まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

東京ドーム日本ハム戦観戦

2006年07月31日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

「次の日曜日、野球観に行かない?」

これまで球場に共に足を運んでいるK氏からのお誘いである。もとよりソフトバンク戦のこと。はて、次の週末には関東遠征だったっけ。所沢に行くのかな?

「東京ドームで日本ハムとよ。」

なるほど、日程表を見るとこの土日の2連戦のようだが変則的で、土曜日が函館でのデーゲーム、そして日曜日が東京でのナイターである。今年も相変わらずパの試合、交流戦を観戦してきたが、日本ハム絡みの試合をまだ観ていない。ならば行くか。

P1010604 さて当日30日。18時の試合開始だから16時くらいに開門、それくらいに行けば大丈夫か・・・と、東京ドームの正面入口に着く。すると何とまあ長蛇の列。そして、「指定席、外野席、1階の内野自由席は全て売切れです!当日券お求めの方は内野の2階自由席をお求めください!」と係員が大声でアナウンスしている。へえ、日本ハムの「東京主催」というのはこんなに入るのかと改めて驚く。

P1010610 事前打ち合わせ時の勘違いか、17時になってようやくK氏夫妻が現れる。2階席はこの時点では席があったので、ちょうどバックネットの上方の席を確保。ちなみにこの日の2階自由席は定価1000円。外野席の料金がいくらか聞かなかったが、ひょっとしてこちらのほうが特別に安く設定しているのかも。ただその2階席も時間と共に大勢のファンがやってきて、試合が始まってもまだ空席を求めて彷徨っている「難民」のような人たちも大勢いた。ビールの売り子も人出が足りないんじゃないかと思うくらい忙しく立ち回る。いや正直、日本ハム戦でこんなに満員となるとは思わなかった。

すっかり北海道になじんだ感のある日本ハム(現に最近になってプロ野球を観るようにはったK氏の奥さんは、日本ハムが東京に本拠地を置いていたことを知らなかった)だが、やはりかつての本拠地、東京のファンはまだまだ熱い。日本ハムが好調ということ、また夏休み、そしてひょっとすれば東京ドームでは見納めになるかもしれないあの選手を観たいということか。

先発は日本ハムがルーキーながら既に8勝の八木、ソフトバンクが杉内。序盤は共に一人のランナーも出さず、3人ずつで片付けていく。特に八木投手の組み立てが素晴らしく、シーズン初めにホークス打線を「10回」ノーヒットノーランに抑えたその投球がホンマモンであることを目の前で披露してくれる。

試合が動いたのは4回裏2死から。3番小笠原が初安打となる一発をライトスタンドへ。ドームの右半分から大きな歓声が上がる。続くセギノール、稲葉の連打でさらに1点追加し、ここでSHINJO。スタンドのざわめきが一段と大きくなる。

P1010614 そして、杉内の投じた内角のボールを振り抜くと、打球は勢いよく左中間へ。歓声とともにそのままスタンドイン。何というか、地響きのようなものを感じた。よく「熱い空間」といえば千葉マリンのロッテファンをイメージするが、今日の東京ドームに詰め掛けた日本ハムファンもそれに劣らぬものがあった。

直後の5回にズレータの特大の一発が出てホークスが1点返すが、その後、稲葉の一発、金子のタイムリーなどで7対1とワンサイド。ワンサイドというのは、八木が8回までに許したヒットというのが、ズレータの一発だけだったのだ。これにはK氏もお手上げのご様子。

P1010615 その八木、9回に川崎に安打、続く辻に死球を与えたところで交代。普通にこの点差、9回ということを考えれば完投と思うのだが、そのあたりはチームの勝利優先に徹する外国人監督らしい継投ということか。その後、大道のタイムリーで2点返すが、反撃もここまで。7対3で日本ハムの完勝。「満員御礼」のメッセージも出たくらいの大勢のファンを満足させる結果となった。

東京を本拠地にしていた頃も、毎回これくらい盛り上がっていれば札幌に移転することもなかっただろうな・・と思う一方、札幌に行ったからこそパのファン拡大につながったのだからよかったとも思うし、何だか複雑な気がする。それでも札幌を拠点として道内各地にも転戦し、そして年に2~3回は東京での凱旋試合を行う・・こういう営業方針が今のところ当たっているということか。

こうなれば一度行きたいのが札幌である。あちらでの盛り上がりは東京と比べてどうなのか。球場の雰囲気や演出は?新たな球場めぐりの旅の計画が楽しみである。

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青春18日帰り旅・東北・常磐線

2006年07月30日 | 旅行記B・東北

この夏もまた「青春18きっぷ」のシーズンがやってきた。書店の店頭には最近はやりものの「青春18」の活用術やら旅行プランなどを載せたガイドブックが並び、旅心をくすぐる。

というわけで、29日に「1回目」を使用ということで、上野駅の東北線ホームに現れる。朝早くから「青春18」利用客とおぼしき人たちを多く見かける。

P1010572_2宇都宮までグリーン車の2階席に陣取り、その後、黒磯、郡山、福島と乗り継ぎの旅。福島からは快速「仙台シティラビット」を利用する。東北線の福島から岩沼までが未乗区間で、その乗りつぶしのために早起きして出てきたようなもの。桃やリンゴの畑が目立つ中、少しずつ高度を上げる。

仙台を前にして岩沼で下車。今日はここで折り返し、常磐線に乗ることにする。次の列車までの短い時間ではあるが、町中に出てみる。岩沼は上野から東北へ向かう鉄道の東北線と常磐線が合流する駅であるが、道路のほうもしかりで、奥州街道の「東街道」国道4号線と、「浜街道」国道6号線の合流地点もこの市内にある。また仙台空港があるのも岩沼市で、その意味では交通の拠点となる市といえるだろう。

P1010575 またかつての街道、宿場町の名残も残っており、ところどころに昔ながらの商家を見ることができる。また竹駒神社という、平安時代から祀られたという稲荷神社があった。一説では「日本三稲荷の一つ(・・・という割には初めて聞く名前だったが)」といわれ、その辺の小さな祠ではなく立派な社殿を持ち、結婚式場も併設されていた。地元の人たちに親しまれている神社だな、という印象。P1010577

