まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

いろいろあった1ヶ月

2020年10月31日 | ブログ

2020年の10月は異動、転居、新たな業務ということで私の人生の節目の一つになった。

1ヶ月、長かったようなあっという間だったような。

しんどい面もあるが、前向きにとらえて、とにかく表情は明るくしよう、声は出そう、飯はちゃんと食おう・・。

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「◯◯のはなし」に東萩から下関まで乗る話・・・の後編

2020年10月29日 | 旅行記F・中国

東萩から下関まで「◯◯のはなし」に乗車して、途中30分停車の仙崎まで来た。

ここで折り返して長門市に到着。改札口前のホームでは駅員、観光協会の人が手を振ってお見送りである。

対岸に青海島を望むポイントで一時停車する。今回島に渡ることはできなかったが、またいつか再訪したい場所である。

人丸に到着して、7分停車する。人気の観光スポットである元乃隅稲成神社の玄関口とある。ここで7分停車するのは、せめて駅舎だけでも見てもらおうということかな。果たして駅前には稲成神社をイメージした鳥居が置かれていたり、看板やポスターも出ている。当初は中国観音霊場めぐりの中で、夏場にこの神社を訪ねる日帰りツアーを申し込んでいたのだが、コロナ禍、そして老朽化にともなう修繕工事のために観光客の受け入れが停止されていた。今は拝観できるのかな。いずれ訪ねてみたいところである。

油谷湾に沿って進む。こうした一時、ベンチシートで相席の人に気をつかいながらも、車窓を愛でながら飲み鉄の最中である。

そして阿川に停車する。今年、老朽化した駅舎に代わる新たな待合室が建てられ、8月からは地元食材を使った軽食や飲み物、土産物を販売する商業施設「Agawa」が開かれている。8月に東萩行きの「◯◯のはなし」に乗った時は停車のみで、反対側ホームにいた「Agawa」のスタッフや客が手を振っただけだったが、新下関行きについては7分停車して、買い物もできる。

ここで仕入れたのは地元産のゆずを使った酎ハイ。この先の車窓のお供、飲み鉄も本格的になった。手元にはレモンの酎ハイもあり、ゆずの後に注いで地元の味を楽しむ。

一度内陸に入った後、響灘を見る。そろそろ日が落ちようというタイミングで、これは乗りに来てよかったなと思う。

ええおっさんが酔っ払って・・・というところだが、目に熱いものが湧き出るのを感じた。「◯◯のはなし」のイメージソングである、山口県出身のシンガーソングライター原田侑子さんの『はなしをしよう』も、景色によく似合う。

幡生で山陽線に合流し、下関に到着。列車は新下関まで行くが、この後は広島まで戻るので下関始発で座って行こうと下車する。東萩から途中の停車時間も含めて3時間半、さまざまに楽しませてもらった。この日のお出かけの前あたりは気分的にしんどかったところもあったが、いいリフレッシュになった。

さてこれから秋の乗り放題きっぷの客として、また延々と鈍行に乗る。改札内のコンビニにて車内用の夕食を買い求め、予定より1本早い17時52分発の岩国行きに乗る。岩国までも3時間で、山口県も結構広いものである。往路と同じく115系3000番台で、転換クロスシートでゆったりできる。

普通に走っていたが、新下関の次の長府に着いたところで、しばらく停車する。何か車両に違和感があったようで確認するとのことである。時刻は18時を過ぎたところで、まだ鈍行だけで帰宅するだけの余裕はあるが、このまま運転停止になったらどうしようかと少しだけ心配する。

10分ほど停車していたか。問題がないとして運転再開。すっかり外も暗くなり、景色も見えない中で淡々と走って行く。私も外をぼんやり眺めたり、少しウトウトしたり。通常ダイヤなら7分ほど停車する新山口は気づかないうちに過ぎており、停車したのか遅れを取り戻すべくすぐに発車したのかはわからなかった。

土曜日の夜だからなのか通勤・通学帰りの客の姿もほとんどなく、徳山で少し乗車がある程度で走る。そして光に到着。

するとここでも「車両確認のためしばらくお待ちください」となる。先ほどの長府での停車の時は時間も早かったし、仮に運転停止になっても新下関まで出ればいいか・・・というくらいだったが、20時を回った光で足止めを食らったらそのほうが大変だ・・・とちょっと焦る。

こちらでも数分停車の後、無事に発車となった。このまま岩国に到着し、すぐに広島への列車に乗り継ぐ。何とかダイヤに余裕があるうちに新井口から広電に乗り継いで、帰宅することができた。

