まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

北大阪急行、千里中央~箕面萱野にて延伸開業

2024年04月03日 | 旅行記E・関西

3月23日、北大阪急行の千里中央から北へ2駅、箕面萱野までの2.5kmが延伸開業した。北大阪急行といえば1970年の大阪万博に合わせて江坂~千里中央間が開業し、万博終了後も御堂筋線と直通して大阪市街と千里ニュータウンを結ぶ路線としておなじみである。

御堂筋線の利用客からすれば「千里中央行き」というのはおなじみの存在で、その昔、新大阪からの新幹線に間に合わない!と慌てて乗った列車が「中津行き」だとガッカリする・・というのがあった。まあ、今はそうした折り返し列車もほとんど「新大阪行き」だが。

その北大阪急行の延伸構想というのは、平成の初めあたりからあったそうで、2010年代になると延伸を公約に掲げた市長の誕生も後押しとなって、箕面萱野までの延伸が決定した(当初の計画では「新箕面」という駅名)。2020年度の開業を目指して建設が進められたが、用地買収や工期の遅れがあり、2023年度末の開業となった。新駅は、箕面船場阪大前、そして終点の箕面萱野である。これで御堂筋線~北大阪急行の直通により、堺市~大阪市~吹田市~豊中市を経て箕面市まで1本で結ばれることになった。

3月31日、広島からの日帰りで京セラドーム大阪に野球観戦に出かけたが、その前段として、新幹線で新大阪に着いた後、御堂筋線のホームに上がる。

もちろん行き先表示は「箕面萱野」となっている。案内板等には一応「江坂、千里中央方面」と書かれているが、時刻表を見ると早朝夜間の数本の江坂行きを除いて全て箕面萱野行きとなっている。これまでなじんでいた「千里中央行き」というのがなくなるのも、まだ延伸開業したばかりとあって不思議な感じがする。

まあ、同じような時期に新幹線が「敦賀行き」に変わり、特急サンダーバードも「敦賀行き」になったのに比べれば小さな変化かとは思うが・・。

ちょうどやって来たのは北大阪急行の車両。「延伸開業」のヘッドマークが掲げられている。しばらくは新御堂筋に沿って走り、千里中央の手前で地下に潜る。千里中央はこれまで半世紀以上絶対的な終点だったが、これからは途中駅の一つとしてすぐに発車する。

しばらくして箕面船場阪大前。船場という名前から大阪中央区の船場センタービルを連想するが、実際この辺りは、大阪市中心部の過密化にともない、船場から移転して来た繊維業者の工業団地があるという。大阪メトロの駅名には近隣の複数の町名やら何やらをくっつける傾向があるのだが(西中島南方、喜連瓜破、ドーム前千代崎などなど)、大阪の船場と区別する意味での「箕面」をつけ、さらに後ろに「阪大前」とつくのは、大阪大学の箕面キャンパス(かつての大阪外国語大学)最寄りのアピールである。ともかくさまざまな情報を入れたがる。

箕面船場阪大前を出ると再び地上に顔を出し、そのまま効果にて頭端式の終点・箕面萱野に到着。箕面の山も目の前にあり、さすがにこれ以上の延伸はなさそうだ。ホームでは撮影を楽しむ姿もちらほら見える。

改札口を出る。すぐそこにあるのが「みのおキューズモール」。新しく開通した駅の周りといえば空き地が広がり、これから少しずつ建物ができていくことが多いように思うのだが、ここ箕面萱野については長い間北大阪急行の延伸を見越して住宅地やこうしたショッピングモールの整備が行われていて、万全の体制で開業を迎えたといえる。時間的に開店前の店がほとんどなのだが、それでもこの辺りとぶらついたり憩っている人も多く、地元のよりどころとなっている。

一角には勝尾寺のだるまのパネルもある。箕面萱野まで延伸したことで勝尾寺までのアクセスも近くなるかなと思ったが、バスは従来通り千里中央駅発、北千里駅経由の便のようだ。もっとも、以前の紅葉のシーズンには阪急箕面駅等から臨時のシャトルバスが出ていたという情報もあり、今後、箕面萱野延伸を絡めたアクセス便が出ることも期待したい。

駅に戻ると、「かやのさんぺい橋 工事中」ということで、新御堂筋をまたぐペデストリアンデッキが工事中である:「かやのさんぺい」とは「忠臣蔵」に出る「萱野三平」のこと。なぜ箕面で萱野三平、また橋や新駅の名前になっているのか。

元々この辺りが萱野という地名で、萱野家はここの郷士としてそう名乗ったのだが、江戸時代になり旗本の大島家に仕えるようになり、三平は大島家の推挙で浅野家に仕えた。松の廊下事件で浅野家が取り潰しとなった後は箕面に戻ったのだが、浅野内匠頭の仇を討とうという同志たちに賛同していた。そのため、彼らとともに江戸に向かおうとしたが、かねて大島家に仕官するよう勧めていた父の反対にあう。三平は結局、主君への忠と父親への孝との板挟みになり、自刃する・・・。「忠ならんと欲すれば孝ならず、孝ならんと欲すれば忠ならず」という、昔から現代までこれで悩んで自害したり命を縮めたという話はあるが、結局、誰も得しないのである。必要以上に美談にすることもないと思う。

もっとも、「忠臣蔵」じたい以前のように年末の風物詩や映画・ドラマの定番でもなくなったし、箕面の人たちもどのくらい知っているのかなと思う。

さて京セラドーム大阪に向かうにあたり、まずは御堂筋線で延々となんばまで南下。乗車時間34分、しかも各駅に停車するが(車内で読書も結構進む)、大阪の中心部をずっとたどるルートを乗り換えなしで行き来できるようになるとは、箕面の注目度もこれから高まるかもしれない。

久しぶりのミナミ。阪神なんば線に乗り換える前に、朝から混雑の「赤垣屋」で景気をつける・・・。

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夕日ヶ浦温泉にて「ひとりかにカニ日帰りエクスプレス」

2022年01月17日 | 旅行記E・関西

1月3日、「こうのとり1号」と京都丹後鉄道を乗り継いでやってきた夕日ヶ浦木津温泉。送迎のマイクロバスで向かったのは佳松苑である。この辺りに何軒もの姉妹館を有していて、その元締めとも言える旅館である。今回は日帰り利用。

駅から2~3分で到着し、そのまま息つく間もなく食事の広間に通される。この日読売旅行のプランで来たのが私だけということで話が早いようだ。広間には早速カニが並べられていて、他にもいくつかテーブルがあるが、そちらにはやがて別のツアー客が10数名やって来た。

まず中央にデンと座るのがゆでカニがまるまる1杯。タグがないので何とも言えないが、日本海で水揚げされたものだと思う。脚をちぎり、身をほじくりだしてじっくり味わう。甲羅から味噌も出す。

さらにはカニ刺し、焼きガニが並ぶ。焼きガニのコンロに火がつけられるが、半生で食べるくらいがちょうどよいとある。カニ刺しのちょっとドロッとした感じ、焼きガニの香ばしさ、それぞれの良さを味わう。コンロが固形燃料でなければ、ゆでカニの甲羅を網に乗せてあぶり、そこに熱燗を注いで・・・ということができたかもしれない。

そしてカニ鍋。カニの脚をつまんでちょっと熱っ!というところでいただく。カニの甘味が染み出している。野菜はこの鍋でカバーだ。

頃合いを見計らって係の人がご飯を持ってくる、当然最後は雑炊! これで都合カニ2杯を味わった。

普段カニを食べ慣れているわけではないので、この日のカニのランクがどの程度のものかはわからないし、尋ねるのも失礼かと思うが、ここまで来て美味しいものをいただいた喜びはある。今回いただいたのは佳松苑としてはもっともリーズナブルなコースで、宿泊して夕食で味わうならもっと他のメニュー、さらには上のランクのカニも楽しめるのだろうが、そもそもこうした旅館には一人では泊まれないし、昼食としてなら十分満足である。これでズワイガニはしばらく大丈夫かな。

駅までの送りまで少し時間がある。日本海も見に行きたいが、せっかくなので温泉にも入りたい。時間的にはどちらか片方だけだが、ここは温泉を選択した。立ち寄り入浴の利用も受け付けているそうでそこそこ賑わっていた。せっかくなので冬の冷気も感じつつ、露天風呂にも入る。

2時間あまり滞在して、マイクロバスで駅に戻る。指定されたプランでは、夕日ヶ浦木津温泉14時12分発の列車で豊岡14時41分着。豊岡で1時間待ちの後、15時41分発の「こうのとり22号」に乗車して新大阪に戻るとある。旅程表では、「豊岡でのお買い物などお楽しみください」とあり、確かにこれまで駅前のショッピングセンターで時間はつぶせそうかと思う。

ただ、同じ道をそのまま引き返すのもどうか。追加できっぷを買う形になるが、京都丹後鉄道を逆方向に宮津まで出て、福知山に抜けられないかと思う。豊岡で1時間待ちというのがあるからどうかな・・と時刻表を調べると、14時41分発の西舞鶴行きに乗り、15時27分宮津着。5分の接続で福知山行きがあり、16時25分に福知山に到着。そして16時46分発で予定の「こうのとり22号」を迎えることができる。特急も、当初と同じ列車に途中から乗るのだから問題はないはずだ。

ということで、窓口で福知山までの乗車券を購入する。

そうすると木津温泉駅で少し時間があるので、先ほどマイクロバスで通った時に見かけた土産物処「かにはん」に立ち寄る。松葉ガニをはじめとした海の幸、加工品などさまざま並び、いくつかのものを買い求めて自分土産とする。

