まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

入試問題ネット流出

2011年02月28日 | ブログ

文明の利器をもってすればこういうのはたやすいことなんでしょうな。

京大などの入試で、試験中に英語や数学の問題がヤフーの知恵袋に流出、数分の後に「流出させた人」の質問に対する回答がズラズラと掲示板に書き込みされたというもの。関西を中心とした新聞の一面でも大々的に報じられたことである。

その昔はカンニングといえば「カンニングペーパー」がもっぱらだったようだが、最近はこういう携帯電話を使えば何とでもなるのだなと改めて感心する。試験中に携帯電話を操作すればわかりそうに思うが、手馴れた人はブラインドタッチでしかも早業で入力ができるらしいし、試験官の目を盗めば回答を解読することも可能なのだろう。まあ、携帯電話の通話履歴やヤフーのログインの履歴など解読すれば投稿者はすぐに特定できるらしいから、単独あるいは複数を問わず、「犯人」はいずれわかることだろう。

やはりそうまでして名門大学には入りたいものね。その気持ちはよくわかる。特にこういうご時世となれば、何だかんだ言ったところで名門大学に入学(=間違いなく卒業は保証される)するのが人生のあらゆる局面で有利になるし。

一方で、大学も何か防止策はなかったのかと思う。やはりここは、すぐに回答が得られる、過去問題から引っ張ってきたような内容ではなく、自分でなければ回答できない問題とか、論述や本人の思考を問う問題とか、「カンニングしても意味がないよ」という内容の問題でその人の実力を問うとか、そういうのが有効ではないかと思う。あるいは「地アタマ」を見るという意味で、限られた時間で物事を処理する能力を問うSPI方式なんてのも面白いかな。

いずれにしてもどういう動機でこういうことをやったか、実行者たちの声を聞いてみたいものである。

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この時期にゴルフというのもね・・・

2011年02月27日 | ブログ

直前の雨天の予報にも関わらず晴天に恵まれた関西地方。そんな中、奈良市は柳生の里にある大和高原カントリークラブへ。

27日は上司2人、そして私と同世代の取引先の人と4人でこのカントリークラブでのゴルフ。とは言うものの取引先との接待ではなく、あくまでプライベートでの顔合わせである(でもまあ、部下と上司ということになればプライベートとは言えないのではないかという気がするが)。

そのうえ、このブログでも書いていることだが次の週末は私の引越である。そういう直前の時期にゴルフに向かう私もどうかしている(ただ、このゴルフというのは私の引越より前に決まっていたのも事実であるが)。荷物も完全には整理できていない。まあ、かくいう私も先週の土曜日は日帰りながら特急「雷鳥」に乗りに行っていたりしているからどうかしているのだが。

この大和高原、とにかくフェアウェイが広い。ホールによってはカート道を中央にして左右にフェアウェイが広がっており、それぞれ「左のフェアウェイ」「右のフェアウェイ」と呼んで、とにかく傾斜の大きさやコースの狭さを感じさせず豪快に打てる。多くのホールでティーグラウンドからグリーンまでが一目で見渡すことができ、コースの攻略に重きをおく上級者には面白くないコースなのかもしれないが、私たちのようレベルのゴルファーにはありがたい話である。

・・・でもまあ、「引越」の文字が頭によぎったせいか、後半になればなるほどボールが飛ばなくなった。やはりゴルフというのは心理戦の要素が強い。結局、同じ組の中の「最下位」というものを払拭することができなかったのが残念である。

来月もまた会社の中での有志コンペが開かれるのだが、果たしてその頃にはどのような数字やら、どのようなレベルになっていることやら・・・・。

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思わず読みふけてしまいました

2011年02月24日 | ブログ

よく、引越荷物の整理とか大掃除とかの最中に、ひょんなところから昔懐かしい読み物や手紙などが出てきて、ついそれを読むうちに時間が過ぎ、「そんなことやってる場合とちゃう」と我に返って作業の続きに取り掛かるということがあるのではと思う。

今回の私の引越(早いものでもう10日を切った)の場合でいえば、やはり出てきましたね・・・・「手紙」。もうどのくらい前だろうか、少なくとも私がまだ20代の頃のものかな。

実は当時、「文通」なるものをやってました。はい。顔に似合わないでしょ?(・・・って、誰に向かって言っているんだか)

ネットで文通のサークルというものを見つけたのだ。そこにプロフィールを登録しておき、それを見て気になる人がいればまずはサークルあてに手紙を出す。そしてその手紙に返答しようということであればサークルあてに返送する。以後は、サークルを媒介にしてもいいし、気の許す相手なら直接住所交換して手紙をやり取りしていい。そんな感じだったと思う。

その中で印象に残っているのが、静岡は伊豆に住んでいた女の子。最初のプロフィール的なものでは男性かと思っていたが、「実は・・・」という感じで素性を明かしてくれたというわけ。それにしても、当時私より若い年齢でありながらその家庭環境のこと、自然豊かな伊豆のこと(時には地元の名産品を送ってくれたことも)、そして、実はある男性と付き合っていてその男性の子も妊娠したのだが結局堕ろしたということ、今後その男性とはどう付き合っていけばいいのか揺れ動く心境も赤裸々に綴ってくれた。

どうやら彼女は私のことを「憧れていた学校の先生のような人」という感じで見ていたようで、手紙の中で私への思いを告白してくれたこともある。私も、返信の手紙にはその時に自分の考えられる最大限の答えをしようと心がけていたのだが、今にして思えば、のほほんと育ってきた私に何の助言をする資格があるのかと、一方では悩んでしまったことである。本当に彼女の気持ちに応えることができているのかと。