秋の1日乗り放題きっぷは翌25日も有効で、もう1日どこかに出かけることもできたが、家の用事があるのと、前日1日乗りっぱなしだったことで休養に充てた。

これから新任地での業務も本格的になり、忙しい日々が続くのだろうが、手近なところ、中国各地を回ることも楽しみである。鉄分の補給や、穏やかな景色・風土を楽しむことを励みにして、これから前向きに頑張りたいものである・・・。

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「◯◯のはなし」に東萩から下関まで乗る話・・・の前編

2020年10月28日 | 旅行記F・中国

萩の城下町を回り、途中のコンビニで飲食物を仕入れて東萩駅に戻る。時刻は14時少し前、レンタサイクルを返却して駅に向かうと、ホームにはすでに「◯◯のはなし」が停車していて、乗客を迎えるところだった。

発車を前に車両の外、中でカメラやスマホを構える客の姿が目立つ。往路の「長門・萩ライナー」に加えて、その前に乗った美祢線の列車でも見たような顔の人もいる。同じような行程で動いているのだろう。

今回乗るのは2号車。「西洋に憧れた日本」というコンセプトの「洋風」車両である。前回乗ったのは「西洋が憧れる日本」という「和風」車両だったので、その変化をつけようということである。たまたまネット予約で2号車の海側の席が割り当てられて、結果的にそうなった。

その2号車は2人掛けシートが海側を向く構造。1号車のようなボックス席や2人向い合せ席、1人掛けのカウンター席があるわけではない。こういうところ、カップルなら居心地がいいのだろうが、1人旅でもし隣に知らない人がいると結構気まずいものである。懸念されたが、案の定隣には年輩のおっさんが陣取っていた。でもまあ、これはこれで気兼ねなく過ごせるかな。別に無理に話しかけることもないし。逆に女性が座っていたりしたらかえって恐縮するし、先方も嫌がるだろう。

2号車は山側のシートはほとんど埋まることなく発車。海側のシートも空いているが、これはこの先の停車駅で乗って来るのだろう。

次の萩では、ホームから観光協会の人たちが横断幕や小旗で出迎える。

次の停車駅は仙崎である。山陰線の支線であるが、いったん長門市まで走った後、長門市では扉扱いの乗降はなく、仙崎への支線に入るという。それまでは往路で通った「サンタマ」こと三隅~玉江(東萩からだと玉江~三隅だが)の海岸をもう一度眺める。先ほど、東萩駅に戻るまでのコンビニで「飲み」を仕入れており、早速日本海の景色をサカナに味わうことにする。隣には静かに座っているおっさんなので、(内心どう見られていたかは別として)変に気を使うこともない。

仙崎への支線に入り、14時57分、終端駅の仙崎に着く。発車は15時27分ということで30分停車する。この時間も「◯◯のはなし」の売りの一つである。従来は仙崎駅前にてイベントも行われていたそうだが、現在こういう状況ということでイベントはなし。その代わり、駅周囲にある金子みすゞ関連のスポットや、駅から少し歩いたところの道の駅「センザキッチン」のPRがある。センザキッチンは駅から徒歩3分のところで、30分の停車なら中で買い物するくらいの時間はある。

ということでやってきたセンザキッチン。やはり海の幸に目が行く。さすがにナマや冷凍物の水産物の購入はためらったが、これからの飲み鉄のお供になりそうなもの、あるいは土産物として常温でも保存できるものに目を引くものがいろいろあって、結構な買い物になった。

戻ってきた仙崎駅の待合室の壁にはかまぼこ板に色をつけて金子みすゞの顔を浮かべたり、第二次大戦後の引揚げ港の役割を果たした仙崎港の当時の写真が飾られている。列車の本数は極端に少ないものの、仙崎の歴史を積極的に発信しようというのがうかがえる。

先に仙崎で日本海の幸を楽しんだり、青海島に渡っての帰りなのかもしれない。仙崎から乗車する客もあって、東萩出発後に比べて乗客も増えている。ようやく観光列車らしくなった。

ここから山陰線を本格的にたどるのだが、この記事はここまで。長門市から下関までは次の記事にて・・・。

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萩の城下町めぐり~中国四十九薬師霊場札所もあった

2020年10月27日 | 旅行記F・中国

10月24日、広島から厚狭、長門市と回って東萩に到着。観光列車「◯◯のはなし」に乗るまでの2時間、萩の町をレンタサイクルで回る。

この日のコースは、とりあえず萩城跡まで行った後で、城下町エリアを回るというもの。東萩駅の東側にある松下村塾や東光寺は、夏の中国観音霊場めぐりの際に訪ねたということで今回は省略する。

