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えっ! まだ配るの?

2020年07月27日 20時30分55秒 | 国を憂う
「アベノマスク」まだ配るらしいですよ。 必要?  なんかおかしくないですか?
我々の税金ですよ。 国の財政状況は超悪化してるんでしょう?
もう「気が狂ってる」としか思えない。  今報道見て、開いた口がふさがらない。
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ALSと安楽死

2020年07月27日 15時05分28秒 | 安楽死・尊厳死
治らない(悪化していくだけ)病と人間の命の問題。 事件(「事件」と書くこと自体がすでに見方に偏りがあるかもしれない)が起きて間がない今、こんな事書いていいのかという自問もありつつ、「でも社会構成員全員が考え、それぞれの考えをまとめなきゃならないこと。近々何らかの議論が始まり、あなたはどうなんですかと問われる時が来る」と思うのです。自分でも結論が出てるわけじゃないが、「いっしょに考えよう」の思いで書いてみます。

僕の中で今確信としてる思いがあります。「人には死を選択する自由がある」ということ。
自殺はいけない、生まれた以上生きなければならない とする考えは違うだろうと思ってます。
簡単にこんな風に書いてしまったけど、安楽死の問題の核心はここだと思うのです。
自殺 「あっていい」とするか、「あってはいけない」とするかなんじゃないでしょうか。
僕は「あっていい派」です。そこから始めると、次は「死に方」の選択です。健常者ならどんな死に方だって選択できるだろう。他人の手を借りないで。 しかし、今回の女性の場合どんな「死に方」が選択肢としてあったのだろうか。自力で死を実現できなかった時、どうすればいいのだろうか。ここからです。「他人の助けを借りること」それはいいのか という点が焦点でしょうか。
今はここまででなんです。 先に進みません。 なんとなく見えてる行き先は「他人の手を借りることも良しとしないと頭から矛盾するのでは」 とおぼろげながら・・・。
死を採れる人と採れない人 があるのでは 「平等じゃない」気もします。

朝刊にALS患者や家族でつくる「日本ALS協会」の近畿ブロック会長を務める、増田さんの手記が掲載されてる。氏は「社会に差別があるんじゃないか」「今の社会 重度の障害者が生きることを簡単には認めてくれない」と語っている。そうかもしれない。 でもどんなに愛情濃い、思いやりに満ちた世界が実現しても、個人が「生きることそのこと自体が辛い」と考えることはなくならないんじゃないだろうか。 そう考えると、自殺の選択も認めた方が になるのです。
ただ、いや応無しに始まるだろうこの問題に対する議論でこういうふうにはしちゃいけないと思う点があります。それは増田さんも書いてるが、「単に 安楽死、尊厳死の法制化という社会システムの問題として矮小化してしまうこと」これだけはやってはいけない。「命の話」なんだから「命の話」として温かみを持ち続けた議論にしないと。それには今生きてる全世界の人達がいっしょに考えることだと思います。
アメリカの人種差別問題、中国の香港台湾政策、北朝鮮の拉致、シリア難民 等々、全てにつながっていく議論です。
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