夕日ヶ浦という名前があるくらいだから、夕日はさぞかしきれいなのだろう。また機会があれば訪ねてみたい。

14時41分発の宮津経由西舞鶴行きは一般型の車両だが、全席転換クロスシート。網野、峰山といったところを通る。天橋立が近づくと三景の松林、宮津湾の景色も眺められる。この日はこの辺りも晴天である。実に運がいいというか・・。

宮津で福知山行きに乗り換える。113系の2両編成、昔ながらのセミクロスシートだ。電化区間ということでこうしてJRの車両が乗り入れることもあるようだ。

丹後地方はこの数日後にも強い寒気に見舞われて大雪となり、列車も運休していた。繰り返しになるがたまたまこの日が穏やかな天候で、地元の人たちもほっとしたことだろう。

関西、特に兵庫、京都、滋賀の各府県では同じ府県内で北と南で天候ががらりと変わるが、全国ニュースの天気予報ではなかなか伝わりにくい。NHKの朝のニュースでは各都道府県の県庁所在地の天気を紹介するが、中国地方や東海北陸地方では日本海側の県の天気はわかるものの、関西はそれぞれの県庁所在地が近くに寄りすぎているため、北部や南部の実態が伝わりにくい。ローカルニュースや民放の天気予報では舞鶴・豊岡から潮岬までカバーしているから別にいいのかもしれないが・・。

福知山に到着。続いて「こうのとり22号」に乗るのだが、ホームには旅行客、帰省客など多くの乗客が列を作っている。指定席の乗車口にも分散して並ぶよう案内がある。この年末年始は(コロナ禍前には遠いものの)前年と比べて交通機関の予約も増えているそうで、ちょうど1月3日、この時間帯だと混雑するだろう。私が乗る指定席もすでに立ち客が出ていたが、私の席が他の客に占拠されることもなく、無事に着席できた。

外も少しずつ暗くなり、後は淡々と大阪に戻る。たくさんいた乗客も尼崎、大阪でほとんど下車して、終点新大阪に着いた時はまたガラガラになった。

新大阪の在来線、新幹線乗り換え口はごった返していた。以前の賑わいが戻って来てよかったな・・と思うが、年明け早々、オミクロン株の広まりにより感染者数が急増し、またマスゴミが「年末年始の人出が原因です!!」と連日悲壮な顔をしつつ嬉々としてそれを伝える日々になってしまった。よかったねえ、マスゴミの皆様・・・(ええ加減にせえやボケ)。

1月3日は「こだま直前割きっぷ」も有効で、19時29分発の「こだま871号」に乗車。大阪とは逆方向ということでまたガラガラである。コンセントがあるという理由で最前列のシートを確保し、その後はのんびりと進む。時間としては夕食だが、昼食のボリュームのためにそれほど空腹ではない。このままのんびり過ごし、翌日4日は仕事始め前の休養に充てる。

年末年始も長々と出かけたが、2022年はどうするか。とりあえず1月は決まった予定をこなすことに・・・・。

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「ひとりかにカニ日帰りエクスプレス」で丹後の地へ

2022年01月16日 | 旅行記E・関西

1月3日、新大阪8時06分発の特急「こうのとり1号」城崎温泉行きに乗る。新大阪発車時点では指定席、自由席ともガラガラでの出発である。この先2時間40分ほど乗って向かうのは豊岡である。

この日は長い帰省旅を終えて広島に戻るはずなのだが(仕事は1月5日から)、こうして北に向かう特急に乗っている。かといって、豊岡からさらに先に進み、鳥取を回って広島に戻るというものでもない。夕方にはまた新大阪に戻り、改めて山陽新幹線に乗るつもりである。

実はこれ、日帰りでカニを食べに行こうという何とも贅沢なプランを詰め込んだためである。青春18きっぷやフェリー利用で浮いた旅費の「貯金」を全部はたく形になる。

ことの始まりは、何だかズワイガニが食べたくなった昨年12月。近所のスーパーでも冷凍カニが並ぶようになったし、通販の広告でもお買い得感を打ち出した商品が並ぶ(それらのほとんどは輸入品だが)。そういうのを買って自分で調理すれば済むことだが、やはり出かけて食べてみたいというのはある。

この年始に大阪に出てきたが、正月期間でもカニ目当ての日帰りバスツアーが各社で組まれている。丹後半島、但馬、鳥取各方面あり、そういうのに参加するのもよいかと思った。ただ、移動するならやはり鉄道のほうがいい。その鉄道側にはJR・日本旅行が企画する「かにカニ日帰りエクスプレス」というのもあるが、これは2人以上での申し込みだし、そもそも年末年始はプランの設定がない。

そんな中、ネットで見かけたのが読売旅行による個人プラン。行先は、丹後の夕日ヶ浦温泉にある「佳松苑」。「こうのとり1号」で豊岡まで行き、京都丹後鉄道で夕日ヶ浦木津温泉まで移動して、送迎バスに乗る。帰りも同じルートで、豊岡15時41分発の「こうのとり22号」に乗る。添乗員同行のツアーではなく、旅行会社扱いの乗車券・特急券が自宅に送られ、そのまま列車に乗るというもの。バスツアーに比べると料金は高いが、お一人様でもOKだし、「ひとりかにカニ日帰りエクスプレス」もいいな・・ということで申し込んだ。元日・2日と新大阪に宿泊したのはこのためである。

ただ、出かけるにあたり気になっていたのは天候。何せ行先は日本海側、年末にも荒れた天気になっていたこともあり、当日雨や雪が降るだけならまだしも、最悪の場合列車の運休ということも考えられる。仮に運休になった場合は自分で旅館にその旨を連絡するとともに、駅の窓口で乗車券・特急券の不使用証明を受けてそれらを旅行会社に送って、その後で旅行代金の払い戻しを受けるようだが・・。

そういうリスクも想定しながら当日を迎えたが、3日は天気予報は近畿北部を含めて穏やかだという。また翌日からは雨または雪の予報が出ていたから、何ともラッキーなものだ。

特急は順調に走るが、篠山口を過ぎたあたりから少しずつ雪を見るようになる。ただし今は新たに降る様子もなく、この先も支障なく進みそうだ。

福知山を過ぎて山陰線に入ると積雪も多くなった。こうした雪景色の中を列車で走るのも久しぶりで、車窓に目が行く。

10時48分、豊岡着。ホームの向かい側には香住行きの鈍行が待っている。その昔、JRの「かにカニ日帰りエクスプレス」でかつての仲間たちと餘部鉄橋近くの旅館を訪ねた時のことを思い出す。その時は「こうのとり」(車両は国鉄型だったかな)で豊岡まで来て鈍行に乗り継ぎ、香住まで行った。時季は2月だったが、雪もほとんどなく、2月とは思えない晴天が広がったのが印象的だった。カニも美味く、そのまま横になって翌日は仕事を休みたいな・・とも話したものである。

今回は改札を出ることもなく、連絡口から京都丹後鉄道に乗り換える。京都丹後鉄道の列車もどれでもいいというわけではなく、10時53分発の快速に乗るようクーポンが送られていた、この快速は網野から特急「たんごリレー4号」として福知山まで走る。

車両は「丹後の海」。いわゆる「水戸岡デザイン」車両で、車内は白樺やナラといった木々が豊富に使われ、和の空間を演出する。以前に乗った時のことも思い出す。

車内はガラガラで、せっかくなので先頭の座席に腰かけて前面展望を楽しむ。兵庫県から京都府に入る山がちな区間を通る。

11時18分、夕日ヶ浦木津温泉に到着。地元の人が数人下車したが、旅の人間は私だけのようだ。こういうプランならもっと多く利用して賑わうのかなと思っていたが、意外だった。改札を出ると出迎えらしき人がいて、声をかけると佳松苑の方だった。クルマに乗ったのは私一人で、当初は他に予約していた客がもう1組いたそうだが、キャンセルになったとのこと。これで名実ともに「ひとりかにカニ日帰りエクスプレス」の旅になった・・・。

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元日、2日の夜は新大阪にて・・・

2022年01月14日 | 旅行記E・関西

元日は名門大洋フェリーで大阪南港上陸~池田の久安寺~雪景色の能勢妙見山と慌ただしく回った後、新大阪に2泊とする。実家の藤井寺には2日に顔を出すが宿泊はしない。ならば天王寺など、もう少し近いところに泊まればよいのだろうが、新大阪をベースキャンプにしたのは1月3日の動きを意識してのことである。

宿泊としたのは新大阪の東口にあるスーパーホテル。朝食、大浴場つきで2泊10,700円。新大阪近辺には他にホテルの空きはあったが、朝食、大浴場つきとで探していた。また、この手のホテルは需給バランスによって価格が大きく変動するが、早期の予約だと安く利用できるということで決め打ちしていた。部屋はお任せプランだったが、禁煙のダブルルームが割り当てられた。ベッドは広いし、机もまあまあ大きく連泊も苦にはならない。

テレビをつけるとちょうど「笑点」の元日特番をやっていて、2021年末をもって降板となった林家三平さんの後のメンバー発表のタイミングだった。そこで発表となったのは、桂宮治さん。BS版で放送の若手大喜利にも出ていて、事前の予想にも挙がっていた一人である。まあまあ、妥当なところではないだろうか。