まず向かったのは菊ヶ浜。夏場は海水浴場として賑わっていて、さすがにふらりと立ち寄れそうになかった。せっかく日本海まで来たのだから、海に接することにする。

萩城のある指月山をはじめ、沖合に浮かぶ島々も見ることができる。秋、散策する人がポツポツいる程度で、静かな海の景色を楽しむ。ここまで来ることができてよかった。

この後はかつての家老屋敷の門や、昔ながらの佇まいを残す一角を抜けて萩城跡に来る。

萩城跡は指月山の麓の平城と、山頂の山城の二つで構成されている。関ヶ原の戦いを受けて毛利氏は防長2ヶ国に封じ込められることになったが、その居城として防府、山口を希望したものの、結局幕府から指示されたのは萩。山陽、西国街道から遠い山陰の僻地に押し込められたというのが一般的な見方である。

ただ萩の地形は三方を山に囲まれ、海に面した指月山もある天然の要害とされており、普段の政務を執るのは天守閣のある平城だったが、戦時を意識して指月山に山城を築いた。

二の丸入口近く、萩焼の店や土産物店が並ぶ一角に、旧厚狭毛利家萩屋敷長屋が現存する。この一角にかつての萩城の模型があり、結構な規模の城を構えていたことがうかがえる。

ここで折り返しとして、城内から城下町にかけてペダルを漕ぐ。

一角に萩博物館があるのだが、2ヶ月前に来た時はこの周りで暑さのせいでヘロヘロになってしまい、博物館で涼む気力もなくなっていた。もっとも萩博物館は新型コロナ対策として「予約者以外入館不可」の施設で、涼を求めようにも無理だった。まあ、今回この中を訪ねるだけの時間はないし、予約もしていないので行くつもりもない。パス。

菊屋家住宅から城下町エリアをぶらつく。高杉晋作や木戸孝允、昭和の首相を務めた田中義一らの誕生地、旧居が並ぶ一角である。クルマでやって来て歩いて回るグループも目につく。

その一角でふと目に留まったのが、石でできた小さな鳥居。「金毘羅社 円政寺 高杉晋作 伊藤博文 両公幼年勉学之所」の看板が出ている。高杉晋作と伊藤博文が学んだといえばそれなりのスポットなのだろう、ちょっと立ち寄ってみる。

鳥居をくぐったのはいいが、その先には寺の山門がある。神仏習合なのかな。鳥居と山門の間に受付があり、管理費として200円を納める。

松下村塾や萩城跡、武家屋敷の町並みと比べれば観光スポットとしての知名度は低いのだろうし、事実、私はこの円政寺の存在を初めて知ったのだが、この日の萩めぐりの中ではもっとも面白かったスポットである。

円政寺は元々大内氏の祈願所として鎌倉時代に山口市に創建された。大内氏が滅亡した後、毛利輝元が萩に移るのに合わせて萩に移転した。その正面には石の鳥居、その奥、拝観料を納める受付を挟んで山門がある。全国的にも珍しい神仏習合のスタイルである。萩にもこういうスポットがあったのか。

そして境内には寺の本堂と、金毘羅社が両立する。まずはこの金毘羅社に手を合わせる。拝殿には大きな天狗の面が掛けられている。この天狗の面に高杉晋作の幼少の頃の逸話が関係している。高杉晋作が幼かった頃、いつも家人に連れられてこの面を見せられて物怖れをしないようにしつけられたという。高杉晋作の旧居はすぐそこである。気軽に手を合わせる近所のお宮さんの感覚だったのだろう。

では伊藤博文はどうだったか。伊藤博文が生まれたのは周防の国、現在で言えば光市、最寄駅?は山陽線の島田だが、少年の時に萩に移った。母親のいとこが円政寺の住職を務めており、1年半ほど預かって雑用のかたわら読書や習字を教えたという。伊藤博文が遊んだという木馬も残されている。

萩で「学びの場」といえば吉田松陰の松下村塾が有名で、世界遺産にもなるくらい絶対的なところ、神格化されたところとして崇められているように思う。まあ、有名なスポットではあるのだが、個人的には「そこまで崇める?」という印象があった。それに比べて、近所の子どもが天狗の面を見に連れて来られたり、貧乏下級武士の子どもが雑用しながら勉強したりと、その当時から町中にとけこんだ神社、寺というのもあったのだなと、ほっとした気持ちになった。

寺としては真言宗で、本堂の前には弘法大師像もある。本堂の中も上がれるようで中に入る。本尊は地蔵菩薩。

拝む方から見て地蔵菩薩の左手に薬師如来が祀られている。それはいいとして、また私を惑わせるようなパンフレットその他の文字が目に入る。「中国四十九薬師霊場第33番」・・・。

