まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第38番「国分寺」~広島新四国八十八ヶ所めぐり(西条酒蔵めぐり)

2022年04月28日 | 広島新四国八十八ヶ所

八本松の並滝寺を訪ね、芸陽バスの志和循環線に乗り続けて山陽線の西条駅に到着。駅前の看板には西条が誇る酒の銘柄がずらりと並ぶが、まずは広島新四国ということで橋上駅舎を通って駅の北側に出る。これから目指すのは第38番の国分寺である。

駅前に石州瓦の立派な本堂や門を構える寺があり、山陽線で通るたびに目につくのだが、これは教善寺という浄土真宗の寺で、室町時代に開かれたという。

線路に近いところの住宅地を抜け、東へ10分ほど歩いたところに国分寺がある。その名前からわかるように、奈良時代に聖武天皇の勅命で全国に開かれた国分寺の一つである。その後、律令制の衰えとともに国分寺も衰退していったが、その後再興、後継されたことで現在も結構多くの国に国分寺と名の付く寺が存在する。広島県でいえば、中国四十九薬師めぐりで訪ねた神辺にある備後の国分寺、そしてここ西条にある安芸の国分寺である。いずれも山陽道(西国街道)沿いで、古代から開かれた場所だったという。

安芸の国分寺の歴史は平安時代以降不明なところもあるが、室町時代には大内氏、毛利氏の保護を受けており、現在の山門もその当時の建物だという。そして江戸時代には浅野氏の祈願寺とされた。

正面の本堂は2004年の再建と新しい。扉が開いていることもあり、中に入ってのお勤めとする。本尊は薬師如来。

朱印は庫裡の外でいただく。なおここに「宿坊受付」の文字があるが、宿泊もできるのだろうか。

ここ安芸国分寺一帯は歴史公園として整備されている。現在本堂が建っている場所はかつての金堂跡で、先ほどくぐった山門は奈良時代の中門、もしくは南大門があったとされる。

今は住宅も建っているが、本堂から西に行くと塔跡があり、礎石も残されている。

金堂の北に講堂、僧坊、国師院などの跡がある。この一帯は広場となっていて、地元の子どもの遊び場にもなっている。戦前から戦後にかけて発掘調査が行われ、各地の国分寺の中でも奈良時代の開創当時の伽藍の跡が明らかになったとして貴重なものだという。発掘の結果、東西の長さは約250メートルとかなり長かったことがわかった。

その公園内には発掘調査から推測した当時の伽藍の模型が展示されていて、当時の様子がうかがえる。

安芸の国の古い歴史が残る貴重なスポットだと初めて知ったことで一つ勉強となり、国分寺はここまで。この後は案内板に従って、ある矢印の方向に向かうことに・・・。

・・・山陽線の踏切を渡ると「福美人」、「賀茂泉」といった赤レンガの煙突が目につく。西条の酒蔵通りである。

元々西条は西国街道の四日市という宿場町だったが、江戸時代から酒造りが行われ、明治から大正にかけて一気に全国的に有名になった。今も広島を代表する銘柄の酒蔵が並ぶところである。駅に戻りながらその風情を楽しむことにしよう。

酒蔵の間には最近建てられたらしい一戸建て住宅やマンションが並ぶ。伝統的な酒造施設を守りつつも、広島のベッドタウンとして開発が進む西条近辺での宅地造成を両立させたように見える。

賀茂泉酒造の前に出る。見学は原則平日のみのため扉は閉まっていたが、少し先の酒泉館で試飲と販売を行っているとある。それに従って進むと、昔の洋館に出る。ここ酒泉館には日本酒に関する蔵書が閲覧できる「お酒図書室」のほかに、「お酒喫茶」がある。

賀茂泉のさまざまな種類の飲み比べセットがあり、吟醸酒の5種飲み比べをいただく。フルーティなものから古酒まで、だんだん濃くなる味を楽しむことができる。

よい心持になって通りをぶらつく。その酒蔵に挟まれる位置にある広島新四国第59番の福寿院に出るが、原則札所番号順でめぐっているので今回は訪ねない。でもまあ、裏を返せばもう一度西条酒蔵通りに来る楽しみがあるわけで・・・。

西条(四日市)の本陣跡に隣接するのが賀茂鶴酒造。広島の中でもっとも有名な銘柄といっていいだろう。酒蔵を改装した見学室があり、酒造りに関する展示がある。

エントランスにはアメリカのオバマ大統領(当時)が広島を訪ねた時に振舞われたという賀茂鶴ゴールドの展示。ケースに収められた数々の瓶が、ふと京都の三十三間堂に並ぶ観音像を連想させる。

酒造りの道具などが並ぶ中、昭和の古き良き時代調の歌が流れる。賀茂鶴の社歌「世界に伸びゆく」で、作詞・西條八十、作曲・古関裕而、歌・村田英雄、コロムビア・ローズという当時の豪華メンバーである。「賀茂鶴 賀茂鶴 われらの賀茂鶴 たくましき羽ばたきに 未来へ翔ける われら われら」。

こちらでも無料ではなく有料の試飲がある。限定銘柄をスィーっといただいた後で、せっかくなので賀茂鶴ゴールドを購入し、今回のお土産とする。合わせて、入口にあった仕込み水も汲む。この水も、西条の酒を有名なものにした大きな要素とされている。

西条には他に郷土料理「美酒鍋」を出す店もあるし、西条の酒が楽しめる屋台村もある。夕方に訪ねてこうしたところを楽しむのもいいかなと思う。

先ほどは酒の飲み比べだけで昼食はまだだが、そのまま山陽線に乗って帰宅とする。

ホームに下りるとちょうどここまで貨物列車を後ろから押してきた機関車が切り離されたところ。貨物列車はそのまま三原方面に向けて動き出し、機関車は広島貨物ターミナルに単騎戻る。この機関車の回送も地味な作業である。

広島新四国八十八ヶ所めぐりはこの後は白市、河内とさらに山中に向かうことに・・・。

コメント (2)

第37番「並滝寺」~広島新四国八十八ヶ所めぐり(江戸時代からの茅葺き屋根残る境内)

2022年04月26日 | 広島新四国八十八ヶ所

広島新四国めぐりは広島市を離れ、東広島市に入る。霊場会では「賀茂コース」と呼ばれているところで、しばらくは東広島市内を回る。その後は呉市、熊野町と広島の東側をめぐる。広島郊外のお出かけが続くことになる。

そういえば、前回の広島勤務時、賀茂地域は素通りばかりで訪ねたことがほとんどなかったと思う。もう20年前のことだが、20歳代と今とではお出かけや旅の目的、対象も変わっている。まあ、今のように札所めぐりを通して広島市内、近郊をいろいろ見ることにはつながっている。

まず向かうのは第37番の並滝寺。山陽線の八本松が最寄りだが、駅からは離れている。クルマで行くことも考えたが、霊場会のホームページによると芸陽バスの兼持から徒歩30分とある。バス停は国道2号線から白木に抜ける県道にあるようだ。

その芸陽バスの時刻表を調べると、八本松駅から志和地区を循環する系統がある。東回り・西回りとあり、それぞれ交互に運行されているが、いずれにしても本数が少ない。その中で、兼持バス停から並滝寺まで徒歩で往復することを考えると、八本松駅8時05分発の東回りに乗り、兼持8時16分着。そして兼持10時21分発の同じ東回りで志和地区を回って八本松駅に戻るのがよさそうだ。八本松駅に戻るなら西回りが近いのだが、11時過ぎまで便がない。

4月23日、山陽線の白市行きに乗る。前回訪ねた安芸中野を過ぎ、瀬野から上り勾配の通称「セノハチ越え」に差し掛かる。10キロの間に約200メートル上るということで、今の電車なら問題ないが、長大な貨物列車は広島貨物ターミナルから西条駅まで列車の最後尾に機関車をつけて後ろから押して上る。今では全国唯一といっていいだろう。先日は、国鉄時代から活躍していた種類の機関車が引退したことで地元ではニュースになっていた。

東広島市に入り、八本松に到着。改札横に「みどりの窓口」の古い書体らしきロゴマークが見える。

駅前のロータリーに停車中のバスに乗る。東広島バイパスへ続く溝迫交差点を過ぎ、県道に出て山陽線の線路を跨ぐ。さらに山陽自動車道の下をくぐり、兼持に到着。

周囲は田畑の中に石州瓦の赤い屋根が目立つ。東広島に来て、景色も新しいものになったように思う。交差点には並滝寺へ3キロとの看板も出ている。

朝自宅を出た時ははまだ1枚羽織るものがあったほうがよかったが、ここに来て気温も上がり、体を動かすと汗ばんでくる。緩やかな坂を上っていく。昔は棚田も広がっていたのだろうが、太陽光パネルも多く建てられ、またその向こうには物流センターの拠点が並ぶ。そちらのエリアにはトラックが行き交っている。志和インターに近いこともあるのだろう。

その一帯を抜け、並滝寺まで1.5キロという手書きの看板が見えた辺りから勾配が少し急になる。この辺りも豪雨に見舞われたのか、流木や石が積み上げられている光景もあれば、これは流されたものか不法投棄か、電化製品や家具類が積み上げられたところもある。

