まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

西国四十九薬師めぐり~浜坂温泉に立ち寄り

2021年01月31日 | 西国四十九薬師

浜坂駅から湯村温泉行きのバスに乗る。乗客は私以外は地元の高校生3人。ここから岸田川に沿って山の中へ分け入っていく。道路は普通に走れるが、周りの雪は先ほどよりも深くなっている。駅から湯村温泉までは30分で、高校生たちは途中で降りたので最後は私一人だけだった。

終点一つ手前の薬師湯で下車する。鳥取への移動のため湯村温泉の滞在時間は1時間半あまり、まずは外湯に入ろうと思う。

そこで向かったのが薬師湯。地元の人も気軽に入る公衆浴場で、入浴料も一般が500円のところ、新温泉町の町民は半額の250円で利用できる。ただし、新型コロナ対策として営業時間が短縮され、サウナと2階の休憩室の利用も休止している。まあ、純粋に温泉につかる分には問題なく、利用客も少ないので中の浴槽、外の露天風呂も広く使うことができた。

そのまま温泉街の中心に向かう。春来川の横にある荒湯からは強烈な湯気が上がっている。こういうのを見ると温泉に来たなと実感する。荒湯は平安時代、慈覚大師円仁により発見された湯村温泉の源泉で、温度は98度ある。荒湯には高温の湯壺を使ってさまざまなものを茹でることができる。

ということで、前日の城崎に続いて、ゆでたまごに挑戦だ。2つある湯壺の片方が特に温度が高く、短い時間で固めのゆでたまごに仕上がるという。時間にして12~13分ということで、その間に春来川沿いの足湯「ふれあいの湯」を散策する。

散歩道にもなっており、2000年前後に寄せられた芸能人、文化人たち約60人の手形が飾られている。さすがにこの時季、手形に手を合わせるとひんやりする。

全部を取り上げるだけの余裕はないが、いくつか紹介すると・・

火野正平さん、尾車親方、武田鉄矢さん、北大路欣也さん、田中邦衛さん、桂三枝(当時)師匠

橋幸夫さん、宗滋選手、掛布雅之選手、西本聖投手、パンチ佐藤選手、アグネス・チャンさん

服部幸應さん、ゼンジー北京師匠、衣笠祥雄選手、平尾誠二選手、西川きよし師匠

そして、橋の上には夢千代公園がある。湯村温泉が全国的に有名になるきっかけとなったドラマ「夢千代日記」の放映を記念してのもので、脚本家・早坂暁、主演の吉永小百合さんなどの手形もこちらに飾られている。湯村温泉の紹介というと「夢千代日記で知られる・・」という言葉がつくことが多く、私もさぞ知っているかのような顔でそう書いているが、実際のドラマを観たわけではない。

ネットで検索すると、早坂暁が「夢千代日記」を書いたのは、広島を訪ねて「いつか原爆のことを書こう」と心に決めていた中で、温泉街の色物の世界に被爆した女性を芸者として登場させたほうが、「原爆反対」と声高に叫ぶよりも人の心に訴えるのではないかと考えたから・・とある。また、高度経済成長に乗り遅れた「裏日本」(当時はまだこの表現が当たり前だった)に日本人が落とした大事なもの、それを癒すものが山陰の小さな温泉町に残っていて、心に傷を負った人たちが助けられてまた帰っていく理想郷を描いた・・とある。どこかで映像を探してみようか。

そろそろ、ゆでたまごの時間である。近くに適当な食事処が見当たらなかったので、昼食は荒湯の横でこのゆでたまごと、一緒に買ったビールである。「ゆで上がったら、湯壺の横の水道で冷やして」というアドバイスがあったが、そうすると皮がスムーズにむけ、また白身が皮にくっつくこともなかった。雨で濡れているのでベンチに腰掛けることができず、立ったままの食事である。5個入りをゆでたので、2個をここで食べ、残りは土産物として持ち帰ることにした。

バス停に向かうまでの間に薬師堂がある。湯村温泉を開いた慈覚大師円仁を慕い、薬師如来が祀られている。薬師如来は病気平癒や延命のご利益がある医薬の仏ということで、湯治客からも信仰されている。西国四十九薬師の札所の寺ではないが、城崎同様、温泉地に薬師如来が祀られているのに出会うのも巡り合わせということで、改めて手を合わせる。

13時30分発のバスの乗客は私一人。そのまま浜坂駅に戻る。列車までの時間、観光案内所に入る。そういえば数年前に浜坂、湯村温泉に来た時、観光案内所で「セコガニの味噌煮」という一品を見つけ、美味かった記憶がある。

それがあるかなと案内所をのぞくと、冷凍庫にパックが残っていたので一つ購入。この辺りの山間部の冬の保存食で、セコガニの胴体や足を殻ごとぶつ切りにして、外子、内子と一緒に味噌やみりん等で味付けして煮込んだもの。ご飯にも合うし、酒のお供にもなる。休みの前の日などに心置きなく一杯やってみたいものだ・・ということで、この記事の下書きはその通りに。

また、駅建物内に「鉄子の部屋」というのがある。山陰線を中心としたさまざまな鉄道グッズが展示されている。餘部鉄橋の橋脚の一部もここで保存されている。

浜坂14時20分発の鳥取行き快速に乗る。直前になって急遽決めた浜坂途中下車、湯村温泉行きだったが、楽しむことができた。

鳥取行きはこれまでとは異なるキハ121。ボックス席の向かいのシートとの間隔が広く取られている。

兵庫県から鳥取県へと入り、東浜に到着。なお、写真がひどく汚れているように見えるが、これは気動車の窓ガラスに実際に泥がついているためである。鳥取砂丘の中を走って来たのかと思う蔵代。

このまま、広島行きのバスが出る鳥取まで向かうが、循環旅行はまだまだ「往路」が続く・・・。

コメント

第28番「大乗寺」~西国四十九薬師めぐり・30(円山応挙一門の傑作に出会う)

2021年01月30日 | 西国四十九薬師

香住駅から西国四十九薬師めぐりの札所の大乗寺を目指す。地図で見ると駅から2キロ以内のところで、歩く分には支障ない。雨は降っているが積雪はないので、普通に歩くだけだ。

山陰近畿自動車道の香住インター前を通る。駅にも近く、小規模ではあるがショッピングセンター、コンビニ、食事処、ガソリンスタンドなど一通り揃う。この道路は鳥取から山陰海岸沿いに豊岡経由で宮津まで結ぶ計画で、豊岡で神戸、大阪方面にも接続することになっている。現時点ではまだブツ切りでの部分開業だが、いずれ全線開業となると香住の玄関口は完全にこちらになるのだろう。

この高架橋にも案内標識があるように、大乗寺までは思ったほど遠くない。県道から大乗寺に続く案内板には、大乗寺の横に「応挙寺」と書かれていて、「旧街道ぶらり探訪 応挙の散歩道」とある。応挙といえば、江戸時代の有名な絵師である円山応挙である。円山応挙といえば落語のネタにもなった幽霊画が連想されるが、香住に応挙の名がつく寺があるとは。

旧街道らしい家屋もあり、駅から歩いて20分あまりで大乗寺に到着。石標には「応挙寺」と書かれている。

時代がかった石垣の上に、寺というより屋敷のように建っている。

石段を上がり、山門をくぐると正面に本堂が建つ。雪を防ぐため戸板で覆われている。その戸板の暗がりに、何やら人が浮かんで見える。一瞬ドキッとする。近づいてみると裃姿で、マスクをつけた木像がお出迎えする。後で聞いたところ、これは円山応挙の像である。

応挙像を見て左手に進む。ちょっと上がったところにお堂が二つあり、奥が本堂である。先ほど本堂だと思った正面の建物は客殿で、円山応挙が登場するのはこの客殿のほうである。

そして手前に「瑠璃光」という額があるので、こちらが西国四十九薬師の札所である。雨が降っているので薬師堂の軒下に入ってのお勤めである。薬師如来が本尊というより、たまたま薬師如来を祀るお堂があったので西国薬師に加わったようにも見える。

この後、いったん奥の墓地に向かう。この時、客殿は冬で閉まっているのかなと勘違いしていた。応挙寺といっても応挙の作品は見ることができないのかなと思ったが仕方ない。

墓地の奥に、吉野神社に向かう石段がある。時間があるのでどんなものか上ってみる。

この後は、大乗寺に続く山道を下る。竹藪の中を通るが、ここは西国三十三所の写し霊場も兼ねているようだ。といっても、いきなり12番くらいから逆に戻るルートである。本来なら吉野神社の先にも西国三十三所のルートが延びているのだろう。

まあ、西国四十九薬師霊場のお参りはできたし、西国三十三所の写し霊場もある寺だということで、思ったよりも早く済んだ、最後にバインダー式の朱印をいただくことにする。では納経所はどこかなと、客殿まで戻る。応挙の木像を挟んだ反対側にあるようだが、そちらに向かうと、拝観受付とある。どうやら客殿の拝観もできるようだ。

くぐり戸を開けて土間から座敷に上がる。ここが受付で、バインダー式の朱印も先にいただく。コロナ対策ということで住所、氏名を芳名帳に記す。寺の人は、そのペンを渡す前、後ともアルコール綿でぬぐっていた。

