まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

酒飲み日記

2009年02月27日 | ブログ

本日は会社の上司とともに、尼崎市内某地区にある鳥料理屋へ。

いやこれまで、差し向かいで一献ということもなかったし、ひょんなところから時間ができたものだから、行ってみようかということで・・・(もちろんクルマはちゃんとしまいこみ、その後は運転しておりませんよ)。

途中でビールから日本酒に変わったのだが、能登出身とかいうご主人おすすめの、メニューにない酒を出してくれた。その名は能登地方は珠洲の「歩」だったかな・・・すっきりした飲み具合で、実に気に入ったものであった。こりゃ今季は、能登地震復興後の姿を見るということも兼ねて、石川県にミリオンスターズを応援に行かなければならないかな・・・?

やはり「飲みニュケーション」というのはある程度必要で、こういう席でしか言えないお互いの本音というのを語るのもよいもので、料理を含め心地よい一席に。上司がそれほど「部下に説教を垂れる」というタイプでないのもよかった(これが逆だと、酒の席にいること自体が苦痛で、より萎縮させられるのだが→以前の上司がそんな感じでしたね)。

ということで、久しぶりの酒の酔いに任せて、今夜は休むとします。

明日は早起きして、いざ「南国」へ出陣です・・・・。

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九州新幹線は「さくら」

2009年02月26日 | ブログ

2011年に山陽・九州新幹線が直通運転する(もう再来年の話なんですね)のに合わせて投入する新型車両の愛称が「さくら」に決まったという。

応募の中からもっとも多かった名称ということもあるし、親しみやすい呼び方でまずは順当といったところではないだろうか。

新大阪から鹿児島中央まで約4時間。市内中心部へのアクセスを考えれば航空機ともいい勝負である。鹿児島までといわずとも、熊本へも一直線。ぜひこの機会に(別にこの機会まで待たなくてもよいのだが)九州南部へと出かけたいものである。

一方でこのところ聞かれるのが、整備新幹線の建設費の地元負担の増額要求に対し、新潟や佐賀の知事たちが「NO」を突きつけた形となる予算編成を行ったこと。どうもこの「整備」という言い方がいかにも政治臭がして好きではないのだが、こうなるとそもそも「誰のための新幹線」という根拠がわからなくなってくる。

地元が本当に熱望し、優先順位一番に掲げているのならほかの予算を削ってまでも積極的に協力するところだろうが、この対応を見る限りそうではないということ。まあ、佐賀の場合は現在の交通網でも福岡に出るのはそんなに難しくないし(空の便にしても、佐賀中心部から見れば佐賀有明空港と福岡空港のどっちが便利かは自明)、新潟の場合も北陸新幹線の対象が比較的人口の少ない上越地区だけで、県としてのメリットが薄いということがあるのだろう。

交通インフラの整備は重要なことで、必要なところにはきちんと投資してしっかりしたものを造る必要があるが、どうもその進め方がしっくりいっていないようで・・・・。こういうところの意識のズレが、将来開通した後の運営に微妙な影を落とさなければよいのだがと思う。

新幹線も高速道路も結構だが、私としては、他のアジア各国の施設に比べて貧弱な国際空港と貿易港をもっと何とかせえと言いたいのですが・・・。

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大阪の公立高校入試始まる

2009年02月25日 | ブログ

今の職場への通勤はクルマ。これまでのように、電車の中で書物を読んだり、あるいは帰りに一杯引っかけてみたり、中吊り広告を見て情報を仕入れるということはできなくなったが、その分ラジオを聴きながらというのが現在の楽しみというところ。

・・・といっても、公共の電波で毎朝某球団の応援歌をわめき散らすようなおやじがパーソナリティを務めるどこぞの放送局などは一切聴きません(こういうのは電波法に触れないのか)。朝からこんなのでイライラさせられるのは敵わないので、まあ音楽を楽しむということで、FM。好みはやはり「802」ですな。

この時期受験シーズンということで、FMでも受験生向けのエールやメッセージが流れる。私が母校となる大阪の公立高校を受験したのはもう20年も前になるが、その頃でも今でも受験勉強の友にはラジオが欠かせないということだろう。

その中で言っていたのだが、24日は大阪の公立高校の「前期入試」の日だということ。へえ、公立の入試は3月の中頃ではなかったかしら。しかも前期・後期って、大学の二次試験じゃあるまいし。

調べてみると私が受験した頃とは高校の学科制度や入試制度そのものが随分変わっているようで、9つまであった学区も現在は4つにまでなっているとか。大阪を離れている間にいろんなことになっているのだな。もっとも、橋下知事の会見でも知られるように大阪の学力低下が叫ばれており、いろんな入試制度もよいが、それ以上に高校での授業内容というのを充実させてほしいものである。