そんな中ある秋の日、「一度会いませんか」というようなやり取りになった。そこで私が当時住んでいた広島から寝台列車で伊豆を訪れたことがある。駿豆線とバスを乗り継いで半島を縦断して途中で一泊し、そして翌朝に会ったのが桜で有名な河津。彼女のクルマで石廊崎やら西海岸を案内してもらったのだが、途中の遊覧船で彼女が船酔い。結局帰りは私が運転して東海岸にある彼女の自宅近くまで送った。

・・・どうだろう、文通している者同士は実際に会わないほうがよかったのかな。結局はその一時というのが最後となり(恐らく、彼女の側から見れば手紙を通してのイメージと、実際に目の前に現われた私とを比べてみて「ダメ」ということになったのだろう)、手紙のやり取りも途絶えた。それから結構時間が経っているのに手紙が出てきたのも驚きである。

当時から比べても彼女も結構いい歳になっているはずで、以前の苦しい出来事も乗り越えて今は幸せな家庭を築いていることか、それともまだ青春のページの続きを綴っていることか。久しく伊豆は訪れていないが、また昔を懐かしむ感じで伊豆急行にでも乗って訪ねてみようかな・・・・。

元気でいることを祈っています。A.Kさん。

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アラブ、アフリカはこれからどうなっていくのやら

2011年02月22日 | ブログ

今年に入りアフリカ、特にアラブ諸国の動きが激しくなっている。チュニジア、エジプト、そしてリビアでは民衆の蜂起により長年独裁政治を敷いてきた政権が倒れた、あるいは倒れようとしているし、今後はその流れが他のアラブ諸国、あるいはアフリカの独裁国家にも影響するのではないかと言われている。中国にも飛び火しているとか、北朝鮮も安穏とはしていられないという状況のようである。

「民主化」というのはパラダイム論だか何だかよくわかりませんが、歴史の趨勢として、次の段階としてそっちの方向に流れるのが必須だということだろうか。あんなに簡単に政権がくつがえるとはね。

さて、このニュースをネットで追う中でアフリカの地図を見ることがあったが、アフリカ大陸、そしてインド洋の島嶼国家を入れて60近くの国がある中で、その場所と国名が一致したのはそのうち何割だろうか。確かに総合旅行業務取扱管理者の試験勉強で世界地図には触れたものだが、やはり旅行にはあまり縁がないということでアラブ、アフリカはすっ飛ばしていたように思う。こうして見ると「そんな国があったのか」と思うところが多いし、その多くは貧困と飢餓で苦しんでいるのか、その日暮らしがやっとなのかと想像はしても実感がわかない。やはり遠い国なのかなと思う。いずれはこういう国にも平和で民主的な国家が生まれるのだろうか。

・・・そう思いを致す中で飛び込んできたのが日本の民主党のニュース。小沢元代表に「党員資格停止」の処分が決定し、それについてこの「アワとヒエを主食にしている岩手県」の出身の「大先生」とその取り巻き連がダダをこねているという。

世界がこれだけ揺れ動いているのに、何とまあケツの穴の小さいニュースかと思うし、どうしようもない政権、政党だなと思う。こういう党内抗争(これは民主党に限らず自民党も同じようなものだろうが)に明け暮れているというのに、政権に不満を持つデモも何も起こらないとは、なんとも平和な国家だと思う。まあ、ほぼ毎年のように国政選挙が行われ、その結果で政権も変わるのだから平和な方法ではあるが。

地球の裏側の遠い出来事のように思われる今回のアラブ、アフリカの民主化運動だが、仮に民主国家となった場合に石油などのエネルギーはどうなるのか、宗教がもたらす戦乱は収まるものなのか。今の世界情勢に大きな影響を及ぼすと思われることで、これから注目していきたいし、もっと彼らの国のことを知らなければならないと思ったことである・・・・。

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特急「雷鳥」の惜別乗車で行く敦賀飲み鉄弾丸旅行

2011年02月21日 | 旅行記D・東海北陸

こういう「週末鉄道旅行」というのも結構アホなことをしているなと思いつつ・・・。

3月12日、九州新幹線の全線開業を看板としたJRのダイヤ改正が行われるが、その一方で関西と北陸を結ぶ伝統列車として活躍していた特急「雷鳥」が、その名前での運転に幕を下ろすという。現在でもすでに朝の金沢発の8号、そして夕方の大阪発の33号という1日1往復だけの運転であるが、この後は全て新しいほうの車両で全て「サンダーバード」の愛称で統一される。

まあ、全てを「サンダーバード」にするなら、全て「雷鳥」でもいいのではないかと思うし、「雷鳥」という鳥の英語名は「サンダーバード」ではなく別の言い方なのだそうだが(単に「雷」を「サンダー」とし、「鳥」を「バード」としただけだが、それならばプロ野球の「富山サンダーバーズ」はどないやねんと)、ともかく、一つの時代の転換点と言えるだろう。

この「雷鳥」が注目されるのは、旧国鉄にあって全国標準型ともいえる特急型車両である485系が使われていることで、今回のダイヤ改正にともなって定期の北陸特急から外れるというものである。まして、JRになってから変更された塗装ではなく、国鉄の特急カラーが残っているということで、関西のみならず全国の「その筋」の人たちから注目されていたところである。

Dscn7346 さて、そのダイヤ改正まで3週間を切った2月19日の夕方、私の姿は大阪駅にあった。2週間後には引越を予定しており、現在の部屋も荷物のダンボールやら整理処分品のゴミ袋であふれかえっているのだが、まさにそういう現実を一時でも離れようと言わんばかりである。なくなる前にもう一度乗っておきたい。いわゆる「葬式鉄」というやつであるが、最終日ではなく3週間前ということでまだよしとすべきだろうか。発車前に指定席券売機で空席状況を確認したが、指定席は十分に空席があった。これが普段の土曜日の乗車率といったところだろうか。