客殿の中は住職とおぼしき僧侶が案内をしてくれる。お断りとして、建物内の撮影禁止、そしてコロナ対策として私との間の距離を保っての解説という。中で変なことをしないようお目付を兼ねているのだろうが、私一人のために案内いただけるとは恐縮する。

撮影禁止なので画像はない。詳しくは、大乗寺のホームページ、そしてその中にあるデジタルミュージアムをご覧いただければ。

大乗寺は奈良時代、行基により開かれたとされる。その後どういう歴史をたどったかは明らかでないのだが、江戸時代中期に密蔵、密英という二人の上人の手で客殿が再興されたとある。この時、円山応挙に襖絵の作成を依頼し、応挙も門人たちとともに応えたのが現在の客殿の襖絵の数々だという。その作品は合わせて165、いずれも重要文化財に指定されている。現在の客殿ではそのほとんどは保護のために境内の収蔵庫に安置されていて、デジタル技術で復元したものをはめこんでいるという。

応挙が生まれたのは丹波の亀岡だが、縁あって京都に奉公に出て、絵を描いていた。苦学する中で、大乗寺の密蔵上人は早くから応挙の画才を見込んでいたそうで、費用も援助していたという。そのつながりがあり、後に大乗寺の客殿を再建するにあたり、「恩返し」として襖絵を手掛けることになったという。

その中で応挙が手掛けた代表的な襖絵が、孔雀の間。十一面観音を祀る仏間を前にして、金箔の地に墨の濃淡だけで孔雀や松の木が描かれる。灯りを落としても松の木が立体的に浮かび上がるし(墨の成分で塗り分けている)、襖の開閉も計算に入れて立体的な空間を表現したりと、応挙の才能に驚かされるばかりだ。

他にも、襖絵を見る角度によって描かれた人や生き物の動きが違って見えたり、逆にどの角度から見ても同じように見えたりと、目の錯覚を計算した描き方をした襖絵の数々も見られる。また、これらの襖絵も一つの部屋だけで完結するのではなく、隣の部屋の世界ともつながっていたり、向こうの部屋の襖絵で描かれた川がこちらの部屋とつながっていたりと、建物全体を一つの空間芸術のキャンパスに見立てているようだ。

客殿とはいえ、一つのお堂である。中央の十一面観音を祀った仏間を中心として、建物の四隅に、持国天(生産、経済)、増長天(政治)、広目天(芸術、文化)、多聞天(生命、医薬)が司る世界をイメージした襖絵を持つ部屋が設けられている。これで十一面観音を中心とした立体曼荼羅を表現しているそうだ。ここまで来ると、応挙とその一門、単に客殿に立派な襖絵を描いたということを通り越して、空間全体で仏教世界をプロデュースしたことがうかがえる。

ここまでの作品が京都の街中にあるのなら「さもありなん」と思うが、但馬、日本海を望むこの地にあるのが意外である。もっとも、そういう考えが「表日本対裏日本」という高度成長時代のうがった見方で、江戸時代の日本海側というのは北前船の往来もあり先端文化が栄える土壌が豊富だった。先に密蔵上人云々とあったが、但馬のこの地にはさまざまな素封家がいたこともうかがえる。

客殿を一回り案内いただいた後で、受付がある部屋でDVDを観て先ほどの復習をする。ただ途中だが、そろそろ駅に戻ったほうがよい時間になった。お礼を言って客殿を後にする。

・・・あ、西国四十九薬師めぐりは、次に訪ねるところをくじ引きとサイコロで決めるところだった。客殿の正面に鎮座する応挙の像の前で行うことにする。

そして出目表は・・・

1.湖東(西明寺、桑實寺、善水寺プラス西国31番長命寺、西国32番観音正寺)

2.北摂(花山院菩提寺プラス西国25番播州清水寺)

3.橿原・名張(久米寺、弥勒寺)

4.南紀(神宮寺プラス西国1番青岸渡寺)

5.京都(法界寺、醍醐寺プラス西国10番三室戸寺、西国11番醍醐寺)

6.高野山(龍泉院、高室院プラス西国3番粉河寺)

さまざまある中で、サイコロアプリが出たのは「2」。北摂である。このところ、播磨、但馬と来てまたも大阪に入る手前のシリーズである。一応、京阪神のスポットは避けられているのかな・・・?近日、行くことにする。

来た道を歩いて香住駅に戻る。次に乗るのは10時54分発の浜坂行き。行き違いとなる10時56分発の城崎温泉行きに乗る客は何人かいるが、浜坂方面に向かうのは私だけ。やって来た列車も鉄道旅行の若者グループが1組いる以外は無人である。

この先の区間といえば、まずは鎧駅。

そして、餘部鉄橋である。昔ながらの橋梁が架け替えられて結構な年月が経っているが、やはりここは鉄道好きにとっては注目のスポットである。ホームには列車の見物に来た人もちらほらいるし、現にここから乗って来た客もいる。私も久しぶりに餘部の橋梁を外から見ようかなと思っていたが、そのまま乗り続ける。

さて、列車は11時18分に浜坂に到着して、12時01分に鳥取行きが出る。これに乗れば13時前に鳥取に着き、16時発の広島行きのバスまで3時間ほどの時間がある。この時間で鳥取のどこか、いっそのこと砂丘まで行ってもいいし、鳥取駅高架下の居酒屋に行ってもいいかなと考えていた。

ただ、鳥取は中国地方で、中国観音霊場めぐりのスポットである。今回は西国四十九薬師めぐり、兵庫県を回るということで・・それなら、ぎりぎり兵庫県にある浜坂から、湯村温泉に足を延ばすのはどうだろうか。鳥取よりも兵庫の端を楽しむということで。

・・・バスに乗ろう。

コメント

西国四十九薬師めぐり~城崎から豊岡に移動して1泊、そして香住へ

2021年01月28日 | 西国四十九薬師

いったん通過した豊岡駅に戻る。例年に比べて観光客が減っているとはいうものの、城崎温泉の宿泊費が結構高いなと感じられたので、こういうことになる。温泉街にあるとはいえ、素泊まりでも1万円を上回る相場である。

この日宿泊したのは、豊岡駅近くのグリーンホテルモーリス。豊岡には仕事の関係で2回ほど泊まったことがあるが、このホテルは初めてである。大浴場、朝食つきで6300円のところ、予約サイトのポイントを利用して5300円で利用する。ロビーの内装にはこだわりがあるのか、落ち着いた色調にまとめられている。

部屋にいったん荷物だけ置き、すぐに外に出る。先ほど贅沢な昼食だったこともあるが、この日の夜はスーパーで買ってきたものを食べることにする。これまでの宿泊の際も一献の場を探して駅前を回ったが、私にとってこれだという店がなかったのを覚えていて、最初からあまりあてにはしていなかった。無難なところだと駅前の複合施設の中にある魚民だが、それよりは同じ建物に入っている地元スーパーの「さとう」で総菜やら酒やら買って部屋でゆっくりするほうを選ぶ。

部屋で大相撲14日目の力強い取組を見た後で、窓から豊岡の町を眺めながらの一献。照ノ富士と正代の一番は力が入った。(結局初場所は大栄翔が初優勝)

先ほど城崎温泉の元湯で作った茹でたまご。ただ、皮をむく時に中の白身も結構はがれてしまう。ゆで時間は問題なかったと思うが・・。それでもしっかりおいしくいただく。

メインは、ホタルイカの酢味噌和え。但馬沖はホタルイカの産地の一つで、城崎温泉の土産物店でもホタルイカの沖漬けやさまざまな味の加工品が並んでいた。それらは土産にするとして、この日は最も生に近い味をいただく。

そして刺身は近くの竹野で獲れたツバス。ブリの若魚の名前で、関西ではツバス~ハマチ~ブリと出世する中で名前が変わる。身に結構弾力があった。但馬のこの辺りで親しまれる「香住鶴」とともにいただく。

こちらに来たからといって地元の人たちも毎日カニを食っているわけではなく、むしろこうした日常の魚をいただけてよかった。

他にもあったが、最後はこれも土産物店で買ったカニの笹寿司。1個1個を笹でくるんだなれ寿司である。駅弁のカニ寿司とはまた違った味わいである。

部屋でゆっくりした後、寝る前に2階の大浴場に向かう。さすがに城崎温泉の湯が来ているわけではなく普通の湯とのことだが、リラックスできる。

翌24日、この日も雨である。6時半からバイキング形式での朝食。コロナ対策としてバイキング形式の朝食スタイルをどうするかそれぞれ苦心しているようだが、このところ泊まるホテルでは、結局盛り付けは従来通り、食事する側がマスク着用、アルコール消毒、検温、両手にビニール手袋をして・・というスタイルが続いている。後はホテルによってテーブル、椅子を間引くとか、時間帯によって入場を制限するという形である。弁当スタイルや、おかずを一つずつ小鉢に分けるというのは結局作り手の労力がいることなのだろう。

この日は7時42分発の鳥取行き快速で出発。これで香住まで行って第28番の大乗寺を拝観後、鳥取に移動する。昼過ぎの到着予定で、帰りの広島行き16時発の高速バスまでどのように時間を過ごそうか考え中である。昼飲みができるチェーン居酒屋があるので山陰の魚を味わうか、鳥取砂丘まで往復するか、はっきりとは決めていない。