中国四十九薬師霊場なるものがあるということは知っていた。しかし、円政寺がその一つだとは知らなかった。今ここにデンとして構えているのであれば、これもまたいずれは来なければならないだろうな、いや来ることになるのだろうな・・・と勝手に思うのである。今回は札所めぐりではないのでご朱印をいただくことはしなかった。

境内の一角に、「萩出身の総理大臣」の名前が刻まれた竹筒がある。山口県は最も多くの総理大臣を輩出しているが、長州藩の本家があった「萩」という目線だと、伊藤博文、山県有朋、桂太郎、田中義一に尽きるようだ。あくまで長州の本流の誇りとでもいうのかな。戦後の現憲法下で総理大臣となった岸信介、佐藤栄作、そして安倍のアホに対しては「萩の人間ではない亜流の輩」と一線を画しているかのようである。

ちなみに、現在の選挙区で萩市というのは安倍の本拠地に含まれるのかと思っていたが、実際はそうではなく、山口県を斜めに切り取るような形で宇部市、山陽小野田市、美祢市などと一緒の山口3区という。そして現在の小選挙区での選出は河村建夫氏。そこに、次の総選挙で参議院から林芳正氏が転出するのではないかという話があり、自民党内にあっても火種になりそうなところである。まあ、いつ総選挙が行われようとも、山口4区はアホ面・・もとい安倍晋三大先生(現地で安倍の悪口を言えば即座に簀巻きにされて響灘に流される)が得票率100%で当選あそばされる土地柄で、選挙民の脳みそ同様おめでたいことになられるようでまことに喜ばしいことだが・・・まあ、これはレンタサイクルのペダルを漕いでいる間のひまつぶし、愚痴、妄想。

昼食を取っていなかったので東萩駅に戻るまでの間で飲食物を仕入れる。「◯◯のはなし」の発車までは15分ほどあるが、すでにホームに入っている。発車までの一時も含めて、これから楽しむことに・・・。

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「長門・萩ライナー」で東萩へ

2020年10月26日 | 旅行記F・中国

山陰線の長門市から益田方面は、優等列車はおろか普通列車の本数も少なく、一応「本線」ながら純然たるローカル線区間と言っていい。ただ日本海の車窓やのどかな町並みの景色は良いものである。

今回は東萩からの「◯◯のはなし」に乗るのがメインだが、鉄道で東萩まで行くのが難しいとして、新山口から特急バスで出ようかとも考えていた。そんな中で時刻表に「長門・萩ライナー」という臨時列車の文字を見つけた。2020年9月5日~11月29日までの土日祝日に、長門市~東萩間を1往復するもので、美祢線沿線にある長門湯本温泉と、観光地である萩をつなぐ列車という触れ込みである。

ちょうど先ほど美祢線から長門市に着いたのが11時26分で、「長門・萩ライナー」は11時37分発。途中萩のみに停車して、東萩には12時09分に到着する。帰りの「◯◯のはなし」が14時13分発だから、萩で2時間の滞在時間ができる。町を一回りするにはちょうどいい時間である。

その「長門・萩ライナー」の東萩からの列車がやって来た。キハ47の2両編成である。今回これで「普通の国鉄型気動車」にも乗ることができて、鉄分補給としては十分である。もっとも、土曜日の昼間ということもあってか、先ほどの美祢線からの乗り継ぎ客を含めても2両で10数人しかおらず、観光需要の掘り起こしという点ではどこまで寄与しているかはわからない。でもまあ、この列車があるおかげで上の段落に書いたような動きができるのだが。

海側のボックス席に陣取り、長門市を出発。まずは遠くに青海島を眺める仙崎湾沿いに走る。線路ぎりぎりまで海岸線が来ており、透き通った海水を見ることができる。

続いては飯井~三見~玉江にかけての区間。細かなトンネルを挟みつつ、海岸風景を存分に楽しむ。この日は多少風が強く、波が立っている。撮り鉄の間では、特に三見~玉江間は「サンタマ」という愛称で撮影の定番スポットになっている。

指月山が見えてきて、萩の市街地が近づいた。今年の夏休みで中国観音霊場めぐりで萩に来た時に参詣した観音院の観音堂もちらりと見え、あの時は猛暑日で最後は熱中症寸前だったなと思い出す。さらに大照院入口の踏切も通過したところで、萩に到着。ここで初めての停車で、下車する観光客もいた。