大浴場に向かう。「天然温泉秀吉ゆかりの天下取りの湯」とある。大浴場といってもそれほど広いわけではなく、また時間帯によって男女交代となるために入浴のタイミングを見計らう必要はあるが、私が行ったときはたまたま他の客がいない、あるいは少数だったためゆったりと浸かることができた。

そして元日の夜。元日に開いている店などほとんどないだろうということで、メインディッシュは駅弁、飲み物はコンビニ調達ということにした。新大阪の「駅弁にぎわい」で選んだのが、三ノ宮の「神戸中華焼売弁当」、そして福井の「越前かにめし」。何ともアンバランスな組み合わせになった。今思えば、酒の肴もかねて和風の幕の内も入れれば華やかになったかな?と思うが、これで正月から一人宴だ。

元日の夜は早くに横になった・・。

・・・さて2日。スーパーホテルの朝食は簡易メニューとはいえバイキング形式で、正月料理も若干出ていた。また、たこ焼き器の中でたこ焼きがクルクル回っている。こういうのもちょっとした面白さである。早朝からそこそこの人出である。

2日はテレビで箱根駅伝のスタートを見た後にホテルを出発し、藤井寺の実家に向かう。途中西国三十三所第5番の葛井寺にも立ち寄って手を合わせる。先月、西国三十三所の3巡目を終えて中先達の昇補申請を行うにあたり葛井寺で証明をいただいたが、現在まだ手続き中である。今回は西国の先達納経軸は持参しておらず、この日は手を合わせただけである。

西国三十三所めぐりはすでにフライングで4巡目に取っ掛っているが、かなりハードなイベントを盛り込むことを考えていて、近々始める予定だ。いずれ、このブログでそのシリーズが延々続くのだろう・・・。

その後実家で両親らと顔を合わせ、昼食を含めてしばらく過ごし、夕方にまた新大阪に戻った。まだ実家に泊まるというところには至らない(まあ、狭いし(笑))。事実、ホテル泊のほうがお互い気兼ねせずに済むだろう。

そして2日の夕方。ちょうど新大阪東口の前で見つけたのは「さくら水産」。灯りもついていたので地下1階に入店。キタやミナミならともかく、2日の夜に新大阪で飲む人はさすがに少ないか、店内はガラガラだった。

「さくら水産」は関東を中心に展開するチェーンで、私も東京勤務時にはお世話になった。もう10数年前のことだが、当時はメニューが書かれた紙に赤鉛筆でチェックを入れて注文していたなあ。価格が安いのも特徴で、「魚肉ソーセージ 50円」なんてのもあった。関西にも何店舗かあったと思うが、いずれにしても久しぶりに入るチェーンである。

ただ、時代の流れか運営会社も経営が厳しくなったか、その間に店舗数も大幅に減ったようである。関西はここ新大阪東口のみである。

一方で、料理については単価が高いものの、そこそこのものが並ぶようになったという印象である。何だか、普通のチェーン居酒屋になったようである。その中でもさまざまな料理を楽しむ。中にはイカのルイベやら、鯛のかぶと焼きといったものもある。

ホッピーも美味しくいただく。

部屋に戻り、2日夜もぐっすりと休むことができた。

これで大阪での2日間を終えて、3日は広島に戻る。ただ素直に戻るのではなく、ある日帰りプランにてさらに遠くに出ることにする。正月ということで思い切って贅沢をしたのだが・・・。

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信楽町歩き

2017年04月26日 | 旅行記E・関西
8時29分、信楽に到着。貴生川には10時54分発の列車で折り返すとして、それまで町歩きとする。

信楽といえばタヌキの置物のイメージで、早速お出迎えである。窓口の横にもいるし、駅前には高さ3メートルはあろうかという大型のタヌキがいる。こちらは公衆電話である。

2時間以上時間があるわけだが、特に目的を定めずぶらつくことにする。まずは駅からまっすぐ伸びる道を歩くが、信楽焼のギャラリーがあり、大小さまざまなサイズのタヌキが並ぶ。これだけ並べて買い手がどのくらいつくのかなと、勝手ながら心配してしまう。

もっともよく見ればタヌキだけでなく、カエルもいれば七福神もいる。とは言えこれらは客寄せであるようなもので、実際は壷やら茶碗、植木鉢といった実用的なものも中では売られているようだ。店によっては焼き物の体験をさせてくれるところもあるようだ。ちょうど訪れた日の次の週末にあたる29日からは駅前陶器市が行われる。

通りの突き当りにあるのが新宮神社。715年、奈良時代の初めの創建とされている由緒ある神社である。一昨年は1300年の大祭が行われたそうだ。まずはここで旅の安全と、この後で観戦するBCリーグ・滋賀ユナイテッドの勝利をお祈りする(残念ながら試合には敗けてしまったのだが・・・)。

新宮神社の横に、「窯元路散策」の道標がある。先ほどは信楽焼を売る店がいろいろあったが、その窯元が集まっているエリアである。工房を見学するとなると大ごとかなと思うが、歩くだけでも見どころはあるそうだ。これをぐるりと回ってみることにする。「ろくろ坂」「ひいろ壷坂」「窯場坂」とあるが、坂といってもそれほどきつくない坂のようだ。これを特にあてもなくぶらつく。あちこちに窯元や工房も見られる。

坂を上ったところにこのような登り窯を見つける。現在は使われておらず見学用となっているが、風情ある。信楽焼が栄えたのもこうした地形を活かした登り窯によるものである。登り窯は他には丹波の立杭焼、栃木の笠間焼などが有名なそうだ。ただ信楽でも現在はほとんどが工場のような形で制作されており、こうした登り窯は昔からの遺構として残されている。

その中で見つけたのがこちら。丸又窯という名で、近代産業化遺産にも指定されている。こういうものが残っているというのは正直知らなかった。タヌキの置物だけでイメージしてはいけないということだ。

窯元路散策を一通り終えて、新宮神社に戻る。この神社の門前にあるのが信楽伝統産業会館である。信楽観光の拠点とでもいうところである。こちらでは信楽焼の歴史について、展示室をぐるりと回ればわかるようになっている。鎌倉時代に始まったとされており日本六古窯の一つである信楽焼は、茶道具としても重宝されるとともに、将軍家への献上茶壺にも用いられた。童謡の「お茶壺道中」にも唄われる茶壺は信楽焼とされている。その後は実用的なものにもいろいろと制作され、大正時代からは汽車土瓶が造られたり、果ては太平洋戦争中は金属の代用として地雷や手榴弾にまで使われた。戦後は陶器としてだけではなくタイルとしても活用され、大阪万博の太陽の塔の裏側の「黒い太陽」にも使われた。

こうした芸術的、実用的な面がある一方で、やはりタヌキである。ただこれは太平洋戦争後にさかんに造られるようになったものの、その起源ははっきりしないそうである。当初から職人の遊び心で造られたのかもしれないし。

信楽焼に関するスポットは足を伸ばせばまだまだあちこちにあるが、駅前を歩くだけでも十分に楽しめる。列車の時間には少しあるが、駅でのんびり待とうということで戻って来る。駅舎の一角が信楽焼の土産物店になっているので入る。これまでタヌキの置物や、本格的な焼き物というのを目にしてきたが、そう簡単に買って帰ろうかというものではない。そこがこの駅内のスポットは、タヌキの置物も手のひらサイズで数百円からあるし、女性や若い人向けにアレンジされたものも結構ある。せっかくなのでタヌキの置物を買う。そして、信楽高原鉄道グッズとして買ったのが汽車土瓶。昔の鉄道では駅弁と一緒にこうした土瓶に入ったお茶が売られていたそうだ。

今回は通りを歩いただけだが、それでも十分楽しめた。町中にはさまざまなギャラリーや工房もあるので、お好きな方はより深く楽しむことができるのではないかと思う。わざわざ時間を作って訪ねた甲斐があった。せっかくなので信楽高原鉄道で行くこともお薦めである。

滋賀県というところもまだまだ訪ねたことがないスポットが多く、野球とも絡めて楽しみたいところである・・・・。
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信楽高原鉄道で信楽へ

2017年04月24日 | 旅行記E・関西
先の記事で、甲賀市のスタジアムまでBCリーグの試合を観に行ったことを書いた。

ただ、せっかく滋賀に行くのだし、野球は午後からということなので、午前に何かを詰めたいと考える。欲張りなんだか貧乏性なんだか。今回は、草津線の貴生川が球場の最寄り駅ということもあり、同駅から分岐する信楽高原鉄道に乗ることにした。実は同じ関西に住んでいながら、同鉄道は未乗車である。これまで一度は全国のJR線に乗ったことがあると称してはいるが、旧国鉄、そして民営化以後で第三セクターに転換した路線、つまりはJRと同じ仲間に近い路線となるといくつか未乗車がある。信楽高原鉄道もそうで、やはり行き止まりの盲腸線ということもあるのかな。終点の信楽も、他の交通手段を含めて行ったことがなく、町を少し歩いてみようと思う。

自宅を始発で出て乗り継ぎ、7時57分に貴生川に到着した。信楽高原鉄道の列車はホームの向かい側から7分の接続である。ホームにはICカードの読み取り機があり、ここで出場を記録する。ちなみに草津線でICカードが使えるのは草津~貴生川のみである。貴生川には信楽高原鉄道の券売機もなく、運賃は終点の信楽以外では車内精算となる。

そして待っていた車両にびっくり。紫色をベースとしており、先頭に「忍」の文字が入る。側面は忍者のイラストが大胆に描かれている。甲賀忍者を前面に押し出すとは、信楽といえば狸の置物のイメージがあるので意外だった。

