昨日会社時代の先輩、同期の3人で懇親会でした。半年に1回ほど昼飯食って、喫茶店でだべる という仲間。最近は大和での開催が続いてる。先輩が大和のコース(大乃寿司、茶居珈)が気に入ってるようで。 それぞれが最近の関心事を話したり、世の中の情勢を議論したり きままですが、新しいことを教わったり、自分を確かめたりで、楽しんでます。
昨日 先輩からは新しい話出てこなかったが、「歳をとると同じ話を何回もするようで、自分は今そこに気を付けてる。何回も話すようだったら注意してくれよ。」そんなこと言ってた。新しい話題があればそれを話すんだが、新しい話題を手に入れるチャンスが歳とると少なくなって、ついつい仲間で共通する話になりがち と言うことなんだろう。 いずれは自分の心配事になることだ。いろんな所に顔だして、広く話をする努力は怠らんように だな。
僕からは今考えてる「文明文化論」を聞いてもらった。賛同してくれるところ、違和感をもたれたところ、次に考えたらいい方向などの感想を聞かせてくれた。こうして「うるさ方」に聞いてもらうと、自分の位置が解っていいね。
同期からの話が面白かった。前にも紹介したと思うが、理系で、会社時代は技術系のシステム設計やってた男で、リタイヤしてから「出雲神話」の世界を研究し、著書も2冊出版してる変わり者です。何かの話から、「邪馬台国、倭女王卑弥呼」の話になり、卑弥呼が王様になった経緯を彼が聞かせてくれた。ポイントは「弥生時代と一色のように言われるが、いろんな部族、種族が割拠してた世相で、争いが絶えなかったらしい。そんな中、王を決めるとなった時に『全体の合議』によって、卑弥呼を選出したんだ」と言うのですよ。今で言う「中庸を選択」する技を本来持ってたんじゃないか。DNA的にもいろんな交雑が行われた時代(特に日本は大陸から見ると東の端、交雑のルツボだったろう)で、それも「独善的にならず、中庸を選ぶ」人間性に繋がってる というのです。だから日本では「真の独裁」は成立しないんだ とも彼の解説でした。
そこで先輩から。 「DNAには組み込まれていても、今は『いい加減な中庸』だね。全ての考えを出したうえで、協議しながら、妥協しながら最適解に持って行くという本来の中庸じゃないだろう」の批評が。 なるほどです。 その通リですよね。
いい勉強してるな と自画自賛。 喫茶店で3時間、珈琲2杯でだべってくるのです。
昨日 先輩からは新しい話出てこなかったが、「歳をとると同じ話を何回もするようで、自分は今そこに気を付けてる。何回も話すようだったら注意してくれよ。」そんなこと言ってた。新しい話題があればそれを話すんだが、新しい話題を手に入れるチャンスが歳とると少なくなって、ついつい仲間で共通する話になりがち と言うことなんだろう。 いずれは自分の心配事になることだ。いろんな所に顔だして、広く話をする努力は怠らんように だな。
僕からは今考えてる「文明文化論」を聞いてもらった。賛同してくれるところ、違和感をもたれたところ、次に考えたらいい方向などの感想を聞かせてくれた。こうして「うるさ方」に聞いてもらうと、自分の位置が解っていいね。
同期からの話が面白かった。前にも紹介したと思うが、理系で、会社時代は技術系のシステム設計やってた男で、リタイヤしてから「出雲神話」の世界を研究し、著書も2冊出版してる変わり者です。何かの話から、「邪馬台国、倭女王卑弥呼」の話になり、卑弥呼が王様になった経緯を彼が聞かせてくれた。ポイントは「弥生時代と一色のように言われるが、いろんな部族、種族が割拠してた世相で、争いが絶えなかったらしい。そんな中、王を決めるとなった時に『全体の合議』によって、卑弥呼を選出したんだ」と言うのですよ。今で言う「中庸を選択」する技を本来持ってたんじゃないか。DNA的にもいろんな交雑が行われた時代(特に日本は大陸から見ると東の端、交雑のルツボだったろう)で、それも「独善的にならず、中庸を選ぶ」人間性に繋がってる というのです。だから日本では「真の独裁」は成立しないんだ とも彼の解説でした。
そこで先輩から。 「DNAには組み込まれていても、今は『いい加減な中庸』だね。全ての考えを出したうえで、協議しながら、妥協しながら最適解に持って行くという本来の中庸じゃないだろう」の批評が。 なるほどです。 その通リですよね。
いい勉強してるな と自画自賛。 喫茶店で3時間、珈琲2杯でだべってくるのです。