キハ47の2両編成にはそれぞれ数人の客がいたが、玄武洞を通過して次の城崎温泉でほとんど下車し、私が乗っていた2両目は他に誰もいなくなった。ここから非電化区間に入ることもあり、より一層冬のローカル線らしくなった。

時折日本海が顔を出す。雪こそないが、どんよりした雨雲、黒い瓦の民家が密集する漁村、さまざまな表情が出てくる。その空の下、キハ47の重厚なエンジン音が響く。

8時27分、香住に到着。「カニ迎」の文字はないが、カニをかたどった張りぼてがホーム、改札口で出迎える。

大乗寺まではバスで・・との案内があるが、そのコミュニティバスは土日祝は運行されない。まあ、歩いても十分行ける距離のようなので、バッグはコインロッカーに入れ、傘を指して山側の方向に進む・・・。

コメント

第29番「温泉寺」~西国四十九薬師めぐり・29(城崎の湯と日本海の幸と・・)

2021年01月27日 | 西国四十九薬師

もし大阪に住んでいたまま西国四十九薬師めぐりで城崎、香住という但馬シリーズに当たったら、どういうコースにしただろうか。そりゃ、宿泊すればゆったりとした行程が組めただろうが、おそらく日帰りで一度に2ヶ所回るプランを組んだだろう。城崎温泉の外湯に1ヶ所は入るだろうが、ゆったりとどこかで食事をすることもなく、また特急「かにカニはまかぜ」や「こうのとり」にも乗らず鈍行で往復するプランにしたかもしれない。

広島から西国四十九薬師めぐりをするのも一種の旅行のようなことになり、特に今回は山陽側から城崎に入り、この後山陰線を鳥取までたどって広島に戻る循環旅行となった。この札所めぐりにあって、ここまででもっとも贅沢なコースになっている。

さて、温泉寺を参詣した後で、山門の前にあるスペースに立ち寄る。ここが城崎温泉の元湯である。温泉寺がこの地に開かれた由緒とも結びついている。足湯があるのだが、残念ながらコロナ対策のために湯が抜かれている。

同じスペースに城崎ジェラートカフェCyayaという店がある。ジェラートはともかくとして、目についたのが温泉たまご。高温の元湯に浸けてゆでるもので、同じ但馬の湯村温泉をイメージさせる。店で玉子3個入りのネットを買い求め、紐を格子に結んで待つことにする。ゆで上がるまでの時間は温泉たまごで11分、半熟で14~15分、固め20分とある。通常なら、この待ち時間にジェラートをいただいたり、足湯に浸かったりするのだろう。ただこの時は足湯のスペースで雨宿りするしかない。

15分ほど待ち、引き上げる。これは今夜の豊岡の夕食の一品にするとして、出来具合が楽しみだ。

さて、温泉寺参りの中で石段も上ったし、一息入れるつもりで外湯に入ることにする。道を挟んだ向かいにあるのが「鴻の湯」。先ほど「一の湯」で買った1日チケットのQRコードをかざして受け付ける。

先の記事で、城崎温泉は奈良時代に道智上人が開いたとされているが、それよりも古い伝説が残っている。時代は道智上人からさらにさかのぼる舒明天皇の頃で、コウノトリが傷を癒していたことから発見されたという。確かに、温泉はずっと昔から湧いていたもので、コウノトリだけでなく地元の人たちも使っていたのかもしれない。あくまで道智上人はそれを仏教と結びつけ、プロデュースした人なのかな。

城崎の外湯でもっとも奥に位置することから、奥座敷のような落ち着いた風情である。時間帯のためか入浴客もまばらである。

内湯のほかに庭園風呂がある。ここに浸かっているとちょうど雨足が強くなってきた。上半身は雨に打たれてひんやり、下半身は湯に浸かって温か・・何だか妙な心持ちである。

鴻の湯を出て駅の方面に向かう。途中土産物を購入した後、駅前の通りに戻る。この辺りで昼食としよう。

いろいろ見て回った後で入ったのは「海中苑」。1階がカニをはじめとした魚介類が並ぶ「おけしょう鮮魚」で、その上のレストランである。

こういう店に来ると、何を注文するか迷う。せっかくなのでカニも食べたい。カニのフルコースもあるが、さすがに値が張るかな。

その中で一品注文するとして、カニ刺しを選択。カニのランクとしてはどうなのかはわからないが、半身が登場する。茹でたり焼いたりとはまた違った甘味を感じることができる。周りの目を気にせずにじゃぶりつきやした。

メインについては結局海鮮丼にした。10種類はあったかな。具だけをはがして醤油につけてみたり、あるいはぶっかけでご飯と一緒に食べたりと、さまざまな楽しみ方ができる。

その合間にこっそり楽しんだのが「カニ酒」。カニ酒といっても、カニの甲羅に熱燗を注ぐものではなく、冬場のメニューにフグのひれ酒というのがあるが、その中身がカニというものだ。ちょっとあぶったカニの脚や胴を熱燗の中に入れ、火をつけたマッチでちょっとアルコールを飛ばし、香りを引き立たせる。何とも絶妙な味だ。下関や山口県の土産物には、ひれ酒用のフグのひれが売られているが、こうしたひれ酒用としてのカニも土産物店に置いてみてはどうかと思う。すでに置かれていて私が気づかないだけなのかもしれないが。

すっかり満足して駅に戻る。これで豊岡までいったん移動するとして、次の15時36分発の豊岡行きまでは30分あまり時間がある。待合室にいればいいのだが、駅のすぐ横には外湯の一つである「さとの湯」がある。手には1日チケットもあるし、よし、もう1ヶ所入ることにしよう。

「さとの湯」は城崎温泉の7つの外湯で最も新しく、駅のすぐ横にあることから「駅舎温泉」と名乗っている。駅に近いことからこれまでにも入ったことがあるが、浴槽が洋風というか、中東とかギリシャとか、あちらの地域をイメージさせるのを見て「こんな浴場だったかな?」と不思議に思った。ただこれは不思議でもなんでもなく、「さとの湯」じたいが和風と洋風の2種類の浴槽を持ち、日替わりで男女が入れ替わるからである。以前に来た時が和風の浴槽の日だったということだろう。

結局この日は2時間おきに外湯の扉をくぐった形で、何だか温泉と贅沢な食事のついでに札所めぐりという状態になった。繰り返しになるが、ここまで、西国四十九薬師めぐりの中でもっとも贅沢なシリーズである。まあ、広島に転居したことで西国のエリアに来ることじたいが一つの旅になっているのだが・・・。

コメント

第29番「温泉寺」~西国四十九薬師めぐり・29(城崎温泉の守り仏)

2021年01月26日 | 西国四十九薬師

城崎温泉駅に降り立つ。これまで来た時に比べると、駅前の人だかりは明らかに少ない。駅前には飲用の湯、そして「さとの湯」の足湯があるのだが、飲用の湯はコップが取り払われているし、足湯から湯が抜かれている。通常の外湯は感染対策を施したうえで営業しているが、足湯はそこが密になるとの判断で、この先見かけたところは全て中止となっていた。

駅前を歩く。松葉ガニをはじめとした海産物が並ぶが、これまで来た時と比べて数も少ないように感じる。呼び込みも控えめだ。こういうところでカニの一杯でも買って帰れればいいのだが、本場といえどもやはり値段はそれなりに高いし、捌く技術がないからもったいないことになりそうだ。せめて温泉寺の帰りに、どこかで食べることにするか。

大谿川沿いを歩く。ここから外湯もある一帯で、温泉寺に行く前に一浴びしようかと思う。身を清めるといえば聞こえはいいが、せっかく来たのだからせいぜい憩うことにする。

ということで向かったのは「一の湯」。江戸時代の医者が当時新しく開かれたこの湯を「天下一」と推奨したことからその名がついた。7つの外湯の真ん中にあり、城崎の中心とも言える。

扉を開けるとモニターに顔を近づけて測定するタイプの検温計があり、そこで平熱ということを確認して受付となる。料金は700円で、1日入り放題の外湯めぐりのチケットが1300円。時間はたっぷりあるので、寺参りの帰りにどこかもう1ヶ所入ってもいいかなと、チケットを購入する。

こちらは大浴槽の内湯の他に、外の洞窟風呂が備わる。天然の岩肌をくりぬいたもので、岩と建物の間から風が入ってくるのがちょうどよい感じである。客が少なかったので洞窟風呂も独り占めすることができた。まずは朝から移動してきた身体をリフレッシュさせる。

相変わらず雨が降る中、土産物店、旅館が並ぶ通りを抜け、正面には温泉寺へのロープウェーが見えてくる。山肌はさすがに雪が積もっている。

温泉街のもっとも奥が温泉寺で、麓、中腹、頂上と3つのエリアに分かれている。目指すのは西国四十九薬師めぐりの札所である薬師堂だが、幸いに?というか、麓のエリアにある。二層の山門をくぐり、左手にあるのがそれだ。温泉=薬ということからか、入浴客を守護するとして薬師如来が祀られている。

温泉寺は奈良時代、道智上人により開かれたとされる。この道智は城崎温泉を開いたともされており、諸国をめぐっていたところ、この地で四所明神の神託により千日間修行を行った。その功徳で湧き出たとされるのが城崎温泉である。由緒ある寺だが、雨のためかここまで来る観光客は少ない。