車内も凝っていて、壁のいたるところに忍者がデザインされている。赤いのはくノ一。携帯電話の通話を控えるなどの車内マナーの呼び掛けも忍者が務める。また一方で、タヌキも忍者風にドロン・・・とやっている人形が置かれていたりもする。これも面白い。なお、座席や壁の写真は帰りの車内で撮ったものである。行きはクラブの試合か何かで信楽に向かう高校生でほぼ満席で、前のロングシートに腰かけての道中であった。

信楽高原鉄道の前身である旧国鉄信楽線は、貴生川から信楽を経て関西線の加茂まで行く路線の一部として建設されたが、結局は信楽止まりとなった。いかに信楽が焼き物で知られる町とは言え、京都や草津と直接結ぶ線ではなく、逆方向の貴生川との間の線でしかなかったために、経営は苦しかったようである。それが第三セクターの形で残ったのは、地元の熱意がそれだけ高かったことがうかがえる。時代が過ぎ、今は貴生川から北を走り八日市や彦根、米原を結ぶ近江鉄道とも合わせて、学研都市線までを「びわこ京阪奈線」として結ぼうという構想があるそうだ。北陸新幹線が松井山手を経由することが決まったことは、びわこ京阪奈線を推進する方々にとってはさぞかし追い風になったことだろう。

・・・ということを思ってみるが、現実の信楽高原鉄道は、貴生川を出てしばらくすると山の中に入る。上り勾配で速度計も40キロ、ピークのところでは30キロまで落ちる。貴生川から信楽まで14.7キロなのだが、このうち貴生川の次の紫香楽宮跡(しがらきぐうし)までで9.6キロを占める。信楽の町中に行くまでに山を一つ越える走りである。途中に信号場があり、線路が二股に分かれるが、信号そのものは横に向けられていて何の点灯もしていない。

紫香楽宮跡から信楽までは逆に短区間で駅が続く。各駅にタヌキの信楽焼の置物がある。また、「未来へ走る鉄道へ再出発」という言葉も見られる。

信楽高原鉄道にはこれまで大きな事故、災害が2度あった。一つは、1991年に発生した列車衝突事故。対向列車と合わせて42人が死亡、600人以上が負傷した。信号場が使われなくなったのも事故の影響で、それ以来、JRとの乗り入れもなくなり、線内を単純に往復する運転形態となった。現場に慰霊碑があったことに帰りに気づいた。二つ目は、2013年の台風18号。京都、滋賀に大きな爪痕を残した台風。ただでさえ経営が苦しいところへの台風で、一時は廃線も検討された。結果は、1年以上要しながらも全線復旧し、現在に至っている。びわこ京阪奈線構想はさておき、今は苦しいながらも何とか前向きに頑張っているというところだろう。

貴生川から30分ほどの行程にまた長々と書いてきて、ようやく信楽に到着。さっそく、ホーム上で多くのタヌキのお出迎えである・・・。
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吉野から慌ただしく折り返し

2017年02月28日 | 旅行記E・関西
「青の交響曲」で吉野に着いたのが11時26分。乗客の中には折り返しの便で往復乗車を楽しむ人もいるようだ。こちらにも「本日の空席状況」が掲示されていたが、2便、4便とも満席のようだ。私はどちらも予約していない。

吉野に来たのだから義経や南朝ゆかりのスポットや、修験道に関する寺社を回るのが本来の楽しみだろう。桜の咲いていない時季ならなおさらである。ただ、この日の私はそこまでの余裕がない。帰りに西国三十三所めぐりとして壺阪寺に行くことにしており、壷阪山駅から寺までの往復のバスの時間や滞在時間を考える必要がある。また、行きは特急に乗ったので帰りは鈍行の旅(走るのは阿部野橋行きの急行だが、橿原神宮前までは各駅に停まる)にしようかと思う。それらから乗る列車を13時07分発の急行としたが、これで1時間40分の滞在である。時間はそれなりにあるように見えるが、吉野の主要なところを回るとなると少ない。

また、観光エリアはロープウェイを上がった先にある。ちょうど乗り場に行くと出たばかりだった。次は15分待ちである。ちなみに、「青の交響曲」の乗車記念証の提示で吉野観光の特典が受けられるキャンペーンをやっていて、このロープウェイの乗車料金も割引になる。ここで15分待てばいいのだが、ふと、ロープウェイを使わずに上まで歩こうという気になる。このところあまり歩けていないし、また春になれば四国八十八所めぐりも計画しているので、ここは歩いてみよう。

ロープウェイ乗り場横の道を上る。他にも何人か上る人がいる。少し上ると七曲坂に出る。斜面に沿って桜の木があり、吉野の下千本のエリアである。その時季なら桜を眺めつつちょっとした運動にもなる。

道はカーブが続くが途中ショートカットする階段もあり、15分ほどで山上のロープウェイ乗り場に着く。次のロープウェイに乗るのとさほど変わらない時間で着くことができた。ここからもう少し坂を上り、黒門や銅の鳥居を過ぎる。春を待つシーズンオフらしく、道行く人も少なく、店もひっそりしている。吉野にはこういう時季もあることを感じる一時である。近く吉野町の町議会議員選挙があるようで、候補者たちのポスター掲示板がある。結構多く貼られているし、その掲示板に近いところの旅館の大将も立候補しているようだ。定員何人に対してこれだけの立候補がいるのか知らないが、こうした町なら票の取り合いも1票単位でシビアなのかなと思う。いずれにしても、町の活性化に向けてお疲れ様である・・・。

吉野のスポットで最も知られる金峯山寺に着く。他のところは難しいにしても、ここだけは行っておこう。まずは修復工事中の仁王門をくぐり、境内へ。

以前に吉野の地酒飲み比べ列車で来た時はちょうど秘仏本尊の金剛蔵王権現が公開されていて、同行の鈍な支障さんとともにその姿にうなったものだが、今回は何もない。ちなみに今年は4月1日~5月7日で公開とあり、ポスターやチラシで宣伝しているが、桜の時季と重なりごった返すのではないだろうか。「青の交響曲」もすでに近鉄系のクラブ某リズムが全部押さえているという話もある。

本堂蔵王堂に入る。「青の交響曲」の乗車記念証を提示すると、「こちらから一つどうぞ」と箱が出てくる。記念品ということで一つ引くと瓢箪のお守りが出てきた。

本尊が安置されている厨子の扉は閉められているが、外陣は畳敷でゆったりしている。せっかくなのでお勤めするか。壺阪寺にも行くので数珠と経本はある。前に来た時は札所めぐりなど考えてもなかった時期だが、今は違う。結構いろいろ意識する。正面には金剛蔵王権現の真言が掲げられており、最後はそれをたどたどしく唱える。ただ、納経帳にない寺社では朱印をいただかないことにしているので、金峯山寺の朱印はない。いただくなら神仏霊場会めぐりか、役行者霊場めぐりか。

吉野のスポットめぐりはこれだけにして、帰りもロープウェイに乗らずに坂を下る。駅に着くとちょうど列車待ちのまったりした時間帯で、しばらく列車待ち。そんな中「さくらライナー」が到着した。これが、私が乗る急行の少し前に発車する。今回はパスしたが、これに乗れば往復で特急車両の乗り比べができる。乗り心地ということなら「さくらライナー」のほうが特急専用車だけに良いのではないかと思うが、またいずれ「乗り比べ」をしてみたいものである。

「さくらライナー」の発車を見送った後、各駅停車の急行に乗る。吉野線は単線で、特急と急行が交互に走るダイヤである。そんな中で行き違いのための停車がある。そこは淡々とやり過ごすが、たまたま乗る分にはなかなかよくできたダイヤとしても、日常の利用客にとっては勘弁してほしいのかもしれない。こちらは特急の倍時間かかったような気がする。それでも、列車からホームに降り立とうという気までにはならない。

壷阪山駅に到着。これから寺に向けて4キロほど歩くが、せっかくなので麓の城下町を経由することに・・・、
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近鉄特急「青の交響曲」で吉野へ

2017年02月27日 | 旅行記E・関西
10時10分、「青の交響曲」は阿部野橋を出発。その時は2号車のラウンジカーのソファー席に座っていた。普段通勤で通る駅も、こうした席から眺めるとずいぶん様子が違って見える。

ラウンジカーにいたのは、併設のバーカウンターが発車とともに営業開始となることからである。それを見越して乗車とともに陣取って、そのまま居続ける客がいると聞いたものだから、先に行ってみた。案の定、営業開始前からバーカウンターには行列ができている。乗車時間がもろに昼食時間帯に重ならないためか、弁当や重いメニューはなく、サンドイッチや柿の葉すしといった軽食や、スイーツが中心。一方で飲み物はいろいろあり、沿線のものとして河内ワインにチョーヤ梅酒、葛城や吉野の地酒飲み比べがある。ラウンジカーは食事というよりは、飲みや喫茶のための場所である。そこは、同じ近鉄でも「しまかぜ」と異なる。

で 、私が選んだのは葛城の梅乃宿酒造の純米大吟醸。酒の味というよりは、車内限定「青の交響曲」のラベルの一合瓶に、吉野杉で作った「青の交響曲」の一合枡というのに引かれた(結局は「飲み鉄」か)。で、一合枡になみなみと注いで写真を撮るのだが・・・列車の揺れで枡から酒が溢れ出る。下に敷いたトレイに結構こぼれる。これもまた旅の一興だが、そうなるのも通勤型車両の改造版の宿命か、それとも南大阪・吉野線だからか(笑)。「しまかぜ」のラウンジカーに乗ったことがないのでわからないが、それと比べてどうだろうか。