そのまま進むと並滝寺池というのに出会う。江戸時代中期に農業用水として築かれた人工の湖で、第二次大戦中に再度築造されたとある。今は晴天が続いているためか、池の水も少なく干上がっているように見える。ここまで来て並滝寺の幟が目につき、ようやく寺に近づいた。バス停からここまで40分ほどかかった。

旅館らしき建物の前を過ぎ、地蔵像に出迎えられてもう少し山道を行く。そして山門の下に出る。かつてはこの石段の下に参道が続いていたのだろうか。子供坂、男坂と続く石段を上るが、中央には四国八十八ヶ所の札所番号が書かれたパネルがある。ということは、石段の数は88段なのかな。

並滝寺は奈良時代、聖武天皇の勅願で行基により開かれたとされる。昔は七堂伽藍や多くの末寺を有していたそうだが、福島正則の時代に衰退した。この広島新四国をめぐる中で、「福島正則の時代に衰退」、「福島正則により寺領が没収」という説明文にいくつか出会っている。かつての毛利氏の勢力下にあった地域で、昔からの権威を否定しようといろいろやっていたのかな。ただ福島氏の治世も長くなく、大坂の陣の後には自ら改易となってしまう。

一方、福島氏の後に安芸の浅野氏、備後の水野氏の代になると寺が再興されたり新たに保護を受けたりという歴史を持つ寺も多く、並滝寺も浅野氏の時代に再興された。その後、江戸後期の寛政年間に大風の被害で寺の建物も吹き倒されたが、これを機に境内の建物も再建され、現在まで受け継がれている。

男坂を上ったところの庫裏も江戸時代後期の建物で、ここには木造の延命地蔵が祀られている。朱印はここに置かれた箱の中に入っている。

最後に女坂を上り、茅葺き、龍宮造りの楼門をくぐる。すると正面には茅葺きの建物が出迎えてくれる。これが本堂だ。江戸時代、この一帯の寺院のほとんどが茅葺き屋根だったそうだが、その様子を今に残す貴重な建物とされている。その時は東広島にはまだ石州瓦が伝わっていなかったのかな。

本堂の前にてお勤めとする。次のバスまでは少し時間があるし、他に参詣の姿も見えないので、縁側でしばしのんびりする。いい感じの風も吹いている。

茅葺き屋根の建物はもう一つ、本堂横の金毘羅社である。それにしても、これらの茅はいつからのものだろうか。さすがに江戸時代そのままとは思えず、だとしたら何度か葺き替えも行われたことだろう。ただ、楼門の壁も下のほうがはがれており、なかなか維持するのも大変だと見受けられる。観光寺院ではないので入山料を取るわけでもなく、境内維持のための寄付のお願いが本堂や庫裏に掲示されている。

境内にたたずんでいると下のほうからご婦人方の声が聞こえて来た。ハイキングにでも来たのだろうか。江戸時代からつながる歴史を感じたところで、これを機にそろそろバスの時間もきになるので引き返す。今度は下りのため快調な歩きとなり、時間に余裕を持って兼持バス停に着く。ベンチがあったので腰かけてバスを待つ間、物流センターを行き来するトラックが結構多いのに気づく。

先ほどの続きの東回り便に乗る。志和地区をぐるりと回るので、八本松駅までは先ほどの倍以上の40分近くかかる。そのぶん、石州瓦の家屋が並ぶ田園地帯の風景を眺めることとする。

バスは八本松駅に到着。当初はここで下車して、次の第38番の国分寺に向かうべく山陽線に乗り換えて西条に向かうことにしていたが、ここまで乗って来たバスがそのまま西条駅まで行くということでそのまま乗り続ける。ただ、西条の市街地に入ると渋滞でなかなか進まず、予定通り列車に乗り換えればよかったかなとなったが・・まあ、別に先を急ぐわけではない。

西条駅に到着。駅前には酒の看板も出るが、まずは線路の北側にある国分寺に向かう・・・。

コメント

観戦記バファローズ対マリーンズ@京セラ(佐々木朗希相手に・・)

2022年04月25日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

2022年のバファローズ戦の初観戦は、4月24日の京セラドーム大阪でのマリーンズ戦となった。元々、4月から5月にかけてのどこかで大阪に出向こうと思っていたが、スケジュールの関係で24日に大阪日帰り往復として、チケットは早々と3月末に購入していた。

その後、4月10日にマリーンズ佐々木朗希がバファローズ相手に完全試合達成、その翌週17日のファイターズ戦でも8回までパーフェクトという好投を見せ、プロ野球ファンから注目の的となった、その中で迎えたのが24日である。前回のファイターズ戦後の18日以降、チケットの売れ行きが急に伸び、席種によっては完売のところも出たようだ。そして、予告先発は順当に中6日で佐々木。ちなみにといっては失礼だが、バファローズは同じ中6日で山﨑颯一郎。

今回は日本旅行のWEB限定新幹線日帰りプランを利用。利用列車は限られるが「のぞみ」も選択することができ(「さくら」は対象外)、広島~大阪市内往復で14300円とお得である。往路は車内でのんびりしようと、広島6時49分発の「こだま836号」を利用。

時間が早かったので、新大阪からいったん難波まで向かってある用事を済ませ、10時から開店の「赤垣屋なんば店」に向かう。いや、別に赤垣屋に行きたいから難波に行ったわけではなく・・。開店と同時にカウンターが埋まる。ここで早い昼食を兼ねて景気をつけてから、阪神なんば線でドームへ。

内野一塁側上段の最前列に陣取る。ちょうどマウンドを真横から見下ろす角度だ。

ビジョンには「令和の怪物を止めろ!!」という字幕も出る。2週間前に完全試合を喫した佐々木にバファローズがどう立ち向かうのかが楽しみである。そりゃ、チームもそういう気持ちだろうし、興行としても盛り上がるところだ。打ち崩すのか、返り討ちにあうのか・・・。

試合開始が近づくと客の入りも増え、私のいるエリアもほぼ満席である。発表では本拠地開幕戦を上回る今季最多の28967人ということで、コロナ禍で観客数に制限があった昨年、一昨年を通しても最多となる。佐々木さまさまである。

バファローズ先発の山﨑颯一郎、登板を生で見るのは初めてだが、登場曲がドヴォルザークの「新世界より」。重厚な音楽から何やら劇場が始まりそうな期待を感じさせる。

その初回、2番和田のゴロを山﨑が送球してアウトの判定も、マリーンズから物言いがつき、判定が覆ってセーフ。そして、その和田が二塁への盗塁を試みる。この送球にセーフの判定で今度はバファローズがリクエストをするも、判定はそのまま。早くも先制のピンチを迎えるも何とか無得点に抑える。1回表だけで物言い、リクエストが続くのも珍しいのでは。

そして注目の佐々木の投球。先頭は福田。

その初球、福田が捕らえた当たりはきれいにライト前へ。これにはスタンドからもどよめきが起こる。連続パーフェクトもいずれは途切れるものとはいえ、試合の先頭打者、それも初球とは。これは打った福田を褒めるところ。ただ、佐々木だけでなく、マリーンズの守備陣や観客も含めて、変に緊張することなく試合に入れるのではないかと思った。

この回、紅林の内野安打で一死一・二塁として、吉田正尚がレフトへの鮮やかなヒットを放つ。これで先制と福田が本塁に戻って来るが、レフト髙部の好返球でタッチアウト。続く宗も凡退して佐々木からの得点はならなかったが、この回だけで3安打ということで「ひょっとしたら勝てるかも」という雰囲気になった。ただ、初回に先制できなかったことが後々重くのしかかることに・・。

2回表、山﨑は2つの四球、そして自身の悪送球で二死満塁とする。そして先ほど好返球を見せた髙部がレフト前にタイムリーを放ち、マリーンズが2点先制。さらに和田のヒットでもう1点入り、3対0とする。佐々木相手に3点ビハインドとは厳しいところだ。

2回裏、一死からここまで絶不調の杉本が流し打ちでヒットを放ち出塁。そして意表を突く盗塁も決める。次の打者安達のところで、何か審判とバッテリーで間合いを取る場面があった。この時は何があったか全くわからず気にも留めなかったのだが、試合後、これがネット上で大きな話題になっていたことを知った。

この試合の球審は「アィ~~~!!」という雄叫びで有名?な白井審判だが、この時、マウンド上の佐々木に詰め寄ろうとして、捕手の松川が止めに入っていたというのだ。何でも、この前の頓宮の打席のところでのボールの判定に佐々木が苦笑を見せたとして、白井審判は「なんだその態度は!」と注意しようとしたとのこと。ただ、この白井審判の態度にネット上では多くの批判が集まったようだ(白井審判の雄叫びはともかく、技量がともなっていないというかねてからの不満もあったようで)。

佐々木はそんなやり取りの後でも安達を打ち取り、初回に続くピンチをしのぐ。

4回裏、先頭の吉田が四球で出塁。二死後の杉本のところで佐々木はこの日最速の164キロをマークする。しかしその後で死球。杉本もうなり声をあげる。これでチャンスとなるが続く来田が空振り三振で得点とならない。初回からここまで毎回ランナーを出しており、完膚なきまでにやられた2週間前に比べれば健闘しているが・・。

