今年斎藤 幸平氏が著した「人新世の資本論」に共感してる話は前に書いた。でも「人新世」という表現がどういうことなのかを考えたことはなかった。「変な表現」とちょっと気にはなってたんですが。
数日前の朝日新聞が社説で「『人新世』 地球の限界を考える」として解説してくれてた。あっそういうこと、そんな壮大な話なんだ と勉強になった。
地球46億年の歴史を地層の変化、化石等によって分類する手法は学術分類として以前からあった。そして現在は11,700年前からの「新生代第四紀完新世」と定義されてるんだそうだ。
「人類の活動」が地質に刻まれた時代をこの「完新世」から独立させようと考えだされたのが「人新世」なんだそうだ。確かに「人類の活動」が地球環境に大きな変化をもたらしてきたのは事実で、地球歴史の一区分にするというのは正しいんじゃないかな。
しかし、じゃどういう活動をもってその分岐点とするかはいろいろあるらしい。「農耕の始まり」「産業革命」等の考えもあるが、有力なのは1950年代とするものらしい。「核実験による放射性物質」「プラスティック」「化石燃料」等地球環境に負を与えだした時点とするのが区別しやすいからだという。
1万年以上もの長さを一つの世代としてきたものをここで一区切り入れようと考えるほど現代の変化は大きいということなんでしょうね。しかもその変化はマイナス方向の変化。改めて今の地球の状況を他人事じゃなく、自分事として考えようよとの警告なんでしょうね。
数日前の朝日新聞が社説で「『人新世』 地球の限界を考える」として解説してくれてた。あっそういうこと、そんな壮大な話なんだ と勉強になった。
地球46億年の歴史を地層の変化、化石等によって分類する手法は学術分類として以前からあった。そして現在は11,700年前からの「新生代第四紀完新世」と定義されてるんだそうだ。
「人類の活動」が地質に刻まれた時代をこの「完新世」から独立させようと考えだされたのが「人新世」なんだそうだ。確かに「人類の活動」が地球環境に大きな変化をもたらしてきたのは事実で、地球歴史の一区分にするというのは正しいんじゃないかな。
しかし、じゃどういう活動をもってその分岐点とするかはいろいろあるらしい。「農耕の始まり」「産業革命」等の考えもあるが、有力なのは1950年代とするものらしい。「核実験による放射性物質」「プラスティック」「化石燃料」等地球環境に負を与えだした時点とするのが区別しやすいからだという。
1万年以上もの長さを一つの世代としてきたものをここで一区切り入れようと考えるほど現代の変化は大きいということなんでしょうね。しかもその変化はマイナス方向の変化。改めて今の地球の状況を他人事じゃなく、自分事として考えようよとの警告なんでしょうね。