P2166184ともあれ、受験生の皆さんには見事な「サクラサク」の知らせが届くよう、心から応援します。

(追記)

FM802の2月ヘビーローテーションで流れている、植村花菜の「ありがと。」。これから春を迎える温かい感じのメロディと素直な感じの歌詞で最近のお気に入りです。2月にリリースしたシングルのカップリングですが、このシングル、「地元・関西限定発売」とのことですな。ちょっくら探しにいってきます。

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WBC代表決定

2009年02月24日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

久しぶりに野球の話。

3月に開催されるWBCの代表選手28名が決定。オリックス・バファローズから唯一候補に選ばれていた小松投手も見事代表入り。まあ、関西のマスコミは揃って「岩田残留」の記事ばかりでしたがね。

その一方で、代表から削られた5名の選手はお気の毒。特に、国際試合での経験豊かな松中・和田というソフトバンクの両主力が脱落というのも、選考が難しいとはいえ「一つの時代が過ぎたのかな」という気がする。

北京五輪の時には中継ぎ専門の投手が少なく、9回の表にリードしている場面でしか登板しない抑え投手や慣れない先発要員を中継ぎに起用して逆転負けを食らったが、今回は中継ぎ専門職や経験者も配置している。このあたりは原監督の配慮でもあるだろう。

それにしても、代表合宿が連日の大賑わい。まだまだ野球人気も、捨てたものではありませんな。このまま頑張ってほしい。

強化試合が大阪であるのだが、うーん、仕事で観に行けないのが残念だ・・・・。

その代わり、近々あるところに現れる予定です。

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友よ、風に抱かれて

2009年02月22日 | ブログ

21日夜は久しぶりにミナミへと繰り出す。やはりたまにはこういう繁華街にも顔を出さないとね。

会ったのは大学時代の同級生たち。元々この日に集まる予定だったのを、私も東京から関西に戻ったということで、帰還祝いというわけではないがお誘いを受けたというもの。

集まった中には、脱サラして農業を始め、ようやく軌道に乗り出したというI君や、10年ぶりくらいの再会となるT君(彼は在学中に付き合っていたゼミメイトのNさんと結婚しており)などいたが、皆卒業後のそれぞれの人生を充実させているようで、元気な顔でよかった。

飲んだのは千日前の「仲右衛門」という居酒屋の小上がり。この店、民芸調のなかなか風情ある店で、料理も安い。サラリーマンだけではなく学生でも十分楽しめる感じ。こちらでは自動車通勤でこういう店に入ることがなかなか少なくなったが、ここぞとばかりにまた調子に乗ってビールのジョッキをあおる。

いやそれにしても、当時の同級生たちのことに話が及んだり、いろんなアホなことをしゃべったなあ・・・・。途中で、T君の細君となったNさんにも電話で出てもらい(私のことを覚えていてくれて安心しました。でもまあ、せっかくだから一緒に来ればよかったのに・・・)、またようわからんことを言っていたようで。

量が過ぎたようで、久しぶりに、帰宅してそのままバタンという仕儀になったが、楽しいひと時を過ごすことができ、またこれからのエネルギーになった。

みんなありがとう。

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『海民と日本社会』

2009年02月19日 | ブログ

『海民と日本社会』網野善彦著、新人物往来社刊。

4404026315日本の歴史というのは、大和朝による律令制度に始まり、古代の荘園、鎌倉武士の本領安堵、戦国時代の領土分捕り合戦、江戸時代の藩制に士農工商・・・と、土地や農業というものに力点を置いた社会の発展という側面が強く、またそれが基本として教科書や学校の歴史の時間に教えられている。

そうした「農業中心」の歴史観に異を唱え、特に「海民」というのに視点を置いた歴史を語っていたのがこの著者である。

「海民」というのは何も漁業関係者というだけではなく、海を舞台にして交易を行っていた人たちも含める。そういう人たちは農業中心の支配制度では「土地を持たない水呑百姓」に分類される。「水呑」といえば本当に困窮していた人たちというイメージであるが、そもそも土地を持つ必要もなく、また海の世界で莫大な利益を上げていた者も大勢いたようである。そういう「海民」が商業活動をリードしていたからこそ、近代の貨幣経済にもスムーズに移行できる下地があったともしている。

この本は著者がかつて発表した論述や講演をまとめたもので、同じ主張が何度も出てくるが、それをさまざまな地域や時代の事例として読めば、これまで学校で教えられた歴史観も変わるというものである。