この後、町の外周をぐるり回る形で走り、12時09分、東萩に到着。

さて、「◯◯のはなし」の発車まで2時間あるので萩の町を回ってみることにする。2ヶ月に中国観音霊場めぐりで萩を訪ねた時はレンタサイクルにて松陰神社から東光寺、萩駅、大照院、観音院、萩城と外周を回ったところで体力を消耗した(手始めに回った松陰神社の中にある吉田松陰歴史館が蒸し風呂状態だったのも大きかったのだが)。結局人気の城下町エリアは自転車で通っただけだったので、今回はそちらを中心になぞることにする。

その前に昼食をと思うが、駅の周辺にはこれといった店はない。まあ、「◯◯のはなし」では飲み鉄をすることだし、食事はその時でいいだろう。夏に利用したのと同じ店にて自転車を借り、町中へと漕ぎ出した・・・。

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瀬戸内、日本海をめでる乗り鉄

2020年10月25日 | 旅行記F・中国

どうにかこうにか1週間を乗り切ることができての休日。転居後のあれこれについてはだいぶ落ち着いてきたので、このあたりで日帰り乗り鉄(飲み鉄)を行うことにした。鉄分を補給してリフレッシュしよう。

というのも、「青春18きっぷ」の秋バージョンである「秋の乗り放題パス」の時期だからである。これは7850円、連続した3日間の利用というものだが、遠くまで行けば1日の利用でも元は取れる。

西に向かうことにした。手元には、山陰線を走る観光列車「◯◯のはなし」の指定席券がある。この8月に、中国観音霊場めぐりの移動で新下関から東萩まで乗った列車だが、今回は逆に東萩から下関まで乗ることにする。季節は秋、運が良ければ響灘に沈む夕日を見ることができるかもしれない。

まずは山陽線に乗る。広電の高須から始発に乗れば、商工センター入口で山陽線の新井口の始発をつかまえることができる。この日はもう少し足を延ばして、五日市まで乗車する。初めての広島勤務時に住んでいたのが五日市で、こちらも懐かしいところだ(もっとも、当時入っていた会社の寮は土地ごと売却され、建物も取り壊されたのだが)。

五日市からは6時07分発の岩国行きに乗ることにする。以前に住んでいた時も青春18きっぷで西方向に向かう時も、同じような時刻の列車に乗っていた。

ところが、列車に遅れが出ているとの案内が入る。先行する貨物列車が小動物と接触したか何かで列車の点検を行ったそうで、10分ほどの遅れという。朝一番から何か起きる。この後のコースは、6時42分に岩国到着後、6時44分発の下関行きに乗り継ぎ、厚狭まで行って10時17分発の美祢線で長門市まで出る。厚狭到着が9時28分なので間隔があるのだが、この後の列車だと厚狭で3分しか乗り継ぎ時間がないので慌ただしいなということで、始発に乗ることにしたのだ。

結局12分遅れで五日市を発車。まあ、列車本数の少ないところなので接続を取ってくれれば・・・という感じで出発する。少しずつ外も明るくなってきて、宮島口から先の海べりの景色も楽しめる。そろそろ牡蠣の季節やなあ・・。

結局遅れ時間はそのままで走る。大竹まで来たところで、「岩国6時44分発の下関行きとの接続は取らない」との車内放送が入る。岩国からは次の7時17分発の下関行きとなる。これなら7時19分発の岩徳線で徳山まで行くのも面白いかなというのも一瞬頭に浮かんだが、この日は瀬戸内の車窓を見ようと、そのまま山陽線に乗る。

ホームで列車を待っていると、西に向かう貨物列車が1本、2本とやって来る。そういうことかと思う。貨物列車と旅客列車が混在しており、先の下関行きを12分遅らせると他の貨物列車にも影響が出るのだろう。

折り返し運転でやって来たのは115系の3000番台。2扉式、転換クロスシートを備えた車両である。これも以前の勤務時にはよく乗った車両である。海側の座席を確保して、3時間の乗車となる。

南岩国ではちょうど旬を迎えるれんこんの収穫が行われているのを見る。これから食する機会があるかな。

朝日に照らされた瀬戸内から周防灘にかけての景色を眺める。四国八十八所めぐり、中国観音霊場めぐりでこの区間を通った時には、今日のような日帰り旅行で乗ることになるとは全く想像していなかったが、これからはちょくちょく出会うことになるのだろう。

8時29分、徳山に到着。8時52分まで20分以上停車するが、これも貨物列車を先に進めるためである。時間があるのでいったん改札を出て、早々と山口土産を購入する。駅前のフェリー乗り場からは国東半島の竹田津までの便が出ている。このルートで九州に渡るというのもいずれやってみたい。