なお、「青の交響曲」の記念乗車票や、オリジナルのコースターはバーカウンターから自分で取る仕組みである。

まあ、ラウンジカーを体験できたし、この後も他の乗客たちがのぞきに来るので、席を譲る形で立つ。列車はそろそろ奈良県に入るところ。2号車の端にライブラリーがあり、吉野や大台ヶ原の写真集や飛鳥の史跡ガイド、果ては修験道に関するものもある。これらは車中でじっくり読むというよりは、これからの歴史、自然ゾーンへの雰囲気作りだろう。

座席に座る。車内は1-2列が基本だが、私が当てられた車椅子席は客室の端で、2席のスペースが1席になっているところ。このためかスペースがゆったり取られているように感じた。テーブルは壁側から倒すが、物を載せても先ほどのラウンジカーほどの揺れは感じない。固定テーブルを備えた「一人席」との比較はできなかったが、最後の一席の車椅子席も悪くない(もちろん、この席を必要とする方たちの席であることが前提)。

通路の向こうは真ん中にテーブルを置いた向い合わせの席。旅行が好きそうな奥様と、無理矢理付き合わされたような感じの旦那さんという感じの初老のご夫婦が座って大声でしゃべっている。通勤列車でそうされたらかなわんが、観光特急なら夫婦漫才にも聞こえる。もっとも、人生幸朗と宮川花子がコンビを組んだようなしゃべりで・・・。

列車は橿原神宮前から吉野線に入る。ここで下車する人、乗車する人がいる。ここからは単線で、ローカル線の風情が高まる。ただ、観光列車だからといってどこかで長く停まるとか、徐行運転するということはない。あくまで、定期運転の特急の1本が「青の交響曲」であるというダイヤである。

ふと、以前にこの線で体験したイベント列車を思い出す。拙ブログでも書いたが、「利き酒列車」に「さよならイベント」。前者は「さくらライナー」利用で、吉野までの間、弁当が配られて吉野の地酒の飲み比べ。後者は特急16000系の「デッキなし車両」の引退にともなうもので、復路では古市での撮影会もあった。いずれも団体貸切扱いで途中駅での乗降はできないが、長く停まることがあった。それでも苦情はなかったのではないかと思う。この「青の交響曲」も、そうした路線で行けばどうかと思ったのだが、どうだろうか。先を急ぐ客には定期列車を少し前に1本出すとか・・・。

列車は六田を過ぎて大和上市に近づく。右手には吉野川。ラウンジカーの営業終了のアナウンスも入る。通路向かいの人生幸朗旦那が「何やもう吉野着くんか!バカモーン!責任者出てこーい!」・・・と言ったわけではないが、確かに阿部野橋から「もう吉野?」という感じはした。まあ、吉野特急というのはそういうものかもしれない。だから観光特急も通勤型改造で充・・・あ、吉野に着いたな。

吉野は山に囲まれて終着駅風情が結構あるところ。阿部野橋から1時間あまりでこうした山奥に着くのも関西ならではと思う。「青の交響曲」では満席の乗客も、この時季のホームでは混雑を感じさせないくらいだ。まあ、吉野が混雑するのは何と言っても桜の時季だが。

これからどうするか。壺阪寺に行くつもりでリュックに先達納経軸やお勤め一式を入れているが、せっかく吉野まで来たのだから、すぐ引き返すのではなくとりあえず上に上がろう。普通はロープウェイだが・・・・。
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近鉄特急「青の交響曲」初乗車へ

2017年02月26日 | 旅行記E・関西
先週のニュースで、JR西日本がこのたび新造した「トワイライトエクスプレス瑞風」のお披露目というのをやっていた。スイートとかロイヤルとか、展望車に食堂車にと豪華な設備を備えた列車。1泊2日のクルージングプランで一人ウン十万円するにも関わらず、ウン十倍という競争率。今年6月の運行開始となると、また改めて賑わうことだろう。

そんなニュースを見て、さすがに「瑞風」に乗るのは無理としても、私の地元、近鉄南大阪線・吉野線を走る列車があるではないかと改めて思った。昨年9月にデビューした「青の交響曲(シンフォニー)」。これまで、ホームに停まっているのは目にしたことがあるが、連日満席という情報もあってこれまで乗ることなく過ごしていた。ただ、「瑞風」を見て「青の交響曲」に乗りたいと思ったことは確かである。3月に入ると観光シーズンで席も取りにくいだろうし、私自身もなかなか動ける日が限られるので、2月中に乗ってしまうか。なお、「青の交響曲」の特急券は券売機で買うことはできず、窓口に行く必要がある。最近では阿部野橋駅の窓口に「本日の空席状況」を掲示しており、日常の行き帰りに目にすることがあるがだいたい「満席です」の表示である。

25日、所用で大阪市内に出ることがあり、ふと「当日なら満席だが、前日ならどうなのか」というくらいの気持ちで阿部野橋駅の窓口に立ち寄った。列車は阿部野橋~吉野間を1日2往復で、機会は4回あると考える。窓口で「明日(26日)、どれか空いているのありますか」と尋ねると、「順番に調べてみましょう」と係員が端末を操作する。すると最初の阿部野橋10時10分発の1便で、「車イス席ならご用意できます」との回答。一般客に売っちゃっていいのかなと思うが、ご用意できると言っているのだから、ご用意していただこう。料金は特急料金+特別席料金で720円。阿部野橋から吉野まで75分ほど、「瑞風」に比べればスケールは小さいにしても、お手軽に人気列車を体験できるのはうれしい。

往復とも「青の交響曲」に乗る客が多いのかもしれないが、午前の便を取ることができれば、帰りは別に普通の列車でもいい。吉野山をじっくり回ってもいいかなと思ったが、吉野線は途中飛鳥や壺阪山を通る。ならば、この機会に帰りは西国三十三所めぐりの2巡目でということで壷阪寺に行こうか。

26日の朝9時40分、阿部野橋駅に現れる。この後、自宅のある藤井寺を通過するわけで、吉野に行くのに一旦逆方向に出る形になるが、そこはやはり始発から乗りたい。

行き先表示に「青の交響曲」の文字が出て、3両編成の列車が9時45分頃に入線してくる。しばらく車内準備のため停車するが、その間にも写真を撮る人で賑わう。私も扉が開くまで、ぐるりと外観を眺める。

日常乗っている路線だから気づくが、この「青の交響曲」、一から新しい車両でできたわけではない。通勤型車両を改造したもので、列車の正面の面構えや、屋根の部分もその面影が残る。各車両の扉も通勤型車両がベースになっているように見える。まあ、一般型の車両を見事に改造して人気列車に仕立てた例は、JRならいくらでもあるわけで・・・。

車内準備ができて、扉が開く。ホームには「青の交響曲」らしくクラシック音楽が流れる。ネット検索によれば、ハイドンの「交響曲101番 第二楽章」のアレンジという。これから出発を待つわけだが、まずは1号車の座席に荷物だけ置いて、向かったのは2号車のラウンジカー・・・・。
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湯村温泉へ

2017年01月22日 | 旅行記E・関西
浜坂の駅前に降り立つ。鈍行で5時間とはずいぶん遠くに来たと思うが、ここはまだ兵庫県である。福知山線の分岐である尼崎が県の南東で、浜坂は北西である。だが気候風土は結構異なる。改めて兵庫県の広さを感じる。浜坂には、以前にユースホステルの松葉ガニのプランで泊まったのが印象的である。高級旅館でなくてもこれでもかとカニを味わえたのがよかった。今はユースホステル自体が休館とのことだが、またいつか復活してほしい。

次の湯村温泉行きのバスは11時30分発である。全但バスの車両だが、新温泉町のコミュニティバスとして運行されている。乗客は私を入れて4人。そのうち一人は出発前にバスの外観、そして内装の細かいところをスマホで撮りまくっていた。確かに年代物の車両とは思うが、何かマニアの心をくすぐるものがあるのだろうか。

バスは山側に進む。七釜温泉を通り、30分ほどで湯村温泉にさしかかる。終点一つ前の薬師湯バス停で下車する。ここから階段を下りたところにあるのが、公衆浴場の薬師湯である。施設は比較的新しい建物。料金は400円だが、シャンプーやボディソープはないとのこと。小さな容器のシャンプーと固形石鹸を追加で買って中に入る。シャンプーや石鹸を置いていないのは、いかにも地元の人たち向けの銭湯だなと思う。高級ホテルの大浴場もいいが、こうした地元向きの大浴槽、そして露天風呂に浸かり、正月気分を味わう。

風呂から上がると休憩スペースのテレビでは箱根駅伝の中継をやっている。復路は青山学院の独走のようだ。

薬師湯からすぐのところに、湯村温泉のシンボルである荒湯がある。ここは多くの観光客で賑わっている。湯村温泉といえばドラマ『夢千代日記』で有名なところである。

・・・と書いたが、吉永小百合さん主演の映画を一度DVDで観たことがあるが、ストーリーもよく覚えていない。架け替え前の餘部鉄橋が出ていたと思うが、全体的に暗い話だったという程度の印象で、そもそもこの話は実話なのかフィクションなのかすら理解していない。改めて調べたところでは、ある実話をもとに、早坂暁氏がその舞台を湯村温泉に設定して書き下ろした作品だという。