中でも、

「田畑が少ないから貧しいという常識は全くの誤りである」

「百姓とは農民のことではない」

ということが繰り返し述べられている。このうち「百姓」とは、農民ではなく、それこそ「百の姓」、つまりはさまざまな職業の「人々」というのが本来の意味だったとか(中国語の「百姓」は現在でもそのような意味で使われており、そのことからも網野説は納得できる)。

また現在は東京を中心とした陸路交通、あるいは航空網の充実ぶりで「便利」「不便」を使うが、それらが発達する前はむしろ海上交通が交通網の中心であり、人々の活動ぶりからして「日本海が裏日本」ということなどあり得なかったという。いかにここ最近の視点からの解釈で、歴史の側面が見落とされていたかということへの警鐘である。

なかなか、うならせるものがありましたな。

・・・ということで、「海民」に敬意を表するため、「魚民」にでも行ってきますか・・・。

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春闘開始、大幅なベースアップ要求

2009年02月18日 | ブログ

2月から3月にかけての年中行事である春闘の団体交渉が始まった。毎年先陣を切り、その結果が他の業界にも影響を及ぼすという自動車労連の要求が行われたとの報道。

その中を見るに、多くの労組で大幅なベースアップを要求、会社側はかつてない業績悪化を理由にベースアップゼロ回答もあり得るとの姿勢とか。

私も組合員なので、組合の要求が全て通って賃金が上がり、少しでも余裕のある生活というのは望むところである。組合側も、賃上げこそ最大の景気対策といきこんでおり、昨今の民主党への追い風も武器にして強気の要求をしているようだが・・・。

ただどうなんだろう。一歩引いてみればこれは「下手糞に絵に描いた餅」ではないだろうか。それを強気に出されたら、会社だって態度を硬化させるでしょうに。私が経営者なら「今の待遇に不満だったら、いつでも辞めてください」と言うかもしれません。

会社がコケる。いかにこれまでの内部留保があるとはいえ、何百億の黒字見通しが、何百億の赤字、トータルで桁外れの落ち込みという企業がゴロゴロしている現実の中で、例年以上のベア要求。これはあまりにも現実外れとしかいいようがない。要求することが組合専従の仕事というのがわかっていても、「あんたら、もっと地に足ついたことを言ったほうがいいのでは?」と思いたくなる。

まあ、世間で派遣社員が何万人切られようとも、組合にとっては「組合費を払ってくれる従業員」が「お客様」ですからね。派遣社員含めた非正規雇用の人たちは関係ないんですよ。

ベア要求する組合側に一言。

従業員は目減りしている賃金から組合費を供出しているわけですが、この額を見直そうとか、組合専従も痛みを分かち合おうとか、そういう動きはないんですかね??そういう話は全く出てこないので。

組合のトップは旧共産圏のお偉いさんのような生活を送っているという、「労働貴族」という書物もありましたよね・・・・。

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あきれた個人情報保護

2009年02月17日 | ブログ

本日のニュースといえば中川財務大臣の「酩酊会見」による辞任ということになる。やはり、酩酊状態で公式の場に出てはいけませんな。本当に体調が悪かったのなら欠席するとか、逆にいっそのこと酒の瓶を片手に豪快に怪気炎をあげるとか、いくらでもその場をしのぐ方法はあったかと思うのだが・・・麻生首相も思わぬところでまた窮地に陥ってしまいましたな。

さて、私が気になったのが、和歌山県の中学校で、「卒業式のビデオ・写真撮影お断り」という記事。何でもその理由が「個人情報保護」というものである。

正直、意味が分からない。

まつなるも「個人情報」ということについてはさまざまに考えることがあったのだが、こういう事例は聞いたことがない。過敏な対応もついにここまで来たかという感じである。

ビデオや写真を向けると、自分の子どもだけではなく他の子どもも写る→個人情報の不正取得。その画像が上映されたりネット上で公開される→個人情報の漏洩、プライバシーの侵害・・・という図式ですな。

理屈を突き詰めていけばそういうリスクはあるだろうが、部外者が盗撮するとか、全く関係のない目的で画像を利用するというのではなければ(そうすることは大いに問題なのだが)、保護者が普通に撮影することと個人情報保護というのは関係ないだろう。

やはりこれは多くのブロガーの方が指摘されているように、何かトラブルがあったときに学校がわが身を守るための方便だと言われても仕方ない。個人情報保護と、肖像権の保護を混同しているのかな。いやそうではなく、一部のマナーの悪い保護者対策にアタマを悩ませていることへの言い訳でしょ。