Dscn7352 17時の大阪駅ホームには腰から刀・・・ではなく首からカメラをぶらさげた不逞の輩・・・ではなく「その筋」の人であふれ返っている。それこそ肩がぶつかったり、カメラの前に立とうものなら簀巻きにされて淀川に流されそうなくらいの殺気だった光景。3週間前ですらそんな雰囲気なのだから、最終日になると腕の1本や2本、首の一つくらいは線路の上に転がっているかもしれないな。神戸方面から9両の列車が入ってくると一斉に切先・・・ではなくファインダーがそちらに向かう。

Dscn7359 ただそこは特別警戒の駅員が張り込んでいて「線から出ないで!」「そこの人もっと下がって!」「フラッシュは焚かないで!」と拡声器で警告を発しており、居合わせた人たちも紳士にそれに従っている。子どもを列車の先頭に立たせて記念写真を撮る親も結構いたが、順序良くやっていたようだし、それに対して罵声を浴びせるという光景もなく結構穏やかに時間が過ぎていく。

Dscn7368 17時12分、車内は結構静かな雰囲気で発車する。初めから「雷鳥」狙いのその筋もいれば、ついさっき券売機で一番早い列車を選んだらたまたま「雷鳥」だったという雰囲気の人も。途中駅に停まるから乗ったという客もいるかもしれない。

Dscn7369 私の乗った指定席の車両、昭和48年製造とある。私が生まれたのと同じ年である。人間ならば一般社会でそろそろ円熟期か、いやいやまだまだ若造かという境目の年代であるが、鉄道車両ならば結構古参の部類に入る。それでもどっしりとした安定感を感じさせるのは、当時の国鉄の技術ということだろう。乗っていても何だか落ち着くかな。

Dscn7374 新大阪、京都を過ぎて湖西線に入る。京都で乗車する人も結構いたが、それよりも京都で下車した人も結構いたのも確か(本当に特急券を購入したのかどうか怪しい人もいたが)。残念ながら琵琶湖が眺められる区間に入った時には日も暮れ、淡々とした走り。帰りではなく、行きが夜にさしかかるという風景。うーん、これも「週末鉄道紀行」の世界かしらんと一人うなったりする。

Dscn7358 なくなる前に乗ってみたいということで出てきたが、さすがに終点の金沢まで行って一泊しようとまでは思わなかった。そりゃ、翌朝の雷鳥8号で金沢から大阪まで帰るのが理想なのかもしれないが、途中まで乗ってその代わりその夜のうちに戻るのもいいかなと思う。

その折り返し点となるのは、やはり敦賀である。

ここならば18時30分という手ごろな時刻に到着し、日本海の海の幸をゆっくりと味わい、宿泊せずとも21時過ぎの列車から乗り継げば終電前に自宅に戻ることができる。何だか、雷鳥に乗るのが目的か、キタやミナミへ飲みに出る感覚で敦賀で飲むのが目的か、よくわからなくなってきた。まあ、これが「飲み鉄」といいますかな。

Dscn7376 敦賀到着。大阪駅の賑わいに比べれば静かなホームで、2、3人の人とともに先頭部にカメラを向ける。運転手の交代があって発車。初めから最後尾まで、徐々に加速していく列車の雄姿を眺める。そしてグリーン車の赤いテールランプを見送る。ひょっとすればまだ機会はあるのかもしれないが、一応はこれで485系の「雷鳥」の見納めとなる。鈍行での旅行が多く「雷鳥」にはほとんど乗ったことはなかったが、一つの国鉄型の象徴ともいえる列車がなくなるのはやはり淋しいなという気持ちで一杯である・・・。

Dscn7390 さて、記念に「雷鳥」の写真をあしらったクリアファイルに携帯電話用ストラップを買い求めた後、敦賀での夜ということでこれまで何度か訪れている店に向かう。魚問屋直営の「まるさん屋」。正直、町の居酒屋よりは単価が高いと思うが、魚へのこだわりというのかな、旅行客が若狭・越前の味を求めて立ち寄るのには適しているといえる。

店内の品書きを見るに、冬の北陸ということで蟹のメニューが並ぶ。ただし日々出されるズワイ蟹は「北海道産」という但し書き。蟹のコース料理で出されるのはこちらのようだ。なるほどね。本物の越前ガニはいわゆる「時価」の扱いで、この日はクラスが3つあり、最も上物で1パイが15000円ほどというもの。さすがに蟹の王様である。

Dscn7391 一方で手ごろな値段、半身で840円というので出されていたのが「水がに」というもの。そういう種類の蟹がいるのかと店員に尋ねると、越前ガニの脱皮したての若いやつを「水がに」と呼ぶそうである。脱皮直後は殻こそ大きくなるが中身はまだ殻ほど太っていないというもので、殻も柔らかく身もほぐしやすいというもの。一つには殻の片方がら強く吸い込むと「ズボっ」と身が抜けることから、「ずぼがに」という呼び方もあるとか。地元でしか食べられないものということで注文してみる。

Dscn7382 やってきた「水がに」。殻も歯や手で簡単に裂けるし、それこそ吸い込んだら身が「ズボっ」と口の中にやってくる。確かに柔らかいのだが、うーん・・・・やはり何だか中途半端なものを食べているというか、人間でいえばチェリーボーイを食べてしまっているというか、味もまだまだ熟されていないというか、複雑な味である。その甘味が「水がに」のよさなのだが、やはり私としては大人になってからの蟹のほうがいいかなとも思う。「こんな若い時でなく、もう少し肥えてから飲み屋の席で会いたかった」とも一人ごちる。