5回表、山﨑は中村のヒット、レアードへの死球でピンチとするが何とかしのぐ。山﨑は5回3失点という結果だったが、こちらも常にランナーを背負い、また自身の守備でピンチを招いたこともあり、ちょっと厳しい内容となった。

5回裏、先頭の安達がライト前ヒット、福田、西野が連続四球で無死満塁。佐々木相手にこういうチャンスになるとは。一気に逆転といきたいところだが、続く紅林が最悪の投ゴロゲッツー。まあ、この間に1点が入る。これで佐々木の連続イニング無失点を止めた。そして吉田がまたも左方向への当たりでタイムリー二塁打。3対2と1点差に迫る。そして宗に期待だがここは佐々木が空振り三振で切り抜ける。逆転とはいかなかったが見ごたえのある試合になってきた。結局佐々木はこの回で勝ち投手の権利を得て降板。90球、被安打6、4奪三振という内容だった。

6回表は阿部が登板。この後6回、7回と三者凡退に抑え、後は攻撃陣の「あと1本」を待つばかりだ。

7回裏、マリーンズは3人目の田中靖洋。

一死から西野が四球を選び、代走の佐野が二盗を決める。佐野は続いて三塁にも走ってセーフ。またもマリーンズから物言いがつくが、判定はそのまま。ここで打者の吉田は申告敬遠、宗も四球で無安打ながら二死満塁となった。

ここで打席には頓宮に代わってバレラ。右投手ということでの左の代打なのかな・・。ここでバレラの当たりはゴロ。バレラも懸命に走ってヘッドスライディングを見せるが判定はアウト。ここでバファローズから物言い。微妙な判定でスタンドからは拍手も起こるが・・結局アウト。またも同点、逆転のチャンスを逃す。

8回裏、バファローズはマリーンズ4人目の西野から二死二・三塁とチャンスを作るが、前の回代走出場の佐野が三振。ああ・・あと1本が・・。

そして9回表、前の回まずまずの投球を見せたバファローズ3人目のバルガスに対してマリーンズが一死一・三塁として、先制打の髙部がセンター前ヒットを放ち貴重な追加点で4対2とする。続く中村もレフト越の二塁打でさらに2点が入り、6対2。回またぎのバルガス起用の批判は起こるところだろうが、致し方ないだろう。これで勝負あった。

9回裏、マリーンズは4点リードながら予定通り益田が登板。しかし一死後、吉田がこの日3本目となるヒットを放ち、宗も続く。さらに代打ラベロもライト前ヒットで満塁とする。

そして打席には杉本。この日はヒットや死球、相手エラーなどで出塁しており、少しはよくなっている。私もブログで「そろそろ限界」と書いてしまったが、やはりここは期待する。ICOCAの運用区間も拡大したんやし、これ以上のチャンスはないでしょう(関係ないか)。もしレフトスタンドへの一発なんてことになったら・・。

チャンステーマが流れる中杉本も粘りを見せ、センターへの打球。残念ながらスタンドには程遠かったが、犠牲フライとなり1点を返す。

ただ反撃もここまでで、最後は来田が空振り三振となり6対3でマリーンズの勝利。佐々木からヒット、得点を挙げたとはいえバファローズは結局佐々木に連敗ということになった。本当にどこかの回で「あと1本」が出ていれば・・・。

ヒーローインタビューは先制打、追加点を挙げた髙部。3年目の今季初めてレギュラーをつかんだ選手で、「朗希に勝ちをつけてあげたかった」というコメントだった。

残念ながらバファローズは敗れたが、面白い試合を観ることができてよかった。

この後は雨の中大正駅まで歩き、JR乗り継ぎで新大阪へ。帰りは新大阪18時23分発の「のぞみ97号」に乗る。ちょうど広島止まりなので寝過ごしを気にせずゆっくり気分でくつろぐ。

今回は日帰りでの大阪往復となったが、今季大阪、神戸では何試合観戦できるだろうか。その代わりではないが、合間にビジター試合の予定も入れていて、それも含めて楽しみたいところである・・・。

コメント

あらあら・・・

2022年04月22日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

・・・そろそろ、この選手も限界かな。

コメント

第36番「蓮華寺」~広島新四国八十八ヶ所めぐり(蓮華寺山八十八ヶ所お砂踏み)

2022年04月21日 | 広島新四国八十八ヶ所

広島新四国八十八ヶ所めぐりの次の目的地は第36番の蓮華寺である。交通機関の最寄りでいえば山陽線の安芸中野から徒歩数分のところにある。その次からは東広島市に入るので、ここまで長かった広島市の札所とはいったんお別れとなる。

蓮華寺に行くだけなら駅からも近いしどうということはないが、この寺について事前に調べる中で、ここについては本堂に行って終わりとはいかないな・・という思いになった。寺の背後に蓮華寺山というのがあり、元々は山頂から山麓にかけて伽藍が建ち並んでいたという。現在は麓のお堂から山頂まで四国八十八ヶ所のお砂踏み霊場があり、札所めぐりもこの日1ヶ所だけなので山頂まで往復することにした。4月17日、朝から出れば午前中には帰宅できるだろう。午後からはお楽しみがあるので・・。

9時すぎに安芸中野に到着する。駅の改札を出るのは初めてである。以前の広島勤務時は五日市から広島まで山陽線で通勤していたが、朝の時間帯に「安芸中野・坂行き」という2本併設の列車に乗ることもしばしばあった。今はそうした列車は運転されていないが、安芸中野は折り返しが可能なホームの造りであり、また瀬野川沿いのベッドタウンの駅である。

瀬野川の南には国道2号線があり、沿道にはさまざまな商店も並ぶが、こちら駅前はかつての西国街道に面しているものの、道も細い。山もすぐ近くまで迫っている。

まずは蓮華寺山への登山道を示す標識があり、そちらを目指す。

途中から階段となり、上りきったところに本堂がある。本尊は弘法大師ということでまずはお勤めとする。

弘法大師が唐から帰国する際、日本で伽藍を開くのにふさわしい地を求めようと、三鈷杵と数珠の2品を投げた。このうち三鈷杵が到達したのが現在の高野山で、数珠が到達したのが安芸の姫髪山とされる。この姫髪山にお堂を建てたのが蓮華寺の始まりとされている。弘法大師が投げた法具が到達したのが寺の縁起だというところは他にもあり、弘法大師はいろんなものを投げたもんやな・・と思うが、それは伝説としても修行の地としてふさわしいとされたことは確かだろう。

後に覚賢が伽藍を整備し、山頂から麓まで多くのお堂があったという。しかし安芸の領主となった福島正則により寺領を没収され、廃寺となった。

昭和になり、真教という人が蓮華寺の由緒、歴史を惜しみ、現在の場所にお堂を建てて蓮華寺を再興した。そしてかつての山頂の本堂跡まで八十八ヶ所の石仏を設け、奥の院への参道として整備した。後に奥の院のお堂は焼失して、現在は蓮華寺山の憩いの森としてハイキングの人たちの休憩場所として親しまれている。

札所めぐりではそれほど奥の院まで意識しないのだが、何だか今回は石仏の参道を上ったほうがよいように思えた。体を動かしたくなったのもあるだろう。

本堂の裏手には弁財天や白髭稲荷が並ぶ。白髭稲荷は高野山の奥の院からの分霊で、弘法大師の働きを助けるとされる。

そして八十八ヶ所の参道へ向かう。山頂までは2キロ弱とある。まずは1番、2番と間隔が近いところを上る。それぞれに南無大師遍照金剛と唱えながら上るとご利益があるとか。まずは石仏ごとに手を合わせ、遍照金剛を唱えながら歩く。

12番のところに首塚がある。薬師堂建立のためにこの辺りを整地した時に見つかったもので、福島正則が蓮華寺を焼き討ちした際に斬られた僧侶の首を葬ったところとされる。

16番に並ぶのは白龍社。昔からこの辺りにはマムシが出たそうで、マムシ除け、山内の安全のために建てられたとされる。

進むうちに急な上りに出る。以前に四国で歩いた「遍路ころがし」を思い出す。金剛杖とはいかないまでも、登山用のステッキを持って来ればよかったかなと思う。その途中の石仏の写真を撮ることで息を整えながら先に進む。40番台になると再び穏やかな道となった。それぞれ、実際に四国を(さまざまな手段で)回った時のことも思い出しながら歩く。

札所番号が後半になると勾配も急になる。自然の石、自然の土の道が続く。思わぬ形で難儀したのが冬から残っているとおぼしき枯れ葉。履いてきた靴のせいもあるが、これが結構すべる。上りは耐えられても下りが大変だろうなと心配になる。