薬師堂は江戸時代後期に再建された建物で、さまざまな彫刻が施されている。ご自由にお上がりくださいとあるのでお堂の中に入る。昔から多くの信仰を集めていることが、さまざまに掲げられた絵馬からもわかる。また天井にはさまざまな花や動物が描かれている。

外から中に入ってメガネが曇って仕方ないのだが、ここでお勤めである。

薬師堂に納経所が併設されていて、西国薬師のバインダー式の朱印を求めると、外に出ているのを取るように言われる。確かに西国薬師をはじめ、この上の本堂や奥の院などさまざまな朱印の書置きが並んでいる。現在はコロナ対策として朱印帳への墨書は取りやめ、書置きでの対応だという。これに日付と西国薬師開創30年の記念印をいただく。

これで西国めぐりとしてはクリアだが、せっかくなので本堂まで上がることにする。ロープウェーも営業中とあるが動く様子はなく、ひょっとしたらこういう状況のため運休かなと思い、薬師堂の横の石段を上がる。石段のたもと、そして途中にも何体かの弘法大師像が立つ。温泉寺は真言宗の別格本山の一つであるが、弘法大師もここで修行したのだろうか。

不規則に続く石段を10分ほどで登り、本堂に到着。寺の本尊は十一面観音で、普段は秘仏だが、33年目ごとに開帳されるという。現在、平成30年4月から3年間限定で開かれているということで行ってみる。本堂の前には除雪された雪がうず高く積もり、今も寺の人が雪かきを行っているところである。

こちらの十一面観音は寺が開かれた奈良時代、稽文という仏師の作である。稽文は大和の長谷寺の観音像と同じ霊木からもう一体の観音像を彫刻していたが、完成間近に病にかかり、像は未完成のまま長谷寺の近くに安置された。すると周りで疫病が流行し、人々は観音の祟りだとして像を川に投げ入れた。それが回りまわって城崎の河口に漂着したのだが、だとしたら結構な大回りである。

寺の言い伝えでは、城崎で湯治をしていた稽文がこの像と出会い、仏縁を感じて完成させ、道智上人に託したとされる。そのことから、薬師如来とともに城崎温泉の守護として信仰を集めることになった。

本堂の近くには多宝塔、そして多くの寺宝を安置する温泉寺宝物館があるが、コロナ対策ということで宝物館は閉館中とある。建物の前から、城崎の温泉街を見下ろす。

本来ならさらに上にある奥の院まで行くところだが、雪解け水と雨のために道がぬかるんでいて、ちょっと上るのをためらわれる。さすがにもういいかなと思い、ここで折り返す。

これで温泉寺は終わり。時刻はまだ昼過ぎで、何なら今日のうちに香住の大乗寺も行けてしまうのではないかと思われた。ただやはり予定通り翌日に回すことにして、この後は城崎を楽しむことにした・・・。

コメント

撮り鉄、中指立てで済んでよかったのう。

2021年01月25日 | ブログ

・・・そういうことや、わかったかボケ。

コメント

西国四十九薬師めぐり~「城の崎まで」・・

2021年01月25日 | 西国四十九薬師

1月13日、また夜明け前からの出発である。前の記事、出発前には、冬の北近畿に行くのだから「弁当を忘れても傘を忘れるな」だと書いたのだが、広島の自宅を出る時点で結構な雨である。これは傘を忘れる話でもないということで、折り畳み傘ではなく普通のビニール傘を持参する。13日は日本海側、瀬戸内側とも一日雨の予報だったが、14日は瀬戸内側では雨は止む予報。むしろ「帰りに傘を置き忘れるな」と言い聞かせる。

朝の新幹線コンコースはがらんとしていた。コンコースにある土産物、駅弁の売店は臨時休業との貼り紙が出ている。買い物はホーム上のコンビニ(これも時間短縮)で行うようにとの案内である。まあ、ホーム上のセブンイレブンでもわずかながら土産物は置かれているが、土産物を買うなら改札外のほうがよさそうだ。

ホームには7時05分広島始発の「のぞみ94号」東京行きが入線しているが、乗り込む人はほとんどいない。

私が乗るのはその前の6時55分発の「こだま838号」。こちらは新岩国始発なので発車時刻直前にホームに来たが、こちらも乗客はほとんどいない。自由席の7号車は乗客私一人だけで発車した。

各駅に停車する中で後続列車の通過待ちをする駅が続き、そのたびにホームに出るが、客の出入りはほとんどない。かろうじて、福山、岡山で乗車があったくらいだった。シートに腰かけると周囲を気にすることなくフルにリクライニングさせるオヤジもいる。わかるぞ、その開放感。

8時37分、姫路に到着。ここで下車して、在来線ホームに向かう。次の特急「かにカニはまかぜ」は8時58分の発車である。その前に、一応朝食は取ってきたが、姫路に来たということでホームの「えきそば」に足が向く。この前の西国四十九薬師めぐりの播磨シリーズでは姫路までクルマで来たこともあり、このそばは食べる機会がなかった。思わず持ち帰り用も買おうとしたが、この先で土産物を買ってバッグが膨らむだろうからここは自重する。

「かにカニはまかぜ」は大阪から三ノ宮、神戸、明石、加古川と停車して姫路まで来る。新快速より停車駅が少ない(のに所要時間がほとんど変わらない)のが特急のプライドというところか。「かにカニはまかぜ」は例年冬のカニシーズンに合わせて運転される列車で、あちら方面の旅館の昼食とセットになった「かにカニ日帰りエクスプレス」でも「こうのとり」や通常の「はまかぜ」とともに往復の利用列車として人気である。通常のシーズンなら特に週末のプランは早々と埋まることが多い。

ただこの冬は状況も変わっているようだ。一応「かにカニ日帰りエクスプレス」の旅行プランは販売されており、シーズン当初はGoToキャンペーンも利用できるとうたっていたが・・現在はご案内の状況である。私個人では、「2人以上限定」を解除して、お一人様が利用できるプランをうたえばどうかと思うのだが・・・(個食なら感染リスクは低いわけだし)。

どうでもいい話を挟むが、実は当初この1月24日は、某旅行会社の日帰りツアーで、広島から鳥取にカニを食べに行くというのを申し込んでいた。広島から岡山まで新幹線、岡山からはバス。鳥取砂丘近くでカニのフルコースの昼食と砂丘の散策・・・というプランで、GoToキャンペーンの対象になっていた。しかし同キャンペーンの停止継続が発表されると、ツアーそのものが中止になった。まあ、だから西国四十九薬師めぐりで訪ねることができるのはありがたい。

6両編成はここで折り返すが、各車両とも4~5人くらいの乗客である。律儀に1列4席に並んで座っているのは「日帰りエクスプレス」利用客と思われる。そういえば「はまかぜ」がこの車両形式になってから乗るのは初めてだったなと思う。

姫路で向きが変わるのだが、車内がガラガラということもあり、自分とその前後の席だけが回転されているのがほとんど。車掌も通るが、別に座席を回転させるわけでもなく(むしろそのままのほうが浜坂から折り返す際の作業が楽)過ぎていく。あらかじめシステムで購入情報が行っているのか、指定席券のチェックもなかった。

播但線でも通常の「はまかぜ」と同じく停車駅がある。最初が福崎で、ちょうど前回の西国四十九薬師めぐりが福崎で終わっているので、続きを行く形である。

この次は電化区間と非電化区間の境である寺前。ここから険しい山越えの区間である。

沿線には「播但線複線電化」を願う横断幕も出ているが、それが実現する可能性は極めて低いとされる。その大きな阻害要因とされるのが、生野トンネルの存在である。断面が小さいために、電化するならトンネルを掘りなおす必要があると言われている。まあ、今の「はまかぜ」のキハ189系も、見た目、車内設備とも他の電車特急と何ら変わりないし、地元の需要から見ても現行でよいのだろう。

川の流れが変わって、但馬の国に入る。相変わらずどんよりした空で、雪はないものの時折雨が落ちてくる。

10時03分、山陰線との合流駅である和田山に到着。列車行き違いで6分ほど停車ということでいったんホームに下りる。この先、他の特急が停車する八鹿、江原は通過して、次の停車は豊岡である。あくまでカニの地を結ぶ特急ということのようだ。

この先、一部では雪が残っているところがあったものの、雪のせいで交通に支障があるということはなかった。これはこれでよかった。

この日の宿泊地である豊岡を過ぎ、円山川に沿って走る。玄武洞駅を過ぎると、右手の川沿いにあったレンガ造りの建物が解体され、更地になっているのを見る。かつて、蔦が絡み、落書きされた不気味な建物だったのを覚えている。

何年も前、初めて見た時は何の建物なのかなと思ったが、広大なリゾートホテルの建設に着工した後、欠陥工事が発覚してその後の工事がストップ、後に固定資産税の滞納などで豊岡市に差し押さえられた建物だった。一時は、城崎温泉への訪日客を当て込んで中国の富裕層が購入する話もあったそうだが、結局は別のホテル関係者にタダ同然で売却されたそうだ。それでも、この先ここに何か建てたとして需要があるのかなと思う。道の駅のように日本海の幸を売るくらいならわかるが、同じような店は道沿いに何軒もあるし。

10時48分、城崎温泉に到着。ここで下車する客がほとんどだった。やはりこの状況下、賑わいという点で見れば寂しく感じる。

この日は西国四十九薬師の第29番の温泉寺に参詣とする。夕方に豊岡に向かうつもりなので、それまで時間はたっぷりある。雨の中、温泉街をぶらつきながら寺を目指すことに・・・。