Dscn7388 その後は福井の地酒「梵」(広島の盗塁王ではありません)を味わいながら、鯖のへしこ、小鯛の笹漬など、若狭、越前の味覚を楽しむ。

Dscn7384 そう、これですわ。本来なら昨年に「混戦BB会」のオフ会でこの店に来るはずだったのが、私の仕事のせいで直前にキャンセルになったのを思い出す。その代わりで訪れたなんばウォークの「若狭」という店もよかったが、やはりその本場に来て味わうのは便利さに代えられない味わいがあると思う。

Dscn7395 十分堪能したため、店を出たのは折り返しの実質最終となる21時10分発の米原行きの15分前。残念ながら売店は閉まっており、自動販売機でお茶だけ買い求めて乗車。すっかりいい感じで回ったせいか、この後は音楽を聴きながら列車の揺れに身を任せる。近江塩津あたりまでは記憶があったが、その後は米原まで気づかなかった。ただ米原まで戻り、その後近江八幡で新快速に乗り継いだが、途中の記憶はあいまい。それも、アーバンネットワークの幹線まで戻ってきてほっとしたためだろう。ここで日ごろの疲れも一気に出たとか。

結局大阪で下車し、阪急塚口まで戻ると日付が変わっていた。これ、土曜日の夕方から夜にかけての話なのでできたようなもので、さすがに日曜日の夜となれば疲れが倍増するだろう。やれやれ。

私なりの惜別乗車もできたかなと思う。これからカウントダウンが近づくにつれてもっと賑わい、もっと混乱するだろうが、それぞれが節度を持って楽しんでほしいものである。何はともあれ、まずは「お疲れ様、雷鳥」であるが・・・・。

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塚口炎上

2011年02月18日 | ブログ

いや、大変な火事が起こったものだ。

18日の未明、阪急塚口駅に隣接する「塚口中央市場」で火事が起こり、死傷者こそいなかったものの約2千平方メートルを全勝するということがあった。このため阪急の神戸線、伊丹線が一時運休し、朝の通勤に大きな影響が出た。同じ敷地に住んでおり通常阪急を利用して出勤する人を、運転再開後もダイヤの乱れと相当な混雑があるということで、私の通勤のクルマに乗せて阪神の尼崎まで「振替輸送」を行ったことである・・・。

朝5時に起床し、朝のテレビを見ていると「阪急電車が運転見合わせ」という声。最初は「沿線の工場火災によるもの」ということを言っていたようだが、情報が明らかになるに連れて「塚口中央市場」が全焼したということになった。駅までは2キロほど離れているものの、最寄り駅として利用している塚口、そこで大きな火災と言えば落ち着かない。それと「中央市場ってどこやねん」ということがあった。

そしてニュースを見ると、燃えたのは駅すぐ西の踏切の北側。角にはたこ焼き屋があり、通り沿いには牛丼の松屋やら格安チケット販売店、不動産屋などがある。一方ではシャッターを閉じたままの立ち飲み屋やラーメン屋などもあり、「中央市場」という名前に反して半ば廃墟と化したような、いろいろと店もできている塚口にあって取り残されたような一角でもあった。

Dscn7338 帰宅時にその現場に立ち寄ってみたが、夜でも何だか焦げ臭く、警察も出て周囲を封鎖し、歩行者も別の道に迂回させていた。写真は撮らなかったが、夜の灯りで見てみても実に痛々しく映る。松屋にはちょくちょく通っていたが、そこも焼け焦げた感じになっており、思わず「ウーン」とうなってしまう。ただ人通りの多い他の店までは影響がなかったようで、いつも通りの週末の夜の賑やかな時間が流れていた。

Dscn7343 角のたこ焼き屋から出火したということも伝えられているようだが、原因はこれと限定されていないようである。それでもまあ、火災は恐ろしい。ちょっとした不始末から大きな火災となり、それにより多くの財産が失われるということで・・・。やはり日ごろの防火、防災意識というのも必要だなと。

これからこのエリアがどのようになるかわからないが、一日も早い復興を願うばかりである・・・・。

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大阪の人口が神奈川に抜かれて3位転落

2011年02月17日 | ブログ

何が関西の地盤沈下を招いているのだろうか?

昨年実施された国勢調査で、これまで東京に次ぎ2位をキープしてきた大阪府の人口(886万人)が、神奈川県の905万人に抜かれ、3位に転落したという。大阪が微増にとどまったのに大して、神奈川の伸びが多かったための逆転という。

まあこれは、神奈川県がというよりここに来て首都圏への人口集中が顕著になり、地方全体が人口減となる中で首都圏の一人勝ち、そして東京からあふれた人たちが神奈川県に住むようになったということだろうか。

やはり、「経済」なのかな・・・。関西に拠点を置く企業も本社機能を次々に首都圏に移しているし、ものづくりを支えてきた中小企業の厳しさは年を追うごとにきつくなっているし、関西というところが経済活動の拠点として魅力を感じさせなくなっているのかな。大阪市と堺市はともかく、周辺地域での人口が伸び悩んでいるという。

かくいう私、とりあえず来月からはまた「大阪府民」、そして「藤井寺市民」ということになる。まあ私一人が転入したところで(体積は二人分かもしれませんが)人口増加に貢献するというものではないが、少しでも地域の活性化というのに貢献したいなという気持ちはある。

・・・もっとも、「関西中華思想」というのは嫌いなのだけど・・・・。

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3月ダイヤ改正まであとわずか

2011年02月15日 | ブログ

3月12日、九州新幹線の全線開通により北は新青森から南は鹿児島中央までが新幹線のネットワークでつながるという画期的なダイヤ改正が行われる。JRの広告やテレビ番組でも九州新幹線開通による観光活性化を期待する内容にあふれている。私もまた新幹線で福岡から熊本、鹿児島まで行くということをしてみたい。熊本くらいなら、朝の新幹線で出て昼間観光し、夕方にちょいと馬刺しや辛子レンコンなどで焼酎を一杯やってから新幹線に乗ってその日のうちに帰宅・・・という、慌しいながら私流の「飲み鉄」を楽しむことができるかなと、今から密かに期待している。

