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2つの報道から

2021年08月20日 09時08分53秒 | つれづれなるままに
① ニュージーランドのロックダウン
 3日程前、ニュージーランドがまた全土でロックダウンを開始したという報道があった。我が国がどんどん拡散してる現状から、「ニュージーでも何波目かの感染拡大が進行してるのか」と聞いた。その後その実態を告げる報道があって驚いた。
 久しぶりに全土で1人感染者が見つかった だけだという。「えっ?」じゃないですか。同じ地球上で同じ事態に対して国、国民によってこうも対応が違うものなのかです。ただの「徹底」じゃないですよね。「超超やり過ぎ徹底」に見えます。
 でも考えなきゃいけないのは「ここまでやることが必要な事態かもしれない」ということ。「日本ではできない」とか「世界で成功してる例は少ない」なんてそっぽ向いてるのは責任回避ではないのか を考える時なのでは。

② FRB(米国中央銀行)の議事録は1か月後に全て公開(公文書)
 米国は表題が当たり前として機能してるという話。先日7月分が公開されて、「金融緩和を早々にきりあげよう」との話が出たという内容だったらしい。それを読んだ日本のその筋が早速動いて「株価が下がった」という尾鰭がついてた。
 「公的業務」はあくまでもルールに則り、何人も(トランプさんであっても)曲げることなく、確実に履行していく、公文書として残す物は確実に残していく それ以外無いし、誤魔化すなんて考えもしない「民主主義文化」の確固性 羨ましく思うところだ。

さて、8月のこの時期はどうしても戦争、終戦の話題が多くなり、今年初めて知った事実にも触れることがある。
上に書いた2つの報道に共通する「日本人の民主度の低さ」の原因はいずこに を考えてて、「ここかも」と思い当たった。「戦争、敗戦」の後始末経験が原因ではと思うのです。
今だに「終戦」とは表現するが、「敗戦」とは言わないグループが存在してます。80年近くにもなるのに今だに日本史上に確固たる歴史として書かれてない。つまり日本国、日本国民としてきちんと総括できてない、してこなかった、しないように仕掛けた力が働いてきた こういうことが国民の中に文化として「刷り込まれて」来たんじゃないか。そして「何を考えても、やっても、いいかげんな所で妥協する、妥協することが大人なんだ」 とする文化(民主度)を生んできたのではないか。
この8月 混沌とする世相にあって、改めて「先の戦争」に想いが行った。
コメント
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