コメント

西国四十九薬師めぐり~冬の北近畿へ

2021年01月24日 | 西国四十九薬師

1月のお出かけ、今度は西国四十九薬師めぐりである。今回は香住にある第28番の大乗寺、そして城崎温泉にある第29番の温泉寺という、但馬の国シリーズである。タイミングとしてはちょうど冬、これは正に松葉ガニのシーズンであり、歓迎ならぬ「カニ迎」のシーズンである。

・・・もっとも、シーズンだからか城崎温泉から香住、浜坂あたりの宿泊料金は強気である。予約サイトで1泊2食付のプランを見ると、当たり前のように2万円、3万円という値段が目立つ。GoToキャンペーンの一時停止の影響で城崎温泉の旅館街が悲鳴をあげているというニュースも目にしたが、実際どうなのだろう。この価格というのは通常レベルなのか、それとも少しでも客を呼ぼうと値下げした結果なのか。

まあいずれにしてもそうした旅館は私には値段が高いので、同じ豊岡市内ということで、豊岡駅前のビジネスホテルに宿泊することにした。こちらはシーズン関係なく変わらぬ料金である。城崎は温泉寺の参詣、そして合わせて外湯につかり、カニが食えるかどうかは何とも言えないが、なにがしか日本海の魚を食べることはできるかなと、あまり決め打ちせずに出かけることにする。旅程は1月23日~24日。2月に入ると私自身連続した日程を取るのが難しいので、1月中に行ってしまうことにした。2週間前の中国観音霊場に続けての山陰・北近畿行きである。

さて広島から香住、城崎にどうやって行くか。いずれも山陰線の豊岡~浜坂の区間にあるが、鳥取から入るか、豊岡から入るかの組み合わせがある。値段を抑えるということで広島~鳥取は高速バスにしようかと思うが、広島発の朝の便でも鳥取着は14時。その時間からだと初日が移動だけで終わってしまう。それなら広島からいったん米子まで出て、米子からずっと山陰線に乗るという手もある。逆に鳥取から広島に戻るなら、鳥取発高速バスは16時発である。バスで5時間半かかるから、同じ中国地方でもそれなりに遠いところだ。

一方、豊岡から入る場合は広島から新大阪まで新幹線で出て福知山線に乗るか、姫路まで出て播但線に乗るという手もある。広島から大阪まで夜行バスで行くという手もある。今回は青春18きっぷの期間外だから、別に鈍行でなければならないことはない。有効であれば特急にも乗ることにする。

そこで目に着いたのが、大阪から播但線経由の浜坂行き臨時特急「かにカニはまかぜ」。姫路回りで行けば運賃も多少抑えられるし、気動車特急に乗るチャンスである。普段のシーズンなら城崎、香住、浜坂といったところを目当てに利用する客が多いだろうが、この冬はこうした状況のため、2月からは運転を取りやめる次第となった。ならば、運休になる前に乗ってみようか。

結局今回のルートは、広島~新幹線~姫路~播但線・山陰線(かにカニはまかぜ)~城崎温泉~豊岡(泊)~香住~鳥取~高速バス~広島という循環ルートとなった。JRの乗車券と特急券もネットで購入したところ、乗車券は広島から鳥取まで通しで7150円、城崎温泉までの特急券が4900円だった。ちなみに鳥取~広島の高速バスは4600円で、合計すれば片道8000円勘定である。
その中で「かにカニはまかぜ」だが、6両編成、全席指定だが、座席図ではどの車両も見事にガラガラで、座席は選び放題だった。まあ、それなら運転取りやめとなるだろう。はたして当日何人の客が乗っていることやら。

今回は雪の心配はなさそうだが、天気予報は雨である。傘は忘れないように・・・。
コメント

第17回中国観音霊場めぐり~2月から「やくも」の本数が半減

2021年01月23日 | 中国観音霊場

中国観音霊場めぐり、安来の2ヶ所を回り終えて米子12時26分発の「やくも16号」に乗る。指定席を買っていたのだが、座席位置と窓枠が合わず、座ると目の前が窓枠という位置。これでは面白くないので自由席車両に移る。ちょうど、窓が合った位置の席を見つけて座る。残念ながら大山の姿は雲に隠れていた。

昼時の特急列車ということで、ビールと奥大山の天然水をいただく。つまみは、まあ適当に。

11日も昼になって寒さも緩んできたようである。前日通った伯備線だが外も明るい感じだ。根雨で行き違い停車となり、ちょっとホームに出てみる。

この後、山深い区間に差し掛かるが前日よりも雪が減っているように見える。地元の人たちもほっとしていることだろう。新見まで来ると雪は完全になくなり、岡山に向けてスピードを上げる。

さて、これはこの旅から帰った後、1月22日付で発表されたことだが、JR西日本はコロナ禍の状況を踏まえ、2月1日から山陽新幹線、在来線特急の一部減便を行う。まあ、新幹線は臨時列車の運転を取りやめるのが中心だが、在来線特急の中でも「やくも」は現在15往復30便のところ、8往復16便まで減らすという。実に半減だ。現在の利用状況を見てということだが、現在1時間に1本走っていたのが2時間に1本になる。

現在のコロナ禍の中では仕方ないのだろうが、仮に落ち着いたところで、JRとして今後元に戻す考えはあるのだろうか。「やくも」で使われている国鉄型の381系もそろそろ老朽化で次の車両への置き換えが言われているが、それも理由として半減状態が定着することにならないか気になる。

現在一部地域で発令されている緊急事態宣言だが、飲食店が主なターゲットになっている。その中で鉄道会社も終電の繰り上げやこうした減便が行われることになるが、これが全国的な鉄道の衰退につながらないかが気になるところである。

「やくも16号」は岡山に到着した。ここからは15時16分発の「こだま857号」で広島に戻る。少しでも早く帰ろうという割には「こだま」に乗るのだが、あれは雪で遅れや運休が出ないうちに早く安定した山陽側に出ようということだった。

駅ごとに通過待ちの停車があり、岡山から1時間半で広島に戻ってきた。まだ夕方の早い時間で、連休最終日の夜はゆっくり休めそうである。

さて、これで中国観音霊場もいよいよ鳥取県の6ヶ所を残すだけとなった。エリアとしては大山、倉吉、そして鳥取市内となるが、これもまた季節の移り変わりを楽しみながら回りたい。また、広島からどのような方法でアクセスするかを考えるのも楽しい。満願に向けてあと一歩・・・。

コメント

第17回中国観音霊場めぐり~第28番「清水寺」

2021年01月22日 | 中国観音霊場

1月11日、雪の雲樹寺から清水寺に向かう。コミュニティバスがあるが、1時間以上待たなければならない。それなら、地図で見て歩けない距離ではないなということで、「雪中行軍」とする。いや、こう書くと地元の人たちには失礼かと思うが。

県道沿いに歩く。先ほどのように左側の車道端を歩き、背後からクルマの気配を感じると誰も踏み入れていない歩道に乗り上げることを繰り返す。ただ意外に多くのクルマが来るので、そのたびに歩道に避難することになる。そこで気づいたのは、道の反対側を歩くこと。幸いこちら側を走るクルマは少なく、また前方から来るのが見えるので早めに対応できる。まあ、クルマのほうが気を遣って避けてくれるのだが。

車道を歩くことで思ったよりもスムーズに進んだか、雲樹寺を出て20分ほどで清水寺への標識が出てきた。二つの札所を徒歩で結ぶことができたのは大きい。

その後も雪を踏みしめて進み、清水寺の駐車場に着いた。意外にも駐車場は満車である。清水寺は厄除け祈願で知られる寺ということで、近隣の人たちがこぞって訪れるそうである。そこに歩いて訪ねるというのも酔狂なことだが。

ここから参道が続く。雪の参道を行き来する人がそこそこいるのにホッとした。先ほどの雲樹寺が「こういう時に来てよかったのかな?」と一瞬思ったのに対して、清水寺は多くの人が訪ねている。

ここで清水寺の縁起について。清水寺といえば京都五条のあの寺や、同じ西国三十三所の札所の播州清水寺、さらには四天王寺の近くの清水寺・・・など、さまざまな清水寺が出てくる。現に「全国清水寺ネットワーク会議」なるものがあるそうだ。

安来の清水寺だが、言い伝えでは用明天皇の時に開かれたとされる。その後廃れたが平安初期に再興され、慈覚大師円仁により天台宗の寺となった。その後、幾たびの兵火と復興を経て、現在の境内は江戸時代からのものという。

山門に着く。「令和三年正月 百喩経より」ということで一節がある。

「私が求めるのは土台ではない 一階でも二階でもない 三階の高楼だけだ 早く作れ」

これは、土台を疎かにしてきれいな三階の高楼だけを求めた金持ちのことを批評したもので、仏法僧を修め敬わず、修行を怠って悟りを得ようとすることを戒める話だという。まあ、ただこのご時世だと「確かに『二階』だけはいらんわな」と思ってしまうのだが・・。