さてその一方で寂しい話題も。その中で大きいのは関西と北陸を結んでいた特急「雷鳥」の全面廃止だろう。旧国鉄の代表型である485系で親しまれた名前の列車が消えるということで、「その筋」の人もそうでない人も気になるようだ。

先日大阪駅に行くこともあったが、夕方の大阪駅は今や一日1往復となった「雷鳥」をカメラに収めようと、ホームには結構多くの人たちであふれ返っていた。この分だと最終日はどうなるのかと思うが、それでもみどりの指定券売機で指定席の状況を確認したところ、2月中であればまだ余裕で指定席を取ることができるようだ。

例えば敦賀までならば「冬の関西1dayきっぷ」を使えば敦賀までの往復なら安く行くことができる。夕方敦賀まで1時間半ほど乗って、敦賀の駅前で地魚料理など味わい(屋台ラーメンまで食べられるかは別として)、帰りは結構遅くなるが普通列車を乗り継いでも大阪まで戻れる。良い条件での撮影を旨とする「撮り鉄」には面白くないだろうが、乗って車内の雰囲気を味わう、乗り心地を楽しむということなればこれもアリかなと思ったりして・・・。

一時代を彩った列車の最後のおつとめを静かに見守るのもいいかなと。

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転居に向けて着々と・・・

2011年02月14日 | ブログ

今日の大阪は昼から雪。こちらではなかなか見られない光景に、気温以上の寒さを感じたものである。でもまあ、旅行でちょろっと見ただけでも日本海側の雪まみれの景色、北海道まで行けば道端に数メートルにも及ぶ除雪後の雪がそびえ立ち、路面もすっかり根雪がある町の様子があるのに比べれば、ちょろっと降ったくらいのことで夜のトップニュースで大々的に報道する、まるで天変地異が起きたかのような報道をするというのは、本当に雪国の人から見れば失礼な話だと思う。それならばもっと雪国の過酷な生活をせめて伝えるべきではないのかなと思うが・・・。

さてそれはさておき、春の引越シーズンを迎える前に私も転居することが決まった。現在澄んでいるのが勤務先の社宅ということになるのだが、老朽化その他を理由として閉鎖が決まり、結果として別の場所に出ることになった。会社や実家とのやり取りのある中、結局は私の実家のある大阪・藤井寺に新たな住まいを見つけ、そこに移ることにした。

東京から尼崎に移って2年と数ヶ月。元々尼崎というところに対して「怖い」「道を歩いていて肩が触れただけで因縁つけられて、最後は拳銃をぶっ放される」「西宮タイガースのガイキチどもの巣窟」というイメージしかなかった。ただそのうちの何割かは当たっていると思われるところもあるものの、歴史と素朴な人情にあふれ、日本の都市のあらゆる諸相が見られる表情豊かな町だなと思ったことである。

住み慣れたなと思う町を離れることになるのは残念だが、今度は育った町に戻ることになるのもある意味で縁のある話なのかなと思う。かつて近鉄バファローズの本拠地として、全国でも「名前だけは知っている」という人が多かったのだが、プロ野球の歴史とともにまたもやマイナーな印象となった藤井寺である(もっとも最近は近隣の自治体と合わせて、古市・百舌鳥の古墳群を世界遺産に登録しようという運動に参画しているが)。今度は自分が移り住む中で、新しい魅力を少しでも発見できればと思うのだが・・・・。

各種手続きや(最近はインターネットでできるのが手軽で便利)、引越しに向けての準備を進めているところ。これまで買い集めた文庫本やら、結局国鉄のローカル線よろしく「未成線」として途中放置された状態の鉄道模型をどうするかということが出ている。まあこちらはせめて見本市的に車両と最小限の線路くらいは残そうか。

準備まで慌しく時間が過ぎようとしている・・・。

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夜の広島にて

2011年02月11日 | 旅行記F・中国

さて、国道2号線を走るドライブ。金光から国道2号線に復帰し、福山、尾道というところを走り抜ける。三原では糸崎のあたりから迂回する三原バイパスなるものができており、さらに所要時間も縮まったようである。

Dscn7296 そしてやってきた広島市街。このルートで広島に入るのも久しぶりのこと。懐かしい車窓を楽しみながらのドライブとなる。大正交差点から入る大洲通りは、かつての広島勤務時代に仕事で日常的に通っていたところなのでより懐かしく感じる。

Dscn7297 ただこのあたりが変わったのは、あのマツダスタジアムができたこと。このルートでスタジアム横に出るのも初めてで、思わず路肩にクルマを停め、スタジアムを写真に収める。果たして今シーズンのカープの躍進というのはあるのだろうか・・・?

今夜の宿泊地となるアークホテル広島にチェックイン。このホテルも広島勤務時代には職場にも近い、あるいは広島駅にも近いということで就職活動のセミナー会場として使ったこともある。こちらも懐かしいなと思う。

さて夜の部ということだが、やはり広島に来たからには牡蠣をはじめとした海産物を味わいたい。そんな中、駅前に最近オープンしたと思われる「廣島屋波平商店」というのを見つける。店内は最近よくある漁師町をモチーフとした装飾で、店長はじめ元気のいい店員が揃っている。

Dscn7299 そこで味わうのが焼き牡蠣。ただどうだろう、最近は牡蠣といえば広島ではなく、例えば東日本のほうでは三陸の牡蠣の流通が激しいし、関西にあっても広島の手前の岡山日生、あるいは播州の牡蠣がよく出回っている。それらは粒も大きいし、結構安かったりする。まあ、粒が大きければいいというのではないだろうが、個人的な見方をすれば関西における「岡山経済」が勢力を伸ばしているのかなとも取れる。どうもこのところ中国経済を牽引している、あるいは将来的に牽引するであろうというのは岡山かなという気がしており、何だか広島の牡蠣も結局昔ながらのブランドに胡坐をかいてしまって、品質が落ちていやしないかというのが心配である。