さて、常磐線である。やってきたのは国鉄型の車両で、ボックス席に陣取りのんびりと南下。再び福島県に戻る。

P1010581 P1010582 原ノ町着。8分停車するので昼食に何か、と思い席を立つと、ホームに駅弁の売り子。ここで「浜のかにめし」(750円)を購入。カニのフレークが乗った一品で、なかなかいける。ところで、駅弁の包み紙を見ると、製造元の住所が「南相馬市原町区」とある。「南相馬市」に「区」? 「区」といえば東京23区とか、大阪市北区とか、大都市にあるものとばかり思っていたが・・・。どうも最近の市町村合併で、聞きなれない名前の市町村が増えている。そろそろひと段落するようだから、新しい日本地図を購入するか。

浜街道の中心地、いわきを経て茨城県境に近い勿来に着く。ここで途中下車する。白河の関、鼠ヶ関と並んで、平安の頃の中央政権と北方民族との境界として設けられた勿来の関というのがある。「なこそ」と漢文読みさせるその名前から察せられるように、北方民族の「来襲」を防ぐ意味合いが強い。その関所を訪ねてみようというのである。

P1010583_1 ただ、関所に直接バスなどが通じているわけでもない。駅から2キロあまりの道を歩くことにする。その関は山の上だ。40分ほど歩き、時折そよ風が吹くがそれ以上に大汗をかいて、「奥州勿来関跡」の石碑と、源義家の像が立つ「関所跡」に着く。

「吹風をなこその関とおもへども 道もぜにちる山桜かな」

義家のこの歌をはじめ、古来から多くの歌人に詠まれた勿来の関。いわゆる歌枕の地である。ただ、実際に東北での戦に出向いた義家はともかく、小野小町や和泉式部など、絶対に彼の地を訪ねたことがない歌人たちが勿来の関を詠んだというのはどういうことか。

P1010588 関所跡に「いわき市勿来関文学歴史館」というのがある。これが江戸時代の箱根の関や新居の関ならば当時の役人の資料などが展示されるのだが、何せ平安の頃の関所、また歌枕の世界である。映像で歌枕の世界を語るのがこの歴史館のコンテンツのようである。その一節に「勿来関は『来るな』の関、人も恋も道も、そして国さえも分かつ関」とある。物理的な関所というだけでなく、人と人との心の障壁という意味も込められているようだ。なるほどね。

関所跡からは下りになる。すると、前方から水着姿の小学生の団体がやってくる。ということは・・・。

P1010590 目の前に現れたのは勿来海水浴場。広々とした砂浜が広がる。夕方のこととてそろそろパラソルをたたんで・・・という姿も見られるが、夏の一日を満喫する人の姿が多かった。そんな中に旅行者スタイルで現れるのは場違いな感じもするが、砂の感触と波の音を楽しむ。P1010596

そんな浜辺沿いに「勿来温泉 関の湯」というのがある。いわゆる健康センター式のでかい建物。入浴料も2000円と高めだが、大汗をかいた後であり、ここでサッパリすることに。

P1010599 いろんな浴槽が楽しめるが、一番の売りは「海岸の展望」。こういうパノラマが目の前に展開するのだ(写真は真下の大広間からのものだが、浴室からの展望もこんな感じである)。この開放感を取ってみれば2000円は納得できる料金か。

あとは勿来駅から上野方面の列車に乗るだけだから(といって鈍行で3時間以上の旅なのだが)、ここで夕食もとってしまおう。海を眺めながらの一献というのも、実に気持ちのよいものであった・・・・。

やはり鉄道の旅はよろしいな。

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花の嵐 小説・小佐野賢治

2006年07月27日 | ブログ

以前のこの「本と雑誌」のカテゴリで、上質のわかる人・宮本輝の「ひとたびはポプラに臥す」のことを書いた。あの後、最終の第6巻まで読み終えたが、結局は鳩摩羅汁などはどこかにぶっ飛んでしまって、上質のわかる人・宮本輝の旅行エッセイという感じだった。それにしても、暑いとか体調を崩すとか、治安が悪いとかどうやらこうやら、やはり上質のわかる人にとって過酷な旅行だったんだなということが前面に出ていたような気がする。まあ紀行作家ではないのだから、そういう率直な感想が述べられているのも面白い。

それはさておき、「ひとたびは~」と一緒に購入していたのが、「花の嵐 小説・小佐野賢治」。長編経済小説というサブタイトルがつく。清水一行著、光文社文庫版。

Bnk_hanaara1_1 小佐野賢治といえば、「政商」「ロッキード」「記憶にございません」というキーワードでくくられがちな人物。今でも国会で証人喚問が行われるとき、ニュースの時間に「証人喚問の歴史」みたいな形で振り返るとき、必ずと言っていいほどこの「記憶にございません」が出てくる。その容貌もあわさって、いかにも「悪役やの~」というイメージを膨らませることができる。

東京の北部から埼玉にかけて走る国際興業バスというのがある。これぞ小佐野賢治の「本業」である運輸・観光業の中核といっていいだろう。ただ、どうしても国際興業→小佐野賢治→ロッキード・・・と連想されるものだから、バスまでダーティに見えてくることがある。コクサイコウギョウ?いかにも山師的な名前やし・・・と連想は広がるばかり。

またなぜか、国際興業と聞くと、かつてプロ野球のライオンズを持っていた「太平洋クラブ」というのを連想する。この両社に何か関係があるわけでなく、ただ連想。

もちろん、国際興業はれっきとしたバス、観光産業の会社であり、運転手をはじめとして皆さん真面目に働いているのだから、そういう連想をするほうがどうかしているのだが・・・(沿線の皆さん、スミマセン)。