60番台からはそんな感じで修行の道を彷彿とさせ、思わずヒヤリとするところもあったが、88番に向けて一つずつ進み、ようやくたどり着いた。

さらにそのまま進むと休憩所がある。ここにも蓮華寺の石碑があり、奥の院はここにあったのだろうか。ただそれにしては狭い。

もう少し上ると中央広場と呼ばれるスポットに到着した。蓮華寺の本堂を出てから40分あまり。広さからして奥の院があったのはこちらだろう。昔の名残とおぼしき石仏の祠もあり、ここでも手を合わせる。

もう少し進めば蓮華寺山の山頂に着くそうだが、別に山頂に到達することが目的ではなく、むしろ別方向にある大五輪塔への案内板にひかれる。上ってきたのとは反対側の畑賀地区の方向にあるそうだが、そちらへの道を進む。

数分ほどで大五輪塔に到着。ここからは畑賀~海田市方面の景色を眺めることができる。この前に訪ねた第35番の大師寺もあの辺りで、そういえば大師寺にも四国八十八ヶ所のお砂踏み霊場があったなと思い出す。

このまま畑賀に下りてバスに乗ることもできるが、あいにくバスの本数が少なく、また災害復旧のために運転区間も短縮されているそうで、待ちぼうけをくらうのもどうかと思うのでそのまま安芸中野方面に戻る。上りよりもむしろ下りのほうが難儀した。岩が露出しているところではどのように足をかけるか、そのうえ枯れ葉が坂道をすべりやすくしている。上りより気をつかったし、後半になると膝の後ろにピリッとしたものが走った。単なる運動不足と言えばそれまでなのだが・・・。

結局下りも上りと同じ40分ほどかけ、石仏がカウントダウンするのに力をもらって境内に戻った。ともかくこれで蓮華寺を回り終える。駅に戻ったのは11時すぎ。

安芸中野から山陽線に乗る。この日はマツダスタジアムでドラゴンズとのデーゲームがあるため、車内にもカープのユニフォーム姿の人が目立つ。その人たちも含めてほとんどの客が広島で下車したが、私はそのまま西広島まで乗り通し、広電経由で帰宅した。

記事の始めに「午後からはお楽しみがあるので・・」としたのだが、それは地上波、BS、CSでの「野球中継3試合ハシゴ観戦」。その中で大きいのが、前週にバファローズ相手に完全試合を達成したマリーンズ・佐々木朗希の登板。ファイターズ相手に、BSジャパン(のサブチャンネル)での急遽中継である。それにCS(JSPORTS)でのバファローズ対ライオンズ、ついでに地上波(広島ホームテレビ)でのカープ対ドラゴンズ・・・。

バファローズファンといえども、この3試合の中では佐々木登板のBSジャパンが中心で、CSはその合間に見ることになった(地上波は、カープが序盤から大量失点したことで早々と脱落・・)。

テレビ東京ならではの中継画面を見る中、佐々木が相変わらずの見事な投球でファイターズを完全に抑え込む。その一方、ファイターズも先発上沢の好投でマリーンズに得点を許さず、0対0のまま8回裏を終えた。ここで佐々木は交代。ここでの降板についてはさまざまな声もあったが、致し方ないところだろう。

試合はそのまま延長に入ったところで、ファイターズが万波の本塁打で1安打勝利。佐々木相手に一人のランナーも出せなかったが、投手陣も点を許さなかったことで最後には試合に勝った。ファイターズとそのファンの方は大喜び、マリーンズとすればまさに「相撲に勝って勝負に敗けた」ところか。こういうのも勝負のアヤである。

・・・後半は話が広島新四国から大きく脱線したが、佐々木自身は「パーフェクト状態」が続いている。順当に行けば次の登板は24日のバファローズ戦ということで、私としては今から楽しみ・・・。

コメント

第11回中国四十九薬師めぐり~「etSETOra」で呉線を行く

2022年04月19日 | 中国四十九薬師

中国四十九薬師めぐりで訪ねた尾道からの帰りは、観光列車「etSETOra」に乗る。2020年に前身の「瀬戸内マリンビュー」をリニューアルして登場した列車で、ちょうど私が広島に異動したのと同じ時期ということもあって乗りたいと思ったが、当初はなかなか指定席が取れなかった。その後、ブームが落ち着いたこともあり乗車する機会にも恵まれた。

今回乗るのは2両編成の尾道寄りの2号車。この車両に乗るのは初めてである。JR西日本の「e5489」で4月10日を決め打ちしたところ、2号車の座席が割り当てられた。駅の「みどりの券売機」だとなぜか1号車しか選ぶことができず、そもそも2号車はツアー向けの車両で、一般客が買える(それもネット限定)のはツアーが入っていない日に限られているのかなと勝手に推測する。

尾道は14時38分発で、前の普通列車が出た後に入線する。ホームにいるのもほんの数分で、慌ただしく発車する。駅の人や見物客の見送りを受ける。尾道発車時点では満席にはならず、2人向かい合わせの席なら片方だけ埋まるといった状況で出発する。

さて今回割り当てられたのは初めての2号車、それも「6D」席である。キハ47の改造のため、窓や座席の配置にはさまざまな苦心の跡がしのばれるのだが、ここ6D席は特に窓が大きく取られていて窓枠などに遮られることのない「大当たり」といっていいところ。本来の守備範囲とは異なるだろうが、これも薬師めぐりのご利益だとありがたく腰掛ける。

先ほどまで尾道の町並みの石段や遊歩道を歩いたこともあり、次の糸崎までの景色を眺めつつ早速呑み鉄モード発動とする。三原から数人の乗客があったが、この日に限っては空席も残る状態で呉線に入る。

午後の尾道発の便ではバーカウンターの営業が再開されている。以前に乗った時には沿線の地酒呑み比べというのをいただいたが、今回は初めての飲み物を注文する。それがこの「浄酎」。日本酒をさらに「低温浄溜」することで生まれた一品で、日本酒とも焼酎とも違う「第三の和酒」とされる。ナオライ(直会?)という酒造会社の手によるもので、神石高原町に「浄溜所」がある。45度の浄酎をソーダ割でいただく。元は日本酒なのだがそれを感じさせず、ウォッカに近いような。比較的飲みやすく感じるが、それだけに調子に乗ってお替りを続けようものなら終点の広島で車掌に起こされるパターンになりそうだ。そこはほどほどに。

まずは須波から今治造船の造船所がある安芸幸崎までの区間を走る。

次の安芸幸崎~忠海間が呉線がもっとも海に近づく区間。広い窓からの景色も最高である。ここで列車はしばらく停車する。この景色をじっくり見てもらおうとのサービスだ。

大久野島への玄関駅である忠海で下車する人もいる。観光列車のため短距離でもグリーン料金がかかるが、何せ定期列車の少ない区間で、移動と記念乗車を兼ねて乗車したのだろう。

また竹原までの区間はこの数年たびたび豪雨災害にも悩まされており、この3月にも2週間ほど復旧工事のため運休していた。それも含めて、呉線にも時速25キロの「必殺徐行区間」がある。

竹原からは先ほど忠海で下車した客の後に新たな乗客があり、「etSETOra」は安芸津に差し掛かる。ここは東広島市である。

安芸津の次の風早から先は牡蠣の養殖が盛んなところ。この風早から少し歩いたところに中国四十九薬師第20番の浄福寺がある。次回の因島・生口島シリーズの次に訪ねることになるが、また呉線で海を眺めながらのアクセスとなりそうだ。近々、訪れるのを楽しみにする。

呉線は単線のため、列車行き違いのために途中駅でも運転停車する。広の一つ手前の仁方でも10分あまり停車。もう少し早いダイヤなら次の広まで行けそうなのだが、その広も「etSETOra」の停車駅ではないので一緒かな。

16時36分、呉に到着。ここで乗客の半数が下車して、車内もガラガラとなった。進路も西から北に変わり、そろそろ西日が気になるところ。その途中の駅でも列車行き違いとなるが、待つ間にスマホでスポーツニュースをチェック。バファローズが千葉でマリーンズ戦だが、リードを許している。マリーンズの投手は佐々木朗希。ああ、佐々木に完封負けか・・と残念がったが、その後でニュース記事欄が埋まったのが「佐々木朗希、完全試合達成」である・・・。

この後はスマホで完全試合関連のニュースを追いかけることとなり、いつの間にか動いた列車からの車窓もほとんど見ることがなかった・・・。

列車は海田市から山陽線に戻り、マツダスタジアムの横を過ぎて17時22分、広島に到着。以前は下り列車は宮島口まで運転していたと思うが、このところは広島止まりである。そういえば、そもそも下り列車は山陽線の西条経由だった。上り下りで経由路線を別にするよりも、海の眺めが楽しめる呉線回りを取った形である。

前日広島から山側の三次、そして福塩線に乗り、そして2日目には海の景色を眺める。広島県の風光明媚な景色と歴史を楽しめた県内旅であった。やっぱ広島じゃ・・・。

コメント

第11回中国四十九薬師めぐり~千光寺からの眺望を楽しむ

2022年04月18日 | 中国四十九薬師

西国寺を回り終えて、ここからはオプションということで千光寺公園に向かうロープウェーに乗る。通常は15分間隔での運行だが、この日(4月10日)は乗客も多いということで随時運行となっている。私も1台やり過ごす形となったが、すぐに上から折り返し便がやって来てすぐに乗車。高度が上がるにつれて気持ち良い風が吹き込んでくる。