参道を進むと、遠くから厄除け祈願の経文の声が聞こえてくる。その中をお出迎え観音や、宿坊(宿の予約サイトにも登場する)を抜け、本堂を見上げる石段に出る。

そして本堂。寺の人も懸命に除雪しており、その中で「ご苦労様です」と声をかけられる。こちらこそ、作業お疲れ様と声をかける。

靴を脱いで本堂に上がり、さすがに寒い中でお勤めである。本堂の中に納経所があるが、寺の人は中の厄除け祈願の対応で不在のようだ。

ちょうど、終わったところで出て来たので朱印を求めたが、ここでは「書き置き式」での対応という。中国観音霊場めぐりは朱印帳に直接墨書してもらうことにこだわってきたが、前回の鰐淵寺で「コロナ対応です!」ときっぱり言われたことで、もう寺がそういう方針ならそれに従う・・ことにしている。

安来の清水寺で有名なのは三重塔である。ただ、現在は立ち入ることができず、手前から仰ぎ見る。ただこうした雪の中にたたずむ古刹、来るまでが大変だったが、冬の山陰の一つの景色として印象に残るものだった。

タイミングでは、清水寺10時51分発のループバス、来る前は雲樹寺から清水寺に移動するのに乗っていたかもしれない便に乗ることができそうだ。少し急ぎ足で境内を後にする。定刻の数分前に駐車場に戻り、バスを待つ。

しかし、時間になってもやって来ない。まあ、雪の中を走るのだから遅れても不思議ではないだろう。結局、10分ほど遅れて到着。清水寺は行き止まりなのでここでバックして来た道を折り返す。この便も乗客は私だけだ。

途中、安来高校の野球部の部員たちが歩道の除雪を行うのを見て、安来の中心部に入る。その中で、安来駅に到着。ちょうど除雪車が出ており、駅前のロータリーも朝に比べれば雪も少なくなったようだ。

前日、安来13時17分の特急「やくも18号」の指定券を購入していたが、1本前のループバスに乗ったことで時間に余裕がある。和鋼博物館は前日に見学しているし、早め早めで帰ることにする。ちょうど、11時30分発の米子行きがあり、これで米子まで先行する。米子で昼食(プラス飲み鉄)を仕入れるためだ・・・。

コメント

第17回中国観音霊場めぐり~第27番「雲樹寺」

2021年01月20日 | 中国観音霊場

1月11日、米子ではまた少し雪が積もったようである。朝の列車で安来に向かうが、駅では少し待ち時間が出る。待合室のベンチでテレビを見ながら過ごす。

この日は中国観音霊場めぐりの本番ということで、第27番の雲樹寺と第28番の清水寺を回る。アクセスで使うのは、安来市のコミュニティバスであるイエローバス。ちょうど清水寺、雲樹寺を経由して鷺の湯温泉、月山富田城方面を回るので都合いいが、いかんせん本数が外回り、内回りそれぞれ1日3便しかない。清水寺と雲樹寺を結ぶこともできるが間隔が空きすぎていて、どちらかの寺で長時間足止めになりそうだ。一方で地図を見ると、長時間バスを待つくらいなら歩けないこともないかなとも思う。ループバスの時刻表を見る限りでは、安来駅9時57分発~清水寺10時11分着、同11時54分発~雲樹寺入口12時01分着、同13時34分発~安来駅14時00分である。朝ゆっくりスタートだが、安来駅に戻るのは午後も結構いい時間である。各寺1時間半~2時間というのは、かえって持て余すのではないかと思うが、仕方ない。

その中で改めてイエローバス各路線の時刻表を見ると、別に伯太安来線というのを見つける。これによると安来駅8時42分発というのがあり、雲樹寺入口が8時57分とある。それだけ早く1ヶ所を回ることができて、後はループバスのうまくつかまえれば遅くとも12時36分には安来駅に戻ることができる。

何だかバスの時間のことをくどくど書いているが、その前に大事なことがあった。

現地に来た計画では、11日に上記のルートで安来に戻った後、午後の便の松江からのバスに乗ることにしていた。しかし、前日になって、11日の松江~広島便、米子~広島便も全便運休ということになった。今回は電話連絡もなく、たまたま高速バスの予約サイトに入るとそうした表示があったので気づいた。結局、帰りも米子から伯備線に乗ることにした。早めに山陽側に抜けたほうがいいかなと、サイトから安来13時17分発の「やくも18号」と、新幹線の特急券を購入する。バスに比べれば倍以上の価格になったが、これは仕方がない。まあ、往路を青春18きっぷの1回で賄ったので、半額で往復できてよかったと思うことだ。

ということで、まずは雲樹寺を目指すべく、安来駅8時42分の伯太行きを待つ。安来駅前も朝までにまた雪が積もったようで、この先大丈夫かと思う。駅前のどじょう掬いの像も寒そうだ。

イエローバスということで、20人乗りくらいのマイクロバスがやって来た。赤屋行きで、乗り込んだのは私だけ。運転手が「どちらまで?」と訊ねる。ひょっとしたら、同じ場所から出る足立美術館行きの無料送迎バスと間違えて乗ったと思われたのかもしれない。雲樹寺と答えるとわかったという表情で迎え入れる。

駅前の商店や住宅が密集する一帯を抜ける。地元の人たちも朝から雪かきに追われている。こういう時季に来てしまったわけだが、普段の生活では見られない雪国の朝の一端を目にすることができたのは、私としては一つの経験値である。その後、伯太川沿いに走る。運転手はバス停を肉声で伝えていくが、そのうち「雲樹寺は見学されます?」と訊いてくる。本来なら雲樹寺入口のバス停は別にあるのだが、そこからだと寺から若干離れていて、雪深い中を歩かなければならないからと、手前の橋のたもとの千代富橋というバス停で降ろしてくれる。交差点の道を土手側に下ると寺の山門が近いという。

・・・ということで歩き出すのだが、200~300メートルほど先に入口の看板が見えるところ、その前に「雪中行軍」である。歩道の雪は20cmは積もっていたか。誰も歩いた様子のないところに足を入れる。一応スノーブーツを履いてきたが、それもすっぽり埋まるくらいだ。だからと言って広島から長靴で来るわけにもいかず・・。そこで、除雪された車道の端を歩き、クルマが近づいてきたら歩道に踏み入れることで何とか境内にたどり着く。

雪の中をじゃぶじゃぶ言わせながら到着。まず現れたのは四脚の総門。国の重要文化財との案内がある。

この雲樹寺だが、創建は鎌倉時代末期、臨済宗の寺である。当時の領主だった牧新左衛門が三光国師を招いて開かれた。後には後醍醐天皇の帰依を受けたとある。後醍醐天皇といえば鎌倉幕府に反抗して隠岐に流されたが、中国地方の御家人たちの手により脱出、挙兵した。やはりこの辺りには好印象を持っていたのだろう、後には寺の領地も与えられ、大規模な伽藍を持って大いに栄えたそうだ。しかし江戸時代に大火に遭い、その後建物は再建されたものの、往年の勢いはなくなったそうである。

山門の扁額は後醍醐天皇の手によるとされる。門の下は雪が積もっていないが、その先本堂までは意を決して雪の中に足を踏み入れる必要がある。

他に参詣の人はいない。自分でも何をやっているのかと思うが、中国観音霊場めぐりに冬の山陰の景色を入れたいと思って来た以上、申し分ないではないかとも思う。雪の感触、深さを確かめつつ、一歩ずつ本堂である仏殿に向かう。

こちらは江戸時代の建物で、本尊の釈迦如来は「拈華(ねんげ)微笑仏」と称されるという。ただ扉も閉じられていて中の様子はわからず、まあそんなものかと手を合わせる。

そして中国観音霊場めぐりの観音堂だが、山門近くまで戻ることになる。再び雪の中に足を入れて、何とか戻る。こちらは子授け観音が祀られていて、格子扉にはさまざまな祈願の札が貼られている。ここで何とかお勤めである。

また雪の中を進んで、仏殿の横からようやく庫裡にたどり着く。事前情報では拝観料を納めれば書院や庭園の拝観もできるそうだが、ここまで来ればどちらでもいい。ともかく朱印だけでもいただこうと思うが、こういう状況で寺の人がいるのやら。ただ、先ほど雪かきをするスコップの音がしていたように思う。

インターフォンを鳴らすとしばらくして寺の人が出てきた。こんな雪の中、朝っぱらからコミュニティバスに乗ってお参りに来る奴も大概だと思うが、そこは特に怪しむこともなく(クルマで来たくらいに思われたのだろう)、普通に朱印をいただく。そして、「大昔のものですがよかったら」と、絵はがきのセットを渡される。表の郵便番号の記入欄が5ケタだから時代がうかがえるが、一般には公開していない三光国師の肖像画や、後村上天皇からの書状、朝鮮鐘などの写真がある。雲樹寺の歴史的価値はそれからもうかがえる。

これで雲樹寺の参詣は済んだ。これから清水寺に移動するが、雲樹寺入口のループバスの発車は10時44分と、1時間以上ある。周りには時間をつぶせそうな場所もなく、外で1時間待つのも寒いだけだ。それならば清水寺まで「雪中行軍」とするか。幸い、先ほど歩いた県道をそのまま行くと清水寺の近くまで出るので、何とかなるかな・・・。