温泉の中心には夢千代の像が建てられている。この像は吉永小百合さんをモデルにしたそうで、像のそばには早坂氏と並んで吉永さんの手形も飾られている。薬師湯から歩く途中に夢千代日記の資料館である夢千代館というのがあったが、別にいいかなと素通りした(ストーリーの記憶が曖昧なら、今更ながらそうしたスポットに立ち寄ればよかったと思う)。

それよりも湯村温泉の名所といえば、中心部の荒湯。湯村温泉は平安初期に慈覚大師円仁によって発見されたと伝えられ、荒湯には円仁の像も安置されている。源泉の温度は98度と高温で、寒い中でも湯気が立ち込めている。この高温を利用して玉子や野菜をゆでることができる。観光客向けには横の土産物店で玉子やじゃがいも、とうもろこしなどが売られており、私も玉子を買う。12~13分でゆで上がるということでしばし待つ。

そして出来上がった玉子。最初に割ったものはまだ半熟だったが、その次はいい具合にできあがっていた。これを荒湯の横を流れる川沿いでいただくのがよい。足湯もある。5個入りを買ったのだが、板東英二ではないので一度に全部は食べられないとして、3個は土産として持って帰る。

そろそろ帰りのバスの時間ということで今度はバスターミナルに戻る。途中に円仁が開いたとされる薬師堂があるのでお参りする。本尊薬師如来は病気平癒や延命のご利益があるとして信仰されており、湯治を目的とした温泉というのにも合っている。

バスターミナルには何台もの観光バスが停まっており、団体客がぞろぞろと降りてくる。ちょうど昼時ということで日帰り温泉のツアーだろうか。なお湯村温泉には梅田から阪急の高速バスが出ており、青春18の旅でなければそちらのほうが便利である。一方で帰りの路線バスといえば・・・乗客は私一人。やはり地方の路線バスはどこも厳しい状況のようだ。

浜坂駅に戻り、14時20分発の鳥取行きで鳥取を目指す。列車の出発まで少し時間があるので、バス乗り場横にある足湯にしばらく浸かる。これで湯村、浜坂という2つの温泉をはしごしたことになる。また、駅前のまち歩き案内所をのぞいて見ると、「セコがにの味噌煮」という一品を見つける。写真はないのだが、漁師の冬の保存食として作られたのが始まりで、現在は浜坂の家庭料理となっているそうである。それをこの冬に初めて土産物として発売しているとのこと。殻つきのセコがにをぶつ切りにして味噌やみりん、砂糖で味付けしたもので、帰宅してからいただいたのだが、味噌の風味とかにの旨味がよく合っていて美味かった。セコがには漁期が短いこともあり、味噌煮も限定販売のようだが、これはまた食べてみたい一品である。

鳥取行きに乗車。そういえば昨年も1月3日に智頭急行経由で鳥取に来ている。その時は快晴の下、若桜鉄道やら鳥取砂丘を回ったのだが、今回はそこまで行く時間はないかなと思う。そのぶん、鳥取で何か美味いものということで・・・。
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青春18日帰り周遊へ

2017年01月21日 | 旅行記E・関西
年明けからこの前まで半月以上四国八十八所めぐりのことを書いていた。人によっては、半月間ずっとほっつき歩いていたかのような感想を持つかもしれないが、結局は3日間の出来事である。

年始は元日夜に帰宅し、2日は地元藤井寺の葛井寺参詣やら実家での家族での食事会となる。そして3日は1日空くということで、青春18きっぷを使っての日帰りのお出かけとする。ただ、明確にどこに行こうと決めているわけではない。東のほうは年末に浜松まで行ったので、別の方向を目指したい。

そんな中で朝の6時に大阪駅に現れる。ここからどの列車に乗るかだが、ここでやはり頼りになる?のはサイコロである。ここはサイコロで乗る列車を決めよう。番線の小さい方から、

1、2・・・6時09分発篠山口行き(篠山口で福知山行きに連絡)

3、4・・・6時25分発姫路行き

5、6・・・6時21分発米原行き(京都で近江今津行きに連絡)

として、山陰、山陽、北陸のいずれかを目指す。この年末年始はどこも天候が穏やかで、列車で行く範囲なら雪の心配もなさそうだ。一応雨に備えて傘は入れているが。

そこで出た目は「2」。ということで4番乗り場から出る篠山口行きに乗る。3日に大阪を発つ人も少ないようで、8両ガラガラで出発する。外はまだ暗く、三田あたりからようやく明るくなってきた。

篠山口に7時23分に着き、福知山行きには4分の連絡。8両から2両への乗り継ぎは混むかなと思ったがそうでもなく、2人がけシートが並ぶ車内も半分くらいの乗車率である。福知山までの車中、どこに行こうか考える。福知山から山陰線に乗り継ぐとして、ひたすら乗りまくって遠くを目指すか(米子の手前、伯耆大山から伯備線で南下するくらいまでならできそうだ)、城崎温泉や餘部鉄橋というところを訪ねるか。京都丹後鉄道に乗るという手もあるが、それなら天橋立にある成相寺にも行きたくなる。ただこの日は納経帳を持ってきていない。ならば行くのももったいない。

福知山に8時31分着で、いったん改札の外に出てコンビニで買い物をした後、8時54分発の豊岡行きに乗り継ぐ。こちらは京都方面からの客も合わさり、2両の車内は満席である。そとは京都府から再び兵庫県に入るところだが、時折雨が落ちてくる。かと思ったら晴れ間も出て、この時季特有の変わりやすい天気である。

これからどうするか。ここはサイコロによらず自分で時刻表を見て考える。豊岡に10時09分に着くが、次の浜坂行きが2分で接続している。この区間は海も見えるところだ。ただ満席の乗客で海側の席が取れるか。そこで、もし取れればそのまま浜坂まで行く。取れなければ2つ目の城崎温泉で途中下車する・・・ということにした。

そして豊岡に着いてホーム向かい側の列車を見るとほとんど先客が乗っていない。これは幸いとボックス席に向かう。これで城崎温泉より先に向かうとする。城崎温泉にはまたいずれ来る機会があるだろう。

円山川に沿って走り、城崎温泉に到着。ここで乗客の半分ほどが下車した。朝から乗り継いで来た人も、ここが目的地だった人が多いということか。正月ということでなかなか旅館には泊まれないにしても、外湯を楽しむことはできるし、食堂に行けば山陰の海の幸をいただくこともできるだろう。

すっかりローカル線鈍行らしい車内となり、日本海沿いを行く。キハ47が昔ながらのエンジン音を立てて走る姿が見られる区間も少しずつ減っている。中国地方や兵庫北部ではこうして残っているが、あとどのくらいの期間走っているだろうか。

香住、鎧と過ぎて次が餘部である。何回も来ているところだが、鎧の駅を過ぎていくつかのトンネルを抜ける時の緊張感のようなものは、いつ来ても感じるところである。他の乗客もカメラやスマホを取り出して準備している。

そしてトンネルを出て橋脚の上へ。コンクリート橋に変わってもこの眺めは大きく変わるものではなく、渡るまでの一瞬を楽しむ。そして今は多くの参詣観光客が訪ねるスポットであり、この日も列車が来るのを見ようという客が多かった。ただ、餘部で降りた人は2~3人いたが、ホームにいた大勢の客で列車に乗ってきた人肌いなかった。

浜坂行きの車窓の見所はこれで終わり、11時18分、浜坂に到着。ホーム向かい側には鳥取行きがすぐの発車を待っている。

ただ、私はここで階段を下りて、改札の外に出た。今回の目的地ということで車内で決めたのは、ここからバスに乗り換えた先の湯村温泉。城崎と比べると知名度は低いかもしれないが、こちらも名湯である。学生の時に家族で訪ねたことがあるが、それ以来である・・・。
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舞鶴見物

2014年07月06日 | 旅行記E・関西

あ~あ、オリックス・バファローズもここに来て首位陥落か・・・。ちょうどシーズンの半分を終えたところで、いよいよこれからが正念場である。ちょうど8日からは福岡でソフトバンクとの直接対決。シーズン中盤に来て一つのヤマ場となるだろう。

そんな6日の大正ドームは「夏の陣」(今年は神戸でも行われるということで「大坂」というのはつかなかったようである)ということで、前売特典の限定ユニフォームジャージつきのチケットを持っていた。そこで現地に向かったのだが、ユニフォームだけいただいてそのまま球場を後にした。今日の私、朝から別な意味での「大坂夏の陣」を張っていた。難波と梅田のダブルヘッダーというのがあり、その後で大正に向かう予定にしていたのだが、午前中で結構消耗した感じがあった。次週もまた予定が詰まっているし、ここは休養ということで帰宅、試合はテレビ桟敷での観戦となったのだが、こういうのがやはり「敵前逃亡」になってしまったのかな・・・?

