所めぐりもいろいろあるが)。

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第19回中国観音霊場めぐり~渡辺美術館と鳥取砂丘

2021年05月17日 | 中国観音霊場

5月4日、今回の中国観音霊場の札所めぐりは終わり、後は16時発の広島行きのバスまでの時間を鳥取で過ごす。時刻は12時を回ったところ。

覚寺口からバスで鳥取砂丘に向かおうと思うが、30分以上待ち時間がある。この先「鳥取砂丘 2キロ」の標識もあるが、確かこの先砂丘までは上り道、途中にトンネルもあったように思う。ちょっとハードかなと思いバスを待つことにする。

国道9号線バイパスを挟んだ反対側に、先ほどバスで通過した渡辺美術館というのがある。これまで訪ねたことがなく、どういうところか検索すると、刀剣や甲冑などの展示があるとのこと。覚寺口の一つ手前が渡辺美術館前のバス停なので、バスの待ち時間にちょっとのぞいてみることにする。

渡辺美術館は、鳥取の医師である渡辺元が開いた。昭和初期に台湾に赴任していた際、台湾の仏像の美しさに感銘して収集を始め、以来60余年にわたりさまざまな地域、時代、分野の美術品、民芸品を収集した。来て初めて知ったのだが、その数約3万点に及ぶとある。これを収集するだけでなく、地域社会の教育・文化の振興や、埋もれた地域文化の顕彰のために美術館が設立された。

館内の展示物の写真撮影は自由という。さすがにこれらが国宝や国重要文化財ならば規制がかかるのかもしれないが、「歴史や文化に直接触れてほしい」というのが美術館のスタンスだという。

この時の企画展が「わが館のお宝展」というもので、史料保存の観点から長期間展示できない作品を期間限定で展示している。今回は合戦ものだという。

まず大々的に飾られているのが関ヶ原合戦図。江戸時代のもので、関ヶ原を描いた屏風は歴史の教科書などでも目にするところだが、この構図が珍しいのは、合戦の最終局面で島津義弘が東軍の正面を強行突破した「島津の退き口」を描いているところである。

他には、平家物語から宇治川先陣、義経の弓流れ、那須与一の扇の的といった場面を描いた作品も並ぶ。これらも江戸時代のものだが、物語の世界をどのように絵に表現するか、描き手の想像力、センスが映し出されるところである。

ここからは通常展。まずは因幡・伯耆を治めた鳥取藩池田氏の宝物が並ぶ。池田氏の祖は織田信長の乳母の子である池田恒興で、信長とも仲が良かった。その縁からか、家紋には信長と同じ揚羽蝶をあしらったものを使っていた。池田氏は後に分かれて鳥取藩のほかに岡山藩も治めていたが、家ごとに模様が異なるがベースは揚羽蝶だった。

そして美術館のコレクション・・・だが、そのスペースの広さに圧倒される。それでも展示されているのは3万点のごく一部で、定期的に入れ替えをしているという。

その中で代表的なのが甲冑類で、古くは鎌倉時代の作もある。

兜もさまざまな装飾が施されており、文字が書かれたもの、動物などをあしらったものなどさまざまだ。中には、武田信玄がかぶっていたとされる白い毛の「諏訪法性兜」などもある。かつての復元天守や歴史博物館に行くと当時の甲冑や刀剣が展示されることが多いが、ここまで多くの数が一同に会するというのもなかなかあるものではない。

甲冑の次は刀剣、槍、弓矢などの武具も並ぶ。

美術品のコレクションも多彩で、特に仏教美術に関するものに惹かれる。千手観音や阿弥陀如来があるかと思えば、日本のみならず中国、朝鮮半島、チベット、東南アジア、インド・・各地の大小の仏像もある。

その他、工芸品、彫刻、絵画、陶磁器、民芸品・・など枚挙に暇がない。最初はバスの待ち時間を利用してちょっとのぞいてみようか・・というくらいの気持ちだったが、ここまで来ると砂丘行きのバスを1本遅らせる。写真はこれでもかというくらい撮り、この記事に掲載しているのもその一部だが、ザっと館内を流してもさばききれないくらいの展示。展示品を一つ一つじっくり鑑賞するなら1日で終わるかどうか。