だから、「厳粛な式の進行の妨げとなりますので」ということを堂々と出せば、まだ納得するというもの。ライブなどでの許可のない撮影が禁止されていたり、スポーツなどでフラッシュ撮影を禁止しているのは、肖像権の問題もあるのだろうが、出演者の集中力を殺いだり競技の進行をスムーズにするためのもの。観客も(不満はあるだろうが)それを受け入れているし・・・。

こういうところで「個人情報保護」を正直出してほしくない。本当に保護したいのなら、保護者の立ち入りを一切禁止して、卒業式で卒業生の名前を呼ぶことも、公衆の面前で卒業証書を渡すのも(名前や顔をみんなの前で出すのは個人情報をさらけだすことですから)やめるべき。卒業証書も郵送か何かで十分でしょ。

こういう学校に限って、やれ教職員がデータを外部媒体に勝手に落とし込んでそれを紛失したり、Winnyなんぞに引っかかってデータ流出を招いたりするもんですがね・・・・。

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学級委員長

2009年02月16日 | ブログ

何日か前のネット記事で、「鳥取市の一つの学校で、20年ぶりに学級委員長を置くことにした」というのを見つけた。

よく読めば、「鳥取県内の学校では、20年間学級委員長というものがいなかった」ということで、特に西日本で同じような学校が結構あるというのである。

全然知りませんでしたね。

何でも、学級委員長を置かない理由というのが、「なれない子どもがかわいそう」とか「差別につながる」という、何でも横並び・平等をよしとする主義からという。

一時、「運動会の徒競走で順位をつけない」「走った子どもたちが横並びで一緒にゴールする」などというのがあって、何を考えているのかと思ったが、それと同じ発想がまだ教育の現場というところでは生きているんですね。

確かに「かわいそう」という気持ちはわからなくもないが、「かわいそう」で済ましていいのかな???

大人の社会が全ていいとはいわないが、現実にはグループのリーダーになれる人間は限られる。それは総理大臣が一人しかいない、会社の社長はその会社に一人しかいないのと同じで、そういう構造で社会が形成されている以上、「社会性」を教えるのは学校の役割ではないのか。ただ何も総理大臣や社長だけが偉いのではなく、それをサポートする人を含め、社会におけるそれぞれの役割と責任というのがある。

教育に携わる人たちは、学級委員長を「絶対王政」とか、どこぞの国の将軍様みたいなものとでも思っているのかしら?

「なれない子どもがかわいそう」というのは、学級委員長の選挙というのは「人気投票」の要素が強いからだろう。だからこそ、国会議員でも学級委員長でも「人気」や「ルックス」「イメージ」で選ぶのではなく、トータル面でちゃんと考えて選ぶこと、そして、選んだからにはきちんとサポートすることを教えるべきではないだろうか。また、「なれない子ども」に対してもその現実の中からどう前向きに対処していくかを教えるべきではないだろうか。

一方で子どもの個性を伸ばすだの、自立性を養うだの言っておきながら、全く反対のことをやっとるやないか。

今の子どもたちがどうなるか心配である。

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天橋立と加悦鉄道

2009年02月14日 | 旅行記E・関西

午前中の舞鶴散策を終え、西のほうに向かうことにする。その前に昼食ということで、「道の駅 舞鶴港とれとれセンター」へ。その名のとおり「とれとれ」の魚介類が並ぶスポットである。

海鮮市場の中には海鮮丼を扱う店がある。ここでいただいたのは「牡蠣丼」。最近、舞鶴のほうで冬の味として、また地産地消運動の一環としてPRしているとか。どうしても「牡蠣は広島に限る」と、広島に肩入れしてしまうのだが、舞鶴湾も牡蠣の産地とかで、なるほど牡蠣の繁殖には適しているところだな。

P2115362混雑していたが丼ものということですぐに運ばれた。大振りな牡蠣の身をかまぼこと玉ねぎとあわせ、玉子でとじたもの。だしの味があっさりしている分、牡蠣の味が濃厚に感じられ、なかなかいける。家でも試してみようかな。

さて、クルマを向けたのは天橋立方面。始めは文殊のいる智恩寺に行こうかと思ったが、足を伸ばして北側の成相寺を目指す。とここで、予報どおり雨が降ってきた。しかも強烈に。・・・と思ったらすぐにやんで日差しがさしてきたりして、冬の丹後に来たなと実感させられる。

P2115373成相寺への急勾配をあがる。ギアを1速にしてとろとろと上り、ようやく本堂着。静かにたたずむ観音様に手を合わせ、今後の安全をお祈りする。

さて、天橋立の眺望といえば成相寺から下った笠松公園からの「股のぞき」であるが、寺の看板に「日本一成相山パノラマ展望所」というのがさらに上にあるというので、そちらに出かけてみる。出かけるとはいうが、さらに勾配がきつくなり、そのうえ未舗装。道も凸凹で、オフロード好きならいいだろうが、軟弱なセダン車にはきついぞ・・・。