そんな中であるが、先日の福知山~舞鶴~おおい町への野球見物行の続きである。

Dscn7644 東舞鶴に到着し、乗る予定の小浜線の列車までは2時間半ほどある。その時間を利用しての舞鶴散策である。まず向かうは、駅から歩いて1キロほどの赤れんが博物館。1903年というから日露戦争の直前であるが、旧舞鶴海軍兵器廠の水雷庫として建造されたれんが建築物である。それに手を入れて、れんがの歴史や工法、世界各地のれんが造りの建物の紹介がなされている。

Dscn7646 現代のような鉄筋コンクリートの建物が主流となる前は、長い間れんが造りの建物が強固な構造として導入され、現在も世界の至るところに歴史的価値のある建物を残している。建物の内外の保全状態がよいということで先日世界文化遺産への登録が決まった富岡製糸場もれんが造りである。さすがにこちら舞鶴では赤れんがの建物群の世界文化遺産の登録を目指しているわけではないようだが、その代わりに、戦後のシベリアからの引揚者、あるいは抑留された人たちのこと、彼らの手紙や日記、遺品といったものを、戦争の悲惨さ、抑留の過酷さを後世に伝える負の遺産として、世界記憶遺産に登録するよう動いているという。戦争というのは、やっている最中はあまり意識されないのだろうが、むしろこうした「戦後」のほうに悲惨さが待ち構えているように思う。当時のソ連軍と戦闘で亡くなった人より、抑留されてシベリアでの過酷な労働を強いられた末に命を落とした人のほうが多いのではないか。

ここで話を戻して、れんがと聞いて思いつくのが童話の三匹の子豚。三匹の子豚がいて、一匹目と二匹目はそれぞれ藁と木の枝で家をつくるが、狼に吹き飛ばされたり焼かれたりしてやられてしまう。ただ三匹目はれんがで家をつくり、狼に吹き飛ばされることもなく、逆に煙突から忍び込もうとした狼を下で待ち受けて熱湯でやっつける・・・というもの。教訓としては「万が一」に対する日頃からの備えとか、手間ひまかけてコツコツと積み上げることの大切さとかいうのが言われているが、その「手間ひまかけるもの」の表れというのも、このれんがにはあるのかもしれない。

Dscn7654 博物館で一通りの歴史について触れた後は、現在も保存されている赤れんがパークに向かう。いずれも20世紀初めに建造されたもので、現在は映画・ドラマのロケやイベントホールなどでも活用されているが、街のシンボルとして、過去とのつながりを感じさせるものがある。

Dscn7667 Dscn7673 日本海側の軍事拠点として開かれた舞鶴。その歴史を今に伝えているのはれんがだけではなく、こちらのツタたちもそうである。これがあるだけで建物も神秘的な様相を呈するし、内部が公開されていない分、どのような不思議な世界が広がっているか想像するのも面白い。

Dscn7676 赤れんがの建物群からさらに西に向けて歩くと、自衛隊の桟橋がある。週末は一般に桟橋を公開しており、朝10時の開門直後にも関わらず大勢の人たちが訪れていた。私も一度来て、確かその時は船内にも入れてもらった記憶がある。ただ今回は護衛艦、補給艦など4隻が桟橋に横づけされていたが、いずれも内部公開は行われていなかった。

Dscn7694それにしても、真下から見上げるという表現がいいかもしれない。客船ならそれほど驚かないかもしれないが、自衛隊の護衛艦という普段見ることのないものだけに、別に軍事オタクというわけではないが乗り物好きとしては血が騒ぐというのか、そわそわしてしまう。

Dscn7683 最も巨大なのは補給艦の「ましゅう」で、全長が221mあるという。補給艦というから燃料や食糧の補給にあたるのはもちろん、なんでもヘリコプターの格納倉庫もあるという。それだけのものを入れているからここまでバカでかくなるのかと、うならせるばかりである。この「ましゅう」、イラク戦争でのインド洋上での補給活動にも従事したとか。この海上自衛隊のインド派遣についても、そこに至るまでの是非を問われたのは憲法との絡みである。

Dscn7682 自衛隊といえば、このところ集団的自衛権に関する内閣の憲法解釈の変更がどうのということが言われている。この記事は政治的なことを目的としているわけではなく、あくまでこうした船舶を目の前にして感じるだけなのだが、確かに、当初は「自衛隊は絶対に海外に出さない」とされていたものが、湾岸戦争、イラク戦争などの近年の紛争の中で、その都度「できる範囲」ということで、反対論も多い中海外派遣を行うようになった。その派遣法も当初は時限立法だったものが、中東情勢の変化という理由で何度も延長の形を取り、結局は10年近くもの間派遣が行われた。最後のほうはニュースにもならなかったし、今、あの海外派遣を「戦争に加担した」とはっきり言えるひとはどのくらいいるだろうか。

今回の集団的自衛権も、確かに内閣のやり方や、当初あれだけ反対していた公明党の変節ぶりについては疑問に思うところがあるのだが、これをいきなり「戦争するのか」と太鼓を叩いて抗議デモするのはちょっと違うと思う。何だか、そちらのほうが話を飛躍させているというか、戦争ムードを煽っているのではとすら思うのである。東シナ海、南シナ海で緊迫した情勢が伝えられる中、牽制球の一つくらいは意思表示として投げておく必要はあるのではないかと思う。一方で、そうした権利はあるにしても、極力行使させないという世論は盛り立てないといけないし、マスコミも「国の根幹に関わること!」などと言ってこの件で騒ぐのであれば、どこぞのカラ出張やセクハラ野次関連のダメ議員(ヤジられた側も含めて)をワイドショーみたいに取り上げる時間などカットしてもいいから、ガチで向かい合った報道や世論喚起をすべきではないだろうか。

Dscn7700 確かに現役の船舶の迫力はすごかったが、内部に入れないのであればそれほど見物に時間を取るものではない。列車の時間も気になるから東舞鶴駅に戻ることにする。帰りに選んだのは、先の赤れんが建物群にも通じる旧国鉄の中舞鶴線の跡。舞鶴の軍事関係の輸送を役割としたものであり、戦後も特殊輸送などでその役割を果たしていたが、国道の整備や輸送量の減少により1972年に廃止となったところ。その線路跡を地元の人たちが道路として整備した。途中の北吸トンネルはれんが造りで当初の様子を残している。結局、徒歩であればこちらを経由したほうが東舞鶴駅と赤れんが建物群や自衛隊桟橋に近かった。

Dscn7703 東舞鶴からは小浜線に乗車。と、ここで先ほどまでは青空も見えていたが急に雨雲が広がってきて、やがて大粒の雨。果たしておおい町での試合が行われるのか、気をもむことになったのである・・・・。

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北近畿タンゴ鉄道

2014年07月05日 | 旅行記E・関西

日付をまたいだ後で福知山に到着し、駅近くのカプセルホテルに投宿。「眠る」ことを考えれば、静かな空間であるし、ネットカフェよりは落ち着く。まあ、いわゆる「個室ビデオ店」のほうがスペースとしては広く、用途が用途だけに防音も優れていたりするのだが・・・まあ、それは別の話である。

福井のおおい町に行く前に、道中にある東舞鶴で下車しようと思う。そのためにわざわざ福知山まで出張ってきたわけだが、早い時間の列車に乗っても東舞鶴到着があまりにも早すぎる。

Dscn7606 それはともかくとして、6時過ぎにカプセルホテルを出発して、駅前のコンビニで朝食を仕入れた後、駅に向かう。福知山駅は早起きで、始発は京都方面が4時48分、豊岡方面が5時04分である。京都方面の始発が早いのも、かつての急行「だいせん」の大阪行きから乗り換えて向かうスジの名残だろうか。

そんな早起きの駅に6時半頃に着いたわけだが、これには理由がある。東舞鶴まで行くのが早すぎるということで、それならば北近畿タンゴ鉄道の宮福線で宮津まで北上し、そこから西舞鶴、そして再びJRで東舞鶴まで行くとちょうどよい。赤字ローカル線に乗るのもいいだろうし、ここまで来れば日本海を見るというのも面白そうである。

Dscn7608 その宮福線の福知山始発は6時45分。何とものんびりしたもので、私の日常の職場への出勤のために乗る電車よりも遅い。宮津方面からやってきたのは1両の気動車。宮福線が開業したのは1988年のことだが、その当時から走っているものである。

Dscn7609 内装にはかつての新幹線で使われていたリクライニングシートを1-2列で配分しているが、シートそのものにもかなりガタが来ている。私を含めて3名の乗客で出発する。北近畿タンゴ鉄道の係員らしき人が車両前部に陣取る。う~ん、そうされると前面の景色がよく見えないのだが・・・。

Dscn7612 福知山を発車するとその係員が私のところに来る。実は・・・と出されたのが、北近畿タンゴ鉄道の利用に関するアンケートである。別にペンや鉛筆で書くのではなく、該当する答えのところミシン目に沿って切る、ちょうど、宴会でのビンゴゲームのカードのような扱いである。6月の27~29日の3日間行われているが、年齢層や利用目的、利用頻度のほかに、「この列車を降りた後はどうするのか」という質問もある。経営が苦しいとされている北近畿タンゴ鉄道、こうしたアンケートも使いながら、利用客が増える対策を打つことができるのだろうか。大阪、京都方面への直通特急も縮小されているし、果たしてどうだろうか・・・。

Dscn7619 そうするうちに、福知山から1時間弱の道のりで宮津に到着。そのアンケート用紙は、宮津から先の列車に乗り継ぐのであればそのまま持って、最後に下車する駅で係員に渡すとのことである。10分ほどで西舞鶴行きがやってくる。

Dscn7622 北近畿タンゴ鉄道の宮津線の車両は水色をベースとしたものというイメージがあるが、やってきたのはクリーム色の車体の気動車。「丹後」「松」などというデザインが施されている。

そう、これは鉄道車両デザインで最近無敵の水戸岡鋭治氏のデザインによるものである。もっとも、北近畿タンゴ鉄道には同氏のデザインによる青松だの黒松だの、どこぞの地酒かというくらいの「新型車両」が導入され、それが人気となっているとのことである。

Dscn7637 そう言われれば、内装をよく見れば「いかにも水戸岡」という匂いがプンプンとしてくる。水戸岡デザイン・・・確かにローカル線の活性化やイメージアップにつながっているという面は否定しないし拍手を送るのだが、今やあちこちの路線でブランドを振りかざすかのように広まり過ぎているように思う。水戸岡と名乗れば世の鉄ヲタに鉄子、それに軽薄なマスゴミがひれ伏する・・・それって水戸黄門と同じやなと思うが。

特に九州などは今や水戸岡列車だらけで、ローカル線をノーマルに、地元密着のように乗ろうというほうが難しい。塗装電車と猫駅長だけでブレークするというのも関西出身者から見れば「え?」だし、どうも居心地がよくない。どうも女性や子どもに媚びている印象があるし、ここまで濫発されると「またか」「どうせそういうデザインなんやね」と言いたくもなる。

Dscn7633 それだけ歳を取ったのかな・・・?