さすがに次のバスに乗らないと砂丘からの折り返しが厳しくなるので、途中で切り上げる形で美術館を後にすることに。そこで出迎えたのは数十体の甲冑たち。最後に甲冑と記念撮影ができるコーナーである。ここまでのサービス?の美術館、博物館など他にないだろう。それにしても、こうして昼間、照明の下で見る分にはいいのだが、夜、暗い中で見ると結構怖い光景ではなかろうか。戦で亡くなった武士・兵士たちの怨念がこもっていて、夜中になるとガチャガチャ動き出したりして・・・。まあ、展示されている甲冑の多くは平和な江戸時代に、美術品・工芸品の意味合いでつくられたものだとはいうが。

鳥取砂丘行きのバスに乗る。時間からして砂の美術館までは無理で、シンプルに砂丘を見るだけかなというところ。終点の砂丘会館では、駐車場に入るクルマが列をなしていた。5月4日、大型連休後半である。天候もいいし、中国地方のみならず関西方面のクルマも多い。ちょうどこの日は、東京、大阪、兵庫、京都の4都府県を対象として、5月11日までの期間で緊急事態宣言が出ていた。ただまあ、過去2回の発令時と比べれば制限も緩いし、世の中の自粛ムードも薄くなっているのは確か。砂丘でも関西弁が多く飛び交っていた。

帰宅後、翌5日のニュースで、「連休中は多くの観光客で賑わっていました」として鳥取砂丘の景色が流れていた。連休中に砂丘を訪ねた観光客もコロナ前の4割程度だったそうだが、それでも昨年に比べれば大幅に増加。しかし地元の土産物店の話として、売り上げが全然回復していないという。いつもなら「旅行に行った」として職場やご近所向けに土産物を買うところだが、やはりこのご時勢、行ったことを公言するのがはばかれるところがある。それもわかるなあ。

多少暑いが、せっかくなので馬の背を目指す。急な勾配、深い砂に苦戦しながら頂上にたどり着く。

多少人混みが密にはなっているが、ここからの日本海の眺めは絶景である。さらに急な勾配を下って海べりまで行く人も多い。私も昔、馬の背から海まで行ったことがあったが、今はそこまでの力はない。

今の楽しみは、この景色を見ながら鳥取の二十世紀なしを味わう・・。

しばらく佇み、砂丘会館まで戻る。鳥取一の名所に来たことでこの旅も締まったと思う。バスのほうもそこそこの乗客があり、そのまま鳥取駅まで戻る。これから広島に戻るのだが、それも長い道中ということで・・・。

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第19回中国観音霊場めぐり~特別霊場「摩尼寺」

2021年05月16日 | 中国観音霊場

今回、鳥取シリーズの前倒しとして特別霊場の摩尼寺に向かう。覚寺口の集落の先にある。まずは県道をてくてくと歩く。

ちょうど鯉のぼりもあがっている。そうするうちに寺まで2キロの案内板が建つ。

昔からの参道なのか、沿道には多くの石仏、石碑が並ぶ。あるところでは江戸時代から昭和までさまざまな年代の石碑が並んでいるが、ここに集めたのかな。それだけ昔からこの寺を目指す人が多かったのだろうか。

小川を挟んだ対岸にも石仏が並ぶ。これもかなり年数が経過しているようだ。

また小さいながらも丁石が並ぶ。「文化○○年」という文字も見え、歴史がうかがえる。こうしたものを見ながら歩くと四国の遍路道を思い出す。この先も緩やかな上りが続く。

いい天気で少し暑いとすら感じる中、バス停から35分ほどで門前に到着した。門脇茶屋、源平茶屋という2軒の茶屋があり、精進料理や山菜料理が名物という。先ほど歩いている時に何台かのクルマが追い越して行ったが、中にはここが目当てという客もいるようだ。

茶屋の先に石段がある。そういえば前日に訪ねた三佛寺の人が「この後の長谷寺も石段、摩尼寺も石段」と言っていた。この先300段の石段が続き、参詣用の杖も置かれている。