P2115369そしてたどりついた、標高500mの展望所。ちょうどこの時は運良く雨がやんでおり、何とか日本三景を拝むことができた。ただ風が冷たくて強い。2分と持たずにクルマに逃げ込む始末。

P2115366ここで股のぞき・・・・はちょっとしんどいので、カメラを逆さにして、股のぞき風のアングルをお楽しみください。

今度は急勾配を一気に下り、さらに西へ。福知山への帰り道にあたる加悦を訪問。途中、雨が強くふったりまたやんだりの繰り返し。加悦といえば丹後ちりめんの産地で、古い町並みも残っているのだが、本日のお目当てはかつてこの地を走っていた加悦鉄道の遺構たち。

P2115375まずは、旧加悦駅舎。木造の洋館風の駅舎である。現在は観光案内所として使われており、室内にはかつての鉄道備品が並べられている。開業した大正当時、「ハイカラ」な駅舎として地元に受けたことだっただろう。実際に加悦鉄道に乗車したことはないのだが、古きよき、地方私鉄が元気だった時代の様子がうかがえる。

P2115384この奥に5分くらい走ったところに「SL広場」がある。加悦鉄道を走った123号蒸気機関車(重要文化財)をはじめ、SLや気動車、貨車などがコンパクトにまとめられている施設。雨に降られながらであるが、普段なかなか見ることのできない車両群を見て回るとうなってしまう。

P2115402旅行でも移動の手段としてクルマに乗っているが、やはり鉄道が好きなんですな。丹後の山の中ではあるが、訪れるだけの価値は十分にある。

長かった一日、そろそろ暗くなってきた。この後は大江山を抜け、福知山経由で帰宅。今度は酒呑童子に会いに来ようかな・・・。

最後に、加悦鉄道の車両の写真をいくつか掲載しておきます。

P2115385 P2115394

P2115395 P2115412

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舞鶴港めぐり

2009年02月12日 | 旅行記E・関西

2月11日は建国記念の日。・・・だからというわけではないが、海上自衛隊の基地のある舞鶴まで足を伸ばす。

クルマで通ったことのない未知の道(関西近辺にはそういうのが結構ある)を行こうということで、国道173号線で能勢を経由し、京丹波市を過ぎて国道27号線で舞鶴入り。尼崎からは3時間の道のりである。

時間が早いので、まずは舞鶴引揚記念館へ。戦後、大陸からの引揚者が降り立った港のひとつが舞鶴である。ただ他の港とは異なり、「シベリア抑留」という出来事とも重なることもあるし、最後まで引揚の場所であったことから、その意味合いは大きい。

P2115301記念館の開館まで時間があるので、先に、降り立った桟橋を見下ろす丘に向かう。ここには、生きて帰国したくとも最後までその願いを叶えることができなかった大勢の人々の慰霊のための石碑が立っている。

P2115302「おはようございます」。後ろから声をかけられたのは、「語り部」という文字の入ったブルゾンを着た、ボランティアの男性。「よくここまでお越しになられた。記念館だけ行ってここにこない人もたくさんいらっしゃる」ということから、この舞鶴の海の眺めと、引揚者たちのことについて淡々と語り始めた。改めて、慰霊碑に手を合わせる。

記念館へ。本日は千葉県の木更津から修学旅行生が来るという。京都といえば修学旅行の定番であるが、同じ京都府でも、日本海に面した舞鶴という街を訪れて、平和について学ぶというのもよい試みではないだろうか。

P2115308修学旅行生で賑やかになる前に、記念館の資料を眺める。戦時中の遺品から、シベリア抑留の悲惨さ、そして引揚・・・。さらには「岸壁の母」まで。戦後というと復興目ざましい側面が強調されがちであるが、こうした展示はその背後にある日本の諸相といえる。戦争というのは、戦闘の最中だけではなく、こうして戦後長くなってもさまざまな影を引きずるものであると改めて考えさせられる。歴史を「語り継ぐ」舞台として、一人でも多くの人に訪れてほしいスポットである。

P2115311市街地に戻り、赤れんが博物館へ。舞鶴の観光スポットとして、町の顔とも言える一角である。まずは記念館で世界のれんが、日本のれんがについて見学する。れんが建築というのも各地にあるが、風景に溶け込み、古きよき街の雰囲気を醸し出しており、街歩きの中で出会うのが楽しみである。

P2115346赤れんが博物館の周りにはかつての倉庫群もあり、中にはアートに関するスポットとして生まれ変わった倉庫もある。こうした近代化遺産群を眺めるのは、心が安らぎますな。