戸田から富海にかけての周防灘を見た後で新山口に到着。ここでも貨物列車をやり過ごす。こちらはレール輸送用の車両である。

新山口からは内陸の区間となり、10時14分、厚狭に到着。美祢線は改札口前のホームから出発するが、山陽線からは在来線ホームの端から端へ移動する。乗り換え時間が3分なので少し急ぐ。これを逃すと次は3時間以上待ちである。この3分の乗り換え時間だが、ネットの検索サイトでは乗り換え時の移動を「急ぐ」に設定しなければ表示されない場合がある。だから余裕を持って移動したかったのだが、朝の列車の遅れがあったために・・。

美祢線はキハ120系の単行、ロングシート車。観光客、その筋の人とおぼしき姿も見える。席に座れたのはいいが、日除けのためにカーテンが閉ざされており、外の景色を見るのは難しい。長門市まで1時間あまり、淡々と走る様子だった。

11時26分、長門市に到着。ここから一度東萩まで行き、帰りに「◯◯のはなし」に乗ることにする。今度は日本海の景色を楽しむことに・・・。

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今日は疲れた

2020年10月22日 | ブログ
新しい職場で慣れない、知らないことがまだまだある中で、今日は精神的に疲れた。

まだこういうことを書けるだけ、大丈夫とは思うが。

週末までがんばろう。
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C57 1号機「貴婦人」はこの先復活するのだろうか

2020年10月20日 | ブログ

「SLやまぐち号」の牽引機として長年活躍してきたC57 1号機。私もこの夏の中国観音霊場めぐりの旅行の帰途に乗って、その走りを楽しんだ。

それがこの10月10日、津和野から新山口まで向かうべく発車したが、県境の船平山に差し掛かるところで乗務員が異音に気づいて緊急停車。点検後にいったん運転を再開したが、再び異音がしたため停車。ここで運転を取り止め、乗客はバスで代行輸送したという。

10日はちょうど引越し直後でドタバタしていたためこのニュースを知ったのはつい先ほどのこと。C57 1号機が京都の梅小路に回送されたというのに接してのことである。代替はD51 200号機で、今季の残り期間の運転をまかなうという。もっといえば、その入れ替え期間中はDD51が牽引するディーゼル機関車列車として運転されたとのこと。蒸気機関車もいいけど、ディーゼル機関車牽引の列車に乗る機会も貴重である。知っていれば乗りに行ったかな・・・と思うが、このところ観光需要も戻りつつあることもあって、「SLやまぐち号」は連日満員御礼とのこと。

それにしてもC57 1号機、1937年の製造だから83歳。人間でも長寿のほうで、ましてや寿命が短い機関車にあって人間に換算すると何歳になるのだろうか。これまで何回も故障、不具合がありその都度梅小路で修繕して復活してきたし、「貴婦人」という割には何度も引退~復活という大仁田厚のような生涯を送ってきたが、さすがに今度はどうなるだろうか。

ともかく今季の運用はなくなったので、来年以降どうなるか。その動向を見守ることにしよう・・・。

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たとえ広島市民・県民の全員を敵に回しても、私はパ・リーグを応援しよう、しなければならない。改めて。

2020年10月19日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

2020年のペナントレースの行方は両リーグともほぼ決まった。パ・リーグもホークスとマリーンズが接戦を展開していたが、いつの間にやらホークスが頭2つぶん抜け出した。クライマックスシリーズがあるとはいえ、ホークスがパ・リーグを制覇することになるだろう。

さて、タイトルの中身。10月から広島に移り住んでいるわけだが、この地の野球といえば当然カープ一色。国営放送を含む地元マスゴミはカープ至上主義である。

・・・大阪で、長年西宮狂虎軍の偏向報道にウンザリしていたのだが、広島に来て赤ヘル、カープ、カープ、カープ、カープ、カープ、カープ、カープ、カープ、ではカープ情報です、これからカープの中継をします、パ・リーグ?何ですかそれ?・・お客さん変態じゃね・・・・・。

いや、それ自体は別にいいんですよ。私が我慢すればいいだけのこと。私の存在自体バカにされているんですから。広島でパ・リーグを応援するということで警察に通報されないだけホッとしています。

言わせてもらえば、カープファンというのは「セ・リーグ至上主義」。巨人や阪神にはライバル意識(都市としてのコンプレックス)を見せるが、パ・リーグというのは日本プロ野球の下部リーグ、相撲なら幕内に対する十両くらいのものでしかない、以前の広島勤務当時は私がバファローズ、パ・リーグのファンというだけで見下されたし、バカにされた。居酒屋でたまたまパ・リーグの優勝争いの全国中継が流れていた時も、たまたま店に入ってきたオッサンが「なんじゃパ・リーグか、しょーもないのぉ。チャンネル変ええや」という扱いだった。

