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民主主義に対する暴挙

2023年04月16日 10時14分39秒 | 国を憂う
安倍さんが殺傷されてまだ1年が過ぎてないのにまただ。安倍さん以前に長い間無かったこの種の事件がまた起きた、かつ穏便そうな岸田さんまでが狙われた という所に考えないといけない、奇妙な社会の変化があると考えるのです。
いかに怒りっぽい僕でも、意見の合わない人、憎い人を殺傷するという行為は絶対間違いだと思います。(丸めた新聞紙で頭をポンと叩きたいくらいの気分にはなるのですが)
その意味でメディアが一斉に「民主主義に対する暴力、絶対あってはいけない行為」と非難するのは当然で、正しいと考えます。
その観点で僕が注目してるのは「じゃ、いま狙われてる側(=為政者)には暴力は無いのか? 有るかもしれない と論評するメディアはあるか」という点です。 昨日の今日でまだそこまでの論評はさすがに遠慮する というならいい。今後に期待だ。
僕は「為政者側の暴力」についても合わせ書かないと単に実行犯個人の問題に矮小化されないかを心配するのです。
僕は今の為政者(特に安倍さん以降)に「政治の暴力」が有ると考えてます。「少数派の意見は全く無視する」「自分達の価値観だけで世の中変えようとする」「まっとうな議論、論戦をやらない」「憲法さえも読み替えする」「いかに与党が圧倒的多数とはいえ、立法府を無視した閣議決定が多すぎる」 その顕著な最近の例は「高市さんの居直り」あれを為政者の暴力と言わずしてなんと表現するのか。昨日一昨日書いた「ふるさと納税」だってそうだ。やりたい放題ではないのか。やった者勝ち、言い張った者の勝ちが際立ち過ぎる。その現実の中で「溜まった憤り」の解消法を持たない人がモンモンとしてる、かつそういう人が増えてるのではないか。
「短絡的に行動するなよ」の意見も解るが、そう言ったって解決はしない。
「国民我々が悪いんだ」と責任が戻って来るのが僕の中の常。 為政者にこんな行政をやりたい放題やらせてるのが悪い。今少し緊張感、謙虚感を持たせないと。
首相を狙う事件 「あいつが悪い」と片づけないで、「私にも責任があるかな?」程度は考えないと、これが日本の常態になるんじゃないかと危惧しますね。
コメント
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