さて、ロープウェーを降りて展望台に向かうと、これまで見たことないコンクリート橋が目の前にあった。以前に来た時は中にレストランがある円形の建物だったが、老朽化もあったのか2020年に閉鎖され、リニューアル工事が進められ、この3月に完成したばかりだという。

まずは螺旋状のスロープを上る。少しずつ高度が上がり、展望スペースに出る。展望スペースは横長に、尾道水道に沿う形で設けられているので見物客も分散され、さまざまな角度から眺めることができる。その中で、東側にせり出したスペースはこれまでよりも遠くを望むことができるとあって人気があるようだ。山陽線の線路もずいぶん小さく見えるが、その中でも黄色一色の車体というのは目立つものだ。

ひととおり展望を楽しんだ後、文学のこみちを下っていく。徳富蘇峰に始まり、十返舎一九、正岡子規、志賀直哉、林芙美子ら合わせて25の石碑や自然石が続く。一つ一つじっくり碑文を読めばここだけでも半日は楽しめるところだが、私も含めほとんどの人は遊歩道の一つとして素通りしていく。

正岡子規の石碑を過ぎたところで、前を歩いていた若者グループから「正岡子規って、小峠(バイきんぐ)に似とる人じゃろ?」という会話が聞こえる。逆でしょうが(そういう話でもないか)。かく言う私は正岡子規と聞くと「正岡子規式色紙」、「愛媛のまじめな住居、正岡式住居」という言葉を連想する・・(元ネタはあの方々だが、「正岡子規式色紙」、松山で売ってやしないかな)。

展望台から文学のこみちを経由するとどうしてもそうなるのだが、境内の裏手から千光寺に入る。尾道の中でもっともメジャーなスポットと言える。千光寺は平安時代初期に弘法大師により開かれ、多田満仲の手で再興された古刹。

順路からしてまずは玉の岩を見上げ、大師堂で手を合わせる。訪れる人が絶えず、寺の人も常に「南無大師遍照金剛」と唱え、鐘を鳴らす。そして鐘楼から間近に見る尾道の景色を楽しむ。先ほどの展望台からの雄大な景色もいいが、この高さからだと町の姿もよりはっきり見える。

続いて本堂へ。江戸時代の建物である本堂は元々それほど大きいわけでなく、御守などが並ぶスペースも多く、そして絶えず参詣者が出入りする。この中でゆっくりとお勤めするのは難しい。中国観音霊場で来た時も、人の多さで通常すべきお勤めも端折った記憶がある。

西国寺、千光寺と回ったところで尾道寺めぐりは終了。このまま石段、坂道を下り、商店街を歩きながら駅に戻る。

この先の中国四十九薬師めぐりだが、因島、生口島と続く。いずれも橋でつながっているが島は島である。尾道から路線バスで訪ねようかといろいろ時刻表を調べたが、島へのアプローチはよいとしても、一度に回るとなるとバスのダイヤは厳しい。次回はおそらくクルマで回ることになるだろう。

歩いて駅に到着。時間的に、先ほど気になった「尾道大衆食堂せと」でちょい飲みできないこともないが、それも慌ただしいので今回はパスする。その代わり、これから乗車する観光列車「etSETOra」での飲み鉄とするか・・・。

コメント

第11回中国四十九薬師めぐり~第16番「西国寺」(尾道の名刹にて)

2022年04月17日 | 中国四十九薬師

松永から山陽線の列車で尾道に到着。春本番となり観光客の姿も目立つ。尾道からは観光列車「etSETOra」で広島に戻るが、それまで3時間あまり時間がある。一回りするにはちょうどいい時間ではないだろうか。

今回は中国四十九薬師めぐりで尾道に来たが、その前に回っていた中国観音霊場でも尾道は登場した。第9番が浄土寺、第10番が千光寺、そしてこれから行く西国寺も特別霊場に含まれている。その時は大阪在住で、前日に尾道駅前に宿泊、朝から「尾道七佛めぐり」ということで上記の3ヶ所を含む7ヶ所の参詣を行った。また千光寺にはこの1月にキハ47「せとうちノスタルジー号」が尾道まで運行された時に、滞在時間を利用して徒歩で訪ねた。

今回は「尾道七佛めぐり」をするまでの時間はないので、西国寺に行き、ロープウェーに乗って文学のこみちから千光寺を回るくらいかなと思う。

まずは昼食ということで、駅前にある尾道ラーメン「たに」に入る。私もラーメンに詳しいわけではないが、背脂醤油のスタンダードな味である。日替わり定食でごはんの他にメンチカツ、唐揚げ、サラダがついて900円というのがおすすめだ。

実は、駅すぐ横にある「尾道大衆食堂せと」にも尾道ラーメンの文字があり、初めてのこちらでもいいかなと思ったのだが、むしろ「昼呑み」の店である。昼呑みをして締めにラーメン・・がいいかなと思ったが、この後寺めぐりである・・・。

フリーマーケットが開かれて賑わっている駅前から尾道水道沿いを歩く。遊歩道、商店街などぶらつくにはちょうどよい。時折線路の近くに出て、山陽線の列車が行き来するのを眺める。

西国寺に続くガードをくぐる。このまま緩やかな坂道を上り、大きな草鞋が奉納される山門に到着。先ほど松永で訪ねた「松永はきもの資料館」でも取り上げられていたが、足腰の病気を治す、健脚を祈願するということで草鞋を奉納人が多い。

さすがに桜はほとんど散った中で100段あまりの石段を上る。米問屋や干鰯問屋の講中が奉納した灯籠が並ぶ。そして本堂である金堂に出る。境内では、ハイキングのイベントでもあったのか、ハイカー姿の人がちょうど昼の休憩中。その中でお勤めである。

西国寺は奈良時代、行基により開かれたとされる。後に焼失したが、平安時代に白河天皇の勅命もあり再建され、西国一の意味を込めて西国寺という名前になった。

その後も焼失と復興を繰り返す中、現存する古い建物がこの金堂と、上にある三重塔である。

納経所はさらにもう少し石段を上がる。その分、尾道の町並み、そして尾道水道、向島の景色も広がって見える。こちらには大師堂、不動堂などがあり、中国観音霊場の特別霊場としてはこの大師堂が充てられている。

さすがに多くの参詣者がある寺ということで納経所も常時開業?しており、朱印もさまざまある。その中で、これまで通り中国四十九薬師の綴り込み式の朱印をいただく。

最後に三重塔へ。前回来た時は豪雨で崩れた周辺の修復工事が行われていたが、今回新たな塀ができている。

ここで折り返しとして、再び石段から坂道を下りる。再び線路際を歩いて千光寺公園に続くロープウェー乗り場に向かう・・・。

コメント

第11回中国四十九薬師めぐり~松永で履物と玩具に圧倒される

2022年04月16日 | 中国四十九薬師

中国四十九薬師めぐりの目的地の一つである薬師寺を訪ね、松永駅に戻る。この後尾道に向かうのだが、せっかくなので松永駅に近い面白スポットに行くことにする。

駅南口のロータリーは松永の歴史を物語るスポットである。先ほど訪ねた今津は古くから弘法大師ゆかりの寺や西国街道が通るところだが、こちら松永地区は江戸時代に新たに開かれたところである。塩田で働く人たちの像の横には、右の人差し指で前方を指している像が立つ。「松永開祖 本庄重政像」とある。本庄重政は福山藩の人で、この地を干拓して塩田を開いた。そして「松寿永年」という言葉から「松永」という名前をつけたという。

松永はその塩田に加えて、備後表と呼ばれるイグサの生産、そして明治になると下駄の生産が盛んになる。そのことから駅近くにあるのが、「福山市松永はきもの資料館」である。かつては「日本はきもの博物館」という名前で、私も前回の広島勤務時代に訪ねたこともあるが、収益悪化や建物の老朽化のためいったん閉館となった。その後2015年に「日本郷土玩具博物館」と合わせて福山市が引き継ぐ形でリニューアルされたそうだ。「日本はきもの博物館」の時も、数々のスポーツ選手が実際に履いていたシューズがいろいろあったのが印象的で、久しぶりに見てみたいと思った。

駅から歩いて数分のところに洋館が現れる。松永で下駄の大量生産に成功した丸山下駄店が元祖となる株式会社マルヤマの旧本社の建物である。

敷地内に入ると、何やら足型をイメージしたオブジェ。これは「芸術は爆発だ!」の岡本太郎の作品である。

伝統産業館がある。ここでは先に触れた製塩、イグサ、下駄産業の歴史を学ぶことができる。塩田を開いたのは福山藩の本庄重政だが、明治になると丸山下駄店を開いた丸山茂助という人が登場する。製塩で使われる薪から下駄を作ったところ、これが大ヒットした。後に明治の産業革命で工場を機械化し、大量生産に成功した。これらが良い循環となり、末には先ほどの洋館が建つまでになった。

福山市全般で見ればJFEに代表される製鉄や、新庄BIGBOSSをイメージキャラクターに起用する自重堂に代表される繊維・アパレル(備後絣、デニム産業)もあり、改めて広島地区とは違ったものづくりの街であることがうかがえる。