それはさておき。

この「花の嵐」では、戦後の混乱期を己の才覚と、人生のポイントでの人との「出会い」によって乗り越え、そして国際興業はじめ数多くの企業の経営を手がけ、また多くの「倒産寸前の企業」を復興させ、ハワイの観光振興にも大きな役割を果たした「事業者」としての小佐野賢治の半生を描いた作品である。やはり「機を逃さない」ということと、「人との出会いを大切にする」ことが、その後の成功につながるという事例である。まだ代議士になりたての田中角栄との出会いは、その後の小佐野自身にも大きな波となって生きたのだった。(もっとも、そのためにロッキード事件に連座したようなものだが)

Bnk_hanaara2 小佐野賢治も大いに株式市場での株の売買、あるいは株の保有、すなわち会社の保有をめぐって多くの修羅場をくぐってきており、本書ではその様子を小説らしく臨場感あふれる書体で書いているのだが、結構、現在の株式市場の様子と同じようなものが感じられる。昨今のホリエモン騒動や、村上ファンドによるあちこちの会社の株式支配、TOB、M&Aなんて言葉が飛び交ったこと・・・外来語こそ出てこないが、昔も同じようなことが行われていたということか。そしてもう一つ変わらないのが、今も昔も株式で儲けた輩に対しては冷たい視線を向ける、出る杭を打つというこの国の国民性。ただ、小佐野賢治の前では、ホリエモンや村上ファンドなんて、尻の青い書生上がりにしか見えなくなるだろうな・・・・。

そう読めば、結構今の若い世代にも面白く読める作品だと思う。また、ロッキード事件というのも後になっていろんな人がいろんなことを言っており、現在ではある勢力が田中角栄追い落としの謀略のために仕組んだワナに、田中角栄やら小佐野賢治やらがまんまとハメられた・・・という評価も強くなってきている。

「小説」ということで、登場人物のセリフやら行動やらには誇張やフィクションも混ぜられているのだろうが、戦後経済の歩みをある一面から見る上で内容の濃い作品と言えるだろう。

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また株がらみの犯罪ですか。

2006年07月26日 | ブログ

日本経済新聞社の社員がインサイダー取引で不正な利益を挙げていたとかで逮捕されたという。社員自身は営業担当で、直接企業の公告を扱う立場にはなかったというが、車内のネットワークを通していとも簡単に情報を入手し、それを悪用したとのことである。

また、株とモラルの話である。

先般世間を騒がせたライブドア事件や、村上ファンド事件などは、これは金儲け集団、事業者のやったことなのでまだやむを得ないというところもあるが、今度はマスコミの、それも日本の経済を専門に取り扱っている新聞社での出来事である。

会社の声明では「個人の責任」などと言っているが、それを許す企業風土がそもそもの原因ではないだろうか。マスコミというのは半ば公権力を持っているようなものだし、ましてや日経である。他の新聞社以上に公共性が高い新聞社である。

みんなが読む新聞、ましてや「ビジネスマン必携」などと言っておきながら、その内実というのは、そんなもんですか。

ただこれに対する日経の対応も人ごとであるし(所詮、一社員の不心得です、てな姿勢)、司直のツッコミも足りないような気がする。事の重大性はライブドアや村上以上なのに、扱いが小さい。やはり経済新聞には手が出せないのか。

景気が上向いたとか何だかんだいっても、所詮は株式市場だけの話なのね。そりゃ、株で儲かった人にとってみれば、景気は上々だろうな。裏口で手を回している新聞社が景気がいいぞって書いても、そりゃお前のところだけはそうだろうなと言いたい。

こういうことが市場や本当の景気が活気づくことにつながるのだろうか。

やはり、本業・実業で地道に稼いでいくことが真の景気回復なのではないか・・・。

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めざせ「時刻表博士」!

2006年07月24日 | ブログ

部屋の郵便受けに「時刻表検定協会」からのDMが入っていた。今年も11月に「第12回時刻表検定」が開催されるので、ぜひ受験してくださいという案内である。めざせ!「時刻表博士」!!

「時刻表検定」。最初にどこで見つけたのかな。もう5回ほど受験しているかな。最高で「1級」をもらったこともあれば、「不認定」をくらったこともあるし、フジテレビの「トリビアの泉」が取材に来ていて、本番でチラリと横顔が映ったこともあったというような、そういういわくつきの検定である。最近は「飲みに行った時のネタ」で「時刻表検定」の認定証がフトコロから出るということもある。

最近では時刻表検定の時期に合わせて1泊旅行を組むこともあり、そのほうが「旅行者気分」で受験できておおむね成績もよいようである。

さて今年であるが、旅の同行者との打ち合わせで「名古屋」にしようかというたくらみがある。前日に名古屋入りして、味噌カツだのきしめんだの手羽先だのといった「名古屋料理」を味わって、その勢いで受けようというもの。あ、でも他に天むすもあればどて煮もあれば、味噌煮込みうどんに喫茶店のモーニングで小倉トーストなんてのもあるぞ。こりゃ大変な旅になりそうだ。

申し込みは9月の1日からということだが、何と先着500名に「近鉄特急」のキーホルダーがもらえるとか。こう書くと初日に集中してあっという間になくなるんだろうな・・・。

これまでの受験でまだ一度も取っていない「博士号」。一般の学術分野で「博士号」なんてとれないから、せめて「遊びの世界」で・・・・。ただ、獲得には200点満点中180点以上というハードルがあるが、果たして今回はどうだろうか。

何とか「悲願達成」!?に向けて、頑張りたいものである・・・・。

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どうもスッキリとしません。

2006年07月23日 | ブログ

この週末も全国的に天候がスッキリせず、特に南九州は大雨の被害が甚大とか。お亡くなりになったり、被害に遭われた方へのお見舞い申し上げます。

また宮崎で行われる予定だったプロ野球のオールスター戦も順延とか。ただ今日無事に行われるかどうかは疑問のようだが・・・。

それはそうと、先の記事でも書いた「欽ちゃん球団」、極楽・山本を除名した上で、球団自体は存続するとか。まあこれが妥当な判断ということになるのだろうが、一連の動きを見ると個人的には「これでよかったの?」という気がする。簡単に球団存続を決めるなら、最初から解散などという言葉を口に出すなよな。