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急行「だいせん」の名残?

2014年07月02日 | 旅行記E・関西

話を福井・おおい町での野球観戦の前日に戻す。

おおい町、具体的には小浜線の若狭本郷駅を目指すに当たり、どのルートで行くかいろいろ考えた。小浜線の敦賀、東舞鶴いずれから行くか、はたまた湖西線の近江今津からバスで小浜に出て、小浜線に乗り継ぐか。

どのコースでも当日朝出れば日帰りの圏内で、特に近江今津から小浜に抜けるならオバマ散策もいいかなとか、途中の熊川バス停で下車して鯖街道の宿場町を見るのもいいかと、そんな時間もできるのが魅力。

ただ一方で、舞鶴も気になる。レンガの近代化遺産や自衛隊の基地。週末は岸壁から船を見ることもできる。それも捨てがたい。

いろいろ考えて出した結論が、福知山線から東舞鶴回り。しかも当日朝出発なら単に乗り継ぎだけになるので、前夜から移動する。ちょうど前夜は大学時代の友人たちとの会食があるが・・・。

そんな中、時刻表で見つけたのが、大阪を22時54分に出る丹波路快速の篠山口行。これが0時すぎに篠山口に着くと、すぐに同駅始発の福知山行最終列車につながる。福知山到着はなんと深夜1時前・・・。

福知山には一度宿泊したことがある。丹後を半日で回るに当たり、ならば少しでも近いところに前泊ということで駅前のホテルに深夜にチェックインしたものだ。

そして今回、福知山駅から徒歩5分のところにカプセルホテルがあるとの情報を入手した。深夜1時でもチェックイン可能とのことでとりあえず押さえる。別料金で温泉が併設されているが残念ながら深夜早朝はやっていない。まあシャワー室は24時間使えるしその分安くなるから、当日昼になって急遽その予定にする。これなら、朝から舞鶴見物も可能である。

Dscn7584 さて、学生時代からの友人たちとの楽しい時間を過ごした後(相変わらずアホなことやっている・・・早く結婚したほうがいいんじゃないか?などと野次られたのはさておき)、自宅とは逆方向の大阪駅へ。結局宿泊を伴う旅行扱いで、荷物も増える。

Dscn7586 丹波路快速は223系の車両。早めに着いていたこともあり、窓側の席に陣取る。6両の列車は立ち客も出る乗車率で出発する。尼崎でもそれなりの乗車がある。

ふと、かつて一度だけ乗ったことがある急行「だいせん」を思い出す。私が乗ったのは客車列車ではなく、エーデル丹後という愛称だったか、前面展望席もあった気動車だった。大阪を23時前に出て、福知山で長く停車して、確か米子か出雲市まで行ってたかな。

ウィキペディアなどでは、急行「だいせん」も福知山までは終電代わりの通勤客の利用もあったとされる。だとすれば、この時間に大阪を出て、途中乗り換えるものの、深夜1時に福知山に着くのは、往年の急行の名残かもしれない。言わば昔の夜行列車で、夜を明かさずに中途半端なところで下車して、後はホームで時間をつぶすというのに似ているか。

宝塚あたりでは外は豪雨で、この先の天候が気になる。ただどうすることもできず、雨粒が垂れる窓の外をボーっと眺めるか、一応音楽を聴くか読書するか。読書などはこういう時は好都合かな。内容が退屈だったり一定のリズムを刻むようになると、それで少しはうつらうつらできる。どうせカプセルホテルではあまり眠れないだろうから、今のうちに身体を休めておくのもいいかもしれない。

三田を過ぎると車内もガラガラで、席を移して前のシートを倒して4人掛けスペースを作る。車内は終電というよりは夜行ムード。それでも、新三田から乗ってくる人も数人いる。おそらくここまでの各駅停車で先行して乗り継いだということだろう。

Dscn7591 淡々と進んで日付が変わり、篠山口に到着。ホームの向かい側には2両編成の列車。すでに乗車している人、そして大阪方面からの乗り継ぎ客もあり、2両で40人くらいはいる。もう何もない丹波路の終電として、この乗客数は多いのか少ないのか。列車を乗り換えたのと、こうした特殊な半夜行列車に乗ったということで、日付が変わってから目が冴える。

Dscn7598 ・・・もっとも、乗客の大多数はこんな感じでのぐったりモード。仮に福知山まで帰るとしても、大阪で23時前まで滞在できるというのは結構大きいのではないだろうか。翌日の心配さえなければ・・・。おそらく、往年の急行「だいせん」も、日常はこんな感じだったのかもしれない。

Dscn7602途中の駅でポツポツと下車し、柏原や谷川ではまとまった下車がある。それでもそこから乗車する客もおり、福知山に到着した時には20人くらいになっていた。高架式の立派な駅舎もこれで本日の営業終了である。ただ高架下には深夜営業のチェーン居酒屋もあるし、ロータリーにはヤンキーたちもたむろっている。いかにも土曜の夜という景色が広がり、それは大阪でも藤井寺くらいなら毎週末の夜と同じような光景かなと思う。

Dscn7605 目指すカプセルホテルは駅から歩いて5分もかからないところ。国道9号線沿いにあり、いわゆるロード商店街が広がる。深夜1時でも吉野家やガストは開いている。ガストに隣接するのがこちらのカプセルホテル。昼間はレンタルスペースやネットカフェ、温泉施設としても賑わい、夜はカプセルホテルになる。宿泊予約サイトでの客の評判を見ても、鉄道旅行だけではなくドライバーにも使いやすいということで高いポイントがついていた。

シャワーを浴び、無料のドリンクバーで少し涼む。こんな時間に何をやっているのかなあと思う。明日(というか日付はすでに変わっているのだが)に備えて眠ることに。30ほどあるカプセルの3分の2ほどがカーテンが降りていた・・・。

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おおやアート村 BIG LABO

2013年11月03日 | 旅行記E・関西

Dscn3204但馬のアートを巡る一時。木彫りフォークアートの方に教えてもらった「BIG LABO」を訪ねてみる。地図を見ながらクルマを走らせると、やって来たのは学校。

Dscn3198この「BIG LABO」、元々は兵庫県立八鹿高校の大屋分校だった建物である。3年前に廃校となったが、その建物をそっくりそのまま生かす形でアートの拠点にしてしまったというものである。クルマを停めると、それこそ学校の先生のような雰囲気の係の女性が「わざわざこんなところにお越しいただいて・・・」という感じで出迎えてくれる。

Dscn3195案内されたのは体育館。大胆にもここを作品ギャラリーにしてしまったというものである。この時季は池田丈一氏(丈の字には点がつく)による木彫りの彫刻が体育館のフロアに飾られている。

先の記事で「フォークアートとは・・・」ということも書いたのだが、この体育館に展示しているのはいわゆるプロの彫刻家による、「見る者に相当の鑑賞眼を要求する」系の抽象作品。見ていてもそれほど面白味というのを感じない。

Dscn3196むしろ、その間で飾っていた子どもたちによる「アートハウス」のほうが、夢があって面白かった。段ボールや紙の材料などを使って自由な発想で家をつくるというもので、小さな空間に大きな夢の詰まった「マイホーム」である。その発想というのを大人になっても忘れない、伸ばしていくという取り組みには力を入れてほしい。将来、本当に「段ボールがマイホーム」ということにならないように・・・・。

Dscn3200Dscn3201その後は鉄筋校舎、木造校舎を見て回る。校長室がマンガルームになっていたり、教室が芸術家のアトリエとなっていたりする。また木造校舎のほうでは創作体験ができたりもする。このところの大屋町のアート発信の取り組みも紹介されている。

Dscn3211今度はさらに進んだ木彫展示館に行く。展示館というとハコモノをイメージするが、そこは木彫りアートの町である。築120年の木造民家や蔵を再生させたものである。和の雰囲気を残す中に木彫りアート、実にマッチしている。ここはこれまでの木彫りフォークアートの優秀作品を展示しており、先ほどの展示会が期間限定だったのに比べて、作品を入れ替えながら通年鑑賞することができる。

Dscn3217Dscn3207Dscn3208Dscn3215まあ、個性的な作品が多い。中でも人間の表情を豊かに表したもの、木の素材の温かみを感じるもの、さまざまである。見る者をうならせるものである。こうして見ると大屋のアートというのは結構有名なようだが、私もまだまだ知らないことのほうが多すぎるなと思った。

但馬のアートというのは初めて接することになったが、但馬にはこの他には対照的なものとして鉱山の道というのもある。今回は時間の関係もありすべてを回ることはできなかったが、今度はそれら鉱山の近代化産業遺産と素朴な木彫りアートの組み合わせというのもいいかなと思った。

改めて、「兵庫県は広い」・・・・。

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