さて、はきもの資料館である。エントランスには寺の山門にぶら下がっていそうな大草鞋がお出迎え。

そして大野豊、黒田博樹、星野仙一のスパイクや、松山英樹のゴルフシューズも展示されている。この後もさまざまなシューズに出会うのが楽しみである。

巨大な下駄とともに松永ゆかりの人たちの紹介があり、展示室へ。「田下駄から宇宙靴へ」とある。2000年の昔、田下駄を照らした月に人類の足跡、宇宙靴の足跡が残る・・という案内文があるが、どういう意味だろうか。

さまざまな用途で用いられたはきものが並ぶ。先ほどの田下駄もそうだし、稲株を切るための下駄、海でヒラメを突いて獲るための下駄というのもある。

またはきものは祈りの道具にもなる。この後向かう尾道の西国寺は山門に草鞋を奉納することで知られている。

雪国で使われる長靴、かんじきも数多い。江戸時代の鈴木牧之「北越雪譜」でも紹介された冬の衣装もあるが、暖かいものだろうか。

はきものといえば足袋もそうで、横綱双葉山、大鵬、輪島、北の湖、大関小錦らのものが並ぶ。小錦の足袋のサイズは17文とあり、ジャイアント馬場が「16文キック」だからそれよりも大きい。やはりあの巨体だからか。

ここからはスポーツ選手のはきものである。まずはカープの名選手たち。野村謙二郎、黒田博樹、佐々岡真司、新井貴浩、前田健太、菊池涼介。

フィギュアスケートからは伊藤みどり、荒川静香。そのうち、羽生結弦のスケート靴というのも展示されるのかな。また、同じスケートでもスピードスケートだと刃のつくりも大きく異なるという。

それでも目立つのは野球関連である。王貞治、長嶋茂雄(監督時代)、イチロー、野茂英雄、松井秀喜・・・。

ただ数としてはやはり地元カープが豊富だ。山本浩二、衣笠祥雄、前田智徳、達川光男、北別府学、緒方孝市・・・。

他にはレスリング吉田沙保里、伊調馨、浜口京子、ボクシング具志堅用高のリングシューズ。これらは本当に軽そうだ。

さらにはテニスの松岡修造、サッカーの三浦知良、マラソンの宗茂・宗猛、バレーボールの猫田勝敏、栗原恵といった広島出身の選手たち。

そして最後を締めるのはジャイアント馬場の革靴。もう、重しといっていいだろう。

それにしても、これだけの有名選手たちのはきものが集まるスポットは他にないだろう。この中には、私がかなり以前に旧博物館を訪ねた時よりも後に活躍した選手も多く、どういう経緯でここに集められたのか気になる。選手側から寄贈の申し出があるのか、資料館から申し入れるのか・・。またこの先、どんな選手たちのはきものが集まるのか楽しみである。

この後、今度は世界のはきものということで、古代エジプトのツタンカーメンの墓から見つかった靴(複製)やら、それぞれの民族の伝統衣装もあれこれ。中国の纏足用の靴もあったが、ここまで足を細く見せるために矯正しなければならないのかと驚く。

・・この辺りまで来たところでもうお腹いっぱいだが、最後に飛び込んできたのが、「田下駄から宇宙靴へ」の月面靴(複製)である。

これではきもの関連の展示は終わりだが、この先にはかつての「日本郷土玩具博物館」の流れを汲むコーナーである。日本・世界各地に伝わるさまざまな玩具が紹介されているが、現代の「おもちゃ」というよりは、無病息災・厄除けの祈りや子どもの成長を願うものが中心である。

ここも数多くの郷土玩具があったが、はきもの関連で長々となったので記事としては画像何点かにとどめておく。

2022年の干支である寅にちなんだ玩具や、世界各地の玩具もある中で、アメリカの先住民族であるホピ族に伝わる「カチナ人形」というのを紹介した単独のコーナーもある。

そして順路の最後は、「靴職人の人形」。はきものと玩具・・これで両者が重なった。この資料館が収蔵するのははきもの13000点、玩具18000点という。展示されているのはそのうちの一部だったが、じっくり見ようと思えばそれこそ1日かかるだろう。福山のスポットの一つとしておすすめである。

さてこれで松永を後にして、2駅先の尾道に向かう。尾道でもまた徒歩が続くが、申し分ない天候である・・・。

コメント

第11回中国四十九薬師めぐり~第15番「薬師寺」(福山の今津宿)

2022年04月14日 | 中国四十九薬師

中国四十九薬師めぐりは再び山陽線沿線へ。今回は第15番の薬師寺と、第16番の西國寺が目的地である。そして午後からは呉線を走るあの観光列車に乗って広島に戻る。

4月10日、前日宿泊した福山から松永に移動。松永にはコインロッカーがあり、荷物を預けることができた。まず向かう薬師寺は駅の北側の今津地区にある。

この薬師寺だが、最初に中国四十九薬師めぐりのホームページに掲載されているグーグルマップでは、同じ名前だが福山駅の東側にある別の薬師寺の場所が示されていた。笠岡まで行った時に気づき、福山駅の東側なら札所順番が入れ替わるが帰り道で参詣しようかと思った。しかし、情報検索するとどうも様子がおかしく、そこで正しくは今津にあることに気づいた。そのことをホームページの問い合わせ画面に入力して送ったのだが、現時点で修正されていない。ローカル札所ということで間違える人がどのくらいいるかわからないが、大丈夫かな。

駅北側のシャッター通りの商店街を抜け、国道2号線に出る。私がドライブする時、この辺りは三原から続くバイパスの流れで松永道路を経由するのだが、在来の国道2号線も地元の人にとっては幹線道路である。

しばらく2号線を歩き、地図を見て途中で薬師寺に続くと思われる道に入る。かつての西国街道で、神辺の次の宿場町がここ今津である。

駅から15分ほど歩いたところで、街道から丘の上に続く坂がある。これを上りきったところが薬師寺である。外観はお城の門のように見えて、かつてここは城下町でした・・と言っても通じる感じである。この櫓の中に鐘楼がある。

薬師寺は平安時代初期、弘法大師により開かれたという。弘法大師が遣唐使船にて唐に向かう途中今津の浦に立ち寄り、航海の安全を願って熊野三社を勧請したのが始まりという。その熊野三社が薬師寺、金剛寺、蓮華寺で、金剛寺は後に薬師寺に吸収されたが、蓮華寺はこの先に今もあるそうなので、この後訪ねてみよう。

薬師寺はその後焼失と復興を繰り返し、現在の形になったのは江戸時代、本堂や鐘楼はその当時からのものだという。まずは本堂にてお勤めとする。

境内からは今津の町並み、遠くにうっすらと沼隈の海も見える。この辺りから尾道にかけても島が多く、地形も入り組んでいる。

本堂の奥、境内のもっとも高いところに鎮守堂がある。熊野三山を勧請したということであれば、薬師如来を本地とする速玉神で、熊野新宮大社に相当するのかな。

納経所の窓口がなく、セルフ式の箱も出ていないので玄関のチャイムを鳴らして寺の人に出てもらい、綴り式の朱印をいただく。「令和4年 再興480年」のスタンプも押されていた。ということは、寺としては1542年、戦国時代に差し掛かる頃の再興となる。

この記事を書くにあたり思ったのだが、最初に触れた「中国四十九薬師のホームページで薬師寺の場所が間違って掲載されている」ことについて、ここで当の薬師寺の住職に言えばよかったなと・・。

熊野三山ということで、この先に現存する蓮華寺に向かうことにする。坂を下りて街道に出たところで、今津本陣跡の標識に出会う。空地の奥に邸宅があるが、この地の庄屋で、代々本陣を務めた河本家である。門や塀に当時の面影が残るという。そして、この河本家の近くにある蓮華寺が脇本陣を務めていたそうだ。

その蓮華寺の門をくぐる。境内には案内板も出ていて、今津宿の歴史を伝えるスポットとしてもPRしている。先ほどの東方の薬師寺の薬師如来に対して、蓮華寺では西方の阿弥陀如来を本尊としており、熊野三山でいえば家都美御子神、熊野本宮大社に相当する。

常時公開しているわけではないようだが、本坊にはかつての「上段の間」が残っている。どこかの大名が参勤交代の時に利用することもあったのだろう。

ここにも熊野三山の鎮守堂がある。

境内を後にして、すぐ近くに鳥居と由緒ありげな境内が見える。高諸(たかもろ)神社という名前だが、元々は剣明神「おつるぎさん」として地元の人たちから氏神として親しまれていて、先ほどの蓮華寺はかつてこの剣明神の別当寺を務めていたとある。

拝殿横の案内板によると、白鳳時代に新羅の王子が戦乱を避けて日本に向かい、嵐に遭って今津の浦に漂着した。地元の庄司であるタモリ、もとい田盛がこれを助けて看病したが、王子は翌年に亡くなった。その後、田盛の夢枕に新羅の王子が現れ、「我は須佐之男命なり」と告げて剣を与えた。田盛はその剣を祭神として祀った。これが剣明神の由来である。時代が下り、福山藩の保護も受けたが明治の神仏分離で高諸神社となった。社殿には赤穂義士らしき錦絵が奉納されている。