ただ一連の騒動で、もはやこのチームは欽ちゃん個人のものではなく、茨城の人たちにはなくてはならないものであるし、全国のクラブチームの目標となる存在であることがクローズアップされたのも確かである。こうなれば地域と一体となって、クラブチーム選手権はもとより、都市対抗野球も目指してほしい。

もう一つ、話は代わってまた大雨関連。

あまり報道されることがなかったが、JRの羽越線小岩川~あつみ温泉間の土砂崩れの発生により、寝台特急・特急が運休、普通列車も間引きの上バス代行運転、そして日本海縦貫線コースの貨物列車も運休(新潟~酒田間トラック代行)、全面復旧までには相当の日数がかかるとか。このところ、JRの羽越線といえば中越地震、脱線事故、そして今回の土砂崩れと御難続きである。特に貨物列車に関していえば日本海縦貫線は輸送上重要な区間であり、「災害に強い」ことが売り物としてモーダルシフトを推進しようとする論法をあっさりと覆してしまっている。これまで鉄道を利用していたがトラック輸送に切り替えた顧客が大勢いるというくらいのものである。もはや「鉄道は災害に最も弱い」交通手段といってもいいだろう。

天災は致し方ないとして、JR東日本のHPを見ていると、「羽越線の運転計画について」というリンクがあったので、今後のダイヤでも載っているのかとクリックしてみるが、出てきたのはなんと昨年の脱線事故を受けての羽越線の運転計画とか代替措置。

あのね、今利用者が知りたいのは、この災害を受けてどうするかということでしょ。今はそれがトップに来るべきではないかな。

JR東日本のHPを見ると、何かのコンテンツを見ようとする前に必ず「羽越線脱線事故のお詫び」というのに出会う。確かにどこぞの鉄道会社にように事故を風化させないという気持ちはわかるが、そんなお詫びのポーズにこだわっている場合ではないでしょ。現状がどうなのか、これからどうするのかという姿勢を強調すべきではないか。

こちらも一日も早い全面復旧を願うばかりである。

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夏祭り

2006年07月22日 | ブログ

夕方、部屋の窓の外からドンドコドンドコいう太鼓の音が聞こえてくる。そろそろ外も暗くなってきたので、夕食に一杯ということで外に出る。

太鼓の音の方向に行ってみる。音の発生元は近所の公園で、どうやら今夜は夏祭りのようだ。屋台も多く出ており、近所の人たち、子どもたちで賑わっている。

Pic_0139 広場の中央には櫓が組まれ、その中で太鼓を叩く人、櫓の上で踊る人、そして櫓を取り囲む三重の輪。グループごとに異なるいろんな色彩の涼しげな浴衣をまとった「昔」女の皆さんが手さばき、足さばきよく輪になって踊っている。中には浴衣のよく似合う「今」女の姿も見え、思わず見とれてしまう。

演目は東京音頭、炭鉱節、葛飾小唄、なぜか河内おとこ節などが繰り返しスピーカーから流れる。その節回しに大太鼓の音色がつくと完全にお祭り仕様だ。

しばしの時間、夜風と浴衣から来る涼しさに身を任せたのでした・・・。

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欽ちゃん球団解散へ~

2006年07月19日 | ブログ

今朝の芸能面を大きく飾ったのが、極楽とんぼ・山本の「不祥事」。未成年の女子に酒を飲ませて淫らな行為に及んだということで、所属の吉本興業が彼の解雇を決めたとのこと。「極楽とんぼ」のコンビ解散とか、レギュラーを多く持っているためテレビ局が対応に追われるとか、そういう報道がなされていた。

私は特に極楽とんぼのファンというわけでもなく、かといって山本が嫌いというわけでもない。このニュースを聞いて、まあ有名人の不祥事、いきなり解雇は気の毒かもしれないが、一般社会にこれをあてはめた場合どうなるかとか、「反社会的行為」と会社が厳重に判断したのであれば仕方がないなという感じだった。

ところが、ヤフーを検索していると、「欽ちゃん球団、解散決定」という見出し。これはあの「茨城ゴールデンゴールズ」に山本が所属しており、球団の主宰である萩本欽一さんが「申し訳ない気持ち」ということから、球団の解散を決めたというもの。

これを見て、正直キレた。

ゴールデンゴールズといえば、当初は欽ちゃんの球団ということでタレント性が先行していたが、試合のたびに多くの観客を集め、また人気だけではなく実力も兼ね備えている球団。単なる草野球チームではなく、昨今廃部・休部が相次ぐ社会人野球からあふれた選手たちの受け皿として、クラブチーム復興のさきがけともいわれたチーム。

そのチームが、選手がいないとか、資金がなくなったというのでなく、選手の不祥事で「解散」まで追い込まれてしまう。世論は「解散する必要はない」と言っているし、私もそう思うのだが、やはり「反社会的行為だから」と言われれば反論できなくなってしまう。

何とか「山本を野球でシゴいて更生させますから」という言葉を聞きたかったのだが、昨今取り巻く未成年者への犯罪行為(この場合は児童虐待とかロリコンが元の性犯罪とは色合いが異なる気がするのだが・・・)に対する処分が甘いとかいう世論が強いのも確か。その点から行けば、そういう結論を出さざるを得ないのか・・・。

だとすれば、山本のした行為は日本野球界に対する裏切り行為である。

何が「極楽とんぼ」じゃボケ!

地獄へ堕ちろ!!山本!!!