石段の横には摩尼山の案内がある。私がこれから目指す摩尼寺だが、元々は山全体が信仰の対象で、山頂にある立岩は帝釈天降臨の霊地とされている。これを回るハイキングコースがあり、ハイカーらしき人の姿も見える。本来なら山頂まで行ってこそ摩尼寺に参詣したことになるのだろうが、そこまでの準備がないので寺の本堂まで行って中国観音霊場めぐりとする。

石段を上るが、灯籠が倒れていたり上部が失われているのが目につく。1943年に鳥取で発生した大地震で倒壊したというが、それから80年近く経過しても倒れたのがそのままというのはいかがなものかと思う。

石段の途中で山門に着く。「中国観音特別霊場」のほかに「帝釈天出現霊場」と書かれている。その昔、この辺りの長者の娘が帝釈天に化身して「この峰に鎮座して永く仏法を守り、衆生を救済しよう」と告げた。その帝釈天が出現したとされるのが摩尼山の頂上にある立岩で、後に慈覚大師円仁が寺を開いたのが摩尼寺の始まりである。しかし豊臣秀吉の鳥取攻めの際、摩尼寺も破壊されてしまう。

江戸時代、池田氏が鳥取藩を治めるようになって、鳥取城の鬼門を護るということで現在の場所に寺が再建された。

この上も石段が続くが、横の石碑も倒れている。これも1943年の地震?・・ではないだろう。

石垣がそびえ、城のような構えの門から境内に入る。赤い石州瓦が日に照らされて輝いている。

本堂に向かう。扉が開いていて、中に入ってのお勤めである。本尊は帝釈天と千手観音。その両脇に四天王が祀られている。その他の諸仏もあり、歴史と格式を感じさせる。

他にもお堂がある。閻魔大王を祀る閻魔堂や、伝教大師、弘法大師、慈覚大師を祀る三師堂がある。先ほど訪ねた長谷寺と同じく、こちら摩尼寺も天台宗の寺院なのだが、真言宗の弘法大師像も一緒にいるというのは何かわけがあるのだろうか。同じ平安仏教つながりで、教義も融合されているものがあるかもしれない。

奥には如来堂ということで、長野の善光寺の分身と虚空蔵菩薩が祀られている。さまざまな信仰の対象のようだ。この如来堂の正面から、境内を経て奥のほうに日本海をちらりと見える。その手前に砂地が広がるが、ひょっとして鳥取砂丘だろうか。

如来堂の裏が、さまざまな地蔵が並ぶ法界場である。ここから奥の院に当たる立岩への登山口となるが、そこまではいいかなと思う。その前に、熊に注意との立札があるのも気になる。

ここで折り返しとして朱印をいただく。文字は「千徳殿」とある。

帰りは下りということで足取りも軽く進む。さてこの後だが、摩尼寺口のバス停は本数が限られているので、もう少し進んだ覚寺口のバス停まで行くことにする。このまま鳥取駅に戻れば、帰りの広島行きのバスの時間までに残り2ヶ所を回り、この大型連休で一気に結願とすることができる。ただそこは最後、鳥取での祝杯も含めて取っておくことにしている。

ならば、ということでせっかく来たので鳥取砂丘に向かうことにする・・・。

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第19回中国観音霊場めぐり~倉吉で1泊、次は鳥取の札所へ

2021年05月15日 | 中国観音霊場

5月3日、2つの札所めぐりを終えて早い時間にホテルにチェックインする。

この日宿泊したのは駅から徒歩3分の「ホテルアーク21」。最上階に大浴場(温泉ではないが)があるのがポイントとなった。もっとも男女入れ替え制で、男性が入れるのは夕方~夜だけだが。

フロントには「大相撲 横綱大関来館!!」と掲げられている。平成27年(2015年)の秋巡業が倉吉で行われた際、このホテルの大浴場を利用したそうだ。やって来たのは横綱白鵬、鶴竜、そして当時大関だった稀勢の里。夕方に大浴場を利用した際、こちらには「横綱大関浴場」の貼り紙が記念に飾られていた。やはり番付最上級の力士ということで特別に用意したのかな。

