遺伝子の組み換えは、様々なところで行われている。それは組み替えることで、何らかの都合の良いと考えられることが可能になるからだろう。もっともそれは、多くの場合人間に都合の良い、何か別のものであって、人間の遺伝子そのものを変えてしまうことは、多くの倫理問題が残っているはずであった。しかしながらそれが、例えば病気の治療のためであるとかということになると、軽々とそのハードルを越えてしまうことになる。そもそもの出発点が悪いことではなく、良いことであるはずだからだ。自分には関係の無いことだと思っている人は多いかもしれないが、しかしこれは着実に自分にも降りかかる深刻な問題であるということも、次第に分かりかけていくのではないか。
それというのも、そもそもコロナワクチンも、一時的に遺伝情報を変えてしまう仕組みを利用したものだった。もっとも壊れやすい性質を利用して、一定期間を過ぎると壊れてしまうので問題が無いとされていた。それよりも感染を防いで、これ以上の被害を食い止めなければならない。結局日本で開発されることが今現在でもなかったが、先に開発されたからこそ使えた日本、というのもありそうな気がする。まあ、それは議論をしようとする本文ではないのですっ飛ばすけど、それはそれで問題だったのである。
病気の治療のための薬の開発の中にも遺伝子を操作するものはあるが、一応これも今回は抜いておく。何らかの遺伝情報を変えることで、その人の病気そのものを治療しようとする試みが、すでに多くの場面で行われているらしい。それが難病であるとか、特定の疾患の治療に有効であるらしいことが次々に分かってきていて、実際に治験として成果をあげているものもあるという。それはその病気で苦しんでいる本人にとっても、福音に違いない。
問題はそのために、その病気になってしまう原因の遺伝子も、分かっていくという話にもなる。そういうものが遺伝的にあるために、病気になってしまうということが明らかになる。そうであればということで、それが生む前に分かるために堕胎するというケースもある。それは病気になるだろうということが確率論的な可能性の問題であって、生む生まないは、選択できることにはなる。しかしそう判断された後に生むと選択されるケースは、当然少数になってしまう。そういう問題が明るみになる段階で、当事者もそうでない人も、うーんと考えてしまうことになる訳だ。
さらに、そうした病気のリスクの少ない遺伝子操作が可能であると考える研究者は多い。生まれる前に精子や卵子の遺伝情報を事前に調べて、組み替えることも理論的には可能になり、実際にそうしているケースもありそうだ。そうやって遺伝子情報を変えたうえで、体外受精で母体に戻せばいいということか。そうしてそういう「治療」を望む人というのも、たくさんいるのではないか。もちろんそれは生まれてくる子供ではなく、生もうとする大人の問題である。
今は流れとして、これらの産み分けのような倫理問題が解決されぬまま、技術と実験が繰り返されている状況かもしれない。どこかの国で実際の例が積み上がっていくと、自然と倫理問題も動かされていくことになるのではないか。そうして気が付くと、そうしている出産が主流化する可能性もある。すでにそのような未来を描いた小説だってあるやにも聞く。人間の欲求というのは、叶わないものがほとんどのようでいて、しかし大きな時間の経過とともに、考えた方に流れていく傾向がある。もちろんそれが、個人にとっても幸福なことばかりだといいのであるが……。