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河口湖へ

2006年07月17日 | 旅行記C・関東甲信越

3連休の2日目。東京近郊区間のJR乗り放題の「ホリデーパス」を手に、東京の中央快速線ホームに現れる。先週は房総半島の鉄道を乗りに出かけたので、今日は方向を変えて東京の西部を訪ねようと思ったのだ。青梅あたりがいいかな。青梅鉄道公園や昭和風のレトロの町などもまだ行ったことがないし。もし時間があれば終点の奥多摩までまた行ってもいいかな。

ところで、乗車したのが高尾行き。青梅に行くには途中の立川で乗り換えるのが便利である。ところが、青梅に特に急ぐわけでもなく、高尾というところも通っただけでよく知らないから、この機会に高尾まで行って折り返してもいいかなと、そのまま乗車。

高尾駅ではホームの反対側に115系の「スカ色」の列車が停まっており、甲府方面に接続していた。それを見て思わず乗りたくなった。若干でも「汽車旅」の風情を味わおう、どうせ「ホリデーパス」は途中の大月まで有効である・・。ということで「スカ色」に揺られ、小仏峠を越える。途中の車窓は通勤圏の中央線から山岳路線の中央線に移り変わるところで、汽車旅の風情として充分なものだった。特急通過のため山中の小駅で数分停車するのも、鈍行の旅らしい。

P1010506 大月で下車する。ここで引き返すことになるが、ただ行って帰るのも惜しい。また大月からは河口湖まで富士急行が通っている。こちらも乗ったことがないし、ここまで来たのだから行ってみるかと、JRとの連絡改札口で河口湖までの乗車券を求める。

P1010507 ちょうど昼時、ホームには弁当の立ち売りが出ていた。私鉄ホームでの駅弁は珍しく、昼食として「ほろほろランチ(1150円)」を買い求める。「ほろほろ鶏」という地鶏を使用した弁当であるが、甲州ワインの小瓶が入っているのがうれしい。(つまりは、見本の写真でこれあるを確認したから買ったようなものだが・・・)富士急行の車両はボックス席もあり、車内で弁当を広げても違和感がない。

さて発車。少しずつ高度を上げていく。辺りは山中の田園風景なのだが、屋根を見ると落雪防止のストッパーがつけられている。冬はそれなりに積雪があるのだろう。

富士急行というからには富士山の姿が見えてもよさそうなのだが、一向にその気配がない。やはり曇っているからかなあ・・・。途中で方向転換をした富士吉田や、新型ジェットコースター「ええじゃないか」の登場間近の富士急アイランドでも富士山の姿は見えない。天気予報にさほどこだわらず、そもそもここまで来たのがとっさの思いつきであるからして、雲がかかって富士が見えないのは仕方がない。もし本気で「富士を見たい!」という計画を立てているなら、来る日をもう少し検討したことだろう。

山小屋風の河口湖駅着。駅舎を改築したばかりとかで、観光案内や物産販売をやる棟はもうすぐのオープンという。駅前は観光客で賑わっている。外国人の姿も多い。ただ私の気のせいか、白人の欧米人よりは、中国・韓国や東南アジア、インドあたりの顔つきをした人が多く見られる。少なくとも英語ではないいろんなお国言葉が飛び交っているように聞こえる。

せっかく来たのだからこのまま折り返しの電車で引き返すのも無粋なことで、私もしばし河口湖畔を散策しよう。歩いて10分ほどで湖畔に出る。有名観光地らしく、旅館や土産物屋が軒を連ねる。双方向ともにいろんなナンバーのクルマで道路は渋滞。

P1010514_2 その中で、「カチカチ山ロープウェイ」というのにたどり着く。河口湖畔の天上山のロープウェイのことなのだが、おとぎ話に伝わる「カチカチ山」の伝説はこの山が舞台だったという。この山上の展望台からは富士山と河口湖の両方の眺望が楽しめるということで、湖畔の人気のスポットである。

P1010520 しかし・・・・雲は晴れず、結局富士山の方向に見えたのは麓の広大な樹海と、左手にわずかに望める稜線の姿・・・それも少し上に向かうとたちまち雲の中に消える稜線。稜線の伸び具合から山頂はあの辺りだという見当はつくのだが・・・あとは想像で補うしかない。

P1010519 その代わりに出迎えられたのが「カチカチ山」のタヌキとウサギのご両人。薪を背負ったタヌキが、ウサギに火をつけられて逃げ回っている姿だ。記念撮影のオブジェになっているのだが、あの話ってよく考えてみれば残酷なものであるなあと思い出される。そのあたりは太宰治も『お伽草紙』の中で書かれている。

P1010525  P1010533山上からの帰りはロープウェイではなく徒歩を選択し、40分ほどかけて下山する。途中はあじさいの群生地となっており、山中に育つ無数のあじさいを愛でる。鮮やかに色をつけたもの、これから花を咲かせようとしているもの、さまざまにある。ちょうど雨で水を含んでおり、花の表情から生気を感じ取ることができる。富士山が見えなかったのは惜しいことだが、これらあじさいとの出会いは充分にそれを補えるものであった。

P1010547 天上山公園の後は、結局ほど近い遊覧船に乗ることにする。この河口湖、湖上は実に賑やかである。手漕ぎボートにはじまり、白鳥の形をしたペダル式のボート、さらには「モーターボートで最速で河口湖を周遊する」とか、釣り糸を湖上から垂れる意味での簡易ボートとか、いろんなのが湖を我が物顔に走っている。手漕ぎボートはまだいいとして、モーターボートがしょっちゅうエンジン音を垂れ流して回るのが傍若無人な振る舞いに見える。あれでよく衝突事故が起きないなあと思う。

晴れていれば富士山が湖越しに見られるのだが、今日のクルージングではそうはいかない。稜線がわずかばかり見えるくらいだ。それでも大勢の観光客が「あの辺」に向けてカメラを構える。涼しい風を味わえたのはよかったが、あまりのボートの多さに、「湖をこのように使ってもいいのか?」という思いも。

P1010551 河口湖駅に戻り、帰りの列車まで時間があったので駅前の民芸調の店で山梨名物の「ほうとう」を味わう。大きな鍋に盛られたそれを大汗をかいて味わう。少し早い夕食だが、栄養のバランスもよく、腹持ちもよい。外に出るとちょうど雲が晴れてきて、駅舎の向こうに黒い姿の富士山が顔をのぞかせていた。もう少し早く晴れていればなと残念に思う。P1010553

P1010560 さて河口湖からの帰りは富士急行が誇る(?)、「フジサン特急」に乗車。おそらく元は名鉄のパノラマカーだったと思われる車両を改造して、最前部の展望シートにラウンジ、前との間隔の広いリクライニングシートを設けた「観光特急」である。また車体にはさまざまな表情の富士山のイラスト。この展望車両に乗るには通常の特急券のほかに定員制の「着席整理券」100円が必要であるが、それを買い求めて最前部に陣取る。P1010557

