カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

裸だから語る力を持つ場合がある   ヘルムート・ニュートンと12人の女たち

2022-11-22 | 映画

ヘルムート・ニュートンと12人の女たち/ゲロ・フォン・ベーム監督

 ドキュメンタリー作品。ヴォーグなどの雑誌の写真を手掛けて著名なヘルムート・ニュートンを捉えた作品。撮影中に彼は自動車事故で亡くなったようで、まさに彼の最後を飾るというような構成になっている。12人の女たちという表記は逆に誤解を招く印象を受けるが、彼は基本的に女性を中心とするヌード写真を得意とした。あからさまに陰毛の見えているものもあるし、自分のペニスが写されている物さえある。大変にエロティックなものが無い訳ではないが、基本的にこれはアートと言っていいし、その過激さが一種のムーヴメントと捉えてもいいかもしれない。そのような嫌悪や反発を呼び覚ますことで、着実に写真家としてのキャリアを積み、巨大化していったことが分かっていく。無一文でスタートし、それでも何とか写真を撮り続け、最初は本当に誰も理解していなかった写真の価値を、グイグイと世の中に問うて行ったということなのかもしれない。
 ニュートン自体はナチス時代に少年期を過ごしたドイツ出身で、その影響を批判されることはあるが、本人は影響を受けない訳が無いじゃないかと平然としている。フランス語も堪能で、フランスの雑誌にも多く写真を提供しているようだし、フランスの女優やモデルも被写体にするようだ。その写真を観たら一目瞭然で、さまざまなヌードが、まさにニュートン作品として、それがそうなんだと分かるはずである。時には挑発的で、時にはシュールすぎて何が何だか分からない。例えばヌードの女は、性的な対象でありエロだが、同時に羞恥や恐怖であり、男に対して威圧的である。男を支配していると言ってもいいかもしれない。そういう表現を、写真を観るものに確実に訴える力がある。写されているモデルたちも、そのようにして自分以外の表現になっていることを理解しながら撮影を楽しんでいる。エロの対象で観られることよりも、そのような表現で何かを変えられることに、一種興奮を覚えるということなのかもしれない。
 僕には芸術はほとんどわからないし、ましてや写真というものは皆目わからない。ニュートン作品は確かに見たことがあったが、だからと言って奇抜だな、というくらいにしか興味もわかない。このような映画を観て、なるほど意味がやっと分かって、凄いことがなされているということが分かるわけだが、それでもやはり写真なんだから、本当にわかっているのか分からない。報道写真をやろうとしたら、相手が逃げていくので上手く行かず、辞めさせられた経歴があるんだという。思わず笑ってしまったが、なるほど、ある種の写真に向かないからこそ、このような写真を編み出した、ということは言えるのかもしれない。
 映画の途中から、だんだんと彼らの写真の様々な表情を読み取ることができるようになっていく。内容も面白いが、教養的にも極めて有用で刺激的な作品なのであった。

※ それにしてもスーザン・ソンダクって、実物は何にもわかってない嫌な女だったんだな。まあ、本も難解だけど……。姿を観られてよかったです。
コメント
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