P2115354ただ、新しく建てられたというよりは、長い年月、風雨にさらされて自然な感じで色づいた倉庫のほうが遺産として魅力的かな。

P2115357_2かつて舞鶴を訪れた時に見逃していたのが、「北吸トンネル」というところ。東舞鶴から舞鶴港までかつて引込線が伸びていたが、その廃線が地元の人たちの遊歩道として残る一方、トンネルの入り口と内部がかつてのまま残っているという。こちらも近代化遺産である。かつて鉄道貨物が賑やかであった時代に思いを馳せる。

P2115317これらの見学の後は、現在の舞鶴港の顔ともいえる海上自衛隊基地へ。土日祝日は一部一般客に開放しており、護衛艦に搭乗することもできる。引揚記念館で平和を願う一方、現在の日本の平和に寄与しているといえる海上自衛隊の見学。やはり両方訪れてみることが大切だろう。

P2115320この日開放されていたのは護衛艦「あぶくま」。日本海一帯が担当区域であるが、機雷の除去や北朝鮮の不審船対応にもあたったという。

敬礼で迎えられて搭乗。日ごろできない体験とあって、見るもの全てにうなりっぱなしである。船としてのデザインもキリッと締まっている。

P2115329そんな中で、ミサイルや魚雷の発射装置をはじめ、一つ一つの装置に熱心に見入って写真を撮っている人もいる。こういうのって「軍事オタク」というのだろうか。鉄道の「その筋の人」とはまた違った凄みである。

晴天に恵まれた午前中の舞鶴訪問。ただ、午後から天気は下り坂という予報。クルマとはいえ雨に降られるのも敵わないので、先に進むことにする・・・・。

P2115350 P2115353

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赤川鉄橋

2009年02月09日 | ブログ

8日、夕刻に梅田で一献という予定があったのだが、それまで時間があるということで阪急は淡路駅に降り立つ。

淡路駅に降りるのも久しぶりで、気取らない感じの商店街が健在なのも懐かしく思う。学生時代、友人連中との飲み会の場にちょくちょく淡路を選んでいた。阪急の千里線、京都線が交わるということで、どの方向にも帰るのが便利だったということもある。もっとも、当時の仲間内で淡路で下宿していたのはなぜか講義にもほとんど顔を出さないのが多く(中退した者もおり)、陰ながら「淡路病か?」といっていたものである(いや、淡路という街がそうというわけではなく、スンマセン)。

それはさておき、淡路の商店街を抜け、狭い路地を歩く。昔ながらの商店や民家が並ぶ一方で、最近建てた住宅やワンルームマンションなども目立ち、その辺がごちゃごちゃとしている下町的風情を醸し出している。

P2085271そんな中を歩くこと約20分、淀川の河川敷に出る。この日は暖かく、土手で日向ぼっこをする人や、河川敷の遊歩道でジョギングを行う人の姿が目立つ。その河川敷を一本の線路がまたいでいる。白く塗られた橋梁。これが、百済と吹田を結ぶ城東貨物線の「赤川鉄橋」である。

この城東貨物線、現在は貨物線としてだけではなく、JR「おおさか東線」という、大阪外環を走る旅客線としても機能している。数年後には現在の放出・鴫野から新大阪まで延長する予定で、その時は現在単線のこの貨物線も複線工事が行われる。

P2085278・・・そういう鉄橋なのだが、最近特に「その筋」の人たちや、近代化遺産ヘリテージングなどに興味ある人たちから注目されている。それが、この鉄橋のこの形にある。

幅は鉄道の複線の幅であるが、線路があるのはその片側(下流側)だけ。もう片側(上流側)は、木製の「人道橋」である。何でも昭和4年の開通というから、長い歴史である。こういう形式の鉄橋が残っているのはおそらくここだけということもあり、また「おおさか東線」の延伸の折にはこの人道橋も廃止になるというから、注目が集まっているという。

かくいう私、つい最近この存在を知ったばかりで、ならばということで訪れてみたのである。早速、人道橋に足を踏み入れる。

P2085280木製の橋ということで、時折ミシミシいう音がする(私の体重のせい??)。まさか落ちはしないだろうが、川面を流れる風を結構感じるし、ところどころ上板がめくれかけているところもある。水面も見える。万が一のネットは敷かれているが、結構ヒヤヒヤもの。

赤川鉄橋、地元の人にとっては貴重な足のようで、日曜の午後ということで散歩する人や、買い物帰りの自転車などで交通量は多い。川を渡った都島区側には公団住宅が何層も建っているし、また左右を見渡しても人の渡れる橋は遠い。そのためにこの橋梁を利用する人が多いのかな。おおさか東線が開通すると逆に不便になってしまうのかな。