P1010562 富士吉田までは先頭を走るが、ここで方向転換、最後部となり、流れ行く景色を眺めることになる。来た時には見られなかった富士の輪郭がくっきり見えるようになった。こうして見ると、やはり大きいし、稜線がきれいな三角形である。最後に来て気持ちを満足させてくれるものだった。

この次は天気のいい時を見計らって、今日回れなかった美術館等のスポットも含めて回ることにしよう。富士急行の旅も楽しみである。

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夏寄席

2006年07月15日 | まち歩き

このところ連日の真夏日の日本列島。今朝も朝から熱気がムンムンしていた。

昨夜は会社の同期と入社式以来の再会を果たし、ビールに紹興酒に韓国焼酎などを終電間際まで飲みまくったため、帰宅後そのまま眠った形。ただ早朝、窓から差し込む日光と熱気で思わず目がさめてしまった。

今日から暦の上での3連休。各地の行楽地や交通機関は賑わうことだろうが、私は特に泊りがけの旅行は企画しておらず、近辺で過ごすことにしている。

さてどこに行こうかと思案するうち、寄席にでも行くことにする。少なくとも屋外で過ごすよりは冷房がある分快適だろうし、久しぶりに落語を聴くことができる。というわけで、浅草演芸ホールに向かう。連休のこととて団体の予約も多く、満員の盛況である。

落語の中には四季の風情を盛り込んだ話が多くあり、この日も「青菜」や、両国の川開きを舞台にした「たがや」といったネタがかけられた。こうした古典落語の中で、当時の人たちの夏の過ごし方、涼の取り方というのもうかがえる。

屋内にいたのでわからなかったが、公演中ホールの壁の向こうでゴロゴロいう音がする。最初は何かの機械の音かと思ったが、雷の音のようにも聞こえる。すると果たして、外では落雷を伴う突然の雨だったようだ。ある噺家などは、「外は突然の雨のようでして、これで夏が本格的になるんでしょうか。ま、アタシの予想では、昼の部が終わる頃にはやみますんで、どうぞ最後までごゆっくりお楽しみください。アタシが出てきた時にちょうど帰った人は土砂降りのずぶ濡れで・・・ザマミロ」

公演が終わり、果たして外は雨上がり。元々気温が高い上に人通りで賑わっており熱気がものすごい。演芸ホールから仲見世通りも行楽客、観光客でごった返している。人形焼の砂糖の香りが熱気を通して伝わってくる。

浅草といえばデンキブランの「神谷バー」がある。この暑さだ。生ビールのジョッキをグイッとあおって・・・と気持ちが傾くが、昨日来の飲みすぎになってしまうため今日は自重。また体調万全の時に、改めて楽しむことにしよう。

明日、あさってくらいは雨の予想だが、その雨が過ぎればいよいよ梅雨明け、本格的な夏の到来である・・・。

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「8時半の男」逝く

2006年07月13日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

プロ野球元巨人投手で、巨人、中日などで投手コーチを務めた宮田征典氏が死去したという。

宮田投手といえば「8時半の男」というニックネームというか枕詞のような言葉がどこに行ってもついてくる。昭和40年代に活躍したリリーフ投手。その出番が試合終盤、だいたい8時半くらいだったことからついた愛称が「8時半の男」。当時の川上監督も試合運びに余裕のある時など、わざわざ時計を見てちょうど「8時半」にマウンドに送り出したことがあるとか。

プロ野球も70年以上の歴史の中でさまざまなニックネームやら愛称やら異名がつけられた選手が数多くいる。その多くがその選手の枕詞のようなもの。その中で「8時半の男」と、時間を冠せられた選手というのかそれまでもなかっただろうし、今後も出てこないだろう。それだけインパクトがあったということだろう。

そのためか、プロ野球以外のところでも「8時半の男」というのはたくさんいる。そのココロはやはり「決まってその時間になると現れる男」ということなのだが・・・。

私も今の運輸業界に入って現場で働いていた時に、数あるお客の中でよく配達時間を「8時半」に指定してくる会社(倉庫)があった。もっとも「8時半」といってもこちらは午前の8時半だけど・・・。その会社の配達がある時には決まってこのドライバーというのがあったのか、翌日の配車を組むときに、操配担当のおっちゃんが「○○さん、明日は「8時半の男」で頼むよ!」というのが合言葉のようになっていた。かくして○○さんの明日の朝の仕事はその会社への配達ということになるのだった。「8時半」の男として。

まあ仕事に限らず、飲み屋に行っても「8時半の男」というのはたくさんいるだろう。遅めの仕事を終えて店に来る、あるいはどこかで一杯ひっかけて、「満を持して」8時半頃お繰り込みになる・・・。

現役時代では今のリリーフ投手の草分け的存在であったが、コーチになってから、あるいは解説者としての理論というのも優れたものがあった。

その早い死去というのが惜しまれる。

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『ひとたびはポプラに臥す』

2006年07月12日 | ブログ

「上質のわかる人」宮本輝の紀行作品。講談社文庫版。全6巻。(ただし購入したのはブックオフだったので、安く入手)現在序盤の1、2巻まで読了した。

406273261001_1  4世紀のこと、仏教を中国に伝えるのに自分の「使命」を見出した鳩摩羅汁という人物がいた。その足跡をたどろうというのがこの紀行のきっかけである。舞台はシルクロード。「上質のわかる人」宮本輝、シルクロードとくれば、さぞかし悠久の大地を行くロマンあふれる紀行文であろう・・・。

アジアの旅行記というと完全武装したお大名旅行か、あるいはバックパッカーの危険を冒した旅行のいずれかに分けられるように思う。特に後者の書くような旅行記は、「これぞアジアの真髄を味わう歩き方なのだ。てめーら一般人にはできねーんだよ」という臭いがプンプンして、とても読む気にはなれないのだが。(だいたいどういう作家の書くものか、頭に浮かべられるでしょう・・・?)