コメント

第17回中国観音霊場めぐり~米子駅前で1泊

2021年01月19日 | 中国観音霊場

1月10日、中国観音霊場めぐりの前泊は米子。

駅前に出る。米子の駅舎は駅周辺整備事業のため取り壊し、橋上駅舎と南北自由通路を建設する予定である。現在は仮の窓口、改札口で営業中である。

2020年6月に開業したばかりというグリーンリッチホテルにチェックインする。米子の駅前に泊まるのもずいぶん久しぶりのことだが、島根県シリーズの最後が鳥取県に入った米子というのも妙なものだ。まあ、この数日の雪のために直前になってさまざまなルート変更があったためだが。

ロビーのインテリアも個性的で、部屋のベッドもダブルサイズである。大浴場もあるが、これは外から帰った後で楽しむことにする。

17時を回り、さっそく今回の一献。米子駅前には数々の居酒屋が並び、それぞれ日本海の幸、境港直送などとさまざまにPRしている。かといって高級店は懐の関係で見送りだし、ホテル宿泊者特典でついていたクーポン券に書かれた店は日曜定休だった(今回は、10日の日曜日、11日の月曜日という行程)し、さてどうしようか。

その中で入ったのが「山陰郷土料理かば」。島根県を中心に広がるチェーン居酒屋で、これまでの中国観音霊場めぐりの旅でも行こうと思えば行けた。のみならず、広島県でも三原駅の高架下に入っていたり、三次の駅前にもあった。果ては、先ほど安来の駅前には「本店」があった。このように看板は何度か目にしたことがあるが入ったことがなく、今回島根県最後ということで入ってみる。店員、客層とも若い感じだ。

メニューもいろいろ見るが、お得なセットメニューということで、生ビールと、刺身盛り合わせorもう一品(何だったかは忘れた)、プラス枝豆、煮込み、出汁巻き玉子、赤天の中から二品で合計1000円というのがあった。まずはそれを注文。

刺身盛り合わせも、店によってはこれだけで600~700円するかなという3種盛りが来た。また二品は枝豆と赤天にしたが、枝豆は焼いたものだったし、また「サービス。暖まってな」と声をかけられて出汁巻き玉子もつけてくれた。なかなかええで。

山陰らしいものも数多くあるが、あまり高価なものではなく手軽なところでと選択したのが、カニみその甲羅焼き、ブリのカマ焼き。カニの「身」のほうにさすがに手が出ないので(もっとも、この店ではカニは扱っていなかったが)、みそのほうである。それほどカニが食べたければ、ロシア産やカナダ産の冷凍ものでよければ近所のスーパーで奮発して買って自分で鍋でもこしらえるわ・・・と強がってみるが、まだ実現していない。それはさておき、カニみそ甲羅焼き、ブリカマもそれぞれ食べごたえがあってよかった。

カウンターに酒瓶をかたどったメニューがあり「イロハニ枡」とある。山陰の酒の飲み比べということで、「からくち」「うまくち」「はなやか」のコースが選べるとある。それぞれ4種類の銘柄がある。私もそれぞれの酒について語れるほど詳しくはないので、こういうコースは面白い。

「からくち」コースには「八郷」(伯耆町)、「やまたのおろち」(松江市)、「開春」(温泉津)、「瑞泉」(岩美町)と、伯耆、出雲、石見、因幡4ヶ国揃い踏みである。他のコースでも鳥取、島根から2種類ずつ出るようだ。「イロハニ枡」というのは、お猪口4つが入るだけの枡のことで、四辺それぞれに「イロハニ」の文字がある。その文字のところにある酒がそれぞれの銘柄だ。一人酒でもそれぞれに違う味わいを楽しめるのが面白い。

部屋飲み用も仕入れていたし、酒場の風情も味わえたのでこれでホテルに戻る。大浴場へと入浴したのは二股炭酸カルシウム温泉というもの。北海道に二股温泉というのがあるそうで(北海道のどの辺か知らんけど)、そこの天然石灰華の成分を取り出した人工温泉で、炭酸カルシウムを含むという。まあ、皆生温泉の湯にしては少し離れすぎている。ただ、皆生温泉の湯はカルシウム成分を多く含むというから、全くの的外れというわけでもなさそうだ。

湯上りは部屋にて、年明けの本州~九州~四国行きの旅行記のブログ記事を書きつつも、NHK-BSにて「レジェンドの『目撃者』 サブマリン山田久志」を観る。山田久志の独特のアンダースロー、日本シリーズで王貞治に打たれた逆転サヨナラ本塁打、豪速球で1年目に大活躍し、それが山田の野球人生の大きな転換点となった山口高志の存在・・・。パ・リーグを代表する投手で、またしゃべりも上手い。やがてパソコンの手を停めて思わず見入ってしまう。副島萌生アナウンサーのアンダースローもまたよし。

さて翌朝1月11日、朝風呂に浸かった後で朝食である。チェックイン時には、コロナ対策として朝食はプレート形式で提供するという案内があったが、実際には通常通りのバイキング方式だった。まあ、準備する人の立場とすれば、いちいち見込み客分のプレートを用意するよりは、手指の接触や口からの飛沫への対策ができるのであれば、バイキング方式で出したほうがよほど手間が省けることだろう。ここの朝食の売りは旬の野菜で、トッピングもいろいろ用意されている。ホテルの内装も含めて、結構女性客を意識したサービスなのかなと思う。

中国観音霊場めぐりもようやく本題である。まずは、前日に引き続き安来に移動する・・・。

コメント

第17回中国観音霊場めぐり~和鋼博物館、たたらの技能

2021年01月18日 | 中国観音霊場

伯備線で米子まで来て、13時39分発の浜田行きに乗り継ぐ。キハ47の2両編成で、終点浜田には17時49分に着く。浜田から広島行きの高速バスがまだある時間帯で、こういうルートで日帰り循環もできるなと気づく。今回の札所めぐりでは日本海に接する箇所はないが、この日は海も結構荒れたのではないだろうか。

ただ、今回の目的地ということで1駅だけ乗った安来で下車する。駅の南には日立金属の安来山手工場がある。安来の主要企業といえるが、このところ取り巻く経営環境は厳しいようである。3000人規模の人員削減とともに、親会社の日立製作所が日立金属の売却を進め、外国資本ファンドが名乗りを挙げているとの報道が出ている。このままではこれまで培った高い技術が海外に流出するのではと、地元でも危機感を持っているようだ。

観光のほうでは安来節、足立美術館、月山富田城というところが有名で、そこに中国観音霊場の清水寺が加わるところだ。ただ、観音霊場の2ヶ所は翌日回ることにしており、この日はもう1ヶ所お目当てにしていた和鋼博物館に向かう。市内のコミュニティバスもあるが、歩いても1キロあまりのところ。

雪道を歩く。屋根に厚く乗った雪、道端のかまくらなど、足元の雪を踏みしめながら見物する。

和鋼博物館に到着。駐車場にD51が展示されている。郡山工場で製造され、東北、九州と走った後、伯備線や山陰線で活躍したとある。

和鋼博物館は1946年に和鋼記念館として設立された。かつての出雲、伯耆、石見ではたたら製鉄が盛んで、その製鉄の伝統、良質な和鋼、玉鋼の産出が現在の高級特殊鋼(日立金属が得意とするところ)につながるということで、その歴史を紹介する施設である。私はこうした産業史には興味があるので、安来に来たら和鋼博物館は訪ねておこうと思っていた。

しかし、シーズンオフのためか他に見学者の姿はなく、係の人も席を外しているようで、見学の人は券売機で入館券を買ってそのまま入るようである。まあ、大雪の連休にあって安来まで観光で来るという人はほぼいないだろう。

展示室でまず目に入るのは、建屋内で操業する「永代たたら」の模型。ここではたたら製鉄の一連の工程が紹介されている。かつて出雲のあちこちの川で行われていた砂鉄採り、そして炉を組んで、高熱で溶かして、玉鋼を取り出す一連の工程が映像でも紹介されている。

一連の工程を見るに、砂金採りも重労働だし、炉を組んで、実に多くの燃料(木材)を必要とする。そして巨大な鉧(けら)ができるが、さらにその中から採れる玉鋼はわずかなものである。現在の作業効率、生産性という考えから見れば、果たして割に合う仕事といえるかどうか。

第2展示室では、その和鋼、玉鋼から日本刀が生まれるまでの流れである。1本の刀を作るまでもかなり複雑な工程があり、高度な技術が必要とされる。まあ、現在においては日本刀は美術品としての面が強いのだが、人々が当たり前のように刀を持っていた昔の時代、刀の需要と供給のバランスはどうだったのだろうか。まあ、現在のたたら製鉄はこうした伝統技術の継承として行われているようだが、当時はもっと簡便な方法で、玉鋼がどうだとかいうことはそれほど意識されず、消耗品、武器としての刀を量産する仕組みが全国各地にあったのかもしれない。

近世になると、出雲のたたら製鉄から生まれた玉鋼は、安来から各地にもたらされた。その主要な取引先の一つが新潟だった。新潟の三条市は包丁や鎌、鉈などの打刃物が伝統工芸品として有名だが、その原料は出雲の鋼である。現在も「安来鋼」、「ヤスキハガネ」は日立金属の特殊鋼として、身近なところでは理髪店のハサミやカミソリでも重宝されているし、多くの産業分野において金属材料、機能部材として活躍している。

記事の初めに戻るが、世間のさまざまな事情があるとはいえ、たたら製鉄以来の伝統技術を無くす、あるいは海外に流出させるというのは実にもったいないと思う。いろいろ難しいのかな。