もっともっと、頑張ってほしいものだけどね・・・・。

Dscn7302 さてこういう海鮮ものには広島の地酒ということで、エース賀茂鶴に呉の雨後の月などを味わう。なかなかいい感じの店だった。

Dscn7303 広島に来れば二次会はお好み焼ということになるが、駅ビルのアッセは改装工事中ということで、中にあるお気に入りの「麗ちゃん」も休業中。ということで市内電車に乗り八丁堀から新天地に向かう。そろそろ夕方の賑わう時間帯で大勢の人で賑わっている。

Dscn7306 ただ、大阪のキタやミナミのように歩くのも気を遣うというほどではなく、人と人との間隔がちょうどいい感じだ。このあたりいわゆる「地方都市」というのは繁華街を歩くのにちょうどよい賑わいと程よい混雑というのがあるのかしれない。広島にちょうどよい居心地を感じるのはそのあたりかもしれない。

86250148 そんな中書店に入り、地元書のコーナーでみつけたのが「ひろしま うららか さんぽ」という一冊。RCC中国放送の和佐由紀子アナウンサーがラジオ番組のコーナーとして広島の街中を歩く、素敵な店を紹介するというのがあるそうで、その店の数々が一冊の本になったというもの。このアナウンサーも結構キャリアが長くなったが、それでも可愛らしい表情は変わらない。広島の街、そして彼女のグラフィティーとして一冊買い求める。(私の行きたくなるような居酒屋を載せた一冊ではありませんが・・・・)

Dscn7309 ブラブラと向かったのは新天地の「元祖へんくつや総本店」。このエリアでは私のお好みのお好み焼屋。早い時間だが結構賑わっている。外は冷える中、鉄板で温まるのがよい。ただお好み焼は皿で出てきた。うーん、地元の常連客なら黙って鉄板とヘラで・・・というところだが、やはり私は旅行客でしかないのが辛いところ。せめて「鉄板?皿?」と尋ねてくれればよかったのだが。まあ、味は申し分なくそちらは満足。

Dscn7325 もう少しということで原爆ドームまで歩く。ライトアップされたドーム。カメラの性能のせいで、より妖しく光って見える。

Dscn7328 やはり広島まで来たのだから、ここを外すわけにはいかない。改めて平和への祈りを深くすることであった。

Dscn7333 うーん、本来であれば翌日もゆったりとするところであったが、諸事情により翌朝の早いうちから移動して昼までには関西に戻らなければならない。非常に残念だが今回は結局短時間の滞在ということになったが、また訪れてみたいところである。その時は「ひろしま うららか さんぽ」を片手に素朴な街の表情を訪ねることにしようか・・・・。

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下津井の港を歩く

2011年02月08日 | 旅行記F・中国

Dscn7276 さて下津井電鉄の廃線跡歩きを楽しんだ後は、海べりに下津井の集落まで歩く。下津井はタコがよく揚がる港。時期がよければタコを港に干す風景が見られたのだろうが、この日は無数のタコ壷が岸壁に上げられた状態。うーん、やはり下調べも何もせず不意に訪れたところで、観光パンフレットにあるような景色には出会えないということである。

Dscn7281 下津井駅跡から15分ほど歩いて、昔ながらの蔵造りの家々が並ぶ一角にやってくる。その中に「むかし下津井廻船問屋」という建物がある。

Dscn7282 ここ下津井は本州と四国が最も近い距離のところにあり、かつては「西国の喉首」と呼ばれたそうである。だから瀬戸大橋のルートにもなったのだろうが、北海道と西日本、そして関西を結んだ北前船の寄港地として大いに賑わったところである。北海道から運ばれたニシンは備前、備中の田畑の源となり、そこで産出されたコメを初めとした多くの産品が日本海側、あるいは北海道に運ばれたという。この廻船問屋もかつてはニシン蔵があったそうである。

Dscn7285 また、下津井は四国に近いということで、金毘羅さんへの中継点ともなったところである。金毘羅節というのかな「追手風に帆かけてシュラシュシュシュ・・・」というのがあるが、その歌の背景にはここ下津井の海も関係しているともいう。地味ではあるがなかなか味のある風情の港町。

Dscn7287 単なる輸送手段ということではなく、各地の交易に大きな役割を担い、その商売には現在の商社やフォワダーに通じるところがあるということで、北前船の歴史というのには結構興味を持っている。特に日本海側には魅力的な港町も多く、そのいくつかを訪れたことがあるが、こちら瀬戸内側も風待ち港としての賑わい、豊かな経済圏を抱えた港の風情を感じるスポットがある。その意味で鞆の浦は素晴らしい印象があるが、こちら下津井も決して負けてはいない。

Dscn7293 さて昼食ということになるが、あまり観光ズレしていないせいかなかなか食事処というのがない。やはり鷲羽山の上に行くか児島の町に戻るしかないのかな。そんな中、漁協の向かいで「タコめし、タコ天」の看板の店。もともとは表側でパックに詰めたそれらを立ち寄り販売しているような店なのだろうが、そうとは知らずに店内に入る。店番のおばさま二人はちょっとびっくりしたような表情であるが、それでもタコめしにタコ天を出してくれ、お茶も入れてくれた。うーん、そういうタイプの店なら買うだけ買って岸壁に腰掛けて食べるというのでもよかったのだが・・・。それでも下津井のタコは噛めば噛むほど味が出るし、タコ天も歯ごたえがものすごい。