そこに来ると「上質のわかる人」宮本輝の旅行記だから、「作家先生」にありがちな、編集者やガイドを肴にして贅沢な旅を進めるようだが(現にこの旅行記には、宮本輝の次男という人が同行している。何で大学生の息子なんか連れて行く必要があるのか?)、いざ大陸の旅を始めてみて、この紀行が実に厳しいものであることがつらつらと書かれている。

厳しい自然(酷暑、砂漠)、衛生の悪さ(料理店やホテルやトイレの衛生の悪さ、また水や料理のせいで中国人のガイドを含めて全員が腹の調子を下したことの描写が多い)、そして「共産主義」と「辺境支配」を行っている中国政府への不満(公然とワイロを請求する役人、シャッター1回押すのに何百元もせしめようとする史跡の役人など)、そして貧しい人々を間近にしての、中央政府への憤りなど。

406273262901 これを読む限り、宮本輝の紀行が決して大名旅行というわけではなく、またバックパッカーのように冒険慣れしていない、限りなく「一般人」の旅であることがうかがえる。その中で音をあげかけたり、ガイドや同行者に当たるような場面が出たり、率直な感情が描かれているということで読む文に面白い。今はそのあたりが前面に出ており、鳩摩羅汁はどこに行ったのかと思うくらいだ。読者もその場に居合わせて一緒に暑がることができるくらいのリアルさがある。

「シルクロードというものをロマンチックに伝えやがったのは、どこのどいつだと怒鳴りたい気分です・・・」

この一文の中に、辺境紀行の実際の過酷さが込められているように思う。(これはNHKだったり、喜多郎だったり、あるいは井上靖だったりするかもしれないのだが・・・)

1~2巻を読み終えて、筆者のイライラは最高潮に達しようとしているところ。さて、この後はどういう紀行が繰り広げられるのだろうか・・・?

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「Be TARO」岡本太郎『明日の神話』公開

2006年07月11日 | まち歩き

「Be TARO!」 日本テレビでこのところよく目にするキャッチコピーであるが、そのコピーの元となった岡本太郎の幻の名画とされる『明日の神話』が汐留の日本テレビ広場で修復・公開と相成った。

P1010502 その芸術観で多くのファンを持つ岡本太郎の作品が陽の目を見るということで、公開直後の汐留は大賑わいである。私も、先の記事にある房総半島横断の鉄道乗り歩きを終えて、千葉まで出て総武快速線で新橋までやってきたのであった。

この『明日の神話』。メキシコシティのホテルの壁画にと依頼されたものだが、そのホテルの経営が悪化したために結局壁画として飾られることなく、いつしか行方不明となり、最近になって発見され、修復を進めたという巨大壁画である。

P1010496 さて日本テレビの広場に横たえられた巨大壁画。あたりは人だかりがすごい。正面がオープンカフェとなっており、そこでベンチに腰掛けてコーヒーでも飲みながらゆったり鑑賞できるのだが、その前で記念撮影する人も多い。また、作品を間近で見られるステージに上がるための行列も長く続いている。老若男女、外国人の姿も多く、それだけ「岡本太郎の作品」というのはインパクトのあるものだなと感心する。

せっかくだからと私も行列に並び、ステージに上がって間近で鑑賞する。原爆の落ちた瞬間をモチーフとし、その炸裂の瞬間に残酷な悲劇を内包しながら、その瞬間に「明日の神話」が生まれたというのが岡本太郎のメッセージだったとか。

P1010494_1巨大壁画を端から端まで見て、そういうテーマといわれればそうかいなという気もするし(確かに被爆した人間と思われる骸骨姿の人間が中央に描かれているし・・・)、実際にヒロシマ・ナガサキで落とされた原爆の炸裂した瞬間に「神話」が生まれるなどという悠長なことを言っているのは被爆者の心を無視したものであるという感じもする。ただ、こうした世界を独自のタッチで表現した岡本太郎の筆力にはうなるものが多い。逆に「原爆の炸裂した瞬間を自分の感性に従って自由に描きなさい」という命題があっても、こういうタッチで描き出すほどの創造力は、私にはない。

P1010490 この作品にこめられた理屈とか、解説者の言などはよくわからないし、余計な解釈というものだろう。これぞ、「芸術は爆発だ!」なのだろうか。

岡本太郎といえば「近鉄バファローズ」のあの「猛牛マーク」を思い浮かべるまつなるです・・・・。P1010504

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小湊鉄道といすみ鉄道

2006年07月09日 | 旅行記C・関東甲信越

千葉県は内房線の五井駅に降りる。千葉近郊の駅として近代的な橋上駅舎なのだが、JRの改札をくぐらずに橋を渡ると、小湊鉄道のホームに出る。橋の上にはワゴンが出ており、弁当や惣菜が積み上げられている。「五井駅名物あさりめし」というのがあり、それを買い求めてホームに下りる。

P1010457 これから乗る小湊鉄道、そして終点で接続するいすみ鉄道に乗り、房総半島を横断するのが今日のお出かけである。ホームにはクリーム色と朱色に塗られた気動車が2両、エンジン音をうならせて待機している。最近の軽快車やレールバスとは違う、いかにも気動車という感じの面構えだ。車両はクロスシートではなく全車ロングシートであるが、これはこういうものだろう。

P1010462 「房総横断記念乗車券」というのを買い求める。小湊鉄道の上総鶴舞駅、いすみ鉄道の大多喜駅が「関東の駅百選認定」された記念ということだが、五井、あるいはいすみ鉄道の起点・大原駅から一方向の乗車で、途中下車自由というもので1600円。普通に買えば小湊鉄道1370円、いすみ鉄道670円ということで、通しで乗る分にはかなりお得。

そこそこに埋まって発車。住宅地と田園地帯が混在する中を走る。田植えを終え、少しずつ育っている苗。このところすっきりしない天候が続いているが、今年は順調に実をつけるだろうか。

P1010463 「海士有木」という駅名を過ぎる。「あまありき」と読む。何だか昔話の世界に入り込むかのようだ。どういう由来の駅名なんだろう。この後、手書き風情の駅名標が続く。