まあ、交流戦が行われるようになってパ・リーグのチームがカープをボコボコにやり倒すのを見て溜飲を下げる楽しみができたが(鈴木誠也が「神ってる」と名付けられたバファローズ戦の3連発もあったが、2019年に3タテでお返ししたので不問)。

野球に関してはこれからも迫害の日々を送ることになる・・・・。

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庚午新開、庚午神社

2020年10月18日 | ブログ

広島の西区に庚午(こうご)という町がある。今回私が住むことになった地区である。

文字の並びは十干十二支の7番目である「かのえうま」である(ちなみに1番目が、「きのえね」と読む「甲子」で、あの「甲子園球場」の名前はここから来ている)。

町の由来はこの十干十二支に関係している。明治2年(1869年)、広島では凶作のため多数の困窮者が出た。これを受けて太田川放水路の西側で大規模な干拓が行われた。これが完成したのが明治3年(1870年)のことで、この年の十干十二支を取って「庚午新開」と名付けられた。主に芋や大根などが栽培されたという。

この地の氏神として祀られているのが庚午神社。元々は室町時代にこの西の古江の山麓に鎮座していた祠だが、庚午新開が完成したことにともないこの地に勧請された。

昭和45年(1970年)に創建100年を記念してコンクリート式の社殿に整備された。

住まいの近くに貼り紙があったのだが、10月17日~18日は秋の例祭が行われた。例年なら前夜祭からさまざまな行事が行われたり、屋台も出るそうだが、今年はコロナ禍の影響で関係者を中心に小ぢんまりとしたものだという。

私もこれからお世話になるのだから、軽く手を合わせておく。神社といっても広い境内があるわけでもなく、通りの角にある小ぢんまりしたもの。一角には現在の社殿が創建100年に合わせて建てられたことの記念碑がある。今年2020年は、創建されてちょうど150年に当たる。これもまたご縁であろう。

現在の庚午地区は芋や大根の畑などなく住宅密集地だが、町のこうした由来を知っておくことも必要である。

ちなみに、こうした由来があるのならひょっとしたら水害はどうなるだろうか。ここ数年で広島近郊で相次いだ豪雨災害の時でも大きな被害はなかったそうだし、広島市のハザードマップを見ても「危険」というところまではないようだ(太田川放水路に長い堤防が築かれていることもあるのかな)。

こうして少しずつ町の様子も見ていくところだが、一方では「乗り鉄」の虫もそろそろ湧いてくるころである。ちょうどJR全線の秋の乗り放題きっぷが次の週末まで有効である。次週辺りはJRに乗って、ちょっと遠出でもしてみようか・・・。

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広島電鉄も終電時刻繰り上げ

2020年10月17日 | ブログ

コロナ禍でリモートワークが普及したために通勤利用が減ったとか、夜間の保線工事の人員確保のためとかで、首都圏や京阪神の路線で終電時刻を早める動きがある。

大阪にいた時に、JR西日本が終電時刻を早めるというニュースに接したが、私に直接影響するのは近鉄で、日付が変わってからJRに乗ることもないから別に関係ないことで、鉄道業界も大変やなというくらいに受け止めていた。

その中で広島に移り住んで、最寄駅は広島電鉄の高須という生活である。職場へは広島電鉄で商工センター入口まで出た後で徒歩だが、これはいずれクルマ通勤への切り替えを考えている。逆に、休日に市内に出るとか、どこか長距離に出かけるとなると広島電鉄~JR乗り継ぎと考えている(そう言いつつも、クルマを持てば遠くまでドライブしようという気になるのかもしれないが)。

その広島電鉄だが、こうした状況も含めて利用者が減少していることから、来月11月16日にダイヤ変更を行い、各線の終電時刻を約30分繰り上げると発表した。区間によっては終電が21時台と、ローカルバス並みになる。

私にとってみれば、仕事に関連してはそう大きな影響はないと思うが、趣味の関連でどこかに遠征した時のほうが影響しそうだ。最寄が広島電鉄なので、JRからだと西広島か新井口のいずれかで乗り換えとなる。青春18きっぷ、新幹線についてもあまり遅くまで引っ張らないほうがいいのかな。まあ、両駅から歩けない距離ではないが・・。

