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「真実を隠す」 そして忘れる

2022年12月03日 09時56分32秒 | 国を憂う
昨日は笹子トンネルの事故から10年目にあたるのだそうで、現場で追悼式典があった。そのニュースを見て驚いたことがあった。
思いを語った遺族代表の男性が道路管理会社の経営者に対して 「土下座」して「事故原因の真実を教えてください」と涙ながらに懇願してたシーン。土下座というふるまいも凄いが、「えっまだ原因、事実で隠されてる事があるんかい?」ということ。経営者は「お話できない部分もありますが・・・・」との主旨で返答されてた。だからある一線以上は公にしてないのだろう。
第三者としての僕は 「設備の老朽化と監視体制の不備が原因」と理解し、100%管理会社の落ち度と判断し、片づけていた。でも当事者の中では「隠し」「隠されてる」部分が有るのですね。何なんだろう?

隠すということは「何かを守る」目的と考えざるを得ないが。 個人なのか、組織なのか。 
この話を一般化すると 実は「実に日本的な話」=「現代の日本文化」に通じるんじゃないか と思うのです。  「非を認めていい範囲は認め、悪うございました」と頭をさげるが、その裏で「既存の何かを守ろう」とする。結果再発防止の教訓にできないまま(総括しないまま)忘れていく。 今の日本の中にこんな話はいくらでもある。そしてそういう文化を育む中で「国が衰退してる」んだと考えるのですが、どうですか。

 ・昨日 杉田水脈総務政務官が過去の自らの発言を撤回した。
 ・森友公文書改ざん 赤木さん自死事件
 ・アベノミクスの総括も同類、
 ・国の借金1200兆円、統一教会問題だってそうなる   等々

日本だけじゃないんだよね。1例だけど
中國 W杯の放送 マスクせずに応援してるスタンドの大写しはCutされてるんだそうです。
Cut作業してる人も「何か変な作業」と感じながら手動かしてるよね。
国民といえども「教えられない情報」はあると思う。でもそういう部分があることを拡大解釈して、何でもかんでも「話せません」は間違いです。
今一度、「国民にも秘匿」の範囲を明確にしないといけない。さらに、今秘匿でも、将来は公開すべきなのだから、秘匿期間も定義しないといけないと考えますが。
コメント
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