神社のすぐ裏が国道2号線でこのまま歩いて松永駅に戻る。そのまま尾道に向かってもよかったが、松永に来たということで、松永の産業に関わるある場所を訪ねようと思う・・・。

コメント

第11回中国四十九薬師めぐり~「やっぱ広島じゃ割」で福山に泊まるんじゃ

2022年04月13日 | 中国四十九薬師

中国四十九薬師めぐりで広島県内を一周するのにわざわざ途中で一泊というぜいたくなルート。これまで何度も通っているが、福山の市街地に泊まるのは初めてである。これで翌日は松永から尾道へとコマを進める。

今回見つけたのは、福山駅の西にある「ホテルエリアワン福山」。この辺りはかつて福山城の三の丸があったところである。背中合わせの東横インと比べると小ぢんまりとした建物だが、全国にチェーン展開している。他にも多数ホテルがある中でここを選んだのは、じゃらんネットにて「やっぱ広島じゃ割」適用プランを見つけたこと。

新型コロナの影響で落ち込んだ観光業支援の施策で、広島県在住者、ワクチン2回接種証明の提示で、1泊5000円を上限として宿泊料金を半額にするとある。ネットでは朝軽食つき4000円のプランがあり、ならば通常価格は8000円ということか。

部屋に入る。宿泊費を安く抑えたし、部屋もシンプルだが一夜を過ごすには問題なくゆっくり休め、スタッフの対応含めて何の不服もなかった。ただ、「やっぱ広島じゃ割」がない通常価格8000円のままだったら果たしてここを選択していただろうか。背中合わせのオールシーズン均一料金の東横インや、他に駅近くで大浴場備え付けのホテルを選んだかもしれない。

今回の「やっぱ広島じゃ割」の特典として、県内の飲食店や土産物店などの加盟店で翌10日まで有効の2000円分のクーポンがついてくる。

時刻は18時を回ったところで、福山での一献としよう。福山の店で思い浮かぶのが、大衆食堂・大衆酒場の「自由軒」。ただ、駅から見て反対側だし、この時間だと混雑しているだろうから、どこか別の店を開拓してもいいかなと思った。近くにはホテルおすすめの店や個性的な看板の焼きとんの店もあるが、その中で目についたのが高架下の「安べゑ」。「レモンサワーと肉豆富の店」とある。関東を中心としたチェーン店だが、広島県にはここ福山と、なぜか海田市に展開しているとある。

店は混雑しているが、注文はQRコードでメニューを読み込み、スマホで品物を選ぶことができる。いちいち店員を呼びつけることもなく、スムーズに運ばれる。

最初は生ビールとした後、看板メニューのレモンサワーとする。税込218円とは缶チューハイ感覚である。それ以外のプレーンサワーやウーロン割は同じサイズで税込328円と、ここで差をつけるのはレモンサワーで客を呼び込む作戦なのかな。

これに肉豆富を一緒にいただく。下町の大衆酒場感覚である。

他にはどて焼き、「本日の海鮮」(まぐろ造り)など楽しみ、麻婆豆腐もいただく。テーブルで鉄板を温め、半分食べた後にシメのご飯を入れる。他にも肉差しや焼き鳥盛り合わせなどのメニューに目が行ったが、この日はそこまで入らなかった。まあ、福山ならまた来ることもあるだろうから、改めて利用してもいいかなと。

この「安べゑ」で「やっぱ広島じゃ割」のクーポンが使えるということで、2000円はあっさりと飲み代の一部となった。もともと一品の単価が安い店ということもあり、さらに安く酔えたことで良しとする。

そのままホテルに戻り、たまたまつけたNHKのBSで「決戦!源平の戦い」という番組をやっていたので見ることに。源平の数々の戦いについて最近の研究でわかったこと、これまで定説とされていたことが実は・・?といったことについて、科学的な検証と再現ドラマで構成した番組で、なかなか面白く拝見した。

9日はそのままベッドでゆっくり休み、翌10日も朝から快晴である。

軽朝食がホテルのロビーで提供されている。メインは地元の人気パン店から運ばれるという数種類のパン食べ放題。これに小皿のおかず、和食党の人にはおにぎりと味噌汁もある・・・という構成。パンも美味しくいただく(朝から食いすぎ?)。

福山7時58分発の糸崎行きで出発。まずは中国四十九薬師第15番の薬師寺を目指すべく、2駅先の松永で下車する・・・。

コメント

第11回中国四十九薬師めぐり~「カープ列車」で福塩線を行く

2022年04月12日 | 中国四十九薬師

広島から福山に行くのに三次を経由する半日。この春は「青春18きっぷ」を使う予定はなかったが、広島県内限定なら4月からは「ひろしま1デイきっぷ」がある。

三次から福塩線で福山に向かうが、時間があるので三次駅前を一回りする。向かったのは駅近くのスーパー。まずは鮮魚コーナーに向かう。以前、ここで「ワニ」ことサメの刺身を買ってフードコートで食べたことがあったが、もしあれば昼食の一品にと思ったのだ。ただ、ワニは他の魚のように常に並ぶものではないようで、入荷次第のもののようだ。

昼食は適当に済ませた後、14時43分発の府中行きを待つ。側線では気動車が発車準備中だが、「府中」の字幕を出しているのは赤く塗装されたキハ120。2021年秋に、芸備線の活性化を目的として地元有志らの募金によりラッピングを施された「カープ列車」である。福塩線にも時折顔を出すようだ。これまでに三次駅構内で見かけたことはあるが、どうやらこれに初めて乗ることになりそうである。

待合室にそこそこの客もいたし、今は青春18きっぷの時季でもある。そうした利用客もいそうなので、早めにホームに向かう。府中行きが入る頃には20人ほどが乗車口に列を作っていた。

やって来た「カープ列車」。カープ坊ややスライリーの他に、沿線自治体のマスコットキャラクターもあしらわれている。

また車内の中吊り広告には「もうひと肌 脱ぐ」というキャッチコピーとともに、まさに「ひと肌」脱いでいるカープの選手が登場する。エース大瀬良、森下、栗林はじめ、坂倉、曾澤といった選手たちがボールやバットを手にりりしい表情を見せる。彼らが実際に芸備線や福塩線に乗ることはまずないと思うが、広い意味での地域応援に一役買おうという心意気である。

ボックス席は相席、ロングシートも少しずつ間隔を空けて席が埋まるという乗車人数で発車。カープ列車ということで沿線でカメラを構える人、手を振る人の姿も見える。鉄道に親しみを持ってもらうという点では目玉になっていると思う。

塩町までは芸備線の区間だが、早速「必殺徐行」の時速25キロ区間に入る。

気動車がゆっくり走る間に、JR西日本がローカル区間について収支を公表したことについて触れる。北陸、関西、中国合わせて17路線・30区間が対象で、広島県では芸備線、福塩線、木次線が該当する。これによると、100円の収入を得るために、芸備線の東城~備後落合という超閑散区間では25,416円、備後落合~備後庄原で4,127円。木次線の出雲横田~備後落合という冬季運休区間は6,596円。そしてこれから通る福塩線の塩町~府中は2,581円。これだけ見ると福塩線はまだましと見えるが、数値だけ見れば異常事態だ。

尾道松江道が線路を跨ぐ。あちらの収支がどうなのかはわからないが、収支がどうであろうと公共のものとして国や地方自治体により支えられていることは確かだ。

途中の三良坂や吉舎で乗り降りもあり、青空の下、のんびりと走る。沿線にも桜があり、そろそろ散り始める景色を見る。

上下に到着。府中からの列車との行き違いで5分停車ということで、車内から外に出る人も多い。駅舎を利用した交流スポットもあり、土産物を買うこともできる。福塩線には上下のほか、甲奴(お好み焼屋)、備後矢野(うどん屋)といった駅舎を利用した店舗があるが、このダイヤの福塩線でわざわざ訪ねるには相当苦労するところである。

途中、地元の人たちがそれなりに乗り降りして全体の乗客は20数人でほぼ変わらない中、府中に近づく。

16時34分、府中に到着。そのまま、16時41分発の福山行きに乗り継ぐ。福塩線でも府中から先の電化区間は今回の収支公表の対象になっておらず、路線単体では赤字なのは間違いないだろうがとりあえずは現状維持でがんばりますというところだろう。福山に向かうに連れて各駅からの乗客がある。

17時27分、福山到着。福塩線ホームから、現在「令和の大普請」も終盤に差し掛かる福山城を見る。

さて、本題の中国四十九薬師の札所には翌10日行くことにしている。安く上げるならば9日はこのまま広島に戻り、10日の朝、ふたたび「ひろしま1デイきっぷ」を使って広島から松永に来ればよいことだし、一時はそのつもりだった。ただ、直前になってせっかくなので9日は福山に宿泊とした。同じ県内で泊まる機会もなかなかないし、少しでもゆっくりできればということで・・・。