P1010464 こういうローカル鉄道となるとワンマン運転が多いのだが、小湊鉄道は車掌が乗っている。しかも女性、そのうえ途中の上総牛久まではドア扱いと車内精算用で2名乗車。道中無人駅が続くのと、JRからの乗り換え客が多いが、JRホームとの間に専用の改札を持たないため、そういう人たちへの車内券売りが多いのだろう。

小湊鉄道の中心駅ともいえる上総牛久で半数の乗客と車掌1名が下車し、車内はのどかなローカル線となる。「関東の駅百選」の上総鶴舞も過ぎるが、車内から見た目には周りに何もない、古びた駅舎としか見えない。ここで途中下車しても時間を持てあますだろうな。

P1010465 乗客も減ったので、ここで五井で買った「あさりめし」を開ける。コンビニにあるミニ弁当のサイズであるが、あさりのだしがよく効いて風味がよい。小ぶりながらあさりの身もふんだんに入っている。これで300円。

車窓はすっかり山あいで、沿線随一の観光地である養老渓谷に到着。ここで、残っていたほとんどの乗客が下車する。残ったのは同じように房総横断中とおぼしき人ばかり。車内や沿線パンフレットでもハイキングコースの案内があり、緑と水蒸気の景色を楽しむのだろう。私も下車してもよいのだが、いすみ鉄道との兼ね合いもあり、そのまま乗車。

もう一駅走り、上総中野着。ここで小湊鉄道はおしまい。隣のホームがいすみ鉄道のホームであるが、見た感じでは完全に一つの駅。駅舎も木で組んだ簡単なつくりである。こういう接続駅というのも珍しい。

P1010473 次に乗るいすみ鉄道は、もともとは国鉄の木原線である。ものの本によれば「木原」というのは「木更津」と「大原」いうことで、大原から木更津を目指して建設されたのが途中で頓挫したとか。また小湊鉄道の「小湊」も、外房にある地名で、こちらももともとは房総横断を目指していたとか。そのいずれも志半ば?で挫折し、この上総中野で出会って「房総横断」が相成ったということか。

P1010475 いすみ鉄道の「いすみ」という言葉が聞きなれないが、このあたり「夷隅郡」というのだそうだ。夷隅川というのも流れている。「夷隅」という地名の由来も気になる。「夷」=「東夷」ということで、「東の隅、端っこ」とでもいう意味だろうか。沿線は菜の花の多いところで、レールバスの塗装も菜の花色なのだが、この時期はあじさいが目につく。

いすみ鉄道の中心駅、大多喜に着く。このまま乗りとおすのもよいが、ここで途中下車しよう。いすみ鉄道の本社や車庫もある、沿線の中心部。駅の向かいには「観光本陣」という新しい建物もあり、半島の観光案内をやっている。

P1010479 この大多喜、徳川家康家臣の「四天王」の一、本多忠勝が封ぜられた土地で、後に本多家から松平家に引き継がれた10万石の城下町である。房総半島の中央にあり、江戸の東側(外房側)の守りを固める役割を果たしたのだろう。その大多喜城は駅の裏手の山に立つ山城だったというが、現在千葉県立博物館の分館として天守閣もどきが建てられているとのことで、蒸し暑い中、山道を歩く。本多家にまつわる書状や武具の展示、大多喜の城下町の様子の紹介がなされ、なかなか充実していた。

P1010484 山城を下り、街中に入る。メインストリートが「鍵屋の辻」状になっており、ところどころに昔作りの建物が残る。また、町屋のつくりを再現した「商い資料館」というものもある。パンフレットには「房総の小江戸」とあるが、観光を大々的にPRしてというのではなく、あくまでひっそりと佇んでいる。逆にいえば観光ズレしたような感じがなく、いすみ鉄道に乗ってちょっと途中下車して歩くのがちょうどいいサイズである。P1010482

一つ惜しかったのが、「房総中央鉄道館」。これも町屋風の建物で、パンフレットには旧木原線をはじめとした千葉県内の鉄道に関するグッズ展示や、鉄道模型の運転などが行われるとあったのだが、入口からのぞくと「現在改装中で見学不可」とある。ちょうど展示替えなのか数人の人が作業していた。何も日曜にやることないのに・・・と思うが、逆に普段仕事を持っている人たちが、日曜日を利用してボランティアで運営しているのかもしれないし、夏休みを前にして準備中とも見える。駅名標の展示などを外から眺めて、駅に戻る。

P1010486 次に乗るのは大多喜始発の大原行き。私以外は大多喜の高校生ばかり。ここからは辺りも開けて、半島の外側に出たことがわかる。30分足らずで大原着。これで半島横断が完成。もう少し歩けば海岸に出ることもできる。また外房線で半島一周の旅もできる。ただ今日のところは天候も今ひとつだし、青春18の客でもないのでそのまま外房線で千葉方面に戻る。今や113系の「スカ色」も珍しい存在となった。

短時間ながらなかなか味わいの深い鉄道の旅であった。P1010468

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綱取り・大関復帰なるか?

2006年07月08日 | ブログ

明日9日から大相撲名古屋場所。サッカーW杯とプロ野球の陰に隠れて、「そういえば明日からだったっけ」という感じ。大相撲の興行が始まる時はいつも「もうそんな時期になったんだ」という思いをする。

名古屋の夏は非常に蒸し暑いという。毎年そんな7月に名古屋で興行をするのだから、力士たちも大変である。

さてこの名古屋場所、先場所新大関で優勝の白鵬が連覇で横綱昇進がかかる。でも、大関2場所ってのも、なんだか味気ないような気もする。横綱朝青龍が眼前に立ちはだかることになるか。

私個人としては、大関復帰を目指す雅山に期待したい。これまで順調に勝ち星を重ね、9勝で大関昇進の目安となる33勝に到達、もちろん2ケタ勝てば確実なところだろうが、えてしてこういう時にかぎって8勝止まりとか、あるいはあっさり負け越しなんてこともある。横綱・大関とあたる前半戦をどう乗り切るかだろう。

その一方で、把瑠都の存在も侮れないといったところか。

今や日本・モンゴル・ヨーロッパの三つ巴の様相を呈した大相撲。地味ながら、優勝争いの行方は見て行きたいものである。

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