さて腹ができたのはいいが、ここから児島に戻るのにどうするか。コミュニティバスの便もあるが、これがもう1時間近く待たなければならない。タクシーを呼ぶのももったいない。

Dscn7294・・・ということで、残された選択肢はバスまで待つか、児島まで歩くか。幸い、瀬戸大橋の橋脚が目の前にある。ということは、先ほど通った鷲羽山駅跡まで上がれば、後は通った道を引き返せばいいわけだ。それなら、バスを待つより歩いたほうがいいかな。

Dscn7260 ということで、勾配につけられた階段を上って駅跡にたどり着き、そこから再び歩く。ただ復路は結構短く感じるもので、かつ、児島競艇場の脇からは海べりの県道に出る脇道もあり、結局線路跡をそのまま通るよりショートカットすることができ、下津井でのバスの発車時刻を迎えるころには児島観光港の土産物センターで海産物を買い求めているということに。

ここから再びドライブとなる。目指す広島はまだまだ距離があるなあ・・・・。(続く)

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「風の道」を歩く~岡山・下津井

2011年02月07日 | 旅行記F・中国

何だか久しぶりに「ドライブ」をしたくなった。

とはいうもののこの時期、積雪のある日本海側は無理である(冬用タイヤはおろかタイヤチェーンも持っていないので)。ここは西へ向かうことにしようか。阪神高速~第二神明と乗り継いで、あとは国道2号線に乗って。

宿泊を広島に決めて、5日の早朝に出発する。さほど渋滞するスポットもなく、冬の柔らかい日差しの中を西へ走る。薄っすらと雲が張っており、快晴とまではいかないのだが・・・。

最初は福山の鞆の浦に行こうかと思った。ただクルマを走らせるうちに、「そういえば下津井電鉄の廃線跡を歩くというプランがあったな・・・」と思い出す。京阪神から青春18きっぷを利用しての日帰り旅行のモデルプランの一つにもあったような。下津井電鉄は瀬戸大橋の開通と引き換えになる形で1990年に廃止されたナローゲージの小さな私鉄である。結局乗る機会はなかったが、瀬戸内の海を見下ろしながらトコトコ走る列車の写真は覚えている。このところ運動不足ということもあり、それを歩くのも面白そうだ。

Dscn7233 岡山市内から進路を変え、やってきたのは児島駅。近くの観光港の駐車場にクルマを停め、まずは駅へ。児島といえば世界に誇るジーンズの産地であり、また競艇場のある町である。駅の中にもボートが展示されている。

パンフレットによれば、下津井電鉄の児島駅はここから10分ほど歩いたところにあるという。かつては今のJR茶屋町から伸びていた線であるが、その児島駅がある辺りが児島の中心部のようである。

Dscn7235 さてその廃線跡、終点の下津井までは6キロあまりの距離。今では「風の道」ということで歩道が整備されているそうだ。風の道、なかなかおしゃれな名前ですな。

Dscn7236 看板に従って歩く。児島駅から線路跡が少し伸びたところに出て、柵の向こうに児島駅跡のホームを見る。ただ後でネットで旅行記などを確認するに、児島の駅舎は観光案内も兼ねているようで「現役」で使われており、中に入って当時の備品などを見ることもできたそうである。いや~、全く気づかなかった。反対から回って柵がしてあるので「ここは開放していないのだな」と勝手に思い込んだことである。ちゃんと事前に「明日は下津井電鉄を歩くぞ!」と気合を入れて下調べをしていればこういうことはなかったはずで、やはり気まぐれでは見落とすことが多いなと苦笑い。

Dscn7243 その時はそんなことは気づかず、ホームの先が出発点だなと思い、歩き始める。ナローゲージということで道幅もさほどなく、路地裏を歩いているかのようである。もう廃線になって20年が経過するため、この「風の道」を歩道としてそちらの側を向いて建てられた家屋もあるが、古いものだと勝手口であったり物置であったり、家の裏側を見て通るところもある。かつて線路があり、それがある日急にもがれるというのも複雑なものだろう。

Dscn7244 通れるのは歩行者と自転車だけということで、ウォーキングやジョギングのコースとしてだけでなく、地元の人が犬の散歩コースにしていたりとすっかり生活に密着した道である。6キロということで1時間あまりか、沿線に残る電柱などを見つつ、乗ったことはないがガタンゴトンと音を立てながら走る小ぶりな電車の姿を脳裏でイメージする。こういう路地裏を走る電車、今ではだいぶ少なくなったのではないだろうか。

Dscn7247 途中の駅にはホーム跡、石垣も残されている。そしてホームの上には休憩用のベンチに、駅名標がある。「風の道」として、わざわざレトロ風にデザインされた駅名標が歴史の語り部になっているようだ。

Dscn7248 うーん、やはり電車が走る様をこの目で見たかったなという気持ちが湧き出てくる。

Dscn7249 途中の踏切跡。よく見ると道路のほうに「止まれ」のマークがある。これも目立たないがかつての名残であろう。今ではもちろん道路のほうが優先で、風の道の歩行者は一旦停止、また大きな道路では「道路横断禁止」の看板も出ている。

Dscn7252 2キロほど歩くと少しずつ上り勾配。そして左側から高架橋が近づく。そう、瀬戸大橋線。列車の姿を写真に収めることはしなかったが、普通列車に特急列車が轟音をあげながら通過していく。あの高架橋を見ると、こちらのナローゲージは貧相といえば怒られるが、線路として維持するのは難しかったかなと思ってしまう。

Dscn7257 琴海は高台から海を見下ろすロケーション。児島競艇場も見える。ただこの日は薄いながらも雲が広がっており、数々の島や、天気がよければ見えるという四国の姿を拝むことはできなかった。それでもロケーションのよさにはうならせるものがある。

