カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

譲られて歩きたくない

2022-11-21 | 散歩

 道を歩いていると脇道から車が出てくることがよくある。停止線のある所なら、なんとなく歩行者が優先のような感じになって、僕が通るのを待ってもらうことが多い。ふつうの幹線道路のようなところに出る脇道からの車ならば、幹線道路の車の状況もあるから、これは歩行者として譲ってもらって当然というか、まあ、ふつうに歩行してもかまわない空気感がある。問題なのは住宅街のような碁盤の目のような道が入り組んでいるところなのだが、だいたいにおいて車は停止線で止まるようなことはしない。また見通しもあまりよくない場合もあるので、車は通りへ頭をスルスルと出してくる。そうして歩行者である僕を認めて、慌ててとまるのである。工事現場風のおやじさんなどは、それでもかまわず目をやったまま「おいらは仕事で忙しいうえに散歩なんかでほっつき歩いてのとは違うんだかんね」という顔をして道行く車さえなければ、かまわず出ていってしまう。もちろんそれには散歩している僕には、その意見に異論はない。だから全然かまわない。むしろ問題なのは、それなりに頭を出して停車して、やっと僕に気づいて、「先に行って」と手を動かして合図するような人なのである。僕としてはここまで来たんだから、そちらこそ先に行って欲しい。だから僕も手を前に出して振り、「お宅こそお先にどうぞ」とやる。しかし多くの場合、もう停まったんだからね、という感じで、前に出ない車が多いのである。僕も立ち止まっているので間が悪い。それに車の方が動きが早いのだから、行ってもらうとすぐに済む問題なのだ。でもじっと動かないと、なんだか譲られたのに悪いことをしているようなことになるので、それではと小走りになって横切らなければならない。どうしても走りたくない年頃ではないが、じっと見つめられた状況で小走りに横切るのは照れ臭い。そうしてやはり手で「やあ」という風にお礼めいた仕草をする。実はお礼は言いたくないのに、ついやってしまう。自分自身に間が悪い。
 歩道を歩いていると、コンビニなどの店に入ろうとする車が、道路でじっと停まっていることもある。確かに僕はそういう場面に差し掛かりつつあるが、数メートルは余裕があったりする。僕にかまわず店に入ったとしても、何の問題も無かったはずなのだ。しかし車は僕をやり過ごすために車を止め、歩道を横切るタイミングを待っている。その車の後ろは、みるみると後続の車が順番に停車して列をなしていく。僕は「お先にどうぞ」と手で合図をすでにしている。そうして立ち止まってもいるのである。そうする車の中の人物は、手を差し出してどうぞとやるのである。まったく迷惑な配慮である。後続の車のことを考えると、慌てて本当に走り出すよりない。本当に嫌な瞬間である。頓馬な歩行者が交通を妨げて、小さな渋滞を作りつつある。社会の迷惑なのだ。
 うっかり歩行者をはねて先々面倒なことになるのは、車の方かもしれない。それは僕だって運転するのでよく分かる。歩行者にスムーズに横切ってもらうには、どうしたらいいのか。若い人(中学生くらい)などは、車が来ているのをわかっていても、実に堂々と友だちと馬鹿話をしながらダラダラ歩いていく。癪に障るときもあるが、まあ、歩行者はそれだけ強い存在かもしれない。そういうことを考えると、やはり僕のような存在こそ、うざい、というべきなのかもしれない。
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