向日葵の咲かない夏/道尾秀介著(新潮文庫)
最初は子供にしては不自然な感じはある。そうして家庭環境を含め、主人公の病的な雰囲気に戸惑うこともある。そこにトリックが含まれているらしいことは分かる。ただし、そのような病的なトリックで本当にいいものかという不安があるわけだ。もちろん個人的な感覚にもよるのだろうが、僕の場合はその期待はそれなりに裏切られた。それは逆説的に期待通り楽しめたことを意味する。さすがに人気作で、まったくよくできた見事な構成力に脱帽という感じである。
ということで、おそらく多くの人は、このトリックにはそれなりに驚くことになるだろうし、どんでん返しの意外性の破壊力もなかなかのものだ。読後感のある種の後味の悪さも、人によっては満足感に変わるだろう。してやられたし、末恐ろしい。まったくなんて少年なんだろう。そうしてこんなに恐ろしい結末で困っちまったぜ、という感じか。
僕は素直にミステリとして読んでいたので困ったが、これが結構怖いお話でもある。ジワリ怖いというのもあるが、臨場感のある怖さもある。いきなりそういう展開になって困ってしまったりしたわけで、まったく意地の悪い文章である。それだけ文章が巧みだということもあって、洗練された書き手さんだということが言えるだろう。イライラするような人物もいるし、外で起こっている大人たちとのやり取りのまどろっこしさもそうかもしれない。終わってみると病的な人がこの地区に一度に多く居すぎる気もしないではないが、まあ、それがこの小説世界を構成している要素なんだから仕方がない。まさにそうでなければこのような世界は構築されえないわけで、驚かされる楽しみとして許容することにしよう。
まあ、それにしても、やはり人間にはそれなりに狂気が内在しているのは当然ではある。だから猟奇殺人があって当然とまでは言えないわけだが、人間の中のドロドロしたものというのは、やはりあって当然なのだろう。だからこそ、本当に同化するような共感でないにせよ、なんとなく感情移入が出来て、狂気の理由もそれなりに理解できる気がするのかもしれない。同じような症状になるとは個人的に思えないまでも、狂気の理由は様々で、あるいはだから様々な症状に悩まされる個人が存在するのかもしれない。実行してしまうと社会的には困ったことになってしまうが、そういう素質を持った人が、それなりに世の中で暮らしているだろうことは、事実としてありうることである。重層的にそのようなホラーの覚醒があるわけで、自覚的になれる人にとっては、読後も長く恐怖が続くお話ではないだろうか。