P2085279相変わらずミシミシいう板の橋を10分ちょっとで渡り終える。せっかくなのでここから折り返して再び淡路方面まで歩き、また折り返して都島方面を目指す。というのが、せっかく鉄道との併用橋にいるのだから貨物列車を見たいし、とはいうものの、百済って日曜日は列車が全て運休ではなかったかな?と思いつつ、その辺の時間の下調べなく「歩いているうちに出会えればラッキー」というくらいに考えていたところから。

その気持ちが伝わったからかどうかは別として、三度都島方面に歩いていると、南側から黄色いヘッドライト。おっ、これは列車と遭遇やな。

P2085291人道橋の欄干に体を預けてカメラを構える。と、そこにやってきたのはDD51の単行。残念ながらコンテナ台車の姿はなかった。そのせいかそれほどスピードを落とすわけでもなく、轟音を上げて私の横を通り過ぎて行った・・・。

P2085292うーん、鉄橋を渡る貨物列車・・・晴れた夕方の時間帯に、逆光になるように撮影したら美しい写真になるだろうなという空想が増すばかりである。これが夜になったら、暗い中すぐ横を貨物列車が通過していくのも近すぎて怖く感じるのだろうが。

P2085273大阪の近郊に、こうした昔ながらの風情を出す鉄道スポットがあるのも意外。安全性の問題もあるので何とも言えないが、近代化遺産として、何らかの形で後世に受け継いでほしい。今度は時間帯・貨物列車の時間を調べて、もっと濃い場面で過ごしてみたいものである・・・。

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岩盤浴初体験

2009年02月08日 | まち歩き

尼崎市内にはいくつかのスーパー銭湯(一応、地中深くから掘削した天然温泉ではあるが)がある。休日のリラックス方法として、こういうスポットを回ってみるのもよさそうである。

ということで訪れたのが、尼崎市役所に近い「やまとの湯尼崎店」。広い敷地の中にレストランやドラッグストア、コンビニなどが並ぶ一角にある。

P2085267お値段は町の銭湯より張るのだが、そこは広い空間にたっぷりの湯。地下1004m、高野三山の一つ、摩尼山の標高と同じだけの深さを掘削して温泉が湧き出たことからその名がついた「摩尼の湯」につかる。やはりこう、手足を伸ばして入浴するというのがリラックスできる(現在の浴槽ではなかなかそうはいかないので)。特に空いている時間帯だったので余計に。また、露天風呂のエリアもなかなか広く、岩風呂に「つぼの湯」で楽しむ。外は晴天、比較的暖かいこともあり、外を抜ける風が気持ちよい。

これだけでも十分なのだが、今回は岩盤浴を体験することにした。個人的にサウナというのが苦手で、特にスチームサウナなどとなると息苦しささえ感じるのだが、岩盤浴は蒸気を発しない分楽しめるかなという好奇心からである。いや別に、最近はやりの「岩盤浴デート」というのは関係ありませんが・・・(個室ではなく開放型ですし)。

入浴前に受付で予約を済ませており、その時間に館内着を着て受付に顔を出すと、枕とマット(バスタオル)とタオルを渡される。「やまと洞夢」というところで、部屋に入るとグルリとスペースが区切られており、指定のエリアにマットを敷く。

入浴方法は事前に水を飲んでおき、まずはうつぶせで約5分、仰向けで約10分横になり、部屋から出て水を飲んで7~8分ほど休憩。再び水を飲んで部屋に入ってうつぶせ~仰向け・・・を2~3回繰り返して時間一杯というところ。トルマリン原石というのが使用されているようで、まず体を横たえた感じでは「暖かいな」と。

ところがしばらくするとジワジワ体内に熱を感じ、それが汗となって出てきた。それでも息苦しさというのはなく、心地よさを感じる。腕などに汗の玉ができるのを見るのも久しぶりである。

時計が見えないので「だいたいこんなもんか」という頃合で一度外に出る。水を飲んで休憩スペースでしばらく休んだ後、もう一度トライ。とにかく体内のいろんなものを外に出すというイメージである。

合計二度出入りしたところでそろそろ時間となり、汗を落とすべく再び大浴場へ。天然温泉と岩盤浴の組み合わせが気持ちをさっぱりとさせてくれる。これで疲れも取れ、十分にリフレッシュすることができた。またやりたいな。

ただ一つだけ難点。クルマで行くことになるため、「湯上りの一杯」が楽しめないこと。これはしばらくガマンするしかないな・・・・。

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明石レッドソルジャーズのキャラクター

2009年02月06日 | プロ野球(独立リーグほか)