私にとっては、これも含めた「新しい生活」になるのだろう・・・。

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芸備線臨時列車「庄原ライナー」運転

2020年10月15日 | ブログ

「せとうち広島ディスティネーションキャンペーン(ミタイケンひろしま)」が10月1日から12月31日まで行われている。私はそのキャンペーンに合わせる形?で広島に転居したわけだが、今はまだ生活リズムを少しずつ作りつつあるとはいうものの、同じ県内のさまざまなところに行ってみたいと楽しみにしている。

そんな中で見つけたのが「庄原ライナー」という列車。芸備線の広島~三次間で運転している快速「みよしライナー」の1本について、11月初旬~12月初旬の期間の土日祝日、同じ芸備線の備後庄原まで延長するという。

芸備線の三次~備中神代・新見間は列車本数の少ないところ。そこを延長運転して到着するのはちょうど昼。そして夕方に備後庄原~三次間に臨時列車を出して、夕方の三次発の「みよしライナー」につなげるという。広島県でも県北部というのはなかなか行く機会が少ないところなので、これは面白いと思う。

ただもっと欲をいうなら、備後落合まで足をのばして、木次線を走る「奥出雲おろち号」に接続する運転ができないのかなというところ。まあ、こちらは島根県側の観光列車だから仕方ないかな。

今や貴重となったキハ40系が多く走る中国地方に来たこともあり、そうした列車に乗る機会を大切にしたいところである・・・。

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「上級国民」家族が背負う十字架??

2020年10月14日 | ブログ

笑わせるなや。

罪を認めて素直に頭を下げればよかったことでしょう。まずは。

十字架でも10トンの岩でも勝手に背負うとれや。

飯塚のような輩がのうのうと生き延びていることじたい、終わってる。

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リニューアルしたばかりの尾道駅テナントが撤退、あの大衆酒場も?

2020年10月13日 | ブログ

広島のローカルニュースを目にするようになって、新鮮な中で昔を懐かしむような複雑な気持ちである。

さてそんな中、2019年3月にリニューアルしたばかりの尾道駅で、テナントとして入っていた常石グループが全4店舗を来年2月末で撤退するというのがあった。コロナ禍の影響でグループの業績が悪化して、事業の継続が困難になったという。

尾道は観光の町で、インバウンドの需要も結構あったように思う。GoToトラベルで広島県内も宮島など団体客が少しずつ戻りつつあるというプラスの報道もあったが、現実は厳しいのだろう。

その中に、私が中国観音霊場めぐりで尾道に泊まった時に入った大衆酒場「食堂ミチ」も含まれるとあった。元々地場でやっていた大衆酒場かと思っていたが、常石グループだったとは。

昔ながらのサッポロラガー、ホッピー、さらに瀬戸田レモンを生搾りするサワーや、ワタリガニなど海鮮がたっぷり入った浜子汁をはじめとして、地元客でも観光客でも楽しめる印象の店。せっかく尾道の昼~夜を楽しめる店だと思ったが残念。その時の一度しか入ったことがないが、これは2月末までにもう一度行かなければ。

これも含めて、せっかく縁あって中国地方に来たのだから、中国山地や陰陽連絡線、さらには西のほうも含めて、鉄道の旅を楽しみたいものである。クルマはいずれ買わざるを得ないことになるのだが・・・。

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鉄道イベントもオンライン

2020年10月12日 | ブログ

本日12日、広島の新居から職場への初出勤。これまで異動にともなう広島での出社は市内のホテルからだったので、引越しを終えて週が改まり、これでようやく本格的な着任ということになった。これから新たな生活リズムを作ることになる。

そんな中、やはり関西の情報は気になるもので、つい関連のサイトなど見てしまう。その一つでたまたま近鉄のホームページを見たところ、今年の「鉄道まつり」についての記事があった。例年秋に、五位堂、高安、塩浜の車庫を開放して、車両の撮影会や特急車両の公開イベントなどが行われるのだが(私は参加したことがないが)、今年はコロナ禍の影響により中止するという。まあ仕方ないだろう。

しかし、その代わりに今年は初めて「きんてつオンライン鉄道まつり2020」として行うという。

10月24日~12月13日の間、パソコンやスマホにアクセスして、専用バナーから参加できるという。期間を区切って、車両区内の作業風景の動画配信を行ったり、オンラインのトークショーが行われるとのこと。また、ネットにて鉄道グッズの販売やデジタルスタンプラリーも行うそうだ。

これも昨今の世の中の状況によるものだが、動画配信やオンラインでのイベントとなると、関西を離れている私も参加しようと思えばできるものである。もちろん、現地にて車両の実物に相対するのがベストなのだが、上手く使えば関西以外の人たちにも近鉄のPRができる効果がある。

いろいろと新しい発想ができるかどうかが、これから重要になってくるのだろう・・・。

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