部屋に入り、この日はネット環境も整っていたのでNHKでプロ野球のデーゲーム(ドラゴンズ対ベイスターズ)を流しながら、パソコンでブログ原稿書きである。まだ、4月末の津和野行きのところでなかなか追いつかない。

そうするうちに時刻は17時。今回は倉吉で一献ということで外に出る。向かったのは山陰といえばということで「炉端かば」。米子、浜田に続いて3店目の利用である。

入店時に検温、アルコール消毒、まあこれは今時当たり前として、席に着くと一人ずつ氏名と連絡先を記入するよう求められる。ただ世の中にはこういうのを嫌がる人が一定数いるのだろうな。

今回もカウンターを予約。地酒の飲み比べと赤天のセットがサービスでついてくるプランがあり、予約が必要だがお一人様でも利用できる。突出しは別に出てきて料金が発生するが、地酒2杯と赤天がサービスということで、これはおすすめである。

「なかなか飲めないものを選びましょう」と店の方が持って来た2種類は「日置桜 青水緑山 特別純米」、もう一つが「いなば鶴 五割搗き 強力」。いずれも飲みやすいところである。

「かば」の名物は2人前から受付の「桶盛り」だが、1人前もできる。シンプルに4種盛り。

代わりといっては何だが、隠岐の島産の岩ガキも注文。むしろこちらのほうに山陰らしさを感じる。冬の瀬戸内の真ガキ、夏の山陰の岩ガキ、中国地方には季節ごとの楽しみがある。

野菜部門では奥出雲のシイタケ焼き。歯ごたえあり、しっかりした味だ。

この後は、大山の地酒「八郷」を使ったアサリの酒蒸しや、締めには海苔もちなどいただく。時間が経つにつれて店内には次々と来客があり、賑やかになる。

しかるべく飲み食いしてホテルに戻り、最上階の大浴場へ。巡業では横綱大関も浸かった浴槽に入り、窓の外に広がる倉吉の夜景を眺める。この後はホテルでのんびりと・・。

・・さて、翌日5月4日。この日は今回の最終日である。連休はもう1日残っているが、それは完全オフ、休養に充てることにしている。

この日は鳥取まで出て、16時発の広島行きの高速バスで戻ることにしている。中国観音霊場めぐりとしては、それだけ時間があれば鳥取市内の残り3ヶ所を回って結願とするのはわけないが、あえて、特別霊場の摩尼寺だけ訪ね、あとの2ヶ所は最後に取っておくことにする。中国観音霊場めぐりでは各県のいろんな景色を見ようということもあり、夏にさしかかった時季に行く予定にしている。

ホテル併設の居酒屋にてシンプルな和定食の朝食。

部屋でゆっくり支度した後、8時33分発の鳥取行きに乗る。列車は8時08分に到着してほとんどの客が降りた後に乗り込む。発車までしばしのんびりする。

ガラガラにて発車。日本海もちらりと眺め、北前船の寄港地だった青谷を境に、伯耆の国から因幡の国に入る。

宝木で列車の行き違い停車。そこにやって来たのが、鳥取から出雲市に向かう「あめつち」。列車からはこの日も「SUN-IN」の景色を楽しめることだろう。

ガラガラだった列車も、因幡の国に入ると駅ごとに乗客が増え、出入口付近に立ち客が出るほどになって9時43分、鳥取着。

中国観音霊場めぐりのゴール地である鳥取。結願の乾杯は次の機会に取っておくとして、今回は一つだけ離れたところにある摩尼寺を回ることにする。

交通機関を調べたところ、駅前のバスターミナルから日本交通の北園線というのに乗り、摩尼寺口バス停で下車、そこから徒歩40分・・・とある。1~2時間に1本、土日祝日は一部減便というダイヤのところ、バスターミナル10時ちょうど発というのがあった。

路線バスは、途中の覚寺口までは鳥取砂丘に向かう系統と同じ道を走る。この後の行程にもプラスになりそうだ。ここで脇道に入り、数百メートル走って摩尼寺口に到着。後は、ここから寺に向けて歩くことに・・・。

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