このところ野球の話題が続いております。

今回はキャンプ真っ盛りのNPBではなく、今年開幕を迎える「関西独立リーグ」のこと。

関西独立リーグといえば、「女子高生初のプロ野球選手」という吉田えり投手が話題であるが、彼女が在籍する神戸9クルーズのほかに、もう一つ兵庫県に本拠地を置くチームがある。それが、「明石レッドソルジャーズ」。

兵庫県といっても広いですからね・・・・。それぞれの試合予定球場を見れば、神戸がスカイマークスタジアムを初めとして、神戸および阪神間(私の住む尼崎も含まれますな)が活動拠点なのに対し、明石は明石市のほかに姫路、三木・小野、高砂、はては但馬は豊岡までをカバーする。ある意味で兵庫を代表するチームといえるかな。

その明石レッドソルジャーズがこのたびマスコットキャラクターを発表したという。「ソルちゃん」というのがこちら。

Character 既存のNPBでは絶対にできないデザイン(それも独立リーグの面白さなのだが)のキャラクター。アタマにかぶっているのはどう見ても明石のタコ。そのタコと、姫路エリアでの鉄鋼産業の「赤」を用いたデザイン。右手にタイを抱え、左手は釣竿ならぬバットというのも、えべっさんみたいな感じがして面白い。またちょっと見て、「ネッピー」の親戚筋のような顔立ちというのもある。

現在のところこれと言った選手といえば、元西武でアメリカにも在籍した前田勝宏投手に、元愛媛マンダリンパイレーツの前田真宏という「両前田」ということになるが、これからどんな選手が活躍するか、関西を盛り上げることになるかが楽しみである・・・。

(このリーグには大阪ゴールドビリケーンズというチームもあるのだが、ホームページを見てもコンテンツが少ないし、どんな選手がいるのか、どこの球場で試合をするのかがさっぱりわからなかった。キャラクターも4チームの中で最もダサく、大阪のセンスの悪さがモロに出ている。地域的には中心にならなければならないチームなのだから、もっとしっかりしてほしい。)

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郷愁、オリオンの星たち~山内一弘さん死去

2009年02月05日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

プロ野球の毎日・大毎や阪神、広島で活躍し、ロッテ・中日の監督も務めた名打者、山内一弘さんが死去したという。

2009020500000024maipbaseview000もちろん現役時代のプレーを見たことはないのだが、史上2番目だか3番目だかの2000本安打を達成したとか、「シュート打ちの名人」だとか、元祖「オールスター男」という異名を取ったとかで、「ぜひナマのプレーを見たかった」と思わせた選手である。阪神・小山投手との「世紀のトレード」というのもこの人の枕詞である(写真は「毎日新聞」から引用させていただきました。心なしかこの新聞社の扱いが大きかったような)。

山内選手の活躍した時代のオリオンズといえば「ミサイル打線」と恐れられ、西鉄、南海に真っ向から力勝負を挑んだチーム。間違いなくパ・リーグの1ページを飾った打線である。その中心選手としての往年の活躍は千葉マリンスタジアムのマリーンズミュージアムでも触れることができるのだが、趣味の一つである「日本プロ野球史に関する諸々の書物を読むこと」の中で、「ミサイル打線」という言葉に敬意を表するきっかけとなった一冊がある。

『郷愁、オリオンの星たち~かつて稲尾、杉浦と相拮抗した強打線があった・・・』(波原健一朗著、鳥影社刊)。

Orion_2これは、大毎オリオンズ全盛時代の昭和34~35年のシーズンを中心に描かれたもの。おそらく著者の小学生時代といえる「少年」が野球の面白さに触れ、オリオンズファンになったきっかけ(その理由は結構笑えるのだが)から、オリオンズへの想いとともに成長していく姿を、オリオンズ、西鉄、南海の選手たちの戦いぶりとともに描いたものである。当時の「3強」(もちろんこの中には近鉄バファローズは入っていないのだが)の中で、西鉄や南海の回想録は結構あるのだが、大毎オリオンズを主役にしたものはほとんどないだろう。

その中でも「少年」は山内選手のファンだったようで、本文中も山内選手に関する記述が多く、なぜか「オリオンズファンをやめた」のも「山内監督がロッテの監督を辞任したこと」という。

稲尾、杉浦、山内・・・昭和30年代前半の華やかなパ・リーグを演出した選手たちも鬼籍に入る。一つの時代が、本当に昔のことになってしまったな・・・と感じる。こうなれば野村監督には少しでも長く活躍してもらわなければね。

心からご冥福をお祈りします。

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