再び雪道を歩いて駅に戻る。この時は建物もたくさんあって歩道も除雪されているが、翌日の札所めぐりはどうだろうか。どう回ろうか行程をいろいろ考えるも、どこかでこうした「雪中行軍」が出てくる見込みで・・・。

時刻表では16時10分発の米子行きに乗るつもりで、少し時間があるので駅の土産物コーナーでも見ようかと思っていた。ただ、駅に戻るとその前の14時59分発の「アクアライナー」米子行きが遅れていて、ちょうど着くタイミングという。どうせ明日も安来に来るし、この日はもう早めにチェックインしようと、遅れた列車に乗り込む。

中国観音霊場めぐりといいつつも相変わらずアクセス記事が長いが、明日11日に備えて米子で英気を養うことに・・・。

コメント

第17回中国観音霊場めぐり~陰陽の景色の対比を目にする

2021年01月17日 | ブログ

倉敷9時39分発の新見行きに乗る。115系の4両編成で、まずは高梁川のゆったりした流れに沿う。この向こうは2018年の西日本豪雨で大きな被害を受けた真備地区がある。あれからの復興具合がどうなるか気になる。広島県内でもようやく復旧工事に着手した場所があるくらいだから、やはりまだまだ時間がかかることだろう。

総社でそこそこ下車がある。この後は国道180号線とともに高梁川に沿うが、少しずつ渓谷らしくなってくる。この辺りはまだまだ「晴れの国」岡山である。

井倉峡を過ぎる。中には井倉洞という鍾乳洞があり、またそうしたところを訪ねるのもよい。

10時49分、新見に到着。駅の周囲には薄くではあるが雪が見られる。この辺り、陰陽の境目である。

「ローカル線乗って地域も元気!!」というポスターがある。芸備線、伯備線、姫新線が交わる駅だが、この3線のローカル列車に乗ろうとすればあらかじめ時刻表を見て、計画立てて行く必要がある。

駅前に降り立つのも久しぶりである。「縁(えにし)の広場」というのがあり、「祐清」と「たまがき」という男女の像が向かい合うように建っている。

室町時代、新見は京都の東寺の荘園だったが、東寺から派遣された祐清という僧がいて、その身の回りの世話をしたのが「たまがき」という女性だった。祐清は年貢の取り立てを厳しく行い、名主を追放したことでその親族の恨みをかったために殺されてしまう。その後「たまがき」は、祐清の遺品を求める書状を東寺に送るが、中世の農村女性が残した書状が当時の貴重な史料として国宝に指定された。

次に乗るのは11時19分発の米子行き。特急「やくも7号」が先に出た後でホームに入るようだ。2両編成の電車が来るのだろうと待っていると、そこに来たのはキハ120の単行。電化区間なのに、中国山地を走る気動車が来るとは。改めて時刻表を見ると、列車番号の後ろには気動車を示す「D」の文字がある。わざわざ気動車を走らせるのには何かわけがあるのだろうか。

ボックス席に座り、ロングシートもほどほどに埋まって出発。中にはスキー用具を持ち込む客もいる。

ここからは先ほどとうって変わっての雪景色である。芸備線の列車しか停まらない布原を過ぎ、分岐駅である備中神代に着く。ここで特急との行き違いである。

これから中国山地の奥深いところで、たちまち周りの雪の量が増える。気動車はその中をトコトコと走る。一気に、冬のローカル線の風情が高まった。岡山県から鳥取県に入る。この前の冬は記録的な暖冬で、年末年始に新潟方面に行っていたのだが雪景色を見ることがなかった。

そんな雪深いところだが、駅ごとに下車する人もいるし、駅によってはホームでカメラを構える人もいる。雪景色の列車の撮影ということだが、結構大変そうだ。大変といえば、こうした雪の中で生活している人たちのほうが大変なのだが。

ただ、こうした雪景色を見ると、列車での雪見酒と行きたいところだった。残念ながら発地の新見では売店やコンビニはなかった。

生山で特急との行き違いのためしばらく停車。

この後は日野川の流れも見つつ、米子に向けて進む。雪は降ってはいないが雲が広がっているため、大山の姿を望むことはできなかった。

定刻から数分遅れて米子に到着。鈍行乗り継ぎながら、1本の線で陰陽の違いを味わえるのは伯備線の面白さである。この日の宿泊は米子だが、そのまま浜田行きに乗り継いで安来に向かう。

早速観音霊場の札所に行くのかといわれればさにあらず、もう1ヶ所、安来で行ってみようと思うスポットがあるので、1日目は先にそこだけ訪ねることにする・・・。

コメント

第17回中国観音霊場めぐり~雪の山陰へ

2021年01月16日 | 中国観音霊場

中国観音霊場めぐり、4県目である島根県も最後のシリーズとなる。対象となるのは、第27番の雲樹寺、そして第28番の清水寺である。いずれも同じ安来市にあり、回るなら一度で片付きそう。

安来の2ヶ所については、島根県を夏~秋と回ったこともあり、その流れで冬に訪ねようかと思っていた。単純に、冬の山陰の景色も見たいというところからである。正月明け、青春18きっぷもまだ使える9日~11日の連休を充てればいいかなと、早々と予定を組んでいた。さすがに、私の軽自動車はノーマルタイヤしかないので、冬の中国山地は越えられない。

中国観音霊場めぐりと合わせた中国地方一周は松江市まで進んでいるので、1日目に松江まで移動、2日目に安来を回った後に米子まで駒を進めておき、次の鳥取県、まずはその最初である大山寺につながるようにと行程を組んだ。12月の話。

広島から松江に行くには高速バスがもっとも便利で、3~4時間で着く。ただプランニングにあたっては、へそ曲がりにローカル線をたどって1日がかりで行くのも面白そうだった。広島から芸備線で三次を経て備後落合まで行き、木次線に乗る。また、伯備線で新見まで行った後で芸備線で備後落合に回り、同じく木次線に乗ることもできる。そして松江で1泊というのも行けそうだ。そして2日目に安来に移動して寺を2ヶ所回り、帰りは米子から広島行きの高速バスに乗ることにした。

ところが、である。12月の中頃から、この年末年始は記録的な寒波がやって来ることがしきりに伝えられており、中国地方もその影響を受けるとの予報が出始めた。そんな中、木次線が12月20日から「出雲横田~備後落合間で当分の間運休」となった。木次線のいわゆる「冬眠」である。この区間では冬季に1ヶ月以上運休したのがこの10年で5回あったそうで、この冬は当たり年になってしまった。これで、上に書いた木次線ルートは断念。松江まで高速バスで行き、帰りは青春18きっぷの残り1回を使って伯備線の鈍行を乗り継いで夜遅くに広島に戻ることとなり、1月9日出発、10日帰着ということにした(これで11日は休養日に充てることができる)。

 
そうするうちに年明け。この年越しは広島で迎えた。仕事も始まった。すると今度は、9日からの連休にかけて寒波がやって来るという。山陰も例年に比べての大雪になるという。
 
どうなるかと心配する中、広電高速バスから電話が入った。9日の松江行きの便は全便運休との連絡である。そういえば、ルートである国道54号線の県境区間でも数日前にクルマの立ち往生が発生していた。また8日から9日にかけてはJRでも運休、遅れの区間が相次いだ。電話で訊いたが、10日の運行もおそらく厳しいのではないかとのことだった。

・・・そういう状況ならこの連休で行くことを見合わせるのが普通で、おそらく仕事関係ならそうするように持っていっただろう。ただそこが私がアホなだけだが、これについては「どうにかして行けないか」という方を考える。・・・まあ、そんなことだから自粛警察に絡まれるのだが。
 
雪は10日には落ち着くという情報もあり、青春18きっぷの最終日である10日に伯備線回りで出発し、宿泊地も松江ではなく米子に変更した。こうなると中国地方一周で松江~安来が途切れてしまうように見えるが、これまでの鉄道でのアクセスで通っていることからOKとした。そして2日目に2ヶ所を回った後で松江に移動して、午後のバスで広島に戻ることにした。先程と逆のルートである。予報を見る限りで、11日は大丈夫ではないかと踏んだ。

そして10日の朝に出発する。やはり広電バスは松江便、米子便とも10日は全便運休とあった。11日がどうなるか気にしつつ、まずは伯備線ルートで行くことにして、西広島6時24分発の糸崎行きに乗る。広島市内を抜けるまでは外が真っ暗だったが、東広島市内に入ると周囲も薄っすらと雪が積もっているのが見える。まだ眠いし、ウトウトしながら過ぎる。

7時56分、糸崎に到着。すぐ接続の和気行きに乗り継ぐ。さすがにこの辺りに来ると雪は姿を消し、瀬戸内の温かく感じられる日光が車内に差し込む。
 
高梁川の橋梁を渡り、このまま走って9時13分、倉敷着。「WEST EXPRESS銀河」を歓迎するコーナーもある。

次の伯備線は9時36分発の新見行きで、少し時間があるのでいったん外に出る。さすがは「晴れの国」で、快晴である。この日の天気予報も、中国5県の中で岡山県だけが南部北部とも降水確率「0%」と出ていたように思う。鳥取、島根は曇り、雪の予報。この先どのような車窓が展開するのかを楽しみに、新見行きに乗り込む・・・。
コメント