Dscn7263 この琴海から1キロ弱で鷲羽山駅に到着。眼下には下津井の集落が広がり、ホームからは瀬戸大橋を見ることができる。ベンチに腰掛けて日向ぼっこしている人もいる。

Dscn7266 うーん、こういうのを見ると、瀬戸大橋線に例えば「鷲羽山」とか「下津井」という駅をつくってもよかったのではと思う。観光客の誘致には十分だと思うのだが。

ここから線路(跡)は下津井の集落を北から西へ回り込む。右手の山上には鷲羽山アイランドがある。ただどうだろう、観覧車やジェットコースターが動いている様子もなく、そもそもあそこはまだ営業しているのだろうか、それとも巨大な廃墟?と推測してしまう(ただ、これも帰宅後に確認するとちゃんと営業しており、ちょうど開園40周年記念だという。ブラジルのサンバも上演されているようで、失礼しました!・・・って何で岡山で「ブラジリアンパーク」なんだろうか?という疑問は残るが)。

Dscn7268 鷲羽山駅から下津井までが2キロ以上、ちょうど集落の外側を曲がるように進む。かつて鉄道があったことを教えてくれる切り通しのようなところもある。ただ、ちょっと回り道かな・・・。

Dscn7269 途中いろいろと止まりながら歩いたため、結局6キロを1時間15分ほどで歩き下津井に到着。かつては立派な駅舎もあったという港の駅は更地になっている。ただ「しもつい」の看板が残り、その向こうにはかつてこの線で活躍した電車たちが眠っている。

Dscn7272 ただ有刺鉄線もついた柵がめぐらされており、たまたま開放されていた門も「関係者以外立入禁止」とある。何でも、地元の有志たちが保存会を立ち上げているそうで、決まった日を除けば普段は一般人が入れないようになっているようだ。この日はスタッフらしき人が車両の整備か中でごそごそしていたが、とても声をかけて入っていける雰囲気ではなかった。

Dscn7275 それでもかつての電車を見ることができ、6キロを歩いてきた甲斐があったというものだ。こういうひっそりとした廃線跡を歩くのもめったにない経験である。よくぞ全線を歩道として残してくれたなあと思う。今はシーズンオフなのだろうが、暖かくなる時期などは距離、テーマ的にウォーキングコースとして最適だろう。近代化遺産の一端ということでも注目したいところである。

さて、下津井に来たことであるので、かつての北前船の港町の風情にしばし触れることにする・・・・。(続く)

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やはり八百長はあった。それで結論は出たじゃないか。

2011年02月02日 | ブログ

会社から帰って夜のNHKのニュースをつけると、「国技館から中継でお送りします」というキャスターの声。また大相撲で何かあったんかいなと思って見ると、一連の野球賭博の捜査の過程で押収された携帯電話のメールに、八百長を疑わせるメールのやり取りがあったというものである。

それもこれまで週刊誌などで報じられたことよりも生々しく、具体的な相撲の取り口とか、誰それに星を貸しているとか、金の振込先と思われる口座番号が書かれていたとか、これはどう見てもそういうやり取りに関することと思われる内容。それが八百長と違うというのであれば、なぜそういう「星を貸している」というメールが書かれるのだろうか。

これまでも八百長報道が繰り返し行われ、相撲協会はその都度「事実無根」としてきたが、ここまで具体的な証拠が発表されるということは、やっぱり八百長はあったということだろう。言い訳するとか、春場所までに捜査するという話ではなくて、もう結論は出ているのではないか。

例えば相撲が一定の規則に則った儀式で、「勝負はこうしなければならない」というものであれば、まあ神事として興行として認められるものだが、実力世界、公平な勝負を前面に出したスポーツ、選手権というのであればやはりそれは許されるものではない。全ての力士がそうというわけではないが、「やっぱりな」という世論の反応が返ってくるのはどうかしている。

来月には春場所が行われるということで久しぶりに生観戦しようかとも考えていたが、この報道を受けて本当に失望した。野球賭博など可愛いものである。野球賭博であれだけの処分を下したのだから、八百長が本当ということであればもう協会は協会として組織を成す意味がないだろう。一事が万事というから。

本当に情けない・・・。

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書物整理・・・できるかな

2011年02月01日 | ブログ

実は諸般の事情により、現在の住まいを来月には退居することになりました・・・。

まあ、詳細はまたその際にお話するとして。

そこでやらなければならないのが身辺の整理というやつ。最近では銀シャリ・・・ではなく仏舎利・・・でもなく、「断捨離」なるものがブームという。これらの字面からわかるように、とにかく整理してスリム化を図るというのが昨今評価されるというのだろう。

「それはオレの身体にも言えることかいな」というのはさておき、私の場合、これまでの旅行先で入手した資料やパンフレットとか、あるいは書いためた書籍類というのが結構なウエイトを占めそうな感じである。まあ、旅行先のものといえばその後旅行記を書くにあたって参考にするというところで、特段、これを後々まで持っておかなければ困るというものはそれほどないのかもしれない。「旅の思い出は自分の心の中に」とでも言って納得させることもできる。

ただ厄介なのは書籍のほうかな。最近はすぐに「絶版」にしてしまい、後になって「またあれを読みたいな」と思ってもそう見つかるものではない。だから余計に置いておきたいという気持ちがある。ただやはり整理はしないとね。ブックオフあたりに持ち込んで売ることになるだろうが、文庫本や新書の買取相場ってどのくらいだろうか。1冊10円くらいのものか。これまで、書物を売るという経験がないもので・・・。

・・・という作業をやっている最中でも、週末に紀伊国屋書店あたりに行けばまた何がしか買ってくるのかもしれない。「断捨離」への道は思いっきり遠いものだろう・・・・。

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