コメント

第11回中国四十九薬師めぐり~広島から三次を回って福山へ

2022年04月11日 | 中国四十九薬師

中国四十九薬師めぐりは福山から庄原、三次と進み、今度は福山、尾道と続く。今回は福山にある第15番薬師寺と、尾道の第16番西国寺が目的地である。

広島からなら山陽線でまっすぐ行けばいいことだが、前回三次まで進めたコマを福山まで進める必要がある。となると、ローカル線訪問も兼ねて福塩線に乗ることにしよう。中国山地のローカル線についてはJR西日本が今月に区間ごとの収支を公表するとしており、木次線や芸備線と並んで福塩線もその対象となっている。福山から府中までの電化区間はそこそこの利用客がいるとして、問題は府中から塩町(~三次)の区間である。

4月に入り、JRの広島県内区間(山陽線は岩国まで)が1日乗り放題となる「ひろしま1デイきっぷ」(2500円)の発売が開始された。これを使って広島から芸備線で三次、そして福塩線で福山に行くことにする。それだけでも安上がりだが、このきっぷは「みどりの券売機」では取り扱っておらず、前日までに「e5489」で予約する必要がある。

福塩線の非電化区間のダイヤも厳しいもので、三次発は6時ちょうど発の府中行きの次は7時40分発の吉舎行きがあるが、府中まで行くのは14時43分発までない。先日訪ねた芸備線の備後落合~東城間の1日3往復と比べれば朝夕に何本かあるだけましだが、日中はこの状況である。これなら早起きして三次に向かうこともなく、朝はゆっくりした後に出発することにする。

4月9日、広島11時50分発の三次行きで出発する。この後の12時35分発でも福塩線の列車に間に合うのだが、少し早めに行って、三次で時間を取ることにする。折り返しの列車からカープのユニフォーム姿の人が何人か降りてきたが、あれ?この日のカープは甲子園でのデーゲームのはずでは。調べるとこの後マツダスタジアムでカープ対タイガースのウエスタンリーグの1戦がある。カープのファームといえば山口県の由宇のイメージだが、たまにはマツダスタジアムでも試合を行うようだ。バファローズも広島、もしくは山口で試合することもあるだろうから、日程が合えばそうした試合を観るのも面白そうだ。

キハ47の2両編成は、この時間のためか1ボックスに1人ほどの乗車率。青空の下、広島の郊外を進む。

この芸備線はJRの収支関連でいろいろ言われているが、広島口では通勤通学で多くの利用がある。ただ一方で、少し走ると周囲には(同じ広島市内ながら)山や昔ながらの家屋も広がり、走るのが国鉄型気動車ということで昔ながらのローカル線の風情を楽しめる。ちょうどいい気分転換にもなる。

まずは助走というわけではないが、外をボーっと眺めつつのんびり過ごす・・・。

13時36分、三次に到着。次の福塩線まで1時間ほどあるのでいったん駅の外に出る。その時、側線に何両か停まっているキハ120の姿を見たのだが、そのうちの1両に「カープ列車」がある。よく見ると行先には「府中」と出ており、ひょっとするとこの後これが福塩線を走るのかと期待することに・・・。

コメント

佐々木朗希、バファローズ相手に完全試合

2022年04月10日 | プロ野球(バファローズ・NPB)
4月10日、私は中国四十九薬師めぐりの帰途に呉線に揺られていたのだが、車内で野球の結果をスマホで見てびっくり。

マリーンズ対バファローズにて、マリーンズの佐々木朗希が完全試合を達成した。

いや、スマホの途中経過では、バファローズが0点のままだなあ、ああ完封負けか・・と受け止めていたのだが、ニュース速報で完全試合とあって驚いた。13連続奪三振を含む19奪三振はNPB最多タイである。前日、バファローズの山本由伸が球団記録を更新する18連勝を挙げたのに喜んだばかりだが、「令和の怪物」のNPB最年少での完全試合には恐れ入る。まさに「エキサイティングリーグ・パ!!」。

これまで、「完全試合は『完全ではない状況』で達成される」と聞いたことがある。投手がそれまで不調だったり、そもそも実績がなかったりという中で達成された(直近の槙原投手も、前年オフにFAで移籍しようか迷っていた状況)ことが多い。ただ、今回の佐々木については、これが今後の飛躍につながる大きな1勝になることだろう。

完全試合を喰らったチームのファンの1人ではあるが、おめでとう。いつの日か、球場でナマの投球を観たいものである・・・。
コメント

第35番「大師寺」~広島新四国八十八ヶ所めぐり(札所めぐりの後は「がんす&チップス」)

2022年04月08日 | 広島新四国八十八ヶ所

3月末日、天気は今一つだったが満開の桜を見て心を癒され、岩瀧神社、第34番の豊稔寺を後にする。坂道を下り、かつての山陽道に出る。そして安芸区から海田町に移る。先ほどの府中町と同様、広島市と密接なところながら町として独立している。陸上自衛隊の駐屯地やマツダ関連の工場を擁していて、人口なら海田町を下回る市が県内にいくつかあるほどだ。

素朴な疑問なのだが、府中町や海田町(プラス坂町あたりも該当するかもしれないが)といったところ、それぞれ広島市の府中区、海田区、なんならそれらもひっくるめて安芸区でもいいが、広島市に周囲を囲まれる中、町として独立しているのはどういう理由かなと思う。歴史のあることで私なんかがどうこう言うことではないが、地元の人たちの独立意識が高いのかな。

かつての一里塚もある旧街道を東に進むと、大師寺の入口がある。その参道を進むと急な石段に出会う。南無大師遍照金剛、毘沙門天王の幟が並ぶ。

その石段を上りきったところに、2棟の立派な建物が現れる。またこの奥には日の浦山をめぐる新四国八十八ヶ所のお砂踏み霊場もあるとか。

まずは右手の本堂に向かう。扉がある2階からはすぐ下に海田の町並みを見ることができる。

大師寺は江戸時代後期、日の浦山に四国八十八ヶ所の石仏を安置したのが始まりである。また左手にあって本堂よりも高い場所にあるのが毘沙門堂。これは明治時代に信貴山朝護孫子寺の毘沙門天を勧請し、現在は信貴山の広島別院に昇格したものである。大師寺という名前は弘法大師から取ったとしても、それぞれのお堂の位置からして、寺としては信貴山、毘沙門天というところなのだろう。

まずは本堂に入り、広島新四国としてのお勤めとする。

そして毘沙門堂に上がる。その脇には虎の像が奉納されている。こちらは扉が閉まっていて外から手を合わせる。

本来なら裏手に広がる日の浦山の八十八ヶ所を回るべきなのだろうが、毘沙門堂で引き返して朱印をいただく。本堂の階下でチャイムを鳴らすと寺の方が出てきて、先ほどお勤めした本堂に案内される。書置きの朱印の箱は本堂の内陣にあり、そこから引っ張り出していただいた。それなら、外陣のどこかに箱を置いていただいたらよかったのだが・・。

これで大師寺の参詣として、海田市駅に向かう。時刻は15時前で、次の第36番蓮華寺がある安芸中野までコマを進めることもできるが、とりあえずここまでとする。呉線との分岐駅である海田市から広島まで山陽線で移動する。この日はマツダスタジアムでカープ対タイガースのナイターがあり、車内や広島駅構内では早くもカープのユニフォーム姿を見かける。ふと、飛び込みでナイターを観ようかなとも思ったがセ・リーグの試合だし・・。

広島に戻り、いったん改札の外に出る。このまま帰宅するには早すぎるし、これまで訪ねることも少なかったekie広島をのぞいてみる。そこで目に留まったのが「銀座ライオン」。平日だし、まだ夕方になっていないし、ちょっと後ろめたさも感じるが勤務としては休日である。桜見物の余韻ということで一献やりますか・・・。

ビールの種類や注ぎ方云々がいろいろあるが、シンプルに黒ラベルで。「もっと働け!」という声が聞こえてきそうだが、一応周りに目を配りつつジョッキに口をつける。

昼飲みと夜飲みとの中間で料理をどうするかというところで、がっつりとした食事というのは難しいが、その中で目についたのが「がんす&チップス」。「銀座ライオン」の中で広島オリジナルだろう。思わずニヤリとする。

ビールのアテ(といっては失礼だが)として、イギリスの郷土料理「フィッシュ&チップス」というのがある。白身魚のフライにフライドポテトを合わせたものだが、白身魚のフライの代わりに、広島の郷土料理「がんす」を充てたものだ。フィッシュ&チップス、がんす&チップス・・・語呂もいい。まさに「美味いでがんす」。

なお、このチップスがフライドポテトではなく、広島が誇るカルビーのポテトチップスなら、より広島らしさが出るところだ(すでに実践している方もいると思う)。

コンコースに戻るとカープファンの数もより多く見えたが、スタジアムには行かずにそのまま帰宅する。ちなみに3月31日の試合はカープが逆転勝利し、カープは開幕6連勝、タイガースは開幕6連敗となった。大師寺の虎の像もさぞかし残念がっているだろうが、タイガース嫌悪の私としては最高の展開で・・・(バファローズも人のことはいえないが・・・)。

コメント